私とカラダ

2005年9月作成
2013年6月改訂

 暇つぶしにインターネットをしていると、焼酎を一リットルほど浣腸すると楽に死ねる、と書かれたページを見付けた。首吊りでも糞尿を撒き散らす汚らしいものだというのに、それはないだろう、と思い、軽く噴き出してしまった。他のサイトも見てみたが、塩化カリウムなど特別な薬品を注射するとか、ちょっと自分には出来そうもないものばかりである。首吊りは自殺のうち、最も苦しい死に方だと言うし、カミソリは以前試した時に無理だと分かった。電車に飛び込むのは、家族に物凄い額の請求が来ると言われているし、飛び下りも、地面に着くまでに意識が飛ぶから痛みはないというが、自分はどうも、恐怖で意識を失う、などという事が信じられないので、躊躇してしまう。だからと言って、今流行の練炭自殺をする位なら、生きている方がマシである。
 集団自殺は嫌いである。それをニュースで取り上げ、真面目くさって『現代社会の病理』などと騒いでいる人間を見ると、不愉快な気持ちになる。死ぬ間際まで沢山の他人と一緒にいられるような人間は、私の神経に障るのである。しかも、そういう自殺は必ず模倣犯が現れる。そうやって、流行で死ねるような人も、やはり私を苛立たせるのである。
 パソコンの電源を落として、シャワーを浴びに向かう。シャンプーをよく泡立て、頭を洗っていると、俯いた自分の視線の先に、点々とした、豆粒のようなできものがあるのに気付いた。私の臍の周りには、幾つかの水疱瘡の痕があるのである。これは、幼稚園の頃に出来たもので、それが出来て以降、プールの時間が嫌になり、いつも腹の前で両手を組んでいたのを覚えている。顎を引いて、視線を少し上にずらすと、黒ずんだ乳首が見える。右の乳首は、すぐ隣に吹き出物の痕があり、まるで乳首が二つあるようにも見える。肩を見ると、薄紫色の無数のかさぶたの痕が残っている。
 このアトピー性皮膚炎は、小学校から高校の終わりに至るまで、ずっと、自分を困らせた。特に、中学生の時が酷かった。春から夏にかけてはそれ程症状は出なかったが、秋から冬にかけては、皮膚と服が、乾燥した黄色い膿で密着してしまい、歩くだけで擦れて痛みが走ったし、服を脱ぐ度に、ばりばりという嫌な音と共に、痛みと、少し血の赤色の混ざった膿が流れ出すのである。右の乳首は、酷かった時に一度落ちかけたほどだった。
 膿に一番酷く悩まされたのは、首周りであった。私はいつも、風呂に入った時に皮膚から膿を掻き出し、その上に薬をつけた。そして、翌朝に鏡で症状を確認するのが日課であった。殆ど前日と変わりない症状に、それでも何か違いを見つけ出しては一喜一憂していたのである。
 シャワーを止め、鏡の前で歯を磨く。今はすっかり元通りになったが、中学校の時には、アトピーの影響か、左の眉毛が抜け落ち、変わりに、小さなふじつぼのような吹き出物が幾つか、眉毛のあった場所に出来ていた。体ほどではないにせよ、アトピーは、顔にも侵食して来ていたのである。そのせいか、随分学校では虐められた。表面上は、「私が、皆に馴染まないのが気に入らない」と言う事になっていた。私自身は、眉毛の事や、首にじゅくじゅくと疼いていたアトピーの事が、その虐めの原因だと信じていたが、表立ってそれを言う者はいなかった。そのくせクラスの連中は、私が、それを隠すようにと親に買ってもらったマフラーをして行っても、すぐに剥ぎ取ってしまうのであった。露になった私の肌を見ると、男子は囃し立て、女子は気持ち悪がった。マフラーはいつも、ゴミ箱に捨てられた。その頃流行っていた〈バイオハザード〉というテレビゲームの影響か、クリーチャー、と呼ばれたりもした。一度、衆人環視の中、クラスの女子から『告白』というものを受けたが、その女の怒りと屈辱に満ちた顔を見ると、それが、女子の中で行われた何かの罰ゲームである事が分かった。泣き声にさえ近い、怒声と共に吐き捨てられた『告白』を受けた私が、その返事に困り、どもっている様子が可笑しかったらしく、周りの見物人の数人が私の真似をし、笑いが起こった。そういう日も私は、黙々と薬をつけ、膿を掻き出していた。
 ふと、歯ブラシを持っている右手に目が止まる。手の甲に、黒子のような黒い点があるのである。これは、生来の黒子ではない。中学の時についたものである。私を虐めていたグループの男に、鉛筆を突き立てられ、その色が皮膚の下に沈着してしまったのである。その男は、その日は自分に何度も謝ったが、次の日からは元通りの対応に戻ってしまった。私はその日のその男を、とても滑稽に感じた事を覚えている。
 しかし私は、これらの事を人に話さない。人は、分かるよ、などと、同情を示したり、時には涙を浮かべたりさえするのであるが、それは見せ掛けに過ぎないと私は思っている。人は私を腫れ物を扱うように避けるか、それとも、さも自分が聖人にでもなったかのような、クソ丁寧な態度で接してくるかのどちらかで、決して対等に扱ってはくれなくなるのである。そして、私の性格の欠点を見付ける度に、そんな態度だから虐められたんじゃないの、などと感じている様子さえ見せるのである。
 歯ブラシをカミソリに持ち替え、髭を剃る。今日のように色々思い出す時は、いっそ手首をばっさりとやってしまいたく思う。だが、それは少し前に試して、全く駄目だったのである。ほんの少しの傷を付けただけで汗だくになり、よろめくようにバスルームから転がり出たら、点けっぱなしのテレビから〈アルプスの少女ハイジ〉のCMが流れていて、思わず涙を流してしまった、その時の事を思い出すと、なるべく、何も考えないように、カミソリを肌に這わせていく。途中、何度か、先程使っていた歯ブラシをそうしていたように、カミソリを口の中に突っ込んでやりたい衝動に駆られたが、それらの衝動を何とか無視して作業を続けた。
 そうした衝動を無視する時、私は、決まって良く分からない敗北感に囚われる。誰かが背後で笑っている気さえする。中学校の時のクラスメイトの連中、自殺サイトの集団自殺志願者の連中、それとも自分自身のものなのか、とにかく私に対する失笑を感じるのである。
 無事にカミソリを使い終わり、そこにこびりついた、髭混じりのシェービングクリームを洗い落とし、刃に残る水気をタオルで拭っていると、カミソリを持つ右手に、その刃が肉に食い込む感触が伝わって来た。気付くと、左手の親指の背にカミソリが五ミリほど食い込んでいたのである。初め、痛みはなく、血も流れ出さなかったが、刃を抜くと、それを待っていたように血が勢いよく噴出し、続いて鈍い痛みが襲ってきた。
 初めは、大した事はない、と思い、血の滴る左手を水洗いなどしていたが、一向に血の止まる気配はない。おかしいな、と思った時には、もう立っている事が出来なくなって、洗面台の前に座り込んでしまった。頭が、ぼうっとして来る。私は、力を振り絞って洗面台に手を掛け、上体を起こして、顔を鏡に映してみた。こういう時の自分の顔を見てみたく思ったのである。顔は、いつもとそれほど変わりないようだったが、心なしか唇の色が白っぽく見えた。その表情に満足を感じると、裸のまま洗面所の床に転がった。
 どれだけ時間が経っただろうか、暫くそのままの姿勢でいるうちに、私は自身の体の異変に気付いた。死への誘い、などではなかった。腹が少し痛み、肛門に違和感を覚えた。便意である。しかし、体には一向に力が入らない。私は裸のまま、匍匐前進のような格好で、バスルームを抜け出し、隣のトイレへと入り込んだ。そして便器に腕を掛けると、やっとの事で便座に座り、用を足した。
 そのまま便器に暫く座っていると、出血は治まった。傷跡は、赤黒く変色していた。そして、それと同時に体に力が戻って来た。そこで、先程、裸の匍匐前身をした所を、今度は二本足で歩いてバスルームへと戻った。バスルームとトイレの間は、ナメクジが這った跡のように湿っており、その所々に、血の跡が点々と残されていた。私は、水疱瘡、アトピーの痕、鉛筆の痕に目をやり、そしてもう一度、左手の赤黒い傷を眺めてみた。

私とカラダ

私とカラダ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-01

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