天下を盗んだ大泥棒 第三部

第八章

神の恩寵

お市様奪還
遂にその時がやって来た。太閤は恋慕する永遠の恋人・お市様を奪還出来るのか。
その後、山崎の合戦で勝利を収めた羽柴秀吉は、近江、賤ケ岳で柴田勝家と事実上の天下分け目の戦いを繰り広げることになった。
山崎の合戦の後、織田家の家督相続をめぐり清州会議が開かれ、羽柴秀吉と丹羽長秀は織田信長の長男・信忠の僅か三才の嫡男・三(さん)法師(ほうし)を織田家の跡目として担ぎ出した。
一方、柴田勝家と滝川一益は信長の二十一才の三男・信孝を担ぎ出したが、山崎の合戦で明智光秀を破り、主君・信長の敵を討った秀吉の功績が勝り、三法師が跡目を継ぐことになった。
幼い後継者の後ろ盾として、事実上権力を手に入れた羽柴秀吉に対し、岐阜の織田信孝が兵を挙げ、滝川一益もそれに呼応し兵を挙げたがまもなく和睦した。
その後、織田信孝と滝川一益、それに柴田勝家と丹羽長秀、羽柴秀吉は互いに策略をめぐらし戦いを繰り返した。
その間、岐阜の丹羽長秀が挙兵したが、越前北の庄城の勝家は雪の為出兵出来ず、その虚を突いて秀吉は大垣より岐阜に進軍した。
一旦和睦したが、翌年、勝家は甥の佐久間盛政と織田信孝、さらに滝川一益を加え、近江の賤ヶ岳付近に進軍、いよいよ戦いの火蓋は切って落とされた。
予め秀吉は羽柴秀長らを布陣させ、自らは大垣から岐阜に進撃しようとしていた。佐久間盛政は秀吉方の中川清秀を討ち取り高山右近をも撃破した。
秀吉は急遽大垣からUターンし反撃に転じた。大垣―垂井(たるい)―関ヶ原―伊吹山―賤ヶ岳間、約52キロを五時間あまりで走破し、佐久間盛政を越前に敗走させた。これがいわゆる美濃大返(みのおおがえ)しである。賤ヶ岳の戦いでは後に賤ヶ岳の七本槍と言われる加藤清正や福島正則・・・等が活躍し戦功を上げた。
その後、柴田勝家も越前北ノ庄城で前田利家を先鋒とする秀吉軍に包囲され、お市の方と共に自害した。

「殿下、いよいよでございますね」
「そうじゃ、いよいよ我が愛しのお市様がわしの女になるのじゃ、うんばうんば~初めから勝家など眼中になかった。わしのこの戦の主な目的は、お市様をわが掌にとり返す事じゃった、うんばうんば~」
太閤は勇んで言ったが、顔色はさえなかった。
「お市様が戦いの目的????」
「そうじゃ、そうじゃ、つい本音が出てしもうたわ、案外わしも純情じゃろう・・・」
何かしら太閤の顔が暗闇の中、一瞬赤らんだように見えた。
「所で、何故柴田様と?・・・」
「そうじゃ、わしが信忠様の嫡男・三法師様を織田家の後継ぎにしたため、勝家と殿の三男・信孝様が激怒よ、でへねへうんばば~・・兎に角、行き着く先は柴田勝家と賤ヶ岳で雌雄を決せねばならんかったのじゃ。・・わしは予めその辺りの地形など詳細に調べさせておいたのじゃ。・・勝家の甥の佐久間盛政め、中川清秀が守っていた大岩山砦を陥落させ、少しぐらい勝っただけで勇み立ち、われらを見くびって深追いしおったのじゃ、でへねへうんばば~」
「殿下は大垣から?」
「そうじゃ、大垣から反撃じゃ。あの時は岐阜城に立て籠っていた織田信孝を討うと進撃していたが、何せ自然には勝てん。長良川と揖斐(いび)川(がわ)が氾濫し、わしは仕方なしに途中の大垣に留まっていた。そこに大岩山砦を守っていた中川清秀が、佐久間盛政から攻撃を受け壊滅寸前じゃとの連絡を受けた。電撃作戦はわしの最も得意とする所じゃ。直ちに大垣から近江に取って返したのよ」
「前には中国大返し・・・」
「そうじゃ、今度は美濃大返しじゃ!わしは伝令を出し、道々の庄屋どもに前もって飯を焚かせ、米も普段より何倍も高く百姓どもから買い漁ったわ。昔から言うじゃろう、腹が減っては戦は出来ん、真に的を射ておる、至言じゃ!戦をするのにけちってはいかん、負けたらすべてがパーじゃ!本能寺の折、光秀もちまちま粽(ちまき)など食べるから、あのざまじゃった、うんばうんば~・・死ねば元もこもないからな、じゃからわしは今度も気前よくぱ~っと大盤振る舞いじゃ・・気分を盛りたてて戦えば、戦の神もわしに味方してくれるのよ!・・・それに周りの百姓どもにも金をばら撒き腹ごしらえじゃ!・・・長浜辺りでは、握り飯から縁起(えんぎ)担(かつ)ぎの赤飯に酒、それに餅などふんだんに用意させ、沢庵も丸かじりじゃ!可愛い馬どもにも力がでるよう飼葉に米糠(こめぬか)を混ぜふんだんに食わせ激走じゃ、うんばうんば~ひひひ~ん~・・わしは赤飯で握り飯を作らせ、それにごま塩をふりかけ丸かじりじゃ。それに鶏じゃ、鶏のモモ肉に醤油をぶっかけ、こんがり焼いた物も丸かじりじゃ、うんめめめっ~」
太閤の猿顔が、その時一瞬、にこにこ顔に変わった。それから徐に、髭に指をやり、先端を二回くるりくるりと捻じ曲げた。
「赤飯の握り飯、それに鶏のもも肉・・うまそうやなでございます、ぶひ~」
太閤はそんな鬼丸の言葉にさも満足そうに頷いた。何たる役者、何たる講談師、五右衛門は心より感服した。太閤の威勢の良い話はさらに続く、この底なしのブラックホールから二人は脱出できるのか。
「焚火から、松明などの篝(かがり)火(び)も煌々と焚かせぱっと明るく景気よくじゃ、うんばうんば~・・・大垣を出て垂井、関ヶ原、伊吹山の裾を抜け近江、賤ヶ岳まで十三里(約52キロ)を未(ひつじ)の刻(午後二時)に出て五時間後の戌(いぬ)の刻(午後七時)あたりに到着じゃ。まるで長距離走者の一隊じゃろうが?じゃが、中国大返しに比べれば楽なものじゃて、うんばうんば~・・・敵も赤々と灯る松明の行列に度肝をぬかしおった。柴田勝政も佐久間盛政も大軍が来たと尻込みしおった、でへねへうんばば~・・時には虚仮(こけ)威(おど)しも必要じゃて、うんばうんば~」
「殿下は、すでに申(さる)の刻(午後四時)には前線にいたとの証言もございますが?」
「申の刻にすでに前線に?それに前田様が・・・」
太閤は五右衛門の疑念に敏感に反応した。
しかし、何故、すでに申の刻頃に前線にいたか答えなかった。
すると突然、ここまで軽快に話していた太閤は、眼から涙をぽろぽろ流し、感情のたかまりを抑えきれずわっ~と泣き出した。お市の方を思い出し感無量になったのだろう、と五右衛門は直感した。
その直感は当たっていたが、しかし信じられない出来事が二人の目の前で突然起こった。
太閤は昨夜に続き急に寝台から飛び出し何処かに駆け出していった。
二人は茫然と太閤の後姿を見送った。
「なんなんや・・又かいな、ぶひ~」
所が、二人はしばらくして戻ってきた太閤の言葉に唖然とした。
「驚かせてすまんのう。小便を少しちびって・・・、うんばうんば~・・・厠に駆けこんだのじゃ、でへねへうんばば~・・・なにせ年を取ると締りが悪くなってのう。そうじゃ、お前達も厠へ行ってこい。腰元に案内させるからの」
何やて、小便をちびって!こりゃ茶番や、ぶひ~。
この告白に鬼丸も阿呆垂れ、頭の中でぶつくさ呟いた。所がナンセンスな話だが、二人とも急に尿意を催したのだ。いわゆる連れ小便(しょん)である!ああ、助けて~漏れそうだ・・・・二人は同時におちんちんの先を摘まんだ。
早く~早く~早く~早く~早く~・・・・・ううううっっ~脳内をこの二字がぐるぐる駆け巡った。同時に苦痛とも快感とも言える不思議な感覚が二人を襲った。見る見る二人の顔が苦痛に歪みメルトダウンまで数秒に達した。
「ああ~」
「ぶひ~いやや・・・もれ・・」
二人の口から思わず声が、まさかメルトスルーまで行き畳みの上に・・・幸いそこまでは行かずにもちこたえた。
「お~い、梅と松!厠に二人を案内せよ、早くするのじゃ!」
そんな二人の苦痛に歪む顔を見て、太閤は、ぽんぽんと柏手を打つように掌を強く叩き、大声で怒鳴った。
「殿下、お二人を厠にご案内いたします。こちらでございます。どうぞ私たちの後についてきてください」
すると、梅と松と呼ばれた昨夜の腰元二人が現われ、深ぶかと太閤に一礼し、次に二人に向かい声をかけた。
「はっはっは~漏れそうじゃな、漏れそうじゃな、うんばうんば~・・・早く案内せよ、はっはっはっ~」
二人の苦悩をよそに、太閤は茶化すかのように腹をかかえて笑った。考えてみれば、不思議な事だが二人は昨夜から一度も厠に行っていないのだ。まさか、内部に漏らした?きびきびとした動作で、女達は手に持った手燭で廊下を照らし二人を厠まで導いた。
「こちらでございます。超豪華な厠でございますよ」
厠は何故か隣接して二つあった。案内されるまま、二人が厠の前に立つと、腰元が素早く引き戸を引いた。きらきらきらきらきらきら~金きら~、行燈の灯火で明るく照らされた厠内部が輝いて見えた。
「あっ・・・・」
「ぶひ~・・・」
その瞬間、二人は驚きのあまり入口で足がすくみ、釘付け状態となり、思わず感嘆の声を発した。厠内部から眩い金色の光が二人を押し包み、小便をちびりそうにもかかわらず、しばし、口をあんぐり開け戸口で佇んだ。
手燭に比べ内部に置かれた行燈の灯火は数倍明るく、二人は壁に反射する光に幻惑された。
よく見ると、二畳ほどの厠の壁は総金泊張りだった。さらに二人が驚いたのは部屋の中央の便器も純金製だった。
「うううんん~にゅ・・これは一体・・・」思わず五右衛門は呟いた。それから、改めて厠内部を見廻し、昼間この厠に入ったなら、純金の輝きに圧倒され用をたすどころではないな、と思った。
「ぶひ~・・・・」
鬼丸もあまりのことに言葉が出ず、鼻を鳴らした。それほどこの総金泊張りの壁と純金製の便器はインパクトが強かった。その衝撃が去ると、二人はほぼ同時に内部に駆け込んだ。
「あちゃ・・ぶひ~」
さらに鬼丸に悲劇が襲った。彼は緊張のあまりおちんちんが縮こまり、何やら、ややっこしい事になり便器の淵に小便を掛けてしまった。
そんなどたばた劇が有ったが、二人が部屋に戻ると太閤はにこにこしながら立っていた。
「どうじゃすっきりしたか。厠が二つ隣接していてよかったじゃろう、でへねへうんばば~・・わしは金ぴかが好きでのう。あの便器はどうじゃった、度肝をぬかれ縁に小便を掛けたじゃろう。まあそれが普通じゃ、うんばうんば~・・・誰が齧(かじ)ったか知らんが、ちん隠しのあたりに歯型がついていたじゃろう。金は人の心を惑わす魔性の力があるのじゃ、うんばうんば~・・・所でどうじゃこの金の褌、わしはいつもこれじゃ。じゃが今さっき、小便をちびたので新品(ちんぴん)に交換したぞ、うんばうんば~」
そんな駄洒落を言って寝巻きの前をぱっと広げた。一瞬、はだけた下腹部に金色の褌がきらりと光った。と、同時に、二人の目がその褌に釘付けになった。まさかそんな?ある疑念が二人の脳裏をかすめた。
「所でどこまで話したかな」
そんな二人の困惑や疑念を太閤の一言が断ちきった。何事もなかったように太閤ははだけた寝巻を元に戻し、寝台によじ登てから、半身の姿勢で問いかけた。
「続きじゃが、何じゃったかな?」
「前田様が・・・」
「おう、おう、そうじゃった。・・前田の寝返りじゃな?前田利家は昔からわしの味方よ!金森(かなもり)長(なが)近(ちか)、不破(ふわ)勝光(かつみつ)もわしの調略にまんまとのり寝返りじゃ!金よ!金の力よ!武士は無骨さだけでは食えんでのう、誰でも己の身は可愛いからのう!それに欲望は底なしじゃて、でへねへうんばば~・・本音と建前、このバランスじゃよ。・・それでじゃ、前田がわしの側に付き、奴の軍と対峙していた我が軍は、その分、攻めに回る事が出来、敵を撃破し、わしは賤ヶ岳の戦いで勝利したのじゃ、うんばうんば~・・」
太閤は得意げな顔をし、髭に指をやり先端を上に捻じ曲げた。
「それでいよいよ勝家の本拠地、越前北の庄で決戦じゃ、ふんがふんが~・・・勝負は時の運と言うが、この場合、準備万端、士気が数倍上のわしらの勝ちじゃった」
太閤は誇らしげに勝ちを宣言した。

賤ヶ岳の合戦後、敵方の武将・佐久間盛政は逃亡、その後捕らえられて斬首され、首は京の六条ヶ原で梟首にされた。信長の三男・織田信孝はかつて源義朝(みなもとのよしとも)が暗殺された尾張野間にある大御堂寺(おおみどうじ)・野間大坊に送られ自害させられた。

追憶にひたる日々
厠に直行する直前もそうだったが、ここでまた太閤がほろりと涙を垂らした。
「所が、お市の方様も・・・・」
太閤が涙を流したのは、五右衛門が推測した通り、お市の方様の事を思い出し、こらえ切れなくなったのだ。
老いて皺茶けた頬の辺りには涙の痕跡が醜く浮き出ていた。しかし、太閤がお市の方様への恋慕の情を告白する時、何時も何故か喜劇っぽくなるのはどうしてなのだろう?
太閤はお市の方様が勝家とともに死んでしまった事実を理解しているものの、彼の心の中では今もお市さまは生き続け、いつも、いつまでも心の中で蘇えらせ、老いた今も、時々、布団に顔を沈め泣いていたのだ。
ああしていればお市様を助けられたのに、こうしていればお市様を死なせずに済んだのに、もっと早く自分が天下を取っていれば、何とかなったのに・・と、彼は過去の記憶をもとに、架空の世界を作り出し追憶に浸りながら生きてきたのだった。
所が、これが何かの拍子に砕け散り、惨い現実の壁にぶち当たると、彼は不機嫌その物になった。それがこの夜、話している内に感情が高ぶり、涙腺も刺激され、ついつい泣き出してしまったのだ。所が年には勝てず、急に尿意を催し厠に駆け込んだと言う訳だ。
あ~あ~、何たる悲劇、何たる喜劇、その感情の振幅の激しさは、およそ凡人とは比較にならない桁はずれの精神構造から来ているのだった。

淀君はお市様の身代わり
恋慕していたお市の方様が亡くなった、この事が太閤の感情をめちゃくちゃにし、無意識にその補償行為として茶々、後の淀君への溺愛に至るのであった。
「淀はのう、言ってみればお市様の身代わりじゃ。それに殿の血筋じゃ、そこん所が肝心じゃぞ・・・・」
淀の方はお市様の身代わり、そんな恐ろしい事も太閤は平気で口にした。
「淀の方様がお市様の・・・身・・変・・り?・・ぶひ~」
「あ~あ、お市様が・・」
そう言ってからしばらく太閤は黙りこんだ。その間、名状しがたいしんみりとした空気が行燈の灯る部屋に漂った。
「わしのお市様は越前北ノ庄の城で勝家と亡くなってしまったのじゃ、でへねへうんばば~・・わ・・わし・・わしは今も信じられん、信じたくない・・・あの筋肉男(キンニクマン)の勝家と・・・」
しばらく沈黙が続いた。それから、太閤は悲哀を籠めた眼差しで二人の顔を交互に見た。
こう書いていると太閤はセンチメンタルな人物に映るかもしれないが、もしも、太閤の他の側室が、五右衛門達が持ってきた脅しのネタ、淀君が間男をしたと同じような事実が分れば、彼は激高し、即座に密通したその女と男ともども裸で抱き合わせ、筵巻(こもま)きにした後、堀に投げ込んだにちがいない、何という人間の業の深さよ!
所で一体、太閤が一生涯想いを寄せ続けたお市の方はどんな女だったのであろうか。
天文十六年(1547)お市の方は織田信秀の娘として生まれた。
天文三年生まれの兄・信長とは十三歳違い。天文六年生まれの太閤とは十歳違いであった。
彼女は聞く所によれば、清州城下では背がすらりと高く、戦国一の美女と讃えられていた。永禄十年(1567)、信長の命令により近江の浅井長政と政略結婚させられた。二人の間に、三人の娘・茶々(ちゃちゃ)、初(はつ)、江(ごう)と二人の息子・万福(まんぷく)丸(まる)と万(まん)寿(じゅ)丸(まる)をもうけた。
元亀元年、信長は越前の朝倉義景を攻め、長政は長年の朝倉との同盟関係から信長を裏切った。
その後長政は、姉川の戦い、信長包囲網に加わり野田城と福島城、さらに志賀の陣などで戦ったが、天正元年(1573)、信長に居城・小谷城を攻められ自害した。
からくも城から連れ出されたお市の方は、清州城に移り、兄・信長の手厚い庇護(ひご)を受け、三人の娘と共に、九年余り平穏な日々を過ごした。
一方、太閤(当時、木下藤吉郎)には桶狭間の戦の一年後に、一目惚れし嫁にもらった妻・寧(おね)がいたがいた。この寧こそ今で言うあげまん(男性の運気を上げる女)で、その後、藤吉郎はぐんぐん出世を果たし、天下人にまで登り詰めた。

桶狭間の戦勝祝賀会の折、藤吉郎は腰元を御供に、廊下を通り過ぎて行くお市様を遠目にちらりと見かけた。
それが太閤の恋慕の始まりだった。この世の中に、こんな気品と華麗さを兼ねそろえ、しかも美貌にとんだ女がいるだろうか、彼の脳裏にお市様の御姿が、くっきりと焼き付けられたのだった。
寧との結婚生活も順調にいっていたが、二人の間に跡取りの子供は出来きず、永禄十一年、信長の上洛にともない、秀吉は京で妾をつくり、その女との間に石松君という男子をもうけた。
当時、武将が妾を囲うことは、そんなに珍しい事では無く、日常茶飯事に行われていた。そんな事はあったが、彼のお市様への恋慕の情は、彼の地位が上がるにつれしだいに増幅していった。
お市様が信長の命令により近江の浅井長政と結婚した時(永禄十年)など、妻の寧から冷やかされるほど意気消沈していた。
「ああ~、お市様もついに浅井長政様の所に嫁にいきゃあて、あんたもさみしゅうなるねえ・・・」
夫がお市様の大ファンであることを知っている寧は冷やかし半分に言った。
「・・・・・」
秀吉はうな垂れていた。
「あんたの日頃の態度をみとれば、どんだけあんたがお市様を好いとるかようわかるぎゃ。高嶺の花とはこお言うことを言うのだね・・・・元気だしゃあ、妻のわしから言うのはなんだけど、女なんていっぴゃあおるでよ。お市様だけが女でにゃあぎゃ・・」
「・・・・・・・」
この時から秀吉の女(おんな)漁(あさ)りが始まった。秀吉は京で囲っていたその妾を、近江長浜城主になった時、側室として迎えた。その女はなんと子連れで寧を当惑させた。秀吉はずっと妻を恐れて子供のことを隠していたのである。所が、この女には悪い噂が付きまとっていた。
「あんた、私はやいとれせんけどよ・・あの女はやめときゃあせ、尻軽でどうしようもない女だとみんなが噂しとるぎゃ。それに羽二重(はぶたゃあ)餅(もち)みたいに柔らきゃのはええけど、顔が不細工すぎいせん」
夫の部下達から、この女の悪い噂を小耳に挟み、寧は二人になるとつい地が出てあっけんからんと言った。
「寧や、きついのう・・・・羽二重餅で顔が不細工、おみゃあのゆうとおりだわ。わしが馬鹿だった」
秀吉は苦笑した。寧が言う通り、秀吉がこの女に問いただすと、他にも男がいたことを白状した。ちょうど石松丸が六歳で亡くなった直後のことだったので、秀吉は怒り心頭に発し、この女を即刻追い出した。
「あんたが側室を何人作ろうが私は何んにも言いせん!・・・だけどよう、あんたもっと女を見る目をやしなわないかんよ・・・あんたも人がええでついつい色気だされると、ぐらっといってまってよ、後で損こくぎゃ」
「おみゃあのゆう通りだわ・・・・・わしは色気に弱いでよ、色目つかわれるとよう、すぐぐらっといてまて、ついつい手だしてしまうんだぎゃ・・」
それで秀吉はしばらく冴えない顔をしていた。所で、意外と思うかもしれないが、信長はいつも武将の妻達には何かと気をつかっていて、何かの折り、寧からこの女のことを聞きかされた。寧が心配していたのはこの女の身持ちのわるさだった。
「殿様、うちの人に、悪い女にひっかからんようきつく言ってやってちょうだいませ」
「わしも羽柴の女の事は小耳にはさんでおる。こんど機会を見つけそれとなく話しておこう」
信長は寧に向かい約束した。こんなこともあり、秀吉はあまり強く妻には言えなかった。
その後秀吉は寧の許しを得たことをいいことに、側室だけでも十二、三名をもうけ、手を付けた女は数限りなかった。太閤の本音からすれば、これらの側室や女達は、お市様と比べれば、月と鼈(すっぽん)(似ても似つかぬ物)だった。

神の恩寵(おんちょう)
秀吉からすればお市の方は、女神のような存在だったが、ここでお市の方は秀吉をどう見ていたのだろうか。
彼女は彼を毛嫌いしていたことは確かであった。先ずその顔形からして猿に似ていた。それに、何処の馬の骨ともしれぬ成りあがり者である事でも、彼を階級的差別意識から蔑視していた。容貌から言っても、背がすらりと高く男前の長政と比較すると、秀吉はいかにも醜男(ぶおとこ)であった。背丈も153センチと自分より4、5センチも低い。しかも兄の命令だとは言え、我が子を殺害した憎っくき敵であった。小谷城落城の際、秀吉は懸命にお市の方を助けようとした、これもお市の方への恋慕によってだった。
「わたしは猿などに命を助けられるのはいやだ。死んだ方がましだ。虫唾(むしず)が走る、汚らわしい・・ぺっぺっぺっ~よ」
お市の方は泣き叫んだ。秀吉が誠心誠意を尽くせば尽くすほど、お市の方は彼をますます毛嫌いした。何たることだ、わしが猿顔で成りあがり者だからか?わしがここまで何の為に頑張ってきたのか?それもこれもお市様の為なのだ、と彼は心の中で叫んだ。とは言うものの、その時、お市の方は無事に城から連れ出された。
しかしその後、秀吉は思わぬ行動に出た。天正元年、小谷城が落城した後、彼はお市の方と柴田勝家との結婚の仲介役を果たしたのであった。
何故、どうして、他人がいくら詮索しても、その時の彼の心理状態は分るはずがないが、敢えて推測すれば、彼も人の子、何か論見、打算的行為に走ったに違いない。所が、この行為に走った自分を、自分の中にいるもう一人の自分が決して許さず、心はずたずたに引き裂かれ、深い傷を負い、精神分裂状態に陥り、それ以後、心の奥底の深層部にトラウマとして残った。しかし運命は皮肉であり、また、過酷であった。こんどはその勝家と賎ヶ岳で戦うことになった。
その戦いで勝家は敗れ、戦いは越前北ノ庄城に移る。城に立て籠り戦う勝家の元に、秀吉から遣わされた使者が到着し、お市の方親子を城から出すよう交渉するが、お市の方は生きて猿の側室になりたくはない、と勝家ともども自害して果てた。
彼の手から女神は飛び去り、こんどこそ永久に帰らぬ人となった。失意と落胆の中、彼の手元にはお市の方の三人の娘が残った。彼はまじまじとその娘達の顔を見詰めた。
おお、何という神の恩寵(おんちょう)、彼は茶々の中にお市の方様の面影を見たのであった。

死に際でも女?
少し脇道にそれるが、ここに太閤がいかにお市様に想いを寄せていたか、一つの逸話がある。
太閤のお市様への執着は、彼が今わの際にとった仰天すべき行動からも察せられる。徳川家康、前田利家など五大老に、我が子秀頼の行く末を懇願するように頼んでしばらくした後、彼の命の灯火は正に消えようとしていた。
「殿下、お気をお確かにおもちください、何か欲しい物はございますか」
衆目の中、淀の方が、彼の耳元で問いかけた。
「おうおう、淀か、なんじゃ」
「何か欲しい物はございますか?」
その声に応え、瀕死状態の太閤が薄眼を開け、むっくりと最後の力を振り絞り半身を起こした。
おおっ~・・・・・
期せずして、周りから驚きのあまり一瞬響動めきが沸き起こった。皆は二人を凝視した。
淀の方は太閤をか細い手で支えた。苦しげに太閤は淀の方の耳元で蚊の鳴くような声で呟いた。
「う・・う・・う・・・・おおお・・んん・・・」
淀の方は自分の耳を疑い、すんでの所で卒倒しそうになった。
「ええっ!おんな・・おんな?でございますか!」
仰天した淀の方は、不謹慎にも思わず金切り声を張り上げた。その声に、周りの重臣達は皆何事が起こったのかと、一斉に淀の方に視線を向けた。
「おんな・・ちゃう・・お・・い・・お・・い・・ち・・・うんぐぐぐ~」
淀の方はさらに動転し、思わず太閤を支えていた手の力を緩めた。手を離れ布団に倒れ込んだ太閤は喘ぎながら否定した。
「殿下、お気を確かに・・何とおっしゃったのでございますか?・・・・?おんな・・ちゃう?~お?ん????な・・・・何と?」
重臣達の射るような眼差しを全身に感じ、淀の方は緊張のあまり身体をこわばらせ念を押した。
「うんぐ・・・・お・・ん・・な・・・ち・・・」
「お・・ん・・な・・ええっ・・・・殿下なんと?」
淀の方はさらに動転し、真っ青になった。
彼女には太閤が・・ち・・と言ったのがなんのかげんか聞きとれず、又しても、お・・ん・・な・・と聞こえたのである。
「おんなちゃう・・うんぐぐぐ~お・・い・・ち・・・」
こう太閤は言い残し、あの世に旅立っていった。言うまでもなく、太閤は死に際でもお市様命(いのち)だった。死は彼からあらゆる苦悩と懊悩を取り去った。

第九章

小牧・長久手の戦い

秀吉、家康に尻尾を握られる
天正十二年(1584)小牧・長久手の戦い。
賤ヶ岳の合戦の後、さらに秀吉の行く手を阻んだのが、彼の生涯の天敵となる古狸・徳川家康であった。この戦いで秀吉は負け、その後ずっと家康に尻尾を握られることになった。
天正十一年の暮れ太閤は新築した大坂城に諸将を招いた。秀吉の意図は明白で、この招待は諸将に臣下の礼をとらせる為であった。
この招待を尾張の信長の二男・信雄は拒絶した。そこで彼は、一計を案じ、信雄の三家老が籠絡(ろうらく)され秀吉側についたという噂を流した。激怒した信(のぶ)雄(かつ)はこれら三家老を直ちに処刑した。
計画通りこのことが、秀吉の信雄への攻撃材料をあたえた。信雄は三河の家康に援護を求め、それに応じ家康は、兵を率いて浜松を出発し信雄の居城である清洲城へ入った。
この戦いの前に信雄・家康陣営は紀州や四国、北陸の雑賀(さいが)衆(しゅう)と根来(ねごろ)衆(しゅう)、それに加え長宗(ちょうそ)我部元(かべもと)親(ちか)や佐々(ささ)成(なり)政(まさ)等と秀吉包囲を形成し揺さぶりをかけた。                     
太閤は語り始めた。この小牧長久手の戦いの段になると太閤の口調は少し湿りがちになった。理由は簡単で、自分が仕掛けた戦に負けたのである。
この敗戦は後々まで響き、家康に弱点をにぎられたことになり、自分の妹を離縁させてまで彼の正室にねじ込み、はたまた、母親までも人質のような恰好で彼の元に送りこみ、臣下の礼をとらさなければならなくなった。しかも、彼は信長から拝領した、彼が最も大切にしていた肩衝(かたつき)茶入(ちゃいれ)(横田)を家康の機嫌を取る為、贈呈しなければならなかった。
太閤にとって、この屈辱的な一連の対応は、後々まで、かなりの精神的ダメージとなった。
しかし、戦いはこれ一つだけではない、負けるが勝ちと言う事もある。

三国無双の大坂城
「賤ヶ岳の戦も大変じゃったが、その後すぐに大坂城じゃ、うんばうんば~・・・大坂城は、完成までに一年半も要したぞ。本丸は、石山本願寺跡じゃ、しかも、防御策も万全じゃ、いやいや、お前たちだったらあの城に忍びこめるかもしれんな、となると、あそこも万全ではないかもしれんな」
「おそれ入ります」
「そや・・いやそのぶひ~」
「大坂城が完成し、間もなく、小牧・長久手の合戦じゃった、でへねへうんばば~・・所でお前ら、まさか大坂城の天守閣までは忍び込まなかったであろうな!」
「いえいえ、とんでもございません。あまりの豪華絢爛さにわたしもこの鬼丸も、ただ、ただ遠くで眺めているばかりでございます」
五右衛門は畏まって言った。
「ほんますごい城やでございます、ぶひ~」
鬼丸も賛辞を惜しまなかった。太閤はよほど小牧・長久手の戦いが心の痛手になっていたのか、先ずは明るい話題、この戦いの前に築城した大坂城について語り始めた。
「そうじゃろう、そうじゃろう、なにしろ、殿の安土城は優美華麗であったが、わしも殿の城に負けんくらい豪華絢爛な城を造ろうと決意したのじゃ、でへねへうんばば~・・そこでわしは当代随一と言わる狩野派の絵師や職人達を金に糸目をつけずかき集め、襖や壁には金箔を貼り唐獅子や花鳥風月、それに鶴等を描かせたのじゃ。松などは枝ぶりも良く、牡丹は華やかに、梅は春を告げる花じゃて、清楚にな、うんばうんば~」
寝台に半身で座っている太閤はぽんぽん布団を叩いた。
「そうじゃ・・思いだした!思いだしたぞ!・・・わしに謁見した大友宗麟がな、普請中のこの城をみて、外観の豪華さや内部の隅々まで行きわたった装飾品の数々に・・・目を白黒させ、ぽか~んと口を開け、しばらく言葉を失いその後、殿下、殿下、こここ・・・これは、と吃りおって、これは三国(さんごく)無双(ぶそう)の城でございますな、と頻りに感嘆し、褒めたのじゃ、うんばうんば~・・・つまりじゃ、日本、唐、天竺のどの城よりも一番というわけじゃ、でれでれでれでれ~うんばうんば~・・じゃがわしは三国無双でなく天下(てんか)無双(ぶそう)の城と思っておる、はっはっは~・・それからしばらくして、このことを寧に話すと、おみゃあさんの派手好きは劣等感の裏返しだぎゃ。・・何でも金さえ出せばええのが出来ると思っとりゃあすけんど、みんなは心の内でどう思っとるかわかりゃあせんよ。・・でもこの城は立派なものだね。わたしも三国無双だと思うがね、あんたもようやったね、とにこにこしながら褒めるのじゃ、うんばうんば~・・わしは寧に褒められるのが何よりもうれしいのじゃ、でへねへうんばば~」
太閤は笑みを満面に浮かべ髭に指をやった。
「あれこれわしに取り入ろうとするおべっか使いや、胡麻(ごま)擂(す)りめいた褒め言葉は聞き飽きた、じゃが大友宗麟が言った三国無双、たったこの四文字で五層の城閣、総金箔張瓦、絢爛豪華な装飾品の数々、当代随一の絵師や陶工が丹精込めて作った襖や壁絵、それに調度品で飾られたわしの大坂城を言い当てておる!・・・褒められれば気分がよい、わし好みの金箔を貼り巡らした茶室に奴を招待じゃ、うんばうんば~・・ここで奴に金の茶碗で茶を立て一服進呈したが、またまた、茶室のあまりの眩さに度肝を抜かれたとみえ、茶の作法まで忘れおって目を白黒じゃ・・・あげくの果てに涎まで垂らし舐めるように茶碗を見るのじゃ、奴め本当に舐めたかもしれんな。奴はキリシタン大名じゃったが、わしと同じ様に女子好き、何事にも感激し易いタイプじゃったな、でへねへうんばば~・・・聞いた話だが、やつは秀長から、公儀のことは私に、内々のことは利休にと言われた等、とぬかしおって、不届き千万じゃ、でへねへうんばば~・・・昔から口は災いの元と言うが、まあよい、奴にもいい所はある。・・その後、九州遠征(天正十五年)の折、島津との戦いに疲れたのか、わしが日向(ひゅうが)一(いっ)国(こく)をやろう、と言ってやったが、やつは辞退しおった、うんばうんば~・・・その直後に死におった、ぽっくりとな!・・・奴の命運も尽きたという訳じゃ、うんばうんば~」
大坂城の瓦や茶室、金の褌に至るまできんきら金ずくめ・・太閤の金への入れ込みようは尋常ではない。
「なあ五右衛門と鬼丸よ!わしはなあ、天守閣に登り、星空を見るのが好きじゃ」
所が以外にも、急に太閤の口調が変わり、センチメンタルな事を言い始めた。その豹変ぶりに五右衛門と鬼丸は戸惑い、互いの顔を見合わせた。
「あの天空にきらきら輝く星々はわしの果てしない夢を表しているようじゃ、でへねへうんばば~・・・それに比べ現実のわしはどうじゃ。なにしろわしはいつも戦いのなかじゃった!わしは不幸じゃ、でへねへうんばば~」
「天下人になられてもやろかでございますか?ぶひ~」
何ともへんてこりんな言い回しで鬼丸。
「そうじゃ、これも宿命かな!殿と同じように、わしはいつもこの広大な宇宙には何か絶対的な真理があり、それに向かい理想を掲げ人間は生きておるように感じておるのじゃ。その真理の実現の為にわしは戦って来たのじゃ、でへねへうんばば~・・・じゃが、日々何かに急かされているようで、安らぐこともなかったのじゃ。それこのわしの掌を見よ、わしの掌はこんなにも血糊で穢れておる」
真理の実現の為戦って来た、今さっきまでお市様の為戦って来たと言っていたのに。五右衛門はこの太閤の発言に疑問を感じた。そんな彼の反応を他所に、太閤は薄闇の中で二人に向かい掌をかざした。その掌には太閤のいうように血糊がべっとりと付いているように見えた。この穢れた掌で自分の欲望を満たす為、何人殺したのやろう、わてらも危ないで、ぶひ~
鬼丸も敏感に反応した。
「お前達から見れば、わしはきんきらきんの派手好み、助平(すけべ~)で女好き、欲望丸出しに思えるじゃろうが、わしの目標は殿の掲げた天下布武の旗の元、大陸に進出し日本を大国にすることじゃ!そして泰平の世を築くことじゃ!戦いのない平和の国を作ることじゃ!」
太閤は自分の抱負を語った。

大坂城築城の逸話で、話が中断したが、引き続き太閤の小牧・長久手の戦いの話を聞いてみようではないか!
人は自分の都合の良い所は自慢し、都合の悪い事は隠蔽したがる、誰しもが行う常套手段を太閤もしたにすぎない。
いきさつはこうだ、太閤が大坂城を慌ただしく一年半で完成させ、臣下の礼を取らせようと、周辺諸侯を呼んだが、織田信雄は彼の招きを断固拒絶した。ここから、この小牧・長久手の戦いは始まったのである。
清州城の織田信雄の元に太閤から招待状が舞い込んだ時、信雄は憤怒とし、頭のてっぺんからつま先まで真っ赤に染めて怒鳴った。
「父の草履とりだった分際で、見えすぎた慇懃さで大坂城に来いなどと笑止(しょうし)。わしは猿などの臣下ではないぞ、主家である!」
太閤は信雄の声色まで模して言った。
「成るほど成るほど昔は主家であった」
太閤はあったを強調した。
「小賢しいのう!信雄は一番肝心なことを忘れておる。いつもそうじゃ、うんばうんば~・・実力のない奴は家柄を誇り、先祖の誰(だれ)某(それ)はどうだったとか、何処そこの有名な学問所を出たとか、過去の愚にもつかん事柄を並べ立て、おのれを誇大に見せようとする。そんなものは愚にもつかんがらくたに過ぎんのじゃ、実力のない輩ほど虚飾で己を飾ろうとする。つまらん、でへねへうんばば~・・戦国の今の世、そんな輩はいざ戦の場に出れば、あれこれ戯言をぬかし、着物の裾を巻くって逃げるが落ちよ、うんばうんば~・・今は下剋上の時代じゃ、実力の世じゃ、うんばうんば~・・実践に役立たぬがらくたをいくら、頭に詰め込んでも糞の蓋にもならんわ。阿呆臭い、うんばうんば~・・所でじゃ、寧はわしが落ち込んでいると、お前さま、なにをしょげかえってりゃあす、昔は草履取りでも今は立派な武将、世の中、実力だぎゃあ、しっかりせないかんよ、といつも励ましてくれてのう。わしが頑張れたのも寧のおかげじゃ!・・まあそれはよい、でへねへうんばば~・・肝心なのは今の自分がどうあるかじゃ、うんばうんば~・・」
太閤はおのろけ話までした。それにしても今夜の太閤は昼寝でもしていたのか昨夜に比べ元気がいい。これだけ勢力旺盛なら、ひょっとして世間の噂とは違い、お拾丸は太閤の実の子かましれない。そんな疑問が五右衛門の脳裏をかすめた。
「すまん、すまんつい横道にそれてしまった。所うでじゃ、わしはいつもの手を使い信雄を戦いに引きずり込んでやった。まず奴の・・・家老ども・・津川(つがわ)義(よし)冬(ふゆ)と岡田(おかだ)重孝(しげたか)、それにじゃ、浅井(あざい)長時(ながとき)の身辺にあらん噂を立ててやったのじゃ、うんばうんば~・・・わしに内応、早い話、裏で手を結んでいるとな・・・若いのう信勝は直ぐに餌に引っ掛かりおった、ふんがっ~ふんがっ~・・・狸親父の家康ならこうはすんなりいかんかったじゃろうに、ごほごほ~・・所が信雄は家老共を即刻謀反の廉(かど)で打首に処したのよ。甘い甘い、まるで南蛮渡来のお砂糖じゃよ、はっはっはっ~はっはっはっ~」
太閤は腹の底から、愉快そうに二度までも笑い、髭に指をやり先端を二回くるりくるりと得意気に捻じ曲げた。
そこにはしたたかな策師・太閤の一面がちらりと覗いた。邪魔者を弾き飛ばすのも策略、信雄などは太閤の手にかかれば赤子同然だったにちがいない。太閤には相手の将棋の駒の動きを読み解くがごとく、敵の手の内も何手先まで読み取れるのかもしれない。
「愚かな主人を持った家臣は悲劇じゃな!わしは難癖を付け開戦じゃ、しかし、わしも大阪城でもたもたして少し出遅れたぞ、でへねへうんばば~・・家康が仕組んだのか、雑賀や根来衆、さらにじゃ、長宗我部元親と佐々成政らが包囲網を作りわしの出陣を阻みおった。わしも迂闊じゃった、失敗じゃ!失敗じゃった、うんばうんば~」
太閤は白髪頭をごりごりと掻いた。それから少し神妙な顔つきになり、五右衛門達にも茶を勧め、自分もごくごく美味そうに飲んだ。それにしても、太閤の話はどんどん拍車がかかりそうな気配が漂い始め、五右衛門も鬼丸も何となく嫌な予感がした。
太閤はこれまた、二人の心の中を見透かしているようにも見え、もやっとした霞めいた不安が再び彼等の胸の奥からこみ上げて来た。
「わしが犬山城に着いた時、信雄が援軍を頼んだ家康は小牧城を改修し、土塁まで構築し、万全の態勢じゃった。あの狸は食えん奴じゃ、でへねへうんばば~・・あ奴のためにわしは幾度となく煮え湯を飲まされたことか、うんばうんば~・・本音を言えば、奴を焼き狸にしてやりたいものじゃ、うんばうんば~・・わしは三月二十一日に二万の兵を率い大坂を出発し、楽(がく)田(でん)に四月五日に着いた時、戦いは一つ終わっておったわ。・・それはじゃな、家康が三月十三日清州に到着し、十五日には小牧山城に移動じゃ。じゃが池田恒興がわしらに寝返りじゃ。これも計画通りじゃがな。それにじゃな、殿と共に本能寺で討たれた森(もり)蘭(らん)丸(まる)の兄の森(もり)長可(ながよし)も小牧山城を攻略しよとしておたのじゃ、うんばうんば~・・あれは確か羽黒じゃった、と思うが・・あ奴も油断しておたのか、家康方の酒井忠次らに早朝奇襲されおって敗走じゃ。・・・まずは羽黒の戦いで一敗じゃ!やっておれんぞ、でへねへうんばば~」
ここで大きく太閤は溜息をついた。負け戦になると、誰しも饒舌にはなれない、太閤も例外ではなかった。それにしても何月何日まで事細かに暗記している、流石、天下をとる人物、妙な所で五右衛門は感心した。それにしてもすごい記憶力だ。
「そこで誰しも考えるのが、負け戦の挽回じゃ。わしの寧も常日頃から言っておる、淀とはちがってそれはそれは細部にも神経が行き届く、理想の女房よ」
「それで何と?」
「慌てたら負け、とな・・わしは城を攻める時もこの寧の忠告を守り、じっくりと兵糧攻めじゃ。中国では、食糧の補給を断った三木の干殺し、それに食糧を買い占めた鳥取城の飢え殺し、他には高松城や太田城の水攻めなどじっくりじゃ、うんばうんば~・・・言ってみれば、わしが若いころ一番苦労したのは寧攻めじゃったがな、それがその後の耐え忍ぶ今のわしをつくったのじゃ、でれでれうんばうんば~・・有難いことじゃ・・・」
「それでその攻略方の極意は?」
「極意・・花より団子じゃ」
「花より団子?」
「その心、わてにはぴったり来ますでおます。わては団子が好きでおますからでございます、ぶひ~」
「なんじゃそれは、わてにはさっぱりわからんでおますでございますじゃ・・・まあ冗談はさて置きじゃ・・池田恒興め、功を焦って、敵の挑発に乗りおって・・・」
太閤は二人の挑発には乗らず話を元にもどした。
「それでじゃ、四月六日、総勢二万、総大将は羽柴秀次じゃった、うんばうんば~・・その他、堀(ほり)秀(ひで)正(まさ)と池田恒興、さらに満を持し森長可で手薄の岡崎を攻める手はずを整えたのじゃ。まあ中入り(敵の懐深く攻める)とでも言おうかな!・・・四月七日、秀次は篠木(しのぎ)で野営じゃ。四月八日、家康が小幡(おばた)城(じょう)に入った時、秀次は行軍を開始したのじゃ、でへねへうんばば~・・じゃが、敵に秀次の動静は筒ぬじゃったようじゃ。なにせ家康の奴、周りの百姓どもにこちらの動静を探らせていたからな、いつもわしらがやることを逆にやられたわけじゃ、うんばうんば~・・所が、四月九日、朝早く功をあせった池田恒興は、岩崎(いわさき)城(じょう)を通り過ぎれば良い物を、馬鹿者めが、丹羽(にわ)氏(うじ)重(しげ)の挑発に乗りおって合戦を挑んだのじゃ、うんばうんば~・・秘密裏に行動する手はずじゃったが、派手にどんぱち仕掛けおって、敵に否が応でも悟られるわな!池田が岩崎城を攻撃中、旭(あさひ)、長久手(ながくて)、日進(にっしん)で他の部隊は待機しておった、うんばうんば~・・案の定じゃ。岩崎城では丹羽氏重を討ちとったが、わしが心配した通り、今度は白(はく)山林(さんりん)で徳川の水野(みずの)忠(ただ)重(しげ)、それに氏重の兄の氏(うじ)次(つぐ)と大須賀(おおすが)康(やす)高(たか)のおよそ四千に奇襲され、秀次の奴、右往左往じゃ、命からがら逃げおって。おかげでわしの嬶(かかあ)の木下一族がぎょうさん殺(や)られて、後でこっぴどく叱られたわ、うんばうんば~・・・あんたの監督不行き届きだじゃと!もっともじゃ!秀次の奴、敵に倍する兵力で・・・・全くやておれんのう!馬鹿馬鹿しくて!・・合戦の最中、池田恒興(勝入(かついり))め、馬の鞍を撃たれ興奮しくさって、棒立ちになった馬から転がり落ちる体たらくじゃ、うんばうんば~・・・いやっというほど尻もちをつき、あげくの果ては肝心の任務を忘れ・・・・挑発に乗ったわけじゃ、でへねへうんばば~」
負け戦を語る太閤は、さんざん悪態をつき顔を何度もしかめた。
「じゃがな!」
ここで太閤の顔がぱっと明るくなった。
「じゃが、桧ヶ根(ひのきがね)では堀秀正が敵を軽がる蹴散らし撃退じゃ!あれは昔から戦上手と言われておったでのう。堀には後でたっぷり褒美をとらせたぞ。秀次、あの出来損ないは論外じゃ、うんばうんば~」
太閤はぽんぽん膝を打った。
「所がじゃ、長久手の合戦では家康の奴、桧ヶ根で堀に味方が敗れると、着陣した色(いろ)金山(がねやま)からわしらを分断するため、御旗山(みはたやま)に陣を移し、その後、戦況に合わせ、又も前山に陣を変え、堀秀正に敗れた敗兵を本隊に組み入れ池田、森両軍と対峙したのじゃ、でへねへうんばば~・・・午前十時頃じゃと聞いておるがの、両軍は激突じゃ。・・兵力は両軍とも九千であったが、池田は軍を立て直そうと床几に座って采配していた所永井(ながい)直(なお)勝(かつ)の槍を腹に受け討ち死、首も取られたのじゃ!森は額に銃弾を受け馬から転がり落ち即死じゃ、うんばうんば~・・・なんたることじゃ!わが方は死傷者二千五百、徳川は五百五十で惨敗じゃった!まあ、地元の百姓から情報を入れ、わが方の部隊の動きを、よう見て作戦を立てた家康の勝ちじゃ、あ奴は侮れん奴じゃ」
太閤が渋臭い顔で語る話にはいつも家康が絡んでいるのだった。しかし太閤程の策士、この一敗でひるむどころか、次の一手を透かさず打った。
「しかし勝ち手はいくらでも有る、うんばうんば~・・・緒戦で負けても、いかに次の戦いで勝利するかが、頭のいい武将のすることじゃ。わしは武田勝頼や明智光秀、それに柴田勝家などと違い、余裕をもって戦に臨んでおるでな、でへねへうんばば~・・負けるのも想定内じゃ、うんばうんば~・・次に信雄めを震撼させる手を打ってやったわ。家康も手が出せんような手じゃ。つまりじゃ、わしは蒲生(がもう)氏(うじ)郷(さと)を使い信雄の伊勢と伊賀の大半を占領したのじゃ、うんばうんば~・・・戦いの初め、やつらが雑賀衆や根来衆、さらに長宗我部等を使いわしの小牧への出陣を妨害したように、その逆を仕掛けてやったのじゃ、策は一つではない、マルチじゃ。マルチじゃ、うんばうんば~・・信雄め、泣いて講和を申し込みおった。それで伊勢と伊賀の両国半分を割譲させ戦は終わりじゃ、でへねへうんばば~・・家康も十一月に戦の名目を失い岡崎に引き上げおった。四月から十一月まで小牧、長久手辺りを駈けずり回った、なんとも骨の折れる戦じゃった、あ~あ~」
溜息をつき話を中断、一呼吸置き話し始めた。
「その後、家康の次男・於(お)義(ぎ)丸(まる)(結城(ゆうき)秀(ひで)康(やす))をわしの養子に迎え和平成立じゃ。五右衛門よ、どちらがこの戦いに勝利したと思うかな?」
太閤はポンと一つ柏手を打ち、片目をつむってみせた。
「言うまでも無く太閤殿下でございます」
即座に五右衛門は褒め称えるように大声で答えた。
「うううん~、ぶひ~」
流石、太閤は策士、大人物、五右衛門と鬼丸は改めてその偉大さに感服した。

これが紛れもなく一番
「殿下、合戦の話よりもっと重要なお話が!」
「もっと重要なお話??そうじゃ、天正十三年、これこそ一番重要な年じゃった、うんばうんば~・・これを忘れるとは、わしも大分呆け始めたかな・・。この年にはわしの生涯で一、二を争う重要な事があったのじゃ、つまりわしが関白になたのじゃ」
「関白になられた事が無論一番でございますよね?」
「違(ちゃ)う!・・・」
即、金切り声で否定。
「違う、では一番は何でございますか?」
すかさず五右衛門。
「関白就任が一番でないやなんてわてには考えられへんでございます、ぶひ~」
鬼丸も相槌。
「もしもじゃ、もしもじゃぞ・・お市の方様がわしの女になっておれば、これが紛れもなく一番じゃ、うんばうんば~」
太閤は鼻から白煙をあげた。なんやて、お市の方様がわしの女になっておれば、これが紛れもなく一番やて、こんなのあるかいな、もう完全に病気や、ぶひ~鬼丸は心の中で呟いた。五右衛門もその言葉に驚き太閤を凝視した。太閤は明らかに興奮しており、その為か顔が赤らんでいた。お市の方様への思い入れは凄まじいと改めて二人は思い知らされた。
「まあよい、その話は、先にも話した様に、今ではわしにはお市様の分身とでも言うべき可愛い淀がおる。所で関白宣言の話じゃが、でへねへうんばば~・・・ここだけの話、あの時は根回しが大変でのう、金品もぎょうさん散(ばら)蒔(ま)いたぞ。なにせ、わしが朝廷より正二位・内大臣に叙位、任官されると、関白相論が二条昭実と近衛信輔の間に勃発してのう、うんばうんば~・・そこでわしは苦肉の策、予てから昵懇にしておった近衛前久に働きかけ、彼の猶子、つまり名目上の養子になり、わしも公家の仲間いりじゃ、でへねへうんばば~・・ことに当たり、貧乏公家どもに金じゃ、前久には、絹の反物十反、黄金二百枚、その他唐の丁度品、各地の産品を山盛りじゃ、はじめ前久も渋っておったが、黄金(こがね)の面(つら)を見ると、途端に破顔(はがん)しおって、こっくりじゃ、うんばうんば~・・現金な奴とは、前久のような奴じゃ。まあ押し並べて、男は金と女には弱いものじゃが、でへねへうんばば~」
男は金と女には弱い、太閤の本音がでた。
「誠に!」
「ぶひ~」
五右衛門と鬼丸も同感であった。
「二条昭実様と近衛信輔様は?」
さらに五右衛門は突っ込みを入れた。
「まあ奴等にも口封じに、黄金五十枚ほどかな。それに絹の反物や調度品じゃ・・なにせ京の都と言っても外見は華やかそうに見えていても、その実は、何もかも疲弊しておって、屋敷内では貧乏公家共は皆ぼろを纏(まと)っている有様じゃった。殿が入洛された時など、路地裏に入ると辺りに何とも言えん饐(す)えた臭いが漂い、住み家も荒れ放題じゃった・・わし等はその有様に仰天したものじゃ・・」
「わてらも食い物が無くいつも腹ぺこでおました・・それにみなぼろの布切れを纏い、まるで蓑虫のようで、家の側の竹藪にも、時折、骨と皮ばかりの死体が棄てられておりましたでございます・・それはもう惨めなものでおました・・」
「そうじゃった・・そうじゃった、わしもそんな有様を見て、噂に聞いていた京の都とは、あまりにもかけ離れていたので、武将仲間とも、これはどうなっとるじゃと、あれこれ喋りあっていたものじゃ、でへねへうんばば~・・その時も昭実と信輔はぼろ着物を脱ぎ棄て、一張羅(いっちょうら)の直衣(なおし)に着換え、わしの使者を迎えたそうじゃが、使者が言うには、なんとのうみすぼらしくてのう、そんな大枚な金を持った事が無かったと見え、喜びのあまり身体が震えていたそうじゃ、うんばうんば~・・当然じゃ、わしは実力もあり、金もごまんとある。なにせわしはこの国のナンバーワンじゃ、でへねへうんばば~・・それでこの年、この二人を蹴落とし、目出度く関白宣言を受けたのじゃ、うんばうんば~・・次の年には、豊臣(とよとみ)の姓(せい)を天皇より賜(たまわ)り太政大臣に就任じゃ。まあその後は、お前達も知っての通り豊臣政権樹立じゃ、はっはっはっはっはっ~」
太閤は腹の底からほとばしり出るように豪快に笑い、機嫌よさそうに髭に指をやり、先端をくるりくるり、クルクルと何回も捻じ曲げた。
「大分疲れたぞ、紀州、四国攻めまで話そうとしたが、眠くてたまらん・・・」
そこまで話すと太閤は一度休憩時間をとった。

         第十章
  
茶人の意地

利休切腹
ここで合戦の話ばかりでなく、文禄の役の前、京中が震撼した利休切腹について触れてみよう。信長が堺を直轄地とした時から宗(そう)易(えき)は利休としての新しい人生が始まった。
信長は堺との関係を重視、今井宗(いまいそう)久(きゅう)と津田(つだ)宗及(そうぎゅう)、それに宗易を茶頭(さどう)とし、商人との友好関係を保つため重用した。
信長は、茶を政治の道具として利用し、武功のあった武将には有名な茶器をその功に順次、褒美として与えた。
太閤は信長以上に茶の湯に傾倒し、その影響で感化された武将は、彼の茶の師匠である宗易に弟子入りした。その中には、細川(ほそかわ)三(さん)斎(さい)や織田(おだ)有楽(ゆうらく)斎(さい)、それに高山(たかやま)右近(うこん)、古田(ふるた)織部(おりべ)など優れた高弟が輩出し、彼等は、利休(りきゅう)十(じっ)哲(てつ)と呼ばれた。
一体、太閤に我を貫き、切腹にまで追いやられた千利休(せんのりきゅう)とはどんな茶人だったのだろう。
利休は和泉(いずみ)・堺の生まれで、生家の家業は納屋(なや)衆(しゅう)(倉庫業)であった。十六才で当時茶の湯の第一人者、武野(たけの)紹(じょう)鴎(おう)に弟子入りし、二十三才の若さで最初の茶会を開くなど、卓越した才能を示した。
師、紹鴎は茶の世界に禅の思想である侘(わび)、寂(さび)を導入し、器など茶の湯の簡素化に努めた。
利休は、さらに儀式的、形式的な形よりも、茶と向き合う者の精神を重要視し、侘、寂の世界を茶室やお点前(てまえ)作法(さほう)など、茶会全体の様式にまで拡大した。
宗易は太閤の関白就任の返礼茶会や禁裏(きんり)茶会を仕切り、正親町天皇自らに茶を立て利休の号(ごう)を賜った。
その後利休の号を賜った彼は、天下一の茶人と言われるようになり、草庵の茶(わび茶)を創設し、草庵茶室を作った。室内の掛け軸なども簡素な水墨画を選んだ。
茶器の鑑定でも絶大な信用を得ると共に、昔から伝わる唐物や高麗物の名物茶器に加え、新たに樂(らく)長次郎(ちょうじろう)らの楽焼職人に轆轤(ろくろ)を使用しない樂茶碗を作らせた。

太閤は九州を平定すると、その祝賀に史上最大の茶会、北野(きたの)大茶(だいさの)湯(え)を北野天満宮で開催し、利休は太閤の後見役を任された。
茶会には身分に関係なく百姓や町民までもが参加を許され、当日の茶頭は太閤、利休、津田宗及、今井宗久と言った豪華な顔ぶれだった。 
会場には、京都、大阪、堺、奈良から千人以上が駆け付け、空前絶後の大茶会になった。茶会は当初十日間の予定であったが、何故かその日一日で終わった。

これほど利休を重用していた太閤が何故、彼を死に追いやったのだろう。
茶会が終った八日後、太閤の右腕であり利休の引き立て役だった弟・秀長が死に、利休は最大の後ろ盾を失った。
一ヶ月後、利休は突然太閤より堺で蟄居(ちっきょ)せよと命令をうける。
その理由の一つは、茶の湯と関係が深い大徳寺(だいとくじ)三門(さんもん)改修のおり、利休自身の雪駄(せった)履(ば)きの木像(木彫)を、大徳寺金毛閣(きんもうかく)楼閣(ろうかく)上(じょう)二階に設置したこともその原因の一つとされる。楼閣上に木像があることは、その下を通る者は、頭上の利休の股下を潜ることを意味する、と太閤に難癖をつけられた。
利休は前田利家や古田織部、細川忠興などの助命運動にもかかわらず、彼自身、釈明や助命を頑なに拒否、京に呼び戻され聚(じゅ)楽(らく)屋敷(やしき)内で切腹を命じられ、七十才の生涯を閉じた。京に呼び戻した時、太閤は利休の弟子の大名や弟子達が不穏な動きをするのではないかと警戒し、屋敷周りやその周辺を上杉軍に厳重に警備させた。
彼が一切の釈明や助命を拒否したのは、太閤が政治的思惑で利休との上下関係を押し付けようと画策したことによる。利休は太閤に頭を下げ屈服することは、彼の掲げる茶の湯の世界を否定するばかりでなく、彼が日頃唱えていた茶の湯の世界では、人間は皆、平等であるという強い信念に反すると考えたからであった。
利休は、彼が掲げる茶の湯の世界に殉じたが、権力に対して毅然とした態度で対抗したため、彼の死後その名声はさらに高まった。

国一国より平蜘蛛の茶釜
本題に入る前に少し横道に逸れるが、そのころ有名な茶器がどれほどの価値があったかを、太閤の口から一つのエピソードを交え語ってもらおう。
「わしが一番残念じゃったのは、天正十年六月一日に本能寺で行われた茶会で、殿が今まで収集された名茶器や道具類を、公家、商人や有名人に盛大に披露されたのじゃが、その一部が光秀の謀反により焼け焦げ、割れてしまったことじゃ、うんばうんば~・・文化人を自任する光秀めが、己の欲望からこれら名茶器類を炎に晒(さら)し壊すとは言語道断の悪行、天より死をくだされたのも当然の報いじゃ、うんばうんば~・・誠に残念じゃが、一部は持ち出され災いは免れたが、これら損傷した茶器の内、一国と交換してもいい程、高価な逸品がぎょうさんあったのじゃ、でへねへうんばば~」
太閤は終始渋面を崩さず光秀への怨みつらみを並べ立てた。その後話題を、終始信長に刃向かった松永久秀に変えた。
「名茶器と言えば、大和(やまと)信貴(しぎ)山城(さんじょう)城主松永久秀は有名じゃ、でへねへうんばば~・・奴は三好三人衆と京を支配しておったが、殿の入京後、あれやこれやと背いたのじゃが、攻め立てられ城に立て籠っている時、殿は久秀が持っておった平(ひら)蜘蛛(ぐも)の茶釜を渡せば命は助けてやる、と使者を使わしたのじゃ。殿は平蜘蛛の茶釜にぞっこんでのう、松永が差し出せば大和一国などくれてやると言っておられた。あの気の短い殿がじゃぞ・・・所が奴め!・・追いつめられると、信長に平蜘蛛の茶釜を渡すぐらいなら、茶釜と心中した方がましじゃ・・わしは武士として、茶人としても誇りをもっておる・・これでわしにも茶釜に奴めの手が届かんようになる。こんな世の中うんざりじゃ、と捨て台詞(ぜりふ)を残し、何を考えたのか城の天守に駆け上がり、茶釜に火薬を一杯詰めおって、首に括り付け、それ諸共自爆したのじゃ・・・ううん・・・茶釜さえ差し出せば、命はおろか国まで安泰じゃったのに、何という茶釜並の堅物じゃ。じゃが奴は根性が有るのう、うんばうんば~・・唐(とう)変(へん)木(ぼく)の堅物じゃ、それが命取りじゃったがな。わしならそんな茶釜いくらでも差し出したものを、でへねへうんばば~・・・何事も命あっての物種じゃからのう。くしくも十年前のその日、東大寺大仏殿の戦いで大仏殿が焼き払われたのじゃが、彼奴(きゃつ)めが首謀者と言われておる。何と言う因果なことよ、うんばうんば~・・大仏様の祟(たた)りじゃ、でへねへうんばば~・・奴は今ごろ地獄で閻魔(えんま)大王(だいおう)に火炎で焼かれておるじゃろうて、ううんばうんばば~」
太閤は皮肉ぽく言った。さらに名茶器に関し太閤は話を続けた。
「わしが九州を攻めておった時、秋月(あきづき)種(たね)実(ざね)がわしに娘と、これがいい女でのう、でれでれでれ~・・それに家宝の茶器・楢(なら)柴(しば)肩衝(かたつき)(島井宗室からせがみ取った)と宝刀・国(くに)俊(とし)を差し出し、助命を請うたのじゃ!無論わしは寛大な人間じゃ・・娘もよし、楢柴もよし、国俊もよし、三拍子揃っておった、そこで、即助命じゃ!」
「所で、何が一番・・・・・?」
「何が一番、言うまでもなかろう・・」
ここで太閤は話を中断しウインクした。五右衛門は彼が言わんとする冗談が良く分かっていたのだ。
「楢柴じゃ!わしの手元には他に、変の折り持ち出されていた新田(にった)と初花(はつはな)肩衝(かたつき)の茶入れがあり、天下三肩衝(てんかさんかたつき)はみなわしのものじゃ、うんばうんば~・・それに・・・はっはっはっはっは・・・」
突然、太閤は高笑いし、茶目っけたっぷりに小指を立てた!矢っ張り、名茶器より小指か?五右衛門と鬼丸は顔を見合わせた。太閤も人が悪い!
「はっはっはっはっは~」
「はっはっはっはっは~」
「はっはっはっはっは~、ぶひ~ぶひ~」
薄暗い部屋の中に三人の笑い声が満ちた。
その当時の戦国武将にとって、茶器の名品は一国一城の価値があった。利休も久秀が主催した茶会に茶(ちゃ)匠(しょう)として招かれた。男の意地もあったが、茶道を愛した久秀が、どれほど平蜘蛛の茶釜を大切にし、執着していたかが分かる。
「それに三木合戦のおり、殿に刃向かい説得に行ったわしの軍師・黒田官兵衛(孝(よし)高(たか))を牢に閉じ込めた荒木(あらき)村重(むらしげ)も堅物でな・・側近の高山右近や中川清秀にも愛想をつかれ、有岡城に女房、子供をおっぽり出し一人逃走じゃ。奴めその折り、肌身離さず高麗茶碗を抱えていたと言うから、呆(あき)れはてるではないか、でへねへうんばば~」
「それで置き去りにされた女房、子供は?」
「殿により百二十数人が打ち首じゃ」
「ぶひ~ひっひっ~女房、子供より高麗茶碗・・・なんたる変人、なんたる身勝手やなでございます、ぶひ~」
「奴も利休十哲の一人じゃったが利休の弟子には変人が多いな、うんばうんば~」

利休の美意識
次に太閤は、五右衛門達が全く想像だにしなかった利休切腹のあらましを、二人に語り始めた。
「わしはな、つい先年利休を切腹に追い込んでしまった。これは、わしが死ぬまで悔やまれることじゃ、うんばうんば~・・と言うのは、わしは利休と、明国の宮殿に日本風の庭園を造り、そこに茶室をしつらえ、壮大な茶会を催したかったのじゃ!」
太閤が利休と明で壮大な茶会!
「そこに諸大名を呼び、利休好みの侘、寂が漂う質素な茶室を造り、その者達の労を労(ねぎら)いたかったのじゃ、うんばうんば~・・うっうううん~今となっては悔(く)いるばかりじゃ、魔が差したのじゃ・・・」
太閤は流れる涙を拭こうともせず俯いていたが、しばらくして、思い起こしたようにあの有名な逸話を話し始めた。
「ある朝じゃった・・わしが寝ておると利休から庭の朝顔が綺麗だから茶を一服お立て申しあげたい、是非お越しくださいませんか、と招待があったのじゃ。・・わしは梅干しと茶漬(ちゃづ)けを食べ急ぎ出かけた。何事も自然のまま、質素に、これも茶の道を志す者の心得じゃて、うんばうんば~・・さぞ、庭に咲き誇る朝顔は美しかろうと、わしはわくわくしながら駕籠(かご)を急がせた。・・利休がわしを招待した待(たい)庵(あん)は煌(きら)びやかな装いを極力排し、質素で素朴な空間を演出しておる究極の茶室じゃった、うんばうんば~・・待庵に続く路地は、より自然に飛石を置き、砂利を敷き詰め、苔(こけ)や羊歯(しだ)、色どりを添える赤い実や白い実を付ける万両や千両、それに藪(やぶ)柑子(こうじ)などが、木々の下にごく自然に植えられておった。・・路地を抜けると、庵の苔むした前庭の露地も人工的に作られた自然で、全てが茶室に通じる空間なのじゃ、でへねへうんばば~・・全てが計算されて造られておるのじゃ」
「待庵の外観は?」
「外観か、建物は屋根も杮葺(こけらぶき)の切妻(きりづま)で壁も柱も田舎屋を模してあり、如何にも素朴な佇まいの草庵風じゃった。庭の造りもそれに合わせ自然の中の山間を模したものじゃな、うんばうんば~・・待庵の内部は土壁に囲まれた室(むろ)床(どこ)のある茶席二畳ほどの小さなものじゃった!」
「なるほど、田舎と山間、素朴でございますね」
「素朴そのものや、ぶひ~」
「まあこんな蘊蓄(うんちく)はどうでも良い。話しはこうじゃ。わしは茶室に続く路地に花が咲き乱れておるものとばかり想っておった。・・所うがじゃ、路地の朝顔の蔓(つる)には花は一輪も咲いておらん。無論、路地に落ちている花も、掃(は)き清められ何もないのじゃ、でへねへうんばば~・・わしは訝(いぶか)しく思って見廻したが、矢っ張り、みな摘み取られているのか、花はなかったのじゃ!・・一輪の朝顔の花もないのじゃ、うんばうんば~・・花が咲いているから来い、と言っておいて何故花は一輪もないのじゃろう・・・?一体これはどんな意図が・・・?わしは歩を進めれば進めるほど訝(いぶか)しく思ったのじゃ、うんばうんば~」
「一輪の花も!」
「なんたるこっちゃでございます、ぶひ~」
「そうじゃ・・・」
太閤は、感慨深げにうんうんとうなずいた。
「所がじゃ、腰を屈めこれも狭い躙口から茶室に入ると、やられたわ、室床の壁に掛けられた竹筒(竹(たけ)一重切花入(いちじゅうきりはないれ))に一輪の水色の朝顔が活けてあった。・・わしは一瞬ポカ~ンとしてその花を見詰めたわ。・・咲き誇る朝顔より、この一輪の花の清楚で美しいこと、ううう~ん、うんばうんば~・・わしは負けたのじゃ。利休はたった一輪の花でわしをひれ伏させおったのじゃ、うんばうんば~・・・じゃがな・・五右衛門!確かに利休の極限まで無駄を排した美は、わしには思いもつかぬ素晴らしいものじゃった。・・人はわしが利休の美意識に嫉妬して、死に追いやったと言うが、わしはそんなに料簡(りょうけん)は狭くない。・・考えてみよ、わしの茶は、茶室に至るまで金ぴかじゃ!それに折り畳み可能で、何処へでも移動出来る、そんな物も作ったのじゃ!金ピカのわしの茶は利休の茶とは対照的じゃ・・それじゃから、わしは利休の研ぎ澄まされた茶の湯の世界に、誰よりも強く惹かれたのかもしれんな!・・・・わしの世界は、金きらら、絢爛豪華で利休の禅の世界を取り入れた侘、寂の世界とは、全くかけ離れたものじゃ・・世界が違うのじゃ・・じゃがそんなわしでも利休と秘伝の作法なども作ったのじゃ、うんばうんば~・・それはこうじゃ・・・・・」
それから太閤は利休七則(りきゅうしちそく)を二人に語り聞かせた。

利休七則
一、茶は服(飲む)の良き様に点て
二、炭は湯の沸くように置き
三、夏は涼しく冬は暖かに
四、花は野の花のように生け
五、刻限は早めに
六、降らずとも雨の用意
七、相客に心せよ
「これが、利休が掲げるの茶の湯の神髄(しんずい)と人は言うが、茶人として、しごく当前の心掛けと気遣いが書かれてあるだけじゃ!・・全て自然のままにあれということじゃな、うんばうんば~」
ここで太閤は一呼吸した。
「茶道では、わしがいくら背伸びしても利休には勝てんかった、でへねへうんばば~」
それから自虐的に言い添えた。
「利休の奴!知恵を働かせ、茶室の躙口を屈んで入るほど狭くしおった。・・その意図は、ここで武士の魂である刀を置いて入れ、茶の世界では人はみな同じゃと暗にわしの権威を否定しおった。よく考えたものじゃ。躙口から潜って入る畳二畳ほどの世界は、利休の作り出した茶の湯の世界じゃ。この世界では、武士も商人も、百姓さえも身分の垣根を越えて、茶を楽しみ、語らい合う自由な世界なのじゃ、うんばうんば~・・しかし茶道に託(かこつ)け、わしら皆が住むこの世界でも、人はみな同じであると主張すれば、わしからすれば、わしの権威を否定し、己の権威を暗に主張しておることになるのじゃ、その狡猾さはどうじゃ。・・よほどの自信がなければ出来んぞ、でへねへうんばば~・・まあ、茶の湯の世界では、師匠である利休に従おう、しかし、茶の湯以外の世界はわしの支配する世界じゃ!・・じゃから、わしに従ってもらわねばならん、うんばうんば~・・わしの世界、わしの支配する世界では、利休たりといえど指一本触らせん。例えばじゃ、利休に関わりのある堺でも、税を重くするよう圧力を加えたわ。堺の富の蓄積は、わしの支配する世界に対抗する勢力を作り出すからのう。武器等も買えるじゃろう!兵も雇えるじゃろう!火種の元じゃ、でへねへうんばば~・・壕も埋めさせたわ、堺は砦ではない。わしにとって、言ってみれば、堺は金儲けの場所じゃ。・・北野(きたの)大茶会(だいさのえ)からどうも利休とは関係がぎくしゃくしてのう。奴はわしが堺で何かしょうとすると、それとなく陰で暗躍するのじゃ!奴は堺の出じゃからのう。・・天正十八年、わしが小田原で北条を攻めておった時も、利休の愛弟子(まなでし)の一人、山上(やまのうえ)宗二(そうじ)がわしに不遜な口の聞き方をしたのじゃ、うんばうんば~・・奴の態度は利休の態度じゃ、利休が陰でわしに楯突くような言動をするから、弟子もまねをするのじゃ、でへねへうんばば~!・・無礼な宗二は即刻処刑じゃ!鼻と耳を削(そ)ぎ落とし、素(そ)っ首(くび)を斬り落としてやったわ、当然の報いじゃ、うんばうんば~・・奴は茶の湯の世界から飛び出し、わしの世界で、わしが奴をかわいがったのを良い事に、不埒にも増長し、人脈を広げ、権威を主張し、挙句の果てにわしに楯突きおった、でへねへうんばば~、うんばうんば~うんうん・・」
太閤の語気が強まり、薄暗い部屋に怒気が充満した。よほど飼い犬にしたつもりの利休に手を噛まれ、憤りが激しかったのだろう。
「天正十九年の茶会では、黒を嫌うわしに平然と長次郎の黒楽(くろらく)茶碗(ぢゃわん)で茶を立てて出しおった。わしも天下人、ぐっと怒りを抑えたが、何様と自分を思っておたのじゃろうな、うんばうんば~・・まあ、寛大なわしじゃ、金キララ好きのわしと好みは対照的じゃが、利休はわしにはない、素晴らしい世界をわしに見せてくれた。素晴らしい才能じゃ。・・茶の席でわしの嫌いな黒の黒楽茶碗で茶を立て、わしの面子(めんつ)をつぶしたくらいで、わしは怒るなどせん、うんばうんば~」
太閤は拳を固く握り締めていた。皺茶けた顔は何処となく疲労感が漂っていた。それから拳を蒲団の上に置くと急に話題を変えた。
「所で、巷ではわしが利休の娘を差し出せなどと言いい、断られたのを根にもったとか。下衆(げす)の勘ぐりじゃ。いくらわしが女好きでもそこまでやらん、うんばうんば!・・わしには先程話した秋月種実の娘もおるしのう!わっはっはっ~・・それになにより跡取りを生んだ可愛い淀がおる、淀が一番じゃ、うんばうんば~」
太閤はここでも余裕たっぷり、冗談まで言った。
「ほんまにその通りでおますなでございます、ぶひ~」
鬼丸の如何にも媚(こび)を売るような呟き。この利休の娘と言うのは、彼の次女・お吟(ぎん)の一件を指す。お吟は母の墓参りの帰り、南禅寺(なんぜんじ)から黒谷に抜ける道を侍女とつれだって歩いていた。
そこに太閤一行が、京の秋の紅葉狩りを楽しもうと、偶然に通りかかったのであった。目聡(めざと)く太閤はお吟を見つけた。御供の者から、その女が利休の娘であると聞き、早速彼の元に使いを差し向けた。
「殿下が貴方の娘御と南禅寺の途中で偶然出会われ、いたく気に入ったご様子、聞く所によりますと、先年御亭主を亡くされたとか、殿中に御奉公に出されてはいかがでしょうか」
暗に太閤の妾になれと提案した。
「有り難いお申し出でおますが、まだ亭主の四十九日も済んでおりませんことゆえ・・・」
利休は丁重に断った。彼は冷静に対応してはいたが、茶道は教えるが、娘まで妾に差し出して、太閤のご機嫌まで取りたくない、と腹の中では煮えくり返っていた。
「まあよい、お吟はそっとしておくのじゃ」
太閤はさらりと言った。前にも書いたが、お吟に関わらず、太閤の女癖の悪さは、前々から評判で、大名の奥方さえも、いい女だと聞くと、あれこれ難題を吹っかけ召し出させた。
自分の意に背くと、領地を没収し、さらに切腹までさせるという強引さであった。美人の妻をもっていた大名たちは、太閤から何時妻を差し出せと言われまいかとびくびくしていた。人間、金や権力を握ると、やたらと女が欲しくなるものと見える。もしも太閤に家康のように子種があれば、次のような会話が殿中で取り交わされていたかもしれない。
「のう、お牡丹(ぼたん)よ、あそこでじゃれている子は誰の子じゃ?」
「殿下、あのお子様は殿下のお子様でございますよ」
「そうかそうか、それで何人目の、名前はなんじゃったかな?」
「九十九番目のお子様で、お名前は満腹丸様でございますよ」
「そうじゃった、そうじゃった満腹丸じゃったな・・・名前のようにころころよう太っておるな。所でわしには何人子がおるのじゃ?」
「私には正確には分りかねますが、分っているだけで二百余名かと・・・」
「そうかそうか二百余名か、ようわしも頑張ったものじゃ、じゃがもう一踏ん張りせねばならんのう」
「ええっ・・・殿下、もうひと踏ん張りございますか・・・・」
「一踏ん張りも二踏ん張りもじゃ、うんばうんば~それらを婿や嫁、それにじゃ養子として諸侯に分け与えるのじゃ・・さすれば、みなわしの親類や親戚、天下太平じゃ、うんばうんば~・・これこそ争わずして天下を治めるわしの兵法じゃよ、うんばうんば~」
太閤はこともなげに答えた。
「殿下、それでは猿の国になってしまいますわ」
「お牡丹よ、今更何を言い出すのじゃ、もうすでにこの国は猿が支配する国ではないか。・・後世、猿が言うじょろう、ここは猿の惑星じゃとな、うんばうんば~」
太閤はにこにこしながら、侍女とこんな会話を交わした。太閤は続ける。
「わしを長年支えてくれた弟の秀長の死は確かに応えた、奴は人望も厚かったし、なにより、わしの右腕じゃった!」
秀長は太閤の異父弟(同母兄弟とも)とも言われ、終生太閤の内政、外交の補佐役に徹した。
彼は天正十八年ごろから病が悪化、利休切腹の前に五十二歳で病没した。弟が亡くなり、太閤にとってこの年は良い年ではなかった。こんな出来事も微妙に彼の情動不安を助長したのかも知れない。彼は精神的に孤独の淵に追いやられ、辺りを見回していた。弟の死により、やがて自分にも早晩訪れる人生の黄昏(たそがれ)と、それに続く死を強く感じ始めていた。太閤は何かに憑(と)りつかれたように妄想に耽った。その結果、彼は主君であった信長の海外に日本を開くという理想を捩(ね)じ曲げ、外国を侵略するという領土的野心に取り付かれ、唐入りを決意した。彼はこうとも思った、この事こそ偉大な敬愛してやまない主君・信長公を超えることが出来ると!
そんな意識の変化も、太閤が利休切腹を申し渡した動機にも繋がるのであった。
「ではお吟様の件でないとすれば大徳寺の、ぶひ~?」
鬼丸は恐る恐るたずねた。
「大徳寺の雪駄履きの木像か、うんばうんば~・・・まああれは、利休の処遇を石田光成に任せたのじゃが、奴の独断専行じゃ、でへねへうんばば~・・光成は利休が表向きの政治に口出しすることに、我慢がならなかったのじゃ。わしもよく考え、その木像を借りて利休に死を与えようと思ったのよ!」
「そこがよく分かりません、木像を借りて?」
「そうじゃ、木像を借りてじゃ、前にも言ったじゃろう、明の宮殿で利休と盛大な茶会を開きたかった!・・・唐入りは殿とわしの長年の夢でもあったのじゃ、うんばうんば~・・文禄の役の前年、それとなく茶会の集まりで、わしは利休にこの件を言うと、利休の口からこんな言葉が出たのじゃ!・・殿下、皆が申しております、明への出兵は無謀でございます。二人で、茶室の中で向き合っいる時であれば、これぐらいは水に流そう!しかしじゃ、公の席ではのう!みなの前で利休がそう公言した以上、弟子や彼贔屓(びいき)の武将、それに配下の者までが、今まで以上に唐入りは無謀だ、無益な血を流すだけだ、と利休に同調し、わしの眼の届かぬ処で反対意見を言うじゃろう、でへねへうんばば~」
太閤は口角沫を飛ばし早口で捲し立てた。太閤の表情が険しくなり、顔面全体に噴怒の色が現れた。言葉の奥に、自分に楯突く奴は絶対に許さんと言う固い決意が読み取れた。
「利休の奴は、わしの政治に口を挟み、茶道の人脈を通じ、わしに楯突いたのじゃ、うんばうんば~・・・過去のわしの行状もあれこれ穿(ほじく)り出し、わしを糾弾したのじゃ、このわしをじゃぞ、一介(いっかい)の茶人(ちゃじん)風情(ふぜい)が、身分をわきまえず、うんばうんば~・・奴の茶人としての人脈からして、社会的影響は少なくはない。奴が一石を投じれば、波紋は無限に広がるというわけじゃ、うんばうんば~・・それでじゃ、それらを隠すために木偶(でくの)坊(ぼう)の木像のせいにすれば、利休の名も上がるし、わしの権威も失墜(おちん)じゃろう。
わしは利休の表の世界を、裏の世界に押し込めることにより、わしに楯突く奴らの不満を封じ込めようとしたのじゃ!あれこれ切腹させられた理由を詮索する余地を残し・・曖昧にじゃ、でへねへうんばば~・・時が過ぎれば真相は闇の中じゃ、これが一番じゃ。表の世界の駆け引きが難しいのは、今も昔も変わらんのじゃ、うんばうんば!」
太閤は、いくら自分の権力を堅持する為と言え、大切な茶の湯の師匠、とりもなおさず身近な相談役の一人、利休を失い、意気消沈し、事あるごとに追憶の時間の中に自分を置いた、と聞く。
何故、利休はあれほどまで頑なにわしに抵抗したのじゃ、利休に切腹を申し渡した後、太閤は悲嘆の淵に身を沈め、心の中でこう呟いていたにちがいない。
「わしにとって、利休はかけがえのない良き師匠じゃった。みなが言う、もしも、利休が太閤の元に許しを請いに行けば、命は助かったであろうと。それは利休を知らぬ空(うつ)けが言う痴(し)れ言じゃ。奴がわしに諫言(かんげん)した時、死の覚悟はとっくの昔に出来ておったはずじゃ、でへねへうんばば~・・説得は無理じゃ。一度こうと決めたら梃子(てこ)でも動く男ではない。こんな議論は堂々巡りで時間の無駄じゃ。奴はそう言う男じゃった。しかし、もしもじゃ、もしも利休が一言謝ればわしは喜んで赦免(ゆる)したぞ、うんばうんば~・・これが全てじゃ!」
太閤は利休の決意を代弁した。その言葉の端々に、未練たっぷりな様子がうかがわれた。
しかし太閤が考える以上に、利休成敗の影には、太閤が利休を優遇することへの妬みから、彼を追い落とそうとした陰謀の臭いも感じられた。
利休は内々の茶の席でも、殿下の朝鮮出兵をおおっぴらに批判している、何か陰謀を謀くらんでいるのではないか?
大徳寺金毛閣楼閣上には利休の雪駄履きの木像が、殿下がその下を潜るように置かれてある。何と増長した、殿下を卑下した不遜な行為だ、などとの非難の声が上がった。何時の世も同じ、誹謗と中傷で明出兵推進派の太閤取り巻き連中が、反対派の口を封じるために利休を利用したとも言える。反対する者は利休のようになるぞ、これは推進派による反対派にたいする恫喝にも等しい示威と情報操作だったと言えよう。言うならば、利休はこれら推進派の野望の生贄(いけにえ)にされたのかも・・。
「公儀の件(こと)は私に、内々の件は利休に」
かつて大友宗隣が、大阪城を訪問した際、豊臣秀長に耳打ちされたと言う有名な逸話が残っている。この事からしても、利休が豊臣政権の政務に深く関わり、太閤にも多大な影響力与えていた事も確かであった。そんな事情から、利休を疎(うと)んじた者達が、彼を追い落とそうと画策したと言う説はかなり説得力がある。
所で、利休へのあらぬ噂や中傷は、先に書いた利休の娘・お吟を太閤の妾に出せと言う要求を拒絶した他に、さらに安物の茶器や茶道具を高く売り私腹を肥やした。天皇陵の石を勝手に持ち出し、手水(ちょうず)鉢(ばち)や庭石に使用したなど、枚挙にいとまがない。
意地を通した利休は切腹後、その首は一条戻(いちじょうもどり)橋(ばし)(一条通りの橋)で、梟首にされた。その首が晒された時、世間全体が驚愕、震撼させられた。
「なんで利休様が晒し首にされないかんのや、太閤はんは狂うてるで、むちゃくちゃや!それに木像まで火炙りの刑にするなんて、完全に常軌を逸しとるで、ああ恐ろし・・何か天罰がくだるで・・」
巷では人々はこう囁き合った。                     

        第十一章

ありえない唐入りの本当のわけ

文禄の役始まる
諸侯が陰で批判し、利休が命がけで反対した唐入り(明征服)を奥羽平定の後、太閤は文禄元年(1592)に断行した。
太閤は唐入りの経路となる李(り)氏(し)朝鮮(ちょうせん)に①日本に従属し②先導役と行軍道を貸すように要求し、その使者として側近の小西行長と対馬の宋(そう)義調(よししげ)、義(よし)智(とも)親子を交渉役に立てた。
それに並行し、李氏朝鮮は太閤の全国統一を祝賀する使節団を送って来たので、先の二条件を受け入れたものと錯覚した太閤は、直ちに明遠征軍編成に取り掛かった。
侵攻の拠点にする肥前(佐賀)に城(名護屋城)を築く為、九州の諸大名に工事を命じ、壱岐(いき)、対馬(つしま)にも補給基地を建造させた。
明遠征軍は九軍団に分かれ、総勢約十六万人、その内の二軍団約二万人は予備軍として対馬、壱岐に駐屯した。さらに、肥前には十万ほどの後詰めの兵員が兵站(へいたん)任務(にんむ)に当たっていた。
その中には人夫や水夫など非戦闘員が含まれていた。
朝鮮は約十七万人の正規軍を展開し、約二万二千人の非正規軍がこれを支援した。明軍は約五万を朝鮮に派遣した。それに加え、日本軍と同様、兵站任務にあたった人員は十万を超えた。両軍合わせると六十万近くの人員がこの戦いに狩り出された事になる。

万国にいろは
太閤の話は、またもや迷路に入り込み、とんでもない妄想を語り始めた。
「今は講和交渉中じゃが、わしは唐行きを成功させた後、いろはを万国文字にするつもりじゃ。漢字に比べ格調は低いが、使いやすく簡単じゃ。何よりも書き易い、ここが肝心じゃ、うんばうんば~」
「何故そのような事を?」
「訳か、光秀が謀反を起こした天正十年、わしが備中高松城を水攻めにしていた事は前に話したな・・その時、毛利との講和を取りまとめた男がおった、うんばうんば~」
「その御方のお名前は?」
「前にも言ったと思うが、毛利の外交(がいこう)僧(そう)として広く知られている臨済(りんざい)禅僧(ぜんそう)の安国寺(あんこくじ)恵瓊(えけい)じゃよ。奴は交渉にかけては辣腕(らつわん)じゃ、うんばうんば~・・・あの時わしは奴により窮地を脱したわ。もたもたしていたら、四国大返しどころか、水攻めをしておったから四国撃沈じゃった、でへねへうんばば~・・それ以来わしは奴の才能を認め、伊予(いよ)に二万三千石を与え、今もわしの相談役として、昵懇にしておる。その恵瓊がじゃ、文禄の役では小早川隆景(こばやかわたかかげ)の軍に属し、朝鮮でいろはを教えていたそうじゃ。それを聞きわしはその時閃(ひら)めいたのじゃ、でへねへうんばば~」
「殿下、平仮名のいろはでございますか?」
この奇想天外な発言に五右衛門は驚き、再確認した。
「ほんまにそれは奇抜な考えでおますなでございます、ぶひ~」
「そうじゃ、そのいろはじゃ、うんばうんば~・・そのいろはを万国文字にしたら面白かろう、とな、はっはっはっはっは!・・まあいろはは、元はと言えば中国から来た漢字からきておるが、漢字は覚えるのに手間と時間がかかる。要は相手の言わんとする事が分かればよいわけじゃ。わしなど若いころは漢字の読み書きが出来ず、よう笑れてな、まあ多少は勉強したが、当て字でも十分意味は通じたぞ、じゃが、今では金もぎょうさん有るで、わしが書かんでも祐筆(ゆうひつ)にやらせればいいわけじゃ。それにじゃ、増田(ました)長盛(ながもり)は朝鮮人の氏名を強制的に日本名に改めさせ、髪型までも日本風にさせたりじゃ、でへねへうんばば~」
「殿下、いろはに髪型、それに氏名まで、まさかそんな事が可能で?」
「つまり不可能か!」
太閤は少し不機嫌そうな顔をして、ぶっきらぼうに応えた。それから、寝台横の棚から、文字がぎっしり書き連ねた綴じ本を取り、それをポイと二人の目の前に投げた。
「それはわしが、或る蘭(らん)学者(がくしゃ)に外国の字引書を参考に作らせた大辞閤じゃ。わしのこの書には不可能と言う文字は載っておらん、でへねへうんばば~」
太閤は胸を逸らせ何処かで聞いたような台詞を自慢気に言い、髭に指をやり、先端を二回くるりくるりと捻じ曲げた。不可能という文字はない???・・・五右衛門は何か釈然(しゃくぜん)としなかった。
「と、言う事は可能・・そりゃあ面白おますなでございます、ぶひ~」
それでも可笑しなもので、二人は自分が理解出来ない色々な事を、太閤が考えていると思うと、今まで以上に彼に対し畏敬(いけい)の念さえ抱き始めた。
「おい、五右衛門と鬼丸!何をそんなに眼を白黒させておるのじゃ、でへねへうんばば~」
太閤は真顔で言った。
「わしの本音を話すとこうじゃ」
その後こう続けた。
「唐入り成功の暁には、天皇様をかの国の北京にお移しし、広大な庭園がある立派な御殿をお造りする。又、秀次をかの国の関白にし、辺りを功積のあった武将共に分け与えるつもりじゃ・・・」
「では日本の関白さまは?」
「そこが思案のしどころじゃ。大和の羽柴(はしば)秀(ひで)保(やす)か備前の宇喜多(うきた)秀家(ひでいえ)はどうじゃ」
「大和中納言様か、備前宰相(さいそう)様?」
奇抜な考えに二人は驚かされた。
「それで殿下は?」
「わしか・・それでわしは寧波(ニンポー)に住み諸外国と貿易を営み、ガッポリ金を儲ける。ガッポリ金をじゃ。何せ、お拾丸が生まれたばかりで養育費もようかかる・・それにじゃ将来の日本国の為に、金はどれだけあってもええ・・貧乏面していくらあれこれ吹聴しても、誰も信用せんじゃろう、義昭などはよい例じゃ、うんばうんば~・・それに先陣の者には天竺(てんじく)(印度(いんど))に近い所を与え、後は切り取り(占領)しだいじゃ、うんばうんば~・・・壮大なものじゃろが、でへねへうんばば~・・それにまだ・・・」
「それにまだでございますか?」
「そうじゃ、朝鮮の王を日本に移すのじゃ、でへねへうんばば~」
太閤は咳き込みながらも胸を張った。
「壮大なご計画、おそれいります」
「ほんまに壮大なこっちゃでございます、ぶひ~」
五右衛門と鬼丸は深々と頭を下げた。所が、威勢がいいのはここまでで、急に太閤の声のトーンが落ちた。
「所が、現実はそうはいかなんだのじゃ、うんばうんば~・・・緒戦は花々しく快進撃じゃった。小西や加藤は、釜山(ふざん)から漢(かん)城(じょう)、開城(かいじょう)を落とし、平壌(へいじょう)も陥落させた。朝鮮の城は山城風で、日本の城のように石垣も高くはない。取り囲み鉄砲を浴びせかけ壊滅させるのじゃ。日本軍もあちこちに倭(わ)城(じょう)を構え、そこを拠点に攻撃じゃ、でへねへうんばば~・・その後、豆(と)満江(まんこう)を渡り、満州まで行き着き、女真(じょしん)族(ツングース)も攻撃じゃ、うんばうんば~・・でかした!わしも有頂天になり渡海して自ら前線で指揮を執り、戦おうと言ったのじゃ、でへねへうんばば~・・所がじゃ、家康や前田利家が、ああでもない、こうでもないと屁理屈(へりくつ)を付け止めるのじゃ。何故わしが朝鮮に渡ってはいかんのじゃ。わしは抵抗したがついに説得に応じた、うんばうんば~」
「何故、緒戦は快進撃でございますか?」
「あたり前の話じゃ、日本は戦国の世で戦(いくさ)続き、武士は、皆戦闘に長(た)けた老獪(ろうかい)なもの達ばかりじゃ、うんばうんば~・・それに、あの長篠の戦いで、武田を打ち負かした火縄銃がごまんとあったのじゃ。・・その点、敵には青(せい)銅製(どうせい)の射程の短い銃しかなかった、でへねへうんばば~・・勝負は明らかじゃろう。所うが、良い事ばかりは続かんて、これが人の世の常じゃ、うんばうんば~・・海戦では日本軍は準備不足と装備も悪かったのじゃ。朝鮮は倭寇(わこう)と女真に散々悩まされて来た。その結果、倭寇に備え図們(ともん)江(こう)に沿って強固な防衛線を張り巡らし、女真に対しても要塞を各所に構築しておった。しかも、震天(しんてん)雷(らい)なる大砲を装備した亀甲(きっこう)船(せん)(※主力艦船は板屋船で、その同等の大きさの船に重装備を施したもの)で反撃に出たのじゃ、うんばうんば~・・わしも、船は二千隻ほど、天正十四年あたりから建造させておったが、相手の船は竜骨(りゅうこつ)が有り、体当たりにも強い。それに、機動力が優れた中型の挟(きょう)船(せん)や小型の鮑作(ほうさく)船(せん)があった。一方、日本は底が平たい安宅(あたけ)船(ぶね)じゃ、これは指揮官が主に乗船する、でへねへうんばば~・・中型の関(せき)船(ぶね)や小型の小(こ)早(はや)は、その小回りのよさから戦闘の主力として使った。陸戦では破竹の勢いじゃったが、海戦では李舜臣(りしゅんしん)率いる水軍に、五月に巨済(きょうさい)島(とう)と玉(たま)浦(うら)、それに泗(し)川(せん)と唐(とう)項(こう)浦(ほ)などで惨敗を喫したのじゃ、うんばうんば~・・朝鮮に設置した本営は、戦況が悪くなっても戦果を偽り、あたかも戦況は我が方に有利と虚偽(きょぎ)の報告をしておった、誤魔化(ごまか)しじゃ、阿呆(あほう)どもが、けしからん、うんばうんば~・・戦果を捏造(ねつぞう)しておったのじゃ、うんばうんば~・・我が軍は各方面で敵を撃破、快進撃中じゃ、とな!それで、家康らがわしを止めた理由に合点がいったのじゃ」
太閤は、鼻から蒸気を噴き上げた。
「百戦(ひゃくせん)錬磨(れんま)のわしが、現地で指揮を執っておれば戦況は変わっておったじゃろうが・・誠に残念至極じゃ、うんばうんば~・・今思えば、奴等はグルじゃったな!」
太閤の顔は、怒りで赤らんでいたものの、長年の疲労から来る体力の衰えで、皮膚の色が何処となく黒ずんで見えた。
「わしは急遽、脇坂安(わきざかやす)治(はる)や九鬼(くき)嘉(よし)隆(たか)に加え、加藤嘉(よし)明(あき)の三水軍将に命令を発し、海上攻撃を強化せよと命じたが、だめじゃった、でへねへうんばば~・・七月には、閑山(かんざん)島(とう)付近で脇坂と九鬼、さらに加藤が壊滅的打撃を被った」
ここまで話し終わった太閤の全身には落胆の様子が色濃く漂っていた。
「それは、それは・・・」
「ほんまにたまりませんでおますなでございます、ぶひ~」
二人も意気消沈し、言葉も湿りがちになった。
「その結果、物資と人員の補給が途絶え、身動き出来ん有様じゃった、でへねへうんばば~・・じゃが小西等はこの事を隠蔽しくさって、うんばうんば~・・けしからん。・・わしには戦況は良好と報告しくさって、ごほごほ~」
太閤はここで何度も咳き込んだ。

淀君は沈菜が大好物?
「なあ五右衛門と鬼丸よここだけの話し、今は講和交渉中じゃが、役が成功すれば、唐(明)まで行って、かの宮殿で何をしたいかここで教えてやろう」
明の宮殿でしたい事、それは太閤の今までの行状からして、決まっているではないか?宮殿に朝鮮や明の美女を侍(はべ)らせ、連日連夜、盛大な饗宴(きょうえん)を催す、五右衛門は下賤(げせん)な事を考えた。所うがその後、太閤の話を聞く内、彼の予想は完全に外れた。
「文禄の役のおり、先にも話したように、わしは大陸に渡れんかった。・・・話は逸(そ)れるが、清(きよ)正(まさ)(加藤)達がのう、朝鮮では、牛の肉を炭で焼き、甘(あま)垂(だ)れ醤油(しょうゆ)、まあ簡単に言えば、焼き肉の垂れを付け食べる焼き肉が大層旨(うま)いとぬかしてのう。わしにも食せよと言うのじゃ、うんばうんば~・・それに、塩漬けにした白菜に、清正らが朝鮮に持ち込んだ南蛮渡りの唐辛子(とうがらし)と現地で手に入れた大蒜(にんにく)を擂(す)って加え、漬け込んだ沈(キム)菜(チ)(白菜(はくさい)漬(づけ))、これが中々美味(うま)い、しかも精がつく、食せというのじゃ、でへねへうんばば~・・・しかしこれらで、いくら精をつけてもわしも歳、体力が衰え、女どころではないがのう、わっはっはっはっはっはっ~」
冗談を交え太閤は急に話題を焼き肉と沈菜に変えた。
「焼き肉と沈菜・・・」
これには二人とも面食らわされた。
「五右衛門お前はどうじゃ!」
話題に入る前太閤は二人にたずねた。
「殿下、こう申してはなんですが、私は食欲、金欲、それにあちらの方もまだまだ健在でございます」
五右衛門は少し戸惑いながらも畏まって応えた。それもそのはず、五右衛門と鬼丸は、まだ三十歳前後だった。
「女どころではないのではないのでございまするでございます、ぶひ~」
横に座る鬼丸もこの時ばかりは色気が出たのか、今まで言葉を控えていたが、何とも珍妙な言い回しで、珍しく相槌をうった。早い話し女どころではあるのである?
「それは頼もしい、うんばうんば~・・わしは段々と枯れ果ててゆく薄(すすき)の穂のようじゃ、うんばうんば~・・まあ冗談はそれぐらいにして、その焼き肉と沈菜なるものを食べてみようぞ。余談じゃが、わしは淀とこの焼き肉と沈菜を時々食べておるが、大蒜は精がつく、じゃが、吐く息が臭くて、臭くてたまらんのじゃ、うんばうんば~・・ここだけの話、淀の奴、この沈菜が大好物でのう。わしは閉口しとる、でへねへうんばば~・・特に食した後、甘(あま)ったるい声で、殿下これを買ってくれ、あれが欲しい、と猫撫(ねこな)で声で擦り寄って来るのじゃ、うんばうんば~・・じゃが、臭いからあっちへ行けとも言えず、ほとほと困り果てておるのじゃ。・・淀の奴、わしを困らす為、わざとそうしておるのかもしれんな、でへねへうんばば~」
太閤は指で鼻をつまみ、いかにも臭くてたまらんという仕草を見せたが、二人にはおのろけのようにしか聞こえなかった。しかし、太閤は二人が全く予想していなかった挙に出た。
「おっとととっ~・・あぶない、あぶない・・」
突然、太閤は寝台から畳みに飛び降りた。飛び降りた時、少し身体の均衡を崩した。
「ええい、くどくど言うのは止めじゃ・・百聞は一見に如(し)かず、もう腹が空いてたまらん、うんばうんば~・・おお~い、あれじゃ、あれじゃ、肉と野菜の盛合わせ、それに特製の沈菜を用意せよ、うんばうんば~!」
体勢を整え、それから、ぽんぽん掌を叩きながら大声で命じた。直ぐに、隣室に予め用意されていたのか特製の長火鉢に、鉄製の器に盛られた赤々と燃える備(びん)長炭(ちょうたん)が運ばれた。
季節は夏(旧暦で八月は新暦(しんれき)の九月)の盛りを少し過ぎたばかりであたが、さすがに炭火の側に近づくと顔が火照った。三人は長火鉢を囲んで車座に座った。
すると、腰元が葱(ねぎ)や大蒜(にんにく)、それに茄子(なす)、南瓜(かぼちゃ)などの野菜、それに今話していた沈(キム)菜(チ)と牛肉を盛った大皿を運んで来て、三人の横に置き、一部を箸で摘み網の上に並べた。
「もうよい、後はわしらが勝手にやる、下がっておれ、うんばうんば~」
並べ終えると太閤は腰元を追い払った。
「この肉はのう但馬(たじま)牛(うし)じゃ。焼き肉には骨付きのこれじゃが、わしは、肉と肉の間に脂が程良く織り込まれたこの霜降り肉が大好物じゃ。これが最高にうまいのじゃ、でへねへうんばば~・・・淀もこれが好きでのう。ほれ、ほれこれは、網でのうてこの鉄板で焼くのじゃ、じゅじゅっとな!お前達も食べんか!おうおう、美味そうにじゅうじゅう程良く焼けて来たぞ、それ、それこれはのう、あまり焼かんほうがうまいのじゃ、でへねへうんばば~・・適当な大きさに切り、ほれ、この塩と南蛮渡りの胡椒をこうつけて食べるとうまいぞ!それにこれはそやつの舌と心臓と内臓じゃ、どれもこれも美味じゃて、うんばうんば~」
これらを網に載せながら、太閤は舌と言った肉を箸で示し、次に自分の舌を出しそれが何かを示した。網の上に載せた肉類から脂が滴り落ち炭の上にこぼれ、白い煙が立ち上り、美味そうな匂いが辺りに漂いだすと、太閤はひょいと箸で肉をつまみ口に入れた。
「もぐもぐもぐもぐうんぐっ・・さあ、遠慮のう食え、うんばうんば~」
それから五右衛門達にも勧めた。太閤は戦の話をする時とはうって変わり上機嫌になった。
「この肉は朝鮮ではカルビと言っておるそうじゃ」
そう言いながら、太閤は焼き立てのカルビにたっぷり垂れを付け頬張った。
「うま~うま~うめえ~・・うんばうんば~・・・あちちち~うんぐ~ごっくん、でへねへうんばば~」
所が、肉が熱かったのか、太閤はおかしな事を口走り、ほとんど噛まずに一部を呑み込んだ。
「あち~あち~あち~ふんがふんが~わしはのう・・あち、あち~あちあち~ふんが、ふんが~ぐっぐぐ~このごろ・・は・・は・・歯が、ふんが~ふんが~歯が歯が・・悪るうなってのう、あちあち~よう固い物が噛めんのじゃ、ふんが、ふんが~ふんが、ふんが~ごっくん、うんばうんば~・・・くちゃ、くちゃ~」
呑み込んだ後、再び一部を吐き戻し、くちゃ、くちゃ噛みながら、言い訳じみた事を言った。
「そらこれらも食え!」
二人に野菜も勧めた。
「これはなかなかいけますね」
「ほんまにうまいでおますでございます、ぶひ~」
確かに肉は脂が乗っていてうまかった。
「これは朝鮮から連れてきた料理人が作った、先ほど、話した唐辛子と大蒜の利いた白菜漬けの沈菜じゃ、うんばうんば~・・」
さらに、太閤は箸で、唐辛子で真っ赤に染まった漬け物を指し示した。
「これを作った者は、李王朝の宮廷料理人で、宮廷料理が専門じゃが、こんな物もうまく作るのじゃ・・文禄の役のおり、日本の偉大な大君(たいくん)に、わしの事じゃが、是非、自分の料理を食わせたいと亡命を希望じゃ!偉大な大君などとぬかしおって、胡麻(ごま)擂(す)りめが!はっはっはっはっはっはっはっ~・・上官の愛人を寝取ったとかで、追われておったそうじゃ・・かの国でも色事は揉(も)め事の元じゃな、わっはっはっはっはっはっ~」
ダジャレまで交え、沈菜伝来の講釈までした。
「まったく・・・・」
「色事、揉め事、難儀やなでございます、ぶひ~」
太閤に勧められるまま二人は沈菜を何気なく口に頬張った。所が、次の瞬間、五右衛門と鬼丸は、唐辛子のあまりの辛さに、舌の先までピリピリし、喉の奥までヒリヒリとなり、思わず畳から三尺あまり跳び上がった。
「かふ~かふ~かりゃぱぴぴぺぽ~何じゃこりゃさ~からい~たちゅけて~」
「うえっ~うえっ~っっっ~から~から~かりゃあ・・ぱぴぷぺぽ~ぶひ~ひっひっ~何じゃこりゃりゃえっさっさ~からい~たちゅけてどっぴ~でございます、ぶっひっっ~」
二人は畳上を転げ回り、同時に吐き出しそうになった。
「こら、こらあわてて頬張るな、わしも初めは口に合わんかったが、こう食べるのじゃ、うんばうんば~」
太閤も箸でひょいと沈菜を摘み口に入れ噛み始めた。
「うんぐ~どぴから~あっちあっちあっちっち~ふんぎゅ~うんぐうんぐごっくごっく~うみゃあ~・・今ではこの辛さに慣れてのう、暑い時にも寒い時にも身体がシャッキリとなり、なかなかのものだぞ、はあ、はあ~・・南蛮渡来の唐辛子と大蒜は身体の働きがようなるのじゃ、うんばうんば~ひえっっ~・・ただ唐辛子は食べ過ぎると痔(じ)になるから要注意じゃ、痛っててっ~て~」
太閤は意味不明な事を口走り、沈菜を美味そうにむしゃむしゃ食べ、その効能と弊害を語った。食べ過ぎると痔になる、ひょっとして太閤は沈菜を食べ過ぎ痔にかかっているのか?こんな疑問が二人の脳裏をかすめた。
こんな肉や漬け物を食べるのは二人にとって無論初めてであった。五右衛門達は諸国の野山を行き来し、どうしても食料が手に入らない時など、蛇や人家近くにいる犬を屠殺(ころ)して食べた事もあったが、牛の肉を食べるのは初めてであった。
「人間、切迫つまれば、なんでも食うでのう。行軍の途中や戦場では、食う物がのうなれば、何でも食ろうたわ。城攻めに合い籠城した者も、這(は)い出して来た蛇、ネズミ、それに馬などは真っ先じゃ、でへねへうんばば~・・馬(ば)刺(さ)しなどと、美食ぶる暇などないぞ、ひひ~ん・・全てが生きる為じゃ、綺麗ごとでは生きられんからのう。わしも若いころは何時も食べ物には難渋(なんじゅう)した」
やっぱしあんたは太閤の偽者
太閤は肉をさらにくちゃくちゃ食べながら、こんな事を何気なく漏らした。
「所で、わしが先程言ったように、唐を征服した暁には、かの国の広い国土を子飼いの武将やわしの為に戦ってくれた武将どもにやろうと思っとったのじゃ、うんばうんば~・・何せわが国は山ばかりで田畑も狭く分け与える領地もない。それに戦乱が収まっても武士が百万とおる。何時また不満が爆発し内乱が起こるやもしれん。その点、明は広大じゃ・・それに内の不満を外に向ける、何時も支配者がやる手じゃよ、うんばうんば~」
これは太閤にとって大問題だった。昔から武士は御恩と奉公が表裏一体、太閤にも、武功を挙げたもの達は、その働き応じた報酬を期待した。それが領地など、形にした御恩や金品などの恩賞だった。
しかし、太閤は日本を平定した後、狭い日本には、御恩にする領地が無くなると言う大きな矛盾を抱えた。そこで止むなく唐入りを決行したとも言える。太閤は、唐入りの目的を真面目な顔で告白した。所が太閤ははたまた奇抜な事を言い始めた。
「じゃが、それは表向きの目的にすぎんのじゃ」
「表向きの目的?」
「ほんまの目的は何なんやねんでございます、ぶひ~」
その目的を聞こうと、二人は無意識の内に身体を乗り出していた。
「初めは唐入りなどと大風呂敷を広げたものの、戦が思うようには行かんようになってから、わしは動揺し、内心ささやかな目的に変えたのじゃ。ここだけの話じゃぞ。こんな事が他に知られたら大騒動じゃ。今のわしの本当の唐入りの目的は、・・・・・・・・、うんばうんば~」
何故かここで太閤は口籠った。それを内心変更した・・・当初の目的は挫折したのか?
「それは無論、領地を分配でしゃろう。それ以外におまへんなでございます、ぶひ~?」
「それが違うのじゃ」
「違う????領地を分配ではないのですか?」
五右衛門は聞き違えではないかと訝(いぶか)り、思わず大声で聞き直した。
「しっ~・・大きな声を出すな!壁に耳あり、障子に目ありじゃ、わしとて油断は成らん、うんばうんば~」
芝居がかった大袈裟な身ぶりと動作で辺りをくるりくるり見廻し、口に指をやり口止めするような仕草を見せ、小声で言った。
「実はな、五右衛門と鬼丸、内密じゃぞ、うんばうんば~・・・もっと近くに寄るのじゃ・・・」
太閤は又も芝居がかった仕草で二人に手招きし、近くに来るよう促した。
その仕草には何か滑稽ささえ漂っていた。
「ここだけの話じゃ、本音を言うとな、唐行きの真の目的は、かの国の宮殿で皆を集め、盛大に焼き肉大会をやろうと思っとるのじゃ、盛大にじゃぞ~、うんばうんば~」
小声でとんでもない事を言い出した。
「焼き肉大会!ええっ~、宮殿に皆を集め、盛大に焼き肉大会ですか???それが唐行きの本・・・本当の目的・・・でございますか」
思わず五右衛門は聞き返した。
「うんにゅ、ぶひ~何たるこちゃでございます、ぶひ~それほんまの事かいなでございます、ぶひ~・・・・」
二人はあんぐりと口を開け顔と顔を見合わせた。
「しっ~声が大きい・・そんなに大きな声を出すな!」
すかさず、太閤は口に指をやり、二人を制した。そんな馬鹿な!馬鹿げている、ありえん!太閤は頭がどうかしている、狂気の沙汰だ。何十万の将兵を海まで越え朝鮮に派遣して、唐を征服した暁には、そこで焼き肉大会、それが唐入の本当の目的!ありえん!太閤がこんな事を言うはずがない。昨夜からどうもおかしい、これは太閤の皮を被った偽物に違いない。二人は懐疑的な眼差しで太閤を睨(にら)みつけた。
「そうじゃ・・・、わしは唐入りが成功した暁には、朝鮮の料理人に焼き肉料理などの腕をふるってもらわねばならんと考えておった、じゃがしかし・・・・」
太閤は言い淀んだ。
「じゃが、そうはいかんじゃろう。わしがこんな事を言いだせば、国中、蜂の巣を突っ突いたような大騒動になるのは明らかじゃ。冗談に決まっておる、冗談に決まっておる、うん、うん~・・少し酔いが回ったかもしれんな、うんばうんば~」
太閤は酒にかこつけてこの話を否定した。しかし、五右衛門と鬼丸には、その如何にも残念そうな太閤の表情からして、唐行きの本当の目的が焼き肉大会であるとは、まんざら冗談とも思えなかった。
「ほんまに冗談でおますかでございますか、ウイ~ぶひ~」
鬼丸は尚も真顔で追及気味に言った。
「食べてばかりいて飲んでおるか!一献(いっこん)とらす、そこの丼(どんぶり)を取れ、お前もじゃ鬼丸・・」
だがしかし、太閤はその質問を無視し、ちびちび遠慮がちに飲んでいる二人に気付き、半ば命令口調で言った。
「さあ飲め・・これは、灘の生一本じゃ、ぐ~いとやれ、ぐい~とな!」
そして、大徳利を抱え上げ二人の丼になみなみと酒を注いだ。酒を飲みながら、先程から太閤が言っているのは、やはり冗談なのか、殿下も大分酔いが回っておられる、焼き肉大会が唐行きの本当の目的であるなら太閤の頭はどうかしている、と五右衛門は改めて思った。しかし、何と言う奇抜な発想なのだ。
「殿下、焼き肉よりも、唐では、唐料理を・・・」
そこで思わず五右衛門が呟いた。
「はっはっはっはっはっはっ~わしが食い物の事ばかり言うので先回りしたな、うんばうんば~・・・実はそれも考えていた。わしは庶民派じゃから、先ずは、唐では鶏の空揚げかな、次に餃子、唐では水餃子じゃ。これらは淀の口には合わんかもしれん。何せ淀はお市様のお子、お嬢様育ちのお姫様じゃからな・・」
「次に?」
「そうじゃな、中華飯や八宝菜などは・・それにわし専用に越前蟹(お市さまは越前北の庄城で自害)を持って行かねばならん」
彼が何時も飽きもせず食べていたのは、言わずとしれた越前蟹であった。この事からも、太閤が、如何に、お市の方に執着していたかが窺い知れる。それにしても、中華飯と八宝菜とは・・あまりにも庶民的ではないか?それはさて置き、ここでとんでもない事が勃発した。
「ういっっ~太閤はん・・わてに一言、言わせてもろうてもええか・・ひくひくっ~」
「構わん、言ってみろ」
「ういっっ~・・おおそれながらや・・ひくひくっ~どうも昨夜からおかしいで・・唐入りの本当の目的が・・ういいっ~・・宮廷で焼き肉大会するのが目的?・・それがほんまなら、こりゃ正気の沙汰やない・・もしかして、おまはん太閤はんとちゃうのやないか・・太閤はんの偽者とちゃうのか?ういっっ~ひくひくっ~」
鬼丸は酒を飲み過ぎ呂律が回らなくなった。
「ははははっ~わしが太閤の偽者・・・それはいい・・」
「そうや、ひくひくっ~・・あんたは太閤はんの皮を被った偽者や!」

天下を盗んだ大泥棒 第三部

天下を盗んだ大泥棒 第三部

  • 小説
  • 中編
  • 時代・歴史
  • コメディ
  • 成人向け
更新日
登録日
2013-05-26

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