ゲームオーバー

妄想の世界のあなたは、
いつも抱きしめ包んでくれたけど
現実の世界のあなたは・・・

妄想と現実の世界、女と男の関係性とそれらの狭間は、
とても危うくて今にも崩壊する世界だった。

ゲームオーバーは、もうすぐそこ・・・。

いつも見えていた空が、今日いきなりモノクロームになった。
夢はいつも色がなくて、無味乾燥な世界が現実と近しき狭間で不安定に繰り広げられているけれど、まさか現実世界の色がなくなるなんて思わなかった。


私が同僚のA男に依存したのは半年前だった。彼氏と呼べるか呼べないかもわからないセフレのB男と付き合って3年になる頃だった。
きっかけは特にないのだけど、似たような仕事をしたり、似たような重圧を受けたり、似たように人間らしくない生活を受けていたら、
自然と同種の共存というか、片割れみたいな錯覚に囚われた。
その錯覚は、ロールプレイングゲームの洞窟に閉じ込められた2人のプレーヤーが方向がまるでわからなくなっている感覚に似ていた。
ただそこにいることを否定し外の世界に出たいけど出れず、ひたすらもがいている姿が、自分たちのことにもかかわらず俯瞰的に見てとれた。

「僕だって同じことを考えていたよ」
悩みを打ち明けるといつだってそう答えてくれる。
洞窟から抜け出せなくても、孤独という檻から回避できるのであれば何回でも聞きたかった。
短めの髪に荒れた肌、少しつぶれた鼻に長いとも短いともいえない首。
かっこいいともかっこ悪いともいえないいたってノーマルな彼に、期待もしなければ諦めもしない。
それが疲れず心地よかったのも彼を好きな要因だった。

幼い頃から人付き合いが苦手だった。他人はみんな新種の生き物だから、どんな風に近づいてどんな風に触ればいいかわからない。
下手に近づくと食べられるし、下手に触ると嫌われるかもしれない。
いつも冷や汗をかき伏し目がちになりながら人と会話をするしかなかった。
そんな中、人前に出て交渉する仕事に就いたから大変だ。就活でどこにも拾ってもらえず、唯一小規模メーカーの営業職だけ内定をもらったから
仕方なかったのだが、毎日がサバイバル感覚で、見えるストレスも見えないストレスも溜まる一方だった。


ある時、今までのストレスの蓄積と仕事の失敗が重なり、自分自身を含めて世の中のすべてが信じられなくなった。
人だけでなく物ですら、大きな波音と濃い青の飛沫で自分を襲ってきそうで、
サングラスを付けて人も物も「見えない」というフィルターを付けないと外に出れなくなった。
サングラスを付けていると、すべてがモノクロに見えてきて、自分も色のない世界に立っていることをまじまじと実感した。

もちろん仕事中にサングラスなんてできないから、会社を休むようになった。
上司から何回か電話やメールは来たものの、「田舎に住んでいる親の体調が悪いから」という理由を告げると、1ヶ月の休暇をもらうことになり、
そこからは企業のコマの1つにしかすぎない私に当然のように連絡は来なくなった。

A男も同じだ。勝手に好きになり、勝手に彼の理想の言動や性質を頭の中で妄想しているだけなので、
現実の彼からメールが来ることなんてあるはずがなかった。

B男は律儀に連絡をくれた。最初は対応していたが、だんだんと無視するようになった。彼の前では女優として彼を愛することにしている。
一度好きになった人だし、セフレといえども自分を受け入れてくれたことに尊敬も感謝もしている。
ただ、彼のことは身体も心も全部知ってしまったからすべてが想像できてしまう。彼の攻略本を全部読んでしまって、
どんなコマンドを選んでもバッドエンドが見えてしまっている。
それでも、一人になるのが淋しくて、つい、リセットボタンを押してもパスワードを入れ直してゲームを再開してしまう。


突然A男からメールが来たのは、休んでから1週間半後の深夜3時頃だった。
私が担当していた仕事でどうしても質問があり、会社から送っているような文面だった。
眠れない日々が続いていたので、リアルタイムでそのメールを読み、自分の存在意義があったことに至上の喜びと幸せを感じた。
睡眠薬とお酒を併用し頭がいつも以上にぼうっとしていたこともある。
久しぶりのコミュニケーションに、いつもは恐れていた人との付き合いに関する感覚が鈍っていたこともある。
気が付けばすべての想いをメールで吐露していた。

「メール有難うございます。お久しぶりです。ご質問の件ですが、~~~~です。
休んでみて、A男さんの優しさにいつも支えられていたことを改めて感じました。
A男さんのことが大好きなので、本当は会社に行きたいのですが行けなくて申し訳ありません。A男さんに会える日を楽しみにしています」

A男からその後、連絡はなかった。連絡が来ない日が重なれば重なるほど、
まるで周りの酸素が日に日に減っていくみたいに、息苦しさが激しくなった。会社に行く気持ちどころか、生命力は失われていった。

人間は弱いものだ。自分の代わりなんてどこにでもいるし、自分がいなくなったとしても世の中の秩序は守られるのに、
自分の命を守るため、酸素のあるところを探しに行く。


ある日、サングラスとかつらで変装しているかのような格好で、会社の近くまで行った。
A男は終電に乗るべく深夜0時頃にオフィスから出てきた。彼を見つけるとすぐに、後を追い始めた。
電車に乗って最寄駅に着いた彼を走って追い抜き、かつらを外して改札近くであたかも偶然かのように装って声をかけた。

「もしかしてA男くん?」
彼は最初驚いていたが、特に疑うこともなく
「久しぶり?どうしたの?」
といつもの優しくて癒されるトーンで声を掛けてくれた。
その声の心地よさに久しぶりにゆっくり眠れそうな感覚に陥りながら、親の看病の疲れから友達と長話をして、
気が付けばこんな時間になっていたことを告げた。

立ち話が数分続いたあと、彼が
「こんな時間で家に帰れるの?」
と質問してきた。
正直彼の家から自宅まで電車で1時間半のところなので、帰るとしてもタクシーで2万円もかかる。

すがるような想いで
「ホテルももう満室で、本当に申し訳ないんだけど始発までA男くんの家で休ませてもらえないかな?」
と言った。
彼は内心嫌だったはずだが
「汚い部屋だけどごめんね」
と言ってくれた。


予想通り、秩序があって整理整頓されていて、白を基調にしたきれいな部屋を見ているとまるで彼の心を映しているようだった。

「紅茶でいいかな」
おそらく市販のティーバックなのだが、茶葉の深みとコクがいつも飲んでいるものより感じられて美味しかった。

「ごめん、お風呂入ってくるけど気にしないで」
そう言うと彼はお風呂場のほうに向かった。

シャワーの音が聞こえる。10畳のワンルームなのでまるで隣でシャワーを浴びているかのような臨場感だ。
妄想していたとき、こんなシチュエーションならば明らかに欲情するはずだったのだが、
実際に音を聞いていると子守唄のように睡魔を誘ってくれて、何とも言えない心地よさにもたれかかりたい気分になった。
今夜は睡眠薬がなくても寝れそうな気がした。

彼が火照った体にTシャツ短パンを纏ってお風呂場から出てきた。
「嫌かもしれないけど、もし使いたかったらお風呂使って。あっ、絶対襲ったりしないから」

その言葉を聞き終わるか否かのタイミングで、立ちながら髪の毛をタオルで拭こうとしていた彼の身体にもたれかかった。
元々の体臭と柑橘系のボディーソープのいい匂いが鼻の中に充満した。まるでふとんにもたれかかるように、彼にすべての身を預けていた。

「どうしたの?」
彼の質問に答えず、枕に顔をうずめるかのように彼の顔に顔を近付けた。触れる唇、触れるほっぺた。
想像以上に柔らかい唇とほっぺたに、体全体がクッションに包まれているかのような錯覚に囚われた。

だが、それはほんの一瞬にすぎなかった。
「ごめん、本当にごめん」
彼は私の身体を離すと、それ以上何も言わないまま、ベッドの下の床に毛布を敷いて、顔を背けて眠ってしまった。

私はいつも以上に息苦しくて、眠れなくて、瞬きをほとんどしないままで4時間体育座りをしていた。
始発が走る時間になると、何も言わずに彼の部屋を出た。
サングラスをうっかり付け忘れて、ジャケットのポケットに入っていたサングラスを付けようとしたときに、気が付いた。
サングラスを付けていなくても、もう世界の色を感じることができなくなっていることに。
思わず握っていたサングラスを落としてしまい、
レンズにひびが入った。そのままサングラスをかけ、歪んだ世界で平行感覚を失いながら、何とか自宅に到着した。


その日を境に、息苦しさと不眠は激しくなり、睡眠薬の摂取量も極端に増えた。
B男からも次第に連絡がなくなり、A男からもあれから連絡がまったくなくなった。
私は自分を生かす最後の手段かのように、毎日A男にメールを送った。

「昨日は突然抱きついたりして申し訳ありません。でもこの想いは突然ではありません。ずっと前から大好きでした」
「今日は仕事どうでしたか?嫌なことがあったらいつでも私に相談してくださいね」

現実の彼からの音沙汰はまったくなかったが、妄想の世界ではいつだって彼は私を包むように抱きしめてくれる。
A男には最大限の優しさと尊敬と共感の念を示してきたし、今は私のことをまだ好きでないかもしれないけれど、
いつかは必ず好きになり、一緒に生きてくれるはずだった。
彼とは、どんな遠回りなルートでも最後はハッピーエンドのはずだった……。

休暇2ヶ月目に突入し、上司からの連絡を無視していたら、保健士のほうからメールが来た。
定型文に名前だけ当て込んでいるような内容に、「逃げる」というコマンドを選択し続けた。
数日で逃げ切ることに成功したが、誰もいない自由な世界は本当に何もないただの虚無な空間だった。


今度は久しぶりにA男から待ち望んでいたメールが来た。
個人宛てではなく、会社関係各位への一斉メールだった。
「タイトル:結婚のご報告」

ゲームオーバー。本文を読む前に、息ができなくなった。
復活アイテムを急いで探したけれど、わずかな食べ物ですら持ち合わせていなかった。

今度はリセットボタンでリスタートしようとしたものの、身体も心もバグってしまいこれ以上の操作ができなくなった。


割れたレンズのサングラスで今日も外に出る。
あたかも、現実世界自体がモノクロで歪んだものに変化し、私自身が逆にそれに順応しているかのような気分にさえなってくる。

「プップー」

どこからともなくクラクションの音が聞こえてくるのだが、どこだかわからない。
どうせゲームオーバーから抜け出せないのだから、もう何が起こっても大丈夫だ。

クラクションの音がだんだんと大きくなってくるのを感じながら、前かも後ろかも右かも左かもわからない方向に、
モノクロで歪んだ自分の身体を一歩、また一歩と進めた。


―終わり―

ゲームオーバー

ゲームオーバー

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-05-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted