放課後は泥まみれ

 今日も朝が来てしまった。今日も学校に行けば、これまでと変わらない『いじめ』が待っている事が健児には分かっていた。これまでと変わらない?いや、内容は変わるだろうが、田山からのいじめがあることだけが健児には分かっていたのである。
 「けんじー、遅刻するよ~」
 何も知らない母がそう健児に声をかける。健児はその声に、自分の状況を分かっていないことに対する苛立ちと、逆にいじめられている事実がばれていないという安堵を半々に感じている。健児は、少し踵が削れはじめた靴を履き、外に出た。空は今にも落ちてきそうな、重く黒々とした雲に覆われていたが、まだ雨は降っていなかった。
 学校に着く。健児が席に着くや否や、田山が声を掛けてきた。
 「放課後、『遊ぼう』ぜ?バレー部の部室裏な。」
 毎日良く飽きもしないものだ、と少し皮肉に思うが、もちろん口には出せない。健児は、分かった、と小さな声で返事をした。
 外は雨が降り出した。授業の時間中、今日はどんなことをされるのかを健児は考えた。田山は、健児を笑いものにするような形でのいじめを得意としていた。ある時は、友人と共に下級生の前でどちらが変な顔を出来るかを競わせたり、ある時は、どれだけ早く女子トイレの壁をタッチして戻ってこれるかを計測するゲームをさせたりしたのである。
 「健児に紹介するわ。世界初の、不良の養護の『つぐる』君です。今日はこのつぐると相撲で勝負してもらうわ」
 田山はそういうと、つぐるの方を見て含み笑いをした。雨は上がっており、足元がぬかるんでいる。
 健児もつぐるのことは知っていた。健児の学校の養護学級に通っているが、言葉も通じるし、運動能力も健児たちと変わらない。少し知識が遅れている、という理由で養護学級に通っている生徒だった。健児は養護学級の生徒にそんなに差別意識は持っていないつもりだったが、症状の重い生徒たちの見せる、どこを見ているかわからない視線や、唇にたまっている涎などは、苦手に思っていた。
 田山はこのつぐるに目をつけ、不良仲間に引き込んでいた。具体的には、髪を茶色に染めさせ、煙草なども教えていたようである。つぐる自身もその立場を気に入っているようで、田山と良くつるんでいた。
 健児とつぐるは、上半身は裸、下半身は短パンという格好にされた。つぐるは、健児の足元に唾を吐き、「ころすぞ」と凄んだ。どうやら、今回のはつぐるにとっても不愉快なものなんだな、と健児は感じた。田山とつぐるは不良仲間とは言え、力関係は明らかだった。何らかの理由でこんな格好で自分と相撲の勝負をしなければならない、そんなつぐるに健児は少し同情を覚えていた。
 「それでは、見合って見合って・・・はっけよい、のこった!」
 田山が声を掛けると同時に、つぐるが健児にとびかかる。左手で健児の首をつかむと、右拳で健児の左頬を殴った。健児はたまらず尻餅をつく。背中や脚が泥に塗れる。
 「あ~。ダメだよ健児。はい、もう一戦な。はっけよい・・・のこった!」
 何度もその『相撲』は繰り返された。つぐるが健児を打ちのめす、一方的な展開である。健児にとっては、当たり前のことであった。健児がつぐるに手出しすることは、田山に歯向かっていることと同じことなのである。その様子を、田山はにやにやと眺めている。
 その『相撲』の九回目。今度は、つぐるが転び泥にまみれた。もちろん、健児が投げ飛ばしたのではない。飛びかかった拍子にバランスを崩し、勝手に転んだのである。突然のつぐるの転倒に一番狼狽したのは、健児であった。この場合、自分がどうすればよいのかが分からなかったのである。田山は声を出して笑っている。
 「てめえ、ちょうしこいてんじゃねぇ!」
 恐らくは田山に教えられたであろう言葉を吐きながら、つぐるは健児につかみ掛かってきた。抱きかかえるように、両手で泥塗れの健児の体を締め付け、続いて右手に噛み付いた。
 つぐるの唾が自分の体に染みついた。そう考えた瞬間、健児の右拳がつぐるの顎を捉えていた。倒れこむつぐるに馬乗りになる形で更に一発、二発と健児の拳がつぐるの顔面を捉える。
 健児のつぐるへの殴打は、つぐるが泥まみれになりぐったりとするまで続けられた。ふらりと立ち上がる健児に、田山は含み笑いを見せながらこう言った。
 「お前、養護の子にも容赦ないなぁ。」

放課後は泥まみれ

放課後は泥まみれ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-18

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