ジェラード1 『旅立ち』

 ささりそうなほどの光を放つたくさんの星。ぽっかり浮いた二つの月。
 天の光源が銀色の砂丘をさめざめと照らす中、彼は懸命に走っている。
 焦りの表情の少年にひるがえる真っ青なマントは、彼が王族の出であることを
示していた。

 何かに追われているように走る少年。
 実際、追われているのだが追っ手の姿は、ない。

 少年はブレスレットにはめ込まれた緑色のクリスタルのかけらが光るのを認める。
と、同時に少年の額にある金色の角に似た感覚器は殺気に満ちた追っ手がすぐそこに
迫っていることを警告した。
 少年は振り返り、凝視する。
ブレスレットを開きいくつかのタッチパネルを手早く操作する少年。
「さあ、こっちはいいぞ!来いっ!」

 爆発。

 少年のすぐ前の地面が吹き上がり、残酷な殺気の主が空中にその奇怪な姿を
踊らせる。
月の光に鈍く光る外骨格の怪物は少年の身長の10倍も丈はあろうか。その赤い複眼に
小さな少年の姿を万華鏡のように映し出すやいなや、その鋭いアゴが矢の早さで襲う!
少年を捕らえたと思えたその瞬間、彼はその巨大な昆虫の後ろの空間に存在していた。

 「いくぞ!」

 少年のブレスレットの緑色が輝きを増し、少年は腕をかざす。
 向き直る昆虫の胸部が光のモザイク模様に包まれ空間に存在しなくなる。
 支えるものがなくなった昆虫の大きな頭部は落下し、凶悪なアゴを砂丘に突き
立てた。
 ブレスレットの輝きが消える。

 「ふう。まだ少し力がたりないなぁ」

 額の汗をぬぐい、一人ごちた少年は、昆虫の残骸が風化して行くのを背にとぼとぼと
歩き始めた。

 「あとどれくらいかかるんだろう…」

 少年がため息をついたとき、彼は激しい衝撃で空中に弾き飛ばされていた。

 「くっ!」

 昆虫の鍵爪が再び少年を襲い、少年は激痛に身をよじる。

 「一匹しかいなかったはず!双頭だったのか!」

 先の昆虫のもう一つの頭、うずくまる少年を悪魔の目で見おろした。
 少年はこれまでと察し、目をつぶる。

 (申し訳ありません…父上、母上…)

 飢えたのこぎりのアゴが少年に向かって突き延ばされたとき、
 少年を光のモザイクが包んだ…

*********************************************************************
         ジェラード

                       旅立ち編
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 今から17年前、このアッシュドの村に一人の赤ん坊が生まれた。この村には不思議な
事に、ごくまれに右の手の甲に緑色のクリスタルがはめ込まれた男の子が生まれてくる
ことがある。ボクらの国では彼らをジェラード(稀石を負わされし者)呼ぶ。

 彼らの持つその宝石はこの世界の諸法則に働きかける力を持っている。訓練を受け
強力な術者となった彼らは18才でこの国の国王に召し抱えられ、さまざまな任務に着く。
そんなわけで、この村では生まれてくる子の右の手を何よりも先に確かめる習慣がある。

 その赤ん坊にはこれまでにだれも見たことの無いほど大きな石を右手に持っていた。
その子の両親は激しく喜んだ。ジェラードはここ十数年間、そう、年のはなれたその子
の兄以来、生まれていなかったからだった。
 しかし、喜びの後に夫婦はその子の股間を確かめて青くなった。

 あるべき物が
 無い

 そう、その子はあろうことか女の子だったのだ。
 これまで生まれてきたジェラードはすべて登録されているが、かつて女性のジェラー
ドが生まれた記録は無い。夫婦は考えた。このままではこの子は世間からどのような目で
見られるかわからない。それで、その子の運命は決まった。

 その子はラサム・バートと名付けられる。そ。ボクの名。

 そういう訳でほぼ18年、男として育てられる事になったボク。でも、さいわい物事
を深く気にする性格ではなかったので、両親は育てやすかったに違いない。
現状にあまんじちゃうタイプ。我ながら自分の運命に無頓着じゃないかなぁと、最近
ちょっぴり反省中。
 なぜかと言うと同い年の女の子がこの間お嫁さんになったんだ。すっごくきれい
だったあの子。自分も女なのにあの衣装が着られないっていうのはちょっぴり残念。

 村にいるジェラードはボク一人だったので、訓練は先生と一対一。
 先生の名はテトロ・バートと言ってボクのおじいちゃんだ。
 今日は18才の誕生日を前にして最後の授業。これが終るとボクはここからはるか
南の王宮へ旅立つことになっているのだ。

「”有”すべて有るものはその意味を持ち、”意志”により存在を許される。 
”無”無きもの、その存在する意味を持たざる物」
 「”意志”とは何か」
「この世界を作りし造物主。全ての諸法則を定めし秩序制定者…」

 問答は続く。この世界の存在と、造り、そして人のあり方を説かれる。4つの時から
休まず続いてきた。ボクにとっては14年だが、おじいちゃんはボクが生まれる何十年
も前からである。ご苦労様。

 「さて、この位じゃな。後の真理は自ら学び考察せよ。これまだ学んだ知識がその役
に立つじゃろう。知識と知恵は異なるものじゃ。知恵は…」
 「『知識をもって実践することにより得られる比類無き宝』、だろ?」
 「そうじゃ。そして"知恵亡き力は混沌と、崩壊である”」

 おじいちゃんは、ゆっくり立ち上がった。
 「おまえの兄のように立派になった。もし会うような事があれば宜しく伝
えてくれい」
 「兄さんは…どうしているのかなぁ…」
 「わからん。おまえの父も、な」
 「ジェラードはそういう定めなの?」
 「いや、違う。いま、何かが起こっているのじゃ。一時的な運命じゃよ」
 「…」

 父も、兄も王宮に召集されそれきりなのだ。ジェラードは元々水を捜し当てたり病気
をなおしたりする賢者だったのだが、その存在を国に知られてからその力ゆえ軍務に就
くことが多くなっている。そのころからジェラードの出生率は急に落ちている。
”意志”が働いているのか。

 「運命と言えば、おまえも可愛そうな子よの。母譲りのその器量がありながら、クリ
スタルさえつけて生まれてこなければ…」
「だーいじょうぶ!おじいちゃん。ボクはぜんぜん気にしてないもんね」
 「しかし、ずっと男で通すつもりか?」
 [ん~すっごくいい男が現れたらやめるかもしれない」
 「やれやれ……さて、戻るかの。おまえの母親はおまえも帰らなくなるのではとずい
ぶん心配している。3年の務めを果たし、必ず帰ってきてくれよ」
 「はい。おじいちゃん。お母さんを頼むね」
 その時。

 「「!」」

 ボクとおじいちゃんは同時に感じた。
 おじいちゃんとボクのクリスタルが緑色の輝きを増す。

 「誰かが助けを求めているのう」
 「虫だ!」
「ラサム、やってみせい」
 「え!だってまだ生き物ではやったことないんだよ!」
 「大丈夫じゃ。おまえはもう出来る。ずいぶん前にわしの力を越えておる。
さ、早く!」
 「はい!」

 ボクは構える。クリスタルが光を放つ。

 「!」

 空中に閃光がかけめぐり、それが球体になる。
 光の中に人影が見える。
 青いマント。
 少年が胎児のように身を丸めている。
 光球がゆっくりとボクらの前に降りて来る。
 少年の額の物を見ておじいちゃんはつぶやくように言った。
 「『クリーチャー』か・・・」

                *

 暖炉の明かりに照らされる横顔。12,3才くらいだろうか。でも、幼い中にも
凛々しさがある。美形だ。
 荷物は小さな革袋一つ。しかし、その身にまとう物は。

 「おじいちゃん、この子って」
 「ああ、王族だな。サトゥナーラの」

 サトゥナーラというのはこの国、マトゥリアの隣国である。ここは辺境にあるので、
 5、6年前まではよく外国の商人達が行き来したけど、王族は初めてだ。
 おじいちゃんは不機嫌そう。
 理由はこの子がクリーチャーだからだ。

 いつの頃からか、”技”の発達した国々で、自らの体に手を加える事が行われる
ようになった。様々な能力を手に入れるために。
 それは人々を異形の物と変えていった。彼らはクリーチャーと呼ばれている。

 ボク達の教えでは造物主から与えられる肉体に手を加えることは御法度である。
 だから。

 ボクは彼の額の感覚器をぼんやり見ながら言った。

 「ねえ。なぜこの子、砂漠を越えてまで来たんだろ」
 「さあな。わしゃ、この子とはあまり関わりたくないの」

 年寄りの最大の弱点は頭の固いことだ。いいじゃない。角の一つや二つ。
 ボクは許すよ。この子、美形だから。

 ここ数年多くの土地で砂漠化が激しい。広大な農地が非常に短い期間で砂丘と
化していく。またそれだけではない。これまであまり見られなかった生物、
”虫”が砂漠とともに姿を現し、旅商人をはじめ、多くの人々を餌食にしている。

 なぜ、最近になって?

 その調査のため、国王によりジェラード達があちこちに派遣されているようだが、
まだ、はっきりした事は国民に知らされていない。
 砂漠が増えようとどうなろうと、なるようにしかならない、とボクは思う。じたばた
したってどうなる物じゃない。でも、ボクの好物のマルカナ・フルーツが値上がりする
のは困っちゃうな。

 「う、うう…」

 「あ、おじいちゃん!」
 「お、気がついたか」

 目をあける美少年。きゃー!かわいい!グリーンの目!

 「こ、ここは?」

 ボクは青年の声で答える。
 「ここはアッシュド。マトゥリアの辺境の町です」
 言葉使いは男しなきゃいけないからめんどい。

 「アッシュド?!確かわたしは砂漠で虫に…」
 「そう、危ないところだったのじゃ。もしラサムの転送が間に合わなければ、
 餌食になっていただろうの」

 えっへん!恩に着ろよ。

 「あなたはもしやジェラードの師、テトロ様では?」
 「いかにも」

 少年はあわてて起きあがると膝をつき、表敬の姿勢をとる。
 「わたしはサトゥナーラ国第三王子、ヤルタ・テオドールと申します。テトロ様にお願いがあり、
やって参りました」
 うわー!王子様だ!!素敵ー!

 おじいちゃんは不機嫌そうな顔を崩さず言った。

 「供の者なしに王子が単身砂漠を参られたと。何か国勢に関わる事が起きたのか?」
 「はい…父がどうしてもテトロ様にお会いし、力になってもらうようにと」
 「昔、わしとそなたの父上との間でどのようなことがあったか知っておいでか?」
 「はい。しかし、父はテトロ様しか頼れないと」
 「相変わらずじゃな…そなたの父上は。まあよい。何があったか知らせてくれ」

 王子様の話はこうであった。
 サトゥナーラの”技”はここ10年に著しい発達を見せ、様々な恩恵を国民に与えた。
交通、情報だけでなく、農業をはじめ様々な産業においてなくてはならない物となって
いた。国は豊み、栄えた。
 しかし。

 「異変は2年前に起こり始めたのです」

 突然、数日のうちに国土の3分の1が砂漠と化してしまったのだ。虫の発生と、食料
の不足により国民の3分の1の命が失われた。治安は乱れ、盗賊が横行し、1年のうち
にあれほど豊かだった国はほぼ崩壊状態に陥った。

 「だからわしは言ったのだ。空、土、水の持つ以上の力を求めるなら、必ず摂理は
崩れ、災いを招くと」

 しかし、災いはそれだけではなかった。原因不明の疫病が発生したのだ。最初、
自らの体に手を加えた人々”クリーチャー”に多く見られたのだが、そのうち、
そうではない人々にも感染が確認された。クリーチャーだった人々はほとんど
死に絶え、残る国民は数千人になってしまったという。

 「そなたの父上と母上は?」
 「二人ともまだ生きながらえてはおりますが…」
 「病は重いのか…」
 「はい…」
 「わかった。しかし、何故そなただけが?」
 「おそらくこのおかげと思います」

 王子様はブレスレットのカバーをスライドさせた。

 「こ、これは…」
 「おじいちゃん!」

 彼のブレスレットにはおそらくサトゥナーラの”技”を駆使したと思われる精密な装置と
タッチパネル。しかし、ボクらの注意を引いたのはその装置の真ん中に組み込まれて
いる緑色のクリスタルだ。ジェラードは死んだときに右手甲のクリスタルを残す。彼の
持っているのはそれだ。

 「わたしの師の形見です」
 「ジェラードがそなたの国に?」
 「ええ。以前、記憶を失い、ほとんど廃人の状態で流れ着いたジェラードが
 おられました。わたしの国において看護を受け回復された後、わたしの教師を
 勤められたのです」
 「亡くなられたのか?」
 「わたしが10才の時に、流れ着いたときに負っていた怪我がもとで…」

 …ひょっとするとボクの父さんか兄さんが…
 問い尋ねようとするボクをとどめるように、おじいちゃんは何時になく重い声で
言った。

 「どうやら動かなければならんようじゃの。ラサム」
 「えっ?」
 「おそらくサトゥナーラの国王はこの災いが他国にも臨む恐れがあることを知らせようと
 王子を使わしたのじゃろう。そうではないかな?ヤルタ殿」
 「はい。もうサトゥナーラの復興は無理でしょう。ですからわたしはこれから
マトゥリア国王 にこのことを伝えに行かねばなりません。そして、出来るなら…」
 「うむ。わしはサトゥナーラへ行こう。そして少しでも残っている人々の命を助けねばの」
 「ありがとうございます!」

 王子様のグリーンの瞳がうるうる。うーん。どきどき。

 「おじいちゃん大丈夫?あの砂漠を一人で。虫だって…」
 「心配ない。それより、そなたは王子の供をして王のところへ行くのじゃ。よいな」
 「は、はい!」
 うきうき。王子様と一緒。この際、年の差なんてどうでもいい。わくわくわく。

 「王子。これはわしの孫でラサムというジェラードじゃ。ちょうど明日、
 王宮へ旅立つところでの」
 王子様、グリーンの瞳でボクを見る。
 「わたしを転送してくれたのはそなたか。感謝するぞ」

 やた!女になるチャーンス!
 ううう。あの白い花嫁衣装が脳裏に浮かぶ。

 (ボク、実は女なんです。王子様!)
 取っておきのしおらしい声で告白しようとしたとき。

 ぽんぽん

 おじいちゃんに肩をたたかれる。
 「な、ラサム。王子のお供だ。『男』を上げるチャンスじゃぞ」

 お、おじいちゃんのばかぁ!ボク、女になりそこねちゃったじゃない!

 「ラサムと言ったな。か弱そうだが、せいぜい足手まといにならないように頼むぞ」

 あう。なんか、ちょっと生意気だな。この王子様。

 かくして、おじいちゃんはサトナへ、ボクは王子様と王宮へ行くことになった。
 当分、男をやめられなくなっちゃった。ま、いいか。

                *

 「ラサムばかりでなくお父様まで行かれるのですか?」
 「案ずるなアメリア。わしはすぐ戻る。ラサムももう立派なジェラードじゃ。
 力はもうすでにわしを越えておるしの」
 「でも、カーチスやハウザーのように帰ってこなくなったら…わたしは…」

                *

 次の日。

 もう小一時間も経っただろうか。
 ボクは乾いてひりひりする頬を気にしつつも、母のにおいと肩の感触をぼんやり思い
起こしながら歩いていた。
 
 「女々しい奴だなぁ。おまえは」
 (うー。この子、王子様じゃなかったらひっぱたいてやるのにぃ)

 見送りに来た母。すでに送り出した父と兄の消息が途絶えているので、
 母の心中はを考えると、切ない。

 別れ際、気丈なはずだった母のこぼす涙に、ボクは感情を抑えきれなかったのだ。

 「それにその巻き毛の長い髪を何とかしろよ。ただでさえ女みたいなのに」

 大きなお世話だ。この父親ゆずりの金色の長い髪切っちゃったら、ボクが女で
ある目に見える最後の証がなくなってしまう。それにジェラードは昔から髪を長くする
のが慣わしなのだ。もっともおじいちゃんのように年をとったらひとりでになくなっ
ちゃう人もいるけど。

 天気も良く、鳥のさえずりが聞こえる。緑の山々。広がる畑ののどかな風景。

 ぽかぽか

 気分を紛らわせていると。

 「おい!ラサム!家来は主人の後ろを歩くもんだぜ」

 ぷっつん

 「あの王子。さっきからお聞きしていますと、ずいぶん言葉遣いが悪いんじゃ
 ございませんか?」
 「ああ。別に公式な会見の場所じゃないからいいだろ?ああ言うかたっ苦しいの
 嫌いなんだな、オレ」

 うう。こいつ王子様の不良だ。

 「それにボクはあなたの家来でついてきている訳じゃないのですからね。あくまで
お供です!」
 「お供も家来も同じようなもんだろ?」

 身分の高い坊ちゃんは、他の者は皆自分より下だと考えてるらしい。
 ボクはさっき女々しい奴と言われた事もあり、ちょっと語気を荒げた。

 「言っておきますが。ここはあなたの国じゃない。それに王子といってもあなたの
 国は滅びかかってる。この国の王様に会見するときも対等に話が出来ると思わない方が
 いいですよ!」

 突然、少年の顔が曇り、うつむく。
 (!)
 瞬間的にボクは反省した。
 言い過ぎた。
 いくらこんな王子様でも、自分の国を愛しているには違いないのだ。
 もし、ボクが彼だったら。この美しい風景を失った立場だったら。

 「すいません、王子。ボク…」

 顔を上げる王子。
 「いや。おまえの言うとおりだ。すまない」
 え?

 「これからわたしの事を”王子”ではなく”ヤルタ”と名で呼んでくれ」

 あらあら。結構素直。かわいいじゃない。
 「王子…」

 グリーンの瞳が微笑む。

 「なんだか、先生に怒られてるような気がしたんだ。おまえの語調が先生に似てた
 から…」

 ボクは昨日尋ね損ねた事を思い出した。
 「ところで王子…いや、ヤルタの先生って…」
 「あっ!あれは?」
 「え?」

 道行く先、ヤルタが指差す方で人だかり。牛の引く荷車や旅人達。
 歩みを早めるボクら。
 声をかける。

 「どうしたんですか?みなさん。いったい」
 「あ、あなたはジェラードのお方!ちょうどよかった。こちらへ来てください!」

 野菜売りのおじいちゃんに案内されるまま、人混みをかき分ける。
 ジェラードは独特の刺しゅうを施した緑のマントをつけているのですぐ見分けが
つく。しかし、最近はこのマントをつけた者を見ることは稀になってきた。

 「こちらです」
 「えーっ?!」

 道に大きな穴。馬車が5台はすっぽり入る。深さはボクの身の丈の3倍くらいは
 ある。

 「これは?」
 「見た者の話によると、突然、道が陥没してこの穴が出来たというのです。馬車が
 1台巻き込まれました」
 穴をのぞき込むと、底は砂地になっている。散らばっている馬車の破片。

 「あなた様のお力で何とかなりませんか。このままでは道行くことも
 ままなりません」
 「とりあえず、みんなで迂回路を作るのはどうでしょう?これくらいの穴を埋める
 のには結構”力”いるんですよね」
 「そこをなんとか。ここに迂回路を作るとしても、荷車が通れる道を作るとなると
 木を切ったり岩をのけたり、おそらく丸一日はかかるでしょう。品物が傷んでしまう」

 おじいちゃん可哀想だしな。がんばるか。

 その時、ヤルタの感覚器が反応した。
 「ラサム!虫がいる!みなさん、危険です!下がってください!」
 ヤルタが叫ぶのとほぼ同時に。

 ギギィィッッツ!

 砂地が吹き上がり青黒い巨大な生物が出現する。

 ガシャァアァンッ!

 「あっ!」
 ガラス細工の荷車を引いていた牛が一頭、奴の顎にとらえられた。
 あっと言う間に砂の中に引き込まれる!
 あわてて逃げまどうみんな。

 「ラサム!行くぞ!」
 「ヤ、ヤルタ!」

 穴の中に飛び込む少年。すごい勇気。さすが一国の王子様だわ。
 ボクもあとについて飛び込む。

 「ヤルタ。そのクリスタル使えるかい?」
 「見てな。実戦ではオレの方が経験があるはずだからな」
 「ほう、自信満々。じゃ、お手並み拝見」
 「来る!」

 ボクの右手とヤルタの開いたブレスレットのクリスタルが同時に輝く!

 パシッ!
 ザシュウッ!

 ボクらは同時に空間移動する。奴の攻撃が空を切る。奴の顔には牛の血で砂が
 べっとりとからみついている。

 「さてどうする?ヤルタ」
 「ま、見てな!」

 クリスタルが光る。

 向き直った生物の醜い顔が光のモザイクに包まれ、消し飛ぶ。
 「どうだ!」
 「あまーい!」

 ボクは自分とヤルタを穴の外に転送する。
 次の瞬間ボクらの居た空間に奴の片割れが顎を突き入れた。

 「こいつも双頭!」
 「いや、多分自分を複製してる。今時の虫は賢いんですよっ」
 「くっ!」
 「じゃ、本家本元のジェラードの力見せたげるよ。ついてきて!」
 再び穴の中に飛び込むボク。続くヤルタ。

 「いい?ヤルタ。空間を閉じるから、”固定化”を忘れないで。出来るだろ?」
 「あ、ああ。」
 「んじゃ!」

 グォォォォォァーッ!

 うなりを上げて向かってくる外骨格。

 ボクは右手をかざす。
 緑色の閃光が走る!

 バシュゥゥゥッ

 一瞬にして穴の中の空間が闇に包まれる。肉眼で捕捉することは出来ない。それは奴
にとっても同じ。しかし、不都合はない。ターゲットの様子は手に取るようにわかる。

 ヤルタは?いた。おお、ちゃんと固定化した空間に閉じこもって奴の攻撃の届かない
ところに自分を配置している。やるじゃん。でも、それじゃ攻撃は出来ないよ。
あ、そか。見物と決め込んだのかな。その方がいいかもね。よく”見て”勉強してね。

 虫は戸惑っている。そりゃそうだ。奴の経験のない空間に引きずり込んだんだ。
おそらく、上下左右もわからないだろう。もっとも、上も下も関係ないけどね。自由に
動けるようにこの空間をサーチし終えるまでには10分はかかる。
もちろん、それまで生きていられれば。

 ボクは奴の存在している空間をねじりにかかる。

 グオオオッ!

 あら?痛い?
 それじゃ、手早く。ほれほれ。
 虫は自分の複製を作りにかかる。でも無駄。奴にはもうコピーを存在させるだけの
空間を与えてない。

 さてとどめ。
 パシッ!
 シューッ!

 断末魔のうなりを上げる暇なく、虫の体は素粒子単位に分解され、存在空間の狭間に
ばらまかれた。

 おしまい。
 んでは。

 パシッ!
 空間を開く。光が戻る。

 「どうだい?こんなもんだけど」
 「ゼイゼイ」
 肩で息をしているヤルタ。
 ボクを見る緑の瞳が以前と違う。ふっふっふっ。やったな。えっへん。

 「ラ、ラサム…見かけによらず…」
 どうだ、見直したか。
 「相当のサディストだったんだ…」

     あう

                   *


 「ほお」
 「へぇ」

 峠の頂上まで来たボクらの眼下に広がるのは大密林。空に絵を描こうとした無鉄砲な
画家が、うっかり大量の絵の具をひっくり返しちゃったような広大な緑。

 さわやかな午前の光の中、澄んだ空と緑の境目は植物達の放つ水蒸気でにじんで
いる。
 大自然の水彩画。

 大きな鳥が”ぎゃあぎゃあ”おしゃべりしながら群れて飛ぶ。
 今日も暑くなるぞ。

 「こんな景色、初めてだ。オレの国じゃ人の手の入っていない森林ってもう無い
 もんなぁ」
 「ボクも初めてだ。こんなに広い森は…さて、行こ。ここを抜けた先もまだ
 あるんだから」
 「えー。まだあるのかぁ。ろばの一匹もいればなぁ」
 「砂漠よりましだろ。それに、一匹に二人は乗れないぞ」
 「オレだけ乗るからいいの」
 「…」


 坂道を下りながらボクは考えていた。
 「ラサム…どうした?」
 「ああ…ちょっとね…ヤルタ、ボクらがアシッドの村を出てもう5日だろ?」
 「うん」
 「で、そのあいだに出会った虫が7匹」
 「うん」
 「けどさ、ボクがこの旅に出るまでに遭遇した本物の虫って、たった
 3匹なんだよな。もちろんいろんなタイプの虫の資料は勉強したし、
 疑似体験で戦ったことはあるけど。ちょっと多すぎると思わないか?」
 「オレの国じゃ日常茶飯事だったけど」
 「ヤルタがつれてきてるんじゃ無いだろうねぇ」
 「まさか!オレが…」
 「冗談」
 「性格悪いー」
 「ヤルタに言われたくない」

 しかし、本当なのだ。アッシュドの村境で”砂バサミ”に遭うのを最初に、ほぼ毎日
虫と遭遇している。こんな事ってまず考えられない。ヤルタの言っていた危険がもう
すでにこの国にも及んできているのだろうか。そうすると…

 「ラサム!見ろよ!」
 「?」

 木々の間に光る水色の光。

 「やったー!湖だ!」
 「ちょ、ちょっと待て!ヤルタ!」

 待てと言われて待つ子ではない。たく。

 がさがさがさ

 突然視界が開ける。

 「へぇ…」

 すごすぎ。

 ふきわたる風に揺れる湖面に周りの風景が映り込み、不思議な宇宙を作っている。

 透過光に輝く緑のなかに、ぽっかりとできた大きな水色の空間。
 もう上下なんてばかばかしくなる。

 聞き分けのない少年は、もう全裸になり湖面に存在を波立たせていた。
 「おーい!ラサム!来いよ!気持ちいいぜ!」

 (行きとうても行けんわい!)

 「おい!入る前に安全を確認したのか?!」
 「虫はたくさん水のあるところにはいないよ!」
 それはそうだが。

 現実と屈折像の境目に漂う美しい少年。見えかくれするしなやかで細い体。

 きれい。

 背泳ぎから体を反らせ、なめらかに上体が沈み、2つの細長い足が後に続く。

 ボクはぼんやりと夢みたいな風景を眺めていた。

 「ふう…」

 ざばざば

 少年があがってくる。やだ!前を隠してよ!

 「ふう、気持ちよかった。アッシュドで水浴したきりだったものなぁ。汗がべとべと
 して気持ち悪かったんだ。あー。さっぱり!ラサムも一泳ぎすればいいのに」

 (ボクだって入りたいよぉ!)
 「う、だ、だけど。何だかこの風景を壊しちゃう気がしてさ…」

 少年は湖面の方へ向き直る。

 「言われてみれば…そうだったかも…」

 横顔のグリーンの瞳の焦点は遠くに結ぶ。吹いてくる風が彼の香りを運ぶ。まるで
果物のようないい香り…。

 ふと美しい少年はこちらを向く。

 どきっ

 「でも、オレ汗くさい奴をお供に歩くのはやだぜ。さっさと水浴びしろよな」

 あう

 (この口の悪さと性格さえ何とかなってればなあ…)

 「よし。でも、約束がある。一つ。敵は虫だけとは限らない。怪しい奴がボクの
 マントを持って行かないように見張ること。そして、もう一つ。これが一番大事
 なんだが、ボクの背中を見ないこと」
 「なぜだ?」
 「あれ?知らないのか?ジェラードには背中に秘密があって、それを見た者は石に
 なっちゃうんだぜ」
 「知らない」
 「そう。見たきゃ、見てもいいよ。でも、石になっちゃった人間はジェラードでも
 元に戻せないからね」
 「う」
 「ま、そゆ事で」

 ボクはマントを彼に預け剣を下ろし、服を脱ぎにかかる。
 「あ、ちょっとたんま、たんま!」

 少年はあわてて向こうの岩場の陰へ走っていった。
 「もういいよー」

 ふっふっふっ。成功。やったね。
 服を岩の上に置き、剣を背負い直すと水に入る。

 「うわー!さいこー」
 湖はさほど深くなく、背が立つくらい。
 剣など背負っていたくないのだが、仕方がない。水に濡れるとクリスタルは力を
発揮できないのだ。勿論”場”を作って水に濡れないようにする事もできる。でも
それでは体も濡れないから水浴にならない。危険から身を守るために頼れるのは
剣のみ。そう言うわけ。

 「ふう。快感…」

 水が程良く冷たい。
 周りの緑がボクの中にとけ込んでくる。
 風景に見とれていたボクは水面下に動く気配を感じるのにわずかに遅れた。

 ゴボッ!

 いきなり水中に引きずり込まれる。

 「!」
 すかさず剣を抜き、足にからみつく触手を払う、が、しかし。
 (触手が多すぎる!)
 剣を持つ腕まで絡められてしまった。

 「ヤ、ヤルタ…がぼがぼっ!」
 触手の主が姿を現す。大型の腔腸動物だ!こんなの見たこと無い!ま、まてよ、
 ということは。
 絡められた手足がしびれてくる。やぱ、毒を持ってる!
 (ま、まずいぞ!このままじゃ!)

 その時だ。
 いきなり水中に白い大きな物が飛び込んできた。
 手足が急に軽くなる。触手が切れたのだ。不自由ながらも何とか泳ぎ、水面に
 息継ぎをする。

 「ゼイゼイ…ヤ、ヤルタぁ!」

 ザパァッ!
 グォオオゥッ!

 あの白い物が腔腸動物を筒状の巣ごと陸へ引っ張り上げてきた。

 白いトラ。
 いや、それだけじゃない。翼を持ってる。おまけに額には一角獣のような鋭い角が
 あり、獲物を突いたために付着した緑色の体液がしたたる。
 イソギンチャクの化け物はすでに触手をほとんど失い抵抗のすべがない。

 グオッ!
 白虎はその鋭い爪で巣ごとまっぷたつにし、低くうなると湖畔を力強い足音を残して
 走り去っていった。

 「ゴホンゴホン!ゴホ!ヤ、ヤルタ!ヤルタってば!」
 「あんだよ!一回呼べばわかるって」
 「一回呼んでもわからないから言ってるんだよ!もう少しでボクこいつに食われる
 所…」
 「!」

 ヤルタはマントを取り落とす。
 後ずさり。

 「!」
 ボクも状況を把握する。

 「…見たな…」

 ふるふるふる

 顔を真っ赤にし、とりあえず激しく首を横に振って否定する少年。
 「みいーたぁーなぁー!!!!」
 「ラ、ラサム、…ジェラード…だ、ろ…?なんで…女…????」
 「秘密を知られたからにはたとえ一国の王子といえども生かしておけない…」
 「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!だ、誰にも言わないから!頼むよー!」

 驚きと混乱と恐怖がごっちゃになって、哀れな少年は幼児のようになってしまって
 いる。

 「本当に誰にも言わないな!」
 すごむボク。

 ぶんぶんぶん

 鞭打ちになりそうなくらい首が縦に振られる。

 「本当に誰にも言わないと約束するなら、命だけは…!?」
 ぽとり。
 ボクの目からこぼれるしずく。あとから、あとから…

 「え?」
 「ラ、ラサム…」
 「わ、わかったらいつまでも見てないで早く行け!」
 「は、はぃっ!」

 アクセントの妙な返事を残してヤルタはもと居た岩陰へ戻る。
 ボクは服を着、涙としゃっくりが止まるまで湖畔にマントをかぶっていた。
 一応ボクにも『恥じらい』って言う感情があったらしい。

                  *

 「白いトラ?」
 「そ、おっきな白いトラ。おまけに翼があるの」
 「知らない、なあ」
 「やぱ、普通にはいないよな」
 「う、うん。あ…はい」
 ボクの特技は立ち直りの早いことである。過ぎてしまった事はしょうがない。うん。
ただ、ヤルタの方がちょっと変。そりゃそうだ。ボクもヤルタが女だったら、やぱ、
どう対応を変えようか、困る。

 「ちょっとー、わざわざ付き合い方変える必要ないじゃないか。ボクは”男”
なんだし。今まで通りで」
 「けど、”女性は大切に扱うように”と言うのがわたしの王族の教え…」
 「そやってまた王子様言葉を使おうとする!」

 かんしゃくを起して頭をかきむしる少年。
 「あー!んなこと言ったって、オレ頭んなかごちゃごちゃで!」
 「その言葉使いでいいじゃない」

 「「!」」

 二人は同時に感じた。
 何か、いる。

 息をひそめ、あたりに感覚を張り巡らす。
 ひとつ、いや。ふたつ、だ。

 ガサ ガサ

 草をかき分ける音。
 ボクとヤルタは構える。

 来る!

 ガサッ!

 (!)

 小さな黒い瞳がのぞく。しげしげとボクらをながめ、振り返って声を上げた。

 「パパ!こっち、こっち!」

 ボクらは顔を見合わせてため息をつき、笑った。
 先ほど湖で不覚をとったばかりだったので、少しばかり過敏になっていたみたい。

 「お兄ちゃん達、どこから来たの?」

 無邪気に笑顔がボクらを見上げる。

 父娘に案内され、村に入る。ちょうど食料を調達しなければならない頃だったので、
大助かり。

 南へ都へ向かう道から少しそれたところにある、およそ60家族ほどが住む
小さな村。うっかりしていると村の入り口を見つけそこなうかもしれなかった。
 森を切り開いて作られた耕地と果樹園がこの村の産業らしい。家々の周りは
花で飾られ、村人達の生活が割と豊かであることがわかる。そして、心も。

 「そうですか、あの湖で」

 女の子の父親は話を続けた。

 「昔はあのような生き物はいなかったのですがね。湖だけじゃなくてどうも最近、
村の方もおかしいのですよ」
 「おかしいと言うのは?」
 「ごらんのようにこの村の産業は農業、特に観賞植物や果物の生産が主です。
しかしこの数年、実を付けない木が増えたり、草花が花を咲かせなかったり…」

 眉をひそめる父親。

 「そうですか。ボクの地方では気にならなかったのですが。数年に1度虫が出る
くらいで」
 「この土地でも虫が出たことがありましたよ。ちょうど5年くらい前のこと
でしたか。ちょうどその時居合わせたジェラードの方が退治してくださいましたが」
 「こんなに緑の多い土地でも?」
 「はい…」

 基本的に虫は乾燥を好むので水気の多いところには近づかない。このように植物の
豊かな所にもだ。

 「どうか、この機会にこの土地を見ていただきたいのですが」
 「いいですよ」

 本来ジェラードは虫退治が役目ではなく、水を探したり土地を診たりする
 賢者なのだ。

 「はい!これ兄ちゃん達にあげる!」

 先ほどの女の子が何やら抱えて走ってきた。
 差し出すのは、今もいできたのだろう。ボクの大好きなマルカナ・フルーツだ。

 「うわあ、ありがとう」
 「食い意地張ったやつだなぁ」
 「そうだよー!うふふふふふふ」

 ボクはうろたえない。好物を前にしたボクにはイヤミも嘲笑も意味を持たない。
 はぐはぐ

 女の子のこぼれそうな笑顔。
 かっわいー。こんな子、妹に欲しいなぁ。

                    *

 翌日。

 ボクは村の人たちと土地を診て回っていた。ヤルタは村の子供達といる。
村の子達は、よその国のお話を聞くのが好きらしい。結構、子供達には優しいんだ、
あの王子様。

 「どうでしょうか」
 「ええ。これはどこかに虫が巣くっているのかもしれません。この村の水源は
どこですか?」
 「あの、森の手前ですが」
 「すると…方角的に言えば…」

 その時、数人の子供達が転がるように駆けてきた。

 「おじさん!大変だぁ!!」
 「こら!おまえたち!村から出ちゃいけないって言っておいただろ!」
 「ラ、ライーザちゃんが虫に!!」
 「なに!どこで?!」
 「テリーさんの畑の向こうでお花を見つけて…」
 「その畑ってどこですか?!!」
 「あの果樹園の向こうです!」

 やばい!!どんぴしゃ!

 「もう一人のお兄ちゃんが助けに行ったの!」

 だあっ!!ヤルタめっ!この土地に巣くえるくらいの虫は彼には手強いぞ!
 まったくうかつだった。土地を診るのに神経を集中していて気配を
 感じとれなかった。
 悔しい!

 「子供達を村へ!ボクは行きます!」

 ボクの右手が緑色に輝く。

 畑の向こう側に出た。

 「どこ?!」

 ギュオオオーンッ!

 いた!
 大きい!
 やはりヤルタ、苦戦している。
 奴の顎にはあの女の子が!

 「ヤルタ!」
 「ラサムか?!オレにまかせて!女性は…」
 「うるさいっ!ボクは男だ!いいからそのまま奴の注意を引きつけておいて!」

 ボクはデカブツの毛だらけの頭上に移動する。テロテロ光った複眼がボクの像を
とらえる前に女の子の体を奪い取り、すぐさま離れる。

 「ヤルタ!右!奴の爪に気をつけろ!」
 「わかってる!!ぐっ!」

 鋭い一撃がヤルタを宙に浮かせ、とどめを刺そうと前足がモーションをとる。

 「いわんこっちゃない!はッ!」

 ボクは即座に空間を削り取り、前足の関節めがけて投げつける。

 ブシュウウッ!

 鈍い音をさせ、落ちるグロテスクな足。

 ギュオオオオゥン!

 ええ!でかいなりして大げさに痛がるんじゃないっ!ホントに痛いのはこれから
だよっ!

 シュウゥゥッ!

 おっと!
 奴の吐き出す酸をかわし、ヤルタのところへ駆け寄る。彼の脇腹ににじむ血。

 「大丈夫?!ほら!この子を抱えて!」

 ボクは奴の口から奪い取った少女をヤルタに預ける。

 「この子、この子はもう…」

 悲痛な表情のヤルタ。

 「いいから!」

 血の気が失せ、ぐったりしたその子を彼に抱えさせると、彼女の両親の居る
場所へ転送する。

 さぁて!力の限りいぢめてやるっ!

                    *

 ボクが仕事を終えて皆のところに戻ったとき、あの子の両親の悲嘆に暮れた
 姿があった。
 ボクは、苦しそうなヤルタに近づく。

 「大丈夫?」

 寝台に横たえられ手当を受けているヤルタはかなりの苦痛を
 我慢しているのが分かる。

 「ラサム…あの子は…」
 「知ってる」

 彼の潤んだ瞳にあふれる悲しみと悔しさ。

 家からは母親の嗚咽が聞こえる。父親はかろうじて理性を保っていた。
 「ありがとうございました。命を賭けてまであの子のために…でも…」

 ボクは父親の脇を抜け、少女の寝かせられているところへ行った。
 ボクは母親に言った。

 「すみません。ちょっとこの子と二人だけにしてくれませんか?」

 母親は一瞬戸惑ったが、娘を一目見やり部屋から出ていった。
 まだ5年しか生きていない少女。親の言いつけをたった一度破った代償として、
命を失ってしまったのだ。

 「きれいなお花を見つけたばっかりに…」

 ほんの数時間前にボクと憶えたてのあやとりをしていた栗毛のかわいい少女。

 (あのね、いい物見つけたの。お別れの前にお兄ちゃん達にあげるね…)
 彼女の嬉しそうな顔が脳裏に浮かぶ。
 右手にしっかり握りしめられているデュナンの花は、わずかにその白い花びらを
残すのみだった。

 ボクはため息をついた。
 彼女に掛けられていた毛布を静かにのける。
 安らかに眠るような表情。しかし、彼女の左半身は強い酸のためにただれ、足は
大腿部から下が失われていた。

 やるしかない。

 神経を集中する。
 バシュウッ

 ボクの髪の毛が逆立つのがわかる。
 集まってくる力。
 クリスタルが輝きを増す。

 「!」

 少女に力を注ぐ。
 部屋の中を走る閃光。
 オゾンの匂い。

 少女の焼けただれた皮膚が再生してゆく。

 「くっ!」

 極度の緊張に吐き気が起こる。
 奥歯をかみしめる。
 汗に目がにじむ。

 骨が延び、筋肉繊維が包んでゆく。
 クリスタルの緑色が彼女の顔に赤みを注ぐ。
 いけッ!もう少し!
 …
                    *
 「ライーザ!」

 両親は気が狂わんばかりだった。お礼を言うのも忘れ、自分たちの子供を取り合い
している。
 目を丸くしてる、少女。
 寝台で痛みも忘れ驚くヤルタ。

 「ラサム!どうやって?」
 「ま、こう言うことも出来るってことさ。ふう」
 「か、神の力じゃないか!」
 「あっれー?”技”の国じゃ”神”なんかいないって思ってるんじゃないのか?」
 「そ、それは…」
 「いいからいいから。ボクだってまだ”神”が何だかわからないもんな。おじいちゃんも
 教えてくんなかったし」
 「あ、あの。それで、ラサム…」
 「ん?」
 「その力で、オレのこの傷、何とかしてくれないかな」
 「自分でやったら?王子」
 「オレは先生に再生法まで教わらなかったの!」
 「もすこししてからね。ボク、さっきのでずいぶん力使っちゃったから少しひと休み
させてよ。へろへろ」
 「うー 頼むよー 痛いよー 死んじゃうよー うー うー うー」

 いきなりだだをこねる王子様。

 「あーあ。世話の焼けるヤツだ。ほれほれ、見せてみろよ」
 「あっ、も、もうちょっと優しく!」
 「甘えんじゃないの。誰が食い意地の張った奴だって?うりうり」
 「痛ぇーっ!」

 うふふふふふふふふふ
 男の子いじめるのも結構楽しい。
 つんつん

 「あ゛ー!!お、おぼえてろぉー!ててててて!」


              ジェラード 『旅立ち編』   終わり

ジェラード1 『旅立ち』

ジェラード1 『旅立ち』

ここアッシュドの町には、まれに右手甲にクリスタルが埋め込まれた男の子が生まれる。 このクリスタルを持つものは修行により高度な術者となり、都へ召集される。 しかし、どうしたわけか、あるとき一人の女の子がクリスタルをもって生まれてきた。 18年後、男として育てられた彼女が都へ召集される前日、隣国の王子が助けを 求めて、この村にやってきた。 コメディーアクションファンタジー

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-17

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