いつもの夜に
『今日はありがと。とっても、楽しかったよ。今までで、一番楽しかったディズニーランドだったかも・・・。良かったら、また誘ってね♪』
借りてきたアダルトビデオで自慰行為中の裕也の背後から、突然響いたメールの着信音に、彼は、座った姿勢のまま飛び上がるほどに驚いた。やがて自慰行為を済ませた裕也は、そのメールの内容を確認すると、とりあえずは「大過なし」だった事が確認出来て、ほっとした。そして、先程まで作り物っぽい女性の表情が映っていたチャンネルを、〈DVD〉から〈テレビ〉に戻した。すると、画面には、視聴者によって投稿された雑学を紹介する、人気の雑学番組が放映されていた。点けっぱなしの暖房のせいか、部屋は澱んだ生暖かい空気に包まれていた。
『桃太郎は、桃からではなく、桃を食べて若返ったお爺さんお婆さんの間に産まれた』
テレビの中では、芸能人たちが手を打ってはしゃいでいる。その、〈確認のVTR〉とやらで、気の弱そうな老人が加えた説明によると、「明治某年に、国定教科書に取り上げるに当たって、内容を改竄した」との事であった。それを聞くと、また芸能人たちが笑い声を上げた。更に、ナレーションと字幕が『お父さんお母さん、子供に聞かれても、桃太郎は桃から産まれたと言って下さい』と付け加えると、スタジオはいよいよ歓声に包まれた。
裕也は頼りない気持ちでテレビを切った。何故にそのように隠すのか、と思ったのである。性行為によって子供が出来る事など、今日び幼稚園児でも知っている、と彼には思われた。先ほどのアダルトビデオでも、性器には当然のようにモザイクがかかっていた。ならば、モザイクから産まれた人間なんかは、みんなモザイクで隠さなければならないな、などと考えると、裕也は思わず失笑してしまった。
裕也の頭には、一年前に受講した〈フェミニズム〉の授業のことが浮かんできた。彼がその授業に出席したのは、その前の年に経験した、初めての性行為の失敗が影響していた。裕也は、いわゆる勃起障害ではなかったが、自慰とは違う、近すぎる距離に居る相手の顔を見ていると、何故だか、勃起できなかったのである。目を瞑り、アダルトビデオの女を想像すると、幾分何とかなりそうな気もしたが、それはそれで相手に失礼だろう、と考えたりして、やはり上手くいかなかった。それに、女性器が自分の想像以上にグロテスクだった事なども、その失敗の原因であろう、と裕也は思っていた。その失敗のせいで彼女とうまくいかなかったと感じていた彼は、何となくその授業を選んだのである。しかしその内容は、一般論のようなもので、裕也には物足りなかった。だが、その試験の事は、彼の心に今でも引っ掛かっていた。
その試験は、強姦被害を受けた女性の話を綴ったビデオを教室で観て、その後その場でレポートを書く、というものだった。強姦現場の再現VTRの後、涙ながらにその心境を語ったその女性の姿には、同情を禁じえないものがあったように裕也は思い返したが、肝心の、その主張の内容はほとんど忘れてしまっていた。だが、彼には忘れられない事が一つあった。それは、その女性の男友達などが、「強姦される女性の姿に興奮してしまう」と言ったのを、その女性が聞いて、とても衝撃を受けた、と言っていた事であった。
その話を聞いて、裕也は冷やりとした。強姦の再現VTRを見てから、自分の性器が勃起し始めているのに気付いていたのである。近くの席には、クラスの女子生徒も座っていた。結局、裕也はそのレポートに、『男性にとって、女性を愛する行為と、自らの欲望を吐き出す行為が、行為としては同一のものである事に、同じ男性として暗い気持ちになってしまった。男の方がそれを自覚し、考え行動することが大事なのであろう』と書いた。ビデオを見て、勃起して困った、と書いたら、教授はどんな顔をするだろうか、と想像した。単位は、最高評価のAが来た。
空気の乾燥からか、目が痛くなってきた。裕也は、暖房のスイッチを切った。そして携帯を手にとると、メールの返信をしなければ、と思った。だが、いつもの通り、何も書くことが思い浮ばない。まぁ、明日で良いか、と思い直し、携帯を放り投げた。すると携帯は、ごとり、と鈍い音を立て、抜け毛だらけの絨毯の上に転がった。その音は、裕也に心地よく響いた。彼は、携帯の転がっている様子を確認したく思った。折畳式の携帯は、その口を無様に開いて、「く」の字になって転がっている。裕也は、波打ち際に打ち上げられた魚を思い浮かべた。そのまましばらく様子を見ていると、〈開きっぱなしになっている〉、という警告の意味であろう、緑色のランプがチカチカと点滅し始めた。せめて朝までは、と裕也は思った。
いつもの夜に