Arf―アルフ―
第1話
「王様!王妃様の陣痛が始まりました!」
それは超大国サラ王国の宮殿から起こった。
そして、その影響は波紋のように広がる。
イベルア、そこはサラ国が存在する世界を含む、多くの世界をつなげる中心世界。
「指揮官!!」
イベルアの中心である者、指揮官は突如崩れ落ちた。隣にいた副指揮官が彼の体を受け止める。
「やっと来たか…」
指揮官は小さな声でつぶやいた。
どれほど待っていただろうか。何百年、何千年とこの日を待ち望んでいた。
宮殿では王妃の苦痛の叫びが響く。国王は手を組んで天に祈る。
「頭が…!王妃様、もう少しです!!」
産婆の侍女たちが慌ただしく動く。王妃はありったけの力を込める。出産は間近だった。
指揮官の周りには多くの仲間たちが集まっていた。
「やっと…"アルフ"がやって来た…」
指揮官は充実した表情を浮かべる。
もうそろそろで、待ち焦がれていた最期を迎えることができる。そう思うと喜びの感情が湧く。一方で、副指揮官を含む大勢の仲間たちは目に涙を浮かべていた。
「…ディストス」
副指揮官の名を呼ぶ。
「はい」
副指揮官、ディストスは震える声を抑えて答える。
「これから…大変な苦労が…あるだろう…」
指揮官の声は聞き取るのも難しいほど弱弱しくなっていた。
指揮官はディストスの手を触れる。ディストスはその手を強く握った。
「後は…頼んだぞ…」
「はいっ…」
ディストスの答えを聞き、そして周りの仲間を見た。
「みんな…彼を…頼む…」
「はいっ」
その声を聞いて、指揮官は満足げに微笑んだ。
そして、眠るように静かに目を閉じた。
それと同時に
大きな産声が上がった。
第2話
サラ王国。その国は世界の三分の二を占める領土を持つ超大国である。
この国で第三王子が誕生してから5年。作物は毎年豊作で、漁業でも大漁でなかった年はない。サラ国はかつてない繁栄の時代を迎えていた。
サラ国の首都サラディア。その北端にそびえる巨大な城に一人の男がやって来た。門の前まで来て、門兵に止められる。
「やめろ」
門の内側から威厳のある声が聞こえた。門兵は即座に男の前から退いた。
「ダウリュエス国王、お久しぶりです」
男はやって来た国王に頭を下げる。
「久しぶりだな、クイン」
国王ダウリュエスは旧友のクインにを自らのの執務室に案内した。
二人は執務室に入る。扉が閉まるのを確認してクインはダウリュエスに口を開く。
「三人の王子は元気か?」
「あぁ」
ダウリュエスは真ん中にある椅子に座る。反対側の席に座るようにクインに促す。それにしたがってクインは椅子に座る。侍女が茶を持ってきて、机に静かに置く。
クインは王と二人きりになると敬語は使わない。彼は王の何倍もの年月を生きる“精霊”である。精霊とは、サラ王国のある世界と隣接した世界から来た者たちを指す。彼らは自然そのものであり、基本は不老不死である。クインはサラ王国建国以来からサラ国王を支えてきた。そのため、クインとダウリュエスの関係は主従ではなく、親友としてであった。
「今日はどうしたんだ?」
クインは茶を一口飲み、真剣な表情をしてダウリュエスを見つめる。
「なんか、おかしくないか?」
「…どういうことだ」
ダウリュエスは訝しげに顔をしかめる。
「この5年間…第三王子が生まれてから、不自然なほどに世界が豊かだ」
「…そのことか」
ダウリュエスも薄々気がついていた。
―あまりに豊かになりすぎている。
まるで他のところから栄養を奪っているかのように―
「ボルスが生まれてから…か」
その言葉が気にかかる。たしかに、この繁栄は第三王子ボルスが生まれた年から続いている。
「何か関係があると思うのだが、ボルス王子の身の回りで何か起こっていないか?」
ボルス王子という存在は、何かを示しているのかもしれない。クインはそう考えた。今日ここに来たのは、それを調べるためだった。
ダウリュエスはボルスに関する記憶をたどった。一番大きな出来事は、王妃の死である。 ボルスの出産はかなりの難産だった。数時間を経て王妃はボルスを生み、力を使い果たしたかのように息を引き取った。
しかし、それから五年がたった今、ボルスの周りで何かが起こったことはない。
「そうか…。やはり、気のせいなのだろうか」
クインは考え込んだ。気のせいであれば一番いいが、自身の中では何かがあるという、根拠のない、確信に近いものが存在する。
すると、扉のほうから侍女のあわてた声が聞こえた。
「王様!王子様たちが…」
ダウリュエスは立ち上がった。扉に早足でいき、扉を開ける。
「何があった?」
「リオン王子様が、ボルス王子様に…」
その言葉にダウリュエスはため息をつく。
「また喧嘩か…」
「喧嘩はほっといたほうがいいぞ。自分たちで解決させなきゃ意味がない」
クインが後ろから口を挟む。侍女はまた口を開く。
「リオン王子様が剣をお持ちになって…」
「あの馬鹿が…っ」
侍女の言葉を最後まで聞かずにダウリュエスは走り出した。
クインは一人になった部屋で茶を一気に飲んだ。
「お父さんは大変だな…」
ため息をつき、クインはダウリュエスの後を追って部屋を出た。
第3話
中心世界イベルア。その世界を支えていた指揮官を失った直後から、奇妙な事が起こっていた。副指揮官ディストスは、険しい表情で窓からその様子を見ていた。
イベルアは数多くの世界と結ぶ中心世界。それぞれの世界とは扉で繋がっている。奇妙な現象はその扉から起きていた。
誰の目でも見ることのできるほど強いエネルギーが、扉から漏れだしている。そして、それはあるひとつの扉に集まっていた。
世界は生きている。生き物と同じように。
扉から漏れ出すエネルギーは、いわゆる世界が生きていくのに必要な生命力である。
「これはやばいよねぇ」
背後から声が聞こえた。
「…ラドン」
振り返ると、いつの間にか補佐官のラドンが部屋の椅子に座って紅茶を飲んでいた。
「勝手に部屋に入って、勝手に人の紅茶を飲むな」
「……最初に言う事がそれかい?」
ディストスも椅子に座り、呆けるラドンからカップを取り返す。
「…砂糖まで入れやがって」
透き通って見えるカップの底には溶けきれなかった砂糖が沈殿していた。
「そんな話は後でいいでしょー?」
ラドンは笑ってごまかす。そして次には打って変わって真剣な表情に変わった。
「どうする?」
ディストスは鋭い目付きをラドンに向ける。
「絶対に“アルフ”があの世界にいるよねぇ?」
「…間違いなくな」
ラドンは机に肘を付き、ディストスに顔を少し近づける。
「オレが行こうか?」
ラドンの表情は笑顔であったが、目付きは真剣だった。ディストスは立ち上がり、窓から外を見る。
「いや、私が行こう」
「副指揮官が?」
意外な答えに目を丸くした。
「力が集まっているのは、サラ国の世界だ」
ディストスは振り返ってラドンを見る。漆黒の髪が陽の光で輝く。
「あの世界なら、私は思い通りに動ける」
中心世界イベルアがサラ国に爪を立てるのはそれから17年後であった。
第4話
世界の三分の二を領土とする超大国サラ王国。その首都サラディアでは、朝から賑わいを見せていた。サラディアの西に広がる巨大な鍛冶工房では鉄を叩く音が絶え間なく鳴り響く。
「ボルス!薪を入れてくれ!」
鉄を叩く音に負けない鍛冶職人の声が響く。
「はい!」
呼ばれた雑用の青年、ボルスは薪を持って走る。左耳につけた金色の大きなリングピアスが動作に合わせて動いた。その職人のもとへと行って、かまどに薪を入れていく。入れるたびに火の粉が舞った。
「ボルス!こっちも頼む!」
「はいっ!」
休む暇もなく他のところへ走っていった。
サラディアの鍛冶工房は、サラ王国にとって心臓部のようなところである。世界中から腕のいい職人が集まり、武器から建築物の材料まで作っている。
サラディアは山に囲まれた場所に位置し、大きな交通路は一箇所しかないという、貿易に関しては不利である。しかし、山を超えたところに世界一の商業都市ルーマがあり、サラディアとは加工貿易でつながっている。鍛冶工房は、加工業の中心部であった。
火がごうごうと燃えるかまどの中に薪を入れて火の調節をする作業を、ボルスは太陽が出てからずっと行っていた。金色の髪が汗で貼りつくのを払って真剣にやる。日は頭上に移動していた。
昼になり、工房の者たちは近くの広場などに出て昼食をとっていた。ボルスも仕事に区切りをつけて工房を出る。
「ボルス!」
後ろから名前を呼ばれた。
「はいっ」
条件反射で返事をして振り返ると、そこには腹を抱えて笑っている男がいた。
「デンサスかよ」
デンサスはひと通り笑って、ずれた眼鏡をかけ直しながら顔をあげる。
「素直だなぁ、相変わらず。飯食おーぜ」
デンサスはボルスの分の弁当を持ち上げた。
「おっ、ありがと」
その弁当を手に取って笑った。
鍛冶工房地帯の端。街の広場に面した積み荷置き場で、ボルス達雑用の同僚が集まって昼食をとっていた。
「オレは右だ」
「いいや、左だ」
「真ん中は?」
「「それはない!」」
デンサス含む5人の青年たちが積み荷の隙間に所狭しに集まっている。ボルスは彼らから一歩下がって荷台に腰掛けて弁当を食べる。ふと見上げると、積み荷によって区切られた景色からサラ城が見えた。
サラディア全体を見下ろすように建つサラ城は、サラ王国の中心であり、ボルスの生まれたところであった。
父親である国王ダウリュエスの命令で、強制的に工房に入れられてから二年が経つ。同僚たちから、最初は王子として見られてぎこちない関係だったが、デンサスのおかげで、今では仲間として受け入れられている。
デンサスは、工房に来て初めてできた友であった。寝所が一緒ということもあり、仕事以外でもいつも共にいた。
「おいボルス!お前、ひとりで弁当食ってんなよ!」
呆れた顔でデンサスを見る。彼らの視線の先には、雑貨屋の店頭で品を見ている女性たちがいた。彼女らの後ろには使用人がひとりいることから、どこかの貴族であろう。ボルスは再び弁当に視線を戻す。
「…右だな」
ポツリとつぶやいたボルスを、デンサスらは目を丸くして見る。
「なんだよ、ちゃっかり見てるじゃないか。クールに気取ってるなよ」
デンサスがニヤニヤしながら隣に座り、肩を組む。周りの同僚は大声で笑った。
「ほら、こっち来いっ」
「ちょっ」
ボルスは弁当を持ったままぐいっと引っ張られる。
隙間から見える女性たちは、丁度店を去る所だった。
「あ…」
去り際に使用人の女性がこちらを向いた。ボルスは思わず声を漏らす。
「どうした!?」
ボルスの反応に5人が食いつく。ボルスを突き飛ばして一斉に隙間をのぞく。突き飛ばされたボルスは弁当をこぼさないようにしながら積み荷に激突する。上から荷物が落ちてきた。
「なんだよ。何もねぇじゃないか」
彼らはがっかりした顔でボルスの方に振り返る。
「なに期待してるんだよ」
積み荷から這い出る。幸い弁当は無事だった。
「オレはてっきり風でも吹いたのかと…」
「変態め」
冷たく言い放って弁当の残りを食べ始めた。
すると、工房地帯の中心から鐘を叩く音が聞こえた。午後の作業開始の予鈴であった。
「やべっ」
デンサスらは急いで弁当を胃に詰め込む。その様子にボルスは笑った。
いつものように平和な日が送られていった。
第5話
サラディアを見下ろすように建つサラ城。その庭では様々な階級の貴族たちが栄華を目に映すような優雅な時を過ごしていた。
そのなかで、一人だけ厳しい顔をして歩いている者がいた。 深い紺色のマントをはためかせて歩く姿は凛々しく、誇り高い獅子のような雰囲気をまとっている。彼の姿を見ると、貴族たちは皆頭を下げた。
彼はサラ王国第一王子リオン。次期王の資格を持つ王太子である。
彼は足早に王の執務室に向かう。通り過ぎる兵たちは皆敬礼の姿勢をとる。
リオンはサラ王国の軍事をまとめる総将軍でもある。その厳しさと統率力から、兵たちに全幅の信頼を置かれている。
執務室の前に着きドアを軽く叩く。すると王の近衛兵がドアを開ける。そしてリオンと確認して敬礼の姿勢を取り、王に伝える。
「入れ」
奥から王の声が聞こえた。その声に従い、リオンは中に入った。王ダウリュエスは書類に向いていた顔を上げる。リオンはダウリュエスに一礼した。
「父上に折り入ってのお話があるのですが、よろしいでしょうか」
ダウリュエスの表情が真剣味を帯びる。
「座りなさい」
リオンは静かに椅子に座る。侍女がすぐに二人に茶を持ってくる。侍女が去ると、リオンは意思の強い目でダウリュエスを見る。
「…ごく最近ですが、サラディアの周りでイベルが徘徊しているとの報告がきております」
「イベルか…まずいな」
ダウリュエスは苦い顔をする。
イベル。それはこの世界ではまず生息しない異形の動物たちであり、人に危害を与える凶暴ないきものである。今までは、その姿はサラ王国建国時の記録でしか確認されていない伝説上のものであった。一般的には魔物と呼ばれ、それらがやって来るであろう異世界イベルアのことを魔界と呼んでいた。
ダウリュエスは少し考え、そして姿勢を正してリオンを見た。
「5日後にサラディアの商隊がルーマへと発つとの事だ。それに兵を付けろ」
「かしこまりました」
リオンは席を立って一礼する。
「それと―」
リオンの動きが止まる。ダウリュエスは続けた。
「商隊は工房から出発する。その時にボルスを連れて帰ってきてくれ」
「…はい」
リオンは部屋を去った。ひとりになったダウリュエスは頭を抱えた。
(嫌な予感しかしない…)
これから何かとてつもないことが起こる。人の手に負えない程巨大なことが…。体の内側が冷えていくのを感じた。
ルーマとサラディアを結ぶ街道に精霊のクインが立っていた。遠くにはサラディアを囲む山々が見える。そこにはサラ王国の王である友がいる。
「やっぱりか…」
その声は低く、憂いを秘めていた。クインは力なく笑った。
その視線の先には、巨大な扉がそびえ立っていた。
そして、それがクインの目の前でゆっくりと、ゆっくりと開いていった。
Arf―アルフ―