愛と哀しみのバナナマン(6)

第夢、霧話 さらば、バナナマンたち

 僕は驚いた。新聞の番組欄には「さらば、バナナマン」と書かれていたからだ。ええ、今日が最終回なの?僕はテレビのスイッチを付けた。テレビでは、画面にバナナマンが映し出されていた。しかも、マイクを持っている。何の事件を発生していないのに、バナナマンが最初から登場するなんて。これは異常だ。いや、バナナマンが最初から登場していることが事件なのだ。僕は画面に釘つけになって魅入った。

 好評のうちに放映されてきた「愛と哀しみのバナナマン」ですが、残念ながら、本日が最終回です。打ち切りの理由は、子ども向け番組なのに、理屈が多い、意味深だ、表現が子どもに向いていない、暗い、明るくない、などなどの数多くの意見が放送局に寄せられ、番組の内容は一部の視聴者に好評であったものの、大多数の視聴者からは無視され続けました。
 放送局も慈善事業じゃない。視聴率が低ければ、スポンサーがつかない。スポンサーがつかなければお金が入らない。お金が入らなければ番組を制作ができない。番組が制作できなければ、放映ができない。もちろん、この番組の公益性、有益性を理解して、無料ででも制作してもいいと監督や俳優たちがいたものの、放送局側は、やはり収益性を重視して、番組を終わらすことにしました。 もちろん、脚本家が、あまりにも「愛と哀しみ」にこだわり、前回以上の内容のある作品を作ろうとしたために、プレッシャーに押しつぶされ、脚本が書けなくなり、作家でありながら、アル中な、乱暴者になったせいでもあります。
 昨日の、新聞の三面の片隅に、「愛と哀しみのバナナマン」の脚本家○○ △が、酔っぱらって自転車で蛇行運転を繰り返し、警察に逮捕されたと言う記事が掲載されました。本人からは、「仕事に行き詰ってしまいまいた。今は、悲しみに浸っています。誰か、私に愛をください」と自分のブログにコメントを載せていました。残念なことです。これからは、朝寝夜起きではなく、早寝早起きのような、規則正しい生活をして、良好な作品を生みだしてもらいたいものです。あなたは、まだ若い、才能も豊富だ。もちろん、このセリフは、あの、アル中で乱暴者な脚本家がしゃべらせているのです。自分自身で、反省することは正しいことです。
 話しを戻します。とにかく、「愛と哀しみのバナナマン」は、本日の放送を持って、終了いたします。長い間、いえ、ほんの短い間でしたが、番組を視聴していただいた皆さんに、感謝します。私からだけでは不十分なので、これまでの登場人物からも一言、お礼を申し上げたいと思います。さあ、早く。

 バナナマンの後ろには、怪鳥コケコッコーン、怪亀カメダイ、怪物ゴミモン、アル中な乱暴たち(一人)、見えないけれど見えない敵が並んでいた。バナナマンにやられたはずなのに、何故、今、ここにいるんだろう。僕は不思議な気持ちだった。それだけ、番組に感情移入していたせいだ。
 だが、現代っ子の僕は、怪鳥コケコッコーンも、怪亀カメダイも、怪物ゴミモンも、全て着ぐるみであることを知っている。着ぐるみの中には、大学生のアルバイトや役者の卵なんかが入っているんだ。まだ、顔は見せられるほど、有名じゃないけれど、怪獣や怪物の演技をすることで、将来は、いつかは、筍の皮を剥くように、化けの皮を剥ぐように、自分の顔で勝負できるんだ。頑張ってほしい。
 だけど、僕は、何に感情移入しているんだろう。そして、一人だけ素顔の男がいる。アル中な、乱暴者だ。この人が番組に出演していたことは覚えていないけれど、ひょっとしたら、この人が、脚本家なのだろうか。自分の不始末を最後に詫びとは、なんて、潔いんだろうか。もちろん、見えない敵はいるとしても、見えない。
「さあ。みんな、ご挨拶して」
 バナナマンが促す。先頭バッターは、怪鳥コケコッコーンだ。バッターと言っても、これは野球じゃないから、バットを持っているわけではない。コケコッコーンは、手、いや、羽根を羽ばたかせて、「コケッココーン」と叫んで、一礼すると、すぐ後ろに下がった。
 二番バッターは、怪亀カメダイだ。背中に大きな甲羅を背負い、頭を下げながら、「カメダイ。カメダイ」と礼を言った。その次は、怪物ゴミモンだった。体中に、空き缶やビニール袋、新聞紙などを引っ着けての登場だ。三怪獣の中では、一番みすぼらしいけれど、一番、エコな怪物だったと思う。ゴミモンの着ぐるみは、すぐにゴミが落ちてしまうので、ADなど、裏方の制作者たちは、ごみ拾いに大変だったろう。
 僕も学校で、清掃当番をしている。校庭の落ち葉を集めても、風が吹くと、落ち葉が広がったり、木から葉っぱが落ちてきて、元の黙阿弥になってしまう。永遠に続くかもしれない落ち葉拾い。まるでそんな気分だ。
 ゴミモンも、「ゴミゴミ、ゴミゴミ」と小さく呟き、頭を下げると、後ろに下がった。いずれの怪獣も、僕たち子どもの夢を壊さない配慮なのか、日本語じゃなく、コケコッコーコ語、カメダイ語、ゴミモン語で挨拶した。僕は、コケコッコーコ語やカメダイ語、ゴミモン語がわからなかったけれど、それぞれの怪獣の態度で、相手が何をしゃべっているのかわかった。多分、まだ、中途半端な役者なので、目立つことを許されなかったのだろう。
 ふと、思ったのだけれど、バナナマンだけが日本語をしゃべっている。番組中は、どんな時でも、「バナッチ」としかしゃべらなかったはずだ。もちろん、僕には「バナッチ」としか聞こえなかったけれど、バナナマンとしては、「よし、いくぞ」とか、「負けてたまるか」とか、「怪獣たちも可哀そうな奴らだ。全て人間が悪いのに」とか、バナナ語でしゃべっていたのかもしれない。
 だけど、今は、マイクを片手に、着ぐるみ(そうだ、バナナマンも着ぐるみを着ていたのだ。バナナスーツと言う着ぐるみを着ていたので、僕にはわからなかった。入れ子状態だったのだ。でも、ひょっとしたら、バナナマンの着ぐるみの下にも、もうひとつのバナナマンの着ぐるみがあり、その下にも着ぐるみがあり、どんどんどんどんバナナマンが小さくなり、最後には消えてなくなるかもしれない。
 それじゃあ、本当のバナナマンはどこ?着ぐるみという皮はあっても、実は、中身がなかったのだろうか。じゃあ、僕たち人間も、皮を被っているけど、実は中身なんかないのかもしれない。
 そう言えば、庭に転がっていたセミの着ぐるみ、いや、死体は本当に軽かった。生きている時は、朝早くから鳴き出し、木から木へ飛び移るほど、元気なはずだったのに。魂がなくなると、個体の体まで軽くなるのだろうか。それじゃあ、人間も同じなのだろうか。こんなに哲学的なことを、あのバナナマンの番組は教えていてくれたのだ。僕はテレビに向かって手を合わせ、感謝の意を表すため、お辞儀をした。二礼二拍手一礼だ。
 最後に挨拶したのが、唯一、着ぐるみを着ていない、人間だった。アル中な乱暴たち(一人)だ。
「これまで、本当にありがとうございました」
 首はうなだれ、まるで陽炎が立っているかのように、生気がなかった。あの乱暴者の雰囲気は全くなかった。今は、アルコールが切れて、放心状態なのか。僕のパパも、缶ビールを片手にソファーに横たわって眠っていることがある。テーブルの上には、空缶が、ボーリングでストライクを取った時のように、仲良く倒れている。三本目はパパの手。四本目がパパ自体だ。みんな、どこからか大きなボールが投げられて、倒されてしまったのだ。だから、パパも気を失ったかのように、ソファーに寝転がっている。だけど、パパは乱暴者じゃない。乱暴する前に、アルコールで気を失っているのだ。
 僕が思うに、あの乱暴者が、このバナナマンの脚本家なのだろう。最後に、これまでの視聴者へのお礼と作品を書けなくなったことへのお詫びをするためなのか。でも、脚本家は、道路工事の看板のように、黄色いヘルメットも、職人の店で売られている作業着も着ていないし、満員電車で間違って足を踏まれても大丈夫な安全靴も履いていない。よれよれの薄汚れたTシャツと洗ったことがないようなジーンズを履いている。人は見た目じゃないと言うけれど、これでは、全く、お礼もお詫びもする姿じゃない。
 今、すぐにでも、テレビ局へ抗議の電話をしようかと思ったが、この番組は最終回だし、録画放映だ。電話で抗議しても、次につながらない。僕はあきらめた。と、同時に、こんな衰弱しきっているのに、わざわざ番組に出演した脚本家に憐れみと同情と敬意を感じた。ひょっとしたら、この素振りも、脚本家や演出家が考えた結果なのかもしれない。それなら甘んじて受けよう。
 最後は、見えない敵が挨拶するべきなんだろうけれど、見えない敵は僕にも見えないので、挨拶をしたかどうかはわからなかった。
 全ての登場人物の挨拶が終わった後、バナナマンを始め、怪鳥コケコッコーン、怪亀カメダイ、エコ怪物ゴミモン、アル中な乱暴者が、輪になると、バナナ音頭を踊り始めた。最後を締めるにふさわしいエンディングだ。踊りが終わった。祭りが終わったのだ。楽しい踊りのはずなのに、なんだか僕には寂しく、悲しく感じた。とてもじゃないけれど、一緒に踊れなかった。僕は、夢が消え、代わりに、目の前に霧が立ち込めているような気がした。決して、涙なんか、流してないぞ。
 番組では、バナッチとしかしゃべらなかったバナナマンが、日本語でお礼全て話を終えると、バナナマンの礼という掛け声とともに、出演者が一斉に頭を下げた。僕も思わず、頭を下げた。何か、テレビと僕が繋がったような気がした。僕が頭を上げた時、テレビでは、バナナマンお茶漬けのCMが流れていた。ほんのり甘く、黄色い、ババナ味のお茶漬だ。バナナマンの放映が終わると、このお茶漬けも売れなくなるのだろう。

「さあ、テレビ消しなさい。ごはんですよ」
 テーブルの上に夕御飯が並べられた。僕の大好物のとんかつだ。特に、濃厚なソースがたまらない。これだけで、ごはんが軽く二杯は食べられる。だけど、僕は「ちょっと待って」と言うと、キッチンの奥にある戸棚から、缶を取り出した、
 中身は、バナナマンお茶漬けだ。残りは一袋しかない。いつもなら、ママに「バナナマンのお茶漬がなくなったよ。また、買っておいて」と口にするところだが、何だか、頼むのをやめた。残りひとつの袋を持つと、食卓に着いた。そして、今日は、ごはんを三杯お代わりしようと心に決めた。

愛と哀しみのバナナマン(6)

愛と哀しみのバナナマン(6)

第夢、霧話 さらば、バナナマンたち

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-23

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