妻の恋人

完全なフィクションです。

僕は32歳で結婚した。
7年前のこと。



子どもたちはもうすぐ7歳と4歳。女の子二人だ。

妻は4歳年上。
世間でいうところの「授かり婚」だった。


いわゆる「出会い系サイト」で出会い、おおっぴらに言えないと感じながらもすぐに会った。住まいが近かったし、サクラだとも遊んでいる女だとも感じなかった。
向こうはどう思っていたのかしらないが、遊び目的だとは感じなかったから会ったと、本人は言っていた。



実際に会うとすぐに即意気投合し、その日のうちに身体の関係になり1週間後には同棲スタート。
すぐに彼女は妊娠し、年齢的にもぎりぎりだったしそうなることが当たり前のように入籍。お互いの家族の反対も、特になかった。周囲には趣味の集まりで出会ったと説明した。


僕の親は特に歓迎した。一人息子の僕がやっと結婚し孫の顔が見られると、喜んだ。


僕は大学を6年かかって卒業した。



中堅私大に現役合格し、入学してすぐに19歳で初の恋愛でボロボロになり、2年次にはろくに単位も取れず大学に行かなくなっていた。

小学生から打ち込んできた剣道を力を抜きつつ続けたくて入った初心者歓迎のサークルで出会った1年上の先輩女子と5月には告白されて付き合うようになりそこから苦しい恋愛が始まった。



かっこよくもなく、流行に敏感でもなく高校卒業まで子どもの頃のイジメを跳ね返すために始めた剣道に打ち込み、途中からは医者になる夢を追いかけるための受験勉強漬けで実際の恋愛に免疫のなかった僕は、博識で(当時の僕にはそう思えた)高校時代に留学経験もあり自己主張が上手で社交的な彼女にはうぶで思い通りになる男に思えたんだと思う。



そして実際その通りだった。

大学は、高2の途中までは地方国立大医学部を目指していたが、結局は偏差値が上がらず私大の法学部や経済学部をいくつか受け、結局某大の社会学部に進んだ。学部などどうでもよかった。

受かった中では一番偏差値の高い大学学部だった、ただそれだけの理由だった。

僕は自分が思うほどは頭がよくはなかったのだと受けいれるまで時間がかかった。



入学式はなんの感慨もなく、その後キャンパスを歩いていて偶然剣道の練習は月に一回あとは「交流です!」というやる気なさそうなサークルの勧誘が目に入り、自分にはぴったりだと思いなりゆきで入ってみることになった。



入部の手続きと説明をしてくれた女性は美人ではなかった。名前は暁子といった。

新歓イベントでビール1杯で黙り込んでしまった僕に、二次会が終わったらこっそり抜け出そうと耳打ちされ、大学って「こんなところ?」とげんなりしつつも、慣れないアルコールも手伝って、初めての展開に夢心地だった。



暁子は慣れた様子で僕を一人暮らしの自分の部屋に連れ込んだが、朝になると「早く帰ってくれないと家族が来る」そういわれて言われるがままに自分の家に帰った。

家では誰も外泊を心配していなかった。

父は単身赴任、母は夜勤の日でいなかったし、飲み会で遅くなるかもと言ってあったから誰にも不審がらなかったと思う。



僕はたった一晩で暁子を好きになっていた。少なくとも、それが「好き」という感情だと思い込んだ。

翌日は大学に行かなかった。自分の身に起こったことを振り返ってみる。暁子は美人ではなかったが肉感的な女性だったし、優しかった。

まだ大学に入学してから4日しか経っていなかった。



暁子が自分のことを好きかどうかなんて、どうでもよかった。



暁子は身体の関係を持ち始めてからひと月たってやっと「ちゃんと付き合いたい」と言ってくれた。

僕の大学時代初期は、暁子と出会ったことで入ったばかりのサークルになんとなく行きづらくなり、仕方なく講義にまじめにでることになった。自宅から通い時間の自由があったにも関わらず、アルバイトは気が進まずほとんどしなかった。



講義ではほどほどに友人付き合いをし、日中は暁子とはなるべく大学内では会わないようにしていた。



週に3回ほど夕方から暁子の部屋に行き、日付が変わらないうちには自宅に戻った。

暁子は僕にあまり興味がないようで、一緒にいる間会話らしい会話をしていない。僕の体にしか興味がなかったのかもしれない。そして、当時の僕はそれで満足だった。



大学2年が終わろうかという頃になって、暁子に実は社会人4年目で交際3年になる「本命」がいることが発覚した。



彼氏とは週末同棲していた暁子だが、僕も土日は家族の目が気になってバイトでもないのに夜中まで外出するのが気が引けて平日だけ会うという形が定着しており、暁子にすればきちんと「両立」できていたらしかった。



暁子は僕に「もう部屋に来ないで」と冷たく言っただけで、その後社会人の彼氏とどうなったのかも僕は知らない。そういえば、彼女から「愛してる」と言われたこともなかった。

結果的には僕ひとりが彼女と付き合っている気になっていたらしいが、外からみればそして普通に考えたら「お互いに本気で惹かれあったから付き合っている」んだと思いこんで当然だったと今でも思う。



その後、僕は恋人(だと信じていた人)に簡単に切り捨てられた事実から立ち直れず、大学で会う可能性がある彼女を避けようと講義に行かなくなり自室にこもる日が多くなった。



恋愛など、女性など信用できないと学んだ。自分のひとを見る目のなさや思い込みが恥ずかしかった。

女は信用できない、そんな憎悪でいっぱいだった。

そしてこれは暁子だけに限らないと感じていた。

最初からの長い二股に気づきもせずに1年9か月で終わった僕の最初の恋愛は、その後の大学生活への意欲を全部そいでしまった。



そのごたごたの後からは、講義にはろくに出ず、サークルも実質退部した。自宅にいずっぱりになるわけにもいかない僕は、平日夕方から夜にかけての書店でのアルバイトを始めた。



本は重く、手を切ることもありまた痛めないように陳列・棚替えするために気を使った。

意外と時間が早く経ちバイト仲間と雑談などしなくてもよく無愛想な僕でもなんとか続けられた。

そこでも友人らしい友人はできなかった。



講義に行かないので単位はろくに取れず語学は全部終えるまでに4年かかった。

それまでは、一応は順調だった学業は実質廃業といっていい状態になってしまった。

取れた単位も評価は悪く、サークル活動などもしていなかった僕の就職は、6年の冬にやっと決まった。

小さなタウン誌の出版社での営業だった。



自宅から片道1時間、実家から出る機会もなく家と職場の往復で日々が過ぎていった。



相変わらず無愛想で友人作りが下手、恋愛したいとも思えない僕は、休日はほとんど自室でPCの前で過ごした。ゲームや掲示板で遊ぶことが多かったが、次第に出会い系と呼ばれるサイトにはまっていった。



社会人になって数年が経っていたが、出会い系では実際に会うところまでいく勇気はなく、普段の自分とはまったく違う性格を装い、別人になった気がしてやめられなくなっていったし、そこで出会った女性たちとのメールのやりとりは楽しかった。

数年がかりでいくつかの出会い系サイトを巡りつくし、その中では楽しい出会いも多かった。

でも、メール交換である程度親しくなって相手の女性から「一度会いたいね」そう言われても一度も応じない僕は、「そこまで」で交際終了といったことを繰り返していた。



あくまでメール交換が楽しく、本心から相手を理解し自分も理解されたような気になり嬉しくはあったが、実際に会うなど面倒で論外だった。

現実の僕はただの低収入の営業マンでなんの取り柄もなかったし、現実の恋愛経験もかつての暁子ひとりだった。全てにおいて自信がなかった。

バーチャルな関係でしか、異性と繋がっていられる気がしなかったしそれで十分満足だと思っていた。



転機が訪れたのは、32歳の5月。

いつものように女性からの「一度会ってみようよ」との誘いでひとつのバーチャル恋愛が終了したあと、気を取り直して新たな設定であるサイトで登録しなおして出会いを待った。



最寄駅の近い、少し年上の女性に絞って探して回り、後に妻となる女性になぜだかピンときてメールを送った。彼女は自己紹介自己アピールには「男性とおつきあいしたこと、ほとんどありません」と書いていた。

こんなサイトに登録するような女のくせにと思いながらも少しはそういう部分を信じたい気持ちがあり、よい出会いなら逃したくないと思った。



即返信がきた。

そして、そこには自宅最寄駅まで書いてあった。

僕の家から20分ほどで行ける距離だった。こんなサイトでの「交際」に慣れていた僕だが、なぜか心が躍った。

約束の日は真夏のようによく晴れ暑い5月の連休。

僕たちはスタジアム横の公園で待ち合わせた。

特に目印は告げず、メール4往復程度、サイトで知り合ってから1週間もたっていなかったが、ちょうどやってきた休日のチャンスを逃すまい・これはなにか運命的なめぐりあわせなのではと、お互いに不思議な感覚に支配されての対面だった。



彼女は適度に日に焼けた、メイクの薄い女性だった。年齢よりもずっと若く見えた。

髪は短く、うなじは白かった。「昨日髪を切ってきたんです」彼女は僕にそう言って笑った。

「昨日まではぼさぼさだったんですよ」



2人とも中肉中背、隣り合って歩くとバランスは悪くない。



まず入ったカフェではあえて対面ではなく隣り合って座った。彼女は嫌がらなかった。

そしてお互いの仕事の話をした。彼女は大手ディベロッパーの管理部門の中堅社員として僕よりもずっと年収が多そうだった。「一般職だからお給料は安いし、責任も少ないんです」彼女はそう謙遜していたが、不景気の中でも彼女の同僚など普段接する男性たちが僕なんかより何倍も収入も魅力もあるのであろうと容易に想像はついた。



僕は、彼女の心をつかむチャンスは今日しかないと直感したのかもしれない。



お互いそもそも出会いを求めて出会ったのだから不自然などではないと心の中で言い訳のようなものを呟きながら、僕は彼女の手を握った。彼女がちいさくうなずいたのを確認してから、カフェの外に出た。

2人とも、知り合って間もないなんて思えない安心感を相手に対して感じていたと思う。

まるで付き合いの長い恋人同士のように、僕たちはホテルに向かい、朝になる頃には何年も一緒にいたかのように親密な関係になっていた。



僕にとっては10年以上前の暁子以来の女性だった。

彼女は独り暮らしだった。

実家は関西の田舎。



僕は一週間後には彼女の借上社宅に転がり込み、一緒に暮らし始めた。

彼女も僕も朝早くから夜遅くまで仕事で、平日は食事すら一緒にとれなかったが

夜と休日だけは同じ空気の中で笑いあって過ごした。

こんな関係の相手はいままでいなかったし、幸せってこういうことを指すんだと感じた。



サイトでの遊びはもちろん即止め、ネットから遠ざかり休日は彼女と外に出かけたり

一日中愛し合って過ごしたり。

その辺の恋人同士の幸せを味わった。


2か月もたたないうちに、彼女の妊娠が判明した。

胸が張り吐き気が酷くて検査薬や病院に行くまでもないといった始まり方だった。



会社には言いづらかったらしいが、どうしようもないので妊娠したことを報告し、交際開始3か月未満で

お互いの両親や会社や知人たちには「交際2年で結婚前提でした」と嘘をついて入籍。



意外と会社にも通える程度の体調を維持できたので同僚の目を気にしないで自分の人生の都合を最優先にしようと割り切り産休をフルにつかい仕事を辞めることなく乗り切ることにし、実際そうすることができた。

そうでないと、僕の収入だけでは家族を養うのは到底無理だったのでありがたかった。



彼女は育児に専念できないことへの泣き言は言わないタイプで、遠い実家に頼れない中、僕の実家の母親との関係を良好に維持し仕事と両立できる環境のサポートを得る程度には冷静で賢かった。

僕はそんな彼女に苦労をかけている申し訳ないとの感情の他に、ひそかに頭がよくまともな判断力と知性を持った妻を自慢に思っていた。



交際をはじめてからすぐに妊娠・結婚という流れだったので生活面では大きなイベントが次々に起こりバタバタと大変だったが、思いがけず家庭を持つことになり、実家暮らししかしたことがなかった僕も家事を覚え、そのうちやっと上の子を保育園に預け妻が仕事復帰するという頃から2人目が欲しくなり、妻の育休からの復帰一年後には2人目妊娠、2人の育児で大変な数年間を過ごすことになった。

僕の身体に異変が起こったのは結婚7年目のこと。

生まれて初めて、突然典型的なある性感染症の症状が出て、妻には黙って病院に駆け込んだ。



仕事と娘たちの育児、上の子は小学生になり少し楽になるかと思いきや帰宅時間が早く僕の実母の世話になりっぱなしで、下の子は保育所への送迎があり、一応はフルタイム勤務に戻っている妻と残業まみれの僕たち夫婦には会話する時間もあまりない日々だったが、仲は悪くはなかったと思う。



休日はお弁当を持って、近くのテーマパークに子どもたちを連れて行った。

幸せなごく普通の家庭を持てたことを、結婚直後よりもずっと自然に受け入れられたのは子どもたちの存在が、怠惰にPCに向かうヒマなどを僕から取り上げてしまったことも大きく影響していたと思う。



そして僕は、妻もまたそうだと思い込んでいた。


僕はひと月近くの通院治療の間、妻には病気のことは黙っていた。

意外なことに、取り乱しもせず僕は冷静だった。



自分は潔白だった。浮気はもちろん、風俗に行くこともありえない興味もない生活を送っており自分が感染源だとは考えられない。ありえない話だった。

妻から感染したとしか考えられない。



妻を冷静に観察してみると、お互いのPCが別々の部屋に置いてあることに初めて意識が行った。



僕は平日は帰宅後寝る前に少しだけ触るくらいの時間しかなくなっていたが、妻はどうだったのだろうか?

仕事と育児に追われて家庭のこと以外はなにもしていないと思い込んでいたが、果たしてどうだったのか?



答えは目の前にあった。

盲点は、妻が「フルタイム勤務」だと信じて疑っていなかったことだった。

実際は「フルタイムだけど残業は免除」。



定時が17:00の妻は、僕には「いくら育児があるといっても毎日定時きっかりには上がれない。小一時間は残務処理がある」と言っていたしそれは当然のことだと思っていた。



妻のPCを覗こうとした。

パスがかかっていてログインすらできなかったが管理者権限で入った。

一見したところブラウザの履歴などはすべてなかった。いちいち消しているようだった。



フリーメールのアカウントをいくつ持っているのかは知らない。

ショートカットには二つのフリーメールへのものがデスクトップにあり、当然僕にはメール履歴を見ることはできない。


唯一ブックマークにある閲覧パス付のブログを見つけることができた。

「誰か」とのやりとりに使っているとしか考えられなかった。



出会い系と思しきものは保存していないし、PC本体の保存画像を見てみたら、家族のものだけ。

もし不倫をしているならば、相手の写メやフリーメール経由の写真があってもおかしくないはず。



僕はそれらがあることを突き止め、証拠が揃ってから突き付けてやろうと決意した。



今回のことを冷静にみられる自分がいることから、僕は傷を受けていないようでいて、そうではなかったようだった。



いい年をした中年男が涙と鼻水でどろどろの顔で妻のPCの前に2時間以上も座り込んでいた。妻が月に一度、子どもたちを僕に任せて美容院に行った日のことだった。

僕は忍耐強く証拠を集めてから、そう決意したはずだった。



だがその日の夕方、妻がカラーリング液の香りプンプンさせながら食材とお惣菜と共に明るく「ただいま」と帰宅したところでキレてしまった。



「浮気相手は会社のやつか?」



「・・・・・」



「答えろよ!」



「なによいきなり・・!」



「俺、おまえに性病うつされたんだよ!医者が言ってたよ、奥さんも治療しないといつまでも治りませんよって。おまえ、身に覚えないなんて今更言わないだろ?」



「病気?私が?そんなことあるわけないでしょう」



ここまでの会話で僕は完全に理性を失ってしまったらしい。

3DKのマンションの12畳のリビングで子どもたちはすぐそばにいた。それまでは2人で楽しんでアニメのDVDを見ていたが、下の子が泣きだし上の娘が手を握ってやっているのが視界の端に入ったが僕は自分を止められなかった。



妻はとっさに身をひるがえし車のキーをつかんで玄関へ走った。



僕は妻に飛び掛かり、彼女の顔を殴った。わざと、顔を殴った。何発殴ったか覚えていないが、顔の他にもみぞおちや腕、足、数えきれないほど殴ったと思う。

妻の鼻から血が流れていた。



「息ができない」

「救急車呼んで」

「人殺し・・・」



妻はそううめいた。

僕はやっと掴んでいた妻の洋服から手を放した。

でも、病院に連れて行く気などさらさらなかったし殴ったことを悔いてもいなかった。



僕は娘たちに「お父さんはお母さんに酷いことをされたんだ」と話した。

「お母さんはこの家を出て行く」

「お父さんと3人で暮らそう」



たった7歳の上の娘は僕を睨みつけ母親のそばに走った。

その夜その後僕は物置兼僕の個室に使っている納戸にしばらく籠った。



妻がたいしたけがをしていないのはわかっていたが、胸がすっとしたと同時にあんな光景を子どもたちに見せてしまって取り返しがつかないでもどうしようもない、そんな堂々巡りの思いで途方にくれると同時に、自分が落ち着いたら今夜更に妻を問い詰めて全て洗いざらい吐かせてやろうと心に決めた。


1時間ほど経ったころ、僕は静まり返ったリビングに戻った。

心は平静だった。

遅くなったが夕食の準備をして子どもたちに食べさせなくてはと思っていた。

普段と変わりなく、子どもたちが寝るまでは休日の夜の続きを過ごすつもりだった。



さっきの出来事は、僕の中ではなかったこととまではいかないが、特にどうということもないことだと消化済にされていた。


リビングの床に直に妻がひとりで座っていた。



「あの子たちは、お義母さんに預かってもらったから」

妻は吐き捨てるようにそう言った。



あれからすぐに僕の母親に電話したらしい。

母は妻の腫れあがった顔を見ると事情を聴くよりも先に孫たちを保護しなくてはと思ったようで、事情をきかずに2人を連れてすぐに帰ったらしい。



2人きりになった。



妻は僕にうつろな目を向けていたが、いつでも身を護れるように玄関に近い場所に向けて少しからだをずらして座りなおした。


僕は再度妻に問うた。

「いつから?誰と?」



妻はしばらく口をあけたまま黙っていたが、ようやく一言.

「趣味のサイトで出会った人」



「つまり、出会い系?」



「違う!そんなところじゃなくて、真面目な人です」



「真面目な人が人妻と不倫?いい加減にしろよ」



「あなたにはわからない。わかるわけない」



「なにが?」



「いまだから言うけど。私は出産を焦っただけ。もう後がなかった。36だったから。子供が欲しくてあんたと結婚しただけ。」



「その後も実の母にも頼れずに気を使って育児と家事と仕事復帰と・・・。どれだけ大変だったかあんたにわかる?」



「男にわかるわけないよね!仕事だけしてればいいあんたなんかに」



「彼はちゃんとした人。奥さんがいるけど・・。遊びなんかじゃなくて私たちは本気。」



「本気だって?病気持ちの男だろ?嘘も大概にしろよ。出会い系での遊びのくせに!」



「ああいうサイトに抵抗のない女には浮気も不倫もまったく抵抗ないんだろうよ。おまえ、そういう女だったよそういえば!」


僕たちは一晩中罵り合った。

妻は鼻にティッシュを詰めたまま、口の端が切れた顔で、右手で携帯を握りしめていた。

その夜明らかになったこと(妻が正直に話したと仮定してのことだが)は、不倫相手は今は家庭もちの40代が一人だけ。趣味のサイトで出会ったと言い張っているが、家は二駅しか離れていない。僕は乗り込む気はないが妻に罪の意識を持ってほしい謝ってほしい悪かったもう二度としないと言ってほしくて根掘り葉掘り矢継早に質問を浴びせた。



妻は意外にもすべてに答えた。



「離婚するつもりだった」

「覚悟はできている」

「彼は私の運命の相手。あんたじゃなかった」



これがすべてらしい。

子どもたちをどうするか、考えあぐねて答えが出ず、僕がまったく気づいていない疑ってもいないようなので普通の生活が続いてしまったんだという。



毎日メールと電話でやりとりし、月に一度程度は妻が僕には黙って有給休暇を取り昼間実際に会っていたらしい。相手は自営業だという。

夕方会社帰りに会うこともあったらしい。



付き合い自体は5年ほど前からで、深い関係になったのは4年前、次女が生まれて育児休暇中、ストレスをためないようにと始めたとあるサイトでの交流がきっかけだったという。



オフ会と称して同じ県内の数名が会い(そういえば、そんな話を聞いたことがあった気がする)、その男と妻はその日のうちに関係を持ったらしい(これは、自分の体験からの憶測だが多分当たっている)。



近くに住み実際に会うことができるし妻の夫である僕はまるきり疑ってもおらず妻にすれば特に必死で隠さずともちゃんと生活と「不倫」を両立できていたということになる。



はるか昔の暁子とのことが苦く蘇る。

あのときと同じ。



僕は信じ切っていた。妻の浮気など疑ってもいなかった。

そんなことができる女だと思ったこともなかった。

出会い方はあんなサイトだったけれど、僕と妻は他の「出会い」とは違うと思い込んでいた。



これからどうなるか、わからない。僕たちには子どもが二人いる。



簡単に離婚などしていいわけがないと思う。

でも、この女と生活を共にするのは無理。今すぐ叩き出したい。

同じ空気を吸うのも汚らわしい。他の男に触れた手で僕の子どもたちに触れるなと怒りがこみ上げる。



僕は「信じる」ことが下手なのだろうか。

人を信じるとは愚かなことか?

「運命の人」それがどうした?



僕には「運命の人」はいないのか?



女に裏切られた、妻に裏切られた。それを他人に言ってどうなる?

笑いものにされるだけだろう。妻とは名ばかり。命が終わるまで生活を共にする信頼できるパートナーだと思い込んできた女の替りはもういないだろう。



信じすぎた僕の「負け」なのか?

信じるのは愚かなことで、間違っているのか?

他にどうすればいいんだ?

誰が答えをしっているんだ?

良くないこととされていても、「彼が運命の人です!」

今の時点ではそう言い切れる相手がいる妻の「勝ち」でしかないのか?



裏切られた僕が「負け」?

裏切ったものが勝つ?



誰かこたえてほしい。

答えがあるなら、知っているならどうか僕に間に合ううちに教えてほしい。


                                       fin

妻の恋人

傷つき取り返しのつかない事態になったのは誰と誰?
振り返り作業は辛くとも避けてはとおれないでしょう。

妻の恋人

正直に生きる中年の「僕」。 「僕」のこころの物語。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-06-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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