黒銀の奏者①
始まりは・・・
がやがやと騒がしい城下町の裏通りを迷いない足取りで進んでいく。
夕暮れの薄暗さで道行く者たちの顔はよく見えない。外套のフードを目深にかぶってしまうと相手の判別は難しい。だが、雑多な人ごみの中ではそのようなことを気にすることもなく皆すれ違うのみだ。晩飯にありつくためにそこかしこの店へと消えていく。
戦の最中とは思えない賑わいを見せている様は、荒野の悪路を歩いてきた者にとって苦笑するばかりだ。さすがは王都である。
住所不定無職な自分に久方ぶりに連絡を寄越した友人は、大国の王子のくせにふらふらしている放蕩息子だ。身分も立場もかなり違う自分が、そんな友人の気まぐれからいつの間にか親しくなってどれぐらい経っただろう。
つらつら考えながら路地を奥へ奥へと歩いていく。さらに暗く狭い通路に入ると、看板のランプだけが一つ灯る指定された歌酒場があった。王都において国一番とうたわれ、友人の気に入りの中でも知る者のみぞ知る名店『ヨシュア・リュシア』である。
ところで、今回の用向きは何だろうか。
数年前に呼ばれた時は、退屈しのぎに世間話の相手をしただけだ。その前は剣の手合せをしろと言ってきた。その前は、別荘へ遊びに来い・・・。毎度毎度たいした理由もないのによく呼び出される。
ふらふらしていること自体は人のことをとやかく言えないが、大戦まっただ中の国の重要人物がよくもまあ争い事に関わらずに過ごせるものだ。
そして、本人は今まさに目の前で満面の笑みを見せている。
「やあレティー、待っていた」
店に近づいていることが気配でわかっていたのだろう。扉を開けた途端にこちらへ歩み寄り、結構な力で背中を叩いてくる。地味に痛い。
見渡すとまだ客は入り始めたばかりなのか、埋まっている席は少なかった。
店内は古美術級の調度品を備え、気品があり、されど敷居の高さを感じさせない寛ぎの空間を演出している。テーブルの間隔はほどよく空けられ、別の客とは自然に目線がずれるようになっている椅子の配置も絶妙だ。仕切りがなくともさして気にせずに会話ができる。
これで料理も酒も旨いのだから大繁盛かと思えば、店主が客を選り好みするせいで席には常連ばかり。新規の客が増える気配は一向にない。
ふとその店主に目が合った。軽く会釈すると、穏やかに微笑み返される。好々爺といった印象の最高の紳士だ。
レティシアが案内された席には、友人-イオニス・グラス-の側近3人が座って、給仕たちによってたくさんの料理が運ばれている。顔ぶれは出会った当初から変わらない。目付け役のヴィルトに、護衛のナッシュ、補佐官のアレイン。若い世代で実力派に名を連ねる彼らは、自分の意志で放蕩息子に付き合ってるらしい。
すでに一杯やっているナッシュが笑いながら自分の右隣の椅子をポンポン叩いているのでそこに座った。
「よぉレティー、調子はどうだ?」
「相変わらずだ」
「そりゃあ良かった。よし、追加でカナー酒を3本!!」
野性的だが整った顔で豪快に笑ってレティシアのグラスへ果実酒を注いでくれる。その足元にすでに3~4本の同じ酒ビンが転がっているところからして、かなりのペースで飲んでいるようだ。ナッシュの左に座っているアレインが顔をしかめている。
「止めてください、レティシア。最近飲みすぎなんですよ」
「別にいいだろぉ?支障があるわけじゃねーし」
「よくありません!飲み代、稼ぎにいかせますよ!」
「・・・ナッシュ、せめてもうちょっとゆっくり飲めば?」
「・・・しょうがねーな」
青筋を浮かべ睨んでくるアレインに、ガリガリ頭をかいてしぶしぶ注文を取り下げた。
イオニスやヴィルトは向かい側で苦笑している。
「まぁ何にせよ、こないしていつもの顔が揃うたんやからええやないの」
「うむ。ヴィルトの言う通りだな」
「お二人まで・・・。もういいです、乾杯でもしましょう」
5人でグラスを掲げ、そのまま一気に飲み干した。
本当に、誰一人かけることなく集まることができてよかったと思う。
彼ら魔族が属する魔界ヨシュクスタと、人間が属する地界イデアは三千年以上前からいがみ合っている。事の発端がなんだったのかはもう記録に残っていないが、互いが互いを憎みあう状態で争いが続いており、現在は完全に膠着状態だ。一見絶大なる魔力を持つ魔族のほうが有利に思われるが、人間側もそれに対抗しうる科学力と機械技術を保持しているため決定的な勝敗はつかずじまい。
何度か和睦となりかけたこともあるが、その都度問題が起きて失敗に終わっている。
そもそもヨシュクスタとイデアは世界の表と裏にある関係のため、間にある境界空間を越えなければ行き来することができない。境界越えには空間に穴を開ける必要があるのだが、生まれつきそういった能力をもっているか、強い力を持つものが穴を開ける方法を習得するしかなかった。世界の反対側へ行くことができるのは限られた者だけだったのだ。
その条件が一変したのは、イデア側が『ゲート』の開発に成功したことだった。
あまり機械文明の発達していないヨシュクスタでは、何の変哲もない場所に突然開いた穴に騒然となり、その穴から武装した大勢の人間が現れたため大騒動となったそうだ。
「で、今回はどういった用件なんだ?」
「少しな、お前の意見を聞きたいと思った」
「何かあったのか」
「実はな、兄上がおかしいのだ」
「・・・・は?」
「イオニス様、言葉が足りてませんよ」
アレインの突っ込みにあははと笑いつつ、主従は事情を話し始めた。
「ここ数年父の体調が思わしくなく政務の大半を兄のジードが行っているのは知っているか?」
「ああ。先の会談も顔を出したのは彼だと聞いたな」
「せや。それがここんとこジード殿下の様子が変なんやわ。最初は殿下も陛下同様に、できるだけ穏和に戦いを終結させよう思うて指揮してはったはずやのに、どうも風向きが違うてきとる」
「我々も頻繁にお会いするわけではないので何とも言えないのですが、過激派を擁護するような態度をなさっていると感じるんです。会談でも、軍総司令官殿がイデア側の大使を厳しく糾弾して交渉どころではなくなった状況を、止めるでもなく黙って見ておられるだけだったそうで」
「我は、兄上が公式の場で臣下にそのような一方的な暴言・暴力を許すなど信じられないのだ。ジード兄上はそのような方ではない」
「だいたいが、過激派の中でも血の気の多い司令官殿を出席させてる時点でおかしいっつーんだよ」
結局はそのまま流血沙汰になり、大使一行は死傷者を出して帰還となったという。その後、イデアの地界政府はすぐさま激しい抗議文書にて報復を宣戦布告してきた。
いつ攻撃が開始されるかわからない。
『ゲート』は設置した箇所からいつでも開くことが可能で場所を選ばない。イデア側で設置できる場所ならヨシュクスタ側の事情など問わないところが厄介だ。ヨシュクスタでは機械技術の発達が遅れているため、『ゲート』装置について対応できる者がいない。イデアへの潜入部隊が装置設置箇所を探り、ヨシュクスタの相対する場所にて対策を講じるといったようにすべてが後手に回ってしまっている。
ただし、個々人の攻撃力はすべからく魔族が上回る。ほとんど魔力を持たない人間では歯は立たない。
「う~ん、俺はジード殿下を見たことがないかならなぁ。直接様子がうかがえれば何かわかることもあるかしれないけど、可能か?」
ジードに関しては昔から巷での噂が大量に出回っているし、会う度にちらほらイオニスらから話を聞いていて全く知らない人物ではないが、レティシアが彼に会ったことはない。
なんとなく、真面目で若干神経質だが気を配った対応のできる出来た人だという印象だった。
「3日後の離宮での茶会に招かれていてな。部下や友人同伴でもいいそうなので、ヴィルトとともにレティーも伴うと伝えた」
「あー、それが本題か」
決定事項として話すイオニスを、眉間に手をやりつつ胡乱な目で見返す。
「いやあ、すまん。お前も連れて行こうと思いついてすぐ返事をしてしまってな。大事な友人だと言ってある」
「問題はそこじゃない。影から様子を見るならまだしも、面と向かって顔を合わせる状態だとどうしたって俺の存在をおかしく思うじゃないか」
「ですよねー。レティシアをどう説明するつもりなんです?」
「だよなー」
「ん?そのままを言ってはいかんのか」
そう発言したイオニスの頭を、左右前方から総出で叩いた。
「あほか、お前はあほなのか!」
「言っていいわけないでしょう!レティシアに関しては、我々が慣れているだけで皆そうだとは限らないんですよ!?なんたって、魔族でもない、人間でもない、出自がまったくわからない正体不明の、下手したら珍獣ですからね!」
「そないな言いようを酷いとは思わへんのか」
「なにも叩かなくてもいいではないか・・・」
「自業自得だろーが」
勢いのあまり立ち上がったアレインを座らせると、叩かれた頭をさすっていたイオニスがポツっとこぼす。
「レティーがどういった存在なのかわからないのも、茶会に出席しても立場があやふやなのはわかっている。だが、我は、レティーに頼みたかったのだ」
それを聞いて全員ため息を漏らしたものの、決まっているものはしかたない。
レティシアも呆れ顔をしつつ、快く承諾した。
「わかった。なら今日からしばらくは一緒にいるから、よろしくな」
「そうか!すまない、恩にきる」
とたんに明るく返事をするイオニスに苦笑するしかない。
後は出された料理に舌鼓をうち、世間話をしつつ夜は更けていった。
赤の太陽が顔を出し始めようかという頃、他の店へと駆り出されていた『ヨシュア・リュシア』の歌姫エメロードが帰ってきた。イオニスの婚約者だ。大変な美人で、足首まである艶やかな漆黒の髪はまるで星を散りばめたように煌めいて、まさに容姿端麗。そんな外見には似合わず中身は男前の一言につきる人物だ。
いつも小間使いのライラを連れているが、今日はもう一人連れがあった。小さな男の子がエメロードの後ろからそっとこちらを伺っている。
「あらレティシア、お久しぶりね。とても会いたかったわ」
「それ、俺にいう台詞じゃないだろ」
「ふふっ、イオニスはいつも会ってるもの」
「うむ。つい2日前にも会ったな」
クスクス笑ってイオニスの隣に座った歌姫は「ほら、いらっしゃい」と幼子を手招いた。
背が低すぎてテーブルで顔が見えない状態なのでレティシアが膝に乗せると、目の前に現れたたくさんの料理に目をキラキラさせている。
見た目からすると人間でいう3~4才くらいだろうか。
「この子さっき見つけたの。可愛いから拾ってきちゃった」
「きちゃったって・・・、そんなホイホイ拾ってこないでください」
「固いこと言わないの、アレイン。辺りに親も見当たらないし、どこから来たのかも、ここへどうやって来たのかもわからないみたいだし。放っておけないじゃない?さぁ、皆にご挨拶して」
「けいんといいます!」
声をかけられたのにハッとして、抱えられたままペコッと頭をさげる。様子からある程度親に育てられている感じがするが、何故こんな界隈に一人でいたのか。
「んで、その子どないするん?」
「そうねぇ。ひとまず私が預かってこの辺で親探しでもしようかしら。情報屋にも伝手があるし」
「何か身元がわかるもの持ってないんですか?」
「いやぁ、お前ちっせーなぁ」
頭を撫でてくるナッシュをよそに、ケインの目は料理にくぎ付けとなっていた。照焼きにされた肉をジーッと見つめている。
子供用の椅子などないのでしっかりと抱えなおして大皿から肉を切り分けてやる。
「ほら、こぼさないようにな」
「たべていい、ですか?」
「いいよ」
「ありがとござます!」
舌っ足らずで少しカタコトな返事に、サイズの大きすぎるフォークでホクホクと照焼きを頬張る様が微笑ましい。
さすがに酒を飲ませるわけにはいかないので、店主が甘酸っぱい果実をしぼったものを即席で出してくれた。ほかにも温かい野菜スープもつぎわけてやったのを、せっせと口に運ぶケインはとても可愛らしい。
普段子供とふれあう機会などほとんどない面々は和みつつ、そのまま完全に日が昇ってしまうまで楽しんだ。
「ケイン、寝ちゃったわね」
「そろそろ我らも休むとしよう」
「そうですね。レティシアの部屋もいつもの宿屋にとってありますから、このまま一緒に行きましょう」
すっかり寝入っているケインはレティシアが抱っこしたまま店を出た。宿屋は店の真裏にあり、こちらも馴染みの人物が営んでいるためイオニスたちにとっては我が家のようなものだ。
「ケインはどうする?」
「私の部屋に寝かせておいてもいいけど、私はイオニスの部屋へお邪魔するから一人にしちゃうわね」
「俺は預かんねーぞ」
「ガサツなあなたに預ける人なんていませんよ。私はこの後仕事をしますので、無理です」
「わいは一緒に寝てもええけど」
「ヴィルト。自分の寝相の悪さをご存知ですか」
「いっそ宿屋の親父に頼んではどうだろうか」
「イオニス、それはこの先にとっておくべき最終手段よ」
自分は無理だ、そっちはダメだと言っているうちに宿の前に着いてしまった。
「しかたないわね。レティシア、せっかく懐いてるし今日はそのまま預けるわ。よろしく」
結局、いい笑顔でそう言い放った歌姫の鶴の一声で、ケインの寝床は決まったのだった。
その子供は・・・
それぞれの部屋へと別れ、レティシアも少ない手荷物とケインを抱えて割り当てられた部屋へ入った。
床には毛足の長い絨毯が敷かれ、テーブルや椅子・棚などは艶のある質のいいものが揃えてある。テーブルには水差しとグラスが置いてあり、青く光る魔法円の中央にあることから冷気で冷やされているのがわかる。
各部屋には個別に浴室もついているので、ひとまず風呂に入ってから休むことにした。
「おーい、ケイン。起きてくれ」
「・・・んむ」
軽く背中を叩いて揺すると、少しむずかりながらも起きてくれた。目を擦ってはしきりに瞬きしている。
「起こしてごめんな。けど、寝る前に風呂に入ろう」
そう言うと腕の中でボーッと俺を見上げて、意味がわかっていない様子で首を傾げながらも小さく頷いた。
荷物は棚の上に放り、浴室前の小部屋でケインを下ろす。ケインに服を脱ぐように言ってから、その間に浴槽にお湯を張った。服は明日も着せるためにすぐ洗うことにする。
押して進ませたケインは浴室の中に充満しはじめた湯気がムワッと襲ってくるのに一瞬目を瞑ったが、興味津々に浴槽のお湯に触った。
「おゆ?」
「そ、お風呂。体を綺麗に洗ってから入るんだぞ」
「・・・おふろ」
「入ったことないのか?」
「はじめてです」
「うーん」
「あ、きいたことあります。だいじょうぶ」
「・・・いや、一緒に入ろう」
一抹の不安を覚え、自分も服を脱いで一緒に体を洗う。スポンジから発生する泡に夢中になって一生懸命クシュクシュしているので、その隙にくまなく洗い上げてやった。
魔族にも様々な種族が存在するがケインが何の一族に属するかはわかりそうになかった。魔族に特徴的なとがった耳ではあるが、特に獣族に見られるような特異な肌や尾や牙はない。かといってイオニスたちのような龍魔の一族に特徴的な鋭い爪もない。エルフ類の羽もなさそうだ。見た目だけなら人間のようにも見える。が、内側に秘めている魔力は触れて感じる限りかなりのもののように思える。
とそこまで考えて、はたと既視感を覚えた。
子供の柔らかい髪を洗ってやりながら頭の中はぐるぐるとまとまらない考えが巡る。さっきあげた項目はすべて自分にも当てはまる。ケインの魔力が実際はどの程度なのかはまだわからないが、レティシアと同じくらい強大なものであるならまるでそっくりだ。
(もしかして、ケインは俺と同じ・・・・・)
レティシアも記憶を思い返すことができるのは、自分がどうしてそこにいたのかわからないこと。ある程度言葉や知識はあるのに自分のことは名前だけしか知らなかったこと。今も名前に姓はなくただ「レティシア」としか名乗っていない。
ケインも「ケイン」としか名乗っていない。それ以外のことは知らないらしい。
「うーん」とずっと唸っていると、ともにお湯に浸かったケインから声がかかった。
しばらく思考の世界に飛んでいたが、手はしっかりと泡を流して湯船で温まっているようだ。習慣とはすごいと思う。
「・・・れてぃー。ちょっとあつい、です」
「へ?」
長く入り過ぎたのか、少しお湯が熱過ぎたのか、顔を赤くしたケインがボーッとのぼせていた。
「やっば、ごめんケイン!すぐあがるからな!」
コクッと頷くケインを両脇から抱え上げ、ザバッとお湯から出て慌てて置いてあった大きなタオルで体を包む。
一口水を飲ませてからベッドの上に寝かせ、自分は一旦浴室で手早く着替えテーブルの上の水差しとグラスを抱えてベッドへと戻った。
「大丈夫か?ごめんな、気がつかなくて」
再度、よく冷えた水を飲ませてから寝かせたままで髪を拭いてやる。
ケインはしばらく気持ちよさそうにしていたが、服を着せようとする頃にはすやすやと静かな寝息をたてていた。具合が悪くなった様子はないので一安心だ。当然ながら子供用の服などないので、今日のところは自分のシャツだけ着せておくことにする。
そこまでして、また先ほどの考えの続きが頭に浮かんできた。
ケインの姿かたちに自分に似ているところはあまりないと思う。目の色も髪の色も違う。レティシア自身自分の子供の頃のことはもうあまり覚えていないので実際に比べようがないが、考えれば考えるほど気になってくる。
ただの迷子の可能性もまだある。今頃、親は必死に探しているんだろうか。それにしてはケインは親を恋しがって泣いたりしていない。
「今考えたってわかるわけじゃないか・・・」
グラスなどをテーブルに戻し、日の光が差し込む窓のカーテンを引く。ベッドも天蓋が付いているのでかかっているレースの仕切りも引き、自分もケインの隣に横になり小さな体を引き寄せて中に潜り込む。
ここ数日は歩き通しのうえ野宿だったので、疲れがあったのかすぐ瞼が落ちてくる。最後に考えたのはここにいる間はできるだけケインの様子を見ていようということだった。
黒銀の奏者①