木の上の軍隊

木の上の軍隊

2013/5/29 広島・上野学園ホール

こまつ座&ホリプロ公演

「木の上の軍隊」

原案=井上ひさし

作=蓬莱竜太

演出=栗山民也

登場人物

新兵=藤原竜也

上官=山西惇

語る女=片平なぎさ

ヴィオラ演奏=徳高真奈美



会場に入ると舞台上に大きなガジュマルの木が中央にドンとたっていた。

傾斜のついた太い幹には蔓に見立てたロープが垂れ下がっている。

人が入れるくらいの穴が5箇所くらい。

天井からも幾筋もの蔓が垂れ下がっていた。


初めから終わりまで、暗転もなしのこの一場のみ。休憩なし2時間の舞台。



第二次世界大戦末期、ここは沖縄本島の西にある伊江島、戦いの最前線。

本土出身で数々の戦場を経てこの島に就いたベテラン兵士の上官(山西惇)と

伊江島出身、島を守らんと志願しはじめて任務についた若い新兵(藤原竜也)は

圧倒的な敵国の攻撃のなかガジュマルの木の上に逃げ込み命をつないだ。

木の下で仲間が次々と命を落としていくのを見、ある時は遠く敵地陣営が日に日に広がるのを見張りながら

本土からの援軍が来る事を信じて飢えをしのぎ木の上に身をひそめ続ける2人。

それを見守るのはガジュマルの木。

木の精(片平なぎさ)はときに優しく唄いときに2人の心の語り部となる。

片平さんの「あぁーーーー」と歌う声が何故かやさしくて素敵。

昼は木の上に身を潜め夜になると、食料を探しに木から下りる。

だが最初敵兵の捨てた食料を食べる事に抵抗を感じる上官だったが

ある日、敵陣のようすから終戦を迎えたことを知る。

ところが上官はその事実を新兵に伝えることなく木から降りようとしなかった。

なぜなら逃げ隠れたことは“恥”だから。

「生きて虜囚の辱めを受けず」の教育が身に染み込んでいる上官だが

やがて夜な夜な敵兵が捨てた食糧や物資にありつけるようになった2人。

とくにそこがすでに戦地ではないことを知っている上官は

アメリカ軍の捨てた栄養高い残飯によって日に日に肥満して行く。

かたや純粋に島を守らんとする新兵は

日を経てもなお屈託のない血気を保ち続ける。

そうしてただただ木の上で2年を過ごしてゆく2人。


自分の生まれ育った美しい島が奪われ壊されることが新兵には耐えられなかった。

哀しかった。だから志願し戦うことを選んだ。

だからそのかけがえのない島を守るためにやってきた上官を尊敬した。

なんの疑いももたずに従った。

だが幼馴染の友達の手紙から新兵も戦争が終わっている事を知る。

木を降りましょうと上官に進言するが上官は拒否。

叩き込まれた恥の文化に凋落し、身を晒すことが上官には耐えられなかった。恐かった。

だから木から降りなかった。

そして粗野で世間知らずで礼儀知らずな新兵を蔑んだ。

疎ましく思った。殺してやりたいほど憎らしかった。

ガジュマルの木だけがそれを見守りつづける。

やがて新兵は腹痛に悩まされ、このまま木の上にいては死を待つばかり。

意を決した上官は全てを告白し。

2人は木の下に降りることとなる。

こうして2人の戦争は終わり。

2人はそれぞれの生活に戻った。

その後、2人が会うことは一度もなかった。


舞台の最後、ガジュマルの木が2人を載せたまま垂直に起きて行く。

不安定な状態でガジュマルの木に立ち尽くす俳優2人。

ここで舞台は終わった。



この作品は井上さんの脚本で藤原君が出演する事が決まっていたのだが、突然に井上さんが亡くなり

計画は一旦頓挫したが、こまつ座から栗山さんに上演したいと話がありこの舞台の実現になったそうだ。

井上さんには沖縄を書かなきゃ、という思いがあったみたいだが、私が感じた沖縄の悲劇は

以前に観た「ひめゆり」の方が良く伝わる。

だが2年もの間(実際は1年半らしい)終戦を知らず過酷な暮らしを強いられた2人の戦争もまた

悲劇である事に違いない。

井上さんの舞台には、いつも笑が散りばめられているが、この脚本も井上路線を踏襲したものと感じた。

ただ役者さん2人、台詞をしゃべり続け、聳え立つガジュマルの木を何度も上り下りする過酷な舞台、

本当にお疲れ様でした。

木の上の軍隊

木の上の軍隊

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-30

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