ジェラード3 「異界からの復讐者」

 ヤルタが軽い寝息をたてている。

 草原を吹き渡る風。

 ボクは眼前に広がる宇宙を見ていた。
 無数に散らばる光りの粒。
 どれがいちばん近いのか、どれがいちばん遠いのか。

 あのうちのどれかにボクと同じように寝そべって、同じ思いで宇宙を眺めている
生命があるかもしれない。

 広い。
 あまりにも広い。

 ふと上下の感覚が無くなり、この無限の広がりの中に落ちていきそうな感覚に
恐くなる。
 普段、ぜんぜん気にも留めていないこの星の重力の確からしさが、
ふと不安に思える。

 ボクはこの星に引っかかっている小さな生き物
 小さくて小さくて
 救いようのない
 生き物…

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         ジェラード3 「異界からの復讐者」

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 「腹へったー腹へったー腹へったー」
 「ちょっと、男だろ!王子様!少し我慢しろよぉ」
 「んなこと言ったって、もう人里出てから2日だぞ。パンが食いてー。
 スープが飲みてー」
 「たく、育ちの良いお坊っちゃんはこれだもんなぁ。付き合いきれないわ。ふう」
 「辺境人は野蛮だよなー。草の実のおかゆみたいのでも食べれるもんなー。
 木の根っこでもかじれるもんなー」
 「どーせ野蛮な辺境人ですよだ!あの山のふもとがザルクタンだから、も少し
 辛抱せいよ」
 「うーうーうーうー」

 ザルクタン

 鉱山の町。この地方では3番目に大きな町だ。掘り出される鉱石は純度の高い
良質の各種メタルで、機械の部品や農具に使用される。幾つかの会社が鉱山を
経営しており、この町の住民ほとんどがその会社の労働者だ。
 赤茶けた山肌と、精錬の煙の柱がボクらの前に現れてくる。

 「もうだめだー。あの町まで転送してくれー」
 「おいおい。腹減ってるのおまーだけじゃないんだぞ。ボクだって力使うんだぜ」
 「頼むよー」
 「情けない奴だなぁ、ホントに。向こうへついたら何かおごってくれよ」
 「うんうんうん。マルカナフルーツ4つ」
 「5つ!」
 「足下見るなぁ。それでいいからさー」
 「ん」

 ボクは右手をかざす。クリスタルから緑色の光りがあふれ、次の瞬間、ボクらは町の
入り口にいた。古い大きな石橋を渡る。水の少ない川で、子供達が釣りをしているのが
見える。

                     *

 「ラサム…」
 「うん」
 「これって…だよな」
 「らしいね」

 食料を調達するため店の立ち並ぶ通りへ来たボクら。しかし、どういう訳か、
開店している店はそう多くない。やっと見つけた食料品を扱う店でボクらを
待っていたのは、延々と並んだ順番待ちの買い物客の列、その最後尾だった。

 「こんなとこで待ってたら、飢えちまうよ、死んじゃうよ」

 店を探すのに歩きくたびれたヤルタは半ベソである。
 衣食足りて礼節を知る。
 王子様も腹が減っては威厳のかけらも無いただの少年。ちょっと可愛そう。
 しかし、どうすることもできない。ボクらは仕方なくそこに並んだ。
 しゃがみ込むヤルタ。

 ボクは前のお年寄りに尋ねた。

 「あの、すみません。どれくらい並んでらっしゃるのですか?」
 「はあ、かれこれ1時間少しですかなぁ」
 (う)

 ちらりとに視線を落とすと案の定、ヤルタはひたいの角を地面に突き立てて
ヒクヒクしてる。

 「いつもこうなんですか?」
 「あなた様、旅のお方ですかな?」
 「ええ。ここへは初めてなのですが」
 「そうさのぉ。2年ほど前からですかの。3つほどあった鉱山会社のうち、
 2つが閉鎖になりましての。それからですな、品物は少なくなる、値段は上がる。
 毎日が大変ですじゃ」

 ふう。

 その時、店員らしき男が現れてボクらの20人ほど前の所で声を上げた。

 「今日の分の品物が少ないため、今日はここで終わりです!」

 ワラワラと帰り出す人達。

 「だぁ」

 ヤルタは死んだ。
 ボクは店員へ話しかけた。

 「すみません。ホントに何もないんですか?連れの者が弱っているので、少し
だけでも食べ物があれば助かるんですが」
 「そういわれてもねぇ。この町では品物の入荷量が決まっているので…」

 店員はそう言うと、ほとんどグランパ・ド・ドゥしてるヤルタをみて、
 「!」
 突然、顔色を変えた。

 「ちょ、ちょっとお待ち下さい!」

 あわてて店へ駆け込むと、同じ勢いで飛び出して来るなりボクらを店の裏口へ
引きずり込んだ。

 「申し訳ありません。不手際を致しまして」

 ヘコヘコ頭を下げる店主。

 「どうぞ、何なりとご注文下さい。用意いたしますので」
 「「?」」

 突然の事で、目を白黒のボクら。
 なんなんだ、これは?

                  *

 「ふう!死ぬかと思った」

 お腹を満たし、ごきげんの王子様。

 「しかし、変だなぁ。無い、無いって言ってたわりに、ボクらの注文通りの物、
すぐ出してきたじゃないか」
 マルカナフルーツをほおばりながら、言うボク。

 「そうだな。なんか、あるぞ。この町」
 ヤルタの目が王族のそれに戻って来ている。

 裏口から買い物袋を持って出たボクらは、一人の車椅子の少女に気がついた。
 まだ10才にはなっていないだろう。家へ帰るところなのか。
 空っぽの買い物かごは、買い物の列に並んだものの目的を果たせなかった事を
語っていた。

 「おい」
 「うん」

 ボクらは袋を持って彼女に近づいた。

 「ねえ、どうしたの?買い物できなかったんだ」
 顔を上げたそばかすだらけの青い瞳の少女。
 金色の髪をおさげに編んでいる。
 しかしその視線が、ヤルタに移った時。顔色が変わった。
 その感情はあの店員と店主が示したものと同じだった。


 恐怖


 ボクらは少女の表情にその感情を読んだ。
 その原因が自分にあることを、ヤルタはすばやく悟る。
 彼は臣民をいたわる王子の微笑みで、自分の食料かごの中から手のひら大の
 果物を取り、彼女に差し出した。

 「大丈夫。オレは違うよ」

 少女は直感的に彼が恐れの対象でないことを感じて取った。
 色の白い細い指が、果実を受け取る。

 これでコミュニケーション、成立。

*

 ジェラードのマントをはずし、ありふれた旅人の格好のボクは、その晩、
酒場にいた。

 手元のグラスが甘い葡萄の香りをたて、ボクの鼻をくすぐる。

 町の様子を知るには、その土地の働き人達が集まる場所へ行くのが一番。
そこは一日の労働に疲れた男達が憂さを晴らす場所。
 王子様にはわかるまい。貴族のお気楽な暮らしの下では、自分の寿命を削って
お金に換え、生活している人々がいるのだ。

 ボクらは町の様子が分かるまで宿屋へ泊まるのを止めにした。
 ヤルタはごねたが、仕方がない。町の人々がクリーチャーに対して特別な感情を
抱いていることが判った以上、ヤルタを連れてうろうろできない。

 昼間の少女はエリザといった。両親を鉱山の事故で失い、二人の兄と暮らしている。
 彼女の兄たちも鉱山勤め。しかし最近、鉱山で事故が多く、心配だという。
 3年前に、事故が元の病気で足を悪くした彼女は車椅子で家事をきりもりしている。
近所の人達が世話を焼いてくれるそうだが、やはり、皆も苦しい生活を耐えている。
そばかすの少女も自分のできることはやろうと懸命なのだ。

 歌をうなっている男達。
 酒のおかわりを求めて叫ぶ。
 皆、疲れている。

 労働環境の悪さと、賃金の低さと、見通しのつかない生活のやるせない気持ちを酒に
紛らしている。

 ふう。

 やぱ、ヤルタ、連れてくれば良かったかな。いい勉強になったかもしれない。

 気分が伝染してきて、ボクは溜息の後、グラスを空けた。

 「おい、あんちゃんよ、どっから来たね?」

 出来上がった一人のじいさんが、グラス片手にボクに声をかけてきた。

 「ええ、北の方からです」
 「そうか、北の方は景気はどうじゃね?」
 「ええ、さっぱりです。最近、砂漠化が激しくて。虫もよく出ますし」
 「はっは。やはり、どこも似たようなもんじゃの」
 ボクの隣に腰をかけるじいさん。かなり酔っているように見える。
 でも。何かをこの人から感じる。何だろう。

 「ここには確か、鉱山会社は3つばかりあったと思いましたが。ボクは働き口を
  見つけようとここまで来たんですけど」
 「よしな、よしな。ここは働く所じゃない。この町に住んだ日にゃ、それこそ骨に
  なっても働かされる。物は高いし給金は安い。よそへ移り住みたくたって、
  旅費さえでやせん。ここだけの話じゃが、今の会社のバルーマンって社長は
  とんでもない奴でな。他の2つの鉱山に手下を忍び込ませて、あっちこっちで
  事故起こさせてな。で、事故の復旧やら保証やらで弱った所を買収しちまうん
  じゃからの」

 「おい、じいさん!声がでけえよ!バルーマンの耳に入ったらどうすんだよ!」
 隣の丸テーブルの若い男が声をかける。

 「ちくしょう!ばあさんを隣町の医者に見せる事さえできなかったんじゃ!
  あいつらのせいで!あの忌々しいフィールダーの奴等!」

 「フィールダーがどうかしましたの?」

 「!」

 酒場がしんと静まり返る。
 入り口にはグレーのタイトスーツに身を包んだ数人の人影。その中に一人の緑色の
巻き毛の女性が見える。声の主だ。

 ボクは奴等に常人には無い気を感じ取る。
 うん。判った。なるほど。こいつらがエリザや町の人達の恐怖の対象。
 こいつら、クリーチャーだ。

 彼女は繰り返した。
 「フィールダーがどうかしまして?」

 じいさんは一呼吸おいて、破れかぶれで言った。
 「ああ、したともよ!あの日、あんたらの都合で夜間外出を禁止なぞしなきゃ、
 ばあさんは死なずにすんだんじゃ!」
 「そう。それはお気の毒に」
 「何が「お気の毒に」じゃ!畜生!」

 じいさんは女にグラスを投げつけた。女は深紅のマントをひるがえす。
 ギンッ!
 鋭い金属音がして、グラスは光る粉と化した。
 皆が息をのむ。

 「うふっ。どうやらお仕置きが必要のようですわね」

 緑色の髪が微笑む。と、同時に床板がはじける音!

 「危ない!!」

 ボクはじいさんの小さな体を抱えて飛びすさった。

 グワシャァンッ!

 衝撃波がボクらのいた場所を通り抜け、向かいのカウンターを直撃する。
 蒸留酒の琥珀色が飛び散り、棚が崩れ落ちる。
 このクリーチャー、気術使いだ。

 空気の膨張・収縮を自在にコントロールする気術は、使いようによって衝撃波や
真空を作りだすこともできる。空間を制御する術より威力は小さいが、人の命をあやめ
るには十分だ。

 「おや、おじいさん。命拾いしたようですわね。うふふふふ」
 「じいさん大丈夫?」
 「あ、ああ…」
 白い髭の下の口元がゆがむ。

 女は髪を掻き上げながら近づいてくる。ひたいの脇に羊の角のような感覚器が
見える。年はボクよりすこし下くらい。若い。少女と言っても、いい。

 「あら、こちらは旅のお方の用ね。ずいぶん素敵でいらっしゃるわ」
 あごを掴まえにかかった彼女のしなやかな手をボクは振り払った。
 紫の口紅。甘い香水の匂い。
 好かん!こういう娘!


*


 「あの…ヤルタさん…」
 「あれ?君は確か昼間の…エリザさん、だったっけ?こんな所へ」
 「ええ、わたし時々この草原に星を見に来るんです。この望遠鏡で」
 「へえ、これはいい物だね」
 「ええ。昔、お父さんが旅商人の方から買い受けた物なんだって。サトゥナーラ製だって」
 「ほんとだ。実言うとオレ、サトゥナーラから来たんだ」
 「ほんと?そんな遠くから?」
 「ああ、ちょっと事情があってね」
 「ごめんね…」
 「え?」
 「あの時は。てっきりバルーマンの新しいクリーチャーかと思っちゃって…」
 「この町にも他にクリーチャーが?」
 「うん…たくさん…」

                  *


 いるんだな。これが。
 ボクが彼女の手を振り払ったときに彼女の発した感情を関知したのか、外に控えて
いたらしい奴等も影のように入ってきた。
 身構えるボク。クリーチャーが15、6人。相手するには楽なもんだが、何せ場所が
悪い。巻き添えが出る。

 「さて、どうしてあげましょうか」

 くすくす笑う、女。緑色の巻き毛を掻き上げながら、こちらを見おろす。

 「取りあえず、お家へご招待しましょうか」
 彼女が後ろへ目をやると4人のクリーチャーが進み出た。

 「(こ、これはっ!)」

 美形の青年である。そろいもそろって。う、いかんいかん。こんな時に。
 しかし、ボクとじいさんの脇に立った彼らの額に銀色の物を見たとき、ボクは凍り
付いた。
 脳改造を受けている。
 「技」の進んだ国ではこの残酷な技術があるとは聞いているが、実物を見るのは
初めてだ。
 むごい。
 生き人形。彼女の言うがままの奴隷。
 ボクは鳥肌が立った。

 「この方達をお連れして。そちらの素敵なお兄さまは特に丁重に、ね」

 無邪気に微笑む。しかし、ボクは沸き立つ怒りを押さえるのに必死だった。そして、
思いついた。この地方にこれだけの「技」を持つ者がいると言うことは、何か、ある。
 それに、このじいさんは…
 ボクは彼らに抵抗するのをやめにし、拘引されるままにした。
 酒場の人々が沈黙して見守る中、ボクとじいさんは外へ出た。古風な荷物運搬用の
オートモービルが後ろの扉を開けている。

 「まるで、犯罪人の護送車みたいだな」
 「そうじゃ。ただ、犯罪人ではない。奴隷じゃよ」
 「奴隷?」
 「そうじゃ。会社のやり方に不服を持つ者を掴まえては強制労働に就かせて
いるのじゃ」

 いったいこの町はどうなっているのだ?ずいぶん昔の独裁国家のようじゃない。
 バタン。
 扉が閉まり、カギがかけられる。乗せられているのはボクらだけ。しかし、時間を
考えると、乗せられる『奴隷』はこれからだろう。

 発車する。緑の髪を乗せた車は前を行く。

 「すまんの。旅の方」
 じいさんが謝る。

 「いいんですよ。仕方がありません。じいさんが間違ってるわけじゃないんだから」
 「しかし、あんたを巻き添えにするつもりはなかった。捕まるのはワシ一人の計画
じゃったのに」
 「計画?」
 「うん。あんたは信頼できそうじゃ。協力していただけると助かる。だが、
もしかするとあんたもあの青年達のように…」
 思った通り。そこにいる老人は、ただののんべのじいさんじゃなかった。
どうやらボクはこれから起ころうとする事件のど真ん中に巻き込まれて
しまったようだ。
 じいさんは運転席を気にしながら小声で話しだした。


                   *



 「クリーチャーが増えだしたのはいつ頃からだい?」
 「あれはうちのお兄ちゃん達が務めていた会社が事故で倒産するすこし前だった
から、3年くらいたったかなぁ。ハイドラ社に新しい発掘機械ができた頃よ。
いきなり社長のバルーマンの娘のルシータがおかしな力を使って、町で好き放題を
するようになって。
 もともと悪だったんだ、あの子。町の人がバルーマンに抗議して、ひとまず
収まったんだけど…」
 「けど?」
 「ハイドラ社以外の会社が倒産してしまったあと、ルシータは”フィールダー”って
クリーチャーの組織作って、“治安維持”とかいう名目でまた好き勝手やってるの。
笑っちゃうよね」
 「事実上この町はそのハイドラ社ってとこに支配されてるわけだ」
 「うん。でも、ね。…」
 「…?」
 「あ。そろそろ帰らなくちゃ。お兄ちゃん達も帰ってくる頃だし」
 「送ろうか?」
 「ううん。いいの。だってクリーチャーの人を連れてったらお兄ちゃん達、
 青くなるわ」
 「エリザ…」
 「え?」
 「君、何かすごく大きな事、隠してない?」
 「あ、あの…」
 「ボクはここにいるクリーチャー達とはくらべものにならない力を持っているんだ。
 あのラサムほどじゃないけどね。一緒に行こう。きっと役に立てるよ。
 君のお兄さん達を紹介してくれないかい?」


                  *


 (うー。くさい・くさい・くさい・くさいー。しくしく)

 狭い寝台の上で毛布を頭までかぶり、ボクはベソをかいていた。

 ここは“非常時労働者”の宿舎。宿舎と言ってもほとんど牢獄。狭い部屋に体を
横にするためだけの寝台が三階建て。おまけに通気は悪いは、寒いわ。
でも、何よりも耐え難いのは”男くさい”こと。

 たとえボクが男として育てられたとはいえ、これだけたくさんの男衆の中で生活
したことはない。もちろん日中の鉱山掘りの仕事ゆえ、アセくさくなるのはわかる。
水浴びも3日に1度だと言うし。でも、男ってこんなにくさいものだったなんてー。
 父や兄も臭いんだろうか。べそべそ。


 真夜中。男衆のイビキのこだまの中、ボクは寝台を抜け出した。右手に巻いてある
布をほどき、クリスタルを発動させる。ここ3日間、隙を見てはあたりを探っている
のだ。非常時労働者が空間移動の能力があるなんて思いもしないだろうね。へへん。

 「ふう」
 ああ、清浄な空気。思いっきり深呼吸。
 うー。至福。こんな当たり前のことが、こんなに気持ちがいいことだったなんて。
 ボクは街を一望できる山の上にいた。

 宿舎は鉱山の入り口のすぐ脇にある。“非常時労働者”達は宿舎から出て
すぐ仕事場。労働力の産地直結完全無公害方式。逃げ出す隙もない。
 ただ不思議なのは皆が掘っている坑道と会社が掘っている坑道が別であること
だ。おそらくメタルが目的ではない何かを見つけようと言うことなのだろう。

 鉱山の入り口と宿舎を見渡せる小高い場所に、あの忌々しいクリーチャーの娘の
『お家』がある。2階建ての木造。周りには良く手入れされた花壇があり、木には
小鳥の巣箱などをかけている。裏側には小さな畑。豆やら芋やら植えてあり、今季節の
ククルスの赤い実が食べ頃だ。あの性格にして、この家。よくわからん。

 家へ出入りする人間は彼女と例の脳改造を施された青年たちだけだ。彼らは毎日
交代で2人ずつ宿舎から呼び出される。美青年を侍らせているかと思うと実に
うらやましい…、いや、腹立たしい。

 この付近では鉱山会社に関する何らかの情報は得られないようだ。やはり、街を
見おろすようにそびえるあの会社の建物へ出向く必要があるみたい。しかし、その前に
ヤルタと接触しておかないと。

 ボクはヤルタに『意志』を飛ばす。彼は、『意志』を飛ばすほどの能力は持って
いないので、ボクの連絡待ち状態だ。忙しかったので、“宿舎”へ来てから一度も
コンタクトしていない。怒ってるだろうな。

 「さてと」

 右手をかざし、緑色の輝きを解放する。

                   *

 「やっ!お・ひ・さっ!」

 星の光に照らされている赤毛の美少年がたたずんでいる草原。
 ボクは思いっきり愛想良く声をかけた。

 「たく、何やってんだよ。わざわざ奴等に捕まるなんて」

 ぶっちょうずらの王子。思った通り、機嫌を損ねてるみたい。

 「へへ、内偵、内偵。おかげで雰囲気はだいたいつかめた。で、そっちは?」
 「まあね。しかし、みんなクリーチャーにずいぶん恨みがあるみたいだな。エリザが
口を利いてくれなかったら話するどころか、袋叩きにせんばかりだったぜ。初めは」
 「人気者は辛いね」
 「冗談言ってないで、どうする?どうやら3,4日のうちに動くらしいぜ」
 「うん。ここで働いている人達の動きはだいたい分かったけど、会社側の方が
今一つなんだ」
 「何だ。まだなのかよ」
 「そう言うなって。ヤルタだって、まだ具体的な計画については教えてもらって
ないんだろ?」
 「でも、エリザが何かのカギになってるらしい事はわかった。本人は乗り気じゃない
みたいだけど」
 「それともう一人、エドガーじいさん」
 「そう」

 『エドガーじいさん』とはボクと一緒にフィールダーに捕まった老人だ。彼の話に
よると、労働者がクーデターを起こす計画があり、その計画の一部として彼が“宿舎”
へ潜り込む必要があったのだと言う。

 「そう言うわけで、これから社の建物を探ってくるから、そっちは頼むね。
それから、あんまりみんなに能力、見せない方がいいよ」
 「分かってるって。取りあえずボクはエリザの治療係だから」
 「治療係?」
 「ああ。彼女、時々足が痛むんだ。サトゥナーラから持ってきた良い薬もあるし。彼女の
兄貴達に頼まれてるんだ。彼女の健康状態に兄貴達はかなり気を使ってるみたいでね」
 「お兄さん達って、美形?」
 「あのなぁ」
 「あはははは、冗談冗談(汗)。じゃ、そっちは頼むね」
 「ああ。でもそれより…」
 「なあに?」
 「ラサム、くさいぞ。水浴びしてるのか?」

 あうー。男衆のことは言えない。実はボクも、しばらくアセまみれのままなのだ。

 「それ言わないでくんない?ボクもまいってるんだからさあ。昼間は狭い坑道で
肉体労働だしー、ボクは女だからみんなと水浴びなんてできないしー、隙を見て
あちこちさぐらなきゃいけないしー、ぶちぶち」

 ボクは指折って訴える。

 「女、やめれば?」
 「冗談きついぞっ!」
 「あの森の脇に泉があるから行って来いよ」
 「サンキュー…っと、いつぞやみたいに覗くなよぉ」
 「あれは、物のはずみだろ!それよりほら、護身用の剣もってけよ。
水に浸かるとクリスタル使えないんだから。ここらに虫はいないようだから心配は
ないと思うけど」
 「ん。あんがと」

                   *

 まだちょっぴり湿り気が残っているボクのウエーブのかかった長い髪を夜の風がなでてゆく。

 会社の敷地は実にきれいに手入れがされた芝と木々が公園のようだ。その木の上から
ボクは周りを見渡している。向こうに事務所棟と思われる煉瓦の建物が見える。
そんなに大きくはない。石積みの塀に囲まれた古びた建物の入り口には警備の男が
数人詰め所に居るのが分かる。いずれもクリーチャーだ。

 しかし、ジェラードの能力の一部を持っているヤルタに比べれば大したことはない。
おそらく空間を歪めたり、異空間を関知することもできないだろう。ただ、警備が居ると
いうことは何か大切な物があるという事だ。あっさりとボクは建物の中に入る。

 1階は”普通”だ。机や椅子が並び、様々な書類や台帳が保管されている。
木の床を音を立てないように歩く。明かりは使えないのでクリスタルの“感覚”が
頼りだ。坑道の地図や採掘計画が壁に張られている。後で役に立ちそうだ。しかし、
一番ボクが知りたいのはこれではない。この国にはないはずのクリーチャーを作り出す
技術がどこからやってきたか、そして、今それがこの会社のどこにあるか、だ。

 2階の一部は居住空間になっていた。しかし、しばらく使われていないのだろう。
豪奢な装飾の施された家具は埃がかぶってる。

 「へんだなぁ。バルーマンはどこに住んでるんだろう?」

 部屋を探っているうち、ボクは窓辺のコーナーにたくさんの写像が飾ってあるのに
気がついた。その一つを手に取る。
 小さな可愛い女の子とその両親。女の子はルシータだ。おそらくこの父親がバルー
マンだろう。割と渋いおじさまじゃない。うふ。
 でも3人が一緒に写っている写像はその年までだった。その後の写像には
バルーマンかルシータばかりである。

 「きっとお母さん、亡くなったんだな…」

 彼女がワルを始めたのもその頃からだったのかも知れない。
 ボクは複雑な気持ちで部屋を出た。

                   *

 ボクは地下への入り口を探していた。やはり、お約束通り怪しい物は地下に
あるのだろうと踏んだのだ。しかし、これがなかなか見つからない。

 「肉眼ではダメかぁ。しかたない。ちょっと力、使おう」

 クリスタルを構える。

 「よし!」

 ボクは”感覚”を広げ床下の空間を探り始めた。クリーチャーを作り出すには
かなりの”力”が必要なハズ。何かが”感覚”に引っかかるに違いない。

 「!」

 あった。何かの”力”だ。しかし、期待した物よりかなり小さい。いきなりそこへ
空間移動しても危険なので、ボクは空間をゆがめその”力”のあるあたりを透視する。
 煉瓦の壁の像が浮かぶ。あちこちに置かれている鈍く銀色に光る機械。それは
明らかにこの国の物ではない。ヤルタに見せればはっきりするであろうが、おそらく
サトゥナーラの物だ。ケーブルがはい回る床。そして-

 「えっ!」

 ボクは息をのんだ。
 ケーブルのつながった低い銀色の台の上に立つ男がいた。男にも幾つかのケーブルが
接続されている。そしてその男の顔はつい先ほどボクが見た、あの渋目のおじさま
だったのだ。

 「バルーマン!」

                     *


 「エリザ、見える?」
 「ええ、ヤルタさんも見る?」
 「ああ」
 「あの、赤い星がティセル。で、すぐ脇に緑色の小さな星が見えるでしょ?あれが
 ギュゲス」
 「ん、見えた。へえ、いい望遠鏡だな。でも、…」
 「どうしたの?」
 「なんだか、分からないけど、不思議な感じ。何だか落ちつかない気分になる…
  不思議な波動が…星じゃないな」
 「…ヤルタさん、クリーチャーだから感じるのかも…」
 「もしかしたら、君…?」
 「あの赤い星と、緑の星がもう少しで重なるの。そうしたら…」


                     *


 ガガガガガガ
 ガッン! ガッン! ガツン!

 耳栓を通して削岩機械とつるはしの叫びが鼓膜をつつく。
 防塵マスクの下の唇が熱い。
 アセが目に流れ込む。
 電気照明の薄明かりでだいだい色に照らされる坑道の岩壁がにじんでいる。

 「ふうー!」
 肩で息をするボク。体力には自信があるけど、やぱ、きつい。
 今日も、大の男が2人ほど倒れ、運び出されてる。
 いったい何が目的で掘っているのか分からない。少なくともまだ掘り出されていない
 ことは確かだ。

 後ろで見張るフィールダーを気にしながらつるはしをふるう。
 作業時間は抜け出すことは不可能だ。
 ボクは昨晩の風景を反すうしていた。
 この圧政の親玉と思われていたバルーマンさえもが人体改造を受けた
 人形だったのだ。と言うことは黒幕は別にいることになる。

 ルシータ?いや、彼女は違う。あの娘がクリーチャーを作り出したり、人体改造を
 おこなったりする技術を持っているとは考えにくい。ヤルタによれば、ついこの
 あいだまでワルを気取ってたお嬢さんだったのだ。では、どこに?
 鉱山関係の建物は全て当たってみたが、それらしい”力”はボクの”感覚”に
 引っかからなかった。

 いずれにしろ、皆が計画している”クーデター”は少し待った方がいい。何しろ敵が
 見えないのだ。闇雲に動けば、何が起こるか分からない。
 今夜あたりでも、ヤルタが言ってたエリザの兄たちに会ってみようと思う。
 あの、エドガーじいさんでも良いんだけど、やぱ、若い男性の方がいいもんね。
 うふ。

                  *

 「やっほぉ」
 今宵も良い星空。風が気持ちいい。うん。
 例の草原でヤルタと落ち合う。
 「うー。来たのかよぉ」
 「なんか嬉しそうじゃないねぇ」
 「見え見えだろ。動機が」
 「え?何のことか、ボクわかんなぁい」
 「先に水浴びしてきたろ」
 「人に会うときの身だしなみだよ、身だしなみ。さ、いくぞー」
 「やれやれ」
 「わくわく」

                  *

 「はじめまして。エリザの兄のカヴァーデールです」
 「僕はカニンガム。よろしく」

    はうはうはう~

 全く同じ細面の顔が二つ並ぶ。巻き毛の金髪、背の高い双子の美青年。
 年の頃は27,8。ボクの兄と同じくらい。白い半袖からのぞく、たくましい腕。
 くらくら。

 「あ、あの、え、ボ、ボク、は、」

 ボクの言語中枢、つながらない。

 ヤルタがちゃちゃをいれる。
 「連れのラサム・バートです。すいません。人見知りが激しくって、初めての
 人の前ではどもるんです」
 「うっさいなぁ!おまーは!」
 よし!つながった。

 「あ、あの、僕らに知らせたいこととは何でしょう?」
 カヴァーデールがボクのヘッドロックにもがくヤルタに気を使って促した。

 「ええ、実は-」
 ボクはこれまで調べたことを二人に話し始めた。
 鉱山のこと、ルシータのこと、そしてバルーマンのこと。

 二人の青年は聞き終わると、腕を組んだ。
 カヴァーデールの方が口を開く。
 「そうですか、しかし…」
 何か言いにくそう。

 「情報には感謝します。しかし、私たちはあなたの情報をそのまま信じる
 わけには…」
 「?」
 「まず、一つに、あなたはこの街の方ではありません。そして、そのような情報を
 どの様にして得たかです。私達の仲間も調べてはいます、でも、そこまでの事を
 知るまで潜ることはできませんでした」
 確かに、そうでしょうけど。

 「でも兄さん…」
 カニンガムが訴える。
 「もし、彼が会社側の人間だったら、ここまでのことを僕らに明かすだろうか」
 「しかし、私たちの計画を乱すための情報をわざと流しているのかも知れない」
 強情なお兄さま。

 「ホントの事だってば!ラサムは…痛い痛い!」
 ヤルタの頭を再び締め上げる。ボクの正体を知らせるのはまだ、早い。
 カニンガムは続けた。
 「それに、兄さん。あのエドガーさんが、彼に計画について話しているんだよ」
 「…」
 これは効いたらしい。沈黙するカヴァーデール。そんなにあの酔っぱらいじいさん、
 偉かったのかなぁ?

 彼は頭を上げ、涼しい目で見る。どきどき。
 「取りあえず、情報はおぼえておきます」

 ふう。そうしてもらえるとありがたいな。しかし、同じ顔でも兄のカヴァーデールは
 沈着冷静。弟カニンガムの方は感情がすぐ表に出てくるタイプ。
 「おねがいします。ボクも危ない思いをした甲斐があります」

 「これからどうするのですか?」
 カニンガムが気を使う。
 「ええ、取りあえず鉱山に。また、何かあったらこいつを通じて連絡を
 取りますので。じゃあ、すみませんがヤルタをお願いします」
 「るっせー、オレはガキじゃないぞ」
 「ナマ言ってんじゃねー。うりうり」
 「痛い!痛い!痛いぃー!」

                  *

 「カニンガム、どう思う?」
 「僕は信用できる人だと思う。兄さんは?」
 「素性の分からないところが多すぎるからな。第一、あのフィールダーの警備を
 くぐってどうやってここまで来たかだよ。それに、みんなが入り込めないあの
 工場の事務所練にまで」
 「ひょっとすると…」
 「ああ。彼は能力者かも。エリザやエドガーさんのように…」

                  *

 「ラサム・バート。来るんだ」
 抑揚のない声がボクを起こす。
 2人のフィールダーがそこにいた。
 まだ外は暗い。
 言われるがまま狭いベッドから起き出し、”宿舎”の外へ出る。
 いったい何なんだ。

 ボクを連れた二人は鉱山へ向かう。
 縦坑の入り口に来る。
 昇降機の入り口が開く。
 グォンと鈍い音を響かせ動力が目を覚まし…
 (!)
 上昇している!
 地下坑道へ下降する昇降機が上昇しているのだ。
 しまった!奴等の施設が坑道の”上”にあったなんて!

 ガクン

 上昇が止まる。
 目の前には頑丈そうなメタルの扉…いや!ただのメタルじゃない。
 それは扉が開いたときはっきりした。
 突き刺さるような”力”の感触!
 間違いない!ここが奴等の…

 「ごめんなさい。起こしてしまって」
 白い石壁がまぶしい光りに照らされている。薬の匂いが混ざり合い、鼻の奥を
 刺激する。
 そして、小さな椅子にちょこんと腰掛け、足を組むルシータ。
 「ちょっと相談したかったの」
 甘えるような声。
 ボクは感覚を目一杯広げる。
 いる。
 黒幕はここだ。

 緑色の髪の少女は無邪気に微笑みながら言葉を続けた。
 「わたしのお友達になっていただけないかしら?」
 「友達だって?」

 ボクはこの部屋に充満する”力”の気配に警戒しながら聞き返す。今までに感じた
 事のない感覚だ。

 「そう。ここにいるみんなのように」
 彼女は周りに控えているクリーチャー達に目をやった。
 改造を施された美形の青年達。ボクは怒りで激しく血が逆流するのを感ている。
 これは脳改造を受けて彼女の手下になるようにとのお誘いじゃないか!!
 自分の気に入った美青年を生けるお人形にして自分の周りに侍らせておくなんて、
 この娘、病的!

 「い・や・だ・ね!」

 ボクはゆっくりと、そして言葉を区切って、言った。今は冷静でいなければならない
 のだ。彼女の物でもない、青年達の物でもない、この突き刺さるような感覚の正体が
 分かるまでは。

 ルシータは微笑みながら人差し指を立てて茶目っ気たっぷりに言う。
 「だ・め」

 うおおおおおおぉぉ!こいつはっ!どこまで人の神経を逆撫でする!

 「わたしが決めたんだから。さ、こっちへ来て」

 最初っから有無を言わせないつもりなら、いちいち人に言葉を求めるな!

 クリーチャーの数人が立ち上がりボクの腕を捉える。

 ずるずるずる

 ひきずられる先には”てろてろ”と不気味に光る金属の椅子。何やら鋭利な突起物の
 無数にあるパネルが包み込むんでいる。
 ううう。ボク尖った物嫌い。
 おそらく人体改造装置だ。確実にこの国の物ではない。これだけの技術は
 ヤルタの国、サトゥナーラほどの工業力がなければ無理なはず。

 しかし、先ほどからあの気配は動く様子がない。重苦しくこの石壁の広い空間に
 満ちているだけだ。やはりこちらから仕掛けなければいけないのか。
 椅子にくくりつけられる。そろそろ限界。

 「さ、いい子にしてらっしゃいな」

 傍らにルシータが来て言う。ボクは、切れた。

 右手のクリスタルが緑色の閃光を放ち、そこらの機材を粉みじんに吹き飛ばす!
 ハズだった。
 ところが。

 あの”力”が動いたのだ。
 ボクの放った力の方向が歪み、そのままゆがんだ空間の切れ目に渦を巻いて吸い
 込まれ、拡散して行く。

 「エッ?!!!」
 「あら?何をなさったの?」
 きょとんとしている緑の髪。
 機械は既に起動している。

 シュウゥゥゥー!!

 麻酔の霧がボクの顔に吹き付けられる。焦るボク。
 クリスタルを発動させようとするが、ウンともスンとも言ってくれない。いや、
 ボク自身体を動かすこともままならないだろう。
 先の”力”のせいで意図せず大量の力が吸収されてしまったのだ。回復には少し
 時間がかかる。
 や、やばいよ!これは!

 じたばたじたばた

 しかし、金属が織り込まれたベルトは完全にボクの体と椅子とを一体化させている。

 くっ!
 ボクの肺活量も限界!
 (ヤルタ!ヤルタ!助けてっ!)

 “意志”をとばすが完全にシールドされているこの部屋からはヤルタの元には
 届かないだろう。

 キュイイイィィィ!

 尖った金属棒の先端が回転しながらボクの額に近づいてくる。
 うわーん!やだやだやだっ!
 冷や汗をまき散らすボク。
 その時。

 グワン!!!

 と轟音。
 先の分厚いメタルの扉が吹き飛び、破片があたりに飛び散る。
 ホコリの中から姿を現したのは赤い巻き毛の少年。
 やりぃ!正義の味方の登場みたい!

 「ヤルタ!」
 「ラサム大丈夫か?!!」
 「は、早くこいつを止めてくれっ!」

 間髪入れず剣を振りかざしてクリーチャー達が彼に襲いかかる。が、彼らの
 切っ先をかわし、はるかに宙を舞ってボクの傍らに降り立った。

 「こ、これは…」
 機械を一目見て一瞬うろたえるヤルタ。

 「ちょっと早く!早く!」
 回転する刃がボクの前髪を巻き込み始める。

 「待ってろ!今…」
 「あ!だめ!」
 ブレスレットを展開しようとする彼をボクは止めた。
 「この部屋でクリスタルは使っちゃだめだ!」
 「ん!」
 飲み込みの早い王子様はすぐさま理由を察し、改造機の操作系をすばやく観察すると
 パネルの一部に拳一発!

 バシバシッ!
 火花が散り瞬時に機械は沈黙する。

 「危ない、ヤルタ!」
 背後から切りかかるクリーチャーの剣をかわし、宙高くで体を踊らせる彼。

 ガチャン!

 おっと!
 期せずして刃はボクの自由を奪っていたベルトを傷つける。
 クリーチャーの背後に舞い降りたヤルタは脇腹から抱え込むと後ろへ投げ落とす。
 あっけなく悶絶。さらに向かい来る数人を優雅に舞うような蹴りで叩き伏せる。

 「ここを出るよ!」

 しびれる体を引きずって、椅子からはい出だしたボクは叫んだ。
 無理を悟ったかボクに駆け寄るヤルタ。ルシータの“お友達”の半数はヤルタの
 体術で動きを失っている。

 「行っちゃダメ!」

 だだっ子のように叫ぶルシータを後ろにボクを抱えたヤルタはホールを飛び出す。
 昇降機の入り口の脇にぽっかりと穴があき、白み始めた空が見えている。
 彼はここから突入したのだろう。ボクを抱えなおしたヤルタは飛んだ。
 どういう訳かあの”力”は沈黙したままだった。

                  *

 「ふう、危ないところだった。あんがと、ヤルタ」
 町外れに程近い森の中でヤルタはボクを露にしめる草の上に下ろした。

 「どうしたんだよいったい。何、ヘマったんだよ」
 「分からない。でも、あそこに何かがいてボクの力を封じたことは確かなんだ」

 ドキドキする。あのひたいに迫ってくる金属音がまだ耳に残っている。

 「確かにいるな。あそこには」
 鉱山の方を見ながらヤルタはつぶやいた。
 「ひょっとすると昔のなじみに遭うことになるかもしれないな」
 「昔のなじみって?」
 「オレはあの機械を作ることが出来る唯一の人間を知ってるんだ。でも…」
 彼は言葉を濁らせる。

 「どしたの?“でも”って?」
 「そいつはこの世には…もう居ないハズなんだ」
 「居ないって…」
 「…ふう」
 朝の冷たい空気で大きく深呼吸した彼は、それ以上話しを続けたくないという
 そぶり。ボクは話しを変えた。

 「だけど良く分かったね。ボクがピンチだったこと」
 「エリザが教えてくれたんだ」
 「エリザって、あの車椅子の女の子?」
 「ああ、彼女は能力者なんだ。ある時期になると空間に対しての特殊能力が解放
 されらしい。ラサムの強い戦う力が感じられたって」
 そうか。ボクの力が空間の狭間に吸い込まれのを彼女は感じたんだ。

 「じゃ、お礼言わなくちゃね」
 立ち上がろうとしたが、まだ麻酔が効いているのかよろけてしまう。
 「おい、大丈夫か?」
 「ん。大丈夫、しかしほんっとに恐かったー。さすがにもうダメかと思っちゃった。
 細い針みたいな刃がキュイイイイイィ!ってさ、この目の前に来るんだもの…?!」
 「…おい…」

 ぽろぽろ

 ボクの目から大粒のしずくがこぼれる。
 「あ、あれ?なんだこれ?」
 「やれやれ。いくら“男”気どってたって怖かったんだろ。どうがんばっても”女”なんだよなぁ」
 ヤルタが「しょうがねぇな」って感じで肩をすくめる。
 「っさいなぁ!!こ、この!と、止まらないぞ、これ…」

 ぽろぽろぽろぽろ

 仕方がない。
 「おい、ヤルタ!悪いけど“女”するから背中貸して!」
 彼は情けなさそうにフッと笑うと、すとんと草むらにあちら向きであぐらをかいた。
 ボクは少年の細い背中で自分でも恥ずかしいくらい『おいおい』泣いた。

                  *

 数人の男達が薄暗い部屋で話し合っている。

 「いよいよ明日ですね」
 「エドガーさんの方は?」
 「良いようです」
 「後は、エリザさんか…どうなんですか?体調の方は」
 「問題はないのだが…あまり乗り気ではないのです。前のこともあって…」
 「しかし、能力は明日が最大になるのでは」
 「わかっています。なんとか…」

                  *


 「あー、さっぱりした!涙腺の洗浄もたまにはしないとねー」
 すがすがしく、足どり軽く、街への道を歩くボク。

 「マントで鼻なんかかまなかったろうな」
 ぶっちょうずらのヤルタ。それもそのハズ。
 彼のマントは乙女の涙でぐしょぐしょなのだ。

 「そんなお下品なことはしませんよだ。ほれほれ、王子様なんだから胸張って歩け」

 ため息をつく少年。
 「ったく、なぁ。田舎娘は気持ちの切り替えが激しくてついてゆけないよ」
 「田舎モンでわるかったなぁ。それにボクは今、『男』してるんだから『女』扱い
 するなよな、うりうり」
 「あたたたた。おまえホンっとに嫁に行けないゾ!」

 ふふんと、笑うボク。
 「おや、忘れた?ボクは王子様のクチビルの味知ってるんだぞー」
 「あっ…」
 「”王子の最初の唇は王妃になる者のため…”」
 「あっ、あっ…」
 「いよいよとなったら、ボクには玉の輿って切り札があるもんね」

 勢い立ち止まるヤルタ。
 お、マジな顔。

 「あ、あれは、はっきり言ってオレの意志じゃないぞ!お前が勝手に!
  いわばドロボウじゃないか!オレの大事なファーストキスを何で、
  お、お前なんかに…うっうっ…」

  おお、おお。泣かしちゃった。そんなに大事なんだろうか?男の子の気持ちは
 よくわからん。

 「冗談だってば。ほらほら、泣くな、よしよし。お姉さんの胸、
 貸してあげる」
 「バカヤロー!!!!”男”と”女”を使い分けやがってー!!」

 赤くなって地団駄踏む王子様。
 ウブな少年をからかうと、楽しい。
 18才の乙女は意地悪な年頃なのだ。
 許せ、少年。

 最近、この子、可愛いな。

                  *

 「エリザー、いる?」
 彼女の家の扉を開ける。が、ヤルタの呼びかけに返事はない。
 「どうしたんだろ?」
 「いないの?」
 「ああ。へんだな」
 「ボク、お礼言わなくちゃいけないのに」
 「ちょっと待ってろ。見てくる」

 裏へ駆けてゆく王子様。
 ボクはゆっくりと家の周りを見ながら歩く。
 このあいだ来たときは夜中だったので分からなかったけど、こぎれいな家。
 車椅子の女の子が一人で守ってる家とは思えないほど。
 朝の光の中、窓辺に飾られた鉢植えの葉に露が輝く。

 「エリザ、どうしたの?また痛むのかい?」
 ヤルタの気遣う優しい声がする。あいつ、ボクと話してる時と態度が全然
 違うんだもんな。ぶう。

 「どうしたの?」
 車椅子の少女はうつむいた顔を両手で覆い、しゃくりあげている。
 片膝をつき、心配そうにのぞき込むヤルタに答えようとしない。

 「何か、あったの?」
 ヤルタは困った表情でボクを見上げる。
 「ヤルタ、ちょっとさ、二人きりにしてくれない?女の子のことはまかせて」

 (やっぱり『女』はわかんないな)
 そんな風にグリーンの目が言っている。
 肩をすくめ立ち上がるヤルタ。
 (修行が足りないぜ、王子様っ!)
 ウインクしてみせるボク。

 美少年の赤い巻き毛が家の壁の向こうに隠れる。
 (女の子はカッコイイ男の子の前じゃ顔を隠すしかないじゃないか。
 分かってないなぁ)

 ボクは右手を構えるとクリスタルを発動させる。
 優しい、淡い緑の光が辺りに流れる。芳しいハーブのような香りが漂う。
 彼女の前にかがみ込むボク。
 ただただしゃくりあげる彼女。
 ボクは彼女の脚に注意を向ける。異常があれば、ボクの目に像として映るはず。
 しかし。それは、ない。

 (どうして?彼女は歩けないハズ…)

 その時、何かがボクの心をノックした。彼女の悪いハズの脚にあった物。
 冷たく悲しい、小さな小さな、水色の宝石のような固まり。
 ボクはゆっくりと心を開く。それはボクの中で淡く広がり始める。
 ボクの目の裏側に流れ込んでくるイメージ。

 *************************************

 坑道の入り口に人垣。
 その中で母親の背に負われている赤ん坊の姿。そして、幼い男の子が二人。
 担ぎ出される布に覆われた担架。
 (ああ、彼女の父親は鉱山の事故で亡くなっていたんだっけ…)

 白い霧と共に流れ来るイメージ

 寝台に横たわる母親。鉱山の粉塵に汚れたその顔にはすでに生気はない。
 拳を握りしめ悲しいのを一生懸命我慢している2人の少年と嗚咽する少女。
 (カヴーデールとカニンガムも辛かったろうに…)

 霧が流れる

 二人の青年が家を出るところ。鉱山へ向かうのだ。
 少しして、泣きながら出てくる幼い少女。
 兄たちの姿を探している。
 通りに駆け出すエリザ。
 迫る馬車!
 (危ない!)

 霧がゆっくり晴れてゆく…

 *************************************

 木々の葉をすり抜けた光が車椅子の少女の髪に遊ぶ。

 ぽとり
 ぽとり

 少女は自分の膝に落ちるしずくにハッとして顔を上げる。
 涙をためたボクの瞳を見つめる彼女。
 「辛いよね…良く辛抱していたよね…泣きたくなるよね…」
 彼女の口元が再びゆがむ。
 彼女の目の中に膨らみ出す涙の粒。
 ボクは思いきり彼女の顔を胸に埋める。

 風がそよぎ、ボクらの髪と心を優しくなでてゆく。

                  *

 「ラサム!」

 ヤルタがあわてて駆けてきた。

 「どうした?」
 「どうやら組合と会社が話し合うために召集がかかったみたいなんだ。
 みんな会社の方へ行ってる!」
 「ん!行ってみよう!……?」

 エリザがボクの手を固く握っている。

 「行っちゃうの…?」
 悲しげで不安な瞳。そう。彼女の脚を蝕んでいるのはこの”不安”なのだ。
 「大丈夫」

 ボクは彼女の額に優しく口づけて、立ち上がった。

 「またすぐ戻ってくるから。ホントだよ!しっかりね!」

 微笑んで頷く少女。

 「ラサム、女の子の扱い上手いなー。いい『男』になれるゼ」
 「っさいなー!女の子ってのは弱いんだから、男の都合で振り回したり
 放って置かれたりしたらすぐ壊れちゃうんだよっ!勉強しとけ!」
 「はいはい。でもラサムが同じ『女』だってのは信じられないよな」
 「何か言ったかー?このこの!」
 「痛い痛い!」
 「さっさとついておいで!」

 ボクらはクリスタルを発動させ、会社へと飛んだ。


 会社前の広場。たくさんの人達が集まっている。あちらで気勢を上げていると
思えば、こちらでは丸くなって皆で話しをしてる。混沌。
 ボクらはそんな様子を工場棟の屋根の上から見ていた。

 と、その時どよめきが上がる。建物の2階、テラスに会社役員達が現れたのだ。
 何やら報告があるらしい。
 社長のバルーマンが前に出てくる。

 「あれが?」
 いぶかるヤルタ。
 無理はない。普通の人間と変わらないように、見える。しかし彼は人体改造を受けた
人形なのだ。誰かに操られた。

 バルーマンが手をあげ、静かにするようジェスチャーをする。

 「おかしい、な」
 「なにが?」
 「考えてみてよヤルタ。あんた、王子様でしょ?」
 「それがどうした?」
 「反感を持つ民衆を一カ所に集めてさ、そこへ王様が出てったら、どうなる?」
 「決まってるじゃないか…、あ!」
 「気がついた?」
 「これって、もしかして…」
 「ん。騒ぎが起きそうな状況を作ってるね。わざと」

 と、ボクらが話してる間に。


 事は
 起きた。


 蒸気が吹き出すような鋭い金属音がしたかと思うと、バルーマンがのけぞる。
 赤い飛沫が、散る。

 「銃?!」
 「やられた!」

 広場が群衆の叫びとも怒号ともつかない声で満ちる。そして次の瞬間、フィールダー
達が広場へなだれ込み、閃光がきらめく。

 「電気衝撃銃だ!」

 ばたばたと倒れる人々。逃げまどう群衆。広場はパニックに陥った。

 「ひどい!へたすりゃ死者が出るぞ!早く止めないと!」

 青くなるヤルタ。
 しかしボクはすでにクリスタルを発動させ、辺りを探っていた。
 そう、バルーマンは群衆の誰かにやられたのではない。これはあくまで群衆に
向かって攻撃するための口実なのだ。バルーマンは最初から打たれるように計画されて
いたに違いない。今、肝心なことは銃の射手を取り押さえること。いくらボクらの
力でもこのパニックを止めることはできない。

 「いたっ!行くよ!」

 一人の仕事着を着た青年が道を駆けて行く。手には銃。工業都市アーガス製の物だ。

 「ちょおっと待った!」

 立ちはだかるボクにあわてて立ち止まる青年。その額には金属片がのぞいている。

 こいつはフィールダーの青年だ。
 回れ右する彼の前に今度はヤルタがとおせんぼ。

 「わざわざこんな町中を走って、目撃者を作ろうって魂胆、見え見えなんだよ」

 すごむ王子様。

 「そうやって、容疑を街の人々にかけて、圧力を増そうってんだから!」

 逃げ場を失った、青年。

 次の瞬間

 「「!」」

 ボクらの前から青年が蒸発した。
 そう、まさに蒸発。

 「危ない!」

 飛びすさるボクらの後を熱線が走り、立木が1本蒸発する。
 タイトスーツに緑色の巻き毛。
 「ルシータ!」

 向けられた彼女の手のひらが光り、再び熱線が走る!
 店の壁がそっくり消える。
 「ちょっと待て!ルシータ!君の”お友達”まで消しちゃって?!」

 バシュウッ!
 再び熱線が襲い来る!
 「いいの、もういらないから」
 「!」

 違う。昨日のルシータとは全く違う。別人だ。おまけに新しい能力まで
身につけている。敵さんは昨日のことでボクらの存在を知り、手下の強化を
図ったのだ。

 「どうする?ラサム!」
 「一度退こう!証拠は蒸発しちゃったし、広場のカニンガムやカヴァーデールが
 心配!」
 「ん!」
 ボクらは自らをその場から転送した。

                   *

 広場はもう人影がほとんどなかった。怪我人や衝撃銃に打たれて倒れた人達を
引きずるフィールダー達がいるだけ。
 「いったい、何が目的なんだろう」

 ボクは考え込んでしまった。
 ”奴隷”を捕まえてきて、第二の鉱山で採掘させる。これは何かを掘り出そうと
しているのは、分かる。でも、その何かは分からない。そして、街に対しては力と
恐れで圧力をかけてゆく。この二つをどうつなげる?ううう。ボク頭悪いから
わかんないや。

 「ラサム…」
 「ん?」
 「ちょっと話しておかなきゃいけないんだ」
 「どうしたの?」
 「あの、ルシータって娘。あの娘…ヒュプノだよ…。」
 「ヒュプノ?なにそれ?」

 彼が言うにはこういうことだ。ヒュプノとはちょうど催眠術のように人を思うままに
 操る技術。ただ、催眠術と違うところは催眠術が深層心理に書き込むのに対し、
 ヒュプノはなんて言うかその、その存在自体に命令を植え付けてしまうこと。催眠術
 のように解いたりできない。もしそれを取り除いてしまったら、その人はもう
 ”その人”ではなくなってしまう。

 「そうしたら、もうルシータは…」
 「そう、もう元には戻れないんだ」
 「だ、だれがそんなひどいこと!!ひどすぎる!」

 王子様は表情を険しくした。

 「そう、そんなひどいことをしてた奴が、昔オレの国に一人いたんだよ」
 「たしか、今朝も言ってたよね。”昔のなじみ”とかなんとか…」
 「そう。奴の名はトマス・ミード」
 「そいつが?!」
 「いや。オレが子供の頃、オレの先生とマゼランっていう科学者の爺さんとで、
 空間の狭間にぶっ飛ばしてやったハズなんだ。死刑は軽すぎるような奴だったから」
 「じゃあ…いったい…」
 「オレにもまだ、わかんないよ。ただ、この街の”空気”があの時と似ていたから」
 「わかれよぉ。頼むから。ボク、あのルシータって子、何となく可哀想なんだ。
  ホントに元に戻すことはできないの?」
 王子様は力無くうなずく。

  家族と微笑む写真の中のルシータが、ボクの心にしみる。
 ボクの父と兄も行方しれず。それだけでも心に穴が空いたみたいなのに。
 彼女は”自分自身”さえも失ったしまったのだ。可哀想。可哀想すぎる。

 ボクの悲しい思いが渦を巻き、濃縮され、だんだん熱くなる。ボクの体を駆けめぐり
 新たな感情となる。

 怒り

  そう。この悲しみを止めなくちゃいけない!誰だか知らないけど、こんな事をする
 奴は絶対許せない!!
 ボクは勢い立ち上がる。

 「行くよ!ヤルタ!」
 「どこへ?!」
 「もう一度エリザんとこへ!あの、お兄さん達にちょっと協力してもらう!
 もう、黙ってみてられない!ただの労使間抗争にジェラードが口出しするのは
 マズイと思ったけど、こんなに悲しい事ほっとけない!」

                   *

 「どうしたのエリザ?!」
 泣きじゃくるエリザ。しかし今朝とは違う。ただ事ではない。
 「ラサムさん!ヤルタさん!」
 数人の青年達と共にカニンガムが駆け込んできた。
 「どうしたんです?!」
 「カヴァーデールが奴等に!!」
 「えっ?!!」

                   *

  ボクらが案内されたのは酒屋の地下だった。
 空になった樽が転がる。酢っぱい匂い。
 酒屋の主人が小さな扉を開け、ボクとヤルタ、エリザを抱えたカニンガム、
 そして数人の男達が入る。
 スイッチが入れられ、電気の明かりがともる。

 「これは…」

 まず、ヤルタが唸った。
 ボクは目を丸くした。

 そこには高さが2メートルほどの柱が6本並んでいた。しかしただの柱ではない。
 六角柱のそれには、目の高さのところに幾つかのパネルがあり、スイッチが
 並んでいる。
 素人のボクが見ても、精巧な機械だということがわかる。

 「これが、今度の計画のカギです」

 椅子にエリザを座らせたカニンガムが言った。
 会社側だけでなく、労働者側にもとんでもない技物(テクノロジー)があったのだ。


 カニンガムがテーブルに地図を広げながら話し出した。
 「この装置を、この街のはずれの要所要所に設置して、起動させるのです。
 そうすれば、あのクリーチャーは動けなくなるのだとエドガーさんは
 言っていました」

 「ちょっと待ってください」
 ヤルタが柱に手をやりながら言った。

 「この装置を作ったのは、そのエドガーとか言う人ですか?」
 「ええ。このとなりの部屋に、あの人の作業場があります」
 「…」
 「どしたの?ヤルタ」
 「ラサム…ひょっとすると、この計画、絶対成功させないと大変な事になるかも
 しれない」
 「どういうこと?」

 ヤルタは目をパネルに落としながら言った。
 「この装置は空間制御装置だ。この装置で囲んだ範囲のエネルギーをコントロール
 できる。でも、そのほかにも機能があるんだ」
 「?」

 こちらに向き直る赤い髪の少年。
 「カニンガムさん、実行はいつなのですか?」
 「ええ、今日の正午です」
 「えー!あと一時間しかないじゃない!どうやってこれを運ぶんですか?
 かなり距離がある山の中だし、外にはクリーチャーがうろうろしてるというのに」
 「それは…」

 カニンガムはエリザに目をやった。エリザは悲しげにうつむく。
 「エリザの力でこの装置を所定の位置に送るのです。妹は、物を移動させる力を
 持っているんです」
 「能力者?」
 「ええ。ただ、彼女の能力は周期的な物で、ここ二、三日に力が最大になるのです」
 「そうか。それで毎晩、自分の力がいつ使えるようになるか星を見ていたんだ」
 「しかし、彼女はあまり乗り気ではないのです…」

  以前にも会社のやり方に抵抗し、行動を起こしたことがあったという。エリザは
 その時に武器を転送する役目だったのだが、計画は失敗し、結果的に多くの負傷者を
 出すことになった。彼女はそれをいまだに後悔しているのだ。

  ヤルタは肩をすくめすっかり小さくなった少女のそばへ行き、話しかけようとして、
 ふとボクを振り返った。グリーンの目が何かを訴えている。
 うんうん。言いたいことはわかるよん。

 ボクは彼女の隣にしゃがみ込む。
 「ねえ。力を貸して欲しいんだ。カヴァーデール兄さんを助け出すのに。
  これが済んだら、もうお兄さん達はどこへも行ったりしない。またみんなで
  いつも一緒にいられるんだから」
 「だって、前にもそう言ったもん。でも…」
 彼女はぽろぽろ涙をこぼす。

  ボクは装置に目をやった。王子様には無理かも知れないが、ボクにはこれくらいの
 装置の転送は簡単だ。
  しかし、それをやってしまったら、おそらく彼女は”このまま”だろう。
 いつまでも。

 「じゃあ、今度はボクが約束するよ。さっきもちゃんと約束を守ってすぐ戻って
 きたよね?」
 「うん…」
 「でも、無理は言わないよ。自分で決めていいんだよ。そうじゃないと、
 エリザがお兄さん達を助けるために『自分』でやったことにならないからね」

 「自分で?」
 顔を上げる彼女。

 「お兄さん達のために、『自分』でやってごらん」
 ボクは微笑みかけて立ち上がる。

  彼女はやってくれるだろう。彼女の中に今までとは違う、何か光る物がともった
 のをボクは感じていた。彼女の足が動かない、いや、動かせないのも、その何かが
 今まで無かったせいなのだ。

 「この装置を転送する場所はどこですか?」
 ボクの問いにカニンガムは地図を指した。

 装置を置く場所はこの街を取り囲む六カ所。一本は例の”奴隷宿舎”の
 近くだ。なるほど、それで、オペレータのエドガーじいさんが奴隷になる
 必要があったわけだ。
 「うーん」

 地図を見ていて、どうも何かが引っかかる。
 「これが会社の鉱山から出る岩石を捨ててるところですよね」
 「ええ」
 「ここが例の奴隷が採掘をしてるところ」
 「そうです」
 「うーん。どうして、奴隷穴から出る岩石を会社の鉱山が捨ててる場所じゃなくて
  こんなところに持ってきているんだろう」
 「そう言われれば…」

 「待てよ…」
 ヤルタが気がついた。
 「ん。そう言うこと」

 装置で成る六角形に対角線を引いてみる。すると、ボクが恐い目にあった
 奴隷穴や岩石を捨てている場所はその線上にある。
 しかも、対角線の交わる点を中心にして120度を成している。
 もう一点取れば六角形の中に正三角形がきれいに収まるのだ。

 「ここは?」
 ヤルタがその一点を指さした。そこには小高い山と湖がある。
 「ええ、そこは鉱山のダムで、発電所があるところです」

 「そうか…エドガーっていう人は、何か封じようとしているんだ」
 つぶやく王子様。
 「封じるって?」
 「ハッキリとしたことは本人に聞くしかないだろうけど……!」
 「どうしたの?!」
 ボクは赤い髪の少年が突然鳥肌を立てているのを感じた。
 「オレ、今、すっごくイヤな予感、してる」

 この街に労使間抗争を越えた何か大きな戦いが起ころうとしている。
 少年の穏やかならぬ緑の瞳に一同はそれを感じとっていた。

                *

 緑のマントが風になびく。
 ジェラードの衣装をまとったボクは街と鉱山、そして”奴隷宿舎”のあたりを
 一望できる山の上にいた。
 計画実行時間まで後5分。
 六角形エリアの頂点にはもう要員が配置されているころだ。

 エドガーと言うあのじいさんが作った装置が発動したとき、クリーチャー達の
 動きを止めるほか、どんな事が起きるのか分からない。
 ヤルタはそのほかにも機能があるとか言っていたけど、はたして。

 小鳥が木のこずえを蹴って高く舞っていった。

 計画はこうだ。
 まず、鉱山の会社の方で再び騒ぎを起こす。クリーチャー達と、まだ姿の見えない
 『敵さん』の注意をそちらへ引きつけておくのだ。これには王子様も参加する。
 たとえ手こずったとしても、数分の時間が稼げれば十分だ。その間にじいさんの
 機械は発動し、美青年集団の動きが止まるだろう。
 そうして、会社と事務所を制圧する。

 「ふう…」

 問題は、ルシータだ。クリーチャー達は彼女の意志によってコントロール
 されている。しかし、彼女は”ヒュプノ”なる技術で洗脳されている。
 彼女がどう動いてくるかだ。彼女の力はかなり強力になっている。
 おそらくボクでも手こずるだろう。
 いや、それよりも。
 哀れな彼女を救い出すことは本当にできないのだろうか。

 「!」

 時間だ。

 グンッ!

 軽いショックがボクの感覚を駆け抜ける。
 彼女のひたむきなイメージが脳裏に結び、淡く光る。

 彼女は”自分の意志”で、行動したのだ。
 「偉い!エリザ!帰ったら思いっきりキスしたげる!」
 ボクは酸っぱい気分になった。彼女はもう大丈夫だ。

 感覚を工場に向ける。ざわついた”気”が感じられる。どうやら始まったらしい。
 ボクは感覚を広げる。しかし、ルシータの気配が見つからない。

 「どこだ?」

 その時、ものすごい波動が感じられた。
 「こ、これは…」

 ものすごい”力”のうねりだ。機械が作動を開始したに違いない。
 ボクは意識を凝らし、”力”の波を読む。
 「良し、大丈夫!いける!」

 ボクはクリスタルを発動し、“力”をくぐってエドガーじいさんのところへ飛んだ。

                  *

 数人の男達とじいさんが、柱のそばにいた。
 そのうちの何人かは血を流し、一人は地面にうずくまっている。
 脱走し、ここまで来るのに大変な苦労をした事が分かる。

 「やはり、あんたジェラードだったの…」
 白髭のじいさんは振り向いて、にんまりと笑いかけた。

 「じいさんこそ、この土地の人じゃないんですね」
 「その話しはあとじゃ。すまんがその男を何とかしてやってくれんか。深手を
 負っているのじゃ」

 見るとかなりの出血がある。唇がすでに色を失っている。
 ボクはクリスタルの光を注いだ。彼を抱えていた鉱山夫は、怪我人に
 みるみる生気が戻っていくのを見て目を丸くした。

 「なるほど。わしゃ、ずいぶん緑光のジェラードに縁があるようじゃの」
 「えっ?縁って…」

 「マゼラン博士!」
 その時、少年が赤い髪をなびかせて駆けてきた。

 「こりゃたまげた!ヤルタ王子まで!」
 「やっぱり博士だったのかよ!あの装置を見たときもしやと思ったけど、まさか
 本当に博士だったなんて!」
 「王子もすっかり立派になられましたな。国を出てからもう6年以上も
 たちますからな」
 「それより、何が起きてるんだよ、博士!」
 「王子。あの男が復活しようとしておるのじゃ。」

 話しはこうだ。

  ヤルタの国、サトゥナーラでは国民のほとんどが自らの体に手を加えたクリーチャーだ。
 その技術を持つ科学者の一人、トマス・ミードと言う男は人に改造を施す際、
 脳に手を加え、一つの街全体を自分の手下としていった。さらに、彼は
 人々の能力を増強して強力な戦闘員とし、国の転覆まではかったのだ。

 「ワシと、ワシらの国に流れ着いたあんたと同じ緑光のジェラードで、
  大変な戦いの末、空間の狭間に吹き飛ばしてやったのじゃ。しかし、
  今、どういう方法かはわからんのじゃが、そこからこちらへ干渉し、
  同じ事をここでやろうとしておる。そして、自分もこちらの空間へ
  やって来ようとしておるらしい。それをこの装置で封じるのじゃ」
 「博士、そうすると、あの”奴隷”が掘ってる鉱山に何か?」
 「いや、鉱山から何か掘り出そうとしておるわけではない、おそらく…」

 その時だ。

 バシュッ!!

 柱に閃光が走った。近くにいた男が一人、吹き飛ばされる。

 「きおった!」
 じいさんは装置に駆け寄ると、パネルを操作しだした。
 インジケーターがあわただしく点滅している。

 「予想しておったより強力じゃわい!」

 「あれは!」
 ヤルタが声を上げる。
 “奴隷鉱山”からでる岩石でできた丘が、ゆらゆらと陽炎に包まれ、その姿を
 明滅させている。

 「鉱山から何かを掘り出すのが目的では無いのじゃ。あの場所に“質量”が
 必要だったのじゃ」
 「質量?!」
 「そうじゃ。向こうの空間にある質量と、こちらの空間にある質量を置き
 換えるのじゃ」

 バシバシッ!

 オゾンの香りがする。明らかに装置がオーバーロードだ。
 空間の揺らぎが感覚に伝わってくる。
 大きい!

 「博士!」
 「まずいぞ…このままでは…」
 「じいさん、ひょっとして、そいつの仕組んだ三角エリアの頂点って、一つが
  “質量”、もう一つが“力”、そしてもう一つが“知恵”じゃないですか?」
 「その通りじゃ」
 「ヤルタ!それは…」
 「ん。ジェラードの”技”の一つの配列だよ。そうすると”力”はあのダムの
  発電所。そしてそれらをコントロールするのが”知恵”、あの“奴隷鉱山”に
 あったあの部屋だ」
 「じゃ、そこを叩けば!」
 「そう言うこと!行くよ!じいさん、ここは任せます!」
 「頼みますぞ!」

 ボクらは空間の揺らぎに巻き込まれないよう、空間を飛んだ。
 おそらく、いるだろう。
 そこにルシータが。
 ボク達は悲しい戦いをしなければいけないのだろうか。

                *

 奴隷鉱山から脱出してきた人達がうろたえ、立ち止まっているのが見えてきた。
 岩石の丘に異形の物が形を取りはじめたのだ。
 陽炎の中灰色に光る巨大なそれは、まさに要塞。
 とてつもなく大きな鉄の城。

 人々の中にボクらは降りる。
 「早く!皆さんここから逃げて下さい!」
 「大急ぎで!!」
 人々が再び流れはじめる。

 「ラサムさん!ヤルタさん!」
 流れの向こうから叫ぶ青年がいた。
 「カヴァーデールさん!」
 「無事だったんですね!」
 カヴァーデールは人をかきわけながら、こちらへやってくる。

 「ええ!エドガーさんが計画は成功したから早くここからみんなを脱出させろと」
 「じいさんが?どうやって…」
 「ラサム、博士は意志を飛ばすことができるんだ」
 「あん?じゃ、あのじいさんも能力者?」
 「そうだよ。ボクらの国の国民はほとんどがクリーチャーだって
 知ってるじゃないか。カヴァーデールとじいさんが連絡を取り合ってたんだよ」
 「カヴァーデールも意志を?」
 「オレもさっき、会社でカニンガムに聞かされたばかりなんだけど」

 なるほど。奴隷宿舎と連絡を取るためにも、あのじいさんが潜入する必要が
あったんだ。考えてるじゃない。


 「みんなを避難させるのに後どれくらい時間が?」
 「鉱山の昇降装置ではあと数十分は…」
 「それじゃあ時間がない!」

 ヤルタが焦る。
 “敵”さんも計算してるじゃないか。例の部屋は鉱山の真上。地下にはたくさんの
 “奴隷”がいる。人質を取ってるようなものだ。

 「ようし!みてろよっ!」

 ボクはクリスタルを発動させる。
 感覚を地下の行動へ広げる。
 みっけ!あと、7,80人はいる。

 「ちょおっと力、使うぞぉ!」

 バシュウウゥゥゥッ!!!

 当たりが緑色の閃光に包まれる、と一群の男達がまぶしそうに目を細めながら
 辺りを見回す。転送成功。

 「皆さんも早く!」
 皆は事態を把握するまもなく脱出の列に加わる。

 「ラサムさん…ひょっとして…」
 「はい。ジェラードです。」
 「ラサム、早く行くよ!」
 「ん!じゃ、カヴァーデールさんも早くみんなの所へ!」

 ボクらはあの部屋へ飛んだ。

                 *
 静寂

 がらんとした部屋。この間、ボクが危うく頭に穴を開けられそうになった、
 あの物騒な椅子は壊れたままだ。

 ボクらは奥へ進む。足音がこだまする。
 大きなメタル製の扉をトビラを開ける。

 ヴウゥゥゥン…

 巨大な装置が淡い光を脈動させている。
 じいさんが作った柱状の装置の親分みたいなもの。
 あの時ボクの力を吸い取ったのはこいつだ。
 しかし、今、この装置は重大な仕事で手を放せないのが分かる。
 それだから-

 「いるね」
 「ん」

 ボクらは同時に左右に飛び退いた。
 ボクらがいた空間に炎が上がる。

 「「!」」

 着地するまもなくヤルタはバリアを張り、ボクは空間をゆがめた。
 強力な疾風がはじき返され、部屋の石壁に甲高い音と共にひびを作る。

 「ルシータ!」

 彼女は微笑みながら装置の向こうから姿を現した。
 身に帯びた強力な力は、彼女の体の周りに陽炎のような空気の揺らぎを作り、
 彼女の目は狂気で怪しく潤んでいる。

 ボクは心が激しく痛んだ。
 あの写真の中で微笑んでいた愛らしい娘が、どうして…

 「どうして来ちゃったの?ここへ入ったらダメなのに」
 「ルシータ!キミは…」
 思わずボクは歩み寄る。
 「危ない!」

 ボクを襲う熱波は、ヤルタの放った空間の裂け目に飲み込まれた。
 我に返ったボクは、次の攻撃を飛び退いてかわす。

 「ラサム!彼女はヒュプノで!」
 「わ、分かってる。でも!」
 「!」

 ボクらは宙に逃れた。
 床の石畳が赤熱し爆発する。
 「とんでもないエネルギーだ!」

 ヤルタは彼女の後ろへ瞬間移動し、足ばらいをかける。
 バランスを失い倒れる彼女に、突きを放とうとした彼は、
 次の瞬間猛烈な勢いで壁にたたきつけられた。
 彼をはじき飛ばしたエネルギーは彼を石壁にめり込ませる。
 「グッ!」

 「ヤルタ!」
 ルシータの熱波は、彼のバリアを破ることはできなかった。
 ヤルタの目が険しく光る。
 しかし、ヤルタはかなりのダメージを受けたに違いない。
 彼の口から赤い一筋が漏れる。

 王子はブレスレットを構え、腕をかざす。
 無数の光のつぶてが彼女めがけて放たれ、彼女の周りに炸裂する。
 彼女のマントが炎を上げる。
 しかし彼女は意に介さない。

 ボクは両手のひらを彼女へ向ける。

 ズゥゥゥウン!

 ボクの放った力は彼女の左腕を四散させる。
 しかしルシータはうろたえもせず、右腕を展開すると、
 ボクに向かって凶暴なメタルの矢の一群を発射した。

 宙に逃れるボクを、さらに彼女の空気の刃が追う。
 ボクは王子の所へ瞬間移動し、彼を抱えて彼女と間をおく。
 「ヤルタ!大丈夫?!しっかり!」
 「オレはなんともない!それより早くカタを付けないと、彼奴が来る!」

 「みんなあたしのことが嫌いなのよ!」

 「「!」」
 叫ぶルシータの目から、赤い涙が流れていた。

 「お父様はあたしと一緒にいてくれない!みんな、あたしのこと
 社長の娘だからって遊んでくれない!あたしのこと気味悪がって…!」

 ボクはクリスタルを構えた。
 唇を噛む。時間の猶予がない。
 「ルシータ!ごめん!」

 ギシュゥゥゥッ!

 ねじれた空間が、すっかりメタルで置き換えられていた彼女の体を粉砕した。
 緑色の髪がなびき、彼女の上半身が落下する。

 「ルシータ…」

 カツン カツン

 足音に振り返る。
 そこには大柄な男がいた。
 「バルーマン!」

 身構えるボクの脇を素通りして、
 機械人間の彼は娘の残骸に近づき、
 膝を落とし、
 そして、機能を停止した。

 ボクは震えて声が出なかった。

 「ラサムさん!ヤルタさん!」

 駆け込んできたのはカヴァーデールだった。
 ボクらの脇に心配そうにかがみ込む。
 「ええ、ボクらは大丈夫です…でも、ルシータは助けられませんでした」
 「ルシータ…」

 彼は立ち上がり、ルシータの所へ行く。
 ひざをつく彼。彼の肩が震えている。

 その時ボクは見た。
 彼女が目を開いたのを。

 その瞳は、あの写真の少女の瞳だった。そして悲しげに、カヴァーデールを見て、
 唇を動かしたのだ。

 「イヤダァァァァァァッ!!!」
 「ラサム!」

 ヤルタが止めるまもなくボクはクリスタルを発動させた。
 次の瞬間、ヤルタもカヴァーデールもその部屋に
 いなかった。
 みんなを転送し、鉱山の上空でボクは叫んだ。

 「チクショォォォォオオオ!!!!」

 世界が見えなくなるほどクリスタルを輝かせると、ボクは巨大な火球を
 鉱山の上に落下させた。

 轟音と共に鉱山のあった山は、あの部屋と装置もろとも気化し、きのこ雲となって
 空へ昇って行く。
 ボクはしばらく呆然と山のあった場所を見おろしていた。

 「ラサム…」

 いつのまにか傍らにヤルタが来ていた。
 「ヤ、ヤルタ…」

 ボクは彼の胸にすがった。
 そして、大声で泣いた。

 「カヴァーデールから聞いたよ。ルシータも能力者だったんだ。人の意志を
 読むことができたもんだから、みんなから気味悪がられていたんだ。
 おまけに社長の娘。家に帰っても、誰も遊んでくれない。父親も仕事で
 なかなか相手をしてくれない。
 でも、カヴァーデールはそんな彼女の気持ちが分かっていたんだろうね。
 同じ能力者だったから。
 でも、突然彼女は変わってしまったっていうんだ。
 おそらくヒュプノのせいで…」

 死に際に彼女は正気を取り戻したのだ。
 自分の変わり果てた姿。
 そして、唯一自分を分かってくれる人に言ったのだ。

 「お願い…見ないで…」と。

 実体化しつつあった鉄の要塞が空気ににじむように消えてゆく。

 ボクは嗚咽しながら言った。
 「ヤルタ…終わってないよ」
 「ん。知ってる。いよいよ決着をつけなきゃ」

 ボクらは消えゆく要塞のあったところに残った、
 強力なエネルギーの主を感じていた。


  ザク ザク ザク……

  ボクらは崩れやすい足もとに気をつけながら、頂上を目指して登っていた。
  日は傾き、街に山々の影を落とし始めている。昼間の大爆発のせいでまだ
 空気が煙っているようだ。町はぼんやりとかすんでいる。

  クリーチャーの青年達はコントロールの主を失い、廃人のようになってしまった。
 エドガーじいさん、いや、マゼラン博士には彼らを元に戻すことは可能だという。
 少しばかりボクの気持ちは晴れた。

  しかし、その前にかたをつけておかねばならない。
  この町に住むエリザやカヴァーデール、カニンガム兄弟、鉱山の人達のために。
 そして、あの可哀想なルシータのために。

  髪の毛がパリパリ音を立てているのが分かる。ものすごいプレッシャー。
 山の頂上にいるヤツのエネルギーが山全体にあふれているのだ。
 とんでもない大きさの力。
  ボクとヤルタ、そしてマゼラン博士は、そいつと最後の決着を付けるため、
 この山を登っている。

 「博士、大丈夫ですか?」

  プレッシャーに耐えかねたのか、長い沈黙をヤルタが破った。
 一番後ろを歩く、大きな装置を背負ったマゼラン博士に声をかける。
 博士はうなづいた。

 「しかし、ヤルタ王子…」

  博士は年には似合わないしっかりした足どりで進みながら、重々しく言った。

 「このプレッシャー、分かりますじゃろ。以前わしとウィルバー殿でヤツと
 戦った時とはケタ外れですじゃ」

 「”ウィルバー”って?」
 ボクが尋ねる。

 「オレの先生だったジェラードだよ。前に言わなかったっけ」
 「ああ、でも名前までは」
 「先生はすごい賢者だったけど、トマスと戦った時の怪我が先生の
 寿命を縮めたんだ」

 師の面影を見るような目で、彼はブレスレットのクリスタルを確かめる。

  ボクの行方不明の父はカーチス、兄はハウザーという。どうやらヤルタの国へ
 流れ着いたジェラードは二人のどちらでもなかったようだ。
  ヤルタのブレスレットのクリスタルの大きさとその力をみれば、ウィルバーは
 かなりの力を持っていたことは分かる。体は滅びてしまったが、クリスタルはまた
 再び宿敵とまみえるのだ。しかし、その彼でさえ深手を負ったとなると…

 「そろそろヤツが見えるころじゃ。覚悟してかからねばなりませんぞ」

  そうだ。命がけの戦いになる。しかし、ヤツを倒さなければこの国、いや世界が
 どうなるか分からない。

  頂上が近くなる。ボクらの歩みのスピードが落ちる。体が重い。前へ進まない。
 まるで水の中を歩いているようだ。
  足下の石が小刻みに振動している。小さな石がバッタのように飛び跳ね、空中で
 はじけて粉々になる。
  ヴンと軽い振動音を発し博士の装置が起動した。

 「いた!」

 ヤルタが見つけた。

 すさまじい力が狭い空間に高い密度で存在するため、空気の組成さえも不安定に
なっているらしい。その男の周りには細かい稲妻が走り、オゾンのにおいが漂う。

 [[待っていましたよ]]

 穏やかな声が響く。いや、声ではない。ボクらの”感覚”に直接意志を
 送り込んでいるのだ。

 [[こちらに来て最初に会うのがあなただとは奇遇ですね。マゼラン博士]]

 「定めかもしれんぞ、トマス・デッガー。わしにはお前の師としてお前を止める
 責任があるからの」

 博士の目が険しい。

  岩場に腰を下ろした男の銀色の腰まである長い髪が、この異常な空気の中で
 そよ風にもてあそばれるように穏やかになびいている。
  若い。年齢はボクとそう変わらないように見える。女性のような顔は白く、
 赤紫の唇は死化粧のようだ。白いマントに身を包んだその男は瞳を閉じたまま
 意志を送り続ける。

 [[今度は3人ですか。一人はヤルタ王子ですね。立派になられましたね。
  もう一人のジェラードは初めてですね。装置を破壊したのはあなたでしょう?
 すばらしい力です。おかげでわたしの覇軍と城は、ここへたどり着くことが
 できませんでした。ところで、ウィルバーはどうしましたか?力だけは
 感じられるのですが]]

 「先生ならここにいる」
 ヤルタはブレスレットをスライドさせ、タッチパネルをすばやく操作して装置を
 起動した。クリスタルが輝く。

 [[そうですか。彼は亡くなったのですね。残念です。]]
 冷たい微笑みを浮かべるトマス。

 [[わたしも死ぬ思いをしましたよ。本当に…]]

 「どうやってこちらへ干渉できたのだ?お前は空間の狭間に封じ込めたはずだが」

 [[それは、最初にぜひともお話ししたいと思っていました。博士には]]

 立ち上がるトマス。マントがなびく。

 「「「!」」」

 ボクはマントの下に光るメタルの体を見た。彼の体の半分以上は機械だ。
 そしてなにがしかの装置が、このエネルギーを発している。
 トマスは目を開いた。金色の目が光る。

 とっさにボクらはそれぞれ”場”を形成し、身を覆う。

 ゴッ!と音をたて、ボクらのまわりの岩が瞬時にして赤熱し溶解する。
 次の瞬間、急速に冷やされた岩石はボクらの周りに巨大な結晶の森を形成した。
 万華鏡のようにボクらの姿とトマスの像、そして、夕暮れの空の赤紫が交錯する。
 トマスの声が響く。

 [[見て下さい。もう空には星がでています。この空には無数の星が存在し、
 わたしたちはその星の一つに引っかかっている小さな生き物です。]]

 ボクはいつかそんな思いで空を見たことを思い出した。

 [[わたしは長い間空間の狭間を漂流しました。どれぐらいの時間が過ぎたか
 わかりません。いつしかわたしは小さな星の一つにたどり着いていました。
 おそらく星の爆発か何かのショックで空間が歪み、その隙間にわたしは巻き
 込まれたのかもしれません。
  その星には実に下等な生物しか存在していませんでした。そこでわたしは
 その星の生物に知恵や技術を与え、高等な生物と成長させたのです。]]

 ボクは何に形容して良いか分からない不可思議な生物のイメージが浮かんできた。
 トマスの声が響く。

 [[わたし自身の生命維持装置にも改良を加え、その星で命を長らえることが
 できるようになりました。星の原住生物はわたしの良い助手となりました。
 そして、何とかして博士やウィルバーに会いたいと、帰り道を探したのです。
 ここを見つけるのには長い時間がかかりました。しかし見つけても、遠く離れており
 還る手段がありません。
  ある時、わたしは“意志”を感じました。実に悲しい“意志”でした。それは
 この星から届いてくる物だったのです。幸いわたしはその意志と共振することが
 できました。]]

 ルシータだ。ボクは彼女のイメージを見ていた。能力者である事を知られて
 いたため、人から疎外され、孤独な思いをしていた幼い少女の寂しい思いが
 ボクの心を突き抜ける

 [[わたしは彼女に力を貸して友人を作る方法と、物体転送装置を組み立てる知識を
 与えました…]]

 友人のいないルシータが、どこからかやってくる優しい言葉に心を動かし、
 すがるような思いでコンタクトを取るのをボクは感じていた。
 その時。

 視界が暗くなり、ボクは激しい疲労感に襲われた。

 「何だろう…この感じ…」

 と、突然ヴン!というあの博士の装置の波動がしたかと思うと、バリバリと
 頭の中が引き裂かれる様な激しいショックでボクは我に返った。
 悪い夢から覚めた時のように激しく肩で息をする。
 ぎらぎら光る岩石の結晶。

 「ラサム殿!気をつけなされ!!」

 博士の声が届く。
 そうか!あいつはこうやってルシータを催眠状態に落として、ヒュプノで自分の
 奴隷としていったのだ!
 熱い血が体をめぐる。ボクの内側に激しい怒りが充満する。

 [[では、まず、こちらで仕事を始める前に、皆さんと少し遊びましょう]]

 「!」
 「くっ!」
 「はぅっ!」

 ものすごい力がボクらのまわりを駆けめぐる。
 結晶の森は粉砕し、轟音を立てて舞い上がる。
 ボクらは全力で”場”を維持しながら、空へ逃げる。

 「うわっ!」
 ヤルタが”場”を維持できなかった。
 「ヤルタ!」
 ボクは彼のそばへ瞬時に移動し、ボクの場に取り込む。
 「さ、さんきゅ。ラサム」
 ここで”場”を失えば、瞬時に挽き肉になってしまう。
 ヤルタはこんな相手と戦うにはまだ経験がなさすぎる。しかし、そんな彼の
 力さえ必要だ。いや、それでも足りないかもしれない。

 「王子!」

 博士が傍らに来る。背の装置が展開し、博士のまわりに各種のパネルが
 そのインジケータを明滅させている。
 「王子、無理なさらんでくだされ。王子のフォローはわしがしましょう、ラサム殿」
 「分かりました。この子、まだ実戦経験がそんなにありません。御願いします」
 ヤルタの目は不服そうだが文句は言わない。
 彼も、トマスのただならぬ力に脅威を感じているのだ。

 巨大な結晶群が破砕し、ゆらりとトマスの姿が見えた。

 戦闘開始だ。

                    *

  ふっと空気の流れが止まり、ざぁっという結晶の破片の散る音が、あたりに
 こだまする。
 博士がこのあたりの空間を閉じたのだ。戦いの影響が街の方に及ばないように
 するために。

 [[この程度ではあまり効果があるとは思えませんが、博士]]
 トマスが冷たい声で微笑む。

 [[では、最初にこちらから]]

 金色の目が輝く。
 結晶の破片が再度赤熱し、グレーに光る無数の矢を形成すると、
 螺旋を描いてボクらに突進する。

 と、ヤルタがクリスタルを起動した。
 光のつぶてが放たれ、矢の全てを粉砕する。

 [[ほう]]

 しかし、これくらいの攻撃はお遊びであることは分かっている。
 ヤツにとっては溜息程度の物なのだ。


 ヤルタが動く。
 トマスの傍らに瞬間移動し、至近距離から攻撃を仕掛けた。
 いや、仕掛けようとしたのだ。
 その瞬間、白いマントがなびき、ヤルタの体は粉みじんにされる。

 「!」

 しかし、それはヤルタ自身が作った彼のコピーで、本体はトマスの後ろに存在し、
 背後から猛烈な連続拳を繰り出していた。

 [[ぐふっ!]]

 緑色の光がトマスの体を貫き、ぐらりとよろけると、トマスは落下してゆく。

 「?」
 きょとんとして、落ちてゆく銀色の髪を見ていたヤルタの後ろで猛烈な
 爆発が起こった。

 凶悪なエネルギーの炸裂に飲み込まれる前に、ボクは無鉄砲な少年の体を
 連れ戻す。

 「ヤルタ!むちゃするな!」
 「んなこと言ったって、ずっとにらみ合ってるわけにはいかないだろ!」

 青年の笑い声がする。

 [[さすが王子。勇気がおありだ。しかし、コピーを作れるのは
 自分だけだと思わないことです。今時では、虫でもやりますよ。]]

 トマスの本体が爆発が起こったあたりからゆらりと現れた。

 「くっ!」
 ヤルタは歯がみする。

 [[さて、では若いジェラードに今度はお相手してもらいましょうか]]

 ボクは身構える。
 ヤツは音の速さでボクに接近すると、“力”が青い炎の剣となってボクに
 切りかかる。

 ボクは退いた。冷や汗が流れる。
 あの“力”の大きさでは、たとえ空間をゆがめたとしても、
 それさえ貫いてくるだろう。小手技では戦えない。

 ボクはクリスタルをかざした。
 光があふれ出し、渦を巻く。
 緑色に輝く甲冑がボクの身を覆う。
 “力の鎧”をまとえるのはジェラードの中でもほんのわずかだ。
 もともとジェラードは戦うことがその役目ではないのだから。

 ボクの構えた光の剣が”ヴン”と唸りを上げる。

 [[そうそう!そうでなくてはいけない!]]

 滑るように突進してくるトマス。二つの刃が交わる。

 「くっ!」

 バリバリと鎧がきしむ。大きな力の衝突で、閉じた空間にものすごい
 振動が起こっている。
 ボクは全力でヤツの刃をかわし、切りつける。しかし、マントさえも傷つける
 ことはできない。

 [[そら、どうしました?遊びにならないじゃありませんか]]

 じりじりと後退させられる。力が違いすぎる。
 ヤツのふるう一太刀ごとにボクの力が失われてゆくのが分かる。
 息が上がってくる。視界がにじんでくる。

 [[ダメですね。これでは]]

 すうっと後退したトマスは悲しそうに笑うと、目を開いた。
 金色の瞳が輝く。

 「うぁっ!」

 ヤツの猛烈なエネルギーの放出でボクの鎧は吹き飛んだ。
 突風にもてあそばれる木の葉のように、ボクの体はきりきりと宙を舞う。
 意識を失いかけたとき、ボクは博士の傍らに転送されていた。

 「大丈夫かの?!ラサム殿!」
 「は、はい。なんとか…」
 めまいを押さえながら、ボクは息を整える。

 「やはりヤツは前とは比べものにならないほどの力を身につけたようじゃ」
 「何か策はないのですか?」
 「ヤツの体の構造が基本的に以前と同じなら、ヤツの体の一部に大きな”力”を
  制御する装置があるはずじゃ。以前はそれを破壊することができたのじゃが…」
 「それを攻撃されても良いように何かを」
 「おそらくそうじゃろう…ちぃっ!」

  バチバチと博士の装置に火花が走る。あわててパネルを操作する博士。
 「ほとんどこの装置もオーバーロードじゃ。ヤツが本気を出したら、
 ひとたまりもないじゃろう」
 「…」

 悔しい。何とかして止める方法はないのだろうか。

 ヤツは今、ヤルタと対峙している。
 「ヤルタ!やめろっ!とてもかなう相手じゃない!」

 しかし、ヤルタは退こうとしない。
 「ヤルタ!」
 返事がない。
 クリスタルを構えたままだ。
 彼のブレスレットから光があふれ出す。

 「!」
 [[ほう]]


 まぶしい光が王子を包む。それは背の高い男の姿となった。

 「あれは…」

 「あれはウィルバー殿…」

 男の緑の影は次第にはっきりとした形をとる。
 長い髪。マントの刺しゅう。間違いなくジェラードだ。

 「王子のクリスタルに眠っていたマトリクス(記憶)が王子の力を媒体に
 実体化しておる!」

 ジェラードは死んだ時、そのクリスタルを残す。クリスタルにはジェラード
 の“意志”が残ると言うことは、おじいちゃんに聞いたことがあるけれど、
 まさかこんなに強力だったなんて。

 「じゃあ、ヤルタは今-」
 「おそらく、無意識じゃろう」

 ヤルタのクリスタルが輝きを増す。

 [[なるほど。消滅しきれずに残った彼の名残か。それも良し]]

 トマスはうっすらと笑うと、金色の瞳を輝かせた。

 ボクの時と同じ、すさまじい力の奔流が王子とウィルバーの影を襲う。

 バシバシッ!
 タッチパネルが火を噴く。
 「博士!」
 「ちぃっ!空間が維持できん!」

 「ヤルタ!」

 しかし、ヤルタは微動にしない。
 奇妙なことにトマスの力の流れが王子の周りでやわらぎ、消滅してゆく。

 [[ほう。これは驚いた。ではこれはどうかな?]]

 青年はゆっくりと右の手のひらをヤルタに向ける。

 彼の前に無数の小さな光球が現れたかと思うと、空気を引き裂く音と共に、
 少年に突進する。

 クリスタルが輝く。

 光球は空間に解け入るように消滅した。

 トマスは冷たい笑みをもらす。

 [[すばらしい。さすがはウィルバー。しかし、攻撃を受けているばかりでは
 つまらないではないか]]

 その時ヤルタのクリスタルが一瞬、鋭い光を放ち、青年の周りの空間が揺らいだ。

 [[?!]]

 突然、先ほど王子の周りで消滅したあの破壊的な力がトマスに炸裂した。

 [[ぐっ!]]

 マントで身を覆うトマス。しかし、金属的な音と共にマントはちぎれ、力一杯
 輝くときの太陽の光で輝き散る。
 まぶしさの中に青年の姿が見えなくなる。

 [[うおっ!]]

 再び空間が揺らぎ、光球が白熱したトマスに集中する。
 稲妻が走る。

 「空間をねじ曲げて攻撃をそらせ、それを今度はヤツの周りの空間に
 放ったのじゃ」
 「すごい!」

 ボクにはあのジェラードが空間を操作したのが分からなかった。
 おそらくトマスもだろう。
 あれだけの攻撃をそらせることなど、ボクにはとうていマネできない。
 ウィルバーは凄腕の賢者だったのだ。

 トマスは赤い球体と化した。

 「やったのか?」

 その時、猛烈な勢いで赤い球体から力が放出された。

 たまらず、ボクと博士は地面に叩きふせられる。

 「痛!」
 「だ、大丈夫か!?」
 「は、はい、何とか…」

 ヤルタはまだ宙にいる。
 球体はゆっくりともとの人の姿をとりはじめた。

 「なんてヤツじゃ。あれほどの直撃を受けておきながら…」

 マントがなびく。銀色の髪が真珠色に輝く。
 顔を上げ、金色の目が嬉しそうに微笑む。

 [[ふう。さすがに驚いたよ。ウィルバー。しかし、キミの弱点は
 王子の力を媒体にしていることだ。これはどうかね]]

 「ぐわぁぁっ!!」

 突然ヤルタが叫ぶ。
 何の前触れもなく彼の体が火に包まれる。
 ウィルバーの影が消えた。
 激しい苦痛でヤルタの意識が戻ってしまったのだ。

 「ヤルタ!」
 ボクは彼の周りの熱を散らすためにクリスタルを構えた。
 しかし、突然ボクの右手がクリスタルもろとも吹き飛んでしまった。

 「うわぁっ!」
 激痛が走る。右肩を押さえる。しかし、吹き出す血は止まらない。

 墜落してゆくヤルタ。
 ふっと姿が消え、ボクらの前に現れる。博士が転送したのだ。
 皮膚が焦げ、苦痛に身もだえする少年。

 「うう…」
 ボクもあまりの痛みに気が遠くなる。
 ふと目を右肩にやると、傷口を押さえている左手が腐れ始めていた。

 「!」
 目の前で自分の左手が解け落ちてゆく。

 「うわぁぁぁぁぁ!」


 ボクは完全にパニックに陥った。
 ひじの関節から腕が落ち、その「ぼとり」という感触が
 足に伝わったとき、ボクはまさに狂気の縁にいた。


 その時、頭の中で博士の声が響いた。

 (「ラサム殿!気を確かに!」)

 突然、周りの空気が凍り付いたように静かになり、そして、鋭い音と共にボクに
まといついていた感覚が引きはがされる。

 頬を伝う涙が熱い。心臓が口から飛び出しそうだ。
 汗がしたたる。
 真夏の暑い日の犬のように、はあはあと四つん這いで息をする。
 そう、四つん這いで。
 ボクの両手はボクの上半身を支えている。

 [弱いですね…]

 金色の目がボク達のすぐ前にいて、哀れむとも、いたわるともつかない優しげな
 声をかける。

 日がその最期の光を山裾に沈めようとしている。

 博士がかけより、ボクの肩を支えた。
 ヤルタも突っ伏したまま激しい息をし、せき込んでいる。

 「ラサム殿!しっかり」
 「は、博士…」
 「幻覚じゃ。今のは!」
 「幻覚?で、でも…」

 銀の髪がなびく。
 [そう。実際に痛みを感じたでしょう。わたしが、あなた達の感覚に直接力を
 送ったのです」

 ボクは改めて右肩に手をやる。まだ、あの激しい苦痛の余韻がある。

 [弱すぎるのです。人間は。ただの苦痛だけで、戦意を喪失してしまう。
 もっと強くならなければいけないのですよ]

 そう。ボクにはすでに戦う力がすっかりなくなっていた。ただ、涙をこぼしながら
 トマスの顔を見ているしかない。

 ヤツの顔は悲しげで、金の瞳はボクらの心の中を見通しているようだった。

 [人間はその精神が弱すぎるのです。それが合理的な事の実行の妨げになる。
 わたしの姉も…]

 「あれは、お前のせいじゃろう!そもそも、お前の繰り返していた実験が…」
 博士が叫んだと同時にヤツの目が光った。

 博士の背の装置がいきなり爆裂する。
 ボクはとっさにクリスタルを起動し、博士とヤルタを連れてヤツとの距離を置いた。
 ここら一体の空間を閉じていた力が失せる。

 [姉は弱すぎたのですよ。わたしがしていたことはみな、姉を救うためだった。
  姉の命を長らえさせるために、確かに多くの命を実験に用いてきた。しかし、
  彼らは人の迷惑にしかならない何の役にも立たない連中だったではありませんか。
  せめて、彼らが一生の間で一度、役に立つことをする機会を与えてあげたのです。]
 「博士。どういう事です?」
 ヤルタが尋ねる。少し落ちついてきたようだが、まだ先のショックで体が
 うずいているようだ。顔に苦痛の色が見える。

 「ヤツは、浮浪者やとらえられた犯罪人を実験台に、姉の病気の治療法を見つけ
 だそうとしていたのじゃ。それを知った、彼女は…」

 [そう、自ら命を絶ったのです]

 トマスの声が冷たく響く。

 [姉は弱かった。何が合理的かを理解できなかった。姉はこれからの世に必要な
  天才だった。しかし、彼女の感情が自らの命を長らえることを拒否したのだ。
  だからわたしは、人間全てを強くする。]

 ボクの頭にルシータの事が浮かんだ。彼女は自分の父親や青年の命を、目的の
 実現のためにいとわなかった。
 ボクは顔を覆った。
 違う!

 [では、みなさん。少し休んでいてください。まあ、これは予定通りですが。
 わたしは次の計画を実行してまいります。すぐ後でまた遊ぶことになるでしょう]

 「何をする気じゃ!」

 [博士、お分かりでしょう。“恐怖”ですよ。まず人を従わせるには“恐怖”が
 必要です。街の半分が失われれば、あの人々は恐怖するでしょう。その次は
 助手ですね。わたしはルシータを失ってしまいましたから。]

 「お、お前はまた…」

 博士は歯ぎしりする。
 トマスは少し目をつむり、遠くの香りを嗅ぐようなしぐさをしてから、こちらに
 視線を落とした。

 [街には彼女のような能力者がまだ数人いますね。次はあの娘に助手をして
 もらいましょうか]

 「エリザを?!やめろ!」

 ボクの声は届かず、ヤツの姿はかき消えた。
 ボクは勢い立ち上がる。

 心臓が力の限り鼓動する。血が体中を音を立ててめぐる。
 熱い。体が熱い。
 涙がとめどなくあふれる。
 もう、ボク自身でボクを制御できない。
 世界が緑色に見える。

 クリスタルを輝かせる。
 どこだ!

 「ラサム殿!ダムじゃ!ヤツはダムを破壊して町の半分を流し去る気じゃ!」

 「させないっ!」

 ボクは飛んだ。


 トマスはダムの見える丘にいた。
 ヤツが右手を構えると白色の光体が数個、前に並ぶ。
 手を振り上げると同時にそれは上空に昇り、激しい閃光を放つと、
 轟音をともなってダムへ落下してゆく。

 ボクはクリスタルを力一杯輝かせ”力の鎧”をまとうと、落下して行く光球に
 続けざまに切りつけた。

 ものすごい振動が起き、ダムの湖水が桶の水のように波立つ。

 ヤツの放った力が砂のように散り、輝きを失いながら湖へ沈んで行く。
 空には一番星がまたたきはじめた。

 [わたしは予定を狂わされるのが一番嫌いだ]

 トマスが言っているのがわかる。

 ボクは湖の対岸に立ち、ヤツに意志を飛ばした。

 「ボクはお前を止める!」



 次の瞬間、ボクとトマスは湖上で激突していた。
 激しい衝撃波が湖面に突き刺さり、ボクらを中心にして幾重にも瀑布が巻き起こる。

 刃を重ねたまま音速で上昇する。
 ビリビリと鎧がきしむ。
 ボクは歯を食いしばった。
 眼下の湖は銀色にボクらの力を反射している。
 涙で視界が潤む。
 熱い。

 ヤツの目とボクのクリスタルが同時に輝く。
 世界が一瞬ひしゃげた感覚の後、幾重にも虹が輝き、その閃光で夜が一瞬後退
 したかに思えた。

 過大な”力”の衝突によって組成が不安定になった大気の陽炎の中、金色の目は
 呟いた。


 [ちがうな。どうしたのだ、その力は-]

 ボクはヤツに語る言葉など持っていなかった。ただ高鳴る心臓の鼓動と、目から流れ
でる熱い感情(-ヤツをここから消さなければ-)、それのみに導かれて剣を握り
しめていた。

 ボクは、エリザが”好き”。
 あの足に冷たく固まっていた寂しい気持ちは、父さんや兄さんと離れてしまった
ボクの気持ち。
 そして、その気持ちはあの悲しいルシータと同じ色をしている。
 ボクはルシータも”好き”。
 (「御願い…見ないで…」)
 もうあんな悲しいことはイヤ!

 哀しみと怒りがボクの中で加速度をつけて回転し続ける。
 ボクの涙は止まらない。

 だから!


 再び緑と青の剣が交わる。
 ゴォという音と共に双方の”力”が渦を巻き、閃光を発する。
 ボクの鎧が鋭い音を立てる。

 ヤツの銀の髪が後方へ激しくなびく。
 ボクもヤツも剣へ込める力を緩めない。

 ボクの唇が切れ、血があごへ流れる。

 突然、ヤツの剣を握る手が緑色に輝きはじめた。

 [ちぃっ]

 剣をはじいてヤツが退く。
 ボクは空間もろともヤツの残像を切り裂いた。

 距離を置いたヤツの腕が解け落ちる。

 [まるでケモノじゃあないか。理性のかけらもない]

 ボクは気合いと共に満身の力で剣をふるった。
 緑色の光の帯が唸りと共に延び、幾重にも刻んだ空間の裂け目の幾つかが
 ヤツの銀の髪をとらえる。

 残像を引きながらすべるように後退するヤツは腕を再生させると、
 続けざまに白熱する無数の火球を放った。
 ボクは全てを切り散らし、なおもトマスとの距離を詰める。

 突然、ボクの右肩が吹き飛んだ。続けざまに両足が解け落ちる。
 しかし、幻覚による激痛もボクの問題ではなかった。
 ボクは失ったはずの右腕の剣で、ヤツのマントを引き裂く。
 切り放されたマントのエネルギーが制御を失ない、激しい爆裂を引き起こした


 金の目が輝き、猛烈な”力”の奔流がボクを襲う。

 「はぁぁぁぁぁああっ!」

 ボクはその全部を剣で受けとめ、それを緑の刃にまとわせた。

 [お前はっ!]

 構える。

 ヤツも胸の前で手を組み、力を集中している。
 金色の瞳が燃える。
 再び、振動が空間を満たした。
 鼓膜が破れそうな振動。

 クリスタルが力いっぱい輝く。

 ラストだ。

  デリート
 [消去 !]

 「いなくなれっ!!!!!」

 二つのエネルギーが激突した。


 青と緑の閃光が宇宙に突き刺さった。

                   *

 「はぁ、はぁ…うっ…はぁ、はぁ…」

 ボクは自分の命を確認していた。
 体中が痛い。
 湖の波が頬を洗う。
 目を開ける。

 ヤツはいた。
 右手と両足を失ない、岩の上に金属の体を横たえていた。
 暗闇の中、ホタルのように脈動する光を身にまとわせている。
 その金の目から生気は消えていない。

 [お前は、普通のジェラードではないな。なぜだ]

 ボクはよろよろ立ち上がった。
 湖の波の音。
 クリスタルを起動し、鎧を再びまとう。
 剣を構える。

 トマスは金の目で冷たく笑っている。
 ヤツはまだ動けるほど回復していない。
 ボクは剣を振りかざした。

 がくん

 剣と鎧が消え、ボクはくずおれた。
 寒い。
 体が動かない。

 [最初から、力が違い過ぎることは分かっていたはずではないか。
  山を一つ蒸発させた時点で、お前はその力の半分近くを失っていたはずなのだ。
  今、命があるのさえ奇跡的なのだよ]

 ヤツは手足を再生させはじめた。

 悔しい!
 あと一太刀!
 あの体に突き立てることさえできたら、終わりだったのに!

 でももう、ボクは呼吸することだけで精一杯の状態だった。

 [では、計画を進めさせていただくよ。お前を消去するのは街を水没させてからの
 予定だったが、多少の前後はお前の熱意に免じることにしよう]

 オゾンの香りをさせながら、ヤツは岩の上に立ち上がった。

 [では退場願おうかな]

 グン

 ヤツは周囲の闇より暗い、手鞠ほどの空間を作りだした。

 [これが何だか分かるね]

 そう。それは、あのメタルの部屋でボクの力を吸い取った闇だ。

 [お前にはこの中に消えてもらう。わたしも一度通ったことのあるホールだ。
  きっと楽しい経験ができると思うよ]

 トマスは指先で、すうっとボクの方へそれを投げてよこした。
 ゆっくりとボクに向かってすべってくる暗黒の球体。
 ボクの周りの小石がザァッと音を立てながらそれに吸い込まれはじめる。
 ボクは歯がみした。

 もう、だめ。

 その時、緑色の閃光が走り、球体とボクとの間に影が割って入った。
 赤い髪の少年の背。

 「ヤルタ!」


 巨大な大理石が擦れ合うような音がうねりを伴ってこだまし、
 ヤルタが張った力の壁を暗黒の球体が削り取ってゆく。

 「はやくっ!はやく退くんだ、ラサム!」

 ヤルタは歯を食いしばりながら叫んだ。
 緑の閃光がきらめく中で、トマスは悲しそうに笑っている。

 [むだだよ。そのジェラードはもう立ち上がることもできない。そのまま
 放っておけば、すぐ命つきるだろう。その前にスリリングな経験をしてもらおうと
 思ったのだよ]

 「くっ!」

 ヤルタの壁が確実に削られてゆく。必死に抵抗する少年。

 [あわれだな。弱すぎるということは。わたしに従ってさえいれば良かったものを]

 (ヤルタ!逃げて!)
 ボクは声にならない叫びで叫んだ。

 しかし、ヤルタはボクにあのグリーンの瞳で優しい視線をちらりと投げて
 よこすと、壁を支えていた両手を構え直し、クリスタルを輝かせた。

 突然、ボクのクリスタルが淡い光を放ちはじめる。


 体が暖かくなってくる。頭のなかの冷たいしびれが消えてゆく。

 (ヤルタ!だめ!)

 ヤルタは彼とボクのクリスタルを共振させることで、力をこちらへ送っているのだ。
 そんなことをしたら!

 たくさんのガラスが一度に砕け散るような音がして、壁が壊れた。ヤルタの像が歪む。
 「ヤルタ!」

 ヤルタの思惟が流れ込んできた。

 (王族はね、臣民のためにいつでも命を捨てることができるように心を決めている
 ものなんだ。父も祖父もそうだった。ボクも王子のはしくれだからね。
 ラサム、色々ありがとう。オレ、生意気ばっかり言ってごめん。後をたのんだよ・・・)

 「ヤルタっ!」

 ギシュン!

 ホールが閉じた。

 「あ、あ…イヤ…イヤだぁっっっっ!」

 ボクは両手で顔を覆い、嗚咽した。

 ヴン、と音がして、ヤツが身に力をまとう。

 [さて、どうするかな。王子が力を残していってくれても、せいぜい体力を
 回復させる程度のものでしかないが]

 ふっと彼の力が消え、鈍い唸りと共に再びホールが現れた。
 ボクは剣を抜いた。“力”の剣ではあの暗黒の球体に吸い込まれてしまうだけだ。
 涙は後から後からあふれて、ボクの頬を走る。

 ヤツは左手にホールを構えたまま、ボクと対峙した。
 (どうする。どうしたらヤツと戦える?…)
 ボクの頭の中で同じ問いがぐるぐる回り続ける。

 [さようなら。若くて美しいジェラード]

 ヤツは球体をボクに向けて発射した…ハズだった。

 突然信じられないことが起こった。

 「グワオッ!」
 [ちぃっ!]

 突然、ホールが膨張したかと思うと、その暗黒の中から巨大な白い生物が身を
 踊らせ、ヤツの左腕に食らいついたのだ。

 白いトラ。
 そう、湖でボクを巨大な腔腸動物から救ったあの一角の白虎。
 真っ白で強靭なその翼が、トマスの頭を痛打する。
 金属の左腕はその牙にひしゃげた。

 ボクは構えた。

 「いなくなれっ!」

 剣と共にヤツの懐へ飛び込む。刃は果実に吸い込まれるナイフのように、
 すんなりと貫通した。
 と同時に、ボクは剣を握ったまま吹き飛ばされる。

 [お、おのれっ!]

 トマスの体から力が奔流のように吹きだし、猛烈な渦を巻いてホールに
 吸い込まれてゆく。

 分かった。
 ホールを発生させているとき、奴は自身の力がそれに飲み込まれることがないように
 力を外に出していなかった。だから、あんなに簡単に剣が通ったのだ。

 グワォウッ!

 力だけでなく、白虎にその鈍く輝く肉体もホールへ引きずり込まれる銀の髪の青年。

 [ジェラード。また会うぞ、必ずっ!]

 ギシュン!

 ホールが、
 閉じた。

                    *

 どれくらいの時間がたったのだろう。
 ボクは体に暖かい物を感じて、目が覚めた。

 ボクのまわりには幾つかのパネルが並んでいて、明滅している。
 「ほうっ」と息をし、体を起こしかけるとマゼラン博士の声がした。

 「気がつかれましたか、ラサム殿」

 ボクは湖畔の岩場に寝かされていた。
 あたりは幾台かの小さな機械が放つ光でぼんやりと照らされ、湖の波がゆるやかに
 その明かりをよせ返している。
 少し離れたところで、カニンガムがパネルをあわただしく操作しているのが
 見える。

 空を仰ぐと、何事もなかったかのようにまたたく星々。
 ボクは少しの間、自分のゆっくりとした呼吸音を聞いていた。

 ボクの頭の中、夢のように浮かんでくるヴィジョン。
 それが現実のことだったのだという認識が、胸の中にじわじわとしみこんできて、
 否定したくてもそれができない圧力になったとき。

 ボクは博士の胸にすがった。

 「博士、ヤ、ヤルタが…!」

 「エリザが何が起こったか、わしらに伝えてくれましての。いま、カニンガムが
ホールの跡をサーチしておりますところじゃ」

 博士はボクの背を赤子をなだめるように優しく叩きながら言った。

 「よくやりましたの、ラサム殿。今は休みなされ。まだ十分回復はして
 おりませんから」

 ボクの体の治療が終わった後、博士はカニンガム共に空間のサーチを続けていた。

 様々な色にまたたくパネルのインジケータ。
 そして冷たく輝く星々。
 それらを映す湖面。

 交錯する細かな光の粒の中でボクは岩に腰掛け、唇を噛んでいた。
 湖を渡る風がボクの長い巻き毛を揺らす。

 ボクは今まで何度も虫を空間の狭間へ放り込んできた。
 「そこは全ての物がその形をとどめ置くことができない場所」と、おじいちゃんから
 教わった。
 そこへ投げ込まれた物は次第にその形を失い、他の空間の一部に吸収されたり、
 あるいは空間の構成要素に置き換えられてしまうという。
 永遠の破滅の場所。
 だから、もちろん人をそこへ投げ込む事なんて考えたことはない。
 しかし、そこへ送られた者がこの空の星の一つに通じ、再びこの星に戻って
 くることができたのだ。

 ボクらがまだ知らない事がたくさん、この星々、そして空間の中に存在する。
 それによって、人が不幸になり、苦しむことがあるのだ。

 ボクは今まで本当に苦しんだことがあったろうか。
 ボクがどんなに重い病気になっても、ケガをしても、父や兄やおじいちゃんが
 クリスタルの”力”でなおしてくれた。
 ガレーネーのアリアナさんの時のように、ボクも”力”でなんとかすることが
 できると思ってた。

 でも、今度の場合は、違う。

 ボクはルシータを救えなかった
 彼女の悲しい心に巣くったトマスの呪縛を取り去ることができなかった。
 死の間際に彼女に正気を取り戻させたのは、
 彼女のカヴァーデールへの思いだったのだろうか。

 ボクはヤルタを助けることもできなかった。生意気で可愛くて小憎らしい
 赤毛の少年を…

 (あの子の赤い髪、果物みたいな香りがしたよな…)

 そんなこと思い出したら、また自分の無力さに胸が痛む。
 アッシュドで出会ったときからの、王子とのこれまでのことがぼんやりと
 思い出されて、チカチカと光るあたりの風景がにじんでくる。

 (お供のボクの方が彼にずいぶんかばわれてきたような気がするなぁ…)

 ガレーネーで倒れたとき。
 鉱山のメタルの部屋で脳改造されかかったとき。
 トマスを前にどうすることもできなくなっていたとき。

 (ボク、あの子になんにもしてあげてなかった…)

 呼吸に”しゃっくり”が混じり始める。
 止めようと思うんだけど、だめ。

 (これまで、あの子の背中借りて、ボク何度泣いたっけ…)

 でも、今。
 子馬のように骨ばったあの背中はもうない。
 思わずボク、顔を伏せる。

 そんなボクの様子を、博士が優しくいたわるような目でずっと見ていたことに、
 ボクは気付いていなかった。


 機械が音を立てた。
 ボクは顔を上げる。

 幾つかのパネルが反応を知らせ、カニンガムと博士がのぞき込む。
 ボクは立ち上がった。

 「ヤルタは、大丈夫でしょうか・・・?」

 しかし、二人の表情にボクは答えを察した。
 博士が重苦しく口を開いた。

 「およその”存在”は確認できるのじゃが、すでに時間が経過しておるのでな」
 「なんとか、ヤルタさんを捉えられれば、この機械でもこちらへ引き戻す事は
 可能です。しかし、確実に彼を捉えることができなければ…」
 カニンガムが言葉をにごした。

 そう。彼の肉体の一部しかこちらへは連れ戻せない。
 それは考えただけでも恐ろしいことだった。
 でも、このままではいずれ彼はその形をとどめておくことができなくなる。
 あのブレスレットのクリスタルの力を借りていたとしても。

 東の空が明るくなりはじめた。
 ボクはパネルを見つめた。
 このどこかにヤルタはいる。

 ボクは祈るような気持ちで、心の中で叫んだ。
 (ヤルタ!どこにいるんだよ!頼むから、答えて!)

 「ラサムさん!」
 カニンガムが最初に気がついた。

 「これは?」
 ボクの右手のクリスタルが淡く緑色に輝いている。

 「そうだ!もしかすると博士!」
 「うむ!王子はブレスレットとラサム殿のクリスタルを共振させたまま、
 ホールへ飲み込まれたのでしたなのでしたな!うまくすれば!」


 準備は数分で整った。

 鈍い音を立てて、機械が作動した。

 「ラサム殿。くれぐれも“力”を働かせるのではありませんぞ」
 「ええ。やってみます」

 ボクはクリスタルを構えた。

 「いきます、ラサムさん!」
 「はい!」

 空気がはじけるような音がして、握り拳ほどの空間の裂け目が現れた。
 ボクは目を閉じ、思いの中で少年の姿を念じた。
 しばらくして、朝焼けの草原のような、淡くて暖かい光が浮かんできた。
 その光の中にたゆたう少年の姿をハッキリとボクは捉えた。
 しかし、肉体はすでにモザイク状に離散しかかっている。
 (ヤルタ!ヤルタ!)
 ボクは身を切られるような思いで、少年を呼んだ。

 「来ました!」
 「うむ!」
 博士がパネルを操作する気配と同時に、鋭いショックが走る。
 ボクはクリスタルから光が稲妻のように伸び、幾つかの金色に輝く光体を空間の
 裂け目から引き出すのを見た。
 緑の稲妻は踊るようにあたりを駆けめぐり、ボクらから少し離れた岩場に
 光体を一つにまとめてゆく。そのまわりをきらめく光の粒が霧のように覆った。
 その輝きのなかにボクらはほっそりとした少年の姿を見た。

 「成功じゃ!」

 空間の裂け目が閉じられる。

 ゆうらりと岩の上におりた少年の裸体に向かってボクは一目散に駆けた。

 「ヤルタ!しっかりして!ヤルタ!」

 抱き抱えられた少年はゆるやかに呼吸を始め、目をうっすらと開ける。

 「分かる?ボクだよ!ヤルタ!」

 そのグリーンの目がボクを認めると、少年は冷たい表情であの恐ろしい
 微笑みをし、言った。

 「また会ったな、ジェラード」

 「!」

 ボクは凍り付いた。
 心臓が止まったと思った。



 次の瞬間、少年は懐かしいあの小生意気な笑いをした。
 「助けられたときは、これやろうと思ってたんだ。おどろいたろー」

 「こんのおおバカやろぉぉぉおおおおおお!」

 ボクは少年が白目をむくほど力いっぱい抱きしめて、キスをした。

                 *


 製錬所の煙が静かに立ちのぼっている。
 ボクは丘の上から朝靄にけむる街を丘の上から見おろしていた。

 あの事件から4日たち、工場はやっと動き始めた。
 ボクとトマスの戦いでダムの変電設備が一部損傷していたが、それもすぐに
 復旧したようだ。
 新しい社長が任命され、会社の機能も正常に戻りつつあるという。

 丘を下る。
 向こうにルシータの家が見える。もう誰も住むことのない家。
 風が吹き抜け、道ばたの草の葉がきらめく朝露をぽろぽろとこぼす。
 涙のように。

 街へ入ると、工場へ向かう労働者達とすれちがう。
 ボクは一人、皆と反対の方向へ歩く。
 木戸を開ける。朝食を準備する音が聞こえる。
 お手伝いに来ている近所のマリアおばさんと車椅子の少女がかまどの前にいた。

 「おはようございます」
 「あ、おはようございます」
 「お兄さん達は?」
 「もう出かけたの。おじいさんとお話があるって」

 階段を上り、部屋の扉を開ける。
 カーテンから朝の光が漏れている。
 少年はもう目がさめていて、ベッドから窓の外を見上げていた。

 「どう?気分は」
 「ん。もう大丈夫だと思う」

 ボクはベッドに腰をかけ、少年の手を取った。

 「熱はだいぶんひいたね」

 遠くでプレス機の音が響いている。

 小鳥達がさえずりながら窓を横切り、淡い青の空へ向かっていった。


 「ラサムはどうなんだ?」
 「ん。ボクは平気…」
 「…まだアイツのこと考えてるのか?」
 「うん…ボク、思ったんだけど」
 「?」
 「トマスって可哀想な人だったなって」
 「なんで?」

 ボクはベッドから立ち上がると窓辺へ行き、カーテンをいっぱいに開いた。
 風が通る。庭の木々のにおいがする。

 「あれだけの力がありながら、お姉さんの病気を治せなかったんだろ?」
 「うん」
 「あの人はきっと、お姉さんの”心”に病気の原因があったことが分かって
 いたと思うんだ。そして、その”心”が痛んで、お姉さんは自殺しちゃって…
 だからトマスは人から”心”を取り除いてしまおうとしてたんだ」
 「…」
 「それさえなくなってしまえば、人は強くなれるって」

 [人間は精神が弱すぎる。それが合理的な事の実行の妨げになる。
 わたしの姉も…]

 ボクはトマスの言葉を思い出していた。

 「それってさ、すごく可哀想だよね?そう思わない?」

 ヤルタはしばらく黙ったあと、唐突に口を開いた。

 「ラサム、らしくねーぞ。まるで女みたいじゃねーか…って 
 いてェーっ!!病人は優しく扱えっ!」

 憎まれ口をきくようになったところを見ると、ヤルタはもう大丈夫だ。

 ぷりぷりして部屋を出ると、ちょうど階段を上ってきたマゼラン博士と
 はちあわせた。

 「おはようございます、博士」
 「おはよう、ラサム殿。王子は?」
 「ええ、もう十分元気でしょう」
 「そうか、それは良かった」
 「博士…やはり…」
 「ああ、わしらはこの町を出るよ。あの兄妹達とな。脳改造を受けておった者達の
 手当もうまくいったしの」
 「…」
 「街の人達も今度のことで、“能力”を持つ者に対してますます不安を抱いて
 おりますから」

 そう。もう一つ心に引っかかっているのはそれ。
 そもそもルシータを傷つけたのは、能力を持つ者に対する差別だったのだ。
 平穏を取り戻したあと、その目がこの兄妹達に向けられる恐れがあるのだ。

 「博士…」
 「?」
 「ボクたちのような能力者は、みんなと一緒にいられないのでしょうか。
 ボクが生まれた村では、能力者は皆に尊ばれ、また能力者もそれに値する人間として
 自らを高めるよう励むのが当たり前だったのです。でも、この町では…」

 博士は微笑んだ。
 「悩む事はない。場所によってはそういうものだと覚えておくことじゃよ。
 ラサム殿は最初、自分が何者かを隠しておいでじゃった。あれは何故かの?」
 「あのときは、何となく…この町の問題にジェラードが関わるのは出すぎたことかと
 思ったので…」
 「それぐらいの心構えで事に臨んだほうが良いこともあるという事じゃよ。
 これからラサム殿は多くの場所に旅をなさることじゃろう。もちろんこの国の中では
 ジェラードの存在は知られておる。尊ばれもしよう。しかし、そうとばかりは限ら
 ないこともあるのじゃ」

 ボクはさらに尋ねた。
 「…でも、皆と別視されるのは仕方ないとしても、何故ボクやあの兄妹のように
 生まれながら能力を持った者がいるのでしょう」

 「おそらく…」
 博士はしばらく間をおいた。

 「おそらく、時代に必要とされているんじゃろうな。わしにもよくわからんが。
 『“有”すべて有るものはその意味を持ち、“意志”により存在を許される。』
 というのは、ジェラードの訓語ではなかったかの?」

 確かにそう。でもボクはまだ、その“意志”が何かを理解していない。
 これから、その”意志”が何なのかを探し続けてゆかなければならないのだろう。
 ジェラードとしての旅はまだ始まったばかり。そう簡単にその”意志”を悟る事
 なんてできるはずはない。そう。そうだよね。

 「ありがとう、博士」

 博士はうなづいて、ヤルタの休んでいる部屋へ入っていった。
 ボクは少し軽い足どりで階段を下りた。

                  *

 「ヤルタ王子。お加減はいかがですかな?」
 「はい。もう熱も引いたみたいですし。あと一日二日で動けると思います」
 「そうですか。それは良かった。ラサム殿の介護が良かったのじゃろう」
 「頭を締め上げるのが介護とは思わないけどな」
 「ホッホッホッ。しかし、良い娘さんじゃな。あの方は」
 「は、博士…どうして!」
 「わしも伊達に年は食っておらんよ。さすがに女のジェラードは初めてじゃがな。
 それと、な、王子」
 「は、はい」
 「ウィルバー殿のことじゃが」
 「先生?もしかして…」
 「そうじゃ。ほぼ間違いなくラサム殿の父君、カーチス殿と同一人物じゃろう。
 ラサム殿の窮地の時にマトリクスが発現したり、王子が次元の狭間に
 おられたときでもクリスタルが共振できたのは、そうとでしか説明が
 つきませんのじゃ」
 「じゃあ、ラサムの父親が死んでいることを…」
 「知っているのは我々だけという事じゃ」
 「…黙っていたほうが…」
 「そうじゃの」
 「…」
 「王子、あの娘さんを守ってやってくだされよ。その形見のクリスタルにかけて」
 「…はい」
 「それから、王子。ラサム殿は2度も一角の白虎を見ていると申しておられるの
 じゃが、王子は“発動”させた憶えは本当にありませんのか?」
 「ええ。ぜんぜん」
 「やはり、そのウィルバー殿のクリスタルと関係があるのかもしれんの」


 ボクが庭でヤルタの部屋の窓辺に飾る花を選んでいるとき、突然懐かしい意志が
 ボクの頭に飛び込んできた。

 「おじいちゃん!」

 ボクはあわてて立ち上がると、心を開いた。

 [ラサム。わしは無事にサトナへついた。思ったより状況は深刻じゃ。やはり原因は
  “理(ことわり)”の平衡が崩れてきているためらしい。しかし、何故それが
 生じているかがわからぬ。対策は立てておるが、回復には時間がかかるじゃろう。
 マトゥリア王に至急、事を伝えてくれ。
 国民の病は治療することができそうじゃ。しかし、残念なことじゃが国王は…]

 「えっ!そ、そんな事って…」

 ボクは、しばらく呆然として立ち尽くした。

 「言えないよ…ヤルタには…」

 ボクは両手で顔を覆った。

                       *

 ボクは花を持って階段を上がった。
 扉の前で、顔をもう一回拭って確かめた後、ドアを開けた。
 ヤルタはベッドの上に身を起こしていた。
 ん?何となく様子が違う。

 「あれ、博士は?」
 「あ、ああ。もう出かけた」
 「…花、換えるよ」
 「ん」
 「あのさ、さっきごめん。ちょっと頭に血が上っちゃってさ。あは」
 「あ、ああ」

 やぱ、態度がちょっと変。悟られたかな。

 「オレもさ、お前、まじめに考えてるのにおちょくったりして、ごめん」
 「な、なんだよぉ。急に。変なヤツ」
 あわてておどける、ボク。

 「な、何が変なヤツだよ。気ぃ使ってんのに。ちぇ」
 毛布にもぐり込む王子。

 ボクは、自分の父親が亡くなったことを知らずにふて寝しているこの少年が、
 とても可哀想でしかたがなかった。抱きしめたいのをぐっとこらえていた。

 階下からカニンガムの朝食の準備ができたことを知らせる声が聞こえる。

 「いま、食事持ってくる」

 毛布をかぶったままの王子の背にそう言うと、ボクは部屋を出た。
 彼がどんな気持ちでボクを案じていたのか、その時のボクは知る由もなかった。

                   *

 それから2日後。
 ボクらは旅路にいた。
 回復したヤルタ、そしてマゼラン博士とカヴァーデール、カニンガムそして馬車に
 乗せられたエリザが一緒。

 王宮へ向かう街道へさしかかった。
 「さて、ここでお別れですな。王子、ヤルタ殿」

 「博士達はこれからどちらへ?」
 「そうですな。まずは西のほうへ行こうと考えております。以前、ワシが住んでいた
 家がありますのでな。エリザの足が良くなるまで、そこにしばらくいることになるで
 しょうな」


 「お元気で」
 「皆さんも」

 カヴァーデール、カニンガムと挨拶を交わした後、ボク達は馬車にまわる。

 「エリザ、元気でね」
 「うん。これ、あげる」

 彼女が差し出したのは望遠鏡だった。

 「これは…」
 「いいの。もう星を見なくてもいいんだもん」
 ヤルタはそれを受け取ると微笑んだ。

 「さよなら」
 「さよなら」
 「ありがとう」


 馬車の後ろを見送りながら、ヤルタは言った。

 「ラサム、どうしてあの子の足をなおしてあげなかったんだ?」
 「うん。あれはね」

 木々の向こうに馬車が消える。

 「あれは、トマスのお姉さんと同じなんだ。“力”では治せないんだよ」
 「治せないって…」
 「ん。でも大丈夫。お兄さん達、これからいつもあの子のそばにいられるように
 なるから、きっとすぐに良くなると思う。あの子の悲しい思いが、あの足から
 抜けたら歩けるようになるよ」
 「悲しい、気持ち?」
 「さ、行こう」

 ボクらは歩き始めた。
 王宮はもうすぐ。王子との旅もあと3日ほどで終わる。短かったハズなのに、
 ずいぶん長かったような感じ。
 『知恵は知識をもって実践することにより得られる比類無き宝』っていうのが、
 少しわかったような気がする

 「マトゥリア王との会見が終わったら、ヤルタはどうするんだ?」
 「うん…まだ、考えていない。国へ戻ろうって思ってたんだけど…」
 「だけど?」
 「会見してから考える。ラサムは?」
 「ボクはたぶん、王の命を受けたらまた旅に出ることになるんじゃないのかな。
 国の必要なあちこちへ出かけるのがジェラードの仕事だから。まあ、昔みたいに
 戦争へ行くことはないと思うけど」
 「そうか…」
 「どしたの?」
 「ん。何でもない」

 何だか、このあいだからこの子、変だ。

 「ま、とりあえずさ。」
 ボクは明るい声で言った。
 「王宮についてからだね。」
 「うん。」
 道のりはまだ3日ほど残っている。

 ボクとヤルタは歩みを始めた。

              

「異界からの復讐者」 終わり
               

ジェラード3 「異界からの復讐者」

ジェラード3 「異界からの復讐者」

旅の途中、立ち寄った鉱山の町。ただならぬ雰囲気。町を牛耳るクリーチャーたちとリーダーの娘。労使の抗争。しかし、その影には恐ろしい黒幕がいた。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-27

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