不死と告死の邂逅
濃紺の空と常盤の芝生が、望月の光によって朽ち葉色に染まりて、これ以上にない程桜が咲き乱れた
人間の里から迷いの竹林へ向かう途中の小道に、紅の水飛沫が舞った。
「夜桜に月とは……中々いい景色じゃないの。そうは思わない? 冥界の姫君さん。」
「あんな誘拐みたいな事をして私を呼び出すなんて……一体どういうつもりなの? 妖夢はちゃんと無事なんでしょうね?
もし妖夢に万が一の事があったら……」
「そんなに焦る必要ないわ。ちゃんと貴女の目の前にいるじゃないの。ただ…………抵抗して煩かったから………
少しだけ、黙って貰ったけど………心配ないわよ。」
静かな口調で語り出す妹紅の足元には、身体中が傷に塗れ、
お気に入りの浅葱色の洋服は大部分が緋色に染まり、変わり果てた妖夢の姿がそこにあった。
「幽……々……子……様……申し……わ……」
「急所を外したからね、ギリギリ死なない程度に手加減はしたよ。」
僅かに残った力を振り絞りながら謝罪の言葉を発する妖夢を見た幽々子は顔面蒼白となり、
その後湧きあがって来た怒りで自我を保つ事が容易でなかったに違いない。
「………貴女、とんでもなく痛い目をみたいようね………。以前竹林で戦った時とは比べモノにならないくらいの……」
「勝手にどうぞ。…………そっくりそのまま返してあげるから、軟弱な子孫さん。」
幽々子は、普段の柔和な彼女からは想像もつかない程の殺気を放っており、妹紅からもそれに負けない位の殺気を放ち、
憎悪に満ちた表情で、目の前の亡霊の怒りを増幅させる一言を言い放った。
――――――妹紅と幽々子が対峙している頃、1人の女性が誰が見ても慌てていると分かる様子で永遠邸を訪れた。
「……頼む! 妹紅を止めるのに協力してくれ! もう私1人じゃどうしようも出来ないんだ! 」
「なーに? 一体どうしたって言うのよ……」
パニック状態に陥ってる慧音に対し、普段のおっとりした口調で、この屋敷の主(あるじ)である輝夜は心配そうな顔で訊いた。
輝夜は、いつも凛としている慧音がこのように切羽詰まっている所を見たことが無かった為、彼女の心臓の動きは早くなっていた。
「あいつがいきなり西行寺幽々子を殺すって………」
「―――――?!」
慧音の言葉に、輝夜は瞳孔を開かせたまま、固まってしまった。
硬直した彼女を前に、慧音は続けた。
「それで、たまたまこっちに来てた妖夢に手を出して………私も一応止めたのだが……輝夜と殺し合う時以上の凄い剣幕で……
そのまま妖夢を連れて行ってしまったんだ………」
「妹紅が幽々子を……? 何でまた……」
「…………恐らく私が出しっ放しにしてた歴史書を見てしまった所為だ………妹紅の父親……藤原不平等には子孫がいてな……
その系譜を辿って行くと幽々子の父親に繋がるんだ……」
――――――つまり二人は……遠縁の…親戚同士…それも望まれぬ血筋と……望まれた血筋という……
妹紅は、世界中総ての物を怨むかのような目で幽々子を捕えながら、瀕死の重体と化した彼女の胸倉を掴み上げていた。
「面白いじゃない。幽霊の癖に足も付いてりゃ血も出てくるなんて。」
「…ぁ……」
「そういえば貴女、転生しないんだってね。」
「思いついたんだけどさ、」
「――っ?! 」
「貴女にリザレクションをかけたらどうなるんだろうね……? 」
妹紅は片手で幽々子の胸倉を掴みながら、空いている方の手に焔を灯した。掌サイズの小さな火種程度の物ではあったが、
それを見た幽々子の顔は見る見るうちに絶望の淵へと落とされた時のような物になっていった。
「生前辛い事から逃げるように自殺したんでしょ? だったら生き返ってちゃんと立ち向かうのが、生きている物の務めでしょ?
あ、お前はもう既に死んでいるんだったわね。あっはははははははははははははは! 」
妹紅は、勝ち誇ったような気分でいたのか、狂気に満ちたような高笑いを上げた。
「―――?! 」
笑い声が聞こえていたのも束の間だった。妹紅の心臓目がけて、長くて尖った物が貫通し、
ワインレッドの飛沫(しぶき)が勢い良く湧きだした。
そこには、修羅のような形相の妖夢が渾身の力で、妹紅に向かって楼観剣を背後から突き刺していたのだ。
「貴女にまだそんな気力があったの……? だったら、お前から先に始末するまでね! 」
「……っ…………やめてえええええええええっ!!!!!! 」
幽々子の悲痛な叫びが周囲の静寂に木霊した時、妹紅の動体を切断するかのように空間に歪(ひずみ)が出来た。
それは、服の上からあちこちを切りつけ、妹紅の白い服や、透き通るように白い柔肌を一瞬にして、深紅へと変えていったのだった。
歪の中からスキマ妖怪――八雲紫が現れ、妖夢と幽々子を抱き抱えた。
「……妖夢、よく頑張ったわね…貴女はもう、立派な護衛だわ……ただ今日は相手が悪すぎただけよ。
だから気に病む必要はないわ……」
「……何だよ……しゃしゃり出ないでよ! このスキマ妖怪! お前には関係のない事でしょ?! 」
「貴女と幽々子の関係は知ってるわよ。でも関係なくはないの。私にとって幽々子は……親友ですもの。」
「………あっそ………じゃあお前から……っ!? 」
妹紅が焔を出そうと左手を構えようとした時、彼女の左腕の肘から下が、包丁で切ったかのように、
切り落とされ、肘からは大量の血が霧雨の如く周囲へと飛び散り、彼女の周囲だけ叢の色が変わっていった。
「先ほど貴女の体に無数の亀裂を打ち込んだ……無理に動いたら貴女……バラバラになるわよ? 」
妹紅が激しい痛みで悶えているのを無表情で見下ろしながら紫は、こう続ける。
「無限に激痛が貴女を襲う……死ぬまでずっとね………」
「………っははは……っはは……あっはははははは! 」
妹紅は気違い染みた笑い声を上げた。その声には、何処か寂しさや物悲しさが感じ取れるようにも聞こえた。
――――……いつも通り……輝夜(あいつ)も…幽々子(こいつ)も… いや、私がいままで見てきた奴等には…傍に誰かが必ずいた……
それなのに……私は1000年以上……ずっと一人ぼっち……辛い。死にたい。……でも死ぬ事も出来ない。なのに……幽々子(こいつ)はあっさりと自殺しやがった。
希望なんてとうの昔に捨てた。絶望しかない。……それでも私は生きていかなければならないと言うのならば……何かを憎む以外……ないのよ………
笑い続けながらも、妹紅の傷口は広がり、深くなっていく。それでも彼女は、残った方の手から焔を出そうと、腕を上げた。
「……無様ね。もっと周りを見る目があれば……貴女を思う人などいくらでもいるのに……」
―――――……妹紅、お前は少し孤独に慣れ過ぎている……辛い時、私や他の人を頼ってもいいんだぞ?
遠のき始める意識の中、いつかの慧音との会話の中で彼女が言っていた一言を思い出した。
―――――ずっと叫び続けてた。だから声なんてもう出ない………そして、この体はもう何も感じない………
だから死のうが生きようが……私には関係ない。……でも蓬莱の薬は、私の心まで不死にした訳じゃなかった。
西行寺幽々子……生前貴女がこの世を儚いと思い、自殺した事によって………死後、幸福(しあわせ)を手に入れたと言うのなら……
――――どうして私は死ぬことが出来ないの……? ……これが……この苦しみこそが……蓬莱の呪いだというのだろうか……
……もう私の心は狂ってる。……総てを呪い恨み、焼き尽くすだけの焔……
「なんて無様なのかしら………」
妹紅の心が激しい怒りと悲しみで制御できないという境地にまで辿り着き、自暴自棄になって周囲の叢に点火しようとした時、
下半身に重みを感じた。
――――輝……夜……?
「………もう止めなさい。勝敗は明確でしょう? 」
「この度は失礼致しました。八雲紫殿……後日その二人は治療して差し上げます故、今はこのまま引き下がっていただきたい……」
「いきなりそんな事を言われて、正直私の怒りは収まりませんけど……ここで貴女と争っても仕方ないわ。
…………いいでしょう、その者にはキツく叱っておいて下さいな。」
「……それではまた後日…」
焦燥に駆られた輝夜が、慧音と永琳を引き連れて此処まで来たのだ。
到着するのがもう少し遅くなっていたら、妹紅は本当に死んでいたかもしれなかっただろう。
永琳が仲裁役に入った事で紫の虫の居所は悪い状態であったが、相手は月の民という敵に回したら厄介な人物故、
渋々身を引き、顔も見せないままスキマの中へと消えて行った。
「ちょっと………離して! 私は幽々子(あいつ)を!――――」
「離さない! 」
「――?! 」
「貴女は私だけが憎い筈でしょ?! なのに私以外の奴を殺したいだなんて許さないんだから!
………っ………あんな死んだ奴の事なんて考えないでよ……! 貴女まで黄泉の国(あの世)に誘われて………
逝ってしまったら………私はずっと1人で………何を支えにして生きていればいいのよ…………」
輝夜は、より一層強く妹紅にしがみ付きながら、小刻みに体を震わせ、嗚咽混じりの声で彼女に対する思いを曝け出した。
――――――遥か昔……父を求めた私の手と………現在(いま)、輝夜が伸ばした手が重なって見えた。
何も感じない筈なのに………その手が震えているのが、ハッキリと分かった。
「妹紅……お前はどう思っているのかは知らないが、望めば皆お前を受け入れてくれるのだぞ……
頼むから自分からは心を閉ざさないでくれ………私達はお前を一人ぼっちにはしないから……」
「まぁ、少なくとも姫は殺しに来るものねぇ。」
「……止めはせんが、程々にしてくれ……」
「……貴女には従者も兎達もいるでしょ? ……とんだ我儘なお姫様だこと……」
妹紅の中には、先程まで彼女の心を支配していた殺意や恨みつらみといった感情が、輝夜に対する呆れへと変わっていった。
彼女は、温もりを感じていた――――――物理的な意味と、精神的な意味という二つの意味で。
――――――数日後の永遠邸で、赤と青のツートンカラーの服を着た女医が、妖夢の怪我の手当てをした。
「……これでお終い。あとは安静にしてれば数日で回復するわ。」
「すいません……護衛だと言うのに……このような目に遭ってしまって……」
「何言ってるの? 護衛だからこそ、こんな目に遭うんでしょ? 」
「今回は不慮の事故みたいなモノよ。貴女が気にしてもしょうがないわ。」
寝室には申し訳なさそうにしている妖夢と、救急箱を片づけている永琳。そして寝転がって煎餅を食べている紫がいた。
「ホラ、少しは肩の力を抜きなさいな~」
「あ……大丈夫です……」
「………そういえば紫様……幽々子様はどちらへ行かれたのですか……?」
「……積もる話をしに外へ……ね。………今は二人っきりにしてあげましょう。」
―――――――「……別にもう責めるつもりはないわ…………でも理由だけは教えて下さいな。ご先祖様? 」
「…貴女、いい護衛が付いてるよね。最初に竹林で戦った時も思ってた………
昔から本家の人間に憧れたの。『居場所』があって……それは私にはないモノだった………
そして今……貴女が本家の末裔だと知った時…何で本家の人間だけ幸せになれるのって………そう思ったら……
いつの間にか私の心は貴女に対する嫉妬と恨みで満たされていた。………たったそれだけよ。」
「………………」
「……酷い話よね、たったそれだけなのに。……あれだけ酷い事するなんてね………
蓬莱の呪いで私はもう人間じゃない。………人間の内に死ぬことが出来た貴女が羨ましかった………
本当はさ、貴女だって………辛い事いっぱいあった筈なのに、そう知ってもなお……」
妹紅の話はまだ完結していないが、幽々子が泣きながら妹紅の頬に両手で触れた。
「………ちょっと?! 」
「………私は貴女が羨ましいわ………私も貴女と同じくらい……強かったら………あの時死を選ばなかったかもしれない……
貴女は人間であろうとするから……時に狂い、時に心に傷を負っただけ………普通ならその心は死を選ぶ筈なのに……
今でも貴女はその強い心を失っていない……その証拠に貴女の心は今…こんなにも悩んで悲しいって悲鳴を上げてる……
本当は優しいからずっと悔やんでいたのね……今まで貴女が奪った命全て背負って………」
幽々子の目からは、涙が1本の線になり、静かに流れ落ちていた。
「私はそれに耐える事が出来なかったから………自ら死を選んでしまったけど……」
「………辛かったでしょう? 」
目の前で自分の積年の後悔と、妹紅に抱いていた憧れ、自分の心の弱さの所為で目の前にいる人間を
傷付けてしまったという罪の意識―――――――それらが全て込み上げてきて、幽々子は悲しみでいっぱいだった。
そんな彼女を、妹紅は慈愛に満ちた眼差しで優しく抱きしめた。
「……辛かったでしょ? ずっと………」
「………ええ………」
――――――ある意味では似通っていた。運命が二人を正反対の方向へと歩かせただけ………
「――――――――っ?! 」
「げげっ?! 輝夜?! 」
「ぅう…………………………私だけの妹紅でしょ! 他の奴の事なんて考えないでよっ! 」
「私だけのって………何それ! 」
「妹紅を殺していいのは私だけなんだから! 他の奴には渡さないんだからね! 」
「………ちょっと私……邪魔だったかしら……」
「いや………そういう訳じゃないよ。また今度話しに来てもいいかな……? 」
「えぇ……まぁ……」
「だから他の奴の事考えるなー! 」
中学生男女のような他愛もない(?)言い争いを繰り広げる二人に対し、蚊帳の外となった幽々子は
少々困惑したような表情を見せた。
――――――ある意味では似ている二人。同じ幸せを感じる時がある………
皆気付いていないだけで、本当は一人ぼっちじゃない。見てくれる人はちゃんといるさ。
それは…………自分の身近にいるんだよ。
不死と告死の邂逅
Pixivで読んだ個人的に好きな漫画をノベライズ化させてみました。
漫画版とは違います。最後の場面がカットしてあったり妹紅さんの口調が違ったり。