箱の中のコビト

登場する社名および人名はすべて架空のものです。

 大河(おおかわ)建設の技術士、大藤(おおふじ)は、九月も半ばになるというのに、額に汗をかいていた。
「まだ直らないのですか?」と訊ねているのは、池沼(いけぬま)コーポレーションの小中(こなか)営業係長である。池沼コーポレーションは、半年前に 新築されたマンション、大東(だいとう)レジデンスの管理会社だった。
ふたりがいるのは、大東レジデンスの一階、共有エントランスと呼ばれるところで、彼らの目の前には、黒い御影石で作られた『カスケード』が聳えていた。カスケードというのは、人工的な滝を演出する構造物のことである。段々畑のような連なりを、上から順番に滝が落ちる。下まで落ちた水は汲み上げられて、また最初の段から流れ落ちる。本来なら、そのように機能するはずのシステムであった。
「滝が流れないので、循環しない水が下に残って、ほら、こんなに澱んでしまって酷い臭いがします」と小中は言った。「住民の皆さんも迷惑されておりますし、早急に修理していただきませんと」
「わかっています」と大藤は応えて、カスケードの前にしゃがみこんだ。「弊社といたしましても、早急の復旧を目指して、原因を調査しているところです」
言いながら大藤は、スーツとYシャツの袖をまくり、澱んだ水の中に手を差し入れて、水中のパネルを開いた。
「もう十日になりますよ、原因はまだわからないのですか?」
大藤は応えずに、パネルの内側から、小さな箱のようなものを引っ張り出して、それを水中から引き上げた。黒いケーブルと白いケーブルが繋がっている。
「まさかお宅、保証期間で金にならないからって、問題をケムにまくつもりじゃないでしょうね」と小中は食い下がった。
「いえ」と応えて大藤は、スーツの胸ポケットに手をやった。ポケットには金色の、小さなバッジがついていて、そこには大河建設のロゴマークと、大藤の名前が刻まれていた。
「金ピカバッジの大手さんなんだから、信頼を損ねないような対応を、くれぐれもお願いしますよ」と小中は念を押した。
「はい」と短く応えて大藤は、ポケットから出したハンカチーフで手を拭った。
「わかってる原因だけでも説明してください」と小中は言い募った。「でないとマンションの管理組合に、私が責められるんです」
「この滝は揺らぎの演出に、最先端テクノロジーを応用しておりまして」と、大藤は、手にした箱に目をやりながら応えた。「多分に専門的な話になりますので」
「なってもいいです」と小中は、断固とした口調で告げた。「説明してください」
小中の表情をチラリと見てから、大藤は立ち上がり、そして早口に応えた。「スティングブロックのフローシップが、マッシリットドラムに、フィンテッドベアリングを直結させるデファーソンを、関連づけられなくなっていることが原因です」
「といいますと?」
「つまり量子的なトラブルです」
「ちょ、ちょっと待ってください」と、今度は小中が胸ポケットに手をやった。手帳を引っ張り出して言った。「もう一度お願いします。メモしますから、できるだけ簡潔に」
「スティングブロックのフローシップが」
「はい、えー、お待ちください、はい、どうぞ」
「マッシリットドラムに、フィンテッドベアリングを直結させるデファーソンを」
「はい、フィンテッド、でいいですか、それとデフォルト?」
「デファーソンです」
「はい、直結させるデファーソン、ですね、それを?」
「関連づけられなくなっていることが原因です」
「あ、なるほど、関連づけられないのは困りますね、えー、それから?」
「以上です。要するに、この箱の中にいるコビトが、いくらサイコロを振っても、偶数の目しか出なくなっている、ってそういうことです」
「あ、コビトがね、これはわかりやすい喩えだ、サイコロ振っても奇数が出ないと」
「蓋然性の混乱です」
「なるほど、蓋然性が混乱してるわけですね」
阿呆とカラスが鳴いた。夕刻が近づいていた。
「本日はこのあたりで」と言って大藤は小中を見た。「またご連絡させていただきます」
「はい、ご苦労様です」と、小柄な小中はピョコンと頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしますが、今しばらく時間をください」と大藤は言った。そして箱を元にもどした。
ふたりは、流れぬ滝を背にマンションを出た。

朝の九時半に、永原はマンションに帰宅した。永原は東都大学のニ年生で、親が資産運用のために購入した大東レジデンスの七階に住んでいた。
徹夜の麻雀をしたあと、朝マックしながらレポートを書いた。大学のレポート提出ボックスに、それを放り込んだあと、レコードショップを冷やかして、それから帰宅したところだった。シャワーを浴びて、夕方まで眠るつもりだった。
マンションの共有エントランスに入ってすぐに、顔をしかめた。酷い臭いだった。
「ったく、まだ流れねーのかよ」と永原は呟き、舌を鳴らした。
そこへ、小中がやってきた。
「おはようございます」と小中は永原に挨拶をした。
「あ、管理会社の人だ」と永原は、ぞんざいに言った。そしてすかさず文句を言った。「臭いんだけど」と、流れぬ滝を指差した。
「申し訳ございません、ただ今、原因を調査中でございまして」と小中は、笑顔を作って、コメツキバッタのように頭を下げた。
「高い管理費とってんだからよ、蕎麦屋の出前じゃねーんだぞ、どんだけ待たせりゃ気が済むんだ?」と、嫌みを言ってから永原は、大きな欠伸をひとつした。
「やっと原因が判明いたしましたので、これから早急に対応させていただく所存でございます」
「なんで流れねーの?」
「あ、いや、それは、なにぶん専門的な話になりますもので」
「ごまかすんじゃねーよ、親父も怒ってんぞ、このマンション、管理が杜撰だって」
睡眠不足のせいか、永原の声は必要以上に苛立っていた。
その調子に、さすがの小中もムッとした顔をした。そして早口に言った。「スティングブロックのフローシップが、マッシリットドラムに、フィンテッドベアリングを直結させるデファーソンを、関連づけられなくなっていることが原因です」
永原は絶句した。
「量子的なんですよ、問題は」
「なんだって?」
「わかりやすく言うなら」と、小中は少し胸を反らせた。「箱の中のコビトがサイコロ振っても、偶数の目しか出なくなってる、ってそういうことです」
永原の眉が、おかしな具合にうねった。
「蓋然性が混乱してるんでしょうね」と小中がとどめをさした。
永原は黙っていた。
「では私、このあと会議がございますので、これにて失礼いたします」と小中は言った。「お父様も立派な息子さんに、いろいろと期待をなさっておられることでしょうなあ」
「なんだと?」
「いえいえ、目が真っ赤になるほど、勉学に励まれておられるようで何よりです。さて、私のような貧乏人は頑張って働かなくっちゃ。失礼いたします」
小中はそう言って、その場を立ち去ろうとした。
「待ってくれ」と、その背中を、永原が呼び止めた。「もっかい、もう一回言ってくれ、さっきのカタカナのとこ」
小中は足を止めて、振り返った。
「細かいところが早口で、今ひとつ聞き取れなかったから」と言って永原は、携帯電話を取り出し、録音ボタンを押して、突き出した。
「スティングブロックのフローシップが、マッシリットドラムに、フィンテッドベアリングを直結させるデファーソンを、関連づけられなくなっていることが原因です」と小中は、淀みなく喋った。「これでいいですか?」
頷く永原と、流れない滝に背を向けて、小中は足早に歩み去った。

深夜に近い時間、永原はバーカウンターにいた。アルコール度数9.5%の、ベルギービールを飲んでいた。
カウンターには、カバーのかかった本が一冊置かれていた。
永原の隣には、スーツ姿の客が座っていた。照明が仕立てのいいスーツを、暗い海の色に染めていた。
永原はため息をついて、本の表紙をめくった。総トビラのページにタイトルが、『量子力学概論』とあった。
小中の皮肉がこたえたのか、柄にもなく学術書を購入していたのだった。だが、まだ数行しか読んでいなかった。
何度めかのため息をつく寸前に、隣の男がため息をついた。
永原は隣を見た。
スーツ姿の男も、永原の視線に気がつき、憂いを含んだ微笑を浮かべた。そのあと、永原の手元にふと目をとめた。そして問いかけた。「学生さんですか?」
「そうだけど?」と永原は応えた。
「量子力学ですか」と紳士は言った。「私なんかにはまるでわからない学問ですな、これでもエンジニアの端くれなんですがね、いや、もっと勉強してればよかった」
「エンジニア?」
「ええ、若いころから機械いじりが好きでして」
「いいじゃねーか、好きなことやれて」と今度は永原が微笑した。「なのにあんなでっかいため息なんか、つきやがって」
紳士はバーテンに、マッカランを頼んだ。「12年でよろしく」
「聞いてくれますか、学生さん」と紳士は、ロックグラスを眺めながら語りはじめた。「我が社が担当したマンションには、カスケードという、あ、ご存知ですか、人工的な滝が流れるシステムがあるんですけどね」
「知ってるよ、カスケード」
「そうですか、だいぶん普及してきたのかな」と言って紳士はマッカランを飲んだ。そして続けた。「その滝が流れなくなるという故障がありまして」
「よくあることじゃねーか」
「そうですか?」と紳士は眉を開いた。「私の知る限りでは、こんな不具合は、後にも先にも一件しかありません」
永原は手にした瓶をグラスに傾けた。
「特殊なカスケードでしてね、滝の揺らぎを再現するために、どうやら、今あなたの勉強されている、量子力学を応用してるらしいんです」
永原は黙って聞いていた。
「でも、私は量子のことなんて、まったくの門外漢でして、システムを構築した国の開発者に問い合わせようとしたのですが、なんとその方は亡くなってしまったとのことでして、おまけに信じられないことには、その後任者もいない、あ、突発的な事故死だったらしいんですよ、ですから、その最新テクノロジーは、我々にとってまったくのブラックボックスでして」
紳士はそれだけ言うと口をつぐんだ。
「なんだ、んなことか」と永原は言った。
「そんなこと?」
「量子力学を応用した滝がなんで流れなくなったのか、その原因がわかればいいのか?」
「そうですよ」と紳士はグラスを置いた。「そうなんです。ひょっとして学生さん、なにか心当たりが」
永原は携帯電話を取り出して、再生ボタンを押した。
「スティングブロックのフローシップが、マッシリットドラムに、フィンテッドベアリングを直結させるデファーソンを、関連づけられなくなっていることが原因です」と、小中の声が流れた。
「これが滝の不調の原因だよ」と永原は言った。
紳士は顔をあげ、永原の目を見つめた。
「蓋然性の混乱ってやつだね」と永原は語った。
紳士はカウンターの本に目をやった。
「わかりやすく言ってやろーか?」と永原は言って鼻を鳴らした。「箱の中でコビトがね、サイコロ振ってやがんのさ、だけど偶数っきゃ出なくなってんだよ」
紳士はまた永原を見た。
「そーゆーこと」と言って永原は、紳士の肩を軽く叩いて、財布を出した。
「あの、ちょっと待ってください」と紳士が言った。「いや、ちょっとさっきのところ、再生が不鮮明で聞き取りずらかったのですが、できたらもう一度」
「買うかい?」と永原は言った。「あんたのケータイって、マイクロSDでオーケー?」
紳士はスーツの胸ポケットから携帯電話を取り出した。そして頷いた。
「ほいよ」と言って永原は、自分の携帯電話から、メモリーカードを引き抜くと紳士に差し出した。「五百万円」
紳士はカードを受け取り、しばらくそれを見つめていたが、やがて慌てたように自分の携帯電話に、渡されたカードを挿入した。そして、再生ボタンを押した。
「スティングブロックのフローシップが、マッシリットドラムに、フィンテッドベアリングを直結させるデファーソンを、関連づけられなくなっていることが原因です」と、小中の声が流れた。
「五百万円ですか」と紳士は言った。
「と、言いたいところだけど」と、永原は言って立ち上がった。「ここの払いに負けとくよ」
「いいんですか?」
「いいってことよ」と永原は笑った。「その本もオマケにつけてやるから、よかったら持っていきな」
紳士は立ち上がり、深々と頭を下げた。「有難うございます」
紳士は、携帯電話を大事そうに胸ポケットにしまった。ポケットに輝くバッジには、大河建設のロゴマークと、大藤の名前があった。

九月の半ば、マンションの共有エントランスで、ふたりの男が話し合っていた。
「滝が流れないので、循環しない水が下に残って、ほら、こんなに澱んでしまって酷い臭いがします」と小柄な男は言った。「早急に修理していただきたいのですが、原因はわかったのですか?」
「多分に専門的な話になりますので」とスーツの男は、手にした箱に目をやりながら応えた。
「なってもいいです、説明してください」
スーツの男は早口に応えた。「スティングブロックのフローシップが、マッシリットドラムに、フィンテッドベアリングを直結させるデファーソンを、関連づけられなくなっていることが原因です」
「ちょ、ちょっと待ってください」と、小柄な男は、手帳を引っ張り出して言った。「もう一度お願いします。メモしますから、できるだけ簡潔に」

やっべーな、と川面(かわも)を眺めて神様はのたもうた。淀みができちった、ぐるぐるおんなじとこ回ってやんの、コビトのやつめ、いい加減に奇数を出せっつーの。

おしまい。

箱の中のコビト

箱の中のコビト

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-07-23

Public Domain
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Public Domain