ゼンマイ労働者と少女の物語 1話-4話
誘拐
寂れた街のレストランに、中年に近い男と10代の少女が、お互い会話をするわけでもなく、まるで他人のように同じテーブルで向かいあっていた。
男の名は、シンジ。
年齢は30歳。
というよりも、30歳までは、真面目に年齢を数えていたが、30歳を境に、自分の年齢を数えるのが面倒臭くなってしまって、止めてしまったのだ。
それから何年も過ぎていたので、正確な年齢は本人も分からなかった。
だから、彼の年齢は、永遠に30歳のままだった。
目の前に座っている、綺麗な顔立ちの少女の名前は、ユキ。
ユキという名前は、恐らく偽名だろうとシンジは思っていた。
そんなことはどうでも良かった。
シンジが、ゼンマイ労働者がたくさんいるトカイから逃げようと、朝の人ゴミの流れに逆らって歩いていたとき、彼女に出会った。
彼女は、雨も降っていないのに、傘をさしていた。
朝の通勤ラッシュの中では、ただの邪魔者でしかなく、人ゴミの大きなうねりによろめきながら、彼女は歩いていた。
いつものシンジなら、彼女に気にもとめなかったであろう。
でも、彼には、いつもと違う時間が流れていた。
シンジは、彼女に声をかけた。
「ねえ、君」
それが、ユキとの出会いだった。
ユキは、空ろな目で、音楽を奏でるイヤリングを耳につけていた。
今思えば、シンジの言葉なんて聞こえていなかったのだろう。
「僕と一緒に来るかい?」
自分でも、何を言っているのか分からなかった。
朝っぱらから、中学生とおぼしき女の子を、30過ぎの中年男がナンパである。
しばらく、ユキは不思議そうな目で、シンジのことを見つめていたが、やがて無表情にコクンと頷いた。
「よし決まりだ。僕と一緒に、ここから出て行こう」
シンジは、そう威勢よくユキに話しかけて、彼女の手をぐいっと引っ張って駅まで連れていき、世の中の流れとは逆向きの電車に乗った。
世間で言うところの誘拐だった。
彼は誘拐の罪を犯してしまった。
世間の誘拐と違うところと言えば、彼にその自覚がなかったことだ。
ユキも全く抵抗をしなかった。
ユキにも、誘拐をされているという自覚がなかったのだ。
流れ星収集家
シンジは、つい昨日まで、ゼンマイ労働者の一人だった。
朝になったらゼンマイを巻き、満員電車に押し込まれ、IDカードをかざして最上階の見えないビルの中へと消えていく毎日。
通勤途中、何度も、ゼンマイがうまく巻けなくて、そのまま路上に倒れてしまった労働者たちを、シンジは目にしてきた。
かわいそうに、シンジをはじめ、誰もそんな人間には目もくれなかった。
ゼンマイを巻けなかった労働者は、苦しそうに地面に倒れて痙攣したかと思うと、そのままピクリとも動かなくなった。
しばらくしたら、どこからともなく、ゴミ収集車がやってきて、そんなゼンマイ労働者を手際良く回収していった。
このトカイでは、ありふれた日常の一コマで、誰も気にも止めるものはいなかった。
明日は、我が身かもしれないという、微かな恐怖が頭をかすめ、背筋をぶるっと震わす程度だった。
1年間に、ゼンマイを巻けなった人の数は3万人を突破。
年々、増加傾向だそうだ。
そんな統計上の数字を出されても、ゼンマイ労働者のはびこったトカイにおいては、何の意味もなさなかった。
そして、シンジも、ある日、ゼンマイを巻くことに嫌気がさしてしまった。
彼は、ゼンマイを巻くことをやめるのではなく、日常のプログラムに従うことをやめて、いつもの自分とは、反対の方へ歩くことを選んだのだ。
そんなとき、雨も降っていないのに、傘をさしているユキに出会った。
ユキは、シンジとトカイを脱出する列車に乗り込んだ。
ユキが窓側に、シンジが通路側に座っていると、向かい側の座席に、外套を着た老紳士が座った。
「こんにちは」
老紳士は、礼儀正しく挨拶をした。
ユキは、イヤリングの音色で聞こえないのか、何の反応も示さなかった。
仕方なく、シンジが会釈をした。
これが、シンジとユキの旅の目的を決定づける、流れ星収集家の出会いだった。
重そうなボストンバッグを大切に持っていた。
「このバッグの中身は何だと思います?」
老紳士は、聞かれもしないのに、シンジに聞いてきた。
ユキは、相変わらず、そっぽを向いて窓を眺めていた。
シンジは、回答に困って、「さあ、分かりませんね」と答えた。
老紳士は、ニッコリ笑って、バッグの中身を見せてくれた。
それは、微かに光輝く手の平サイズの石だった。
石の中に、青白い炎や、緑色の炎にうっすらと輝いていて、それらが透き通って見えた。
全部で5種類ほどの、大小様々の石が、鞄の中に詰め込まれていた。
「何ですかコレは」
シンジは、すっかりその綺麗な石の虜になっていた。
シンジばかりではない。
ユキも、音楽を奏でるイアリングをはずして、老紳士の顔を、まじまじと見つめていた。
癒しの光
「どれ、詳しく説明しましょうかね」
老紳士は、そう言って微笑むと、この石の正体は流れ星であると説明してくれた。
彼は、自分のことを流星収集家だと言った。
「空に輝く流れ星なの?」
シンジは、ユキの言葉を初めて聞いた。
10代とは思えない、しっかりした声だった。
老紳士は、ゆっくり頷くと、二人に流れ星の話をしてくれた。
大抵の流れ星は、空で明るく輝いた後、塵となって消えてしまう。
しかし、ごく稀に、石ころぐらいの大きさのまま、地上へ落下しているというのだ。
老紳士は、流星を見たという話を手がかりに、世界中を旅しているのだと言う。
流れ星を探すことは容易ではなく、かれこれ、30年は旅をしているそうだ。
「どうして、そうまでして流れ星を探しているのですか?」
シンジが尋ねた。
「宝石と同じで、きっとお金になるのよ」
ユキが、そう呟いた。
老紳士は、苦笑いをして首を横に振った。
「せっかく見つけた流れ星ですから、どんなにお金を積まれたところで、売ったりはしませんよ」
そう言って、鞄の中から、赤色の炎がうっすらと中で輝く小さな流れ星を取り出すと、シンジの手の平に、そっと置いた。
流れ星は、ゴツゴツとして不細工で、見た目はただの岩石だった。
しかし、その岩石の中には、温度を感じない炎が、ゆらゆらと揺れていた。
シンジが、その炎のゆらめきを眺めていると、かつて、自分の背中にゼンマイが無かった頃の思い出が、ふっと頭をよぎってきた。
多くの友人たちと笑い、夜遅くまで語り尽くした、充実した時間。
頭の中には、今まで聴いたことのないような、素敵な音色が、直接、響いてきた。
音色というよりは、その時代の地球の音だった。
どれくらいの時間が流れたのだろう、シンジは、その炎をぼんやりと眺めていた。
「これは一体?」
そう答えるのが精一杯だった。
「さぞかし、驚かれたことでしょう」
老紳士は、そう優しく微笑んで、流れ星の秘密を話してくれた。
流れ星は、地上に落ちる前に、多くの人の願いごとや、その時代のあらゆるエネルギーを一身に受けながら、光輝くのだそうだ。
だから、塵にならずに石となって残った流れ星には、その当時の時間が変わらず残っている。
シンジの頭の中に、直接入ってきた映像と音色が、まさにそれだった。
ユキはそれを聞いて、シンジから流れ星を受けとり、炎の光を不思議そうに見つめた。
眺めていると、心が水で洗われていくような、癒しの炎だった。
「私には、何も見えないわ」
ちょっと、がっかりしたような顔で、彼女は、そう言った。
「その時代の流れ星は、お嬢さんには合わなかったのでしょう」
そういうこともありますよと、老紳士は言った。
「私はね、ちょうどあなたくらいの年齢の頃に、偶然、流れ星を目にしたのですよ」
そう言って、シンジを見た。
忘れ去られた街
「私は、10歳の頃に、戦争で両親と兄弟を全員失ってしまって、たった一人で空しく生きていました。しかし、この流れ星を目にしたとき、もう記憶の中で思い出せずにいた家族とみんなで過ごした温かい時間が、ありありと蘇ってきたのです」
老紳士は、愛おしそうに、ユキの手の平に輝く流れ星を見つめて言った。
「それからと言うもの、私は、亡くなった家族との時間を取り戻したくて、必死に、世界中を探し回りました」
列車は、トカイの町並みを過ぎ、海岸沿いの田舎街を勢いよく走っていた。
やがて、場内アナウンスで、次の駅が告げられた。
「さて、私は、次の停車駅で降りることにします」
老紳士は、そう言って、重そうなボストンバッグのファスナーを閉めた。
「あの、コレ」
シンジが、流星がユキの手に残ったままであることに気づいて声をかけた。
「その流れ星は、あなたたちに差し上げます」
シンジとユキは、あっけにとられた。
売ることが出来ないくらい大切なのだと、さっき説明したばかりだったからだ。
「あなたたちも、流れ星を必要としているようだ。その石が、あなたたちの生きる道を示してくれますよ」
老紳士は、そう二人へ告げると、停車した駅へ降りていった。
小さな赤い流れ星が、ユキの手の平で輝いていた。
それから、どれくらい列車へ乗っていただろうか、やがて、車窓の景色に飽きて、二人は、いかにも寂れた感じの駅で下車した。
「人々から忘れ去られた街」
それが、この駅の名前だった。
確かに、シンジとユキ以外は人の気配はなく、改札も無人だった。
駅の待合室は、誰も掃除していないのか、埃が積っていて、天井にはくもの巣が張っていた。
そんな、無人の駅を後にして、二人を出迎えたものは、活気を失った街の風景だった。
生ぬるい風が吹きぬけ、土埃が舞う。
目の前にバスロータリーと思しきスペースがあるが、当然、車は1台も走っていなかった。
ふと、バスの停留所にあるベンチに、老婆が座っていることに気づいた。
老婆だけでなく、よく見ると、作業着姿の青年や、日傘を差した女性など、何人かの人たちが、ロータリーの周辺にいた。
にもかかわらず、活気を全く感じないのは、彼らが蝋人形のように全く動かなかったからだ。
いつから動くのをやめてしまったのだろうか、洋服には、随分と埃が積っていた。
ゼンマイ労働者と少女の物語 1話-4話