さらば、愛と青春の・・・!

 一体どれくらい歩き続けただろうか、こんな暗いなか。足元はおぼつかなく、どこに行こうとしてるかもわからない。もう何日間も歩いた気がする。
もう十分俺、がんばったよね。これ以上やって何になるのか、何の意味があるのか、結局・・・。
 本当にもうおしまいの時間だと思った。これでもう区切ろう。考えに考え抜いても、只々真っ暗だった。ついに俺は後ろを振り返ることにした。
振り向いてみると自分の足跡があった。スタートから決してまっすぐここまで来た跡ではないことははっきりとわかる、ぐちゃぐちゃの跡。あっちへいったり、こっちへいったり。どんだけ迷ってんねん。
 すぐそばには、・・・・・・スタート地点があった。あきれたけど結構すっきりしたかな、肩の力が抜けた。全然進んでないじゃん! ここから10mくらいかな・・・。
 スタート地点にはよく見慣れた男が立っていて、こっちをじっと見つめていた。  

 そんな顔で見るなって。
 

 高校受験に失敗して、受験日までどこにあるのかさえわからなかった、私立の高校に行くことになった。もっと勉強しときゃよかったなーなんて誰もが思う事かもしれないけど、しょうがないよね。母ちゃんには悪いけど、高校くらい行かせてくれよ。と思いつつ、俺は新しい制服と鞄を眺めながら、これから来る春に期待で胸を躍らせていた。そして何も考えていなかった。
 
 4月。知らない同い年の顔だらけで、クラスでは軽く挙動不審だった。昔から人見知りなところもあったし、田舎の中学出身だったから初対面の人と会話をするのは苦手だな。眉毛ほぼないやついるし。
 だけど前の席に座る、セキネという男がよく話しかけてくれた。サッカー部に所属していて、瞬く間にクラスのムードメーカーになった。俺もあっという間に打ち解けていけた。俺みたいなやつもいればこういうやつもいるか。だけどこいつはうるさすぎる。そいつは友達になった。
 
 成績はいたって普通で、クラスの平均よりも少し上なくらいだった。いわゆる赤点も取ったこともあったけど、ある日先生に呼び出され、来年から進学クラスの編入に志望しないかと誘われた。進学クラスとは大学受験向けに用意された勉強クラスだ。学年で学力がそこそこマシな奴が集まるそうだけど、今回クラスで俺ともう2,3人選ばれたそうだ。 難なくある程度の成績も確保できていたし、特別扱いがうれしかった俺は喫茶店に入るくらいの軽い気持ちで編入志望届を提出した。高校2年の4月、選抜理系クラスに俺は編入となった。
 
 また初めて見る顔ばかりだったけど、同じ部活のヤスダもいたから話相手には困らなかった。ヤスダは頭もよく、部活では活躍試合で活躍している優等生だった。悩んでいたりすると相談に乗ってくれたりもする、よくできたやつ。
 初めての中間試験がやってきた。今までのつもりで特に勉強もしなかった俺は愕然とした。・・・むずくね?
 まったく手ごたえのなかったテストの結果は、なんと40人中37番目の成績ですけどどうします?と話しかけてきた。俺はかなりの衝撃を受けた。今までそんな勉強しなくてもなんとかなってきたが、初めてこのままじゃやばいと思った。また周りをよく見ると、大学受験向けの参考書をひらいて勉強してるやつがちらほらいた。目立たぬように冷たい汗をぬぐった。ヤスダは中盤くらいの成績だった。
 しかし、俺は勉強しなかった。部活に、隠れてやっていたバイトに、インターネットゲームで忙しかった。のらりくらりと成績下位グループに滞在していた。夏が訪れようとしていた。
 
 ある日ヤスダが学校を休んだ。体調不良だと言っていたが、あいつは中学皆勤だったと自慢してた気がするけど。そんなこともあるかと思って気にも留めなかったが、あいつは次の日も休んだ。風邪が治らないのかな
と心配していた日が1週間続いた。
 ヤスダが学校に来た。話しかけようとする前にヤスダの顔が真っ青なことに気付いた。
 「ヤスダ、どうしたの?」
 「俺もうダメだ。」
 ヤスダは以前から腰を痛めていて、部活も休み休みだった。それが最近になって悪化し、走ったりジャンプしたり、重いものを持つことさえ医者から禁止されたそうだ。そんな状態だと日常生活でさえ、障害者のような生活になることは容易に想像できる。それから鬱になり、学校に来ることさえ拒んでいたそうだ。
 「俺学校やめる。」
 「は!?」
 あまりにも驚いて周りのやつらも面喰らっていた。いきなりそんなこと言われても信じられなかったが、冗談を言っている表情ではなかった。部活でも俺が簡単にあきらめようとするとヤスダは、まじめな顔してあきらめんなよ!と怒った。そんなやつがこんなことを言い出すなんて、むしろそのギャップに俺は納得してしまった。後日ヤスダのことについて相談があると、先生に呼ばれた。同じ部活で仲もよかったからだ。
 「ヤスダについて、やっぱり辞めさせるべきじゃないと思うんだが・・・。本人は辞めたいと言っているんだよ」
 「いや、あいつのことを決めるのはあいつ自身なので。」 
 「そうだな!お前の言う通りだな!!」
 (え、あ、ちょ・・・、あきらめんなよ・・・。)
 格好つけて言ったつもりが先生の決断を速まらせただけだった。夏休みが明けたころには、名簿からヤスダの名前がなくなっていた。

 高校3年、春。クラスの皆は受験モード一色だった。本当は前からそうだったかもしれないけど、とにかく大学受験という言葉が現実味を帯びてきた。俺の成績は一向に上がらなかった。勉強してねーし当然か。この時期になると進路希望届を提出するのだが、専門学校を希望したり、就職を希望したり、皆さまざまだった。俺も進路について考えなきゃなー、なんてゲームしながら思った。専門行くにしてもやりたいことはないし、就職してもこんな18のクソガキが社会に出て働くなんて通用するわけない。俺は大学に行って、そこでやりたいことを見つけようと決意した。次の日母ちゃんに土下座した。そこから部活もうまくいってなかったし辞めて、バイトも店長がムカついてたからバックれた。予備校に通いだし、通信教育も始めた。本格的な大学受験勉強が始まった。
 
 いちばんつらかったのは母ちゃんかなー。そのころの俺の精神状況はちょうど反抗期というか、思春期というか、ストレスがたまりやすいというかなんというか・・・。成績は上がらねーし、クラスのやつらのちょっとしたからかいにもすげーイライラしていた。
 母ちゃんにあたっていた。小遣いをせがんでは、勉強もせずに遊びや買い物に使い、ムカついたことがあれば暴言を浴びせ、何もかも悪いのは自分以外のせいだと決めつけていた。死ね、クソババアとまで言っていた気がする。結構泣いている母ちゃんの後ろ姿見てたなー。
 俺は一人で生きていけると思ってた。アニキはもう一人暮らしだし、オヤジとは何もしゃべらねーし、母ちゃんからは金さえもらえばいいし。はっきり言って俺以外の人間は、家族でさえ見下していたんだ。まともな精神状況ではなかったと思う。
 
 ある日、俺は先生にプリントを受け取るために友達と放課後、職員室へと向かった。職員室の前で待ってると英語のシミズ先生が出てきた。先生は俺の顔を見るやいなや、お前顔色悪いけど大丈夫か?と、心配してくださった。友達はシミズ先生に、こいつ成績伸び悩んでんすよねー!それで落ち込んでるんすよ!と冗談まじりに言った途端先生が、
 「お前は絶対大丈夫だ!俺が保証する!休み時間も、昼休みも、朝だって早く学校に来て勉強してるのを俺は知っている!!もうちょっとだから頑張れ!!」
 それを聞いた瞬間俺は大粒の涙が自然と溢れていた。廊下で、友達と先生の前で子どものように泣いた。通りかかる他の生徒も不思議そうに見ていた。俺はシミズ先生の授業をそんなに受けてもいないし、ましてや担任でもない・・・。なんで俺を・・・。その日は家に帰っても泣いていた。少し気が楽になった。
 
 そんなこんなで、1月までダラダラと時間が過ぎていた。俺の前に座るコマツは、プリントを俺に渡すフリをしては、あ、落ちた。滑った、ゴメン。と、余裕の表情で俺に絡んできた。こいつ・・・、さっさと死ね。コマツは確かに頭は良いし、大学も上位のところを狙っている。だけど下ばっかり向いててもいいのかい?
 相変わらず俺は家族にあたりちらし、暇さえあれば真っ暗な部屋で毛布をかぶりゲームをし、鞄には参考書を詰め込め、受験生を演じるために一生懸命勉強しているフリをしていた。史上最低のクズ野郎と言っても差し支えない。
 ただ英語の教科は好きだった。英語の文章を書く人はそれぞれ考えを持っていて、それを読み解くのがすげー楽しかった。あ、こんな考えもあるんだなー、へー、おもしろい。で次の人の考えは?てな感じで。そして、あっという間にセンター試験当日。
 高校受験の時もそうだったが、こういう大事な日になると決まって熱を出すタイプの人間なようで、この日の体温は38度でございました。俺は体のいろんな箇所が小刻みに震えていたが、何とかペンを走らせた。1日目、2日目と気合でテストに取り組んでいた。
 センター試験が終わったら次は一般入試だ。だけど試験当日、センターで力尽きていた俺はまったく問題が解けなかった。 

 すべての日程が終了し、完全に力尽きた。家で飯を食べていたら涙が出てきた。母ちゃんも一緒に泣いてくれた。やれるだけのことはやった。後悔はない。俺は泣きながら母ちゃんに
 「バイクの免許取らせてください。」
とだけ言った。
 
 正直留年を覚悟していたが、テストが終わったことにひとまず安堵していた。また、合格していようが落ちていようがどうでもよくて、先のことなんか考えられないくらいすがすがしい気分で、真っ白な気持ちだった。
 休日にいつものように家でゆっくりしていると、母ちゃんが郵便受けからA4サイズの封筒を持ってきた。どうやら受験した大学からのようだ。
 「合格通知かな?」
 (んなワケねーだろ、カス。) 
 本当に何の期待もなく、ただのパンフレットかなー、くらいの気持ちで中身を取り出して見てみると、
 「合格通知」
 と書いてあった。
 マジかよ・・・。と、俺は半信半疑であったが本物だった。 
「バンザーイ!バンザーイ!」
と、子どものように母ちゃんは喜んでいた。
 
 その日はオヤジの誕生日だった。
 この春から大学へ通うこととなった。

 3月に入り、卒業シーズンが到来した。世間では科目単位未履修という前代未聞の出来事があったが、うちの高校には関係なかった。他の高校では海外旅行で単位取得としていたそうだが、そんなんありかよ。
 高校生活は特に感慨深いものもなかった。あっという間の3年間。友達は部活に励み、好きな人に告白し、付き合い、別れ、ワルなことやったり、武勇伝の一つでも作ったりしたんだろうが俺はとくになかった。大学合格できたことだけが唯一の良い思い出となった。そして卒業式当日。何の感情もわかなかった。教室では楽しかったな、また会おうな、これからもがんばれよといった決まり文句が飛び交っていたが、俺は寝ていた。最後のホームルームでは先生も時折声を震わせていたが、やっぱり俺は何も感じなかった。体育館で卒業式が始まった。校長の長ったるい話も、生徒会長のあいさつもだりー。早く帰りてー。そして卒業生退場となった時だった。
 
 卒業生の父母やら後輩やらの拍手の音がとてつもなかった。体育館の壁沿いには先生たちが立っていて、少し泣きながら、笑顔で拍手を送っていた。そこを通り抜けるとき、ちょっと泣いちゃった。シミズ先生もいたし。
 楽しいやつらばかりだったなー。みんな本当にありがとう。と、高校3年間が思い返された。やっと卒業するんだと実感してきた。そのときとてもさわやかできれいだった。
 校舎を出るとき、玄関にはサッカー部の出待ちの女子が、花束やら色紙やらを持って立っていた。俺はその中を気まずそうに抜けて帰った。サッカー部め!
 帰りの途中でも俺の目は潤んでいた。ひとつの区切りっつーのは素晴らしいね。さよなら、みなさん。ありがとうございました。

 そして、後日俺はコマツと一緒に大学新入生説明会に行った。

第1部完
 
  
 

2

 オヤジは昔アマチュアのオフロード選手だったらしくて、俺は関東で2位と3位を取ったんだぞ!というのが、酔っぱらった時の口癖だった。そんなもんだから俺が3歳の時も保育園の送り迎えはなぜかバイクだったし、休みの日には意味も分からず土手をオフ車で練習に付き合わされるは、いい迷惑だった。だから俺がバイクに興味を持つことは必然であった。
 
 高校1年時に母ちゃんに免許取らせてくださいと頭を下げたことがあったが、危ないという理由で却下された。抑制されるとますます欲したくなるのは人の性で、俺はなんとかして免許をとってやろうと画策していたが、金もない上に忙しかったので悶々とした日々を送っていた。あー、バイク乗りてー。
 そこで、高校を卒業して大学も合格したから俺は母ちゃんに免許取得の許可を請うた。そしたらOKをもらったので俺は速攻で教習所に通った。当時大学の同期は、サークルやら部活やらバイトやらでまず友達を作ることから始めていたけど、そんなこと俺には関係なかった。ひたすらバイクに乗ることだけを考えていた。とにかくバイク!それだけだった。
 授業ではすでに5~6人で一つのグループがいくつか形成され、俺は完全に孤立したころ、ついに免許を取得した。おっしゃー!これでバイク乗れるでー!俺はバイトを始めて念願のバイクを買った! ローンで。
 納車日、生まれて初めて自分のバイクに乗った時の感動は今でも忘れない。すげー!スイスイ進む!店舗の窓ガラスに写る俺格好良すぎやろ!と、とてつもなくテンションが上がっていた。一気に大人になった気分。ど田舎出身の俺の脳みそをユートピアへ輸送するには十分なステイタスだった。
 買ったのはHONDA MF08 FORZA ビックスクーターだ。高校時から俺はとてつもなく憧れていて、当時の世間でも少しは流行していたのだ。 とにかく、俺は生まれ変わった。
 今でも変わらんが、日常考えることはバイク。大学授業時、俺は教科書ではなくバイク雑誌を読んでいた。おかげで友達は0だった。バイクとバイトに明け暮れ、1年時に取得した単位は13単位だったかなー。だが俺の日々はとても充実していた。
 
 やっていたのはコンビのバイトで、家と大学を結ぶ位置にあるし、母ちゃんの知り合いの人が経営していたので、まあいいかと思って始めた。駅前にあるコンビニで結構忙しかったが、俺はバイクの為ならと思い、頑張った。 
 バイトでは同じ大学生くらいの人がまあまあいて、中にはもちろん女子もいた。高校ではほぼ男子校のようなところで、免疫がなかった俺はうまく話すことができなかった。そこで数か月経ち、俺も少し慣れてきたころ、新人でマスダという女子専門学生が入ってきた。マスダはコンビニのバイト経験者であったが、俺がそいつの教育係となった。年齢は1個上で長い黒髪、華奢な体と、かわいかった。恋愛経験のほぼない俺はバイトで会うたび、意識するようになってしまった。そのうち結構会話もするようになり、バレンタインデーなんかチョコまでもらっちまったぜ!うへへー 
 マスダと同じ時間帯の時、俺はマスダに彼氏いるの?と聞いた。そしたらいないよー、と言っていたので俺はいけるやん!と思った。
 よく目も合うし、向こうも俺を意識してる感じやしこれは脈ありとちゃうん?
一週間後、俺はマスダに告白することにした。
 バイトの帰り、マスダに一緒に帰ろうと言って、途中まで一緒に行くこととなった。ここまでは良し。そして時間になり、俺はマスダとコンビニを出た。途中まで歩いていき、ついに別れ際、言った。
 「あのさー、突然だけど俺マスダのこと好きなんだ。だから付き合ってください!」
 「え?あたし彼氏いるよー?」
 「マジで!?」

( ・ ω ・ )←リアルにこんな顔になった。

 振られた。一気にテンションが下がった。また悶々とした日々を過ごした。はぁ~。
 振られたショック覚めやらぬも、俺はバイトを続けていた。アホかと思うが、胸がすげー痛かった。
 
 振られた数か月後、いつものようにボケーっとバイトをしているといきなりお客さんの女性から、彼女いるんですかー?と聞かれた。不意を突かれた俺は、いません。と答えると彼女はガッツポーズをし、そして次の瞬間、これ読んでください!と、手紙を渡された。彼女は会計を済ませ、去って行った。その後バイトの人に、なんなんすかねー。と平静を装っていたが内心、うぉー!これっていわゆるラブレターやろ!!マジか!やったでー!ついに俺の時代がキタでー! めちゃくちゃ喜んでいた。
 家に帰ってその手紙を読んでみると、確かにラブレターだった。名前はハラダ、よくそこのコンビニを利用しているうちに俺のことが気になったらしい。アホか。手紙にはメールアドレスが記載されていたので、俺はメールを送った。そして後日、会うことになった。
 
 地元の駅を待ち合わせ場所にし、俺は待っていた。すると彼女はやってきた。彼女は外見も容姿いたって普通で、どんな特徴の子?と聞かれたら、ん~、特にない。と答えるくらい特徴がなかった。
 それからショッピングをしたり、公園に行ったりしてデートを楽しんだ。そして日も暮れていい雰囲気の中、神社に着いた。俺はもうその時のノリと勢いで言ってしまった。
 「あの、好きです。付き合ってください。」
 答えはもちろんOK。俺はハラダと付き合うこととなった。

 ハラダと付き合いだしてカップルらしいことはした。遊びに行ったり、食事はしたり。まあまあ充実した日々を送った。しかし、俺はある時急に冷めてしまって、メールの返事も、ああ、とか、うんの一言で済ますくらいになった。そんな時にお台場に行くという約束をして俺は彼女とお台場へ行くことにした。お台場へは観覧車に乗るという目的でお互い楽しみで向かったのだが、当日は強風のためなんと運行中止だった。
 俺はやってないならしょうがねえか、くらいの気持ちだったが彼女はものすごいショックで、なんというか負のオーラ全開で一気に萎えてしまった。そしてそんな彼女を見て俺も萎えた。だれすぎだろ、うぜーな。
 
 メールも疎遠になっておれはついに、友達に戻りましょう、と連絡した。返事は分かれたくない、と返信が来た。それでも俺は、もう恋愛感情を抱かなくなりました。

 
 

さらば、愛と青春の・・・!

さらば、愛と青春の・・・!

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-31

Copyrighted
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