凶悪犯罪者バトルロイヤル

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第一話

世で過ごした、あのめくるめく日々も、今では遠い渚のように思える。

前代未聞、史上最大の凶悪犯罪。

世紀末日本を襲った巨大なうねり。

自分は間違いなくその中心にいた。

松本智津夫。畳職人の両親が付けた名前である。

この名前でも、二十代以上の人間のほとんどは、一度見たら忘れようがない長髪に髭面の顔をすぐに思い浮かべ、「ああ」と頷く。

だが、より知られているのはこちらの名前だろう。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐麻原彰晃‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

宗教団体「オウム真理教」の教祖にして、合計死者数26名、合計負傷者数約7000名を数える「オウム真理教事件」の主犯。

自分はカリスマだった。

全盛期には15000人近い信徒が、自分を崇めた。

億の富をこの手におさめた。

選挙にも出馬した。

テーマソングも作った。

芸能人と対談もした。

新興宗教といえばまずオウムを思い浮かべ

テロリストといえばまず麻原の名を思い浮かべる。

そんな時代が、確かにあった。

いや、現在もそうなのかもしれない。

方の華三法行、パナウェーブ、創価学会。

酒鬼薔薇事件、大坂池田小事件、北九州監禁殺人事件。

どれも巨大な宗教団体であり、巨大な事件であるが、自分が作った団体と、自分が起こした事件のインパクトには、及ばないように思う。

とはいえ獄に繋がれた身では、今現在の自分の世間での評判を知る術はない。

また、興味もない。

死刑判決からは、9年の月日が過ぎた。

当局になにか思惑があるのか、いまだ執行される気配はないが普通に考えれば、もはやいつ死んでもおかしくはない身である。

自分に残された時間は長くない。

自分に何が出来るとも思っていない。

もはや、この終末の世を救う術はないのである。

そう思っていた。

今朝、自分の身に奇跡が起こるまでは。

目が覚めたとき、股間に感じた違和感。

ここ十年ほどトイレは使っておらず、糞尿はおむつの中に
垂れ流しており、今朝もそうしようと思ったのだが、どうも尿がしにくい。股間に手をやってみると、陰茎が痛いくらいに膨張し、熱を発して脈打っている。

朝勃ちである。

57歳、間もなく還暦を迎えようかという自分が、朝勃ちである。

逮捕当時の顔写真、宗教団体の元教祖というイメージからすれば、意外と若いと思われるかもしれないが、肉体的な衰えは日々感じている。

朝勃ちなど、思い出せないほど久しぶりのことだ。

肌にも張りがある。

自殺防止のため、手に届く範囲に鏡はなく、肉眼で目視したわけではないのだが、掌で触れた感覚では、間違いなく若返っている。

食事・・・おかずや汁ものを、全て丼茶碗にぶちまけて飯と一緒にしたものを、誤飲しても安全なでんぷん製のレンゲで食しているのだが、今朝はコメ粒一つ残さず食べても、満腹にならない。人並み外れた大食漢として鳴らした壮年期の食欲が戻っている。

筋力、体力も回復している。

刑務官の目を盗んでヨーガをしたくなるほど、体にエネルギーが横溢している。

いったい、自分の体になにが起きたというのだろうか。

なにかの前兆ではないだろうか。

終末の近づく世を救い、今だ自分を信じる者をニルヴァーナへと導くため。

神の化身たる自分を排除した衆愚どもをポアするため。

シヴァ大神が自分に力を与えたもうたのではないだろうか。

しかし、刑務官の自分を見る目はいつも通りである。

異変に気付いているのは、自分だけなのだろうか。

誰かに確認したいのはやまやまだったが、自分にはそれができない事情がある。

現在、自分は精神病で、意志疎通は不可能ということになっている。

実際、この十年、言葉らしい言葉は一言も口にしてはいない。

面会に現れた実娘の前で自慰行為をしてみたりもした。

書籍にも触れていない。娯楽もたしなまない。

日常生活すら、自分の判断では行わない。

そんな日々を十年も過ごしている。

詐病なのか、本当におかしくなってしまったのか。

自分でもよくわからなくなってしまった。

そんな自分が、突然に明瞭な口調で自分の体調の変化を訴えなどしたら、人々は仰天し、訝しがるだろう。

そして・・・。

死刑執行が早まりはしないか。

恐怖はそこにあった。

廊下から、複数人の刑務官が歩く靴音が聞こえる。

靴音は、自分の房の前で止まった。

食事の時間にはまだ早い。

接見の予定はなかったはずだ。

心臓が跳ねまわる。

なんだ?なんだ?なんだ?

まさか・・・・?

解錠音がして、重い鉄扉が開けられた。

屈強な刑務官たちが、物も言わずに自分の腕をつかみ、無理やりに立たせる。

「嫌だ!行きたくない!助けてくれ!」

思わず、叫んでいた。

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凶悪犯罪者バトルロイヤル 第二話

「離せ!貴様ら、呪われるぞ!」

100キロ近い巨漢の麻原彰晃が暴れるのを、刑務官が必死に抑えつけ、廊下を引き摺って歩く。

麻原が連行されたのは、署長室だった。

「やあ、麻原君。元気そうだね」

麻原を迎えたのは、漆黒のスーツに身を包んだ、紳士然とした佇まいの男だった。

顔面までをも、黒のマスクで覆っている。声の感じからすると、年齢は40代半ばといったところだろうか。

自分の知っている署長の姿は見えない。交替があったのだろうか。目の前の男は新署長なのか。どうも違う気がする。そういう雰囲気ではない。

「貴様はなんだ。俺をどうする気だ」

男に詰め寄ろうとする麻原彰晃を、刑務官が羽交い締めにする。

男の左右に阿形、吽形のように立つ二人のボディーガードが、特殊警棒を構える。

「危険です。鎮静剤を使いましょう」
「いい。彼には、私の話の趣旨をしっかりと理解してもらわなければならないからな」

注射器を構える刑務官を制して、男は麻原に歩み寄る。話の趣旨?この男は、何を言っている?

「ふむ。薬の効果は大したものだな」

麻原の全身をまじまじと見て、男がニヤリと笑みをこぼして呟く。

「薬だと?どういうことだ」

「魔法の薬だよ。極秘裏に開発した、人間の細胞を若返らせる薬。それを一週間前から、君の食事に混ぜて投与させてもらった。今の君の肉体は、君の逮捕当時、40歳の時点まで若返っている。君にも、実感があるだろう?」

男は悪びれもせず、淡々と語った。

若返りの薬・・。自分が獄に繋がれている間、俗世の科学はそこまで進んでいたのか。しかし、この男はなぜ、自分にそんなものを?自分の肉体は本当に若返っていた、その嬉しさよりも、警戒心が先に立っていた。

「安心したまえ。実験段階では、副作用は皆無という結果が出ている。まあ、さすがに30歳、40歳も若返らせるとなるとノ―リスクというわけにはいかないが、君の場合はせいぜい20歳程度。身体にはなんの負担もないはずだ」

「そういう問題ではない。貴様はなぜ俺はにそんな薬を使ったんだ。貴様はなにを企んでいるんだ。貴様は何者なんだ」

立て続けに麻原の質問を浴びて、男が苦笑する。

「これは失礼。どうやら説明の順序がおかしかったようだな。では、順を追って説明させてもらう。少し長くなる。ソファに座って、楽にして聞いてくれ」

男に促され、麻原は刑務官に肩を掴まれながら、革張りのソファに腰を埋める。

「まず、私の素状からだが・・。誠に申し訳ないのだが、これは君には明かせない事情があってね。しかし呼び名がないというのも何かと不便だから、そうだな・・仮に、グランドマスターとでも呼んでもらおうか。ネーミングセンスが陳腐なのはご愛嬌ということで勘弁してくれ。くっくく・・」

癇に障る笑いを漏らす男・・グランドマスター。麻原は無言で、グランドマスターの話に、引き続き耳を傾ける。

「ところで私は、この国の国家予算に匹敵する資産を保有していてね。それだけの金を持っていると、使い道に困って仕方が無いんだよ。宇宙開発かなにかにでも投資してみようかとも考えたのだが、どうもそういう、誰でも思い付きそうなことに金を使うというのは面白くなくてね。どうしたものかと考えていたある日・・きっかけは何だったかな。とくにきっかけというものはなかったかな。何かから連想したわけでもなく、ふと、ああ、歴史に名を残す犯罪者同士の殺し合いが見てみたい、と思い立ったんだ。それが十年くらい前だったかな。それから・・」

「ちょっと待て。俺には貴様が何を言っているかわからん。犯罪者同士の殺し合いというのは・・」

「そう。それをこれから君にやってもらうんだよ。もちろんタダでとは言わない。君が見事に殺し合いを生き残ったならば、君がもっとも渇望しているものをプレゼントする。自由をね」

まるでコンビニにジュースを買いに行ってこいとでも言うような口調である。

「最初はこの世にいる犯罪者だけでやってもらおうかと思っていたんだが、どうも頭数が足りなくてね。くだらん犯罪を犯した人間を混ぜても仕方ないから、過去の大物犯罪者をクローン技術で蘇らせることにしたんだ。その技術開発に手間取って、十年もの歳月がかかってしまった。待たせてしまって、悪かったね」

「・・・クローン人間だと?」

「そう。すでにこの世の人間ではない犯罪者を、外見、知能、身体能力を、寸部の狂いもなく再現して、逮捕当時の年齢で肉体をサルベージする。蘇らせた彼らには、一年間かけて教育を施し、生前の記憶までも忠実に再現するんだ。」

グランドマスターは実にサラッとした口調で語っているが、正直、まったくついていけなかった。荒唐無稽な教義で信徒を丸めこむのを得意としていた自分だが、狂気の次元が違う。何を質問していいのか、どこから質問していいのか、それすらわからなかった。

「まあ、この場で全てを理解しなくてもいい。今君にわかって欲しいのは、君にはこれから娑婆に出て、日本の犯罪史上にその名を刻んだ凶悪犯罪者たちと殺し合いをしてもらうということ。そしてその殺し合いを制した暁には、君は晴れて自由を手に入れるということだ。麻原君、喜びたまえ。君は今日をもって死刑囚の身分から解放されたんだよ」

「・・あまりに現実離れし過ぎている。そんな話は信じられない」

「現実離れ、とは君らしくもない言葉だ。私の話が嘘だというのなら、君の身体に起こっている現象をどう説明する?現実離れというが、現実に君の肉体は若返っているではないか。こんなことが、君の得意な法力で出来るか?神の化身である君にすら実現できないことをやってのけた私だ。なにが出来ても不思議ではないとは思わないか?」

「・・・」

「では、計画の概要とルールについて説明しよう。あとでマニュアルを渡すので、メモは取らなくていい」

返す言葉もなく黙りこくっている自分を見て、納得したと思ったのか、グランドマスターは話を進め出した。

そのまま黙って耳を傾ける。グランドマスターの話は雲をつかむようで、まだなにも、確定的な判断はできない。

だが麻原はこの時点で、グランドマスターの話に乗れば、少なくともこのまま獄に繋がれているよりはマシではないかという気がしてきていた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第三話

グランドマスターは紅茶で喉を潤した後、ゆっくりと喋りはじめる。

「さて、では計画の概要だが、まず、先ほども言ったように、君たちにはこれから、殺し合いをしてもらう。参加者は全員で100名。この100名を、最終的に8名まで絞ってもらう。期間は今日、20××年3月1日から1年間だ。期限までに生き残った者8名には、海外で希望する国に生活拠点と、日本円で十億の賞金を与える。しかし、期限までに8名まで絞られなかった場合は、申し訳ないが全員に死んでもらう。延長戦はなしだ。ここまでで、何か質問は?」

「なぜ、勝ち抜け人数は8名なんだ?」

「いい質問だ。8名という数字には、ちゃんと意味があってね。もし、勝ち抜け人数を1人までに絞るとなった場合、どうしても最終的には腕力の強さが物を言う結果になってしまうだろう?そんな単純な勝負は見たくない。参加者には女性や老齢の犯罪者も多くいる。逃亡術に優れている者、殺傷能力に優れている者、人を操るのが得意な者。理性で動くタイプ、勘で動くタイプ。人それぞれだ。それぞれの犯罪者が己の持ち味を発揮し、己のやり方で生き残れる最低人数を考えた結果が、8名という数字なんだよ。そしてここがポイントだが、その8名には、いかなる人間関係が存在していようが関係ない。だから極端な話、君が娑婆に出て、他の参加者を探して集めて8名の組織を作り、その8名でその他の犯罪者を駆逐してしまえば、それで勝ち抜けは決まりというわけだ。逆に、君の仲間が全員殺され、他はすべて敵ばかりという状況になったとしても、最後の8名にさえ生き残っていればそれでいい。こんな説明で、わかっていただけたかな?」

麻原は頷いた。頷きながら、すでに自分がどういう立場で最後の8名に生き残るべきかを考えていた。

自分の持ち味は、なんといってもカリスマ性と統率力だ。自分自身には度胸も身体能力もないが、人の心をつかみ、人を動かすことにかけては無類の才能を発揮する。

俗世に出たら、ただちに他の参加者を探しだして己の信徒とし、手足のように使う。麻原帝国を作り上げ、最後まで王の座に君臨し、8名の中に生き残るのだ。

が、そう考えると、ある問題が立ちはだかるのに気がつく。

「俗世に出るといっても、参加者の行動範囲はどれくらいになるんだ?日本全国となると、他の参加者を探しだすだけで1年が経ってしまうぞ」

「ふむ。それはそうだ。安心したまえ、君たち参加者の行動範囲は、東京二十三区内のみと定められている。東京二十三区を一歩でも出て隣県に足を踏み入れたら、ただちに委員会がその参加者の身柄を拘束し、そこで処分されるということになっている。ま、電車に乗ってウトウトしている内に、ついうっかり・・なんてのは大目に見てやるつもりだが。もっとも、そんなに緊張感のない参加者はいないはずだがね」

「・・わかった。先に進んでくれ」

「うむ。ではここからは細かいルールの説明に入らせてもらおう。まずは、戦闘についてだ。これに関しては、基本的に銃火器類の使用は無しで行こうと思っている。あまりに人数が減らないようであれば、順次解禁という方針をとっていくがね。悪いが君の得意な薬物や生物兵器も、最初は使用を禁止とさせてもらう。詳しくはマニュアルを参照してもらうが、まあ、とりあえずは刃物や鈍器、あるいはロープなどを使って戦ってもらうと思ってもらって間違いはない」

そんな原始的な武器しか使えないのであれば、ますます自分が直接手をくだすのは不可能だ。やはり自分が生き残るには、組織を作るしかない。すると気になることが出てくる。

「話が変わるが、ちょっといいか?俺は俗世を離れて長い。俺以前に逮捕された者ならともかく、俺以降に逮捕された犯罪者に関する知識がない。このままでは、仲間を集めることも、敵を探すこともできない」

「安心したまえ。あとで、全参加者の顔写真付きのファイルを渡す。罪状も書いてあるから、犯罪者のタイプを参照することもできる」

「わかった。戦闘の話を続けてくれ」

「うむ。戦闘について君たちが気になることといえば、警察の存在だろうが、すでに私が警視庁に手を廻して、君たち同士の犯罪については目をつぶるように命じてある。君たち同士がいくら殺し合おうが、警察に逮捕されることはない。ただ、一般人を巻き込むこと。これは厳禁だ。故意であろうが不可抗力であろうが一般人に危害を加えた者は、その時点で処分決定だ」

「逆に、俺達が一般人から犯罪の被害にあった場合はどうなる?」

「その場合も同じことだ。君たちが一般人に反撃することは一切許されない。それを利用して、一般人をけしかけて犯罪者を襲わせようとした者についても、発覚しだい処分する。とにかく、戦闘に関して、一般人に手を上げることは一切許されない。例外はない」

自分を排除した社会への復讐。その望みは、少なくとも1年は叶えられないということか。仕方がないが、まずは自由を手に入れることを考えるしかない。

「次に、1年間の生活について説明する。君たちには娑婆に出るにあたって、当座の金として200万円を渡す。その金で武器を買うもよし、人を集めるもよし、全てを生活費に充てて最後まで逃げ切るもよしだ。しかし、それ以上の金については、自分で稼いでもらうということになっている。アルバイトをするなり、自分で商売を始めるなり、方法は任せる。他の参加者を殺して所持金を奪い取るのもありだ。ただ、さっきも言ったように、一般人から金を巻き上げるのは許されない。強盗などもっての他、詐欺、恐喝も一切禁止だ。真っ当な方法で、金を稼いでもらう。戦闘と違い、ビジネスパートナーとしてなら、一般人と交流を持つのはOKとする。堅気でもヤクザでも、好きなように関わってくれたまえ。生き残るためには犯罪の才能だけではなく、人間力全てを使わなくてはならない、ということだな」

何やら得意げなグランドマスターの顔つきは腹が立つが、とりあえず頷いておいた。
どうせ抜け道はいくらでもある。真面目に働くつもりなどはさらさらなかった。

「一般人ということではこれも大事なことだが、参加者には、1年間の期間中、娑婆にいる親族や知り合いと連絡を取ることは許されない。一切の支援を受けてはならない。これも、破った時点で即座に処分の対象となる」

それはそうだろうとは思っていたため、ショックはなかった。俗世の人脈を活用できるとなれば、自分のように支援者が多い犯罪者と、過去の犯罪者や天涯孤独の犯罪者との間に大きな不公平が生まれてしまう。

「それとこれも大切なことだが、外見や身だしなみには気を付けておいてくれよ。一般人が、獄中にいるはずの、あるいは、すでに死んだ死刑囚を町で見たなんてことになったら、大変な騒ぎになってしまうからね。君が長髪に髭、作務衣のあのお馴染みのスタイルで歩いていたら一発でアウトだ。逆に逮捕当時の肖像とまるで違うイメージに外見を繕っていれば、まあ、都会人は基本的に他人に関心がないから大丈夫だろう」

納得して頷いた。現在、自分の髪型は、大阪のおばちゃんのような天然パーマネントの短髪である。髭は当然ながら無い。顔のパーツ以外に唯一逮捕当時と同じなのは、100キロ近い肥満体だけだ。

すでに教祖ではない自分が、神聖さを意識する必要は無い。カツラやツケ髭をつけてまで当時のイメージに近づける理由は、何も無い。第7サティアンの隠し部屋に警察が踏み込んできた瞬間、自分は教祖たる自分を全て捨てたのだ。

しかし、ただ一つ、現在も捨てていないものがある。それが麻原彰晃という名だ。自分の肉体を作り出した両親がつけた名を捨て、神の座にすわるために自ら考えだした名前。自分は今も、これからも、麻原彰晃という名で生きる。1年後もだ。この名前を捨てるのは、TSUTAYAのカードを作るときだけだ。

「さて・・重要なことについては、全て話した。後はマニュアルをしっかり見てもらって、ゲーム中になにか問題が発生したときにその都度質問してもらうという形をとってもらいたいのだが、どうだろう?」

「ああ。それでいい」

「うむ。では、支度金と持ち物を渡そう」

グランドマスターが、アタッシュケースを開けた。

「まず、これが現金200万円だ。財布も渡すが、全部は入りきらんだろうから、管理にはくれぐれも注意してくれ。娑婆に出た瞬間に不良少年にカツアゲされるなんてことにならないようにな。それから、これが携帯電話だ。君が娑婆にいた頃に比べて、随分小さくなっただろう?電話だけでなく、インターネットや動画が観れたりもする。まあ詳しくは、若い参加者を仲間にするなりして聞いてくれ。それから、三日分の着がえ。もろもろを入れるバッグ。最初に渡すのはこれくらいだ。あと、必要なものがあったら、200万円の中から自分で考えて使ってくれ。武器もな」

麻原は着替えを済ませる。考えてみればもう三十年近く、作務衣や囚人服など、浮世離れした服ばかり着ている。カジュアルなファッションに身を包むのは、宇宙服を着るような感覚だった。

「よし。身支度が済んだようだな。心の準備はできているかな?」

「ああ。血が騒いで仕方が無い。俺は必ず、生き残ってみせる」

「その意気だ。では、出発しようか」

麻原は刑務官に両脇を抱えられながら、拘置所の外へと出る。駐車場で目張りされたワゴン車に乗りこむ。車は一時間ほど走り、エンジンを止めた。都内のどこか・・・どこかわからない。

「着いたようだな。さあ、行くがいい、麻原君。健闘を祈る」

震えながら、車の外に足を踏み出した。武者震いだった。

凍てつく風が肌に突き刺さる。十年ぶりに浴びる直射日光が、糸のように細い瞼から覗く瞳を焼く。

麻原彰晃の自由をかけた戦いが、今、幕を開けた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第四話

僕の名前は加藤智大。
今から五年前、社会を震かんさせた、無差別殺傷事件の犯人だ。
僕は今、渋谷の町を歩いている。
渋谷。リア充の町。見渡す限り、幸せそうなカップルで溢れている。

僕はこの町が大嫌いだ。
グランドマスターを名乗る男が僕を車から降ろしたのが、よりにもよってこの町だ。
「あの町」で降ろされるよりはマシだったのかもしれないが。

どいつもこいつもが、僕を憐れんでいるような気がする。
やめろ。そんな目で、僕を見るな。
女がいるのが、そんなに偉いのか?
若い女であることが、そんなに偉いのか?

僕にだって、モテ期はあった。
小学校高学年から中学時代にかけてだ。
そんな時代にモテたって、何にも嬉しくはない。

僕は顔は悪かったけど、勉強はできた。スポーツも万能だった。
中学までは、男にも女にも人気だったんだ。

人生が狂いだしたのは、県下一の進学校に入ったところからだ。
中学時代は常に学年トップの成績を走り続けていたのが、本当に頭のいい奴らの集団に入った途端、たちまち落ちこぼれに転落だ。学生時代は頭のいいヤツよりもスポーツができるヤツが尊敬を集めるけど、貴重な昼休みを全部自習に費やしちゃうような進学校のスクールカーストはちょっと違う。僕に取り柄といえるものは何もなくなった。

「お前ら、弱い奴らの中じゃ強いだろうが、強い奴らの中じゃ下の下じゃ」
何とかいうボクサー崩れみたいなチンピラが、テレビでそんなことを言ってたっけ。
努力しないDQNならともかく、なんで僕がこんな思いをしなきゃいけないんだ。

進路を決める時期がきた。
同級生の九割九分九厘までが四大に進む中、僕だけが、自動車関係の短大に進んだ。
もう、競争競争の人生から降りたかったからだ。

だけど未練は残っていた。
学歴コンプレックスはずっと僕に付き纏った。
無論、顔面コンプレックスもね。
整形でも出来てれば人生変わったんだろうけど、金を溜めることはできなかった。
友達のいない僕は、金を食う娯楽でしか心を慰めることができない。
孤独でいるってのは金がかかるんだよ。

そして僕は派遣労働者になった。
雀の涙みたいな手取り給料。たったの十万円ぽっちで、どうやって人生設計を立てろってんだ。

派遣会社では、派遣労働者を現場に送り込むことを「タマを込める」というらしい。
派遣先会社の帳簿では、派遣労働者への給料は、人件費ではなく材料費にカウントされているらしい。僕たちは、人間じゃないってわけだ。

派遣は人でないのなら、法を守る必要もありませんね。

僕を受け入れない社会への憎悪、僕をこんなにした人間どもへの憎悪が膨れ上がっていった。そして僕は、事件を起こした。

当然、世論からは袋叩きにあったが、ネットでは一部・・いや結構多くの人間が歓喜した。
僕が事件を起こしたことで、派遣労働者の悲惨な待遇を、社会が問題視し始めたからだ。
僕を「神」「英雄」なんて呼んでいる人たちもいるらしい。

こんな形で再び人気者になるなんて思わなかった。
それほど数は多くないみたいだけど、若い女の子のファンすら付いているらしい。
なんていう皮肉だろう。僕はもう、女性の手には触れることもできないのに。

だけどその状況が変わった。
グランドマスターを名乗る男のお陰で、僕は娑婆に出ることができた。
だけど今、僕は、それがそんなにいいことじゃなかったような気がしてきている。

なまじ外の世界に出て、女の子に手が届くところにいる分、それができない自分の立場が身に染みる。それができる奴らへの嫉妬が渦巻いてどうしようもない。拘置所の中にいた方が、かえって諦めがついてよかったんじゃないか。

気分悪い。ムカムカしているのに、腹は減る。
牛丼屋に入ろうと思った。だけどその瞬間、前を歩いてきたカップルと目が合った。
牛丼屋の中では、もっさいオジサンや、僕と同じモテなそうな若い男が食事をしている。
カップルが牛丼屋の中を見て、動物園の動物を見ているような侮蔑の笑みを浮かべた気がした。

僕の気のせいだったのかもしれない。だけど僕の中では、それが真実になった。
牛丼屋に入るのはやめて、カフェに入った。カップルがうようよしている中、僕は一人でコーヒーを飲みながらサンドイッチを食べた。
僕の中では、僕は食事をとりながら、恋人を待っている設定になっている。
腕時計をちらちら見たりして、周囲にもそれを印象付けようとしている。

だけどそんなことしたって、どうせ不細工な僕が恋人を待っているなんて、誰も思っちゃくれないんだ。なんだか虚しくなってきた。

「加藤智大くんですね」

突然名前を呼ばれて、身体に電流が走った。ここ四年くらい、僕はずっと番号で呼ばれてきた。久しぶりすぎて、思わず緊張してしまった。

僕に声をかけてきたのは、40歳くらいの中年男性だった。
歯が綺麗で、笑顔が眩しい。僕の嫌いなイケメンの部類に入る男性だ。
だが、目が怖い。凍てつくような視線だ。
なんというか、瞳に一切の感情が宿っていない気がする。

「私、松永太と申します。ちょっとお話よろしいですか?」

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第五話

「え・・あ・・・どうぞ・・」

戸惑い深げに視線を泳がす加藤智大。
意志の弱さと、対人恐怖症的な傾向が見てとれる。

松永太は、加藤の警戒を解きほぐす、太陽のようなスマイルを浮かべながら、席に着いた。

「加藤君は、私のことはご存じでしょうか。加藤君が事件を起こす6年前に北九州で監禁殺人事件を起こして死刑囚となり、今回、バトルロイヤルに参加することになった者です」

「ええ、まあ・・そりゃ、知ってますけど・・」

「それなら話は早い。単刀直入に言います。加藤君、この私と組んで、ともにバトルロイヤルを戦いませんか?私の知略と、君の武力。これが合わされば、どんな参加者も怖くはないはずです」

「え?そ、そんな・・・急に言われても・・」

「君にとっては青天の霹靂だったかもしれませんが、私はバトルロイヤルへの参加が決まった瞬間から、君のことを誘おうと考えていました」

息を吐くように嘘をつくと評されるサイコパスの自分だが、これは本当のことだった。
自分は渋谷に向かう車の中で参加者の名鑑を一通り読んだ時点で、いつかは加藤と接触することを決めていた。

単純な武力だけなら、加藤よりも優れた者は参加者の中にもいる。

たとえば、大阪池田小事件の宅間守。しかしあの男は御しがたい。自分も人のことはいえないが、人間というよりは、獣に近い男である。たとえ一時金で釣れても、いつかは飼い主の手を噛むのはわかりきっている。

たとえば、津山30人殺しの都井睦雄。しかしあの男とは、生きた時代が違い過ぎる。まともなコミュニケーションが取れるかどうか。殺傷方法が、ルールで禁止されている銃撃というのも不安材料だ。単純な殺害数だけなら日本一でも、銃器の使用を制限された環境下で、額面通りの実力を発揮できるかどうかはわからない。

結論―――自分のパートナーとしてもっとも相応しいのは、この男、加藤智大である。

「カフェの前を通りがかったとき、偶然、君を目にした瞬間、心が高鳴りましたよ。同時に確信しました。私と君が、ゲームを生き抜く最後の8人に生き残ることが、これで確定したことを」

そう、たとえ計画はすでに出来ていたとしても、それがこんなに早く達成されたのは偶然だった。自分がこの町で車を降ろされたのも、加藤がこの町で車を降ろされたのも、二人が出会ったのも、全ては偶然の賜物。

高校時代にあの女と出会ったのも、偶然の賜物だった。
もっとも、それから二十年近くも後に、あの女を自分の狂気の犯罪を実行する手駒として利用しようと思ったのは、緻密な人間分析と、一から十までの計算によるものだが。

そして今、自分はこの加藤を、あの女同様に、自分の手駒として利用しようとしている。肝心なのは、この男は既に一度、人の道を踏み外していることだ。まっさらな人間を悪魔に染め上げなければならなかったあのときよりも、洗脳はずっと容易だ。

天意と人意。出会うべくして出会った、自分と加藤。
自分はこの男とともに、戦いを生き残る。

「加藤君。この通り、お願いします」

松永はテーブルに両手をつき、額を擦りつけた。

「正直、不安でした。自由を獲得できるかもしれないといっても、その確率は十分の一以下。度胸も腕力もない私に、一人で凶暴な犯罪者たちを相手に生き残る自信はまったくありませんでした。しかし、君に出会うことが出来た。学生時代にはスポーツ万能として鳴らした身体能力を持ち、年齢も若く、成人七人の命を奪った実績のある、殺しのプロと出会うことができた。それで私は、百人力を得た気持ちになれたのです。君さえ仲間になってくれれば、私は必ずや生き残ることができる。私は君の力を、切実に必要としているのです」

一気呵成に喋った。喋り終えると顔を上げ、真剣な眼差しを加藤に向けた。
加藤が生唾を飲み込む。自分の弁舌に引き込まれているようだった。

この手の繊細な青年は、一見、猜疑心が強く、容易には他人に心を開かないようで、案外そうでもない。誰かに必要とされたい思いが強い人間は、徹底的に褒め殺し、自尊心をくすぐってやれば、淫売女のように簡単に落ちるのだ。

「え・・・あっと・・その・・」

まだ迷っているようだ。だが、それも次の一手で落ちる。
感情に訴えかけて効かなければ、理性に訴えかけるまでだ。

「加藤君、選択の余地はないはずです。考えてみてください。ここで私の誘いを断れば、君は少なくとも当分は、一人で行動することになる。お風呂に入るときも、寝るときも一人だということです。いくら身体能力が優れていても、武器を持っていたとしても、寝込みを襲われたら一たまりもありません。人間は本気で殺そうとつけ狙ってくる相手に、一人では対抗できないように出来ているのです。しかし、私と組めば、少なくともその心配からは逃れられる。安心して、休息を取ることが出来るのです」

実際には、そうともいえない。その組んだ仲間に、寝首を掻かれないとはいえないのだから。

しかし、突然の展開の連続に、不安に脳を冒されているであろう加藤には、これが決定打となったようだ。

「わ・・・わかりました。松永さんと一緒に、行動します」

「ありがとうございます。きっとそう言ってくれると信じていました」

松永は再び満面の笑みを浮かべ、加藤に右手を差し出す。加藤は右手をチノパンに擦りつけたのち、松永の右手をしっかりと握り返した。

松永の太陽の笑みが、氷のほくそ笑みに変わった。しかし加藤はそれに気付かない。

この右手は自分のものだ。自分はけして手を汚さず、すべての計画を、この男の手によって為す。

加藤智大、洗脳完了。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第六話

市橋達也は、浅草は雷門前を歩いていた。
今日は日曜日、街道は多くの観光客で賑わっている。

逃亡するなら、人を怖れるな。人ごみにこそ、身を隠せ。
昔読んだ逃亡生活のマニュアルに書かれていた、逃亡の鉄則。

基本的には同感だ。田舎は人が少ない分、余所者や不審者の存在が目立ってしまう。
都会は、人は多いが基本的に他人に無関心で、灯台もと暗しの法則で警察のマークも薄い。生活に必要な物も揃っている。焦って遠くの地方に逃げるよりも、土地勘のある都会に留まった方が、むしろ安全ということはあるのだ。ただ、僕の場合は顔が知られすぎていて、防犯カメラを警戒する必要があったから、そうも言ってはいられなかったのだが。

僕がグランドマスターを名乗る男の手によって獄中生活から解放されて、三日が過ぎた。
最初にもらった200万円からこれまで使用した金額は、3189円。おそらく全参加者の中でも、かなり少ない金額だと思う。

用途の第一は、一日一食と決めた食費。
メニューは、牛丼屋で並盛牛丼を一杯と生野菜サラダ。それで一日を過ごす。

あの事件を起こして逃亡生活を始めてから、どういうわけか僕の身体は、少ない食事で凄いエネルギーが発揮できるように、体質が変化していた。
成人男性が一日に最低限摂取すべきカロリーの半分以下で、一日で身体を壊してもおかしくない肉体労働を平気でこなしていたのだ。

用途の第二は、生活雑貨。
といっても、購入したのはウェストバッグとタオル、それから歯ブラシ。それだけだ。

ウェストバッグを購入したのは、言うまでもなくお金を守るためだ。
グランドマスターから貰った財布には、限界まで詰め込んでも、お札は五十枚までしか入らない。大切なお金をリュックサックなんかに入れるなんて不用心なことはできない。コインロッカーに保管するのは、お金は安全だが、他の参加者に待ち伏せされて殺されてしまうかもしれない。常に肌身離さず持ち歩いているのが、結局は一番安心できる。

タオルと歯ブラシを買ったのは、最低限の衛生状態を保つため。
この三日間、僕はお風呂を使っていない。人目につかない早朝を見計らって、公園の水で身体を拭いただけだ。まだこの季節は汗が出ない。臭い的には、あと一週間はいけそうだ。
そんなことを考えていること自体、あの事件を犯す前、潔癖症で通っていた僕からすれば、まさに考えられない話。人間、変われば変わるものだ。
歯磨きは必要ないようにも思えるけど、ゲームの途中で歯を痛めて食事がとれなくなり、何より大切な栄養が満足に補給できなくなるリスクを考えたら、ケアは怠れない。

用途の第三は、凶悪な犯罪者たちから自分を守る武器――サバイバルナイフを買うための費用だ。

僕はけして、暴力は好まない。関西の飯場で働いていたときによくいた、口より先に手が出るような粗暴な人間は大嫌いだ。だが、いざというときには、戦う覚悟はできている。

殺し合いで大事なのは、戦闘能力よりも胆力だ。相手を殺す覚悟だけじゃなく、自分の命も差し出す覚悟で挑む。その気迫で大抵の相手は恐れを為す。相手を気迫で呑んでしまえば、もう勝ったも同然だ。終始こちらのペースで戦いを進めることができる。

とはいえ、それは本当に八方ふさがりの、ギリギリの状況に追い込まれたときの話。
できる限りは、争いは避けていくつもりだ。グランドマスターは、他の参加者とチームを組むのも自由だなんて言ってたけど、他人とつるむ気は更々ない。僕は最後まで、一人きりで行動する。一人で生き残る。

少し疲れを覚えた。歩くのをやめ、浅草神社の境内に腰かけた。
僕はゴミ箱から拾ったペットボトルに詰め込んだ水で喉を潤した後、
リュックサックの中から、用途の第四――古本屋で買った小説を取り出した。
ハリー・ポッター。あの人の国の小説だ。

僕はずっと海外に憧れがあった。グランドマスターは、バトルロイヤルを生き残ったら、どこか希望する異国に生活拠点を用意してくれると言っている。僕は迷わず、あの人の国を選ぶつもりだった。

どこまで勝手な男なのか。自分でも、そう思う。けれど、僕の中では、それはケジメのつもりだった。なにがケジメなのかは、よくわからない。なぜか、そうしなくちゃいけないと思うのだ。

「夕日がきれいね」

僕の隣に、一人の女性が腰を降ろした。

「あなた、市橋達也くんでしょう?」

僕の名前を知っている?この人は・・・参加者?
女性は戸惑う僕の顔を見てニコリと笑う。
すごくキレイで、気立てのよさそうな女性だ。
年齢はどれくらいだろう。
30歳くらいにも見えるけど、40歳と言われればそれくらいにも見える。
言葉には、全国指名手配犯だったころ、お遍路で行った四国の訛りがある。

名鑑には、こんな顔の女性は載っていなかった気がする。
けれど、女性は化粧で化ける生き物だ。
それに、最初にもらった200万を、全て整形に注ぎ込んだ可能性もある。
この人が参加者なら、殺さなきゃ。相手が女性なら、それは容易だ。

でも、なぜか僕の身体は動かなかった。
この人を見ていると、血の繋がったお姉さんを見ているような・・。
とても他人とは思えないのだ。

「あなたとは、またいつか、どこかで会う気がするわ」

女性は立ち上がると、夕日を浴びながら人ごみに消えていった。
僕はなぜか、女性を追えなかった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第七話

「サハナーヴァヴァトゥ・マーメサラトゥヴゥ・ヤナサンタラトゥ・マーミーヴァハイ・ナマディヴィフィ・マリシテンガラトン・・」

時刻は23時。杉並のワンルームマンションの一室。照明の一切が消された室内。数本のローソクが放つ微かな灯りの中、麻原彰晃は、自らが立ちあげた新生オウム真理教――「バドラ」の信者に向かってマントラを唱えていた。イニシエーションを受けているのは三名。いずれも、バトルロイヤルの参加者である。

グランドマスターによって俗世に解き放たれてから、十日間。この短期間で、よくぞここまで来れたものだ。すべては、偉大なるシヴァ神の導きがあってのこと。感謝の意を捧げるためにも、なんとしてもこのバトルロイヤルを勝ち抜いてみせる。聖なる戦士たちの力をもって。

「マルハードラバリアメントラ・サリハマジャラカビドゥ・ガルマサンタラ・・」

突如、マントラに間の抜けた音が割って入った。室内に香ばしい臭いが立ち込める。麻原はマントラを中断し、糸のような目を、カッと見開いた。結跏趺坐を解き、立ち上がる。

「貴様!神聖なるマントラ・イニシエーションを受けている最中に、放屁をするとは何事か!」

麻原が放った怒声が、ローソクの炎を揺らめかせる。怒ったように見せかけているが、麻原は信徒に感謝していた。実はさっきから自分も屁を我慢していたのだが、それをこの機に乗じて放出することができたからだ。音は己の怒声に紛れ、臭いは信徒の屁に紛れた。

「す、すみません、尊師!」

貴様、と言いつつ、誰が屁をひりったのかはわからなかったのだが、幸いにも、信徒の方から名乗り出てくれた。信徒に常々こう言っていたのが功を奏した。自分は全てを見通す目を持っている。だから自分には、けして嘘をつくな、と。

名乗り出た信徒の名は、菊池正。1953年、栃木県で起きた一家四人強殺事件の犯人である。しかし、この男が犯罪史上に名を残しているのは、その罪状の凶悪さゆえではない。菊池は死刑確定後、拘置所を脱獄し、十日間に及ぶ逃亡劇を繰り広げた男なのだ。

昔の拘置所の管理体制が、現代とは比較にならないほどお粗末なものだったのは確かとはいえ、破獄というのは、並みの人間に出来る事ではない。知力と体力、そして精神力を兼ね備えた者にしかできない芸当である。その上この男は、無類の働き者ときている。戦士として、必ずや力になることは疑いようもない。

「まあいい。お前たちはまだ、修行を開始して日が浅い。失態を犯すのも仕方は無い」

鷹揚な笑みを浮かべる麻原。菊池がホッと胸を撫で下ろす。

「さて。イニシエーションはこれくらいにして、ワークの報告に移ろうか。ではまず、正。お前から聞こうか」

ワークとは、オウム時代に使用していた用語で、金銭を稼ぐ行為全般を指す。あの頃は飲食やパソコンショップなどの店を展開し、年間二十億円以上を荒稼ぎしていた。信徒をタダ働きさせていたから人件費は無いに等しく、利益はほとんどが自分の懐に入った。昨今のブラック企業の経営者も、データ装備費など、わけのわからない名目で人件費をケチるくらいなら、宗教を開けばいいのだ。

ちなみに自分は「バドラ」の信徒を、年上、年下、男女の区別なく、ファーストネームで呼ぶことにしている。親しみのこもった印象を与えるためだ。

「はい。本日は、牛丼チェーン店、松屋の面接に行ってまいりました!」

「ふむ。手ごたえの方はどうだ?」

「履歴書というものを持参せず行ったところ、君、今まで何して生きてきたの、と、呆れられてしまいました!」

麻原は舌打ちした。委員会め、一年間もクローン復活者の教育に時間を割いていながら、なにを教えていたのだ。

「まあ、現代に蘇ったばかりなのだから、仕方が無い。次からは気を付ければよいのだ。書き方がわからなければ、あとで、光彦にでも聞きなさい。では、次はその光彦に聞こうか」

第二の信徒――関光彦。1992年に起きた、市川一家四人殺害事件の犯人である。逮捕当時19歳、札付きのワルとして地元で名が通っていた関光彦が犯したのは、暴力団関係者から要求された200万円を支払うため、かつて己が強姦した女子高生の家に強盗に入り、家族を惨殺した後、女子高生を監禁して再び強姦に及んだという、鬼畜の所業である。人間の皮を被った悪魔と呼ぶに相応しい男――しかし、だからこそ使い道がある。

「光彦・・光彦!」

反応のない関光彦の名を連呼する麻原。この男、居眠りを決め込んでいたようだ。菊池正に肩を揺すられ、ようやく目を覚ます。

「んあ?・・ああ?」

「んあ、ではない。ワークの報告をしろと言っている」

「ああ・・仕事ね。今日はパチンコ屋の初出勤日だったけど、面倒くさくなって、三分でバックレちゃったよ。で、別のパチンコ屋でスロットやってた」

なんでも正直に話せと言ったのは自分だが、ここまであけすけなのも考えものではある。教義を守るのと同じくらい大切と言い聞かせてきたワークをおろそかにしたことに、まるで罪悪感を抱いていないのは問題だ。まあ、しかし、この男には勤労は無理なのかもしれない。下手に外に出てトラブルを起こさないよう、常に自分の目が届くところに置いておくのが正解か。

「わかった・・ひとまず、今晩はゆっくり休むといい。最後に、清孝。お前の報告を聞こうか」

「はい。本日はマクドナルドで、二日目の勤務をこなしてまいりました」

第三の信徒――勝田清孝が、明瞭な口調で答えた。

勝田清孝。1972年から1983年にかけて、立証されているだけで14件、本人の告白では22件の殺人を繰り返した、連続殺人犯である。

殺人の検挙率が高く、狭い国土に人口が過密している日本では、米国に比べ、連続殺人犯の発生率は低い。発生したとしても、まだ被害の少ない短期間の内に逮捕されるケースがほとんどであり、勝田ほど長期に渡り、多数の人間を殺害したケースは、後にも先にも存在しない。また、連続殺人犯は、快楽殺人犯とイコールであるケースが多いのだが、勝田の場合は強姦や強盗など、物的な欲求を満たすための犯行が主であったのも特徴的である。

この十日間の最大の成果――それは紛れもなく、この男、勝田清孝を配下に据えることが出来たことだった。

「しかし、最近の電子機器というのは凄いですね。クレジットカードの処理やらなんやら、正直、ついてけまへん。ほんま、かないまへんわ」

弱音を吐きつつ、その表情には自信が溢れている。逮捕の直前まで消防士として働いており、その勤務態度は誠実だったというから、仕事の覚えは早いはずだ。

「ふむ。ところで、マクドナルドの60秒ルールについてはどう考えている?」

この質問には、ちゃんと意味があった。組織の命令ならどんな理不尽なことにも応じる、従順さを確かめているのだ。

「ほうですね。まあ、論理が破綻していますわ。店側は、クル―に困難な課題を与えることよりモチベーションの向上を図るなんて言っとりますが、賃金は上げずに負担だけ増やされて、なんでやる気が上がるのかって話ですわ」

期待通りの答えが返ってきた。信徒が忠誠を誓うのは、自分が作った組織「バドラ」に対してだけでいい。

「清孝に関しては、問題なさそうだな。よし。今日はこれくらいにしよう。三人とも、ゆっくり身体を休めて、明日に備えてくれ」

解散の指示を出すと、信徒たちは寝室に入っていった。

まずは三人、自分の手足となって働いてくれる、忠実なる僕を獲得することができた。引き続き参加者の勧誘活動を続け、今月中には組織を固める。来月からは一気に攻勢に出る。全ての参加者たちを駆逐し、勝ち残りが確定した後は、自分が作った「バドラ」の、一般大衆への布教活動を本格的に開始する。「バドラ」を、オウム真理教以上の宗教団体に成長させてみせる。

今度こそ君臨してみせる―――神の座に。

新生オウム真理教「バドラ」、始動。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第8話

宮崎勤は、赤羽のファミリーレストランで、食事が運ばれてくるのを待っていた。

待っている間は、趣味のイラストを描いて暇をつぶす。題材は、僕が大好きな立体の図形だ。タイトルはすでに決めてある。ゴーリキ・ベース・サファイアだ。裁判中もこんなことをしていたら、傍聴席にいたうるさい偽善者のおっさんに怒鳴られたっけ。

あれ。ボールペンのインクがなくなってしまった。
困った。困ったぞ。
しょうがない。ちょっと回想でもして、時間を潰すか。



僕が委員会の教育プログラムを修了して、外の世界に出て来たのは、十日前のことだった。研修施設での暮らしはそこそこ充実していたから、僕は嫌がったのだけれど、グランドマスターを名乗るおっさんは、僕を無理やりに車の外に放り出したのだ。

僕を生き返らせてくれたのはいいけど、たかだか200万円のお金を渡しただけで、一人きりで放り出すなんて、まったく酷いことをする奴らだ。「家族の人」を頼ることもできないし、僕は途方に暮れてしまった。そしてとうとう、道の真ん中で蹲って、泣き出してしまった。

しばらくして、パトロール中のおまわりさんがやってきた。僕が帰る家がなくて困っていること、ある程度のお金は持っていることを告げると、おまわりさんは、近くにある漫画喫茶を紹介してくれた。

そこは楽園だった。僕が拘置所に収監されている間に、社会にこんな素敵な施設が出来ていたなんて。ドリンクは飲み放題だし、漫画も読み放題。パソコンも出来るし、大好きなジブリアニメも観れる。ご飯も食べれるし、シャワーすら浴びれる。

それから僕は一週間も、漫画喫茶に籠りっきりで過ごしていた。今日出てきたのは、同じような施設は都内にいくつもあることを知り、他のお店を見てみたくなったからだ。



「お待たせしました」

料理が運ばれてきた。
ウェートレスの娘は、18歳くらいの、溌剌とした女の子だった。
僕の大好きなナウシカに、ちょっと似ているかもしれない。

「やさしいこと」をしてあげたいな。そう思った。
僕をよく知らない人は、僕を真性の小児性愛者だと思っているようだけど、それはとんだ誤解だ。僕は大人の女性も、毛の生えていない子供の女の子も、同じように性的対象にできるだけだ。

僕の風貌は、大人の女性には敬遠されやすい冴えないものだけど、子供から見た印象では、優しそうなお兄さんといった感じで、警戒されにくい。アニメに詳しいから、話題も合う。腕力のない僕でも、子供なら簡単に制圧できる。狙いやすい方を狙った。それだけの話なのだ。

テーブルの上では、ハヤシライスとホワイトシチューが湯気を放っている。
僕の大好きな、「カレー仲間」の取り合わせだ。さっそく箸をつけて、食事を始めた。

暖かくておいしい。でも、拘置所で食べたものの方がもっとおいしかった気がするな。あまり良い食材を使っていないんだろうか。普通の人は知らないだろうけど、拘置所の、とくに刑が確定した囚人ってのは、結構いいものを食べてるんだよ。ま、こんなのでも、さっきの女の子を「肉物体」にして浸せば、もっとおいしく食べられるんだろうけど。

「・・・ですから、今後は人材集めと平行して、どこを拠点として活動していくかを考えなければなりません」

僕が食事を待っている間に、通路を挟んで向かい側の席についた男女四人組の会話が、聞くともなしに耳に入ってきた。

「最も有力な地域は、なんといっても日本最大の消費都市、新宿歌舞伎町です。ここに拠点を構えれば、飲食や風俗など、あらゆるシノギを展開できる上、武器や情報を提供してくれる裏社会の人間と交流を持つこともできる」

ん?あいつら、どこかで見たことがあるぞ。
そうだ、僕と同じ、バトルロイヤルの参加者じゃないか。
名前はなんていったっけ。名鑑を開いてみよう。
えーっと・・松永太に、加藤智大、前上博、それと、重信房子・・か。

やばいな。このままここにいたら、殺されちゃうかもしれないぞ。
でも、まだ「カレー仲間」を食べ終わってないし・・。
ああ、どうしたらいいんだろう。

「だったら迷うことはないじゃないですか。さっそく、歌舞伎町に拠点を構えましょうよ」

「甘いですね、加藤君。歌舞伎町を抑えることがどれだけの利をもたらすかは、少しばかり世故にたけた参加者なら誰でもわかるはずです。もし私たちが、十分な力の裏付けがないままに歌舞伎町で旗揚げした場合、他の参加者がとる行動は?一時手を携え、出る杭をよってたかって叩き潰そうとするはずです」

「そ、そうか・・」

「ですから肝心なのは、我が軍団の戦闘力を高めるとともに、他の勢力の動向にも気を配り、同盟できる勢力とは同盟し、しっかりと土台を固めた上で、歌舞伎町に進出することなのです」

何を言ってるんだか、さっぱりわからん。
たぶん、ゲームを勝ち抜くために大事なことなんだろうけど。
僕の頭は、自分が興味のないことは、いくら勉強したって、どんな丁寧な説明を受けたって理解できないように出来ているのだ。

「なあ、大事な話をしているところ悪いんだが・・」

「どうしました。前上さん」

「あそこに座ってるの・・宮崎勤じゃないか?」

「!!」

やばい。僕の存在が、バレてしまった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第9話

 加藤智大は、予期せぬ男との接近遭遇に困惑していた。
 宮崎勤。ちょうど僕が物心ついた頃に、埼玉県で幼女連続殺人事件を犯した男。当時、僕が住んでいたのは首都圏から遠く離れた青森だったけど、女の子の同級生の保護者は、みんな恐々としていたのを覚えている。僕が事件を起こした直後に死刑が執行されたそうだけど、まさか生きて顔を合わせる日が来るなんて。

「ど、どうするんですか?松永さん」

「これは宮崎さん。お初にお目にかかります。私、松永太と申します」

 松永さんは僕の問いには答えず、一人宮崎勤のテーブルに向かって行った。大丈夫なのか?万が一のときにはすぐに飛びかかっていけるよう、心の準備をした。

 松永さんはしばらく世間話をして、宮崎勤の緊張を解した後、本題に入った。

「宮崎さん、私たちの仲間に加わりませんか?世界中の犯罪マニアに名を知られた伝説的シリアル・キラーのあなたが我が軍に加わってくれれば、これほど心強いことはありません。あなたの狂気性は才能なのです。ダイアの如き煌びやかなその才能を、我が軍で存分に発揮してみませんか?」

 僕のときと同じ、褒め殺し戦術だ。
 もしかして、同類と思われているのか?
 だととしたら、なんとも心外な話だ。

「あ・・あ・・」

「どうしました、宮崎さん」

「あの・・・ボールペンを・・」

 ボールペン?何を言っているんだ、この男は。

「ボールペンですか。どうぞ、お使いください」

 宮崎勤は、松永さんが差し出したボールペンをひったくるようにして受け取ると、テーブルの端によけられていたノートブックを開き、一心不乱に絵を描き始めた。唖然呆然。なんなんだ、こいつは。前上さんも重信さんも、かける言葉もなく凍りついている。ただ一人松永さんだけが、冷静に、観察するように宮崎勤を眺めている。

「できた!ゴーリキ・ベース・サファイアの完成だ!」

 破顔一笑。宮崎勤が突如、今までとは一変した、明るく大きな声を発した。
 満足げな表情でノートブックを支給品のリュックサックに仕舞うと、松永さんに礼も言わずにボールペンをテーブルに置きっぱなしにしたまま、ここにはもう用は無いとばかりに立ち去ろうとする。

「待てっ!」

 行かせるか。お前の命は、ここで終わりだ。

「よしなさい、加藤君」

 ダガーナイフを抜いて宮崎勤に突進しようとした僕を制したのは、重信房子さんだった。

 重信さんが僕たちのチームに加わったのは七日前。
 松永さんと二人、五反田で人材探索をしているときに、偶然出会ったのだ。

 松永さんの説得でチームに加わることを承諾した重信さんに対し、松永さんは続けて、ある要請をした。その言葉を聞いて、僕は仰天した。重信さんに、チームのリーダーになってくれというのだ。

 確かに重信さんは日本赤軍の最高指導者で、統率力においては、参加者の中に並ぶものが無いほど優れている。インテリで、実戦経験も豊富だ。十年ほど前までは一般社会で生活していたのだから、まるきりの浦島太郎というわけでもない。個性の強い犯罪者たちを纏めていくリーダーとして、十分な器量を持っているとは思う。

 けれど、総合力を考えたら、けして贔屓目でもなく、松永さんの方が一枚も二枚も上手のように思う。その松永さんが重信さんに従えというのだから、一応は言う通りにしているが、どうにも解せない部分はある。なにか狙いがあるのだろうが、僕にはそれはわからない。

「今はまだ、他の参加者と争うべき時期ではありません。さっきの松永さんの話を聞いていたでしょう?私たちがまず考えるべきは、いかに他の勢力を出しぬいて新宿歌舞伎町に経済的基盤を築くかです。こんなところで戦力を損耗したらどうするの」

「す、すみません。軽率でした・・」

 能力では松永さんより下と思えても、重信さんには重信さんで、有無を言わさず人を従わせる威圧感がある。かなりの美人でもあるのが、そのカリスマ性にさらに花を添えている。

「宮崎さん、あなたに、現時点で我々と行動をともにする意志がないのはわかりました。ただ、私はあきらめません。私の携帯電話の番号です。気が変わったら、いつでも連絡ください。待っています」

 宮崎勤は、松永さんが手渡した名刺をポケットに無造作に突っ込むと、会計を済ませ、店を後にしていった。あいつはこれから、僕たちの敵になるのか、味方になるのか?今の時点ではわからない。ただわかっているのは、あの男が、地球外生命体よりもなお理解不能な生物ということだけだ。

「さあ、我々も行きますよ。会議の続きは、Aホテルで行いましょう」

 松永さんの言葉で、重信さん、前上さんが、椅子から腰を上げた。四人そろって会計に行くと、松永さんは、当然割り勘だと思って財布を出そうとする僕らを手で制し、支給品ではなく、自分で買った長財布からお札を取り出す。

 松永さんの仕草は一つ一つが優雅で、一切の隙を感じさせない。犯罪を起こす前は会社を経営してそこそこに成功し、女性にも大層モテていたそうだけど、それも頷ける。なにかにつけ嫉妬深い僕だが、ここまで次元の違う人には、妬む気も起こらない。

 会計を終えて外に出ると、松永さんは先頭を重信さんに譲り、自分は後方に退いた。松永さんの隣、道路側を前上さんが歩き、僕はそのさらに後ろを歩いた。

 このフォーメーションは、誰に命令されるでもなく、僕自身が提案したものだ。後ろから襲撃を受けた際に100%反応できる勘を持つのは僕だけだし、前から襲撃を受けた際にも、僕の脚力ならば、十分重信さんを守ることができる。

 僕には、松永さんのような知力も、重信さんのような統率力も、前上さんのような猟奇性もない。だが、僕には戦闘力がある。戦闘力なら誰にも負けない。この戦闘力で、みんなの役に立ってみせる。

 ただ、この人たちの命を守ることが―――それは自分も含めてだが―――それが正しいことなのかどうかは、僕にはわからないが。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第10話

 有楽町の繁華街。牛丼チェーン店「すき家」で食事を終えた宅間守は、金を払わずに店外へと飛び出していった。無銭飲食である。
 
 無銭飲食を働いたのは、娑婆に出てから、これでもう五回目だ。バトルロイヤルの参加者が娑婆で犯罪行為を行うことが禁止されているのは、クローン復活者対象の研修施設にいた頃、委員会の連中から耳にタコができるほど言い聞かされていたが、自分には関係なかった。

 参加者の体内には特殊なGPS装置が埋め込まれており、その行動は全てが筒抜けになっているはずだが、今のところ委員会の連中が自分を処分しにくる気配はない。直接、個人に危害を加える類の犯罪ではないということで、黙認されているのか。はたまた、自分の犯罪者としてのランクがあまりに高いことから、特別扱いされているのか。

 宅間を追って、男性の店員が、カラーボールを手に店外へ飛び出して来た。たかだかアルバイト店員のくせに、クソ真面目に仕事しおって。いまいましい青二才が。もし自分が、賞金十億を賭けた戦いに参加する身でなかったら、社会の不条理をわからせてやるところだ。

 184㎝、75㎏。無駄肉の一切が削ぎ落とされた肉体は、敏捷性に優れている。宅間は瞬く間に、店員との距離を広げていく。やがて店員の姿は完全に見えなくなった。

「ドアホがっ。ざまあみさらせっ!」

 宅間はタバコを咥え、すれ違いざま、通行人が白い目を向けるのも構わず、煙を撒き散らしながら歩いた。よもや自分が再び娑婆の往来を歩く日が来ようとは。研修施設から出て二週間が過ぎた今になっても信じられなかった。

 しかし、どいつもこいつも、平和ボケしたのほほんとしたツラをしている。いい大学を出ていい会社に勤めていても、中卒で無職のどうしようもない男に喉を切り裂かれて一瞬で人生が終わってしまうこともあるなど、頭の片隅にも思い描いていないというツラだ。

 こいつらは十二年前、自分が事件を起こしたときも、自己責任、自己責任といって自分を嘲笑ってきたのだろう。人に偉そうなことを言える身分であるのかどうか、自分の命で試してもらおうか。人に自己責任論を説くくらい隙のない人間なら、当然、通り魔に殺されないために、常日頃警戒心を持って道を歩いているはずだし、咄嗟の事態にも対応できるよう身体を鍛えているはずだ。

 体内でマグマのごとく湧く破壊衝動。いつも自分を突き動かして来た、呪わしく狂おしい感情。それを鎮めたのは、グランドマスターが約束した、十億円の賞金の話だった。あの胡散臭いおっさんの言う事を、全面的に信用しているわけではない。だが、自分がこの社会で生きていくためには、その話に縋らなくてはいけない事実は、悔しいが認めなくてはならない。

 自分は死んだままでもよかったというのに、まったく余計なことをしおって。またあのときのように、派手な花火を打ち上げて潔く散ってやるのも一興ではあったが、まあ、事の真偽が明らかになってからでも遅くはない。それまでは精々、娑婆の空気を満喫するとしよう。

「なあ姉ちゃん、ちょっとこれから飲みに行かへんか?」

 宅間は、すれ違った会社帰りのOLに声をかけた。長身で精悍な顔立ちをした宅間のナンパ成功率は高く、二十人に声をかければ一人くらいはお持ち帰りできるのが常ではあったが、けしてナンパが好きなわけではなかった。そんなまどろっこしいことをするより、脅して無理やり犯ってしまった方が手っ取り早い。

 宅間を無視し、早足で駅へと歩いていくOL。カッと頭に血が昇った。お高くとまりおって。思い知らせてやろうか、クソアマが。

 OLの後ろ髪を掴んで引き摺り回そうと手を伸ばした、その瞬間。宅間は自分に向けられた殺意に気がつき、周囲に視線を巡らせた。獣の臭いがぷんぷんする。人間をやめた者にしか発することのできない氷のオーラが、自分に近づいている。

 宅間は咄嗟に、近くのビルの隙間に身を隠した。奥へと進み、壁に背を向ける。対複数戦を想定してのことだ。ここをねぐらにしているらしい薄汚れたホームレスが、驚いた目で自分を見ている。ホームレスをいたぶるのは趣味の一つではあるが、今は構っている暇はない。

 しばらくして、中肉中背の男二人組が、自分に向かって歩み寄ってきた。手にはそれぞれ、出刃包丁と鉄パイプを持っている。

「なんやあっ、おどれらはっ!」

「宅間守だな?悪いが、死んでもらう」

 自分の恫喝に、まったく怯むそぶりを見せない。間違いない。こいつらは、バトルロイヤルの参加者だ。ならば、殺るしかない。

 自分は、けして勇敢ではない。勝てない戦はしない主義だ。むしろ小心で臆病者といっていい。だが、自分はそれを恥とは思わない。なぜなら、それこそが、獣として正しい姿だからだ。

「ちょ、ちょう待ってや。ワシ生き返ったばかりやし、まだ死にとうない。有り金全部わたすから、勘忍してえな」

 勝つためには恥も外聞も厭わない、形振り構わない姿。これもまた、獣として正しい道だ。
 
 自分が命乞いをすると、二人の男は露骨に殺意を鎮めた。バカな奴らどもだ。そんな甘ったれが、よく死刑になどなれたものだ。

「ドアホがっ!ひっかかりおって!」

 財布を抜くと見せかけてポケットに入れた手から、ファイティングナイフを取り出した。猫だましを喰らったように怯んでいる男の腹部を突き刺す。くの字に折れて倒れる男。素早く刃を抜き、返す刀で、もう一人の男の喉笛に切っ先を通した。シャワーのように噴き出す鮮血。自分に凭れかかるように倒れる男を突き放した。

「救いようのない奴らや。金なんぞ、風俗と競輪でとっくに使い果たしとるんじゃ」

 宅間は、白の地が血で真っ赤に染まったシャツを脱いだ。ギリシャ彫刻のような肉体が露わになる。陸に打ち上げられた魚のようにピクピクと震えている二人のポケットから財布を抜きだすと、もう彼らには目もくれず、裸のまま町へと歩き出した。ホームレスが、心臓発作でも起こしたように目を見開いて自分を見ている。

「どけやっ!」

 ホームレスの顔面を、サッカーボールのように蹴飛ばした。嫌な音がした。死んでしまったのかもしれない。どうでもよかった。アイツらは、誇りも意志もない、動物や。自分を虐げて来た社会に復讐もできずに、惨めな姿を晒してただ生きているだけの、動物や。そこらを這いまわっているゴキブリを潰すのと、大して変わらん。そんなことでいちいち罪悪感など感じていたら、人間などは殺せない。

 宅間はタバコに火を付け、街中へと出た。
 運動後の一服は、格別の味だった。

 バトルロイヤル参加者、現在98名。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第十一話

「ぶわはははははははははwwwww」

 午前のヨーガを済ませ、昼食を摂るべくリビングに入った麻原彰晃を、関光彦の大笑が迎えた。

「どうした、光彦。なにがそんなにおかしいのだ」

「だ、だってwwwこれwwこんなん見たら誰でも笑うでしょwww」

 関光彦は、五日前にヨドバシカメラで購入したノートパソコンを見て笑っているようだ。なにが映っているのかと後ろから画面を覗くと、インターネットの動画サイトで、懐かしい映像が再生されていた。

「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこー♪あーさーはーらーしょーこー♪」
 
「わははははははははwwww」

 スピーカーから流れているのは「麻原彰晃マーチ」。オウム全盛期に布教のため利用していた、いわゆる「オウムソング」の、最も代表的な曲である。

 聞いたのはおよそ十五年ぶりになるが、自惚れでもなんでもなく、よく出来た曲であると思う。自分の歌唱力はともかく、フレーズが非常に耳に残り易く、覚えやすい。リズムは単純で、子供にも容易に演奏できるのもポイントである。実際、サリン事件の頃などは、全国の小中学生が、リコーダーや鍵盤ハーモニカでこの曲を演奏している光景が目撃されている。自分は、同時期に活躍していたアーティスト、安室奈美恵などよりも、ずっと人気の歌手だったのだ。

「しょしょしょしょしょしょしょしょーこー♪」

 今度は、「魔を祓う尊師の歌」である。先の「尊師マーチ」もそうだが、同じようなメロディと自分の名前を繰り返すことにより、抜群の刷り込み効果を誇る名曲だ。

「ぶふっふはははははwwwwwしょしょしょしょってwww連射しすぎでしょww」

 椅子から転げ落ち、腹を抱えて爆笑する関光彦。音楽を歌唱力でしか評価できない小僧には、この曲の素晴らしさはわかるまい。

「わーたーしーはーやってないー♪けーっぱーくーだー♪」

 お次は、「エンマの数え歌」である。これは、一連の事件で自分に疑いの目を向ける警察やマスコミに対しての弁解のために作られた曲であると勘違いしている者が多いが、実際には事件が公になる以前に作られた曲であり、地獄に墜ちた魂のストーリーを歌った曲である。

「ぶふふっwwぶふっごえっww潔白はねえだろwwこの顔でwwww」

「こ、こら、光彦。いくらなんでも、笑い過ぎだろう」
 
 かつて自分が世に残した作品を目にすることで、全盛期の自分を知らぬ信徒たちが自分のヒストリーを学んでくれればいいとは思ったが、それが自分を軽んじる方向に向かってしまうとしたら問題である。フレンドリーシップは大事だが、ケジメはつけておかなければならない。

「でも、一番の傑作はやっぱこれかな。残酷な尊師のテーゼww」

 麻原は首を捻った。そんな曲は、作っていなかったはずだが。自分が逮捕された後、自分を慕う信徒が作った曲だろうか。

「ざーんーこーくな天使のように♪しょーねーんよ神話になーれー♪」

 声に聞き覚えはない。やはり、自分の逮捕後にオウムに入信した信徒のようだ。しかし、その歌唱力はズバ抜けている。聞くものの心を強く打つ、天女の歌声だ。素人のレベルではない。高学歴のエリートをも魅了したオウムの教義の素晴らしさは、芸能界にまで波及していたのか。ちなみに、歌詞に合わせて流れているアニメーションは、オウム真理教サブカル制作チーム「MAT」が制作した「超越神力」だ。

「ぎゃはははははwwwwこれマジで面白えwww歌詞とアニメがシンクロしすぎだろwwwとくに、窓辺からやがて飛び立つ♪のところで、尊師が空中浮遊しながら窓から飛び出していくところとかwwwwwひいっひいっwww腹筋がねじ切れるwwwつか尊師、自分のこと美化しすぎwwめっちゃお目目パッチリやんwwwああおもしれえww勝っちゃんと菊ちゃんがバイトから帰ってきたら、さっそく観せてあげようww」

 無礼を窘めようとした麻原だったが、寸前で思い留まり、言葉を飲み込んだ。信徒とこうした形で信頼関係を結ぶのも、悪くないのかもしれない。

 信徒に自分を神聖なる存在と認識させ、圧倒的なカリスマをもって統治する方法は、たしかに強固な結びつきを生むが、それを維持するのには凄まじい神経を使う。たとえば以前のマントラ・イニシエーションでの一件のように、信徒の前で生理現象を見せることにすら気を使わなければならない。

 ただでさえ常に命を狙われるストレスに晒されている中で、屁一つこけず、エロ本の一冊すら読めないというのは、精神衛生上、健全とはいえない。それならば、端から人間らしさを表に出し、「現人神」ではなく、あくまで単なる「神の代理人」として信徒に接していた方が、いい結果を生む気がする。

 即断即決。それで行くことに決めた。神の座に君臨するのは、バトルロイヤルに勝ち残りを決めてからでいい――。

「ふふふ。俺の歌を、気に入ってくれたようだな。正と清孝にも、是非観せてやりなさい。そうだ。今度、みんなでカラオケ大会を開くとしようか」

「マジで?よっしゃ!じゃ、そのときに備えて練習しとこーっと。しょしょしょしょしょしょしょしょしょーこー♪」

「こら、光彦。しょ、が一つ多いぞ。しょしょしょしょしょしょしょしょーこー♪だ」

「あ、いっけね。よーし、もっと頑張って、尊師みたいに上手く歌えるようになるぞ!」

 束の間のブレイクタイム――。
 戦いを制するためには、こういう一時も重要だ。
 

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第12話

松永太は、ビジネスホテルの食堂でコーヒーカップを傾けていた。
 バトルロイヤルが開催されてから三週間。今までの成果を振り返りつつ、今後の作戦について思索を練る。

 人材集めの面での成果は、なんといっても、加藤智大、重信房子の両者を手に入れられたことだ。

 まずは加藤智大。あれだけの戦闘力を持ちながら、従順で適応性の高い加藤が戦力になるのは、考えるまでもない。これから他の参加者との抗争が激化するにつれ、加藤の重要性はますます高まってくるだろう。

 そして重信房子。組織運営の面から考えれば、この女を手に入れられたことは、加藤を手に入れた以上の収穫だった。もっともそれは、重信の能力に期待してのことではない。確かに重信の統率力には目を見張るものがあるが、それだけだ。自分には重信のような天性のカリスマはないため、少々骨を折る必要はあるが、自分にもやってやれないことはない。

 ようするに、重信に出来ることのほとんどは、自分にもできる。ならばなぜ自分は、能力で劣る重信を頭に頂いたのか。それは、今後の人事を考えてのことだ。

 現在、我が軍団の構成員は、自分、重信、加藤、前上博、正田昭の5名。今月中には、最終的な勝ち残り人数である8名まで増やす予定でいる。その後も各方面にネットワークを張り巡らし、積極的に勧誘をかけていくつもりだ。

 軍団の人数は多ければ多いほどいい。数は力である。最終的な勝ち残り人数は8名と定められているが、関係ない。増えすぎれば、粛清すればいいだけの話なのだ。使うだけ使って、用済みになったら始末する。自分から敵を探す手間も省けて、一石二鳥である。

 その粛清の際にこそ、重信をリーダーに据えた戦略が生きる。仲間を殺したことで軍団に生まれる不満と疑心暗鬼の空気を、全て重信に向けさせるのだ。もし反乱が起こったとしても、殺意の矛先は自分ではなく重信に向かう。重信が殺されたときには、自分が名実ともにリーダーとして軍団を率いていけばいい。

 重信はいつかは使い捨てにするつもりだったが、自分のマリオネットでいる内は、精々たっぷりと働いてもらう。重信の仕事はリーダーとしての役割以外に、軍団員に戦闘訓練を施すことだ。旧日本赤軍のトップとして様々なテロ活動に参加してきた重信には、豊富な実戦経験と武器の知識がある。

 今、ホテルの部屋では、加藤と正田、若い二人が重信による教授を受けている。特に加藤の吸収力は素晴らしい。もともと運動神経に優れている上、性格も勤勉で、非常に飲み込みが早い。モデルガンによる射撃訓練も行わせているが、この上昇速度なら、後のち銃器の使用が解禁された後も、銃器の扱いに長けた過去の犯罪者たちと互角以上に渡り合えそうだった。

 一方の正田昭は、戦闘力の成長は若い割に今一つだが、慶応卒の学士だけあり、頭は切れる。自分がいるため、全体戦略の功案などで役に立つことはないだろうが、諜報活動などで使い道がありそうだった。正田は熱心なキリスト教徒である。他の宗派に靡くことはない。潜りこませるとしたら、「あの男」の組織か――。

 外交面での成果は、先日、歌舞伎町に勢力を持つ暴力団、佐野組佐野一家三代目山崎会の幹部との接触に成功したことだ。裏社会には、すでに凶悪犯罪者による、東京を舞台にした殺し合いの噂は拡がっているようで、自分の正体を、北九州監禁事件の松永と明かしても、顔色一つ変えることはなかった。幹部は、今後の戦いにおいて我が軍団を全面的に支援し、後のち歌舞伎町でシノギを展開するときには、快く初期費用を全額出資してくれることを約束してくれた。

 金は、人材と同じくらいに重要である。生活費に必要なのはもちろん、人材獲得や、敵対組織の切り崩しにも、金は大きな効力を発揮する。一年という期間は、短いようで長い。予想だにしない場面で、金が必要になることもある。度外れた物欲を持つ凶悪犯罪者には、手に入るかどうかもわからない賞金十億円よりも、手に入ることが確定している百万円を選ぶという人間はいくらでもいるはずだ。

 無論、武器を買うにも金は必要である。刃物や鈍器で戦っている今はともかく、銃器が解禁されれば、金と人脈の力が物を言う結果になるのは火を見るより明らかだ。弘法は筆を選ばずの逆で、素人こそ、いい武器を使用しなければならない。銃の使い手である都井睦雄や永山則夫が中国製の粗悪な改造銃を持っているのと、射撃の素人である加藤智大が欧米の正式軍用銃を持っているのと、どちらが脅威か、という話である。

 その金が、近頃枯渇しかけている。一刻も早く補充しなければ、戦闘どころか生活もできない。本格的にシノギを始めるのはまだ先だから、他の参加者を仲間に引き入れるか、もしくは――殺して金を奪い取るしかない。

 自分の願いに応えるように、携帯が鳴った。こういうときに役に立つ男――前上博からである。

 前上は窒息に性的興奮を覚える異常性癖の持ち主で、自殺サイトを利用して3人の男女をおびき寄せ、絞殺した男である。典型的な快楽殺人者だ。こういう人間は、自分と同じ種類の人間を嗅ぎわける嗅覚が並外れている。人材探索には、うってつけの男だった。

「松永さんか。参加者、発見したよ。今港区にいる。渡辺清だ」

 渡辺清。60年代に起きた、娼婦連続殺人事件の犯人か。年齢は若い。戦闘力もあるだろう。それなりに用心していく必要がありそうである。味方に引き入れることができればいいが、いざというときには――。

「ご苦労様です。今から、そちらに向かいますので、目を離さないようにしていてください」

 前上との通話を切ると、今度は重信の番号にかけた。

「出動です。加藤君と正田さんを連れて来て下さい」

 松永は、カップの底に残ったコーヒーを飲み干し、席を立った。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第13話

 加藤智大は、重信房子、松永太、正田昭とともに、タクシーに乗り込んだ。

「前上さんが、人材を発見したそうです。渡辺清です」

 松永さんが、僕たちに出動の理由を告げる。渡辺清。60年代に起きた、娼婦連続殺傷事件の犯人だ。

「役に立ちそうかしら」

 重信さんが問う。

「そうですね。若いですから、戦闘力はそれなりにあるでしょう。ただ、データを見る限りでは、社会性がかなり低そうですが・・。まあ今は猫の手も借りたい時期ですから、一応、会って話してはみます。不要だと判断したら、殺して金を奪い取りましょう」

 拳に力が入った。殺すとなれば、僕の出番だ。

 先日、ついにバトルロイヤル参加者に死亡者が出たとの知らせが、携帯のメールで届いた。死んだのは、仙台老夫婦強殺事件の堀江守男と、ラブホテル殺人事件の藤島光雄。戦いのうねりの中に、僕はもう確実に巻き込まれているのだ。

 重信さんがチームに加入してから今まで、僕は彼女からマンツーマンでの戦闘訓練を受けている。授業は座学に始まり、白兵戦の実習、銃撃戦の実習、筋力トレーニングと、みっちり五時間続く。もともと体力には自信があった方だけど、ここ最近、身体が一層引き締まってきたような気がする。

「加藤君。エネルギーを補給しておきなさい」

「は、はい」

 僕は重信さんに命ぜられ、シザーバッグからカロリーメイトを2本取り出して食した。これから殺し合いをするかもしれないということで神経は昂ぶっており、正直、食欲はまったくなかったが、さっきまで激しいトレーニングをして疲労した身体では、100%の力は発揮できない。栄養補給と休息、適度なストレス発散は、鍛錬にも増して重要だと、重信さんは言っている。

 「あの人」は、僕を擦り減らすだけで、安らぎを与えてはくれなかった。幼少期は娯楽も規制され、床にぶちまけられた食事を食べさせられたこともある。重信さんは違う。常に僕のことを考え、僕がベストの力を発揮できるようにしてくれる。彼女の気持ちに、応えなくてはならない。

「到着したようね。いきましょう」

 僕たち四人は車から降り、マンションの螺旋階段から、小さな児童公園を眺めていた前上さんと合流した。ベンチに腰掛けてタバコを吸っている風体の悪い男が、渡辺清らしい。

「作戦を確認します。大勢で行っては相手を刺激してしまいますから、まず、松永さんと加藤君が二人で行って交渉にあたる。仲間に引き入れられればそれでよし。交渉が決裂したら、松永さんは相図を送ってください。それに合わせて、私たち三人が一斉に攻めかかります」

 僕たちは頷いた。一斉に攻めかかるといっても、みんながマンションから公園に辿りつくまでは、早くても十秒はかかる。それまでに松永さんを守るのは、僕の役目だ。

 松永さんと僕は、ゴミ箱から週刊誌を漁って読み始めた渡辺清に近づいた。

「お初にお目にかかります、渡辺清さん。私、松永太と申します。こちらは加藤智大くん。バトルロイヤルの参加者です」

「・・ああ?あああ??な、なんだとぅ!」

 参加者、という単語を聞いて激昂してベンチから立ち上がり、ナイフを抜く渡辺清。僕もシザーバッグに手を伸ばすが、松永さんはストップのサインを送る。

「単刀直入に言います、渡辺さん。私たちは、ともに戦う仲間を求めています。一人で行動していては今後の戦いが厳しいことは、あなたにもわかるでしょう?私たちと組みましょう。一緒に、勝ち残りを目指しましょう」

「う、うるせえっ。んなこた知らねえんだよっ!俺が欲しいのは金だけだっ。仲間になってもらいてえなら、百万よこすか、女とヤラせろやっ!」

「渡辺さん。気が動転しているのはわかりますが、どうか落ちついて、私の話を聞いてください」

「黙れやぁっ。ぶっ殺されっぞっ、くらぁっ!」

 渡辺清が吠えたけりながら、松永さんに切りかかっていった。咄嗟に、僕がタックルを喰らわせる。渡辺清は、2Mくらい吹っ飛んでいった。ここで松永さんが合図を出す。本当は、タバコに火をつける動作を合図と決めていたのだが、今回は緊急時ということで、大きく手を振って合図を出した。

 渡辺清は素早く立ち上がると、今度は真っ直ぐ僕を狙って切りかかってきた。滅茶苦茶に振りまわされるナイフをかわしている内に、重信さん、前上さん、正田くんが公園に到着した。

 武器を構えようとする三人を、僕は手で制した。大丈夫。この程度の相手なら、僕一人で始末できる。みんなを危険に晒すまでもない。

「死ねエエエいっ!」

 僕は渡辺清が横に薙いだ腕を掴み、脇固めに入った。

「いでででででっ!」

 渡辺清が取り落としたナイフを、遠くに蹴飛ばす。そこで脇固めを解いた僕は、素早くダガーナイフを構え、渡辺清の頸動脈目掛けて刃先を滑らせた。

「うぎゃああああっ」

 渡辺清は首筋から大量の血を噴き出させながらも、生への本能で、地面に転がるナイフに向かって走っていく。行かせはしない。僕は渡辺清の背後から、腎臓を狙って突き刺した。人体の急所や内臓の位置は、重信さんからみっちり教わっている。

 糸の切れた人形のように崩れ落ち、動かなくなる渡辺清。戦闘不能状態に陥ったようだ。遠からず、命も失うだろう。

「加藤君、見事な戦いでした。初陣でこれだけの動きを見せた人間は、革命戦士の中にもいませんでしたよ」

 僕はなにも答えず、水道の水で手を洗った。血は流れ落ちても、後味の悪さは消えてくれない。

 また、人を殺してしまった――。

 重信さんに褒められても、ちっとも嬉しくなかった。

 バトルロイヤル参加者、現在97名。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第14話

 市橋達也は、路上で片側一方通行の交通誘導をしていた。

 僕は五日前より、交通誘導警備の会社で働き始めていた。
 バトルロイヤル開始からそれまでに遣ったお金は、二万円弱。
 金銭には全然余裕があった。
 なのになぜ、他の参加者に居場所を特定されるリスクを犯してまで、
 働かなければならなかったのか。
 それには、ある事情があった。


 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


 六日前の深夜、夜を明かすために、公園のトイレに入ったときのことだった。
 二十歳くらいの男女四人組が、奇妙な叫び声をあげながら、なにか盛り上がっている。見ると、一匹の子猫を苛めて遊んでいるようだ。

 沖縄のオーハ島で暮らしていたころ、僕は一匹の子猫を飼っていた。三白眼で、あまり可愛いとはいえない猫だったけど、僕によく懐いており、ヘビなどをとっては一緒に食べていた。その猫の記憶が蘇った。だけど、今の僕は、自分が生き残ることで精一杯だ。僕は無言でその場を立ち去った。

 でも、三十分くらいしてから、やはり放ってはおけないという気持ちが強くなった。逃亡生活を続けていた二年七カ月、カラカラに渇いた砂漠のようだった僕の心が潤おされたのは、猫と一緒に暮らしていたあの頃だけだった。人間はいつかは裏切るが、動物はけして人間を裏切らない。動物を、それも逃げる脚力も持たない子供をイジメるヤツは許せない。

「やめろ」

 僕が低い声で言うと、若者たちは剣呑な視線を向けてきた。

「なんだてめえ。殺されてえのか」

 呂律が回っていない。お酒の臭いはしない。どうやら、薬をキメているようだ。

 一般人に手を出すことは、ルールで禁止されている。
 どうするべきか。
 悩んでいると、いきなり目の前に火花が散った。
 景色が揺れる。僕は殴り倒されていた。

「せっかくいいとこだったのに、ふざけやがってよおぉっ!」

「エイスケー、やっちゃえやっちゃえ」

 嵐のような攻撃を、僕は必死に耐えた。
 二十分くらいが経った頃だったろうか。
 ようやく、攻撃が止んだ。

「この金はもらってくからな。つうか、てめえくせえぞ。銭湯代に、1000円は残しておいてやる。じゃあな。行こうぜエリコ。ヒヒヒヒ」

 ズダ袋のようになった僕と子猫を残して、若者たちは消えていった。
 僕は、水道の水で二倍くらいに膨れ上がった顔を洗い、トイレを後にした。

 よせばいいのに、余計なことをして大事な金を失ってしまった。
 満足感など欠片もなく、あるのは後悔だけだった。
 
 なにかの気配が追ってくる。
 後ろを振り返った。
 僕が助けた子猫が、足に縋りついてきた。
 
 お前のせいで、僕は金を失ったんだぞ。
 蹴飛ばしてやろうかと思った。
 できなかった。
 僕は子猫を抱きかかえて、夜の町を歩き始めた。

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 それから僕は、寮完備の警備会社を見つけて面接を受けた。
 警備の仕事は、賃金の安さや、首都圏に同業他社が乱立していることから万年人材不足で、住所不定の僕みたいな人間も快く受け入れてくれた。採用にあたっては、警備業法によって、戸籍謄本の提出など、厳しい身分証明が義務付けられていたが、委員会が用意した偽造の書類の精度は完璧で、僕の身分が疑われることはなかった。

 交通誘導の警備は、傍目から見る分には緩い仕事のようにも思えるが、立ちっぱなしで、脳をほとんど使わず、ひたすら退屈に耐えるだけの一日は、労働量では測れないキツさがある。早期退職者や高齢で仕事を失ったような人がやるならともかく、頭と身体がよく動く若者がやるような仕事ではない。

 それでも、僕は働かなくてはならない。
 生きるために。

 逃亡生活を繰り広げていた二年七カ月、僕は関西の飯場で働いていた。
 仕事はなにをやっても続かなかった僕が、ガサツな男たちに毎日怒鳴られながら、泥だらけになって働いていた。プライドが異常に高すぎる僕は、今まで他人の些細な一言ですぐカッとなって、関わる先々でトラブルを起こしていたが、飯場で働いてからは、他人に何を言われてもまったく気にならなくなっていた。そんなことはどうでもよくなっていた。

 頼るものを全て失ったとき、人間は確実に変わるのだ。今、ニートやひきこもりと言われている人たちも、人を殺して警察に追われろとまでは言わないが、借金漬けになって闇金業者に追いつめられ、親に勘当でもされれば、働けるようになるのではないか。もっとも、それが人間らしい生活かと言われれば話は別だし、実際そうなったときは、自殺や犯罪を選んでしまう人の方が遥かに多いのかもしれないが・・。

「おーい、あんちゃん。仕事あがりや」

 片交で僕とペアを組んでいた年配のガードマンが、勤務終了を告げた。時間は、まだ昼を少しすぎたばかりだ。

 交通誘導警備の仕事は、工事現場が早く終われば、それに合わせて早く帰ることができる。その場合もフルタイム働いた分の日給はしっかり支払われる。唯一の役得といえるのがこれだろう。

 着替えを済ませ、足を揃えて駅へと向かう。

「よう。ラーメンでも食ってかんか?」

「いえ。遠慮しておきます」

 食事の誘い、飲みの誘いは全て断っている。飯場にいたころは、人間関係に気を使って、たまには誘いに応じてはいたが、今は本当にカツカツなのだから仕方がない。

「なんじゃい。金でもためとんのか」

「ええ、まあ・・」

「そうやな。金は重要やけんな・・・市橋達也」

 二人の間の空気が張り詰めていく。
 こいつ、僕の名前を知っている。
 ということは・・・。

「あんたは・・?」

「小池俊一。バトルロイヤルの参加者や」

 小池はニッと笑い、すきっ歯にタバコを指し込んだ。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第15話

宅間守は辟易していた。
 昨日から自分に、金魚のフンみたいにくっついてくる男にである。

「宅間さんマジパねえっす!宅間さんが最強っすよ!」

 金川真大。まっこと鬱陶しい、クソガキである。

「宅間さん。俺、最近まで、宅間さんに反感もってました。俺の方がよっぽどワルなのに、殺した人数が多いってだけで宅間さんの方が神格化されてるって・・。嫉妬してたんです。だけど、実際に会って、考えが変わりました。自分の思い上がりに気付いたんです。俺は全てにおいて宅間さんには及ばない。やっぱり宅間さんは唯一神だ!宅間さん、ずっと付いていきます!」

 メガネの奥のくりくりとした目を輝かせ、熱っぽい口調で語る金川。反対に、自分の心は白けていた。

「あんなぁ、お前・・。同じ言葉を、ワシは昨日から三十ぺんは聞いとるぞ。あんまりひつっこく繰り返されると、逆にアホにしてるように聞こえてくるわ」

「へへっ。すんませんっ」

 舌をペロリと出して、頭をかく金川。若い娘がやれば可愛らしい仕草も、この男がやると、サーカスのエテ公にしか見えない。本当に、どうにかならんものか。こいつのツラを見ていると性欲も失せ、風俗に行く気もなくなる。

 ひと思いに殺してしまいたかったが、この男が自分と同じ無差別大量殺人者だということが、それを躊躇わせていた。

同属意識から親近感を抱いているというわけではない。自分に近い戦闘力を持つ相手と戦えば、勝てたとしても損害は大きい。今はまだリスクを犯す時期ではないことは、先々を考えるのが苦手な自分にもわかる。

この男は自分を慕っている。子分にすれば、それなりの戦力になるだろう。だが、自分は人を従える柄ではない。自分と一年も良好な関係を続けられた人間は、一人としていないのだ。今までは警察に訴えられるくらいで済んでいたが、この男に反感を抱かれたなら、それは命の危険に繋がるということだ。ならば最初からお断りである。

どうしたものか。宅間は一計を案じた。

「おい、あっち見ろや。あそこにお前の好きな、FF10のユウナちゃんのコスプレしとる女がおるぞ!」

 ゲームや漫画に登場する女に情欲を催すというこはまるで理解できない自分だが、出会ってから二日で五十回も六十回も名前を出されていれば、嫌でも覚える。

「えっ。えっ、どこすか?どこすか?」

「ほれ、あっちや。ほれ見てみい!」

 宅間は、金川が「ユウナ」探しに夢中になっている隙に、その場から退散した。ようやく、これで気ままな一人に戻れた。やれやれである。

 金川と一緒にいた時、今、娑婆には、「出会いカフェ」なる施設があると聞いた。マジックミラーで女を物色し、気に行った女がいれば自由に交渉して連れだせるという、援交を合法化したような店だ。料金は、入場料+連れ出し料で、しめて五千円。自分はプレイ料金を払うつもりはないから、ホテル料と合わせれば九千円程度で女とヤレる。女の財布から金をかっぱらえば、逆に所持金を増やすこともできる。こんなおいしい施設を、利用しない手はなかった。

 だが、一つの問題があった。自分には、今、先立つものがない。入場料1500円すら払うことができないのだ。どうにかして、手っ取り早く金を稼がなくてはならない。

 宅間は、路地裏にあった自動販売機に目を付けた。周囲に人がいないことを確認し、渾身の力を込めた回し蹴りを、なんども叩きこむ。取り出し口から、大量の飲み物が溢れ出てきた。

「やっくに立たん自販機やなあ。金を吐き出せや金を。飲みもんばっか出てきたってしゃあないやろが」

 とはいえ、これ以上やっていたら、いくら人通りが少ない路地裏とはいえ、さすがに通報されてしまう。宅間はやむなく一時撤退し、付近にいたホームレスからリヤカーを強奪し、自販機から出てきた飲み物を積んで、大通りに出た。通行人を品定めし、気が弱そうな営業回りのサラリーマンに声をかける。

「よう兄ちゃん。今日は暑いな」

「え?真冬なみの寒波が吹き荒れてますけど・・」

「細かいことはええんや。それより、喉渇いてるやろ。飲み物一杯あるで。買うやろ?」

「いや、いらな」

「買うやろ?なあ、買うやろ?」

 形相を歪め、語気を荒げて言うと、サラリーマンは頷いた。

「ほうかほうか。じゃあほれ、全部で100本あるから、持っていきや。このジュースは一本500円やから、全部で5万円や」

「いや、一本で・・」

「出血大サービスや。買うやろ?なあ、買うやろ?」

 胸倉を掴んで揺さぶる。

「は・・はい・・」

「よしよし」

 宅間は、半べそ顔のサラリーマンから、5万円を受け取った。
 はしゃいでいたら、自分の喉が渇いてきた。
 宅間はコーラの缶を空け、一息に半分ほどを飲み干した。

「あとはやるわ。ほれ、飲め」

 サラリーマンが、宅間が差し出した気の抜けたコーラ、己の涙混じりのコーラを飲む。

「はっはっは。よっぽど喉渇いてたんやのう。んじゃ兄ちゃん、毎度!ほなな!」

 宅間は呵々大笑し、揚々と腕を振って街中を歩く。目指すは、出会いカフェである。

 いきなり、後ろから肩を叩かれた。おまわりが追ってきたのだろうか。それにしては、敵意を感じない。背後を取られたとはいえ、自分がこれほど相手に距離を詰められるなどは、考えられないことである。

 肩に乗せられた手を振り払い、飛びのいた。三メートルほど距離をとり、襲撃者の正体を確認した。

「宅間さん、酷いじゃないですかー、逃げるなんて。ユウナなんてどこにもいなかったし」

 金川真大が、アーチェリーの弓を手に持ちながら立っていた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第16話

「ちょーこー、ちょーこー、ちょこちょこちょーこー、あーちゃーはーらーちょーこー♪」

今日は気晴らしと、サンパワーを得るため、信徒を連れて公園に出かけていた麻原彰晃は、菊池正の指揮に合わせて「麻原彰晃マーチ」を歌う幼稚園児たちを、微笑ましく見つめていた。未来を担う子供たちの育成は、現役世代への布教に増して重要である。今から、その教育ノウハウを信徒たちに学ばせておいて損はない。

「どうだ、清、博、昭。もう、バドラの雰囲気にも慣れたか?」

 麻原は、バトルロイヤル開始からちょうど一か月を迎えたこの日までに、新たに加入した三人の信徒に語りかけた。

「ええ。なかなかの居心地です。仲間も大勢いて、枕を高くして眠れますしね」

 柔和な笑みを浮かべて答えたのは、大久保清。70年代に、8人もの女性を連続して強姦し、死に至らしめた、「第二の小平義男」の異名をとる姦淫犯である。顔立ちは端正であり、たしかにこの男が芸術家を名乗り、白いクーペに颯爽と跨っていたら、頭の軽い女ならホイホイついて行ってしまうかもしれない。が、その本性は、冷酷非情な性獣である。同時期に史上最多の連続殺人を犯した男、勝田清孝との二枚看板で、大いにバドラの戦力となることは間違いない。

「私も気に入っています。みなさん、良い方ばかりですし」

 続いて、正田昭が答える。1953年、「バー・メッカ」で強盗殺人を犯し、三か月の逃亡生活のすえ逮捕された男である。慶応大学卒のインテリで、理知的な雰囲気を醸し出しており、年の割に弁も立つ。オウム時代に自分の右腕だった「ああいえば」のあの男に、少し似ているかもしれない。キリスト教を信奉していたようだが、このほど改宗したようだ。オウム時代にも経験があるが、他宗から改宗した信徒は、今まで偽りの神を信仰していたという罪悪感からか、もともと無神論者だった信徒よりも強い信仰心を持つ場合が多い。この男もそうなってくれれば嬉しい。

 そして最後、自分の問いに答えず、なにやら読経めいた独り言を呟いている男が、造田博。99年、池袋で起きた通り魔事件の犯人である。比較的古い時代の犯罪者が多いバドラの構成では珍しい、自分以後に逮捕された参加者だ。性格はやや取っつき辛く、コミュニケーション能力に不安はあるが、戦闘力は折り紙つきである。勤勉でもあるし、多少の欠点に目を瞑っても使う価値はある。ただ、この男、拘置所において「造田博教」なる宗教を主催していたらしく、いまだにそれを信奉している節があるようなのは看過できないところである。その点さえ改められれば、正田昭同様、強い信仰心を持った戦士となることは請け合いだ。

「よし。子供たちと遊ぶのはそれくらいにして、ミーティングを開始するとしようか。まず、今後いかにして、お前たちのワーク先のレジから金をちょろまかすかについてだが・・」

 話を始めようとしたその瞬間、修羅の形相をした三人の男が、各々ナイフ、刺身包丁、マグライトを構えて、自分に向かってくるのが見えた。

「よーし、次は、ガネーシャ体操行ってみよー!お兄さんの振り付けに合わせて踊るんだぞ」

「みんなでたのちくダ・エ・エヴァ、みんなでたのちくダ・エ・エヴァ、おどってうたってがんばってー♪」

 歌のお兄さんこと関光彦が、一週間、自分のボデイーガードとは名ばかりの自宅警備員生活を送りながら練習を積んだ踊りを、張り切って披露し始めた。バカ者め、今、我々を襲う桎梏の状況に、まったく気が付いていないらしい。

 もっとも早く反応したのは、新参者の大久保清だった。アーミーナイフを構えて、三人の暴漢に臆することなく突撃していく。これは、仲間がすぐに続いてくれることを信じているからできることだ。その期待に応えるように、勝田清孝が、消防員の過酷な訓練で鍛えられた脚力を活かし、一瞬で大久保清に並ぶ。二対三の戦い。だが、二人の戦闘力ならば十分に渡り合える。ここで自分が叫んだ。

「行け、勇敢なるバドラの戦士たちよ!子供たちを悪魔の手から守るのだ!」

 信徒たちに大義名分を与えてやることで奮い立たせ、戦闘力をアップさせると同時に、無垢な子供たちに、バドラを正義の使途と認識させる。一石二鳥の、まさに魔法の呪文だった。

 勝田清孝、大久保清と三人の戦いが始まる。互角の鍔迫り合い。やはり、余った一人を意識してしまうからか、勝田清孝も大久保清も、攻撃に専念できないようである。その均衡を破ったのは、関光彦だった。

「うおぅらっ!」

 飛びながら放った木刀の一撃が、文字通り、男の脳天をかち割った。倒れた男に、二度、三度と追撃を浴びせる関光彦。頭頂から流れ出る真紅の血液が顔全体を覆い、男の顔面は、粉砕されたスイカの様相を呈していた。

 それぞれの相手に専念できるようになったことで、勝田清孝、大久保清の立ち回りに、俄然キレが出てくる。関光彦と、遅れて加わった菊池正の援護も加わり、一人を戦闘不能に至らしめることに成功した。残った一人は形勢不利と見て、退散していく。

「深追いは禁物だ。今は戦果に拘る時期ではない。子供たちを守れただけで、良しとするのだ」

 麻原は、男を追いかけようとする信徒たちを制止した。漢字違いの孫子も言っている。戦は、六分の勝ちをもって良しとすべきだと。

 血まみれになって地面に転がる参加者の顔を確認する。高田和三郎。金銭を目的に友人三人を殺害した男。大濱松三。ピアノの騒音に腹を立て、母娘を殺害した男。バドラに牙を剥かず、入信していれば、手厚く面倒を見てやったというのに。愚かな男たちである。

 動かざること山の如しの武田信玄を気取って、泰然自若を装いベンチに腰掛けている自分の隣では、造田博と正田昭が座っている。頭脳労働担当の正田昭はともかく、戦闘しか取り柄のない造田博が、この状況で動かないのは問題だ。時間をかけ、立派な戦士に仕立て上げなくてはならない。

「そんしのおぢちゃん、ありがとう」
「そんしのおぢちゃん、かっこいい」

 子供たちが円らな瞳を輝かせ、自分に感謝の言葉を述べる。自分たちのことを、特撮の戦隊ヒーローのように思っているらしい。

「子供たちよ、無事でなによりだ。お前たちの笑顔を守るため、俺たちは日夜戦う。悪魔に襲われたときは、俺たちの名を呼びなさい。いつでも、どこへでも、駆けつけるぞ。では、さらばだ。夕ご飯のときには、お父さんお母さんに、今日のことをお話してあげなさい。ただ、俺の名前は出さないようにな」

 麻原は子供たちに別れを告げ、公園を後にした。
シミの目立たない黒のジャージを履いてきて、本当によかった。
麻原の股間は、小便でぐっしょりと濡れていた。

 バトルロイヤル参加者、現在95名。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第十七話

宮崎勤は、秋葉原のフィギュアショップで、アニメキャラクターのフィギュアを物色していた。

 僕が都内の漫画喫茶を渡り歩く生活を初めて、一か月が経った。一人も気楽で悪くないのだが、やはり勇者の旅には、ヒロインが傍にいた方が絵になる。今日はそのヒロインを探しに来たのだ。

 候補はすでに絞っている。ナウシカではない。今日買おうと思っているのは、「エヴァ」の綾波レイである。

 今まで、エヴァにはそれほど興味はなかった。TV版放映当時、僕はすでに獄中におり、エヴァが巻き起こした社会現象の空気の中にはいなかったからだ。一応TV版のDVDは、拘置所のおやつタイムで一通り観たが、直撃世代とはいえない僕に、ピンと来るものはなかった。新劇場版は、「序」は観たような観なかったような、という感じだが、「破」が公開された当時には、僕はすでにこの世の人ではなかった。

 が、娑婆に出て、改めて「エヴァ」新劇場版のDVD二作、そして最新作「Q」を映画館で観て、評価がガラリと変わった。

 TV版のシナリオを忠実になぞった「序」は、べた褒めされるような内容ではないが、批判の起きようもない、誠実で無難な作品である。あまりにTV版に忠実すぎるため、退屈といえば退屈ではあるのだが、間違っても途中で席を立ってはいけない。第6の使徒戦BGM、「Angel of Doom」は珠玉の名曲であり、ポジトロンライフルにコアを打ち抜かれた第6の使徒が、怪鳥の断末魔のような声を上げて砕けるシーンは、シリーズ屈指の名シーンである。

 問題は「破」である。あんなものはエヴァではないと思う。リア充に媚びを売ったのか、庵野くんのオナニーなのかは知らないが、あんなものは作ってはいけない。百歩譲って、熱血シンジくんはまだ許せる。彼はTV版でも、環境にさえ恵まれれば少年らしい無邪気な明るさを覗かせることがあったし、TV版でも、ちょうど該当する話数分は明るい雰囲気の話であったから、その点に関しては忠実に作っているともいえる。だが、綾波レイだけはいけない。綾波は無感情だから綾波なのである。感情の萌芽を描くにしても、せいぜい「私はあなたの人形じゃない」程度でなければいけない。間違っても、「ポカポカする」なんて言わせてはいけないのだ。ああいうのは貞本エヴァに任せておけばいいのだ。と、色々文句はあるのだが、BGMだけはわりといいのが多かった。変な童謡にはかなり興を削がれたが。

 その綾波と、退廃的なエヴァの雰囲気が帰って来たのが、「Q」である。前作から14年後、人類のほとんどが死滅した荒廃した世界の中で、おなじみの登場人物たちが二つに分かれてドンパチを繰り広げているという、誰にも予測できなかった熱い展開。正直、前作ではアスカの出番を削りやがってくらいにしか思えなかった新キャラ、マリの予想以上のフィットぶり。そのアスカの声優、宮村優子の、命を削った圧巻の演技。全国のゲイに衝撃を与えたであろう、カヲルくんの弱った男の落とし方講座。鷲巣詩郎氏作による、数えきれないくらいの名曲の数々。「エヴァVSエヴァVS使徒」の三つ巴による、ド迫力の戦闘シーン。全国のエヴァファンが、散々叩いてきた宇多田ヒカルに手の平を返したエンディングテーマ「桜流し」。難を言えば少々説明不足なのは事実で、視聴者置き去りの感は否めないが、逆に言えばテンポよく物語が進んでいるということでもある。何から何までが素晴らしい、邦画史上に残る名作である。

 などと考えながら、僕は目星をつけた「綾波レイ」のプラグスーツバージョンのフィギュアを棚から下ろした。本当は「Q」の黒スーツが欲しかったのだが、まだ発売されていないみたいだから仕方がない。眼帯アスカの方は公開前から発売されていたというのに・・。

「お兄さん、アニメ好きなんですか?」

 レジへ持っていこうとしたとき、急に後ろから女性に声をかけられ、僕はフィギュアの箱を落としてしまった。床を転がったその箱を、女は踏んづけて破壊してしまった。無残にも潰れる綾波レイ。可哀想なことしやがって。

 僕は、綾波レイを殺した女の顔を睨み付けた。丸々と太った体系に、何だか濃すぎる感じの土偶じみた顔。お世辞にも美人とはいえない。第10の使徒、いやTV版のゼルエル並の堂々たる風格である。だが、その表情にはなぜか、自分自身への揺るぎない自信が現れているように見える。

「あーあ、こんな不良品買っちゃだめですよ。今はこんな中古フィギュアショップじゃなくても、家電量販店とかにいくらでも新品が揃ってるんですよ。知らなかった?宮崎さん」

 不良品なのは、お前が僕を驚かせて壊したからだろ。

 ちょっと待て、突っ込んでる場合じゃないぞ。なんでこの女、僕の名前を知っているんだ?まさか・・?

「あ、すいません、名乗ってなかったですね。あたし、木嶋佳苗って言います。宮崎さんと同じ、バトルロイヤルの参加者です。ま、そんなことはどうでもいいとして、ヨドバシにフィギュア見にいきましょ。あそこ、品揃えいいんですよ」

 木嶋佳苗を名乗る女は、そういうと僕の手を引いて、店の外へと歩き始めた。

「あ、ちょっと待って。これ、セーラームーンだ。わー懐かしい。変身セットとか持ってたなー。宮崎さん知ってます?月に替わっておしおきよ!」

 知っている。葛城ミサトの声優、三石琴乃さんの代表作だろう。
 子供の変身セットにも、10Lサイズの特注品なんてあるんだろうか。
 って、そんなことはどうでもいい。なんなんだコイツは。調子が狂うぞ。

「すいません、つい懐かしくって。さ、さ、行きましょ」

 改めて僕の手を取り、転がるように階段を降りていく木嶋佳苗。マイペースな僕は、人に指図されるのが嫌いだ。今まで色んな奴が、僕を従え、型に嵌めようとしてきたが、そのたびに、僕は逃げ出してきた。そいつらは一人残らず、妄想の中で「肉物体」にしてやった。その僕が、今、一人の、とても好みとはいえない、どちらかといえば醜女の部類に入る女にペースを握られている。

だけど僕は、なぜか、嫌な気はしなかった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第18話

市橋達也は、小池俊一と席を並べて「ラーメン二郎」で食事を摂っていた。
 
 小池俊一。僕と同じ、全国指名手配犯だった男だ。ポスターの標語は、あまりにも有名である。つい最近、アパートから遺体で発見されたそうだが、それまでに11年という、僕を遥かに超える逃亡記録を樹立した人だ。

 彼に出会った瞬間、僕は彼と協力していくことを決めていた。自分と同種の人間なら、敵意がない相手を、無闇に殺したりはしないだろうことはわかっていた。バトルロイヤルを最後まで逃げ切るために、この情報化社会で11年もの逃亡生活を送ったそのノウハウを吸収したかった。

「逃亡のコツ?ま、そりゃ、なんといっても目立たんようにすることや。余計な口は一切叩かず、遊びもほどほどに。可能な限りは家から出んようにする。基本やな」

 それはわかる。僕も飯場で生活していたころは、必要最小限の挨拶と世間話以外は、ほとんど他人と口をきかなかった。元々あまり口数が多い方ではなかったから、この点は性格に恵まれたといえるだろうか。

 それに、無口は現場でも気に入られる。「仕事が出来る人は余計なこともする。だから嫌われる」飯場の現場監督が口癖のように言っていた言葉だ。「はい」「すみませんでした」「教えてください」現場では、この三つの言葉さえ使えればそれでいい。言われたことだけをやり、余計なことはやらない。そういう人が長続きする。ホワイトカラーでも同じことではないだろうか。いわゆる「無能な働き者」よりは、「無能な怠け者」の方が、まだ組織にとっては有用だということだ。

「あと、異性を誑かして家に転がり込むっちゅうのは一つの手やな。なんちゅうても経済的に有利や。意外と気付かれんもんやで。恋は盲目っちゅうが、気付いとっても気づかんふりする場合もあるしな。兄ちゃんなんか男前なんやから、試してみるのもええんやないか?」

 それはできないと思う。女性と暮らすとなれば、性の問題は不可避だ。僕は自分が起こした事件から、セックスに対して恐怖感を抱いている。飯場にいたころ、同僚たちは毎週のように飛田に女性を買いに行っていたが、僕はただの一度も同行したことがなかった。セックスが出来なくても女性を繋ぎ止める話術も、僕にはない。僕はどこまでも自分本位な人付き合いしかできない人間なのだ。それに、飼っている猫のこともある。やはり僕には、どんなに大変でも、危険に身を晒しても、自分の力で生きていく方が性に合っている。

「兄ちゃんには言うまでもないことやが、外見を変えるのも基本中の基本やな。といっても、なんも高い金かけて整形せんでもいい。短髪なら長髪に、長髪なら短髪に髪型を変えて、髭を生やす。たったそれだけで、人間の印象はがらりと変わるもんや」

 整形せんでも、という言葉が胸に突き刺さった。名古屋市で受けた美容整形。あれがきっかけで足が付き、僕は逮捕された。費用をケチって胡散臭い病院でやってもらえば安く上がり、身分も割れなかったのだろうが、細菌感染でもして顔面崩壊してしまったらたまったもんじゃないから、仕方なかったのだとは思うが。整形せずに逃げ切れる自信もなかったし、運命だったのだろう。

「地獄のような痛みを我慢できるなら、硫酸で指紋を消すってのも手の一つやな。あ、でもこれは警察から逃げてるわけやないから、必要ないのか」

 逃亡生活初期の頃、縫い針を使って、自分で鼻と唇を手術したときの痛みが蘇った。本当に必死だったから、それほど辛くはなかった。

「ただ、今回は、警察から逃げるよりも厄介な戦になるかもしれんがな。東京都内には無数のヤクザの事務所がある。裏社会は今は平和共存路線やから、その情報網は、縄張り意識の強い警察よりもむしろ強固やで。参加者の中には、ヤクザを味方につけようって奴が必ず出てくるやろ。そいつが金を使って俺らを探し始めたら一貫の終わりやで」

 同意して頷いた。飯場にいたころ、たくさんのヤクザを見てきたが、彼らは総じて執念深い。元締めのヤクザにも、食い詰めて作業員になった同僚の元ヤクザにも共通していえることだ。そんな彼らに、束になって、血眼になって居場所を探されたら、とてもじゃないが逃げ切れないと思う。警察から逃亡していたあの頃よりも、もっと頭と神経を使わなくてはならないようだ。

「ま、今はまだ焦る時期やない。先々のことは考えてなきゃいかんがな。ところで話は変わるが、お前、俺以外の参加者に会ったか?ちなみに俺は、二人ほど顔をみかけた。向こうは気づいてなかったようやけどな。東京ってのは、意外と狭いもんやで」

 浅草で会ったあの女性のことを話してみようか。小池さんは、今は協力者なのだから、情報交換は大事だ。

「浅草で会ったんですけど・・見た目、30歳から40歳くらいの女性で・・。僕の名前を知っていたから、多分参加者だと思うんですけど、名鑑を見ても顔が載ってなかったんですよね・・」

 小池さんは難しい顔でしばらく考え込んだ後、おもむろに口を開いた。

「俺の勘が正しければやが・・それはきっと、福田和子や。俺らの大先輩。兄ちゃんもよく知っとるやろ」

 福田和子。同僚のホステスを殺害して15年の逃亡生活を送り、時効直前に逮捕された女性だ。そのドラマチックな生涯には心酔する人も多く、テレビドラマ化もされてアイドル的な人気を誇っている。嘘か本当か、石川県で和菓子職人の家に転がりこんでいた時期に、メジャーリーグで活躍した松井秀喜選手と交流があったそうだ。犯罪史に残る逃亡犯が作った和菓子を食べて育った松井選手が、球史に残る国民的ヒーローになったというのは、なんとも数奇な運命である。

 あの女性が、福田和子・・。それなら、あのとき感じた、実のお姉さんを見ているような親近感も頷ける。

「あの女は怪物や。さっき、逃亡の基本は目立たないようにといったが、あの女は接客業に従事し、朗らかな性格で、近所の人気者だったそうやからな。兄ちゃんにも経験があるやろうが、田舎者ちゅうのは、余所者が来るとまずは疑って、いろいろ詮索しようとしてくる。それをかわして、何年も居座り続けたんやから、肝っ玉が太いっちゅうか、大した女やで」

 たしかに、僕にはマネのできない芸当だ。尾籠な話だが、おそらく、よほどの「床上手」でもあったのだろう。他人の警戒心を解くだけの魅力が、彼女にはたしかにあったのだ。どこへ行っても人と上手くやれなくて、友達もできず女の子とも長く続かず、トラブルばかり起こしていた僕とは大違いだ。

「ま・・心配ごとは尽きんが、神経すり減らしとっても持たんからな。食うもん食って、しっかり体力つけて、ストレスを発散するのも重要や。ほれ、奢ってやるから、食え食え」

 それもそうだ。僕は丼に箸をつけ、並盛といいながら、普通の店の大盛を遥かに超える量があるラーメンをすすった。

「おらアっ!注文間違えてんじゃねえよ!お前何度目だあっ!」

 カウンターの中では、頭の悪そうな顔をした髭面の男が、若いアルバイト店員に怒声を飛ばし、膝蹴りを食らわせている。僕はげんなりした。ああいうのが、カッコいいとでも思ってるんだろうか。やるんなら裏でやれよ。食べているこっちは、食事が不味くなるだけだというのに。

 が、所詮は他人事。黙々と食べるのに専念している小池さんを見習うことにした。このチャーシューは、猫への土産に持ち帰ってやろう。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第19話

「ちょ・・おま・・なんやそれは。それを、どうする気ィや」

 宅間守は、金川真大が持つアーチェリーの弓を指さしながら問うた。

「ああ、これすか。いや、近くの高校の前通りがかったら、アーチェリーの練習場が見えたんでね。ちょっと部室に忍び込んで、かっぱらってきちゃいました」

 自分が起こした事件以来、全国の学校機関のセキュリティシステムと危機意識は飛躍的に向上したと聞いたが、よく侵入できたものだ。坊ちゃん坊ちゃんした童顔の持ち主だから、内部の人間に怪しまれなかったのだろうか。

「俺が高校時代、弓道部で全国大会に出場したのは知ってますよね?アーチェリーの弓とは、多少勝手は違いますが、基本は同じです。この弓を使って、宅間さんの役に立ってみせますよ」

 どうしたものか。この場で殺すべきか、観念して子分にしてやるか、ということである。 同じ飛び道具でも、銃の方がまだ勝機はあったかもしれない。空自出身の自分は、相手が構える銃の向きから、ある程度弾道を予測することができる。拳銃というのは、使いこなすのには相当な技術を要する武器である。素人の有効射程距離は、欧州の正式軍用銃ベレッタを用いて、せいぜい2メートル。それ以上離れれば、まず当たらない。女や老人が迂闊に使えば、一発で肩が外れてしまう。「引き金をちょっと引くだけで屈強な男も一撃」なんて簡単な武器ではないのだ。

 しかし、金川が持っているのは弓である。弓を持った相手と喧嘩をした経験はさすがにないから、想像するしかない。まあ、おそらく第一射を躱してしまえば、自分の勝利は確実となるだろう。奴との距離は3メートル。あっという間に間合いに入り、コンバットナイフが喉を切り裂く。しかし、躱せるか?という問題である。

 沈思黙考。10秒ほど脳みそを振り絞って、結論を出した。

「勝手にせえ。そん代わり、出会いカフェとホテルの代金は貴様持ちやからな」

 とりあえず子分にしてやる。せいぜい、自分のために働いてもらう。隙を見て殺す。それでいくことに決めた。

「はい、もちろんっす!じゃ、俺いい店知ってるんで、案内しますよ!」

 宅間は金川を従え、繁華街へと向かって歩き始めた。金川のくそ鬱陶しい話に、浪速仕込みのツッコミを入れながら、陸橋を渡っていた際のことだった。

「あ、宅間さん、あれ見てください!あそこ歩いている奴!ほら!ほら!あいつ!橋田忠昭!バトルロイヤルの参加者ですよ!」

 宅間は言われた方向に目を凝らした。といっても、目を凝らしても意味はないのだが。自分はバトルロイヤルが開始されてから、名鑑には一度も目を通していないから、誰と言われても顔と名前が一致しないのである。開始10日目で自分が殺した二人の名前くらいは、委員会から届いたメールを見て、かろうじて知っていたが。

「くらえっ!」

 宅間は凍り付いた。金川が、いきなり人ごみ陸橋下の歩道めがけて矢を放ったからだ。

 信じられなかった。もし見間違いだったら、どうするつもりなのか?無関係の人間を殺した罪悪感は感じなくてもいいが、委員会に知れて処分されたらどうするのか?この男の辞書には、躊躇という言葉がないのか?無鉄砲さにかけては右に出る者がいないと自負していた自分が初めて出会った、自分以上の考えなし。なにか恐怖すら覚えてきた。

 金川の放った矢を受けた男が蹲った。それを見て、金川が陸橋を駆け下り始める。ここで逃げるという選択肢もあったが、なぜか自分は、後を追いかけていた。金川の実力を正確に把握したいという気持ちがあった。

「あっ。この野郎、まだ息がありますよ」

 金川の矢を受けた男・・橋田は、矢の突き立った肩を抑えて呻き声を上げている。息があるどころか、まだ戦闘力もありそうである。

「上等や。ぶっ殺して金を奪いとったろうやないか」

 強敵相手には小動物さながらの警戒心を見せるが、確実に勝てると見た相手には滅法強気となる自分の本領発揮。宅間はコンバットナイフを抜き、切っ先を橋田の眼前に突き付けた。

「ま・・待ってくれや・・。俺に敵意はない・・。有り金は全部あんたらに差し出すから、命だけは助けてくれんか・・」

 怯えた目で哀願する橋田。演技とは思えなかった。

「宅間さん、信じちゃだめっすよ。こいつは、シャブでトチ狂って、自分の女房を殺したばかりか、息子にさえ怪我を負わせた外道です!生かしておくべき人間ではないんすよ!」

 金川が、自分こそ、当初は妹を殺そうとしていたことを棚に上げて、橋田を非難した。外道かどうかは、殺すか否かの選択には関係ないが、コントロールが難しい相手であれば、味方にするわけにはいかない。

「あんた・・宅間さんやろ?俺、あんたの話を獄中で聞いて、憧れとったんや・・。あんたが社会に対して放った言葉、あれは全部俺が言いたいことやった・・。俺が言いたいこと、全部あんたが言ってくれたんや・・。反社会的な人間にとって、あんたはヒーローなんや・・・。なあ頼む、俺もあんたの仲間に入れてくれんか?ヒーローと一緒に、戦いたいんや・・」

「なに?お前も、宅間さんに憧れてんのか?」

「そうや・・だから頼む・・」

「うーむ・・。よし!気に入った!有り金を全部差し出すことを条件に、同行を許す!」

 自分を差し置いて、勝手に話を進める金川と橋田。どいつもこいつも・・。自分は人を統べる柄ではないというのに・・。

 橋田の言っていることは、自分が助かりたいための、口から出まかせなのかもしれない。また、仮に本気だったとして、自分はそんなことでは心は揺り動かされない。子分など、邪魔なだけだ。一人の方が気楽でいい。だが、現実には、もうすでに自分は一人、子分を抱えている。そいつは手強く、切ることは当分できなそうである。ならば、一人いても二人いても変わらないという気もしてきた。

 面倒くさい。まったく、面倒くさい。

「ったく、ホンマにどいつもコイツも・・。勝手にせいや!そんかわし、今度、ねるとんパーティに参加するときには、費用をもてよ!」

 宅間は歩き始めた。背後を、二つの足音が追ってきた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第20話

グランドマスターは秘書とともに、委員会の報告書に目を通していた。

「バトルロイヤルが開始されてから、40日目か。死亡者は、現在7名。どう思う、アヤメくん」

「はい。ペースとしては、順調に来ていると思います」

「ふむ。そろそろ参加者の懐も寂しくなってくるころだろうからな。一層のペースアップが見込めるだろう」

グランドマスターは、報告書の死亡者一覧に目を通した。

 堀江守男、藤島光雄。殺害者は宅間守。渡辺清。殺害者は、加藤智大。高田和三郎、大濱松三。殺害者は、バドラ麻原の一派。そしてこの一週間で新たに殺害されたのが、スナックママ連続殺人の金田正勝。殺害者は、永山則夫。千葉女医殺害事件の藤田正。殺害者は、間中博巳。

 単純計算でも、残り11か月で16名まで絞られる計算である。予想以上のハイペース。参加者たちの胸に去来するのは、いかなる感情か。

 続いてグランドマスターは、生き残りの参加者の行動をまとめた報告書に目を通す。

「そろそろ、各勢力も組織が固まってきたようだな。アヤメくんは、どの勢力を強豪と見る?」

「はい。今のところは、麻原彰晃率いるバドラと、重信房子をリーダーに、松永太を参謀に据えたチームが、人数、戦闘力ともに抜けています。今後はこの二強を軸とした戦いが展開されていくでしょう」

 思った通り、麻原彰晃は出てきた。ここまでの動きを見ても、あの男の求心力とリーダシップは、統率タイプの参加者の中でも別格であった。麻原の元に集まった人材も、戦闘タイプ、頭脳タイプ、猟奇タイプとバランスが取れ、それそれいい働きを見せている。チームの雰囲気もいい。安定した資金源さえ得れば、一強体制を築いていくかもしれない。

 そのバドラと並び立つ、重信房子軍。といっても、この軍団を実質的に率いているのは、希代の知能犯、松永太である。バトルロイヤルの趣旨を、その鋭敏な頭脳でいち早く理解した松永は、すぐさま参加者屈指の戦闘力を誇る加藤智大、神輿役の重信房子と、計画の主軸となる人材を獲得した。各勢力や暴力団とも提携し、歌舞伎町でビジネスを展開しようともしている。あの男の頭の中には、すでに最終章までのシナリオが書きあがっているのかもしれない。

「二強を追う第二グループが、永田洋子軍、角田美代子軍、八木茂軍です。いずれも人数は4~5名。リーダーの元で、着々と力を蓄えています」

 麻原や松永の対抗馬と目していた三人も、順調に出てきた。統率力に優れた永田洋子、人心掌握術に優れた角田美代子、商才に優れた八木茂。それぞれの元で、それぞれの色を発揮した組織が、形作られてきている。二強を食うか、併呑されるか。今後の戦いが見ものである。

「続いて、宅間守軍。人員が戦闘タイプに偏っていますが、その戦闘力では、三人だけで上位5チームを全て屠り去る力を持っています」

 宅間守。あの男には、正直、頭を痛めている。管理の難しい男なのはわかっていたが、あそこまでの狂犬とは思わなかった。他の参加者ならとっくに処分しているであろう犯罪を、すでに両手で数えきれないほど起こしている。その宅間と組んだのが、よりによって金川真大である。暴力と計略でお互いの短所を補い合うのではなく、暴力と暴力でさらに暴力を伸ばしてしまったのだ。そっちに行くか!と呆れずにはいられなかった。

「あとは、人数二~三名程度の小規模勢力が5、6チーム。それと、これを組織といっていいのかはわかりませんが、市橋達也と小池俊一の二人が、他の参加者と一切矛を交えず、最後まで逃げきる独自路線を、協力して進み始めています。また、宮崎勤が、木嶋香苗のマンションでヒモ生活を始めたようです」

 グランドマスターは満足げにうなずいた。組織を組んで戦おうとする者、一人で戦おうとする者、大きな組織、小さな組織。それぞれが、それぞれの持ち味を発揮して、凌ぎを削る。それこそが、戦争の醍醐味である。

「今後は、集団対集団の戦いも増えてくるだろう。どういった方法で資金を稼いでいくかも見ものだな。楽しみになってきた」

 グランドマスターは、報告書を読み終えると、続いて、新聞各紙に目を通した。全国紙にも地方紙にも、バトルロイヤルを扱った記事はない。報道管制がしっかりと効いている。テレビのニュースも同じことだ。インターネットにおいても、委員会のサイバー科が数百名体制で目を光らせている。ニュースサイトはもとより、個人のサイトや匿名掲示板で、バトルロイヤル参加者が都内で起こした事件の話題が出たら、その瞬間に消去される仕組みになっているのだ。

自分の計画は、誰にも邪魔させない。

「マスター、例の申し出にはどう返答します?」

 三日前に委員会にコンタクトをとってきた、あの男のことか。あの申し出には、さすがの自分も面食らった。だが、同時に心も躍った。想定外の事態。しかし、考えようによっては、面白くなるのかもしれない。

「まあ、無視というわけにはいかんからな。近いうちには結論を出す。一応、前向きに検討しておく、とは伝えておいてくれ。しびれを切らして勝手に動かれても困るからな」

「はい。では、事務処理の方があるので、失礼いたします」

「うむ」

 秘書が部屋を辞していった。一人になったグランドマスターは、窓際に立ち、今日も参加者たちが血みどろの戦いを繰り広げているであろう東京の街を一望した。

 東京。死臭漂う町―――――。
 
 年間何千、何万もの命が、この町で失われている。人に悼まれる死、見向きもされない死、満足な死、理不尽な死。栄華を極めた者であろうと、敗れて滅びた者であろうと、死ぬときは一緒である。どの死も取るに足らない。死ぬとき振り返る生涯がどれだけ煌めいていようが、無くなったら同じである。全ての人間が平等に死ぬ。

 バトルロイヤル参加者の死も、繰り返される消失のドラマの、ほんのワンシーンにしかすぎない。けして特別ではない。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第21話

極彩色のネオンの下――。
 加藤智大は、忙しく立ち働いていた。

 四日前、僕たちのチームは、歌舞伎町にキャバクラ「スカーフキッス」をオープンした。暴力団、山崎組の後押しで、全国のキャバクラから実力派キャストを集めたことにより、店は連日の大盛況を極めている。しかし、そのキャストに多額の準備金を支払わねばならなかった関係で、人件費節約のため、僕がこうしてボーイとして働かなければならなくなったわけだ。

「三番テーブル、おしぼりお願いしまーす!」

「六番テーブル、ロゼ入りましたー!」

 ケバいビッチどもに顎で使われる毎日。まだ戦闘が激化していない今の時期だけの辛抱とはいえ、どうにも気が滅入る。だが、松永さんは、バトルロイヤルの戦略を考えながら、寝る間も惜しんで、店の経営にも全力投球しているのだ。あの人に比べたら、僕の苦労など大したことはない。僕は訓練もあるから、同じくボーイとして働いている松村恭造くんや、尾形英紀さんの半分の時間で早退できる。僕だけが弱音を吐くのは、許されない。

「おい、兄ちゃん。リノはまだこねえのかよ!テーブルについてから、もう45分も経つぞ!高い指名料払ったのに、これじゃぼったくりじゃねえか!」

 30歳くらいの、土木作業員風の男が、僕を怒鳴りつけてきた。そんなこといったって、リノは売上トップ3に名を連ねる人気キャストだ。会社経営者やタレントなど、多額の金を落としてくれる太客につけておかなければならない。あんたみたいなしみったれた客は、ヘルプで我慢しろよ・・・と言えたら、どんなにいいことか。

「すみません、お客様。もう少し、お待ちいただいてよろしいでしょうか」

 僕は丁重に頭を下げ、客の勘気を和らげようと試みた。
 慣れない接客業。だが、向いていないわけではない。
 誤解されているが、僕は人とのコミュニケーションが苦手なわけじゃない。
 嫌いなだけだ。
 気配りも、同年代の若者並にはできる。
 思いやりがないわけでもない。
 他人のことを考えられるほど、心に余裕がないだけだ。

「うるせえ!こんなブス女をつけやがって、いい加減にしやがれ!暴れっぞ、こらあ!」

 暴れる、と、口で言う奴に限って、本当に暴れる奴はいない。僕は心の中でせせら笑ったが、それはすぐに、自嘲の笑いに変わった。人を殺す、とネットで宣言して、本当に大量殺人を起こした奴もいたことを忘れていた。

「・・・うるさい」

 男にヘルプでついていたシロナが、ボソリと呟いた。シロナは松永さんが全国のキャバクラから選りすぐったキャストではなく、求人広告を見て応募してきた、未経験の女の子だ。男は、ブス、などといったが、ルックスはけして悪くない。むしろ相当に可愛い部類に入ると思う。ただ致命的に愛想が悪い。客に対する言葉使いさえまともなら、影がある、というキャラで売ることもできるが、シロナの場合はキャバクラ嬢ではなく、人間として問題というレベルなのだ。オープンしたてで頭数が足りないから仕方なく雇っているが、クビになるのは時間の問題である。

「こっのっ・・ブス女があっ!」

 男が水割りのグラスの中身を、シロナの顔面にぶちまけた。ずぶ濡れになったシロナが、夜叉のような眼で男を睨んでいる。手には、水割りの瓶を握っている。まずい。

「松村君、お客様を頼む!」

 僕は、騒ぎを聞いて駆けつけてきた松村君にトラブルの処理を引き継ぎ、シロナの腕を引っ張って、控室に連行した。

「なにをやってるんだ、Nちゃん!」

 僕はテーブルを叩き、シロナを、履歴書に書いてあった本名で呼んだ。Nは俯いたまま、反応を見せない。

「お客様にあんなことして・・タダで済むとは、思ってないよね?」

 Nは無言の構えを崩さない。

「・・あのさあ。Nちゃん、どうしてキャバ嬢になったの?どう考えても向いてるとは思えないんだけど・・。昼の仕事に移ったらどうかな?」

 偽らざる本心である。あの光景を見たら、十人中十人がそう思うだろう。

「・・・・・お金が」

「え?」

「・・・・お金が、必要なんです。お金を稼いで、あいつらを見返さなきゃ・・」

 その怨念に満ちた眼光を見て、僕は雷に打たれたような衝撃を受けた。目の前に、僕がいる。この世でもっとも遠い存在だと思っていた若い女の子に、僕と同じ波長を持った子がいる。なんとかしてあげたい。力になってあげたい。そう思った。

 同じ夜の仕事なら、風俗の方がまだ向いているようにも思える。キャバクラと違って風俗なら、特別な能力がなくても、若くて可愛いという物理的な要素を満たしているだけで需要がある。大金を稼げて、みんなにチヤホヤされる。

 風俗がキャバクラの下位というわけではない。お高くとまったキャバクラ嬢よりも、素朴で普通の女の子らしい風俗嬢の方が好きだという男性は多い。キャバ嬢をやっていれば、金持ちの男を捕まえられることもあるが、いいように遊ばれて捨てられる子も多い。反対に、風俗嬢をやっていて、優しい男性に見初められて幸せな奥さんになったという子は結構いる。

 だが僕は、Nに風俗嬢になれと薦めようとは思わなかった。

 この子のプライドは、その道では満たされないのだ。己に向いていようがいまいが、キャバクラ嬢になるしかないのだ。この子が、いったい何に突き動かされているのかはわからない。ただわかっているのは、この子には、キャバクラ嬢になる道しかないということ。才能があるとか無いとか、そんなことで諦めているわけにはいかないのだ。それしか生きる道がないのだから。

「わかったよ。今日のことは、社長には内密にしておく。その代わり、見逃すのは今回だけだ。次に同じような事件を起こしたら、もう面倒は見きれない。その代わり、君が真面目に働いて、一生懸命に勉強して、№1キャストを目指すというのなら、僕が全力で守ってやる。やれるね?」

「・・・・やります」
 
 Nが、力強く頷いた。その双眸には、揺るぎない決意が宿っている。

「よし。なら、まずは君が迷惑をかけたキャストとボーイのみんなと、お客様に謝ってくるんだ。真剣にな」

「はい」

 Nが立ち上がり、ホールに歩いていった。僕が付いてやる必要はない。安心して見送れた。

 急に、凄まじい気恥ずかしさに襲われた。Nにあんな偉そうなことを言っておいて、僕の方はなんなんだ?プライドを満たすために、なにかに挑戦することもせず、事件を起こしたではないか!他人に説教する資格なんて、僕には無いじゃないか!まったく・・僕は、何を言っているんだ。

 挑戦しようにも、道が見つからなかった。社会がチャンスを与えてくれなかった。それは事実だ。自分だけが悪いわけではないとは思う。けれど・・・。

 僕は厨房に行き、冷蔵庫からビールを取り出して飲んだ。酒でも飲まなきゃ、やってられなかった。松村くんに見つかってしまったが、何かを察したのか、彼は気づかないふりをして出ていった。

 僕には、Nが羨ましかった。
 僕にはもう、自分のプライドを満たすために、なにかに挑戦することは、永遠に叶わないのだから・・。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第二十二話

 戦闘訓練のため早退した加藤智大と入れ違いに「スカーフキッス」に入ってきた松永太は、モニターでフロアーの様子を確認していた。

 今夜もアツコ、リノ、ミナミのテーブルは大盛況である。三強の地位は、当分は盤石となりそうだ。その他のキャストも、開店以来変わらぬ勢いを保っている。やはり全国から選りすぐった精鋭たちだけあり、層は厚い。

 意外だったのは、未経験組のシロナである。この四日間、そこらのネクラな図書委員でも連れてきた方がまだマシとも思える最低の接客を見せており、今日にでも引導を渡そうと思っていたのが、見違えるような動きを見せている。三強のような華やかさはないが、しっとりと染み込んでくるような、魔性の魅力を放っている。いったい何があったのかは知らないが、このまま成長を続ければ、三強を脅かす台風の目となるかもしれない。

 携帯電話が鳴った。この一か月間で、メモリーの件数は早くも40件を超えている。

「松永さん?ちょっとお話、よろしいかしら?」

 声の主は、元連合赤軍トップ、永田洋子である。永田とは一週間前に同盟を締結しており、歌舞伎町でビジネスを展開するうえで軍事的な支援をすることを約束させた。こちらからの見返りは、毎週150万円の資金援助である。

「どうしました?」

「今度、うちの軍団が、小林正の軍団に攻撃をかけようと思っているの。そこで、ちょっとあなたの軍団から援軍を寄越してほしいんだけど・・。もちろんタダでとは言わないわ。来月の資金援助は二週間ごとにするって条件で、お願いしたいのだけど・・」

「随分思い切った決断をされましたね。勝算はあるのですか?」

「戦力比は7:3でウチが勝っているわ。奴らが降伏してくればそれでよし。従わないようならば、叩き潰して資金を奪いとるまでよ」

 松永は笑った。好戦的な性格で、頼もしい女だ。

「わかりました。尾形さんを送ります。ちなみに資金の方は、今まで通り毎週送金させていただきます。遠慮なく受け取ってください」

「ほんと?ありがとう、助かるわ。それじゃ、作戦が決まり次第、また連絡するわね」

 永田の弾んだ声音を聞いて、終了ボタンを押した。あの女には、大いなる利用価値がある。今の時期の勢力拡大に役立つのもさることながら、重信房子との対立状態に陥ったときのことである。

 永田が京浜安保闘争でトップを張っていた時代、重信は日本赤軍の幹部として活動していた。後に両団体が併合されて連合赤軍となったときには、重信は日本赤軍のトップ森忠夫と対立してパレスチナに渡っていたため、二人が同じ釜の飯を食うことはなかったのだが、確実に交流はあったものと思われる。

 二人の間にどういった交流があったのかはわからない。が、永田は重信を快くは思っていないようである。理由はイデオロギーの違いか、あるいは、女の嫉妬か――。ともかく、いずれ重信を始末するときに、永田の力が必要になるのは間違いない。来たるべきその日のため、ここで恩を売っておいて損はない。

 永田との電話を切った松永は、再びモニターに目を移した。今度は、ボーイの二人の動きを追った。松村恭造、尾形英紀。いずれも、バトルロイヤル参加者である。

 松村は犯行当時25歳、金銭目的で親族を殺害した男である。法廷では反省の態度をまったく見せず、被害者に対し「ざまあみろ」と言い放った。年齢が比較的近いこともあり、加藤智大とは気が合うようである。加藤とのコンビで、戦闘面での活躍が期待される。

 続いて、尾形英紀。犯行当時26歳。知り合いを殺害した際、目撃した一般人女性三名をも、現金を奪って殺害した男。短絡的で制御の利かない性格。他の参加者で近いタイプを探すなら、バドラ麻原軍に所属する関光彦か。行き当たりばったりの、どうしようもない男ではあるが、なんとかと鋏は使いようという言葉がある。戦闘力はそこそこあることだし、糞の役にも立たないことはない。

 バドラに潜り込ませた正田昭からも、連絡が入っていた。伝え聞くのは、公園での戦闘の際に見せた連携。そして、ゆるい運動部のような、アットホームな雰囲気。

 恐怖でも尊敬でもない、親しみを持って人を従わせる統治法。自分にも重信にもできない芸当だ。どうやら最大のライバルになりそうな男が、はっきりしたようだった。

「松永さん、大変です!」

 尾形英紀が、社長室に、ノックもせず、血相を変えて飛び込んできた。

「どうしました?」

「あの・・あの・・すぐにホールに来てください!」

 尋常ではない尾形の様子に、一応警戒しながら、松永はホールに出た。受付に、とんでもない男が立っていた。

「よう、開店祝いに来てやったぞ。大盛況じゃないか」

 八木茂――。バトルロイヤル参加者にして、池袋で自分と同じキャバクラ、「IKB48」を経営する実業家。自分は歌舞伎町に「スカーフキッス」をオープンするにあたり、八木にも一応、援助を申し入れていたが、すげなく断られていた。その八木が、何の用でこの店に現れたのか?それも、大将自らが、直々に・・。この男はよほどの大物なのか、それとも馬鹿なのか。

「・・・偵察ですか?それとも、戦争ですか?」

「人聞きの悪いこと言うな。遊びに来てやったんじゃないか。ほれ、さっさと席に案内せい!」

 松永は思案した。この場で殺すべきか?だが、八木の隣に影のように寄り添う男の存在が、指示を躊躇わせていた。

 都井睦雄。津山三十人殺し、短時間での殺人数の日本記録の持ち主。犯行当時24歳。顔にはあどけなさが残っているが、肺病も完治しているであろう今の彼の戦闘力は折り紙つきである。尾形や松村の手に負える相手ではない。加藤がいたとしても、まだこの時期には戦いたくない相手である。

「ど・・・どうするんですか?松永さん」

 尾形が目をきょろきょろさせて尋ねてくる。蛇に睨まれた蛙のようである。

「・・席に案内して差し上げなさい」

 決断を下した。今はまだ、矛を交える時期ではない。

 八木は閉店までたっぷり三時間、豪遊していった。ご祝儀にと、高い酒を次々と注文して。

「いやあ、遊んだ遊んだ。いい娘を揃えたじゃないか、松永さん」

 お世辞とは思わなかった。八木の店は店名の通り48人のキャストを揃えているが、完全にに数で勝負に出ているため、外見や接客術がかなりまずくても雇ってしまっている。その代り時給はファミレスバイト並みだから、収支は合うのだが。

「ただ・・一人、ジョーカーが混じっているようではあるがな。シロナといったか。あの娘は、ちょっと調べてみた方がいいぞ」

 シロナ。急成長株の未経験組。そういえば、血なまぐさい人間を嗅ぎ分ける嗅覚に優れる前上博も、似たようなことを言っていた。八木は前上のような快楽殺人者ではないが、元スナックの経営者であり、女の鑑定眼に優れている。その八木が警戒するシロナ。脛に傷持つ身ということか・・?

「本日はどうもありがとうございました。タクシーをご用意いたしましょうか?」

「それには及ばんよ。それより、今度ウチの店にも遊びに来てくれ。たっぷりサービスさせてもらうよ」

「謹んでご遠慮します。あなたも、今後ウチの店の敷居をまたぐのは遠慮していただきたいですね」

「はっはは。ならせいぜい、塩でも撒いておくんだな。それじゃ、失礼するよ。また、いつかな」

 八木茂は都井睦雄を引き連れ、店を出ていった。
 また、いつか―――。

 松永には、その言葉が現実になる気がしてならなかった。
 自分と同じ種類の男。煮ても焼いても食えない人間。
 
 死闘の予感。松永は、麻原以上の強敵になるかもしれない男の、恰幅のいい後姿を、殺意の宿った冷眼で見据えた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第23話

 宮崎勤が、青山にある木嶋佳苗のマンションでヒモ生活を始めてから、一週間が経った。

 木嶋佳苗から同棲を持ちかけられたときは戸惑ったが、今はこの天国のような環境以外で生きていくのは考えられなくなっていた。あの女は料理もうまく、几帳面な生活で家事全般できる。ヒモ生活というと、従来女の役割とされてきたことを男が負う、男女逆転の関係であるというイメージだったが、僕の場合は何もしなくてよかった。ただ一日中、食って寝て、ゴロゴロしているだけでいいのである。「夜のお勤め」を強いられることもない。さすがの僕も、アレに「やさしいこと」をするのは無理だ。これではヒモというより、ニートである。

 木嶋佳苗は仕事はしていないようだが、昼間は家を空けている。その間は、鬱陶しい会話に付き合わされることもなく、マンガ読みに没頭することができる。最近ハマっているのは、木嶋佳苗が揃えていた「スラムダンク」だ。インドア派に思われている僕だが、少年期には、通信教育で空手を習っていたこともある。スポーツに対しても造詣があるのだ。

 同作はジャンプ黄金期の看板作品の一つで、一般的には不朽の名作と称えられている。だが、僕的には、ちょっと首を捻らざるをえない場面が多かった。いや、シナリオは満点なのである。テンポが速く、読者に息をつく暇も与えない。練習描写が少ない気がするが、余計な日常描写に時間を裂き過ぎるよりはマシである。心理描写も巧みである。これを描いた当時、作者は二十代前半の若者であったのが、まったく信じられない。さすがに天才と評されるだけのことはある。

 ただ、若さゆえの限界なのか、ハードな週刊連載特有のアラなのか、やはりツッコミどころは多い。一つ一つあげつらっていく。

 まず、キャラのことである。ちょっと人格的に問題がある人間が多過ぎるように思うのだ。それも、とくに主人公の湘北高校に集中している。

 まずは、キャプテンの赤木。頑固一徹、初志貫徹、漢の鑑みたいに描かれているが、あんなの、ただの自己中ではないか。自分に厳しいのはいい。だが、自分の勝手な考えを人にまで押し付けるのはいかがなものか。彼は競技を間違えているのではないか。格闘技とかそっちに行った方がいいだろう。百歩譲って、一選手ならまだいい。だが、あれを指導者にしてはいけない。ああいう人間が、不祥事を起こすのである。桜木との出会いで少しはマシになったようだが、卒業して彼から離れたらどうなることか。

 続いて、シューターの三井。こいつは、本当のクズである。まず、あの暴力事件がおかしい。なんか美談みたいになっているが、絶対におかしい。あれだけ他校生を巻き込んで大騒ぎを起こせば、普通は一発退学である。しかし、それはフィクションだからまあいいとする。問題はその後である。あんな大事件を起こした自分を受け入れてくれたバスケ部の仲間に対して、奴はなんといったか?

「だからウチは選手層が薄いと言われるんだ。悔しくねーのか?」

 夜道で刺されても文句はいえないレベルである。これに関しては、黙っている補欠部員たちにも問題があるのかもしれない。彼らの将来が不安になる。だが、それにしても三井のクズっぷりは許せない。体育会系の悪しき風潮は根絶すべきと考えている僕だが、こんな奴だったら、「かわいがり」も止む無しかなと思える。なんでこんな奴が作中屈指の人気者なのか、僕にはまったくわからない。こいつを称えている人は、いっぺん脳みそ洗ってみた方がいいと思う。

 しかし、諸悪の根源は他にいる。監督の安西である。赤木を野放しにして部員を次々に辞めさせたのも、三井の精神のケアを怠ってグレさせたのも、全部コイツの責任である。コイツはおそらく教員ではないだろうから、バスケだけを教えていればいいというスタンスだったのかもしれないが、そんなところばっかりアメリカのマネをするのはどうかと思うわけである。そのバスケに関しても、コイツはしっかり教えていたのか?早い話が、赤木。フリースローはうまいのだからシュートセンスは悪くないだろうに、彼はミドルシュートが打てない。桜木に二万本シュートを指導したように、赤木にちゃんとミドルシュートを教えていたら、山王戦で河田にあんなにやられることはなかったのではないか。なんでこんな奴が名将と称えられているのか、僕にはまったくわからない。

 他にもいろいろある。たとえば、山王トリオの中で、深津だけどうみてもショボイということ。これに関しては、井上武彦に「PG的凄さ」を描く力量がなかっただけなのかもしれない。PGとして一目で凄さがわかるキャラとしては牧がいるが、牧の凄さは「FW的凄さ」である。ゲームメイクや視野の広さなどの凄さではない。まあ、リアルに考えたら高校生くらいならそんなもので、高度な頭脳戦はプロレベルでなければ見られないものなのかもしれない。ただ、高校生がNBA級のプレイを連発しているあの世界なら、出来て然るべきではないかとも思うのだが。

 神奈川ベスト4の武里高校の、毛沢東似の監督も酷い。仮にもベスト4の強豪校が「海南戦は捨てる」と言い放つのはどうなのか。学生の指導者としても、勝負至上主義的なあのセリフは問題であると思う。

  逆に、ツッコミどころとされているところで論破できるものもある。まず、強豪校の翔陽になぜ監督がいないのかということ。これに関しては、不祥事でクビになったの一言で済む。あとは、山王戦で、山王はなぜ一回突破されただけでゾーンプレスを解いたのかということ。あれはご都合主義などではない。ゾーンプレスは体力消耗が大きいプレイである。点差も離れていたし、単に潮時だったというだけだ。

 などといったことを考えていると、木嶋佳苗が帰ってきた。

「ただいま、勤さん。お昼はお召し上がりになった?」

「ああ、お帰り。うん、美味しかったよ」

「そう、よかった。お夕飯は勤さんの大好きなシチューだから、楽しみに待っててね」

 そう言うと、木嶋佳苗はキングサイズのエプロンをつけ、台所で調理を始めた。シチューか。一か月くらい前、赤羽のファミレスで食べた以来の「カレー仲間」だ。そういえば、あの日は、他の参加者に出会ったんだっけ。あのとき、メンバーの中にいた女・・名前はわからないが・・あいつはなかなか美人だったな。あいつにだったら「やさしいこと」をしてやってもいい。松永とかいう奴の電話番号にかけてみようかな。

「ねえ、勤さん。ちょっとお願いがあるの」

 木嶋佳苗が、甘えた声音で言った。ついに、僕にギブ&テイクを要求しようということらしい。なんだ、何を言いつけるってんだ。便所掃除くらいならお安い御用だが、それ以上の仕事はしないぞ。

「今日ね、ある参加者を見つけたの。結構お金を持っていそうな感じだった。それでね、勤さんに、そいつを殺して、お金を奪ってきてほしいの」

 そういうこと、か。残念ながら、聞けない相談である。人殺しをするのはやぶさかではない。だが、今はそんな気分ではない。典型的快楽殺人者の僕は、営利目的で手を汚すことはないのだ。

「悪いけど、その頼みは・・」

「やってくれるわね?」

 ドン、と、もの凄い音がした。木嶋佳苗が、包丁の切っ先を俎板に突き立てた音だ。

「もう一度聞くわ。や・っ・て・く・れ・る・わ・ね?」

 腹の底から響いてくるような恐ろしい声に合わせて、ドン、ドン、と、包丁が俎板に突き立てられる。ジャガイモやニンジンの欠片が、あちこちに飛び散る。

「は・・はい・・」

 大魔神のような、あまりの迫力に、僕は頷くしかなかった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第24話

「あちィっ!」

 湯船に張ったお湯の熱さに、麻原彰晃は顔を歪めた。すぐさま冷水で冷やしたが、皮膚の痛みは消えてくれない。軽い火傷を起こしてしまったようだった。麻原はバスタオルを腰に巻き、バスルームを出た。廊下に貼ってある、当番表を見る。今日のお風呂当番は、菊池正だ。麻原はリビングへと向かった。

「こらっ!正っ!お湯が熱いではないか!」

 麻原の怒声に、リビングで「マリオカート」をしていたバドラの信徒たちが振り返った。

「ええっ??熱かったんですか??」

「熱いもなにも・・体感で50度はあったぞ!見ろ、火傷をしてしまったではないか!」

「で、でも、尊師は熱湯修行をされると、関くんが・・」

 菊池正が、隣の関光彦に視線を向ける。

「そうだよ。尊師はどんなに熱いお湯に入っても大丈夫なんでしょ?ホームページに書いてあったよ。ねー信ちゃん」

 新加入の尾田信夫が頷く。尾田は60年代、働いていた電器店で放火殺人を起こした男だ。

「う・・・っ」

 麻原は言葉に詰まった。一体どう釈明し、この場を切り抜けるべきか。

「そ・・それは、精神を集中しているときの話だ!いくら俺とて、油断しているときは、その身は信心なき人間と同様なのだ!」

「なんだよ、そうだったのか」

「第三者が勝手に書き散らしたことを鵜呑みにするでない・・。気になったことがあったら、必ず俺に確認しろ」

「わかったよ。そんなことより、もうすぐ9時のおやつの時間だよ。さっさとお風呂入ってきちゃいなよ」

「そんなことよりって、お前・・」

「尊師、まずはお風呂に入ってきてください。見たところそれほど酷い火傷ではないです。お風呂から出たら、私が治療して差し上げますから」

 火傷は職業病の勝田清孝が、麻原と関のやりとりに割って入った。

「う、うむ・・」

 勝田に救われた。麻原は、信徒に雷を落とさないよう心掛けている。恐怖で従えた兵士は戦場で50%の力しか発揮できないが、信頼で従えた兵士は戦場で200%の力を発揮する。とある軍人の格言である。

 オウム時代、自分と信徒との間に結ばれた絆は強固だった。しかし、一度断ち切れた絆は、二度と回復しなかった。

 バドラにおいては、麻原は違った形での組織の在り方を目指している。たとえ一時、気の迷いを起こしてバドラを離れてもいい。しかし、一度離れた者がまた戻ってきたくなるような絆を作りたい、と思っている。その方が、衝動的で意志の弱い凶悪犯罪者たちを纏めるに当たっては、なにかと都合がいいように思うのだ。

「いエーい!2位―っ!交代は菊ちゃんと昭ちゃんーっ!」

「くそっ・・麻雀なら負けないんだがな・・」

 関光彦と正田昭の声を背に、麻原はバスルームへと向かった。


☆     ☆    ☆     ☆     ☆     ☆

 翌日―――――――――。

「もーっ。宅間さん酷いじゃないっすかーっ。せっかく俺が出会いカフェから連れ出した女を、トレードや、とか言って掻っ攫っていっちゃうなんてーっ」

「アホ。お前がいい気になってツーショット写真なんか送って自慢してくるからいけんのや。それに、ワシの方からも女を差し出したんだからええやないか」

「冗談じゃないっすよ!あんな30代でウルトラマンのピグモンに似たババアなんて・・!まあ、顔に拘る必要がなかったらから、好きなだけ殴って気絶させて、暴力衝動を満たした上で犯してやれたから、その点じゃよかったんすけどねっ」

「ドアホが。お前がそんなことをしたせいで、委員会から警告メールが来たんやないか。まったく、ケダモノのような奴やで」

「宅間さんだって人のこと言えねえじゃないっすかーっ」

 紳士服売り場にてスーツを物色しながら、大声で猥談を交す、宅間守と金川真大。買い物客や店員が露骨に眉を顰めるのも構わない。

「しっかし、今日は楽しみやのーっ。ひっさびさの、ねるとんパーティやで。金持ちの女がワンサカやってくるで。やっぱり女をヤルなら、社会的地位の高い、高慢ちき女に限るで!」

「同感っす。もう昨日はワクワクして、3時間しか寝れなかったっすよ。あ、宅間さん、服、決まりました?」

「おう。決まったで。よっしゃ、会計いこか」

 宅間と金川が、それぞれスーツを持ってレジへと歩く。どうせねるとんパーティで女を釣るための、一夜限りの正装である。多少、寸法が合ってなくても構わなかった。

「10万8千円か・・。おい、小僧、頼んだで」

「はい!・・っと言いたいとこっすけど、今、金ないっす。おい、橋田!頼んだ!」
 
 金川にたかられた橋田忠昭が、視線を逸らして俯く。

「すまんが・・。俺も、金ないんや・・」T

「なにいっ!なんでねえんだよ!」

「そないなこというたかて、毎日毎日、カニや神戸牛や言うてうまいもんばっか食うて、風俗も吉原の高級店ばっかり行ってたら、そら金無くなりますわ・・。あんたらばっか楽しい思いして、俺はいっつもコンビニ弁当と山谷のチョンの間で我慢やし・・」

「バカ野郎!それが後輩の宿命だろうが!年功序列を知らんのか?日本の組織ってのは、先に入った人間が無条件で偉いってふうに決まってんだよ。つべこべ言わずに金を出せ!この財布野郎」

「あ、あんまりやないか・・。それに、年で言ったら、この中では俺が一番上・・」

「こいつ・・!」

 不毛な言い争いを続ける金川と橋田。やかましい奴らだった。

「おい、その辺にしとけ。そんで、今いくらもっとんや?オッサン」

 ねるとんパーティに参加できるということで、今日は珍しく機嫌のいい宅間が、橋田を金川から救ってやった。

「5千円くらいや・・。十日前には百万円以上あったのが、もうこんだけや・・」

 5千円。それではスーパーで安売りされているようなシケたスーツも買えない。どうする。ねるとんパーティ参加には、ジャケットの着用は必須だ。また、カツアゲでもするか?体格の近い人間を見つけて、追剥ぎでもするか?それとも、今まさに手に持っているスーツを、強盗するか?

いや、それはできない。金川と自分に届いた、委員会からの警告メール―――。次に触法行為を犯したら、直ちに処分する。

「くそがっ・・・どうすりゃええねん!」

 宅間がレジを叩く。悪魔の形相に、若い店員が真っ青になって硬直する。

「た、宅間さんっ・・あれ、あれ見て・・」

 金川真大が、ひきつった顔で店の外を見て、自分の袖を引っ張った。

「なんやっ」

「あいつ・・・麻原彰晃っスよ・・・」

 麻原彰晃。いまだに名鑑に目を通していない自分だが、さすがにその名前は知っていた。麻原彰晃が、店の前を通っただと?

「麻原だけじゃないっす・・他にも、参加者が7人も・・」

 宅間の眼が鋭く光った。
 奴らから、金を強奪してやる。
 3人対8人。普通に考えたら、勝ち目はない。
 自分は勝てない戦はしない主義だ。
 だが、同時に、目の前の獲物はけして逃さない主義でもある。
 ねるとんパーティの予約をとるのは苦労した。
 この機会を逃せば、いつ行けるかわからない。
 委員会の警告メールが来た以上、もう強姦はできない。
 高慢ちき女とケツの穴セックスができる機会が、いつ巡ってくるかわからない。
 ならば・・・やるしかない。
 幸いにも、今、自分には盾が二つある。
 いざとなれば、こいつらを犠牲にして生き残ればいい。

「上等やないか。やったるで」

「マ、マジすか・・?」

 この一か月で自分の性格を把握している金川が、驚いた表情を見せる。

「おい、兄ちゃん。そのスーツはキープしとけ。すぐ取りに来る。おい、いくでお前ら」

 宅間は金川と橋田を従え、紳士服店を後にした。
 麻原のオッサンの首・・必ずや、掻き落としたる。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第25話

 麻原彰晃率いるバドラは、杉並区内のグラウンドで、少年野球チーム「がんばれツンベアーズ」と、練習試合を行っていた。

「大リーグボール3号だ、甲子園の優勝投手だ」

 ピッチャー麻原が投じた渾身のストレートが、5年生の少年、カネトモによって外野に運ばれる。センター勝田清孝が快足を飛ばしてキャッチ。フライに打ち取った。チェンジである。

 6回裏。頭脳プレーを信条とする九番、正田昭がセカンドゴロに打ち取られ、走、攻、守、三拍子揃った一番、大久保清もライトフライで凡退する。その後、大久保清と二遊間を組む二番、勝田清孝が四球で出塁し、農耕で鍛えたパワーで長打を飛ばす三番、菊池正が右前打で続いた。

2アウトランナー一、二塁の場面。打席に入ったのは、四番、麻原彰晃である。

 アメリカ人のピッチャー、カイエンが投じた第一球は低めのカーブ。麻原はじっくりと球筋を見極めて見送った。

「いいよいいよー!バッター、腹がつかえてインコース打てないよー!」

 ベンチから、関光彦の野次が飛ぶ。

「あいつめ・・どっちの味方なのだ」

 苦々しい顔をした麻原だったが、彼は焦っていた。現在、スコアは4-1で、バドラが負けていた。まずい状況である。たかだか草野球の試合。だが、負けられない。この勝負において、麻原は罰ゲームとして、ツンベアーズの通う小学校の屋上から飛び降りる、という約束をしてしまっていたのだ。

 一週間前、初めてツンベアーズのメンバーと知り合ったとき、麻原は彼らに、空中浮遊が出来る、と、ホラを吹いてしまっていた。自分を神格化するためについた嘘だったのだが、これは大きな失策であった。昔と違い、いまどきの子供は、どこまでも実証主義であった。そんなことができるのなら証明してみろと言われ、引くに引けなくなってしまったのだ。

「尊師のおじちゃーーーん。頑張れーーー」
 
 ベンチから、ツンベアーズから人数合わせのために借りた6年生の少年、ワタルの声援が降り注いだ。
 
たかが小学生についた嘘。逃げることは容易だった。それでも、麻原が無茶な約束をした背景には、ある事情があった。

 ワタルには、交通事故で植物状態になった父がいる。母は父の回復を信じて、朝から晩まで休みなく、身を粉にして働いている。麻原はその母に近寄り、バドラに500万円のお布施をすれば、自分の法力で父を治癒してみせると誑かしていたのである。

 母がいとも容易く騙されたのには、ワタルが麻原のことを深く尊敬している、という事情が大きく作用した。ワタルはツンベアーズのメンバーからイジメを受けて寂しい思いをしており、己に優しく接してくれた麻原に深く心酔していたのだ。

 ここで逃げては、ワタルに幻滅されてしまう。それは即ち、500万円のお布施が入らなくなることを意味する。無茶だとわかっていても、戦いに身を投じるしかなかったのだ。

「ストライーーック!」

 カイエンの投じた、110キロのストレートが高めに決まる。カウントは2-3。いよいよ、正念場。麻原の背筋に、第七サティアンの隠し部屋で身をこごめ、踏み込んできた警察の足音に恐々としていたときと同様の戦慄が走った。

☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

 グラウンド近くに停車する車の陰。宅間守は、子分の二人とともに、グラウンドで溌剌とプレーするバドラのメンバーを観察していた。

「なんかあいつら、楽しそうっすね」

 金川が、毒気を抜かれたような調子で呟いた。自分も呆れている。殺し合いを繰り広げている最中だというのに、あいつらのあの享楽ぶりはどうであろう。かくいう自分も、毎日のように女遊びに明け暮れているが、狂おしき衝動を抑えるために、刹那の快楽を追い求めているだけの自分と違い、奴らは心の底から今のひと時を楽しんでいる感じなのである。この空気を作り出している麻原彰晃。あのオッサンはいったい、何者なのか?

「作戦では、俺が誰か一人を弓で狙撃して、奴らが壊乱に陥ったところに突撃をかけていくって話でしたけど、誰を狙います?」

「んなもん、麻原のオッサン一択やろ。桶狭間の合戦然り、どんな大軍も、頭を失えば機能しなくなるもんや」

 戦前の一服をくゆらせながら、宅間が言った。

 トップのカリスマ性が強ければ強いほど、それを失ったときの混乱も大きい。奴らが麻原に依存しきっているのが、逆に仇となるのだ。

「つうか、このままここから、八人全員を狙撃するってのはどうすか?奴らとの距離は目測で三十メートルくらいっすから、不可能じゃないっすよ」

「アホ。矢を撃って、次の矢をつがえて、狙いを定めて、また撃つ。そんなことをチンタラやっとる間に、全員に逃げられて終いや」

 まったく、トーシロウが。実戦においては、飛び道具はけして万能ではないことをわかっていない。

 確かにこの戦いの目的は、麻原軍の全滅ではない。奴らを壊滅させ、一人は生け捕りにしてアジトの場所を吐かせれば、軍資金を根こそぎ奪い去ることができるが、彼我の戦力差を考えると、現実的ではない。自分はただ、ねるとんパーティに着ていくスーツを買う金を手に入れられればそれでいいのだ。戦術上、麻原のオッサンは確実に殺すとして、あとはせいぜい一人か二人を殺せばそれで済む。

 だが、それにしたところで、白兵戦は避けられない。弓矢で致命傷を与えられるのは、せいぜい最初の一人、つまり麻原だけだ。麻原を殺れば、他の全員は、逃げるなり、混乱して右往左往するなり、少なくとも何らかの動きは見せる。静止した的を射ぬくのと動く的を射ぬくのとでは、麻原軍が興じている野球で例えれば、バッテイングセンターで棒球を打つのと、人間が投げる生きた球を打つのと同じくらいの差がある。

 金川がどれだけの名人なのかは知らないが、動く人間を遠距離狙撃で仕留めるなど、できっこないと断言できる。そんな甘い考えは通用しない。大なり小なりリスクを冒さなければ、人間の命は取れないのだ。

「お。麻原のオッサンがバッターボックスに入ったな。よし、殺れや小僧。失敗は許されんぞ」

 宅間の命令で、金川が弓を構えた。構えはさすがにサマになっており、プレッシャーのかかる状況が、表情に平家の扇を狙う那須与一ばりの緊張感をもたらしている。なかなかどうして、凛々しい姿である。

「覚悟せいや、くそガキどもが」

 タバコを弾き飛ばして、宅間は自分を奮い立たせるために呟いた。試合展開からいけば、あと一回くらいは麻原に打席は回ってくるだろうが、これ以上、様子を窺うつもりはなかった。

 弛緩しきったあの連中のツラを見ていると、どうも戦意を喪失していけない。この血が煮えたぎっているうちに、さっさと殺してしまうに限る。

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「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこーあーさーはーらーしょーこー!!!!」

 ワタルの、叫びにも似た応援歌が、グラウンドに響き渡る。
 バドラの信徒たちも、声を合わせて熱唱する。

「しょしょしょしょしょしょしょしょしょーこー!!!!」

 関光彦だけ違う歌を歌っている。相変わらず、しょ、が一つ多いが、自分のことを軽んじているようで、本当は誰よりも自分を慕っている彼の気持ちはよく伝わってくる。

 打たなければならない。
 500万など、もうどうでもよかった。
 ここで打たねば、神の座になど座れはしない。

「来い!俺は必ずや、貴様を打ち砕いてみせる!」

 麻原はカイエンにバットの先を突きつけ、力強く言った。

 麻原の行為に刺激されたカイエンが、怒りに満ちた眼差しを向ける。誇り高いカイエンは、ストレート勝負で来る。間違いなかった。カイエンが投球モーションに入った。麻原がそれにシンクロし、タイミングを合わせる。カイエンの指先から、ボールが放たれた。115キロの剛速球が、唸りをあげてストライクゾーンに飛んでくる。

「うおおおおおおおおーーーーっ!」

 麻原が雄叫びを上げた、そのときだった。麻原の胸に、何かが当たった。ボールか?いや、ボールはすでに、キャッチャーミットの中にある。自分は三振したのだ。足元に目をやった。一本の矢が、落ちている。なんだこれは?こんなものが、自分の胸目がけて放たれたのか?

 麻原の命を救ったのは、年甲斐もなく身に着けていた、ペンダントだった。ペンダントの中には、麻原が気に入っているアイドル、中川翔子の写真が収められている。オウム時代は、秋吉久美子が好きだった麻原だったが、俗世に出てから鞍替えしたのだ。
 
「尊師!逃げてください!」

 大久保清の声で、我に返った。
 三人の男が、自分を目がけて走ってくる。
 悪鬼のような形相・・!自分を、殺しに来ている!

☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

 確かに、矢は麻原のオッサンの心臓に命中したはずだった。
 しかし、麻原のオッサンはピンピンしている。
 胸に何か仕込んでいたのだ。奇襲は失敗した。

「ど、どうするんですか?宅間さん!」

 金川真大が、宅間守に指示を仰いだ。

 宅間の脳内に天秤が出現する。片方の皿には、自分の命。もう片方の皿には、高慢ちき女の裸体が載っている。二つの欲求が、宅間の中で鬩ぎ合っている。殺るか。殺らぬか。どちらを選ぶべきか?

「・・・・殺るで」

 宅間は、先頭を切って走り出した。
 いつだって、そうだった。
 欲望の赴くまま、目先の利益を手に入れるためだけに、行動してきた。
 かつては、自分の命を少しは大切にも思ってきた。
 事件を起こしたときも、対抗する術を持たぬ小学生を狙った。
 今は違う。
 自分は、すでに一度死んだ身。
 おまけの人生を歩んでいるだけだ。
 そんなものを後生大事に抱えているなど、馬鹿げている。
 未練がましい生き方など、クソ食らえや。
 ワシはいつまでも反逆児らしく・・。
 カッとなって、やるだけや。

「死ねやぁぁっ!」

 恐怖に身をすくめている麻原目がけて突進した。
 三十代半ばの男が、麻原を庇うようにして仁王立ちしている。
 ターゲットを、麻原から男に切り替えた。
 もうこの際は、誰でもいい。
 スーツを買う小金を奪えれば、誰を殺したっていいのだ。

「つえィっ!!」

 すれ違いざまに振ったコンバットナイフが、男の脇腹を掠めた。
 鮮血が垂れ落ちるが、男はまだ戦闘力を残している。
 金属バットが、宅間の頭めがけてフルスイングされた。
 間一髪、ダッキングで躱す。
 体勢が崩れた男の腹部目がけて、ナイフを突き出した。
 男の腹に吸い込まれるナイフ。
 さっきとは比べものにならない量の鮮血が溢れ出る。

「清っ!」

 麻原の声が飛ぶ。
 ほう、貴様は、清というのんか。
 薄汚れた凶悪犯罪者のくせに、なんとも皮肉な名前やな。
 生き様の10割が「攻め」のくせに、守、なんて名前をしているワシも、人のことは言えんがな。
 あの世に行けや、清。
 六道輪廻を巡って生まれ変わったときには、今度は自分に相応しい名前を付けてもらうんやぞ。業深きおどれに、相応しい名前を。

「死ねエエい!」

 宅間のとどめの一撃が、大久保清の喉笛を裂いた。
 絶命して倒れる大久保清。
 宅間はすかさず、大久保清のポケットから財布を漁ろうとする。
 が、そこに、複数人の男たちが割って入った。
 手にはそれぞれ、金属バットを携えている。
 ナイフと金属バット・・。殺傷力はこちらが上だが、リーチでは劣っている。
野球をしているところを狙ったのは、失敗だったのかもしれない。
 
「知ったことか・・。皆殺しにしてくれるっ!」

 宅間は、血みどろのナイフを、男たちに向けた。

バドラの信徒たちが身を挺して自分を守ってくれている間に、麻原彰晃は、ベンチまで退いていた。

 宅間守――。大阪池田小事件の犯人。自分や酒鬼薔薇聖斗が旧世紀最後の怪物なら、奴や松永太は、新世紀最初の怪物である。起こした事件のインパクト同様に、奴の戦闘力は怪物そのものであった。バドラの二枚看板の片割れ、大久保清を、ああもあっさり屠り去るとは・・。あんな男と序盤戦でかち合ってしまうとは、自分も運がない。前世のカルマの影響か・・?

「来いやぁ!うらぁ!」
「うるぁ!おるぁ!」
「ああああああああああああっ!」

 血に飢えた野獣たちの声が響き渡る。オウム時代、自分も何度か修羅場は経験したが、その全てが、小学校の騎馬戦のように思えるほど、目の前の地獄絵図は次元が違った。

「ぐああああっ!」

 菊池正が、左腕を抑えて倒れる。

「ぎええああっ!」

 勝田清孝が、右わき腹を抑えて倒れる。

 犯罪史上に名を残す凶悪犯罪者たちが、たった一人の男に、まるで歯が立たずにバタバタと倒されていく。悪夢だった。考えられなかった。マネキンと人間が戦っているわけでもあるまいに、なぜにあそこまでの差が出る?

 空自出身の宅間と素人の信徒たちでは、基礎能力が違う。それはわかる。だが、それにしてもである。人類最強と言われる男でも、武器を持って殺しにかかってくる複数人の男たち相手に、あんな立ち回りはできないだろう。比較するなら、70人斬りの宮本武蔵か。激動の時代を生きた伝説の剣豪に匹敵する戦闘力を、平和の時代を生きたあの男が備えているというのか?そんなことが、あり得るのか?

 あんな化け物とやり合っては、命が幾つあっても足りない。麻原が死を覚悟した、そのときだった。

「もう我慢ならん!ぶっ殺す!」

 宅間の仲間の一人が、突然、謀反を起こし、背後から宅間に斬りかかっていった。

「俺をなめるなやぁ!こっちかて、ガキのころからシャブ漬けの人生を歩んできた、筋金入りのワルなんやぁ!」

 かろうじて躱した宅間だったが、動揺は避けられない。勢いが止まった。

「てめえ橋田ぁ!裏切ってんじゃねえええ!!!」

 もう一人の宅間の仲間が、橋田と呼ばれた参加者に斬りかかっていった。裏切り者が引き付けられている間に、宅間がいったん、戦場を離脱する。
 
 射抜くような獣の視線が、ベンチで震える自分に向けられた。宅間が瞬足を飛ばし、自分に向かってくる。戦闘能力を残している関光彦、尾田信夫、正田昭が必死に追いかけるが、距離は離れていくばかりである。人員が出払って手薄になったベンチまで退いたのは失敗だったと後悔したが、もう遅い。

 頭が真っ白になった。目の前が真っ暗になった。万事休す・・。何人もの人間をポアしてきた自分の魂が、ついに回帰されるときがやってきたようだった。

「尊師のおじちゃんをイジメるなーーーーーーーー!」

 麻原の目の前で、宅間の動きが止まった。宅間の足元に転がるボール。自分の危機に、ワタルが立ち上がったのだ。

「尊師のおじちゃんは僕の友達なんだーーーーー!」

 ワタルが泣きじゃくりながら、宅間に次々とボールを投げつける。ボールが無くなればグローブ、グローブが無くなれば、自分が履いているスパイクを。手当たり次第に、宅間に物を投げつける。

「な、なんや、こんガキ・・」
 宅間に戸惑いが見える。バトルロイヤル参加者は、一般人に手を上げることを、委員会から厳重に禁止されている。たとえ自分が暴力の被害を受けたとしても、反撃は一切許されないのだ。

「いい加減にせんと、ぶっ殺すでっ、こんガキャァっ!」

 宅間がターゲットを自分からワタルに替え、突進していく。頭に血が上った野獣には、ルールもなにも関係ないらしい。五秒先の未来も見えなくなっているのだ。

「ムカついた!ぶっ殺す!」

 ワタルの首が胴体から切り離される光景を想像した次の瞬間、ベンチに留まっていた唯一の信徒が動き、宅間の前の立ちふさがった。造田博である。これまで、どんなに親しみをもって接しても心を開かず、バドラの信徒たちとの遊びにも加わらなかった彼が、自分とワタルの危機に、ついに立ち上がったのだ。

 凄まじい剣速で金属バットを振るう造田博。あの宅間が、冷や汗を流している。宅間はスタミナを消耗しているとはいえ、互角の打ち合いを見せている。99年、池袋サンシャイン通り魔事件。近年の、社会反逆型無差別殺傷犯の先駆け的存在。宅間守も、その意味では彼の後輩である。やはり造田博の戦闘力は、本物だった。

「宅間さん、そいつはヤバいっす!造田博っす」

 裏切り者を始末して宅間の援護に駆けつけた仲間が叫んだ。

「宅間さんが倒した二人から、財布を奪い取りました!ここは退きましょう!」

「・・・・ちくしょうがっ!!!」

 関光彦、正田昭、尾田信夫の三人が、ようやく追いついた。このままでは挟み撃ちになり、戦況が不利になると判断したのだろう。宅間が心底悔しそうな咆哮を残して、グラウンドの外まで退却していった。

 嵐が過ぎ去ったグラウンド。菊池正、勝田清孝、戦闘不能状態に陥っていた二人もベンチにやってきて、自分を取り囲み、お互いの安否を確認し合う。

「宅間守・・恐ろしい男だ・・」

「あんな化け物と、いつままた戦わなくてはならないのか・・」

 信徒たちが口々に、鬼神のごとき男への恐怖を吐露する。
一方、傍観者であるツンベアーズの少年たちにの間は、違った空気が起こっていた。

「ワタル、すげえじゃねえか!」

「見直したよ!勇気あるな、お前!」

 イジメられっ子だったワタルが、みんなに讃えられている。いつも塞いでいたワタルが、満面の笑みを見せている。

「ワタルよ、見事な戦いぶりだった。俺には、今日の結果が見えていた。お前は必ず、自分の力で試練を乗り越える。それがわかっていたからこそ、悩み苦しむお前に、敢えて手を貸さなかったのだ」

 麻原が、イジメを放置していた怠慢を正当化すると同時に、いいとこ取りを図った。

「うん・・。全部、尊師のおじちゃんのお蔭だよ」

 感謝の言葉を述べるワタル。目論見は成功したようだった。続いて今度は、バドラの信徒たちを集め、グラウンドに転がる、大久保清、宅間の仲間の橋田の死体を囲んだ。

「勇敢なるバドラの信徒、大久保清よ。お前の戦い、しかと見届けた。お前のカルマは浄化され、魂はニルヴァーナへと導かれるだろう」

 関光彦、菊池正が号泣する。勝田清孝たちも、唇を引き結び、ぐっと哀しさを堪えている。

「そして、宅間の仲間よ。悪魔の手から逃れ、一瞬とはいえ、バドラの味方をしたお前の善行も、俺はしかと見届けた。お前のカルマも殆どが浄化され、来世では幸福な人生を送るだろう」

 身内以外の人間の死も平等に悼む自分の懐の深さに、信徒たちが感激している。
 大久保清の死は、確かに痛い。
 だが、戦いはまだ、始まったばかりである。
 後ろを振り返ってはいられない。
 最後の8人に生き残るためには、すぐに気持ちを切り替え、未来に向かっていかなければならない。


 バトルロイヤル参加者、現在91名。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第28話

ガス管工事の現場に出た市橋達也は、工事が終わり、アスファルトの補修も完了した道路を清掃する作業に従事していた。ホースで水を撒き、土埃を洗い流すのである。

 これは警備の仕事から離れた、完全な付帯業務だ。付帯業務でも、カラーコーンを並べたり、誰でもできる、むしろお客さんである工事会社に気に入られるために積極的に行うべき仕事もあるが、僕が今行っている清掃作業は、そうではない。別に難しい仕事ではないが、制服が汚れてしまう。警備員はサービス業である。お客さんの前で、小汚い恰好をしていてはいけないのだ。

「おい!あっちの方、まだ汚れ落ちてねえだろうが!よく見て仕事しろよ!」

 僕に偉そうに命じているのは、現場の作業員ではなく、同じ警備員のワタナベだ。この四十歳くらいの同僚は、さっきから誘導の業務そっちのけで、作業員に混じって、泥だらけになって土木の作業をしている。確かに今日の現場は交通量が少ない僻地で、迂回経路を示す看板と一緒に、かかしみたいに突っ立っていればいいだけの通行止めの仕事しかないが、だからといって、放り出していい理由はない。警備員は、ただ突っ立っているだけで仕事になっているのである。工事会社が高い金を払って警備員を雇っているのは、交通誘導の仕事もあるが、住民からの心象を良くする目的もあるのだ。

 しかもワタナベは、現場監督から余計な仕事を次々に取ってくるのはいいが、それを仲間の僕にもやらせようとしてくる。自分の勝手な、しかも間違っているやり方を、人にまで押し付けてくるのである。毎回同じ現場に派遣されるわけでもないのに、媚びを売ったって意味ないだろうが。こういう奴に限って、二言目にはマニュアルが、マニュアルが、と言い出すのだから、呆れるしかない。

 ただ、ワタナベがおかしくなってしまうのも、わからなくはなかった。以前聞いた話なのだが、ワタナベは普段、日勤夜勤と言われる、日勤で働いたその日に夜勤を行うという過酷な勤務を、毎月半分近くもこなしているらしい。労働基準法で定められた休日もとっていないようだ。日勤終了の18時から夜勤開始の21時、夜勤終了の6時から日勤開始の9時までの僅かな時間に休息をとっているようだが、明らかな睡眠不足である。

 もう若くもないのにそんな身を擦り減らすような働き方をしていたら、頭がおかしくなって、常識的な判断力がなくなってしまうのも無理はない。おそらく借金かなにか、やむにやまれぬ事情があるのだろう。こういうのは、ストップをかけない会社が悪いと思う。本人がやりたいと言っているのだから、という問題ではない。過労死が出てからでは遅いのだ。

「おい!終わりだ!帰るぞ!」

 ワタナベが、アガリの指示を出し、現場監督に伝票を書いてもらいにいった。威張ってはいるが、一文の得にもならない班長の役を自ら進んでやってくれるのだから、いいとしようか。

 僕たちは着替えを済ませると、並んで駅までの道を歩き始めた。今日の現場は僻地で、駅までの距離が遠いから、工事会社の人が車で送ってくれるのではないかと期待していたのだが、そんなことはなかった。朝来るときも、地図を片手に、散々迷いながら、大変な思いをしてここまで足を運んだのだ。現場にも当たりはずれがあるが、今日はトコトンはずれの現場に当たってしまったようだ。

「・・今日、悪かったな。仕事中、怒鳴ったりして」

「え・・いや・・いいですよ、気にしてないです」

 意外なワタナベの謝罪。本当に、大して気にしていなかった僕は、逆にこっちが恐縮してしまった。

「ちょっと待ってろ」

 ワタナベが自動販売機に歩いていった。スポーツドリンクを二本買って、一本を僕に手渡してくれる。喉が渇いていた僕は、礼を述べて受け取った。この時期はまだいいが、夏場になったら、水分補給だけでも相当な金を遣いそうだ。そんなことを考えながら、また歩き始める。

「俺は昔、小さいながらも会社を経営していてな。そのときから、どうも、仕事になると周りが見えなくなって、無茶苦茶に突き進んでしまう癖があってな。人にも、随分辛く当たっちまった。そのせいで、最後には経理を務めていた女房が社員の一人と駆け落ちして、金を持ち逃げされ、家族も会社も失って、このザマだ。自業自得。身から出た錆だな」

 自虐的に笑うワタナベに、僕はなにもいえなかった。

 関西の飯場で学んだこと―――。人は大なり小なり、何かを抱えながら生きている。事件を起こすまで、僕は自分が弱い人間であるのをいいことに、ワタナベのような一見強そうに見える人を、他人の痛みがわからないガサツな奴と決めつけて一方的に嫌悪していた。が、飯場で働き始めて、人に揉まれる中で、考えを改めた。人間はそう単純な生き物ではないのだ。

 世の中には、色々な人がいる。

 絶対的に正しくて、なおかつ人に優しくできる人もいる。
 人に優しくできるけど、考え方が間違っている人もいる。

 どちらにも、存在価値がある。間違った考えにも、必ず意味はある。正しいだけの世の中なんて、息苦しいだけだ。どんなに人に共感されない、少数派の意見でも、それを叫ぶ人間は必要だ。みんなが同じ考えをしている世の中は危険な方向に突き進むだけということは、歴史が証明している。ようは、人に優しくできればそれでいいのだ。

 絶対的に正しいが、人に優しくできない人。問題はこういう奴だ。こういう奴が、基本的には無力である、考え方が間違っていて、なおかつ人に優しくもできない人間を、犯罪に追い込むのだ。

「うっ・・うっ」

 ワタナベが突然、胸を押さえて蹲った。呼吸は荒く、顔は血の気が失せて、蝋人形のように蒼白になっている。

「だ、大丈夫ですか?」

「あ・・・うぐあっ・・」

 道路に倒れ、嘔吐するワタナベ。連日の過酷な勤務がたたったのだろう。症状はわからないが、危険な状態であるのは明らかだ。すぐに救急車を呼ばなくては、命が危ない。
 
 ポケットから携帯を取り出した、そのときだった。正面から、原付バイクに乗った男が、鉄パイプを構えながら、僕に向かって突進してきた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第29話

市橋達也は困惑していた。
 直観でわかった。
 あのバイクの男は、僕を殺しにきている。
 だとするなら、逃げなくては。
 バイクは小回りがきかない。
 一度、民家の敷地内に入るなりすれば、容易に振り切れる。
 しかし、もし僕が逃げたとしたら、救急車はどうする?
 ここは土地勘のない場所だ。
 一度現場を離れてしまったら、正確な場所を電話で伝えることはできない。
 ワタナベさんの容体は、一分一秒を争う。
 助けられるのは、僕しかいない。
 でも・・・。

 男がバイクの速度を上げ、すれ違いざま、鉄パイプを横殴りにスイングしてきた。地面に転がって躱す。オーバーアクション。しかし、男がバイクを止め、降りてくるまでの間に立ち上がり、体勢を整えるのは間に合った。

 僕は覚悟を決めた。ワタナベさんの命を救うには、戦うしかない。腰につけていた、伸縮式の特殊警棒を抜いた。施設警備の隊員が使う物だが、会社の管制の人に頼み込んで、一本もらったのだ。リーチは鉄パイプに遥か劣るが、扱いやすさでは上だ。初撃を躱せば、こちらの勝ちだ。

 いやな予感がした。
 背後から、何かが迫ってくる。
 安っぽい排気音。
 もう一台のバイク。

 慌てて飛びのいた。
 完全には躱せなかった。
 腹部に衝撃が走る。
 Tシャツが裂けた。
 二人目の襲撃者の手に握られたナイフ。
 相手の武器が、刃物で助かった。
 僕はTシャツの下に、防刃チョッキを着ていたのだ。
 これが一人目の襲撃者のように、鈍器を用いて破壊力で来られていたら、致命傷は避けられなかった。
 

 敵が二人に増えたことで、思考を切り替えた。
 戦っても、勝ち目はない。逃げるしかない。
 救急車を呼ぶのは遅れてしまうが、仕方がない。
 ここで僕が死んだら、どっちみち終わりなのだ。

 決断を下すや、僕は邪魔な荷物を捨て、すぐさま民家の塀を乗り越えた。住居不法侵入。れっきとした犯罪であるが、これくらいでは委員会からの処分対象になることはないだろう。小池さんだって、よく立ち小便やタバコのポイ捨てをしている。

 幾つかの民家に侵入し、ジグザグに逃走している内、襲撃者の足音が聞こえなくなった。武器の大きさと、フルフェイスヘルメットの重さと視界の悪さが、機動力を分けたようだ。

 その後も、体力が続く限り、走って逃げ続けた。駅の近くまでたどり着いて、ようやく一息ついた。ここまでくれば、もう大丈夫だろう。僕は携帯電話を取り出し、119を押した。応答した救急隊員に、今日働いた現場の住所と、ワタナベがその近くで倒れていることを伝えた。僕自身がその場にいない理由については、車を運転していて、通りがかったときはなんとも思わなかったが、後になって気になった、と誤魔化しておいた。

 ワタナベが倒れた現場には、僕のリュックサックが残されているが、諦めるしかない。襲撃者が待ち伏せしているかもしれないのだ。リュックの中には、制服と誘導具一式が入っている。会社では制服を無くすと、入社時に受けた法廷研修の賃金が受け取れなくなる決まりになっているが、それも諦めるしかなかった。どのみち、襲撃者に会社が割れてしまった以上、もう今の会社では働けない。今月分の給料を前借りして、フケるしかない。

 会社の寮に帰ってきた。管制の人から、ワタナベが搬送された病院で息を引き取ったことを伝え聞いた。

 哀しみはなかった。飯場で働いていたころ、似たような経験は幾つもしてきた。飯場を管理する会社では、定期健診が義務付けられていたが、身体に異常が見つかったからといって仕事を休む人は誰もいなかった。ちゃんとした病院に入院しようともせずに過酷な肉体労働に身を投じ、症状を悪化させ、現場で、飯場で、彼らは孤独のうちに死んでいった。

 また、僕の働いていた建設会社ではそういう仕事はなかったのだが、山奥でダム工事など高所作業を請け負う会社では、強風の日などは、やはり転落事故が相次いだという。地面と激突してバラバラになった死体は、そのまま山に埋められ、不明者扱いで、警察に届けられることもなかったという。

 そんな風景を目の当りにしているうち、僕は人の死に対する感覚が鈍磨していった。肉の袋から魂が抜け落ちるという現象に、深い感慨を抱かなくなった。「あの人」の死も、過ぎ去ったドラマのワンシーンのようなものだったのだ・・。そうやって無理やり考えることで、罪の意識から逃れていた。

 その晩のうちに、僕は荷物を纏め、子猫をケージに入れて、寮を後にした。メールで状況を伝えた小池さんと合流して、その晩はひとまずネットカフェで夜を明かした。

 警備会社には一応、退職の連絡をした。バックレは心が咎めるとか、道徳的な問題ではなく、あの襲撃者二人が、自分を探しにきたかどうかを知りたかったからだ。すると案の定、よく似た顔立ちの二人が、僕を探しに寮を訪れたという返事が返ってきた。バトルロイヤル参加者で、よく似た顔立ち・・。松本和弘、松本昭弘の兄弟だろうか・・?

 翌朝、アベノミクスによる景気回復路線を嘲笑うかのような値下げに踏み切った「吉野家」で、朝食をとりながらその話をすると、小池さんが、

「どうもクサイな。まだこの時期に、わざわざ寮に押しかけてまで、特定の個人を狙おうとするか・・?」

 と、難しい顔をして言った。

「よほど金に困っていたんじゃないですか?」

 僕が返すと、

「うーん・・それにしてもな・・。いや・・なにか、俺には、もっと大きな陰謀が動いているような気がしてならないんや・・それが何かまではわからんが・・」

 考え過ぎだ、と笑うことはできなかった。僕の数倍もの期間、逃亡生活を送っていた人の勘が、危険を告げているのだ。僕の心にも、言いようのない不安がよぎった。

 ケージの中の子猫は、この世に自分を狙う者などなにもないといったような弛緩しきった顔で、すやすやと寝息を立てている。

 僕に安息はいらない。その資格はない。しかし、彼の安息だけは守らなくてはならない。期間は残り十か月半。堂々と、里親探しができるようになるその日まで、僕がこの子を守らなくてはならない。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第30話

宮崎勤は、江東区のアパートで、今しがた殺したばかりの服部純也の死体を眺めていた。

 成人を殺すのは初めての経験だったが、意外にあっけないものだった。こいつは比較的最近の犯罪者だから、僕のことはよく知っているはずなのに、僕が友好的な笑顔を見せて近づくと、警戒もせずホイホイ家に上げてしまった。確かに僕の風貌が、一見穏やかで人畜無害なオタク青年っぽいのは認めるが、殺し合いをしている相手を見た目だけで判断するのはどうなのか。そんなだから、ガキの頃から何度も警察にパクられて、最後にはナンパして振られた腹いせに女を焼き殺すなんていう、しょっぱい罪で捕まっちゃうんだよ、まったく。

 殺害方法は、後ろから灰皿でドゴン!だったのだが、久しぶりに運動をしたら、ちょっと疲れてしまった。僕はしばらく、服部の部屋で休んでから、木嶋佳苗のマンションに帰ることにした。

 あの女に殺人を命令されたときは、心底ビビった。人に対して、あんなに恐怖を感じたのは初めてだ。「ネズミ人間」も怖かったが、あの女の怖さは質が違う。大魔王ミルドラース的なアレである。しゃくねつのほのおで焼かれてはひとたまりもない。

 ただ、何人たりとも、たとえ大魔王であっても、僕を支配するのは罷りならない。いつかは思い知らせてやる必要があるが、今はまだ、そのときではない。何不自由ない安穏とした暮らしを守るためには、不本意ではあるが、あの女の言葉にも従うしかない。いつか来るであろう、その日までは・・。

 その大魔王ミルドラースをデザインした国民的作家、鳥山明の代表作、「ドラゴンボール」が、書棚に収まっている。疲れが引くまでの間、ちょっと手に取って読んでみることにした。

 「ドラゴンボール」は、我が国が世界に誇る、不朽の名作である。作品単体で見れば、この作品を上回る評価を得ているマンガは、この地球上には存在しないだろう。「ワンピース」などからマンガに親しんでいった最近の子供も、「ドラゴンボール」を知るや、たちまち鞍替えする場合が少なくないという。国境も時空も越える、怪物作品である。

 僕はこの作品のファンというわけではないが、それでも、この作品がいかに優れているかは、オタとして認めなければならない。この作品を通過せずしてサブカル通を名乗ることは、もはや許されないのだ。
 
 「ドラゴンボール」が優れている点に、まず、この作品は少年誌のバトル漫画でありながら、勧善懲悪の物語ではない、ということが挙げられる。意外に思う人もいるかもしれないが、悟空はけして正義のヒーローではないのだ。その証拠に、実の息子の悟飯をわざと怒らせて覚醒させたり、自分がその気になれば防げたのに敢えて地球人を全滅させ「ドラゴンボールがあるから大丈夫」と、サラリととんでもない発言をしたり、けっこう鬼畜な一面も覗かせている。

 この話は、「戦いが大好きな少年(青年)が、強い奴と戦っていたら、結果的に世界を救っていた」物語なのである。だから嫌味がないし、クドさがない。

 僕みたいな犯罪者ではない普通の人でも、ちょっと気分が落ち込んで、暗黒面に陥ることはあるだろう。そういうとき、人はキレイゴトや、説教臭い言葉をまったく受け付けなくなる。変に正義とか言われると、逆にヒネくれてしまうのだ。キレイゴトを言わない「ドラゴンボール」は、そういうとき、元気になるために読むにはうってつけの作品なのである。

 もう一つは、斬新な敵キャラクターのデザインである。ドラゴンボール最大の敵キャラといえば、十人中九人はフリーザの名前を挙げるだろうが、彼の見た目は「気持ち悪い」である。これは革新的なことなのだ。

 普通バトル漫画においては、章を締めくくるような大ボスは、筋骨隆々の勇壮な大男に描かれることが多い。キン肉マンのバッファローマンやネプチューンマン、北斗の拳のラオウなどが代表選手か。彼らは見た目に違わず性格も気高く、敵ながらアッパレな志の持ち主でもあった。

 ところが、バトル漫画の最高傑作ドラゴンボールの大ボスであるフリーザは「気持ち悪い」のである。体格は悟空よりも小さいし、顔は病的だし、口調もオカマっぽい。性格も残虐で、共感できるところは何一つとしてない。他のバトルマンガで似たようなキャラを探せば、同時期に連載されていた「幽遊白書」の戸愚呂兄、「ダイの大冒険」のザボエラやキルバーンが挙げられるだろうが、彼らは大ボスではなかった。フリーザは、「幽遊白書」における戸愚呂弟、「ダイの大冒険」におけるハドラーのポジションなのである。そのポジションに「気持ち悪い」を持ってきているのである。

 これがいかに凄いことかわかるだろうか。見た目が気持ち悪くて、弱そうな敵を、マッチョで強そうな敵よりも強く見えるように描くことが、どんなに凄いことか、わかるだろうか。戸愚呂兄やキルバーンみたいに搦め手に頼るのではなく、純粋なパワーにおいても、強く見えるように描くのである。よほど画に説得力がないと、出来る芸当ではない。

 しかも、「気持ち悪い」系のボスキャラは、ドラゴンボールにおいては、なにもフリーザだけの専売特許ではない。その次のセルも、完全体になって多少シュッとしたとはいえ十分気持ち悪い。また、後にベビーフェイスに転向したため、あまりそういうイメージはないが、ピッコロの見た目も、先入観を排除すれば普通に気持ち悪い。魔人ブウだって、カッコよかったのはゴテンクス、御飯吸収形態だけだった。

 それでも彼らは、悟空らベビーフェイスと変わらぬ人気を誇っている。あんなにキモメンなのに、みんなに愛されているのである。最近、マンガ界にも波及している「イケメン至上主義」が、いかに甘えであるかがわかる話である。イケメンキャラを使ってしか人気作家になれない漫画家は、自分にいかに画力がないかということを証明しているようなものなのだ。本当に実力ある漫画家は、リアルなら人に蔑まれているだけのキモメンを、超モテキャラにしてしまうのだ。

 このように、まさに神的作品である「ドラゴンボール」であるが、もちろん人間が作ったものだから、まったく非の打ちどころがないわけではない。強さに制限がなく、インフレが酷過ぎることや、たった数日の特訓で別人のように強くなってしまうインスタント的な修行描写は、大人になってから読むと少し萎える部分ではある。といっても、ドラゴンボール以前からバトル漫画はそんなものだったし、後のバトル漫画にもそれは継承されているため、問題点というのは酷なのかもしれない。悪しき伝統とでもいうべきだろうか。これに関しては、今後、その系譜に一石を投じる作品が出るのを期待しようか。子供ウケは悪くなるかもしれないが、僕は支持する。
 
 また、パチンコとタイアップすれば大ヒット間違いなしの「ドラゴンボール」だが、作者の鳥山明は、なぜかその話を頑なに拒んでいる。理由は、「子供のために作ったものが大人の欲望のはけ口に使われるのが嫌だから」だそうだ。

 これは現実と矛盾している。なぜなら、「ドラゴンボール」の直撃世代は、現在、20代半ば~30代半ば。そう、今、もっともパチンコ産業に金を落としている世代だからだ。彼らに夢を与えるという姿勢なら、パチンコ化の話にも応じるべきだろう。僕はギャンブルはやらないから、個人的にはどうでもいいのだが。

 一時間くらい「ドラゴンボール」を読んでいたら、疲れも引いてきた。すると、なんだか腹が減ってきた。冷蔵庫を開けたら、ビールしか入っていなかった。葛城ミサトみたいなやつだ。コンビニにでも行こうかと思ったが、ふと思いとどまった。

 目の前に、殺したてほやほや、新鮮な人間の「肉物体」があるではないか。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第31話

 宮崎勤は、シンクにあった包丁を手に取ると、仰向けに転がった服部純也の死体の腹部に突き立てた。力を込めて、三センチほど刃をめり込ませると、夥しい量の鮮血が床に流れる。一たん作業を中断し、僕は服を脱いで全裸になった。

 作業を再開したところで、問題に気付く。刃の接触面積が、三センチではあまりに少なくて、うまく力が伝わらないのだ。そこで僕は、再び刃を垂直に立てると、柄の尻に手を置き、思い切り体重をかけた。

 どす黒い血液が噴水のように勢いよく吹き出して、僕の全身を染め上げる。包丁の刃は、根元までずっぷりと突き刺さった。接触面積が増えたこの状態なら、さっきよりもずっと簡単に肉が切れるだろう。僕は包丁を両手で握り、手前に向かって引いた。鋸のようにして上下に刃を動かし、摩擦力を利用して切っていくのがポイントだ。

 じゅぶ、じゅぶ、と、血液が噴き出す音と、ぶす、ぶす、と、裂けた腸からガスが立ち昇る音が、室内に響き渡る。血で汚れるのはいいのだが、糞便と吐しゃ物を混ぜ合わせ、それを何日もかけて熟成させたような、この猛烈な悪臭は耐え難かった。換気のため窓を開けるわけにもいかず、仕方なくその場にあったファブリーズを噴霧したが、効果は焼け石に水だった。くさい臭いも、小さな女の子が発していればむしろ興奮するが、むさい男では不快でしかない。この辺りは今後の課題とし、今回は我慢するしかなさそうだった。

 十分ほどで、どうにかこうにか、腹部の肉を、200gほど切り取ることに成功した。僕は、血と体液と脂とに塗れ、テラテラと鈍い光沢を放つ肉塊を手に持ち、キッチンへ移動した。コンロに火をつけ、サラダ油を敷いたフライパンをよく熱する。油がはね始めたところで、肉塊を投下した。

 強烈な刺激臭が、鼻孔に侵入・・はしなかった。臓物と汚穢が浮かぶ血の腐海から立ち昇る悪臭のせいで、僕の鼻は、突発性の嗅覚障害に陥っているようだった。
 
 三分ほど火にかけると、肉はいい色に焼けてきた。ちょっとしたポークソテーのような塩梅である。僕は火を止めると、肉を皿に盛りつけ、食卓へと運んでいった。テーブルに置かれている唯一の調味料である醤油をかけて、肉にかぶりついた。

「ふむ」

 肉は筋張っていて硬く、皮もあるため、余計に食べにくい。だが、味の方は、そう悪くない。独特の塩味が利いていて、調味料がいらないくらいである。ジューシーで、なかなかに深い味わいである。二十数年前、僕が優しいことに使ってあげた「あの子」の指はどうだったろう。じいさんの骨は、スナック菓子みたいでなかなか美味だったな。懐かしい思い出を振り返りながら、僕は食事を楽しんだ。

 200gの肉を食べ終わると、腹がこなれてきた。そろそろ、おいとまするか。僕はシャワーを使って、身体にこびり付いた血液と悪臭を洗い流してから、また服部の「肉物体」が転がる部屋に戻り、服を着た。

 が。そこで、異変に気付いてしまった。

「くせえっ」

 僕のお気に入りの白のシャツが、耐え難い悪臭を発している。凄まじい臭いだ。ファブリーズをかけてみたが、臭いは落ちない。まるで、服部の恨みが染みついたようだ。こんな服では、とても外を歩けない。

 どうしよう。
 
 服部の服をいただくか。

 と思ったが、衣装ダンスが見つからない。なんと、服部の奴、今着ている服しかもっていないようだった。それは言うまでもなく、血と悪臭に塗れて使い物にならなくなっている。もしかしたら他の服は、コインランドリーで洗濯している途中なのかもしれない。いずれにしろ確かなのは、このままでは、裸で外を歩かなくてはならないということだ。スタイリッシュな僕に、そんなことができるわけがない。

 困った僕は、木嶋佳苗に電話してみた。
 出ない。役に立たない女め。
 木嶋佳苗が応答するのを待つしかないのか。
 鼻毛が干からびそうな、この悪臭に満ちた部屋の中で?
 冗談じゃない、死んじゃうよ。
 それに早くここを出なくちゃ、最近はまっている夕方6時のアニメ「ムシブギョー」に間に合わないじゃないか。
 

 どうしよう。

 どうしよう。

 どうしよう。

 うーん。

 そうだ。

 閃いたぞ。

 松永とかいう奴に電話してみよう。

 僕は携帯を手に取り、登録してあった松永の番号を呼び出した。

「松永です」

 松永は、2コールで応答した。

「あ・・あ・・・えっと・・」

「宮崎さんですね。ご無沙汰しております」

 名乗ってもいないのに、松永は僕が誰かわかったようだ。用件を尋ねる松永に、僕は、現在の状況と、服部のアパートの住所を教え、服を届けてほしい旨を伝えた。松永は快く了承した。

 三十分ほど待っていると、いきなりドアが開く音が聞こえてきた。インターホンも鳴らさずに部屋に入ってきたのは、加藤とか呼ばれていた若い男だった。

「な・・なんだこれは・・」

 酸鼻を覆う光景に、加藤が顔をしかめる。そんなに引くほど、グロい光景か?まあいいや、さっさと服を寄越せ。僕はタオル一枚を腰に巻いた格好で歩み寄り、加藤が持っていた紙袋に手を伸ばした。すると、加藤はそれを後ろに隠して、

「待て。服は渡す。その代わり条件がある」

 と、僕への謎の嫌悪感と警戒心を滲ませた口調で言った。


「お前のアジトに案内しろ。一緒にタクシーに乗れ」

 なんだ。そのくらいなら、お安い御用だ。僕は加藤が持ってきた服を着た後、加藤と一緒にタクシーに乗り込み、青山のマンションへと向かった。

「おい。お前は今、誰かと一緒に行動しているのか?」

 車に乗るや否や、加藤が質問を飛ばしてきた。
 こいつ、さっきから生意気だな。
 見た目は同じ年齢くらいだが、僕より年下のはずだろう。
 なのになんだ、その口の利き方は。
 こいつも、肉物体にしてやろうか。
 
 いや。それは無理だ。
 こいつの全身から発せられるオーラ。
 服部に感じたそれより、数段上の強さだ。
 とてもではないが、戦って勝てる相手ではない。
 素直に言うことを聞いた方がよさそうだ。
 
「木嶋佳苗って女と一緒だ」

「現在の軍資金総額は?」

「・・金は全部、木嶋が管理してる。僕は一切触れてない」

「・・一日の生活パターンを、簡単に教えろ」

 などといった会話を交わしているうち、マンションに到着した。僕がカギを開けると、加藤は断りもせず、一緒に部屋に入ってきた。無礼な奴だが、好きにさせておくことにした。僕は今、それどころではない。「ムシブギョー」を観るため、テレビの前でスタンバイしていなければならないのだ。

「もしもし、加藤です。宮崎勤のアジトに到着しました。奴は今、木嶋佳苗と二人で行動しているようです。木嶋は今、不在にしています」

 加藤が、誰かと電話を始めた。うるさいな、さっさと出て行けよ。アニメが始まっちゃうだろ。

「カギ・・?はい。わかりました。おい、宮崎勤。カギを寄越せ」

 加藤をさっさと追い払うため、僕は言われた通り、カギを渡そうとしたが、そこでハッと思いとどまる。

「あっ・・駄目だ。木嶋佳苗に、カギを失くしたら、カレー仲間を作ってあげないと言われてる」

「つべこべ言わず、よこせよっ!」

 加藤が詰め寄ってきた、その瞬間だった。

「やめなさいっ!加藤くん!」

 加藤の携帯の受話器から、女の大喝が聞こえてきた。
 重信房子・・。僕が密かに気に入っている、あの女だ。

「すみません・・」

「今日のところは、もう帰ってきなさい」

「はい」

 加藤は重信との通話を終え、携帯カメラで室内の様子を一通り撮影すると、僕になんの挨拶もせず出ていった。やっと出ていったか、野蛮人め。
 
 しかし、久々に重信房子の声を聴いて、少し興奮してしまったな。
 「ムシブギョー」が始まるまで、あと5分・・か。
 ギリギリで、間に合うかな。
 僕はフローリングの床に、仰向けになった。
 さっき聴いたばかりの重信房子の声を、脳内でリピートした。
 股間に手を伸ばす。
 ファスナーを開けようとした、そのときだった。

「うわっ」

 重信房子の倍は面積のある巨大な顔が、僕を睥睨していた。
 なんだ、帰ってたのか。

「ただいま勤さん」

「あ、ああ。おかえり」

「私の頼み事は、聞いてくれたのかしら?」

「う・・うん。君の言う通り、殺して金を奪ってきたよ。ほら」

 僕が戦利品の財布を差し出すと、木嶋佳苗は、肉厚の頬を緩め、満面の笑みでそれを受け取った。財布の中身は、約十二万円が入っている。

「思ったより、もってなかった。ごめんね」

 本当はあと一万円あったのだが、今月発売の「エヴァQ」のDVDを内緒で買うために、すでにガメていた。

「いいのいいの。スポンサーさんがお金をくれるから」

「スポンサー?」

「ふふ。勤さんは気にしなくていいのよ」

 木嶋佳苗は機嫌良さそうに言うと、ドスドスと弾むような足取りでキッチンに向かい、夕食の支度にとりかかった。こいつ、僕に何か隠してるな。気にはなったが、尋ねる気はしなかった。「ムシブギョー」が始まったのだ。

「今日のメニューは、ローストビーフよ。お肉はウチに来てから初めてでしょう。気合入れて作るから、楽しみにしててね」

 うへえ。肉かよ。僕はげんなりした。


 加藤智大は、松村恭造、尾形英紀とともに、松本美佐雄の勤務するコンビニエンスストア「ファミリーマート」を、車の中から見張っていた。

 数日前、僕たちの軍団は、中古店でハイエースを購入していた。車は移動手段としてだけでなく、武器や臨時の住居としても使える。あって損はないアイテムである。

 ちなみに、バトルロイヤル開始から50日が過ぎた現在の段階で、僕たちの軍団は、いまだに本拠を構えていない。歌舞伎町にオープンした「スカーフキッス」が、一応の城といえるが、生活までそこでしているわけではない。ホテルを転々とする、ジプシー暮らしだ。

 どこか一か所に定住するのは、施設を思う存分に強化できるし、コスト面で有利など、メリットも大きいが、やはり特定されやすい分、リスクも大きい。日中、起きているときはいいが、夜、身体を休めているときは、どうしたって隙が出てくるものだ。不測の事態に備えるため、僕たちは常に、三階建て以上のビジネスホテルの最上階で寝泊まりをしている。

「あっ。出てきた」

 松村くんの声で、後部座席で休憩をとっていた尾形さんが起き上った。二人が、松本に注目しつつ、僕の方にチラチラと視線を向ける。彼らは、僕の指令を待っていた。

 松本は狙われる立場、こっちは狙う立場。向こうは一人、こっちは三人。まず勝ちは動かない状況である。となれば考えるべきは、いかに損害を抑えるかということ。そして、いつか来るであろう大戦に備え、いかに質の高い実戦経験を積めるか、ということだ。僕はすでに、渡辺清を殺した経験があるが、松村くんと尾形さんは、今回が初めての実戦だ。彼らが初陣で、今後の自信に繋がるような成果を挙げられるようお膳立てをしてあげるのが、先輩の務めである。僕の責任は大きい。

 試してみたい戦術がある。ゴルフボールを用いた、投石攻撃だ。

 原始時代、人間は英知とともに、投擲能力を獲得したことで、生態系の頂点に立った。言うまでもないが、基本的に戦いは、射程距離が長い武器を持っていた方が有利である。漫画や映画などで、銃を持った相手に剣やナイフで戦う登場人物が持て囃されるのも、それが普通に考えれば不利であるという認識が、観ている者の頭の中にあるからだ。
 
 投擲武器を使いこなせる人間と、殴る蹴るしか能がない人間が戦えば、その戦力差は、原始時代の猛獣と人間以上に広がる。硬いゴルフボールなら、当たり所が悪ければそれだけで相手の命を奪えるし、少なくとも怯ませることはできる。その隙に距離を詰め、殺傷力の高い刃物でとどめを刺す。

 ただ、その戦術を使えるのは、開けた場所限定である。広いグラウンドで野球のピッチャーと格闘家が戦えばピッチャーが勝つが、6メートル四方のリングでは、立場は逆転する。
狭い室内では、モーションの最中に刺されてオシマイなのだ。

「行きましょう」

 僕の合図で、三人が一斉に車から飛び出した。この辺りの道は、頭の中にしっかりとインプットされている。僕たちは三手に分かれて、松本がT字路に入ったところで包囲した。松本から見て左に松村くん、右に尾形さん、背後に僕、という位置関係である。

 作戦では、ここで松村くんと尾形さんが、ゴルフボールを投げつけるはずだった。が。二人とも、しまった、という風に口を開けて、なにやらマゴマゴしている。極度の緊張から、車の中にゴルフボールを忘れてきてしまったようだ。仕方ない、作戦変更だ。ゴルフボールを投げる役割は、僕が負うことにした。

 ポケットの中から、ゴルフボールを取り出した。よく狙いを定める。ワン・ツー、とステップを踏み、身体を前に押し出した。タメを十分に作ってから、腕を振り上げる。肘をしならせ、指先を最後までボールにかけて、全身の力をしっかりと伝え、ボールをリリースした。
 
 白球が空気を切り裂き、松本の身体目がけて飛んでいく。重信さんにも教わったが、素人が頭部などを狙っても、まず当たらない。それよりも、相手の胸部付近を狙って投げ、球が上手いこと荒れてくれればいいという考え方で投げた方が、結局は急所に当たるという。投げるのが火炎瓶だったならば、急所を外しても相手に甚大な被害を齎せるのだが、薬品の使用は、今の段階では禁止されている。投剣や投げナイフでは精度が落ちるし、飛距離を得られないということで、僕たちの軍団では、投擲武器にはゴルフボールを採用していた。

 枯れ木が折れたような渇いた音が響き渡る。ボールは、松本の右ひじを砕いたのだ。人間の骨なんてのは、簡単に砕けるもんなんだな。意外と冷静に、そう思った。松本はポケットから武器を取り出そうとしたようだったが、脳の指令は前腕から先に伝わらず、ただ、困惑していた。

 いけない。観察している場合じゃない、指示を出さなければ。

「二人とも、行けッ!殺せっ!」

 僕の指示で、あたふたしていた二人が、それぞれダガーナイフを抜いて、弾かれたように飛び出す。腕の機能を奪われた松本は反撃できず、僕の方に向かって逃げてきた。動かぬ腕をぶらつかせ、やみくもに走る松本。すれ違いざまに足払いをかけると、松本はもんどりうって倒れた。

「今だ・・っ」

 トドメを刺せと命じようとした、そのときだった。前方から、二十代の学生風の男二人が歩いてくるのが見えた。見られたらまずいか?いや、バトルロイヤル中に僕たちが起こした殺人は、世間には公表されないよう、情報統制がされている。現在、バトルロイヤル参加者は、10人が命を落としているが、彼らの死は明らかになっていない。問題はない。

「殺れっ!」

 血しぶきが舞い、アスファルトに赤い海が広がった。二度、三度、四度・・。松村くんと尾形さんが、壊れた機械のように、繰り返し、ナイフを振り下ろす。僕がストップの指示を出しても一回では聞かず、三回目でようやく止まった。二人とも目は血走り、喘息の発作が起きたときのような、凄い呼吸をしている。

酷い取り乱しようだが、人を殺してしまったとき人間が見せる反応としては、それが自然と思えた。僕も、初めての殺人のときはそうだった。が、バトルロイヤル開始後、渡辺清を殺したときの僕は、自分でも驚くほど冷静だった。今もそうだ。僕はもう、人間ではない何かになってしまったのだろうか。

肉塊となった松本美佐雄は、白目を剥き、舌を出して、小刻みに痙攣しながら、血の海に浮かんでいる。目撃者の二人は、彫像のように固まって、地獄絵図を眺めている。この体験はPTSDとして、彼らの人生に暗い影を落としてしまうのかもしれない。僕が「あの町」で起こした事件に巻き込まれた人たちの中にも、きっと・・。

「よし。引き上げるぞ」

 目撃者から視線を切り、撤退の指示を出した。車に向かって走る僕の後ろに、二人が続く。

 娑婆に出てから、二度目の殺人。渡辺清を殺したときは、強い自己嫌悪に陥り、三日間、ロクに食事が喉を通らなかった。

 が。松本美佐雄を殺した直後の、現在の僕の胸に広がっている感情で最も強いのは、投石攻撃の有効性を確かめられたことへの満足感だった。後悔、罪悪感。まったく感じていないわけではないが、自信と満足感が、それを覆い尽くしていた。高校時代に味わった挫折以来、一度も自信など持ったことのなかった僕が、今、確かな手ごたえを感じている。自信がなさ過ぎて殺人まで走った僕が、皮肉なことに、その殺人で自信を得ている。

 そんなことで自信を身につけて、僕はいったい、何になろうとしているのだろう

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第33話

 松永太が、加藤智大から松本美佐雄殺害の連絡を受けたのは、指定暴力団、山崎組の応接室だった。

「ほっほう。いい手際でんなあ。さすがは秋葉事件で名を馳せた加藤智大や。要領ばっかり良くて肝心なときに役に立たない、最近の若い衆に見習わせたいくらいですわ」

 殺害の様子を伝えた山崎組幹部が、手を叩いて感心する。自分も、加藤の成長ぶりには瞠目していた。自分は、殺害現場を直接見たわけではないが、加藤の説明を受けて、その様子は手に取るようにわかった。そこが重要なのだ。殺害の状況を、微に入り細を穿つように説明できる冷静さ。その精神的成長こそが、もっとも大きな収穫なのである。

 数日前、杉並区のグラウンドで、バドラ麻原軍と、宅間守軍の抗争が起きたと、正田昭から報告が入った。その際に、あの男、宅間守が見せた鬼神のごとき立ち回りの凄まじさを聞いて、自分は、体中を走る戦慄を抑えることができなかった。宅間守。やはり現時点では、あの男が最強である事実は、疑いようもなくなった。加藤智大の成長も目覚ましいが、宅間の域には達していない。

 自分が思うに、加藤智大が宅間守にもっとも及ばないのは、精神的な未熟さだ。幕末の動乱期、名門道場の剣士が田舎道場の剣士や山賊に不覚を取ることが珍しくなかったことからもわかるように、殺し合いでもっとも重要なのは、技術ではなく胆力である。法廷で開き直り、アンドレイ・チカチーロも真っ青の暴言を吐いた宅間の悪は、極まっている。対して加藤智大は、支援者の意見に流されたのもあるだろうが、法廷では、事件の際に見せた暴れっぷりが嘘のような大人しい姿を見せている。動機に関しても、明らかに弁護士の入れ知恵としか思えない、どうにも要領を得ない供述をしていた。

 こういう言い方はどうかとは思うが、加藤は「日和った」のである。幼いころから反社会的な行動を頻発させていた、先天性の人格障害者である宅間と、母親の教育や、格差社会に性格を歪められた要素の大きい加藤の違いということもあるだろうが、宅間に比べて加藤の態度が、卑怯未練とまで言っては言い過ぎかもしれないが、潔くはないものだったことは否定できない。

 しかし、自分は悲観していない。加藤が宅間に及ばないのは、あくまで現時点の話なのである。年齢的にもおそらくこれ以上の伸びしろはない宅間に比べ、加藤にはまだ成長という上積みの可能性が残されている分、宅間を超えることだってあり得るのだ。幸いにもまだ時間はある。教育係である重信房子には、頑張ってもらわなくてはならない。あの女は加藤に持てる全てを伝え、自分に殺されていくのだ。

「ごくろうやったな、松永はん。ほいで、次の頼みやが・・今度は殺害の依頼やのうて、保護の依頼なんや。実子殺害事件の畠山鈴香を、来月の二十日以内に殺されんように、匿ってほしいんや」

 幹部の依頼に、松永は心の中で手を叩いた。資金援助とともに、戦力の充実が図れる。一石二鳥の依頼である。

「了解しました。他には、何かありませんか?」

「え?他にはって、一つだけでも大変やろ」

 見くびってもらっては困る。畠山鈴香の居場所など、自分はもうとっくに掴んでいる。例によって、前上博の嗅覚による成果だ。民間の調査会社を利用することで、生活パターンも把握済みだ。説得して戦力に加えるなり、無理やり拉致するなり、依頼の内容を現実のものとすることなど、今すぐにでも出来る。

「ご安心ください。畠山鈴香の保護などは、すぐにでも叶えて差し上げますよ。二兎を追う者は三兎をも得る。それが私の信条ですから」

「ほ、ほうでっか・・。そりゃ、頼もしい限りやな。そんなら、顧客から依頼が入り次第、報告しますわ」

 顧客―――。「ブラック・ナイトゲーム」の会員。

 「ブラック・ナイトゲーム」は、ユーロマフィアが主催する秘密結社で、政治、紛争、スポーツ、果ては自然現象に至るまで、地球上で起こるありとあらゆる事象を対象に、賭け事を催している。会員は世界の富豪、裏社会の実力者など500人を超え、一度イベントが開催されれば、国が一つ傾くくらいの金が動く。

 そのイベントに、どこから情報が漏れたのか、今回のバトルロイヤルが選ばれたのだという。最後に生き残るのは誰かという話はもとより、いつ、誰が、どこで、誰に殺されるのかなど、かなり細かい項目までが、オッズの対象になっているという。

 賭け事には出来レースが付き物だ。会員たちは、それぞれが日本のヤクザとコンタクトをとり、自分が支持する参加者を生き残らせるよう、また、自分が消したいと思っている参加者を殺すように依頼し始めた。ヤクザは自分たちの手で参加者を殺すこともできたが、そこは手を打つのが早いグランドマスターが、日本中のヤクザの有力者、および「ブラック・ナイトゲーム」の会員にお触れを出し、参加者に手だしをすれば、委員会がただちに始末に向かうと警告した。ただ、バトルロイヤルを賭け事の対象とすることそのものは、容認したのだという。


 自分たちで手を下せなくなったヤクザは、各々で参加者を囲って、自分たちの手駒として動かす方針に切り替えた。ヤクザの方から、参加者にコンタクトを取り始めたのだ。

 ならば自分からヤクザに接触した自分は無駄骨を折ったのかといえば、そうでもない。関東に最大勢力を持つ佐野会の系列と手を結んだということは、裏社会の住人全てを味方につけたことと同義だからだ。

 ちなみにグランドマスターは、ヤクザが参加者を支援するのは認めたが、特定の参加者を殺した報酬として、参加者に金銭を与えることは禁止した。それではまるで殺し屋になってしまい、参加者の意思がまるでなくなってしまうからだ。また、あの男は、どうしても、参加者がアルバイトなどをして自分の力で生計を立てるところが見たいらしい。ただこれに関してはいくらでも抜け道はあるだろうし、全ての参加者、ヤクザが守るかどうかは、疑わしいものだが。

 今はまだ水面下で動いている状況であり、大勢に影響はないが、時間が経つにつれ、その影響は無視できなくなっていくだろう。「ブラック・ナイトゲーム」の動きを押さえておくこと、それが、終盤の戦いを制する一因になるのは間違いない。

「わかりました。それでは私は、店の方に顔を出さなければならないので、失礼します」

 松永は幹部に挨拶をし、組事務所を辞していった。

 死の恐怖に満ちた町で、暗い陰謀が、静かに動き始めていた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第34話

宅間守と金川真大が食を断ってから、三日目に突入しようとしていた。
 
 宅間と金川が麻原軍から奪った金は、8万2千円。その全てを、スーツ代と、ねるとんパーティーでひっかけた女との遊興費に使ってしまった宅間たちは、深刻な金欠病に侵されていた。
 
 「ファミリーマート」の前で座り込む宅間の鼻孔に、新商品「チーズナゲット」の臭いが侵入してくる。丸一日洗っていない女の陰部に非常によく似た臭いであり、体調万全ならこの上なく性欲をそそられる淫靡な香りなのだが、飢餓状態に陥った今の自分には、腹が鳴るだけだった。人間の欲求は性よりも食が上位にあることを、つくづく思い知らされる。

 昨日までは、腹が減った、腹が減ったと、300回くらい喚き、余計に自分を苛立たせていた金川も、今日は口数が少ない。生の本能が、無駄なエネルギーを消費しないよう、不平不満の多い性格までを変えてしまったようだった。

 目の前では、部活帰りの厨房が、うまそうにフライドチキンを齧ってけつかる。食の欧米化が、子供の非行や適応障害に繋がっているのではないかとの説を唱える学者は少なくないが、そういえば自分もガキの時分はよく、家事嫌いのおふくろが買ってくるファーストフードを食っていたものだ。

 奴らの食い物を強奪したいところだが、委員会からの警告メールが、自分を躊躇わせている。自分は万引きも得意なのだが、Gメン一人雇う金のない、自分から見ればどうぞご自由にお盗りくださいと言っているとしか思えない個人商店を見ても、ただ指をくわえているしかない。こんなでは、なんのために娑婆に出てきたのかわからない。不自由なものである。

 厨房は、食い終わったフライドチキンをゴミ箱に捨てもせずに去っていった。フライドチキンには、まだ食える肉がたっぷりと付いている。まったく近頃のガキは、もったいない食い方をしおって。粗末に扱ってええのは、女だけやろうが。

「おい、小僧。今、コンビニん中に、ドラクエⅧのゼシカちゃん似の、プリプリした身体の女が入っていったで。追ってったほうがええんちゃうか」

 宅間は嘘をついて、金川をこの場から遠ざけようとした。職場で自慰行為を働いていたところを見られた際、腹いせに精神安定剤をお茶に混入したほどプライドが高い自分には、人前で拾い食いをするなどは、考えられなかった。

「嘘つかねーでくださいよ。さっきから入口見てましたけど、誰も出入りしてませんでしたよ。それに、今腹減りすぎて、ゼシカとか興味ないっすよ」

 言うことに従わない金川に腹はたったが、気持ちはよくわかった。自分とて、今この状況で、篠原涼子のような自分好みの美熟女が通ったとしても、まったく興味もわかないだろう。

 この上は羞恥を押し殺して、拾い食いをするしかないのか。そう思ったところで、携帯電話が鳴った。娑婆に出てからこれまで遊んだ女どもからは、ちょっと乱暴をし過ぎたせいで全員から着信拒否を食らっていたはずだったのだが、向こうからかけてくるとは。やはり、自分の味が忘れられなかったのだろう。可愛い奴め。まずはしゃぶしゃぶを奢らせ、精力を回復させた暁には、たっぷりとブチ込んでやるとしようか。

「宅間守だね。今、どこにいるんだい?」

 受話口から漏れてきたのは、年上でも生理があがったかあがらないかくらいまでイケる自分でも、さすがにお断りの年齢の女の濁声だった。

「どこって、大田区のファミリーマートの前や。というか、誰やねんお前。お前の声なんぞ、ワシは知らんぞ」

「角田美代子。バトルロイヤルの参加者さ。知ってるだろう?」

「角田美代子・・?ああ。そういや、尼崎にいたころ、あんたの噂を聞いたわ。ゴットマザーみたいなオバハンがおるっての。なんや、あんた、捕まっとったんか」

「あんた・・知らなかったのかい?呆れたね、参加者名鑑を見てなかったのか。まあいい。ちょっとあんたに用があるんだ。なに、あんたにとっても悪い話やない。これから人をやるから、詳しい番地を教えとくれよ」

「ちょ、ちょう待てや。なんでオバハン、ワシの番号を知ってるんや」

「アホ。あんたが出会い系サイトに登録して、自分で番号を載せとったんやろ」

「・・そやったか?まあええわ。ワシ、一昨日から何も食ってないねん。飯ごちそうしてくれたら、話の一つでも聞いたるわ」

「わかったわかった。待っとき」

 宅間は角田に、付近の電柱に書いてある番地を伝えた。角田の配下が、三十分くらいで到着するという。

 今の自分は衰弱している。数日前に戦った、造田博とかいう小僧のような強者でなくとも、並程度の腕力がある男なら、簡単に命を取れるだろう。いくら飢えているとはいえ、本来なら、角田美代子の話は信用するべきではない。

 だが、なぜか自分は、角田美代子になら、会っても大丈夫な気がしていた。郷里で有名なワルだったというだけでよく知りもしない角田美代子に、顔も見たこともない角田美代子に、謎の信頼感を抱いていた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第35話

 宅間守と金川真大は、角田美代子の配下、上部康明が運転するワゴンRで、角田のアジトへと向かっていた。助手席には、角田の右腕的存在である、福岡看護師保険金殺人事件の主犯、吉田純子も乗っている。

「あんたら、いい食いっぷりね~。育ちざかりの子供みたいで、可愛いっ」

 吉田がからかうのを聞き流し、宅間はコンビニ弁当を貪り食った。味も栄養バランスも関係ない。これが実はドッグフードだと言われても、自分は箸を止めないだろう。ただひたすら、胃袋を満たすことのみに専心し、貪り食った。

 腹がこなれてきた頃に、ワゴンは世田谷に建つ四階建てマンションの前に停まった。この時点ですでに、飯を食うという宅間の目的は達成されてはいたのだが、他に予定があるわけでもなし、とりあえず、角田には会ってみることにした。エネルギーも補充されたのだし、もし襲われたなら、返り討ちにして資金を強奪すればいい。

エレベーターで最上階へと昇り、宅間達は部屋へと案内される。

「姐さん、連れてきたよ。宅間守と、金川真大」

「おう。よく来たね。まあ、くつろいどくれよ」

 宅間と金川を迎えたのは、まさに「妖怪」といった風情の老女だった。宅間はソファに腰を降ろすと、角田の配下たちに視線をやる。角田が座る、玉座のような一人掛けソファの左右に立っている男が、藤井政安、松本健次の二人だそうだが、どっちがどっちだかはわからない。角田の後ろに控えめな面持ちで立っている女が、石川恵子か。この女は、なかなかの美人だ。違う立場で出会っていたなら、口説くか犯すかしていたところだ。

「んで、話ってなんや」

「まあ、そう急くな。関西出身の大物二人が顔を合わせたんや。まずは、郷土の昔ばなしにでも花を咲かせようやないか。そや、酒でもやるか。純子ちゃん、魔王だしたって」

 角田に命じられて、吉田が酒棚から、焼酎「魔王」の瓶を取り出した。すでに開封済みである。グラスに注がれた「魔王」がテーブルに置かれるが、宅間はそれには目もくれず、タバコに火をつける。

「せっかくやが、これは片づけてくれ。何が仕込まれてるか、わからんからな。出すんなら、缶ビールか何かにしてくれや」

 宅間が言うと、角田は嬉しそうに皺だらけの頬をくちゃくちゃにし、目を細めた。

「やはり、あんたは私が見込んだ通りの男だ。気に入ったよ。それじゃ、頼み事をさせてもらおうかね。あたしと、同盟を結んどくれよ」

 思っていたのとは違う誘いに、宅間は首を捻る。

「同盟?ワシを下に付けたいんやないのか?」

「あんたを意のままに出来ると思うほど、あたしは己惚れちゃいないよ。普段は行動を別にし、いざってときにだけ手を携える。あたしは金を、あんたは武力を提供する。あくまで対等な立場で、お互いを支援しあうのさ」

「ちょっと都合よく考えすぎなんちゃうか?そんな約束、ワシはいつ反故にするかわからんぞ?」

「それは、あんたを配下に据えたとて同じことやろ?人類史上、あんたほど仁義や信義って言葉から遠いところで生きてきた人間はいないからね。それを承知しているからこそ、配下ではなく同盟者になってくれと申し込んでるんだよ。対等な立場なら、返ってくるものは小さいかもしれないが、恩を仇で返されるってことはないからね」

 宅間は考え込んだ。この角田という女がどんな犯罪を犯したのかは知らないが、この女が確かな戦略眼の持ち主であり、また類まれなる人心掌握術の持ち主であることは、発言や、発する雰囲気から窺える。軍団の規模も大きく、同盟を組めば、頼もしい協力者となってくれることは確実だろう。それよりなにより、当面の資金のことがある。とにかく金が必要なのは確かであり、それがないと生きていけないのだから、角田の申し出は渡りに船ではないか。

「ええやろ。オバハンと組んだるわ」

 それ以外に、選択肢は考えられなかった。バトルロイヤルに、どこのどいつが参加しており、誰が誰と組んでいるのか知る由もないが、麻原のオッサンは敵に回してしまったし、この先、角田以上の勢力と同盟を組むチャンスが訪れるとも思えない。大局的見地で物を見るということがまったく苦手な自分であるが、この選択には間違いはないはずである。

 同盟が締結されると、宅間と角田は、それぞれ、お互いの情報を交換し合った。宅間が自分の戦歴を紹介すると、角田は満足そうに頷く。宅間が話し終えると、今度は角田が、参加者名鑑を開きながら、何人かの有力犯罪者をピックアップし、自分に紹介して聞かせた。

「組織の頭目クラスから紹介していこうか。まずは、あんたが戦った麻原彰晃。この男に関しては、説明するまでもないやろう。次に、重信房子の軍団を陰で仕切っとる、松永太。あたしが一番警戒しているのがコイツだね。何を仕掛けてくるかわからん、参加者いちの策士だよ。それから、スナック保険金殺人の八木茂。こいつも厄介な相手だね。連合赤軍の永田洋子、永田との死闘を生き残った小林正、一家全員で参加しとる北村ファミリーなんかも、最近伸びてきているみたいだね」

 誰が誰やらさっぱりわからんし、極めてどうでもいいのだが、重信房子とかいう女は美人だと思った。目が神がかっているというか、あまりにイノセントに過ぎるというか、自分や角田のような欲に満ちた獣とはまた違った狂気性を放っているのが印象的である。インテリというのも好みの要素である。しかし、この女とヤルことはないだろう。賢いオスは、交尾が終わった後に食われる可能性のあるメスには手を出さないのだ。

「次は、戦闘の面であんたの相手になりそうな奴を挙げていくか。まずは、加藤智大。2008年、あんたが池田小で暴れたちょうど同じ日に、秋葉原で7人を殺った男だ。戦闘力だけならあんたにも匹敵する、参加者屈指の豪傑だよ」

 宅間は怪訝な面持ちを見せる。こんな虚弱そうなガキが、2tトラックのアタックでかなりの数を稼いだとはいえ、成人7人を殺ったなど、信じられる話ではなかった。もっとも、隣に座っている男も、学ランでも着て歩いていたら学生と見分けがつかない坊ちゃん面のくせに、ミニ宅間などと言われるほどの事件と法廷での暴れっぷりを披露したのだから、見た目では判断できないが。まあ、このガキが本当にそれほどの戦果を挙げたのなら、いずれあいまみえる日も来るだろう。そのときには教えてやる。本当の悪魔と、ただ悪魔になろうとしただけの男の、器の違いというものを。

「そこにいる金川は味方だからいいとして、短時間での大量殺人の日本記録を持つ、都井睦雄。あんたが戦った、造田博。深川通り魔事件の川俣軍司。この辺りが目ぼしいところかね。あ、そうそう。ここにいる上部康明も、あんたらの同類だよ」

 自分と金川を、アジトまで運んだ男か。この男もまた、どうにも冴えない、印象の薄い男である。ここまで来ると、通り魔殺人とは、むしろ自分のような、見るからにデンジャラスな男が起こす方が異端なのではないかという気もしてくる。

「ふむ。そうだ、この上部はあんたにやるよ。似たような犯罪を起こした同士、そっちの方が居心地がいいだろう。どうせ戦闘のときには力を借りるんだから、あたしの戦力ダウンにはならないしね。あたしらとのパイプ役として、可愛がってやってくれ」

 別に一人で行動したって構わない自分からすれば、正直、有難迷惑な話ではあったが、角田から人質を取るという考え方なら、使ってやるのも悪くないのかもしれない。麻原軍との戦いでパシリがいなくなってしまったことでもあるし、連れていってやるとしようか。

「その他で、あたしが個人的に警戒しているのは、映画のモデルにもなった連続強殺犯の、西口彰だね。詐欺や強盗、殺人、あらゆる悪事を働きながら全国を行脚した逃亡犯。あたしの頭脳に、あんたの戦闘力、福田和子の逃亡術。それらを足して3で割ったような、個人の総合力では最高の男だろうね」

「別にビビることはないやろ。ようは、どれをとっても中途半端な器用貧乏ってことやないか。その道のオーソリティのワシとオバハンが組めば、何も怖くないやろ」

「頼もしいことを言ってくれるじゃないか。おっと、もう夕食の時間だね。あんたらも今日はここで食ってお行きよ。なんなら、泊まっていってもいいよ」

「お断りや。毒でも盛られたら敵わんわ。オバハンとワシは、戦略的に手を携えただけ。仲良しになったわけでもなんでもないんやからな」

 宅間がギッと口角を吊り上げると、角田もニッと笑う。

「そうだったね。じゃあ、今日は、当面の金を持って帰りな。携帯は、いつでも繋がるようにしておくんだよ」

「24時間365日。来年の3月1日まで繋がるようにしておくわ」

 再び、二人の笑みがシンクロする。
 頭脳の角田と、戦闘の自分。
 この二人が組めば、どんな参加者も怖くはない。
 そして、この女も、けして怖くはない。
 
 言葉より刃。これだけ思想や化学が発達した世の中でも、最後に物を言うのは腕力なのである。小賢しい策など、力で捻じ伏せる。相変わらず生に執着はないワシやが、人の意思で命を奪われるのは我慢ならない。ワシを殺せるのは、ワシだけや。ワシを殺すとする奴は、必ず殺す。たとえ、恩人であってもや。

「ほなな、オバハン。おいお前ら、行くで」

 宅間は、角田から受け取った50万円をポケットにねじ入れ、席を立った

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第36話

「うおおおおおっ!こええええっ!」

「うわあああああっ」

 時刻は夜10時30分。パソコンで動画観賞をしていた菊池正と関光彦が、阿鼻叫喚の悲鳴をあげた。彼らが視聴しているのは、ユーチューブに転がっていた「べティの誕生日」である。麻原彰晃率いるバドラは、8月に肝試しを予定しており、そのときにために恐怖に慣れておこうと、心霊動画を視聴することになったのだ。

「これは作り物ですね。構成が説明的すぎます。それに、作りが甘いです。エミリーたちがテーブルを囲んでいる場面ですが、ケーキ以外に何も料理が載っていない。飲み物すら載っていないのは、明らかに不自然です」

 恐怖に震える他のバドラメンバーをよそに、正田昭が、冷静な推理を述べた。

「そ、そうだったのか。よかった~」

 単純な菊池正が、安堵の溜息をもらす。

「ってか、尊師、何してんのさ。一緒に動画観ようよ」

 パソコンから離れ、一人「イブニング」を読むふりをしていた自分に、関光彦が声をかけた。自分は、オバケの類は大の苦手なのだ。

「う・・い・・いや、俺は、遠慮しておく。ちょっとこれから、ヨガをしなくてはならんのでな」

「何いってんの。午後のヨーガは、もう済んだでしょ。ほら、早く一緒に観ようよ」

 関光彦が、逃げようとする自分の腕を掴み、強引にパソコンの前に連れていった。

「なあ、心霊動画はいいから、プロ野球中継でも観ないか?ブランコのホームランが、見れるかもしれないぞ」

「尊師、野球はもう終わりましたよ。さあ、一緒に観ましょう」

 勝田清孝が、往生際の悪い態度を見せる自分に、ニヤニヤと笑って言った。尾田信夫が、パソコンを操作し、心霊動画を物色する。尾田が次に選んだのは、「奇跡体験!アンビリバボー!」の、心霊映像特集だった。

「鏡の中に写る・・少女の霊が・・恨めしそうに・・こちらを見ている・・」

 麻原は、歯を食いしばった。信徒たちは、動画を見ながら、自分の様子にも注目している。ここで目を背けるようなことがあれば、自分の威厳も崩壊してしまう。耐えるしかないのだ。

 そしてついに、カメラの中に、霊の姿が映し出された。

「ううっ・・・・くっ・・・!」

 今度の映像では、関光彦も菊池正も悲鳴をあげたりはしない。少し古い映像だからだろうか。が、自分にとっては、身も凍るような恐怖だった。

「もう一度・・・・」

 ふ・・ふざけるなっ。なぜ、もう一度やるのだ。あの恐怖を、二度も味わえというのか。しかし、バドラの信徒たちは、なぜこうも冷静でいられるのか。スタジオの所ジョージたちも、怖がっているではないか。ナレーションの声は、昨日、関光彦が観ていた、オバンゲリオンだかエバラゲリオンだかのアニメに出てきた髭面の男の声だ。フィクションの世界とはいえ、なかなか見どころがある男だと思っていたが、今日からあの男のことは、嫌いになることを決めた。

「ぬおおっ・・・くっ・・」

 麻原は恐怖に震えながら、縋るように、正田昭の方を見た。薄い唇は微動だにしない。さっきの動画のように、彼が作り物と言ってくれるのを期待していたのだが、それは叶えられなかった。

 地獄の時間は、就寝時間の11時30分まで続いた。信徒たちは、明日は「仄暗い水の底から」を観てみようという。憂鬱な気分を引きずりながら、麻原は床に就いた。


 翌朝。麻原たちは、朝食を摂りに「松屋」に足を運んでいた。麻原たちが揃って注文したのは、牛丼の大盛りである。

「こらあっ。袋の中の紅ショウガは、用具を使って一つ残らず使えって言ってるだろ!なんでわかんねえんだ!」

 七三頭の、やや古風ではあるがそこそこ整った顔立ちをした20代半ばくらいの店員が、若い店員に叱責した。若い店員は、紅ショウガの補充を行っており、その際、業務用紅ショウガの袋の中に、大量の紅ショウガが付着した状態で袋を捨てたことを咎められているようだ。

 たしかに食べ物を粗末にするのは褒められたことではないのかもしれないが、時と場合によるだろう。暇な時間帯ならいいが、通勤前のサラリーマンで賑わっている今の時間帯にそんな細かいことをいちいち言うのはどうなのか。牛丼が市民権を得ているのは、別にうまいからではなく、安くて早く出てくるからであろう。「食べ物を粗末にするのはお金を粗末にするのと同じこと」など、しみったれ根性を変な言葉で美化するのは結構だが、そのために一番大切な客をないがしろにしていては仕方ないと思うわけである。

「お客さん、ちょっといいですか?」

 七三頭の店員が、今度は麻原たちの前にやってきた。

「うちの店では、持ち込みは禁止されているんです。その牛丼、返してもらえますか」

 どうやら七三頭の店員は、麻原達が、自宅から持ち込んだ卵を牛丼にかけたことを咎めているようだった。

「なぜ、返さなくてはならないのだ。昨日の店員は、見逃してくれたぞ」

「そいつはそいつ。俺は俺です。今、店を任されているのは俺ですから、俺の権限で決めさせてもらいます」

 麻原が抗議すると、七三頭の店員は、巨悪に立ち向かう青年弁護士のような眼差しでもって自分を見据えて言った。時給は十分の一にも満たないのに、正義感だけは負けていないつもりらしい。バイト店員のくせに、くそまじめに仕事しおって。こういう奴がいるから、職場が息苦しくなるのだ。バイトはバイトらしく、いかにサボりながら立ち回るかだけを考えて仕事をしていればいいだろうが。正社員に登用されるわけでもなし、それがバイトの、正しい姿だろう。

「ふざけるな。俺たちはちゃんと金を払って、飯を食っているのだ。それをいくら持ち込みした食品をトッピングしたからといって、なぜ返さなければならないのだ。そんな法律があるのか!」

「屁理屈をこねないでください。どうしてもというなら、俺のポケットマネーから金を返します。それで帰ってください」

 麻原はゴネたが、七三店員は聞く耳を持たない。なんと頑固な男であろうか。

「ちょっと待ってください。私たちから牛丼を取り上げたとして、残った牛丼はどうするつもりですか?」

 麻原がさすがに観念して引き上げようとしたところで、正田昭が口を開いた。

「食べ掛けは捨てる。それがどうかしたか?」

「先ほどあなたは、紅ショウガを無駄にした件で、後輩を叱責していましたよね?器に半分以上も残った牛丼を、私たちが食べたいと言っているにも関わらず捨てるというのは、それと矛盾していると思うのですが、どうでしょうか」

 正田昭が理路整然と矛盾を解くと、七三頭の店員は眉間にしわを寄せ、何かを考え始めた。

「・・いや、参りました。確かに、あなたの言う通りだ。どうぞ、食事を続けてください」

 さしも頑固な七三頭の店員も、ぐうの音も出ない正論である正田昭の抗議ばかりは受け入れざるをえないようだった。

「・・うむ、さすがは昭だな。俺の言いたいことを、全て言ってくれた。俺もまったく同じことを思っていたのだが、信徒の成長のために、あえて、クレーマーみたいな駄々を捏ねたのだが、さすがは昭、見事に期待に応えてくれたな」

 自分がそう取り繕うと、菊池正が「くそう、そう抗議すればよかったのか」と悔しそうな顔を見せ、勝田清孝が、羨ましそうに正田昭を眺めた。

「お褒めの言葉に預かり、光栄です。ちなみに尊師。あの男は、連続企業爆破事件の大道寺将司です。バドラに誘ってみてはいかがでしょう」

 そうだったのか。大道寺将司といえば、東アジア反日武装戦線の中核メンバーである。元思想犯ならば、あの頑固さも納得である。ああした、頭はいいが頭の固いタイプの男を洗脳して染め上げれば、強力な戦士となるのは、オウム時代に実証済みである。今、フリーの立場ならば、誘わない手はない。

 麻原は退店時、大道寺に声をかけ、バドラに誘った。その晩のうちに大道寺から連絡があり、翌日の面接を経て、大道寺は正式なバドラの信徒となった。

 大久保清の死を乗り越え、バドラは新たなステージへと向かっていく――。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第37話

市橋達也は、小池俊一とともに、上野公園のホームレス村を訪れていた。この集落は、全国のホームレス村の中でも、もっとも上下関係が厳しいらしいのだが、ホームレス界の情報に疎い僕たちはそんなことは知らず、単純に規模だけを見て、大きいなら大きいだけ住み心地がよかろうと判断し、入り込んでしまったのだ。

 新入りに冷たいと言われるこの集落で僕たちが歓迎されたのは、手土産が上等なものだったからだ。小池さんが持ってきた「森伊蔵」が、ホームレスの親分、元ヤクザのヤナイのハートをがっちりと掴んだのだ。空き瓶を酒場の裏から拾ってきただけで、中身は、スーパーで880円で買った「のものも」だとも知らずに、ヤナイは旨そうに全てを一人で飲み、僕たちをいきなり中堅クラスの待遇で迎えてくれた。

 イメージと違い、ホームレスたちは意外と小奇麗な身なりをしており、パッと見はハローワークの求職者や場外馬券場に出入りしているオジサンたちと、そう大差はなかった。幹部クラスになると、スーツなんかを揃えている人もいる。30代の若いホームレスで、コスプレの衣装なんかを持っていた人もいたから驚いた。

 仕事も、空き缶拾いなんかで生計を立てている人もいないではないが、半分は、雑誌などの売り子やサンドイッチマン、違法薬物の運び屋などで、一日あたり数千円からの収入があり、結構リッチな生活を送っていた。上野公園のような大規模集落に所属するメリットはそこにある。おいしい仕事を回してもらえるのだ。

 ここに来てから、小池さんは売り子、若い僕は肉体労働で生計を立てていた。ヤナイが懇意にしている建築会社の現場に派遣され、一日4500円の給料で働くのだ。相場の半値の給料だが、僕の境遇に同情した建築会社の社員が食事をおごってくれたり、日用品や衣服、缶詰などを買ってくれたりするので、給料以上の収入があった。

 結構平和にやっていたのだが、一週間目の夜、事件が起きた。ヤナイの妻、レイコが、他の男に抱かれたとか抱かれないとかいう騒ぎが起きたのだ。

 数は少ないが、女性のホームレスはいる。彼女たちは女を武器に、力を持ったホームレスに身体を捧げることで生きている。信じられない話だが、70歳を超えた老女でも、ホームレスの世界では、高い需要があるのだ。50代なら引く手数多、40代なんてことになったら、もうマドンナ扱いである。

 ただ、若ければ若いだけ問題もある。妊娠の可能性があるということだ。中世以前において、女性の死亡原因のトップは出産だった。医療機器もなく衛生状態も悪く、その上高齢なホームレスの女たちの出産は、まさに死の危険と隣り合わせである。命を産み出すカウントダウンと同時に、死のカウントダウンが始まっているのだ。

 そんな状態にあるレイコを、ヤナイは金属バットで打ちすえていた。レイコは41歳。どこでどう道を間違えたのか知らないが、水商売でも成功しそうな美人である。ヤクザの情婦で、不貞を働いたのか、犯罪を起こして逃げているのか。なにか表に出られない、よほどの事情があると察せられた。

「おらあ!吐け!てめえは誰とヤッたんだ!吐け!おらあ!」

 ヤナイの非道な振る舞いを止めようとするものは、誰もいない。元ヤクザの組長のヤナイは、ここでは絶対君主である。基本的にホームレスの世界においては、過去の経歴は「言ったもん勝ち」で、皆それぞれ、好き勝手に身分を名乗っている。所詮は見栄だから、言っていることはコロコロ変わり、昨日は会社経営者だったのが、今日は元オリンピックの代表選手になっていたりなんてこともザラだ。

 ただその中でも、ヤナイの経歴だけは、本当かもしれないと思えた。僕は飯場で沢山のヤクザを見てきたから、「本物」は雰囲気でわかる。ヤナイの押し出しの強さと、獣のような奔放さは、確かに飯場で出会ってきたヤクザに酷似している。

 レイコは苦痛に耐えかね、一人のホームレスの名を打ち明けた。スズキ。一見、物腰穏やかな老紳士風で、性格も温和で春風駘蕩としており、下の者にも優しく、ホームレスみんなに慕われている男性だ。

 ヤナイが子分に命じ、狼狽するスズキを自分の前に引っ立てさせた。

「てめえ~、人格者ヅラして、ヤルことヤッてんじゃねえか。俺の女に突っ込むなんざ、いい根性してんな、おお?レイコ、てめえもだ。腹ん中にガキ抱えたまま他の男に突っ込ませるなんざ、とんでもねえ淫乱だ。節操もなく蜜を垂らしまくるてめえのアソコは、塞いじまったほうがいいな」

 ヤナイが、らんらんと光る眼を、スズキとレイコに向けた。

「俺は優しい男だ。てめえらの望みは叶えてやる。ただし、あの世でな」

 ヤナイが子分たちに、レイコとスズキの「処刑」を命じた。20名からの子分たちが、金属バットや角材などで、スズキとレイコを殴りつける。悲鳴をあげさせないように、口に猿ぐつわを噛ませた上で、滅多無尽に殴りつける。

 助けに入ろうとは、思わなかった。僕には、守るべき者がいる。浅はかな正義感で大事な者の命を危険に晒すほど、僕は青くない。それに、ヤナイの恐ろしさを知りながら、いい年をして不貞を働いた彼らは、やはり軽率とも思えた。自業自得とまでいっては酷かもしれないが。

 見て見ぬフリをしていると、子分たちの暴力が、突然止まった。レイコが、産気づいたらしいのだ。

「ううっ・・・うっうっ・・・・」

 悲痛なうめき声が、集落の中にこだまする。ヤナイの子分たちは、凝然として立ち尽くしている。腰を抜かしてへたり込んでしまう者や、嘔吐してしまう者もいた。想像を絶する光景が繰り広げられているのは、見なくてもわかった。

「死体をトランクに詰めろ。いつもの、産廃の山に捨てて来い」

 やがてレイコのうめき声がやむと、ヤナイが子分に命じた。

 あまりの衝撃に、視界がしばらく色を失っていた。まさか、本当に殺してしまうとは思わなかった。

 レイコとスズキの死体がトランクに詰められ、運ばれていく。続いて、レイコの身体から排出されたモノが、新聞紙に包まれて運ばれていく。隙間から、ちらりと中身が見えてしまった。オレンジともピンクともつかない色をした、カエルとも鳥ともつかない物体が、生魚のような臭いを放って、妙な液体を垂らしていた。

 激しく嘔吐した。貴重な食料を、全部小動物のエサにしてしまった。

 テントに戻ると、仲間の一人が、ホームレスの殺人は、ヤクザや不良少年にストレス発散のために殺される事件ばかりが話題になっているが、実際には、ホームレス同士が私怨や物の取り合いで殺し合うケースの方が多いのだということを聞いた。

 人間は、どこまで愚かな生き物なのだろう。これ以上ない弱者に落ちぶれ果てても、まだ同族でいがみ合い、傷つけあい、殺し合っている。みんなで手を取り合って豊かになろうとするのではなく、誰かを蹴落としてプライドを満たすことを優先させている。どこに行っても、どこまで落ちても、それが繰り返される。

「気にしていたらこっちがもたん。さっさと寝るぞ」

 小池さんはそう言って、一足早く寝袋に包まっていった。

 思考のチャンネルを切り替えた。今しがた見た光景を、記憶の中から消し去った。レイコもスズキもお腹の子も、最初からいなかったのだ。そう思うことにした。僕も素人ではない。情に囚われていては、過酷な戦いを生き抜くことはできないことは、わかっている。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第38話

 宮崎勤は、今日もまた木嶋佳苗の命令で殺人をすべく、山手線で新大久保に向かっていた。電車内で退屈を紛らわすため、ブックオフで買った漫画を読む。今日セレクトしたのは、100巻を超える超長編ボクシング漫画「はじめの一歩」である。

 この漫画を一言で評するなら「堕落した名作」であろう。日本漫画史上、いや、日本文化史上、一つの作品の中で、これほどまでに評価が分かれる時期があった作品は存在しない。あまりのクオリティの差から、「作者複数人説」までもが語られるほどである。

 その「作者複数人説」でいう所の「初代」が描いたとされるのが、コミックスでいう1巻~30巻までである。主人公の一歩が高校2年でボクシングを始め、20歳で日本チャンピオンに輝くまでを描いた部分であるが、この時期は非常にテンポが速く、物語がサクサクと進んで実に心地がいい。

 ただ速いだけでなく中身も濃密である。「スラムダンク」に代表されるジャンプ系のスポーツ漫画が、どちらかといえば天才が凡人を駆逐するストーリーを描いているのに対し、はじめの一歩はしつこいくらいに努力の大切さを謳っている。
 
 たしかに一歩は天才ではない。ハードパンチャーだが致命的に不器用で、足をまったく使えず、パンチをよくもらう。その一歩が、時代錯誤なラスト・サムライ、鴨川源二とともに頂点を目指す。他の主要登場人物にしても、その性能は尖ったものであり、万能の天才というのはあまり出てこない。最強キャラの鷹村すら、人気クラスの中重量級でなかなか試合が組めないというハンデがある。それを乗り越えて、勝利を掴む。そこに、大多数の凡人である読者はカタルシスを感じるのである。

 これは、作家として必ずしも順風とは言えなかった作者の経歴から生まれた作風であろう。作者は16歳で賞入選を果たすが、その後は鳴かず飛ばずで、何度も自信を叩き折られて23歳までくすぶり続け、結婚して子供も生まれ、ラスト・チャンスのつもりで描いたはじめの一歩で、ようやくブレイクを果たした。その苦労が、作者の原動力となっているのだ。

 気弱だった一歩が、鷹村ら豪快で暖かい先輩に揉まれ、素晴らしいライバルたちと拳を交える中で成長していく様は感動を与える。怪我やトラウマによる再起不能など、ボクシングの過酷さもちゃんと描いており、ただのお花畑展開ではない。「初代」が描いた部分だけでも、間違いなくスポーツ漫画の傑作である。

 「初代」が描いた一歩を、さらなるステージに押し上げたのが「二代目」である。コミックス31~45巻に相当する部分であるが、この時期の一歩は、サブキャラに焦点を当てた群像劇として評価が高い。

 凡人が努力と工夫で怪物王者に善戦した「木村VS間柴」や、準主役ともいうべき鷹村が世界王者に輝いた「鷹村VSブライアン・ホーク」は、常にベストバウトのトップ3に名を連ねる名試合である。鴨川の青年期を描いた「戦後編」や、「惚れた女の前でカッコつけてえんだよ」の超名ゼリフを生んだ「伊達VSリカルド」も熱い。「一歩VSハンマー・ナオ」も、作風がやや暗く少年漫画向きではないが、ゲロ道の不器用さがよく表れていて、大人になってから読み返すと良さがわかる。

 冷静に読み返すと、ツッコミどころは多い。鷹村とほぼ同体格のホークがなぜか減量を必要としていなかったり、減量幅が大きいならスタミナはともかくそれなりにパワーはあるはずの宮田が非力なままだったり、一歩より少し前に王者になったくらいの間柴が、いつのまにか五回も王座を防衛して、鷹村を差し置いて世界から話が来ていたり、などである。中重量級程度のパンチでリング全体が揺れたり、鷹村の「覚醒」、鴨川の「鉄拳」など、ややオーバーで、安易かつ力任せの表現も、この時期から目立ち始める。

 しかしこの時期には、「細けえことはいいんだよ」で済ませられる勢いがあった。同じくツッコミどころが多いスラムダンクが、文句なしの名作と讃えられているのと同じ理屈である。努力を大切にした作風も変わっていない。鷹村の宿敵ホークが、ルールを順守しているにも関わらず、「努力をしない」という点で作中最大の悪役と認識されているのが、それをよく表している。鷹村が世界をもぎ取ったパンチが、得意の野生パンチではなく、基礎中の基礎のワンツーであったのは、最後のブザービーダーをダンクではなく、練習で身に着けたジャンプシュートで決めたスラムダンクに通ずる美しさがある。

 この時点で、スポーツ漫画の金字塔まで評価を高めたはじめの一歩。しかし作品は、ここから緩やかに凋落を始める。

 練習の積み重ねではなく「パキーンパンチ」で片づけてしまった島袋戦、風格はあったが、ファイトスタイルは宮田と被り、キャラは間柴と被るという(最初は慇懃無礼キャラで出てきたはずなのに、なぜいきなり口調が粗暴になった?それで差別化ができなくなった)どうしようもなさの沢村戦、「野生+科学」でホークを倒したはずなのに、なぜか「野生VS科学」の図式になったイーグル戦。明らかにクオリティが劣化している。よかったのは「たくぞー」戦くらいだろうか。格下との試合で一歩の成長が見れ、また敵キャラ視点で一歩を見れたのもよかった。「腹筋」など、ネタ要素を含んでもいる。

 しかし、そこからはもっと頂けない。「一歩VS宮田待ったなし!」の状況から、ぐだぐだぐだぐだぐだぐだと引き延ばすのである。挙句である。

 土下座である。丹念に丹念に作ってきた流れを全てぶち壊して、一歩と宮田の試合を中止させたのである。とんでもない暴挙である。これによって、島袋戦以降の一歩の試合は、ほとんどが無駄になった。一歩VS宮田の前哨戦的位置づけの板垣VS今井などは、なんのテーマもない完全な無駄試合に成り下がった。

 正直、この時期の作者には明らかな劣化の兆候が見られ、一歩VS宮田が、鷹村VSホークのような名試合になったかどうかはわからない。それでも、一歩VS宮田はやるべきだった。やらないという選択肢はなかった。この二人の試合は主要キャラ同士の試合である。さらに作品評価が低下した後になっても、間柴VS沢村などがそこそこ盛り上がったように、「どっちが勝つかわからない」試合は、それだけで価値があるのだ。

 この決断は、作品に決定的なダメージを与えた。足利幕府が応仁の乱をきっかけに滅びの道を辿っていったように、大日本帝国がミッドウェー海戦をきっかけに敗戦の道を突き進んでいったように、はじめの一歩は完全に迷走を始めた。

 まったく無意味で無価値なイロモノ連発の「アジアチャンプ狩り路線」、読者に嫌われよう嫌われようと努力しているとしか思えない、板垣の「覚醒」、主要キャラの目を覆わんばかりの劣化具合、さらに拍車がかかった展開の冗長化、ボロボロと出てくる設定の矛盾。

 酷い。酷いとしか、言いようがない。作者は、シムシティで災害を起こしまくるプレイヤーみたいな思考に陥ったのではないかと疑うレベルである。この辺りの酷評に関しては2ちゃんねるで直近のスレを覗けば幾らでも語られているため、僕が語ることもないだろう。ただ、酷いとだけ言っておく。

 はじめの一歩の前半は、すべての作家が手本とすべき内容、後半は、すべての作家が反面教師とすべき内容である、との結論を出して、僕は漫画を閉じた。
 
 新大久保の駅で下車し、地図を見ながら二十分ほど歩いて、目的のアパートに到着した。外国人向けの、安普請のアパートである。この部屋の二階に、父子保険金殺人の外尾計尾が住んでいる。

 扉を開けた。血と臓物の臭いが鼻孔に侵入してくる。どうやら、誰かに先を越されたようだった。一応、確認のために部屋に入ろうとして、足を止めた。生臭い臭いの中に、かすかにタバコの煙の香りが混じっている。誰かいるのだろうか。それとも、殺される直前、外尾が吸っていたタバコだろうか。

 確認するか、逃げるか、逃げてから後で確認するか。

 どうしよう。

 どうしよう。

 どうしよう。

 僕が頭を抱えて迷っていると、部屋の奥から、足音が聞こえてきた。やばい。やはり、誰かがいたんだ。

 足音はすぐに迫ってきた。僕は逃げる間もなく、その場で硬直するしかなかった。

 僕の前に現れたのは、涼やかな目をした、二十歳そこそこの美青年だった。間違いなく美青年である。犯罪者にしては美青年というレベルではなく、二枚目俳優としても通用する、正真正銘の美青年である。

 山地悠紀夫――。少年時代に実母を殺害し、少年院出所後、二人の女性を殺害した、正真正銘のシリアルキラーとの邂逅だった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第39話

「・・・あ・・・あ・・・僕、宮崎勤・・・」

 緊張した僕は、わけもわからず、自分の名前を名乗っていた。なにをやっているんだ、馬鹿正直に名乗ったら、殺されるかもしれないのに・・。僕のバカ、僕のバカ、僕のバカ・・。

「宮崎勤・・。ああ、僕と同じ参加者の人だね。よかった。一般人だったら、どうしようかと思ってたんだ。さあ、上がって上がって」

 山地悠紀夫は白い歯を覗かせ、まるで自分の家のように、僕をアパートに招じ入れた。よかった、て、コイツは何を言っているんだ。侵入者が殺し合いをしている相手とわかって、逆に安心するなんて、相当ズレてるぞ。常識人の僕には、考えられない思考回路だ。

「お茶でも入れよう。コーヒーにする?紅茶にする?カントリーマアムもあるから、一緒に食べよう」

 いや、そんなこと言っている場合じゃないだろ。足元、足元。抉りだした外尾計夫の目玉を踏んづけてるぞ。あーあ、べちょべちょの液体で靴下が汚れちゃって・・。あ、今度は、なんか干からびたウインナーみたいなのを踏んづけたぞ。なんか毛だらけだな。しかもくせえ。ってうわ、よく見たら、男の大事なアレじゃないか。知らなかった、アレって、身体から切り離すとあんなに萎んじゃうんだ。

 とりあえずコーヒーを注文した僕は、山地悠紀夫と一緒にカントリーマアムを食べた。電子レンジで50秒くらい温めてから食べるのが美味しいと、山地は教えてくれた。

「ふう、おいしかった。今、4時か。宮崎くんは、バイトとかしてるの?」

「え?いや、バイトはしてないよ。木嶋佳苗っていう女の稼ぎで食べてるんだ」

 また、聞かれてもいないのに、プライベートな情報を打ち明けてしまった。こいつは友達でもないのに、なに気を許してるんだ、僕は。

 そういえば、僕は友達というのが出来たことがなかったな。小、中、高、大を通じて一人ぼっち。同じ趣味を持つアニメのサークルですら嫌われていた。そんな僕が、こいつは友達とか友達じゃないとかいうのも、おかしな話か。

「ふーん。門限とかあるの?」

「いや、特に決まってはいないかな。遅くなるようだったら、電話しなさいって言われてるけど」

「そっか。じゃあさ、一緒にゲームしようよ」

「ゲーム?うん、いいよ」

 ゲームは大好きだ。グランドマスターによって娑婆に解き放たれてから、ゲームは色々やった。アニメオタクで知られ、いわゆるファミコン世代にあたる僕だが、意外にもゲームは、捕まる前はあまりやったことがなかった。最近のゲームは絵もキレイで、やり過ぎで過労死してしまう人も出るくらい面白いと拘置所で聞いていたから、ネットカフェ生活を始めるや、さっそく色々なゲームをやった。ゲームは僕を、めくるめく夢の世界に導いた。

 まるで映画のような美麗なグラフィック。臨場感溢れるフルボイス。快適な操作性。どれをとっても、僕の世代とは比べものにならない。人間の英知の素晴らしさが、小さな電気箱の中に凝縮されている。僕は夢中になった。ゲームさえあれば、一生独房の中で生きていてもいいと思った。

 最近のゲームは、シナリオも練り込まれている。特に僕が気に入ったのは、「バイオハザードシリーズ」だ。アクション、謎解き、タイムアタックや縛りプレイなどのやり込み要素。ゲーム性だけでも面白いが、製薬会社「アンブレラ」と、それに対抗する人々の戦いを描いた壮大なストーリーが実に素晴らしい。ネットでは「B級」なんて言われているらしいが、だからといってチープということにはならない。確かに大雑把ではあるが、B級にはB級の良さがあるのだ。

 何よりキャラクターに魅力がある。クリス、ジル、レオンら、熱くて人間味のある主人公格たち、マッドサイエンティストのウィリアム・バーキンやアレクシア・アシュフォードの狂気と戦闘BGMの異常なカッコよさ。しかし、最大のスターは、シリーズ最大の悪役、アルバート・ウェスカーであろう。

 おそらく初代の時点では、悪のカリスマとなることを期待されていなかったウェスカーの扱いはぞんざいだ。一応、黒幕という役どころなのだが、家族を人質にとったり、セリフはアンブレラの犬っぽいし、断末魔が情けないことこの上ないし、おまけゲームではゾンビになっちゃってるし、小物臭がプンプンする。

 しかし、バイオハザードが異常な大ヒットを記録して続編が作られると、ウェスカーは「実はアンブレラを裏切り別組織に身を売っていた」「タイラントによる死を偽装し、ウィルスにより超人となっていた」という後付設定で、華麗に復活する。それからの活躍ぶりも、まさに華麗の一言だ。

 「ベロニカ」では、トレードマークのグラサンを外して綾波レイみたいな赤いお目目を披露し、超人的な身体能力で人外アレクシアと渡り合い、「アンブレラ・クロニクルズ」では悪役ながら主役に抜擢され、「4」や「ダークサイド・クロニクルズ」でも存在感を示した。そして、「5」でのマトリックスぶりである。戦闘BGM「wind of madness」、ロケットランチャーを手投げするシーンのカッコよさは異常である。というか、それが出来るならタイラントとかいらなくないか・・?

 人間性もカッコイイ。190㎝の長身に金髪、グラサンという出で立ちは、どんなファッションでも格好いいし、眠そうな声もいい。フットボール、戦史研究という、文武両道を地で行く趣味も渋いし、生物工学の権威でありながらアンブレラの諜報部員としても活躍し、特殊部隊の隊長も務めるなど、ウイルスを打つ前から、十分に超人だった。

 しかし、僕が何より惹かれたのは、「ウェスカーズ・リポート」に書かれているこの記述だ。


4年前、バーキンの立案した「G-ウィルス計画」が承認された時、私は情報部への転属を希望し、それは、あっさり受理された。
私が研究員としての道を断念し転機を図るというのは、誰から見ても自然な成り行きに見えたはずだ。
実際のところ、「G」の構想は最早、私などがついて行けるレベルを超えていた。
たとえ、スペンサーの真意を探るという目的が無かったとしても、その時、研究員としての自分の能力に限界を見出したのは確かな事だった。


 ウェスカーはわかっているのである。大いなる野望を抱き、頂点に君臨しようとする者が、些末なプライドに拘ることの愚かさを。研究など、たった一つの分野で挫折したくらいで、ウェスカーは挫けたりはしない。そんなものは得意な人間にやらせて、自分はそいつらを顎で使う立場になればいいと、割り切って考えているのである。この合理的思考こそ、英雄の条件でなくてなんだというのか。

 その合理的なウェスカーが、新世界の神となる方法として考え出したのが「飛行機で世界中にウィルスをばら撒く」という、なんとも力任せな、大雑把な方法であったのはお茶目なところであるのだが。

「さあ、やろうやろう」

 山地は、床に転がる外尾の首をサッカーボールみたいに蹴飛ばし、テレビ台からゲームを引っ張り出して、電源を入れた。

 それから僕たちは、「桃鉄」「FPS」「プロ野球スピリッツ」「ストリートファイター」など、対戦型ゲームを楽しんだ。山地は現代っ子だけあってさすがにゲームがうまく、何度も負けたが、彼が懇切丁寧に操作を教えてくれるおかげで、僕も随分上達した。

気付くと、窓から見える空はすっかり暗くなっていた。

「もう、こんな時間か。そろそろ帰らないと、バイトに遅れちゃう。宮崎くん、また今度遊ぼう」

「うん、いいよ」

「よし。じゃあ、携帯番号の交換だ」

 僕たちは携帯番号を交換し合い、今度、暇なときに、また二人で会って遊ぶことを約束して別れた。

 僕は人が嫌いだ。男も女も、みんな嫌いだ。人と一緒に過ごして、いい思いをしたことがない。記憶にあるのは、嫌な思いで、むかつく思い出ばかりだ。

 だが、山地くんと一緒にいるときの感覚は違っていた。悪くなかった。遠い記憶・・もう、思い出せないほど昔・・僕にもあったはずの、汚れなき時代の記憶を、思い出せさせてくれた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第40話

グランドマスターは秘書のアヤメとともに、「田代部隊」が撮影した映像を眺めていた。「田代部隊」とは、警察の公安、プロカメラマン、盗撮サイトの住人などから選りすぐった盗撮のエキスパートであり、バトルロイヤル参加者の監視及び、映像の記録を担当している。バトルロイヤル開始から一か月が経った頃に急造した組織であるが、その腕は超一流で、いまだ、参加者に存在はバレていない。

 今、再生されているフィルムは、4月の半ばに撮影された、宅間守軍とバドラ麻原軍の戦いを記録したフィルムである。

 視聴を開始してから、何度唸っただろうか。宅間守。あの男は、本当に人間なのか?生まれた時代を間違えたとしか思えなかった。闘争心、身体の頑健さ、運動能力、野生の勘、気高さ、意外な頭の回転の速さ、確固たる思想、強靭な意志、傲慢なまでの自己顕示欲、そして臆病さ。乱世を生き抜く素質を、全て兼ね備えている。実際、優秀な軍人と大量殺人者の脳構造は似ているというデータも出ているらしいが、あの男を戦国時代に放り込んだら、歴史地図はかなり変わった結果になっていたかもしれない。

 宅間の戦いぶりを眺めているアヤメの息が乱れている。下半身にも、大雨洪水警報が発令していることだろう。あれだけの暴れぶりを見せられれば、雌の本能が刺激されてしまうのも無理からぬことだった。男として、少し嫉妬する。

 しかし、その宅間の圧倒的な暴力を受けて、わずか戦死者一名の被害に抑えたバドラの戦いぶりも見事である。一人で宅間の相手になる人間はいないが、宅間も一人との戦いに集中することができないため、トドメが刺せない。やはり、数は力である。

 金川真大の放った矢が胸に命中しながら、命を取り留めた麻原の強運も感嘆すべきものだ。歴史に名を残す英雄は例外なく、奇跡としか思えない幸運に恵まれている。あの男はもしかしたら本当に、天の加護を受けているのかもしれない。

 序盤でいきなりラスボスを退け、おそらく戦闘面では最強の集団となったバドラに対し、資金面で抜きんでたのは、松永太の一派である。都内でキャバクラを展開し、同盟相手の永田洋子軍に、月200万の資金を提供してもまだお釣りが来る収入を得ている。

 参加者中、唯一宅間に対抗できる可能性を秘めた加藤智大も、豊富な実戦経験を持つ重信房子の指導により、戦士としての純度を高めている。宅間と加藤、宿命の対決の日が、待ち遠しくて仕方がない。

 二強を追う宅間守軍、角田美代子軍、八木茂軍、永田洋子軍、小林正軍、荒木虎美軍、北村ファミリー、関根元軍なども、着々と力をつけてきている。すでにバドラと宅間軍、永田軍と小林軍の間で抗争が勃発しており、水商売の利権を巡って争う重信軍と八木軍などの間に、戦の火種が起こっている。集団対集団の戦いも、ますます激化してくるだろう。

 そして今月に起こった大きな動きが、「ブラック・ナイトゲーム」の企画に、今回のバトルロイヤルが選ばれたことである。松永太、双子の松本兄弟など、ブラック・ナイトゲーム会員の意向で殺人を犯す参加者も出始めている。宮崎勤と組んだ木嶋佳苗も、その一人か。ただ木嶋の場合は、自分が直接ヤクザと連携するのではなく、参加者の角田美代子を中間に入れて動いているようだ。一方の宮崎勤は松永一派と繋がっているようであり、ここにも、抗争の火種が燻っている。

 市橋達也と小池俊一の逃亡は、現代社会が抱える問題について考えることができ、別の意味で興味深い。参加者たちに、生活の糧は自ら働いて得ることを強制したのは、やはり正解だったといえる。

 フィルムの再生が終了した。グランドマスターは、アヤメによる戦死者の報告を受ける。

「大久保清。殺害者は、宅間守。橋田忠昭。殺害者は、金川真大。服部純也。殺害者は、宮崎勤。松本美佐雄。殺害者は、加藤智大とその仲間。外尾計夫。殺害者は、山地悠紀夫。中山進。殺害者は、都井睦雄。綿引誠。殺害者は、北村一家。石橋栄治。殺害者は、永田洋子軍。以上が、バトルロイヤル参加者による戦果です。そして・・」

 グランドマスターが、足を組み替える。

「岡崎茂雄。途中参加希望の、Aによる殺人です」

 A――。日本を震撼させた伝説的少年犯罪、神戸連続児童殺傷事件の犯人。彼は、都内で行われている殺戮ゲームを、その敏感な嗅覚でいち早く嗅ぎつけ、先月から自分にコンタクトをとってきていた。

 参加を希望するAに、自分は、代わりに自らの手で、参加者を一人始末することを条件に課した。それが3日前のことだったのだが、彼ははやくも結果を出してのけた。

 意外だったのはその後で、Aは自らではなく、自らがスカウトしてきたTの参加者登録を先に済ませて欲しい旨を頼んできたのだ。もう一人殺すから、自分はそれで枠に入れて欲しいのだという。なにか、参加者の立場でない今の状況でやりたいことがあるのだろう。岡崎殺害の際に見せた残虐性と手際の良さに感嘆したグランドマスターは、Aの申し出を受けることにした。

 大物ルーキーAの参戦により、戦いはますます苛烈を極めていくだろう。果たして、誰が生き残るのか――。近頃そればかり考えていて、食事も睡眠も忘れてしまうのもままある、グランドマスターであった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第41話

深夜3時。店を閉めた後の「スカーフキッス」控室にて、重信房子軍、永田洋子軍による合同ミーティングが行われている。

 松永太が、永田洋子からの、重信、永田連合軍による小林正軍殲滅作戦の誘いにOKの返事を返したのが、二日前のことだった。バトルロイヤルが開始されてから、今日でちょうど2か月。まだ、焦って攻勢に出る時期ではない。重信軍単独では絶対に戦争に踏み切ったりはしないが、永田軍と合同で攻めるということなら話は別である。まだこの時期とはいえ、敵対勢力は叩けるときに叩いた方がいいのは確かである。機を逃す手はない。

 重信房子、松永太、加藤智大、松村恭三、尾形英紀、前上博、新加入の畠山鈴香、バドラ麻原軍から一時的に呼び戻した正田昭。この8人が、我が軍の現有戦力である。人数八人は、麻原軍と並び最多勢力だ。統率タイプ、戦闘タイプ、猟奇タイプ、色香タイプ、と、バランスも申し分ない。単独でも最強クラスの我が軍に、永田洋子軍が加わる。

 リーダーの永田洋子は、言わずと知れた左翼組織、連合赤軍のトップである。女性ながら、その統率力と覇気は度外れており、自らも武器を取って戦うこともある女傑である。ただ、見方を変えればヒステリック、自己中心的と取ることもでき、繊細な現代っ子と合うかどうか、不安な一面もある。

 永田が自身のそうした性質を理解しているのかいないのか、彼女の下には、比較的古い世代の犯罪者たちが集まった。

 まず、戦闘エースの栗田源蔵。崖路を歩く家族に目をつけ、母親を強姦の上殺害し、子供を次々に崖下に投げ落とした「おせんころがし」事件の犯人である。「おせんころがし」事件の数年前には、結婚詐欺の末、女性二名を殺害する事件を起こしており、同じく「おせんころがし」の数年後には、民家に押し入り女性二名を殺害し死姦に及ぶなど、およそ人間が犯す悪行のほとんどをやってのけた、筋金入りの鬼畜である。体格は現代人と比較しても屈強で、独特の威圧感がある。我が軍のエース加藤智大との相性次第では、宅間守さえ打ち倒すことができるかもしれない。

 次に、「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の小原保。昭和の名刑事、平塚八兵衛との対決は、犯罪史上あまりにも有名である。

 そして、80年代に起きた女子大生強姦殺人事件の松山純弘。当時、現役警察官だった男である。とんでもない不祥事には違いないのだが、当時は今よりも粗暴犯の割合が高かった時代であり、警察もそれを取り締まるために、体力と闘争心を重視し、結果、人格的に少々問題のある人物も多数採用されてしまっていたのは事実だ。なにも昔に限った話ではない。現代でも、「優しいおまわりさん」は末端の制服巡査くらいのもので、上に行けばいくほど、「その刑事、凶暴につき」「危ない刑事」の数は増えてくる。脳内のテストステロン値の高さが引き起こす負の側面であり、そうした刑事は、確かに失策も多い。が、警視総監賞ものの大手柄を上げたりするのもまた、そうした刑事なのだという。まさに諸刃の剣ということで、やはり警察は戦う職業なのだ。

「本作戦の概要を確認する。戦争目的は、小林正軍の殲滅。及び、小林の持つ軍資金の奪取である。これについて、一切の妥協は許されない。後退の意志を見せたものは、敵に通じているものとし、その場で直ちに処刑する。各人、捨身の覚悟を持って、任務に取り組むべし」

 永田の宣言により、会議が幕を開けた。さっそく、重信房子が挙手する。

「ちょっとよろしいかしら。なんとも物騒な宣言だけど、処刑がどうのというのは、うちの人員についても同じ考えでいらっしゃるのかしら」

「・・当然のこと。ともに作戦に当たるからには、両軍は一心同体。おたくの軍にも、我が軍と同じ気構えでいてもらわなくては困る」

 重信の意見に、永田が露骨に顔をしかめて答えた。

「それはあまりに身勝手な考えなんじゃございません?私たちは、あなたの軍の不始末を拭う形で今回の作戦に参加するのよ。小林軍から金銭を奪うなどとおっしゃいますけど、我々は飲食店の経営で十分な収入を得ています。つまり、私たちが今回の作戦に参加するのは、まったくの無償の奉仕に等しいのであって、それをあなたの軍と同じモチベーションで戦いに臨めといっても、無理な話だと思うのですけど?」

「・・ちょっと松永さん、なんなの、この女。話を進められないのだけど。なにか言ってやってよ」

 いきなり火花を散らし合う、女革命家二人。激情と冷静、租野と気品、精悍と優美。1945年、同じ年に生を受け、同じような思想を抱き、同じような経歴を辿ってきた二人だが、その性質は水と油ほども違う。こうした二人は、極端に気が合うか、極端に反目し合うかのどちらかなのだが、重信と永田に関しては、後者の割合が濃厚なようである。
 
「いえ、私は、戦争に関しては門外漢ですから。実戦経験豊富なお二人で、存分に話し合ってください」

 松永は微笑して、永田の怒りの矛先をかわした。仲裁の義務を放棄したわけではない。性格の合わない二人を、無理やりに仲良くさせようとすれば、無用な軋轢を生むだけである。ならば徹底的に争わせ、競わせることによってお互いの持ち味を発揮させた方がいい。自分の仕事は、その競争が単なる足の引っ張り合いにならないよう、前向きな方向に調整することである。

 会議はその後、指揮系統を担うのはどちらか、前線で危険な任務を負うのは誰か、負傷者、戦死者が出た場合の責任の所在云々など、大揉めに揉めたが、どうやら日の出までには収まりそうではあった。

 総指揮官は永田洋子、参謀に重信房子、前線指揮官に加藤智大。加藤を中心に、栗田源蔵、松山純弘、尾形英紀、松村恭造が前線で戦い、残りの人員で後方支援を担う、ということで、最終的なフォーメーションが固まったようだ。

 自分は、といえば、まったくの非戦闘員として、なんのポジションにも就かず、安全な立場をしっかり確保していた。外交やシノギで結果を残す自分が高見の見物を決め込むことに、不満を述べる者は誰もいなかった。ホテルで留守番をしていてもいいとまで言われたのだが、今後の経験値獲得のために、現場には出ていくことにした。

 作戦決行は、今から24時間後。夜襲を仕掛けるのである。照明器具の発達した現代において、夜襲はもっとも確実に相手の命を奪える戦術だ。睡眠という、人間がもっともリラックスしているときに襲われるのだから、それも当然である。

 数の理、人材の理、そして作戦の理。この時点で、すでに勝ちは決まったようなものであるが、自分はそれで慢心はしない。

 松永は、携帯を取り出した。民間の調査会社を利用して調べた番号をプッシュする。小林正軍の人員、間中博巳に連絡を取り、金銭による懐柔を図るつもりだった。

 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康・・。歴史に名を残す英雄は、戦争そのものよりもむしろ、戦争準備の達人であった。戦闘開始まで、あと24時間。99・9%の勝率を100%にするため、出来得る限りの手立てを、打っておくつもりだった

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第42話

 加藤智大の腕立て伏せの回数が、100回を越えた。二か月前、トレーニングを開始したときは50回が精いっぱいだったのだが、今では倍の数をこなしており、しかも余力を残している。もっとも、重信さんに言わせれば、筋力が付いたというよりも、精神的な慣れが大きいのだそうだが。

 続いて、スクワット200回、腹筋100回、背筋150回をこなし、20分の休憩。それから、ナイフを用いた実戦訓練に入る。急所をマーキングしたビニール人形をナイフで突く。すぐに使い物にならなくなってしまうため、数はこなせないが、その分、一回一回を大事にしようという意識が生まれるため、のべつ幕なしにナイフを振るより効果があるし、時間的効率もいい。

 それから、投擲訓練に入る。ダーツの的を狙い、ゴルフボールを投げる。訓練開始から一か月、だいぶ中央に球が集まるようになってきた。命中を安定させるコツは、下半身の力をしっかりとボールに伝えることだ。コントロールとスピードは対極のようなイメージで捉えられがちだが、実際は、ある程度スピードがないとコントロールは安定しない。スピードを上げるには、筋力も大事だが、何より正しいフォームを身に着けることである。反復練習。結局はそれが、一番の近道だ。

 そして、エアガンを用いた射撃訓練である。これに関しては、少し特殊な練習を行っている。まず、基本の静止物射撃には、現段階ではあまり時間を割いてはいない。実銃とエアガンでは反動の差が雲泥であり、今から練習していたとしても、結局二度手間になってしまうからだ。
 
 その代り、動体射撃に多くの時間を割いている。松村くんに協力してもらって、動く相手を確実に撃ち抜く技術を身に着けるのだ。射撃だけでなく、フットワークや駆け引きを学べるため、これなら、エアガンの練習でもいくらかの意味はある。わかってはいたが、動く的を射ぬくのは、静止した的を射ぬくのとは比べものにならない難しさだった。規則正しい動きをするマシーンでもそうなのだから、予測不能の動きをする人間相手では尚更である。

 動体射撃は、静止射撃とは別次元のセンスを要求され、20メートルの距離から数センチの的を射ぬく技術を持つ射撃手が、たった3メートルの距離にいる大きな人間を撃ち漏らすことも珍しくないということだったが、僕はこの一か月の訓練で、5メートル程度の距離で、なおかつ障害物がないという条件なら、ほぼ撃ち漏らしなくターゲットを仕留められるようになっていた。重信さんに言わせれば、瞠目すべきセンスだという。そんなセンスがあったなんて知らなかった。自衛隊にでも入っていたら、違った人生があったのだろうか?

 最後に、冒頭の筋力トレーニングをもう1セットこなし、ストレッチをして、トレーニングは終了となる。トレーニングの前に行った、戦術、武器知識などの座学も含めて、一日四時間。体力に余裕があっても、それ以上のことは一切やらない。集中力の切れた状態でダラダラと練習しても、あまり意味はない。その時間を休息に充てた方が、よっぽど効率的である。

「お疲れ様、加藤君。近頃、一段と成果が上がっているようね。顔つきも変わってきたんじゃないかしら?」

 重信さんが、アイスティーを飲みながら言った。眩しい笑顔から目を逸らした。

「毎日、同じことをただこなしているだけですよ」

「地味な反復を、淡々とこなし続けられるのも才能よ。食事を摂り、排せつをするような感覚でトレーニングを出来るようになれば、しめたものだわ」

 継続性と勤勉性。それだけは、昔から褒められていた。だがそれも、高校時代までだ。挫折を味わい、唯一の取り柄も失った僕に、短大の教員や職場の上司は口々にこう言った。

「努力しないからダメなんだ」

 と。それを聞くたび、僕は相手の高みから見下ろした態度に苛立ち、自分の視点でしか物を見れない人間が、簡単に人を指導する立場になれてしまう日本社会を呪った。

 逆なんだよ。ダメだったから、努力しなくなったんだよ。
 ニワトリが先かタマゴが先かって話じゃない。逆はないんだよ。

 挫折を味わっても努力をやめない。愚直さは、確かに一つの才能だ。だが、それを持っているからといって、必要以上に偉ぶるのはやめてほしい。前だけを向いて歩いていれば、車にぶつかってしまうかもしれないし、犬の糞を踏んづけてしまうかもしれない。それでも進みたいというなら勝手にすればいいが、骨が折れ、靴が汚れた者が立ち止まるのを責める権利はないと思うわけだ。

「散歩に行ってきます」

 ゲームでもしようかと思っていたが、重信さんの言葉で昔を思い出してしまった僕は、ホテルを出て外を歩くことにした。運動の後で、腹が減っている。飲食店の前を通るたび欲求に襲われたが、食事は決まった時間に、重信さんが決めたメニューを食べることになっている。我慢して、書店やゲームセンターを適当に覗いた。

 明日、僕はまた、殺人を行う。これまでは、一人の相手を、仲間とともに袋叩きにする戦いだったが、今度は本格的な集団戦だ。未知の世界だが、恐怖はなかった。自分でも驚くくらいに落ち着いている。これが、精神的成長ということだろうか。

 もともとコンプレックスの強い性格に加え、人の尊厳を奪い去る拘置所暮らしのせいで、すっかりと自分を卑下する癖がついていたが、なんだか最近は、自信めいた感情も芽吹き始めている。変なことで自信を回復して、まったくしょうもないとは思うのだが、鬱々としているよりはいいんだろうか。試しに、今日からは一人称も、「俺」に戻してみようかしら。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第43話

定員を超える11人を収容し、熱気漂うハイエースの車内。助手席に座る松永太はスモークフィルム越しに、小林正人軍の潜むアパートの一室を眺めていた。
 
 2階建てアパートの一階。そこしか部屋が取れなかったのか知らないが、警戒意識の欠片もないとしか言いようがない。針金一本あれば簡単に開けられるドア、蹴り一つで簡単に破れる薄っぺらいガラス窓。建物の四方どこからでも、侵入し放題である。

 といっても、今回の作戦においては、ピッキングツールを用いることも、夜中に騒音を響かせて近隣住人に迷惑をかけることもない。古来より、施設を力攻めするのは下策中の下策とされている。城攻めの際にもっとも好もしいのは、城内に内通者を誘っておくことだ。外から破るのは困難な城も、中から開けるのは容易である。

 一たび侵入さえしてしまえば、相手は袋の鼠である。施設攻撃の利点は、屋外での戦いと違い、一人も逃がすことなく敵を殲滅できることだ。ただ、限定された空間での戦いになる分、数の理を活かしにくいという欠点もあるが。

 昨日、松永は、小林正人軍の人員、同級生連続殺人事件の犯人、間中博美に連絡をとり、寝返らせることに成功していた。彼我の戦力差を強調することにより恐怖を煽り、一方で、我が軍の潤沢な資金力をちらつかせる。アメとムチの使い分けにより、間中は簡単に落ちた。もともと、金銭を目的に幼馴染を殺すような男である。100万のエサに目がくらむのは、わかりきっていたことだった。

 結果としてもっとも望ましいのは、間中が小林正人と、もう一人の人員である、神奈川2件強盗殺人の犯人、石橋栄治を殺害し、二人の首を手土産に我が軍に寝返ってくれることだったが、さすがにそれは拒否された。彼が承諾したのは、小林と石橋の目を盗んで、部屋の鍵を中から開ける、という条件だ。なるほどそれなら、寝首を掻くよりはリスクは少ない。

 そうは言っても、どっちみち、我が軍に殺されてしまえば変わりはないと思うのだが、我が軍が彼を受け入れるということ自体には、微塵の疑問も抱いていないらしい。それほど自分の言葉に説得力があったのか、間中が単純で人を疑うことを知らない心の持ち主なのか、どちらかなのは知らないが。

 人員三名の小林軍では、睡眠は二人が起きて見張りをし、一人が寝る、というシフトで回しているという。それで裏切りを防止しているつもりなのだろうが、所詮は人間のやることである。チャンスはいくらでもあろう。

 と思っていたが、どうも様子がおかしい。約束の早朝3時を1時間以上過ぎても、ドアが開かれないどころか、間中から着信の一つもないのだ。小林正人への忠誠から、裏切りを躊躇っているなどということはなかろう。土壇場に来て怖気づいたのか。あるいは、なかなかチャンスが訪れないのか。

「一体どうなってるの。間中博巳は、なにをやってるのっ!」 

 中央座席に座る総指揮官、永田洋子が、シフトレバーを叩いて怒鳴った。関ヶ原で、小早川秀秋の裏切りを歯噛みして待つ徳川家康のような苛立ちぶりである。これに、自分の隣の運転席に座る加藤智大が、驚いて身をすくめる。近頃、精神的成長著しい彼には珍しい怯えぶりである。彼は、昨日行われていた会議のときから永田を苦手にしていたようだが、気性の荒い女に、なにかトラウマでもあるのだろうか。

「作戦を変更するっ!間中の寝返りを待たず、全軍でアパートを力攻めする!」

 女のものとは思えぬ野太い声で、永田が作戦変更を告げる。

「ちょっとお待ちになって。朝が来るにはまだ時間があるわ。まだもう少し、様子を見てからでも遅くはないんじゃないかしら。日が昇るまでは待機して、それで間中が動かなければ、私は撤退すべきと考えます。実行が今日でなくてはならない理由なんて、どこにもないのだから」

 頭から湯気を発する永田に、重信房子が冷静に進言する。そのすましたような顔が気に入らないらしく、永田は獣のような唸り声をあげて、シフトレバーを何度も叩きつける。

「貴様はまた、そんな悠長なことを・・っ!一年という期限を、頭に入れているのかっ。敵は叩けるときに叩いておかないと、タイムリミットはあっという間に来てしまうのだぞっ!」

「何を生き急いでいるの。あなたも私も、つい最近まで獄に繋がれていた身なのよ。それでなくても、棺桶に片足突っ込んだ年齢のお婆ちゃんだったじゃない。それが今、奇跡のような巡り合わせによって、外の世界に出て活動している。ゲームでいえば、ボーナスステージをプレイしているようなものでしょう。そんなにガツガツしちゃって、おかしいわよ」
 
 重信が、加藤や松村恭造が遊んでいるゲームを比喩に持ち出し、永田を諌めた。永田が修羅の形相になる。こうした独断専行のタイプの人間がもっとも腹を立てるのは、本当のことをズバリと指摘されたときである。正論であればあるほど憤激する。ましてや、進言しているのは、犬猿の仲の重信である。胃液は煮え立ち、冷静さは完全に失われているだろう。

 こうした展開は、最初から織り込み済みだった。これに備え、松永は、永田が無謀な力攻めを決行した場合、永田軍の人員を先に突撃させ、我が軍の人員は攻撃には参加せず、最悪、何もしないまま撤退するよう指示を出せと、前線指揮官である加藤に命じていた。ヒス女の暴挙で、貴重な戦力を損耗してはたまらない。

「・・・・参謀の進言を受け入れる。朝5時30分まで待機とし、間中に動きがなければ、撤退とする」

 永田が、押し殺した声音で言った。松永は、軽い驚きを覚える。どうやら、自分は永田を過小評価していたようだ。この場面で自分を抑えられるとは、なかなかどうして、実のある強さではないか。伊達に、女の身で数十名の戦闘組織を率いていたわけではない、ということか。

 車内に静寂が訪れる。誰一人、言葉を発する者はいない。殺し合いを前にした人間たちの、異様な息遣いだけが響いている。車内に籠もった熱気は、秒刻みで温度を増している。窓開けでは対応できなくなってきた。松永はたまらず、エアコンの電源を入れた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第44話

加藤智大は、サイドウィンドウを二センチほど開き、車内に籠もるタバコの煙を追い出した。喫煙で肺活量が落ちるというのは、医学的根拠もあり、まるきりの迷信でもないらしいが、一箱吸ったら直ちに持久走のタイムに影響が出るというような切羽詰まった話ではない。

 ところが俺には、この絶えず鼻孔に侵入するいがらっぽい煙が、なにか吸った瞬間に寿命が半分に縮むような、とてつもない毒物のように嫌悪されてならなかった。生きている価値もない、こんなどうしようもない俺が、自らの身体を大事にしている。滑稽極まりない図ではあるが、日々の修練の成果が損なわれることは、今の俺にとって、もっとも大きな苦痛だった。

 助手席に座る松永さんが、ペットボトルのお茶を飲んでいる。思わず、喉が鳴った。俺、松村君、尾形さん、栗田さん、松山くん、小原さんの戦闘部隊5人、総指揮官の永田さん、参謀の重信さんは、昨夜の22時を最後に、水分は一滴も補給していない。トイレに行ってはいられないからだ。いつ、どのタイミングで、内通者の間中博巳がドアを開けるかわからないからため、片時も小林軍のアジトから目を離すことができないのだ。

 間中との約束の午前3時までは、特に渇きは感じなかった。が、それを過ぎると、突然に喉がひり付き始めた。人間は、覚悟をしていた苦痛にはある程度耐えられるが、予期せぬ苦痛には脆いのである。この程度の展開も予期できなかった、俺が甘いだけなのかもしれないが。
 
 マナーモードに設定していた携帯が振動した。みんなの視線が、一斉に俺に集まる。

「Nです」

 ディスプレイに表示されていた名前を、松永さんに報告した。「スカーフキッス」では、キャストの出勤管理もボーイの仕事の一つだ。ボーイはそれぞれ2、3名のキャストの「担当」となり、モーニングコールや出勤管理などを行っている。仮病を使って休もうとするキャストに対しては、病気見舞いと称して家まで押しかけ、真偽を確かめるようなこともする。プライベートの侵害だ、と、鬱陶しがるキャストもいるが、そこまでしないと、時間にルーズで自己管理の苦手な彼女たちをコントロールすることはできないのだ。

 派遣労働時代にも、自己管理が出来ず、遅刻や無断欠勤をする同僚は多かった。確かに遅刻は褒められたものではないが、寝坊は100%本人の責任ともいえない。体質的な問題で、前日どんなに早く寝ても、決まった時間に起きられないという人はいるのだ。そんなことも知らず、「だらしがない」の一言で片づけて怒鳴りつけるから、結果としてバックレが横行する。自己管理ができないだけで、管理してあげればちゃんと働くのに、サポートする姿勢すらみせない。それに比べれば、キャバクラのやっていることの方が、よっぽど従業員を人間として扱っているような気もする。もっとも、そこまでするのは、キャストが優秀で、売上に貢献している場合に限られるのだが。

「出てあげなさい」

 松永さんが言った。オープンから一か月、早くもナンバー入りを果たし、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長するNのことは、たかが局地戦の今日の戦よりも気になるらしい。

「どうした?」

「あ、加藤さん?夜分遅くにすみません。ちょっと、今日の接客のことで、気になることがあって――」

 Nの貪欲さは凄まじい。接客で少しでも気になることがあると、昼でも夜でも、かまわず担当である俺に電話をかけてアドバイスを求めてくる。接客についてのアドバイスなら先輩キャストに訊いた方がよさそうなものだが、キャスト同士は仲間であると同時に売上を争うライバルでもあるため、容易なことでは後輩の技術指導などしないのだ。

 真夜中の講義は、1時間にも及んだ。喋りすぎたせいで、余計に喉が渇いてしまったが、気持ちは爽快だった。自分の教えで、確実に人が伸びていく。指導をするのが、これほどの楽しさとは思わなかった。自分が努力して伸びるより楽しいかもしれない。高校や中学の教師が、休みを返上してでもクラブ活動の顧問を買って出るのもわかる気がする。あともう1か月もすれば、遊び慣れていない俺がNに教えられることはなくなるだろう。そうなるのが、今から楽しみで仕方なかった。そう思えるのも、相手がNだからだ。俺と同じ波長を持つ、Nだから――。

 電話を切った。誰のものともわからない貧乏揺すりが聞こえてくる。時刻は、5時15分になっていた。

 永田さん――「あの人」を思い起こさせる、怖いオバサン――復帰年齢は僕とそう変わらぬ27歳だが――が告げた延長時間まで、残すところあと15分。苛立ちと、今日は殺し合わなくて済むかもしれない、という安堵がないまぜになった空気が、車内に漂っている。前者は主に永田軍の面々、後者は主に重信軍の面々が発しているようだ。

 俺は、といえば、不思議と前者よりの感情が強かった。理由は、バドラ麻原軍から一時的に戻ってきた、正田くんの報告だ。

 宅間守――。俺が事件を起こしたちょうど7年前、同じ無差別殺傷事件を起こした男。裁判の中でも、彼の名前はなんども耳にしてきたし、外の報道で、散々に比較されていたことも聞いた。

 その宅間が麻原軍との戦いで見せた鬼神のような強さを事細かに聞いて、俺は戦慄した。今のままでは、俺は宅間に勝てない。いつかあいまみえるその日に備え、もっと鍛えなければならない。百の練習より一の実戦。今のうちに、多くの修羅場を潜っておきたかった。娑婆に出てきたばかりの2か月前には、考えられなかった感情だ。

 が、それはひとまず、今日のところは叶えられることはなさそうだった。車内のデジタル時計の表示が、5:30分に変わった。

「時間ね。骨折り損のくたびれ儲けになってしまうけど、今日のところは撤退しましょう」

「まだ、もう少し――」

 女革命家二人の問答が始まりそうな気配になったところで、アパートのドアが開いた。中から顔をのぞかせたのは・・50代の中年男。石橋栄治。間中博巳ではなかった。

 予想外の事態に、脳細胞が壊乱する。どうする?どうすればいい?永田さんからも、重信さんからも、指示はない。石橋栄治は、なにか不安げな面持ちで、辺りに視線を彷徨わせている。

「間中博巳が土壇場で翻意し、仲間たちに我々の作戦を伝えた。ところが、それを聞いた石橋栄治が間中の役を引き継ぎ、仲間を裏切り、我々の味方になる決断をした」

 パニックに陥る車内で、松永さんが一人、冷静な推理を展開した。

「ですが、それについても確証はありません。ここは石橋も殺すべきでしょう」

「・・よし。全軍突撃!小林正人軍を殲滅せよ!」

 松永さんの推理を受け、総指揮官の永田さんが直ちに決断を下した。ドア側に座っていた戦闘部隊5人が、一斉に車を降りる。

 朝焼けの空の下――。閑静な住宅街に建つアパートの一室に、空の色にも勝るとも劣らぬ、赤い赤い血しぶきがあがろうとしていた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第45話

加藤智大と五人の男たちが、小林正人軍のアパートを目指して駆けていく。6時間以上にも及ぶ車内での待機であったが、エコノミークラス症候群の予防のため、こまめに車内で立ち上がったり、足の上下運動をしていたため、その足取りは軽い。

 装備は、全員お揃いの黒のつなぎ服。闇に紛れる効果があるが、すでに陽光が降り注ぐ今の時間帯では、さほどの効果もない。武器は、重信軍の面々がダガーナイフ、永田軍の面々が、特殊警棒を携えている。殺傷力を考えるなら、全員が刃物を装備するべきなのだろうが、相手がヘルメットや防刃チョッキを着ていた場合を考え、鈍器を装備させたのだ。状況に応じた様々なパターンの装備、戦法がとれるのも、数の利点である。ちなみに、刃物なら日本刀、鈍器なら金属バットと、よりリーチと破壊力がある武器も所持しているが、今回は狭い室内での戦いとなるため、採用は見送られた。

「俺に行かせろッ!」

 永田軍の栗田源蔵が、口角から涎を垂れ流しながら吠えた。永田軍では、戦争が起きた場合、殺害数に応じた報酬制度を敷いているという。一見、モチベーションアップに効果的なようだが、これは諸刃の剣だ。一歩間違えれば、たちまちスタンドプレーのるつぼとなってしまう。ゆえに、重信軍では、単に殺害数のみで評価するのではなく、後方支援でもなんでも、戦闘にどれだけ貢献したかに応じて報酬が支払われる制度を敷いている。が、今回は、永田軍と合同のミッションなのだから、永田軍の連中は連中でうまくコントロールしてやるしかない。前線指揮官の俺にかかる責任は大きい。

「よし、栗田行けっ。石橋栄治の脳みそをかち割ってやれ!」

 栗田の闘争心を掻き立てるため、あえて過激な表現を用いて、指示を出した。狙われた石橋栄治が、あたふたして奇妙なステップを刻んでいる。

「ま、待てっ。俺は、俺は、あんたらの仲間に加わりたくてっ」

 松永さんの推理は正しかったようだ。が、もう間に合わない。せめて、ドアを開けた瞬間、手招きするとか、わかりやすい合図を示してくれていたらよかったものを。

「ぐぎゃあーーーーーーっ」

 鈍い音がして、石橋が倒れ込んだ。栗田が容赦なく、二発目、三発目を打ち込む。

「もういい、中に入るぞっ」

 今のでトドメを刺せたかどうかわからないが、室内にいる小林、間中が体勢を整えない間に突入する方が先決だ。もし、石橋が逃げ出すようなそぶりを見せれば、後方支援の仲間がトドメを刺してくれるだろう。

「なんでだっ。こいつが、こいつがっ」

「ごちゃごちゃうるせえっ。とっと行けっ!」

 命令に従おうとしない栗田に、俺は声を荒げた。上官命令は絶対である。どんな優秀な兵士であろうと、反抗を許してはいけない。それをした瞬間に、全軍の規律は乱れ、軍としての機能を失う。

 部下に命令するだけでなく、俺は真っ先に室内に突入した。

 第二次世界大戦で欧州を席巻したナチスドイツ軍の戦術は、部隊の指揮官が真っ先に前線に突入する、というものだった。戦国時代最強の上杉軍団では、総司令官の上杉謙信自身が、先頭に立って戦っていた。

 死を恐れるな、と、部下に言っておきながら、自分が命を惜しんでいたのでは、下の者はもうついてこない。自分が真っ先に命を捨てる覚悟を見せてこそ、下の者も「この人こそは」と付いてくる。総指揮官はともかく、下級士官は、自分の命を兵士以上に考えてはいけないのだ。

 もっとも、栗田源蔵に関しては、命を惜しむということはないだろう。が、俺に手柄を横取りされる、と、別の理由で尻に火が付いたようで、石橋にトドメを刺すのを諦め、俺のすぐ後ろに続いた。

 俺は玄関から、まっすぐにリビングへと進んだ。昨日、間中から送られた室内の写真を見る限りでは、トラップは設置されていないようだったが、夜のうちに何かが仕掛けられているかもしれない。が、恐れる気持ちはなかった。速度と勢いを失いたくなかった。
 
 リビングへと雪崩れ込んだ俺たちを、フルフェイスヘルメットを被った一人の若い男が迎えた。シールドの向こうに覗く、ドロリと濁った一重瞼の目・・リーダーの小林正人だ。間中博巳の姿は見えない。どうやら間中博巳は、小林軍に残るでもなく、重信軍に寝返るでもなく、何もかも捨てて逃げ出してしまったらしい。

 賢い選択をしたのかもしれない。実際には、松永さんと重信さんは間中を仲間として遇するつもりだったのだが、間中の方からは、彼らの本心はわからないのだから。

 右手に包丁を持って壁際に立つ小林と対峙した。栗田を先頭に、仲間たちが続々と部屋の中に雪崩れ込んでいく。

 小林は幼少期から窃盗、強姦、暴行を繰り返し、何度も少年院に送致されるなど、どうしようもない社会不適合者ではあるが、ギャングの頭目を務め、10人からの少年少女を率いていたのだから、知能はけして低くはないだろう。腕っぷしも強いに違いない。6対1、勝敗はすでに決しているが、こちらに犠牲者を出してしまうかもしれない。

 今後の経験のために、それでも戦うべきか。降伏を促し、首脳陣の判断を仰ぐか。俺がしばし、指示を躊躇っていると、小林が空いた方の左手を背中にやった。なにか、とてつもなく嫌な予感がする。脳内に警報がなる。

 小林の左手が、前に突き出された。なにか、スプレー缶みたいなものを持っている。トリガーが引かれた。ヘルメットに隠されていて見えないが、その口元が弧を描いたような気がした。

「伏せろっ!」

 慌てて指示を出したが、遅かった。室内に、オレンジ色の霧が舞ったかと思うと、突然、瞳に針で突かれたような強烈な痛みが走った。目を開けていられない。涙がボロボロと流れ落ち、視界は完全に奪われてしまった。催涙スプレー。軍隊でも採用される、強力な非致死性兵器である。風の無い室内で噴射することにより真価が発揮され、飛沫が一滴、目に入っただけでも数十分は行動不能となる。小林がフルフェイスヘルメットを被っていたのは、このためだった。

 窮鼠猫を噛む。ルールでは化学兵器の使用は禁止されているはずだが、小林は委員会に追われる身となってでも、まずはこの場から生き延びることを優先させたらしい。

 ガラス窓が空く音が聞こえる。小林はベランダから、逃亡を図ろうとしているようだ。一階にアジトを構える利点。侵入されやすいが、逃亡も容易である。長所はいつも、短所のすぐそばにある。

 永田のオバサンの膨れっ面が浮かんだ、そのときだった。鈍い音と、小林がうめく声が聞こえてきた。伏兵の一撃。首脳陣が、後方支援の人員をベランダに配していたのだ。

 千載一遇の好機。俺は、瞼を無理やりこじ開けた。涙で滲む視界に、慌てて室内に引き上げようとする小林の姿が、微かに映った。小林との距離、目測で2メートル。俺は、何かをまたぎ越えるように、大きく足を踏み出してステップインした。小林の、ヘルメットの下から露出する首に検討をつけ、闇に向かってダガーナイフを突き出した。

 ヒュー、ヒュー、と、笛を吹くような音がして、生温い液体が俺の顔にかかる。ドサリ。小林が倒れたようだ。伏兵たちが室内に入ってきて、倒れている小林にトドメをさす。やがて、男たちの、獣のような息遣いだけが聞こえるようになった。

 小林軍殲滅を達成した俺たちは、小林軍の軍資金156万円を奪い、アジトを後にした。戦後の論功行賞では、一番槍をつけた栗田源蔵が報酬100万円を、その他の人員には報酬20万円が支払われた。俺にも、栗田源蔵に次ぐ70万円が支払われるはずだったが、辞退した。「スカーフキッス」で開かれた戦勝祝いにも、乾杯に付き合っただけで帰った。

 土壇場で不要な時間をとってしまったために、小林の反撃を許してしまった。奴の攻撃はルールに抵触するものであったが、それだって、想定していなければならなかった。もともと、社会のルールから逸脱したことでお縄になった連中なのだ――俺を含めて。それが、委員会が決めたルールを順守するなどと考えている方がどうかしている。

 あの場では、小林が「逃げる」という選択をしたために犠牲者が出ることはなかったが、もし、小林が、行動不能になった俺たちに襲い掛かってきていたら?ヘタしたら全滅していたかもしれない。今回の戦は、反省ばかりだ。とてもではないが、浮かれて騒ぐ気分ではない。

 トレーニングだ。トレーニングに打ち込むしかない。もっと、もっと強くならなければならない。でないと、生き残れない。生き残るためには、強くなるしかない

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第46話

 麻原彰晃率いるバドラは、東京ドームに、野球観戦に訪れていた。世田谷区の少年野球チーム「がんばれツンベアーズ」の父兄親睦会に、同行したのである。

「バッター、四番、ファースト、ブランコ」

 ホームランダービートップをひた走る最強助っ人の登場に、レフト側外野席が湧く。許しがたいことに、我が栄光の巨人軍を応援するライト側外野席にも、声援を送っている者が何院もいるようだ。

「うおーーーっ!ブランコーーっ!かっ飛ばせー!!!」
 
 バドラに所属する関光彦も、その不届き者の一人だった。

「痴れ者めが。我が栄光の巨人軍の敵を応援してどうする」

 まったく、嘆かわしい。外人風情が、偉大なる王さんの記録に挑戦することを応援するなど、巨人ファンとして、これ以上に不届きなことがあろうか。麻原は自分の教育不足を深く反省し、川上哲治、王さん、チョーさんなど、少年時代の自分に夢と希望を与えてくれたレジェンドたちに、心で詫びた。

 小気味のいい打撃音がドーム内に響き渡った。観衆から、一斉にどよめきの声が上がる。打球は大きな放物線を描き、なんと、バドラとツンベアーズが座る席を目がけて飛んできた。麻原は身震いする。魔獣、宅間守に襲われたときに勝るとも劣らぬ緊張が、全身を駆け巡った。麻原は持ち寄ったグローブを構える。ボールはその中に、すっぽりと収まった。

「やったーーーーっ!捕った!捕ったぞーーーーっ!」

 年甲斐もなく、はしゃぐ麻原。周囲にいた観客たちが、ダイレクトキャッチに拍手を送る。照れ笑いを浮かべながら腰を降ろしたところで、ハッと我に返った。バドラの信徒たちと、ツンベアーズのメンバーが、自分に軽蔑の眼差しを向けている。麻原は咳払いし、キャッチしたボールをポケットにしまおうとした。とそのとき、身内の中に、一人だけ違う色の眼差しを放っている者がいることに気が付いた。

 一段下の席から、自分の手に握られたホームランボールに、物欲しそうな眼を向ける少女・・ワタルの六歳の妹、イブキだった。

「うっ・・・・」

 麻原は逡巡した。ホームランボールを、手放したくはない。しかし、ワタルとイブキの母親からは、500万円のお布施を得ているのだ。神性を損なうような態度を見せれば、返金を要求されてしまうかもしれない。それだけならまだいいが、詐欺罪で訴えられてしまったら大変だ。

 詐欺は親告罪ではなく、インチキをやった時点で罪に問われる条件を満たすのだが、委員会のスタンスとしては限りなくクロに近いグレーということらしく、たとえデタラメ話で金を巻き上げようとも、被害者――この場合は、ワタルとイブキの母親が、自分をべったり信頼している分には、咎められることはない。が、告訴を起こされてしまっては、グランドマスターも看過することはできないだろう。

 ボールを手放すべきか、命を手放すべきか――。大好きなパーコー麺食べ放題券をもらうのと、大好きな中川翔子とディズニー・シーにデートをしに行くのと、どちらを選ぶか、に等しい、究極の選択を迫られていた。

 誰かが肩を叩き、誰かがぶよついた腹をさすり、誰かが足を踏み、誰かが太ももを抓った。バドラの信徒たちが、往生際の悪い自分にメッセージを発していた。

「・・・うむ。わかった。大事にするのだぞ、イブキよ」

「わーい。そんしのおぢちゃん、ありがとう!」
 
 ワタルと母親が、自分に礼を述べる。
 麻原は、顔で笑って、心で泣いていた。

 試合後、麻原たちは、ツンベアーズのメンバー、及び父兄たちと、ファミリーレストランで食事を取った。麻原は、父兄たちの前では名前を偽り、職業も中堅の投資家ということにしていた。麻原の巧みな話術と、人を引き寄せる魅力の前に、正体を看破できる者はおらず、麻原は地域の人気者として、徐々に存在感を高め始めていた。

 拘置所暮らしで身についてしまった、おかずを全て御飯にぶちまけて食べる癖をみんなに窘められつつ、ビールを三、四杯も飲んだ麻原は、尿意を覚えて立ち上がった。ボディーガードの関光彦は、酔いつぶれて眠っている。他のメンバーも、ツンベアーズのメンバーや父兄たちとの歓談に夢中で、自分のことを気に掛ける様子はない。麻原も、用を足すくらいのことで声をかけるのも煩わしく思え、一人でトイレに向かった。

 それがいけなかった。いつ、いかなるときも、自分が命を狙われる身であることの自覚を失ってはいけなかった。アルコールで茹で上がり、気を緩めてしまったばっかりに、小用中という、性行為以上に人間が無防備になるシチュエーションで、左右を力士のような巨漢男に挟まれ、脅迫されることになってしまった。

「宗教家が酒を飲むのはいただけんね、麻原尊師」

 麻原の背中にドスの先端を当てがいつつ、九州訛りで話しかけてきたのは、北村実雄――「我が一家全員死刑」の、北村ファミリーの父親である。自分の左右に立っているのが、彼の息子、北村真孝、北村孝紘の兄弟だ。どちらも、100キロ近い自分がスリムに見えるほどの巨体を誇っている。

「お、俺を、殺すのか?」

 恐怖のあまりに、狙いが狂う。小便を己の靴にびちゃびちゃ引っかけながら、麻原は北村父に尋ねた。

「安心せんね。物騒なまねをする気はなか。ただし、こちらのゆうこつば聞いてくれたらな」

「い、言うこと、とはなんだ?」

「なに、そんなにむずかしいこつじゃなか。痛いこつでもなか。ちょっと、俺らとドライブに付き合っちほしかだけばい」

「ド、ドライブって・・」

 小さな目を泳がせる麻原の脇腹を、左右に立つ二人の巨漢男が小突く。

「付き合うんか?付き合わんけんか?どっちじゃ!!」

 青き狼の異名を取る平成の大横綱が取組に臨む際のような、恐ろしい形相で凄まれては、気の小さい麻原には首肯するしかなかった。

「よし。そんなら、ちょっと付きあっちもらおうか」

 膀胱の中が空になったところで、麻原は小便器から引きはがされた。背中にドスをあてがわれたまま、駐車場へと連れて行かれる――。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第47話

時刻は夕方7時。麻原彰晃は、八王子にある、北村ファミリーのマンションに監禁されていた。巨人―横浜戦のデーゲームを見終え、食事を取っていたところを、拉致されたのだ。

「ド・・ドライブには付き合ったぞ。も、もう、解放してくれてもいいんでは、ないのかな?」

「麻原尊師。おうちに帰りたいのだったら、こちらの言うことを聞いてもらわんといかんばいね」

 麻原の往生際の悪い言葉には取り合わず、北村父は携帯電話を差し出した。

「2000万。それが麻原尊師の身代金ばい。信徒に要求してくれんね?尊師の口から」

「バカな。そんな蓄えは、バドラにはない」

「わかっとるばい。尊師の懐にある金は、人、の弱みに付け込んでだまし取った500万プラス、いたいけな信者を働かせて得た100万円、せいぜい600万がよかところね。あちこちからかき集めても、せいぜい1000万が関の山だろうね」

「ならば・・」

「尊師も素人じゃないのなら、わかっとるだろうもん。初めに要求した金をそっくりもらってしまったら、相手に遺恨が残る。初めは思い切りふっかけて、相手が値切るのに応じてやれば、相手も気持ちよく金を吐き出せるし、わだかまりも残らんというもんちゃろう」

 悪党め。北村父の、薄汚いツラに、唾を吐きかけてやりたいところだったが、彼の背後に控える息子たちが恐ろしく、口答え一つできなかった。麻原は北村父に言われるがまま、バドラ本部の固定電話の番号をダイヤルした。

「はい、バドラ本部」

 電話に出たのは、勝田清孝だった。全員かはわからないが、どうやら彼らは、自分を探さず、とっとと家に帰ってしまっていたようだ。

「おう、清孝か。俺だ。麻原だ」

「ああ、尊師。何してるんです。早く帰ってきてくださいよ。今晩はみんなで、M-1グランプリ2003のDVDを、順位を賭けながら観る約束だったでしょう」

「あ、ああ、そうだったな。ところで、みんなは、もう家に帰っているのか?」

「みんな帰ってますよ」

「お、俺が心配で、探したりとかは、しなかったのか?」

「私は探した方がいいと言ったんですがね。関くんや尾田くんが、ピンサロでも行ったんじゃないの、なんて言うもんだから、みんなそれで納得して帰ってきちゃんですよ」

「な・・お、俺が、ピンサロなど、行くわけがないではないか!そんな、黄白を代償に射精の快楽を得るような、低俗な店になど・・。だいたい、教祖が行方不明になったというのに、その緊張感のない雰囲気はなんだ。オウムのときは、もっとみんな・・」

 北村兄が、麻原の脇腹につま先をめり込ませた。余計な話はするな、ということらしい。

「ま、まあいい。ところで、突然の話で、みんな驚いてしまうかもしれないが、実は今、誘拐されていてな。解放は、2000万円の身代金と引き換えだとか言われているんだが、ちょっと、払ってやってくれぬかな?」

 受話機の向こうの勝田清孝が、息をのむ気配が伝わってくる。

「・・・尊師。その話を信じるには、アレをやっていただかなければなりません」

「あ、あれ、とは・・?」

 わかっていたが、麻原はあえて恍けた。

「あれ、と言ったら、あれしかないでしょう。今、俗世では、オレオレ詐欺なんてのが流行っている、というニュースを観たときに、みんなで決めたじゃないですか。金銭を要求する電話がかかってきたら、あれをやってもらってから、判断しようって」

 麻原は戸惑った。「あれ」は、人前でやるのは恥ずかしすぎる。みんなで決めたときは、まさか自分が「あれ」をやる立場にはならないとタカをくくっていたために、軽い気持ちで賛成してしまったのだが、麻原は今、それを猛烈に後悔していた。北村ファミリーの連中は、相変わらず自分に剣呑な視線を向けている。ダメだ。やるしかない。麻原は覚悟を決めた。

「エムレモレマレー~レモレモレモラーミーオー~マモレ~マミーオー~レムレ~アラマミーアオ~」

 オペラ歌手ポール・ポッツがコンテストで歌った、「誰も寝てはならぬ」のサビである。ただでさえ全て耳コピなうえ、うろ覚えと来ており、自分でも、何を歌っているのか、まったくわからなかった。こんなことになるなら、せめて、英語の意味くらいは勉強しておくのだった。

 恐れていた通り、絶対零度の空気が、室内に流れてしまった。もう、取り返しがつかない。

「声が小さいですよ。決めたじゃないですか、受話器を耳元から30センチ離しても聞こえるボリュームじゃないとダメだって。さあ、もう一度」

 勝田清孝が、笑いを押し殺したような声で言う。この勝田という男、年齢が年齢だけあり、関光彦のように表立って自分を軽んじるような言動を取ったりはしないのだが、どうも腹に一物というか、普段は自分にぞっこんのフリをして、ここぞというときで自分を笑いのネタにしようとすることがあった。癪に障るが、今は信徒たちを頼るしかない。麻原は泣き出したいのを堪え、大きく息を吸い込んだ。

「エムレモレマレー~レモレモレモラーミーオー~レモレーモー~レムレーモー~マモレ~マミーケサーチャ~アラマミーレチェロ~リケロ~ロ~」

 摂氏マイナス273度の空気が、アパートを氷結させる。一周回って面白い、などという言葉が、最近、バドラでは流行っており、誰かがスベった際には、その言葉でフォローするのがお約束だったのだが、ここには、そんな暖かい心を持った者はいなかった。

 早くバドラに帰りたい。そもそも、こんな恥ずかしいことをしなければならなかったのは、他ならぬバドラの信徒、勝田清孝のせいなのだが、麻原はそれを忘れ、心から、我が家が恋しくなった。

「まだ28センチくらいまでしか届いてないし、なんかさっきと違いますが、まあ、信じましょう。ただ、本人ということは信じても、まだ、本当に誘拐されたかどうかを信じるわけにはいきません」

「ど、どういうことだ」

「いやね、関くんがこんなことを言うですよ。尊師は、みんなに構ってもらいたくて、自作自演をしているだけかもしれない、なんてね」

 金槌で頭を打たれたような衝撃が走る。しかし、まったく身に覚えがないわけではなかった。最近、バドラに、新しく、大道寺将司が加入したのだが、最近、信徒たちが大道寺ばかりをちやほやするため、僅かではあるのだが、麻原はやきもちを焼いている部分があったのだ。

 無論、麻原とて馬鹿ではないから、信徒たちが、大道寺が早くバドラに打ち解けられるように、気を使っているのはわかっている。だが、常にみんなの中心でいたい麻原には、少し面白くなかったのは事実だ。表には出さぬよう心掛けてはいたのだが、看破されていたのかもしれない。

「でも、本当に尊師が囚われていたら大変ですから、助けには行きましょう。2000万円でしたよね?ちょっと待っていてください」

「なに?ちょっと待て、2000万円など、そんな大金はないはずだろう?」

 まさかの答えが返ってきたため、つい、2000万円がふっかけた金額であるのがバレるようなことを言ってしまった。北村ファミリーが、射抜くような視線で自分を見る。

「安心してください。そのぐらいの金、すぐに用意しますから。今、誘拐犯は傍にいるんですか?受け渡し方法を教えてください」

 北村父が、自分の携帯に文字を打ち込む。「後でかけ直すといえ」

「ああ。後でかけ直す。そのときに伝える。24時間、電話が繋がるようにしておいてくれ」

「わかりました。尊師、弱気にならないでくださいね。必ず我々信徒が、あなたのことを助け出しますから」

 麻原に励ましの言葉をかけて、勝田清孝は電話を切った。
 頼もしい言葉だ。勇気が湧いてくる。
 かつて、オウムの信者も言ってくれた。
 麻原尊師を、必ず守ると。


 だが―――。


 彼らはみな、自分を裏切った。


 バドラはどうか?
 バドラの信徒は、本当に、自分を守ってくれるのか?
 自分に、永久の帰依を誓ってくれるのか?

 期待と不安が、麻原の心中で綯交ぜになっていた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第48話

 麻原彰晃が北村ファミリーに監禁されて、今日で3日目。今晩8時に、身代金の受け渡しが行われる予定だった。

 麻原は、食事を掻き込む。生き残るために、食ってやる。どんな環境だろうと、負けはしない。どんな食事だろうと、憎き敵の作る食事だろうと、食ってやる―――。

「あんた、どれだけ食うのよ。ウチの子供たちと同じくらい食ってるじゃない。自分の立場わかってる?」

 昼に出されたカレーを丼三杯、軽く平らげた麻原に、北村母が呆れた調子で言った。

「いや、すまぬ。天界の料理にも勝る、あまりの美味だったのでな」

 世辞ではなく、北村母の作る料理はうまかった。カレーなどは、誰が作ってもそこそこの味にはなるものだが、北村母の作ったものは絶品だった。カレー以外にも、昨日はベトナム風春巻き、その前はミックスフライ定食を食べたのだが、どれも、下手な店で食べるより、よほどうまいものばかりだった。

「あら、上手なのね。なんなら、帰るときにレシピを持たせてあげましょうか?」

 レシピと言わず、北村母に、バドラに移籍してもらいたかった。その容姿は人間離れしており、とても目の保養になるような代物ではないが、この料理の腕は魅力だ。料理以外にも、家事全般できるし、男所帯のバドラに、今もっとも求められている人材――

「その代わり、身代金2000万に加えて、200万円を、アタシに個人的に払ってもらわんとね。天界の料理に勝るレシピなら、それだけの価値はあるでしょう?」

 ――商売っ気さえなければ。

 その後は、北村兄弟が、次々と買ってきては、「まずい」と捨てていく菓子などを食いつつ、「スーパーニュース」を観た。上野公園で、大規模な火災があったらしい。ホームレスが何人か焼死したのだという。原因は、放火か。まったく、酷いことをする奴がいるものだ。

 そして、受け渡し時間が近づいてくる。

「よし。行くばい、麻原尊師」

 巨漢の息子たちに両脇を抱えられ、麻原は車に乗った。道中、麻原の脳裏を、不安がよぎる。2000万を用意するなどと言っていたが、本当に可能なのか?どうにも信じられなかった。信徒たちのことだから、札束の両端だけ本物の一万円札で、中には、最近みんなでよくやっている「人生ゲーム」のお札を挟むとか、やりそうではないか。そんなバカなことをすれば、逆上した北村兄弟に殺されてしまうのは必至だ。信徒たちを信じても、大丈夫なのだろうか・・。

 車が、受け渡し場所に到着した。葛西臨海公園前である。18:56。指定時刻まであと4分と迫っているが、バドラの信徒たちの姿は見えない。麻原の胸に不安が募る。自分は、見捨てられたのではなかろうか。

「ふっふ。捨てられた子犬のような眼やね」

 北村父が、笑って言った。返す言葉もない。自分は今、猛烈な寂しさに襲われている。この上は、とにかく、信徒たちさえ来てくれればよかった。来たら来たで、きっちり言い値を払って穏便に済ませてくれよとか、色々考えるのだろうが、今はただ、信徒たちがこの場に現れてくれることだけを祈っていた。みんなが自分を心配していることを、証明してほしかった。

 誰かに愛されたい。必要とされたい。自分のその感情は、ただの構ってちゃんの次元ではない。宗教団体の教祖たる自分にとって、魅力を否定されるということは、死活に関わる問題である。学歴も才能も体力もない自分は、人を操り、利用することでしか生きていけないのだ。今も、そしてこれからも。こんなところで魅力を否定されているようでは、バトルロイヤル制覇後、オウムを超える巨大宗教団体を作ることなど、できはしない。

 しかし、麻原の思いとは裏腹に、時間は無情にも過ぎていく。携帯のデジタル表示が、19:00に切り替わった。

「なんばしよっとね、あいつらは。麻原尊師。ちょっとかけてみてくれんね」

 言われなくても、そうするつもりだった。断じて、受け入れるわけにはいかない。渋滞が発生しているとか、電車が遅延しているとか、なんでもいいから、言い訳が聞きたかった。

 1コール、10コール、20コール・・。信徒すべての携帯に電話をかけてみたが、応答する気配はない。諦めるしかないのか。この上はプライドをかなぐり捨て、北村ファミリーに命乞いをしようと、地に膝をつきかけた、そのときだった。

「・・・・こー・・しょーこー・・」

 彼方から、歌が聞こえてくる。自分を讃えるあの歌が、聞こえてくる。一人や二人ではない。七人の信徒だけではない。もっと、もっと大勢の人たちが、あの歌を高吟している。

「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこーあーさーはーらーしょーこー」

 ツンベアーズの子供たちと、彼らが集めたのであろう小学校の同級生が、輪になって自分や北村ファミリーを取り囲んでいる。その数、ざっと100。輪は徐々に収縮していく。彼らの放つ歌声が、確実に力と量を増し、耳に入ってくる。

 子供たちの輪が、直径およそ10メートルほどにまで収縮した。真ん中に麻原と北村ファミリーを囲み、バドラの信徒たちの指揮に合わせ、「麻原彰晃マーチ」を合唱する。

「な、なんね、これは・・」

 北村ファミリーの顔に、焦りが見える。素行不良を叩かれたときの、某平成の大横綱さながらに、ちゃんこを食う時や稽古で流す汗とは違った質の、冷たい汗をタラタラ流している。

「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこーあーさーはーらーしょーこー」

 四面楚歌ならぬ、四面オウムソングである。なかなかのプレッシャーだ。鬼気迫るものがある。麻原は感心していた。一般人をけしかけて、直接参加者の肉体にダメージを与えるのはルールで禁じられているが、ただ歌を歌うだけならば問題はない。宅間守と戦ったときのワタルのように、一般人が自主的に動いたのであれば尚よしだ。一般人の有効活用法である。麻原は、このアイデアを思いついた者には、3時と9時のおやつの量を二割増しにしてやることを決めた。

 やがて、子供たちとは関係のない、一般の通行人までもが、足を止め始めた。周囲に、瞬く間に人だかりができる。

「ちっ・・命拾いしたばいな、麻原尊師」

 プレッシャーに負けた北村ファミリーが、車に乗り込んで行った。クラクションを鳴らすと、子供たちが道を開けた。車は猛スピードで去っていく。

 バドラの信徒たちが、自分を取り囲む。子供たちから、歓声が沸き起こる。一般の通行人たちも、雰囲気で何かを感じ取ったのか、惜しみない拍手を送っている。

「尊師~。無事でよかった~」

「こらこら、涙と洟で、服が汚れるではないか」
 
 胸に飛び込んできた菊池正の頭を撫でながら、麻原は言った。

「まったく、みんなに迷惑かけて。これからは、どこに行くときも、俺から離れちゃだめだよ。なんのためのボディーガードだと思ってるの」

 関光彦が、頬を膨らませながら、しかし、目には涙を浮かべながら言う。

「さあ、尊師。家に帰りましょう。M-1グランプリ2003のDVD、みんな結果をググりたいのを我慢して、待っていたんですよ」

 勝田清孝が、ちょっと邪悪な笑みを浮かべて言った。もしかしたら、こっそりと結果をググっているのかもしれない。賭けの対象は、お小遣いか、おやつか、家事当番の免除か。何かはわからないが、麻原は自分の負担を減らすため、あとで勝田に結果を尋ねてみるつもりだった。

「よし。みんな、家に帰るぞ!」

 麻原は力強く言って、100人を超える信徒と子供たちを引き連れ、東京湾沿いの夜道を歩き始めた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第49話

麻原彰晃が、北村ファミリーの魔の手から逃れバドラ本部に帰還した、その前日の夜――。

 仕事を終えて集落に帰ってきた市橋達也は、仲間のホームレスたちと歓談に花を咲かせていた。会話に参加するメンバーは、ほぼ固定されている。気が合うから、というわけではない。まともに会話をできる人が、ごく少数に限られているのだ。

 軽い知的障害を持っている人、精神に障害を負っている人、認知症を発症している人、言語能力は正常だが、歯が壊滅していて、脳が発した言葉が、口を経由すると別の言葉になってしまう人。コミュニケーション能力に問題を抱えた人たちばかりで、まともな日本語を話せる人は、全体の半分もいない。

 その半分の会話ができる人たちの話も、正直、聞いていて辟易するようなものが多い。中でも一番ウンザリなのが、説教する人だ。これが本当に多くて困る。ホームレスにまで身を落として、いったい何を偉そうに説教することがあるのかと思うが、人間、どんな立場でも、若い者には威張れるものらしい。

 説教と常に相関関係にあるのが、自慢である。自慢がしたいから説教するのか、説教がしたいから自慢するのか、どちらなのかはわからないが、説教したがりには自慢好きが非常に多い。全員といっていいかもしれない。「俺が若いころはお前と違って」「若いころの苦労は買ってでもしろ」などというが、結果ホームレスになっているのだから、説得力は皆無である。

 説教、自慢好きが多いのと関係しているのか、ホームレスは、なぜか変にポジティブである。社会の最下層にまで身を落としながら、自分は結構豊かな人生を送っていると思っている。ホームレスから成り上がって会社経営者になった人の逸話を持ち出したりして、自分にもまだ先がある、なんてことを、思うだけでなく、実際に口にしている。70過ぎの老人がである。もっともこれは、根っからの楽天家というよりは、虚勢を張って空元気でも出していなければやってられない、という心境なのかもしれない。

 それでも、自分がホームレスに落ちた現実を受け入れ、謙虚に、粛々と、それでも僅かなチャンスを探して生きている人たちも、いるにはいる。僕や小池さんが親しくしているのはそういう人たちなのだが、環境が変われば常識も変わるといったものか、比較的社会適応性が高いそうした人たちは、ホームレスの集落では爪弾きに合うことが多い。

 リーダーのヤナイに代表される、押し出しが強く、腕っぷしも強い、物理的な弱肉強食の頂点に立つ人間が一番エライ奴で、二番目が現実逃避のポジティブ派、三番目に現実派、最下層が知能や精神が劣っている人。それが、ホームレス社会のカーストである。

 ただ、ポジティブ派も、こと女性問題に関しては現実志向らしく、まっとうな社会生活を送っている若い女性には目もくれず、同じ境遇に生きる、ボロを纏って据えた体臭を発する、生理も上がったような女性に、必死になって甘い言葉をささやいて口説いたりしているのが、お茶目なところではある。

 その女性問題なのだが、ちょっと厄介なことになっていた。ヤナイが自分のテントに、家出少女を泊めているのだ。

 最近、だいぶ暖かくなってきたとはいえ、夜は冷え込みの厳しい日もある。雨など降っていたら尚更だ。ヤナイはそうしたとき、途方に暮れている家出少女を、たびたび自分のテント――ヤナイのそれは、災害避難用としても通用しそうな巨大なもので、中にベッドやテーブル、食器棚など家具一式が設置されている――に連れ込み、宿を貸すかわりに、身体を提供させていた。

 普段は一晩泊めたら解放していたようだが、内妻のレイコを失って欲求のはけ口に窮していたからか、女の子がよほど好みだったのか、今回は、一週間たっても、自分のところに繋ぎ止めているままのようだった。

 僕も小池さんも、確実に誘拐騒ぎに発展するものと思っていたのだが、どうも様子が違った。女の子が、ヤナイをべったり信頼しているようなのだ。

 家庭環境が、よほど複雑なのだろう。愛情はおろか、衣服も食事も、まともに与えられていないのかもしれない。ヤナイのテントにいれば、雨風を凌げるばかりか、食事は下手すると下流のサラリーマンよりもいいものを食べられるし、ヤクザ特有の情の深さと性の奥義によって、包み込むような愛情を受けることもできる。ヤナイの手下たち相手に、「女王」として振る舞うこともできる。女の子が帰りたくないと思うのも、無理はないのかもしれない。

 だが、そんな「まともじゃない平和」が、長く続くはずもない。三日前女の子の親が、娘を取り戻しに来たのだ。それに対し、女の子は帰宅を拒否し、ヤナイも親の要求を突っぱね、追い返していた。親の方も、疚しいことがあるのだろう。それきり彼らが集落を訪れることはなく、警察沙汰になる様子もなかった。

「まったく、親分には困ったものだよ。後先のこと、何にも考えちゃいないんだから」

「いくら親が騒がないっていっても、世に知れるのは時間の問題だよ。そしたらえらいことになる。マスコミが騒ぎ立てて、こんな集落、あっという間に潰されちまうぞ」

「世論の風当たりも強くなりそうだな。今のうちに、湘南海岸の砂防林にでも移り住もうかな」

「ああ、あそこは気候が温暖だからな。仕事は少なくなるだろうが、釣竿一本もっていけば、食い物に困ることはない。人間関係もここよりは緩いだろうしな。だがそれを言ったら、沖縄に行けばなおいいって話になるけどな。旅費が問題だが・・」

「そんなことを考えなきゃいけなくなったのも、あのメスガキのせいだよ。どうせ俺たちに回ってくることはないんだから、とっとといなくなってほしいよ」

 仲間のホームレスたちは、口々にそんなことを言い合っていた。彼らと違い、ずっとここにいるつもりはない僕は、事態をまるで他人事のように眺めていた。だが、後に起こったことからすると、どうやらその考えは、甘かったようだ。

 かといって、何をどうすればよかったということでもなく、どうしようもなかったのは事実なのだが、いずれにしろ、その状態を放置していたせいで、あの悲劇は起きてしまったのだ。

 深夜、みんなが寝静まった時間帯――。紅蓮の炎が、集落を包み込んだ。火元は、ヤナイのテント。警察の発表によると、三十歳前後の男がヤナイのテントに忍び込み、ヤナイを殺害したうえで女の子を無理やり奪還し、去り際に火を放ったのだという。

 ガソリンを撒いたうえで放たれた炎は、瞬く間に燃え広がった。身体障碍者や老齢のホームレスが逃げ遅れ、四人が焼け死んだ。

 そして、驚いたことに、四人の中には、バトルロイヤルの参加者も混じっていたようだった。加納恵喜。名古屋市スナック経営者強殺事件の犯人。ここで二週間近く顔を合わせていながら、こっちはまったく気が付かなかった。彼は焼け死んだのではなく、放火犯が、火をつけて逃げ去る間際に、直接刃物で刺して殺したのだそうだった。

 参加者と同じ場所で生活していながら、まったく気が付かなかった。向こうも全力で気配を消していたのだろうが、思わぬ不覚であり、これ以上に危険な状態はない。しかし、その参加者はこの世から消えた。僕たちは殺されかけたようで、もしかしたら、命が助かったのかもしれない。そんな風にも考えてみたが、まったく別のある思いが、脳裏に引っかかっていた。小池さんにそれを話してみたところ、彼もまったく同じことを考えていたという。

 放火犯の殺意は、僕たちにも向けられていたのではないか――。なんの根拠もない、まるで荒唐無稽な思いが、なぜか確信をもって、僕に危険を訴えていた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第50話

宅間守は、駐車場で煙草を吸いながら、「生徒」を待っていた。宅間が座っているスペースの番号は「68」である。別に何か意図があったわけではない。たまたま座ったら、この番号である。

「68のおっちゃん、ちーっす」

「おっちゃん、今日も悪いこと教えてもらいにきたよ」

 「生徒」たちが、今日も仲良く揃ってやってきた。19:00。学校の通学時間など守ったことなどないだろうに、宅間の「授業」については、ゴルゴ13並みの正確さで現れる。

 宅間は一週間前より、大田区の小中学生を相手に、「塾」を主宰していた。言うまでもないが、国語や数学を教えているわけではなく、宅間が今までやってきた悪事を教えているのである。料金は、一人一時間1500円。中学生が簡単に出せる金額ではないが、自分が教えた悪事によって彼らが儲けた金額を考えれば、安いものである。

 今日の生徒は、5人。一週間前には2人だったのが、もう倍の数に増えている。5人に2時間、教授を施して、しめて15000円の収入である。ボロイ商売。笑いが止まらなかった。

「おう。そんじゃ、始めるで。一時間目は、ATMの荒らし方や」

 生徒たちの表情が引き締まる。

「一昔前のATMは、バールかなんかでこじ開ければあっという間に壊せたものやが、近年のは頑丈に出来とって、そうもいかん。ごちゃごちゃとやっているうちに、機械警備が作動して、警備会社の機動隊に包囲されてオシマイや。そうならんためには、ショベルカーを使って、機械ごと分捕ればええ。安全なところまで運んで、ゆっくりと破壊しにかかるんや。ショベルカーと、ショベルカーを積むダンプの盗み方については、後日に講義する」

 生徒たちが真剣な表情で、ノートにペンを走らせる。死語や居眠りをする者は、誰一人としていない。学校の授業では見せたことなどないであろう、物凄い集中力である。この集中力を学校の勉強に活かせれば、とは誰もが思うことだろうが、なかなかそうもいかないことは、自分が一番よく知っている。モチベーションの問題。それもある。誰しも好きなことなら、真剣に覚える。だが、宅間は、問題はそれだけではないと考えている。

 宅間は、学校の授業についていけない生徒の9割は、ちょっとやり方を変えれば、劇的に成績が上がるポテンシャルを持っていると考えている。軽度の知的障害や、LDなどの発達障碍者を除く、大半の学習遅れの子供は、単に「授業を受ける」というスタイルが身についていないだけだと思うのだ。

 先生が話を始める。ノートをとる、あるいはプリントを解いていく。手を挙げて質問をする。どこでも行われている授業の風景だが、そのスタイルに馴染めない子供が大勢いる。小学生のうちにそのスタイルに馴染めなかったら、もうオシマイである。馴染めないうちに中学に上がり、高校に上がり、ペースがどんどん早くなって、ますますついていけなくなる。

 宅間の地元に本拠を持つプロ野球球団に、ドラフト一位指名を受けながら、長らく一軍半の成績で燻っていた選手がいた。解雇の話まで出るほど切羽詰まっていたその選手は、コーチに右足の使い方を指摘されたことで、翌年、火の玉と呼ばれるストレートで並み居る強打者をねじ伏せる、球界最強のリリーフ投手に覚醒した。

 次元は違うが同じ話で、ちょっと誰かが手を差し伸べてやれば、眠っていたポテンシャルが花開くということは、いくらでもあると思うのだ。

 宅間には、社会貢献をしようだとか、人を導き、育てようなどという気はさらさらないが、宅間の授業がきっかけで、生徒たちが勉学に目覚めるというようなことがあれば、それもよかろう。そのまま悪の道を究めるならそれもよし。自分の知ったことではい。

「よし。2時間目は、強姦についてレクチャーするで。女犯るのに一番ええのは、やっぱり徒党を組むことやな。女っちゅうても必死に抵抗するから、一人だと返り討ちにされることは結構あるんや。4,5人のグループを組んで、狙っている女の生活パターンをつぶさに調べる。一人になったときを狙って、車に引きずり込んで、人気のないところまで連れて行き、代わる代わるに突っ込んだるんや。フェイスマスクを被って、絶対に顔見せたらアカンぞ。体液を残さんのは、言うまでもないな」

 白けた目をしている少女と対照的に、少年たちの目が、爛々と輝く。やはりこの年頃の子供を一番惹きつけるは、性にまつわる話である。

「まあ、ワシは集団行動は肌に合わんかったから、もっぱら一人で犯しとったけどな。お前らと同じ齢のころからやり放題やったが、一番よかったのは、不動産賃貸物件の紹介案内をしとったころや。合鍵もっとるから、契約成立した後に、いつでも犯ったれるんや。趣味と実益を兼ねて、まったくボロイ商売やったで」

「バれないものなの?」

「そらいつかはバレるわ。そんときに備えて、精神病院入ったりして、キチガイの実績を積んでおくんや。そうするとな、司法と精神医療、それから、人権、なんてのが、強力な盾になって、守ってくれるんや。ま、そうは言うても、実際にはバレんかった方が多いけどな。世の中にはどんなに真面目に生きても女とヤレずに死んでいくやつもおる。それに比べれば、100回女を犯って、1回の懲役で済むなら安いもんやろ。勝ち組や」

 少年たちが、大いに納得した様子でうなずく。この年頃の子供だと、いわゆる不良であっても、まだまだ女には甘美な幻想を抱き、まともな恋愛に憧れをもってもいそうなものだが、最近のガキの心は、自分の頃よりも遥かに冷え込んでいるようだ。結構なことである。

「よし、今日の授業は終いや。家帰ったら、ちゃんと復習しとくんやぞ。それから、紹介の件な。一人紹介するごとに授業料100円免除やからな、忘れんなよな」

「はーい。68のおっちゃん、今日もありがとな」

「おう」

 敬語もよう使えん悪ガキどもが、お礼を述べている。宅間の授業でしか、見られない光景だろう。親が知ったら、涙するかもしれない。

「ねえ、68のおっちゃん」

 少女が、腰をくねらせながら近づき、艶っぽい声で話しかける。

「なんや」

「あのね、アタシ、今日、お金もってないの」

「なんやと」

「それでね、体で払うならどうかと思って」

 宅間は考え込んだ。少女は目も一重で、肌も浅黒く、髪質も悪く、容姿は自分の好みではない。だが、なんといっても若さがある。未成年とは長らくご無沙汰だ。おそらく処女ではないだろうが、ヤッてやっても、いいかもしれない。

「ええで。ほんなら、ホテル行こか」

「だめよ。だって、その必要もないもん。おっぱい触らせるだけだから」

「なんや、それは」

「授業一回でボディタッチ、二回でキスとハグ、三回でフェラ、七回でスマタ、十回でゴム付き本番、十五回で生本番。キモイオヤジならもっと取るけど、68のおっちゃんはタイプやから、安くしといてあげる」

 宅間は苦笑した。近頃のメスガキは、こまっしゃくれている。

「わかった。ほなら、十五回目まで我慢するわ。そん代わり、毎日来るんやぞ」

「うん。また明日ね」

 少女は、ウインクをして去っていった。
 まったく、ボロイ商売である。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第51話

宮崎勤は、山地悠紀夫と二人、道玄坂を歩いていた。服屋に入っては、今はやりのコスプレファッションを二人で品評し合い、飲食店に入っては、食べ物そっちのけで、居合わせた女性の肉の味を二人で想像し合ったり、ペットショップに入っては、幼いころ殺した猫の数を語り合って、居合わせた若い女の子や子供を青ざめさせるなど、楽しいひと時を過ごしていた。

 オシャレなお店以外に目に付いたのは、路上パフォーマーの多さだった。ただ多いだけでなく、僕のころとは比べ物にならないほど、芸の質は向上しており、種類も多彩だった。僕のころは、まだ河原乞食なんて言葉が生きていて、芸で生計を立てる奴なんてロクでもないという風潮が無きにしも非ずだったが、現代では、高い技術を持った芸人は、むしろ賞賛されている。芸人の世界は、スポーツの世界のように年齢的な限界がない分、新陳代謝が進まず、番組の司会など、美味しいポジションが中々あかなくて苦労することもあるだろうが、先人たちが血のにじむ努力で芸人肯定の風潮を作ってくれたお蔭で今のステージがあると考えれば、嫉妬などはおこがましい感情だろう。

 パントマイマー、路上ライブ、路上漫才・・この辺は予想できる範囲だが、変わったところでは、奇虫食士なんてのがいた。ミミズやダンゴムシ、アオムシ、クモなどを並べ、お金をもらってリクエストを受けた品目を食べるという芸だが、怖いもの見たさで、一定数客はとれるようだ。ちゃんと区の許可を取ってやっているにも関わらず、苦情は結構来るみたいだが。

 他には、漫画読み士なんてのもいた。名作どころの漫画を自分で持ってきて、客のリクエストに応じて朗読するというものだが、これが意外にうまい。劇団出身者などではなく、完全に我流だというから大したものだ。熱血系、コミカル系、シリアス系のキャラクターを、阿部寛ばりに演じ分けている。さすがに女性キャラクターを演じるのは限界があるようで、これに関しては是非ともパートナーが付いてほしいと願うのだが、現状でも、ひとたび劇が始まればかなりの数のギャラリーが足を止めて見ているし、収入も二ケタ万円にかろうじて届くぐらいはあるそうだ。実家暮らしなら、趣味の延長でそれだけの金が稼げれば十分勝ち組といえるだろう。

 インターネットの発達した現代は、一億総評論家時代などと言われているが、それは裏を返せば、一億総表現者時代が幕を開けたことも意味している。表現の場がない、チャンスを貰えない、賞に引っかからない、などという言葉は、もはや甘えである。ブロガー出身の作家やライターはもはや珍しくないし、テレビ離れが加速しストリーミングサイトがメジャーとなった今なら、ネットアイドルから本物のアイドルにステップアップする人だって、今に必ず出てくるだろう。同人作家だって、やりようによっては数百万の収入を稼ぐことだって出来るのだ。

 その他にも、道玄坂という道には、ファッション雑誌のカメラマンにストリートスナップされることを狙った読者モデル志望などもいて、実に活気に沸いている。人間が放つ、すべての個性を受け入れる空気が存在する。新宿歌舞伎町とは違った意味で、どんなに人間にもウェルカムな町なのだ。

 しかし、そんな町でもノーセンキューな人たちもいる。我ら、バトルロイヤルの参加者である。町を歩いていた僕らは、他の参加者同士が殺し合っている現場に、偶然にもかち合ってしまったのだ。

「山地くん、あれって・・」

「知ってる。幼女殺害事件の坂巻脩吉と、桶川ストーカー事件の小松和人だろ」

「うん。どうする?逃げた方がいいんじゃないの?」

「僕は残るよ。他人の殺人を見れる機会なんて、そうそうないじゃないか」

「だよね。僕も同じことを考えていたんだ」

 僕たち二人は、一般人の野次馬と一緒に、坂巻と小松の戦いを眺めた。二人とも目の前の相手に夢中で、僕らの存在は一切感知していない。坂巻はコンバットナイフ、小松はマグライトを装備している。マグライトは、ライトと警棒が一体になった武器で、光量の高いものなら、相手の目を眩ませてから殴るという戦い方ができる。が、今はまだ、日が陰ったばかりという時間帯であり、街中ではネオンの光もあるため、その性能を十分には発揮できない。結局、小松の一撃を、左腕を犠牲にしてガードした坂巻が、小松の腹部にナイフを突き立てたところで、勝負は決した。

「はいはいみなさん、ごめんなすって」

 小松の衣服から財布を抜き出した坂巻が、今しがた人を殺したばかりとは思えない明るい声音で、野次馬をかき分け、何処かへ消えていった。雪村いづみの「マンボ・イタリアーノ」をこよなく愛し、死刑になる直前にも歌っていたという、享楽的な犯罪者である。

「あいつ、まだ息があるね。殺しに行こっか」

「うん。そうだね」

 僕と山地くんは、腸が飛び出した腹部を抑えて蹲っている小松に近づいた。トドメを刺そうとナイフを抜いたところで、突然、野次馬の中から、ベースボールキャップを被った男が現れ、僕たちの獲物を掻っ攫っていった。

「ふう。危ない危ない」

 小松を殺した、痩せぎすのその男が、鮮血に塗れた顔を、僕たちに向けた。年のころは、三十歳くらいだろうか。なかなか整った目鼻立ちをしている。残虐な行為をしたというのに、眼には狂気が感じられない。人殺しを、悪と認識していない者の眼――間違いなく、僕たちの同類だった。

「宮崎勤さんと、山地悠紀夫くんやね」

「僕たちを知ってるの?でも、君、名鑑には載ってなかったけど・・」

 山地くんが、特に慌てた様子もなく、たばこを吸いながら言った。

「今まで、僕らは部外者やったんでね。でも、これで椅子が三つ空いた。グランドマスターさんとの約束は果たしたんで、これで僕も正式な参加者になれましたわ。他、あと二人、新しく参加予定のモンがいますんで、そいつらともども、よろしゅうお願いしますわ」

 男は、実に飄々とした口調でそう言った。

「やかましゅうなってきな。ほな、僕はお暇させてもらいますわ」

 男は、軽やかな足取りで去って行った。
 禍々しい、血の臭いのする男――。
 僕の狂った血が、危険信号を放っている――。
 苛烈な戦いを、予見している――。
 でも、とりあえずそのことは、今はどうでもよかった。

「お腹すいちゃったな。ソフトクリームでも、食べよっか」

「そうしよう、そうしよう」

 僕と山地くんは、原宿から渋谷の街を目指し、また歩いて行った。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第52話

 スカーフキッスの控え室が、異様な熱気に包まれていた。オープンから一か月。この日は、全キャストの売り上げランキングが発表される日である。Nは、ランキングを読み上げる、チーフの加藤智大の声に、全神経を傾けていた。

「七位、マユ。六位、マリコ・・以上、ナンバー以下のランキングだ」

 歯噛みして悔しがる者、歓喜の笑みを浮かべる者、ホッと胸を撫で下ろす者・・。キャストたちの悲喜こもごもが、展開されている。そして彼女たちは、ある事実に気が付き、一様に戸惑いの顔を浮かべる。この一か月間、自分たちが見下しに見下してきた女の名が、まだ呼ばれていないことに、驚きの表情を浮かべる。

「続いて、ナンバークラスを発表する。第五位・・ユウコ」

 ナンバークラスの発表だというのに、拍手の音はまばらである。みんな、他に気が入っている。すべてにおいて自分より下だと思っていた女が、ナンバー入りを果たしたどころか、トップ3に名を連ねているかもしれないことへの驚愕に、頭を支配されている。

「第四位・・シロナ」

 私の源氏名が、ようやくに呼ばれた。舌打ちと、最悪の事態を回避できたことに対する安堵のため息。いずれにしろ好意的ではない雰囲気の中、Nは歩を進める。スカーフキッスでは、ナンバー入りを果たしたキャストに、金一封が送られることになっているのだ。

「よく頑張ったな。この一か月間の成長、目覚ましかったぞ。来月もこの調子でな」

 加藤さんからの言葉を受け、私は頭を下げた。すべては、この人がかけてくれた言葉がきっかけだった。金を稼ぎたい。私をバカにしてきたやつらを、見返したい。憎悪ばかり強くて、それを力に変える方法を知らなかった私に、道を示してくれたのが、この人だった。

 金一封を受け取り、元いた場所に帰ろうとする私の足元に、何者かの足が突き出された。顔も話術もショボイなら、やることもショボイ奴。私は、児童自立支援施設での体育、体育の連続の日々で鍛えられた跳躍力で、足払いをひらりと飛び越えた。

 続いて、リノ、アツコ、ミナミのトップ3の名が読み上げられたが、誰も真剣に耳を傾ける者はいなかった。すべての嫉妬が、自分に注がれている。人間は、雲の上の存在がどこまで上に行こうがそれほど気にはならないが、今まで下だと思っていた人間に抜かれると、途端に慌てふためく動物なのである。

 キャストの世界は、残酷な格差社会だ。ナンバーに入ったキャストは、風俗情報誌でも大きく取り上げられ、指名も増える。ナンバーに入ったキャストはとんとん拍子で伸びていくが、ナンバーに入れないキャストは、いつまでも燻ったままで終わってしまう。ナンバーに入るまでが大変なのだが、私はそれを一か月で達成してしまった。やっかみの目も当然。もともとみんなと仲良くしていたわけではないし、嫌われるなんて屁でもなかった。

 ミーティング終了後、トイレに立った私が帰ってくると、案の定というべき光景が広がっていた。テーブルに、ズタズタに引き裂かれた私のスーツが置かれていたのだ。

 こんなことは、予想されたこと。私は、同僚たちを問い詰めることもせず、ボロボロのスーツを持って、社長室に足を運んだ。

 しかし、私が証拠物を見せた松永社長の反応は、意外なものだった。

「犯人捜し?そんなことは、する必要はない。それより君、今日は普段着のまま接客してみなさい」

 松永社長の提案に、私は首をひねった。白無地のTシャツにジーンズ。とてもではないが、お客の前に出る服装ではなかったからだ。

 しかし、これが大当たりだった。私の普段着姿に、客は恋人と同棲生活を送っているような気分になるらしく、いつにも増して高いお酒を次々に入れてくれた。イジメのつもりでやったことで、逆に私をアシストしてしまったキャストたちは、すっかり心を乱され、接客どころではないようだった。いい気味である。

 閉店一時間前になって、最後の予約客がテーブルについた。普段着姿の、三十歳くらいの男。見た目、フリーターかギャンブラー。

「いらっしゃいませ。シロナと申します」

 挨拶を浮かべる私に、男は値踏みするような視線を這わせた。ただのスケベ男とは、明らかに違う周波数の視線。ひょっとして、他店のスカウトかしら。今の店を移る気はないけど、条件を吊り上げるのに、使えるかもしれない。

 男の会話はウィットに富んでいて、ヤルことしか考えてないスケベ男や、仕事しかしらない俄か成金と話しているより、ずっと楽しいひと時を過ごせた。接客を心から楽しむ。キャストとして大事な心構えであるが、こっちだって人間だから、それは相手にもよる。

「Aさん。名残惜しいけど、もう閉店時間なの。また次回いらして、私を指名してくれると嬉しいな」
「次回、ね・・。それは、この後、君がアフターに付き合ってくれるかやね」

 アフターの誘い。冗談じゃなかった。一日50万以上を落としてくれる太客ならともかく、なんの仕事をしているかもわからない男に、アフターに付き合うわけがない。

「ごめんなさい。一見さんとのアフターは、受けないことにしているの。Aさんを信頼していないわけじゃないんだけど・・。もっとお店での会話を重ねて、仲良くなったら、ね・・?」

「佐世保児童殺傷事件の、T・N。まさか、キャバクラ嬢になっていたとはね」

 男が、シニカルな笑いを浮かべた。特に慌てもしない。この道に進むにあたって、最初から覚悟していたことだ。

「・・わかったわ。準備を済ませてくるから、テーブルで待っていて」

 私は覚悟を決めて、控室に行った。
 この身体を差し出すくらいで済むなら、安いものだ。
 もとより、リスクは承知。マイナスからのスタートで上等だ。
 それが、私が背負った咎なのだから。

 この時、私はまだ気が付いていなかった。
 A・Sと名乗るその男に、血塗られた運命の糸で絡めとられていたことをーー

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第53話

 スカーフキッスを出たNは、A・Sを名乗る男に連れられ、新宿の裏稼業ご用達の喫茶店「ルノアール」に入った。ホテルに直行を覚悟していたNには、拍子抜けの展開である。すぐに体の関係を求めないことで、誠意をアピールしているつもりなのだろうか。私としては、ちゃっちゃと済ませてもらったほうが、楽でいいのだが。

「女性の身体に欲情する、という感覚が、よくわからんのよ。医療少年院でいろいろプログラムを受けて、ぼんやりと、そんなようなものが芽吹いた気もしたのやけど、外に出たら元の木阿弥になってしもうたね」

 Aが、私の感情を見透かしたように言った。男女問わず、性欲がまったくないマイノリティが存在することは知っている。そして、そうした人間は概して食欲や睡眠欲など、生物的欲求全般に欠けている場合が多い。170㎝前後あるAの身体は、同年代で、筋肉質の加藤さんと違い、ガリガリに痩せている。

「医療少年院で、散々に体育をやらされたのやけどね。一日スクワット2000回とか、あんなん拷問やで。それでちょっとは筋肉もついたのやけど、出所したとたんにこの通りよ」

 また、Aが私の心を見透かす。職業柄、洞察力には長けていると自負していた私をして瞠目させるAの読心術。というより、長年居を共にしてきた兄に、なんでも見通されているような・・。この男は、いったい何者なのだろうか。

「君も帰って休まなあかんやろし、本題に入ろうか。君は今、この東京を舞台にした、殺し合いゲームが行われていることを知っとるかな?」

 それから一時間経ったとき、私の思考は迷宮の奥を彷徨っていた。私も名前を知っている有名凶悪犯罪者たちが、獄から出で、またクローンとして再生され、都内を舞台に、現金十億円と自由を賭けて殺しあっている・・。そしてその中には、私が勤めている「スカーフキッス」のスタッフも含まれているというのだ。

「妄想で、でたらめなことを言わないで。松永社長や、加藤チーフが、そんな・・」

「容姿を変え、簡単には気付かれんようにはしているけどね。君かて、言われてみればそうかと思っとるはずやで。血生臭いあの匂いばかりは、娑婆の垢に塗れたとて、そう簡単には落ちんからね」

 返す言葉もなかった。私のよく知るあの二人の顔は今や、同盟の死刑囚の肖像と、完全に一致していた。

 続けてAは、自らの正体を、少年犯罪史上最も有名な、あの神戸児童連続殺傷事件の犯人と名乗った。私が事件を起こした年に医療少年院を出所した彼は、現在、30歳。確かに年恰好はそれぐらいに見えるが、まさか、そんなことが・・。

「バトルロイヤルの話を聞いて、いてもたってもいられなくなった僕は、責任者に、途中参加を申し入れたんよ。そして条件として提示されたのが、正規の参加者を殺し、椅子を自らの手で勝ち取れということだったんでね。言う通りにしてやったんよ。一週間前、上野公園で火災があったやろ。あれ、僕の仕業なんよ」

「そんな、まさか・・。だってあの事件では、一般の人も大勢亡くなったじゃない」

「そうやね。バトルロイヤルのルールでは、参加者以外の一般人には、なにがあっても手を出してはいけないことになっとる。それがどんな外道であってもね」

「だったら・・!」

「あそこに火を放ったあの時点では、僕はまだ正式な参加者ではなかった。従って、バトルロイヤルのルールに抵触しない。そして、バトルロイヤルの参加者となった時点で、僕は法の外の住人となった。これで警察に追求されることもない。完全犯罪が、成立したわけやね。バトルロイヤルの責任者は苦い顔をしとったけど、結局は、ホームレスの命よりも、僕がゲームに参加することの方に価値を認めてくれたね」

「そんなことを言ってるんじゃない!どうして・・どうして、そんな酷いことを・・」

「酷いこと、ね・・。そうとも思えんのやけど、一応、大義名分はあるよ。奴らは、一般人の女の子を拉致して性の玩具にしとったんよ。その女の子を救出してくれと、女の子の両親から依頼を受けてね。それで現地調査に行ったら、なんとビックリ、バトルロイヤルの参加者が三人も暮らしとったのよ。お小遣いをゲットできて、バトルロイヤル参加の椅子も手に入る。このタイミングでこんなおいしい仕事が入るなんて、天が僕の決断を祝福しとるとしか思えんよね。それで行ったのはいいけど、やっぱり、そう物事はすべて完璧にはいかんもんでね。参加者の一人を殺したところで、何人かのホームレスに姿を目撃されてしもうたんでね。全員を確実に殺すのは諦めて、あわよくば、くらいの考えで、火を放ったんよ。結局参加者には逃げられて、ホームレスだけが三人も死んでしもうた。ま、それが彼らの運命やったんやね」

 Aは、カラカラと笑って言った。罪悪感という感情を、母親の腹の中に置き忘れていったとでもいうような態度である。

「椅子は三つ必要やった。放火事件の前に、すでに一つは確保しとったから、残りはもう一つ。僕の専門分野の先輩と後輩にとられそうやったけど、ギリギリで間に合ったわ。ついさっきな。ほれ、そんときの返り血がまだついとる」

 Aは、首筋に残る赤茶けた血痕を指さして言った。

「まったく難儀したで。一方的に狙う立場とはいえ、三人を殺すというのはとんでもない重労働や。君のためにやったことやで。感謝せえよ、ホンマ」

「私のため・・って・・?」

「三つの椅子に座るのは、僕と、西鉄バスジャック事件のT・S。もう一人が、君。T・Nちゃんや」

 Aの掠れた笑い声に、脊髄を戦慄が駆け抜ける。
悪魔が、私をけして抜けられぬ地獄に誘っていく。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第54話

「勝手に決めないで。どうして、私が」

「Nちゃん。君は立場を弁えた方がいい」

 Aの目が、語っている。
 私の生殺与奪の権限は、彼の手中に握られていることを。

「1969年。神奈川県で起きた、サレジオ高校首切り事件を知っているかい?」

 知っている。児童自立支援施設にいたころ、犯罪少年が社会復帰後に犯した失敗談の例として、仲間の児童や教員から重ねて聞かされていた。

「IQ130の秀才だった彼は、少年院の中で法律に目覚め、出所後、司法試験に合格。勝ち組の象徴である、弁護士になった。結婚して子供も産まれ、地元の名士として名声も獲得し、順風満帆な暮らしを送っていたが、遺族の怨念は、彼の人生に勝ち逃げを許さなかった。とある雑誌の取材での彼の受け答えが、世間の反発を呼び、彼はネットの住人に本名を特定され、弁護士稼業を廃業に追い込まれた」

「・・なにが言いたいの?」

「人間には古来より、嫉妬という感情がプログラムされている。それは世を動かすほどに強烈なパワーを生む。後ろめたい気持ちがある勝ち組ほど、声高にその感情を否定するが、人間はどうしたって、人の足を引っ張りたがるようにできとるんや」

「・・・」

「ネット社会は、隙あらば勝ち組を引き摺り下ろしてやろうと企む人間の吹き溜まりや。子供を平日に遊園地に連れていったとブログで報告しただけで、まるで人殺しでも犯したかのような罵倒を受けたり、障碍者がレストランでの顛末をツイッターで報告した途端、あらゆる差別語をもって、存在を否定するかのようなことを言われたりする。そんな世の中で、殺人の咎を背負う君が、華やかな世界で月何百万もの収入を得ていることが知れたら、どうなると思う?」

 返す言葉もなかった。人の命を奪った私が、人に愛され、人より幸せになろうとしている。世間がそれを許すはずがないことは、初めからわかっていた。

 私はもう、陽の当たる場所には出られない。一生を、細々と――。目立たぬように、この世界から隠れるようにして、闇の中で目を瞑って生きていくしかない。誰もがしたり顔で、私にそう言った。

 私はそれを受け入れなかった。全力で拒絶した。たとえ行き着く先に、すべての人間から否定され、居場所を奪われ、どこかの街の片隅でのたうち回るだけの人生が待っていようとも、光を求めてあがく生き方を選んだ。この世界で生き残るために、あえて死地に飛び込むことを選んだ。

 微かに見えた光は、しかし今、禍々しき別の光に、かき消されようとしている。

「Nちゃん。僕らは、否定されてるんよ」

「・・・」

「光は咎を覆い隠してはくれるが、消してはくれない。仮初めの幸せを得たとしても、君の脳裏から、被害者のあの子の残像が消えることはない。大罪を背負った僕らには、救いが与えられることは永遠にないんよ」

 そう語るAの瞳は、少し寂しげに見える。

「救いが与えられないのなら、戦うしかない。すべてを破壊しつくす。それだけが、僕らが唯一、生き残る道なんよ」
 
 私は、言葉を返せなかった。
 生への呪詛と破壊衝動。
 私もそれに突き動かされている。
 
 ホラー小説の主人公のように、血を見て興奮するなどという趣味はない。
 生まれついて他者への共感性に欠けた、サイコパスでもない。
 自己愛性人格障害。やや近いが、それとてしっくりくるものではない。

 生温く湿り気を帯びた、陰性の気質。些細な衝撃で罅が入ってしまう、繊細すぎる心。内から迸る攻撃的な衝動。これにずっと苦しめられてきた。本当は寂しがりやで、人と交わりたくて仕方がない私を、もって生まれたこの気質がいつも邪魔してきた。
 
 深く冷たい海の底で喘いでいた私を救い上げてくれたのが、あの子だった。闇に生きる私と正反対の、太陽のように明るく、誰からも好かれるあの子。大好きな、大好きなトモダチ。

でもあの子は、陽の光に届くその寸前で、私の手を離した。暗く冷たい海の底に突き落とした。

 ダカラ、コロシタ。

 それから、十年余りの月日が経った。太陽を失った私は、狂おしい魂を、ずっと持て余している。あれから、多くの人を恨んだ。多くの人に、殺意を抱いた。誰にも、何者にも傷つけられない立場を得るため、お金を稼げる今の仕事を選んだ。生きる苦しみと、自らを含むすべての人間への恨みを、出世欲へと昇華させた。

 だが、本当に、今私が進んでいる道に、求めているものがあるだろうか。富と名声、女としての自信を得たところで、狂おしき魂に安楽が訪れるだろうか。自分が満たされるだろうか。確証がないまま、ただ闇雲に突き進んでいる事実を、否定できるだろうか。

「君は僕と同じなんや。だから誘った」

 私はあなたとは違う。否定するその言葉が、どうしても出てこない。

「Nちゃん。君が世を恨むのなら、目に映るすべての景色を灰にしたいと望むのなら、僕についてきい。僕が、閉ざされた自由への扉を開いてあげるから」

 決断を迫られていた。選択の余地はない。それはわかる。Aからは逃げられない。夜の世界から足を洗ったとしても、Aは執拗に私を追ってくるだろう。目の前の男に従う以外に、私に生きる道はない。

 だが―――。私に、また罪を犯せというのか。十年余り、背負った重荷に押しつぶされそうになりながら生きてきた私に。

「少し、考えさせて」

「三日間。それ以上は待てない。バトルロイヤルの期限は一年間やからね。あまり、悠長に過ごしてはいられないんよ」

 NはAの言葉には答えず、テーブルに自分の勘定を置き、無言で立ち去った。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第55話

麻原彰晃率いるバドラは、ツンベアーズのワタルの妹、イブキが通う、「ドラゴンほいくえん」を訪れていた。

 世田谷区における麻原の名声は日増しに高まっており、麻原は地域のおもしろおじさんとして、保育園や老人会、婦人会などから引っ張りだこだった。それぞれの会合に顔を出すことにはそれぞれのメリットがある。老人会や婦人会では、資金の獲得。そして、保育園においては、若い保育士さんと、仲良くなることである。

「さあみんな、今日は粘土遊びをしますよ~。自分の作りたいものを、自由に作りましょう」

「は~い」

 イブキの所属するかいりゅう組の担任、ショートカットが似合うアヤ先生の声に、園児たちが元気に返事をする。我がバドラの信徒たちも、鼻の下を伸ばしながら返事をした。

 園児たちと一緒に、麻原たちも粘土をこねる。アヤ先生に気に入られようと、みな必死である。

「さあ、みんな出来たかな?あら、イブキちゃん、これはお猿さんを作ったの?よく出来てるわね~」

「ありがとう。これはね、ポケモンのゴウカザルっていうんだよ。強くて器用で、とっても、とーっても使いやすいポケモンだって、お兄ちゃんが言ってた!」

 麻原は瞠目した。麻原には、イブキが作ったものがなんなのか、まったくわからなかったからだ。猿と言われれば猿にも見えるし、犬と言われれば犬にも見える。豚にも、見えないことはない。もしアヤ先生が、あれを犬とか豚とか間違えていたら、幼いイブキは深く傷つき、涙を流しただろう。そうならぬよう、確実にオブジェの正体を看破する眼力。麻原はアヤ先生に、保育士としての高いプロ意識を感じた。

「バドラのみんなも、よく出来てるわね。菊池くんは、お山を作ったのかな?」

「はい。子供時代を過ごした山です。この山を思い出すと、死んだおかやんのことを思い出し、哀愁にかられますね」

「やさしいのね、菊池くんは」

 菊池正が、刑務所を脱走後に、警察と逃亡戦を繰り広げていた山のことか。この男を残虐な殺人鬼だと知らないアヤ先生は、労わるような眼差しで菊池正を見ている。母親思いで優しく純粋な心の持ち主というのは、まあ本当のことではあるのだが、麻原にはどうも釈然としなかった。

「正田くんは、ロボットを作ったのかな?」

「ええ。幾何学と哲学の融合を目指した、あらゆる意味を包括した・・・」

 何を言っているのか、さっぱりわからない。アヤ先生は、ややドン引きである。これだから、インテリバカはダメなのだ。

「関くんは・・あら」

 関光彦が作ったのは、頂上に丸い岩石が置かれた、二つの山であった。

「えっへっへ。最近、たまっちゃっててさー。やっぱり女は、巨乳がいいよね。アヤ先生のも隠してるけど、かなりの代物だよね?隠されると、逆に見たくなっちゃうなー」

「もう、ふざけてないで、ちゃんと作りなさい!」

 教室内が、爆笑に包まれる。まったく、品のない男だ。うんことしっこを言っていれば笑いが取れる幼児相手だったからよかったものを、場所柄を弁えてなければ、とんでもないことになっていたかもしれない。このあたりは、指導が必要だった。

「尊師が作ったのは・・ええっと、これは、象さんかしら?」

「その通りだ。これは、ヒンドゥー教の神、ガネーシャといってな。あらゆる幸運を、人に届けてくれるのだ。俺とアヤ先生を、巡り合わせてくれたようにな」

 麻原は、俗世に出てから一番の「ドヤ顔」を浮かべた。今の自分ほどに決まっている男といえば、なんたらいうダンスユニットの、元力士のお笑い芸人と同じ名前の男くらいしか思い浮かばなかった。アヤ先生が近い将来、自分の妻となるのは、疑いようもなかった。

「え?これ、象さんだったの?だったら下手くそすぎだよ。俺、さっきから、ちんこ作ってんかと思ってたよ」

 すべてを台無しにする関光彦の発言が、放たれてしまった。

「ば、ばかもの!何を言っておるのだ!貴様と一緒にするでない!」

 激昂する麻原。教室内が、関光彦のとき以上の笑いに包まれる。

「尊師・・失礼ながら、私もあれを作っているのかと・・」

「私もです・・。この前みんなでサウナに行ったときにみた尊師のものと、同じくらいのサイズだったものですから・・」

 関光彦に同意する、菊池正と正田昭。麻原の肉まんのような顔が、真っ赤に染まった。

「き、貴様らは・・。大体、俺のはこんな粗末では・・ああ、何を言っているのだ!」

 どっと沸くかいりゅう組の教室。いったい何事かと、がぶりあす組のマキ先生と、ぼおまんだ組のマサミ先生、さざんどら組のノゾミ先生も、イギリス人園長のシャガさえもが、廊下から覗いている。アクシデントすらもが、求心力アップに繋がってしまう。麻原の勢いは、本物のようだった。

 粘土遊びが終わると、給食の時間となった。子供向けのメニューであり、量は少ないのだが、味はなかなかいい。とくに、一口サイズの豆腐食品「ちょうどのおとうふ」は絶品である。それまで、生ものであることから給食に採用されなかった豆腐を、パック詰めすることにより衛生面の課題を克服し、栄養価は非常に高いが子供には敬遠されがちの豆腐を食べやすくした、画期的な食品である。「奇跡体験!アンビリバボー」で紹介されたこの食品の誕生秘話を動画で観たのだが、麻原は感動して泣いてしまった。食を通じて道徳の授業もできる、給食の歴史を変えた食品といえる。

「うわああああああああん」

 突然、一人の園児が欷泣を上げ始めた。どうやら、「ちょうどのおとうふ」を、床に落としてしまったようだ。

「アイリスちゃん、泣かないで。また来週食べられるから・・ね?」

「やだやだあ!おとうふたべたあいいい!」

 アヤ先生が必死になだめるも、アイリスは、泣き止む様子を見せない。しかし、純正日本人の娘にアイリスと名付けるなど、近頃の親は何を考えているのだろうか。などと、麻原が、己の三女につけた名前を棚に上げてぼんやりと考えていると、突然、アヤ先生が、自分に懇願するような眼を向けてきた。

「うっ・・・くっ・・・」

 麻原の「ちょうどのおとうふ」は、開封されたばかりである。アヤ先生が何を言いたいかはわかる。しかし・・。

「アイリスよ。明後日、俺の分のプリンをやろう。それでいいだろう?」

「やだやだあ!おとうふがいい!アイリスはおとうふがたべたいの!おとうふじゃなきゃやあだ!」

 麻原は、本気で困り果てた。「ちょうどのおとうふ」を手放すことは、麻原にとって、血肉を切り売りするような痛みを伴う。しかし、ここでアヤ先生にいいところを見せなければ、近々予定している合コンの話が流れてしまうかもしれない。以前のホームランボールの件といい、どうして自分ばかりが、究極の二者択一を迫られなければならないのか。麻原は天を恨んだが、ごく僅か、髪の毛ほどの重さで、アヤ先生の、どういうわけか胸元の目立たぬようデザインされた服の向こうに隠された、巨大山脈を見たい気持ちが上回った。

「アイリスよ、あまりアヤ先生を困らせるでない。俺がちょうどのおとうふを授けてやる。受け取るがよい」

「・・・・そんしのおぢちゃん、ありがとう」

 アイリスは泣き止んだ。人前で堂々と泣ける子供を、これほどまでに羨ましいと思ったことはなかった。

 しかし、麻原が苦渋の決断を下したおかげで、アヤ先生のハートを掴むことには、成功したようだった。この後、麻原たちが保育園を去るとき、アヤ先生は、どらごん保育園の先生たちと、バドラメンバーとの合コンの開催を、今週末に予定してくれた。男所帯のバドラに、可憐なる花が咲いた瞬間だった。

 だが、このときまだ、麻原たちは気づいていなかった。このときの約束が原因となり、かつてバドラと死闘を繰り広げた、恐るべきあの男との、血みどろの戦端が開かれてしまったことを。麻原たちを待ち受けていたのは、花は花でも、毒々しく咲き誇る、仇花であったことを――。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第56話

「スカーフキッス」社長室――。松永太と加藤智大は、渋谷での出会い以来の、二人きりの話し合いの場を設けていた。昨日、委員会から全参加者宛てに送られてきたメール――神戸連続殺傷事件のA、西鉄バスジャック事件のT、そして我が「スカーフキッス」期待のニューヒロイン、Nが、正式な参加者として登録されたという知らせを受けての話し合いである。

「信じられません・・・あのNが、まさか・・」

 頭を抱え、唇をわななかせる加藤を、松永は冷ややかに見つめた。

「君には受け入れがたいことかもしれませんが、これは紛れもない事実です。Nの正体は、佐世保同級生殺害事件の加害少女。そして、昨日登録が完了した、バトルロイヤルの正式な参加者です」

「嘘・・嘘だ・・」

 どうやら、相当な重症のようである。加藤がNに特別な思い入れがあったのはわかっていたが、これほどの落ち込みを見せるとは思わなかった。一途で生真面目なのはいいことだが、一年という限られた期間の中で成果を上げなければならない中で、こう一々なにかあるたびに動揺されては困ってしまう。

松永には、落胆や絶望という感情が、どうにも理解できない。

歴史に名を残す英雄のように、倒れても倒れても起き上がる、無尽蔵の覇気を持っているというわけではない。暑苦しい体育会系のように、馬鹿みたいに前向きなわけでもない。理由はただ一つ。無駄だから、である。

 人は葛藤を乗り越えてこそ強くなれる、などという言葉を賛美する思考は、松永にはない。葛藤など、無ければそれに越したことはないのである。悩みが多くて得をする職業など、作家や芸術家くらいのものだ。ただ機械のごとく目の前の課題に専心できる人間、結局はそれが社会の中で成功する。何事にも挫けない強い精神を手に入れたい、と願う者は多いだろうが、そもそも、挫けるという人間らしい感情そのものが存在しない松永には、そう願う者の気持ちも、よくわからなかった。

「加藤君、こう考えてはどうでしょう。私たちの手で、Nを守るのです」

「俺たちで、Nを・・?」

「どうも君には、自分に降りかかるすべての出来事を不幸と捉えてしまう癖があるようですが、冷静に整理して考えれば、けしてそうではないことがわかるはずです。今度の件でいえば、Nが参加者として登録されてしまったのは、君にとっての不幸。しかし、Nが縁あって私たちの店で勤めていたことは、君にとっての幸運です。その幸運を生かすなら、君が取るべき行動は、一つしかないはずです」
 
 そもそも、加藤がNと出会わなければ、不幸も幸運もなかったのだが、そこについては考えさせないでおく。

「・・・」

 加藤はギュッと口を引き結び、黙りこくったまま何も喋ろうとはしない。

「決心がつきませんか。ならば、本人と直接、話し合うといいでしょう」

「えっ?」

 社長室のドアが開き、Nと、ベースボールキャップを被った痩せぎすの男――。神戸連続殺傷事件のAが、揃って姿を現した。

「ようこそAくん。私が松永です。こちらが、加藤智大くん。以後、お見知り置きを」

「Aです。初めまして、松永さん。いやあ、写真で見るより男前ですね」

「それは、どうも」

 松永との挨拶を済ませると、Aは加藤の方を向く。運命の年に生まれた超有名凶悪犯罪者同士の、初対面である。

「初めまして、加藤君。Aといいます。よろしゅうに」

 Aが差し出した手を、加藤は握ろうとしない。

「松永さん、どういうことですか?なぜ、彼がNと一緒に・・?」

「Aさんに直接誘われたんです。ともに行動しないかって」

 松永に代わって、Nが自分で説明した。

「本当はお店も辞めようと思ったんですけど、松永社長に慰留されて。バトルロイヤルの戦略に関してはAさんに従うけど、金銭獲得の手段として、お店にも残ることにしたんです」

 加藤に説明するNの口調からは、迷いは窺えない。Aはいかなる文句をもってNを口説いたのか、洗脳屋として、ぜひとも聞いてみたかった。

「今後、Aくんの軍団と我らの軍団は、同盟軍ということになります。Nは平時はAくんらと行動しますが、スカーフキッスでの勤務時においては、社長の私や、来月から店長に昇格する加藤君の指揮のもとで動くということになります。勤務中に戦闘が発生した場合は、Aくんへの連絡をとらずにNに行動内容を指示する許可も得ています」

 Aが頷く。状勢を理解した加藤の表情から、ようやくに警戒の色が消えていく。

「ってなわけなんで、まあ、仲良くやりましょうや」

 Aが改めて差し出した手を、加藤が握り返す。

「僕らのチームには、西鉄バスジャック事件のTくんもおるんよ。まあ、僕が引きずり込んだんやけどね。僕とTくんと加藤君。同じ年に生まれた、黒い三羽ガラスのそろい踏みやね。あれ、カラスはもともと黒いか。あはは」

 軽口を叩くAを、加藤は生理的嫌悪感を多分に含んだ目で眺めている。あるいは、Nとの関係についての嫉妬もあるのかもしれない。なんとも若いことである。当人には悪いが、少し微笑ましくも映る。

「ちょっと、外の空気を吸ってきます。勤務時間までには戻ります」

 気分がささくれ立ったときの、加藤の徘徊癖が出た。なにか申し訳そうに加藤を見つめるNの視線を辛そうに躱し、加藤は社長室を辞していった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第57話

 アジア最大の歓楽街、新宿歌舞伎町―――。眠らない街。学歴のある者ない者、腕力のある者ない者、人を殺したことのある者ない者ーー。誰もを平等に受け入れる町。

 会社帰りのサラリーマン、出勤途中のホストやホステス、巨体を揺すって歩く黒人、耳障りな声で喚いている中国人。欲望に目をぎらつかせた住人達の狂騒の宴が、今夜もまた繰り広げられている。

「お兄さん、お店お探しですか・・って、スカーフの加藤さんか。これから、ご出勤ですかい?」

「あ、加藤さん。どうもどうも。この間、お宅のユキちゃんが、ウチで遊んでいってくれましたよ。いえいえ、プライベートの関係にはなっていないからご安心を」

「おお、加藤はんやないか。これから飯なんやけど、一緒にどないでっか?・・・そうでっか。ほな、またいつか。松永はんにも、よろしゅうに」

 オープンからわずか一か月で、全国のキャバクラで五指に入る売上を記録した「スカーフキッス」は、歌舞伎町の住人の注目の的となっている。俺もこの街で、そこそこ顔を知られるようになってきた。

 同じ夜の住人とは、とりあえず仲良くしておいて損はない。が、今は、立ち話をする気分にはなれなかった。

 気を紛らわせるため、バッティングセンターに足を運んだ。
 行かなければよかった。
 
 麻原彰晃―――。
 100人の参加者の中でも、大物中の大物。
 俺たちの軍団が、最も警戒する人物。
 奴が7人の配下を引き連れ、バッティングをしている。
 打てもしない140キロのボックスで。
 
 そういえば、今晩は新宿の居酒屋で合コンをするとかなんとか、バドラに潜り込んだ正田くんから連絡が入っていたのを忘れていた。殺し合いをしているくせに、なにが合コンだ。ふざけやがって。ああいうやつが、俺は一番嫌いだ。

 だが、バドラにいる正田君の顔は、活き活きとしているように見える。財貨にも貪欲な人だから、月に50万の金を渡すのと引き換えに、いまだに俺たちの軍団のスパイとして働いてくれているが、気持ちの方は、もうバドラに傾いているのかもしれない。出会った当初は、俺と同じように世界に絶望していた正田君を変えるだけのなにかが、バドラにはあるのだろうか。興味がないではないが、今の俺には、優先事項ではない。

 享楽的なあいつらの顔は気に入らなかったが、自己判断で敵軍を責めることは、松永さんや重信さんから、厳禁の命を受けている。大体、あの宅間守でも一人を殺すのがやっとだったバドラの大軍に、俺が勝てるとも思えない。

俺は奴らに気づかれぬよう、その場を後にした。引き続き、歌舞伎町一番街を、あてどもなくぶらつく。

「いてっ。おい、てめえっ!どこ見て歩いてんだよくぉるぁっ!」

 酔っぱらって平衡感覚を失い、勝手にぶつかってきた大学生風の若者が、俺の胸倉をつかみ、粋がって巻き舌を飛ばしてきた。

 喧嘩の際に相手の胸倉を掴むのは、漫画や映画でもよく見る、半ばお約束のような儀式だが、これは危険である。インファイトで自ら片手を潰すなど、頭突きをくださいと言っているようなものだ。ロクに場数も踏んでいない素人。今の俺には、子供を相手にするに等しい。戦えば必ず勝てるだろうが、一般人に手を挙げることは、ルールで禁止されている。

 どうしたものだろうか。一発もらってスッキリしてくれるなら、それでもいいか。今日はとことんまで落ちるのもいいかもしれない。そんな風に思っていると、粋がり男が振りかぶった手が、別の通行人の顔をかすめた。瞬間、猛烈な激憤の波動が、辺りの空気を震わせる。

「何すんのじゃこらぁ!うっ倒されるど、ワレ!」

 鬼のような形相で赫怒する、長身痩躯の男――。
 宅間守。バトルロイヤル参加者中、最凶にして最強の男。
 獣の視線が、粋がり男を射貫いていた。

「あ?んだよオッサン。調子乗ってんじゃねえぞこら」

 センスが無いというのは、恐ろしいことだ。修羅場を潜ったことない粋がり男は、宅間の発する瘴気が尋常なものではないことに、気が付いていない。

 憤激の波動が、気を抜けば倒れてしまいそうなほどに強くなる。もしかしたら、宅間は自滅するのではないか―――。そんな期待を抱いてみたりもしたが、寸でのところでかかってきた電話が、宅間の殺意を沈めたようだった。

「おう、アヤちゃんか。今、もう新宿や。なんや街並みも昔と変わっとって、ちょう迷っとるんや」

 この男も、女遊びか――。どいつもこいつも。が、それに対して嫉妬を露わにするほどの勇気は、俺にはなかった。

 ニシキヘビに睨まれた青大将。一段上の怪物を目の当たりにして、俺は完全に委縮していた。

「宅間さん。こんな三下に構ってないで、さっさと行きましょうよ」

 配下の金川真大に窘められて気を落ち着けた宅間は、人混みへと紛れていった。粋がり男の隙をついて、俺も逃げ出していった。宅間が俺に気づいて戻ってきても捕まえられないよう、遠くへ、遠くへと逃げた。

 宅間は俺を、戦わずして殺した――。
 何もできなった。
 戦っても、勝てる気がまったくしなかった。
 
 宅間に出会って、目が覚めた。
 このままではいけない。
 もっと、もっと強くならなければならない。
 恐るべきあの男から、Nを守らなければならない。

 ビールを一杯飲んで気を静め、俺はスカーフキッスへと戻った

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第58話

麻原彰晃は全軍を率いて、新宿の居酒屋「ワタミ」を訪れていた。今宵は、待ちに待った合コン――。愛しのアヤ先生と、永遠の契りで結ばれる日である。

「もう、尊師、遅~い。何やってたのよ」

 10分遅刻した麻原を咎めるアヤ先生。頬を膨らませた顔も、可愛らしい。

「いや、すまぬ。時計がなぜか、少し遅れていてな。あと、ちょっと、人助けをしていたものでな」

 麻原はさりげなく、自分が奉仕の精神の持ち主であることをアピールした。善行は、それを自慢した途端に偽善となってしまう。さりげなさが重要なのである。

「へえ。どんなことしたんですか?」

 食いついてきたのは、がぶりあす組のマキ先生だ。マキ先生は昭和63年生まれ、今日参加している女性陣の中では最年少だ。エキゾチックな顔立ちで、どちらかといえば派手目の先輩たちとはややタイプが異なる、しっとりした和風の美人である。我がバドラでいえば、勝田清孝がマキ先生狙いだ。麻原も、本命はアヤ先生なのだが、マキ先生に告白されても、断る理由はなかった。

「いや、大したことではない。財布を落として家に帰れず困っている外国人に、電車賃をあげただけだ」

 麻原はけして気取らず、まるで普段から常に無私の奉仕を心掛けているかのように装う口調で言った。マキ先生はおろか、他の先生たちからの好感も上がったのは、間違いなかった。

「その外人、別の場所で、別の人にまた金無心してましたけどね。典型的な寸借詐欺ですよ。まったく、自分が詐欺師のくせに、ころっと人に騙されるんだから。策士、策に溺れるですね」

「こ・・こら!本当のことを、言うでない!しかも、俺は詐欺師などでは・・」

 マキ先生狙いの勝田清孝の暴露に、テーブルに笑いの花が咲く。受けたのだから、結果オーライとしようか。

「そうそう。あのね、尊師たちに、言って置かなきゃいけないことがあるの」

 麻原たちが席に着くと、アヤ先生が眉を八の字に曲げて、申し訳なさそうに切り出した。美しいアヤ先生にそんな顔をされたら、なんだって聞いてしまう。

「どうしたのだ?」

「あのね、よく考えたら、今日、男性と女性の数が釣り合ってないじゃない」

 アヤ先生の言う通り、参加者は、男性が8名。対して、女性は、アヤ先生、マキ先生、ぼおまんだ組のマサミ先生、さざんどら組のノゾミ先生、おののくす組のサキ先生の5人である。これでは、女性陣は全員カップリングが可能でも、男性陣には、どうしてもあまりができてしまう。

「そこでね、ちょっと、3人、尊師に無断で呼んじゃったの。ごめんね」

 限られた数のパイを争う戦い。競争は嫉妬に繋がり、軍の結束を乱す。麻原としても、願ってもない話だった。

「いや、俺は別にかまわん。それで、その3人は、いつ来るのだ?」

「ちょっと迷ってるみたいなのよね。そろそろ来ると思うんだけど・・あっ!」

 アヤ先生が手招きする先を見て、全軍に戦慄が迸った。
 忌むべき悪魔との、再会だった。

☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

 金川真大が、言葉を失い、口をあんぐりと開けている。麻原のオッサンと初めて会う上部康昭も、警戒して身構えている。合コンには、他の男も同席すると聞いていたが、まさかこいつらだったとは・・・。麻原のオッサンは、己の信奉する幸運の神ガネーシャに見捨てられているのではないだろうか。

「尊師、紹介するわね。こちら、建設会社社長の宅間守さんと、専務の金川真大くん、それから、社員の上部康昭さん。3人とも、有名な死刑囚と同じ名前なの。変な偶然もあるものよね~」

「それを言ったら、尊師だってそうじゃない。松本智津夫って、あの麻原の本名と同じでしょ?すごい偶然よね~」

 まったくだ。麻原と宅間が合コンでたまたま同席するなど、そんな偶然があってたまるか。

 ただ、女を手に入れるという目的でいえば、とくに自分に異存はなかった。見る限り、バドラの連中には、ルックスの面で自分の相手になる者は皆無である。話術に関しては始まってみないとわからないが、金川から聞いた話では、女にモテてどうしようもなかったという犯罪者はいないようであるから、それに関しても、恐らく自分の独壇場だろう。

 以前のグラウンドでの戦いでは、宅間は一方的な加害者側である。バドラの連中に、とくに怨みはない。もし女を取り合って喧嘩になったとしても、造田博とかいう小僧以外は、自分の相手にはならない。問題は、奴らがどう出るかだが・・。

「た・・宅間さんですか。どうぞ、よろしくお願いします・・」

 麻原のオッサンが震え声で、宅間と初対面を装う挨拶をした。信者の連中もそれに従う。どうやら、仲間を殺された怨みよりも、宅間への恐怖が勝ったようだ。用事を思い出したと言って帰る、という選択肢もあったはずだが、それもしなかったということは、この中に、よほど惚れている女がいるのだろう。それがアヤであるのなら、渡しはしない。自分の使用済みでよければ、金次第では下賜してやってもいいが。

 宅間、金川、上部が席に着いた。燃え盛るような熱波が、産毛をチリチリと焼く。

 麻原と宅間。犯罪史上1、2を争う大物二人の、因縁の戦い――。第二ラウンドのゴングが、今、高らかに鳴らされた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第59話

あ、アヤ先生・・人数合わせって、女性ではないのか・・?」

「えー、いいじゃない。これを機に男性に目覚めてみるっていうのも。一度きりしかない人生なんだから、色々経験しとかなきゃ」

 悪びれもせず言うアヤ先生。天真爛漫というか、そういうところも嫌いではないのだが、さすがに洒落にならない。一般人ならともかく、よりによって、忌むべき悪魔を招いてくれるとは・・。そして、もう一つ、心配がある。

「その・・アヤ先生は、宅間さんとは、どういった関係なのだ・・?」

「出会い系で知り合ったのよ。会うのは初めてなんだけどね」

 それを聞いて安心した。

「へえ。アヤ先生みたいなお綺麗な人でも、出会い系をやったりするんですね」

 我がバドラの尾田信夫が意外そうに言ったが、これは愚問である。出会い系サイトをモテない男女の吹き溜まりのように思って敬遠している者は未だに少なくないが、麻原の印象では、どうも男の方が、そうした偏見を持っているように思う。ネットの出会いに真実の愛はない、とか、出会い系やるとかリアルで相手にされない負け組、とか、情報弱者の老人みたいなことを言っているのである。

 女性は、その辺のことにはあまりこだわらない。男のように、子供じみた変なプライドには邪魔されない。ゆえに、アヤ先生のように、リアルで吐いて捨てるほど男が寄ってくる美人も、普通に出会い系を利用していたりする。また出会い系は、会員比率の問題で、基本的には男から女にアプローチするのが一般的であり、美人が顔写真をアップしていたりすると、ボックスには賛辞のメッセージが山と届く。それで癖になってしまう女性は多いようだ。

「それじゃ、私たちと、素敵な男性たちの出会いを祝して、かんぱ~い」

 アヤ先生の音頭で、酒宴が始まった。宅間を恐れていたバドラの信徒たちも、合コンが始まってしまえば、目に映るのは女体だけである。それぞれが狙いをつけた先生に、積極的にアタックを開始した。

 女性陣はといえば、基本的に受けに回る中、さざんどら組のノゾミ先生が、宅間守を意識するような発言を見せ始めた。

「宅間さんのファッション、カッコイイですね。どこで買ったんですか?」

 宅間は、上半身にフィットした黒のTシャツにシルバーのネックレス、ジーンズといった出で立ちである。

「これか?全部、古着屋で買ったもんや。合わせて一万くらいだったかのう。流行りのちょい悪おやじってのを意識してみたんや」

「へえ。意外ですね。もっとブランドの服かと思ってた。でも、安くていいのを選ぶのが、センスのある証拠ですよね」

 瞳を輝かせるノゾミ先生。

「なにがチョイ悪おやじだ。チョイ悪どころか、極悪おやじではないか」

 麻原がぼそりと呟いたのを、宅間は聞き逃さなかった。
 獣の視線が、麻原を射る。


☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆   ☆    ☆


 宅間守は、小動物のように身をすくめている麻原から視線を切った。今は、麻原に構っている場合ではない。

「宅間さんたち三人って、なんか面白いですよねえ。ジャイアンとスネ夫とのび太みたい」

 ノゾミの発言だが、なかなか言い得て妙である。ジャイアンは考えるまでもなく自分、スネ夫は金川、のび太は新加入の上部を指しているのだろう。

 宅間は、橋田忠昭のときの失敗を踏まえ、上部には優しく接していた。優しく、といっても、宅間なりに、というレベルではあるのだが、少なくとも、食事や風俗利用の際に差別をしたりはしていない。自分ほどではないが、参加者中屈指の戦闘力を持った男である。反乱を起こされてはたまらない。

 やがて、宴もたけなわとなってきた。一対一の会話が増えてくるかと思ったが、意外と皆、会そのものを盛り上げることに意義を見出してきたようである。自分の携帯に送られてきた写真を見て、マサミ一筋とか言っていた金川も、「空気づくり」を優先させ、女性陣全体、またバドラの男性陣とも歓談している。まあ、コンパとはそういうものなのだが、アヤ一人に狙いを絞っている自分には面白くなかった。

「よーっし。盛り上がってきたところで、教祖さまゲーム行きますか!」

 バドラの関光彦である。

「え?教祖さまゲーム?」

「え、マサミ先生しらないの?みんなでクジを引いて、当たりを引いた人が、他のみんなに命令できるゲームだよ」

「それって、王様ゲームじゃんwなに、教祖さまってw」

 なんとベタな奴だ。いまどき、王様ゲームなど。これだから、時代錯誤の過去の犯罪者は嫌なのだ。

 しかし、これが意外にも賛同の声が多く、さっそくゲームが開催された。はじめに当たりクジを引いたのは、アヤである。

「私が教祖さまかー。どうしよっかな。まあベタだけど、最初だから、キスから行こうかな。6番の人と・・」

 宅間の番号である。アヤが教祖さまだから、アヤのぽってりしたセクシーな唇を奪うことはできないだろうが、まあ、他の女でもいいとするか。舌をねじ入れて、キスだけでメロメロにしてやる。

「・・・7番!さあ、キスしてキスして」

 誰だ?自分に唇を奪われるのは、誰だ?宅間の胸の鼓動が、最高潮に高鳴る。

「選ばれてもうたか。ほな、ちゃっちゃと済ませよか。7番は、だれや?」

 宅間が先に名乗り出る。
 
「お・・・俺だ・・」

 青褪めた顔で名乗り出たのは、麻原のオッサンだった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第60話

な・・・冗談やな」

「キャー!!尊師と宅間さんがキスなんて!!早く!!早く!!」

 激昂して席を立とうとする宅間を、アヤの嬌声が引き止めた。ここでノリの良さを見せねば、アヤを手に入れることはできない。アヤのぽってりしたセクシーな唇の感触を味わうためには、グロテスクな麻原のオッサンと、接吻しなければならない・・。

「・・ちっ!ワシも男や。やったるわ!」

 男らしく振舞え―――。薩摩隼人の誇り高い、親父の口癖。幼き頃宅間は、自分に、堂々と、裏表なく生きろと強要する親父に、いつも反発していた。殺したいほど憎んだ。

 それが今、親父と同じことを言っている――。親子というものは、似てくるものなのだろうか?どんなに憎しみあっていたとしても。いや、認めはしない。あの親父と同じになることだけは、認めはしない。が、この場で男を見せなければ、望むものが得られぬのも事実。だが―――。

「で、では・・お願いします・・」

 瞳を固く閉じて、鱈子唇を突き出す麻原のオッサンの気持ち悪さは、想像を絶していた。

「や、やっぱり、無理――」

「あ、こんなところにバナナの皮が」

 諦めて顔を引きはがそうとした宅間の唇に、湿り気を帯びた生暖かいものが、ぺとっ、と触れた。バドラの関光彦が、バランスを崩したと装って、麻原のオッサンの背中を押したのだ。

「く・・・やりおるではないか・・・」

 唇を拭う麻原のオッサンは、まんざらでもなさそうである。ニヤついている関光彦。宅間の脳に、カッと血が上った。

「おのれ・・・っ!」

 暴発寸前の宅間が――。もはや、アヤの声も耳には入らない―――。
 が。
 振り上げた拳は、誰を傷つけることもなく降ろされた。

 宅間を止めたのは、バドラ最強の男、造田博の視線だった。おそらく、宅間が現れた時点で、仲間に指示されたのであろう。奴は酒には口をつけていない。対して自分は、脳からつま先までアルコールに浸かっている。このコンデイションで争うのは、得策ではない・・。
宅間はゆっくりと席に着いた。

 だが、これで宅間に火が付いた。ここまでの代償を払ったのだから、何がなんでもアヤを手に入れなければならない・・。宅間は目の色を変えて、アヤに迫った。

 次のクジ引きで教祖さまになった宅間は、あろうことか、自身とアヤを名指しし、接吻を要求したのだ。しかしこれが、みんなの反感を呼ぶ。

「宅間さん、それはルール違反っすよ。ちゃんと番号で指名しなきゃ」

「さっきもキスで、またキスってのはちょっとなあ・・」

 腹心の金川、宅間に好意的なノゾミまでもが、批判的な意見を述べる。うるさい奴らどもめ。そんなに言うなら、グロテスクな麻原のオッサンと、キスしてみろというのだ。

「宅間さん、我儘な人は嫌いよ」

 アヤにまでそう言われては、仕方ない。宅間は退いた。

 このまま、終わってしまうのだろうか――。絶望しかけた宅間だったが、挽回のチャンスは、意外にも早くやってきた。

「ぐっふっふー。アヤ先生に、俺の四十八手で快感をもたらせてあげたいものだな」

「アヤ先生、俺のは凄いぞ。ラスプーチンの三十センチ砲には及ばぬが、色つやはそれ以上だ。味わってみたいであろう?」

 なんと、酔っぱらった麻原が、アヤ先生にセクハラ発言を連発し始めたのだ。

「コラッ、エロおやじがっ!ええ加減にせんか!」

 さっきの失態を帳消しにするチャンス――。宅間は勇んで、麻原に食ってかかった。

「なにを怒っておるのだ。アヤ先生は、嫌がっていないではないか」

 さっきまで弱気な態度だった麻原が、平然と自分に食ってかかってきた。それまで控えめだった女が、貫いてやった瞬間に強気に出てくることはよくあることだが、このオッサンも、それと同じなのだろうか?気持ち悪い、悪すぎる――。

「黙れやっ、くそボケがあっ!」

「貴様にくそボケなどと言われる筋合いはない!しかもなんだ、さっき貴様の登録している出会い系サイトをチラリと覗いてみたが、なんだあのプロフィールは!年収1000万、医者って・・。まるっきりの大嘘ではないか!」

「やかましいわ!んなもん、言ったもん勝ちやろ!実際それで、何人もの女を食ってきたんや!」

「ふん。ならば、あの恥ずかしすぎる一言コメントはなんなのだ?1秒だけでも、君に逢えたら・・ってwwふつうに会うより、難しいではないかwwあと、僕をヒマワリだと思って、摘んでくださいって・・ww摘んだら、枯れてしまうではないかww」

「ぐっ・・黙らんかいーーっ!」

 宅間が席を立ちあがり、麻原のダブついた頬を引っ張った。麻原が抵抗し、テーブルは大騒ぎとなる。

「いい加減にしなさいっ!戦う男は好きだけど、場所も弁えずに暴れる男は嫌いよっ!!」

 アヤがぴしゃりと言って、なんとか店から出入り禁止を言い渡される寸前で、場は鎮まった。
 
 その後、参加者は三つのグループに分かれ、カラオケに、町の散策にと、繰り出していった。が、宅間と麻原は、お仕置きとして、どのグループからも参加を許されず、取り残されてしまった。

「くっ。まさか、こんな結果に終わるとは・・」

「オッサンのせいやど。どうしてくれんねん」

「お互い様ではないか。だが・・」

「あん?」

「俺たちの雰囲気、悪くはなかったのではないかと思うのだが・・」

 同感だった。事実、二次会に出ていった三つのグループには、バドラのメンバーと宅間軍のメンバーが混在している。勢いに任せた一夜限りのものかもしれないが、二つの軍団には、確かに友情が芽生え始めていた。

 凄惨な殺し合いを繰り広げた両勢力が手を結んだことによって、世の中が動いた例は存在する。かの織徳同盟である。織田と松平、先代の時代から幾度にも渡って争った両者が、怨讐を超えて手を結んだことにより、天下は統一へと向かった。バドラと宅間軍が同盟を結べば、角田美代子軍をも含んだ大同盟が成立する。大局的戦略眼を持たぬ自分だが、これに勝てる勢力は存在しないことはわかる。

「なあ・・・」

「む。なんだ?」

「いや・・」

「そうか・・・」

「・・・」

「・・・」

「おい」

「なんや?」

「いや・・」

「そうか・・・」

 お互い言いたいことがあるのに、なかなか切り出せない。歯がゆい沈黙が続く。

「アホらしい!サウナんでも行って、一汗かいてくるわ」

「俺も・・いや・・帰って、ハンゲームでもするかな・・」

「・・・ほなな」

「・・・ああ」

 宅間と麻原、犯罪史上に名を残す大物二人が、別々の方向へと歩いていく。

 バドラと宅間軍に、雪解けの兆し――。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第61話

 巣鴨の町――。市橋達也は、松本昭弘、松本和弘の兄弟から逃走していた。小池さんと「サイゼリヤ」で食事をとっている途中に、いきなり奴らが襲撃してきたのだ。

 二人は、小池さんには目もくれず、逃げ足の速い僕の方に狙いを絞ってきた。いったいなぜ?
 
 ブラック・ナイトゲーム。EU圏の秘密結社が、バトルロイヤルの結果を賭けの対象にしていると聞いた。僕が早くに死ぬことに、大金を賭けている人がいるのだろうか。あるいは・・・いや、それは考えまい。とにかく、参加者以外に、僕の命を狙っている者がいるのは、間違いなさそうだ。

 双子の松本兄弟のコンビネーションは絶妙だった。常に全力疾走の僕と違い、いかに体力を使わず、逃げる敵を最短距離で捕まえる術を心得ている。例えるなら、リングを合理的に使うフットワークを覚えたボクサーと、ベタ足ファイターの違い。消耗度の差は明白で、僕はじりじりと追い詰められていた。

「市橋くん」
 
 聞き覚えのある誰か――。
 浅草の神社で出会ったあの女性が、僕を呼ぶ声がする。
 僕は迷うことなく、声が聞こえた飲食店の中に駆け込んだ。

「奥へ」

 僕を迎えた女性は、すぐさま僕を、奥の厨房へと案内した。しばらく、息を潜める。五分・・十分・・三十分が経過した。もう、大丈夫だろう。

「ありがとうございます・・・福田さん」

 僕は、女性――日本史上最も有名な逃亡犯に、礼を言った。

「あら。私がだれか、知っていたのね」

 名鑑の写真とはまるで別人のような顔をした福田さんが、微笑んで言った。どうやらこの人は、敵ではなさそうだ。ならば、積極的に情報を交換すべきである。そう判断した僕は、福田さんに、バトルロイヤルが始まってから今までに送った経緯と、松本兄弟に、なぜか付け狙われていることを打ち明けた。

 福田さんも同様に、自分の近況を語ってくれた。どうやら福田さんは、今僕のいる、巣鴨のイタリアンレストランの内妻に収まっているらしい。僕がサバイバル技術と肉体一本を武器に逃亡生活を続けていたように、彼女もまた、色香と「寝技」を武器に、どの参加者とも矛を交えず、今まで生き延びていたようだ。

「助けていただいて、どうもありがとうございました。お礼をしたいのですが、すみません。今、手持ちがなくて・・いつか必ず、お礼はします。では――」

「待って。あなた、しばらくここにいたほうがいい」

 談笑が始まりそうな雰囲気を打ち切って店を出ようとした僕を、福田さんが呼び止めた。

「え?」

「だってあなた、松本兄弟にロックオンされてるんでしょう?だったら、ここにいるのが一番安全じゃない」

 福田さんが言っていることはわかる。普通の神経の持ち主なら、逃亡劇を繰り広げたその場所に、いつまでも留まっているとは思わないだろう。裏の裏を読まれるということもあるかもしれないが、基本的に、捜索順序の優先順位からは外れるはずだ。だが―――。

「それに、いつかお礼ったって、そのときまで生きているかわからないじゃない」

 まあ、それはそうだ。

「なら、お礼がわりに、しばらくウチで働いていってよ。この間、従業員の子が逃げ出しちゃってね。人手不足で、困っていたところなの」

 命が一番安全な場所に留まることができ、住まいも仕事も得られる。願ってもない話。断る理由は、なにもない。しかし、一つ気がかりなことがある。面倒を見ている猫のことだった。が――。

「奥さーん。なんか変な黒い猫が、店の前に・・」

 仕入れに出ていた若い従業員が、不気味そうに言った。
 店の外に出ると、紛れもない、僕が飼っていた黒猫が、足に縋り付いてきた。

「従業員寮はペット禁止なんだけど、まあ短期間だしね。飼ってもいいわよ」

 その言葉で、決心した。福田さんの厚意に甘えることにした。小池さんに連絡をすると、彼も福田さんに世話になることを薦めてくれた。いつかはまた合流することがあるかもしれないが、しばしのうち、僕と小池さんは別行動をとることになった。

 その晩からさっそく、仕事も始まった。短期間で去ることが決まっている僕の仕事はもっぱら、洗い物と肉体仕事だ。福田さんの内夫である店主は厳しい人で、厨房内は「アホ・カス・ボケ」のAKBが挨拶感覚で飛び交い、ときに食材までもが空中戦を繰り広げる、さながら戦場というかヤクザの抗争現場のような状況を呈していた。「あなたに笑顔を届けたい」の宣伝文句が泣いている。

 僕も、初日にして何度も暴力を振るわれ、暴言を浴びたが、そんなのは飯場で慣れっこである。店主は確かに厳しいが理論のしっかりした人で、食器の洗い方ひとつにも、合理的なノウハウを確立し、教え方も、優しくはないが丁寧だった。理不尽な叱責を受けることはない分、飯場よりはずっとマシだ。

 ただ、職場の人間関係は本当に冷え切っていて、オフのときでも会話の一つもなかった。歓迎会など別に期待していなかったし、変に気を遣わなくていいから、僕は全然結構なのだが、ここでずっと働く従業員、特に若い子にとっては、やはりその辛さは耐え難いらしい。

 深夜、コンビニに生活雑貨を買い求めに出ると、21歳、最年少のミツルくんが、大きなドラムバッグを持って外に出るところに鉢合わせてしまった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第62話

「な・・なんだよ」

 じっと見つめる僕に、ミツルが言った。なんだよって。なんでもないよ。僕はミツルから視線を切り、部屋のカギを開けた。

「お、おい!止めないのかよ!」

 なんだ、引き止めてくれ坊やだったか。ため息が漏れる。この手の面倒くさい子供に構っている精神的余裕は、僕にはないというのに。だが、構ってちゃんの気持ちは、僕にも心当たりがないではない。今、彼は人生の岐路に立たされている。このまま見捨ててしまうのも、なんだか忍びない気がしてきた。

 また、別の考えもある。近頃僕は、小池さん、福田さんと、二人の逃亡犯の先輩と関わったことで、自分の2年7か月の逃亡生活を反省し始めていた。あの頃僕は、世界中すべての人間を敵と思い、誰一人信用しないという気持ちで逃げ続けていたが、そのスタンスは極端すぎたのではなかったか、ということだ。交友範囲は最小限にとどめ、出来るだけ目立たないようにするのは間違いではないが、逆にいえばその最小限の交友範囲については、密度の濃い関係を築くべきなのではないか、ということだ。小池さんも福田さんも、そうやって長い年月を逃げ続けた。

「・・少しで良かったら、話を聞いてやるよ」

 僕はミツルを自室に招じ入れた。ミツルは、ちょっと待ってろ、と言い、近所のコンビニで酒を買ってきてから、中に入ってきた。

 カーペットもまだ敷いていないフローリングの床に腰を下ろすと、ミツルはさっそく発泡酒の缶を空け、酒を飲み始めた。たまっていた思いを吐き出すために、まずは脳みそをアルコールの海に浸けておきたいということらしい。僕は、自分の前に差し出された発泡酒の缶には手を付けず、黙って彼が口を開くのを待った。

「・・・大体、あの店のやり方はよ、古いんだよ!」

 三十分が経って、ようやくミツルが吼えた。そして、「大五郎」の一升瓶をラッパ飲みする。発泡酒の缶はすでに三つも空けており、かなり酔いが回っている。

「まあ、古い体質は、ウチの店に限った話じゃねえけどよ・・。この春、調理専門学校を卒業して就職した仲間で今残ってるのは、もう半分しかいねえんだぜ?信じられるか?たったの二か月くらいで、もう半分が辞めてるんだ。まったくのド素人じゃねえ、ちゃんとした資格を取った料理人が、半分残ってねえんだぜ?こんなバカな業界が、他にあるか?」

 顔を真っ赤にしながら、ミツルが捲し立てる。

 確かに料理業界というのは、バリバリの体育会系という話は聞いたことがある。割烹や中華など、昔気質の「職人」的イメージがある料理はいうに及ばず、洋食や製菓など、一見華やかなイメージがある料理でも、厨房を覗けば軍隊いやヤクザの事務所のような殺伐とした雰囲気が漂っているのが当たり前なのだとか。

人間を人間とも思わないようなパワー・ハラスメント。それでも、いつか自分の店を持つという目標がある職人たちは耐える。従業員のモチベーションが低いフランチャイズの店ならすぐに問題になるであろうことでも、泣き寝入りして頑張り続ける。環境に過剰適応できた者だけが生き残り、歴史は繰り返され、悪習が引き継がれていく。

 ただ僕は、店主のやり方がすべて古臭くて仕方ないものとは思わなかった。飲食といえば、一昔前は、「皿洗い三年、かつら剥き三年・・」というのが一般的ときいたが、店主は、経験が浅くとも有能なものには、どんどんレベルの高い仕事を任せている感じだ。厳しいは厳しいが理不尽ではなく、やっていることは至極合理的なのである。時代に合わせていく姿勢を、部下の扱いにも適用できたらと思うのだが・・。

「大体あのクソどもはよ・・」

 ミツルの愚痴は、それから数十分も続いた。時刻は、夜の二時を回っている。新人は、ランチの仕込みが始まるまでに清掃を済ませなければいけないから、朝の六時には起きなければならない。そろそろ床に就きたいのだが、ミツルのエンジンは全開になってしまっている。どうしたものだろうか。

「チッ、もう酒がなくなった。買ってくるわ」

 ミツルが酒を買いに、外に出ていった・・と思ったら、酒で赤らんだ顔を、逆にまっ青にして引き返してきた。ミツルの後から、先輩コックのカワゴエが、やはり酒で赤らんだ顔で入ってきた。

「悪いな、部屋の前を通ったら、ミツルのキャンキャン喚く声が聞こえてきちまったもんでよ。俺も混ぜてもらっていいか?酒ならほら、持ってきたからよ」

 2ℓペットボトル入りのワインをドンと置いて、カワゴエは床に胡坐をかいた。カワゴエは齢は28歳とまだ若いが、中学を卒業して以来ずっとこの店で働き続けているというベテランで、その手際の良さは、店主と比べても見劣りしない。

 飲食の世界は、自分で店を持てなければゴミ同然である。最近では、雇いでも条件のいいところもあり、一概にはいえないが、独立の夢でもなければやっていられない世界であるから、実質的にそういう構図になっている。

カワゴエの腕前はすでに繁盛店を開けるレベルに到達していると誰もが口を揃えていう。しかし彼は、ゴミから神になる道に進まず、なぜか店に留まり続けているという。

「ミツル。おめえ、なんで料理人になった?」

 話はあらかた聞いていたのだろう。カワゴエは、ミツルが辞めるのかどうかという質問は省いて言った。

「え?それは、小さいころから、うまいもんを食うのが好きだったからですけど・・」

「そんなことかよ」

「そんなことって・・ありきたりかもしれないですけど、でも、普通はそうじゃないですか?」

「俺は美味い食いもん、というか、食いもんそのものが嫌いだった」

 なにを言っているのだろう。僕はミツルとともに、首を捻った。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第63話

「俺の家は、とんでもない貧乏でな。正確にいえば、ギャンブル狂いの親父が稼ぎを独占して、家に金を入れなかったんだ。おふくろはアル中のヤク中で、仕事はおろか家事もしようとしねえ畜生だった。そのおふくろに命じられて、おふくろと兄弟のために、毎日給食の残りをタッパに詰めて持ち帰ってたらよ、乞食星人なんて言われて、学校で酷いイジメを受けたよ。それで俺は、食いもんが嫌いになった」

 今でいうネグレクトの家庭で育ったということか。ネグレクトは、子供も子供心に羞恥心から家庭の困窮を表に出そうとしない場合があり、なかなか学校側や支援機関に発覚しないこともあるのだが、生徒がサインを送っているにも関わらずカワゴエを放置した教師には、呆れるしかなかった。

「そんな俺がなぜイタリア料理店なんかで働き始めたかといえば、中学を出たてのガキをコネもなしに雇ってくれるのは、飲食くらいしかなかったからだ。あの頃のクソジジイは今よりも若い分パワーもあってな。フライパンで殴ってくることもあったんだぜ」

 クソジジイ、とは、店主のことである。

「怒鳴られない日は、一度もなかった。俺自身、飲食に向いているとはとても言えなかった部分もある。不器用だったからな。だが、それでも、18歳になって就ける職種が広がるまではと、我慢して続けた。そのうち、あることに気が付いてきた。職人の世界ってのは、器用か不器用かだけで道が決まるような単純な世界じゃないってことにな」

「どういうことすか?」

「なんでも感覚でできちまう奴ってのは、考えねえだろう?どう工夫したらできたか、てプロセスがねえから、頭を使わねえし、人に教えられねえ。不器用な奴はその点、感覚でできねえことを頭を使って必死にやろうとするから、考える力が育つし、理論が確立されるんだ」

 なるほどと思った。スポーツでも、似たような話は聞いたことがある。実際には、器用な奴がけしてノータリンとは限らず、天は二物を与えることもあるわけで、器用で考えられる奴が最強なのだろうが、それに次ぐのは、不器用だけど考えられる奴、なのかもしれない。

「それに気づいて、料理の面白さに目覚めてからは、食いもんへの恨みも消えた。同時に決意した。クソジジイを、絶対超えてやるってな。クソジジイは、悔しいが理論は天下一品だ。料理のことがわかるにつれ、あのジジイのすごさに気づく。差は埋まるどころか、開いていく一方としか思えねえが、それでも俺はやるよ」

「カワゴエさんは、オーナーを尊敬しているんですね」

 僕は、初めて口を挟んだ。

「尊敬なんかしてるかよ。恨みにしか思ってねえや。あいつに何べん殴られたと思ってんだよ。尊敬じゃねえ、復讐だ。あいつの理論を全部盗んで、独立する。今の店の、真ん前に店を構える。あいつよりうまい料理を作って、あいつの店を潰してやるんだ。あいつを自殺に追い込んで、葬式の席で大笑いして、棺桶に小便ひっかけてやるんだよ」

 カワゴエが暗い感情の宿った瞳を向け、殺人犯の僕でさえゾッとするような笑みを浮かべた。料理と芸術はよく似ているといわれるが、いい芸術が例外なく狂気から生まれるのと同様、人間の狂気がうまい料理を生み出すということも、あるのかもしれない。全面的に肯定はしないし、僕にはとても理解できない世界だが、乱暴だからなにもかもいけないと、善悪の二元論で切って捨てるのも、早計なのかもしれない。

「・・・先輩、俺・・なんか、料理作りたくなってきました・・」

 先輩コックの想いを聞いて、死にかけていたミツルの料理魂にも、火がついたようだ。僕なんかにぶちまけずに、はじめからカワゴエに話していればよかったのだろうが、それができる雰囲気でもなかったのだろう。やはり厳しいだけではいけない。ある程度の連帯感、風通しの良さは必要だ。

「おう。今までお前のこと、ストレスのはけ口みたいにしてたけど、悪かったな。仕事中は、ついついな。よし、今日はもう遅え。とっとと寝るぞ」

 カワゴエの一言で、深夜のコック談義は幕を閉じた。

 翌日から店では、店員同士がお互いの持論をぶつけ合ったり、深夜にお互いの部屋に行き来する光景が見られるようになった。けして仲良しこよしの友達ではなく、同じ夢を追うものとして、火花を散らしあっている感じだった。

「なんだかあの子たち、雰囲気変わったわねえ。なにかあったのかしら。市橋くん、何かしらない?」

 普段はフロアーで働いている福田さんも、この変化に驚いているようだった。

 彼らは友達ではなく、戦友である。この結びつきは、普通の友情より強い。それまで見ず知らずの間柄だった二人が、戦場で一週間、ペアを組んで戦った暁には、十年来の親友のように仲良くなっていた、という例が、実際にあるという。とくに女性に勘違いしている人が多いが、争いはけして、悲劇だけを生むわけではないのだ。やはり物事にはなんにでも、正と負の両方の側面がある。

 従業員同士は、お互いライバル意識を燃やしている関係上、プライベートで一緒に遊ぶような馴れ合いを良しとしなかったが、プロの料理人を目指していない僕は、カラオケやゴルフの打ちっぱなしなどに、よく誘われた。特にミツルにはすっかり懐かれてしまい、毎日のように部屋に上がり込んできては、僕を自作料理の実験台にしていった。

 素人の舌からすれば、ミツルの料理はうまかった。少なくとも、そこらのチェーン店や定食屋で出てくる料理よりはずっと上だ。だがそんな彼も、店でまかないを作れば、カワゴエら先輩たちに、ダメ出しの嵐を受けている。ちょっと後輩に何か言ってやるのを仕事だと考えて、粗さがしに躍起になりすぎている、という気がしないでもないが、やはりプロにしかわからない些細なこだわりというのもあるのだろう。

 相変わらず店主は厳しく、期間雇用の僕にも、一切の妥協を許さない。職場は息苦しいと感じることもある。立ち仕事で、力も使うから、抜きどころがまだわかっていない僕は、いつもヘトヘトだ。

 それでも僕は、充実感を感じていた。バトルロイヤルが始まってから――。いや、僕のカラカラに乾いた人生の中で、初めてかもしれない充実感を。それが絶対に叶わないことと知りながら、僕はこの毎日が、ずっと続いてほしいと願った。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第64話

宮崎勤は、青山の自宅で、友人の山地悠紀夫を待っていた。今日は山地が、バイト先の友人を連れてきて、三人でゲームをすることになっている。朝の9時30分を過ぎたところで、インターホンが鳴らされた。

「やあ、宮崎くん。おはよう。こちら、バイト先の友達で、バトルロイヤル参加者の、菊池正くん。麻原彰晃の軍団に、所属してるんだって」

「はじめまして、菊池と申します。よろしくお願いします」

 山地が連れてきた友人が、腰を90度の角度に折り曲げた、いささか丁寧すぎる挨拶をした。精悍な顔立ちに、堂々たる体躯。間違いなく戦闘力は高いだろう。律儀な性格も伺え、順応性も高そうだ。山地のバイト先の新聞配達店では、期待の新人的評価を受けているというから、やや柔軟性や独創性には欠けるものの、与えられた環境の中で工夫をする知性は高いことも推察できる。印象は地味だが、バトルロイヤル参加者中でも屈指の能力値を持つ人材―――。

 が。そんなことは、僕にはどうでもよかった。僕にとって大事なのは、仲良く遊ぶ友達として、いい奴なのか、面白い奴なのか、ということだけだ。

「うん。菊池くん、よろしくね。さあ、上がって上がって」

 僕は二人を招じ入れ、おやつとコーヒーを出し、ゲームの準備をした。今日プレイするのは、プレイステーション2の「三国志Ⅷ」だ。コーエーの「三国志」シリーズは、現在のところⅫまで出ているが、最近のものは一人プレイ専用が多く、かつての「三国志」シリーズの醍醐味であった多人数プレイが出来る最後の作品が、このⅧである。

「菊池くんの所属するバドラでも、三国志シリーズは流行っているらしくてね。今日は菊池くんが、バトルロイヤル参加者を武将化したデータが入ったメモリーカードを持ってきているらしいんだ。ちょっと見てみようよ」

 三国志シリーズに登場する武将には、実際の歴史で残した業績に応じて、能力を数値化したデータが、一人ひとりに設定されている。

 統率・・部隊を率いて戦う力。集団対集団の戦に反映される。
 武力・・個人の武勇。一騎打ちの強さに反映される。
 政治・・内政や外交をこなす力に反映される。
 知力・・謀略や戦闘時の戦術に反映される。
 魅力・・個人の人間的魅力。人材勧誘の成功率などに反映される。

 といった具合である。

 ゲームでは、「演義」の登場人物だけでなく、自分で武将をエディットすることもできる。菊池くん所属のバドラでは、バトルロイヤルの参加者を、バトルロイヤルや実際の事件で残した業績に応じて、能力を数値化しているというのだ。さっそく、見てみることにした。まずは菊池くんのボスである、麻原彰晃だ。

 麻原彰晃 統率 100 武力 100 政治 100 知力 100 魅力 100

「尊師・・。あれだけ皆に批判されたのに、またこっそり戻してたのか・・」

 菊池くんは、呆れ顔である。同じ東京拘置所に収監されていたという麻原彰晃には、会ったこともないし、興味もないが、自分でこういうことをする彼の性格は、容易に窺えた。

 麻原彰晃 統率 80 武力 5 政治 96 知力 82 魅力 100

 菊池くんが直したデータがこれである。個人的感情が入っているかもしれないが、あれだけの宗教団体を率いていたのだから、魅力と政治の高い数値は納得できる。まだ規模が小さいころは、実戦の場に自分が出る機会も多かっただろうから、知力と統率もそこそこはあるだろう。武力はお察しだ。続いては、松永太だ。

 松永太 統率 65 武力 34 政治 89 知力 99 魅力 90

 類まれなる謀略と商才、コミュ力で名をはせた、希代の天才殺人犯に相応しい評価だ。続いて、僕をなぜか嫌っている、加藤智大。

 加藤智大 統率 95 武力 96 政治 67 知力 45 魅力 66

 成人7人の命を奪った無差別殺傷犯の評価は、やはり戦闘に特化されている。政治、魅力が低くないのは、仕事もそれなりに出来、友人もそこそこいたコミュ力を買われてのことだろうか。掲示板への書き込みは文学的センスを感じさせるが、融通が利かなそうな性格であるから、知力は低めなのは納得だ。続いて、まだ僕は会ったことのない、宅間守軍。

 宅間守 統率 97 武力 100 政治 32 知力 73 魅力 68

 これぞ戦神、といった感じの能力値である。戦闘面に関しては、ゲーム内の実在武将でいえば、補正抜きではあの呂布をも凌ぐ数値だ。政治の低さは、度重なるトラブルで職場を追われてのことだろう。知力に関しては、精神病を利用して悪事を働いていたズル賢さ、魅力は、女性5人を口説き落として結婚まで持ち込んだコミュ力の高さと強引さを評価されてのことか。

 他の人物で主だったところをあげていけば

 永田洋子 統率 96 武力 82 政治 81 知力 74 魅力 78
 角田美代子 統率 71 武力 22 政治 86 知力 97 魅力 93
 金川真大 統率 80 武力 93 政治 62 知力 70 魅力 56
 木嶋香苗 統率 53 武力 62 政治 76 知力 90 魅力 74

 といった具合である。

 これらの人物に加え、僕たちは、自分たちも武将化することにした。菊池くんはともかく、僕や山地くんのような猟奇犯罪者は、能力を数値化することが難しかったが、残虐性を統率に反映させるという、ちょっと無理やりなやり方で、何とか対応した。

 宮崎勤 統率 94 武力 26 政治 21 知力 91 魅力 73

 これが僕の能力値だ。武力は生まれつきの障害で掌を反転させられないこと、政治は仕事が何一つ務まらなかったこと、知力は、犯行声明で世間を引っ掻き回した戦果を反映させた。

 山地由紀夫 統率 91 武力 68 政治 50 知力 48 魅力 69
 菊池正   統率 70 武力 88 政治 76 知力 73 魅力 60

 山地くんと菊池くんも、同じようにして自分を武将化し、僕たちはゲームを開始した。

 バトルロイヤル参加者が、現実より一足先に、古代中国で雌雄を決する―――。
 現実の戦いを占うかもしれない苛烈なシミュレーション・ウォーが、今、幕を開けた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル  第65話

 宮崎勤たち三人は、「三国志Ⅷ」を開始した。シナリオは、194年。陶謙を討ちに徐州へと侵攻した曹操の背後をつき、呂布が兗州で旗揚げした年である。この年代は、全体的に突出した勢力がなく、在野の武将も多く、群雄割拠として一番面白い年だ。

 僕たち三人はいずれも、どの勢力にも属していない、在野武将として中華に降り立った。この立場は一番自由で、既存の勢力に仕官することもできれば、人材を集めて自ら旗揚げすることもできる。僕は西涼の馬騰軍に仕え、山地くんは人材集めに専心し、菊池くんは、洛陽で旗揚げしていた麻原彰晃軍に属した。

 初め快進撃を見せたのは、麻原彰晃軍だった。バドラの人員に加え、徐晃や黄忠など、この時点では在野だった優秀な武将の活躍で、洛陽に加え長安や許昌、さらに荊州北部にまで版図を広げ、瞬く間に中原の最大勢力に躍り出た。

 だが、諸侯は麻原彰晃の一人勝ちを許さなかった。「三国志Ⅷ」には、連合軍というシステムがあり、突出した勢力が出ると、全国の軍を糾合して攻め込むことができる。正史では、悪名高い董卓がこれを食らったことで有名だ。

 全国の大軍で四方八方から攻めかかられた麻原彰晃軍は壊滅し、洛陽を放棄して放浪軍となった。変わって洛陽に入ったのが、我が馬騰軍だ。馬騰軍では、麻原軍が廃帝しようとした献帝を擁立し、手堅く天下を狙う方針を固めた。

 年代は198年になっていた。この頃には山地由紀夫軍も長江流域で旗揚げし、小覇王孫策と、熾烈な領土争いを繰り広げていた。

 そして199年、麻原彰晃軍は、河北で再起した。この頃、曹操に滅ぼされていた劉備軍のうち、在野となっていた劉備、張飛、孫乾など優秀な武将を配下に据え、更に遼東の公孫瓚を滅ぼして趙雲を配下に据えるなど、着実に勢力を拡大していた。

 「演義」では、この時期すでに公孫瓚は袁紹に滅ぼされ、趙雲は袁紹麾下に据えられていた劉備の元にいるはずだが、これはゲームであるため、各勢力の方針や伸長速度はまちまちで、実際の歴史とは、勢力の興亡も人材の流れも、まったく異なる結果となっている。まあ、ゲームだから当たり前だが。

 201年になると、我が馬騰軍は、五斗米道を下して漢中を制し、中華の西北部を完全に固めた。人材も、錦馬超を筆頭に、もとは在野だった加藤智大、角田美代子、金川真大などを加えて厚みを増しており、経済力だけなら全勢力トップに立っていた。

 が。ここで、僕が反乱を起こした。僕はこの時期、馬騰軍の都督となり、最前線の洛陽で大軍を預けられていたのだが、その力を全て、大恩ある主君を滅ぼすことに振り向けたのだ。

 血で血を洗う戦いが始まった。馬騰軍には馬一族、宮崎軍には加藤智大らバトルロイヤル参加者が味方するという構図で、初めは一進一退であったが、漢中攻防戦にて、加藤智大が馬超、龐徳の二大武将を一騎打ちで連破したところから均衡が破れ、鍾繇・張既など、内政の得意な武将も寝返ったことにより経済力も開き、203年を迎えるころには、主君の領土をすべて奪い取ることに成功した。

 だが、その宮崎軍は、最大勢力にはなれなかった。袁紹を滅ぼして河北を制した麻原彰晃軍は、さらに返す刀で、乱世の姦雄、曹操に攻め込んでいった。天下分け目の決戦、ネオ官途の戦いが始まったのである。この戦において、まず、曹操軍に所属していた呂布が裏切り、麻原軍についた。そして、その呂布と、平成の怪物、宅間守との一騎打ちが実現した。

 戦いは熾烈を極めた。呂布と宅間守は、同じ武力数値100だが、強力な武器である方天画戟を持っている分、実数値では呂布が8も上回っている。宅間守は敗北し、怪我を負ってしまった。

 呂布が宅間を破った勢いのまま麻原軍は南下し、中原の主要都市を次々に落としていった。もはや大勢は決したが、一人、諦めなかった男がいた。宅間守である。宅間は麻原軍の張飛を破って、武器である蛇矛を手に入れると、さらに趙雲を下して、完全に名誉を挽回した。そして、天下無双の豪傑、呂布とのリベンジ戦に挑んだのである。

 再戦は初め、呂布優勢のもとに進められた。蛇矛を手に入れ、多少は数値の差は埋まっているが、まだ力関係は逆転していない。このまま呂布の無敗伝説は続くのかと思われたそのとき、宅間守の戦法が決まった。呂布は落馬し、そのまま絶命した。宅間守が、中原最強の称号を手に入れた瞬間だった。

 しかし、その宅間守が、沈みゆく泥船から脱出し、麻原軍に寝返った。これで勝負は決した。乱世の姦雄、曹操は麻原彰晃によって滅ぼされ、その人材は大半が麻原の配下となった。

 同じころ、江南の山地軍も、孫策を破り、首都を建業に定めて長江流域で勢力を拡大していた。軍師の松永太の采配の元、さらに荊州南部の劉表軍を破り、中華南部に地歩を固めていく。松永太の切り崩しは見事で、麻原彰晃軍に攻められる曹操軍から、多数の人材を横取りすることに成功していた。

 そして204年、宮崎軍と山地軍は双方手を結び、蜀の地へと攻め込んだ。宮崎軍が北部、山地軍が南部と、きれいに領土を分け合い、ここに三国が鼎立した。

 バトルロイヤルの前哨戦は、さらに苛烈な後半戦へと向かって進んでいく――。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第66話

 210年。中国大陸に、三つの国家が建国されていた。

 長安に首都を構え。献帝を擁立し、屈強な涼州の騎馬軍団を従え、天下を伺う宮崎勤国。河北の鄴を本拠に、正史の魏の武将と桃園の三兄弟を中心に天下を伺う、麻原彰晃国。建業に首府を構え、正史の呉の武将を中心に、北上の機会を伺う山地由紀夫国である。

 三国は、正史同様に、互いが互いを牽制し合う三すくみの状態となり、膠着した。しかし、戦力格差は確実に開いていた。肥沃な中原を押さえ、荀彧、程昱、郭嘉など、優秀な文官を抱える麻原軍が、兵力、経済力において抜きん出たのだ。あたかも冷戦下において、西が栄え東が自滅していったのと同様に、矛を交えずして、麻原軍が他二国を圧倒し始めたのである。

 焦った僕と山地くんは手を結び、麻原軍を西と南から挟撃することにした。大戦の火蓋が、切って落とされたのだ。が・・・。

 戦局は、1年ほどで決してしまった。無双の豪勇、宅間守を筆頭に、強力な武官を擁する麻原軍は、二国を相手どっても、圧倒的な力を示したのである。

 麻原軍は、西部戦線は押さえにとどめ、南部の山地由紀夫国の領土を刈り取っていく方針を立てた。この戦いにおいて、伝説の軍師、諸葛亮孔明と、平成の大策謀家、松永太の頭脳対決が行われたが、駒の差は明らかである。山地国はじりじりと圧迫され、216年には、すべての領土が麻原軍に併呑されてしまった。

 こうなると、我が宮崎勤国も、もうもたない。洛陽、長安の二大都市を失い、献帝も奪われ、ほうほうの体で西涼の奥地に引っ込むしかなかった。麻原彰晃は献帝を廃帝して自らが帝位に登り、新国家「馬土羅」を建国した。

 もはや天下万民誰の目にも、麻原彰晃による統一が見え始めていた。プロ野球でいえば、シーズン終盤で、首位が二位に十ゲーム差をつけてぶっちぎっている状況である。そうなれば、あとの興味は個人タイトル争いということになる。

 落日の宮崎軍において、正史における蜀の丞相、姜維の如く孤軍奮闘する男・・加藤智大。加藤は魏の勇将、張遼や夏候兄弟を相手に一騎打ちで勝利し、さらに、豪傑関羽と切り結んで敗走させるという、大活躍を見せていた。

 加藤と宅間が戦わば、勝つのはどちらか・・?天下万民の興味は、そこに集約されていった。

 218年、麻原軍が総力を結集した涼州討伐において、その機会は巡ってきた。加藤と宅間、中華最強が決まる瞬間が、ついに訪れたのである。このとき、すでにプレイヤー勢力が滅亡していた山地くんは、コンビニにタバコを買いに行っていた。この戦いが見れなかったとわかれば、さぞ悔しがるだろう。

 一騎打ちは、はじめ、呂布から方天画戟を奪った宅間が優勢に進めていった。加藤も関羽から奪った青龍偃月刀で対抗するが、力の差は明らかで、じわじわと体力ゲージを削られていく。このまま勝負が決まるかと思われたが、突然、加藤の身体から気焔が上がった。戦法が発動したのである。これで体力ゲージは、互角となった。あと2、3太刀で、勝負は決まる。僕と菊池くんは、固唾を飲んで画面を見守った・・が。

 玄関のドアが開いた。山地くんが帰ってきたのではないことは、重量感溢れる足音でわかった。

 僕が、逃げて、という前に、菊池くんは脱兎のごとくベランダに走り、持ち寄ったロープを柵にかけた。アクロバティックな動きで柵を乗り越えると、そのまま地上を目指し、凄い速度でロープを伝って降りていった。さすがは、拘置所の厳戒態勢を潜り抜けて、脱獄を成し遂げた男である。

 地上に降りたった菊池くんは、そこから僕に一礼し、瞬足を飛ばして去って行った。朴訥な印象だったけど、頭の回転は結構早いし、なかなかいい奴だったな。彼は麻原彰晃の軍団に所属しているから、なかなか難しいかもしれないけれど、できたらまた、遊びたいな。

「ただいま、勤さん。あら、ベランダなんかに出て、どうかなさったの?」

「おかえり。いや、いい天気だから、ちょっと外の空気が吸いたくてね」

「こんなに曇ってるのに?変な人ね」

 会話をしながら、僕は菊池くんがかけたロープを回収し、山地くんにメールを送り、緊急事態が発生した旨を連絡した。遊びはお開きとなり、僕は、ゲームの電源を切った。

 そこで、大変なことに気づいてしまった。宅間守と加藤智大・・どちらが勝ったのか、確認するのを忘れてしまった・・。中華最強の豪傑の座は、空位のままで終わってしまったのだ。僕は激しく後悔したが、後の祭りである。

「ねえ勤さん。ちょっとまた、お仕事を頼みたいのだけど、よろしいかしら」

 仕事の依頼は久々だった。前回の仕事のときに、山地くんとの出会いを果たしたのだっけ。

「うん、わかった。それで、どこの誰を殺せばいいんだい?」

「あら、珍しいわね。いつもは何だかんだ言って逃げようとするのに、今日はやけに素直じゃない」

 木嶋香苗が、太陽が西から昇ったのを目の当たりにしたような顔をする。

「僕だって、子供じゃないからね。共同生活の義務くらいはこなすさ」

 仕事は嫌いだ。たとえそれが、殺人であってもだ。
 人から命令されることが、嫌で嫌で仕方ないのだ。
 だけれど―――。友達と一緒なら。
 山地くんと一緒なら、嫌な仕事も、楽しいレクリエーションになる気がした

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第67話

午後1時、自宅マンションで目を覚ましたNは、新大久保にあるAの事務所へと向かっていた。今日は「スカーフキッス」は休みで、そういう日はなるべくAやTと一緒に行動するように言われている。戦闘は、いつ起こるかわからないからだ。

 Aは松永社長が提携する暴力団、山崎会の出資で、便利屋「クイックサービス」を開業していた。都内から首都圏全域まで、幅広く依頼は受けつけているが、バトルロイヤル参加者は東京二十三区から出てはいけない決まりになっているから、その場合はアルバイトの社員に任せている。

 便利屋の仕事は時期にもよるが、引っ越しや清掃など、半分近くが肉体労働になると言っていい。それも個人の家庭よりも、企業が依頼主になることが多い。専門の業者に頼んだ方が仕事は確実だが、コストパフォーマンスや、見積もりから仕事までの早さなど、便利屋に頼むことのメリットも大きいのだ。

 肉体労働以外の仕事は、そのイメージ通り非常に多岐に渡る。ペットシッターやチケットの順番待ち、イベントのサクラ、代行運転、害虫駆除など、あらゆる仕事も受け付けている。

 基本的にどんな立場の人間からの依頼でも、金さえ貰えればなんでも受けるというのが便利屋だが、絶対に受けない依頼もある。ヤクザからの依頼と、法が絡む依頼である。

 便利屋というと、アンダーグラウンドのイメージを持つ人も多いが、それは稀有といっていい。復讐代行や別れさせ工作などを謳っている業者と、地域密着で様々な依頼を受ける業者とは、同じ便利屋でもまったく毛色が違う。キャリア警察官とノンキャリ警察官のように、まったく別路線を歩んでいるといったほうがいい。

 また、断言できるが、特殊工作を売りにしている業者などは、99・9%が詐欺である。確かにそれなりのノウハウもあり、元から成功率が高い依頼などは、顧客が満足する成果を上げることもないではないが、大半は、大金をぼったくるだけぼったくっておいて、肝心の仕事は「それなり」の成果で、「これだけ頑張りましたよ」ということだけを強調され、「なあなあ」で済まされて終わりである。人の恨みや憎しみの感情に付け込んで、金を騙し取ることしか考えていない業者がほとんどなのだ。

 本当に恨みを晴らしたい人間がいるのなら、歌舞伎町や百人町あたりの在日中国人や朝鮮、韓国人に依頼した方が遥かに確実である。それでもちゃんと仕事をしてくれるのは多くて一割だが、騙されたとしてもずっと安くつく。

「やあ、Nちゃん。よく来たね。お昼ご飯は食べた?」

 インターホンを鳴らした私を、トレードマークのベースボールキャップを被ったAが出迎えた。

「いえ。お昼は、いつも抜いているんです」

「ホステスさんやから、食事制限せんといかんからね。なんだか悪いけど、時間も時間やし、僕ら、これからお昼頂くね」

 そう言いながらも、Aの昼食は、コンビニのおにぎり一個である。

「Tさん、こんにちは」

「あっあっ・・Nちゃん、こんにちは・・」

 「なか卵」の大盛り牛丼弁当を食していた、西鉄バスジャック事件のTが、汚れていた口元を慌てて拭った。Tは「クイックサービス」の副社長を務めており、現場に出向くことの多いAに代わり、事務方の仕事を担当している。

「っと・・電話だ」

 Tが、事務所にかかってきた電話を受け取り、商談を始めた。

「はい。はい、わかりました。では、すぐに人材を向かわせますので・・。社長、足立区の方で、カラオケの相手の依頼です」

 話を聞くと、言葉通り、カラオケに一緒に行くだけの依頼ということだった。変わり種の依頼と思いきや、こうした出張ホストやコンパニオンまがいの依頼は、意外と珍しくはないという。老人の話し相手をするだけというのもある。世の中、寂しがりやで一人ではどこにもいけないのに、悲しいかな友人がいない、という人間は意外と多いのだ。

「女性を希望か・・。非常勤の主婦を派遣できんこともないけど、危険な目にあっても困るからな・・」

 Aは腕を組み、悩んでいる様子だった。金の取れる依頼だが、リスクを考えて、二の足を踏んでいるようだ。

 ちなみに、便利屋の仕事は、人件費削減のために、多くは非常勤の社員で賄っている。普段は別の仕事をしている人もいるため、召集をかけて必ず都合がつくというわけではないが、そこは数で勝負ということで、開店から一週間の時点で、「クイックサービス」にも、すでに男女合わせて20人の非常勤社員がいる。半分程度都合がつけば、サクラの依頼にも十分に対応できる人数だ。

「私・・行きましょうか?」

 悩むAに、私は申し出た。

「え?いや、ええよええよ。せっかくの休みなんだし、Nちゃんはゆっくりしとってよ」

「っていうのも、退屈で逆にしんどいですし・・。私なら度胸も体力もあるし、変なことあっても大丈夫だから、適任だと思いますよ」

「そうか・・じゃ、お願いしちゃおうかな」

 再三に申し出る私に、Aも首を縦に振った。

 依頼主の男性は、早期退職者の五十代。寂しがりやというよりは、カラオケが大好きで、人に歌を聞かせたくて仕方ないといった感じだった。そのレベルは下手の横好きといった程度であり、暇つぶしにもならなかったが、食事に高級な寿司をおごってもらい、キャバクラの営業にはなった。

「ご苦労、Nちゃん。依頼主さんは大喜びで、感謝の電話を頂いちゃったよ。さすがは、接客のプロやね」

 帰ってきた私を、Aが労った。なんであれ、人に褒められるのは悪い気はしない。

 キャバクラでナンバーに入り、月収何百万という収入を得ているといっても、私も女である。男性に従属することに喜びを感じる本能がある。店に出ているときは、松永社長や加藤店長に。それ以外では、Aに。まだ若く人生経験も不足している私には、彼らの言いなりになっているのが安全であり、最善の策でもある。

 でも、利用されるだけで捨てられたりはしない。彼らが私を蔑ろにするならば、喉笛を食いちぎってやる。女にだって意地がある。

 Aの脅迫に屈し、参加させられてしまったバトルロイヤル――。しかし、参加したからには、勝ち残ってみせる。開き直りが早いのは、男性にはない女の精神的な武器である。

 私はもう、泣いていることしかできなかったあの頃とは違う。必ずやこの手で、勝利を掴んでみせる。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第68話


 物事は、どこで何がヒントになるか、わからないものである。まさか、宮崎勤がプレイするゲームが、謀略の着想に繋がるとは、完全に想定の範囲外だった。加藤智大に、宮崎宅に盗聴器を仕掛けさせたことが、思わぬ形で生きる結果となった。

 そのとき、松永太は、ビジネスホテルの一室にてブルーマウンテンを啜りながら、軍略を練っていた。

 5月2×日。バトルロイヤルが開始されてから、もうすぐ三か月が経とうとしている。まだ焦る時期ではないと思っていたが、近ごろの麻原の勢いを見て、松永は考えを変えていた。

 まさかバトラと宅間軍の間に、友好の兆しが見えるとは思わなかった。最大勢力のバドラと、人員は少ないながら戦闘力において最強の宅間軍が手を結んだら、厄介どころでは済まないことになる。その上、宅間軍はすでに角田美代子軍と同盟を締結している。麻原―宅間―角田のラインが成立してしまったら、対抗するのは不可能だ。

 出る杭は、早めに潰して置かなければならない――。のだが、忘れてはいけないのは、他の勢力から見れば、我が軍団もまた、「出る杭」には違いないということだ。

 オープンから一か月が経ったスカーフキッスは、全国のキャバクラで五指に入る売上を記録した。純利益は1000万円を超えている。経済力においては、参加者中ダントツの№1である。人材には、実戦経験豊富な重信房子に、最強候補の加藤智大がおり、さらに永田洋子と同盟を結んでいるから、戦闘力においても、バドラに匹敵する。参加者の中には、我が軍をバドラ以上の巨大勢力と警戒している者も多いだろう。

 その筆頭が、池袋で「IKB48」を経営している、八木茂である。常々歌舞伎町に進出する機会を狙っているあの男は、暴力団の東の雄、佐野組と手を結んだ我が軍に対抗し、暴力団の西の雄、横山会と手を結んだ。これは両軍に、同盟の可能性が一切なくなったことを意味する。現在は情報戦の段階だが、近々、血で血を洗う抗争の火ぶたが切って落とされるのは明らかだった。

 八木の動向に目を光らせながら、一方でバドラに圧迫をかけていかなければならない。有史以来、二正面作戦は愚策とされているが、バトルロイヤルには一年という期限がある。バドラと束の間の握手をして八木を潰すことは不可能ではない。だが、その間にバドラは肥え太り、一方の我が軍は損耗し、挽回できない戦力差が生まれてしまう。目先の利を欲するあまりに大利を失っては、元も子もない。

 幸いにも、まだ、課題を一つ一つ潰していく時間的余裕がある。今のうちに、出来るだけの手を打つ。

 まずは、麻原彰晃と宅間守の同盟を、なんとしても阻止することである。方法は現時点では二つ考えられるが、一つは二人が惚れている、アヤとかいう保育士を利用する手だ。なんとかの陰に女あり、という言葉もあり、かの董卓と呂布の仲を引き裂いたのも、女だった。

 が。どうもそれは難しいようだ。まず、生に執着していない宅間はともかく、麻原は女のことで大局が見えなくなるような男ではない。また、アヤは明るく聡明な女である。アヤは麻原と宅間が争うことを好まないだろう。「この女を手に入れるためなら、何でもやってやる」ではなく、「この女が悲しむ顔を見るくらいなら、争いをやめる」と男に思わせる、陽性の女なのである。もっとも、そんな女の気持ちを無視しても我を通すのが犯罪者、特に宅間という男であり、争いの火種に使えないこともないだろうが、優先して考える手段ではない。

 もう一つのは、金で落とす手である。有史以来の謀略の基本、もっとも手っ取り早い方法だ。我が軍の資金力を、宅間にちらつかせる。あるいは、「スカーフキッス」のキャストを利用するという手もないではない。宅間がわが軍に味方すれば、加藤との両輪で、誰も対抗できない戦闘力を獲得できる。

 が、そこで注意しなくてはならないのは、宅間が同盟している角田軍の存在だ。宅間を奪われた怒りで、現在中立の立場の角田が我が軍を完全に敵対視し、総力を上げて攻めかかってくる可能性は十分に考えられる。

それを見て宅間が心変わりし、Uターンして角田に寝返ってしまったら、大変なことになる。もともと、その信用ならない点を危惧して、自分は宅間ではなく加藤を選んだことを、忘れてはならない。

 何か手を打とうとすれば、必ず問題が発生する。メリットとデメリットを天秤にかけた結果、動くことができない。だが手をこまねいていれば、訪れるのは滅亡のみである。いったい、どうすればいいのか。頭が煮詰まっていたときに、機械に繋いでいた盗聴器から、宮崎勤たちの声が耳に入ってきた。

 「大連合」の結成――。宮崎勤らが、ゲームの中で膨張する麻原軍に打った手だてが、自分に道を示した。

 謀略というのは、深く考えすぎてもいけない。単純でわかりやすく、一見大味に見える作戦ほど高い効果を発揮することも、現実にはあるのだ。部屋の中に引きこもって、チマチマと物事を考えていると、どうも発想が小さく小さくなっていけない。もっと豪快に考えていけばよかったのだ。

 誰々と組んだら誰々を敵に回すとか、小さなことはあえて考えない。味方を増やすことだけを考える。特定の組織の属している者、個人で活動している者をひっくるめ、現在生き残っているすべての参加者に連絡をとる。欲深い者には金をばら撒き、思慮深い者には理をもって説き、麻原彰晃に敵対させる。大連合を組み、最大の敵と、それに与する者を滅亡させる。

 謀略王松永太の最大の計画「麻原包囲網」が、発動しようとしていた――。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第69話

 麻原彰晃率いるバドラは、ツンベアーズのワタルが通う「蒼龍小学校」を訪れていた。といっても今日は、公式な活動で訪れたわけではなく、遊びにきただけだった。麻原たちは、ワタルへのイジメを解決した功績から、小学校側より、連絡さえとれば、小学校の設備を自由に遊びに使っていいとの特別許可を得ていたのだ。

 今、体育倉庫の中にいる麻原の目の前に、腹部にナイフの突き立った勝田清孝の死体が横たわっている。死亡推定時刻には、体育倉庫のシャッターは閉まっていた。完全な密室の中で、殺人は行われたのだ。この密室の謎を解かない限り、真犯人を究明することはできない。麻原は途方に暮れていた。

「さあ、尊師。早く事件を解決してください」

 死んでいるはずの勝田清孝が、それは楽しそうにニヤニヤと笑いながら、麻原の推理を眺めている。

「待て。もうすぐ・・もうすぐ、パズルのピースが揃うのだ」

 麻原は眉間に指をやり、頭脳をフル回転させた。

 麻原たちの今日の遊びは、「金田一少年の事件簿ごっこ」だった。ルールは、じゃんけんで探偵役と犯人役、被害者役をそれぞれ決め、他の者は犯人役のサポートに周り、探偵役は、制限時間内に、犯人が誰かを推理する、というものだった。

「・・よし。わかった。謎はすべて解けた!」

 16:56。制限時間ぎりぎり一杯で、どうにか事件解決にこぎ着けた。麻原は皆を集め、推理を披露し始めた。

「まず、この密室の謎だが、犯人が清孝を殺した現場は、ここではなかった。別の場所で殺害を行い、死体をクレーンか何かで、あの開いている天窓から中に降ろしたのだ。そして、真犯人だが、清孝の周囲に散らばったボールが、ダイイングメッセージとなっている。野球ボール、バレーボール、ラグビーボール・・その中から清孝は、一番大きなバスケットボールを選んで、抱きしめている。これは真犯人が逮捕された年の数字が、もっとも大きいことを指している。つまり犯人は、2005年に逮捕された、小田島鐵男!おまえだ!」

 麻原は鬼の首を取ったような顔を浮かべ、先日新たに加入した信徒、小田島鐵男を指さした。

 戦時中の北海道に生を受けた小田島鐵男は、幼少の頃から窃盗や詐欺などあらゆる悪事に手を染めてきた。1990年、練馬区で起こした監禁事件で初めての長期刑。獄で知り合った守田克実と組み、2002年、マブチモーター社長宅強殺放火事件を引き起こした。その後も全国を行脚しながら殺人、窃盗を繰り返し、2005年に逮捕。死刑が確定し、拘置所の中から「獄中ブログ」を執筆していた。

 4歳のころに母親に無理心中を迫られ、11歳のころまで過ごした親戚の家では、ロクロク食べ物も与えられずに折檻を受けて育つなど、愛情に恵まれない少年時代を過ごし、実に人生の三分の一以上を塀の中で生きてきた小田島だが、意外にも社会への適応性は高く、バーテンやミシンのセールス、自動車学校の教官など様々な仕事を務め、フィリピン人ホステスとの間に一子をもうけるなど、女性との縁にも恵まれていた。犯罪経験値の豊富さは参加者中でも屈指であり、肚も座っている。頭脳、戦闘、両面において活躍が期待される逸材だった。

「ぶっぶー。ざんねーん。真犯人は小田島さんじゃなく、俺でしたー」

 関光彦が、得意気な笑みを浮かべて名乗り出てきた。

「なんだと・・」

 納得がいかなかった。自分の推理は、完璧だったはずだ。状況証拠は、すべて小田島が犯人であることを示している。これ以外の結果など、考えられない――。

「では、俺がどうやって勝っちゃんを殺したかを説明しまーす。俺はアメリカNBAのスパースター、レブロン・ジェームズをマインドコントロールして、密室の体育倉庫の中で勝っちゃんを殺させたのでしたー。レブロン・ジェームズのジャンプ力なら、天窓の淵に飛びついて脱出することも可能でーす。勝っちゃんがバスケットボールを抱えているのは、そのまんま、バスケット選手が犯人であることを表していたのでしたー。そして、レブロン・ジェームズをマインドコントロールできるのは、常に尊師の傍にいて、洗脳術を研究してる俺だけだから、俺が犯人なのでしたー」

 なにを言っているんだ、こいつは。これは、ミステリーに対する冒涜である。麻原は、怒りを抑えることができなかった。

「な・・なんだそれは!無茶苦茶だ!なにがレブロン・ジェームズだ!そんなのがありだったら、真冬の雪山で、山荘から1㎞離れたコテージで死体が発見された、死亡推定時刻には全員山荘にいた、犯人はどうやって一瞬でコテージに移動したのか?というアリバイトリックのとき、実は犯人は整形手術を受けた浅田真央ちゃんでしたー、水撒き器を使って長―いスケートリンクを作って、トイレに行くふりをして一瞬でコテージに行き、殺してきたのでしたー、とかも、ありになってしまうではないか!」

 麻原は憤慨して抗議し、別のケースを持ち出した。

「え・・それは無しですよ、尊師」

「浅田真央ちゃんを洗脳したとかならともかく、浅田真央ちゃんが真犯人とかはだめですよ」

「そうです。尊師、それはルール違反です」

「いくらなんでも、やっていいことと悪いことがある」

 麻原が例えに出したケースは、信徒全員から否定されてしまった。どうにも釈然としないが、まだ始めたばかりの遊びなのだから、ルールが固まっていなくても仕方ない――。そんな風に無理やり考えて、納得することにした。

 その後、夜の19時まで「金田一少年の事件簿ごっこ」をして遊んだバドラは、「夢庵」で食事をとり、帰宅後は、「マリオテニス」をするなどして、皆の絆を確かめ合った。

 バドラの人員は、自分を含めて現在9人。そんなことはあり得ないが、このまま最後まで全員が生き残ったとして、8人の枠に収まるためには、誰か一人は死ななくてはならないわけで、本当なら疑心暗鬼が募ってもおかしくはないが、バドラにはそういう雰囲気は一切ない。皆、今を楽しもうと心がけている。自分のムードメイクの、賜物だった。

 生き残りの参加者中、実に8分の1が集中する、圧倒的最大勢力。あまりに人数が膨れ上がったバドラに、単独で勝負を仕掛けようとする参加者はおらず、好循環で人数はますます増えていく。地域での人望も日増しに高まっており、金もどんどん集まってくる。特定の同盟勢力こそないが、宅間軍との反目意識がなくなった今、直接敵対する勢力もなく、外交関係も悪くはない。

 このまま、勝ち残りを決めてしまうのか?そう信じてもおかしくないほど、麻原彰晃の勢いは、止まりそうになかった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第70話

 宅間守は、角田美代子からの要請を受け、配下を率いて駒込の駅前商店街に赴いていた。今日はここに拠点を構える、金嬉老事件の金嬉老、小松川事件の李珍宇のコンビを攻めるのだという。3日前、角田軍はこのコンビから襲撃を受けており、その報復だった。

「なんでわざわざこっちから攻め込むんや。別に、仲間を殺られたわけやないんやろ?ほっといたらええやんか」

「襲われて、何もやり返さないんじゃ、ナメられちまうだろ。そしたら、次、があるかもしれないじゃないか。二度と手出しをさせないためにも、報復はきっちりしとかないといけないんだよ」

 宅間の素朴な疑問に、淡々と答えを返す角田。たしかに一理ある。報復も感情任せには行わないところが、いかにもこのババアらしかった。

「旅館に立て籠もって八十八時間も戦い抜いた金嬉老は、参加者の中では、三菱銀行籠城事件を起こした梅川昭美に並ぶ、籠城戦のスペシャリストや。その金が、子供ながら参加者中屈指の体力を持ち、奸智に長けた李珍宇を従え、このアパートの二階に立て籠もっている。これは、厄介な戦になりそうだよ」

 角田が、名鑑に載った二人の写真を指して言った。

 籠城犯――。確かに、厄介な相手ではある。かの孫子も言っているが、敵の籠る城を攻めるのは、本来は下策中の下策である。施設の入り口は限定されているため、そこにだけ警戒していれば侵入者を簡単に迎撃できるし、長期戦で陽射しや雨に晒されっぱなしの攻撃側に対して、防御側は屋根のある室内で過ごすことができる利点もある。現代のように破壊力に優れた兵器が存在しない中世においては、籠城戦は防御側が圧倒的に有利な戦術であった。

一度侵入さえしてしまえば、相手は袋のネズミであるため取り逃しがないことなど、攻撃側に有利なこともないではないのだが、自分がこの戦いに参加したのは角田軍の援軍としてであり、そもそも意識の低い事情の中では、決死の覚悟で施設内まで攻め込んでからようやく発生するメリットなど、無いのと同じだった。

「まどろっこしい。相手は銃を持っているわけじゃないんだろう?なら、こいつで身を守って突っ込めばいいだろ」

 藤井政安がそう言って取り出したのは、機動隊などで用いられる、ジュラルミンの大楯である。なるほどこれで上半身を覆いながら施設に近寄っていけば、大抵の飛び道具からは身を守れる。が・・。

「うわーーーっ、なんだこりゃっ!」

 商店街の路上に漂う悪臭。階段に向かって近づく藤井に向かって、アパートの窓からバケツで放たれたのは、人間のものと思われる糞尿だった。

 殺し合いで糞尿を投げるとはおかしなようだが、馬鹿にしてはいけない。金川が遊んでいるロールプレイングゲームの補助魔法と同じで、相手に嫌がらせをして戦意を喪失させてこそ、弓矢や刀剣での決定力が生きるのだ。実際、糞尿攻撃は、古来よりの籠城戦での常套戦術である。衛生観念の薄い昔だったら、それだけでもう疫病が蔓延して軍団が壊滅してしまうこともあったほど、強力で効果的な戦術なのだ。

「ね、姐さん、助けて・・」

「バカ、近づくんじゃないよ!」

 黄土色に染まった顔面を悲痛に歪めている藤井は、すっかり戦意を喪失してしまったようだった。

 戦線は膠着した。糞尿攻撃を使ってくるところを見ると、金嬉老とやらは、籠城戦の定石は一通り知っているとみて間違いなかろう。迂闊に手を出せば、糞尿のほかに熱湯攻撃もあり得るだろう。特殊部隊なみの装備があればそれは防げるが、重たい家具などが降ってきたら、首が折れて一貫の終わりだ。

 宅間たちはひとまず、施設の四方に人員を配して補給を断ったが、これは完ぺきな方法とはいえない。外部に協力者がいて、宅急便か何かで物資を送ってきたら、妨害のしようがないのだから。つまりバトルロイヤルにおける戦いでは、城攻めにおいてもっとも確実で安全な、兵糧攻めは使えない。

 宅間は思案した。一体、いかなる戦術をとれば、リスクを最小限に抑えたうえで、城を落とすことができるのか。

 火攻めは不可能だ。アパートには、コリアンコンビ以外の住人も住んでいる。一般人に犠牲者が出てしまったら、委員会から処罰されてしまう。ならば同じ理由で、ショベルカーを用いて、外壁ごと破壊してしまうのも無理ということなる。窓ガラスを破壊し、ホースで水攻めにするという手も考えられるが、消防車でも持ってこない限り、室内を水浸しにするほどの水は送り込めないであろう。城内に内通者を誘うことができない限り、このアパートは不落の要塞か。いや。一つ、方法がある。

「おい。目には目を、でいくで。なるだけ強烈な臭いが出るもんを、ありったけ持ってこいや。それと、画鋲や。画鋲を、大量に買ってこい」

 まきびしと異臭攻撃のコンボ。床にばら撒かれた画鋲が、同時に大量に投げ込まれた汚物を撤去することを許さず、敵は地獄を味わうという寸法である。そして一時間後、宅間の命令で、飲食店から出た生ゴミ、有機肥料、自前の糞尿などといったバイオテロ兵器が集められた。

「よし。やれや」

 宅間の指令を合図に、まずは大石が投げ込まれ、アパートの窓ガラスが破壊された。そこから、汚物と、画鋲を詰め込んで厚紙で蓋をしたグラスが投げ込まれる。グラスは室内で砕け、画鋲を床にまき散らす。鼻がもげるような悪臭と、金と李の悲鳴が、同時に漏れ出してきた。

 コリアンコンビはそれから6時間粘ったが、やがて音を上げ、降伏を申し入れてきた。角田は思案した後、二人を、普段は別行動だが、いざというときには角田軍に全面協力させる、傘下団体とすることを決断した。元々この戦いは、最低限、コリアンコンビに恐怖を与え、二度とちょっかいを出してこないようにさせられればそれでよし、という戦いである。両軍の間に、深い遺恨はない。ならば、ここで無駄に殺してしまうよりは、生かして今後の戦いに使ったほうがいい、という理屈であった。

 無論、二人が裏切らないという保証はない。だが、そのリスクを考えてでも、角田のオバハンは、二人を生かすことを選んだ。

 麻原のオッサン率いるバドラ、歌舞伎町に拠点を構える重信とかいう女の一派、池袋の八木とかいうオッサン、北村一家・・。バトルロイヤル開始から三か月余りが過ぎ、大勢力が生まれてきている。つまらん小競り合いでいたずらに人を殺していたら、それら大勢力と戦う力を得ることはできない。参加者は、勝ち残り8人の椅子を争うライバルであると同時に、貴重な人材なのだ・・。

 というのが、角田のオバハンの話。宅間にとっては、今回の戦闘の謝礼、100万円が手に入れば、それでよかった。

 全体戦略になど、興味はわかない。考える気もない。今も昔も、刹那の時を生きるだけの自分には、生き残るために女々しい努力をする奴らの気持ちなど、わかりっこなかった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第71話

加藤智大は、新宿のフィットネスジムで、ウェイトトレーニングを行っていた。フィジカルを徹底的に鍛える。地道だが、強くなるためには、これが一番確実な方法だ。ダンベルやバーベル、あるいは自重を用いたトレーニングは今までも行っていたが、ジムで行うマシンを用いたトレーニングは、筋肥大の量が違う。また、初心者でも筋肉に効果的な負担をかけられるメリットもある。

 現在のサイズ――168㎝、59㎏。体脂肪率12%。体重を、あと6㎏は増やしたかった。体重は、イコール、パワーである。戦いにおいて、体が大きくて損をするなどということは、ほぼあり得ない。小よく大を制すは理想だが、体が大きいほうが有利なのは、紛れもない事実なのだ。

 あの男――宅間守とは、ちょうど16㎝の身長差と、16㎏の体重差がある。体格面での不利は明白だ。身長はどうしようもないが、体重はトレーニングで確実に増やせる。まずはそこから、差を詰めていく。

 一昔前は、筋肉によって体重を増やすと動きが鈍くなるという迷信が、半ば常識として信奉されていたが、ここ十年ほどの有名スポーツ選手の活躍で、今やその考え方は完全に否定されている。日本人史上最強投手と称されるとあるメジャーリーガーによれば、筋肉が動作を阻害するには、ボディビルダー並の量がなければいけないそうだ。そんな筋肉は、つけようと思ったって中々つくものではない。短距離走の選手を見てもわかるように、筋肉を太くすれば太くするほど、スピードだって伸びるのだ。

 また、忘れてはならないのが、怪我を防止する効果だ。ストレッチに時間をかけることが前提だが、筋トレは基本的に、怪我の防止に役立つ。関節回りの筋肉を鍛えれば炎症が抑えられ、単純に肉の量が増えることによって、打撲時の衝撃吸収力が増加される。筋トレの失敗例として挙げられる某野球選手がいるが、逆の見方をすれば、彼は筋トレをしていたからこそ、あの程度の怪我で済んでいたのだ、と考えられなくもない。それに彼はアスリートとしては脂肪が多すぎ、無駄に下半身に負担をかけていた部分もある。一部分だけを見て、誤った結論を下してはいけないということだ。

 トレーニングと並行して、プロテインと、納豆、豆腐、鳥のササミ、魚肉ソーセージなど、高タンパク、低カロリーの食事を、一日八回に分けて食べる。配分を間違えると脂肪も増えてしまうが、多少ならば構わない。適度な脂肪は一年を戦い抜くエネルギー源となり、実戦では肉の鎧になってくれる。

 毎日感じられる筋肉痛と、見た目に感じられるトレーニングの成果は、精神的な安定をもたらしてくれる。自分はこれだけの努力をしてきた、という自信。フィジカルを鍛えることで、俺の最大の課題である、メンタルをも鍛えられる。トレーニングは、いいことずくめだ。

 ウェイトを開始して2時間。麻薬的な陶酔感に浸り始めたところで、重信さんから電話がかかってきた。オーバーワークにならないように、チェックしているのだ。

 俺はたっぷり30分をクールダウンに費やし、プロテインを補給した後、また30分をイメージトレーニングに費やしてから、シャワーを浴びた。トレーニングで汗をかいた後はすぐにシャワーが浴びたいと思うところだが、それは筋肉の発達を妨げるのだという。小さな心がけの積み重ねが、鋼の肉体を作っていく。妥協するわけにはいかない。

 トレーニングを終えたら、すぐに店に出勤だ。オープンから一か月が過ぎ、経営も軌道に乗り、松永さんからはトレーニングに専念するように言われたが、俺は店に残る決断をした。それも、店長という責任ある立場で、フルタイム出勤することを願い出た。

 今後は絶対、敵軍がわが軍の資金源である「スカーフキッス」を直接襲撃してくる機会が出てくるだろう。そのとき俺が店にいなければ、仲間やキャストを守ることはできない。それに――。俺以外の男に、Nを任せるわけには―――。

 歌舞伎町を歩いていると、妙なビラが風で宙を舞っているのが目に入った。手にとって見てみる。「歌舞伎町スカーフキッスのNは、淫乱だ」「スカーフキッスのNはエイズ持ち」「スカーフキッスのNは、ホストを食いまくり」そんなことが書かれてあった。どこのどいつがやったことが、大体見当はつくが、放っておいた。

 業界に入って一か月のルーキーが、いきなりナンバー入り。やっかみや妨害があって、当然だ。それを乗り越えられないようではNの成長はないし、妨害する奴らにしても、Nの躍進を悔しく思うくらいの気骨があってくれないと、店全体の発展には繋がらない。ま、俺自身が嫉妬深い性格だから、妨害をする奴に強く言えない、というのも、本音ではあるのだが。

 従業員通用口から店に入った。早速、仕事を開始する。帳簿の記入、キャストの出勤管理、酒や備品の発注――。店長になると、事務作業が一気に増えてくる。キャストの管理業務がなくなるわけではないから、重い負担が圧し掛かるだけだ。

 トレーニング、仕事、トレーニング、仕事、トレーニング、仕事。ひたすら、課題に埋没する。休息の時間は、日に日に減ってきている。それでいい。疲労の泥沼に身を沈めているときだけは、なにもかも忘れられる。犯した罪の重さも、生きることへの絶望も、自分自身への、憎しみも――。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第72話

スカーフキッスでの勤務を終えたNは、二十分ほど酔客を介抱していから、控室へと引き上げていった。室内に入って、首を傾げる。今日は同僚のホミカと、常連客のアフターに付き合うことになっていたのだが、彼女の姿が見えないのだ。

 ホミカは私より一つ下の20歳で、私と同じ未経験組だった。家出をして新宿歌舞伎町をふらついていたところを、松永社長にスカウトされたのだそうだ。

 ホミカは小柄で愛くるしい顔立ちをしているロリ系で、年齢も若いのだが、一つ重大なハンデを抱えていた。軽い知的障害の持ち主なのだ。加えて、家庭環境にも問題があった。時代錯誤でエゴの強いホミカの両親は、彼女に適切な支援を受けさせず、あくまで健常者の枠にねじ込んで育てようとした。ホミカがテストで悪い点を取ってきたり、問題行動を起こすと、ただ罵倒し、蔑み、打擲した。

 悲惨な境遇の彼女に手を差し伸べる者は、誰もいなかった。学校の教師は、学業や生活面の遅れを認識しながら、ヤクザまがいの父親の恫喝に負けて、ホミカを特殊学級へと移さなかった。同級生は、彼女をただ嘲笑い、陰湿なイジメを繰り返した。

 中学校卒業時のホミカの学力は、小学校一年生レベル。普通高校への受験が絶望的で、進路は障碍者枠での就労しかないとなった時点で、ホミカの両親は、彼女を家に閉じ込めた。家の恥を、外には出さないというわけだ。

 ホミカは親の目を盗んで外に出かけた。人との繋がりを求めて、外を彷徨い歩いた。ホミカを相手にするのは、悪い男だけだった。17歳で強姦相手に妊娠させられ、堕胎、不妊手術。18歳でリタリン中毒になった。さすがに家でもホミカを持て余すようになり、彼女は薬物治療施設、障碍者施設、病院などをたらい回しにされ、20歳でホームレスとなった。そして、北朝鮮の農村部の少女のような憐れな姿で歌舞伎町を彷徨っているところを、松永社長に拾われた。

 知的に遅れのある女の子が夜の世界で働くことは、それほど珍しいことではない。就職難の時代で、最近では大卒で資格も持っているような女の子がキャバクラや風俗で働くケースも増えているが、やはり多数を占めているのは、どこかネジの緩んだ子である、というのが現状だ。

 ただ、そうした子の働き口は、夜の世界は夜の世界でも性的サービスを行う店がほとんどであり、ホミカのように、会話メインのキャバクラで働くケースは稀だ。松永社長のアイデアを誰もが訝しがり、せせら笑ったが、ホミカは周囲の視線を気にもとめず、ブレイクを果たした。

 知的障害を抱えるホステス――。ハンデを売りにする商法は、初めは物珍しさからある程度客受けするが、徐々に「痛々しい」との思いが上回るようになり、客は離れていってしまう。大事なのは、卑屈さを感じさせない強さと明るさなのだが、これが中々難しい。

「障害にもめげず、明るく前向きに生きている彼ら」「私は健常者を妬んではいませんよ。ただし、羨んではいますけれどもね」「だから私をあなた方の仲間に入れてください」―-。そうした、「健常者が求める障碍者像」を演じ、単に「健常者の枠で頑張ってる自分に酔っている」だけの障碍者は、いつかは化けの皮が剥がれる。

 自伝がベストセラーになった某四肢切断者が、その典型例である。ジャーナリストの職を得て、メディアを使って自分の主張を広く世間に訴えていける立場にありながら、障碍者の支援充実には積極的に動かず、健常者に媚びを売って稼ぐことしか考えていない。挙句、ツイッターで憂さ晴らしなどをやっているから、健常者にも同胞にも見放されてしまう。

 どう取り繕ったところで、障害は辛いには違いないし、それで心が歪むのも仕方ないのだから、臭いモノに蓋をせず、暗い部分だってもっとさらけ出していけばいい。「ご都合主義のお伽噺」などは、いつかはその嘘臭さと胡散臭さがばれてしまうのだから、最初から裸になっていけばいい。人間は暗いままだって、前に進めるのだ。

 筆談を武器に銀座トップのホステスにのし上がった女性と同様のスタンスで、ホミカは成功した。といっても、本人がそれを意識したわけではなく、松永社長がそう指示したわけでもない。彼女はホステスとして、天賦の才があったのだ。現在、ホミカは売上7位につけており、前回の順位発表から一週間が経った現在では、すでにナンバーを伺う勢いを見せている。私とホミカで、店の看板を背負っていきたい―。店でただ一人の友達と、よくそうやって語り合っていた。

そのホミカの姿が見えない。いったい、どこに行ってしまったのだろう?

「あの、先輩。ホミカのこと、知りません?」

 順位発表で私に負けたユウコに聞いた。

「は?知らねーし。バカだから、約束忘れて帰っちゃったんじゃねーの?」

「でも、バッグはロッカーに置いてありますけど」

「っぜーな。知らねえっつってんだろ!」

 取り付く島もない態度である。仕方なく、電話をして本人に聞くと、勤務時間が終わった三十分前から、ずっとトイレに籠っていたとのこと。ホミカは私同様――いや、気が優しくて、言葉で反撃する能力を持たないことから、私以上に、先輩から辛いイジメを受けていた。

「ホミカ、私が来たからもう安心だよ。さあ、アフターに行こう」

「でもね、でもね、行けないの」

「・・どうして?」

「あのね、あのね、ホミカがアフターに行くとね、加藤店長が死んじゃうから、行けないの」

「・・誰がそんなことを?」

「あのね、あのね、みんなが、そう言ってたの」

 無垢な瞳を輝かせて、ホミカは大真面目な口調でそんなことを言う。二十歳の大人の女が、先輩たちに吹きまれたそんな大ぼらを、信じてしまっているのである。この狂った社会の中で、よく今まで生き延びられたと思う。彼女には、幸せになる権利がある。

「大丈夫。加藤店長は、死んだりしないから。さあ、コイズミさんが待ってるから、行こう」

 私はホミカを抱きしめ、手を取って、店外へと出た。スカーフキッスでの勤務においては、健常者のキャストたちと差別なく扱われるホミカだったが、一人でアフターに行くことだけは禁止されている。ホステスは、よほどのことがなければ、客と一線を越えてはいけない。体を手にした客はそれで満足してしまい、もう店に通ってくれなくなってしまうからだ。その男の性を逆手にとって、「切り時」と判断した男には積極的に体を許し、さっさと消えてもらうという術もあるが、場合によってはさらにのめり込まれてしまうこともあり、一概にはいえない。ようは、相手に合わせた使いようである。そのさじ加減ができないホミカを、一人で店の外で男に会わせてはいけない。太客に誘われてどうしても断れない場合は、必ず私がついていくことになっている。

 ホミカは、懐石料理屋でのアフターでも、テーブルを弾けさせた。店では六時間も喋りっぱなしだったのに、疲れたところを見せない。ホミカは記憶力が優秀で、幼少の頃の思い出話が得意だった。無垢ゆえの失敗談などを語ると、客は大いに盛り上がる。やはり世間は、ご都合主義の偽善話だけではなく、ハンデを抱えた人のリアルな話を聞きたいと思っている人も多いのだ。その暗いネタも明るく話すから、聴衆は引きつけられる。ホミカは、もっと上へと昇っていける。

 やがて夜も更け、この日は解散となった。家まで送っていくというコイズミを振り切り、私は男性従業員でバトルロイヤル参加者の尾形英紀さんを呼んだ。敵がいつ、どこで襲ってくるかはわからない。私はいつも、スカーフキッスの従業員に送り迎えをしてもらっていた。

 尾形さんが運転するハイエースは、ホミカのマンションに向かっていく。一日を終えた安堵感で、ウトウトとしかけたそのとき――。車が、突然止まった。信号でもないのに。飲み物でも買うのかしら。でも、ドリンクホルダーには、飲みかけのコーラが・・。

 夢うつつになりかけてきた意識が、一瞬で覚醒した。
 視界に現れたのは、尾形さんの射るような視線と、鋭いナイフの切っ先。
 なぜ――。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第73話

張り詰めた空気が流れるハイエースの車内。味方だと思っていた尾形英紀さんが、なぜ私に刃物を向けるのか。思考がミキサーで掻き回される。

「・・・ホミカを降ろしてあげて」

 私は、努めて冷静に言った。

「ほう。胎は据わってんだな。さすがに素人じゃねえや」

「聞こえなかった?ホミカを降ろしてあげて」

「だめだ。ちょっとでも動いたら、命はないものと思え」

「これは監禁よ。バトルロイヤル参加者は、一般人に危害を与えたら処罰されるんでしょう?早くホミカを解放しないと、命がないわよ」

「はっ。お前、何言ってんだ?監禁罪はな、被害者側が監禁の事実を認識していない場合はグレーゾーンなんだ。今、お前の友達はどうしてるよ?」

 ホミカは私の膝を枕に、すやすやと寝息を立てている。尾形の言っていること――完全なハッタリとも思えない。Aの起こした放火事件から考えてもわかる通り、グランドマスターなる男は、参加者の犯罪について、意外となあなあで済ませるところがある。尾形がホミカに直接手でも触れない限り、処罰の対象になることはないだろう。

「殺しはよ、ギャラリーがいねえとつまんねんだろ。俺ぁよ、女の怯えている顔を見るのが、何よりも好きなんだ。大好きなお友達をぶっ殺されて泣きわめいているホミカちゃんを見たら、イッちまうかもしれねえな」

 尾形は黄色い歯を剥き出しにして、正視に絶えない笑みを浮かべている。大声を出すべきか?が、その瞬間、ナイフが私の喉めがけて飛んできたら?何を迷っている。汚れた私の命などより、ホミカの安全を第一に考えなければならないのに。でも――私も生きたい。せっかくできた友達。二人で生き延びる方法は、なにかないの?

「さて。じゃ、死んじゃおっか。じゃあねNちゃん、成仏してねー」

 思考をフル回転させた。漆黒の状況を打破するために。すべての情報を脳に総動員した。そして下した、生き残るための決断――。

「てめえ・・・なんのつもりだ」

 私は、眠っているホミカを起こし、我が身を守る盾とした。尾形は私の予想外の行動に、慌てふためいている。

 罪悪感が、自己嫌悪で掻き毟られる。それでも私は、大好きな友達を盾にしている。ドブネズミのように浅ましく、醜い姿を晒して、それでも私は生きようとしている。生きててありがとうって、言ってほしいから。最低、自分勝手――自分への卑罵が、生への渇望に掻き消されていく。

「・・・???ドラエもん??ドラエもんがいなくなっちゃったよ。あのね、ドラえもんがね、両さんに殴られてね、アンパンマンになっちゃったの。ドラエもんはどこに行っちゃったのかな????」

 さっきまで見ていたのであろう夢の内容を、小首を傾げながら語るホミカ。5~6歳くらいの女の子が発するのと同じ周波数の無垢なオーラに、尾形はすっかり毒気を抜かれて、握ったナイフを持て余している。

 脱出のチャンス――。スライドドアに手を伸ばしかけて、止めた。

 脱出?もし逃げ出したとして、残されたホミカはどうなる?失態を犯した尾形が、我を忘れ、腹いせにホミカに危害を加えないとも限らない。そんなことになったら・・。

 私の瞬間の躊躇を、尾形は見逃さない。やに下がりかけていた瞼が吊り上がり、瞳がみるみる内に異様な光を帯びていく。

 慌ててスライドドアを開け、ホミカを連れて外に出たが、一歩遅かった。一瞬で追いついてきた尾形に、後ろから襟首を掴まれ、引きずり倒された。仰向けの体制から見上げる空には、街燈の光を受けて煌めく白刃が見える。万事休すか――。死を覚悟したそのとき、尾形が視界からフェードアウトし、拘束を失ったナイフが落ちてきた。

 ナイフを躱して起き上がり、何が起こったのかを確認する。車体に後頭部をぶつけて呻いている尾形と、ドタドタと走って去っていく肥満体の男性――。救いの神が、現れたらしい。

「ホミカ。ちょっと、目を瞑ってて」

 胸をなでおろしている場合ではない。私は倒れている尾形に駆け寄り、脳天にゴム製のスラッパーを見舞った。革のしなりを利用して破壊力を生み出すスラッパーは、女性でも扱いやすく、強い力を生み出せる護身用具だ。

 静かな夜道に、骨を打つ鈍い音がこだまする。1ダース、2ダース。タコ殴りにされた尾形の顔面が、三倍くらいに膨れ上がったところで、私は攻撃を止めた。

 携帯電話を取り出す。そこで少し迷う。Aと松永社長――。どちらに連絡をしたらいいのだろう。尾形はスカーフキッスの関係者なのだから、この場合は松永社長か。

 電話はすぐに繋がり、わずか15分ほどで、松永社長が配下を引き連れて現場にやってきた。

「大変でしたね。とりあえず、一度店まで来てください。ホミカくんも」

 私は、寿命が一年縮んでしまうのではないかと、こちらが心配してしまうほど心配げな顔を私に向けている加藤店長の運転する車でスカーフキッスに戻り、そこでAに連絡して、迎えに来てもらった。

「明日の勤務は、二人ともお休みでいいですから。しっかりリフレッシュして、また明後日から元気な接客を見せてください」

「はい。お気遣い頂き、ありがとうございます」

 休みといっても、私はAたちと行動しなければならない。安息が得られないのならば、せめて夢に向かって仕事をしたかったのだが、社長命令に従わないわけにもいかない。

「あの・・尾形さんは、どうなるんですか?」

 私は、ボロ雑巾のようになっている尾形を見ながら、なにやらウキウキした様子の松永社長に問うた。

「君はA軍の人間です。あとのことは、我々に任せてください」

 そう答えた松永社長の口角は吊り上がり、悪魔のような形相になっていた。それでもう、これから起きることは想像できた。同情はしない。一つ違えば、私がその立場を演じていたのだから。

 私とホミカはAの運転する車で、改めて自宅マンションへと帰って行った。

 味方のはずの尾形が私を襲った理由、尾形から私を助けてくれた男性の正体・・。
 ホミカを盾にしてしまった私は、一体どこまで堕ちていくのか・・。
 気になることはいくらでもあるが、とりあえず、今晩はゆっくりと休もう。
 明日からまた始まる、血塗られた戦いに備えて・・。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第74話

スカーフキッス控室。松永太は、加藤智大ら仲間とともに、ロープで四肢を拘束され椅子に縛り付けられた、裏切り者の尾形英紀を囲んでいた。

「Nさん、無事に帰れた?そう、よかった。今回のことは、申し訳なかったわね。私が至らないばかりに、怖い思いをさせてしまって・・」

 重信房子が、Nに電話をして詫びている。アクシデントの際、すべての責任を被ってくれる便利な存在である。

「松永さん、重信さん、すいません・・。八木茂から、破格の条件で寝返りの誘いを受けて、つい・・。心を入れ替えて軍団のために働きますんで、どうか許してください」

 尾形が、聞いてもいない裏切りの理由をペラペラと喋った。

「いくらで誘われたんですか?」

 哀願する尾形に、松永は期待を持たせるような優し気な口調で問うた。

「前金100万の、成功報酬200万です。前金にはまだ20万くらいしか手をつけていないです。全額納めますから、軍資金にお使いください」

 早くも勘違いを起こした尾形が差し出してきた、現金が保管されたコインロッカーのキーには目もくれず、松永は八木軍の財力を推量する。我が軍を含め、まだ多くの勢力がじっくりと力を蓄えることに専心している中で、300万もの金をポンと出せる資金力。立地を考えれば、いずれは我が軍が上に行くにしても、現在の資金力は、互角か向こうのほうがやや上なのかもしれない。そして――それだけの金を出すほど、八木は我が軍を目の敵にしているということ。

 八木茂――。いつかは、雌雄を決さなければならない相手。早いか遅いかの違いだけだ。いいだろう。戦いの舞台に立ってやる。「麻原包囲網」計画を進めながら、一方で八木を倒す。なめているわけではない。自分はつねに、全体を見ている。先々のことを見据えて行動している。片手間で八木軍と戦い、そして倒す。それが最善の策なのだから、その道を行くだけだ。

「松村くん、カギを。お金はみなさんで等分してください」

 功労者には酬いる。人を大事にしなければ、第二、第三の尾形がいつ出てくるかわからない。

「ありがとうございます。これから誠心誠意、みんなのために・・」

「なに勘違いしている。誰が君を許すと言った」

 松永の冷厳な一言で、尾形の変形した顔が凍り付いた。

「裏切り者を処刑する。松村くん、前上さん、あれをお願いします」

 松永に言われて、松村と前上が車から持ってきたのは、松永がこの日のために選りすぐった、オリジナルの「拷問グッズ」である。

 松永の心は、遠足のバスに乗る少年のようにウキウキとしていた。待ち侘びていたこの日。今までは加藤らに経験値を積ませる目的もあり、まともな戦いばかりをしてきたが、ようやく自分の趣味を優先できる機会が巡って来た。単に己の性癖を見せつけるだけではない。裏切り者がどんな酷い目にあうかを見せることにより、再発を防止する、趣味と実益を兼ねた、一挙両得の殺戮ショーが始まる。

「さて。では始めますか。今回は初心者の方もいらっしゃいますから、まずは入門コースから行きますかね」

 料理教室の講師のように言って、松永は、尾形の頭に防火性のゲルを塗ったシャンプーハットをつけ、その上から灯油をかけた。そして、ライターの炎を近づける。

「やめて・・・」

 ボコボコの顔を恐怖に歪ませる尾形の哀願を無視し、松永は尾形の頭髪に着火した。

「あああああああああああああああああああああっ」

 咎人を断罪する地獄の業火が、尾形を焼く。その叫び声はあまりにも悲痛だが、自分の心に響くことはない。自分には、人と痛みや悲しみを共感する能力が欠落している。命乞いの類は、自分の嗜虐心に火をつけるだけだ。

「はははは。これは愉快だ。まるで人間ローソクだな」

 鎮火した後の尾形の頭髪は、荒野のようになっている。焼け焦げた髪の毛が発する耐え難い臭いが控え室に充満し、皆が吐き気を催す中、一人興奮しているのが、前上博である。

「はああ・・・松永さん・・首を絞めさせてくれないか・・お願いだ・・」

 シリアル・キラーと窒息フェチが一人の人間に宿った悲劇。開けてはならないパンドラの箱を、開けてしまったようだ。

「まあ、焦らないでください。すぐに殺したりはしませんから。夜は長いですから、腹ごしらえでもしましょうか」

 調理場から軽食が運ばれたが、松永と前上以外に手を付ける者はいない。歴戦の女傑、重信房子ですら、これから起こる残虐ショーに恐々としている。

「おや。君もお腹が空いたのですか?仕方ありませんねえ」

 薄ら笑いを浮かべながら、松永はついさっきまで自分が使っていたフォークを、尾形の左目に突き刺した。絶叫、絶叫、絶叫。松永はフォークを180度回転させ、眼球と眼窩を繋ぐ神経を根こそぎ切断し、眼球をくりぬいた。

「さあ、おいしそうな目玉が取れましたよ。ほら、食べてください。お父さんお母さんから貰った大切な目玉なのだから、また自分の体の一部にしないと」

 三国志の英傑が残した、なんとも壮絶な理屈を用いて、激痛で失神している尾形の口腔に、松永は無理やり眼球を押し込んだ。

「うっ・・・すみません、ちょっと、俺はこれで・・」

「私も・・・」

 加藤智大が口を抑えて控室を去ると、畠山鈴香、松村恭造があとに続く。自分の残虐行為で人がひくのは変態冥利に尽きるのだが、まあ、無理に参加を強要しても仕方がない。残った者で、続きを楽しむとしよう。

「あれ?寝ちゃったんですか。いけませんねえ。食べてすぐ寝たら牛さんになってしまうと、小さいころにお母さんから教わらなかったのですか?」

 松永は食卓の上のタバスコを、尾形の、目玉がくり抜かれて空洞になった眼窩に注ぎ込んだ。目玉の無くなった眼窩から、涙と一緒にタバスコがあふれ出てくる。尾形の悲痛な絶叫が、松永の耳にはサラ・ブライトマンの歌声よりも心地よく聞こえる。

「うぎい・・むぎい・・ぐむう・・がっ・・・がっ・・」

 虫の息の尾形は、もはや何を言っているかもわからない。まだ、余興は始まったばかりであり、試したいことはいくらでもあったが、ここで死なれて、前上博にへそを曲げられてもかなわない。

「そろそろ、楽にしてやりますか。トドメをどうぞ、前上さん」

 大トリを譲られた前上が、瞳を爛々と輝かせて獲物に歩み寄り、首に両手をかけた。尾形の、余ったもう一つの眼球がせり出し、隻眼の蛙のようになる。細くなった気道からヒュー、ヒュー、と酸素を貪る声は徐々に小さくなり、やがて完全に消え去った。

「ふうっ・・ちょっと、トイレに・・っ」

 これから、両の掌に残った余韻を噛みしめながら、欲望の落とし子を放出しに行くのだろう。前上の背中を見送り、松永は、ロゼのボトルを開けた。

「ご一緒に、どうですか?」

「・・いえ・・。先に、ホテルに帰ります・・」

 最後まで室内に残っていた重信に声をかけたが、彼女もまた、そそくさと消えてしまった。松永は苦笑し、グラスに注いだ、真皮を思わせる色合いのロゼを飲んだ。

 めくるめく処刑ショーの閉幕。自分の欲望を満たすとともに、ここまで、爽やかで人当りのよい表の顔で心を掴んできた仲間たちに、自分の違った一面を見せることもできた。成果は上々。今度は、八木茂――。あの男の惨めで憐れな屍を見れたなら、今よりもっと美味い酒が飲めることだろう。

 ロゼのボトルが半分ほどになったところで、松永は立ち上がった。まだ酔えはしないが、これ以上、この部屋の空気を吸うのは限界だった。屍は美しいが、糞尿の臭いは耐え難い。前上の趣味に付き合ってやったことによる弊害。この程度のことも計算に入れられなかった自分のミス・テイク。

 屍を回収しにくる委員会には、清掃も依頼しなければ。いや、Aの便利屋に仕事を与えてやるのもいいか。

 灯りの消えた室内に尾形の屍を残し、松永は、明け方の歌舞伎町へと消えていった

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第75話

市橋達也は、福田和子からの呼び出しを受けて、店へと向かっていた。今日は店は定休日だが、何か特別に用事があるのだという。バトルロイヤルを勝ち残る上での、相談事だろうか。

 福田さんは、店の前で立って、僕を待っていた。水色ワンピースに、白のレディースハット。妖艶な魅力を持つ彼女だったが、清楚な出で立ちもよく似合う。

「おはようございます。用って、なんですか?」

「あら。若い男と若い女が二人で会うのよ。デートしかないじゃない」

 唐突な福田さんの言葉に、僕は頭の中が真っ白になった。デート?殺伐とした戦いに身を投じる僕たちに、あまりにも不似合いな言葉を、僕はどう受け止めていいのかわからなかった。

「なに言うとんねん!オバハン、僕の母ちゃんみたいな年齢やろ!」

 福田さんがおどけた調子で言って、僕の頭を軽くチョップした。

「ったくもう。突っ込んでくれなきゃ、変な感じになるじゃない」

「え・・あ・・」

「ほら、行くわよ」

 福田さんに手を引っ張られ、僕は駅前へと向かっていった。

 初めに行ったのは、美容室だった。回転率重視の1000円カットだが、坊主頭にするだけなら、ここで十分だ。バトルロイヤルが開始されたから三か月あまりが立ち、僕の髪の毛はかなり伸びてきている。ここで一度リセットすれば、だいぶ印象は変わってくるはずだった。

「サッパリしたじゃない。食べ物を扱う店なら、そっちの方が衛生的でいいわね。ていうか、可愛い」

 福田さんが背伸びをしながら、180センチある僕の頭を撫でた。

 それから、僕らは電車に乗って、「東京ドームシティ・アトラクションズ」に向かった。一緒にアトラクションに乗ったり、ソフトクリームを食べ歩いたり。何も知らない人から見たら、たぶん、本当の恋人同士に見えただろう。

 僕が命を奪ってしまった「あの人」と、僕は恋人同士になりたかったのだろうか。実際、よくわからない。人を愛するということが、よくわからない。僕はただ自分の所有欲とプライド、あるいは性欲を満たすためだけに、女性を欲してきた。それについて、疑問を抱いたこともない。

 僕にとって女性は、自分を認め、思い通りになってくれる間は男性よりも上位だが、自分のプライドを傷つける側に回った瞬間、男性、いや虫ケラ以下の存在と成り果てる。人生をボロボロにすることすら躊躇はない。いやむしろ、積極的に潰すべきである。その考えが行き過ぎてしまったから、あんな事件を起こしてしまった。

 正しかったが間違っていたのかでいえば、変な日本語だが、間違いなく間違っていたのであろうとは思う。だが、改心せよと説教されるのも、釈然としない部分がある。だって、僕自身が愛された実感なく生きてきたというのに、どうして人を愛せるというのか。一度としていい思いをしたことがない人間が、人に与える気持ちになんかなれるのか。

 どこまでも、自分本位の人付き合いしかできない人間。それが改心もせず、再びこうして野に放たれてしまった。この上はもう、何も望まない。誰に何を期待することもなく生きていく。

 娑婆で味わう孤独は、獄で味わう孤独よりも辛い。みんなが裸になっているところで裸でいても羞恥は覚えないが、みんなが服を着ているところで裸になっていれば、強い羞恥を覚える。それと一緒で、手を伸ばせば人の温もりに触れられる場所で孤独でいるのは、孤独が当然の場所で孤独でいるより辛いのだ。

 だからこそ、その道を行く。一生の孤独を、「あの人」への償いの代わりとする。干上がった砂漠を、ただ一人でひたすら歩き、一人で死んでいく。

「なにを難しい顔をしているの」

 観覧車のゴンドラの中で向かい合う僕に、福田さんが言った。

「いえ、あの・・・」

「悩むなら、とことん悩めばいいわ。悩みが消えるまで、悩むしかない。それが、死ぬまでであっても」

 てっきり、考え方を変えろ、とか、悩んでたっていいことないよ、とか、前向きになろうよ、とか、石を水に浮かべろというのと同じくらい不可能なことを言われるかと思ったら、違っていた。やはり、この人はわかっている。どうしようもない暗がりに落ち込んだ者に、下手な説教や中途半端な慰めをかけるのは、ナイフで腹を刺された人に絆創膏を渡すくらいに、無意味であることを。
 
「さあ、帰りましょうか」

 夕飯時を前にして、僕たちは巣鴨へと帰っていった。なにか、逃亡の極意とか、そんな話を聞けるのではないかと思って、少し気合いを入れていたのだが、本当に、ただデートだけをして終わった。いや――。もしかしたら、髪を切らせたことといい、無言のうちに、なにか僕にアドバイスを送ってくれていたのかもしれない。寮に帰ったら、じっくり記憶を取り出して、思い出してみよう。

 お互いの住処に帰る前に、店の前を通ると、なぜか扉が開いていた。店主か誰かがいるのならいいが、泥棒が入ったのなら大変だ。僕たちは様子を見に、店へと入った。

 厨房に広がる血だまり―――。白のユニフォームを真っ赤に染めて、タイルの床に突っ伏している店主――。包丁を持って店主を見下ろしているのは、カワゴエだった。

「カワゴエくん・・・どうして・・」

「・・このクソじじいが、食材の産地を偽装していやがった。そのことについて問い詰めた。口論しているうちにエキサイトして、やっちまった」

 能面のような表情で、カワゴエが淡々と言った。

「中学を出てから13年間・・。散々に殴られて、やりたいことも我慢して、もっといい条件のオファーも無視して、この店で修行してきたってのに・・。あと少し・・あと少しで、店を開けるところまで来たってのに・・。なんでこんなことになっちまったんだよ・・。なにやってんだよ俺・・。俺の人生は、なんだったんだよ・・」

 13年分の涙が一度に流れ出したかのような、悲痛な慟哭をあげて座り込むカワゴエに、僕も福田さんも、何も言えなかった。

 頭と右腕を失い、殺人事件まで起きてしまったレストランに客が入るはずもなく、店は閉店となってしまった。

「俺には料理しかねえからよ。また一から出直して、絶対に店開くからよ。そんときは、絶対に食いに来いよ!」

 そう言って、飲食の世界に残る決断をしたのはミツルだけで、他の店員は皆、事件のせいで気力を失い、業界を去ろうとしているようだった。

 結局、レストランでの滞在も、二週間ほどにしかならなかった。手元に残ったのは、給料を日割りした十一万円だけ。福田さんとも、また別行動をとることになった。基本的に僕らは、逃亡スタイルが違う。一緒にいては、足を引っ張り合うだけだ。

 警備会社での一件といい、ホームレス村での事件といい、レストランでの事件といい、僕が行く先々で、なぜか人が死ぬ。単なる偶然なのだろうか。それとも、僕が行く先々で、死の鱗粉を撒き散らしているのだろうか。

 関わる人すべてを不幸にして――。まだ僕は生きている。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第76話

宮崎勤は、友人の山地悠紀夫とともに、初台のマンションの一室を監視していた。

 藤波知子。1980年、二件の営利誘拐事件を起こした女性死刑囚が、今回、木嶋香苗に殺害を指示されたターゲットだった。

 任務が決まってからまず僕らが手を付けたのは、藤波の個人情報の把握だった。住所は初めからわかっていたとして、勤務地、通勤時間など、二人交代制で藤波を徹底マークし、その生活パターンを洗い出した。

 その結果わかったのは、藤波はナプキンよりもタンポン派であること。ブラジャーはフロントホックのものを好むこと。ムダ毛処理にはローションを用いず、入浴時に石鹸で体を洗いがてら行っていること、などだった。

「宮崎くん。カラスじゃないんだから、ゴミ漁りはその辺にしたらどうだい」

 マンションのゴミ捨て場から回収したポリ袋を、希少価値の高い化石を探す考古学者の探求心で漁っていた僕に、山地くんが、やや呆れ気味に言った。

「うん・・もう少し・・・」

 山地くんの言葉を聞き流し、僕はポリ袋の中から見つけたりんごジュースのパックに刺さっていたストローを、ペロペロと舐めた。また、伝線したパンストの、ちょっとすっぱいような臭いを心ゆくまで吸い込み、続いて、タンポンの経血が付着している部分を、コンビニで買ったアサリの味噌汁に浸して飲んだ。ちょっと鉄っぽいような、なんともいえない味だった。

「あっ。宮崎くん。藤波知子が、着替えを始めたよ」

「えっ」

 山地くんの報告を聞き、僕は望遠鏡のズームを最大にして、藤波の部屋を覗いた。数十分前に、勤務先の「マツモトキヨシ」から帰宅していた藤波は、余所行きの服から、薄いブラウス一枚、下はパンティ一枚という姿に着替え、テレビを視聴し始めていた。

「くそう・・ババアめ・・そんなに大股を開きながら、オッサンみたいな座り方をしやがって・・」

 僕は藤波に毒づきながら、テントを張った股間を、もぞもぞといじくった。

 藤波知子は、逮捕当時34歳。バトルロイヤルにも、その当時の外見で復帰している。実年齢でも僕より20歳近く年上の婆さんだ。しかし、委員会から犯罪行為を禁止されており、一般人の女性への性犯罪を行うことができない僕にとっては、藤波は貴重な性欲のはけ口だった。

 妥協の末に選んだ対象とはいえ、藤波はなかなかの美人で、女性経験が無い僕には、十分刺激的だった。近頃の僕は、あの女に「やさしいこと」をし、そのあとに「肉物体」にしてから、もう一度「やさしいこと」をし、あの女の身体の中に、大事なところが痛みを発するまで、僕の中の迸る液を放出してから、「肉物体」をステーキにして、僕の骨肉として吸収してあげる妄想を、四六時中していた。

「ったくもう・・お楽しみはいいけど、本来の仕事を忘れてると、あのでっかいオバサンに怒られちゃうよ」

「わかってるけど・・しょうがないんだよ。山地くんは、藤波を見て、欲情したりはしないの?」

「そうだなあ・・。女性の裸に興味がないわけじゃないけど、女性はセックスするよりも、殺した方が楽しいからなあ」

 山地くんはそういって、望遠鏡を降ろし、タバコに火をつけた。

 山地くんには、お母さんを殺害する前の十六歳のときに、六歳年上の女性との性交渉の経験があるという。そのときの話を聞いて、僕は羨ましくてならなかった。僕は前世において、結局、大人の女性の味を知らないまま死んでしまった。まあ、絶対数でいえば、幼い女の子の味を知らずに死んでいく男の方がずっと多いわけだから、ある意味勝ち組といえるのかもしれないが、だからといって、大人の女性とセックスがしたい欲求が消えてなくなるわけではない。

 僕は決意していた――。僕の童貞を、藤波知子に捧げることを。

「ふう。ちょっと僕、食事に行ってくるよ」

 山地くんが現場を離れた、その瞬間だった。僕が藤波宅のベランダに仕掛けていた高性能盗聴器が、ブリッ、という、妙な音を拾った。

 望遠鏡の中に見える藤波は、左手をひらひらとさせて、空気を攪拌しているように見える。それで僕はピンときた。藤波は、放屁をしたのだ。

 雷に打たれたような衝撃を受けた。これまで僕は、前世を含めた45年近い生涯の中で、女性というものは、男のように屁をしたり、糞をしない生き物であるように考えて生きてきた。たとえするにしても、それは男のように悪臭を発するものではなく、もっとこう、フローラルな、お花のような香りを発するものだと考えていたのだ。

 その信仰が一人の女によって全否定された瞬間、途轍もない性的興奮が催された。生涯で初めて女の生々しい姿を目撃したショックで、僕の分身は、まさに猛り狂っていた。

「うっ・・くっ・・・」

 聖剣エクスカリバーも顔負けの硬度を獲得した分身を、しごいて、しごいて、しごきまくった。その間に、藤波は部屋から出て、愛車の赤いフェアレディに乗ってどこかに出かけてしまったが、僕は構わず、快楽のステップを刻み続けた。脊髄を電流が走り、快感はやがてペニスへと伝わる。

「ふおおっ・・うっ・・・」

 熱い液体が、掌の中に放出された。僕はそれを一滴も零さぬよう気を付けながら、藤波の部屋にまで持っていき、ドアノブに塗りたくった。なんかベトベトして、室内プールみたいな臭いを発している。藤波がそれに気づいて悲鳴を上げるもよし。気づかず、僕の遺伝子と、良質なタンパク質が含まれたアルカリ性の液体をべっちょり触るもよし。どちらにしろ、興奮できる映像が見れそうだった。

 楽しい楽しい、殺しの任務。藤波知子。
身も心も、僕が侵してやる―――。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第77話

麻原彰晃率いるバドラは、小田急小田原線の経堂駅前を訪れていた。

「おう、お前たち。今日もいたのか」

 麻原が話しかけたのは、世田谷区の公立中学校「黒龍中学校」に通う、少年少女のグループだった。現在、時刻は深夜の1時。塾帰りにしても遅すぎる時間であり、中学生が出歩くには相応しくない。

「んだよ。今日も来たのかよ、尊師」

「ウゼエんだよ、尊師」

 生意気な口を叩きながらも、子供たちの表情は麻原を歓迎する風であり、彼らが普段、親や教師、警官に向けるような敵意は感じられない。

 近ごろ麻原は、世田谷の学区において、大人たちから見放された非行少年を導く「夜回り尊師」としての名声を高め始めていた。具体的には、週に2~3度、深夜に駅前や不良の溜まり場を訪れ、そこにいる子供たちに声をかけ、帰宅を促して歩くのである。

 麻原がこうした活動を始めた背景には、一般人の武装勢力を味方につけたい、という思惑があった。パッと思いつくのはヤクザだが、いかんせん割高である。無論、こちらに入る利益も巨大ではあるが、それはこちらが彼らの期待に応えている間だけの話。こちらがヘマをして、パワーバランスが崩れた瞬間、ヤクザは共生者から捕食者へと姿を変える。

 ヤクザに一度餌として認識されてしまえば、もうあとは骨の髄までしゃぶり尽くされるだけだ。リスクを冒さず、低コストで働いてくれる一般人の武装集団として、麻原は街の不良少年を味方につけることを思いついた。

 麻原の掲げる地域密着政策とも合致するこの方針がうまくいけば、戦略、戦術の両面において、選択の幅が大きく広がるのは間違いない。また、地域の大人たちからの印象も良くなり、お布施の額が増えることも期待できる。数週間前、新加入の信徒、小田島鐡男に薦められて視聴した、神奈川県で夜間高校の教師をしていた人物の動画を観て、猿真似で始めた活動だったが、いい方向に成果が期待できそうだった。

「お前たち、腹は減っていないか?ガストに行くなら、連れていってやるぞ」

「ええー、またガスト?もう飽きたよ。どうせだったら、安楽亭くらいに連れて行ってよ」

 これまで麻原は、飯を奢るのと引き換えに子供の帰宅を促す方法をとっていたのだが、そろそろ限界が近づいてきたようだ。いつの時代も、子供というのは、大人が甘やかせばどこまでも付け上がる生き物である。このまま同じ手を使っていけば、要求する飯のグレードがどんどん上がっていくのは、間違いなかった。

「ははは、そうか。飽きてしまったか。まあ、俺も金持ちというわけではないのでな。ファミレス以上となると、なかなか難しいな・・うっ!?イタタタタ」

 会話の途中で、麻原はいきなり大げさに顔をしかめ、わざわざアディダスのジャージパンツを半分脱いで、ガーゼを貼った左の尻をアピールし、痛がってみせた。

「いやあ、昨日、とある高校の生徒がヤクザと揉め事を起こし、それを助けるために組事務所に乗り込んだところ、尻の肉をナイフで切れば赦してやる、と言われたものでな。本当にやってやったんだが、そのときの傷が痛んで仕方がない。まあ、俺のこんな尻の肉などと引き換えに、子供が助かるなら、安いものだがな。はっはっは」

 いつまで経っても「そのお尻、どうしたの?」と聞いてくれない子供たちに対し、麻原は必要以上に細かく、怪我をした経緯を説明して見せた。

 麻原が手本とする神奈川の元教師が、生徒が暴力団から足抜けするのと引き換えに小指を一本差し出したエピソードをパクった今の話は、言うまでもなく、デマカセである。実際には麻原の傷は、今朝、散歩をしている際に、電柱に立小便をしていたところ、いつもその電柱にマーキングをしている犬に吠え掛かられてしまい、驚いて尻餅をついた際に、道路に落ちていた石で痛めたものだった。

「そんなミエミエの嘘はつかなくていいよ。尊師の汚いケツなんて、見たい奴がいるわけないじゃないか」

「な・・・っ」

 麻原が、子供たちの予想外の返事に絶句するのを見て、麻原が怪我をした本当の理由をしっている関光彦が、ため息をついている。なにかもう、フォローを入れてやるのも、ツッコミを入れてやるのも恥ずかしい、といった感じである。

「くっ・・おい、タケシ。お前、イジメをやっていたことがあるか?」

「イジメ?三組のキョウに、よくタバコを買いに行かせたり、関節技をかけたりしているけど、あれもイジメになるのかな?」

「いいんだよ。昨日までのことは、みんないいんだよ」

 麻原が放った、神奈川の元夜学教師の名言のまるパクリに、場の空気が、通夜のように静まり返った。

 クソガキどもめ、自分の熱い思いがわからないとは。こいつらはきっと、自分の認める神奈川の元夜学教師ではなく、某議員の元教師に感化されるタイプに違いなかった。

 まったく、理解できない。あんな、暑苦しい体育会系のノリについていけない生徒はすべて否定してかかる、文字通りヤンキーにしか需要のない教師の、どこがいいのか。もしかして、中学生の夜遊びを咎めないどころか、積極的に連れ出そうとする、某漫画のDQN教師を信奉する輩か。理想の教師像を「金八先生」と信じてやまない麻原には、許せないことだった。

「・・・なんだかわからないけど、尊師が必死だから、帰ってあげるよ。またね」

 どうやら、麻原の誠意は伝わったようで、子供たちは帰路についていった。これもまたよし。勝負は過程ではなく、結果で決まる。どんな手を使ってでも、関光彦に呆れられようと、目的を果たせればそれでいいのだ。

「よし、光彦。俺たちも帰るぞ」

「結果オーライだからいいけど、カッコつけないでよ。こっちまで恥ずかしくなるじゃない」

 バトルロイヤル制覇に、大きな力を貸してくれる存在――。
 一般人の武装勢力を味方につけたバドラは、一強体制をさらに固めていく――。

凶悪犯罪者バトルロイヤル

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凶悪犯罪者バトルロイヤル

東京二十三区を舞台に、日本の有名凶悪犯罪者100名が、自由と賞金をかけて殺し合いを繰り広げるオリジナル小説です。 智謀と武力の限りを尽くして戦う犯罪者たち。最後に生き残る8人は、誰か。 ブログでも連載しています。お気軽にコメント残していってください。 http://asdlkj43.blog.fc2.com/

  • 小説
  • 長編
  • アクション
  • サスペンス
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-02

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  1. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第一話
  2. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第二話
  3. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第三話
  4. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第四話
  5. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第五話
  6. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第六話
  7. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第七話
  8. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第8話
  9. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第9話
  10. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第10話
  11. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第十一話
  12. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第12話
  13. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第13話
  14. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第14話
  15. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第15話
  16. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第16話
  17. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第十七話
  18. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第18話
  19. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第19話
  20. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第20話
  21. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第21話
  22. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第二十二話
  23. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第23話
  24. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第24話
  25. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第25話
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  27. 27
  28. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第28話
  29. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第29話
  30. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第30話
  31. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第31話
  32. 32
  33. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第33話
  34. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第34話
  35. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第35話
  36. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第36話
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  67. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第67話
  68. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第68話
  69. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第69話
  70. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第70話
  71. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第71話
  72. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第72話
  73. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第73話
  74. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第74話
  75. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第75話
  76. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第76話
  77. 凶悪犯罪者バトルロイヤル 第77話