さと子

さと子という女の子のことを、知ってください

ある女の子の物語

さと子は昭和30年代、田舎の5人きょうだいの末っ子に生まれた。

当時の同年代の家庭は子どもは2人から3人だったから比較的子だくさん家庭だった。

母親が後妻なので、一番上の異母姉とは16歳離れている。

すぐ上の姉以外は、さと子が物心つく頃にはもう家を出て働いていた。

長姉はさと子が物心つく頃には結婚していたし、二人いた兄は高校卒業後はとなりの県の市役所と町役場の職員にそれぞれ採用されて家を出ていた。



両親は食料品も扱う小さな雑貨店を開いていたが、毎日決まって売れるものといえば卸商が売りに来る塩漬けや干物にした鮮度の落ちる魚か、真夏に子どもたちが買いに来るアイスクリームだけ。

魚を入れておく冷蔵庫、そしてアイスクリーム用に今風にいうとレンタルされていた冷凍庫に入ったものだけが、仕入れれば確実に売れる商品だった。



仕入れ値と売値にそう開きはない。

父親は、売れないとはいっても早朝暗いうちから市場に仕入にでかけ、母親は一時間に2人くればよいお客を待って朝7時には店を開け、掃除をしたりただレジの前に立って店番をしていた。

レジはそれ自体が高価だったし、多くはないけれど現金が入れてあるのでやはり目を離すことはできないらしかった。



さと子は健康な子どもだったが、両手の小指の第二関節がなかった。

特に不自由は感じなかったが、小さな手で小指がとても短かった。

学校の音楽の時間はリコーダーの穴に指が届かず苦労したし、オルガンやアコーディオンも上手に弾けなかったが、不得意なものはほかにもたくさんあったので特にとりたてて強調するほどのハンデではないと思っていた。



さと子は一度だけ店のものを両親に黙って持ち出し、友達に振る舞った。



小学1年の夏。



外見がかわいい子でもなく、勉強も運動も苦手、鉄棒の逆上がりも出来ずバカにされいじめられる側だったので、単にモノで友だちを集めたいと思い立ったのだ。

「すごーい、ありがとう!」と言われたかっただけだし、持ち出したのはひとつ30円のアイスクリームだった。

自分と二人の友達の分として3個。



ばれないと思っていたけど、母は毎日ちゃんと帳簿をつけていたし、在庫を数えていたらしい。

さえない自分が、友だちの前でちょっとだけいい顔をしたかっただけだったのに、黙って商品を盗んだと、理由もきいてもらえずに

「うちは貧乏だが泥棒するような子に育てた覚えはない」

「泥棒!」

と言われ父にげんこつで殴られ、物置小屋に閉じ込められた。



ひとつ上の姉が、夜半に母のつくったおにぎりをふたつ持ってきてくれたが、出してはもらえなかった。

「お父さんが泣いてる」

二年生の姉はそう言って、親の言いつけどおり、おにぎりを渡してくれただけですぐに物置から出て行った。

寝具もトイレもない物置できっちり4時間、いつのまにか入ってきていた半野良の茶トラ猫の「みーこ」をつかまえて土間に体育座りのままうとうとしていると、母が「お風呂に入りなさい」と言いに来てそのまま家に入れてくれた。

そのあとの記憶は数日間途切れていて、大人になってからも思い出せなかった。



数年間、「盗んだつもりはない、理由くらいきいてほしかった」と思い続けた。

さと子には小学校を卒業するまで、友達らしい親しい友達がいなかった。


何をやらせても平均よりはるかに劣る取り柄のない子だったから周りに取り巻きのように集まってくる子がいなかったということもあるが、一番の原因は「あの子は勉強もできず協調性もない」と職員室で囁かれているのを早い段階で耳にしてしまったからだった。


学校の先生達に嫌われている、そう思うとショックで息が止まりそうだった。
ともだちはいないけど、仲良しはいないけど、先生というものは生徒を平等に扱ってくれる、見守ってえこひいきなんかせず道徳の時間に綺麗事を並べているように味方してくれるものだと、我知らず思い込んでいたらしい。



それに、さと子は担任の女の先生が大好きだった。本心から大好きだったし先生もさと子のことを好きに違いないと信じ切っていた。

先生はしょせん先生としての関わりしかしてくれていないし突き放して見ているかもしれないなんて思いつきもしなかった。人付き合いで関わり方の種類がいくつもあって、皆使い分けをしているだなんて知らなかったのだ。

後になって、「なんて純粋でバカな子だったんだろう!」と自分で呆れたほどである。



さと子は先生たちの自分への評価を知ってしまってから、同級生の子たちとは扱いが違うんだ、自分は問題のある子でダメな子なんだ思うと、ほかの子と親しくなりたくなくなってしまった。



一段も二段も下に思われているような気がして、いつも先生たちから「友だち付き合いや協調性が育っているかどうか」を観察されるような気がして、わざと独りぼっちを選ぶようになっていった。

観察対象などになると想像するのは、小学校低学年の子どもとはいえとても心が傷つくことで耐えられなかった。さと子には、一人の方がはるかにましだと思えた。

表向き他の子達がいる教室や校庭では目につくような区別はしないけど、先生同士のあいだでは「さと子は問題のある子」だと認識されているとはたと気付いたときの悲しみは言い表せない。

物語で読むように、ほんとうに左胸の端がちくちくと痛んで、前かがみになって家までの道のりを無我夢中で歩いた。



家では年子の姉が友達がわりのようなものとはいえ、他の兄姉は年が離れていて一緒に暮らしてさえいないし両親は儲からない自営業で忙しくどこかさと子には距離を置いているきがしていた。

そしてアイスクリームを盗んだ一件で距離があっという間に広がってしまったようで、自分の親なのに甘えることもそれまで以上にしなくなったしその日学校であったことを話すこともなくなった。

家でも無口でぼんやりしている子、そのうち親とも口をきかない偏屈で行く先が心配な子だとささやかれるようになっていった。


おそらく自分でも気づかないうちに、先生たちは平等だとか差別はいけないとか普段言っているのでなんとなく自分の味方をしてくれるに違いないと拠り所にしてきたんだと、職員室での会話を聞いてしまってから思い知ったがそのショックを打ち明けることができるような相手はさと子の周りにはいなかったしその小さな胸の痛みに気づいてくれてわざわざ声をかけてくれるような人も、いなかった。

さと子はそもそも内向的な性格だった。

子どもらしいはじけるような笑顔を見せたのはせいぜい3歳くらいまで。

カメラを向けられると急いで出かかった笑顔を引っ込めるような子だった。


「笑いなさい」

「笑う門には福来る」

「笑えば愛嬌がある。少しはかわいくみえるのに」



どれだけ母親に言われたかしれない。

母親はさと子を心配してのことだったが

さと子は「笑え」と言われれば言われるほど笑顔から遠ざかっていった。

理由は、学校の先生たちの件と同じである。



「おっ。めずらしく笑ってるね。」

「その笑顔でいればかわいいのに」

そんな言葉をきくはめになった日には



「普段の笑顔じゃない自分はすごくすごく醜いんだ」

そんな風にしか受け取れない子だった。

「笑顔」という演技をプラスしなければさと子は普通の子より劣る、笑顔がつくれないさと子はやはり、他の子たちよりダメな、普通に順調に育ってはいない子なんだ・・。



さと子には自分の写真がほとんどない。

幼い頃のものは親が撮ったスナップ写真がそれなりにあるけれど、物心ついて後、「みんなで写真撮るよ~!」と呼ばれても絶対に後ろに隠れるように逃げた。



明るい笑顔は前向きで良いこと。

暗い無表情のさと子はそれが出来ないダメな子。



意識すればするほど、笑顔はどうやったらできるのか分からなくなり、できないものだから周囲の人が善意で「笑って」と言ってくれていたとしても笑うことができない、笑うってどういうことかわからない自分をなおさら嫌いになった。



たまに、知らずに笑顔が出ているときがあるらしかった。



学校で飼っていて皆で世話をすることになっているウサギ。

一人だけ毎日の掃除や日曜の餌やり、フンの片付けを自分から買って出てやった。

先生たちに不信がられるほど、ウサギ小屋に入り浸って過ごすことが多くなった。

日曜は学校の同級生などの視線を気にせず何時間もウサギ小屋の中でしゃがんですごしたこともあった。



ウサギは、自分の家の半野良猫のみーこのようにフレンドリーではなく鼻を鳴らして怒ったりする子もいた。それにふわふわではなく触れると背中は意外と骨に手が触って固かったけれど、温かく生きている命あるものだった。



このような現実逃避の行動によって、さと子が「おかしな子」だとはっきり認識されることとなり、普段の教室ではもう居場所がない状態だったが、保健室登校などもまだない時代で、毎朝重い足を引きずって登校し、なんとか教室の机に座り一日をやり過ごした。



放課後に世話を口実にウサギ小屋に行き、家に帰ったら家のことを手伝いなさいと言われる前にみーこの居場所を探し、さと子になら抱っこもさせてくれるこの大切な猫とのスキンシップなしには毎日を過ごすことができなくなっていた。



そのような日々の繰り返しで家でも学校でも口数が極端に少ないニコリともしないさと子は、高学年になる頃には寝る前に「明日の朝、どうか目が覚めませんように」そう真剣に祈って布団にもぐり声を殺して泣いた。

生まれてきたことを呪った。

生まれてきたくなかったのに生まれたんだと感じていた。無理やり生まれたからきっとこうなんだと。

望んでないのに生まれさせられたに違いない。



友だちも話し相手も人間なら要らない、でも、それではこの先きっと生きていかれない。

自分はまだ小学生。今友達がいなくて大人にすら嫌われて、中学に上がったらどうなるのか・・。



自分の学区からそのままほとんどメンバー変わらず中学に学年だけ上がるようなところだったので

心機一転、誰も知らないところで別人を演じてみせるわけにもいかない。

学校にもどこにも行きたくないし将来なりたいものが何か、じゃなくて、こんなことではなれるものがないではないかと心が押しつぶされそうな毎日だった。



さと子の母親のその頃の口癖は相変わらずこうだった。

「さと子、口がへの字になってる。笑いなさい。」



さと子を思ってのことだとは、当時のさと子にだってよくわかってはいた。

でも、しつこく何度も何度も無理なことをやれと、言わないでほしくて母親に「なぜ産んだんだ。お母さんが私を産んだせいで何もいいことがないのに生きる羽目になったじゃないか」

とくってかかったことも一度や二度ではなかった。



さと子は中学生になると部活にも入らずそのまま授業が終わるとまっすぐ帰宅し、小学生の頃からのめり込んでいた読書に更に没頭するようになっていった。外国文学を読み漁った。現実の辛さから遠く離れた世界に逃避することが、当時のさと子が家の中でできる唯一の楽しみだった。

たまに同級生が「遊ぼう」と放課後訪ねてきても、「本を読みたいから」と平然と断り、母親に平手打ちされたこともあった。

「せっかくの気遣い、誘いを断るような非常識な子でどうしようもない」

親から見たさと子は、「思いやりのない自己中心的な子」でしかなかった。

さと子は中学生になっても相変わらず教室にいるのが苦痛で授業など頭に入らない毎日を過ごした。
表面上は、クラスメイトの「美人さん」のマリ子と一緒に過ごしていたが、マリ子が特別優しい子だったというだけで、ほかの女子は誰一人、さと子の友だちのフリすらしてくれなかった。

マリ子だって、きっと嫌だろうなとさと子は思っていたが、マリ子がいてくれたから痛々しいながらも学校での体裁は無理やり取り繕えていたようなものだった。

ほんとうに誰もいなかったとしたら、きっと登校することはできなかっただろう。


月に一度はどうしても朝起きられず、「ずる休みするなんて恥ずかしい。熱なんかないくせに。みんな嫌でもなんでも行ってるのにこの子はどうしてこうなの」と嘆く母親を押しきって学校を休んで寝たきりで過ごした。

休むのは悪いことだと強く感じていたし、休んだ次の日は先生やクラスメイトの目が痛かった。
「さと子は精神的に弱い子だからダメだ。」そんな声が聞こえてくる。
「再婚家庭の末っ子で親が甘やかしているんだろう」
いろいろと言われていたし、親が内気で気難しくほんの少しのことで傷つくのが目に見えるようなさと子に対して腫れ物に触れるように接してきた事実も確かにあるのがわかっていた。

家でのさと子はすぐにキレるわがままな子で面倒な子、説教にも聞く耳もたず友達付き合いもできず親の親身な進言にも暴言で返すどうしようもない子だと思われていた。

自意識過剰な子。

誰もあんたのことなんか、自分が思うほど気にしちゃいない。

誰もさと子のことなんか目にもとめていないよと、今はもう姉妹だと知られるのも嫌だという態度を見せる姉が聞えよがしにつぶやく。


そのひとつ上の姉が部活や学校のイベントを楽しみ先生達ともきちんと無理せずコミュニケーションをとれているのでなおさら、家庭内ではさと子がおかしいのはさと子本人の持って生まれた性格のせいで、他の家族には問題がなくあくまでさと子の資質の問題だとされ孤立が深まっていった。


高校進学を目前に控えた寒い日、新生活への楽しみもなく庭先を無駄にうろうろしながら年寄猫のみーこと遊んでいる時、急に彼女の考えることに相槌を打ってくれる女性の声に気が付いた。

片言の日本語で話す若い女性の声。まるでその言葉に人の心のすべてを表現できる特殊な能力を持っているようだった。

さと子は、自分はとうとう幻聴を聴き始めたんだとわかってはいたが、それよりも親しみを込めて「大丈夫」と言ってくれる存在に有頂天になった。



それまでの人生で、初めてできた「ともだち」に、何年も溜め込んでいたいろんなことを話し、きいてもらった。

家族に気づかれない浴室や、夜寝る前の短い時間以外にはなかなかまとまった時間はとれなかったけれど、声に出して話しかけなくても彼女とは頭の中で会話ができた。

寝室はそれまで姉と同じ部屋を使っていたが、一年先に少し離れた高校に進学していた姉が、通学に便利な場所に住んでいる母方の叔母の家に間借りして週末にしか帰宅しなくなっていて、「ともだち」と交流を深めるには好都合だった。



さと子はその「友だち」の前ではまるで別人のように饒舌で明るくなり、一晩中といわず、閉じこもっていられるなら一日中でも話し続けていたかった。

学校になんか行く気がしなくなり、入学した公立高校に入学早々から休みがちになっていった。



マリ子も同じ高校に入学し、相変わらずさと子のそばに居てくれていたが、空想の中の友達に夢中になったさと子には、気を使わねばならないマリ子はあっという間にうっとうしい存在になっていった。



マリ子は黙って離れて行った。内心ではさと子を心配していたが、マリ子の両親は、中学時代からずっとさと子とは適度な距離を置いてほしいと願いそれとなくマリ子に注意していたので、「最近さと子がよけいおかしくなってきた。前よりも不自然に明るくなった。ほかの友達が出来た様子もないのに、休み時間も、私とおしゃべりしながら下校する時間も惜しんで歩きながらずっと同じ本を読んでるフリをしている」

このような状況をきかされ、マリ子の母親は「それとなく離れていきなさい。もうさと子ちゃんにはマリ子はきっと幼すぎて釣り合わないんでしょう」とあいまいに言葉を濁したが、ずっとさと子がどんな子か見てきただけに、あの子は思春期を通り過ぎて精神の崩壊が始まっているのではないか、わが子であるマリ子が巻き込まれるのではないかと気をもんでいて、娘がさと子から離れるきっかけができたと安堵した。

第一発見者は兄だった。
台所からトイレに行く短い廊下で、さと子はうつ伏せに倒れていた。

生きているぬくもりはなにもなかった。
顔は比較的きれいなものだったが、独りで最後に苦しんだ様子が残っていた。


黒いダイヤル式の電話機に飛びつき、119と回そうとするがどうしてもうまくいかない。

ダイヤルが回りきる前に指が震えてとまってしまう。

兄は絶叫していたらしく、すぐ隣の官舎に住む上司夫妻が「何があった」と飛び込んできた。



上司は電話機を掴んで離さない兄から取り上げ、なんとか救急車をお願いしますと言うことができた。

「もう亡くなっているようです、警察にも連絡をお願いします。」と付け加えた。



上司は数日前に、さと子の兄から歳の離れた妹をしばらく置いてやることになった、身体が弱いんだが実家のある田舎には病院がないので、しばらくよろしくお願いしますと報告を受けていた。



あっという間に自殺だなんて。

殺人などの事件だとは、誰も思わないような室内の状況だった。

救急車はすぐに来たはずだったが、果てしなく長い時間のようだった。


今朝、病院にひとりで行くのが嫌だせめて受付までついてきてほしいと蚊の泣くような声で訴えられたが、忙しくて仕事を休めないし精神病院になど縁をつくりたくなかったので返事もしてやらなかったような気がするがもう思い出せない。



両親はほんの一週間前にさと子と三人で来た片道5時間の道のりを駆けつけたが、遺体が安置された病院についたときにはその場にいる3人の誰の目にも涙はなかった。


こうなっても仕方がなかったんだとお父さんと話しながら来たんだよと、母親は呆然とする息子に言った。



さと子は深く考えて死んだわけではない、また生まれてくるあの子はきっと。
母親は自分に言い聞かせるように呟いた。


16年しか生きなかったさと子は、転生を急ぐことになった。

肉体が死んでから35年後、次も貧しい家庭に生まれ、なぜ生まれてきたのかと自分に問うこともまだない。

さと子の変貌は実の親こそ見て見ぬふりをしていたが、姉が部屋を借りている叔母がさと子の通う高校ではさと子が異常だと噂になっているらしいと母親に教えにきたことをきっかけに、さと子は精神科に連れて行かれることになった。


精神科は、隣の県までいかなければなかった。
両親は自分たちの世間体というよりさと子本人の将来が潰されてしまうと考えはじめは渋っていたが、学校にいかず部屋に閉じ籠り食事すらただ「エサ」を食べるかのように丸飲みして早く自室に戻るさと子、年相応にふっくらしていたのにみるみる痩せてきたさと子に、病的なものを感じないわけにはいかなかった。


初診の日、両親は最初だけ同席したがすぐに医師に席を外すように言われた。

さと子は精神科に連れてこられたことに抵抗はしていなかった。
もはや、同い年の子達との差、社会性とか生きてゆくための精神的な成熟の違いはどう考えても明らかで、自分は高校を卒業できないだろうし就職なんか到底無理で、大学に進学したところで人間関係を築けない今さら間に合わないもう死ぬしかないと感じていた。

頭の中の友達は優しかったが、さと子に甘かった。

たとえ傷ついたとしても、自分のためには引きこもらず外に出なさいとは言わなかった。
そしてそれは自分の願望が作り出した偽物の友達だからだと、さと子にはちゃんとわかっていた。

ただ話を聞いてくれる幸せな時間と友達以上の彼女との今の関係だけを抱えていたかったが、それでは社会で生きてはいけないと感じていた。


2日間連続で診察を受けたさと子は、いわゆる精神病ではないだろうという見立てだったらしい。


週に一度通院して医師による1回一時間のカウンセリングを受けることになり、高校は一旦休学し病院にいちばん近い場所に住む2番目の兄の家にしばらく住むことになった。
両親と暮らす家に比べれば大切なみーこが居ないし狭くて兄に気を使う暮らしだったが、日中は一人きりで過ごすことができる環境だった。

兄はさと子に対して優しくも同情的でもなく迷惑そうだったが、たまには話かけてくれ、「できれば進学しろ」といってくれた。
自分は高卒で就職せざるをえなかったけどたとえ無名の大学でも興味のない分野でも、とにかく四年制大学を出ておかないとダメだ、女のさと子だって例外ではない自分は高卒だと馬鹿にされて悔しいがそれが世間というものだし今更、30才になろうかという自分が夜間の大学を受験する準備をしているんだと言っていた。


そして、痩せ細ったさと子に、さと子が4才くらいの頃にオムライスに歓声をあげていたことをふと思い出し、器用にすばやく狭い台所で作ってくれた。



「さと子は白いご飯より味付きのごはんが好きだった」

抑揚のない声でさと子はありがとうのつもりらしい返事を呟いていた。

兄は聞こえないふりをした。

さと子

さと子を知ってくださってありがとうございました
さと子という子が生きたことを知っていただきたくて、この短編を書きました

さと子

「さと子」は実在した女の子ですが同時に架空の女の子でもあります。 どこにでも存在し、またいつの時代にも存在する人物の象徴でもあります。 ぜひ、さと子を知ってください。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-06-02

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