疑似短編集 冬の霧
冬の霧・四の1(碧い海)
国道は真っ直ぐに延び左岸は日本海が陽の光を受け燦々と輝いていた。道すがら所々に掘っ建て小屋があり、軒下には鯣(するめ)になり切れない烏賊が干してある。小さな町を過ぎてから人家は疎らになり群落を構成するような形はなく、北海道にして、確かに陸の孤島とも言うべき地域である。
俺は喉の渇きを覚えていた。しかしジュース類の自動販売機など一時間近く車を走らせていたが見当たらない。仕方がなく車を脇に避け木陰で一休みした。随分と辺鄙なところに来たと思った。大学に行っていた頃から津々浦々歩いたが、これほど人家の無いところも珍しかった。木陰で休みながら、これから行われる告別式の閑散たる情景を考えた。会葬者の少ない葬式は寂しさを思わせる。しかしそんなことは主観的なことであり、どんな人間であっても、その人間が死んだときには蛆虫のように人々が集まってくる。一体どんな関係があるのか当の本人さえ分からない。益して係累に分かる筈もない。
「遠い所を態々来て戴き有り難う御座います」と、女は言った。漁師である夫を亡くし、一人息子は東京に行って既に三十年が過ぎていた。
「本来なら上司がお伺いしなければならないのですが、生憎と多用で申し訳ありません」
「遠いところを有り難う御座いました」と、関係会社の重役でもある息子が言った。何もない小さな家、弔意客の少ない簡単な葬儀、挨拶を済ませると俺は来た道を戻って行った。函館空港に向かい帰京する予定だった。
漁船が何艘か海に浮かんでいた。碧い海、その海で男は死んだ。その男の日常の中には誰も知ることのない悲哀や喜びが隠されていた筈である。誰に語ることも無かった屈辱も有っただろう。漁師は日々海に出、漁をすることで糧を得る。家族の生活を維持して将来の生活設計を立てる。しかし男は死に、漁に出ることも生活の継続も全てが終わった。一人息子は東京で居を構え独立した生活を営んでいる。朔北の地に住む母一人の小さな実家のことは、離陸した機内で忘れ去られるだろう。
俺は一年振りに通勤方法を変えた。あの角を曲がれば・・・確かに・・・その人はいた。依然見掛けた時よりも綺麗になっている。一瞬目が合い通り過ぎた。名前も知らず、でも、一瞬にして理解出来る瞬間がある。その人は俺にとってそのように存在した。そして、俺はこのスナックに通うことになる。
「いつ頃からかしら、吉川さんの話を聞くようになったのは?」
「丁度一年になる」
「今回は何処に行って来たの?」と、京子は慣れ親しんできたのか甘えた声を出した。
「北海道」
「良いな、給料貰って全国を旅行しているなんて」
「仕事だよ、葬式が終われば蜻蛉帰り。それに、どんなに遅くなっても翌日は出勤しなくてはならない」
「その土地、土地で美味しいものが頂けるでしょ?」
「とんでもない。ビジネスホテルに泊まり、近くの安食堂を探して食べる。時にはおむすびひとつの時もある」
「少しは大変なのね」
「死に意味はあるだろうか?」と、俺は京子に訊いた。
「意味なんてある筈無いでしょ」
「社会に貢献した人間も居ただろうし不必要な人間もいた。価値は残された人達の間で議論される」
「そうかしら?・・・今まで生きていた人間が死ぬ。唯、それだけのことでしかない。死んでしまえばお終いよ」
京子の合理的で淡々とした言葉が好きだった。仕事柄出た言葉であったが目許が曇ったことには気付かない振りをした。こうして葬式の後は必ず京子の許に通うようになっていた。いつ頃からの習慣になっていたのか、しかし京子に会うことで精神的な安定を保っていた。京子は何も言わず受け入れる。それは日常に疲れている為だろう、と思っていた。
俺の勤める一部上場企業の名称は株式会社エルゼである。製紙業界に於いては国内でも最大手の会社である。本社社員数三百人、工場は全国に十ヶ所、総社員数は二千名以上になる。当然葬式の数は数え切れないほど有り、社長や取締役が直接参列することは殆どなく、総務課葬儀専門の社員、詰まり俺が出席することになる。
通勤電車に押し込められ、毎日毎日同じ道を行き来している俺は既に四十四歳になっていた。二十二歳から二十二年間、何の変哲も無くこの会社で働き、好きになった女の子も何人かいた。しかしそれ以上のこともなく過ぎた。そして、いつの間にか取り残されたかのようにこの年になっていた。焦りがあったのだろうか、否、日常は淡々と過ぎていた。会社の残務処理係のようなものだったが、仕事に対する不平不満はなかった。今でもそうで、会社内から離れ全国を歩くことで自由であり、何事にも代え難い時間だった。
京子と褥を共にするようになったのは、出会いから半年ほど過ぎた頃だった。
「京子、好きだよ」
「本当に?」
「可愛い乳首だね」
「優しくしてくれないと嫌」
「瑞々しい肌だ」
「焦らないで、貴方のものよ」
「逃げてしまいそうで心配だった」
「馬鹿ね」
「良い女過ぎる」
「信じて良いの?」
「不安になる時もあったけれど・・・」
「何故?」
「恋しても実ることは滅多にない」
「そうかな?」
「男は何時もピリピリしている」
「女は図々しいって?」
「多分」
「私も?」
「御多分に漏れず」
「いい女の定めね?」
「そう言うこと」と、言いながら京子の乳首を吸った。その激しさに京子の姿態は乱れていった。
「貴方の求め方って素敵よ」と、京子は言った。
「愛し方だと思う」
「今までこんな愛され方を知らなかった」
「京子が求めているのであって俺は自然に振る舞っている」
「自分の欲望から逃げている」
「それは無いな!」
「貴方は誰?」
「唯の俺」
「いいえ、私の好きな貴方」
「有り難う」
「貴方といる時って何も考えない。考えても仕方が無いように感じる。一時の中に自分を忘れられる。でもそれは、自分自身を目覚めさせるようなものかも知れない」
「ちぐはぐだね」
「言葉の上であって、私は充足している」
「そうは言っても京子は難しい」
「どこが?」
「多分気力というか、何かを得ようとする能力が欠如しているのかも知れない。でも、それが魅力的に映る」
「そうかな?」
「何故、そんな風になったのか考えていた」
「愛されるとき女の喜びを知る。でも、そのことが時々怖くなる。貴方と共に仕合わせになれるのか分からない」
「先のことまで考えても仕方がない」
「女って、その時で終わることが出来ない」
「一般的にはそうだろう」
「貴方は何時も詰まらなそうな顔をしていた。私のこと、本当は嫌いなのかと思うときがあった。でも、自分のことばかり考えているからそんな風に思っていたのかも知れない。貴方の悲しみを分かろうとしなかった」
「京子」と、声が詰まった。
「私って何時しか自分の殻に閉じ籠もっていた。仕事の上ではニコニコして接していたけれど、嫌で、嫌で堪らなかった。貴方に出会ったことでそんな自分が見えてきた。貴方は私のことを問い詰めるような事は言わなかった。貴方は黙って私を見つめ何時も優しかった」
「接点を見付けたとき人は自分で解決していく。京子の内面はそれに立ち向かって行くことが出来る。京子の生きる力がそうさせていたと思う」
「私に出来ることは何もなかった」
「京子が越えて来た」
「貴方の優しさがそうさせた」
「これから先・・・」
「知らないもん」と、京子は何時もの様に言った。吉川はその言葉が好きだった。
「京子は何時もそう言う」
「だって、分かるようなことを言っても貴方は何時も否定する」
「知らないもん、って言うのが好きで質問していた」
「いやな奴」
「俺のこと?」
「そう、貴方のこと」
「俺って嫌な奴かな?」
「好きなときには嫌いと言う。良いときには駄目って言う。疲れているときは元気だと言う。でも、始めは分からなかった。本当は嫌な奴だと思っていた」
「嫌な奴だよ」
「嫌い」
「でも、俺は好きだよ」と、言って抱き寄せた。
「いや」と、言いながら京子は唇を開いた。
「いつか旅行に行きたいね」
「行かないもん」
「誘ってくれる人いるのかな?」
「いるよ」
「そうかな?無理だと思うよ」
「何故?」
「京子のこと理解出来る人はいない。きっと俺くらいだと思う」
「難しいのかな?」
「単純すぎて話にならないってこと」
「単純だもん」
「越えなくては成らないものを越えることは苦しい。無視することは出来ても消し去ることは出来ない。京子に対して、助言やこうすれば良いと言うとはない。俺が京子を信じているように、いつか京子が俺を信じられるよう願っている」
「優し過ぎると思う」
「京子と過ごす時間の中に安らぎを覚えていた。そんな時、既に愛していると知った」
「今までにもそう言ってくれた人がいた。でも、何時しか居なくなっていた」
「俺のこともそう思いたければ思えば良い。それは京子が決めることであって俺自身の問題ではない」
「時々貴方のことが分からなくなる」
「俺の言っていることを、受け止めるのも受け止めないのも京子が決めれば良い。人はこれまでの経験や自分の培(つちか)われた知識や社会常識で考え判断する。そして、相容れないものを排斥する。誰も彼もが自分の安定や仕合わせを求めようとする。それが間違っているとは言わない。しかし、それが本当のことか考える必要がある」
「自分の知識や経験を越えること?」
「そう、其処に良い女としての京子が生まれる」
「貴方の愛する京子?」
「そう、それにしても可愛い唇だね」と、言って軽く接吻した。
「男の人ってそんなことばかり考えているの?」
「そんなことはないけれど京子にキスしたい。出来れば身体中の全てにキスしたい。そして、眺めていたい」
「三十歳だもん、耐えられないよ」
「俺の好きな京子はそのままで良い。でも京子は男が嫌いだろう?」
「そうだと思う。恋愛も嫌、仕事をしている方が楽しくて色んなことを考えなくても良い」
「何がそうさせたのだろう?」
「面倒なだけ」
「違うね、良い男に愛されなかった。愛されなかったから不安定になる。不安定になるなら一人で居た方が良い」
「知らないもん」
「人を理解することや許容することが出来ない状況に置かれた。そして人間不信に陥り、どうにも越えることが出来なかった。京子の苦しみを知ることはないが受け止めたいと思う」
「私にも分からないこと?」
「前から考えていたが、京子がスーッと俺の前から消え、急に三歳の子供のようになる。許容したかと思えば全く拒絶した態度をとり自分を守ろうとする。京子の中の未成熟の部分が現実に耐え、何かの拍子に京子自身を支配している」
「でも、私は普通だと思う」
「そんな風に思い込んでいるのに過ぎない。恐らく京子自身にも分からず、知らない内に戻る」
「貴方がそう思っているだけ」
「そうだね」
「貴方のこと好きよ」
「京子が好きだよ」
「側に居てくれる」
「勿論」
「何故、私のこと好きになったの?」
「理由なんか無いけれど側に居たかった。始めは好きで無かったのかも知れない。商売だけが好きで、他には何の興味も持っていないような女だと思っていた」
「私ってそんな女だと思う」
「しかしそこが違っていた。京子はそんな風に仕事に夢中になることで自分を隠していた。でも、これからはそれを乗り越えて行かなくてはならない」
「貴方は私のことを何も知らない」
「俺は京子を愛している。それだけで良い」
「分からない」
「いつしか受容して許容している」
「知らないもん」
何時か別れるときが来るのかも知れない。しかし京子の内面に拡がる空白を理解したいと思った。また、時々見せる不安定さが京子の生きようとする真実で有り、俺と京子を繋ぎ止めていた
了
冬の霧・四の2(京子の過去)
長崎空港を降りると市内までバスに揺られた。高原の諸処に金色に光るものが見渡せた。それぞれの地域差による宗教の違いだろう、日本風の墓所で有りながら十字架が刻まれた墓石である。葬儀はそれぞれの地域、地域で意味を持っている。俺には分からないことだが、その都度その地域の風習に従うだけである。宗教に付いての知識がある訳ではなく、誰が何処でどのような宗教に従事していても一切関係がない。人は生きたいように生き死にたいように死ねば良い。
葬式専門員の俺にとって葬儀が営まれる場所はどちらかと言えば海の近くが良い。俺の都合に合わせて関係者が死んでいる訳では無いがついそう思ってしまう。それも、岬の先端に漁港が有り人々が釣り糸を垂れているところが良い。
人間の業は何処で生まれ生活しても大して変わるものではない。人間関係の中で、その人間性が成熟していくと言うが大して関係がないだろう。要するに、その人間の出来不出来はその人間に依って決まるのであって、会社、社会、地域と言う場で生きている限り、単にそれこそが問題とされる。
「京子と出会うまでの俺は毎日を過去に捨てながら生きていた」
「貴方って強い人だと思う。自分を見失うことなく、自分自身に向かって生きていると思う」
「そんなに格好の良いものではなく、ドロドロとした日常にドップリ浸かりながら足掻いている」
「だって、そんな風に捉えることだって出来ない。貴方と居ることで色々なことを感じ教えられる」
「言い過ぎだね」
「私たち、これからどうなるの?」
「分からない。京子のこと愛していくのか別れが来るのか、その時の思いに従うしかない」
「いやだもん」
「でも、自分に嘘を付いても分かってしまう。それに、京子の鋭さが俺のことを許しはしない」
「貴方の優しさを受け止めて良いのか分からなかった。でも、受け止めなくても良いと言った。本当かな?と思った。だって、必要なければ長い手紙を書いたり此処に来ることはなかったと思う」
「そうかな?」
「そうよ、会う度に好きだと言った貴方、キスしても良いって訊いた貴方、私が何も言わない内にキスしていた。始めは許していなかったのにいつの間にか応えていた。貴方と居ることで、貴方の語りの中で少しずつ心を開いていた」
「何時も一緒に居たいと思う。可愛い唇を見ているとキスしたくなる」
「私のことが好きなんだよ!」と、京子は唇を尖らせた。
「またキスしたくなった」
「嫌だもん」
「仕方ない」
「貴方と出会うことがなければ、自分の本当の姿を考え、殻の中から出ることはなかった。知らなかったこと、考えてもいなかった私のことを貴方は的確に知っていた。貴方に愛されていると感じたとき、私は例えようもないほど嬉しかった。でも、愛される意味が分からなかった」
「人を好きになるのに意味や理由など必要ない。それは、自然なことであり意識的なことではない」
「でも、そんな愛し方を私は知らなかった。性格が、家柄が、人間性が、家族関係が、人格が、そう、色んなことを考えなくては相手を選ぶことなど出来ない。何にでも基準が必要で、そうすることが安心感や安定感を得られると思っていた」
「仕事も生活も年齢も関係がない。全く知らない未知の世界で考えなくては答なんて出て来る筈がない。保守的とか進歩的とか言う問題ではなく知識や経験や常識から脱却しなければならない」
「自分の知識や経験ではなく、別なもの?」
「一寸だけ角度を変えれば良い。そして、答はこれしかないと思ったとき、又、一寸だけ角度を変えれば良い。多方面から見る必要は有るけれど、それだけではない」
「分かるような気がする」
「そして、自分の感覚を信じる」
「これまでのこと話して良い?」
「聞きたい」
「一週間前ローラが死んだ。いつも小屋の中から出ることは無いのに不思議な気がした。具合の悪かった様子もなく、鳴き声も発せず死んでいた」
「何歳になるの?」
「私が十四歳の時学校の帰りに拾ってきた。丁度十六年生きたことになる」
「人間で言えば疾うに百歳は越えている」
「大人しくて優しい犬だった。学校から帰ってくる私を何時も待っていた。家の門が開いていても、出てはいけないと言えば決して出ることはなく、芸なんて出来なかったけれど利口だった。一日経ち、二日経ち、ローラを失ったことがこれ程悲しいことかと思った。鎖で繋がれることを嫌とも言わず、与えられたものを食べ、他に何も要求することもない。学校に行くとき、何時も悲しそうな目をしていた。嬉しいとき、困ったとき、ホッとしているときなどそれぞれ表情が違っていた。信頼するものは家族しかなくその家族を一生懸命守っていた。何れ死ぬと分かっていてもローラが死んだ事実が辛くなる」
「京子の優しさだと思う。もう直ぐだね」
「何が?」
「京子がいい女になること」
「知らないもん」
「そして?」
「貴方の好きな京子は、二十五歳で結婚して二十八歳で分かれた。始めはアパートで暮らしていたけれど、夫の母親が脳梗塞で倒れてから同居するようになった。幼い子を抱えながら私は一生懸命働いた。私にしてみれば、夫の両親で有り日常の世話をするのは当たり前のことだった。始めの一、二ヶ月は何事もなく過ぎた。子供は近くの保育園に通うことが出来たけれど、義母は寝たり起きたりの状態だった。でも、義父は本当に可愛がってくれた。端から見ればなんと恵まれた家庭であり理解のある両親だった。しかし義母の経過は思わしくなくその後寝た切りの状態になった。食事の支度をして、夫を送り、義母の介護をして、子供の面倒を見て、休む暇なく日常生活は続いていった。毎日が大変だったけれど、それが仕合わせだったと思う。でも私は何処にも居なかった。同居して半年位過ぎた頃だった。義父が突然暴力を振るい出した。幸い子供に怪我は無かったが、私は吃驚してその時は何が何だか分からなかった。しかしその日、寝付く頃になって私は恐怖に襲われた。その後、義父は何かに付け物を投げたり壊したりした。私には意味が分からなかった。短気なのか、鬱憤を晴らしていたのか、でもその内に落ち着くだろうと思っていた。しかし暴力は益々酷くなった。どう対応して良いのか、夫の帰りは遅く相談しても何の解決策も無く、そんな日常に耐えるしかなかった。しかし、こんな生活を三年も続けていたことで私の精神はボロボロになっていた。生きるに値しない地獄絵のような状態に、何故耐えることが出来たのか答えは簡単だった。私が私を捨て別な人格になれば良いことだった。今で言う、解離性同一性障害多重人格症を演じていた。でも、そんな風になっていたことに自分では気付いていなかった。まるで、宇宙の果てに孤立無援でいるような、でも、人間なんてこんなものだろうと思い耐えていた。帰宅しても泥酔の夫、暴力を振るう義父、もう限界だったのかも知れない。私は自分を取り戻さなくてはいけないと思うようになった。そして、幼い子を連れて家を出た。生活出来ないことも、私自身を取り戻すことも大変なことは分かっていた。でも、そうすることで始めて生きていることを感じられるようになった。子供に辛い思いをさせ、自分自身も寝る時間を切り詰めて働いた。しかし自分を見失うことなく生きていられる。あのままの生活を続けていれば私は廃人のようになっていた。恐怖に脅え、周囲に気を使い、殻の中に閉じ籠もった生活を続けていたと思う。後一日遅れていればと思うと不安に襲われる。『不安定だね』と、貴方に言われた瞬間我に返った。私と貴方とは何の関係もなかった。偶々店の前で出会い、初めて店に来た日のことだった」
「人間の本性と言うか本来の姿が出る瞬間がある。本人の意識しないところで相手は感じ取っている」
「誰にでも?」
「信頼している人や愛していると思っても、親子間や夫婦の間で有っても出る場合がある。本来の姿が、至って純粋で誠実である場合は日常の中に表現されているが、普段その性質が見えない場合は、その人の黒々としたものが次々と現れる」
「貴方は一体何を見たの?」
「好きだったのか、でも、その人間そのものを信頼していた。何でも話し合えることで仲間のように思っていた。時々会って食事をすることもあった。でも、二人の間には何かが足りなかった。そんな訳で、きっと愛することが出来なかったと思う。電話で話をしていた時のことだった。本人は何とも思わなかったのだろう、でも俺は言い知れぬ寂しさを感じた。何故そんなことを言うのか、その時その人の本来の姿を見たように思った」
「貴方のことを知らなかった?」
「そんなことはないと思う」
「その人は貴方を傷付けたことをどの様に思ったの?」
「気付いたのか気付かなかったのか俺は知らない。その事について二度と話はしなかった。でも、その時に終わったと感じた」
「そうなんだ」
「京子は今でも自分の内に籠もり自分が傷付くことで耐えている」
「違うもん」
「京子の優しさは何も語らない。でも、それが内に籠もらないことを信じている」
「私なんて何もない」
「死んで行く人達のことを思うと人間を止めたくなる時がある。仕合わせって何だろう、このままで良いのかなって考える時がある」
「私は、このままで良い?」
「結局、色んなことに拘束され束縛されながら生きている。社会通念とか地域のこととか、相容れないことがあっても、仕方が無いと諦めている」
「生きる場所は一杯有るよね?」
「でも、桎梏と言うか逃れられないものがある」
「自分勝手と言われる?」
「そう思うけれど仕方がない」
「吉川さんの生きる場所は段々狭くなっている?」
「沢山のことが有り過ぎて日常が分からない。でも、流される自分を見ているより気楽だと思う。それに、確かなことなどない」
「確かなことって?」
「信じることが出来るもの」
「私のこと?」
「色んな人を見てきた。好きになったことや別れもあった。でも確かなことはなかった。昔、愛した人がいた。今から二十年も前のことで、情念を燃やすような愛ではなかったが、二人は確かなものを感じていた。大学二年の時に出会い卒業してからも二年間続いた。何故別れたのか今でも分からない。愛していたのに愛し切れなかったのかも知れない」
「そんな人が居たんだ」
「でも、同じ東京に住みながら二度と会うことはない」
「寂しくて辛かった?」
「若すぎたのかも知れない」
「愛することって長続きがしないと思う」
「そうかな?」
「だって、貴方も私も別れている」
「きついよ」
「私は貴方のこと愛して行けるのか分からない」
「大丈夫と思う」
「知らないもん」
「京子にとって俺が何なのか考える必要はない。京子がいて俺がいる。それ以上確かなものはない」
「貴方の優しさだと思う」
「出逢えたことを嬉しいと思う」
「何故、私のことをそんなに思ってくれるの?」
「好きだよ」と、俺は小声で言った。
「知らないもん」
「だから・・・好きな訳などない。京子といるとホッとする。可愛い笑顔を見ているとキスしたくなる」
「少しも可愛くないのに」
「誰にも分からないかも知れない」
「知らないもん」
二人で過ごす時間はたわいのないものだった。しかし安堵感があった。そして、直ぐ近くで眠る子を愛おしく思った。
了
冬の霧・四の3(八丈島)
たまさか八丈島の出身者は居ないものと思っていたが、さに非ず、従業員が二千人もいれば不思議のないことである。何れにしても八丈島は東京都下であるが、ジェット機で一時間も掛からない所に、こんなに綺麗な海が拡がっていようとは思わなかった。日帰りの予定ではなかったのでレンタカーを借り、取り敢えず島内を一周することにした。今日の通夜、明日の告別式以外予定はなかった。海は何処までも蒼く水平線は透き通って見えた。
「何処に行ってきたの?」と、ビールを注ぎながら京子は言った。
「八丈島」
「素敵ね」
「海が良かった」
「連れていって欲しかったな・・・」と、京子は意外なことを言った。しかし俺は冷静に受け止めた。京子の真意はともかく一応は客に対する礼儀だろう。
「港の出入り口では釣り糸を垂れていた。静かだった。むろ鰺が水面下で右に左に動き回っていた。それに、鯖や南の海に住む色鮮やかな魚もいた」
「同じ東京なのに随分と違うわね」
「東京とは違うだろう」
「東京都八丈町でしょ?」
「そう言うことではなく」と、俺は些か不機嫌な顔をした。
「どう言うこと?」
「小さな岬の先端に灯台がある。眼下に拡がる藍色の海は何処までも拡がり、真下には波飛沫が立っている。俺は小雨に煙る海岸に立っていた。静かにしていると、何処からか鳥の鳴き声が聞こえ砕ける波音に共鳴している。此処に住みたいと思った。車で三時間あれば島内を一周出来るが、住居が密集していない場所も所々あった。そんな場所で海を眺めて暮らしたい。そうなるときが来るかも知れない」
「私も一緒に?」
「そうなるかも知れない。でも、一人でのんびりと暮らしたいのかも知れない」
「知らないもん」
「京子は可愛いね」
「知らないもん」それは、京子の口癖のようになっていた。でも、それを言うとき少しだけ寂しそうな感じがした。
「京子の全てを知っている訳ではない。知りたいのか、知りたくないのか、俺にとってはどちらも関係がない。何が有ったとしても京子を失うようなことはない」
「貴方のことが堪らなく好きになっていく。でも・・・貴方を傷付けるようになるかも知れない」
「京子の良さは俺にしか分からない」
「それで良いの?」
「良い」
「私の過去には色々あった」
「俺とは関係がない」
「でも・・・」
「後悔することが人間の生き方かも知れない。それは、そんな風にしか生きられないことから来ている。しかし短い人生、後悔だけはしたくない。京子との出会いに依って正しいことが証明された」
「そんなに良い女ではないよ」
「俺が決めることだと思う」
「何故?」
「後にも、先にも、何も無い。何時まで意識的に自己との対応が出来るか分からない。充足した一瞬が有っても、捉えることが出来なければ唯の浪費に過ぎない。人生がそんなもので有るなら京子との出会いも必要がない」
「今日、この瞬間が貴方と私のもの?」
「そう」
「八丈島から帰って、上司の前で溜め息を吐いてしまった」
「何か有ったの?」
「会社は儲けることを目標にしている。しかし方法や手段が有り何でも良い訳ではない。大手の会社が中小企業を潰す。弱肉強食の今の社会では当たり前のことかも知れない。しかし俺には許せない。その為に何十人かの下請け会社の従業員は路頭に迷う」
「会社でも私のような小さな店でも同じ事だと思う」
「目の当たりにして、こんな風に仕事をしている自分が許せない。しかし食う為に会社にへばり付いている」
「生きる為には仕方がないと思う」
「そうかな?そんな風に生きるなら、俺は生きるに値しない社会に生きている。唯得ることのみに集中している俺を許すことは出来ない」
「貴方が理想論を言っているのではないと思う。でも、それだと自分を失うことになる」
「既に四十年以上も生き、これ以上望むことはない。もしも京子と一緒に住むようになって、子供が産まれたとしても、京子と二人の子供に対してはそれなりの物を残して上げたい。しかしそれ以上何が出来るだろう」
「有り難う、そんなことまで考えていたんだ」
「信じている」と、俺は言った。
「私のこと?」
「そう、京子のこと」
「私は信じられるような人間ではない」
「日常や過去ではない。そう、京子が自分を見つけた頃のことだと思う。十五歳か十六歳の頃かも知れない。一生懸命自転車を漕いで学校に行っていた姿、机に向かい試験勉強をしている姿、一冊の小説を夢中になって朝方まで読んでいる姿、数学の宿題が解けなくて難しい顔をしている姿、そんな情景が手に取るように見える。そして、そのときの姿勢が現在の京子に繋がっている。俺の信じている京子はその時と少しも変わっていない」
「優し過ぎる」
「違うね」
「でも、貴方は私の本当の姿を知らない」
「そうかな?違うと思う。人は何時も自分を乗り越えて行く。俺の好きな京子はそれが出来る人だと思う。そして、現在此処に居る藤嶋京子が俺の愛している京子でしかない。京子に何が有ったのか、京子を規定しているものが何なのか知らない。でも、既に過去の京子とは関係がない」
「接吻して」
「始めて言ったね」
「うん」
「好きだよ、京子」
「一つだけ訊きたい。私に女の子がいること。その事について貴方は未だ何も言わない」
「三歳だね」
「そう」
「可愛い子だ」
「それだけ?」
「それだけだよ」
「変よ」
「何が?」
「だって、私は離婚していて子供もいるのよ」
「だから?」
「子供がいて、飲み屋をしているのよ」
「関係がない」
「変よ、全く」
「京子のことが好きで側に居たい。変だと思う?京子が居て俺が居て、それだけで良い」
「貴方って変わっている」
「好きになるのに理由はいらない」
「そうかな?でも、嫌いになるときもあると思う」
「矢張り理由はない。好きになるとき、その人そのものが好きになる。嫌いな奴は少しばかり良いところが有ろうと無かろうと関係なく嫌いだと思う」
「生きていくことが大変だと思う」
「仕方がない。こんな生き方しか出来ない」
「でも、そんな貴方が好きになってしまった」
「毎日会っているね」と、俺は言った。
「電話を掛けてくるのは誰?」
「俺かな?」
「そうよ」
「会社にいても何をして良いのか分からないときがある」
「駄目な会社員さん」
「俺のこと?」
「そうよ」と、京子は笑いながら言った。
「だって、夜遅いから疲れてしまう」
「何をしているの?」
「相変わらず書いたり読んだりしている」
「何時から?」
「五年前から」
「ふふううん」
「京子の、その声が好きだな」
「読みたいな」
「良いよ。でも、出来は良くない」
「貴方のこと知りたい」
「有り難う」
「貴方って時々分からなくなる。色んなこと知っていて、大人だって思うときも有れば子供みたいに思うときがある」
「大人だよ」
「違うと思う。大人に成りきれない大人って言うか、中途半端のまま大人になってしまったような感じがする」
「馬鹿にしているな、そんなこと言うと食べちゃうぞ!」
「それが貴方の優しさかも知れない」
「京子と出会って嬉しいと思う」
「私も!」
「不思議だね、出会いなんて幾つもの偶然が重ならない限り有り得ない。しかしその偶然さえ捉えることが出来ずに終わってしまう。偶然を逃さなかった俺は鋭い」
「変な言い方」
「二人の関係が何時まで続くのか、行くところまで行くより仕方がない」
「別れる為に?」
「そうなるかも知れない」
「嫌だもん」
「日々を重ね、思いを重ねることで生きたいね」
「うん」と、京子は少し甘えた声を出した。京子と居るときの安らぎを知るようになって、逃げ出したい不安から逃れることが出来た。しかし未だ構築すべき信念や生活の基盤が欠けていた。
それから二週間経った頃だった。
「疲れた」と、俺は言った。
「一体どうなさったの?」
「嫌な葬式だった。誰も彼もが嫌な顔付きをしていた。死にたくて死んだ訳では無いと思うが、あれでは仏さんも浮かばれない。仮に自殺であっても同じで、しかし周囲は自殺の原因が何であれ、許容出来るほどの豊かさを持っていない。早く終われば良い、関わりたくない、それらが隠すことなく顔付きに現れていた」
「疲れたね」
「帰りの電車の中で京子に会いと思った」
「待っていたよ」
「何をしていた?」
「貴方のことを考えていた」
「有り難う」
「そんなこと言うのは可笑しい」
「でも、やっと会えたね」
「近くにいても会う機会が無いもん」と、京子は微笑んだ。
「無為な時間の中に埋もれ這い出そうとしても出来ない。脆弱な意思しかないことは分かっている。しかし停滞したまま抜けだそうとしない。きっと助けて欲しいのかも知れない」
「でも、そんな力も知識も無いよ」
「京子を抱いていると安心していられる」
「男と女の関係って何かしら?」
「男は狡くて女は悲しみを知っている。男は道を残して女は断崖から飛び降りる。そんなことを繰り返して知らぬ間に歳を取る」
「歳を取りたくないもん」と、京子は言った。
苦にもせず葬式屋が出来たのは、死者との対話、対象として捉えることが出来たからに過ぎない。しかし未来を、現在を問うことではなかった。俺は京子と会う度に葬式の様子を話す。淡々と話すことで俺の内面を流れる空虚感を知る。しかしそのことが、何れ二人の間に齟齬を齎すのかも知れない。
了
冬の霧・四の4(鎌倉)
現在は電化され複線化された福知山線も、以前来た時は単線でディーゼル機関車が客車を牽引していた。二十五年前、学生時代に旅行で来たときとは随分面変わりしている。木陰の川沿いをのんびりと走り自然と同化していたが、現在は都会と何ら変わることなく開けた街中を走っている。大阪の郊外として急激な人口増加を支えるには複線化しなくてはならなかった。しかし、激しく変わってしまった環境には馴染めそうにない。
一通り新入社員研修が終り総務課に配属された直後だった。『兵庫に行ってくれないか?』と、部長の声に俺は振り返った。『はい』と応えてしまった俺はその時から今日まで葬式屋をしている。
「入社して直ぐのことで、机の前でボーっとしていたのだろう」
と、俺は言った。
「でも、それで良かった?」
「今ではそう思う。しかしあの頃は一緒に入社した連中から後れをとったように思った。葬式が終わり翌日出社する度に憂鬱になっていた。ひょっとしたら机が無くなっているのではないか、他の部署に回されているのではないか、そんな不安だった」
「でも、自分の仕事として受け入れた?」
「せざるを得なかったのかも知れない」
「でも貴方だけ、何故?」
「大きな会社にはこんな部署も有るのだろうと思っていた。でも葬式に参列する為に会社に入ったのではない。しかしいつの間にか葬式担当社員になっていた。だからと言って苦にしていた訳ではない。仕事に追われ仕事に埋もれている人間は多い。自分が何の為に仕事をしているのか見失っている。俺はそんな風になりたくなかった。仮に葬式専門であっても、淡々と仕事をしていることで後の時間は全て自分のものだった。電車のなかで本を読んでいても、眠っていても勝手である。仕事と言っても日本中を旅行しているようなもので決して苦にすることはなかった」
「昨日は電話をくれなかった」
「そうだね」
「何故?」
「出来なかった」
「何時もと違う」
「少しも違わない」
「嘘、付いている」
「これまでも、これから先も京子に嘘を付くことはない」
「信じても良いの?」
「勿論」
「知らないもん」
「京子の声を聞きたかった。でも、自分に素直になれなかった。こんなに好きなのに馬鹿だね、俺は・・・」
「貴方と居ると自分に素直になれる。ねえ、好きになるって何の条件もいらないの?」
「必要がない」
「そう、でも時々苦しそうな顔をする」
「京子が意識の中から消えて行くことがある。それをジーッと見ている。何故かと問う必要はない。でも、そんなときは会いたくなっている自分に気付いていた」
「私は何時でも待っていた」
「会うことで依り不安になっても?」
「貴方が来ることを待ち望んでいる自分に気付いていた。貴方の言う接点が私の中で生まれていたのだと思う。でも言えなかった。だって・・・言えなかった」と、声に愁いを帯びていた。
「京子・・・」
「貴方のことが好きだった。でも、それが本当のことか分からなかった。だって・・・分からなかった」と、京子の言い方には途中で言葉を飲み込んでいることが多く、それは、京子の思いが寄り強くなっていることの現れだった。
「自分の時間を大切にしなくてはならない。自分の時間を持つことは相手の時間を持つことと同じだと思う」
「貴方の言う意味を考えていた。でも、考えることでは無く感じることだと分かった。自分のことを大切にするとか、守ると言うことではなく、時のなかに埋もれるように生きることだと思う」
「京子の為にして上げられることはない」
「何も要らない、貴方と一緒にいたい」
「一つのことに生きることが可能なら全てを擲(なげう)つことが出来る。そうしなければ何も得ることはない。京子のことをそんな風に愛することが出来るなら、俺の変わることのない歴史になる」
「何故、優しいの?」
「優しさは作り上げて行くものであって、始めから俺のなかにはない。そんな風になりたいと思う」
「貴方は何も必要としないほど強い人だと思う」
「強さなんてない。どちらかと言えば脆弱だと思う。辛うじて生きているのであって明日のことも分からない」
「それを知っているから自分に負けないと信じている。貴方は自分の在り方と生活とを完璧なまでに切り離している。でも、日常的には何も変わっていない所に凄さがある」
「そんなに格好良くない。毎日疲れ果て、明日は何処に行くのか分からない生活をしている。出世することもなく、毎日が平凡で変わりない生活が続いてく」
それから数日後、休暇を利用して鎌倉に出掛けることになった。京子との初めての小旅行だった。
「静かだね」
「貴方のいた海、そして、私のいた海」
「戻ることはない」
「貴方のこと好きになってはいけない」
「京子と俺の関係は何もなくても成立する」
「貴方の中に入り込んでいくことが出来るのか不安だった」
「分かっていた」
「貴方が待っていることも、自分の思いを確かめることもしなかった。でも、貴方に出逢えたことを大切にしたいと思った。そして、切なく思うようになったのはいつ頃からだろう、貴方の話を聞きながら内側に流れている思いを知った」
「感覚が強すぎる」
「私が?」
「そして、統制出来なくなる」
「そんなこと無い」
「淡々と生きていれば良い。しかし、しかしと自分に問い掛ける。そしてジレンマに陥る。これまでの京子はそんなことを繰り返してきた」
「分からないよ」
「決して、価値とか基準を必要としている訳ではないが、自分のことを許せないのかも知れない。そして、雑務に追われることで自分のことを後に押し遣る」
「大切に守り通している訳ではない」
「そう思う。しかし結果論から言えば守り通している」
「捨てるって、どう言うこと?」
「それらに拘束されていた。しかしその後は意味を失う」
「貴方の言うことが分かる」
「先のことまで考えても仕方がない。今だけで良い」
「暫く会わないでいようと思った」
「何故?」
「二人の為に」
「そうかな?二人の為になら会っていた方が良い」
「でも、会わない」と、言った切り京子は海を見つめた。
「入社して直ぐの頃、山梨県の田舎で土葬と言うもの体験した。時代劇に出てくる漬物樽のような棺桶だった。膝を丸めて中に押し込み蓋をする。その周りを五寸釘で止め、担ぎ手が坊主の後に従って運ぶ。予め掘られた墓穴に棺桶を下ろし、坊主が南無阿弥陀仏と念仏を唱えながら土を被せる」
「その村に火葬場は無かったの?」
「そう言うことだろう。しかし当時土葬が許可されているとは思わなかった。人は死ぬ。その瞬間に立ち会ったことはないが、人間にとって死は必要なことだった」
「ええ」
「生きることも死ぬこともそれだけの出来事でしかない。そうであるなら、日常のことなど一切問題は無く価値を与えること自体下らない。死を境にして残された人たちの環境は多少変わるかも知れないが、直ぐ元に戻り以前と変わらない日常を送ることになる」
「ええ」
「死後硬直しない前に棺桶に入れる。人間の虚しさなのか、生きてきた本質なのか、もっと生きたかったと言う欲望なのか、何も無いのか、屍は既に何も語らない」
「何だろう、生きるって」
「死んだ人間など大した問題ではない」
「何故?」
「何れ誰も彼も死ぬ。多少のものは残すかも知れないが時と共に忘れ去られる」
「でも、家族にとっては大きな問題だと思う」
「遺産分け程度のものであり、それさえ、財産のある僅かの家に過ぎない。度々葬儀に参列したが大きなものはなかった」
「そうかも知れないね」
「人間にはどれだけの土地が必要か、と言うロシアの民話を読んだことがある。欲を掻いても仕方が無く、生きている人間には住む場所と僅かばかりの食べ物が有れば良い。人間が薄れて見えるのは、余りの悲喜劇の中でしか生きることが出来ない為で、死んで棺桶に入る姿を見ていると憂鬱な時間が取り巻いている。死者との対話がそうさせるのか、それとも俺自身の行く末を見ているのか、しかし仕事だった。生きることは自己を完成させる為ではなく、偶然生きていたことであり、死もまた偶然死んだのに過ぎない。意識だけの問題であり、意識が無くなったとき生きてきた過程の全てが終わる」
「うん」と、言って京子はまた海を見ていた。白い波を寄せているだけの海に何を思ったのだろう。
「京子」と、俺は呼んだ。
「静かね」と、京子は応えた。
「微妙に動いていた二人の接点が何処にあるのか、それが何を意味しているのか考えていた。随分長かったと思う。でも、答えは簡単だった。京子のしなやかに揺れる肢体、項(うなじ)、滑らかな肌、それらの総てが心地良く失ってはならないと知った」
「知らないもん」
「京子の内側で考え行動していることにふと気付くことがあった。そんなとき愛していることを感じていた」
「何故?」私なんか、と京子は言いたかったが言葉を飲み込んだ。
鎌倉から帰りその後も毎日同じ時間に出勤していた。事務机の奥に入り込んでいる旅行カバンの中身は葬式用具一式である。九州、北海道の通夜に参列となれば、時間の余裕などなく慌てて航空機を確保しなくてはならない。足許に触れるカバンに、これまでの葬式の様子が浮かび上がってくる。しかし虚しさしか感じることはなかった。
了
冬の霧・三の1(履歴書)
朝から冷え込む日で、夕方にはチラチラと東京の街にも小雪が舞っていた。何時も通り矢部孝之は中央線の三鷹駅で降りた。三鷹市のアパートに越して一ヶ月、新しい会社に移って一週間が経っていた。駅前で晩飯の材料を適当に買うと深大寺行きのバスに乗った。バスは帰宅を急ぐ主婦や学生で込み合っていたが何とか座ることが出来た。
孝之は永年勤めた大手企業を半年前に退職した。退職する必要は無かったが、仕事に対する情熱は疾うに失い、良い機会だと思い迷うことなく辞めた。退職金はそっくり別れた妻に渡した。マンションのローン返済は一年前に終わり二人の子供は既に成人している。家賃と当面暮らせる金が有れば後は何とかなるだろうと思った。金の大切なことは知っていたが執着したくなかった。就職先は、これまで取引のあった会社ではなく全く違った職種を選んだ。履歴書の経歴欄や家族欄には不必要なことは一切書かず一人で生きようと思った。しかし何も書かなかったことで、結果的に矢部孝之、五十三歳は身元不明者として扱われることになる。
孝之は別れた家族に住所や電話番号を知らせることをしなかった。落ち着けば何れ子供たちに知らせようと思っていたが、その直前の出来事だった。これから老後を迎える年になって別れる必要は無かったが、孝之が家を出ようとしたのにはそれなりの理由があった。些細な夫婦のいざこざから急に包丁を握りしめた妻が孝之に襲い掛かってきた。孝之は一瞬殺されると思った。そのまま殺されても良かったが子供たちのことが脳裡を掠めた。殺人者の子供、然(しか)も被害者と加害者の両親を持つことになる。そう思った瞬間逃げ出した。その時の妻の顔付きを生涯忘れることは無いだろうと思った。翌日黙って家を出た。穏やかだった妻が、仮に一瞬であったとしても激しい憎しみを持ったのである。直ぐ普段の姿に戻ったが、自分に対する憎しみや日頃の不満は心の奥底から発していたのだろう。ビジネスホテルで二ヶ月間過ごし、その間にアパートを見つけた。
人は誰でも些細なことを大切に守り通している。しかしその琴線に触れたとき言い知れぬ憎しみを覚える。孝之の妻も自分では気付いていなかったが、孝之が触れたと思った瞬間包丁を握りしめていた。それが何であるのかその時点では分からない。時間が経過して冷静になっても分からないかも知れないが、人間の内奥に秘める琴線は繊細なものである。普段は誰もが気付くことなく見過ごされているが、時として顔を擡げる。
その日、孝之は何時も通り帰宅した。妻の佳美もパートから帰っていたので夕食の支度をしながら待っていた。口論は長男の結婚式のことであった。孝之は結婚式など本人たちに任せて置けば良いと言う考えだったが佳美は違っていた。一つ一つが段取り通り進んで行くことを願っていた。その時、何気なく言った孝之の言葉に激怒したのだろう、瞬間佳美は孝之の方を振り向くと両手に包丁を握り締めていた。向かってきた包丁を孝之は咄嗟に避けたが、孝之の見た佳美の目は憎悪に燃えていた。憎しみが増幅していたのだろう、最早人間の顔ではなかった。それほどの憎悪が、いつ頃から芽生えていたのか分からなかった。しかし係累との関係や、家族への思いやりなど何気ないことが積み重なっていたのだろう、そして一気に爆発した。また、孝之は会社のことや人間関係のことを日頃から話すことは無く、佳美との疎遠な関係は十年ばかり続いていた。
孝之は秋田県の出身で、次男と言う立場でも有り卒業後そのまま東京に就職した。就職して二、三年は故郷に帰っていたが、長男夫婦のいる実家に帰るのも面倒になっていた。佳美とは丁度その頃、忘年会で知り合うようになり交際を重ねた。その後肉体関係も出来たが、佳美はネオンの輝くホテルを嫌い孝之の住んでいるワンルームマンションに来るようになった。佳美は下町の出身で弟、妹があり三人兄弟の長女だった。幼い頃から家の手伝いをしていたような家族思いだった。偶々子供が出来たので結婚したが、式は簡単に済ませ質素な生活を続けていた。佳美は外での食事や旅行なども好きではなく家に居て掃除や洗濯などをしていたり、時間が有れば子供のセーターなどを編んでいた。外に出ることが面倒な訳ではなかったが、興味がなく、端から見れば良妻賢母と言われるような風情を見せ穏やかな家庭生活を続けていた。唯、孝之にとっては何時までも可愛い妻であって欲しかった。しかしどちらかと言えば自分の家族や両親のことを大切にするあまり、孝之にとって他人を見ているような所があった。
二月四日、朝から寒い日であった。矢部孝之は身分証明書になるようなものは一切持つことなく出勤した。新しい会社に就職して一週間目である。仕事の内容は事務、経理、営業など一切合切含めた何でもこなす仕事だった。
「矢部さん、入社祝いを遣りたいと思っている」と、社長の杉村が言った。
「いえ、就職させて戴き有り難く思っています」
「まさか、街でばったり会うとは思いも寄らなかった」
「あの時お会い出来なければ今頃何をしていたのか分かりません。社長に出会えたことで、又、生活が出来るようになりました」
「そう思ってくれるなら嬉しいよ」
「社長、履歴書も未提出で、来週でも宜しいですか?」
「そんな物どうでも良い」
「そう言う訳にもいきません」
「詳しい話を聞いても仕方がない。矢部さんの仕事振りは分かっている。取り敢えず仕事を覚えて後は任せる」
「有り難う御座います」
社長との会話も、結果的に履歴書を提出することも無かった為、孝之が翌日から出勤しなくなっても、会社として何処にも知らせることが出来なかった。
孝之の持ち物は、買い物袋と財布に数万円と小銭以外なかった。バスや電車の定期券は翌週買う予定でいた。アパートの家賃は毎月自動引き落としになっている。電気やガス、水道料金も同じだった。人に会うことも無く全てのことが自動的に行われる。その場所に住んでいようといまいと外側からは何も分からない。
・・・此処は何処だろう。周りの声は聞こえるが聞き取りにくい。盛んに俺のことを言っているようだが分からない。二月四日、あの日の朝、俺は仕事に出掛け夕方三鷹駅で降りた。そして、バスに乗り帰路に就いた。バスを降り、もうすぐアパート着こうとするときから記憶が途切れている。
「呼吸器を外しましょう、もう一年になります。脳波は停止状態のまま何の反応も有りません。昏睡状態、自発呼吸の消失、瞳孔の固定、対光反射、脳幹反射、平坦な脳波など感覚諸器官の反応は全く無く快復の見込みはありません」
「しかし一年もの間、彼に関わりのある人が現れなかったことが不思議でならない」
「何れ離婚か何かで誰とも接触を持たなかったのでしょう」
「臓器移植の証明をしている訳でもない」
「身元不明のままでは承諾を得られない」
「回復する見込みは〇?」
「そう思います」
「これだけ報道したのに何処からも連絡が無かった。しかしきちんとした身なりで所持金もあった。唯、身元に繋がるような物は一切持っていなかった」
「偶々ニュースの時間誰も見なかったのかも知れません」
「警察への届けもなされていない」
「これ以上待っても仕方がないと思います」
「身元不明で脳死状態」
「呼吸器を外しましょう」
「警察の話でも、何処から来て何処に行こうとしたのか、しかし背広姿で浮浪者には見えない」
「所持品は事故の後誰かが持ち去ったのかも知れません」
「有り得ることだ」
「轢いた奴かも知れませんが車の痕跡もない。僅かにタイヤ痕が残っていたが証拠にはならない」
「何も分からず一年か・・・」
周囲の連中は確かに俺の話をしているようだ。しかし此処は一体何処だろう。夢の中を漂っているのか、現実なのか、俺は誰なのか分からない。
・・・俺は車の運転している。高級車とは言い難いが多分自分の車だろう。しかし何処に行こうとしているのか、助手席に中年に差し掛かろうとする女と、後部座席に中学生らしき男の子と女の子が乗っている。
「初めてだね、お父さん。家族で出掛けるなんて」と、後部座席から女の子が話し掛けてきた。その時、お父さんと言われたことに妙な違和感を覚えた。結婚などした記憶はなく況して子供がいる筈はなかった。それに俺は未だ二十二、三歳の筈で、自分の背丈ほどもある子供に、お父さんと呼ばれること自体可笑しかった。
「海、綺麗かな?」
「当たり前だ」と、男の子が応じた。
「お父さん、毎日遅くまで働いて偶の休みはゴルフの接待だったものね。夏休みになっていたけれど予約が取れて良かった」
「美味しいもの出るかな?」
「ホテル代高かったら大丈夫よ、ねえ貴方」
俺のことを抜きにして家族らしい親子がはしゃいでいる。助手席に座っている女にも見覚えがなかった。それに、二人の子供からお父さんなどと言われながら運転していることに腹が立った。
「帰りは連絡船に乗るでしょ?」
「そうね」と、助手席の女が言った。
俺とは関係なく勝手に決めていることに益々腹が立った。しかし幾ら思い出そうとしても分からない。
「早く温泉に入りたい」
「貴方、直ぐ着くかしら?」と、助手席の女が言った瞬間全てが消えていた。
・・・海が見える。俺の故郷から見ているような感じがする。俺は必死で思い出そうとした。そうだ、確かに秋田県沖の景色に違いない。
「孝之」と、呼ばれた声に俺は振り返った。其処には未だ若い女が立っていた。
「こんな所で何をしているの?」
「海を見ていた」と、思わず答えた。
「一人で来る所では無いでしょ?」
「何故?」
「子供一人では何時荒波に飲まれるか分からない」
「荒れていないよ」
「遠い波間が白くなっているでしょ?波が高くなる前兆よ。気を付けないと!」
「分かった」
東京に就職して以来長いこと帰郷していなかった。しかし何故、秋田の海が見えるのか分からない。
「孝之、私の所に来ない?」と、女が言った。誰なのか記憶に無かったが後に付いていった。
「孝之は高校一年生よね」
「そうかも知れない」
「変な言い方、でも、前から可愛い孝之のことが好きだったのよ」
「お姉さんは幾つなの?」と、俺は馴れ馴れしく訊いた。
「二十三歳」
「貴方未だ童貞でしょ?色々教えて上げる」と言って、孝之のズボンを脱がし始めた。そして、「横になって」と言いながら股間部に手をやると触り始めた。孝之は指示に従った。「そのままにしていて」と、おしぼりを取り出すと隆起した貴之のモノを拭い、唇を触れたかと思った瞬間口の中に含んだ。
「う、うう」と、貴之は身震いした。
「気持ちが良い?・・・何時も一人でしているのでしょ?・・・これからは私がして上げる。それに色々教えて上げるから何時来ても良いのよ。貴之の女になって上げる」と言った瞬間、脳天を突き上げるような快感に女も海も消えていた。
俺の周囲では人間が動き回っている。そうだ、調布行きのバスを下りアパートに帰ろうとしていた。其処から全てのことが途切れている。会社に連絡しなければと思いながら夢を見続けているのか、しかし此処は何処なのだ。
了
冬の霧・三の2(夢の中)
・・・テーブルにお新香とおでん、鳥の煮込みが並び居酒屋の片隅で熱い酒を飲んでいた。屹度俺の好物なのかも知れない。手持ち蓋さにしていた俺は待ち合わせをしていたのか、しかし三十分経ち、一時間経ったが誰も現れない。支払いを済ませ出ようとしたとき一人の女が入ってきた。
「矢部さん」と、後ろ向きの俺に声を掛けてきた。振り向いた顔に見覚えはなかった。
「ご免なさい、遅れてしまって。仕事が捗らなくて、もう帰ったかと思った」
「兎に角お掛け下さい」
「孝之さん、変な言い方?」
矢部孝之、それが俺の名前だった。
「一時間近く遅れたのを怒っているのでしょ?」
「仕事?」
「変な人ね、貴方の為に頑張っていたのに」
「俺が何か頼んだ?」
「貴方が行けないと言うので私が行った。変な人ね」
「有り難う」
「先方は納得してくれ、今後も納品させて貰える」と、女が言った瞬間会社の場面に変わっていた。
・・・こんな筈が無いと怒鳴り立てている。自分の仕事上の失敗を当たり散らしていたのかも知れない。俺の周囲には何人かの背広姿の若者や事務服姿の女の子がいた。
「しっかり伝えておけ」
「申し訳有りませんでした」と、若者が謝った。
「会社がどれ程の損失を被るか考えたことがあるのか。このままでは在庫だけを抱えることになる。営業二課が潰されるかも知れない情況なのだ。何時もそうだが連絡が行き届いていない。言ったことは一回で憶えておけ」
「済みませんでした」
「謝って済むようなら会社は要らない。二度と同じような失敗をすればその場で辞めて貰う。分かったな」
「はい」
「課長、これからのことですが、行って頂けますか?」と、一人の男が俺に向かって言った。
「君、後は頼む」と、言って別の男が去った。上司だったのかも知れない。兎に角連絡をしようと思い受話器を手に取った。ダイヤルを回さなくてはならない。しかし何処に掛けるのか、「営業二課の・・・」俺は言葉に行き詰まった。確か、課長と呼ばれていたが名前が分からない。
「課長、顔色が」と、目の前の女の子が言った瞬間分からなくなっていた。
・・・さっきから何も言わず時々俺の方を盗み見ている。湖のある町、俺は以前此処に来たような気がする。しかし声を掛けようにも名前が分からない。聞く訳にもいかなかったが、何度も一緒に過ごしたような、何れ一緒に暮らしたいと思った女がいた。
「可愛い唇だね」と俺は言い、女の反応で判断しようと思った。
「二人だけで会えて嬉しい」
「キスしても良い?」
「そんなこと言うの、貴方だけよ」
「本当だよ」
「貴方の言うこと信じて良いの?」
「勿論」
「私、未だ恋をしたことがない。でも、結婚している」と、女は意外なことを言った。
「そんなことは関係がない」
「私は悪い女」
「良い女だよ」
「何故、虐めるの」
「好きだ、と思っている」と、名前も知らない女に言った。
「だから、虐めている?」
「君と居るとき、俺の感覚は満たされている」
「私は貴方と居られない」と、女が言った瞬間名前を思い出した。
確か知美と言った。知美、知美、しかし関係が分からない。
「知美?」
「やっと名前を呼んでくれた」
「知美のこと愛している」
「でも、私は」
「応える必要などない。こうして俺と知美は一緒に居られる」
「何故、愛したの?愛される資格がない」
「理由など無い」
「孝之、二人で何時もいられない」
「でも、時々は会っている時間がある」
「孝之に辛い思いをさせる」
「知美、連理という言葉を知っている?」
「教えて」
「知美と俺のこと、枝葉か絡み合うように一体となり結ばれる深い契りのこと」
「孝之と私のこと?」
「そう」
「それで良いの?」
「それで良い。知美には知美の生き方があり、俺には俺の生き方がある。互いに生きる場所や時間が違っていても、二人の間に堅く結ばれた契りがある限り求め合うことが出来る」
「有り難う、孝之」
俺は知美を抱き締めようとした。しかし腕を動かそうとしても、指先を動かそうとしても出来ない。「知美・・・」と、叫んだ声は内に籠もり表出して来ない。
「孝之」と、呼んでいる声がした。
「知美、何処にいる?」
「孝之の隣」
「分からない」
「孝之をこんなに強く抱いている」
「俺のいる所が分からない」
「湖よ、穏やかに湖面が揺れている」
「湖?」
「二人で湖岸にいる」
「姿が見えない。可愛い目許が好きだった。何度も何度もキスした唇が好きだった」
「孝之の私しかいない」
「起きているのか眠っているのか、知美に会ったような気がする」
「今、一緒にいるのよ」
「手紙を書いていたような気がする。封をしてポストに入れようとしていたのかも知れない。違う、机の上に置いたままだ。否、ポストに入れた」
「まだ、受け取っていない」と、言った瞬間知美は消えた。
・・・汗がタラタラと流れている。炎天下での運動会だろうか、子供達がはしゃぎ廻っている。正面に大運動会と、大きな看板が立っている。しかし運動の苦手だった俺は、体育の時間や運動会などなければ良いと思っていた。授業中も窓外に拡がる景色を見て絵を描いていた。
「孝之くん、駄目でしょ」と、未だ若い先生が言った。
「はい」と、慌てて返事をした。
「私かしら?」
「そうです」
「でも、上手ね」
「有り難う御座います」
「今は国語の時間、勉強しなさい」
「でも、教室には先生と俺しかいないよ」
「そうね」
「みんな何処に行ったの?」
「今日は運動会、孝之くんも一緒に行こうね」
「嫌だ、国語が良い」
「孝之くん、先生のこと好き?」
「うん」
「放課後、美術室で待っています」と、耳元で囁かれた瞬間若い先生が消えていた。
目の前を人が通り過ぎ、時々覗き込み、触っているような気がする。しかし何も見えない。過去なのか、現実なのか、俺は子供なのか、大人なのか、もしかして死んでいるのかも知れない。夢の中の出来事を追っているのなら何故目覚めないのだ。
了
冬の霧・三の3(冬の霧)
・・・山手線だろうか緑色の電車がすれ違った。俺は片手に書類袋を持っている。中を確かめると細かな数字が並び、表紙には見積書と印刷されている。背広姿の身なりと言いサラリーマンらしい。時間は午後だろうか、居眠りをしている乗客、そして空席も目立った。しかし本当にサラリーマンなのか、飯沼産業株式会社宛と書かれた見積書を見ながら必死で考えた。電車は池袋を過ぎ新宿に近付いていた。降りなければと言う思いが過ぎり、新宿、新宿と何度も呟いた。しかし新宿で降り、これから飯沼産業に行くのか、飯沼産業の帰りなのか皆目見当が付かない。
「矢部さん?矢張り矢部さんだ」
「はい」と、俺は慌てて返事をしていた。
「十数年振りになりますか」
「貴方は?」
「私ですよ、柿沢」
「柿沢さん?」
「中学の柿沢喜一、喜び一番の喜一」と、見知らない男が言った瞬間、駅員のいない小さな駅に下りた。
・・・左右を見渡してもタクシーの陰さえない田や畑に囲まれた田舎の町だった。さて、如何したものか迷っていると一台のタクシーが通り掛かった。咄嗟に手を挙げた俺はタクシーに乗り込むことが出来た。住所の書いてある紙を運転手に渡すと、「三十分近く掛かりますよ」と言われた。降りた駅を間違えた訳ではなく、それも仕方がないだろうと思った。山間の僅かばかりの透き間に幾つかの集落が点在していた。人々は山を切り開き、一日数時間しか陽の当たらない場所に住み着く。しかし数軒の家は既に廃屋になっていた。子供たちは家を継ぐことはなく都会に出て行ったのだろう。又、僅かばかりの段々畑に腰の曲がった老人が鍬を持って立っていた。
「お客さん何処から?」と運転手は言った。
「秋田から」
「此処が秋田ですよ」
「いや、東京かな?」
「お客さん、大丈夫ですか」と、運転手が言った瞬間、芳醇な香りに包まれていた。
・・・着飾った女たちが俺の周りを取り囲み囁いている。
「矢部さん、今日良いわよ」
「意味が分からない」
「今日良いって言っているの、私のこと欲しいのでしょ?」
「言った憶えは無いな」
「矢部さん、りっちゃんが可哀相よ」と、隣の女が言った。
「ご執心だったくせに」と、前の女が言った。しかし俺の周りにいる女たちに何を言ったのか見当が付かない。
「矢部さん、意地悪ね」
「だって、俺は独身じゃない」
「関係ないことよ、今日の矢部さん変ね」
「俺が以前からりっちゃんを誘っていた?」
「今更、何を言っているの」と、怒った口調で言われた瞬間、見上げると雲間から雪が落ち始めていた。
・・・身震いするような寒さに俺はコートの襟を立てた。寒い思いをして会社の為に働いている。毎日毎日同じ時間に出勤することで家族を支え、会社を支えていると言う虚しい自負心があった。私立大学を卒業して二十一年、俺の日常は変化すること無く過ぎている。自分自身に対する不安か、有給休暇を取ることもなく、真面目で仕事熱心であったが普通でしかない。それが会社内での評価だった。しかし意に介することはない。可も、不可も無く仕事をこなしていくことの困難さを知っている。
「其処の席、少し空けてくれない」と、若い男が言った。通勤電車を降り会社に向かっていた筈だ。しかし未だ車内に居たのかも知れない。
「もう一杯だよ」と、俺は言った。
「座らせな、この野郎」
「お前に、この野郎と言われる筋合いはない」
「爺さん、殴ってやろうか」
「貴様らみたいな連中が生きている必要はない」
「この野郎」と、男に殴られた瞬間、歌など歌ったこともないのに鼻歌を歌っていた。
・・・まったく珍しいことだ。カラオケではなく家の風呂場なのかも知れない。これまで人前で歌など歌ったことなど無かったが湯船で歌っている。しかし俺は背広姿のままだ。何故、服を着たまま風呂に入っているのだろう。
「私のことを愛していると言った」と、女が言った。
「遠い昔のことだろう」
「いいえ、一週間前のことよ」
「覚えていない」
「二人で頑張ろうって」
「忙しくて時間に追われていた」
「言い訳に過ぎない。他に愛した人はいないのに貴方は私を疑っていた。何故、何故なの?」
「疑念は無い」
「嘘、貴方は何時だって一歩離れて私を見ていた。そう、初めて逢った時から変わらない」
「愛しても、その後が分からない」
「何故、そんなことを言うの?私の全てが貴方のものだった。貴方に出逢えたことで私は生きることが出来た。貴方がいなければ生きて行けない」
「これ以上何も出来ない」
「私の愛は終わるの?」
「俺に何が出来ると言うのだ」
「私の何を必要としたの、愛することが出発点だと思っていた。でも、それは終着点に過ぎず、貴方は私のことを心の片隅でしか考えていない」
「俺は背広を着たまま風呂に入っている。此処はどこだ」
「そんなこと関係がない」
「何れ終わりが来る」
「貴方は傲慢よ、単なる浮気だったの?」
「違う」
「貴方は自分を正当化している。未来は、明日は空疎なものだと言って何もしない」と、知らない女が言った瞬間、神奈川に来て巨大な船窓を見ていた。
・・・コンビナートに囲まれた街は矢張り赤錆び付いている。俺が降り立った駅は、川の中にあるのか、海の中にあるのか、ホームの真下は一筋の油を引いたような水が流れている。覗くと銀色の魚が流れに逆らって泳いでいる。
「行こう」
「ええ」
「静かだね」
「このまま一緒にいたい」
「今ある時間を大切することが仕合わせだと思う」
「私と貴方だけの時間」と、誰かが囁いた瞬間、古びた街並みが並んでいた。
・・・家内工業が発達しているのか、家内工業に依って生きざるを得ないのか、大阪の片隅にあって日本経済の原点のような場所だった。地道な作業が毎日続けられ日々が忘れ去られる。仕事が終われば銭湯に行き一風呂浴びる。冷えたビールを飲みながらテレビを見ている。何処の街にもそんな風景がある。一日の疲れを家族が癒し、小さな家庭を守ることで穏やかな日常を送る。
「貴方、やっと来てくれたのね。何処を彷徨いていたの?」
「俺は一人で生きようとしていた」
「そうね」
「東京に帰らなくてはならない」
「勝手にどうぞ」
「真面目なんだ俺は」と、足掻いている傍らに【墓地分譲中・死後はお任せ下さい】と言う看板が立っていた。死んだ後も骨を埋める為に土地と葬儀が必要である。死後のことを考えなくては生きることが出来ない。死ぬ前に墓地を、墓石を買い、死ぬ準備する。
「縁切れよ」と女が言った瞬間、バスに乗っていた。しかし何処を走っているのか分からない。路地裏に入ると都会の夕方であるにも関わらず人の姿を見掛けなくなる。
「俺は三鷹駅を下りてバスに乗った」
「そう言う嘘は通じない」
「俺にも未来が有って良い筈だ」
「死人に必要なのは棺桶さ」
「棺桶だって」
「深昏睡、瞳孔散大、脳幹反射の消失、脳波の平坦化、自発呼吸停止」終わりだな、と声がした。
「終わりだって」
「人工呼吸器、スイッチオフです」
「外は冬の霧だね」
了
冬の霧・二の1(西伊豆)
東京の府中市を離れ西伊豆は海岸線の町、松崎町に移り住んでから既に三年が過ぎた。暖簾を下ろし、機田美代は一日が無事終わったことに安堵したかのように煙草の火を付けた。人前では滅多に吸うことは無かったが、一日の仕事が終わりほっとした瞬間自然と手が伸びている。初めの一年は働き尽くめで身体を壊したこともあったが、今では週一回の休みも取れるようになった。一人娘の響子も六歳になり、一人で居ても手が掛からなく仕事に集中できた。
食事処【美代】を開業して二年目、益子の実家に預けておいた響子を引き取った。馴染んだ祖父母と離れることに、親の辛さも響子の辛さもあったが矢張り一緒に住むことを願った。
深夜蒲団に入ると、響子の為にもう一度生きてみようと願ったことが昨日のように思い出された。客はそれ程多くなかったが、町の中心に位置していたことで馴染みの客も増えある程度の採算も取れるようになった。また観光地でもあり昼食時は流れの客も多い日があった。昼は十一半時から定食を、夕方は五時から九時まで酒と食事を拵えた。出店した頃は借金に苦しんだが、今では銀行への返済も順調に消化して後二年ほどで完済する予定である。今月分の返済も明日入金すれば良かった。
松崎町は伊豆半島南西部に位置する遠洋漁業の要港であり、桜餅用の大島桜の葉を生産する他、マーガレット栽培が盛んであり、戦前は早場繭の市場として知られ、古く明治時代は畳表の製造で知られた世帯数三千戸、人口九千人余りの町である。西伊豆の代表的な観光地であり、年間この地を訪れる観光客は三十八万人、また宿泊観光客は三十一万人に達している。漁業も現在は遠洋漁業から近海漁業に変わり、旅館や民宿で消費され、農業は畳表や繭の出荷量は無く僅かに葉桜を出荷する程度に過ぎなかった。
美代がこの町に出店したきっかけは、陽入りの美しさと、石部との出会い、そして響子と静かに生きたいと思ってのことだった。毎朝の市場への買い出しに始まり、一休みしたあとは昼の準備に取り掛かる。そして、夕方は四時に厨房に入り酒の肴の準備に追われる。昼は近くの銀行や役場関係の来客が、夜は漁業関係者や地元の単身者が訪れる店だった。
「機田さん景気は如何かね」
と、地元銀行の笹本が声を掛けてきた。笹本は時々昼飯を食べに寄ることがあった。居抜きの店を買うとき笹本の勤める銀行から借り入れていた。
「ええ、どうにかやっています」
「採算が取れるか心配だったが順調そうだね」
「三年目になりましたので後二年の辛抱です。其処を乗り越えれば銀行さんへの借金もなくなりますし、実家にも少しずつ返すことが出来そうです」
「三年ですか、昔はこの辺りも景気が良かったらしいのですが、何せ伊豆も奥に入ったところで、これ以上人口が少なくならなければ良いのですが」
「ええ、儲からなくても親子二人食べることが出来れば、それに越したことはありません」
「確か、娘さんでしたね?」
「来年、小学校の一年になります」
「そんなに大きなお子さんがおありでしたか」
「益々年を取ってしまいます」
「ところで、店の器だが益子焼きだね」
「ええ、そうですけれど」
「ほほう」
と、意味ありげな声を出した。
「実家が益子なものですから、送って貰っています」
「そう言う訳か、趣味が良いので特別な陶工がいるのではないかと思っていました」
「とんでも有りません」
「器が良いと食べ物も旨い」
「いいえ、腕が良いのです」
「機田さんもやっと口を利くようになったね」
「申し訳有りません」
「いやいや、安くて旨くてご馳走さま」
「有り難うございました」
夏の観光シーズンも終わり、西伊豆も訪れる客足は少なくなっていた。
「響子、お昼ですから下りていらっしゃい」
土曜日だったので昼前に保育園から帰っていたが、食事をさせる時間がなかった。美代は二階で一人遊びをしている響子を呼んだ。お昼の客が帰った後の二人の遅い昼食だった。
「明日の日曜日、仕事休んで出掛けようか」
「本当?」
「三津シーパラダイスに行ってみない。お母さん運転して行く」
「うん、お弁当持って行こう」
「勿論よ、響子の好きな物沢山作るわ」
「早く明日にならないかな!」
「ねえ響子、来年は一年生ね。頑張れる?」
「学校に行くのが楽しみ!」
「そう、嬉しいわ。今日は早くお店終わりにするからね」
「ねえ、お母さん結婚しないの?」
「え?」
「保育園のお友達が言っていた。響子ちゃんのお母さん何故結婚しないのかって!」
「お母さんはね、響子がいれば良いの」
「響子のこと一番好き?」
「そうよ、二人で頑張ろうね」
「うん」
「お買い物があるけれど一緒に行く?」
「お友達の所に行ってくる」
「早く帰って来るのよ」
響子が出掛けてから美代は近くのスーパーに行った。響子は響子なりに寂しいのかも知れない。仕事中は二階で一人遊んでいる。眠くなっても蒲団を敷いて上げることも出来ないし、客が居ても居なくても下に降りて来ることはない。我慢していることは分かっていたが側に行って上げられないことが悲しかった。夕方友達の所から帰ってきても、そのまま二階に上がって邪魔をしないようにと考えていることがいじらしかった。
買い物を済ませ夕方まで美代は二階で横になっていた。二階からは那賀川の流れが直ぐ真下に見え静かな時間を過ごすことが出来る。響子は夕方戻ってきた。日頃から余り自分のことは喋らなかったが両頬に涙の流れた跡が残っていた。
「どうしたの?」
「何も無かったよ」
「虐められたの?」
「早く明日にならないかな」
「今日は早仕舞で明日の支度をしなくってはね」
「二階で静かにしているね」
美代は響子のことを思い胸が熱くなっていたが店に下り夜の準備に取り掛かった。土曜日で店は立て込み片付けが終わると十一時を過ぎていた。響子は二つ並べた蒲団の端で丸くなり眠っていた。借金を返す為に働かなければならなかった。しかし響子と過ごす時間が無いことが悲しかった。
美代は栃木県芳賀群益子町で生まれで、小さい頃から陶器に囲まれ育ってきた。益子町は、窯業以外は米作、葉煙草の栽培を生業としている農業の町である。窯元は三〇〇以上を越え、生産品目は和飲食器が殆どで日用雑器が中心である。春、秋と年二回開かれる町上げての陶器市には多くの観光客が訪れ賑わいを見せる。
美代は高校時代陶芸部に所属し自分なりの作品を仕上げていた。手の荒れるのも構わず、放課後遅くまで轆轤の前に座り集中して作品に取り組んでいた。
「機田さんよく練らないと気泡が抜けないわよ」
陶芸の指導は担任の大原先生だった。
「今度の作品展に出品してみない?」
秋の県芸術祭高校の部作品展示会への出品だった。
「はい」
「陶芸は技術だけではないと思っていたけれど、機田さんの作品は温かみが有って良いと思います」
「有り難うございます」
「所で機田さん、これからのことどう考えているの?」
「どうしようか迷っています。両親とも益子に残って欲しいと思っているのですが、窯業養成所に入ってやっていけるのか不安だし、でも、私のような融通が利かない人間は一つのことに集中していた方が良いのかも知れません」
「そうよねえ、実際問題誰だって躊躇ってしまう。でも来春には卒業になるし、機田さんの進路を決める上でも作品展は良い機会になると思います」
「もう少し考えてみます」
「確かに陶芸で身を立てることは難しいと思います。私の父も窯元の一人で毎日毎日陶器を作り続けている。でも、父の顔を見ていると納得していないことが分かる。私も見様見真似で、轆轤の前に座りだしたのが小学校に入って直ぐの頃だった。仕事場に居ても、父は何も言わず私の方を眺めていた」
「先生は何故陶芸を続けなかったのですか」
「生業として、立つか立たないか微妙なところだと思います。陶器の善し悪しは簡単に見分けられるものではないし、季節、天候、釉薬、火入れ、使い手に依っても変わる。それが分かって来なければ職業としても成り立たない。作るだけなら機械でも構わない。今では使い勝手の良いものが簡単に出来るようになり、でも、人間が作る物は其れなりに味が滲み出なければならない」
「分かるような、分からないような気がします」
「私も高校時代は何時間もこうして座っていた。形が出来上がり、素焼き、本焼きと進む。でも、自分のイメージと出来上がった物が微妙に違っていた。同じものを同じように作り続けても違う物が出来、釜から出す期待が直ぐ失望感に変わる。その度に作陶の厳しさ難しさを味わいました」
「ええ」
「確乎とした思いがあっても生まれてくる作品が違う。その時に、初めて父親の顔が歪んで見えた意味が分かりました」
「陶芸で生きて行く為には自分との闘いだと思います」
「しかし、生活して行く為には売れなければならない。自分が良いと思っても売れなければ価値がない。売れる品物が良いとは限りませんが、そう言う物を作らなければ生活が出来ない。陶芸を続けられなかったのは私の器量を越えていたからでしょう」
と、大原は溜め息を洩らした。
その年、作品展に出品したものの結果的に入選することはなかった。入選しなかったことで就職しようと思った。美代は職業高校卒業後、東京の中小の証券会社に就職した。社員寮は小田急線の成城学園前から多摩川に向かって一〇分ほど歩いた、東名高速道路が多摩川橋に架かるところにあった。大手町の会社まで一時間ほどで通勤出来る距離である。また、寮は二人部屋で長野の高校を卒業した上江田百合と同室だった。
百合と一緒に毎朝早めに寮を出た。都会生活に憧れ東京に出て来た訳ではなかったが無我夢中で一年が過ぎた。また、課が同じ佐川美津とも友人になることが出来た。美津は静岡県沼津市の出身で、美代は美津の利発な性格や屈託のないところが好きだった。会社と寮の往復だけの単調な生活だったが、東京での一年は美代を変えていた。精神的には未だ子供であっても表面的には大人の雰囲気が現れ、田舎から出てきた娘が東京での生活に慣れ、少しずつ磨かれ大人の女性に変わっていた。
夕飯は殆ど寮で食べていたが、その日は、部屋の変わった百合と美津と三人で、渋谷で買い物をして夕飯を摂ることになっていた。
「ねえ、彼出来た?」
と、百合は意味を含ませるように訊いた。
「仕事を覚えることで手一杯、とっても恋人なんて作れそうにない。美津さんは?」
美代は心の中で思っている人はいたがそう答えた。
「高校の頃から付き合っている人が沼津にいて、月一回は会っているし、今のところ興味のある人もいない」
「そう、私だけね。営業の田所さん知っている?」
「知らない」
二人とも声を揃えたように言った。
「恋人同士の関係になっている。結婚はしないと思うけれど毎日楽しいって感じ」
「だって、遊びだったら困るでしょ?」
「割り切って交際しないと誰も付き合ってくれないよ」
「大人の人と付き合わない方が良いと思う」
「同級生だと、ワイワイ言っているだけで直ぐ飽きてしまう」
「人を好きになるって難しいことだと思う。でも違うかな、美代さんはどう思う?」
美代は話を聞いているだけで喋ろうとしなかった。どんな生き方が出来るのか分からないし、愛についても知らなかった。成長したのは外面的なことであり精神的には未熟だった。
「私、分からない」
「美代ちゃん、子供ね」
と、百合が言った。
「百合は何処まで行っているの?」
美津が訊いた。
「どこ迄って、行くところまでよ」
「凄い」
「だって、欲しいって言われた」
「先のこと考えなかったの?」
「とっても楽しんだもの、先のことまで考えたって仕方がない」
「そう言うものかな?」
美代は二十一歳になっていた。同じ会社の川図穣二に出会ったことで、仕事に行くことも楽しく日々の生活も変化していた。会社が終わってから川図と毎日のように会い、当然帰寮も門限ぎりぎりになっていた。しかし自分の生活が乱れているとは思わなかった。有頂天になっていたのか、初めての恋では無かったが、親元を離れ、自分だけの生活を持ち、知らず知らずの内に変わっていたのかも知れない。
美代は二年目も終わりになる頃寮を出てアパートを借りた。川図に進められたこともあったが、敷金や礼金、生活に必要な物品を買い入れ二年間貯めた預金も使い果たした。自分では贅沢をした積もりは無かったが、自炊する為に細々としたものまで買わざるを得なかった。アパートに越してからは、誰にも遠慮せず、遅い時間に帰ってきても好きな時間に出掛けても迷惑を掛けることはなく、始めて一人で生活することに一種の充足感を味わっていた。
一DKのアパートに川図が訪ねてくるようになった。
「素敵な部屋になったね」
「有り難う、やっと一人暮らしが出来るようになってわくわくしている」
「会社には少し遠くなったけれど大丈夫?」
「帰りの時間を心配しなくて良いし、一人の部屋を持つことが夢だった。これからは日曜日の朝だってゆっくり眠っていられる」
「泊まりに来ても良い?」
「でも」
美代は一瞬迷った。アパートで一人の生活になれば、川図がそう言うだろうと思っていた。しかし自立した生活、仕事、将来、それらをしっかりと確立して来たと言う自負心があった。それに、幼いながらも川図のことが好きだった。
「二人だけの時間を持ちたい」
「ええ」
と、美代は承諾した。
了
冬の霧・二の2(食事処美代)
横浜の高層ホテルから遠く海岸線の夜景が眺められた。美代は窓辺に立ち行き交う船窓の明かりに見とれていた。大きなホテルからこんなに美しい夜景を観ることが仕合わせだった。時々は東京のホテルで会い。近くの温泉に旅行することもあったが、横浜の夜景は群を抜いていた。恋をして、愛することで美代は楽しい日々を送っていた。
川図穣二を知ってから三年経ち美代は妊娠していた。
「何時までも眺めていないでこっちにおいで」
「だって、とっても素敵。行き交う船の明かりがすぐ其処に見える。穣二と私だけの夜景」
「言うことを聞かないと・・・」
と、言いながら美代を抱いてベッドまで連れてきた。
「穣二、私のこと好き?」
美代は耳元で囁いた。
「好きだよ」
「本当!嬉しい」
「穣二は素敵なホテル知っているのね」
「以前お客さんを案内したことがある」
「そう言う仕事までするの?」
「外商業務は一から十まで何でもやらなくてはならない」
「ねえ穣二、お話があるの?」
「何かな」
「私ね、子供が出来たみたいなの」
「嘘だろ?」
穣二の顔が一瞬曇ったことに美代は気付かなかった。
「本当よ!嬉しいでしょ?」
「急に言われても困ってしまうな」
美代には分からなかった。早く結婚したいと言っていたのは穣二の方で、子供が出来れば直ぐにでも叶うことだった。穣二のマンションに引っ越して、子供と二人愛されて、幸せな家庭が作れると思っていた。
「嬉しくないの?」
「いや、そんなことはない」
「だって、嬉しくないようだもの」
「病院には行ったのか?」
「行っていない」
「其れでは確かな事ではないな?」
「でも、間違いないと思う」
「一応病院に行って確かめた方が良い。気を付けていたのだから出来る筈がないと思う」
「ええ、来週お休みを戴いて行って来ます」
「暫く会わない方が良いかも知れないな」
「何故?」
「周囲の目も五月蠅くなっているし、注意した方が良い」
「でも、友達も穣二のことを知っている」
「そうか」
「ねえ、結婚してくれるでしょ?」
「その事だけど来週中に電話を掛けるよ」
「ええ待っています。医者には火曜か、水曜に行って来ます」
「分かった」
何故もっとはっきりと嬉しい表情をしてくれないのか分からなかった。翌日美代は一人でアパートに帰った。それから二ヶ月過ぎたが川図が美代の前に現れることはなかった。会社で偶然出会うことがあっても川図は何も言わなかった。
それから一ヶ月が過ぎ美代は故郷の益子町に帰っていた。東京の生活にピリオドを打つ為であった。相談する相手も無く、何をして良いのか分からなかった。益子での一週間が過ぎた。それまで何も言わなかった母の比佐子が二人だけの昼食が済むと訊いてきた。
「美代、突然仕事を辞めて一体何があったのかい」
「何でもないわ、会社が嫌になったから辞めただけ」
「そうは言っても、急に辞める理由が分からない」
「お母さん、後少しだけ時間をくれない。そうすれば何もかも話します」
「でもね、美代、お父さんも光彦も心配している」
「話さなければいけないと思っても、未だどんな風に話して良いのか分からない」
「でも」
愛する意味も、愛される意味も分からないで身を任せ、充足した生活が、日常が、川図と過ごしていた日々が確かなものと考えていた。川図が何を考えていたのかさえ知らず、優柔不断のところも無く性格も真面目な人だと思っていた。しかし益子に行こうと誘ったとき断られた。何故あのとき気付かなかったのか、乾いていた訳では無かったが、自分の思いの中に、将来の夢を生活設計を単純に描いていたのに過ぎない。裏切られたことが自分の浅はかさであると気付いたとき美代は死んでしまいたいと思った。
伊豆の雲見崎で海を眺めていた。堕胎するなら一層死のうと思い此処まで来た。深い入江が切り込み崖下まで波を寄せ、海中に落ちてしまえば何もかも終わる。そう思った瞬間右手を掴まれた。
「離して下さい」
「離しません」
「お願いですから離して下さい」
「私が離しても良いと思えば離します。それまでは離しません」
「私、死のうと思って此処に居たのでは有りません」
「そう言うことにします」
「本当です」
「自分のことですから何時死んでも構わない。誰だって死にたいときが有るものです」
「いい加減なことを言わないで下さい。この手を離して、離してくれないと人を呼びます」
「好きなようにして下さい」
手を掴まれながら美代は海を眺めていた。大型貨物船が南に向かって曳航していた。時間が過ぎていった。夕陽に赤く染まった美代の両頬を幾筋もの涙が流れていた。
「綺麗ね」
「生きることも死ぬことも意味が見出せない。しかし、今生きているのなら生きた方が良い」
「私・・・」
「希望や、明日のことなどなかなか掴めない。取り敢えず生きているけれど、自分の思う通りに事は運んでいかないと思います」
「生きているって難しいことですか?」
「一日終われば其れで良いのかも知れない。でも、終わっただけで始まりはない」
「私には一日の始まりもない」
何時しか美代は心の内を話し始めていた。話し掛ける相手のことを知らなくても、これまで思い詰めていたことが、一つ一つ対象として捉えられるようだった。
「お名前、何て仰しゃるの?」
「石部孝之と言います」
「石部さん」
と、美代は落ち着いた声で言った。石部はいつの間にか掴んでいた手を離していた。
「ご免なさい」
「僕こそ悪かった。手首は痛くなかった?」
「ええ、大丈夫です」
生きようとする思いはなかった。しかし時は過ぎ、思い詰めた悲しみも辛さも少しだけ消えていた。
翌年の春になっていた。美代は東京の府中市で調理師学校に入学した。朝八時半から授業が始まり夕方五時近くまで続いた。そして夜は石部の紹介で、日本料理店で働いた。見習いをしながら学校に通い、真夜中狭いアパートに戻り眠るだけの生活だったが、毎日毎日働くことで苦しみを乗り越えようとしていた。それでも日曜日は料理店が休みだったので郷里の益子に帰った。響子に会えることで、生活を考えることで生きようとしていた。偶に帰ってくる母親に、始めは不安そうな眼差しを向けていたが笑みも見られるようになった。
美代は二十六歳になっていた。調理師としての勉強は新鮮で、板長の八田一郎は手厳しかったが、客に喜んで貰うもの、季節、季節に飽きの来ないもの、一度立ち寄った客を又通ってくるような、納得出来る料理を拵え覚えさせた。美代は新しい自分を見つけて行くことが出来た。卒業後はそのまま料理店で働き、材料の仕入れから、下準備、調理、頃合い、片付けまで一通り取り組んでいた。一つずつ確実に身に付けていくことで確かなものになりつつあった。
修行を積んで一年が過ぎた頃、伊豆の松崎町で居抜きの店を借りた。修繕や準備に一ヶ月を要したが、保健所への提出書類を書き終え美代はホッとした。後は今月末の検査が済みさえすれば営業出来る状態だった。地元新聞に折り込み広告を入れ、開店祝いも考えなければならなかった。町の食品衛生組合への加入や、商店街への挨拶廻りなど、一軒の店を開店させる為には忍耐と努力、経験したことのない準備が必要だった。カウンターが四脚、二人用テーブルが三脚、合わせて一〇人座れば一杯の小さな店だが、これから美代と響子の生活を支える広さだった。
一年後、美代は中禅寺湖湖畔のホテルに来ていた。響子を実家に預け石部との再会を待っていた。ロビーから庭園を眺めていると、石部との出会いから今日までのことが幾つかの情景と共に思い出された。夕方にはこのホテルに屹度来るのだろう。石部が居たことで此処まで来ることが出来た。あの時、石部に助けられなければ死んでいた。石部に出会ったことで生きようと思った。しかし、女としての思いを託したのではなかった。
石部隆之は陶工士としては未だ駆け出しだった。雑器とは言え自分で納得できる物はなかなか出来なかった。釜に置く位置、釉薬、季節、仕上がり状態まで考え轆轤の前に座っても、座ったまま一時間、二時間と過ぎて行くこともあった。益子に来てから既に五年が経ち、窯元に弟子入りした翌年窯業学校で陶芸の基礎から学んだ。数をこなすことで、身体で覚え、火入れをすることで感覚を磨いてきた。しかし自分でも気付かない何かが違っていた。形、色、使い勝って、必要性など考えても、数を幾ら造っても違っていた。陶器は使うものであり、使い込んで行く内に必要性が生まれ、生きた価値を持ってくる。それ自身で価値を持つようになる作品が必要なのか、使って価値が生まれてくることが必要なのか、売れる雑器は造ることが出来ても納得出来る作品は作れなかった。
「石部さん、お久しぶりです」
石部は直ぐに電話口に出た。
「美代さん」
「石部さん、お仕事は順調ですの?」
「否、なかなか思うようにいかない」
「そう、でも」
「今日も轆轤の前で手が止まったままで、造る度に何をして良いのか分からない」
「石部さんでも悩むことがあるの?」
「何時も悩んでいる。このままで良いのか、何故この仕事を選んだのか、俺に作品が出来るのかって」
電話を掛けて良いのか、声が聞きたいのか、石部の思いを知りたいのか、美代は生きようとする思いと、生きることの虚しさをどんな風に処理して良いのか分からなかった。石部の中に男としての力強さを感じ、石部に愛して欲しい思いと、響子のことを考え、女の思いを捨て去ることを考えていた。
「お会いしたくて」
「え?」
「一度だけでも、お会いしたくて」
「分かりました」
「お待ちしています」
美代が西伊豆に店を持ちたいと思ったのは、修学旅行の思い出の場所であり、雲見の海岸で生を閉じようとした場所からだった。岸壁に佇んでいた日から六年が過ぎ、自分の生きる所は松崎町しか残っていないと思った。海岸線から見た夕陽が忘れられなかったのか、響子と二人、誰も知らないところで生きたかったのか、故郷を遠く離れ海と山の町で暮らすことに、不安や、響子と一緒に耐えられるのか自信がなかった。しかし自分で決めたことだった。
美代は三十歳の手前になっていた。歳月が人を変え、人は過ぎて来た歳月に彩りを添える。光り輝くのか、くすんでしまうのか、その人の生き方によって様々である。しかし日々は過ぎ、一日一日の生き方、来し方が決めて行く。石部を待ちながら、美代は営業許可証の書類が届いた日のことを思い出していた。その日、カウンターに立つと何時までも涙が流れていた。
了
冬の霧・二の1(武蔵野)
JR中央線立川駅から武蔵野線で約四十分武蔵五日市駅に到着する。拝島を過ぎる辺りから少しずつ緑が多くなり武蔵野の自然が拡がる。東京都で有りながら都会の風情とは異なりそれは不可思議な感覚になる。
平成十五年四月十二日の午前十時になろうとしていた。山本フミは福祉事務所の伊藤主事と、長女の斉藤圭子に連れられて武蔵五日市駅に降りた。此処まで来ると風は未だ冷たかったが、穏やかな日和で、北側の方角には奥多摩の山々が拡がり爽やかな空気を運んでいる。フミは辺りの様子を暫く伺っていたが伊藤主事に促されホームの階段をゆっくり降り駅前のタクシーに乗った。
檜原村は東京都の北西部に位置している人口三千五百人余り、山梨県と県境を接した山間の地にある。バスの終点、藤倉から陣場尾根伝いに三時間程歩くと奥多摩湖に着く。夏から秋に掛け奥多摩の自然を求め、都内から家族連れやハイキング客が訪れ賑わいを見せるが冬は厳しい寒さに人影さえ疎らになる。また、居住者の多くは武蔵野線で都会に働きに出ている。
本宿の檜原村役場から北秋川へ十分程で盲養護老人ホームに着いた。正面玄関から左右に居室が並び、北秋川に近い左側に四人部屋が九部屋、山側に二人部屋が七部屋並び、四人部屋居室の中央に談話室、娯楽室、その奥に特別養護老人ホームが併設されている。正面左側に事務室が有り、寮母室、医務室、静養室などは四人部屋の前、また中庭に接する場所に食堂が位置している。養護老人ホームは定員数五十名、東京都の委託運営であったが、経営主体は社会福祉法人北秋川福祉会が行う民間社会福祉法人である。
フミはタクシーを降りると大きく溜め息を吐いた。玄関に立ち、左右に拡がるコンクリートの平屋建ての建物を霞む目で眺めた。蒲田の家を引き払い、此処がこれから先、終の棲家となることに不安と悲しみを覚えた。
網膜色素変性症と診断されたのは今から二〇年程前のことだった。診察を終えた眼科医師はおもむろに話し始めた。
「網膜色素変性症に間違いありません」
「見えるようになりますか?」
「発病時期が遅いので全く見えなくなることはないと思いますが、何れ少しずつ見えなくなります」
「日中は眩しくて、夕方になると周囲が霞んでしまって見えなくなります」
「ええ、それが徐々に中心部にやってくる。しかし突発性では無いので予後は良いと思います」
「予後が良いと言いますと?」
「全く見えなくなることはない。そう言うことです」
「これから先、私の目は見えなくなってしまうのでしょうか?」
と、フミは繰り返した。
「いいえ、今は少し暗く感じていると思います。見える範囲が少しずつ狭まってきて、視野の中心部は恐らく六十五歳位までは大丈夫でしょう。その後、中心視野、黄斑部と言いますが、徐々に見えなくなります。でも、光だけは分かりますので全く失明することはありません」
「そうですか」
「アダプチノール、ビタメジン、ユベラニコチネートと言う三種類の薬が出ますので、食後三回飲むようにして下さい」
「毎日三回飲んでいれば見えると言うことですね?」
不安が先走るのだろう、フミは尚も同じことを訊いた。
「忘れないようにして下さい。それから、二ヶ月に一度は診察をしますので必ず来て下さい」
フミは理解しようにも言葉が難しくて分からなかった。一日三回薬を飲んでいれば見ることに不自由は無いだろうと思った。それから二十五年が過ぎた。今では黄斑部まで犯されてきたのだろう、薄ぼんやり明暗が分かる程度で、しっかり物を捉えることが出来なくなっていた。
フミは玄関でスリッパに履き替えると入所手続きのため面接室に通された。程なく、看護師、主任寮母、相談員による入所面接が始まった。
「こんにちは」
と、生活相談員の飯島が口火を切った。
「今日からホームでの生活が始まりますが、初めに入所の手続きを済ませ、次に此処での生活の内容を寮母から、そして、医療の事など看護師から話して貰います。時間は三十分位掛かると思いますが宜しくお願いします。伊藤さんから、入所に付いての説明を何度か聞いていると思いますが、改めて入所指導をお願いします」
「私からは特別に有りませんが、施設に支払われる生活費、事務費など措置費は月額二十万円以上になりますが、東京都、蒲田区、国の費用で賄われます。また、山本さんは国民年金老齢年金を受給していますので負担金を区に支払わなければなりません。現在年間七十六万円ですので月々の負担金は二万二千円になります」
養護老人ホームへ入所する場合、その収入によって、入所者個人の負担金の額は三十九段階になっている。負担金額〇円から最高十四万円で、本人の収入金額に依って決まる。但し四人部屋の場合二割減、三人部屋で一割減、五人、六人部屋は三割減、七人部屋以上は四割減で、二人部屋、一人部屋は割引の対象になっていない。国民年金障害基礎年金、厚生年金障害年金、その他の収入の中から入所者負担金として市町村に支払う。フミの場合、国民年金老齢年金から支払うことになるが入室する居室は四人部屋だったので二割減だった。
相談員の飯島は入所決定通知書、身元引受書、措置費決定書、住民異動届、障害者手帳など必要な書類を順次受け取りその場を離れた。入所受諾書、預り金等預り証など書類を作る為だった。入所には、国民健康保険証、年金証書、印鑑、貯金通帳、その他衣類、小物類など施設で生活する為に最低限の物品が必要だった。また養護老人施設の場合、本人の住所は施設の住所地に移すこととされている。住み慣れた場所を離れ新住所地の住人になる。
福祉事務所の伊藤主事は一通り手続きが終わると引き上げていった。今後老人ホームを福祉事務所職員が訪れるのは歳末慰問、訪問調査など年に一から二回程度である。訪問調査により養護老人ホームの対象者か、施設内の生活が正常に行われているか、本人と直接面接することで調査する。しかし今後は介護保険導入により訪問調査の意味合いは失われる。養護老人ホームの場合、居住地に住民届けを提出することになり、介護保険の認定は居住地の市町村が行うことになるので、出身市町村との直接的な関係はなくなる。又、老人福祉法の規定により施設を概ね三ヶ月以上離れるような場合(入院・行方不明)は退所の対象にとなる。フミは前居住地の手を放れ住民移動することで老人ホームの中で単独世帯となる。又、介護保険制度が始まった現状から養護老人ホームでの生活が困難になった入所者は、以前なら市町村に措置変更願いを提出することで、市町村の責任において今後の措置を必要としたが、現在は住民票の置かれている市町村に要介護認定の申請をする。そして、要介護認定された時点で施設の介護支援専門員、乃至地域の介護支援センターなどの介護支援専門員が特別養護老人ホーム、療養型病床群、老人保健施設などへの入所の手続きをすることになる。要するに市町村は養護老人ホームへの入所措置はするが、その後については仕事上の責務を負わないことになる。養護老人ホームから市町村に退所届けを提出することで全てが終わる。
フミは娘の圭子と寮母に連れられ居室に入り、前日到着している衣類や湯茶用具などの整理を始めた。四人部屋は十二畳の広さに、押入、物入れ、幅三十センチほどの板の間が付いていた。一人当たりの広さは三畳であるが押入の出し入れや通路に使う為、実際は二畳程度しかなかった。狭い場所であるが、それぞれが自分の場所を畳の縁などで確認している。
荷物を片付けながら、フミの心の中にどう処理して良いのか分からない感情が込み上げてきた。集団生活は尋常小学校以来のことである。管理され、拘束された他人同士の集団生活である。老人ホームに来るまでの数ヶ月の間、仕方が無いと諦めていたが、実際、他人と一緒の部屋に入って生活を始めることが遣る瀬無かった。娘の圭子はその日の夕方に帰った。施設にゲストルームは無く、せめて一日位一緒に居たかったがそれも仕方がなかった。自分の子供と雖(いえど)もそれぞれ家庭が有り必要な日常が待っていた。また地方から来る家族でさえ慌ただしく帰えるのが現実である。
フミは部屋の人たちに訊きながら七時には布団を敷いた。しかし時間も早くなかなか寝付くことが出来ず残してきた借家のことが心配だった。夫の山本堅太郎と結婚してから何度か引っ越しをしたが、最後の二十年近く住んだ家だった。堅太郎の位牌だけは持ってきたので中段の押入にしまった。その他の荷物は蜜柑箱三箱に収まる程度のもので、フミは寝る前に位牌に手を合わせ横になった。朝から慌ただしく一日が過ぎた。しかし、それが社会的生活最後の日であると気付くのは随分後のことだった。
横になり一時間二時間と過ぎていた。矢張り興奮していたのだろう、目を閉じていたが眠れず自分の生まれ育った家のことが記憶の底から蘇ってきた。嫁に行くまで二十年間住んだ家だった。フミは三人兄弟の三番目に生まれ、長男の野田順一郎が家を継いだがその兄も既に他界していた。姉のよし乃とは七歳違いで、同じ東京に住みながら最近は会うこともなく何をしているのか定かでなかった。子供の頃は姉とも年が離れていたので遊び相手にならなかったのか、一人で留守番をしていることが多く寂しい思いをした。昭和六年生まれのフミは太平洋戦争が終わったとき十六歳になっていた。昭和二十七年に山本賢太郎と結婚したが、町工場で働く賢太郎の月給はその頃五千円程で、家賃に千円掛かったが贅沢を慎み少しずつ貯蓄もしていた。豆腐が一丁十二円、味噌が一キロ六十六円の時代である。二人の子供を育て上げるのに苦労してきたことが思い出された。しかし二人の女の子は高校卒業後、就職、結婚と順調に進んだ。やがて孫も産まれ、今でも二組の家族は幸せに暮らしている。
フミが入所して九ヶ月が過ぎた。施設内では一人の死亡者があり新しく一人の入所者があった。フミの入所している施設の平均在所期間は八十七ヶ月、七年強で、平均年齢は七十三歳である。入所後在宅復帰になることは殆ど無く施設で生涯を終えることになる。脳梗塞などで生活が出来なくなったような場合、特別養護老人ホームへの措置変更になるが、介護保険制度になった場合など速やかに移行が出来るのか分からない現状で、それでなくても特別養護老人ホーム、老人介護保健施設、療養型病床群も定員一杯の状況である。痴呆状態になった老人を受け入れてくれることも、その施設の運営情況によっては、介護保険制度の元では矢張り経営が優先される訳である。入所したくても出来ない状態が続き養護老人ホームに残されるか長期入院を余儀なくされる。在宅ケア優先で市町村の公的援助が後退する介護保険制度は、入所者にとっても現場で働く職員にとっても不安材料を抱えることになる。また、在宅ケアと言っても少子化高齢社会を反映する限り、介護保険制度が目指す在宅での自立した生活を望めるのは一部の経済的に恵まれた家庭であり、要介護区分以上のサービスを上乗せして受けるには費用を要する。費用を支払うことが出来る家庭のみがより以上の利益を得ることになる。
養護老人ホームの場合、介護保険が導入されることはないが福祉の精神から言えば国なり、県なり、市町村の救済業務は何の為にあるのか分からない。必要に応じて介護を受けることになるが、末端の部分まで行き渡るのか、また個人の費用負担にしても、支払いが出来れば最高のレベルで介護が受けられるが、支払いが出来ない場合は十分な介護が受けられない。又、特別養護老人ホームの場合なども、施設運営をしていく場合、重度障害者ばかりでは日常的に動きが取れるのか疑問である。
福祉サービスは金の有る人も無い人も同じである。また必要なサービスがあったとしても、施設に入所する人たちにとっては終の棲家と感じている人が殆どである。施設でのサービスが必要で無くなった場合、入所者はどの様にして行けば良いのか、福祉は単に介護だけのサービスではなく、精神的ケア、社会的ケア、家族的ケア、地域的ケア、医療的ケア、日常的ケア、相談業務など多方面に渡ってこそ始めて必要なサービスを行っていることになる。単にオムツを替え、入浴し、医療や食事を提供しているだけでは、これからの福祉は質の低下をまねからざるを得ない。
入所して始めて福祉事務所の訪問調査があった。入所者に対して行われるこの調査、判定により、入所の継続か、他施設への移行か決められることになる。行事のように行われる年一回の訪問を楽しみに待っている入所者もいた。一年待っても二年待っても二、三割の人たちには誰も訪ねてくることはない。福祉事務所の伊藤主事がやってきたのは午前11時だった。一年振りだった。あの日、面接室で入所の手続きをしたのが伊藤主事だった。施設に入所せざるを得なかったことが思い出された。
「山本さんお元気でした?」
「ええ、どうにか暮らしています」
「身体の具合に変わり有りませんか」
「ええ、元気にしています。風邪も引かず冬を越すことが出来ました」
「視力は如何ですか?」
「薬を飲んでいますのでどうにか見えます」
「困ったことはありませんか」
「生活は単調で楽しいこともない変わりに辛いこともありません」
「他の皆さんと仲良くしていると伺っていましたので、これから先も大丈夫と思いますが、嫌なことがあったら話して下さい」
「特別有りません。もう歳で何も望んでいないし、三回温かいご飯が食べられるだけで十分です」
「未だ六十六ですよ」
「此処では五十歳でも六十歳でも変わり有りません」
「部屋は狭くありませんか」
「狭いけれど仕方がありません」
施設は施設内だけの社会だった。外部と繋がっていても、社会に解放されていても、人の出入りは少なく、週一回の食料品販売、月一回の衣類品販売、嘱託医の往診、理容師の訪問など施設内で事足り、社会との接点は何処にあるのか分からない。
「家族の面会はありますか」
「娘が二人いますので時々交代で来てくれます」
「分かりました。これから先生と話がありますので終わりにしたいと思います。山本さん、来年も来ますのでお元気でいて下さい」
「有り難うございました」
こうして、フミが死ぬまで続くだろう施設での単調な生活が始まった。
了
冬の霧・二の2(擬似凝縮社会)
全国で盲養護老人ホーム、及び盲特別養護老人ホームの数は七十七を数える。両施設合わせた収容人員は五千六百名に達しているが盲養護老人ホームは入所定数五十名の施設が多く、施設の数では盲特別養護老人ホームの倍以上ある。盲老人福祉施設の入所者のうち全盲が五五?、光覚弁、手動弁併せて二〇?、弱視が二三?残りの二、三?が普通に見える人が入所している。要するに夫婦で入所する場合、どちらかに視覚障害がある場合入所出来たので、普通に見える人も視覚障害者施設の入所者になっている。
病気やいざこざもなく単調な生活が続いていた。フミは一日の流れや入所している人たちの名前も覚えたが、元来、人と接することが苦手だったフミは食堂やトイレに行く以外は居室にいた。
「あんた生まれは何処かいな?」
同室の飯田とも乃が話し掛けてきた。とも乃は幼い頃に失明して七十歳になるまで光と言うものを知らなかった。炬燵や日向と同じような身体が暖まってくる感覚を光だと思っていた。
「埼玉県の川越で生まれました。主人と結婚して彼方此方と転々としましたが最後は蒲田の羽田空港の近くに住んでいました」
「飛行機が五月蠅くなかったですか?」
「耳が遠くなるかと心配していましたが、目が悪くなってしまいました」
「ハハハ」
と、とも乃は大声を出して笑った。なかなか話し掛けて来ないフミを不審に思っていたが安心出来る人だと思った。
「面白い人だね、子供さんは?」
「娘が二人いますが嫁に行きました」
「この間来た人が長女さんですか?」
「ええ、上が圭子で下の子が静子と言います」
「良いね、二人も子供がいて。私は結婚出来なかったから子供どころか身寄りもいない。遠い親戚はいますが今では便りもない」
「何時も独りで居なさるのですか?」
「ここに入るまでマッサージ師をしていました。六十歳で来て、もう十年になります」
「十年ですか、長いですね」
「老人ホームが出来て二十五年になると聞いています。隣の林キミさんが一番長くて二十四年でしょう。自分のことが出来れば何時までも居られますが年と共に体力は衰えてくる。それに、何時身体の具合が悪くなるか分からない。そうなると別の施設に送られる。入院したまま帰って来なくなった人が大勢います。元気に過ごさなくてはなりません」
「そう言うことですか、福祉事務所の先生が三ヶ月間入院すると退所になると言っていました。所で飯田さん入院したことは?」
「いいや、一回有ります。胃の手術をしました。でも一ヶ月もしない内に戻りました」
「良かったですね」
場馴れした人たちの間で生活することはなかなか大変である。自分の意志や行動を抑制している人も少なくない。集団生活を円滑にする為に自分を押し殺すことで静かな生活を望んでいる。
フミにとって、自分が生まれ育ってきた環境は決して豊かではなかった。それに比べると施設の生活は安逸だった。自立した老人は施設の生活に迎合するのではなく自らの生活の自立を図ろうとする。しかし迎合する人間は狭隘な施設で如何に有利に生活するか、職員を味方に付け生活の利便さを得ようとする。これから先、安逸に暮らす為には当然と言えば当然のことである。地域社会のもっとも狭隘な場所、一人当たり三畳足らずの居住空間、娯楽室、寮母室、事務室、医務室、トイレ、その場所で生涯の生活が続くのである。家も財産も処分して他に行く当てなど有りはしない。処遇をより良くして行くには、入所者の必要に応じて職員が情報の提供を行う。しかし集団での外出、行事等のみに追われ、取り残された人たちは何時でも部屋の中で過ごしている。その分職員が話し相手なり面倒をみれば良いのだが、日頃の忙しさに追われなかなか相手が出来ない。都合よく振る舞う人がいる陰でジーッと耐えている人たちがいることを忘れてはならない。日常の豊かさを施設内外行事の多さと錯覚してはならない。
狭隘な福祉施設、人事は同族会社と同じように自分の協力者、乃至言うところの服従者、または能なしが占めている。企業であれば利益を追求していく限り優秀な人材が求められる。公的資金で運営される施設は年度末に赤字を出さない限り、職員の人件費を抑えるか、修繕費や雑費を抑えることで成り立つ。引当金の多さを見れば実際問題施設の経営は黒字で終始する。人件費引当金、修繕費引当金、備品等購入引当金などに繰り入れられる。法人で組織している老人ホームは、理事長、理事会は架空に近いもので手続き上の組織と言っても良い。人事は当然のように施設長や取り巻き連の勝手になり、地縁、血縁、服従関係など内部的な繋がりのみで決定される。また、民間の福祉法人の不正については枚挙に暇がない。工事の不正支出、個人的流用、関係同族会社への支出など新聞沙汰になる。半日程度の監査で見抜くことはなかなか出来ないことで、見積もり等も複数取ることになっているが例に漏れず業者が揃える。
北秋川会も福祉法人の名を借り関係の施設への移動が行われた。交流という名の下に実際は愛憎問題がある。寮母の笠原久子は今年も移動することなく養護老人ホームの職員として残ると思っていたが、施設長と肉体関係にある前田美樹は必要に移動を迫った。
「何時も虐められ耐えられない。お願いだから追い出して」
と、ベッドの中で言った。
「そうは言っても直ぐには出来ないだろう」
「それじゃ厭」
甘えた声を出しながら吉原喜一朗の局所を握った。
「俺も雇われ施設長だがその権限はあるか、お前の気の済むようにしてやるよ」
「大好き、ねえもう一回して。家の旦那馬鹿だから何にも気付いていない」
と、言いながら絡み付いた。
内部で移動の打ち合わせが終わった翌日だった。日頃から軽薄なところがある前田美樹の態度は脳天から奇声を発していた。
「今回異動あるわよ」
「そんなこと分からないわ」
と、掛川由加が言った。
「だって、本当の事よ」
「何故そんなこと知っているの?」
「聞いたの」
「誰から」
「あの人よ」
と、言って事務所の方に顎をしゃくった。
「そう言う関係か」
「知っていたでしょ?」
「何となく」
「自分の地位を確保する為には何だってやるわ」
「そう言うものかな?」
「この年では仕方がないことよ」
こんな話が日中交わされている。人事は愛憎関係、欲得、服従、従属関係で決められている。これが税金で賄われている施設の実体と言って良く、公金を使いながら全てのことを私物化している。私物化している限り福祉制度を利用した商売をしているのに過ぎない。理事会があったとしても、直接施設運営に関わりのない雇われ理事では内部的な事情まで分からない。腐りきって悪臭を発散するようになっても実際上分からない。例えば年間四千万円の食事をしている。年間を通して十五年も同じ業者が、其れも個人の業者が食材を納入している。納入業者の入札なり他業者の見積もりなど例により揃えてある。売上高の二〇?が純利益になっても八百万円が転がり込んでくる。良い商売であると同時に施設の個人に還元される金額もまた見える。公費であることを忘れてはならない。常に公費を使っていることを忘れない限り不正は無いが、地位とは弱いもので何処かで寄り掛かろうとする。公的機関は単に措置費という形で支払い、施設に任せているのではなく、監査上指摘出来ることは十分にやるべきである。一時間や二時間で事を済まそうとする都の姿勢にも問題がある。所詮税金である。監査と言ってもその程度のことで終わっている限り現実まで見える筈がない。税金の使われ方を監視すること、及びオンブズマン制度の導入など、開かれた施設とならない限り入所している人々の生活の保障、そして運営の明瞭さは有り得ない。他人の目が入ることで日常的に見落とされている瑕疵を指摘していかなくてはならない。
こんな風に社会福祉法人北秋川会も結果的に噂話に踊らされ人事は決まる。必要に応じて必要な人が仕事をするのではなく、個人的都合と好き嫌いで決まることは世の常である。法人組織は有って無いと同じで、法人の運営上問題にならない限り、適当にコネとお弁茶らで良く、調子よく振る舞うことが必要とされた。陰で言いたい放題を言い面と向かっては提灯持ちをしていることが立身出世だった。福祉施設を運営するのは働いている全員である。メルクマールをもって、考え行動して行くことが問われる。雇われ施設長である限り無理な話で、当ホームの施設長も自分の地位保全を忘れることはなく、常に自分の利益を考え、他を省みないことで施設に執着する。執着している限りそれなりの利益を得るのである。
また施設に働く人間は、その人間の本質が問われる場面に直面する。施設は営利目的の企業ではなく成績も売上高も関係がない。要するに業績など無くても良く統計資料が有れば良い。また入所者に対して、食事は摂っているか、排便はあるか、居室内のトラブルは無いか、孤立していないか、家族との交流は良いか、衛生的で住み易い環境かなど十二分に注意する必要がある。そして職員は自らの行為、行動が適当か自問しなければならない。特定の人に偏ることなく接触しているか見落としはないか問われる。
日々変わることのない六時の起床、七時の朝食、部屋の掃除、週二?三回の入浴、月一、二回の川柳会、詩吟、歌謡、俳句などの趣味会、掛け持ちで参加している人もいれば全く興味を示さない人もいる。フミも日課に沿い行事に参加していたが、施設の中にいれば日常生活の全てが事足りる状態で、ひとつの擬似凝縮化した人間社会、それが老人福祉施設である。
了
疑似短編集 冬の霧