花と鴨

ホテルの一室。大きな鏡の前で、「こりゃあかん」と妻が言った。ピンクを基調とした色遣いの派手なワンピースに、頭には大きな赤い花のコサージュである。まるで南国である。「あかん」という気持ちが分からないでもない。が、私としては、「あかん」であろうがなんだろうがその衣装しか持ってきていないのだから、早く決意してほしく思う。妻は、何かを確認するように、実に様々な角度から自分の姿を眺めている。
妻の決意が固まったようなので、結婚式場に急いだ。ご友人の方でいらっしゃいますか、という受付の女性の指示に従い、芳名帳に記入する。会場に通されると、私たちが最初の来場者のようであった。まずは一安心、といったところで席に着き、妻にこう言った。
「体調、大丈夫そう?」
「分からない・・・たぶん大丈夫。」
「そう。大丈夫じゃなかったら式中でもすぐ言ってな。」
妻は末期の癌に侵されているのである。ただ、今は容体や抗がんの治療の副作用が比較的落ち着いていた。そこで、いつまで生きられるか分からない妻のために、旅行も兼ねて久間さんの結婚式に呼んでいただいた、というのが今回の長崎訪問の目的であった。
久間さんは以前私が働いていた会社の同期である。社長の富岡の一存ですべてが決まっていくような小さな会社であり、男女のペアで仕事をさせるのが富岡のスタイルだった。そこで私と久間さんは良くペアで仕事をしたのである。
久間さんは非常に可愛らしい容貌をしており、所謂マドンナ的な存在であった。誰かが和製オードリーヘップバーンだと言っていた。社内での人気はもちろん、仕事の打ち合わせで訪ねたお客様や協力会社の者から声を掛けられたり、ということはしょっちゅうであった。同じ案件を多く持つ私は羨ましがられたりしたものである。
私自身の久間さんとの仕事で思い出すことは、彼女が顧客に誤ってメールを一斉流出させてしまった時の後始末の事である。その案件には私自身は関わっていなかったが、「コンピューターウィルスじゃないか」と、富岡や森宮、都といった所謂「上層部」が彼女にきつく当たっていた事、また同案件の他のメンバーが助けの手を差し伸べない状況に勝手に義憤を感じ、独断で彼女を助けようとした。そして、細かい経緯は覚えていないが、メール流出の原因を突き止めることに成功した。結果、なぜか私がその顛末書を作成し、お客様に謝りに行くこととなった。五月ながら暑い日であった。お客様である内閣府への坂を上がっているときに、久間さんは私の目を見ながらこういった。
「どんな風にお礼をすれば良いんだろう。・・・ありがとう。」
私はアスファルトの逃げ水に目を遣りながら、ああ、まぁ、というような素っ気ない返事を返した。頭では、いきなり私が助平な要求をしたらどうなるんだろう、と少し考えて苦笑したことを思い出した。今の私なら・・・と少し考え、考えるのをやめた。人間には願ってはいけない願いである。
結婚式は今、お色直しでの再登場のシーンである。会場が少し騒めき、「きれいだねぇ」というような声が会場のそこかしこから聞こえてくる。新郎は、優しそうな男ではあるが、常にニヤニヤ笑いを浮かべているようで、なんとなく気に食わない、と感じてしまった。この男と久間さんが家庭を築く。そこには子供も居るんだろうな。
妻が私の肘を小突く。少しどきっとする。
「鴨の肉なんだけど、食べられないから食べてくれない?」
体調が悪くなったのかと思ったが、思い過ごしであった事に安堵を覚えながら、自分も実は鴨肉が苦手だというタイミングを逸し、それを口に押し込み、ワインで流し込んだ。
式は滞りなく終わった。妻の体力が式の最後まで持ってくれた事に感謝しながら、式場を後にしようとした。列席者と思われる少し大柄な男性が、私たちに声をかけた。
「こっちも花嫁さんみたいだね」
妻は大きな花のコサージュを気にしながら、その男性に向かって頭を下げた。私は、この人が久間さんの側の参列者だと良いな、とぼんやり考えていた。

花と鴨

花と鴨

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-14

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