HOLIC
破滅の原因は僕ら、それを崩壊させたのはあの女だった。
START『01.その少女、狂気につき。』
破滅の原因が来たのは、初夏の季節だった。
初夏、蝉の鳴き声が僅かながら聞こえる。
明るい日射しが射し込み、澄んだ真っ青な空が爽やかな印象が見受けられた。
そんな眼下の中、半袖のセーラー服を着た少女が立ち尽くしてた。
涼しげな初夏の風が、少女の暑苦しい腰までの黒髪をうねらせる。
少女の細めた切れ長な瞳が、ゆっくり開かれた。
彼女の瞳の逆光は鈍かったが、放ったのは鮮血の赤だった。
待ち受けるのは、補習でも説教でもなかったが。
暑苦しい部屋は、汗の臭いが充満してて薄暗い。
大きなベッドは固そうで、細身だが筋肉の付いた金髪の少年が寝転んでいた。
蒸れた顎までの金髪を掻き上げ、彼は灰色の鋭い瞳を細めた。
絡んだ白濁を拭い、彼は面倒そうに寝返りを打つ。
携帯に挟んである紙幣を横目で流し、彼の溜め息が独りでに漏れた。
彼の名前は、四季ノ宮伊織。情事の後に見られるが、立派な高校1年生だ。
伊織は、先程まで男に突かれて乱れていた。
それもなかったように、平然とベッドに転んでいる。
別に好まれて抱かれてる訳じゃない、遊ぶ金が欲しかっただけ。それで、手を出したのだ。
枕元に置かれている煙草に手を伸ばし、煙草を噛み締める如く奥歯を鳴らした。
今日は、火曜日。学校へ行かなければ、面倒な補習か教師の説教が待ち構えてる。
「…身体、動かねぇ」
身体が軋むような感覚で、動くのも億劫な状態だ。
挟まれた紙幣を握り締めて、クシャリと握り潰した。
伊織の乾いた笑い声が、薄暗い部屋に響き渡る。
熱い水飛沫を浴びながら、ぼんやり浴室の天井を見つめていた。
水滴が珠となり、伊織の透明で滑らかな肌を伝う。
うっかり付けたままだった、左手の中指に嵌めたシルバーリングを右手で庇う。
身体には無数の赤い印が施され、伊織はその痕を細い指でなぞった。
何時だっただろうか、胸元に印を付けられ女子に見られて騒がれたのは。
それは不愉快極まりなくて、女子を相手に殴りたくなったものだ。
吐息を漏らしながら、気持ち悪い相手の男の臭いを熱いお湯で流す。
これが、伊織の朝の始まりだった。
白シャツを羽織り、学校指定のネクタイを緩く締める。
ベッドのサイドテーブルに置いてあった、十字架のネックレスを首に掛ける。
普通の男子より長めの金髪に、黒のピン止めを何本か指した。
赤いふかふかのソファーには、チェーンやらが施された学生鞄が投げ出されてた。
教科書もろくに入ってないそれを肩に掛け、伊織は薄暗い部屋を後にした。
部屋のゴミ箱には、テッシュで縛られ纏められたゴムが捨てられていた。
「行ってらっしゃいませ」
ホテルの従業員が、恭しく胸元に手を当て会釈をする。
伊織はその男を軽く睨んで、何も言わずに素通りした。
このホテルは風俗によく使用されるもので、伊織などの学生は見受けられない。
それなのに何故、伊織は不自由なく出入りが出来るのか。
それは、このホテルで泊まる時は相手が通常の料金の2倍を運営側に渡すのだ。
所謂、裏取り引きなんてものである。
未成年の売春を止めず、況してやそれを利用するなんて。
大人の汚さには、溜め息を漏らさずには居られない。
初夏の日射しは眩しく、シャワーを浴びたばかりなのに汗ばんで来る。
アスファルトも焦げるような臭いを放ち、伊織は切り揃えた前髪を掻き上げた。
登校するにはやはり時間が遅いようで、周りには制服の人間が見当たらない。
普通の高校生ならば焦る状況も、伊織に取っては単なる好都合にしかならない。
周りを彷徨く厄介な女共が居らず、暑いものの快適でこの上ない。
その為か、伊織は何時もよりは早めに到着した。
それが、破滅の予兆だったとも知らずにーーーーー
自己紹介なんて、生温いもんでもなかった。
遅刻ぎみな伊織が教室の扉を開けるのは、毎度ながら朝礼の直前だ。
待ち構えるのは、女子からの好奇の視線と男子の睨みだ。
勿論、中年の頭部が後退している担任の沼田からの注意も。
「おい、四季ノ宮。学校には余裕を持って、登校するようにだな…」
聞き飽きた注意も受け流し、伊織は気だるそうに自分の席に着く。
伊織の席は、窓側の後ろから2番目。
席替えをしても変わらず、この席に居座り続けている。
窓の景色が見えるこの席は、伊織のお気に入りの場所だったのだ。
「今日は朝礼の前に、皆に紹介しなければならん奴が居る。…入れ」
転校生だろうか、などと頬杖を突きながら聞き流す。
すると、バーンと何か銃声のような音が聞こえ伊織は教壇へ目を向けた。
そこには、黒髪の少女と腰を抜かした沼田が床に座り込んでいた。
錆びた鉄のような赤いカチューシャ、暑苦しい腰までの黒髪。
生白く折れそうな細い手には、武骨な黒い銃が握られている。
顔を上げた彼女の端整な顔には、壊れたような笑みが貼り付いていた。
まさか、彼女が発砲したのではないか…
嫌な考えが頭を過り、背筋に冷たい汗が伝う。
伊織は、形の整った唇を噛み締めた。
大半の女子が悲鳴を上げ、男子は困惑しながら席から腰を浮かす。
そんな様子を見て、彼女は猫のように細めてた目を見開いた。
「あっはははは、ひゃはははははっ!馬鹿でしょ、あんたら馬鹿でしょ!?」
壊れたような甲高い笑い声が、教室に響き渡る。
伊織はその姿に吐き気が込み上げ、胸元を右手でギュツと押さえ付けた。
彼女の笑い声が治まり、彼女は元の目を細めたような笑みに戻る。
薄い唇から聞こえたのは、神経を逆撫でするような猫なで声。
「…名雲梓、これから仲良くして頂戴ねぇ…」
見開いた彼女の目は、血を滲ませたような赤だった。
狂気って言葉は、あの女の為にあるのだろうか。
自己紹介からして、梓は可笑しい女に違いなかった。
笑い方も狂っており、話し方も常識を得ているとは思えない。
梓の席は、伊織の右斜め前。伊織からは、梓がよく見える位置だった。
其所から彼女を見ていたが、やっぱり何もかもが可笑しい。
まず、今時の学生ならば持っているであろうシャーペンを持っていない。
彼女の筆箱には、鉛筆と赤鉛筆に小さな消しゴムだけしか入ってないのだ。
字も有り得ないくらい汚くて、梓のノートは直視が困難なくらい悲惨な状態。
頬杖を突きながら、彼女を見ていた伊織だったが…
梓がこちらを向きながら、手紙を放り投げて来たのだ。
『男とヤってて、気持ちいい?』
汚い字ながらも、書いてある事は読み取れた。
伊織は灰色の瞳を見開いて、梓を睨み付けた。
梓は猫のような笑みを浮かべ、伊織に対して小さく手を振った。
伊織は手紙をグシャグシャに丸めて、机の中に仕舞い込んだ。
…何で、僕が売春を行ってる事を知ってる?あの女は初対面の筈だ、何処で知ったんだ?
伊織は前髪を掻き上げ、伝う冷や汗を拭った。
“こーこ”
梓が口パクで嘲笑を浮かべながら、自分の首筋を指す。
伊織が自分の首筋に目を向けると、そこには小さな赤い印が施されていた。
唇を噛み締めて、伊織は首筋に絆創膏を貼り付けた。
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