戦
戦1
[戦]
1.
「洋介はとろいなあ。」
小学校のグラウンドで胸からこけた洋介を見て、大人びた顔つきの新井衆多が、手のひらを上に向けて首を振った。
「なあ瞬。」
「くっくっくく・・・ふふ、ごめん。」
顔の細くて整った、洋介と同じ小学6年生の蒼井瞬が、口に手を当て、こらえきれない笑いを必死に抑えている。
「涙ふけよ・・・。」
いつもは優しい、ふっくらした、高杉弘毅もさすがにあきれてしまっていた。
洋介が悔し紛れに倒れたまま殺人事件の物まねをしていると、白くて細い手が差し出された。
「大丈夫?田上君。」
見上げると、目のくりくりしている、ポニーテールにシュシュを付けて、陽々とした顔の女の子が、片手を洋介に
伸ばして、大きい目を明るく細め、微笑んでいる。
「ありがとう。岡田さん。」
洋介は岡田雪の、今の季節には気持ちいいひんやりとした手を握り起きあがった。
「ひゅうひゅー。カシャッカシャッ。」
衆多が顔に似合わず、カメラマンの物まねをする。
雪は笑いながらピースをする。
「相手にしなくていいよ。」
洋介は涙をこらえていた。また雪の前で恥を掻いてしまったのだ。こんな情けない姿ばっかりでは絶対に相手に
されない。
体育の授業が終わり、衆多を先頭に洋介達は教室へ帰った。
明るい日差しが教室へ差し込む。
「これから夏休みの自由研究の課題を決めます。」
「好きな人でグループを作りなさい。」
「みんな集まってくれ。」
瞬がクラスの端でいつものメンバーを呼んだ。
衆多、弘毅、洋介、となぜか衆多が呼んできた雪の4人が、瞬の周りに集まった。
瞬がランドセルを開けて、中に手を突っ込んでガサゴソと音を立てている。
「これこれ。」
瞬は下敷きくらいの幅の黒い箱をみんなに見せた。
「『戦』?」
衆多が箱を手に取った。
「なにこれ。」
弘毅が少し後ずさりしながらつぶやいた。
「ゲームだよ。6人プレイで、一人一城ずつ城と領地を与えられる。兵隊を操って天下を統一するんだ。」
「みんなで戦うの?ちょっと怖いな。」
雪が目をこすった。
「大丈夫。ただのゲームだから。」
瞬は得意げに腕を組んだ。
「これを自由研究のテーマにしない?」
「怒られるよ。」
弘毅が低い声を出した。
「僕が先生に聞いてくるよ。」
洋介が進み出た。
「お、かっこいいじゃん。」
雪がほめてくれた。
(よしっ)
洋介は心の中で両手を握った。
洋介は黒い箱を手に取り、先生の立っている教壇へ姿勢を正して歩いていった。
「春日先生。」
「洋介か課題は決まったかな。」
「これにしたいです。」
洋介は『戦』の箱を見せた。
すると眼鏡を掛けた春日先生の細い目が光った。
「これは・・・これをテーマにするのか?」
「いいですか?」
「いいとも。ただし条件がある。このゲームは子供向けではない。だから・・・。」
「だから?」
洋介は首をかしげた。
「私も参加する。」
洋介はグループに戻った。
「えー!」
「嘘だろ・・・」
「絶対自分もやりたいだけだろ。」
衆多がふらふらと首を振った。
「ま、いっか。」
というのが全員の共通した認識だった。みなゲームをして夏休みを楽しめたらそれでいいのだ。
その後、夏休みまでの一週間の間にソフトを全員のパソコンにインストールした。
7月15日
「いよいよ、だね。」
瞬が大げさに手をワクワクさせた。
「緊張するね。」
雪が手をぎゅっとにぎった。
「幸運を祈る。」
衆多が駆け去っていった。
次の日、洋介は、太陽が真上にきたころ目を覚ました。
「寝坊だよ・・・。」
洋介はパンをかじりながらパソコンのスイッチを入れた。
かたかたとパソコンが起ち上がったので、洋介は『戦』アイコンをダブルクリックした。
画面が真っ暗になった。しばらくして、周りを海が囲んだ、広大な大陸の地図が現れた。大陸はダイヤモンド型
をしている。壮大なBGMが流れる。
5つある城のアイコンを順番にクリックしてみた。まず一番上。北の三角形になっている所から。
画面には「新井衆多」「威信軍」と表示された。マップを見ると国境沿いに白い山脈が連なっている。
次に西側を調べる。「蒼井瞬」「高峻軍」と表示される。湿地帯が多いみたいだ。
東側は「岡田雪」「鈴千軍」と表示された。森に囲まれている。
南は「高杉弘毅」「秋之軍」砂漠の世界が広がっている。
そして大陸の中心にある洋介の領地。「空風軍」北に森があり領地全体の街が迷路のようになっている。
あれ?何か足りない気がする。気のせいかな?
しばらく眺めていると、ふいに警告音が鳴った。
「え・・・」
良く地図を見ると、北の方。衆多の城から大軍勢が洋介の国境に押し寄せている。
「なんで僕からなんだよ。」
洋介はキャラクターに白い甲冑を着せ兵士を引き連れて城を出陣した。
空風軍は街を抜け、北の森へ身を隠した。ここなら敵の不意を突ける。
しばらく待つと異変が起こった。森に黒い煙が立ちだしたのだ。そして最初は小さかった火の手があっという間に
森の南へ広がる。あたりが真っ赤に染まった。
「うそだろ。」
兵士達が体を炎に包まれ次々と倒れていく。
洋介はぐにゃりと頭をひねったようなめまいを覚えた。そして意識がぷつりととぎれるのを一瞬だけ感じた。
世界は暗闇の中に落ちた。
2.
洋介は足の皮が裂けるような痛みで目を覚ました。
「あつっ!」
下半身を見るとジーパンが焦げて、白い煙を出している。洋介は枯れ草の地面を転げ回った。何とか火が消えた。
しかし周りを見回すと、そこは獄炎が燃えさかる森の中だった。地面には白い甲冑が焼けた兵士が横たわっている。
「ここは夢?」
洋介は尻餅をついた。
炎は四方から迫っている。
不意に馬の駆ける音が近づいてきた。
「ここは夢でも地獄でもござらぬぞ。」
炎の間から目の前に現れたのは、洋介の身長の2倍以上はある真っ赤な馬に乗った、白銀の甲冑が炎で朱色にきらめく、
年老いた老兵だった。
「誰?」
「何を寝ぼけています若殿。早く参りましょう。あなたに死なれてはわが国はお終いだ。」
老兵は馬の上から、洋介の腕より胴の太い槍の先で、洋介のTシャツを引っかけて持ち上げた。洋介は宙を舞い、老兵
の懐へ着地した。
「城まで駆けます。しっかり掴まっていてください。」
洋介を乗せた馬は嘶いた後、燃えさかる炎の中へ躍り込んだ。
洋介は老兵にしがみつきながら、あまりの煙たさにむせ込んだ。
皮膚がちりちりと痛む。
「しばしご辛抱下され。もう少しで森を抜けます。」
馬は焦げた木の間を縫うように小刻みにステップを踏んで走る。
正面に炎の壁が立ちはだかった。
「竜馬よ頼むぞ・・・。」
老兵は馬の尻をぴしゃりと叩いた。
馬が炎の壁に向かって前のめりに駆ける。
「うおーーー!。」
馬はジャンプして飛び込んだ。
炎が分けられて、目の前が一面の草原に開けた。
「もう安心してください。森は抜けました。しばらく駆ければ街に着きます。」
洋介は言葉もないまま息をついた。
夕日の海を緩やかに駆ける。
「ここはどこなの?」
「何を言っておられる。空風を守るため、若殿直々に御出陣なさったのではないですか。」
「『戦』の中なんだ。」
「そう、空風は、新井衆多率いる威信の侵略の危機に晒され、戦の渦中にございまする。」
洋介は聞きたいことがあっても、一連の流れによる疲労で、言葉が出なかった。朱色に光る草原を静かに馬が渡って
ゆく。しばらく揺れていると、あたりは薄暗くなり、おぼろに薄雲のかかる三日月が顔を出した。
「さあ、街が見えてきました。」
洋介が老兵の指す先を見ると、薄闇の中に白い壁が津波のようにそそり立っている。壁にはランプがたくさん下がってい
て、青色の世界に白いカーテンがかかったようになっている。あたりから、落ち延びてきた兵士が集まってきた。
次第に人数がふくらみ、百人くらいの小隊になった。
ひとり、目をつむりたくなるほど白色にきらめくマントを付けた男が白馬にのって近寄ってきた。
「おー。ガルフ、無事だったか。」
牛のように屈強で、えらの張った顔の、白いマントをまとった男は、老兵をガルフと呼んだ。
ガルフがうなずく。
「ああ、グリ、若殿も無事だ。」
グリは、皮でできた手袋を付けた手で白い鎧をバシッと叩いた。
「そうか、これで威信の馬骨どもに一矢報いれるという物よ。」
「早速追いかけてきたみたいだしな。」
グリは親指を後ろに向けた。その先には奇声と共に威信の兵馬が、洋介達に向かって、土煙をもくもくとあげながら駆
けてくる。
「どうするの?」
ガルフがニッと歯を見せた。
「ご心配には及びませぬ。空風の街は不落の城塞都市にございます。民商人が住んでおります故、戦場にはしたくな
かったのですが・・・致し方ありますまい。」
「みな、街へ駆け込め!」
「おー!」
兵士が声を上げ駆けだした。
白い石壁に細い亀裂があった。洋介、ガルフを先頭に兵士が駆け込む。
「みな、高台に伏するのじゃ。民は奥へ避難せよ。」
町人は悲鳴を上げながら、白い石壁の家や、虹色に光る商店の間の、細く曲がりくねった街道を駆けて逃げていった。
ガルフを乗せた馬は坂道の街道を駆け、道をぐるりと回って、今まで通ってきた道や街が一望できる、高台へ立った。
やがて、遠方から土煙と共に、紺の鎧をまとった威信軍の大軍が、生き物のように蠢きながら寄せてきた。そして街と
距離を取る。威信兵の弓兵が前列に並んだ。ヒューという音がしたかと思うと、空風の街の上空に流星の様な火の雨が
降り注いだ。
ガルフは洋介を抱えて、悠々と馬を降りた。
「はっはっは。そんな種火ではこの空風は焼けんぞ。」
いっこうに街から火が上がらない事に苛立った威信兵は、雪崩を打って街道へと進入してきた。
ガルフは口笛を吹きながら壁から突き出た鉄の突起に手を掛けているが。洋介は気が気ではなかった。
敵は迷路のような街道に迷いながらも、着実に進軍しているのだ。
「ガルフ。もうそこまで・・・。」
ガルフは静かにうなずいた。
「そろそろかの。」
威信の兵士はこちらに気付いた。
「いたぞ、かかれ!」
兵士がこちらに走ってくる。目が会った。
洋介は凍り付いた。手が汗で湿る。
「よし!。」
ガルフは手を掛けていた鉄の突起をぐっと下ろそうとした。しかし錆びた 鉄の突起は硬くなかなか動かない。
「くそっ。」
兵士はもう高台の岩肌を掴み、這い上がってきていた。
「僕も手伝うよっ。」
洋介は突起に両手でぶら下がった。
じりじりと突起が下に下がる。威信兵の手が掛かって、もう足下まで這い上がろうとしている。
鉄の突起が音を立て、勢いよく下がった。洋介は膝から転んだ。
やがて、洋介の地に付けた耳から、地鳴りがし始めた。次の瞬間、洋介のいる高台とその下の道の間から、
水が洪水のようにあふれ出した。
這い上がっていた兵士が、水に抵抗して必死に高台に掴まる。下半身は激流にさらされている。
洋介は立ち上がって、威信兵に近づき、ゆっくりと一本一本、兵士の指をはがしていった。
「うわー!。」
手を外された兵士は、水に呑まれていった。
怒濤の水流が兵士達を飲み込み、街道が幾筋も流れる川となった。一瞬にして進入していた兵士が流されてしまった。
ガルフは指笛を高らかとならした。
「若殿はここでお待ち下さい。城の外にたむろする残党を蹴散らして参ります。」
洋介はうなずいた。
ガルフは馬に飛び乗り、街道を駆け下りていった。
ガルフ達に追われた威信兵は、悲鳴の声を上げて、方々に散っていくのだった。
続く
戦