死ぬほど美味い
もう限界だ。この言葉を初めて口にしてから、かれこれ十年が経過している。この十年は辛かったが、何とか生き抜くことはできた。だが今度こそ本当にもう、限界だ。おれは心から染み出たようなその言葉を、重く、口にする。
死ななければならない。死ななければならないのだ。おれは今夜、死ななければならない。そうしないと生きていけない人が、いる。おれの妻だ。返せない借金のあおりを受けて、法外な複利の借金に手を出したのが間違いだった。膨れ上がったそれはまさに魔物の棲む山だった。不良債権措置法の可決によって、おれのようなしがない労働者は自己破産を申請することができなくなっている。取立ては毎日のように行われていた。
だが、死ねば助かる。無論おれが死ぬのだから、おれは助からないが、妻が、助かる。黒いスーツを着た取立ての男が、そう言ったのだ。満身創痍だったおれは、その男の話に乗った。おれの命は、金になった。
疲れた身体を引きずるようにして、おれは妻の待つぼろアパートへ向かっている。時刻は既に明け方近い。外を出歩いている人間は、おれのようなぼろぼろのおっさんを除けば、ほとんど見受けられない。そりゃそうだ、とおれは小さく笑った。
おれの住むアパートは、ぼろアパートにしてはちょっと特殊で、二十階建ての高層ビル内でその体を成している。本来の定義に従えばマンション、と呼ぶのが正しいのだろうが、築何年かを聞くのもはばかられるような外装だし、まあ、おれはアパートと呼んでいる。ちょっと高いところに部屋があるだけだ。おれの部屋は最上階、二十階にあった。
この時間になると、エレベータの電源が落とされているので、二十階まで上がるには階段を用いなければならない。はじめの頃は、かなり堪える運動だ、と思っていたが、慣れてしまえばどうにかなるものだ。リズミカルな呼吸を交えながら、おれは一息に二十階の共用廊下まで上りつめる。右手側に各部屋の扉が並んでいる。左手側には高層からの景観が、申し訳程度の柵を挟んで静かに見えている。おれは部屋の前まで歩を進める。
部屋に入る前に、おれは背広の内ポケットからくしゃくしゃになったタバコの箱を取り出した。三本残っている。おれはその内の一本を咥えて、ライターで火を着けた。深く吸い込んで、細く吐き出す。喉にぴりりとくるような刺激が心地よい。おれは、ねじが緩みかけている防護柵を避けて、そのとなりの柵に腕を乗せるようにして、煙を吸い込んだ。明け方近い町の様子が、ここからなら一望できる。もう少しで朝だ。徐々に生気を帯びていく町の様子を見ていると、これから自分が死ぬということが信じられないような気持ちになっていく。まったく逆だ、とおれは思う。町はこれから起き出すというのに、おれはこれから眠りにつく。永遠に。おれは一服を終えた。
音を出さないようにゆっくりとカギを回して、そっと部屋に入ると、おれはまず寝室に向かった。薄く扉を開けると、妻の規則的な呼吸音が耳に届いた。眠っているようだ。それも、深く。
おれは扉を閉めて、ダイニングに向かった。途中で背広を脱ぐ。内ポケットからタバコとライターを取り出すのは忘れない。背広を適当に椅子に引っ掛けて、おれはもう一つの椅子を引いた。テーブルの上には、妻が用意してくれたと思しき夜食と、メモ用紙が一枚置いてあった。
――お仕事お疲れ様。今日も取り立ての人が来たけど、もう少し待ってもらうようにお願いしたから、大丈夫です。最近、朝早くから夜遅くまで仕事しているあなたの健康の方が、むしろ心配です。残り物しかありませんけど、温めて食べてください。申し訳ないけど先に休みます。おやすみなさい――
おれはそのメモを三度、読み返した。そしてポケットにしまう。大丈夫だから、と妻は言っているが、大丈夫なはずがない。もうそういう次元の話でないことは、おれの命に金が掛けられている時点で分かっている。むしろ、もっと前から分かっていたことではあるのかもしれない。もう、無理なのだ。もうこの国で、多大な借金を抱えて生きていく術などないのかもしれない。借金を返済するために、さらに高金利の借金に手を付け、その金利分だけでも返すために、違法な複利の金に手を出す、いや出さざるを得ない。そして債権者の立場は、徐々に社会的なそれから遠ざかっていく。国は、結局そういう人間は見捨てる、という法案を通してしまったのだ。おれのような人間にとって、法律はもはや意味を成さない。おれだけではない。多くの人が、同じ悩みを抱えているに違いなかった。おれはその中の一人に過ぎない。
でもそれも今日までだ、とおれは強く、思う。今日、おれは死ぬ。表向きには事故死だ。そうするとどうなるか。
まず、おれ名義の借金は妻が払うことになる。が、このとき借金の十五パーセントはなかったものとして引き継がれる。扶養者の債権に関する取り決め、というやつらしい。これも最近成立したそうだ。債権者本人が亡くなった場合で、その借金が扶養者に移る場合の取り決めだ。実質妻が支払わなければならない借金は、おれが残した全借金の八十五パーセントになる。
さらに、これが今回のキモになるのだが、おれが死ぬと、多額の保険金が妻に入る手はずになっている。多額といえども、全借金をまかなうまでは至らない。だが全借金から一割五分引かれるとなると、これが狙ったかのようにぴたりと返済できるのだ。これが来月になると、転がった金利の影響で、どうしても赤がでる。それすらも見越したかのように、あの借金取りは、その関係書類をおれに提示してきたのだった。
もはや覚悟は決まっていた。無論、妻には話していない。事故死扱いにならないと話にならないのだから、おれ、死ぬよ、などと口走ることができるわけがない。妻は何も知らない。
おれはカーテンの奥で少し明るみ始めた窓を眺めながら、今日で最後か、と呟いた。前々から今日までだ、と決めていたからだろうか、思ったよりも落ち着いている。その事実をおれは客観的に感じることができている。おれは改めてテーブルに向かう。ラップが掛けられた皿がある。最後の晩餐か、とおれは誰に言うでもなく、口にした。
最初に妻の卵焼きを食べたのはいつだったかな、とおれは箸で卵焼きを摘みながら考える。そうかあれはまだ妻と結婚する前、おれと妻がまだ学生だったころだった。おれは古い記憶を懐かしむ。苦手だったくせに、料理を披露すると言って聞かない妻を、まあまあとなだめながら、結局二人で肩を並べて作ったのが卵焼きだったっけ。狐色、というには少々黒っぽいそれを、二人でつついて笑い合った。少しほろ苦い、卵焼きだった。
あれから随分上達したものだな、とおれは綺麗な黄色の卵焼きを食べながら思う。継続は力なり、という言葉はどうやら真理であるようだ。一緒になってから毎日欠かさず炊事をすることによって根付いた、妻の力を、おれはこの卵焼きから感じている。美味かった、という言葉を伝えられずに逝かなければいけないことが悔やまれる。
そうか、これが最後になるのか、とおれは、今初めて気付いたかのように、考える。当然、今日死ぬことは前々から計画的に進めてきたことだから、今日行なうことすべてが、人生において最後の経験になるのだと、知らないわけではなかったが、それでも、おれは何かとんでもないことに気付いたような気持ちで、その事実をなぞっている。この卵焼きを食べるのも、これが最後なのだ。
おれは最後の一切れを咀嚼しながら、今しがた気付いたその事実について考える。現在感じている、このほのかな甘みさえも、最後だというのか。そう思うと、何ともやりきれない気分になってくる。最後だ、最後だ、と普段軽々に口にできる言葉とは、質そのものが異なる、本当の最後。この卵焼きを飲み込んでしまえば、おれはもう二度と、同じ味を口にすることはできないのだ。信じられないが、本当のことだ。だが、言葉では理解できても、感覚的に理解することができない。これが最後? そんなことがあるはずが、ない。
だが、卵焼きを飲み込んだ直後に、恐ろしいまでの喪失感を伴って、おれはそれの感覚的な理解に及んだ。あれで最後だったのだ。もう、ない。なくなってしまった。本当に最後だった。おれは堪えきれなくなって、小さな嗚咽を漏らす。口内に残る、卵焼きの甘い風味が、鼻の奥に突き刺ささって痛い。涙が、流れてくる。これで最後。
人知れず嗚咽を噛み殺し、頬を伝う涙を強く擦る。思えばおれは今、奇妙な行動をしている。食事は、人間が生きていくために必ず、必要な行為だ。この摂食行動を取らずして、人間は生きていくことができない。それは分かる。だが、これから死のうという人間に対して、この食事が持つ意味とは何だというのか。生きるための摂食行為を、これからまさに死のうとしている人間がしたところで、そこに何の意味があるのだろうか。矛盾している。奇妙なことを、おれは今、している。
その矛盾に、体が耐えられなくなったとでもいうのだろうか。生きるための必要不可欠な行為が、おれの本能を刺激しているのだろうか。生きろ、と、言っているのだろうか。この涙はそんな意味を伴って、流れているのだろうか。
だが、とおれは強く思い直す。おれは死ななくてはならないのだ。一時の感情に流されて死ぬことを反故にしている余裕など、おれにはない。おれは箸を握りなおし、鼻をすすって、再び皿に目を落とす。
おれは皿の上のウインナーを摘む。まるで子供が好むようなメニューだが、実際その通りなのだから笑えない。おれの好みは、どうも子供じみている。妻もそのことは、随分前から笑いの種にしてきている。安上がりでありがたいわ、と言って妻はよく笑っていたが、ウインナーなどが実際なかなか高い食品だということは、普段あまり買い物に行かないおれでも知っていた。だからウインナーが食卓に並ぶことは、稀だった。何がどうなって、よりによって今日、ウインナーが出てきたか分からないが、最後の晩餐の一品にするには十分すぎる、とおれは思った。
おれは思い切って、摘んだウインナーを口に放り込んだ。弾力のある外皮を噛み切ると、中から肉汁が溢れてきた。同時に、ウインナー独特の香ばしい風味が口内に広がる。美味い。おれはもう一本、ウインナーを摘むと、飢えていたかのようにかぶりつく。その勢いで、一気にウインナーを完食した。これで最後だ、とは考えないようにしていた。
ふと、このウインナーの出所、についておれは思いを馳せた。あまり気持ちのいい話ではないが、まあ、元は豚やなんかだったのだろう、ということを、考えた。その豚は、もちろんおれに食われるなんてことは、思ってもいなかったのだろう。そんなことは当たり前だ。分かるはずがない。自分が人間に食べられる、ということ自体も、想像できなかっただろう。
いや、そのくらいは察していたかもしれない。何のために人間が、自分たちに餌を与えているのか、ということぐらいは、もしかしたらとっくに分かっていたのかもしれない。おれは何となくそう思った。自分たちが食べられると分かっていて、それでも逃げたり、まあ無理なようになっているのだろうが、あえてそういうことはしなかったのだろうと、おれは思った。おれの今の状況が、その豚たちにそっくり当てはまるからだ。
おれはこれから死ぬわけで、そうすることによって助かる人間がいるわけだ。これは豚が死んで食料となることで、人間が命を紡いでくことに似ている。おれが何のためらいもなく死ぬことを選択できた背景には、やはり、妻が助かるから、という理由があった。豚も同じだ、とおれは思う。豚も、自分が死ぬことで紡がれていく命があることを知っているから、あえて死に逆らうようなことはしないのだ。このような行為を、人間は、人間に対してすることはできても、他の種に対して行なえるとは思えない。お前が死んで、犬の餌になれば犬が生きていけるから、死ね、と言われて死ぬようなやつは多分いない。その点で言えば、豚や鳥などは人間より優れている。まったく関係のない人間という種を生かすために自分が死ぬという、大局的な視点、思考を持っていると言える。馬鹿にできないものだ。
おれは、小学校に通っているときにやらされた、食事の前に手を合わせる、という行為の意味を、今さらになって悟った。人が、人の位牌に手を合わせる行為と、本質的には変わらない。いただきます、という言葉には、死が付きまとっている。理屈としては知っていたが、おれはその事実を肌で感じた。今までおれは一体、何匹の動物を殺し、どれくらいの植物の命を奪ったのだろう。若い時分から、手を合わせる習慣を持っていなかったことが、今さらながらに悔やまれてならない。
こんな、死とかそういうことばかりに頭が回るのは、やはりおれの死期が近いからなのだろうか。自殺するわけだから、死期、という言い方が正しいかどうかは分からないが、恐らくそうなのだろうとおれは考える。
皿にはもう、何も残ってはいない。おれの晩餐、最後の晩餐は終わったのだ。人が生きていくために必要不可欠な、食べるという行為は、おれの人生にはもう、ない。つまり一歩、死が近づいたということだ。この調子で、おれの最後、は、どんどん消化されていき、生命活動にもピリオドを打つことになる。死を意識するな、というほうが無理だった。
おれは最後に、妻の顔を見ておきたいと思った。音を立てないように注意しながら、寝室の扉を開けて、ベッドで深い寝息をたてている妻の顔を覗いてみた。これから起こることなど何も知らないような、まあ、実際知らないのだが、平和な顔だった。おれにとっては、それは救いだった。おれは寝室を後にする。
テーブルに置いておいたタバコとライターを掴んで、おれはアパートを出た。出てすぐ、正面の柵の向こうに、慣れ親しんだ町の風景が、もうじき来る朝の、忙しない空気を孕み始めている。もう、あまり時間はない。
おれはタバコの箱を開いた。二本あるタバコの一本を咥えて、火をつける。薄暗い空に、紫煙が立ちのぼる。ここは空に近いから、もしかしたらこの煙も空まで届くかもな、とおれはぼんやりと思った。
別れ際の妻は、綺麗だった。おれはタバコをふかしながら、妻の寝顔を思い返した。妻はおれがいなくなっても大丈夫だろうか。きっと大丈夫だ。おれは何度も繰り返し行ったこの思考を、すぐに打ち切る。未練がないわけではない。当然、死ななくて済むなら、死にたくなど、ない。だが死ぬと決めたのだ。その意思を覆すわけにはいかない。妻のことを思うと、今すぐにでもこの馬鹿馬鹿しい決定を覆したくなる。今すぐ寝室の扉を開けて、妻を抱き起こしたい。すべてを話して、死なないで、と言ってもらいたい。二人で持てるだけの荷物を持って、どこか遠くへ逃げ出したい。その日その日を、何とかしのぎながら、二人で笑って生きていきたい。
妻のことを思うと、こんな現実味のない欲望が、とりとめもなく溢れてきてしまう。それではいけない。現実を見据えなければいけない。思いはどうあれ、おれは今日これから死ななければいけないのだ。
おれのこんな思いは、おれが死んだらどこへ行くのだろうか。いわゆる幽霊、となって、おれの意識はずっとこの世界に留まるのだろうか。それとも天国のような世界に行くのだろうか。それとも、無、なのだろうか。おれは死ぬ、と決めてからこのようなことをずっと考えてきた。無論、答えが出るような問答ではないから、今、死ぬ直前となっても、答えは分からずじまい。おれは結局、何もわからないままに死ぬことになる。
おれは何を望んでいるのだろうか。幽霊か、天国か、それとも無か。
タバコももう残り少ない。おれは最後に深く煙を吸い込むと、タバコを床でもみ消し、口からゆっくりと紫煙をのぼらせた。そこでおれは、おれ自身の望みすらも分かっていないことに気が付いた。死んだらどうなるのだろう、ということばかりに目が行っていて、死んだらどうなりたいか、などということは考えたこともなかった。そもそも死んだ先に何かあるかどうかも分からないのだから、どうなりたいもくそもないのだろうが、それでもそういうことを考えていなかったことを、おれは少し後悔した。
まあ、三択だ、とおれは考える。幽霊か、天国か、無か。地獄という選択肢もないわけではないが、この際除外しようではないか。縁起が良くない。つまり三択だ。
幽霊だ、とおれは決める。おれは死んだら幽霊になりたい。何のことはない、消去法だった。妻を置いておれだけ天国に逝くのなんてまっぴらごめんだし、無なんてわけのわからない状態になるのも、気が進まない。ゆえに幽霊だ。これなら置いていく妻の姿を見ることもできるような気がするし、なによりこの世界にまだ残っていることができる。
そう考えて、おれは自分の心の奥底でまだ、この世に対する未練が残っているという事実を、改めて自覚した。まあ、そんなことは百も承知だった。死にたくなどない。それでも、死ななければいけない。何度も繰り返した問答だ。
おれは覚悟を決める。ねじが緩みかけている防護柵に歩み寄った。今日、おれは、ここで偶然、事故死することになっている。
おれは緩んだねじを、手で回した。意外なほどあっさりと、そのねじははめ込みから抜け落ちて、共用廊下のコンクリートに転がった。このまま柵に寄りかかれば、まあ、十中八九、逝けるだろう。
おれは背中を柵に付けた。かしゃり、という小さな金属音と共に、ひんやりとした柵の温度が背中に伝わる。一歩踏み出せば、死は、そこにある。正確には一歩さがれば、かな、とおれは思う。最後の最後まで、前ではなく後ろに歩を進めなければならないとは、まったくおれの人生らしい、とおれは小さく笑う。壁に寄りかかるような感覚で、この柵に寄りかかれば、おれは、終わるのだ。
終わり、終わりか、とおれは意外なほどに落ち着いている思考の中で、その言葉を反復していた。終わり。どうも実感がわかないものだな、とおれは思った。最後の瞬間は、どんなに落ち着いていても、とんでもない葛藤が待っていると思っていた。それすらもおれは覚悟して、今日に臨んでいた。つまり、どんな葛藤があろうと、おれは絶対に死ぬと、ここ数日で意思を固めてきていたのだ。きっと死の直前になれば、おれは狂ったように、死から抗うだろう、とおれは予想していた。そのときのおれに向ける言葉も、おれは用意してきたのだった。
だが、どうだ。この落ち着きは。そんな言葉など、まるで必要ないではないか。ああ、逝けるな、とおれは思う。今なら簡単に、逝ける。
逝こう。
そのとき。わずかに、本当にわずかに、おれは、空腹を感じた。無視しようとすれば、無視できる程度の、本当にわずかな、空腹。いわゆる小腹が空いた、とでも言うような、空腹を、おれは感じた。
ああ、何か食べたいな、とおれは思った。無意識に、しかし、言葉として、おれはそう思った。何か食べたい、と、おれは言葉で思考したのだ。
それがきっかけだった。急に、おれの中に膨大な量の思考、というか、感覚が、所狭しと駆け巡った。その中には、当然、五感も含まれていた。かつて感じたことのある、痛み、安らぎ、見たことのある、景色、風景、聴いたことのある、メロディ、声、嗅いだことのある、香り、匂い。
味わったことのある、味――。
おれは、泣いていた。気が付けば、柵から離れて、部屋の入り口横の壁にもたれて、おれは泣いていた。
おれは、死ねない。用意した言葉も、何も、もうおれには届かなかった。
「おれは死ななくてはならない」「駄目だ」
「いや、死ななければ、妻が生きていけない」「それがどうした」
「妻が生きていけないなど、おれには耐えられない」「いや、おれには関係ない」
「そんなことはない」「嘘だ」
「嘘などではない」「いや、嘘だ」
「なぜそんなことが言える」「おれは生きていたいからだ」
「違う、おれは死ななくてはならない」「違うな、おれは生きていたい」
「死なないと……」「死などいらない」
「しかしそれでは、駄目なんだ」「生きるのだ、おれは」
「妻を助けたい」「別に死ぬ必要はない」
「そんなことは……」「目を逸らしていただけだ」
「違う」「死ななくても、妻を助ける道なら他にもある」
「それは……」「死ねば、確かに楽に妻を救える。だがそれは認められない」
「なぜ」「おれは、生きていたいからだ」
「生きていたい、だと」「お前もそうだろう。生きていたい」
「おれは……」「諦めて楽になれ。生きろよ、おれ」
朝が、町を包んでいる。階下から、新聞屋の駆るバイクの駆動音が間抜けなリズムで、響いてくる。
結局、おれは死ねなかった。あれだけ死に逝くための準備を滞りなく進めておきながら、あれだけ死に逝くための理屈をこねておきながら、あれだけ死に逝くための覚悟をしておきながら、おれは結局、死ななかった。
朝の日差しが、なぜか生き延びてしまったおれを、優しく照らし始める。こんなおれでも、存在していていい、とでもいうように、太陽は優しく、ひたすらに優しく、暖かい光をおれに注いでくれる。
なんだかなあ、とおれは気の抜けた声を発した。社会から見放され、もう死ぬしかない、死ぬことしか許されない、と言われ続けたこのおれを、まるで全面肯定するかのような、雰囲気を、今日という日の朝は帯びている。それがなんだかおかしくて、おれは久しぶりに吹きだしてしまう。
ポケットにしまった最後のタバコを、おれは取り出した。いや、最後ではないな、とおれは一人呟く。またあとで、買う。最後などではない。おれはそう、思う。
玄関をくぐってダイニングに出ると、ちょうど起きだしてきた妻と鉢合わせた。おれは一瞬たじろいだが、いつもと変わらない挨拶をする。
「おはよう」
「おはよう、昨日も遅かったの? もしかして今帰ってきたところ?」
「まあ、そんなところかな」
「ふうん」と妻は眠そうに言った。「あ、でも夜食食べたんだ」
「ああ、それな」とおれ。「うまかった。ありがとう」
「そんなこといいのに。それより無理しないでよね。借金なら、返済待ってくれるように頼んでおいたから、焦らなくて大丈夫だよ」
「焦る? おれが?」
「最近特に、何か焦ってる感じだった」
気が付かなかったな、とおれは考えた。知らず知らずのうちに、おれは死ぬ、という気配を発していたのだろうか。
「でも、なんか今日はいい感じだね。遅番だったのに、顔色がいい」
「そうか」とおれは言った。「まあ、そうかもな」
「これから寝るの?」
「いや、仕事に行こうと思う」
「これから、徹夜で?」
「問題ないさ、大丈夫」
「大丈夫じゃないよ、少しは休んでよ」と妻は口を尖らせた。「倒れちゃうよ」
「いや、おれは、死なないさ」とおれは返す。「絶対にな」
「なにそれ」
「別に」
「もう。朝ごはんはどうする?」
「そういえば腹が減ったな」とおれは自身の腹を撫でながら言った。「でもすぐに行きたいから、そうだ、卵焼きを作ってくれ」
「卵焼き? そんなものでいいの?」
「いや、卵焼きがいいんだ」とおれは言う。「お前が作った卵焼きだ」
「変なの」
妻はそう言うと、フライパンに油を敷いてコンロの火に掛けた。冷蔵庫から卵を二つ取り出して、フライパンの上で直接割る。火が通って目玉焼きになってしまう前に、菜箸でとき卵にする。すぐに熱が通って、卵焼きの甘い匂いが、立ち上り始めた。
「はい、卵焼き一丁」
妻はなんだか嬉しそうにそう言って、皿に盛り付けられた、まだ熱気を孕んでいる卵焼きを、おれの目の前に差し出した。
おれはすぐにそれを箸で摘むと、冷ます間もなく口に運ぶ。
「ちょっと、熱いでしょ」と妻が言った。「火傷するよ」
「いや、美味い」とおれは言った。「死ぬほど美味い」
「そんなオーバーな」と妻が笑う。
「いや」とおれは言う。「死ぬほど、美味いんだ」
死ぬほど美味い