IF2 ⑧
いらっしゃーい
白兎を大学に送った後に、碑百合さんとの約束を忘れずに命月さんの診療所へ向かった。
新都心と旧都心の境目にほど近い場所にあるこぢんまりとした建物。
命月さんは腕のいい外科医らしい。それはもうこんな小さい診療所にいるような人ではないとか、以前聞いたことがある。
大きな大学病院に移らないのか聞いたら、"お前ね、怪我人が殺到したらどうする気だ"と、
医者らしからぬ名言を吐き捨ててくれたのはまだ記憶に新しい。
中に入ると、小さな待合室の長椅子に黒いビーカーを片手に持った命月さんが座っていた。
「ほぉ、お前でも風邪を引くのか? この時期に」
と、やや遠回しに皮肉たっぷりな第一声で迎えてくれた。
「なにやら、取りに行ってくるように頼まれたので」
「そうか。寒空を出歩く手間が省けた。少しだけ説明を挟みたいところがある。説明と言うよりも疑問に近いな」
そう言うと、椅子から立ち上がり待合室の奥へ行き、黒い液体の入ったビーカーをも一つ持ち出してきた。コレがコーヒーだというのなら、実に不味そうである。
「まぁ不味いコーヒーでも飲んでいけ。暖は取れるぞ」
そういって、ビーカーを待合室の机の上に置いた。
何度も言うが、本当に不味そうでびっくりだ。入れ物でこれだけ変わる事にも驚かされた。
碑百合さんがカップにこだわるのも頷ける。
「念のため聞きますけど、コレ本当にコーヒーですよね?」
「お前は疑い深いな。器はともかく中身はただのインスタントだ」
「……いただきます」
尋常じゃない苦さが口の中で爆発的に広がり、眉間に生涯残るのではないかと思うくらいに皺を寄せるほどの酸味。思わず吹き出しそうになった口を押さえ、全力で飲み込んだ。
「う……マズ」
「正直者め。ほら、頼まれたモノのコピーだ。元本は持ち出すわけにはいかないのでな」
「紙媒体ですか」
「その方が始末も楽だろ。燃やすなり尻を拭くなり好きにするがいいさ」
そう言って、空になったビーカーを置いて白衣に袖を通した。長椅子に足を組んで座ったあたり、そろそろ本題になりそうだ。
「さて、まず一枚目。住宅が連なる細い路地で発見された成人した男の遺体だ。高所からの転落による"症状"が事細かに書いてあるだろ」
「症状? 電柱から落ちた……とかですか?」
「面白いことを言うな。この寒空の雪が降っている最中にわざわざ電柱に上って自殺するか? 飛び降りるならもっと的確な場所があるだろうに。まぁ自殺に追いやられている人物の思考は常軌を逸しているからな。一丸に違うとはいいきれない。まぁ、引っかかるところはそこだけではない。当日は積もるほどの雪だった。電柱ほどの高さからの転落ではこれほどの肉体の破損はまず有り得ないと私は踏んでいる。かなりの高所からアスファルトに"直に"叩きつけられたといた状態だな。でなければ 人間の皮膚が地面に張り付くようなことはない。これが矛盾だ。参考に写真があるが目を通すか?」
「……いいえ結構です」
「まぁいいだろう。では次。これは昨晩、新都心のビル郡が隣接するアーケード街。そこで発見された遺体の検死結果だ。こいつに関しては、ほぼ自殺と断定して解決したと言うことになっている」
「解決したならいいじゃないですか?」
「うむ。現場の状態がそれを物語っていたそうだ。ビルの頂上から遺書と脱ぎ揃えた靴とメガネが見つかった」
「自殺だったんですね……あれ?」
「死因は墜落による全身打撲によるモノではない。確かに右手と右足に集中して破損が多く見られるがしかし、転落で出来る損傷ではない。そして何より、遺書が見つかったビルより、30メートルほど移動したアーケード街に入った場所で絶えている」
「落ちた後移動したってことですか」
「人の規格におさまっているのなら、9割9分即死。奇跡的な粋があったとしても歩いて移動は不可能だ。もし自力で移動したのなら、さぞ鮮やかなレッドカーペットになるだろうに」
口の隅をゆがめ冷笑を浮かべる。この人本当に医者なのだろうか。段々不安になってきた。
「う……」
「なかなか貴重な体験じゃないか?」
揶揄するような笑みをもらす。
「どうした? 顔色が悪いが」
「命月さん、こういう話が苦手なの知っててわざと言ってません?」
「さて、何の事やら」
多分本日、最も邪悪な笑顔でした。
「一つ、気になって鑑識に資料提供を依頼した。その結果も一緒に入っているから見ておくように」
「もう終わりですか」
「全部説明させる気か? 面倒だ。私も暇ではないのでな」
「今面倒だって本音言いましたよね……」
「本音を話せるとはいいことではないか」
「まぁ、いいや……ところでその警察から来た資料って見たらまずいことは無いですか……」
「そうかもしれないな。見てはいけないモノかどうかは、自分で見て判断するといい、それから」
何かを言いかけた時、命月さんの胸ポケットからしんみりとした音楽が流れた。携帯のようだ。
英語だろうか? 外国人の男の人の歌も入っていた。
「なんかいい曲ですね。なんていう曲ですか?」
「知らないのか? レッド・ツェッペリンの天国への階段だ」
「医師の携帯の着メロが天国への階段って・・・…」
「呉野だ。ふむ。そろそろくる頃だと思っていたよ。いや、他意はない。ここ最近多いからな。現場の住所を……すぐ向かおう」
「話の途中だが仕事が入った。車に轢かれて焼死したそうだ」
「意味がわかりません」
「意味を調べるのが私の仕事だ」
命月さんは、手元の資料を開き、一人で納得したかのようにまた邪悪な笑みを漏らした。
IF2 ⑧
2時間サスペンスドラマで言うと22:05分くらいです。