いとこ姉さんのしるし

一応、短編のつもりで書いてみました。
中途半端な区切りで止めてしまいました。
残念ながらこれ以上この話を書く気になれなくってしまいまして。
ある夏の一場面という感じです。

 土曜の昼、田舎の、小さな小山がいくつかと、湖のような田んぼが続いている土地でバスを降りた。バスは川上へと続いていて、バスに乗る人はだれもいなくて、そして降りるのは僕だけだった。外に出るとムっと暑かった。マッチ箱みたいな待合小屋の向こうは、急な坂になっていて、そこに溢れるように草が生えていて、その隙間から川が浅く続いていた。音がした。川の水が弾ける音が。僕を置いて、バスはゆっくりと加速し、やがて追いつけない程遠くにいってしまった。
 僕は歩き始めて、ちょうどタバコ屋の前で道路を渡り、少し幅のせまい道を歩いた。左右に水路があって、古い昔ながらの家が並んでいた。左手の方で、時々隔てるものがなくなると、広々をした景色が見えた。平らな田んぼがずっと先の小山まで続いていた。
 水路の傍を歩いた。それは小さな小川なようの水路でコンクリートは使われていなかった。決められた順序で目印は、近づいてきて、遠ざかってきて、時々真新しい家が見えたりした。桜の木が多かった。一本の短い石橋に着いたところで、僕はその橋を渡った。年取った岩みたいな橋だ。橋の傍に胴が太く背の低い桜の木が身を屈めるように立っていた。そして、風によく揺れる枝を流れる水まで伸ばしてた。
 着いたんだ。すぐ、近くまで。ほんの少し歩けば、松の木を歪めた門の下に着く。生垣に囲まれた古い家がある。瓦屋根で、大きな家でとてもふるく、煙のような匂いが染みついている。僕の田舎の家だ。おじいちゃんとおばあちゃんの家。門の手前から、中の様子を探ったが、辺りは眩しく、そして家の中は影になっていて、それが信じられない程濃くて、人が居るのか居ないのか分からない。音も届かない。あたりは蝉の音に覆い尽くされていた。かろうじて、小川のせせらぎが聞こえた。
 11時40分だった。お昼に間に合うようにと、家族から言われていた。
 僕は少し身を引いて、橋の傍、桜の木傍に近寄った。たばこを取り出して、一本火を付けた。吸った。そして、吐いた。ちょっと、入りたくなかった。ちょっと久しぶりだし、一年ぶりだ。それに、いろいろと複雑な心理的な事情もある。母さんと兄貴はもうこっちに来ている。一週間も前に。それから、他の親戚も。
 
 僕はたばこを素早く水路に投げた。
「うぷ…ぷぷ…く、ぷ」桜の木の裏側から「ぷくく」
 …おや?
 僕はゆっくりと、身をかがめて、音を立てずに桜の木を回り込んだ。水路側のわずかな隙間を踏みしめて、足元がわずかにしっとりしていた。コケが生えていた。子供の笑い声がした。首を伸ばすと、小さな背中が見えた。緑色のシャツを着て、汗がにじんでいた。髪も水気を帯びていた。小さな手で、ごつごつした桜の肌を掴んでいた。
「おい小僧!」と僕。
「うひゃあ!」と子供が跳ねて、僕から遠ざかった。そして、また木に張り付いた。また、隠れようとしている。もう一回、楽しもうとしている。「くひぁ…ぷくく!」
「おい、もう、見つかっているぞ」
「くひひ!」
「頑固なやつだなぁ」
「まだ、見つかってないもん!」
「お前、今日緑色の服着ていただろ?」
「まだ、捕まってないもん!」
「往生際の悪い奴だなぁ」
「変なこと言うお兄ちゃんたばこ吸ってた!」
「吸ってない」
「見たもん!」
「証拠は?」
「しょこ?」
「わかった。それじゃ、あれだ、10秒目を瞑っててあげるから、二人とも何も見なかったことにしよう。お前は見つかっていないし、たばこも見ていない。」
「見たよ!」
「分かった。それを黙ってろ!じゃないと、今、捕まえるぞ!これ、もう終わりな」
「10秒目瞑っていて!」
「俺、たばこ吸ってたか?」
「………。」
「よ~し、じゅ~う、きゅ~う」
「わーい」
「おい、家の中で隠れるんだぞ!」
「………」走っていく音出した。門の方へ、そして、家の方へ。背中も見た。僕は続きを数えて、全て声にだした後、歩き始めた。

 まだ、たばこを吸い続けたかった。でも、多分、行くとしたら今がよかろう…心理的な理由で。僕はたばこが好きだ。たばこを吸うと、乾いた石垣に雨が染みわたっていくような感じがする。それに、何かを紛らしてくれる。気まずい人と話すとき腕を組むよりも、人のいるプラットホームでポケットに手を突っ込むよりも、深く、僕を包む。今、そういうものが必要だった。決心が必要だったから。緊張していたから。まだ、高校生で、たばこ吸っちゃだめだったけど、吸いたかった。ここじゃリスク高いけど、吸いたい。
 親戚。おばあちゃん、おじいちゃんは特に問題ない。僕に勉強させたがるだけだ。母さん、兄貴は空気だ。父さんは、今年は来ない。母さんの兄貴、おじさんは居るらしいけど、たばこ吸ってるの認めてくれるし問題なかった。おじさんは小学生の時から吸ってたらしいから。母さんの姉、おばさんは普通に良い人だ。やたらと小さい車に乗る人だ。ただ、その娘、僕のいとこが急所だった。僕より10歳年上の女の人だ。
 僕は彼女に会いたくなかった。だから、何か理由を付けて、一人だけ遅れてやってきたんだ。家に居続けることもできた筈なんだけど
 
 何で?
 
 って聞かれて、その時、いつもの、口がもごもごする状態になった。一生誰にも言いたくない理由だった。特に、母さんや、家族には。本人にも。言ったら非常に困ったことになる。
と、友達とさぁ、海行く約束していてさあ―海ぃ?そんなの今まで一言も言っていなかったじゃない。―いや、ちょっと、抜けてたんだよ―いつ行くのよ。―○○日―じゃあ、その後なら問題ないわね。今なら予約変更できるから。駄目よ。来るのよ。皆、あんたが来るのを楽しみにしているんだから。おじいちゃん、おばあちゃんも、あと、ヨシトも。―えっとさぁ…もにょもにょ―ほら!来なさいって。いとこ姉さんもあんたと会うの楽しみにしているんだから!
 母さんは時々、異様に冴えているというか、嗅覚を発揮して、無自覚で人の敏感な個所をつつく。(僕らは、『いとこ姉さん』と、僕のいとこを呼んでいた。)そして、僕は何だかよく分からない返事をして、今日、このようなことの運びとなった。

 いとこ姉さんには4歳になる子供がいる。ヨシト。僕をいち早く見つけ、桜の木の裏に隠れて、物凄い忍耐力で僕から隠れ続けていた幼い子。いとこ姉さんは僕の知らないところで、普通に大人になっていて、普通に青春して、早めに結婚して、子供を産んだ。僕はずっと、なにもかも変わらないと思い込んでいた。どこかで、信じていた。ずっと、僕が何も変えることができないのと同じように。少なくともそれを眺め続けていられると思っていた。だが、そうじゃなかったんだ。全然、別のところで、事実なにもかも進んでいた。
 ヨシトは大きくなった。もちろん、小さいと言えば小さいが、去年と比べると大分、身が詰まって膨れたというか、縦に大きくなった。成長してきているんだ。すくすく育って、真夏のトマトの様に、良きものたっぷりとため込んで、僕達に追いこう追いつこうしている。そのすぐそばで、いとこ姉さんがしっかりとヨシトを守り続けている。僕は二人を常に眺め続けている。常に、こころのどこかで。
 ヨシトは不思議な子だ。僕はヨシトと遊ぶのが苦痛じゃない。ヨシトは一年ぶりだろうが、生まれて初めて僕を見た時から、なんというか、時間の隔たりを感じさせなかった。今日だって、もう、何か月も一緒にこの田舎で遊んでいて、たまたま、僕が買い物に行ってきた帰り、待ち構えてじゃれ合おうとしているような、テンションだった。それに、僕だって、ついそんな気持ちで接することができた。これはヨシトの力だ。僕が同じくらい小さかった時はどうだったのか。いまでは、全く記憶に残っていない。たぶん、ヨシトも同じように忘れてしまうだろうが。
ヨシトは悲しい象徴だった。それに、汚してはならない、しるしにもなっていた。ヨシトが生まれたことによって、たとえどういう形であれ、想像の中であっても、僕がいとこ姉さんに期待を抱くことを、僕は許しちゃいけなくなった。いとこ姉さんのしるしでもあって、僕のしるしでもあるんだ。
 だがら、いとこ姉さんの近くに居たくなかった。それとヨシトとも。どんなに気が合っても。どんなに二人が好きでも。

 僕は松の門を抜けて、明るい庭を歩いて行った。

いとこ姉さんのしるし

いとこ姉さんのしるし

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-19

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