理想の人類

  定刻通りに目を覚ますとやわらかい日差しが頬を照らしていた。高級なサンゴのベッドから起き上がり、透明な天蓋を開けて海面を目指す。連日遅くまで研究研究の日々、昨夜も遅くまで研究していて空腹なのだ。
 海面に仰向けに浮き上がり、呼吸を肺呼吸に切り替えて大気を吸い込んだ。そして脇に折りたたんである光受幕を広げて日光を浴びて朝食を開始した。光受幕にある葉緑素が光合成を行い体内に力が満ちてきた。朝一番のこの朝食が、私は一番好きなのだ。たまには固形食を口にしないと体格が衰えると言われているけど、どうにも好かないのである。
 昨夜の議論も熱かった。最近異常に増えてきた先祖がえりについての問題だ。我々の特徴である、エラ呼吸による水中生活と葉緑素による光合成、その二つを先天的に欠損して生まれる子供の増加だ。それらの子供は成育するに従って巨大な体格を備えるようになる。つまり、水陸両棲人である我々の祖先だと言われる古代人に戻って生まれてくるわけである。他にも、使役していたマグロが知性を備えて反乱する兆しがある問題もあるが、こちらはどうにでもなるだろう。
 一部の遺伝子学者は、我々両棲人の遺伝子は人為的に加工された形跡があり、古代人をベースに作り変えた亜人類なのだと唱えている。
 実際我々にも問題は多い。一時は爆発的に繁殖したといわれる古代人に対して、我々両棲人の個体数は減少の一途を辿っている。
 しかし私は信じている。我々は自然淘汰を生き残り進化の果てに辿り着いた理想的な存在であると。
 私はいつものように決意を新たにしつつ、呼吸をエラ呼吸に切り替えて海中を進んだ。両掌にある水かきを使ってぐいぐい進むと、口腔内に入った海水から酸素が体内に取り込まれて力が漲ってくる。見下ろす大陸棚近辺には、家畜化されたアジやイワシの姿が見えて、遠くにはマグロがその推進力を生かして作業をしているのが見えた。その美しい流線型の身体をのんびり見ていたい気もするが、そんな暇はない。今日もまた、陸上に設置された研究所で進化の問題解決に向けての研究が待っているのだ。
 遺伝子研究所の所長は我が妻であり、私が唱える「自然発生説」に対して「人為発生説」を唱えるライバルでもある。彼女は近頃研究所に寝泊まりしていて、どうにも夫婦関係がしっくりこない。もっとも、私が彼女を大事に思う気持ちは揺らぐことはないがね。さて彼女が見えてきた。美しい蒼い鱗、首筋から伸びるエラのライン、どこをとっても芸術的なその身体に見とれてしまうのを悟られないようにしながら近寄る。
「あら、お早う。今日も早いわね。そろそろ自分の説の拙さを理解できたかしら? 私たちの身体はね、遺伝子的にとても不安定なのよ。不思議だと思わない? 動物でありながら植物の特性である光合成能力があって、肺呼吸とエラ呼吸の双方が可能で水陸両方で暮らせるなんて、過去の生物には無い特性が多すぎるわ」
 朝一番の挨拶からしてこれだ。だが悪い気はしない。夫婦間のコミュニケーションにしては面倒臭いけどね。
「何が不思議なんだい? 適者生存が生物進化の真理ではないか。我々はこうして進化の先端に立って、この地球の海中から陸上まで余すことなく闊歩して君臨している。そこに何の不思議があるんだ」
 毎日繰り返される挨拶だ。さて今日も私の説を裏付ける証拠探しに勤しむとするか。彼女の脇をすり抜けようとしたら彼女に腕を掴まれた。水かきがあり、細くしなやかな指をつい見とれてしまう。
「そろそろ決着を付けましょう。ついに完成したのよ。時空移送装置で実際に過去に行って確かめるといいわ」
「なに? 例の装置が完成したのか。そいつはいい。ついに私の説を証明する時が来たか。私が乗って進化の謎とやらを解決してやろう」
 以前から研究開発していた装置がついに完成したようだ。これで過去に行って私の自然発生説を確認できる。確かこの装置は一人乗りだったはずだ。当然私が乗るべきだろう。
「あなたらなそう言うと思った。この三つの装置を持って行ってね。使い方は分かるわよね。エントロピー逆探知装置は私達の進化の源流を探し出してくれるわ。時空干渉警報器はあなたが歴史を変えてしまうことをしそうな時に警告してくれるわ。知覚干渉装置は他の知的生命体にあなたを同種だと思わせてコミュニケーションを可能にしてくれる。これで私達の祖先と会話が可能なはずよ」
 彼女から装置を受け取り、時空移送装置に乗り込んだ。三つの装置は私の左腕前腕部に装着できるようになっていて、私の意思を直接読みとってしかるべき機能を発揮してくれるのだ。未知なる世界に向けて期待は高まるばかりだ。おっと忘れるところだった。私は、傍らにいる妻に軽くキスをした。
「行ってくるよ。どちらの説が正しくても、私は正確に報告するからね。君の落胆する顔を見るのは好きじゃないが、真実を受け止めるのを覚悟をしておいた方がいいね」
「あら、それはこっちのセリフよ。とにかく気を付けて行ってきてね。過去に行くのは、歴史を変えちゃうリスクがあるのを忘れないで」
 私は軽く微笑んでエントロピー逆探知装置を起動して進化の起源を探知して、その時空データを時空移送装置に転送し、そこに向けて出発した。

 
 なだらかな丘陵の隙間を埋めるように広がる田圃の稲穂が垂れさがってきているのを見ながら、僕は夏休みの終焉よりも愕然とする事実に打ちのめされていた。
 夏休みの自由研究のテーマ「理想の未来を考えよう」について、昨日色々調べたんだ。調べれば調べるほど驚愕の事実が明らかになったんだ。このまま人口が増えると、住む場所も食べ物も資源も無くなってしまうじゃないか。うちだってアパート暮らしだし。僕は一晩考えた、どうすれば人類が滅びないかをだ。そして凄いアイデアを考え付いたんだ。眩しい朝の陽ざしを避けるように、蝉の鳴き声が喧しい木の陰に立ち止まって、ランドセルを降ろして昨日書き上げた宿題を取出して読み返すことにした。
『このままでは食べ物も住む場所も資源もなくなってしまいます。そこで考えました。
理想の未来人についての僕のアイデア
一、体を四分の一ぐらいに小さくすれば、せまい場所に住めるので地球が大きくなったのと同じになります。
二、植物みたいに人体に葉緑素を組み込んで光合成をできるようにすれば、食糧問題解決になります。
三、人間をエラ呼吸可能にして水中生活可能にすれば、狭い土地をめぐって争うこともなくなります。
四、人間がたくさん増えちゃったのは、なにやら気持ちいい行為をして繁殖するらしいので、それ以外の手段で繁殖したらいいと思います』
 いつか未来に僕のこのアイデアが元になって理想的な未来人が生まれるかも。うん、我ながらいい出来栄えだと、僕はひとりごちて山影に見えている校舎を見上げた。その時、背後に閃光が走った。

 
 装置を起動した瞬間、周囲の景色が滲んで見えた。時空移送は原理的に確立されているとはいえ、若干の恐怖もある。しかし持論である自然発生説を裏付ける発見を欲する私にはなんてこともない。周囲の景色が鮮明になってきた。二百五十年ほど昔に来たようだ。センサーを見ると、我々の時代との環境の差異はないようだ。安心して時空移送機から降りた瞬間、目の前に異形の生命体がいるのを発見した。
 まずその巨大さに驚愕した、我々の四倍の身長はあるであろう。そして肌は薄い黄色であり、エラが無い。これが我々の祖先なのだろう、所謂古代人というものなのであろうな。いかにしてこの未発達な形状から、我々のように完成された人類への変貌を遂げるのだろうか? エントロピー逆探知装置は、その古代人が持つ文章を記してあるような紙に反応しているようだ。そこに何か重要な情報が記されているのだろうか?
「うわ! 化け物だ! 何この小さい半魚人、気持ち悪い」
 古代人が叫んだ。その声は知覚干渉装置によって自動的に翻訳されて脳内に自動再生される。当然、私が喋る声も古代人が理解可能なものに自動変換されるはずだ。
「私の事かね? 私は君から見て未来から来た科学者だ。化け物とは酷いな。私から見れば君の方がよっぽど化け物だよ。よく見て御覧よ。この緑色の肌は光合成が可能だから、こうして日光を浴びているだけでエネルギーを得ているんだよ。それにこのエラがあるから水中でも生活できるんだ」
 私の言葉を聞いた古代人は、何やらぶつぶつ言いながら悩んでいるようだ。それにしても、どこに進化の根源があるのだろうか? この古代人からは進化の兆しも見えないのだが。
「やっぱりやめだ。こんな気持ち悪い化け物になるのは嫌だもん。これ捨てちゃおう」
 古代人がその手に持った紙を破ろうとした瞬間、時空干渉警報機がけたたましい警報をびーびーと鳴らし始めた。驚いてモニターをチェックすると、警報レベルが最大、すなわち歴史が変わって我々の存在が消滅する危機を検知している。どういうことだ? 
「やめろ、その紙を破かないでくれ! 教えてくれ、いったいその紙には何が書いてあるんだ?」
 古代人が破るそぶりを止めると警報は止まった。
「この紙? この紙は夏休みの宿題だよ。僕のアイデアで人類が緑色の小さい半魚人になっちゃったら嫌だから、せっかくいいアイデアだと思ったけどやっぱり気味悪いから捨てちゃうんだ」
 そしてまた紙を破るそぶりと共に警報も再開、当然警報レベル最大。
――これは? いったいどういうことだ。この古代人のアイデアが我々の姿の原案なのか? そんな、自然淘汰の果てに辿り着いた究極の進化だと思っていたのに。しかし今はそれどころじゃない。なんとかこの姿の良さを分かってもらわないと……。

 びりびりびりびり
 びーびーびーびーびー

 あああ! 紙が破られた! くそったれ。なんてこった、私の説は間違っていたのだ。この古代人のアイデアとやらを元に人為的に作られた姿だって事なのだ。しかも、そのアイデアを破棄されてしまい、我々の存在自体が危うくなってしまうとは! 警報は最大になっており、それはつまり我々の消滅を示唆している。いかにこの難局を乗り越えればいいのか?
 そうだ! この時代に私の種を残そう。それしかない。そうと決まれば話は早い、しかるべきメスを探さねば。すまない、我が妻よ、種の保存のためだ。周囲を見渡す……いた! すみやかに接近してそのメスが思い描く最も性的魅力を感じる容姿になるように装置を調整する。特定の相手に選択的に作用するこの装置が、確実に役に立ってくれるはずだ。
「私の子供を作ってくれませんか?」
 事は一刻を争う。逡巡している暇はない。
「うそ、キムタク……へ? 何を言っているの……いきなり、そんな、いいけど」
 そのメスは簡単に承諾した。どの時代でも、至上命題が種の保存であることに違いはない。そしてその対象は、視覚的に好もしいものであるのも同様だ。


 ああ吃驚した。まさか僕のアイデアが元になってあんな半魚人が現われちゃうとは。実は半分冗談だったのにな、やれやれ。
 その半魚人、あわてて走って行っちゃって、きょろきょろしている。あ、先生に何か話かけてる。うちの担任のマツコ先生だ。先生、今年も結婚できなかったな、彼氏いない歴四十五年だって言っていたけど、彼氏欲しかったら減量しなきゃだめだよね。
 あれ、なんか道路から離れて二人で藪の中に入って行ったぞ。先生が半魚人に襲われたらまずい、助けに行かなきゃ。僕は全力で走り始めた。
 藪の中に入ると、先生が仰向けに倒れていてその手前に半魚人がいた。そして半魚人は何かを繰り返して叫んでいるみたいだ。近寄ってやっと聞こえてきた。
「卵を生め! 卵を生め!」
 意味不明だけど、僕は先生を助けたい一心で駆け寄って、半魚人を後ろからサッカーボールを蹴るように蹴っ飛ばした。無回転シュート!
 半魚人は綺麗な放物線を描いて飛んでいき、どぼんと川に落ちた。
 半魚人か……いいアイデアだと思ったんだけどな。


 どうにか生殖相手を確保した。あとは産卵させて精子をかけるだけだ。私の子孫が、あるべき人類の起源となるだろう。或いは、私のこの時空移動があるべき人類を作るために必要な措置だったのかもしれない。私が、この時代からみての未来人、そう、あるべき人類の始祖となるのだ。遺伝的に近いのだから交配可能であるはずだ。
 しかしこのメス、生殖許可の意思を示したものの一向に産卵しない。焦りと苛立ちがつのり、口に出る。
「卵を生め! 卵を生め!」
 ぶあしっ!
――全身に強烈な衝撃が走った! 何が起きたのだか分からない。意識が薄れてきた。

 一体どれだけ気を失っていただろう? どうやら私は海にいるようだ。先刻の衝撃による深刻なダメージは看過できないレベルだが、我々が消滅してしまうという未曽有の危機に比べたらたいしたことではない。先刻の衝撃で警報機は故障してしまったのか、波の音だけが聞こえる。なんとかして、なんとかして種を残さねば。
 目の前をマグロが通り過ぎた。ああ、贅沢は言っていられない……。
 性的魅力溢れるオスマグロに姿を変えてメスマグロに接近、その卵に精液をかけた。すまない、妻よ、この不貞をいかに詫びようか。全身を貫く懺悔の念、しかし私には種を守る大義名分があるのだ。思い耽っていると、唐突に時空干渉警報機が警報を鳴らしだした。だめなのか? やはりマグロと交配は不可能なのか。
 帰ろう、未来に帰ろう。そこに私がいた世界は無くなっているかもしれない。しかし、もう私一人では無理だ。私は装置を起動した。

 元の時代に戻り、恐る恐る目を開けてみた。何もかも失われてしまったはずの世界だ。
――何も変わっていない。私が出発した時と同じ風景がそこにはあった。研究所があり、そして傍らには愛する妻が待っていた。いったいこれはどういう事なのか?
「お帰りなさい。大丈夫? 怪我しているみたいだけど」
 私を労わってくれる言葉に目が潤んだ。正直に報告するしかあるまいな。
「ああ、体は痛いけど、心の痛みに比べたらたいしたことないよ。正直に言おう。君の勝ちだ。どうやら我々のこの姿は、古代人のアイデアとやらを元に人為的に作られたもののようだ」
 私はお手上げの姿勢で軽く言った。脇の下に広がる光受幕がたなびき、エラが風に揺れる。この美しくて機能的な姿、守り抜いただけで重畳とせねばなるまい。
「ほら、やっぱり私が言った通りでしょ。あなたに預けたエントロピー逆探知装置から送信されてくるデータを解析したら、私達の姿は古代人の小学生の夏休みの宿題のアイデアを元にして遺伝子工学の結果生まれたものらしいのよ。それを見てきたんじゃない?」
 そうか、あれは小学生だったのだな。確かに私が見てきたものと符合する。しかしちょっと待てよ。あのアイデアとやらは破り捨てられたのでは? 私はあの後……。
 その時、研究所にけたたましい警報が鳴り響いて研究員が血相を変えて走ってきた。
「大変です。マグロが、マグロが反乱を起こしました。彼らは知性を備えているようで、自分らの始祖に会いたいと言っています!」
 ――マグロが知性を備えただと? 始祖? まさか私のことか。



 半魚人がいなくなってから僕はじっくり考えた。見た目は悪いけど、やっぱり機能は捨てがたい。僕はノートを取出してさっき破り捨てた未来人のアイデアを書いた。僕のアイデアが人類を救うんだ、なんて気分がいいんだろう。あの半魚人はきっと僕に感謝しているだろうな。
 僕は一人満足して、放心したままのマツコ先生を連れて小学校への道を歩いた。
 

理想の人類

理想の人類

SFギャグです。 自己評価☆☆☆

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted