白鷺

 その日一日、私はそわそわしていた。

 日本が負けたことは実際悔しかったし、将来への不安は少なくなかった。しかし、一方では溢れてくる喜びを押さえきれないでいる自分がいた。同じ隊の仲間の何人かは空襲の犠牲になったし、別の隊の友人の中には、すでに敵国へ行って、戦死を遂げた者もあった。私はその知らせを耳にするたびに、この戦争の愚かさを感じて、絶望やら悲嘆やらに浸っていた。そして自分がいつその目に遭うかもしれないと思うと、言いようのない恐怖に襲われて、夜も眠れない日があった。

 もちろん日本が負けてしまえばいい、戦争が終わってほしいなどと口にすることはできなかったが、そのことも私を苦しめていた。

 私はもう我慢の限界を通り越して、何をやるにも無気力になっていた。隊長が朝礼で明朝大事な知らせがあるといったのはそんな折のことだった。

 私はいよいよ自分が出撃に加わるものだと思った。私の心は冷たく暗い空洞のようになっていた。私は自分の死に場所すら思い描いていた。何もかもが終わったのだと何の疑いもなく受け入れていた。

 アメリカの爆撃機が頭上をかすめるたびに死の恐怖が襲っていた。だが、今となっては死という言葉の意味はそれほど恐怖をもたらすものではなくなっていたし、現実の苦しみを開放する唯一の救いであるかのようにも思われた。

 そんなわけで、今朝隊長が昼に天皇直々の演説を聴くようにと言われたときには終戦を迎えた事実―任務上、日本の敗戦を察知した兵士らの噂によって事前に隊内に知れ渡っていた―を俄かに信じられなかった。実際に天皇の声を耳にしていてもリアリティはなかったし、電波の状態が悪かったせいもあって、どうして日本が負けたのかはわからなかった。日本が勝っているかのような報告ばかりが軍内部でも取り沙汰されていて、実際の戦況を把握しているのはごくわずかな上層部の人間に限られていたらしいのである。

 日本が負けているらしいことはアメリカ軍の空襲の多さからうすうす感じてはいたが、具体的なことは何も分からなかったのである。それでも直立不動で天皇の演説を聴き終えたとき、私は私の頬に涙が伝うのを感じていた。ともすればへなへなと崩れ落ちそうだった。それは自分の意識の外の出来事だった。しかしそれは他の隊員にしても同じことだった。中には大声をあげて泣く者もあったし、憤怒に燃える者もあった。それぞれがそれぞれの敗北を抱きしめていたのである。

 そうした興奮が冷めてきた黄昏時になってようやく自分が生きて故郷に帰れるのだ、という喜びが胸底から沸きあがってくるのだった。そうして再び死の恐怖に襲われるのだ。死の危険が去った―完全にではないにせよ―ことは逆に生きることへの強力な執着を生んだのだった。そして日本が負けたという事実を知って尚、終戦を迎えたことを喜ばずにいられなかった。

 私には許婚がいたし、かけがえのない家族がいた。早く、一刻も早く会いたいと思った。父親は私が幼い頃に戦死していたが、母親は元気に暮らしているはずだ。二歳年下の妹がいたし、その一つ下の弟がいた。それぞれの顔がありありと思い出された。あるいはこの二年間で妹たちはだいぶ変わったかもしれない。とにかく早く会いたいと思った。

 同時にそうしたことを考えている自分の身勝手さにうしろめたさを覚えて動揺した。私は感情を表に出す性格ではないし、今も平静を装っているが、人間は内面の感情まではコントロールできないのだ。そのことを私は痛切に感じていた。

 それは戦争中も同じことだった。隊員の誰かが目の前で死んだ時などはひどいショックを受けると同時に、自分でなくてよかったと思ってしまう。そんな自分が怖かったし、許せなかった。しかし、それは自分ではどうしようもない種類のことだった。
 
 
 その夜、私は夢を見た。

 私は湖の畔で許婚とおしゃべりをしていた。手を握り合って二人は笑っていた。どこへ旅行に行こうとか、どんな家に住もうとかそういう類の話をしていた。辺りは深い森が広がっていてひどく平和で静かだった。白鷺が湖に降り立って小魚を啄ばんだり、水を飲む音も聞こえた。私たちが大きな声で笑うと白鷺は驚いたように飛び去っていった。私たちはそれを追いかけた。

 白鷺はそれほど本気で逃げようとしたわけではなく、ゆっくりと静かに飛んでいたからだ。私たちは森の中をそっと駆けた。子供の頃に虫捕りをしていた、あんな感じで私たちは息をひそめながら追いかけたのだった。私は夢中になっていた。子供の頃のように夢中になっていた。

 どれだけの時間が経ったかわからないが、―たいした時間は経っていなかったと思う―私ははっと我に返ったのだった。その時、私は愕然とせずにはいられなかった。一緒に追いかけているはずの彼女はいなかったし、追いかけていた白鷺も見当たらなかった。私は森の闇に包まれてしまったのだ。私は夢を見ているのだ―もちろん夢の中の出来事だが、夢の中でそれとは気づかなかった―と思った。

 私は必死に彼女を捜した。生い茂る草木を掻き分けて捜したのだ。だが、森の闇は深く、あっちへいってもこっちへいっても景色は変わらず、私は途方に暮れてしまった。私は迷子になってしまったのだ。私は世界で独りぼっちになってしまったのだ…。
 
 夢はそこで終わった。

 目覚めた私はひどく汗をかいて、後味が悪かった。

 今日は帰宅の途に着いて、明後日あたりには家族に会えるだろうし、許婚にも会えるだろう。そんな折にこんな夢を見るとは何とも後味の悪いものだ。私は自分の手が震えるのを感じた。私は何に怯えているのだろう。自分はなんと臆病で弱い人間なんだろうと私は思った。実戦に加わらなかったにせよ、戦争という非常事態に精神が磨り減ってとしまったのだろうと自分に言い聞かせる他なかった。

それは大変にやるせないことだった。

瓦礫

 私は予想通りその二日後には故郷の地を踏んだ。途中、列車を乗り継いだわけだが、どの街も廃墟といってよかった。

 瓦礫の山か、あるいは人の死体の山がきれぎれに見えた。私はその光景を見た気持ちを何と表現していいのか言葉が見つからなかった。

 言葉にすれば嘘になるにちがいなかった。私はただ涙を流すしかなかった。

 隊員の中には軍役の終了が心からうれしいのだろう、ゲラゲラと腹を抱えて笑う兵士もいた。だが、私は隣に座る友人と眉をひそめていた。

 私の故郷は関東の都市部だったが、東京大空襲の被害は予想以上にひどく、隊員は一様に口をつぐんで、目を泳がせた。私は自分の家族の安否が危ういものだという現実を知った。隊長が慰労の言葉を述べ、解散を告げると私はまっすぐ自宅へ向かった。

 体はとうに疲れ果てていたが、足だけは動いた。無意識のうちに動いた。すれちがう人々の目は深い哀しみのなかで重く沈んでいたが、微かな開放感も確かに覗かせていた。それは私にとっても希望になり得た。そうして私は自宅へと急いだのだった。

 胸のうちに覚悟していたことだったが、家のあるはずの場所に家はなかった。瓦礫の山ばかりで、家具が少しばかりその形をとどめていた。

 私は長い間この地を離れていたせいで、道を間違えたのにちがいないと思って辺りを歩き回った。だが、それは徒労というものだった。

 そんな時、近所のオバサン―戦火が広がる前まで豆腐屋をしていて学生時代はよくお世話になっていた―と出会った。彼女が私の名前を呼んだのだ。私は彼女の生存を喜んだが、彼女は重々しくこう言った。

 「…あのね、とっても言いにくいのだけれど…」

 彼女がそう口を開いたとき、私はすべてを悟った。彼女は続けた。

 「あれは大空襲のときだったわ。いつもあなたんとこと一緒に逃げるんだけど、その時も一緒に逃げたわ。私は弟さんの手をひいて。それでね、お母さんと妹さんが少し前を小走りに行っていたのよ。焼夷弾がいっぱい降ってきて、もう何軒かは火の手があがってたの。空襲警報も鳴り響いてて。私たちが逃げ遅れたというんじゃなくて、みんな戸惑ってたわ。いつになく激しい空襲だったもの。頭巾を被ってみんな急いでた。私たちも走ったわ。その時だったわ」

 そこでオバサンは目頭を押さえた。私は言葉もなかった。

 「…その時、お母さんが振り返ったの。大丈夫って。そしたら焼夷弾がばらばらっと振ってきて、私たちの周りは火の海になったの。妹さんはまともに弾を浴びたのかもしれないわ。火達磨になっちゃって。私どうしていいかわからなくなって。そのあと私が何をしたのか覚えてないの。気がついたら病院にいて。病院っていっても包帯と消毒液ぐらいしかないんだけど、お母さんは全身ぐるぐる巻きよ。全身血だらけで、もうどうしようもないくらいにひどいのよ。でも生きてた。弟さんの名前や、妹さんの名前、そしてあなたの名前をずっと呼んでた。でもね、傷が膿んじゃって、五日後に亡くなったわ。ほんとに、ほんとに、悔しかった。なんでこんな目にあうんだろうってね。弟さんは元気だよ。私のうちにいるから」

 そう言うと彼女は私を連れて行った。

 「ごめんね。私がいながら、助けられなくて」
 「いえ。ほんとよくやってくれたと思います。ありがとうございました」

 この人は自分を責めているのだ。そういう気持ちは痛いほどわかったし、だからといって私には何もできない。言葉少なに私たちは歩いた。

 彼女の家―家といっても障子の類は焼け焦げていて、すっかり景色は変わっていたが―には弟がいた。弟は私を見ると胸に飛び込んできた。もう十代も半ばになるが、この何年かにいろんな経験をし、そして深い傷を負ったのだ。弟の姿はそれを語っていた。私はそれを受け止める。受け止めないわけにはいかない。

 今や私にとってたった独りの肉親なのだから。そう思うと私の胸は張り裂けそうだった。いったい私は何をやったというのだろう…。

 怒ってみてもどうしようもなかった。怒りをぶつける先がないのだ。

 私は大声で叫びたい衝動に駆られた。だが、今はそんな力は残っていなかった。私の体はへなへなとその場に崩れた。
 
 ひと段落すると許婚のことが気になった。それはある意味では最も重要な事柄だったが、進んで訊いてみるほどの勇気を持ち合わせていなかった。。だが、確かめないわけにはいかなかった。確かめなくてはいけないのだ。私は弟にそのことを訊いてみた。弟は言った。
 
 「お姉ちゃんねぇ、お姉ちゃん死んじゃったよ」

 私は血の気が引くのを感じた。頭がクラクラした。半ば衝動的に家を飛び出した。
 戦争は殺戮だ。多くの命を奪うのだ。兵士の仕事は人を殺すことだ。街を破壊することなのだ。

 私は気がつくと自分の家に戻っていた。家と呼べない家の元へ。その時、私は家の瓦礫の山に近寄って、家具を持ち出そうとしている人を見つけた。痩せ細った初老の男だった。彼は自分のものであるかのようにそれを運び出そうとしていたのだ。

 私の心内で何が起きたのかわからなかった。しかし、確実に正気の状態で、私は隊にいるときから身に着けたままになっていたナイフをその男に突き立てていた。

 男はぎゃあぁ、弱々しい叫びをあげてその場に倒れた。

 私は尚もナイフを刺した。肉をえぐる重い感触が伝わってくる。生温かい血が手にまとわりついた。

 男はぐったりと首を垂れた。私は人を殺したのだ、という実感が全身を貫いた。

 私はぜひとも訊いてみたかった。なぜ人を殺してはいけないのですか、と。人は笑うだろう。あるいは心配するかもしれない。この人は狂っているのだと。

 だが、私はその問いに答えられるような気がした。 

 そうして、私は頭を抱えた。私は何もかも失ってしまったのだ。

 母親も、妹も、恋人も。私には何もないのだ。

 森の闇に包まれてしまったのだ。深い森の中に私は迷い込んでしまったのだ。そして何も見つけることはできないだろう。白鷺や彼女を見失ってしまったように。

 空にはいつしか雲が覆い、生暖かい風が吹いた。それは砂を巻き上げて私の頬を叩く。何度も何度も叩いていく。その度に私は顔を覆った。しかし、私はそれらを根本的に避ける方法を知らなかった。

 私はただ立ち尽くすしかなかったのだ。

白鷺

いわゆる戦争モノ。招聘された青年が生きて帰ったのはいいが、家族や恋人が死んでいたというパターン。だが、テーマは「なぜ人を殺してはいけないか」ということにある。戦時中は人を殺すことは必要悪となり、賞賛される。だが、一旦戦争が終わってしまえば、終戦翌日であっても殺人犯だ。かねてから感じていた大いなる矛盾。それを昨今のアメリカの有り様から感じずにはいられない。9.11同時多発テロは確かに悲惨な結果をもたらした。だが、アメリカは報復を正当化してアフガン空爆を敢行、アフガン人犠牲は同時多発テロによる犠牲者数を超えた。こんな不条理なことが許されていいのだろうか。イラク攻撃にだって正当性はないのである。そんな想いをこの小説でぶつけたつもりであり、読者にも考えてもらいたかったわけである。

白鷺

戦争に正当性はあるのか。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-07-24

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  1. 瓦礫