私のちいさな戦争

SF短編。月を舞台にした二人の女性の物語。

……ハロー
……
……ハロー
……
……聞こえますか?
……
私は……


溜息交じりに通信機の電源を切る。
 こうして、本日何度目かになる彼女の試みは失敗に終わり、彼女は倒れ込むようにベンチへと身体を預けるのだった。通信機を額にかざしながら、彼女は真っ暗な天井をぼんやりと見つめる。
 灯りの乏しい部屋に注ぎ込むのは星の光。
 ずるずると重い身体を起こしながら、彼女は窓の外から届く光へと視線を移す。
 淡く光る青い星。
 星々がさざめく海に浮かんでいる遠い故郷を目の前に、彼女は煙草を取り出して火を灯す。胸に渦巻く重い煙を地球に向かって吹きかけ、通信機に目を落とす。表示されている通信画面からネットへ切り替えて、新着ニュース一覧に目を通していく。
 国際間格差問題。発達途上国で紛争。先進国ではテロ。
 宇宙開発は先進国を大きく成長させたが、その反動で発展途上国との間に大きな軋轢を生んだ。資源を失いつつある途上国は飢餓に苦しみ、宇宙への道を持つ先進国に敵対心を抱く組織を次々と生み出した。しかし、それも画面の向こう側の話。彼女にとっては何処までも遠く他人事でしかないニュースを流し見ていく。
突然、通信機が震えた。
 画面に表示されているのは親しい彼の名前。
あぁ、と彼女は呻き声を漏らして通信機の電源を切ると、机の上へと放り出した。大きな音を立てて転がっていく通信機を後目に、煙草の火を乱暴に消す。火が燻ぶる灰皿を前にして彼女は口惜しそうに爪を噛みながら、電話の主が暮らす星を睨み付けた。
「お、やっぱり此処にいたね」
 不意に声をかけられ、後ろを振り返る。
 部屋の入り口には褐色の肌を大きく晒した女性が立っていた。彼女は地面に転がる通信機を拾い上げると、またかい、と苦笑いを浮かべる。手にした通信機を机の上に置き、彼女はベンチに腰を下ろして大袈裟に鼻をつまんだ。
「何、アルマ」
「どうにもこの匂いは慣れない」
「五月蠅いな。なら《喫煙所|ここ》に来なきゃいいじゃない」
 見せつけるように新しい煙草に火を点けて、深く煙を吸い込む。アルマは匂いに顔をしかまながら、窓の外に目を向ける。
「彼から連絡が来てるわよ」
 彼って誰、と煙を吐き出す。
「ベルタ、貴女のそういう素直じゃないところ良くないわよ。アランってば何度も貴女に連絡取ろうとしてるみたいじゃない」
「今は連絡を取りたくないの」
 それだけ言うとベルタは名残惜しそうに煙草の火を消して、通信機を片手に立ち上がる。彼女はベルタを引き止めることはせず宇宙を見つめながら、そう、とだけ答えた。アルマの横を足早に通り過ぎ、じゃあね、と一言残して喫煙所の出入口へと向かう。
 しかし、その足がぴたりと止まる。
 何時もは静かな喫煙所の外を忙しなく人々が行き来していた。
 出入口近くの壁に背を預け溜息をつく。
「どうかしたの。顔色悪いけど」
 外を見つめていたアルマが不思議そうにベルタを眺める。なんでもないわ、と彼女の視線から逃げる様に顔を背ける。通信機の電源を点け、画面を見る振りをしながら外の様子を横目で伺う。
「ならいいんだけどね。そうそう、もう一つ貴女に伝えなきゃいけないことがあったのよ」
「他に何があるのよ」
 目線を合わせることなく彼女の言葉に素気なくに答えた。すると今まで明るい表情だったアルマの顔が曇り、いやまぁ、と歯切れまで悪くなる。
「人類防衛戦線って知ってる?」
 アルマの言葉に先程眺めていたニュース記事を思い出した。急いで人類防衛戦線の名が入った記事を呼び出す。
「もしかして、もう知ってた? そいつらが今度この月面基地にテロを起こすって話」
 彼女の話を聞きながら画面に目を走らせる。人類は宇宙へ出るべきではなかったと主張する彼等の声明が大きく載っていた。
「……知らなかった」
「もう外は軽いパニックよ。上の人達は対策として最低限の技術者だけ残して、残りは地球(おか)に避難させるみたい。直ぐにでも避難についての連絡が回ってくると思う」
 アルマは言葉を切ると窓の外へと目を向ける。慌ただしく動き回る人々に視線を向けながら、ベルタはそう、とだけ小さく呟く。
「あんまり驚かないのね。まぁ、あくまで万が一を想定してのことだし、案外なんてことないかもね」
「だといいわね。でも、貴女わざわざそれを伝えるために私を探していたの」
 ええ、とにこやかに答えたアルマは、大変だったのよ、と先までの表情を崩して神妙そうな顔を作った。
「それはどうも。でも、何で私が此処にいるって分かったの」
 ベルタの質問に首を傾げた彼女は、そんなの簡単でしょ、とさらりと答える。
「空気が貴重な《月面基地|ここ》で煙草が吸える贅沢な場所なんて限られてくるでしょう。貴女達、喫煙者の肩身の狭さは地球も宇宙も変わらないのよ」
 彼女の言葉に肩を竦めながら、廊下から人影が減ったのを確認して喫煙所から廊下へと一歩踏み出す。そこで一瞬足を止めて、アルマに声をかける。
「アルマ。貴女の露出度もなかなか《宇宙|こっち》じゃ浮くんじゃないかしら」
 ベルタの言葉にむむむ、と唇を尖らせながらアルマは自分の身体を見下ろす。そんな彼女を喫煙所に残して、ベルタはその場を後にした。

                                    ★

 光りが降り注ぐ大地に人影がぽつり。
 丸く無骨な宇宙服は星々の輝きを全身に受け、白く光って見える。
 弾むようにゆっくりと人影に近づいていく。鼓動、息遣い、機器の稼働音が服の中で小さく弾けては消えていく。気配に気がついたのか、大地に佇む人物は静かに振り返った。
そして、聞こえてくるノイズ音。
「どうしたの。こんな所に来て」
ノイズ音が残響を残して消えていく。
 横に並んで彼女が見ていた景色を眺める。
 正面に大きく浮かぶ地球、それを囲むように散りばめられた星々。
「アルマがよく休みの日は静かの海にいるって聞いたから」
「確かによく来るわね」
 それきりノイズ音は途切れ、淡々とした音だけが耳に刺さる。
 ベルタはゆっくりとアルマの横に腰を下ろすと、彼女が今まで一人で見続けてきた景色をぼんやりと見つめた。
 地表の七割を海が占める目の前の星は青々と輝く。
 鼓動すらも遠く感じる距離感と孤独感。
何度も見た筈の光景なのに零れる様に吐息が漏れる。
「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」
「――だが、神はいなかった」
 思わず零れたベルタの言葉に答えがあった。
 アルマに視線を向けると彼女は変わらずに立ったまま星を眺めている。しかし、彼女が被るヘルメットの中は暗く、彼女の表情を伺うことは出来ない。ベルタは声をかけられず、静かに立ち尽くすアルマの姿を眺めるしかなかった。
「本当に誰もいないんだね」
 どれだけ経ったのか、アルマはずんぐりとした身体を大きく伸ばして、その場に勢いよく座り込む。そこにある表情は何時もと変わらない明るいもの。
「流石の神様も真空は辛いんじゃない?」
 そうかもね、と口元を緩めたアルマは辺りに目を向ける。
「でも、私は神様っていうのがいるとしたら《宇宙|ここ》しかないと思ったんだよね」
残念、と呟いた彼女は掌を地球に向かってかざす。アルマはそのまま何度か掌を握りしめると、地面に身体を放りだす。一緒に横になるように、と彼女はそのまま隣の地面を軽く叩く。
「もしかしてイエス様は宇宙人なのかもね」
「神父様が卒倒するわね」
 満点の星空の下、静かな明りを頼りにおしゃべりを続ける。
「アルマは宇宙人を探しに毎回ここに来てるの?」
「そうね。そうなのかもしれない」
 彼女は噛み締める様に言葉を口にした。隣で横になっているアルマは正面に広がる光りの群れを真っ直ぐに見つめ、そうだったわね、と言葉を切る。
「先人の言葉を認めたくなくて私は此処に居るのかも知れない。まだ此処には、宇宙には可能性が、希望があるんだぞってね。」
「アルマらしいわね」
 空に向かって握り拳を掲げる彼女の姿にベルタの頬が緩む。しかし、突き上げられた彼女の拳はふわりと力を失い、地面に落ちる。
「……ここまで辿り着いた私達が神様に取って代わっちゃったのかもね。」
 彼女は静かに呟くと溜息を漏らした。
そして、またしばし沈黙が訪れる。
ベルタの中で、アルマの言葉がぐるぐると現れては消えていき、ただただ茫然と宇宙(そら)を眺めるしか出来なかった。
「そういえば、ベルタ。準備は進んでる?」
 星の海にノイズが響く。
「準備って何のこと?」
 ぼうと星々を見つめながら、漫然と彼女の質問に言葉を返す。
 そんなベルタの様子にアルマは身体を起こして、上から顔を覗き込んでくる。
「私達、技術者の帰国届の提出って明日まででしょ」
「私、帰らないから」
 正面から見つめるアルマの視線から逃げるように身体をよじる。しかし、彼女はベルタをしっかりと掴んで動くに動けない。
「どうして。貴女、向こうに家族がいるんでしょう」
「だから、帰りたくないの。あそこは私が居ても良い場所じゃなくなったの。地球の空気は私にはもう重すぎる」
「何を言ってるの?」
 アルマの手を払い除けて立ち上がる。
「貴女が人探しで来たみたいに、私は人から離れるために《宇宙|ここ》にきたの。全部投げ捨てて来た私に帰る場所はこの真暗な海しかない。だから、私は何処にも行かない。何処にも帰れない」
 呆然と見上げるアルマに正面から向き合い、強い口調で答えた。アルマはゆっくりと立ち上がったが、ベルタに見向きもせず星々を見上げる。
「それでも貴女は一人になれない」
「そんなことは――」
 ヘルメットにこつんと拳がぶつかった。
 瞬間、瞳を閉じてしまう。
 恐る恐る目を開けると、一歩先にアルマの後ろ姿があった。
 彼女は全身に星灯りを浴びながら、大きく両手を宇宙に広げてベルタを振り返る。
「――だって宇宙には一人じゃ出られないでしょ。貴女はまだ誰かと繋がってるのよ」
 乏しい明りの中、ベルタには彼女の笑顔が輝いて映った。
 笑顔を浮かべたまま彼女は近づいてくると、ヘルメットをこつり、とベルタのヘルメットにぶつけて瞳をつぶる。慌てるベルタの肩に手を置いて、静かな口調で言葉をかける。
「一度戻ってみなさい。家族って悪くないものよ」
 そのまま彼女は何度かベルタの頭を撫でると、よし、と掛け声をかけて一人基地に歩き始めた。その背中を追いかけようとしたが、彼女は手を振って、貴女は留まるように、と告げる。追いつこうと伸ばした手を恐る恐る引っ込めて、ベルタは如何することも出来ずにその場で立ち尽くす。
「アルマ、私は……どうしたら」
「年長者の出番はここまで。後は自分で考えてどうするか決めなさい。貴女も大人なんだから」
 彼女は胸に点けていた予備の酸素パックをアルマに投げて渡すと、そのまま何事もなかったかのように一人で基地へ戻っていく。彼女の小さくなっていく背中を見つめながら、ベルタは手にした酸素パックを握り締める。
 彼女の言葉を小さく呟く。
「宇宙には一人じゃ出られない……」
 そうして、彼女は初めて故郷を見つめた。

                             ☆ ★

 雑多な音が辺りに響く。
今までにない程にプラットホームは人で溢れ混み合っていた。
 ショルダーバックを肩にかけ直して、ベルタは搭乗口から周りを伺う。皆の顔には一様に不安の色が濃く、誰しもが神経質になり其処此処で揉め事が起きているようだ。
 そんな人混みの間を縫ってアルマが搭乗口へと進んでくるのが目に映った。彼女はベルタの元まで足早にくると呼吸を整えるために大きく息を吐く。
「ごめんね、遅くなっちゃった」
 もう少しで出発よ、と声をかけながら、ベルタは彼女の恰好に目を向ける。露出が多い服装に変わりないのだが、その手には荷物らしいものが握られていない。
「アルマは戻らないの?」
「私はまだ人探しの途中だからね。会えるまであそこでもう少しだけ粘ってみるよ」
 消え入るようなベルタの声にアルマは何時もの笑顔で答えた。それでも不安そうに顔を歪めるベルタに、彼女はしょうがないな、と少し強めにその頭を撫でまわす。
「そんな心配そうな顔しないの。それよりも帰ったらちゃんと家族に会ってくるんだよ?」
 背中を軽く押して機内へと一歩踏み出させた。
 名残惜しそうに振り返るベルタに彼女は大きく手を振る。習う様にベルタも手を振って、その様子にアルマは満足そうに頷く。
 何度も立ち止まりながらゆっくりと自分の席に腰を落ち着ける。席から見える窓の外では、彼女が変わらず笑顔でベルタの方を見つめていた。
 機内にアナウンスが流れる。
 プラットホームもそれに合わせてシェルターで囲われ、機体の発射に備え始めた。機体は唸るような大きい音を立て始め、機内は静かになっていく。
 そんな中、彼女は二通のメールをしたためる。
 轟音と共に機体が動き出す。
 重力を感じたのは一瞬。
 あっと言う間に月の重力圏を脱した機体は、ゆったりと海に漕ぎ出した。
煌く海を目の前にして、ふっと息を漏らす。肩から力が抜けていくのを感じながら、出立前に書いていた二通のメールにもう一度目を通して、間違いがないか確認をする。
一人頷いて送信ボタンを押す。
一通は地球の彼に。もう一通は月の彼女に。
 一つは謝罪を。もう一つは感謝を。
 送信されたのを確認してから彼女は静かに目を閉じた。脳裏には背中を押してくれた彼女の姿、そして何も言わずに送り出してくれた彼の姿が浮かぶ。
 ゆっくりと目を開けて、《宇宙|そら》を眺める。まあるく光を反射する月を見つめながら彼女のことを思う。そこで――
 ――ふと違和感を覚えた。
 月の中心が大きく膨れ上がっている。それは形を変えながら広がり、瞬きと共に何事もなかったように消えてしまった。
 ベルタが外の様子に見入っていたところ、乗務員が狭い通路を操縦室の方へ走っていく。他にも何人かが今の出来事を目撃したようで、機内のあちらこちらで声が上がる。
「お客様、これより機体が少々揺れる危険が御座います。シートベルトの着用をお願い致します」
 突然流れた放送に乗客はお互いの顔を見合わせ、急いで身体を固定すると身を低く屈めた。ベルタも素早く指示に従って、身体を衝撃に備えさせる。
 拳を力一杯握り締め、目を閉じてその瞬間を待つ。
――衝撃。                    ――爆音。
 衝撃はベルタを前方へと弾き飛ばそうとする。
身体に食い込むシートベルトの痛み。
 呼吸が止まり、頭内が白く染まる。
 一瞬で力は機体を駆け抜け、機内は静まり返った。一呼吸遅れて叫び声、泣き声が上がり乗客は、太陽フレアだ、宇宙塵(デブリ)だ、等と自身の身に起きたことに対して大声で口々に話し始める。乗務員の声も届かず、機内は騒然としていた。そんな中ぼんやりとした頭でベルタは異変のあった月に視線を動かす。
 変わらず静かな月。
 しかし、その地表は大きく抉れていた。

                           ☆ ★ ☆ 

 帰国を出迎えたのはフラッシュの嵐だった。
 入国ゲートには既に多くの報道陣が殺到しており、雪崩のように入国陣を襲ってきた。しかし、それを警備員達が食い止め、ベルタが乗っていた機体の乗客、常務員はそのまま警備員に周りを囲まれながら、空港を移動する。
「今の心境を」「事故が起きた時の様子を詳しく教えて頂けませんか」「アルマ=イリイチ容疑者をどう思いますか」「何か一言」
 質問に攻め立てられるように彼女達は足早に一室へ案内された。
 室内はいくつかのスペースに区切られており、何人もの軍人がその間を忙しなく動き回っている。そのうちの一人がベルタ達に歩み寄ってくると、一同を見渡してから野太い声を響かせた。
「第二十空軍指揮官バーンズです。お手数ですが皆さんには何点か話を聞かせて頂きたい」
 近くにいた部下に指示を出すと彼は奥の仕切られたスペースへと進んでいく。その背中を塞ぐように部下がアルマ達の前に立ち、手元の資料に目を通しながら名前を呼び上げる。
「ベルタ=リードさん、いらっしゃいますか」
 兵士の呼びかけに顔を上げる。
 彼は書類にもう一度目を落とすと、あちらへ、とバーンズが消えていった奥を指さした。彼の指示に従って、ベルタは一番奥の囲われたスペースを恐る恐る覗き込む。中ではバーンズが電話の応対をしており、彼はベルタの姿に気がつくと椅子に座るように、と電話口を押さえながら囁く。
 机の上は何やら資料で溢れ、その中にはアルマの写真。そして、ベルタの写真もあった。
「失礼しました。貴女がリードさんですか」
 電話を切ったバーンズはベルタに笑顔を向ける。
「大丈夫ですか? 資料によると対人恐怖症だとか。女性隊員を呼びましょうか。私と二人よりもその方が幾分かよろしいかと」
「いえ、大丈夫ですから」
 そうですか、と言葉を切ると手にしていた電話を置き、椅子に深く腰を掛けた。
「大変でしたね。いや、しかし貴方たちは運が良かった」
 彼はそう言うと一枚の写真をベルタの前に差し出す。それは月面基地を中心に大地が隆起し、弾け飛ぶ瞬間を映したものだった。彼はその写真をまじまじと見つめながら髭に手をやる。
「もう少しで巻き込まれるところでしたね。皆さんにはこの事件についてお話を聞きたいのです」
 月面写真の上へ彼はもう一枚新しい写真を重ねる。
 そこには映っているのはアルマだった。
 写真の彼女にはベルタの知る明るい表情はなく、眉間に皺を寄せた厳しい表情のものだった。バーンズは写真を見つめるベルタをただただ見ているだけで一言も口を開かない。
「彼女がこれをやったんですか」
 彼女の知らない一面を前にベルタはゆっくりと言葉を吐き出す。その言葉にバーンズは唸りながら首を横に振る。
「それは現在調査中です。ただ、彼女が犯行声明のあった人類防衛戦線の一員であったのは確かです。今分かっているのはそれだけ。彼女は貴女に何か言っていませんでしたか」
 いえ、と首を振ると彼は、それは残念です、と顎をしゃくって写真に目を移す。
「彼女がその人類防衛戦線にいたというのは本当なんですか」
 耐え切れずベルタは詰め寄る様にバーンズを正面から見つめる。一瞬、彼は目を丸くしたが直ぐにきっぱりとした声で答えた。
「それに関しては疑う余地はありません。彼女が組織の者と連絡を取っていた確証もありますし、何より彼女は宇宙開発競争によって国を失った難民の一人。目的としても十分でしょう」
 そうですか、とベルタは崩れる様に椅子へもたれ掛る。
「大丈夫ですか? お疲れのところ申し訳ありませんでした。また後日こちらからご連絡を差し上げるのでご協力お願いします」
 入口付近を通りかかった兵士に彼は、ベルタを案内するように言うとベルタには目も向けずに受話器を手にした。ゆっくりと立ち上がり、ベルタは兵士に付き添われて連れてこられた部屋を後にする。
「こちらに迎えの方が見えています」
 案内されたのは空港の裏口に当たる部分。辺りには先に案内されたであろう人々が家族と無事を喜び合っている姿があった。
 そんな中でベルタの目を惹いたのは壁にかけられたテレビ番組。
「――政府はテロには屈しないとの姿勢を見せ、宇宙開発に関して今後も継続していく方針のようです」
 遠くの場所で起きている身近なニュース。
 しかし、何があろうとも変わることのない世界。彼女の命をかけた行為でも変革を起こせなかったのだと、身体から力が抜けていく。
 ――特別なことなんて何も起きない。
「ベルタかい?」
ぼんやりとする頭でそのニュースを眺めていると後ろから声をかけられる。聞きなれた優しい低い声に振り向くと、そこには地球に残してきた彼の姿があった。
 あぁ、無事で良かったと彼は力一杯彼女を抱きしめる。その背中を戸惑いながらもぎこちなく抱き返すと、堰を切ったように彼は涙を流した。
「アランは大袈裟ね」
「良かった……良かった……」
 何度も確かめるように彼は言葉を繰り返す。そんな彼につられるようにべルタの頬にも一筋。何時か誰かにしてもらったように彼の頭に手を置きその髪を撫でる。
「お母さん……?」
 彼の後ろにいた人影にベルタの肩が跳ねる。
 淡く薄い唇。色素の薄い金色の髪。おどおどと自信のない瞳。
 そこには幼い頃の自分が居た。
「さぁ、こっちにおいで」
 彼はそう言って、その小さな手を引いてベルタの前へ彼女を進ませる。上目使いで見つめてくるその瞳から目を逸らす。
ひどく喉が渇いてしょうがない。
乱れる呼吸を整えようとして、更に息の仕方を忘れる。
「大丈夫かい?」
 心配そうに顔を覗き込んでくる彼に、ええ、と頷いて見せると大きく息を吸って気分を落ち着かせる。そして、その場にゆっくりとしゃがみ込むともう一人の小さな自分と向き合う。
「久しぶりね、モニカ」
 モニカは小さく頷くだけで、口を開こうとしない。そんな彼女に一歩ゆっくり近づいて、手を差し伸べる。その手を避けるようにモニカは慌てて後ずさっていく。
「《小さな私|モニカ》、大丈夫。怖くないわ」
 少しずつ彼女に手を伸ばす。
 彼女はアランとベルタを交互に見つめながら、その小さな手を差し出すかどうか悩んでいるようだった。その場でおろおろとする彼女を前にベルタは一歩大きく踏み込んで、その手を握り締める。
 温かく華奢な手。
 そのままその身体を抱き抱える。
 はじめは震えていたが少しずつ彼女の身体から力が抜けていく。
「淋しい思いをさせてごめんなさい」
 彼女の耳元でなるべく優しく囁く。モニカは首を横に振って、力強くしゃがみ付いてきた。
「お母さんは、何で遠くに行ってたの?」
「《可能性|かみさま》を探しに遠くに行っていたの。《宇宙|そら》では結局神様に会えなかったけど、此処には《天使|モニカ》がいるから帰ってきたの」
 抱き抱えた彼女をアランに渡すと通信機を取り出して、文書を打ち込んでいく。最後までお世話になった彼女に向かって伝わるように手を高く掲げる。
 ――感謝と、小さな変化を彼女へ。
 ――送信。


「ハロー
ハロー
聞こえますか?
私は此処にいます           」
                                                                       ―― Over to you

私のちいさな戦争

私のちいさな戦争

月を舞台にした短編のSF小説です。 人を拒絶するベルタと彼女を見守るアルマ。 二人の女性が主人公の宇宙の話。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-31

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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