天下を盗んだ大泥棒 第一部
天下を盗んだ大泥棒
影武者太閤と三人の五右衛門
神 谷 博 司
第1章
事の始まり
鳴いた千鳥の香炉
文禄三年(1594)八月二日
その夜、太閤は昼間の政務の疲れからぐっすりと寝入っていた。
もっとこっちへ来い・・・むにゃむにゃ・・・・・・
夢の中で太閤は、今まさに寝床に引き入れた肌の白く透き通った妖艶な女の腕を取って抱き寄せようとした。
だが彼は、自分が抱き寄せようとした女の腕の感触が、何か異様な物に感じられた。それは女の柔らかな肌の感触とは程遠い毛むじゃらで硬いものだった。
何じゃこれは?ざらざらとした感触が指先から伝わった。太閤は朦朧とした意識の中何か異変を感じ咄嗟に手を引いた。
丁度その時だった。
ちちちちちちっ~がちゃん~
異音が薄暗い寝所の空気を引き裂いた。
「あ!しまった!」
行燈の微かに灯る薄闇の中、突然誰かが小さな叫び声を上げた。
この一連の音は、寝台横の違い棚の上に置かれてあった陶器製の花活けに、何かが接触し、横にある千鳥(ちどり)青磁(せいじ)香炉(こうろ)に当たり、その弾みで花活けが床に落下して割れた時に発せられた。
ちちちちちちっ~・・
それは、まるで千鳥の香炉が鳴いて、太閤に身の危険を知らせるかのようにも聞こえた。
「どうした?」
「袖が花活けに・・」
問いかけられた男が答えた。
「何じゃ?」
そのけたたましい異音に太閤はすぐさま夢から覚め、一言呟いた。目覚めた太閤の視界をぬっと二つの黒い影が遮っていた。
「誰じゃ、狼藉者!」
思わず太閤が叫んだ。
「おっとっとっとっ・・お静かに!良い夢をぶち壊してすまんな、あんたが抱きついていたのはあっしの腕だよ。声を立てるとこの刀の切っ先があんたの喉を突き刺しますよ」
賊は太閤の喉元に刀を当てた。
腕を掴まえられたのは、約162センチほどのがっしりとした体格の男だった。
男は陽に焼け口元辺りは髭に覆われていた。彼は鋭い眼差しで太閤を睨みつけ、半ば恫喝するかのように言った。
「わっしの腕・・・・?なんじゃと????、でへねへうんばば~・・こら刀をどけろ」
太閤は本能的に叫んだ。
男の脅しに甘い夢は一気に霧散し完全に目覚めた。
五右衛門にはこの半ば六十近い、白髪交じりの皺茶けた老人が、その風采からして、天下を思うままに動かす男には見えなかった。
「一体、わしの寝所に黙って忍び込んだのはどこのどいつじゃ、うんばうんば~」
老人はあらん限り虚勢を張り思わず叫んだ。
「ふん・・どこのどいつ・・・大泥棒と言ってほしいね。あっしらは貧しい者からは金品は盗まない、巷では義賊と呼ばれている者だよ、ねっ、太閤さん!」
男は声を押し殺し最後は茶化すように言った。
「ねっ、太閤さんだと・・ううん・・うんばうんば~・・盗人に義賊などおらん。それでお前の名はなんじゃ?」
男の言い草に太閤はかちんときた。
「今評判の石川五右衛門ですよ」
「なぬ、今評判の右衛門?あの南禅寺山門の上で何か喚いておったとか言う?じゃがしょせんお前は蛙、いくら腹に息を吸い込み膨らませようと、わしの様な牛にはなれん、うんばうんば~」
太閤は男の反感をわざと買うように言い返した。
その態度は賊の二人には尚虚勢を張り続けているようにしか見えなかった。
「おっとっとっと・・太閤さんよ、あっしが蛙であんたが牛、なるぼど、あっしが蛙ほどのこそ泥で、あんたは織田家から国を盗んだ牛ほどの大泥棒、それで合点がいきましたよ。ですがね、牛だろうが猿だろうが、そんな人を侮辱(ぶじょく)した態度はここにいる鬼丸も許しませんよ。今のご自分の立場を、よ~・・く考えてごらんなさい、ま、せ・・」
痛い所を男はついた。
鬼丸と言われた男は五右衛門と違い身長155センチ余りの小太りの男だった。彼はそれまで五右衛門の影の様に付き従っていたが、この時ばかりはあたかも自分を誇示するかのように顔を前に突きだし太閤を無言で見詰めた。
「何じゃと、わしが・・・織田家から国を盗んだ大泥棒じゃと、今の自分の立場じゃと、うんばうんば~」
むっとして太閤は男を睨みつけた。
「そうですぜ、あんたはあっしら以上の大泥棒、国をちょろまかした大泥棒じゃありませんか・・しかし今、いくら虚勢を張ってあっしらをおどそうとも、今のあんたは裸どうぜん、あっしらの掌中の虫、ちっぽけな虫けらじゃあございませんか、へっへっへっ~・・あんたの言葉を借りりゃあ、あっしらが牛であんたは蛙・・ちっぽけな老いぼれ殿様蛙、へっへっへっ~」
男は冷笑した。
「何じゃと!老いぼれ殿様蛙!ううううんっ・・えええいっ!・・御託(ごたく)はよい。何が欲しいのじゃ、まさかわしの皺首ではなかろうな、うんばうんば~」
身体を小刻みに震わせ、髭のあたりをぴくぴくさせ、良く通る金切り声で叫んだ。
「皺首と言ったらどうします」
男はなおも侮辱するかのような口調で言った。
「何わしの皺首、冗談はやめろ・・はっはっは、わしの皺首は一文の値打もない。もっと欲しい物が有るじゃろう・・・・」
太閤は半ば仰天し、意図的に話題を逸らそうとした。
「成程まだ命はおしいとみえますね。ではこんな返答だったら御満足ですか。太閤殿下の寝所に忍び込んだのは名声と盗人としての誇りを得る為・・どうですか」
男はさらりと受け流し自分を主張した。
「成るほど、名声と盗人としての誇りか、そのほうが賢明じゃ」
寝台上で身を起こし、太閤は少し落ち着きを取り戻した。
「おっと太閤さんよ、あんたは中々の策師・・話題を上手く逸らせましたね。まあいいでしょう、所で、あっしらがここに来たのはあるネタをあんたに暴露する為ですよ」
男は本題を切り出した。
「あるネタ?それでそのネタは何で黄金(かね)は幾らじゃ」
太閤は冷静さを装って答えたが貧相な口髭がピクッと神経質に動いた。
貧相な口髭、就眠時以外彼は口元に立派な付け髭を付けていた。これは威風堂々とした自分を見せる為の演出であった。別の例を上げれば、武将や家臣に上段のまで接見する際、分厚い金ぴかの座布団とその脇の脇息に肘を掛けふんぞり返り座ったり、時には主君であった信長の遺品、南蛮渡来の黒檀で造られた椅子を持ち出し、それにどっかり腰掛け、相手を見下ろすようにした。所が、今の太閤は五右衛門達の眼前に裸同然、年老いた皺茶けた素顔を晒していた。
「黄金ね?・・」
皮肉めいて五右衛門は呟いた。
「そうじゃ、黄金じゃ・・黄金何枚じゃ・・えええい・・わしも天下の太閤、お前らの望みの黄金は幾らでもくれてやる。それでその種はなんじゃ」
太閤は、自分の寝室に五右衛門一味が忍び込んだのは黄金目的と決めつけていた。
「黄金、黄金ね・・成り上り者の良く言う台詞ですね」
「何じゃと、成り上がり者、うんばうんば~・・」
「おっとっとっと・・そんなに興奮しなさな・・頭の血管が謙信公のようにプッと切れますぜ」
「うううんっ~・・」
「そうそうネタでしたね・・驚いちゃあいけませんよ。あっしとここにいる鬼丸が、一昨年(文禄元年)淀の御方様の寝所を天井裏から覗いていますとね、驚いた事に御方様が若い男と一緒におみえになるじゃありませんか。お拾丸(ひろいまる)君が生まれたのが昨年・・その一年前若いつばめが淀の御方様のお部屋にすいすい出入りしておればこれは大問題、へっへっへっへっ・・・」
薄ら笑みを浮かべ男は太閤の反応を窺った。
一瞬、太閤の顔面が異様に引きつった。
「なにっっ・・淀が若い男と寝所に、ううううっ・・それがネタか・・・うんぐっ・・・・」
太閤は心の動揺を抑えきれず呻(うめ)くように応えた。
太閤には思い当たるふしがあった。
そのころ彼は明への出兵の準備の為、九州肥前名護屋城に多くの期間滞在していのだった。
「殿下、考えてもごらんなさい。若い男が寝所にいること事態おかしいじゃありませんか、しかも夕刻に・・お拾丸君も巷の噂どおり誰の種かわかりませんね、へっへっへっ~・・」
「何いっ~・・、お拾丸が誰の種かわからん?わしはそんな作り話にはのらん!そんな噂をする奴は厳しく処罰してやる。じゃがそれより、お前達が淀の寝所に行ったかどうかも疑問じゃ、うんばうんば~・・」
太閤の顔が真っ赤に赤らんだ。
「おっとっとっとっ・・・、そう来るだろうと思いました。所うがですよね、驚いちゃあいけませんよ・・あっしらには偽種(がさねた)ならんれっきとした本種(ほんねた)があるのでございますよ、へっへっへっ~・・」
男はいやらしい口ぶりで。
「なに!れっきとした本種があるじゃと?」
驚いた様子で太閤。
「はい、これですよ・・・どうです」
男は懐からおもむろに何かを取り出し太閤に見せた。
「何?こっこれは・・うううっ~・・、これはわしが淀に贈った南蛮渡りの手鏡、ううううんん~・・・・・確かに忍び込んだ証(あかし)じゃ・・・」
一瞬、太閤の顔面が蒼白になり、表面の皺茶けた皮膚が引き攣(つ)り、かなり動揺しているのか髭がぴくぴくと動いた。
「どうでございます、太閤さんよ、だいぶ驚きの御様子、髭がぴくぴく動いてるじゃあありませんか、へっへっへっへ~・・」
「なんじゃと、髭が・・ええいっ前置きはよい。それで黄金はど、ど、ど・・のように運ぶのじゃ」
「太閤さんよ、一言言わしてもらってもいいでしょうか。あんたはあっしらが端から黄金目当てでここに押し入ったと自分勝手に決めてお見えですが、そうじゃあありませんぜ・・」
「なんじゃと、黄金ではない?現にお前は手鏡でわしを脅し黄金を奪おうとしているではないか」
「黄金を奪おうと・・それはあんたが勝手に決めているだけ。手鏡は大分効いたようですね。あっしらはね、あんたの自尊心をずたずたにしてやろうとここに来たのですぜ」
「何じゃと、わしの自尊心をずたずたにじゃと!」
「現に動揺したのか、顔の皺が小刻みに震えているじゃあございませんか」
「皺が小刻みに・・ううん・・・無礼な、わしは淀を信じておる」
「まあそんな戯言(ざれごと)はこの際無しにしましょうか。本音を言えばあっしらは、あんたを殺しに来たのですぜ」
「何!お前はさっきわしの皺首はいらんと言ったではないか」
「まああっしの話をお聞きなさいよ。最初、
あっしはあんたの御命を頂戴しようとここにきたのですがね。それがどうですか、あんたの寝顔を見ている内に気が変わったのです。石川と言えば何か思い浮かびませんか?」
「石川?・・・わしの記憶にはない」
この言葉は本音であったが、その時、彼にはこの盗人と称している者達の輪郭がぼんやりと浮かんで来ていた。
「ほほう・・・あんたも大分呆けましたね。本音としては、今すぐにでもあんたのその皺首を頂戴したい所ですが、あっしはあんたと違い血を見るのが嫌いでしてね。早い話し復讐に来たのですよ。今すぐにでもあんたを刺し殺したい心境ですよ」
「なぬ・・復讐!わしを刺し殺す・・盗人としての誇りと名誉ではなかったのか・・ううんっっ~・・」
太閤は五右衛門のそんな含みのある言葉に狼狽した。
話しの流れによっては最悪の事態も予想された。
「まあ、あっしの話をお聞きなさいよ。最初あっしとここにいる鬼丸はあんたを殺そうとここに来たのですぜ・・所うが、あんたの白髪頭とその皺くちゃな顔を見ている間に、馬鹿らしくなりましてね・・こんな老いぼれに十数年間、憎しみを抱き、盗人にもなり下がり生きてきた自分にも嫌気がさしたのでございますよ。それにしても、何処の馬の骨とも知れん男がこの国の関白にまで昇進(のぼ)り詰め、傍若無人、好き勝手に血を流し、やりたい放題、全く呆れかえるじゃあありませんか。あんたは大した役者だ」
五右衛門の言う通り、太閤の父は木下弥右衛門、母はなかで、現在の名古屋市中村区の足軽か農民の出であろうかと言われているが、現代でも何処かの独裁者がやるとおり、彼は御伽衆の一人大村由己に幾つかの伝記を書かせ、その経歴を詐称、捏造し、あたかも自分が高貴の出であるかの様に装っていた。
「何処の馬の骨ともわからん男が・・戯言をぬかすな・・わしはある公家の後胤(こういん)じゃ、高貴の出じゃぞ・・その舌を引き抜いてやる・・」
「良くある出生の捏造・・ある公家の後胤ね・・老いぼれ爺(じじい)の最後の悪足掻き・・醜いね、太閤さんよ。言ってみれば、あっしらも元を正せば石川一門・・・・」
五右衛門は更に話を続けていたが思わぬ事態が起こった。
「痛てててっっ~・・・・・」
「どうした鬼丸?」
「ちくしょう、さっき床に転がって割れた陶器の破片が足に突き刺さってしまった」
「大丈夫か?」
二人の視線が一瞬太閤から離れた。
正にその時だった、がちゃ、ずずっ~・・どっぴんしゃん、がたん~・・す~・・・・・寝台上で何かが引きずられるような大きな物音が部屋中に響き、太閤の姿は寝具と共に彼らの眼前から跡形もなく消え失せていた。
さまざまな処刑
文禄三年八月二十四日
天正十一年(1583)、豊臣秀吉が賤ヶ(しずが)岳(たけ)の戦いで勝利し、その後、天下をその掌に握ってからおよそ十一年の歳月が流れていた。
文禄元年(1592)より始まった文禄の役は、講和が成立したかのように見えたが、交渉が決裂し再び唐(から)入(い)りの時が刻一刻と迫っていた。国内はこの無謀とも言える役により疲弊(ひへい)し、諸大名も不満をじょじょにつのらせていた。
そんな時この事件が起こったのだった。
その日まだ夜も明けきらない暗闇の中、まるで大きな河の流れのように人の集団が、砂埃を捲き上げ、絶える事なく処刑場がある京都三条河原に向い流れていた。
人の集団が移動するにしたがい、身体内部から発せられる体熱と人が触れ合う摩擦熱が微妙に混ざり合って、辺りの温度までもが異常に
上昇していた。
夜明けとともに、太陽が眩く輝き始め、三条ヶ原に行きついた観衆の額からは玉のような汗が滴り落ちていた。この人の流れは、二十日ばかり前、大泥棒石川右衛門とその一味の処刑予告の高札(こうさつ)が、辻(つじ)ごとに立てられ出来たものだった。高札に書かれた大泥棒を大釜で揚げるという前代未聞の釜(かま)揚(あ)げの刑が、人々の好奇心をかき立て、噂は近隣の街や村々ばかりか、遥か遠方諸国にも広がって行った。その高札には、五右衛門釜揚げの刑の他に、様々な処刑が行ると詳しく告知されていた。
そのため、処刑場と観客席を仕切る竹矢来(たけやらい)(柵)の周りには、観客席がまだ完成しない内から、場所取りの筵(むしろ)を敷こうとする、がめつい者どもも数多くあらわれたが、そのつど、警備の役人達により追い払われた。
その有様は、昨今の夜桜見物のため、何日も前から場所取りをする行為にも似ていた。しかも、その連中は、筵を敷いたその場所を高額な値で売ろうとまで画策していたのだった。
それに加え、刑場の周りでは、これも祭りなどでお馴染の屋台の数々が、その当日に合わせ、忙しげに準備に取り掛かっていた。
所で、石川五右衛門はどんな罪を犯したかと言えば、伏(ふし)見(み)城内の太閤殿下の寝所に忍び込んで、太閤を脅し、黄金を盗み取ろうとしたと一般には言われている。その時どんな大捕物劇があったか知らないが、今となってはその経緯は明らかではない。
昔から逸話として、五右衛門が太閤の寝室に忍び込んだ時、寝台横の棚の上に置かれてあった千鳥の香炉がけたたましく鳴いたので、その異様な物音に太閤が気付き、駆け付けた警護の者と五右衛門との間で一騒動あったと言い伝えられている。
この不埒な盗賊に対する太閤の怒りは激烈で、単に獄門(ごくもん)磔(はりつ)けでは腹の虫が到底収まらないと極刑に処す事となった。
「わしの寝所に忍び込んだ此奴らめ!このこそ泥め!絶対に許さん!切り刻んで烏(からす)の餌にしてやる!いや待て?それではわしの腹の虫が収まらん、うんばうんば~」
太閤は五右衛門を捕縛した時、ヒステリックな金切り声で怒鳴りちらし、その声は伏見城の天守閣まで響き渡ったと言われている。
ではこの物語で、五右衛門が釜揚げの刑に処せられる一連の経緯を、太閤自らが語る戦国話をまじえながら書き進めていこう。
その朝、六時きっかり、京都所司代正面大扉が開かれると、後ろ手に縛られた五右衛門を先頭に、二十人ばかりの男女を背に乗せた馬が引き出された。その中には五右衛門の女やまだ頑是無(がんぜな)い子供もいた。
五右衛門やその一味は、拷問や長い投獄のためか、皆一様に青ざめ、髭面の顔はやつれて見えたが、それでも一行は虚勢を張り、ぴんと背筋を伸ばし、ふてくされた様子で馬の背で揺られていった。
「おい!五右衛門!辞世の句はどんなや!ここで詠んでみい。大泥棒なら洒落た句ぐらいは詠めるやろう」
野次馬がひしめく沿道を進んで行くと、見物人の誰からともなく声が掛けられた。
「馬を止めておくんなせえ」
五右衛門が馬引きに声を掛けた。
その声に合わせ馬引きが馬の足をとめた。
「みなの衆聞いておくんなせい・・ごっほん・・・」
五右衛門はかっと目を見開き、おもむろに大きく咳払いした。
「石川や 浜の真砂(まさご)は 尽(つ)きるとも 世に盗人の種は尽きまじ!」
それから周囲を見廻し、まるで英雄を気取りで、それに応えるように朗々と時世の句を詠んだ。
「よう、かっこええで~・・千両役者~・・石川屋、よおきまっとるで~・・」
野次馬は、その句を聞くと、やんややんやと拍手喝采し、一段と大きな声で声援をおくった。
刑場まで一行は、観衆の好奇な眼差しと罵声の飛び交う中、警護の役人に守られ、沿道の人垣をかき分けながらのろのろ進んで行った。
太閤より、この五右衛門処刑の総責任者として命令を受けたのが京都(きょうと)所司代(しょしだい)・前田(まえだ)玄以(げんい)だった。玄以は元はと言えば比叡延暦寺の僧であったが、信長にその才能を見いだされ家臣になった。本能寺の変の折には、信忠と共に二条御所にあったが、光秀の追手を逃れ、秀忠の嫡子・三法師を伴い、岐阜に脱出、その後清州城に難を逃れた。その翌年、信長の次男・信雄により京都所司代に任ぜられたが、変の後、羽柴秀吉、後の太閤秀吉の家臣になった。彼は事務方として有能な働きをみせ、その私欲の無い誠実な人柄により歴代の主人からの信頼も厚く、豊臣政権下では朝廷との交渉役を務めた。その風貌は小柄でずんぐりとしており、顔は丸顔、その鼻は団子鼻に近かった。
彼は当日、処刑場内に五百名ほどの警備役人を配置し、さらに近くの河原には五百名ほどの刀、槍、さらに火縄銃を装備した兵達を、人目を避けて配置していた。
太閤が、五右衛門処刑の為造らせた刑場の規模はとてつもない規模だった。それは今で言う観客数、一、二万人ほど収容出来るサッカー場程の大きさで、その一角には、五七桐家紋入りの幕が張りめぐらされた二百人ほど収容出来る観覧席も作られてあった。この席は、傾斜状に河原の土を固めただけの一般の観覧席とは違い、特別ゆったりとした床張りの桟敷席(さじきせき)だった。そこに太閤と淀の方は言うに及ばず、公家、諸大名、高官、さらに裕福な京都の名家、商人、堺の豪商達が顔を揃えていた。
その席では、招待客達が、何種類かの惣菜が詰められた豪勢な仕出し弁当を食べ、なみなみと酒杯に注ぎこまれた銘酒を酌み交わしながら、談笑に花を咲かせていた。その光景は、まるで何かの見世物を観覧するかのようであった。
午前の処刑開始
処刑は午前と午後の二部に分れていた。
午前の処刑は早朝七時より開始された。
どーんどーんどーん~・・
腹の底まで揺する太鼓の連打の音が広い刑場全体に響き渡った。
処刑は木組みの櫓(やぐら)の上で、今で言うメガホンをしっかり握りしめた進行役人が、順次、罪人、罪名、罪状、刑罰を読み上げ厳格に行われた。
既に罪人達は所定の位置に集められていた。
樫の棒叩きの刑
原黒金蔵他二十数名、金蔵は五十歳ぐらい、顔は丸顔、小柄で腹が肥満のため前に突き出し、いかにも守銭奴風、大坂の商人仲間でも評判の悪い男だった。
特にあくどいやり方で不正を働いたため最初に槍玉に上げられた。彼等は今停戦交渉中の文禄の役の折、混乱に乗じ不当な価格で米やその他の穀類を各武将に納入した廉で告発を受けた。刑罰は樫(かし)の棒で百叩きの上、家財没収、畿外(きがい)に追放された。
刑場に引き出されると、彼等はまず着物を剥がされ褌(ふんどし)一枚にされた。それから斜めに置かれた台に荒縄できつく両手両足を縛られた。台に縛られた金蔵の浅黒い身体は、醜い肉の塊が蠢(うごめ)いているように観衆には見えた。
準備が整うと進行役人が櫓の上から太閤の顔を見る。
太閤は、やれと合図を右手で送った。それを見た進行役人が櫓下の刑執行係りの上役に大声で伝達。
「樫の棒叩き百発!きつくやれ!」
上役が大声で下っ端役人に命令。
さらに下っ端役人が刑を行う下役(しもやく)に合図。
大きな掛け声とともに、白装束、荒縄襷掛けの下役が樫の棒を振り上げた。
「一発!」
見物の観衆も大声で音頭を取り合唱。
びっしゅうん~・・ぐしゃ~・・
樫の棒は鞭のようにしない、罪人達の身体に向け容赦なく振り下ろされた。
棒はむっちり脂ぎった金蔵の醜い尻(けつ)に鈍い音を立て喰い込む。
うんぎゅ~・・・・
「ええで・・・もっときつう叩いたれや!」
悲痛な叫び声が罪人達から上がるが、観衆の怒号でかき消される。
刑場内は処刑される者の悲痛な叫び声で満ちあふれ修羅場とかした。
「もっともっときつう叩いたれや!」
観衆からはそんな罪人達のうめきや悲痛な叫び声を無視するかのように至る所から猛烈な野次が飛ぶ。
罪人達の体内時計の歯車がぎりっぎりっと静かに回り続け、この呵責(かしゃく)ない殴打の時間は永遠に終わらないように思われる。
遂に最後の一発。
「百!」
ぎぎぎしゅ~・・ん~・・・・・
「うっ・・・・・・」
下役達は渾身(こんしん)の力を棒に込め、最後の一発を叩き付けた。
大半の者はその痛さに耐えきれず、息も絶え絶えになっていた。
「どうじゃ淀良い見世物じゃろう、あれぐらいやらんと、奴ら金の亡者の腐った性根はなおらん」
太閤は付け髭をくるりくるりと捻じ曲げながら淀の方に声を掛けた。
「ほっほっほっ~・・お尻があんなに真っ赤に、猿のお尻みたい、さぞや痛いでしょうね・・殿下もお人が悪い事・・」
猿のお尻などと、猿顔の太閤に当てつけがましい口調で淀の方は言い、愛らしい眼差を向けた。
原黒金蔵他全員が、樫の棒叩き百発を終えると、激痛のあまり息も絶え絶えになり、動く事も出来ず戸板で場外に運び出された。
逆さ宙吊り水責めの刑
樫の棒叩き刑に並行し、逆さ宙吊り水責めの刑の道具類が既に準備されていた。樫の棒叩き刑の道具類が素早く片付けられると、直ぐに、雷光(いなずま)屋(や)名柄次郎左衛門、三郎左衛門兄弟、他にこれに関わった武器弾薬納入役人二十数名が引き出された。彼等も文禄の役の折、武器弾薬その関連の粗悪品を、これら役人達を買収し、納入した罪にとわれた。彼等が納入した火薬類は粗悪品だった為、多大な人的被害を各戦線で引き起こした。
罪状を読み終わると、進行役人が太閤の顔を見る。
太閤は、おもむろに片手の指五本をかざし二回振った。
進行役人が頷く。すぐさま櫓下の上役に大声で伝達。
「十回だ、始めろ!どっぷりと浸けてやれ!」
上役が合図を受け取り、下っ端役人に大声で命令を下す。
「浸けろ!」
それを聞き下っ端役人が、一斉に命令を下役に下すと、彼等は三又に組まれた丸太の上部に取り付けられた釣瓶(つるべ)の滑車の縄を引き揚げ始める。
からから~・・ころころ~・・
滑車が軽快な音をたて、足から逆さ吊りに罪人を引き揚げ始めた。
何故か、雷光屋兄弟だけは、背中合わせに縛られ、もがきながら空中に身体が揚がって行く。
分り易く言えば、共同正犯と言う訳だ。
かなり引き揚げられてから、兄弟はするするする~・・と真下の水が一杯張られた木製の大桶に頭から降ろされる。それに伴い、桶から水がざざざっと溢れだした。
浸けるのは一回、二分間、かなりきつい。
一秒、二秒・・・時間だけがのろのろと経過。
「揚げろ!」
それを聞き下っ端役人が同じ様に下役に命令を下す。
からから~・・ころころ~・・
うんぶぶぶ~・・
引き上げられると、罪人達は皆一斉に口から水を苦しそうに吐きだした。
「もう少し長うやったれや!」
「生ぬるいわい!」
「もっと浸けたれや!」
野次馬の無責任な罵声。
十回が終了、尚、続行か?
進行役人が太閤を見る。
さらに十回の合図。
進行役人が太閤の命令を上役に伝達。
刑が終わると、全員、しこたま水を呑み込み溺死(できし)寸前の状態だった。
「どうじゃ淀、水責めじゃ・・わしは水責めが得意じゃ、はっはっは~・・」
太閤はさも可笑しそうに笑い淀の方の顔を見た。
「まあまあ・・あんなに口から水を噴き出して、まるで噴水のようです事、殿下も残酷ですね・・ほっほっほっほ~・・」
淀の方も笑いながら、さも驚いたような顔を太閤に向けた。
黄金の延べ棒引き伸ばしの刑
次に刑に処せられたのは、とんでもない連中であった。事もあろうに、太閤のひざ元でこれは起こった。金盛総八郎は金庫番総責任者でありながら巧みに出納帳簿を改竄(かいざん)し、六名の部下と結託し裏金を作り、飲み食い、博打、女遊びに公金を流用していた。彼等の金使いの荒さが次第に人の噂に上り、監査役が帳簿を綿密に調べた所、その不正が発覚した。
「てめえら帳簿に細工して金をくすねやがって、まるで泥棒と変わりないやないか。その金で飲み食い、博打、女遊びかよう。どの面下げて役人風ふかしとるのや。なんや皆ふてぶてしい面しくさって、ぐいぐい引き伸ばしたれや」
「そやそや、女抱くにも裏金からなんてようやるわ。わしにも金回してくれや」
「人間の屑やな、お前ら!」
こんな罵声も、騒然とした雰囲気の中でかき消され、罪人達が首をうなだれ引っ張り出されてくる姿だけが観衆の視線の中にあった。
逆さ宙吊り水責めの刑のすぐそばで、刑執行中もこの刑の準備は進められていた。この刑は予め丸太を物干し状に組み、その上に太い孟宗(もうそう)竹(ちく)を竿のように渡してあった。刑が始まると、その竿に洗濯物のように七人の両手を縛りつけ、さらにその両足の付け根をがんじがらめに縛り、そこに黄金の延べ棒をぎっしり詰めた箱(約50~・・70kg)を括り付けた。その箱の下の丸太を外すと、両手を縛られた身体は宙ぶらりん状態に成り、黄金の重みで身体が引き延ばされ、縛られた手首や足首に荷重が掛り、引きちぎられそうな激痛が襲う仕掛けだった。言ってみれば、人間引き伸ばしの刑である。
「金くすねた奴等に黄金で処罰、分り易い、こりゃあおもろい、ぐいぐいやったれや!」
太閤は、おもむろに右手を振り、外せの合図をおくる。
「外せ!」
進行役人が櫓下の刑執行人の上役に太閤の命令を大声で伝達。
下に控えていた上役が合図を受け取り、下っ端役人に大声で命令を下す。
「丸太を外せ!」
「外せ!」
下っ端役人が下役に命令を下す。
下役の一団が素早く動く。
ぎりぎりぎり~・・めりめり~・・
丸太が外された。
孟宗竹が人の重みと黄金の延べ棒の重みでたちまちぐいっ~・・と大きくしなり鈍い音を立てる。
「お~・・い、干(ほ)し蛸(だこ)のようだぜ」
「いつまでもぶらさげてやれ~・・。お前らのせこい根性はなおらんで~・・」
「あれ見てみい、顔が真っ赤やで、干し蛸やのうて茹で蛸こや!」
ぐっぐっつ~・・ののびび~・・る・・・ううううっつ~・・
刑が終わると彼等全員伸びきっていた。
「どうじゃ淀、奴等も応えたじゃろう」
「まあ~・・まあ~・・、あんなに伸びきって、でも黄金でお金の不正を正すなんて、殿下分り易く、洒落た刑です事、ほっほっほっ~・・」
「そうじゃろう、分り易いじゃろ、ううんうん・・・」
太閤は淀の方に褒められると悦に入り、にっこり微笑んだ。
罪人は皆歩行困難になった。
黄金の延べ棒ならぬ人間の延べ棒完成、戸板で場外へ運び出された。それでもお膝元の大坂城で起こった不正であったので、太閤は許さず、密かにこの者達は斬首の刑に処せられた。
富士山の氷漬けの刑
この刑は現代で言えば、いわゆる箱物と言われる巨大建造物に絡む、不正事業である。これらの建設には膨大な費用が掛り、利幅も大きい。そこで、土木建設治水方役人(現代の建設省官僚)と総合工事請負業(現代のゼネコン)、さらに、それに関わる商人が結託し、長年に渡り無駄な巨大堰を捏造した資料に基づき建設し多大な利益を得た。
これら関係者が癒着して不正利益を上げる構造は、あれこれ品々を変え、現代も続いている。この処刑でも、幹部役人やこれら請負業の元締め達は裏で工作し、部下に罪をなすりつけ、何ら罰を受ける事はなかった。
「頭と身体を冷やして反省しろ」
「冷めて~・・か・・・・」
「長年の罰だよ罰!」
「もうこりゃなおらんで・・・わいらが飢饉で苦しんでいるのに・・・」
わいわいがやがや野次馬の声が響く!
罪状を読み終わると直ぐに刑が執行された。
「氷を入れろ!」
進行役人が櫓下の刑執行人の上役に太閤の命令を大声で伝達。
「氷を罪人の入った木の樽に注ぎ込め!」
下に控えていた上役が合図を受け取り、下っ端役人に大声で命令を下す。
「どんどんそそぎこめ」
下っ端役人が下役に命令。
がらがら~・・ざらざら~・・
すかさず下役が氷を木樽に大鋸屑の詰められた冷凍庫から取り出し入れ始める。氷は音をたてながら木樽に吸い込まれて行く。
是非はともかく、これは明快なやり方であった。無駄な事業を凍結、それに関わった者達を氷で凍結、分り易く洒落のきいたやり方ではないか。
「ああ~・・やってられないよ、金、金、金の世の中だ、正直者が馬鹿を見る・・・所でわしって正直者・・?」
「よういうわ・・あんたは正直者やない、詐欺師、ぺてん師、それになにより助平な女(すけ)こましや!あんたも凍結してもらいいな!」
うんぶるるんぶる~・・わしらに罪はない~・・一方、罪人達は唇も青紫色に変色、歯をがちがちいわせながら、まだ自分達の正当性を主張し反省の色全くなし。
「おーいこちは暑いぜ、冷やっこくてええな・・・うらやましぜ、天然の氷風呂かよ~・・う。それにしても、夏に氷、太閤はんは贅沢やな」
ぐぎ~・・ぶるぶる~・・
「声なんか出さなくていい」
「・・・・黙って浸ってろ!・・・・」
「どうじゃ淀、涼しげな刑じゃろう。わしは暑いがのう」
刑が終わると太閤は汗を拭きながら淀の方の顔を見た。
「あんなに唇も青紫色で、殿下、皆こちこちですわ。氷漬けで無駄な事業を凍結、罪を犯した者たちも凍結、ほっほっほっ・・・誰でございますこんな珍妙な刑を思い付いた者は、ほっほっほ~・・」
淀の方は身体をぶるぶる震わせた。
熾渡りの刑
この刑は文禄の役の折、敵前逃亡した者達を罰するため行われた。役では文治派の石田光成と、これら武断派とも言える武将との間で、さまざまな軋轢が起こり、この刑は光成が陰で糸を引き画策したと噂され、その後、関ヶ原の戦いで、これら家臣を公の場で罰せられた武将達は、皆東軍についた。
この刑は薪を燃やし出来た熾きを、長さ五〇メートル、幅五・五メートルに渡り敷き詰め、素足で渡るものだった。この灼熱の刑を受けた者は総勢百三十あまりであったが、渡り終えたのはほんの一握りだった。
氷漬けの刑が行われている間も、観衆の前面で、刑に備え敷き詰められた柴や薪が白煙と赤い炎をあげぱちぱちと音をたてながら燃え盛っていた。
「成程なあ、熾の上を走り抜けるちゅうのは、逃亡を模してあるのか。こりゃあたまらんで!これは正に灼熱地獄やな、ただただ走るしかないで・・」
野次馬。
「あれ見てみい!黒田、加藤・・」
「それからあれは、福島、毛利、藤堂、小早川家の者達や・・・」
「多いな」
「待て待て、まだおるで・・」
「なんや、有馬や浅野、それに脇坂、九鬼家もか・・・まあどの家も腰抜けは、ぎょうさんおるな!」
「そこまで言ったらかわいそうやで・・悪いのは太閤はんや・・」
「しっ~・・聞こえたらどうするんや!」
こんな具合に、どこからネタを仕入れて来たか知らないが、野次馬たちは、罪人の家名を言いあっていた。
刑が始まると、貴賓席前面に敷き詰められた薪や柴は、巨大な真っ赤な熾きの敷物に変わっていた。一度に百三十三名が走り抜けるのは無理であったので、二十名ずつに分けられ整列させられた。
準備が整うと下っ端役人が処刑執行を命令する上役の顔を窺った。進行役人が太閤の顔を見る。太閤は、おもむろに持ちあげた右手を下ろした。
「開始!」
進行役人が櫓下の刑執行の上役に大声で伝達。
「順次走らせろ。立ち止る者は棒で追い立てろ。容赦するな!」
上役が大声で下っ端役人に命令を下す。
下っ端役人が火縄の引き金を引いた。
どか~・・ん~・・
号砲が鳴り響き、辺りの空気を引き裂く。
いよいよおよそ二十名ずつ、百十三名が灼熱の熾の上を素足で渡り始める。辺り一面パチパチ音を立てて燃え盛る熾きの輻射熱のため、役人や下役も処刑される者達も顔面が赤く染まり、全身も焦げくさくなり、噴き出る汗も瞬く間に乾き、白く塩が皮膚を覆った。
ひえ~・・あちちちち~・・
熾きに一歩足を踏み入れた罪人の足の裏は即座に焼け爛(ただ)れ始める。辺りに獣皮かスルメを焼いたような何とも名状(めいじょう)しがたい異臭が漂い始めた。まるで観衆が表現した通り灼熱地獄だった。
六尺棒をもった下役達は熱に逆らいながら必死に一団を追いたて、抵抗する者やコースから離脱しようとする者を容赦なくぼいたてた。
走りながら男達は盛んに悲鳴をあげる。
ひえ~・・あちちち~・・・・・
一団が走り終えると、次の一団が火縄の号砲とともに、次々に熾に追い立てられた。
途中転げまわりながらも、首尾よく渡り切たのは、染井重房、多尾八重見(加藤家)真柴唯(福島家)葛飾南斎(毛利家)本多鷹跳(藤堂家)の五名だった。
其の他、囲碁又座之門~・・小西長行等名前を連ねた者達は余りの熱さに途中で倒れたり隊列から離脱した。
太閤はこの刑が終わった後、淀の方に感想を求めず、何故かだんまりを決め込んだ。
「まあ、嫌な臭いが立ち込めて、こんな惨い刑など、発案したのは誰でございますか、殿下・・」
「光成りじゃ・・・」
不機嫌そうな顔をし太閤はぶっきら棒に応えた。
厚板叩きの刑・女を競りに
これは、言わば密通罪(姦通罪)とも言うべきものに適用された。悪質なものは正室や側室が間男をして出来た子供に、その家の家督(かとく)を継がせる、いわゆる御家乗っ取りを企んだ場合もあった。太閤がこの刑を行わせたのは何か曰く有りげであった。
この刑を欲する家は、これら密通した男女を紐で抱き合わせに縛り、奉行所に放り込めと通達した所、なんと二十四組の男女が放り込まれた。この中の大半は、正室が側室に悋気(りんき)し、差し出された者達だった。
男は板叩き百回の後、宦官(かんがん)並み(去勢)にし、女は、壇上で競りに掛けられた。
この板叩きの刑は、刑そのものより、女が競りに掛けられたため、助平(すけべ~・・)な男達に非常に人気があった。刑の後競りが始まると、観衆はやんややんやと喝采を浴びせた。
家名とその者の名前は伏せられてあったが、竜造寺家の妖艶な側室は堺の豪商、赤(あか)俵屋宗(たやそう)衛門(えもん)が高値で落札した。
観衆はただただ溜息をつくばかりであった。
「殿下、わしには分りませんが、これら処罰は重すぎるのではございませんか」
前半の刑が終わった時、淀の方が感想を述べた。
第2章
天井下の密事
ひえ~何よこの漬物は!
時をさかのぼること文禄元年、九月のある夕刻、五右衛門とその子分の鬼丸は淀城本丸御殿内、淀の方寝室天井裏に潜んでいた。
天井板に錐(きり)で小さな穴を開け、眼下の寝室を覗き込んだ五右衛門はおやっと思った。部屋の両片隅に置かれた燭台の蝋燭の炎は、微かに揺れ動き、辺りを薄ぼんやりと照らしていた。そんな雰囲気の中、二人の男女が楽しげに語らい合っていた。彼はさらに目を凝らした。男は若い、明らかに太閤ではない。彼は一瞬ギョッとし、穴から眼を離した。
それから再び覗き込み、聞き耳を立てると、二人の話し声が聞こえて来た。
「殿下もこの春(三月二十二日)朝鮮へ御出兵を決められ、今頃は肥前(ひぜん)名護屋(なごや)で陣頭指揮をなされ、日々、さぞやご苦労が多いことでございましょう。つい先日、肥前より戻られた時は、幾分お疲れのご様子でした」
「それはそうでしょう、殿下もお齢、心労は身体にお悪うございますからね」
「所が見かけとは違い、殿下は私が想像していた以上にお元気で、淀よ、わしのスタミナの源(みなもと)はこれこの沈(き)菜(むち)じゃ、これを食べてから元気百倍じゃ、と言われ持参した漬物を自慢気に見せられた。そのせいかしらないが、はしたない言い方ですが、先日お見えになった時も、毎夜、寝屋でしつっこく迫るのじゃ・・・」
「・・・殿下が漬物を?それがスタミナの元?毎夜、寝屋でしつっこく迫る・・ああなんてことなの・・」
「ほっほっほっ~おまえ妬いておるのか?」
淀の方は小声で笑った。
「憎らしいわよね・・ううんっ・・それでその沈菜とはなんなのよ?」
怪訝(けげん)な顔をして男は問うた。
「しばしお待ちなさい。ここに今持ってこさせますから・・」
淀の方は部屋の外で控えている腰元を呼び、その沈菜を持って来させた。
小鉢(こばち)に盛られたそれは、男が今まで見たことのないような真っ赤な色をしていた。
「あ~ら・・これ真っ赤ね?何の色?」
「それはな南蛮渡来の唐辛子の色のせいじゃ」
「唐辛子?それにこの漬物かなり臭うわよね。お方様これ何の臭なの・・わたし食べれるかしら?」
男はそれでも遠慮がちに言った。
小鉢の漬物からは、何とも言えない強烈な臭が発せられていた。
「それはじゃのう、清正(加藤)が朝鮮から送ってよこした大蒜(にんにく)という薬味から放たれておるのじゃ、ほっほっほっ~」
にこにこしながら淀の方はこの漬物の説明を始めた。
「この漬物は一、二日ほど塩漬けした白菜などを水で洗い、唐辛子、大蒜等の薬味を加え漬けたものじゃ。作り方の詳細は私には分らないが、殿下が朝鮮から連れてこられた料理人、名前は・・・ええと、そうじゃ、李西方とかが・・殿下の御膳を賄う調理方にその漬方を伝授したそうじゃ。それによればなにやら味噌や醤油のように発酵させるということじゃ」
「発酵させるのでございますか?何やら気味が悪いこと・・」
男は鼻を摘みながら。
「講釈はこれくらいにしてお前もお食べ」
半ば強制的に淀の方は男に勧めた。
「いいわよ・・食べて見るわ・・ううううう・・うっふっ~お方様こ・・こ・・これなんなのよ・・・・ひえ~たちゅけてちょうだい・・」
何か下手物を食べるような仕草で、恐る恐る漬物を箸で摘み、頬張った男は思わず叫んだ。
「ほほっ~ほほっ~○○はほんとにうぶね・・」
淀の方は笑い転げた。
天井裏の五右衛門には淀の方が○○と男の名を呼んだが、何故か聞き取れなかった。
そう呼ばれた男はあまりの辛さと臭さに顔を歪め、涙さえポロポロ~頬から滴り落としていた。
「ううううう~うええぃうええぃ~ひえぃ~・・・・・・・かりゃあ~うえうえうえ~
わたしもういやよ・・お方様は意地悪なんだから・・」
「何じゃその顔は真っ赤じゃな、まるで茹(ゆで)蛸(だこ)じゃぞ、ほっほっほっほ~」
淀の方は茶化した。
「うううううう~うええぃうええぃ~ひえぃ~・・・・・・・からいわ~うえうえうえ~何なのよこれ・・もうわたしだめ・・」
さらに男は転げ回った。
淀の方も同じ体験をした事を思い出し、眼から涙さえ出して笑いこけた。
「これが殿下のスタミナの元なんて私信じられないわ・・それに御方様もこの漬物が大好物だなんて・・もう私いや・・・」
五右衛門は驚きのあまり錐穴から眼を離した。
交互に覗いていた鬼丸も、眼下に展開されているこの光景に度肝を抜かれ言葉を失った。
一体あの漬物はなんなのだ?そしてこの男は????二人は釈然としないまま、昨日盗み取った手鏡を懐に、しばらくして天井裏から立ち去った。
この得体のしれない天井下の男が誰であったか分らないが、ここに登場した淀の方こそ、後に豊臣家を滅亡に導いた太閤が最も寵愛した側室の一人だった。
太閤は淀君以外の側室を今まで何人も囲っていたが、誰一人として子をなすものはいなかった。ざっと数えてもその側室は両指は下らないと言われている。彼が胡獱(とど)の雄のように女を囲い、手を付けたその数は、一体何人だったのだろう。しかし、彼の涙ぐましい苦役にも等しい努力にも拘らず、その時まで彼の実子は皆無だった。
「ああ~苦役じゃ苦役じゃ、やっておれんぞ、疲れるだけじゃ、うんばうんば~」
これがその頃、太閤が女と同衾(どうきん)した時の口癖だった。
これこそ太閤の本音だったかもしれない。
太閤には長浜時代(元亀(げんき)元年頃)、側室・南殿との間に子供二人が出来たと言われているが、男子の石松丸は六歳で、もう一人の女子も早く亡くなっていた。
太閤がまだ三十二、三歳頃の事だった。
それが遂に、天正十七年(1589)太閤五十二歳の時、淀の方との間に待ち望んだ跡継ぎ鶴(つる)松(まつ)が誕生した。太閤の喜びは天にも昇るほどであった。
所が喜びもつかの間、過酷な運命が彼を待ち構えていた。
その二年後の八月、幼い鶴松は病に冒され急逝し、太閤は奈落の底に突き落された。
金粉の振掛け
五右衛門と鬼丸が、淀の方の寝室の天井裏に忍び込んでからおよそ一年が経っていた。
強引に推し進めた文禄の役も、この頃、膠着状態に陥り、太閤は悶々とした日々を送っていた。その頃彼は、長年の過酷な戦のせいで疲労困憊、満身創痍の状態で、体力も衰え、戦の合間に肥前(佐賀)名護屋城の前線指揮所から伏見城に帰城した時も、繁く淀城に通ったが淀の方とあまり床を同じにすることもなく、もっぱら楽しく談笑するのが唯一の安らぎとなっていた。
役が始まった頃、加藤清正は現地の漬物に南蛮渡りの唐辛子を加えた漬物を、部下達が何処からか調達し食べているのを自分も食べ、滋養強壮、精力増強の効果があると気付き、太閤に献上したが、さらに現地からスッポン、天然の朝鮮ニンジン、虎の肝や鹿の角等を調達し送った。
それを機に太閤自身も部下に命じ、各地の山に潜む蝮(まむし)や白蛇を掻き集め、若返りの秘薬のたぐいと称しこまめに摂取していた。
そんな噂を聞きつけた南蛮商人達は、下手物染みたいかがわしい品々を次々と持ち込み、太閤に高価な値段で売り付けた。
「これならわしは百歳までも生きられるぞ、それに下半身もびんびんじゃ、うんばうんば~」
その甲斐があったのか太閤は血色も良く、健康状態もすこぶる良くなって行った。
そんな太閤が偶然黒い丸薬を服用している所を淀の方に見られてしまった。
「殿下、それは何の御薬ですか?」
怪訝(けげん)に思った彼女が問うた。
「おうおうこれか、これはのう金泊、蝮、スッポン、蛙、ジャ香、オットセイの何、大蒜、微量な鳥兜(とりかぶと)エキス、水銀・・などを薬(や)研(げん)で微細にすり潰し丸薬にしたものじゃ」
「鳥兜や水銀など食せばたちまちの内に死んでしまうと言われておりますよ」
「心配は無用じゃ、ほんの妻楊枝の先程じゃよ、猛毒も薬の内、のう淀・・お前も猛毒の内じゃのう、うんばうんば~」
「殿下、私が猛毒などと、ほっほっほっほ~御人が悪うございますわ、それでこの薬の薬効は?」
「おうおう・・お前は若いので分らんじゃろうが、何せ年を取ると疲れる・・性力(せいりょく)増強のためじゃ、でへねへうんばば~・・・何せ男は女子には分らぬ悩みがある、息子も寝たまま起きて来ん」
「精力(せいりょく)増強などと殿下も日々激務をこなしてみえますからね。でも殿下、息子のお拾丸は
寝ざめも良く何時も元気に飛び跳ねておりますよ?」
「そうじゃった、そうじゃった・・・何せ男は女子には分らぬ悩みがあるのじゃ、うん、うん、うん・・・」
こんなすれちがいの会話もあったが、これに似た下種(しもねた)を家臣の集う時にもする事があった。
「徳川の古狸めは、わしのように金を掛けず若い女の肉布団を重ね、その精を吸収し若返ろうとしている。奴はどこまでも吝嗇(けち)じゃ、うんばうんば~」
太閤は皆が集い酒宴を催す時等、酒の肴に家康を持ち出し、猥談までする有様であった。
この家康こそ、その後、太閤の天敵的とも言える存在で、太閤はその懐柔の為、自分の母親や妹さえもその道具として利用せざる得なかった。彼の死後、家康はその粘り強い忍耐力と狡猾な悪知恵で豊臣家を滅亡に追い込み徳川政権を樹立した。
所で、徳川家康はどんな人物かといえば、三河の豪族、松平広忠と水野忠政の娘・於大との間に生まれたと言われている。幼名は竹千代、その後水野氏が尾張の織田と同盟を結んだため母は離縁された。
その後、広忠は駿河今川と手お結び織田と敵対、彼は人質として駿府におくられたが、途中、田原城主戸田康光の裏切りに合い、尾張に送られた。織田で人質として過ごした約二年後、再び織田家嫡男・信広との人質交換により今川家に人質として移された。
このように、幼年期は艱難(かんなん)辛苦(しんく)の道を辿っていた彼に転機が訪れたのは、永禄三年桶狭間の戦いであった。その戦いで、今川義元は、織田信長に敗れ、元服後、松平元康と名乗り、今川の先鋒として戦っていたが、今川家の混乱に乗じ駿河に帰らずそのまま岡崎城に留まった。その間、氏名も松平元康から徳川家康に改めた。二年後、信長と清州同盟を結び、その盟友として天下布武の道に突き進むこととなった。
その容貌は頭でっかち、短足と言う特異な体型であり、性質は幼児期の環境から忍耐強かったが、又執念深く吝嗇でもあり、一口に言えば渋臭い人物であった。
一方、淀の方とはどんな女だったかと言えば、織田信長の妹・お市の方の三人姉妹として生まれたが、父・浅井(あざい)長政(ながまさ)は母の兄である信長に殺された。その意味で淀の方も戦乱の世の犠牲者と言えよう。その容姿は端麗、気が強く我儘(わがまま)で気位が高く傲慢、とても並みの男では手に負える代物ではなかった。
それに、彼女は生涯に渡り心の片隅に、この過酷な運命に復讐してやろうとする強い意志と決意を隠し持っていたと思われる。
叔父・信長に父を殺され、天下人の側室、即ち妾となり、子を産む道具として寵愛うける。
年寄りの秀吉には、憎しみはあるものの、いとしさや、まして愛情など湧くはずもなかった。
それもそのはず、彼女の心の内を曝けば、三十歳も年の離れたこの老人に抱かれている自分が許せなかったにちがいない。突き詰めれば嫌悪さえ感じる日々だった。
淀君も幼少期から成人するまで艱難辛苦の道を辿った点では、徳川家康に似ていると言えよう。
一年前は精(性)力増強の薬効だったのか、これならわしは百歳までも生きられるぞ、それに下半身もびんびんじゃ、と意気軒高、自分の健康状態を吹聴していた太閤であったが、常飲する内、これら下手物紛(まが)いの性力増強薬の薬効も失せ、心身ともに疲労が蓄積、名護屋城内の個室で度々床に臥すこともあった。
「殿下、この頃は体調がすぐれないご様子、気分転換に若いピチピチとした女子を掻き集め、楽しく酒宴などいたしましょうか」
そんな太閤を見兼ね、心配した家臣が話を持ち掛けた。
「酒と女か・・ありふれておる・・それも良いがもっと良く効く増強薬でのう強壮薬はないのか、どうもどの薬もピンとこん・・そうじゃ近頃、戦のどさくさに紛れ、金粉入りの茶を飲むのを忘れておった。金粉入りの茶じゃ、金粉の量も増やさねばならんな、うんばうんば~」
「殿下、いくら金ピカが御好きでも、それでは頭の天辺から爪先まで金で埋まってしまい、御身体に悪うございますよ」
「何々、頭の天辺から爪先まで金で埋まってしまう・・うん、うん、忠告は有難いがわしは金ピカが好きじゃ、そうじゃ、飯にも金粉の振掛けをぶっかけ食べるとしよう、うんばうんば~」
「殿下、・・そこまで行くと・・・」
「うむ・・病気そのものと言いたいのじゃろう、いくらわしでもそこまではやらん、冗談じゃよ、わっはっはっはっ~」
そんな時、こんな軽口を飛ばし、家臣達をからかう時もあったが、相変わらず窓外の景色をぼんやりと眺め、流れ行く雲に自分を重ね合わせるなど、何か蝉の脱殻にも等しい虚脱状態に陥っていた。
その吾子は一体誰の?
所がその年の八月三日深夜、肥前名護屋城の太閤の元に、思わぬ吉報が飛び込んできた。
その吉報とは、太閤に待望の跡継ぎが生まれたのである。淀の方は鶴松の事も有り、太閤には自分が懐妊(かいにん)したことを内密にするよう、周りの者たちに箝口令(かんこうれい)を敷き口止めしていた。その一つは太閤を喜ばす為でもあった。
「殿下、おめでとうございます。吾子(わこ)様のご誕生でございます」
早馬で駆け付けた使者の者が、息せき切って、馬から転げ落ちながらも大声で叫んだ。
取次の者が、太閤の元に足速に駆け付け、この吉報を報告した。
「なに、よよよど淀に淀に吾子が生まれた・・・・・ううう・・・・」
就眠中叩き起こされたのか寝惚け眼で太閤は言葉もしどろもどろになり、喜びのあまり跳びあがり、天にも昇る心地だった。
「奇跡・・奇跡・・奇跡じゃ、めでたい・・めでたい・・めでたい、うんばうんば~・・淀よ、でかした!」
太閤は、あまりの嬉しさに目には涙を溜め、めでたい~、と何度も繰り返した。
太閤にとってそれは正に晴天の霹靂(へきれき)、奇跡に近かった。
「それで・・・その吾子(わこ)は・・・・一体誰の吾子じゃ?・・・・・・・一体誰の?」
所があまりの嬉しさに我を忘れ、とんでもない事を口走る始末だった。
太閤は気が動転し、自分が何を言っているのか分らなかった。
「殿下のわ・・わ・・こ・・吾子様でございます・・・」
答える者も何か変しな返答になった。
「な・・な・・なにい・・わ・・わ・・わしののの・・・・わしのの・・・吾子じゃ、とな、うんばうんば~・・・うれしいい~」
太閤は舌がからみつき呂律が回らなかった。
「殿下の吾子様でございます」
「わしの吾子か・・わしの吾子か・・・やった、やった、やった・・・・でへねへうんばば~・・・万歳~万歳~万歳じゃ~」
太閤は再度確認すると飛びあがって喜び、名護屋城内を駆け回った。
その吾子とは後の秀頼であるが、その時は縁起を担ぎ一度捨ててからまた拾うと、その子は丈夫に育つという言い伝えにより、一度外に捨ててから拾い直し、名前までお拾丸とした。
太閤の喜びは筆舌に尽し難く、戦線をなげうって淀君の元に駆けつけた。
それから凡そ一年後、五右衛門が淀君の寝所を天井裏から覗き見てから二年後、この事件が起こったのである。
太閤と光成のある謀議
五右衛門とその手下・鬼丸が寝所に侵入したその深夜(八月三日の)、京都所司代・前田玄以は太閤から緊急の呼び出しを受けた。彼が二、三の手錬の配下を引き連れ登城した時は、既に盗賊石川五右衛門とその手下鬼丸は捕縛され牢に繋がれていた。
二、三の打ち合わせを素早く済ませ、太閤の命令を受けるまでもなく、即刻下城した前田は、共に駆け付けた筆頭与力・団田楽に命じ残党捕縛の為、捕縛隊編成を命じた。
団田楽は配下の者を緊急に招集し、一班、与力一名を頭に同心四名、二十五名の捕方からなる五班、総勢百五十名の捕縛隊を編成した。
団田楽は各班長に、この捜索と捕縛は秘密裏に行い、盗賊一味は必ずや生け捕りにするようにと厳命した。
緊急の呼び出しがあったその日の夕刻、前田は、全ての手配を終え、団と会話を交わしていた。
彼は一旦、城の現場から離れ団に指示を与えた後、再び登城し、太閤と光成が謀議したとんでもない計画概要を光成から聞かされていた。
「団、これはえらいことになりそうだ。殿下は、密かに賊の残党を捕えろ、と言っておられたが、私が考えていたのと少し違うようだ」
「と、言いますと?」
二人は奉行所の一室で話していた。
「私は殿下の言動からすれば、奴等を密かに闇から闇へ葬りさるのかと思っていた」
前田は苦しい受け答えになった。
「太閤殿下の寝所に盗人が押し入るなど、絶対に有ってはならんことですからね」
「そうだ、決してあってはならんことだ」
「とすれば、今お奉行の言われた通り、闇から闇へ葬り去るのも、一つの選択肢でございますよね」
「それが中々、なんやかやこうややっこしくて、何か一芝居打っそうだ」
前田は表現に窮した。
「何か一芝居打つ?」
団は怪訝(けげん)な顔をした。
「私にそこの所の説明が十分になされなかった」
前田は光成から太閤とのやり取りを聞いていたが、その時まだ団に詳細を話すのは適切でないと考えていた。
この団とはどんな人物かと言えば、前田より三歳ほど年配で、かれこれ二十年近く彼の配下として働いていた。団は、年の割には精悍な顔付きをしていた。彼は眼光鋭く、痩せ形で、身体の切れもよく、行動力も抜群だった。そんな訳で、彼は前田の警護役と相談役をも務めていた。
前田はこの場数を踏んだ、たたき上げの団を信頼していて、何かと難題が肩にのしかかった場合意見を求めた。
「お奉行、私もお奉行と共に現場に駆けつけましたが、この場合、闇に葬るのが一番かと思いました。しかし、殿下のこと、私共には思いのつかぬ事を考えておられても不思議ではございません。それに、例え処刑するとしても、昨年(文禄二年)お世継ぎがお出来きになり、磔などして、衆目の中で血を流すのは縁起でもない、とお考えでは?」
彼は彼なりにこの場の事態に沿った意見を述べた。
田楽の発言の裏には、天正十七年淀の方が最初の男子を出産し、その子は鶴丸と名付けられたが、翌々年亡くなった事からきていた。
その後、嫡男・お拾丸が誕生し太閤は喜びの絶頂期にあった事は先に述べた。ここで血を流せば不吉であると団は深読みをしての発言だった。
「血を流せば不吉か。これは昔から忌み嫌われているからな。鶴丸君のこともあるしな!しかし、今回はそうではないのだ」
前田は田楽の意見を否定した。
「光成殿の言によれば、殿下は五右衛門を大々的に晒すおつもりらしい」
「大々的に晒すおつもり?」
団はまたもや怪訝な顔をして問うた。
「秘密裏に捕え、大々的に晒す?何故でしょう」
「その訳はしばらく待て」
前田は再び団の問いに待ったを掛けた。
「明日にでも、殿下からお呼び出しがあると聞いた、その時に謎が解けるだろう。その後、詳しく話そう」
それでも彼は団を気遣って言った。
「今あれこれ二人で詮索しても時間の無駄というものだ。・・それにしても、今日のように深夜の呼び出しをうけると、全く不甲斐ない話だが、全身から冷や汗が流れおちたわ」
彼は話題をそらした。
「いつも最近はそうだが、殿下からの呼び出しと聞いただけで、時世が時世、あれこれ妄想に捉われ、何かこう、人生が暗くなったような気がするのだ。今回も、殿下からの火急のお呼び出しに、お前と駆け付けて見れば五右衛門騒動よ。手に汗握るとはこのことだな、本当に気が重い事だ」
前田はその時の心境を語った。
それもそのはず、文禄の役の交渉が水面下で行われていたが、交渉は難航し、お拾丸誕生の慶事はあったものの太閤は悶々とした日々を過ごしており、いつ癇癪の虫が暴れ出すか分らず、側近たちは何時もびくびくしていた。それが寝耳に水のこの深夜の五右衛門騒動だった。
「私も殿(前田)から緊急の呼び出しを受け、殿と駆け付けて見ればあの有様、肝が縮む思いでございました」
団も前田に同調した。
「お奉行、お奉行のお指図どおり、その後、万全の手配をしましたから、五右衛門一味の残党も、すぐに捕縛出来るでしょう。・・もし取り逃がしても、捕らえた奴等を拷問にかけ隠れ家を吐き出させます」
団はそう言い、少し話しの間を置いた。
これからどうなるのだ、二人は下男が運んできた茶を口に運びながらそんな事を考えた。
現場のことに詳しい団には、経験に裏打ちされた洞察力があったが、しかし、大局的には弱気の様に見えても、何せ五奉行の一人、前田の方が数段上であった。
その後二人は、残党捕縛に出かけていた配下の者達が、次々に奉行所に戻り始めので話を中断した。前田は団には話さなかったが、光成から或る計画を今夜から始める、と言われていた。その言葉通りなら、今頃、もうその計画が始まっているだろうと思った。
その後、事態が進展するにつれ、彼が想像していた以上に、太閤の企みの大きさとそれを行うべき仕掛けの大きさに驚かされた。
話を少し前に戻すと、前田玄以と共に石田光成もまた八月二日から三日の深夜にかけて、盗賊石川五右衛門が太閤の寝所に侵入した直後、伏見城に呼ばれていた。
前田は手配のため現場を立ち去ったが、光成はそこに留まっていた。
「わしは眠たい、寝不足じゃ。しばらく寝所に行って寝る。じゃが光成、わしは最近心労が激しく、もやもやした物が胸の内に溜まっておる。そこでじゃ、わしが目覚めたらある事を相談したい。しばらく城に留まれ」
その後、太閤は光成を呼び止めこう命じた。
そこで彼は、太閤が目覚めるまで別室でジリジリしながら待っていた。
待ちながら、それにしても太閤殿下の寝室に侵入するとは、五右衛門と言う男、大胆な奴だと思った。
それから、一体、太閤が相談したい内容は何なのだろうと思案し続けた。
待ちに待ち、昼近く太閤が目覚めてしばらくすると、二人は密室で或る謀議を行った。
「・・・・・・・殿下、早速この計画を今夜から始めましょう。時期を逸しますと、有らぬ噂が拡がりこの計画は頓挫してしまいます。役者二人は私が直ちに揃えます」
この謀議とも言える会合は、小一時間にも及び、その後、次の仕事をこなすため光成は足速に太閤の元から立ち去っていった。
その日の午後遅く、再度登城した前田が、光成から聞かされたこの謀議の内容こそ、五右衛門釜揚げの謎を解く重要な手掛かりが隠されていた。
作為の空白の二日
八月五日、五右衛門が太閤の寝所に侵入してから三日が立っていた。その日の昼近く、前田は太閤に再び呼ばれ登城した。その間、太閤は自分の企みを実行すべく、準備を着々と進めていた。
その第一として、大泥棒五右衛門が太閤の寝所に昨夜忍び込んだ、と言う奇妙な噂が、突如、三日も過ぎたその日の朝から城内に拡がり始めていた。この噂こそ太閤と光成が仕組んだものだった。しかし前田は、この概要を石田から聞いていたものの、それが今後どう進展していくか全く予測出来なかった。まして、太閤の胸の奥底に潜む或る陰湿な企みなど知る由もなかった。
彼が、太閤の寝所のある本丸御殿の勇猛な虎を描いた襖絵で彩られた豪華な一室に通されると、すぐ太閤が姿を現した。
前田は、いつも上壇の間で虚勢を張る太閤の姿を見ると、巷で彼に出食わせばただの小柄な白髪混じりの年老いた老人に過ぎないのに、こうして重厚な椅子にふんぞり返って座ると、凛(りん)とした威厳さえ感じるのはどうしてだろう、これこそが、権力を握りほしいがままに力を振るう支配者の姿なのか、と考えながら、改めて正面に鎮座する太閤を見ると、赤い着物に、彼好みの金ぴかの羽織を纏(まと)い、頭には真っ赤なベレー帽に似た頭巾を被り、おまけに装飾品と言えるかどうか分らないが、首には純金を糸に巻き、手織りでこしらえた金色の蝶ネクタイを付け、これまた、お獅子のような純金製の歯被せ(入れ歯ではない)で歯を覆っていた。しかも、低い鼻下には立派なカイゼル風の付け髭を蓄え、時折それをぴくぴく微動(ふるわ)せ、又時にはそれに指をやり、先端をくる~りくる~りと捻じ曲げた。
部屋に入って来た時、太閤のあまりにも装いの奇妙(きみょう)奇天烈(きてれつ)さに、前田は眼から眼球から飛び出さんばかりに驚いた。彼は一瞬、太閤が五右衛門侵入のショックで気が変になったのではないかと思った。
彼は太閤の段下で正座し、冷静さを取り戻すため、一度呼吸を整え、改めて太閤を良く観察すると、この派手さは太閤好みでもあるが、信長公の向こうを張っているようにも思えた。
別な角度からみれば、それらは彼が内面の葛藤(かっとう)を奇抜な装いで被い隠そうとしているのではないかとも思えた。そんな前田の思惑をよそに太閤が口を開いた。
「前田、その後はどうじゃ。わしはな、彼奴(きゃつ)を獄門磔などという、ちっぽけな刑に処するのではなく、何か奇想天外な方法で、大々的に晒し者にしてやるつもりじゃ、うんばうんば~・・それにしてもわしは昨夜のあれで眠たいぞ」
あれで眠たい、太閤は思わせ振りに前田にも伝達されていたある企みを暗に仄めかした。
それからおもむろに、皺茶けた顔を手で擦りながら髭に指をやった。
「近従の話では、昨夜は大分羽目をはずされていたとか、ご無理をなされてはなりませんぞ、殿下」
前田は気遣いの言葉を述べ本題に移った。
「殿下は初め五右衛門を密かに闇に葬ると言っておられましたが、それが光成殿から方向転換をして公の場で処刑するとお聞きました。矢張り大々的に晒すおつもりでございますか?」
「前田、その件じゃが、お前には捕縛に専念してもらおうと即刻下城させたが、その昼過ぎ再登城した際、光成から五右衛門の扱いについておおよその事を聞いたと思うが、わしはそのつもりじゃ、でへねへうんばば~・・・」
「その理由が私には今一つ理解出来ません」
「何故そうなったかとわしの口から言えば、この所わしはある想念に取りつかれていたのじゃが、五右衛門の出現で、ある企みを思い付いたのじゃ、でへねへうんばば~・・閃いたと言っても過言ではない」
「それで大泥棒五右衛門を登場させ、処刑を公の場で、・・・大々的に?」
「そうじゃ、うんばうんば~」
「今日登城すると五右衛門の話題で持切りでございました」
「そうじゃろう、この二日間で五右衛門処刑の筋書きはできあがったからのう、でへねへうんばば~・・・わしがあえて噂を広めさせたのじゃ、うんばうんば~・・しかし今頃、五右衛門の奴、薄暗い牢内で不貞腐(ふてくさ)れて寝ておるじゃろう。何せあいつは見かけ倒しの小者、わしは最初、奴を密かに処分してやろうと思ったが、わしの企みを実行する為、光成から聞いているだろうが、奴を大泥棒に仕立てあげ、再登場させるには、回りくどい芝居をしなければならなかったのじゃ、うんばうんば~・・・全く骨の折れる事じゃ、ああ~あっ~」
太閤は昨夜の徹夜が余程応えたのか大欠伸をした。
「分りました。それでどれほど大掛かりな・・・」
前田はその時も、大泥棒五右衛門を登場させるのは、世間を騒がす凶賊どもは、決して許さぬという太閤の硬い決意の表れであり、そのため彼等を見せしめの為に処刑にするのだろう、と固く信じて疑わなかった。現に前田は光成からその時、五右衛門に関し、今夜から大泥棒に仕立て上げる、という如何にも奇っ怪な事を告げられただけで、何故、仕立て上げるのかという細かな理由は聞いていなかった。
「ま見ておれ、世間をあっと言わせるぐらい大掛かりな仕掛けで処刑してやるのじゃ、でへねへうんばば~」
大掛かりな仕掛けで処刑してやる、前田は太閤の真意がまだ掴めず、疑問は増すばかりであった。心情的には、彼は今この場で、何故、大掛かりな処刑をするのか、太閤に聞き質したかったが、太閤の様子から、そんなことが出来るはずもなかった。
「その訳をお前は知りたいのだろう」
すると太閤は彼の胸の内を察したのか、口髭をぴくぴくさせながら、意地悪そうな口調で切り出した。
「だめじゃ、それはわしの胸の内にある」
所が一呼吸置き、思わせぶりにぽつりと呟くように言った。
「それより奴の子分共を早く召し捕るのじゃ。大芝居の舞台装置を整えても奴等がおらねば幕が開かん、うんばうんば~」
それから、話題を急に逸らし、残りの賊共の捕縛を急かした。しかし前田は、この時点でも太閤が企む五右衛門の処刑は、そんなにたいした規模ではないと思っていた。だがその予想は、次の瞬間、木端(こっぱ)微塵(みじん)に打ち砕だかれた。
「前田、処刑場は縦六十六間(約120メートル)、横八十五間(約150メートル)かのう。それにそのまわりをぐるりと観覧席もじゃ、でへねへうんばば~・・観覧席の土盛は備中高松城や紀伊太田城の水攻めの時に築いた堤からすればたかがしれておる、近辺の百姓を動員すれば御茶の子さいさいじゃ、何も案ずることはない、うんばうんば~」
それが予想に反し、太閤はとてつもない規模の処刑場の全容をぶちまけた。しかも過去の水攻めの例をあげ、観覧席を土を盛って造ることなど、雑作もないと言い切った。
「殿下、それはよろしいとして、何故処刑場をそんなにも大規模に?・・・」
前田はその言葉に耳を疑い、思わず問い返した。太閤の口から出た処刑の規模は、彼が予想だにしなかった大規模なものだった。何故だ?たかが盗人の処刑なのに?こんな空前絶後の処刑場?観覧席まで?前田の頭の中が混乱した。
「何故・・・前田、刑場の規模はもう言うな、わしは決めたのじゃ・・そこにふさわしい様々の処刑をぶち上げるのじゃ。・・・・・」
さらに太閤の口から、その全容が次々と明らかになるにつれ、前田はただあんぐりと口を開け、彼を見詰めるばかりだった。
「そこでじゃ前田、奴らの処刑方法を今から考えておかねばならん」
太閤はそんな前田の当惑や思惑に関係なくどんどん話を進めた。
「時間が無い、特に五右衛門の処刑方法は明日までに考えよ」
それから矢継ぎ早に、五右衛門にはどんな処刑方法が良いか案を出すよう命じた。
「それは性急なことでございますね」
とは言ったが、自分が処刑方法を考えるなど思いもよらなかった。
その頃、一般的に罪人の刑と言えば獄門磔や火あぶり、それに斬首等の刑と決まっていた。
市中を荒らしまわった五右衛門一味であれば、市中引き回しの上、一族郎党、磔の上、首を刎ね、曝(さら)し首(くび)が妥当だろう、と前田は安易に考えていたが、彼のそんな常識的な考え方は、太閤には一切通用しなかった。
「分りました殿下、早速準備に取り掛かります」
それでも気を取り直し、内面の混乱とは裏腹に神妙な体で応えた。
「大芝居の幕開けじゃ、楽しみじゃのう前田、うんばうんば~」
話が進む内に、そんな彼の思惑を一切無視し、太閤の機嫌は上向きになった。
「うんうんうん~」
さらに、自分の中で何かを確認するように頷き、例の金の歯被せを剥き出してニッと笑い、髭の先端をしゅっしゅっと伸ばした。
次の日の昼過ぎ前田が登城すると、城内は何事も無かったように静まりかえっていた。城閣や櫓の瓦は、夏の盛りは過ぎていたものの陽の光を受け熱気をはらんでいた。所に植えられた松の梢では蝉がのどかに鳴いていた。
彼にはあの夜(五右衛門侵入の八月二~三日にかけて)の出来事が、まるで夢の世界の出来事のように思われ、改めて城内を見廻した。
石垣が規則正しく積まれたほぼ中央に、四層の天守が空に向かい聳え立っていた。彼は従者を従え、石垣の手前で左手に回り、太閤の寝所のある本丸御殿に、砂利を踏みしめながら歩いていった。
前日同様、御殿の長い廊下を通り、彼は急ぎ足で接見部屋に入り太閤が姿を見せると、形ばかりの時候の挨拶をした。太閤は今日もひどく眠そうで何度も欠伸(あくび)をした。今日の太閤の装いは昨日と違いごく普通であった。
「殿下、昨日と違い今日のお召物はいたってお涼しそうでがざいますね」
前田は太閤の昨日の装いの核心をぼかして言った。
「そう言うと思ったわ、毎日あんなお獅子の化物のような格好をしていてみろ、お前を含め重臣どもは、あの夜以来わしの頭が変しくなった、と陰でこそこそ噂をするじゃろう。奇妙奇天烈な格好も気分転換の内、安心しろ、わしはまだまだ呆けてはおらん、うんばうんば~」
太閤は前田の言わんとする事を素早く察知し、少し顔をしかめて見せた。
「はっはっは~」
それからさも愉快そうに笑った。太閤は自分の装いの奇抜さに、昨日、前田が眼を剥いて驚いたさまを思い出し、知らず知らずの内に笑いが腹の底からこみあげて来たのだった。
「わたくしも殿下にあやかり、あのような装いをして登城したいものです」
すかさず前田も、太閤の装いを奇妙奇天烈とは言わず、婉曲的にあのようなと暈(ぼか)し、本音とも冗談ともとれる言い方で受けた。
「殿下、お喜びください。殿下に多大な無礼を働いた五右衛門の子分共の大半を、既に捕縛いたしました」
それからすぐ、前田は真顔になり姿勢を正し
てこう告げた。彼はこの事をいの一番に言いたかったのだ。
「おうおうそうか、彼奴等など直ぐに捕縛出来ると思っておった。御苦労、御苦労じゃった、うんばうんば~」
太閤の顔がぱっと明るく輝いた。
「それで彼奴等はどこに潜んでおったのじゃ」
「上賀茂(かみかも)神社辺りにある古寺、泰然寺(たいぜんじ)近くの隠れ家に大半の者が。しかも奴等は追手を逃れ、越前に逃亡をはかろうとしておりました。しかし、ご安心ください、やつらをほぼ一網打尽に!」
「何に~にいい!越前!まさかお市様のおられた北の庄の方ではなかろうな、うんばうんば~・・あそこはわしにとって聖地・・うううう・・・ん~彼奴等め土足で踏みにじろうとしたな、許さん・・切り刻んで形も分らんほどにしてやる、うんばうんば~」
それを聞くと、太閤の皺くちゃの顔は怒りの為に真っ赤に染まり、がなるように吐き捨てた。
それは正に太閤の心の古傷、虎の尾を踏む行為に等しかった。
まさか水でか?
「所で、処刑の良い方法は考えたじゃろうな」
それでもしばらくすると太閤は冷静さを取り戻し本題に話を移した。
その間、前田は押し黙ったまま、上段の間の仕切りの辺りをじっと見詰めていた。
「殿下それでございますが、奉行所に早々に返り、部下の者と様々な処刑方法を考えましたが、おそれながら、こう言うのは如何でしょうか。残酷で、しかも殿下の断固とした権威と決意を示す・・・」
「権威と決意を示す・・おうおう・・それは頼もしい、もったいぶらず早く言うてみろ、うんばうんば~」
期待に胸ふくらませ、太閤は少し前のめりになった。
提案された処刑方法とはこんなものだった。
「殿下、竹(たけ)鋸(のこ)引(び)きの刑はすでに信長公が杉谷(すぎたに)善(ぜん)住坊(じゅうぼう)で実施済み。こんなのはいかがでしょう。竹串を何千本も用意し、処刑場の中心の柱に奴を括りつけ、群衆を一列に歩かせ、順にその串を奴の身体に突き刺す。群衆参加の刑でございます」
「つまり針鼠(はりねずみ)の刑じゃな。わしはそんなみみっちい刑はすかん、それに群衆参加じゃと、わしは群衆(大衆)に阿(おもね)るような迎合などはせん、国を滅ぼすもとじゃ、もっての他じゃ、どんな意味があるのじゃ、愚じゃ、うんばうんば~・・それに時間がかかり過ぎじゃ、却下!」
太閤は声高に全面否定。
「では、牛に両足を引っ張らせる股裂きの刑は」
「股裂きか、わしは裂きイカは好きじゃが股裂きはのう、それにありふれておる、却下!」
「では二本柱を立て、その間に首を出させ、巨大な出刃包丁を引き落とし、ばっさり、ばっさり次々と・・!」
「言うなれば、巨大な出刃包丁の斬首装置(フランスのギロチンに似た物)じゃな?それで次々と何人もの首を?まさか、切り落とした首を縄で繫ぐ?それはまるで首(くび)数珠(じゅず)じゃ、数珠は仏具屋に任せておけ。斬新だが面白味がない、却下じゃ!」
「では、大きな木桶をつくり、水責めの刑・・・毒虫を集めた虫責めの刑・・大きな籠を作り周りから石を投げ込む石投げの刑・・・・」
「ええい大きな木桶、まるで風呂桶じゃ、そんなものを作って、後で銭湯でも始めるつもりか、馬鹿馬鹿しい。それに毒虫・・わしは毒虫をみると、身体がぞくぞくし虫唾(むしず)が走るのじゃ、うんばうんば~・・特に百足(むかで)はな、考えただけでもぞぞっとするわ。・・何々、次は大きな籠を作り石投げじゃと?餓鬼(がき)の玉入れではない・・・あほ臭、脚下じゃ・・脚下じゃ・・脚下じゃ・・脚下じゃ・・脚下じゃ!・・もっといいものは?」
「これなどは・・・」
「どんな?」
「口から酒を無理やり飲ませる酔い潰しの刑・・・」
「なんじゃと酔い潰し!わしが酒を飲んだ方が良いわ!ああ~今酒を飲みたい気分じゃ・・・」
「次じゃ!」
「これなど画期的かと・・」
「なんじゃ、その画期的とは?」
「これは私の配下の者が申しますのに、雨天の日、雷が鳴りますと、鉄の道具をもった者が、稲光と雷鳴とともに黒焦げになったそうです。そう言う現象は、各地でも度々起こっております。それで雷(いか)槌(づち)が落ち易いよう五右衛門を高い塔の上で鉄の棒に縛り付け黒焦げにする、こんなのはいかがでしょう」
「ほほう、五右衛門を高い塔の上で鉄の棒に縛り付け雷槌に打たせる、黒焼きの刑か!面白そうじゃな、うんうん黒焼きのう・・じゃが待て、雷槌は何処から引っぱてくるのじゃ」
「じっと待つのです」
「何、じっと待つ?・・ああ~気の長い話じゃ、でへねへうんばば~・・・お前の言っていることを実現しようとすればわしの命がいくらあっても足らんわ。そんな空想めいた話はこの際無しじゃ、無しじゃ・・脚下、脚下、脚下じゃ!・・奇想天外な案も良いが、実現不可能ではないか・・・・ええい、愚案(ろく)な刑しか思いつかなかったのか、うんばうんば~」
太閤はいたく失望、地団太踏んで、脚下じゃ、脚下じゃと叫んだ。
矢張りな!殿下はこんな奇抜な処刑方法で納得するはずがないと、前田は初めから思っていた。それも計算の内で奇抜な方法を入れた訳は彼の計略の一つだった。彼はこれら意味がない実現不能な処刑法を最初に提案すれば、その後提案する案が際立って面白く感じられるだろうと読んでいたのだ。
「殿下、私には腹案がございます」
そこで彼は意味有りげに言った。
「何々、腹案じゃと?どこぞの阿呆の言い草ではあるまいな!彼奴の如何にも間の抜けた言動には呆れかえるわ!・・その内きつく処罰せねばならんな・・・」
「いえ、いえ・・とんでもございません、良い腹案でございます」
「前置きはよい、で・・その腹案とはなんじゃ?」
「釜茹(かまゆ)での刑です!これこそ衆目を集め、罪人を短からず長からず責めいたぶる刑でございます。殿下いかがでしょうか?」
「ほう~釜茹でか、ぐつぐつ・・ぐつぐつな~それはよい、妙案じゃ、うんうん、妙案、妙案じゃ、それに良く見える!それに決定じゃ、うんばうんば~」
太閤はその腹案がいたく気に入ったのか即採用、久しぶりににっこり笑い、髭の先端をくるりくるりと捻じ曲げた。上機嫌の証拠だ。前田の作戦勝ちだった。
「まさか水でか?」
それから身体を乗り出し、すかさず問いかけた。
「はい、水でございます!」
前田は畏(かしこ)まって言った。
「水?詰めが甘い!わしは彼奴が釜に入って、少しでも湯加減がちょうど良い、良い気持ちじゃなどと、たとえ痩(やせ)我慢(がまん)であっても、ぶつくさぬかすのが気に食わん、うんばうんば~」
返す言葉で一蹴。
「・・・・そうじゃ菜種油じゃ、わしはねっとりとした油で奴を揚げてやる、鯉の空揚(からあ)げのごとくな・・ねとりとした菜種油でこってりとじゃ、うんばうんば~・・つまり人間の唐揚げにしてやるのじゃ」
太閤は一瞬考え、直ぐに何故か舌舐(したな)めずりしながら自分の考えを述べた。
「つまり、釜茹(かまゆ)でならぬ釜(かま)揚(あ)げでございますね・・・」
前田は補足した。
「そうじゃ、釜揚げの刑じゃな、うんばうんば~」
釜揚げの刑、太閤はいたくこの案が気にいったようであった。前田も油で揚げることも考えていた。もしもこの案が採用されたら、いっそ溶いた麦粉の中に五右衛門を浸け、揚げたらどうかと言う案も奉行所の役人の一人から提案されていた。
「殿下、余興として溶いた麦粉に奴を浸け、揚げたらいかがでしょう」
そこで前田が思はず口走った。
「馬鹿な!蛇足じゃ!シンプル イズ ベストじゃ!衣を付けて五右衛門を天婦(てんぷ)羅(ら)にして食べる訳ではないぞ、うんばうんば~」
すかさず太閤は宣教師から習いたての英吉利語まで交えて一蹴。それで、その案は直ぐお蔵入りになった。
太閤には、前田が想像も出来ないある企みがあった。その経緯は後で詳しく述べるが、その企みを実現する装置として釜揚げは最適であった。
もしもこの企みが無ければ、小盗人の五右衛門ごときなど即座に始末し、太閤は何の関心も示さなかっただろうし、現在まで長きに渡って語り継がれている石川五右衛門の釜茹で(釜揚げ)伝説なども無かったにちがいない。
だがこの企みを成就させるには、ド派手な釜揚げのような処刑を、衆目の、特に淀の方の面前で演じなければならなかった。そのためにこそ、太閤は色々画策して来たのだった。
「でかした。わしは磔でも火炙りでもよいと思っていたのじゃが、この方が分り易い、ベストじゃ、演出が上じゃ、流石じゃ、前田、妙案じゃ、でへねへうんばば~」
太閤は今までと打って変わり、少し顔を紅潮させ、両手で膝をぽんぽんと力強く打ち、その後、すぐ髭に指をやり、先端をくるりくるりくるりと捻じ曲げた。この様子から、太閤が興奮気味なのが前田によく見て取れた。
「それにでございます」
「それに、なんじゃ?」
太閤は焦れた。
「それに、彼奴の舌を、つまらないことを言わないようにちょん切ってやるのです」
前田は咄嗟に思いついたのだ。
言った後、われながら残酷極まりない思い付きだと思った。
「何ぬ・・・?舌切り?舌切雀か!、うんばうんば~・・・お前は残酷じゃ、うんばうんば~ごほごほ~それに決定じゃ、うんばうんば~」
それを聞くと太閤は一瞬身を乗り出した。そして、余程この案が気にいったのか、口を雀の嘴(くちばし)のように尖(とが)らせ、何度も咳払いをした。
「舌切雀か、うんうん妙案じゃ・・雀のお宿は何処じゃじゃな、わっはっはっはっはっはっ~・・・彼奴が、大声でつまらない事でもぬかせば興ざめじゃからな!うんうん、でかした!お前は、なかなか余興を解する才能があるな!それに残酷じゃ、でへねへうんばば~・・釜揚げはどでかい釜をしつらえねばならんな!幅・・」
太閤は喜色満面、痛快に笑い、髭に指をやり何回もしごくように捻じ曲げた。
「・・幅は四尺では?」
次に前田は即座に釜の大きさを提案。
「小さい!」
これも即、太閤は金切り声で否定。
「幅は十尺じゃ。深さは五尺ほどかのう・・
あ・・待て、十尺では池じゃな、それに深さを五尺にすると五右衛門の姿が見えんようになる、でへねへうんば~・・まあ幅八尺、深さ四尺にするか」
釜は現在の尺度で直径・約2・6メートル、深さ・約1・2メートルに決定した。
よし一つ太閤にゴマを擦(す)っておこう。
「殿下、もうひとつ妙案がございます」
「もう一つ妙案、じらさず言ってみろ」
「天下の者をあっと言わせる妙案でございます」
「なんじゃその妙案とは?」
「釜の上部に金泊を貼ったらいかがでしょう」
「釜の上部に金泊を貼る・・・?うん、うん・・派手好みのわしの趣向にぴったりじゃな!」
太閤はこの提案にも飛び付いてきた。そう言いながら、太閤は心の内で、淀も歓喜のあまり感涙を流すことだろう・・・淀よ見ておれ、いい芝居見物になるぞとほくそそ笑んでいた。これは太閤の全く逆の感情の現れであったことは言うまでもない。
「その大釜に菜種油を入れてぐつぐつ・・ぐつぐつじゃ。いやいや、唐揚げじゃから、からからからから・・・じゃな!菜種油の量はどれくらいかのう?胸が高鳴るわ!その見物には淀も連れて行くぞ!」
「淀のお方様もでございますか?」
「そうじゃ、淀もじゃ、うんばうんば~」
太閤の口から、思わず本音が出た。
なぜ淀の方様を?・・この時初めて前田は、この壮大な釜揚げの刑の裏に隠された企みの一部を垣間見たような気がした。良く考えてみれば、太閤は思わせぶりな態度をとっていたが、この壮大な装置を使った企みはこの為にこそあったのかと、その時前田は何か確証めいた物を掴んだ。
「処刑場はやはり先程殿下が言われた、幅六十六間、長さ八十五間、その外側に観覧席を設けるのでございますね」
そこで彼は話を一歩前に進めた。
「そうじゃ、そこに日除け屋根付きの招待客の為の桟敷も用意するのじゃ、うんばうんば~・・・招待客は百人でもこの際何百人でもよい、猫も杓子もじゃ!・・・うんそれに、京の一流料理人をぎょうさん手配して、その場で、豪勢な料理を仕出し風に作り、出すのじゃ。粗相の無いよう警護の者達も手配せよ。釜揚げとは前田妙案じゃな。わしは気に入った。うんうん・・・それに五右衛門の一族郎党に及ばず、前菜として、わしが前々から報告を受けていた問題の奴等を、この際、根こそぎ厳罰に処そう。直ちにじゃ、ただちに捕えよ、目安は百人、ううん~徹底的にやれ!幾人でも構わん!欲望にどっぷりと浸かっている薄汚い溝鼠どもを溝から追い出すのじゃ、奴らは全く自分の立場を認識しておらん、でへねへうんばば~・・彼奴等の刑は何がいいかのう。一つ一つ趣向を凝らし、面白可笑しく、しかも残酷にじゃ!罪人の人選は光成とも良く相談するのじゃ」
招待して溝鼠共を追い出す、変しな事を太閤は言い始めた。上段の間に視線を移すと、太閤は髭に指をやり、意味ありげににやりと笑った。
「殿下、例えば奴らを裸にし衆人の前で焼き印を入れるとか!」
「はっはっは~焼き印か、それも選択肢の一つとしよう。しかしもっと、奇想天外な刑も入れるのじゃ!生ぬるい刑はだめじゃぞ、うんばうんば~・・彼奴等、わし直轄の無能な城主や役人の根性は、これぐらいやらんと治らん!飢饉で領民が苦しんでおるのに肥太り、出腹を突き出し、のうのうと暮らしておる。さらに不届きにも裏金をつくり飲み食いし放題、それが己の金でない為、不要な出費を繰り返し、豊臣家や領国の財政を蝕んでおる。尻でも何でも叩いて、飲み込んだ大枚な金を、鵜飼の鵜のごとく口から吐きださせてやれ、うんばうんば~・・全く無責任極まりない、けしかららん奴等じゃ、でへねへうんばば~」
太閤はこの頃世間で噂されている、陰で不正を働いている忠義面した武将や役人達の腐敗に、余程頭に来ていたのか顔を真っ赤にし、額に青筋を立て怒鳴った。
前田は太閤が言っている一部は良く理解できたが、不正を働いている連中を捕え、滅多やたら処罰すれば、至る所で軋轢が生じ、太閤への不満がつのるばかりだと危惧した。長年の悪弊は一朝一夕(いっちょういっせき)では改まらない。ここで下手なことをすれば後々まで逆恨みされ、自分にも尻を捲くられ、背かれるのがおちだ、くわばらくわばら、内心彼はこう思ったが、もう後には引けない立場に追いやられていた。太閤と幕僚、諸侯の板挟み、損な役割だ。いずれにしても断行しなければ太閤が許さないだろう。
「こ奴等は訓告(くんこく)や訓戒(くんかい)など生ぬるい罰では、腐った根性は改まらん、糞の蓋にもならん、全くけしからん、厳罰じゃ、厳罰じゃ、でへねへうんばば~」
前田の心配をよそに、太閤は怒り心頭に発しぶつくさ喚いた。しかし、彼が怒れば、怒るほど、皺茶けた顔は醜く変形し、口角(こうかく)沫(あわ)を飛ばせば、飛ばすほど、言葉ばかりが空転しているように見えた。
「それに限らず、まだわしにはやり残したことがある」
「そのやり残したこととは?」
「それじゃ、わしは生い先短い暴走爺さんじゃ、今は休戦交渉中じゃが、明がガタガタぬかせば、再び唐入りじゃ、誰もわしを止める事は出来んぞ、うんばうんば~・・」
正に太閤の暴走は誰にも止める事が出来なかった、何せ彼はこの国のナンバーワン・絶対君主だった。
「あまり興奮しすぎて肝心のことを忘れておたぞ、これら不届き者の具体的な処刑方法も考えねばならんぞ、見る者からは面白みがあって、しかもされる側においては厳しく残酷にじゃ、うんばうんば~・・容赦なくじゃ、まあ命を失う者もぎょうさん出てもさしつかえない、でへねへうんばば~・・この際徹底的にやれ。わしも良い案を出そう」
それから太閤は突然こう付け加えた。前田にも太閤の憤懣(ふんまん)が伝播し、異様に身体が火照るのを感じた。もうこうなればやるだけやってやれ、全ての責任は暴走爺さん、太閤にある、彼は覚悟を決めた。
「前田、今日はごくろうじゃったのう。大釜に金泊を貼って、ど派手にじゃ!ど派手にじゃぞ!祭りじゃ!祭りじゃ!はっはっはっは~でへねへうんばば~」
帰り際、太閤は張りのある声で言い、片手を振りながら愉快そうに笑った。太閤にとって処刑も祭り、とは言うものの表面的に太閤は明るく振る舞っていたが、内面では青白く陰湿な復讐の炎が燃え盛っていようとはその時の前田に分る筈もなかった。
前田は下城する駕籠の中でねっとりとした嫌な汗をかいた。これは単に気候のせいばかりでなく、最近の太閤の性格の変化、快活で朗らかなものから、粘着質で偏執的なものに変化したことを肌身に感じたせいかもしれない。
「まあ近くに寄って耳をかせ」
帰り際太閤は椅子から立ち上がり、手招きし、前田を壇上近くに呼び寄せた。
「光成から聞いたであろうが、お前はわしが仕組んだ大芝居のカラクリをまだ完全に理解出来んはずじゃ、うんばうんば~・・ヒントをやろう!盗人じゃ、大盗人じゃ、でへねへうんばば~・・この謎さえ解けば全てがわかる、それにしてもわしは意地悪爺さんじゃな・・」
太閤は彼の耳元で暗示めいた言葉を吐き、にやりと笑った。この暗示めいた言葉を、前田は籠に揺られながら何回も頭の中で反芻していた。
盗人は五右衛門に決まっているのに、何故、太閤はあえて盗人を強調したのだろう。確証めいた物を捉えたはずであったが、そんな疑問が彼の頭の中でふたたび増殖し、勝手に動き始めていた。その時まだ前田は、太閤と光成が仕組んだ、この釜揚げの本当の企みを知らなかった。
「民衆も文禄の役で疲弊しておる、当日、お握りでも握り、見物人に配ってもよかろう」
こんな命令も受けた。
「前田、ケチらず気前よくじゃ、うんばうんば~・・ばら撒きも愚民(ぐみん)操作(そうさ)の常道じゃて、馬鹿どもの目を本質から逸らす良い手段だ、どしどしやるべし、でへねへうんばば~それにじゃ、今回の役のように、眼を国の外に向け民心を煽るのも失政を隠す常套手段じゃって、うんばうんば~」
太閤はこんな事まで平然と言ってのけた。
前田は籠に揺られながら、太閤の言葉から、一方では淀の方の件もあったが、他方、為政者が良くやる民衆の不満をそらすためのガス抜きに、五右衛門を利用するのだとも読み取った。さらに彼は、自分が提案したとは言え、人間を釜揚げにするのは異常だ、こんな大釜にしたのも、最近の言動から、突然、他の奴らも釜にぶちこみ、ぐるぐるかき回しからりからりと五目(ごもく)掻揚(かきあ)げにしろ、と命じられるかもしれない、こんな妄想めいた事を考え、思わず身体をぞくぞくっ~と震わせた。
人間を五目掻揚げ・・何ともおぞましい妄想だ、前田にも太閤の熱病めいた病気がいつの間にか伝染したのかもしれない。
下城すると直ぐ、前田は配下の団を呼びつけた。
「それでお奉行、五右衛門処刑の方法は?」
開口一番、団は前田にたずねた。
昨夜は部署の者を集め、喧々諤々(けんけんがくがく)、あれこれ五右衛門処刑の妙案を提案し合った。
「釜茹でに決定だ。それに茹でるには水でなく、殿下の提案で菜種油になった」
「菜種油で!そうしますと釜揚げと言うことになりますね」
「そうだ釜揚げだ。菜種油で、と昨夜岩谷陣座衛門も言っていたな・・その場合、麦粉で衣を付けたらと誰かからの提案があったので、私がそれを言うと、殿下は食べる訳ではない、衣は蛇足だ、と一喝された。・・一本やられたな、はっはっはっはっ~」
「はっはっはっはっ~・・それはそれは・・それで釜の大きさはどれぐらいでございましょうか」
「釜か、それが幅八尺、深さ四尺だ」
「ええっ~・・・幅八尺、深さ四尺・・・・・そん化け物のような大釜!こんな大釜で・・これはひょっとして、五右衛門一味を全部放り込み掻揚げにせよ、とお命じになるかも!」
あまりの釜の大きさに団までおかしな事を言い始めた。矢張り太閤の病気は悪性なのかもしれない。
「私もそんな妄想に捉われた。・・そんな事は万が一にも無いと思うのだが、最近の殿下の事、何時癇癪を起こすかもしれんな!所でだ、殿下は何故こんな大規模な処刑をするのか、私にはその核心がはっきりとまだ理解が出来んのだ」
「と言いますと?」
団は怪訝そうに聞いた。
「まあ待て、それはさて置き、処刑場の規模を聞いて、お前は腰を抜かすぞ」
「その規模とは?」
「縦六十六間、横八十五間」
「ええっ~・・縦六十六間、横八十五間でございますか?」
再び団は目を白黒させ驚きをあらわにした。
「それに、底が平たい楕円形のすり鉢状に造り、周囲ぐるりと観覧席も作るのだ。それに貴賓席もな!」
「楕円形のすり鉢状に、それに観覧席と貴賓席。そうしますと、どれ程の見物人を収容することになるのでしょうか?」
「二~三万人程な・・」
「ええっ~・・二~三万人も・・こんな刑場は前代未聞、見た事も、聞いた事もございません。これは一体どんな企みをもって・・・ううん・・」
団は腰も抜けるほどびくり仰天し、思わず叫び、絶句した。何もかもが桁はずれに大きいので、彼の思考ではついて行けず、頭が混乱し、半ば放心状態に陥った。それからしばらく話した後、再び五右衛門を揚げる釜の話になった。
「大釜は殿下が良く見えるよう、貴賓席寄りに設置せよとのことだ。それでその大釜だが、誰につくらせよう」
「お奉行、釜は堺の『釜鉄』では」
「そうだ、『釜鉄』なら間違いはないだろう。役での実績もある、粗悪な釜は鋳た時に鬆(す)が入り、直ぐにひび割れするが、『釜鉄』のは丈夫だ・・・」
「その通りでございます。しかし殿、この大きさ、奴も血相を変えることでしょう。それにこの処刑場の準備も大変でございますね。大勢の大工や人夫、それに多量の土運びの為の百姓も動員せねばなりませんね。これはまるで戦そのものでございますね。さらに、薪、油の手配、処刑場と観覧席を隔てるようぐるりと囲む竹矢来の敷設、大釜以外の火炙りの柱、見物席・・・建物を含め刑場の施設は言うまでもなく全部新設でございますね。それに、淀の方様がお見えになるとなれば、これは一大事でございます。・・特性の厠もしつらえねばなりません。警備の人数もかなりになりますね・・・・・」
団は半ば興奮気味にあれこれ捲し立てた。
話しながら、こんな残酷な処刑を淀の方に見物させるとは、太閤は何か大きな企みをもってこの処刑に臨んでいるに違いない、その企みは一体何んなのだろうと思いを巡らせた。
「それにお奉行、加えて、招待客への招待状、昼に食する御膳!・・この規模からみても、太閤殿下は釜揚げ以上の何かを矢張り企んでおられる、一体なんなのでしょう」
「核心部分は私にも分らんな」
前田は頭を軽く叩く仕草を見せ、少し考えてから答えた。
その顔には戸惑いの色が色濃く漂っていた。
「これらはひとまず置いて、例の連中も捕えろとのことだ。ただ内密にとのお達しだ!」
前田は続けた。
「お奉行!早速手配しましょう。時間がございません。観覧席の件、近隣の百姓に動員を明日にでもかけ、早速工事を始めましょう。土木方は図面を引くのに今夜は徹夜になりますな」
彼らの今やるべき仕事は山ほどあった。
団が足速にその場から立ち去ると、前田は各部署の者を呼び集め、具体的な計画に取り掛かった。
釜屋は釜に・犬の飼主は犬に似る
それから二日が瞬く間に立ち、八月七日になった。その日、奉行所から『釜鉄』金衛門は急な呼び出しを受けた。彼は何事が起ったかと、羽織袴に着替え、あたふたと奉行所に駆け付けた。出掛ける前、彼は無意識に店の正面に掲げられている【釜鉄】と言う屋号を仰ぎ見た。
「よいか!二週間以内に、この書き付け通りの大釜を作り、京都三条河原に設置しろ。太閤殿下からの直々の御命令である!その他は奉行所より逐次沙汰する!」
筆頭与力団田楽から命令を受けた役人は、語気強く命じた。
「承知いたしました。一生懸命、やらせてもらいまっせ、代々釜作りで飯を食わせてもらっておるさかいに。それに太閤殿下直々の御指名とあればなおさら、名誉なことでおます」
釜の大きさ、深さを書いた図面を受け取り、あまりの大きさに驚いたものの、額から吹き出る汗を手で拭い、金衛門は役人に丁重に礼を述べた。
牢にでも放り込まれるかと、びくびくしていた金衛門は、呼び出しの理由が分り、ひとまず安堵した。それにしても二週間以内にこんな巨大(どでか)い大釜?奉行所に駆け付け、その使用目的も告げられず命令を受けた直後、彼は最初、何故こんなに急いで大釜を作るのか見当もつかなかった。まさかこの大釜で人間を油で揚げるなど、考えも及ばず、どうせ何かの余興に雑炊でも炊き、みんなに配るのではないかと呑気に構えていた。それに、雑炊を炊けば米は何俵ぐらい必要だろうか、などとも思った。それが帰る途中、辻の高札に群がっている群衆を掻き分け、そこに書かれてある内容を見て腰もぬけるほど驚いた。まさかわしが作る大釜で五右衛門を釜揚げ、げげげっげげげっ~そんなあほな!世の中狂うとるで、彼は動転し危うく卒倒しそうになった。
帰宅し平常心に戻った金衛門は、これはえらい事になりおった、釜、釜と言うても、こんなどでかい釜が、二週間そこらで簡単にできるはずがないわ。むちゃくちゃの命令や。それでも、太閤殿下からの直々の御命令とあれば、どんな無理難題な要求であろうとも、それに従わねばならなかった。その半面、彼は昔堅気の職人、殿下直々の御命令、と言われ、いたく自尊心を擽(くすぐ)られた。よっしゃ、一丁やったるで、彼は心の中で頭に捩じり鉢巻きをした。
「奉行からの火急の呼び出しは何でおました」
帰宅すると番頭の孫(まご)平(へい)が心配気にたずねた。
「大釜のご注文や」
「大釜のご注文・・・まさか旦那はん、辻の高札に書かれてある大泥棒の五右衛門を菜種油で揚げる、その釜ですか?」
「詳しくは聞いてへんが、その釜やろう」
「大釜で五右衛門を唐揚げ。そんなあほな、むちゃくちゃや。こりゃ狂うてる、どうかしとる・・・」
それを聞くと孫平は驚きのあまり土間にへたりこんだ。
「わしも最初奉行所の帰り、高札を見て腰の抜けるほど驚いたわ。その釜をわしが作る。ここだけの話、太閤はんどうかしとるで!しかしわしみたいな釜屋がどうこう言うてもはじまらん、どないもできへん!孫平どん、それはそれとしてこの大釜、期限までにどうしても作らなあかんで。わし等釜作り屋の意地にかけてもや!」
「そうでっせ、旦那はん」
孫平もその釜がどう使われるかもはや関係なく、職人の血が体内を駆け巡っていた。
そんなこともあったが、金衛門は五人の奉公人達と直ちに仕事を始めた。彼の鉄臭い仕事場には鉄を溶かす大きな溶鉱炉があり、その周りには大小さまざまの完成品やら作りかけの釜が無造作に所狭しと置かれ、そこから少し離れた店頭にも、これもまたさまざまの釜が、棚や土間一杯に鉄臭い独特の臭気(におい)を放ちながら並べられていた。
金衛門をよく観察すると、丸くずんぐりとした尻、丸ぽちゃな身体、何処となく釜にその体形が長年の仕事のせいで似たのか、いかにも釜屋の親爺という風采だった。
まさかこんな事は無いと思うのだが、釜屋は釜に似る。犬の飼主は犬に似る、まんざら嘘ではないようだ?
前に書いた通り大釜の大きさは太閤と前田とのやり取りで決定したものだった。ここで改めて書くと、現在の尺度で、直径約2・4メートル、深さ約1・2メートルの巨大なものであった。
直径1・2メートル深さ1メートル程度の釜は、当時では戦時の炊き出しなどで、大名家の納屋にごろごろ転がっていたが、流石に直径2・4メートル、深さ1・2メートル重さ1・5トン(約400貫)あまりの大釜となると、そんじょそこらにある代物でなく、粘土の釜型から鋳型を造り、大量の熔けた鋳鉄を鋳型に入れ鋳造するとなると段取りからしてかなりの日数がかかり、二週間あまりの短期間で製造することは当時では容易ではなかった。
それに金衛門は、今までにこんなどでかい釜など作ったことがなかったのである。そこで、番頭の孫平に聞くと、彼が若い頃、それに似た大釜を、先代の鉄衛門の頃に造ったことが有り、何処かに釜の仕様書(しようしょ)がしまってあり、製造工程が詳細に記されてあると言うことだった。金衛門も幼い日、そんな大釜を見たことを思い出し、早速記録帳を調べると、確かにそんな大釜を三十年ほど前に造った記録があった。そこで埃(ほこり)塗(まみ)れの仕様書を半日がかりで探し出し、それがこの大釜を造るのに大いに役立った。御先祖様とはかくも有り難いものである。
その後、金衛門は職人としての意地もあり、京都伏見稲荷近くの大釜神社に職人共々参拝し、無事に大釜が完成するよう祈願、その後冷水で身を清め、昼夜兼行で作業に没頭し、みごと二週間も待たず大釜を完成させた。一世一代の大仕事、大釜が完成した時、彼は達成感に顔を紅潮させ、人知れず満足感に浸っていた。しかし、刑場に大釜を運び込んだ時には、そんな素振りは一切みせず、冷静さを装っていた。
大釜はなにしろ約1・5トンもあり、石屋が大石を運ぶ時に使う修羅(しゅら)とは異なる、頑丈な車輪を十個もつけた大八車のお化けみたいな運搬車を借用し、それにこの釜を十人の人足で積み込み、伏見城下を練り歩くように刑場まで運んだ。それに加え、炊き出しようの釜も十釜ほど注文を受け、これも大八車に積み、この大釜に連ねるように運んだ。
金ぴかな大釜を運ぶ一行は、まるで、沿道を練り歩く山車(だし)のような華やかさがあり、群衆はぞろぞろその後を追うように続いた。
この大釜行列が通過する沿道には、物見遊山の野次馬が、一体何が始まるのかと好奇な眼差しでこの大釜を振り仰ぎ、その巨大(どでか)さに度肝を抜かれ口々に叫んでいた。
「ごっう大きな釜ですなあ?」
「所であの大釜、何に使うんやろう?味噌汁でも作るんか」
世間が立ち騒いでいるのに何も知らない男。
「おまはんなんも知らんのか、あれで五右衛門を空揚やて!」
「ええっ~、あれで五右衛門を空揚げ!えらいこっちゃで・・」
「聞く所によるとな、菜種油だそうや」
「それでその唐揚げ誰が食べるんや?」
「五右衛門の唐揚げを食べる?何言い出すんや、おまはん人食(ひとくい)人種(じんしゅ)か?それにしても太閤はん、いくら寝所に忍びこまれたというても、これはおかしいで!頭が狂うたのとちがうか?」 「太閤はんの頭がどないなったかしらんけんど、わしは沿道で五右衛門を拝むで!」
「何でや?・・」
「何でや?そりゃな、わしは五右衛門にあやかりたいんや」
「ひょっとしてあんた泥棒とちゃうんか?」 「・・・・・」
沿道では、野次馬があれ詮索し合っていたが、大釜は無事刑場に運びこまれ、人足の手により約三時間で無事据え付けは終わった。
そんな喧騒を尻眼に、役人に引き渡す前、金衛門はこの大釜を改めて触り、ええ尻(けつ)しとるがな、年増女の尻みたいなと卑猥な妄想に捉われ、囲い女のお米の尻を思い浮かべながら撫でまわした。撫でながら、わしも太閤はんみたいに頭が狂ってしもうたのやろうかと苦笑いし、振り向くと、奉公人達がにやにや笑いながら、そんな彼の姿を眺めていた。
「お前ら何ニヤついとるのや」
照れ隠しの意味もあったのか、彼は思わず叫んだ。
釜屋の彼にとって、丸い釜の底も女の尻に見えるのであるから彼の好色の病は正に病(やまい)膏(こう)盲(こう)に入る状態だった。
「御苦労であった、『釜鉄』さすがじゃ」
そんな些細な事もあったが、係りの役人から労いの声を掛けられ、彼は深ぶかと頭を垂れた。
その後、金衛門は大釜の豪華な出来栄えに、もう一度うっとり見とれなおし、なかなかのもんやなと独り悦にいっていた。
釜が据え付けられると、その巨大さに人々は仰天した。さらに一連の奇抜な処刑方法が前もって公開されていたので、その噂は瞬く間に百里四方に広まり、各城下では天変地異が起こったような大騒動になり、朝から晩までその話題で持ちきりになっていた。
「太閤は頭が狂っている。奴は血を見るのが好きだ。狂人だ!こんど侵略すれば百五十万の大軍で迎え撃つ・・・」
そんな中、肥前名護屋に停戦交渉に来ていた明の使節団にもその噂は伝わり、再び戦いが始まると確信し、この血に飢えた侵略者を罵った。
「何!わしが血に飢えた狂人じゃと!こんど侵略すれば百五十万の大軍で迎え撃つ・・明の法螺(ほら)は三国志以来じゃ、一万であれば十万、十万であれば百万・・、わしも今度は二百万で唐入りじゃ!二百万じゃ」
何処から流れたのか、そんな噂をチラリと耳にした太閤は、怒りを込め言い放った。
刑場を準備する間も、警備は厳重であたが、大釜が運び込まれた後は、さらに厳しくなった。
刑場では大釜を破壊、破損する不埒な輩が現れるとも限らず、常時百名もの警護の者達が見張りについていた。
作業現場は処刑用の柴や薪、観覧席を造るための土等の運搬の為、百姓が畚(もっこ)や手押し車を担いだり押すなどし、ごった返していた。
辺りはピリピリした緊張感が走り、奉行の前田玄以も額から汗を滴らせ陣頭指揮にあたっていた。
そんな噂を聞きつけ、釜揚げを見ようと近隣諸国からも見物人が押し掛け始めた。
「ああ~あの古狸は、余興と言う物を解せぬ堅物じゃ、雌狸の所へなら尻尾を振って出掛けて行くだろうに、うんばうんば~」
悦に入った太閤は家康にも招待状を送ったが、体調不良という名目で断りの返事が届くと、ふて腐れ悪態をついた。
処刑直前、この大釜が据え付けられると、釜上部の金箔に太陽の光が当りきらきらきらきら輝き、それを眺めた見物人はあまりの眩しさに、これが釜揚げの釜であることを忘れ、その荘厳さに口をぽかんと開け、見惚れるほどであった。
「なんやあの大釜、きらきらきらきらよう輝いとるやないか!それになんやあのどでかさ、流石、太閤はんや、人間の器が違うがな!大物や・・」
太閤は頭が狂ったと悪態を突く者もおれば、人間の器が違う、などと賛美の声を上げる者も多数いた。
第三章
太閤は何も知らず
一体お前は何者じゃ?
八月三日夜。
「誰や・・・曲者か?」
異様な物音に太閤は真綿布団を跳ねのけ、起き上がろうとした。寝所の寝台に横たわりうつらうつらした時、急に黒装束の二人組の男がぬっと現れたのだ。
「ここを太閤の寝所と知っての狼藉か、でへねへうんば~・・・・」
一瞬、この闖入者達に驚かされたものの、太閤は虚勢を張り一喝した後、急に咳き込んだ。老いてはいたが、さして慌てふためく様子もなく二人の賊を薄暗い灯の中見極めようとした。
「ここまできた以上、お前達はよほどの覚悟で来たのじゃろうな!」
男達が何かを言い出す前に太閤は釘を刺した。
「さすが太閤殿下、肝がすわっておられる」
男の口から思わず褒め言葉が出た。
「なんじゃと、わしを褒めるために掘りを渡り、石垣をよじ登り、土塀を乗り越えてまで危険を冒し、ここまで忍んで来たわけでもあるまいに、そうじゃろう?・・要件を言うてみろ、聞こう、うんばうんばば~」
二人の男の前にいるこの萎びた老人は、喉に痰が詰まるのか、話の後に取ってつけたようなおかしな咳払いを常にした。
「太閤殿下・・・・・」
居丈高(いたけだか)に言われた男も語気を強めた。
「ほほうわしに金の無心か!」
そう言い放ち、肌掛けをめくり寝台で半身を起こし直した太閤は、二人を鋭い眼光で睨みつけた。
「お騒ぎになってはなりません」
男の方が少し気後れしていた。
「あほう、人を呼ぶ気があれば、とっくの昔にここに屈強な者達が十人は来とるわ。それにわしのような皺首を取った所で一文にもならんじゃろう、矢張り金の無心じゃな、でへねへうんば~」
再び恫喝するように決め付けた。そんな応対とは裏腹に、太閤は寝台横の警備の者を呼ぶ為の紐を密かに何回も引っ張っていた。
「・・・・・・・・」
男は矢次速に言われ口籠った。
「口籠っている所を見ると矢張り金じゃな・・・」
紐を引いても何の反応もないと分ると、太閤は二人の男達の侵入目的が、金の無心と勝手に決めつけ一方的に喋った。見方によってはその言動は時間稼ぎのようにも見えた。
「・・・・・・・」
男達は沈黙を保った。
「矢張り金か、図星じゃな、うん、うん・・所でお前の名前は何と言うのじゃ?」
太閤は心に余裕が出来たのか、初めて盗賊の頭目らしき男に名をたずねた。
「石川五右衛門と申します!」
男はぶっきら棒に答えた。暗に二人は、互いの力量をはかり合っているように見えた、
「何、五右衛門じゃと、うんばうんばば~・・そしてもう一人は?」
少し柔和な声になっていた。
「鬼丸でおます、ぶひ~」
「何、鬼丸、お前の手下か?」
「そうでございます」
彼は、太閤のあまりの落ち着いた応対に少し気後れした。
「おう、おう、思い出した。・・お前が今市中を騒がせている石川五右衛門か!わしはな、一度お前に会いたかったぞ、はっはっはっはっ~・・それに鬼丸・・・」
太閤は腹の底から愉快そうに笑い、二人の男に皺化茶けた顔を向けた。太閤には燭台の明かりを通し、二人の顔がおぼろげに見えるようであった。
「よし金か、黄金何枚じゃ、百枚か二百枚か、どでかい黄金の延べ棒でもよいぞ、十本でどうじゃ、うんばうんばば~」
太閤は間髪入れず金と黄金の延べ棒の本数を提示した。五右衛門の心の隙間をついた提示だった。
「・・・・・・・」
「何じゃ、黙っている所を見ると不足か。・・では二十本ではどうじゃ、ううん・・何本でもよいぞ、うんばうんばば~」
太閤が現代から言って高額な黄金の延べ棒の本数を提示したのは、自分の価値を安く見積もられたくないという、プライドと目算があった。彼にしてみれば何本でもよかったのだ。どうせ何本提示しても、彼等がこの場を抜け出し運び出す事は出来ないと、読んだ上でのことだった。
「ええっ・・・・二十本・・うううっ~」
高額の申し出に五右衛門はびびった。
「にい・・・にいじゅっぽぽんんん・・・ぶひ~・・」
側にいた鬼丸はさらにびびり、声が震えていた。
「なんじゃ?お前達感動のあまり震えておるな、そうかそうか、金蔵ごとくれてやってもよいぞ、わっはっはっはっはっ~」
太閤は彼等の動揺した様子を見て、半ば茶化しながら言い、愉快そうに笑った。
「黄金は金蔵に腐るほどある。もっとも黄金は腐らんがな・・もっとやってもよいが、重くて運べんじゃろう、運んでやってもよいぞ・・わっはっはっ~」
それからまた太閤は冗談交じりに言い、さらに大声で愉快そうに笑った。
「まあわしは暇を持て余しておる、今夜はゆっくりしていけ、お前達にも異論はないな、でへねへうんば~」
太閤は二人が予想さえしなかったことを口走った。
「殿下それは・・・・一体?」
五右衛門は戸惑った。
「それは・・もうおそいぞ、そこに座れ、うんばうんばば~」
太閤の言い草は、もうお前達は袋の鼠、じたばたしても逃れられんと言う威嚇の意味が込められていた。
一体、この五右衛門と鬼丸と名乗る男達は何者で、何しに太閤の寝所に忍び込んできたのか。
激動時代の幕開け
淀君が太閤の側室になったのは、人知の及ばぬ何か運命めいた糸に導かれたのではないかと思われる。
それに相手の太閤も自分が天下人になり、茶々(淀君)を側室に迎えるなど、夢にも思わなかったに違いない。
それもそのはず、さかのぼること凡そ三十年前、歴史の表舞台に立っていたのは、永禄三年(1560)桶(おけ)狭間(はざま)の合戦で今川(いまがわ)義元(よしもと)を打ち破り、その名を天下に轟かせた太閤の最も敬愛してやまない人物、織田信長その人であった。
信長こそ、この物語の主人公の一人、太閤秀吉をこの世に送り出した人物であった。
しかしまだその時、信長は尾張一国の小大名に過ぎなかった。
また太閤も木下藤吉郎と名乗るただの足軽でしかなかった。
そんな彼が、後の天下人、太閤秀吉になろうなどと、何処の誰が想像しえたであろうか。
石川五右衛門が唐揚げにされ、三条ヶ原の露と消えた文禄三年から遡ること二年前、太閤は予てから胸に秘めていた唐への出兵(唐入(からい)り)を、周りの反対を押し切って断行した。
その理由の一つは、待望の嫡子・鶴丸が僅か三歳で病に罹り夭折した事もあった。太閤はその運命の悪戯に狂乱し妄想の虜と化した。彼はもはや周りの意見など聞く耳などもたず、心の片隅に眠っていた長年の夢、唐入りを決断した。この決断の心の深層部には、今は亡き主君、織田信長の強大な影響力が関わっていた。
太閤の信長への入れ込みようは尋常でなく、趣味は言うに及ばず、国を治める方法、将来の展望まで事細かにまねをした。昔、猿と呼ばれていたから、猿まねは当然ではあるが。言ってみれば、信長によって、知らず知らずの内にマインド・コントロールされ、生涯そこから抜け出だせなかった。
太閤に限らず戦国武将は、日々、戦いに明け暮れていたが、そんな中太閤は、今は亡き主君、信長を偲び、天下人になった後も当時を回想し、機嫌の良い時は暇に任せ、登城した大名や武将、取り巻き連中を前に置き、擦り切れ雑音が頻繁に発生する蓄音器(レコーダー)よろしく、過去の合戦の話を繰り返し、繰り返し、喋りに喋った。この物語に登場する石田光成、前田玄以も、言うにおよばず、その被害者達であった。
これは太閤にとってはストレス解消の唯一の方法であったが、逆に聴衆は断るにも断われず強度のストレスの虜と化した。
桶狭間の戦い
太閤には話のレパートリー多かったが、いつも織田信長が今川義元を破った桶狭間の合戦も、こんな風に話し始めた。
その夜の聴き手は五右衛門と鬼丸の二人だった。
「わしが殿にお仕えしたのは二十才を少し過ぎたころじゃった。それは殿が天下布武を目指して立つ最初の戦じゃった。・・永禄三年(1560)五月十九日、前々から清洲城下では今川義元が上洛する、と言う噂でざわめき立っていたのじゃ、うんばうんばば~・・その日の午前三時ごろ今川軍が、沓掛(くつかけ)、丸根(まるね)、鷲津(わしづ)の砦に攻撃を開始した、と言う知らせが清州のわしらの元にはいった。それより前から城内は騒然としていて、籠城じゃ、いや座して死ぬより出て戦おうなどと、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論が至る所で起こっていたのじゃ。まあ烏合の衆のよくやるあれじゃよ」
「信長様は、ぶひ~」
すかさず鬼丸。
「殿?殿は籠城などする気は毛頭なかった。そんな腰ぬけ共に眼もくれず、出陣前、自らを鼓舞する為、幸(こう)若(わか)舞(まい)の一節、敦(あつ)盛(もり)を舞われた」
「幸若舞とはどんな舞でおますでございます、ぶひ~?」
「幸若舞はこうじゃ。・・思えばこの世は常の住み家にあらず・・草葉に置く白露、水に宿る月よりなおあやし・・金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘わるる・・南楼の月を弄ぶ輩も・・月に先立って有為の雲にかくれり」
太閤はすらすら暗誦しながら、ここからじゃと続けた。
「人間(人の世)五十年、化天(仏教観の世界の一つ、化天の住民の寿命は990万年)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり・・一度生を享け、滅せぬもののあるべきか・・これを菩提(ぼだい)の種と思い定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・・敦盛を舞い終わると、早朝四時頃に殿は真っ先に馬に飛び乗り熱田神宮に向かい駆けだされた。・・最初は少人数であったが、誰もが必死に遅れまいとして殿の後を追いかけ、熱田に八時頃じゃったが三千人あまりが集結したわ。・・わしも殿に遅れまいとして激走したぞ」
「熱田神宮に何で集結したのやねでございます、ぶひ~」
突然、鬼丸が頓珍漢(とんちんかん)なことを言った。
「阿呆~戦勝祈願に決まっておるわ!」
「ぶひ~」
太閤は鬼丸を一喝すると話を続けた。
「昨夜から降りしきっていた雨は、出陣の頃には小降りになっていたが依然として降り続き、辺りは何処もかしこもぬかるんでいて、履いた草鞋(わらじ)がつるりつるり滑り足が土にもぐりこんだわ、でへねへうんば~・・今川は総勢二万五千とも言われていた。・・今川軍は織田の出城を、次々、攻略し、長蛇の列を作り進軍して来たのじゃ。・・今川本陣には、沓掛と丸根、さらに鷲津の砦を落としたと吉報が入り、兵達の間にも楽勝ムードが漂い、心に隙が生じていたはずじゃ。殿は正にそこを狙っていたのよ!何事も油断は禁物じゃよ。物見を方々に放ち、敵の弱点を探し、その心臓部を一撃する。一発の銃弾でも心臓に当たれば人は死ぬからのう、うんばうんばば~」
ここで太閤は深呼吸をした。
「その次の作戦は?」
「殿は千人の兵を善(ぜん)昭寺(しょうじ)砦に残し電撃作戦を取ったのじゃ。つまり、この砦に兵を集め、ここで戦うように見せかけ、その実、残り二千で、夜陰に紛れ今川義元本隊の野営陣地に集中攻撃を掛けようとしたのじゃ。・・陽動作戦じゃ、うんばうんばば~・・敵より劣る少人数で、敵の大部隊の心臓部に致命的打撃を与えれば、どんな最強の部隊も壊滅すると言う訳じゃ、でへねへうんば~・・天も味方したがのう・・攻撃の前あたりから急に雨脚が速くなり、土砂降りになったのじゃ、これで我が方の進撃は覆い隠され、敵方に我が方の動静を悟られずに済んだのじゃ、でへねへうんば~」
太閤は、うんうんと頷く。
「いよいよでおますなでございます、ぶひ~」
興奮気味に顔を赤らめ鬼丸。
「いよいよじゃ!何といってもその後の戦いでもそうじゃったが殿は強運じゃった!織田軍の電撃作戦に、今川軍は大混乱に陥ったのじゃ!・・・油断大敵火がぼうぼうじゃ、うんばうんばば~・・・そこで義元は退却を決意しおった!しかし、決断が遅すぎたのじゃ。いやいや、全ては遅すぎたのじゃ!わしも義元の首を狙って奮戦したが、後の話では初めに馬(うま)廻(まわ)りの服部(はっとり)一(かず)忠(ただ)が義元を槍で一突きしたが、逆に右ひざを斬られ負傷したとか、でへねへうんば~・・義元め、公家にあこがれ武術をないがしろにし、美味い物ばかり食べておって、豚のように丸々肥太っていたが、苦し紛れに振るった刀が服部の膝に当たったのじゃな、でへねへうんば~・・力の勝る義元の勝ちというわけじゃ、でへねへうんば~・・・じゃがその後すぐに毛利(もうり)新助(しんすけ)が斬りかかり、着なれぬ鎧を付けた義元は、地べたでばたばたのたうち、馬乗りになって奴の首をかこうとした新助の指を噛みちぎったが、ついには首をかっ斬られたわけじゃ、つまり豚死じゃな、でへねへうんば~」
「豚死・・・いややでございます、ぶひ~」
体型の似た鬼丸は首をすくめた。
「義元公討死!瞬く間に、この知らせが、味方と言わず敵が入り乱れて戦う戦場を駆け巡ったのじゃ、うんばうんばば~・・わしは最初何事が起ったかわからず、何じゃ、義元がどうしたのじゃ、と半信半疑で味方の兵に聞き質したのじゃ。ことの真相は直ぐに知れた、義元は首をかっ斬られ死んだ、と皆が言うのじゃ、でへねへうんば~・・・それを境に敵は雪崩を打って敗走し始めた。わしらは、万歳~万歳~勝った~勝った~、と駆けずり回り、周りにいる者は手と手を取り合い小躍りし喜び合ったのじゃ、でへねへうんば~・・・・・勝利の踊りじゃな、うんばうんばば~・・今川軍本隊は崩壊し、合戦は織田方の大勝に終ったのじゃ。殿は何という強運のお方じゃ!」
「殿下、大勝利でございましたね。」
大声で五右衛門。
「よかった、よかったでございます、ぶひ~」
鬼丸も小躍りして喜んだ。
「そうじゃ、大勝利じゃ。戦に勝つには、卓越した頭脳、臨機応変の判断力と決断力が不可欠じゃ、うんばうんばば~・・それに功労者を褒めることも決して忘れてはならんぞ!殿は言われた。服部、毛利、共にでかした!それに我軍が勝利を収めたのはみなの奮戦の賜物じゃ、とな。・・後は清州に帰ってから戦勝祝いの馬鹿さわぎじゃった、うんばうんばば~」
その時、太閤はどんな企みがあったか知らないが、何時ものように一気に桶狭間の戦いを捲し立てた。
しかし、最近ではめっきり体力が衰えたのか、よほど機嫌の良い時にしか、合戦話を語ることはなかった。
美濃攻略
桶狭間の合戦から時代は急激に動き始めていた。
そのころ美濃と近江では、織田、斎藤や浅井、朝倉、それらに加え六角、京極等の力関係が拮抗し抗争を繰り返していた。
桶狭間の合戦で今川義元を打ち破った織田信長は、急速に勢いを増し天下統一へ向かい邁進し始めていた。
しかし、信長を取り巻く情勢は厳しく、東には甲斐(かい)の武田(たけだ)信(しん)玄(げん)、北に越後(えちご)の上杉(うえすぎ)謙(けん)信(しん)など狡知に長けた武将がいた。
その意味からも、信長は長年の宿敵、美濃の斎藤家を攻略するため近江の浅井と同盟を結ぼうと決意した。この同盟の戦略的意味合いは美濃攻略と安全な上洛経路確保でもあった。
永禄四年(1561)、道三の後継者・斉藤(さいとう)義(よし)龍(たつ)が急死すると、その嫡男・龍(たつ)興(おき)が斉藤家の後を継いだ。永禄九年(1566)、信長は西美濃三人衆も味方につけ、次の年、永禄十年(1567)、斎藤龍興を伊勢に敗走させた。
信長は尾張、美濃の二国を掌に入れ、いよいよ天下布武を掲げ上洛の機を窺った。
二人の盗賊は話を進める太閤の気迫に押され、黙って聴いているより仕方がなかった。誰しも、この二人が一刻も早くこの寝所から逃げ出せば良いのにと考えるだろうが、二人を取り巻く状況は、何か逼迫した雰囲気が漂っており、容易に逃亡出来るような状況ではなかった。その夜の太閤は、いつも通り桶狭間の戦いの一節を語り終えると、寝台横の水差しから美味そうに水を飲み、一瞬、眼を閉じた。
それは、ほんの一分にも満たなかった。
太閤は、その外見とは裏腹に、盗賊の予期せぬ侵入により、緊張のあまり心身ともに疲れ果てていた。その後直ぐ目を開け、前を見ると、二人の男が彼の寝台から少し離れ座っていた。
彼は一瞬きょとんとして両手で目の辺りを拭った。
ほんの短い時間であったが、彼は何時間も何日間も夢の中を彷徨(さまよ)っていたような気がしていたのだ。二人の顔を見ると、太閤は夢から覚め、現実に引き戻された。そして、今いる自分の立場を理解した。
二人と言えば、太閤がまどろんだすきに何か喋っていたが、その目的からすれば、例の黄金の延べ棒はどこで貰おうなど話合っていたに違いない。
「悪いのう、悪いのう、一瞬眠ったかな、年には勝てんて、うんばうんばば~」
目を覚ました太閤は悪びれた様子もなく、ぶつくさ独言を言った。
「ええと・・・なんじゃったかな?」
「殿下・・・・・」
「分っておる、早く次の話をか・・・」
太閤は五右衛門の言葉を又もや遮った。
「あの・・・」
五右衛門の次の言葉も完全に無視した。
部屋の燭台や行燈の光は薄暗く、太閤から彼らの姿はぼやけて見えた。太閤からすれば、今や二人はお釈迦様の掌の内にある孫悟空そのものであった。
お市様命(いのち)・太閤天下取りの原点
太閤は寝台の上で姿勢を正し再び語り始めた。
「あの年、永禄七年(1564)は決して忘れられん、忘れろという方がおかしい、わしの恋慕しておったお市様が、北(きた)近江(おうみ)の浅井長政の元にお輿入れじゃった。・・わしが二十七歳の時じゃった。あの時からわしの人生は変わったのじゃ、わしは固く決心したのじゃ、うんばうんばば~・・わしは出世して、お市様のような女(おなご)を手に入れようと!・・わしの天下取りの原点じゃ、でへねへうんば~・・・わしはお市様をお見かけした時、この世にあんな美しい女がおるのかと目を疑ったぞ!お市様の立ち振る舞い、話しぶり、その妙なる声、どれ一つとっても、今まで出会った女にはない気品に満ちた華麗さがあったのじゃ、でへねへうんば~」
その時の太閤には憧れがちにこう見えた。
「寧(おね)さまは?」
意地悪く五右衛門が水を差した。
「わしの嬶(かかあ)か、あれはあれでわしの恋女房じゃ。おかしな所でわしの話の腰を折るでない」
一瞬太閤はむっとした。
「殿下は恐妻家では・・・」
それでも五右衛門は一言。
「そうじゃ、そうじゃ、わしは寧には頭があがらん、でへねへうんば~・・わしには正妻、側室を含め、ざっと数えても百以上の女がいたがのう、どれもこれもお市様に比べれば、月とスッポンじゃった」
「ひひひひひひやくく・・百人、まるで種馬や、ぶひ~・・・」
鬼丸は仰天。太閤は薄明かりの中、両の手を広げ、一本ずつ指を折っていた。側室や今まで彼が寵愛した女を数えていたのだ。
「月とスッポン?」
「そうじゃ、どちらも丸いじゃろう。じゃがその差は歴然じゃ、でへねへうんば~」
「成程、似ても似つかんものですね」
「似ても似つかんもの?ええい、ごちゃごちゃ言うでない。数が多すぎて何人いたか分らんようになったわ。・・・じゃが、いくら側室がいようが、わしが生涯お慕いするのはお市様ただお一人じゃ、でへねへうんば~・・・ただ一人じゃ・・・」
太閤は両指を折り女の数えていたが、あまり多過ぎて分らなくなり、ぶつくさ文句を言った後、最後にただ一人じゃ、を強調した。
「純愛物語やなでございますね、ぶひ~」 「そうじゃ、純愛物語じゃ、純愛、純愛じゃ~ああっ~」
太閤は意外にも、合戦の話から大きくそれ、お市様の事を話し始めた。何故かと言えば、天下を握る前も、握ってからも、彼の心の中は、いつもお市様しか愛する女はいないのであった。ひょっとすると、そのために戦って来たのかも知れない。その執着心は異常で、淀の方を度々お市様と間違えて呼び、そのつど叱責される有様であった。
「殿下、いっそ私の事をお市様とお呼びになられたらどうですか!」
それでも度重なると、淀の方は半ば呆れ果て、皮肉交じりにこんな風に言う始末だった。
「そうかそうか、それは良い提案じゃ、そう呼ばしてもらおうかのう」
太閤は喜色満面の体で応えた。
「もう知りません・・・・・」
「痛ててててっ~、淀よ、何をするのじゃ、うんばうんばば~」
悪乗りした太閤は淀の方に思いっきり尻を抓(つね)られ悲鳴をあげた。
「お市様が、浅井長政様の元に輿入れされた後はどうなりましたでしょうか」
五右衛門が話を元に戻そうとした。
「そうじゃ、そうじゃ、わしはお市様の事になるとついつい理性を失い、脇道にそれてしまうのじゃ、すまん、すまん。その時わしは若輩で、しかも足軽に毛が生えたたぐいじゃった」
「お名前は木下(きのした)藤(とう)吉郎(きちろう)と名乗っておられましたな」
五右衛門はさらに話を進めようとした。話をただ聞いているばかりでは、つまらないのだ。その時、五右衛門と鬼丸はどうかと言えば、いつしか寝台から少し離れた辺りに座布団を丸め、楽な姿勢で聴いていた。それは太閤の指示によるものだった。
「そうじゃ、そうじゃ。木下藤吉郎じゃった。
しかし、下端じゃったが、わしはわしの出番がきっとあると思い、心の準備はしておった。それがついにやってきおった、でへねへうんば~」
「殿下、墨俣(すのまた)の一夜城のお話やないかでございます?ぶひ~」
鬼丸が勘を働かせ言った。
「そうじゃ、そうじゃ、お前は見かけによらず中々勘(かん)が鋭いな!」
「そうでおますやろでございます、ぶひ~」
そこで太閤の話は出世話に変わった。
どことなく声にも張りが出て、声色も良くなった。
「墨俣の砦を造る頃、わしは野心満々じゃった。・・あれは確か永禄九年(1566)じゃったな、でへねへうんば~・・何しろ自分で言うのもなんじゃが、そこいらの盆暗頭(ぼんくらあたま)の武将とは違い、わしは発想が独創的じゃったし、頭の回転も速かったのじゃ、でへねへうんば~・・うふん、うふん」
そこで自慢げに頷いた。
「つまり自分で言うのもなんじゃが、頭脳明晰というわけじゃな!頭の回転が速いというのは、その時、その時、現場でどう素早く対応し、処理するかの即応力じゃよ、でへねへうんば~・・墨俣の砦を造るにあたり、何の準備もなく敵の鼻先で、砦など築けるなどと思ってはいなかったのじゃ、うんばうんばば~・・・わしが殿から命令を受ける前、頭の空っぽの馬鹿どもが、何の準備もなく丸太を運び込み、とんかちとんかちと敵前でやりおって、敵の弓矢と火縄の餌食よ!わしはやつらの愚鈍さに呆れかえったわ、でへねへうんば~・・所で最初、墨俣に砦を造るように言われたのは、佐久間信盛よ、奴めは殿の命令で仕方なしじゃ。後に殿の叱責を受け、高野山に親子ともども追放されたが、家柄だけでは、いつかは化けの皮が剥がれるというわけじゃ、そんな輩は世の中ごまんとおるのじゃ、うんばうんばば~じゃが、長年忠実に仕えても奴のように紙屑同然に捨てられてはのう、うんばうんばば~・・この追放も、後の光秀の謀反の布石になったかもしれん。まあ過ぎたことじゃが、でへねへうんば~・・折角のチャンスなのにのう!・・奴は初めから、砦など、敵の真ん前に造れるなどと、思ってもいなかったわけじゃ。・・佐久間は工夫がたりなかったな。それで直ぐに穴(けつ)(尻)を割りおった。つまり途中で投げ出したのじゃ、うんばうんばば~・・次はわしの宿敵となる柴田勝家じゃった。奴は必死にがんばった。何せ勇猛果敢さでは、織田家で一、二を争う武将じゃったからな・・・奴は筋肉がある筋肉男(キンニクマン)じゃ、奴と相撲をとったら、わしは絶対に勝てんかったじゃろう、うんばうんばば~・・・つまり、佐久間とはわけが違う。それでも弓矢と火縄を雨あられと射かけられる。おまけに夜討ちをかけられおった。・・奴がいくら勇猛果敢でも奴は一人じゃ、全員勝家なら話が違うがのう、うんばうんばば~・・・我武者羅(がむしゃら)にやっても砦は築けん。何日も粘ったが、怪我人と死者を多数出し、ただ消耗しただけじゃよ。奴は殿の前で、憔悴しきった顔をして、呆然と立ち尽くしておったわ、でへねへうんば~・・・戦と砦造りは全く別物じゃ、殿は見兼ねてこう言われたわ。・・勝家お前はよくやった、墨俣に砦など造るのは、所詮、無謀な作戦かもしれんな、おまえは、新たな任務に付け!・まあ、殿はこの男では無理とお考えになったのじゃろう、つまり見切ったのじゃ、でへねへうんば~・・それに彼ほど勇猛果敢な武将はざらにはおらんからのう。こんな所でむきになって、犬死でもされたらかなわんとお考えになたのじゃろう、でへねへうんば~・・殿は勝家をかっておられたからな!しかしわしから見れば、勝家は質実剛健じゃが、頭が悪い!つまり筋肉はあるが脳味噌が足らん。案の定、勝家も穴割りじゃった、うんばうんばば~」
太閤は、敵愾心をむき出しにし勝家を腐した。
なにせ、愛しのお市様をその後横取りされた男だ。
「殿は癇癪を起され叫んだわ!誰か砦を築ける者はいないか!誰も!誰も手を挙げん、うんばうんばば~・・わしは黙って殿の顔を見上げたわ!その顔にはやってやるという意気込みが漲(みなぎ)っていたと思う、気迫もじゃ、うんばうんばば~・自分からやると言えば成上者が、出しゃばって、と言われるじゃろう、でへねへうんば~・・能力の無い者の薄汚い言草じゃ、嫉妬とやっかみ、これはいつの世にも付きまとうことじゃがのう。・・殿はわしの猿顔を見て、猿!お前はどうじゃ、と言われたわ、でへねへうんば~・・・・大抜擢じゃ、誰もが尻ごみしていた城の構築を足軽あがりの名もない若輩のわしに!・・わしの体中に戦慄が走り、緊張のあまり倒れそうになったぞ!しかしわしには自信があった。以前、清州の土塀が崩れた時、わしは何組にも人夫を分け、各組を競わせ短期間に土塀を修復させたことがあった。それを殿は良く覚えていてくだされた。流石、わが殿じゃ、人物をよく見ておられる。この方の為なら命は惜しくない、とその時心底思ったぞ、うんばうんばば~・・指名を受けた時、並みいる武将は、皆一様に驚愕し、わしを見詰めたわ、うんばうんばば~・・・・皆、ぽか~んと口を開けてな、また殿の気紛れが始まったという風にな、阿呆っ垂れた顔をしてな、うんばうんばば~・・どの顔にも、この猿に出来るかと言う侮蔑の表情さえ色濃く出ており、顔を見合わせひそひそ喋っておった、うんばうんばば~」
ここで太閤は、寝台横の台から水差しを取り、冷やした茶を湯呑みに注ぐと、美味そうに喉をごくごく鳴らし飲んだ。
「一番美味い物は茶じゃ」
呑み終わると、太閤はさも満足気な顔をして、こう一言つぶやいた。
「お前達も、茶を飲め、酒饅頭も食べよ・・・」
太閤は、台の上の器から饅頭を取り、ぱくつきながら二人にも勧めた。
「お前達もよく知っているだろうが、わしはその時、お前がさっき言ったように、木下藤吉郎と名乗っておった、でへねへうんば~・・お前達もわしの出世話を聞いたことがあったじゃろう。わしは野心を抱き、若き日々、諸国を流浪しておったのじゃ。そこで知り合ったのが、蜂須賀小六(はちすかころく)(正勝)よ。・・後にわしの参謀の一人となる男じゃがのう。・・良く言われる話じゃが、わしが筵(むしろ)に包まって矢矧(やはぎ)川(がわ)の橋の上で寝ておると、そこに小六が手下をつれ通りかかり、わしの足をいやっというほど踏ん付けたのじゃ。いててっ、何するのだ、痛いぎゃ・・とわしが言うと、おまえは誰だ、こんな橋の上で寝ころんで何しとるのだ、と小六が言うので、わしは日吉丸だ、ここで寝とるのだわ、足を踏んで痛いぎゃ、謝りやあせ・・・そんなやり取りも有り、それが縁で蜂須賀と知り合ったというわけじゃ。じゃがあれは、わしの出世を盛りたてるための作り話じゃ、でへねへうんば~・・第一あの川には橋などなかったのじゃ、でへねへうんば~・・わしはな蜂須賀には感謝しとる。殿に仕えるようになったのも奴のおかげじゃ。人間何処に運が転がっているかわからんな・・・わしは橋に寝転がり、運が転がりこんだ、どうじゃ上手い洒落じゃろう、わっはっはっはっは~」
「わてもここで寝転がり、運が転がり込むといきたいものやなでございます、ぶひ~」
「おまえは泥棒のくせに、なかなか面白い事を言うな・・・その蜂須賀に、わしにお鉢が必ず回って来ると思い、密かに木曽の山林を調べさせ、準備はしとったのじゃ。奴は川並(かわなみ)衆(しゅう)にも顔がきく。・・密かにじゃぞ、さっき話したように、わしが最初からしゃしゃり出てみい、嫉妬とやっかみに加え、恨みと憎しみさえ買うばかりじゃ、なにせわしは足軽出じゃからな!・・・・こう言う場合、やるべき時期が肝心じゃ、うんばうんばば~・・それに殿の御命令であれば、誰も文句は言えん!・・・長良川や木曽川の上流の山には木はぎょうさん有るで、それを伐採し長良の水の頃あいを見はからって筏で流せばすむ!墨俣城は、秀吉の一夜城と言われているが、周到に準備をしておいたからこそ出来たのじゃ、運が良くて出来たのでは断じてないのじゃ、うんばうんばば~・・およそ三千人を動員してな、三日三晩の突貫工事よ。まずは外枠だけじゃ、うんばうんばば~・・あれは城でも何でもない、ただの丸太と泥と石で出来た砦よ!まずは橋頭堡(きょうとうほ)を造らねばならん、うんばうんばば~・・・・それで十分敵の攻撃は防げたわ・・」
太閤は墨俣城築城の前から、密かに木曽川の水運業を営む蜂須賀に相談し、人夫を駆り集め周到な準備を整えていた。
「墨俣砦が完成し美濃攻略の足掛かりが出来、なによりも殿が褒めてくれたのが嬉しかったぞ。それからわしも一目置かれるようになり、殿から期待される立場に立ったわけじゃな。・・ついに殿は、斎藤家を滅ぼし、美濃の国を掌中に握られ、いよいよ上洛じゃ、うんばうんばば~」
ここで太閤は得意満面に言い、髭に指をやりくるりくるり捻じ曲げた。
天下を盗んだ大泥棒 第一部