If・・・ もしも、あの時、あの場所で
第一章 母との別れ
1997年 冬
母が他界した。くも膜下出血で突然、倒れた。
その日、私は母と喧嘩して友人と2人で大分までバイクを走らせていた。
ムシャクシャしていたんだと思う。ただ、バイクを走らせる事で発散していたのかもしれない。
今では、空港になっている港でゼロヨンをして帰宅した。
暗い部屋の隅で赤く光る電話のランプ。留守電には、病院からのメッセージ。
母が倒れて入院しているとの内容だった・・・
そのメッセージを聞いてから、数時間の記憶が無い。無心とは、こういう事なのだろうと思うぐらいに何も考える事ができなかった。
気付いたら、バイクに乗ってノンストップで病院に向かっていた。
病院につくなり、呼吸器をつけ目を閉じた母を見て無性に腹立たしかった。この怒りは何もできない自分への苛立ちだったのだが
突然、担当の医師に対して壁に押し付け暴言を吐いていた。
『治せ。医者なら治せ・・・』
周りの看護婦さんやスタッフに押さえつけられ宥められ、病室を後にした。
暗い待合室のベンチに座り目を閉じると走馬灯の様に母との思い出が浮かび上がってきた。
私の父親は、関東の暴力団員で刑務所と娑婆をしょっちゅう行ったり来たりする生活を送っていた。
私が、4歳の頃に母は父と離婚した。
原因は、わからないが当時、父が作った借金が2,000万円ほどあったらしい。
母はそのお金を返すため、関東から母の生まれ育った九州に帰るまでの間に、ストリッパーをして借金を返済していた。
幼い私を育てながら、借金を返済していくという事がいかに大変だったか・・・当時の私には解るはずもなかった。
私が、ワガママを言うと全て叶えてくれた母。いつも仕事で夜は居ないけれど、与えられた玩具とお菓子とゲームが僕の淋しさを癒してくれていた。
九州に帰りついた頃、母の借金は無くなっていた。
いつも甘えてワガママばかり言っていた私。それを受け止め叱咤しつつも叶えてくれた母。
万引きをして捕まった時も、かばってくれていた母。喧嘩をして警察署に行った時も、怒らなかった母。
過ぎていく時間は当たり前で、これから過ぎようとする時間の中にも母が居るものだと疑わなかった。
そんな思い出が次から次へと浮かんでは消え、気づいたら涙が止まらなくなっていた。
それから数時間後、母は息を引き取った。あっけなかった。母と最期に交わした言葉は、『死んでしまえ!』
それが本当になるなんて・・・
もっと話したかった、もっと謝りたかった、もっと一緒に生きて欲しかった。しかし、今となっては全て叶わない。後悔という言葉の意味を知った気がした。
母が亡くなってからの約1ヶ月、何もする気が起きず暗い部屋にこもる生活が続いた。
ある日、友人の誘いでカラオケに行く事になった。余り乗り気ではなかったが、気を使ってくれている友人を無碍にもできず、外に出た。
この日、僕は真希に出会った。
第二章 不思議な女性、真希
カラオケBOXに入り、歌を数曲歌った頃、急に扉が開いた。
酔っ払いの女性が2人。私達の部屋に入ってきた。
よく解らない展開に戸惑いながらも、僕は一人の女性を看病していた。名前は『真希』
多分、私よりも年上の女性だと思う。妙に高いテンションに付き合いながら数時間が過ぎた。
真希はその日、付き合っていた彼氏にフラれ女2人で飲みながらヤケ酒していたとの事。
年齢や出身、いろいろと警察の職務質問のように聞かれ普通の時でも、感じが良くないのに更に気分が落ちてしまう。
始めの印象は、あまり良くなかったが流れとノリで話を続けていた。
携帯の番号を交換して、1週間後に食事の約束をして解散した。
真希の仕事も年齢も解らなかったが、市街地の中の分譲マンションに一人暮らしをしていて、やたらお金は持っていた。
初めての食事を境に真希とは、ちょくちょく会う様になっていった。多分、真希と居る事で淋しさを埋めていたんだと思う。
真希から、『ビリヤード』・『ボーリング』・『お酒の飲み方』・『食事の仕方』など様々な事を教わった。
真希という女性に惹かれながら、『尊敬』と『興味』が強かったんだと思う。
真希と一緒に居る時間が長くなるにつれて、気付いた事があった。彼女は、夜の仕事の人達に対して妙に親しい関係だった。
夜、出歩く事が多くなり私自身も夜の世界に興味を持つようになっていった。
数か月後、私は17歳だったが年をごまかし夜のレストランでウエイターとして働きだした。
真希は、毎日の様に顔を出してくれた。真希意外にも水商売の人、ちょっと人相の悪い人、カップル、サラリーマンなど多くの
お客さんで賑わっていた。
このレストランでの仕事は新鮮で、17歳の私にとって大人の背伸びをしている感じだった。
それから数か月後、レストランに来るお客様に誘われホストをやる事になった。
ホストという職業に対して、偏見はなく逆に華やかな夜の世界にある憧れのほうが強かった。
レストランの時と同じ様に、真希は毎日の様に顔を出してくれた。真希のおかげもあって新人の私にとってはあり得ない給与
をもらっていた。その時、レストランの時と違って真希が無理をして会いに来てくれている事に私は気づいていなかった。
ホストの仕事にも慣れた頃、私には数人のお客がついていた。私は、真希という存在自体を見失い始めていた。
真希に異変が起きたのもちょうど、この頃だったと思う。
仕事が終わっても家に居ない時が多く、連絡すら取れない事が多くなっていった。
本当なら、真希に異変を一番に気づかなければいけなかったのに・・・
数日後、その事件は起こった。
真希が自殺未遂をしたのだ。理由は、定かではないが多額の借金を抱えていた。
急いで病院に向かい、病室のベッドに眠る真希の手を強く握った。
真希は、ゆっくり話を始めた。
『私が貴方に出会えた事は運命だったの。貴方と出会って成長する姿を眺めているだけで幸せだった。
私が思っていた以上に貴方の成長が早くて遠くに行ってしまった。もう、私には貴方の成長を見る事ができない』
そういって真希は私に別れを告げた。
なぜ、もっと早くに気づいてあげる事ができなかったのだろう。
なぜ、真希だけを見てあげる事ができなかったのだろう。
なぜ、別れる事が嫌だと言えなかったのだろう。
真希は元々、ヘルスで働いていたらしい。それが結婚前提だった彼氏にバレて仕事は辞めたけど許してくれなかったそうだ。
その人と別れる際に、今のマンションを貰い別れた日に私と出会った。
そして、真希は私のためにヘルスの仕事に戻ったという事実を知った。
退院して真希はマンションを引き払い、姿を消した。
数日後、私は店を辞めた。
数日後、私は店を辞めた。
第三章 別れなのか逃げなのか
母が亡くなって2年 真希が居なくなって1年半
大事な人が無くなり、大事な人の気持ちに応える事が出来ず・・・
真剣な恋愛もできないまま、毎日の様に駅前のロータリーでナンパして女性をとっかえひっかえする日々が続いていた。
特定の彼女は作らず、ただ一日だけの女性。別に、彼女が欲しい訳でもなくただ一人で居る事が寂しかったんだと思う。
仕事を転々とし、まるでヒモの様な生活をし、男としても人としても堕落していた時期だと思う。
ちょうど、その頃に出会った同じ年の『ひろ子』という女性。この女性が私の人生を変えていった。
ひろ子と出会ったのは、テンプラ屋さん。私がお客さん、ひろ子はホールのスタッフだった。
彼女は、ナンパされて遊びに行くような子ではなく、ちょっと冷たい感じが第一印象だった。
特に声を掛ける訳でもなく、その日は終わったのだが、ひょんな事から再会する。
友達の誕生日会に呼ばれて行った時の事。その会の中に彼女はいた。
運命とか恰好いい事じゃないけど、お互いに覚えていてすんなり会話が始まって、お互いに気があってチャライとか
言われるかもしれないけれど、私達は付き合う事になった。
ひろ子と居ると心が晴れた。別に同じ年だからと言う訳ではないけれど、話が合うし何より一緒に居て癒された。
二人でお揃いのピアスを買って、ピアッサーで穴を開けてみたり
小学校のプールに飛び込んで泳いでみたり
免許がないのに、ひろ子の車を運転して警察に追われてみたり
子供っぽいかもしれないけど、背伸びをしすぎていた私には、逆に新鮮で毎日が楽しかった。
真希とは一度も話をした事は無かったけれど、ひろ子とは毎日の様に将来について話あっていた。
真希に対して、正面から見ていなかった分、ひろ子には真正面からぶつかっていった。
ある日、バイクで事故を起こして両足を骨折してしまい、入院する事になった。
毎日、朝から晩まで見舞いに来てくれる彼女は献身的で愛おしく思えた。
退院が近づいたある日、親戚がお見舞いに来てくれた。目的はお見舞い以外にもあった。
一通の手紙を私に渡し、親戚は帰っていった。
手紙の内容は、父親の母、私の祖母からのものだった。
内容は、相変わらずの父親・・・
祖母の容体が良くなく、できれば一緒に暮らしたいとの事だった。
今のひろ子との生活をとるのか?
病弱の祖母と暮らすため、東京に行くか?
どちらを天秤にかけても、すぐには答えは出なかった。
そんなある日、ひろ子から大事な話がある・・・ との事で時間をとるようにとの事だった。
彼女から出た一言は、『妊娠したかも・・・』
私の口からでた一言は、『結婚しよう・・・』
彼女の事は、本当に好きだったし結婚したいと将来を考えた事もあった。
If・・・ もしも、あの時、あの場所で