親離れ
雑踏の中、家路をとぼとぼと歩く。上司に怒鳴られ、部下になめられて、今日もひたすらとほほな一日だった。それでも我慢したよ、家族のために。俺がこんなに頑張っているのに、三十路過ぎた倅がうちでごろごろしているのを放置する女房はいったい何をやっているんだ。倅も倅だ、自分が親離れできないでいるのを親が甘やかすからだとか言いやがって。うちに引きこもってネットで遊んでいるくらいなら、まだ呑みにでも行った方がましだ。ネットで小説書くのが趣味なようだが、そんな事やっている暇があれば女のケツでも追っかけた方がまだ男らしくていい。
この気持ちのまま帰ったんじゃどうにもこうにも気分が悪い。かくして、いつものように馴染みの居酒屋へと進路変更するのだった。
煤けた暖簾をくぐり引戸を開けて居酒屋の中を覗う。すると、奇妙奇天烈な客がいた、いや、客なのかすら理解できないが。
カウンターの真中に居て呑んだくれているのは、体重が二千グラムあるかないかの赤ん坊だった。さらに愕いた事に、臍の緒が付いたままだ。
いや、付いたままって言うか、どこかに伸びている、店の外まで伸びているようだ。目で追っているうちに踏んでしまった。
「痛ーな、気を付けろ! こちとら臍の緒を絞められたら窒息じゃ~!」
いきなりの赤ん坊の罵声に驚愕する私。
「すまん」と軽く謝って店の隅に行き、居酒屋のママに聞いてみる。
「いったいあれは何なんだ?」
ママも困った顔して答える。
「いまどきの早熟な子は生まれる前からああやって表に出て来ては呑んだりするんですってよ。まったくもう、親の顔が見たいわ」
この店のママは四十歳、心身ともに適度に脂がのったいい女だ。ちょっと憂いを感じさせる横顔がまたいい。この店に来る男どもは淡い恋心を抱いてこのママを眺めているわけで、私もその一人なのだ。
さっきの赤ん坊を見ると、ママの尻を見てニヤニヤしている。これはあるいはライバル出現なのか?
その時、居酒屋の扉が開いて中年女性が入って来た。そして赤ん坊に向かって怒鳴る。
「まったくもう! また勝手に表に出て呑んだくれてんだから! そんなに表に出たいんだったら出産しちゃったっていいのよ!」
どうやら母親らしい、なにしろ臍の緒が彼女の股間に繋がっているし。
赤ん坊は狼狽して呟く。
「まだ……まだ早いよ、まだ生まれたくないよ、ごめんよママ」
そして母親の胎内へと帰って行くのだった。
母親が溜息をついて言う。
「まったくもう、親離れができない子ね!」
うちの倅よりは親離れしていると思うけどな。
親離れ