ウイッシュ リスト

娘が大声を出した。

だからどうしたのっ?て聞いてるだけじゃない。
だっておかしいでしょ? 日本から持ってきた着物や宝石がなくなるなんて。
ほしいわけじゃないのよ。
でもあれ、おかあさんの唯一の宝物だったでしょ。
だから欲しいとかじゃないって。
どうしたのって聞いてるだけ。
なんで言えないの?
だれかにあげちゃったの?
まさか、まさかだよね。
着物はいいとしたって、あの指輪・・・。
アレホンモノだよ。
いったいいくらすると思ってるの?
だからほしいわけじゃなくて、どこにやったのって聞いてるの。
なんで言えないの。

娘に責められても老婆は何も言わない。
いや言おうとしてるのかもしれないが、言葉が見つからない。
どこから説明していいか、もうその年老いた頭では見当もつかない。
ただ口をパクパクしている。

引越しの途中で親子喧嘩が始まった。
オレたちは、親子を無視して出来上がったダンボールを次々運ぶ。
こういう時は無視してやったほうがいい。
その心とは裏腹にオレの心の目は老婆をチラ見する。
オレの心の耳は、娘の怒鳴り声から喧嘩の内容を把握しようとする。
精神を失った肉体だけが、機械のように荷物を運ぶ。
どうやら、親が持ってきた着物や指輪が、娘の知らないうちに無くなっていたらしい。
それも盗まれたとかではなく、誰かに渡してしまったような。

老婆が全く別のことを言い出した。
私は、女で一つで一生懸命アンタを育てた。
エレクトーンだって無理して習わせた。本当はピアノを習わせたかったんだけど。
大学に入ったときに、入学金と中古の軽を買うために退職金を前借りした。
あれがなきゃ、退職するときに、もっと退職金がもらえたのに。
たった100万が無かったために前借りするなんて。
せっかく就職して、これから楽になれると思ったときに一人で外国に行くって言い出して。
親をなんだと思ってるんだい。
私は淋しかったよ。
朝出ていくだろ、帰ってくると、スリッパが朝自分が脱いだままになってるんだ。
淋しかったよ。
一人なんだと思ったよ。
そりゃ、よその親のように外国の学校のお金までは出してやれないさ。
それでも、毎日食パンとジュースだけって聞いたときは、お金送ってやったじゃないか。
靴が合わないと言ってきたときは、日本の靴を送ってやったじゃないか。
送り賃だって高かったんだよ。
あれはまだ返してもらってないね。
今だって、自分の年金でちゃんと暮らしてる。
そうするために、私は70まで働いたんだ。
アンタに迷惑かけちゃいないよ。
確かに、こっち来るときは、手続きが面倒だったかもしれないけど。
あの時だって、少しかもしれないけど渡したじゃないか。
私が何したって言うのさ。
日本の年金でちゃんと暮らしてるじゃないか。
アンタにしてみりゃ、低所得者アパートかもしれないけど。
私は誰の力も借りてないはずだよ。
アンタたちが私のアパートに来るといえば、海老フライかすきやきを作ってやるじゃないか。
あの海老だって、そのへんの安い海老じゃないんだよ。

女というのはなぜ聞かれたことに答えないのだろう。
娘は着物と指輪をどうしたのかと聞いて、その答えが自分の年金でくらしてるプラスえびふらい。
しったこっちゃねえか。
まったく。
さっさと答えちゃえばいいのに。アホだね。

オレは引越し屋。
引越し屋もオレの仕事の一つ。
その他にも不用品の引き取りと中古家具の販売、ワーホリ学生相手の便利屋のようなことをやっている。
思いついたことはなんでもやっているといったほうがいいのかもしれない。
オレは自分じゃ成功したほうだと思う。
学生時代は金を貯めて、北米やヨーロッパを7カ国を回った。
童顔とフットワークのよさで、どこに行ってもかわいがられた。
大学はK。
若い頃は大学名を言うと、それだけで一目おいてもらえた。
当時は、そういう一流大学の生徒が、バックパック一つで旅しているだけで、普通のバックパッカーとは違う目で見てもらえた。
旅先で夢を熱く語った。
サラリーマンにはならないと宣言した。
オレはサラリーマンなんかにならない。
自分は何かできる男だと思っていた。
先の予定も約束もなんにもなかったけど自信があった。
いい大学を出て、いい会社に入って、鼻先の人参を追う生活は嫌だと思った。
自分は、いい大学を出てる。
自分の将来は約束されている。
それをあえて捨てるオレ。
なんてかっこいいんだろう。
自分で吐き出した言葉に自分で酔っていた。
若かったんだろうな。
今の時代は、一流大学出ても、自分の進みたい道に進める世の中だけど、そのときは珍しがられた。
当時は、色んなことが不便な時代。
今でこそ、日本や日本人は名前に金を払うということをしなくなったが、当時はムダが多かった。
駐在員や金持ち移民の天下だった。
学生といえば、親から仕送りをしてもらっている正規留学生がほとんどだった。
今流行のワーホリはいなかった。
もしいたとしても、あの世界では無視される時代だった。
今と違った意味で学歴がもてはやされた時代だった。
一世の人たちは、なんとか自分の子供を大学に入れてやりたいと思った。
自分は身一つできたので、せめて子供だけでもと願うのはすごくあたりまえのことだった。
その狭い日本人社会の中で商工会のような会を作り、多少高くても、もちつもたれつでやっていた。
裏切りは許されない雰囲気があった。
中国移民ともまた違う、日本独特の雰囲気があった。
裏切りが許されないだけではなく、ぬけがけも許されない。
一人がちはありえない世界。
資本主義経済なんのその。
外国にいながら島国根性をむき出しにして生活してる。
自分さえいい思いをしようとしなければ、全員が、そこそこの生活ができるようになっていた。
逆に誰かが目立って稼ぎ始めれば、妬みひがみ、陰口、村八分。
だからと言って平等かといえばそんなことはなく、元の職業によって色分けされた身分と尊敬と侮蔑が横たわる世界。
腹の中では「フン」と思いながらも、第三者をはさむと、口の横に泡をためて、すぐ横の人間を褒めまくる。
異様な世界。
その中で、もっとこうすれば簡単で安くできるのにと思うことがたくさんあった。
なんでこんなに面倒なことやってやがると思ったのも一度や二度じゃない。
もし思ったことを行動にうつしたら潰されてしまうんだろうか。
そんな筈はない。
当時すでに色分けされた人々とオレとは年齢が離れすぎていた。
やれる。
常に社員を確保するひつようなんてない。
必要なときに必要な人数を集めればいい。
きっとこれから日本の学生がドンドン外国に出てくる。
金を持った留学生以外の学生たちもどんどんやってくる時代になる。
こういう若い金を持たない人をターゲットにしていけばいいんじゃないか。
まだつけいるスキは十分にあった。
したいことも、できることはたくさんあった。
いくらでもアイディアが浮かんできた。
毎日ノートに書きまくった。
書いても書いても尽きることはなかった。
オレは自分の身ひとつで世界に出てやると決めた。
オレは社長になる。

あれから18年。
オレは社長と呼ばれるようになった。
移民社会も大きく変わった。
ワーキングホリディ制度で多くの学生がやってきた。
それを狙って、語学学校やスティ先を紹介する業者、あるいは語学学校そのものを経営するものまで出てきた。
みんな学生たちの持ってくる金をむしりとるのに賢明になった。
語学学校紹介無料とうたっていても、実際は語学学校からキックバックがある。
日本の学生は、出来ればアジア人が少ない学校に行きたがる。
でも学生の希望は二の次。
キックバックの大きい学校を紹介してなんぼの世界。
どこに行ってもアジア人はたくさんいます。どこに行っても英語を話そうとする意志さえあれば大丈夫です。
本人しだいです。
これが決め台詞。
次に繁盛したのが不動産屋。
売買がらみは面倒なことが多い。日本とシステムも大きく違うし、みんな英語での交渉をおっくうがる。
そういう面で日本人の不動産屋は重宝した。
小銭が欲しいときは、一時滞在者が家を借りるときの斡旋料もおいしかった。
家賃の一か月分を手数料とする業者もいた。
このへんで家を借りたいと言われれば、その地域の中から何件かピックアップするのが仕事だった。
車で案内して立ち会うだけ。
特に口出しする必要もない。
所詮賃貸。
口出ししなくてもいいと思えば借りるし、そうでなければ借りない。
特においしいのが駐在員のやつら。
こいつらの借りる物件は2000ドル以上はする。
ほんの数軒案内してうまくいけば数時間で2000ドル以上儲かる。
もちろん自分のところで決めないヤツやうるさいのも中にはいる。
それでもこんなおいしい仕事はない。
十分な小遣い稼ぎになった。
本当はこの辺に食い込んでおけばよかった。
こっちの方が楽だったかもしれない。
でも、人が動くことがわかったオレは、中古トラックを買い、引越し屋を始めた。
もともと体を動かすほうが性に合っていたんだと思う。
オレ以外は全員ワーホリのバイト。学生ビザで来ていて本来働けない学生も雇った。
こいつらは、最低賃金でよく動いてくれた。
当時は、日本でも知られている大手企業が日本人の引越しの一切を請け負っていた。
仕事は丁寧だがベラボウに高かった。
もちろんフロアや壁への養生 も完璧。
手際のよさはぴか一だ。
海外引越しで必要な詳細なリストも完璧にしあげていた。
会社で引越しの金を出してくれる人は、それでいいかもしれない。
でも自分で金を出す人間は、本当にそこまで必要なんだろうか。
要は重い荷物を安く運んでくれる人が必要なんじゃないのか。
オレはそう思った。
それが引越し屋をはじめたきっかけ。
養生なんかは特にしない。
ぶつけることはめったにないし、ぶつけたら保険でカバーすればいい。
初めは、大手の3分の一くらいの値段で引き受けた。
結構もうかった。
プラス不用品の引き取りもした。
帰国組は、結構いい品を置いていった。
それを自分の店で売った。
こちらは思ったより経費がかかりもうからなかった。
サービスで不用品引き取りもするというかんじかな。
そのうちウェブの掲示板なんかでオレの店の悪口を言うヤツラが登場した。
養生をしない。
無料で引き取ったものを売っている。
乱暴だ。
その他にもたくさんあったようだが忘れた。
オレは、こんなことは気にしない。
気にしていたら商売なんてやっていけない。
ただ、こんなことを言われて大手の三分の一の値段じゃ割に合わないので大手の半額程度に値上げさせていただいた。
それがせめてもの仕返し。
この頃になると、初めにあった日本人商工会のほかに、次々やってくる若い人たちによって新しいグループがいくつか作られた。
オレも仲間に入れてもらった。
こういう人たちと新しいことを議論するのが好きなんだ。
こういう会は人数が増えてくるとボランティアによって運営されはじめる。
もちろんオレは積極的に参加した。
今じゃ、いくつの会で、いくつの役をこなしてるんだろう。
手帳をみなきゃ自分でもわからない。
オレは会の運営のために日本企業に寄付をお願いしたりする。
このときのヤツラの対応にいつもハラがたつ。
本社に確認してみます。
本社がNOと言っているので。
寄付する積極的理由が見つからない。
ヤツラ自分じゃなんにも決められない。
大企業なんだから、俺らのゴルフコンペに協賛してくれたってバチもあたらんだろう。
会社でダメならオマエのポケットから出せばいいじゃないか。
お前らいったいイクラもらってるんだ。
オレはボランティアで資金集めしてるんだ。
少しは協力してくれよ。
オレだってK大だよ。
バカにしやがって。
それに引き換え、現地の日本人が社長になっている会社はいい。
大変ですねといいながら
少なくて恐縮ですがといいながら
必ず強力してくれる。
話が早い。
だからオレは日本企業の駐在員は大嫌いなんだ。
バカにしやがって。
なんで今日にかぎって、そんな昔のこと思いだしてるんだろう。
さっ、仕事しごと。

娘と老婆はしばらく言い争っていたが、複数の男たちの前で言い争いを続けることができないと判断したのか
結論に至るまえに無言になってしまった。
不完全燃焼の娘は、あてつけのように、ガチャガチャと音をたてながら作業を続けている。
老母は無言で作業を続ける。泣いているのか。ときおり鼻水をすする。
なんとも嫌な雰囲気の中で作業終了。
この荷物は1ヶ月保管してから転居先へ届けることになっている。
娘が離婚を機にコンドを売り、代金でモゲージ支払い残金を元旦那と折半。
それを頭金に小さい場所を購入する予定だったが、先にコンドが売れてしまい、転居先がうまくみつからなかったらしい。
荷物を保管している1ヶ月の間に、賃貸でもいいので転居先を探す予定だという。
その間は、母親のバッチェラーの家に転がり込むということだ。
なんともあっけらかんと話す。
「それじゃあ転居先が決まったらお電話しますのでヨロシクお願いします」
「じゃあ、念のため、もう一度名詞わたしておきますね。1ヶ月過ぎちゃったら超過料金がかかりますので注意してください」
商売用の笑顔でしめくくる。

帰りのトラックの中でバイト君が「おばあちゃん泣いてましてね。誰かに指輪あげちゃったのかな?ボケじゃないんですかね」つぶやく。
なんとも返答に困る。ボケもあっても不思議じゃない年齢かなとも思ってみたり。

それからちょうど2週間過ぎた。
娘からの電話。
新しい引越し先の住所と日程など細かいことを決めた。
事務的に話は進んだ。
引越し当日も特に問題はなく作業は終了。
引越し当日は老母は手伝いに来てなかった。
バイト君たちが、いらないダンボールなどを撤収している。
作業終了のサインをもらう。
娘が突然「おたくは便利屋さんって聞いたんだけど、簡単な調査とかもしてもらえるのかしら?」
「調査って、素行調査ですか。じゃあ無理かな、やったことないし」と即答。
こんな狭い土地で、日本人のゴタゴタに巻き込まれるのだけは避けたい。
これだけはやっちゃいけないこと。
勝手に娘が続ける。
「この前、来ていただいたときにお聞きになったと思うんですが、母が着物や指輪を寄付しちゃったらしいんです。
 本人は言わないんですけど。お友達からちょっと聞いて、多分そうだと思うんです。
 着物なんて、今の時代、そんなに価値はないと思うんですけど、問題は指輪なんです。
 あれは母の母、私の祖母が私が生まれたときに母に渡したものなんです。
 この子、私ですけど、私が大きくなったら渡すようにって、我家の先祖代々の唯一のものなんです。
 多分、かなりの価値があるものだと思うんです。それを寄付なんて。もらうほうもどうかしてるわ」
 
話しながら感情がこみ上げてくるようだ。
泣き声のような、うわずったような声になりながらさらに続ける。
「返してほしいんです。ボケかけたているのに、それをまに受けるなんてどうかしてるわ。
 それで、その交渉をしていただきたいんです。
 成功報酬で、指輪の代金の3分の1もしくは5000ドル。好きなほうを選んでください」

指輪がいくらするのか見当がつかなかった。
もしかしたら指輪の3分の1をもらったほうがいいのかもしれない。
ただ、世の中おいしい話はそんなにない。ここは5000ドルで引き受けるのが無難か。
「成功報酬ということは取り返せなかったら報酬なしということですね」

「そうです」

「寄付した先に心当たりがあるんですね」

「母は、英語が話せません。
 週に2回、その日本人のセンターへ体操を習いに行っているだけなんです。
 寄付するとしたら、そこしかありえないんです」

「センターの名前は?」

「ヤマト日系倶楽部です」

「あちらのセンターに通っていたんですか」
オレは、内心小躍りした。
震災のとき、俺たちはあそこを拠点に活動させてもらった。
ちいさなボランティアグループが、あそこに集まり募金活動を一緒にやったり意見交換をした。
3ヶ月くらい通いつめた。
そのとき顔見知りになった職員もたくさんいる。
これはもしかして、簡単に5000ドル手に入るかもしれない。
面倒なことはなさそうだ。
「わかりました。お引き受けします。成功報酬で5000ドル。
 いちおう契約書を明日持参しますのでサインしてください」

「おねがいします」。

オレは事務所に戻って契約書を作成した。
その日の夜、久しぶりにビールを飲んだ。
もともと酒は強いほうじゃない。
ビールを飲んだら、なんだかえらくテンションが高くなって、珍しく仕事の話を女房にした。
女房は初め、適当に相槌をうって、適当に答えていた。
オレは調子に乗って今日の5000ドルの話をした。
楽勝、楽勝と豪語するオレに

「それダメかも」と言い出した。

「なんだよぉ、せっかく旅行資金にしようと思ってるのに」

「寄付されたものは、イベントで売られちゃうのよ。もう売られちゃったんじゃないかしら」

「だってバーサンたちの内輪のイベントだろ? 返してもらえばいいじゃないか」

「もう、本当わかってないんだから。春祭りとかでブース出して売っちゃうんだって。
誰に売ったかなんて特定できないでしょ。特定できたって、レシートなんて出してないんだから、
言い値で引き取ることになるわよ。それにね、いいものは売る前に安値で誰かが買い取っちゃうんだって。
買い取るって言ったって、すごく安くよ」

「なんだよ、それ~。詐欺じゃないか」

「結局ね、お金のある年寄りはお金を寄付して、ない人は品物で寄付。
どうせ持ってたって、あの世に持ってけないでしょってこと」

「なんだか納得できないな」

「そんなものよ。あそこの介護施設に入るのだって、いっぱい寄付した人だけなんだって。
寄付しない人は、空があっても入れないらしいよ。私たちなんて絶対無理ね」

女房は、自分のいいたいことだけ言ってしまうと
アメリカンアイドルの時間だとテレビを見に行ってしまった。
オレはなんだか納得いかなかった。
泣きそうになりながらふんばって娘に反撃していた老婆を思い出した。
「おばあちゃん泣いてましてね」と言ったバイト君の言葉を思い出した。
あんな年寄りからむしりとらなくたって。
そんなことがあるんだろうか。
でもまてよ。
オレが知り合いになった職員の人たちはみんないい人だったよな。
もしかして事情をはなせばわかってくれるかもしれない。
なんだか大丈夫に思えてきた。
女房はあの人たちのことしらないから。
女っていうのは思い込みが激しいな。
笑う余裕すら出てきた。
明日一番で行動することにしよう。

翌日、契約書をもって例の娘にあいに行った。
指輪を手放した日にちを母親に確認してもらった。
相変わらず老婆は口が堅く、はっきりした日にちは分からなかった。
しかし母の日に老婆が指輪をしていたのを娘は確認している。
3週間もたっていない。
もしかして間に合うかもしれない。
3週間の間に大きなイベントも特になかったはずだ。
ぜったいに間に合うはずだ。
オレは連絡せずにヤマト日系倶楽部へ足を運んだ。
受付の女の子はボランティアで、見たことのない顔だったが、中に知った顔があった。

「杉本さん、お久しぶりです。あの、ちょっとお聞きしたいことがあって寄ったんですが、今大丈夫ですか」

「何かしら? デートのお誘いだったら嬉しいな」

杉本さんというのは、ここの職員の一人で、とても明るく活発な40代の女性。
ご主人と二人暮らし。子供がいたら、こんな大変な仕事はできないというのが口癖。
すごく働き者で、このセンターの中心的人物と言っていい。

「ちょっと教えてほしんですけど。このセンターに物を寄付した人が、間違って娘さんのものを寄付しちゃったみたいなんです。
それでそれを返してもらえるか聞いてほしいって言われたんですけど」
自分でも嫌になるくらいの直球を投げてしまった。
杉本さんの顔色が変わった。
今ままで見たこともないような嫌な目つきになった。
オレは直感でヤバイかなと思った。

「お名前は?」

「その前に返してもらえるんでしょうか」

「お名前を聞かなきゃ返事できないわよ」

「もし名前を言って、その方に迷惑になるってことはないですよね。そこ大事ですから」
もちろん会話は録音している。

「迷惑って?」

「そのことで本人がここに来れなくなるとか」

「それは本人しだいじゃない」

まだ話の本題に入ってもいないのに、なんだか嫌な雰囲気。
なんなんだ、この頭から人を馬鹿にしたものの言い方は。

「新沼さんてお婆ちゃんです。その娘さんが言うには、寄付した着物はそのままでいいので指輪だけ返してほしいそうです。
指輪は寄付して3週間もたっていないみたいなんでなんとかお願いできませんかって話なんですけど」

「無理です」

「えっ、だって3週間もたってないじゃないですか」

「だって新沼さんがその指輪を寄付した証拠なんてないでしょ。寄付された指輪の中で一番高価そうなものを持っていくかもしれないじゃないですか」

「じゃあ、指輪をしている写真とかあれば大丈夫ですか」

「無理です」

「何で?」

「写真だけで何を判断しろって言ってるのか理解できません。それに本人の意思で寄付したんだから、娘さんがどうこう言う問題じゃないじゃないですか」

「いや、だから娘さんの指輪を勝手に寄付しちゃったのが問題なんですよ」

「それはご家族の問題だわ。うちのセンターには関係ないし、お返しする必要もありません。
それにご寄付いただいたものは、めぐりめぐっていつか自分にかえってくるんですよ。失ったと考えちゃダメです」

「いや、でも本人87歳ですよ。なにかの間違いで持ち出したってこともあるでしょ」

「ですから、それはご家族の問題だと言ってるんです。だいたい新沼さんのお嬢さん無責任すぎるわよ。
タックスリターンの手続きだってうちでやってるんですよ。本来ご家族がいる方はお手伝いできないことになってるんです。
新沼さん、いつも愚痴ってましたよ。娘はなんにもしてくれないって」

オレは、なんかゴタゴタに巻き込まれてるような気がしてきた。
オレの一番嫌なパターン。
特に日本人社会は狭いので、あることないこと広まってしまう。
ヤバイな。

「じゃあ最後に。指輪はまだセンターにあるんですか。ありますよね、3週間もたってないんだから」

「お答えできません。それと新沼さんに、もし聞きたいことがあるんだったら本人が直接センターに問い合わせるように伝えてください」

外に出て録音ボタンのスイッチを切った。
これをこのまま依頼者に渡してオシマイにしたほうがいいように思えた。
ただ、オレは自分がバカにされるのだけは許せない。
今までだって、ボランティアで無償でいろんなところの手伝いをして感謝されているはずだ。
なのにこの扱いはなんなんだ。どういうことなんだ。もうすこしリスペクトされてもいいじゃないか。
なんなんだあれは。


≪This story is to be continued.≫  ⇒ ⇒ ⇒②

しばらく車の中で動けなかった。
簡単に5000ドル手に入ると思っていたオレがバカだった。
この仕事は、これ以上の深入りはやめたほうがいい。
録音テープを娘に渡して終わりにしよう。
オレはもめごとが大嫌いなんだ。
結果が出ているのに車を発進することができない。
なにか引っかかるものがある。
それはなんなのか。
自分が邪険に扱われたことに腹を立てているんだろうか。
わからない。
いままでだって引越し屋というだけで見下されたことは何回もあった。
そのたび腹もたったが、受け流すことも覚えた。
それとも違う。なんなんだよ、いったい。
どのくらいそうしていたんだろう。
センターの中から、さっき受付をしていた女の子が出てきた。
彼女はオレに気づかずにバス停でバスを待っていた。
オレは車から飛び降りてバス停に向かった。
ちょうど76番のダウンタウン行きバスがきた。新型でラッキーだった。
オレは車を置いたまま、彼女に続いてバスに乗り込んだ。

「さっきはどうも」
オレは思い切って彼女に声をかけた。

「あら、さきほどはどうも。用事はすんだんですか?」

「ええ」

オレの直感は彼女を見方につけろと命令した。
こういう時のオレの直感はイケル。

「実はね、娘さんの指輪を勝手に持ち出したおばあさんがいて。そのことでセンターに伺ったんだけど
杉本さん怒らせちゃったみたいで。僕は彼女を前から知っているけど、あの人でもあんなに怒るんだね」

女の子はうなずきながら、少し笑って
「あの人、おこりんぼうですよ。多分二重人格。私的にはちょっと無理かな。私も今日で最後なんです」

「えっ、ボランティアやめちゃうの?」

「もともとボランティアしようと思ったんじゃなくて、初心者にレース編みを教えてくれるっていうから来たのに嘘ばっかり。
新手のボランティア集めだったんです。私もさっさと辞めちゃえばよかったんだけど、なんか辞める理由も見つからなくてダラダラと。
でも来るたびにスゴク嫌になっちゃって。やっぱり辞めることにしたんです。本当なら先週で終わりだったんですけど
どうしても今日の受付に一人欠員が出て、まあ最後だしいっかって思って」

彼女は少し考えてから
「多分、指輪取り返せないと思うな」と。

「どうしてそう思うの」

「取り返して欲しいってことは、高価なものだったんですよね、多分。高価なものならなおさらだと思うな」

「だって、たった3週間前くらいに寄付したものだよ。そんなことってあるかな」

「あるある。あそこなら2日でなくなる」

「誰かが取っちゃうってことかな」

「買い取るって形だけど・・・・・よくわかんない。でもね返ってこないのだけは確か。
前にも同じように言ってきたお婆ちゃんがいたんだけど、杉本さん怒らせちゃって。
物は返ってこないし、そのうえセンターで村八分になって、最後は本当にボケちゃった。
ノクボさんかわいそうだったな。
年寄りの村八分ってマジ怖い。
やることないからね、集中していじめるの。
そのお婆ちゃんもセンターに来なきゃいいのに、なぜか来るの。そして無視されて。
私みたいな関係のない人が側にいるときは、さも仲良しのフリするんだけど
それがわざとらしいったらありゃしない。まるで幼稚園児みたい。性格わるすぎ」

「そういうの見たから、君は辞めちゃうの?」

「それもあるけど、あそこの職員は5人。あとはボランティアなの。
ボランティアは勿論無報酬。半年に一回お疲れさん会があるだけ。
杉本さんの手作りケーキでお茶するだけなんだけど。
それなのに職員はかなりの高給ってどういうこと?ちょっとおかしいと思いません?
ヨーロッパ旅行に日本への里帰り、あげくは自分の親をこっちに招待したり。
同じことやってて、なんかばかばかしくなっちゃって。
しかも給料もらってるくせに、自分たちのことボランティアみたいに言うの、すんごくへん
だんだん腹たってきちゃって。結局、ボランティアの人はみんな辞めちゃうんです」

「そうなの?なかなかエグイ世界なんだ」

「そうそう。でも、あそこに来る年寄りって、あそこだけが楽しみだから、けっこう・・・ね、大変なんじゃないかな」

オレは彼女に名刺を渡してもう少し話を聞こうかと思った。
でも、知らない人間にこれだけペラペラと内部のことを話す人間を信用していいものだろうか。
しかもしらないオッサンに突然名刺を渡され、もう少し話が聞きたいと言われたら誰だって警戒するんじゃないか。
どうしたものか。

「私、生地屋さんに寄るので次でおります。指輪もどるといいですね」

しゃべるだけしゃべって彼女はバスを降りてしまった。
疲れた。
慣れないことをするもんじゃない。
これでまた車を取りに戻ると思ったら余計疲れた。
逆方向の路線バスはなかなかこなかった。
オレはさっきの会話を思い出していた。
もう一人指輪を寄付した婆さんがいた。杉本さんを怒らせて村八分でボケてしまった婆さん。
その婆さんは今どこにいるんだろう?
メモパッドにNOKUBOと入力。

車をピックアップして会社に戻った。
嫌なことは先にと思い依頼主の娘に連絡した。
指輪奪回が難しいこととやり取りを録音したテープがあるので届けると伝えた。
娘は思ったより落ち着いていて、テープはついでのときでいいと言った。
5000ドルは正直おしかったがしょうがなかった。

あっという間に3週間が過ぎた。
オレは仕事におわれ、テープを届けなければと思いながら、そのくせ半分忘れかけていた。
娘から突然連絡があった。

「母が亡くなりました」と。

電話で詳細を聞くのは憚られた。突然とにかくテープを届けなければと思った。
すぐ行くと伝えた。
オレは数週間前に荷物を運び込んだ娘の家に向かった。
冷たい汗が流れる。
心臓がバクバクする。
娘の家に着いてインターフォンを押す。
娘が自動でロック解除してくれた。エレベータで上に上がる。ドアを開ける。
どこか窓が開いていたのか風が吹きぬける。
テープを届けるのが遅くなったことを詫びる。
娘が意外なことを口にした。
自分が指輪のことを言い出さなければ、もしかしたらこんなことにならなかったかもしれないと。
その言葉を聞くまで、オレは老婆がなんで死んだのか考えもしなかった。

「お母様は何で亡くなられたのですか」

「センターのエレベータに閉じ込められてしまったんです。事故でした。でも・・・」

「でも?」

「荷物搬入用のエレベータになんで乗ったのかわからないんです。
2階に行く用事なんてないんです。
まさか業務用に人が乗っているとは思わずに電源を落としてしまった。
発見されたとき失禁して意識がモウロウとしていたそうです
母は糖尿病でした。脱水症状も激しくて、その後亡くなってしまいました。」

娘が続けた。
「警察が来て現場検証を形だけしたそうです。
でも本当に形だけ。
だってあそこで英語で受け答えができるのは電源を切った職員だけですから。
老人たちは日本語でだってしどろもどろなのに、英語の質問に答えられるはずありません。
いつだって職員の言うことが絶対正しいんです」

さっき娘は自分が指輪のことを言い出さなければこんなことにならなかったかもしれないといった。
今回のことと指輪がどういう関係があるんだろう。
娘にオレの考えていることが伝わったのか

「母は70まで働いていて、金銭の管理はわりとちゃんとしていました。
家計簿のようなきちんとしたものではないんですが、小遣い帳をつけていたようです。
そこに簡単にその日あったことをメモしていたみたいなんですが、それがコレです」

「見てもいいですか」

「どうぞ。見ていただくために連絡したんですから」



≪This story is to be continued.≫  ⇒ ⇒ ⇒③

新沼さんの手帳兼こづかい帳のメモ欄。
オレがセンターに問い合わせをした後くらいから、頻繁に複数の人から電話がきていたようだ。
○○さんから電話ありといった具合に簡単なメモが書かれている。
その人数がある日を境にグンと増えている。
人数が増え始めたあとのメモ欄に、ユキさんに連絡相談と書かれている。
ユキさんって誰なんだ?
で、ここに登場してるバーさんたちって何のためにガンガン電話してきてたんだ?

「この中に誰か知っている名前はありますか」と娘に確認してみる。

「まったく分かりません。
ただ、あの日を境になにかあったか、言われたかしたんじゃないでしょうか」

内心、オレの責任かよ~っと思った。
なんだよオレを責めるためによんだのかよと。

「これ、センターに直接問い合わせたときの録音テープなんです。
指輪は返せないの一点張りで終わってます」

「お金も払っていないのに頂いてよろしいんですか」

「なんのやくにも立ちませんでした。申し訳ない」

「違う、違う。責めてるんじゃないんです。
私が指輪なんていい出したから、迷惑かけちゃったみたいで。
なんかあっけなく死んじゃって。
あんまりあっけなくて、なにがなんだかわからなくて。
もういいんです。指輪は。忘れてください。私も忘れることにします」

帰り道。
これでいんだろうかオレ。
なんだこりゃ。

夕飯のとき、嫁に愚痴ってみる。

「だから言ったじゃない。
年寄りなんて一筋縄じゃいかないって。かなり意地の悪い人もいるみたいだし」

「そっかあ」

「そう思えばね、小ちゃんのとこのママ、ヤマト日系倶楽部で打ち込みのボランティアするらしいよ」

「打ち込み?」

「会報を送るときにね、今までは会員の住所を手書きで書いてたんだけど、ラベルシールにすることになったんだって。
その住所を打ち込む作業のボランティアだってさ」

「会員?」

「あそこは、1年ごとに会費納めて会員になるの。例えば会員の人だったらクラフトは月10ドル、非会員なら月30ドルってやつ。
だから会員になったほうが特典がついてお得なのよ」

「じゃあ、センター利用している人たちは、ほとんど会員なわけ?」

「そうだと思うけど」

「その打ち込み作業、オレにやらせてもらえないかな。タイピングの練習になるからって頼んでみてよ。

女房が早速、息子の同級生のママ友に電話してくれた。
電話を押さえ、

「個人情報だから、うちがやったってこと内緒にしてほしいって。それならOKだって」

オレは指でOKサインを出した。

翌日の午前中には、オレは名簿を手にいれることに成功していた。
名簿にはフルネームと住所、電話番号、生年月日、年齢、男女の別が書かれていた。
この中から名前と住所だけを打ち込めばいい。
打ち込みはうちのバイト君に委託することにしよう。
このてのことは学生の方が早い。
名簿を貸してくれたママ友への恩返し、せめて短時間で終わらせようと思った。
それにオレには別の仕事があったから。
オレは名簿のなかからノクボとユキという名前を探した。
ノクボはラストネームだろうけど、ユキはファーストネームかラストネームかわからなかった。
丁寧に丁寧に見ていった。
ノクボの名前を見つける。
いやまて、他にもノクボがいるかもしれない。
とにかく最後まで名簿を見ることにした。
結果から言うと81歳の女でノクボが一人。
名前にユキが入っているのは2人いた。


≪This story is to be continued.≫  ⇒ ⇒ ⇒④

④ ※※訂正版 後半部分訂正しました。

4階建ての青いアパートメント。
エントランスで0102#入力。

「先ほどお電話しました金子です」

「どうぞ」

ジージージー
今どきアナログな音。
入るとその先に、小柄なお婆ちゃんが盆踊りのときにはくようなぞうりを素足に履いて立っていた。
ニッコリ笑ってペコッと頭を下げた。
オレもあわてて頭を下げる。

「すみません、お忙しいところ」

「大丈夫、大丈夫。毎日やることないから。お迎えまってるだけだからね。
借りるとき上の階も空いてたんだけど、洗濯室に近いほうがいいからここにしたの。
ほら、私は一日おきに洗濯しないと気持ち悪くなっちゃうから」

ノクボさんは入口から2つめの自分の部屋のドアを開けてくれた。
とっても日当たりがいいバッチェラールーム。
低めのベッドの上にきちんとたたまれたブランケット。
そのわきの安楽椅子とテレビ。
2人がけの食事用丸テーブル。テーブルの上には金魚鉢。金魚が2匹。

「金魚なんて売ってるんだ」

「そうなの私もビックリしちゃった。
この間、1匹しんじゃったから、昨日新しいの買ってきたばかりなの」

こんな会話をする人が本当にボケているんだろうか?
ボクの気持ちは全く無視して、ノクボさんはお茶を入れてくれる。
もらい物の煎餅もだしてくれた。
もしお腹が減っているのなら、カレーがあるけど食べるかとも聞いてくれた。
さすがにこれは遠慮したが。

「さっそくなんですがセンターのことについて教えてほしいんです」

ノクボさんは少し首をかしげて黙ってしまった。
あれっ?もしかして寝ちゃったか? 死んじゃった? 息してる??
しかたないのでオレがしゃべりだした。

「新沼さんがエレベータに閉じ込められて亡くなりました。事故だったみたいです。
でも事故の前に、新沼さんが寄付した指輪のことでセンターともめていたので娘さんが気にしちゃって」

娘が気にしていたというのは真っ赤な嘘。
スッキリしていないのはオレ自身。はっきり言ってオレだけかも。

ノクボさんの顔色が変わった。
青白い顔が、みるみる真っ赤になった。
そして怒りのためかしゃべるしゃべる。
ボケているという話はどうなったのか。

「業務用エレベータでしょ。あれはね、おしおき用なんですよ。
わざと用事を言いつけて乗せるの。
だって私たち2階になんて用事ないもの。
閉じ込められたとき、多分、1階でクラフトかなにかやってたと思いますよ。
閉じ込められた人が叫ぶでしょ。小さくだけど聞こえるんですよ。でもね聞こえないふりをして作業を続けるの。
そうしないと次は自分の番になっちゃうから。年寄りは都合の悪いことは聞こえない耳がついてるのよ。
若い人にはわかんないでしょうけど。
それでしらんぷりして帰っちゃうの。わざとよ、わざと」

「えっ、わざと。
じゃあ、今までにも閉じ込められた人がいるってことですか。死んだひとが他にもいるんですか」

「今までは死んだことはなかったと思うけど。
でもね、電源切られるからね、中が真っ暗になっちゃうの。そりゃあ怖いわよ。
私だって死ぬかと思ったもの」

「ノクボさんも閉じ込められたってことですか」

ノクボさんはオレの質問を全く無視して別のことを話し出した。
無視するなよバーサン。

「一人暮らしはじめてボケちゃうと困ると思ったのよ。
新聞にセンターのことが載ってたから試しに行ってみたの。
ここ、ほら目の前がバス停だから便利なの。バス一本でいけるしね。
センターの前のバス停で降りればいいんだもの。
タクシーみたいなものよ。
このアパート借りるときにね、バス停が近いから借りたの。
足が悪いでしょ、だから。
やっぱりバス停は近いほうがいいわよ、アナタ」

って?
話終わっちゃったけど。
困っているオレを見て

「冷たいお茶もあるけど」と
麦茶を入れてくれた。
バリバリ煎餅も食い始めた。

ヤバイ。
ボケてるって本当だったんだ。
そのうち、オレのこと自分の旦那だと思ったらどうしよう。
受け入れられるかオレ? いや無理。どうしよう。
すると突然

「でね、体操に行ってみたのよ。
でもね年寄りばっかりで。
あれなら家で自分で体操してたほうがいいもの。
それで違う日にクラフトがあるっていうからそっちにしたの。
書道でもよかったんだけど。
皆さん器用でね。なんでも作っちゃうの。
教えてもらってマネして作ったりね。
そうこうしているうちに震災があったじゃない。
あれのときもね、大変だったのよ。
受付でTシャツを売り始めたんだけど、どこにも着ていけないようなシャツでしょ。
席につくなり買ったか聞かれて、買わないって言ったら、あれは寄付みたいなものだから買わなきゃダメだって。
1枚ならいいけど結局なんだかんだ4枚も買わされて。
まだあるわよ。あなた着る?」

突然立ち上がり新品のTシャツを持ってくる。

「どーぞ。大きいのよ。すぐ伸びるし。もし小さかったら奥さんにでもあげなさいよ」

「ありがとうございます」
ここで土産もらって帰るのかよオレ。

「お腹すかない?」

「大丈夫、ホントに大丈夫」

「そう。それでね、あの頃からかな変な雰囲気になってきたの。
それまでは結構のんびりしてたんだけど。
Tシャツの次は寄付。
寄付はセンターで領収書発行するからタックスリターンの手続きのとき控除になるとか言われて。
なんだかよくわかんないから黙ってたのね。
そしたら向かいの席の綾子さんが、綾子さんってご存知?」

「いや、知りません」

「綺麗な方なんだけど物の言い方がキツイのね。
まだ若いんだけど78って言ったかな? お姉さんもセンターに来てるのよ。
その方が、わざとらしく寄付申し込みの紙を置いてね、どうしよう、いくら寄付しようって
もったいぶった言い方するの。
私黙ってたのね。
そしたらノクボさん申込用紙ハイって。
そしたらね、寄付しないわけにいかないでしょ」

「寄付されたんですね」

「娘にその話をしたら叱られたわよ。
次からは、娘が会社で寄付したからって断りなさいって」

「指輪も寄付されたんですよね」
大丈夫、ボケてないかも。

「アレはね、震災とは関係ないのよ。
震災のときにすごいお金が集まったでしょ。センターがあれで味をしめちゃったみたいでね、
なにかあると寄付寄付寄付寄付言い始めたの。
たくさん寄付する方もいるのよね。
お金のある人はいいかもしれないけど、こっちは年金暮らしだもの、たまったもんじゃないわよ。
寄付する人は自分が寄付するだけじゃ満足できないみたでね、
私もやったんだからアナタもしなさいってこうくるわけ。
そういう人って強いのよね。
返事だけで従わないと話しかけても無視したり、
佃煮とかつくっても私にだけくれなかったりするの。
佃煮だのフキの炊いたヤツなんてほしくないけど、みんながもらって私だけもらえないのってすごく嫌なものよ。
それで少しだけ寄付したの。
そしたらみんなの前で、すごく褒めてくれるの。
次行ったらちゃんとおすそ分けもあったし。
私はちゃんと寄付したんだって、なんかこう気持ちよくなっちゃって」

「寄付したのは1回だけですか? 震災のときと合わせて2回」

「ねえ、お腹へらない? 大丈夫」

「オレは大丈夫です。でも、もしノクボさん、お腹へったんなら食べてください」
なかなか手ごわい。いけそうでいけない月世界だなこりゃ。

「こういうとき日本ならテンヤモノ頼めばいいのに、こっちは不便ね」
ノクボさんは冷蔵庫を覗いて、また戻ってきた。
手にはみかんが2つ。

「はい、どーぞ。甘いわよ」

「ありがとうございます」
オレは、このバーサンを誘導するんじゃなく好きなようにしゃべらせようと思った。

「ある日、飯島さんっがね、飯島さんってご存知?
ハキハキしすぎてるっていうか、我が強いっていうのかな、そんな感じのかたよ。
よく寄付もされてる方なんだけど、その人が杉浦地畝の話を始めたの。
あんなにたくさんのユダヤ人が救われたのに、私はうちの近所のユダヤ人に感謝をされたことがないってね。
私もね、なんでユダヤ人が飯島さんに感謝しなきゃならないのか分からなかったんだけど本人は大真面目なの。
でも怖いから黙って聞いてたのね。
そしたらある方が、仮に英語でお礼を言われたってアナタ理解できないでしょって言っちゃったの。
それから飯島さん、その方のこと目の仇にするようになって。
色々意地悪してたわよ。でも私たちは怖いから黙ってたの。もちろん嫌だったけど。
センターをやめさせようとしてたんじゃないかしら。
でもその方もいじめられても無視して来るの。
そのひとは早くにご主人なくされてて、彼女もある意味強い方だったわね。悪いひとじゃなかったわよ。
それで飯島さん、さっきも言ったように寄付もたくさんするから杉本さんとも仲がいいの」

ノクボさんは氷のとけた麦茶をこくっとのんで続けた。
「あの日も普通どおりだったわ。
みんなもくもくと作業してて。
でもどっかで誰かが叫んでるのが聞こえて。
誰か叫んでない?って聞いたの」


≪This story is to be continued.≫  ⇒ ⇒ ⇒⑤

長いやりとりなので会話を割愛させていただく。

ノクボさんと何人かはエレベータの中の声に気づいた。
職員に聞きに行こうとすると、他のクラフトのメンバーは困った顔をした。
その時、飯島という婆さんが「なにも聞こえないわよ。静かにしてちょうだい」と強い口調で言ったそうだ。
とっても威圧的な意地の悪い言い方だったそうだ。
しかたなく声が聞こえたといった数人は席についた。
クラフトの時間が終わる頃、あわただしい職員の足音が聞こえた。
ユダヤ人の件で飯島さんにたてついた彼女がエレベータに閉じ込められていた。
それは搬送用で職員意外の人間がエレベータに乗ることはないそうだ。
席を立って見に行こうとした人たちを止めたのも飯島という婆さん。
その後、閉じ込められたひとがどうなったか、どういう風な状態だったかはわからない。
ただ二度とセンターには来なくなった。
病気のため連絡しないようにとセンターから言われた。
それでも彼女と仲のいい人は連絡を取ったようだ。
彼女は飯島さんにたてついたから、杉本さんにエレベータに閉じ込めれたんじゃないかという噂が流れた。

ある日、センターのキッチンをリフォームする話がもちあがった。
また金、また寄付。
一定以上の寄付をすると、キッチンの入口に自分の名前が入ったプレートがかけられることになった。
力のある老人たちは競って寄付をした。
しかし一方で不公平ではないかという話になった。
お金のある人はキャッシュを、お金のない若者は労力を、ではお金はないけど毎日通って一番世話になっている老人は
寄付しなくていいのか。この人たちが一番寄付しなければならない人々ではないかという話になったそうだ。

そこで作られたのがウイッシュ リスト。
センターは春と秋にバザーをして運営資金の足しにする。
老人が作った饅頭やら手作りの品、寄付されたものが並ぶ。
日本に行ったときに買ってきた古本も売られた。
古本といっても老人たちの保管の状態は非常によく、見た目は新品である。
日本語に飢えている者たちは先を競って購入した。
1冊3ドルと言えば安いようだが300円である。
数を売るので結構な収入になる。
日本では、この手の商売が株式会社になっているではないか。
そう考えても、あなどれない売り上げである。
しかも、もともと寄付されたもの。
金額は大きいが帳簿上はどうとでもなるのもおいしい。

次に、着物。
日本にいれば見向きもされないような亡くなった方の着物でも飛ぶように売れた。
ここに目をつけない手はない。
会報のウイッシュ リストに「古本、使わなくなった着物」と載せる。
たちまち、すごい数が集まった。
職員ホクホク。

そして味をしめた人間が考え出したジュエリーの寄付だった。
これは金を寄付できない人間が、あのセンターで生き残る最後の手段だったようだ。

センターでは寄付=忠誠。
そして寄付をすれば特別待遇が得られるような錯覚に陥る。
老人特有の見栄もあるだろう。
職員はここにつけこむ。

娘のために残してやろうとおもっていても
こちらにきて娘との関係がギクシャクしてしまった老人には心のよりどころはセンターしかない。
行くところはセンターしかない。

娘は娘の生活がある。
自分には自分の生活がある。
そう思って寄付したはずなのに、思ったより居心地はよくならないし、思ったより尊敬もされない。
すぐ次の寄付を要求されて、はじめて自分のミスに気づく。
ほとんどが泣き寝入りだが、中には娘にみつかってしまうケースがある。
娘も親をよんでおいてほったらかしておいた罪の意識があるので、センターに直接クレームできない。
それでも腹がたつので、親に寄付したものを取り返してこいと言う。
簡単に寄付したのだから簡単に取り返せると思ってしまうところに落とし穴がある。
そこには受け取りもなにも存在しないのだ。
受け取りの存在しないものは返す必要がないというのがセンターの考え。
しかも、寄付した側が思っている以上に早いスピードで処分されている。
絶対に戻ってこない。
じゃあそう書いとけよってことなんだけど。

ノクボさんはしつこくクレームしたそうだ。
娘に教えられたとおりに、もし返してくれないのならスモールコートに訴えるという話をした日にエレベータに閉じ込められた。
ノクボさんと話をしていた杉本さんが、時間がないので荷物を台車に載せながら話をすると言った。
台車に荷物をいっぱいつんで、杉本さんがハンドル側にたち、ノクボさんにちょっとそっちを抑えてくれと。
杉本さんが台車を押すので、ノクボさんはささえたままエレベータに乗るかたちになった。
杉本さんは2階のボタンを押し、ついでにノクボさんを台車で思いっきり押した。
ノクボさんは落ちたダンボールと共にエレベータの中に残された。
エレベータは上に向かった筈なのに途中でとまり電気が消えた。

おしおきがはじまった。


≪This story is to be continued.≫  ⇒ ⇒ ⇒⑥

エレベータの中は真っ暗だった。
ノクボさんはつま先が濡れているように感じた。
床を手で触ってみると、水でビショビショになった毛足の長い絨毯がひかれていた。

「座ることもできないの。
あなたのような若い人なら大丈夫だろうけど、私のようなババアには一番こたえるわよ。
そして思ったの。
これがアレかってね。
靴が段々濡れてくるのって気持ちわるいものよ。
それだけでどうにかなっちゃいそう。」

ノクボさんは大きな声を出したが、思ったとおり誰も気づいてくれた様子はなかった。
どのくらいたってからかわからないが、その濡れた床に尻をついてしまったそうだ。

「足が痛くてね。立ってられなかったの。
すわったらね、最初に結婚したときのこと思い出して」

結果的には、そのことを思い出したのがよかったのかもしれない。
ノクボさんは女学校を出てすぐに、従兄弟にあたる7歳年上の男性と結婚した。
相手は大きな工場の跡取りだった。
道楽者で当時としては珍しいサイドカーの付いたオートバイを乗り回していた。
女工たちは、このボンボンとボンボンの嫁のことをバカにしているようだった。
そんなノクボさんを、向かいの家の家族が心配してくれた。
一人でご飯をたべていると言えば、おかずを持ってきてくれたり、家へよんでくれたりした。
そうこうしているうちに、ノクボさんはその家の一人息子のことが好きになってしまった。
相手もノクボさんに好意を持ってくれた。
それなのに突然、その相手が見合いで結婚してしまった。
相手の親がノクボさんと息子のことに気づいてしまってのことだった。
相手に嫁がきてからは、しばらくはなにもなかったように過ごした。
それでもお互い好きで好きでたまらなくて逢引するようになってしまった。
集金に行くと言っては3つ離れた駅で会うようになった。

「あのときのことを思い出していたの。
あんなに人を好きになったことなかったからね。
今でもね、写真があるのよ」

ノクボさんは古ぼけた写真を見せてくれた。
旦那さんも向かいの住人も男前だった。

「面食いですね」

「そうなの」
目がハートになってる。

ノクボさんは、エレベータの中で、そのときの自分を思い出していたそうだ。
あまりに色んな辛いことがあって別れてしまった。
思い出さないようにしていたことが噴出してきて、目の前の現実を忘れさせてくれたそうだ。

「私が思ったよりも叫ばないんで、死んだと思ったんでしょうね」

エレベータが動き出した。
驚いたのはノクボさんのほうだった。

「できれば、このまま、いろんなこと思い出していたかったのにと思ったわ。
考えてみれば、いい時のことしか思い出したことなかったから」

エレベータが開いた。
杉本さんを先頭に3人か4人くらいの心配そうな顔が見えた。
でも、ノクボさんがシャンとしているのを見ると妙に慌て始めた。

ボランティアの女の子がノクボさんを立たせて、エレベータから降ろしてくれた。

「お尻がベチョベチョでオシッコ垂れたみたいだったわよ。
娘を呼んでほしいって言ったの」

娘が着替えをもって駆けつけた。
杉本さんは、娘に事故であるかのように話した。
絨毯で濡れたはずが、いつの間にかセンターでオシッコを漏らしたことになっていたそうだ。
それも今回が初めてではなくセンターでも困っていると。
センター利用者はエレベータを使えないことになっているのに勝手に乗り込んだ。
しかも杉本さんが押し込んだと言い張る。
最近、あることないこと言うのでボケの始まりの可能性もあると。
杉本さんが話してる横で、飯島さんが友人代表のように頷いていたそうだ。

娘は何も言わず、母親の手をとって車に乗せて帰った。
娘にも母親がボケているのかボケてないのか判断しかねている様子だった。
しかし最終的には、自分の母親を信じた。
そしてセンターには近づかないよう釘をさした。

「指輪はどうなってもいいから。
もう、あんなところとかかわらない方がいいわよ。
今度は殺されるまでやられるわ」


≪This story is to be continued.≫  ⇒ ⇒ ⇒⑦

⑦※※ 後半訂正しました。

ノクボさんはセンターに行かなくなった。
飯島のババアとその仲間たちが毎日毎日電話してきた。

「心配してるのよ。どうしているかと思って。体の具合はどう?」
「体の調子がよくなったら、また来てちょうだいね」

特に飯島のババアが頻繁に電話をよこしたそうだ。

「自分はいつもいい人でいたいんでしょうね。
正義の味方ってわけ。
いい人に見える人間は要注意だって、この歳になってわかったわ」

その一方で飯島のババアは、ノクボさんに電話したけどボケて会話にならなかったとみんなに話したそうだ。

「なんだかね、頼まなくても教えてくださる方がいて。
別にどうでもいいんだけどね。
でも最近物忘れがひどいのは本当。
この前なんて、コンロの上にペーパータオル置いたまま火がついちゃってて。
うちは古いから電熱線のグルグルのやつなの、あぶない、あぶない」

それってボヤだろ。おいおい。
本当にボケてんだかなんだかわからん。
けっこうなタヌキだな。

その時、たまたま、本当に嘘のように飯島から電話がきた。
ノクボさんの携帯に飯島さんという文字。
オレはノクボさんに

「オレが出てもいいですか。
オレ、ガツンと言ってやりたいんですけど」

ノクボさんはニッコリ笑って携帯を渡してくれた。
オレとは思わずに、飯島のババアが話し出した。

「どうしたの? みんな心配してるのよ。変な噂なら気にしなくていいの。私がソバにいてあげるから、ねえ」

オレは思いっきり低い声で
「アンタ、いい加減にしろよ。あんたらのしてることばらしてもいいんだぜ」

電話が切れた。オレは
「この飯島ってババアの番号削除していいですか」と聞いた。

ノクボさんは笑って頷いた。
それからオレは
飯島と仲間たち、ヤマト日系倶楽部の番号を削除して、オレの番号を登録した。
なにかあったら連絡するよう伝えた。

ノクボさんがボケているようには思えない。
そんな彼女が最後に言ったことば。
「新沼さんは殺されちゃったのね」
その後、なぜだかノクボさんはニッコリ笑った。

新沼さんは死んだ。
死んだ、死んだんだ。殺されたんだ。

オレは正義の味方なんかじゃない。
面倒くさいのはゴメンだ。
新沼さんは運が悪かっただけだ。
オレには関係ない。
帰り道、とったも気分が悪くなった。
少し車を止めて休む。

その時、杉本さんから連絡が入った。
仕事を依頼したいので明日センターに来て欲しいと。

≪This story is to be continued.≫  ⇒ ⇒ ⇒⑧

2軒の先約があった。
ヤマト日系倶楽部に到着したのは6時過ぎだった。
いつもとは違う心持でドアを押し中に入ると、杉本さんの他に6人の老人がいた。

「すみません、遅くなっちゃって」

「こちらこそ急でごめんなさいね。
コチラは理事の方々。はじめましてよね」

そう言って杉本さんは一人ひとり紹介してくれた。
どーでもいい爺さんと婆さんたち。
その中に飯島のババアもいた。

「飯島さんは理事じゃないんだけど、いろんなことお任せしてるの。
陰の理事長ってとこかしらね」 

飯島のババアに媚を売る杉本さん。
杉本さんじゃないよな。人殺しだもの、杉本だな。
それにしてもなんで引越しの依頼ごときに理事たちが同席してるんだろう。
オレ、殺されちゃうのか。

「それで、仕事の依頼って?どういうことでしょうか」

「今度センターを移転するんだけど、そのときの引越し作業をおたくに依頼しようと思って」

「いつですか」

「来年の春。
細かい部分はボランティアの方々にお願いするとして、大きい荷物を運んでいただきたいの」

「なんで移転するんですか。改築したばかりじゃないですか」

「エレベータで事故もあったしね。
もうちょっと使い勝手のいい建物の方がいいという意見が多かったのよ」

「意見が多かったんですか。アンケートか何か集めたってことですかね」

ノクボさんはそんなこと言ってなかったぞ。

「ええまあね。
それにこの話はだいぶ前から出ていたのよ。私たちが決めたことじゃないわ。
ところでノクボさんってご存知?」

「ええ。
ボケてなんていませんよ。
そちらの飯島さんがよくご存知だと思いますが」

飯島のババアがくさい顔をした。
醜い腐ったダンゴのようなすっぱい顔だ。どのパーツもダメだ。
醜い顔と醜い体に付いている爪、真っ赤なマニキュア。
今流行のネイルというやつか。
よく見ると、こんな時間だというのに分厚い化粧と真っ赤な口紅。
たしか82、3のはず。
しみだらけの顔の中の小さい目と鼻。
首にまいたスカーフはオシャレのつもりか。
こんな歳になっても、すべての中心でいたい、すべての権力を持ちたい、反発するものはとことんつぶす。
この歳になってもじゃなく。この歳までずっとそうやって生きてきたんだろうな。
こいつの人生ってなんなんだろう。
醜い、醜い女王さま。
オレは吐き気がした。
しかめっ面をしたオレを見て杉本さんが切り出した。

「退社時間をすぎているのでハッキリ聞くわね。
ノクボさんにはどこまでお聞きになったの?」

「ノクボさんがエレベータに閉じ込めら時のはなしです。
それと新沼さんは事故ではなく殺されたんだろうということ」

「そう。
ノクボさんの話は本当だと思う?」

「120%本当だと思います。
新沼さんについては初めから殺そうと思ってたんじゃないとは思いますけど」

「証明できる?」

「新沼さんがエレベータに閉じ込められたとき、ここで皆さん作業してたんですよね。
声が聞こえたかどうかボクにはわからない。
でも声が聞こえたかもしれないということを警察に言うことはできます。
そこから先は警察の仕事じゃないでしょうか」

「そう。
すこし勘違いと思い込みがあるようだけど」

誰も口をきかない。
すこしして
杉本は後ろにいるめがねのジーサンにうなずいてみせた。
ジーサンがカバンをもってヨレッっと立ち上がる。
一瞬、銃でも出てくるのかと身構えた。
ジーサンはオレの目の前に「よっこらしょ」っとカバンを置いた。

「あけてちょうだい」と杉本。

中にはギッシリ日本円が詰まっていた。

「日本円で2000万円あります。
これで引越しをしていただきたいの」

「2000マン?
なんのつもりですか?」

「これは本来ここにあってはいけないお金なの。だからコレの領収書はいりません。
これとは別に引越し作業代金もお支払いします。
そちらは正規の料金で請求してください。もちろん領収書も必要です」

オレはどうしたもんかと思った。
口を開いたらいけない気がした。
黙るしかなかった。

「それともう余計な詮索は止めてください。
誰も幸せになんてならないし、死んだ人間だって生き返るわけじゃないんだから」

「もしこの2000マンを受け取ったら、オレもアンタたちと同じ穴のムジナってわけだ」

突然、カバンを開けたヨレヨレのジーサンがしゃべりだした。
「いんだよ。おまえさんはなんにもわかっちゃいない。
世の中、金しだいなんだよ。
金のない年寄りを誰が相手にするもんか。
金のない年寄りが死んで家族は本当に悲しんでおるのか。
新沼さんの娘、あれは酷かった。
新沼さんは死んでよかったんだよ」

飯島のババアが続けた。
「わたしなんて、日本に帰ったときサロンパスやら湿布やら目薬やら頼まれて買ってきたら
ありがとうと言われておしまいでした。あの方、いつも帰国する方に買い物頼んで
代金支払わないんです。何人も被害にあってます。
でもね、海外で自分の年金だけで暮らしてるって知ってるからみんな助けてあげたんです。
感謝されても恨まれる覚えはありません」

「でもエレベータに閉じ込めた。・・・・・ですよね」

「アレは事故だったんです。
それに皆さん耳が遠いので叫び声なんて聞こえません」

「でもあなたには聞こえるはずだ。よく無視できたな杉本さん。
それと飯島さん、アンタが新沼さんに指輪寄付させたんだろう」

「アナタは何もわかっちゃいない。
新沼さんは嘘つきなんです。
着物をたくさん持ってるから寄付するとか言っても一度も寄付したこともないし。
それなのに毎回、今度は寄付する、今度は寄付するって。
だから本当は着物もってないんじゃないの?って聞いたんですよ。
そしたらなんていったと思います?
寄付する前に日本に洗いはりに出してるって言ったんですよ。
毎日生活カツカツで、どうしてそんなことができますか。
嘘ですよ。
だからね、言ってやりましたよ。
だったら、センターにお世話になってるんだし、ジュエリーでも寄付したらって。
それだけですよ」

「でも、アンタはノクボさんにも指輪の寄付を強要した」

「強要なんて失礼な。そういう寄付の仕方もありますよって申し上げただけです」

オレたちは2000マンを目の前にして激しく口論していた。
そのとき、どっかから香ばしい匂いがしてきたんだ。
すごく香ばしい匂い。
なんだろう?

≪This story is to be continued.≫  ⇒ ⇒ ⇒⑨

ウイッシュ リスト

ウイッシュ リスト

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-18

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 娘が大声を出した。
  2. ④ ※※訂正版 後半部分訂正しました。
  3. ⑦※※ 後半訂正しました。