嵐の訪れ【完】
以前Twitterで@bluemoon0928さんが呟かれた萌えネタが素敵で、TL上で一頻り盛り上がった後にこっそり書いたものです。
ネタと掲載許可を下さった@bluemoon0928さんに感謝。
地面という地面に強い陽射しが照りつけ、蝉の声がひっきり無しに鼓膜を震わせる。
「暑い……」
低く呟くと、大和は足を止めて両手の買い物袋を持ち直した。つうっ、とこめかみから汗が流れる。
クーラーが恋しい。
シャツの首元を摘んで扇いでみるもおよそ涼とは程遠い湿り気を帯びた風がべたついた肌を撫でるだけで、気力も体力も加速度的に減少してゆく。
早く帰って、シャワー浴びよう……嵐が来る前に。
アスファルトに出来たばかりのシミをスニーカーの爪先で軽く蹴ると、大和は再び歩き始めた。
陽炎が揺れる坂道を上り、家の裏へと続く小さい道に入る。足元が悪い上に傾斜が大きいものの、涼しさには代え難い。
時折、鬱蒼と茂った草木の間を風が吹き抜け、頭上で枝葉がざわざわと揺れる。髪を抑えながら見上げると、小さな空を大きな雲が勢いよく流れていった。
帰宅して早々に汗を流した大和は、縁側の鍵を開けて居間の奥へと足を向けた。
ずらりと並ぶ本棚は時間の流れから随分前に外れてしまったかのような佇まいで、向かい合う度にどこか不思議な気分になる。以前誰かが古い図書館のようだと言っていたが、その意味するところは今だにぼんやりとしか分からない。大和の行動可能範囲に、図書館というものは存在しない。
本棚の中央へ移動し、おもちゃのような簡素な鍵を小さな穴に差し込む。あまり開かれることのなくなった扉には模様の刻まれた磨り硝子が嵌め込まれ、外からは背表紙の形を確認することすら叶わない。細やかな掘りの入った取っ手を引くと、硝子がカタカタと音を立てた。
程なく大判本の中に見慣れた文字を見付け、背表紙の頭に指を掛けた。引き出されたファンシーな表紙には、背表紙同様、凡そ不似合いなかっちりとした筆跡で撮影年が記されている。ページを開くと、ビニールがぱりぱりと音を立てた。
十二年前ってことは……小学生の頃か。
保護フィルムの向こうでは、真っ黒に焼けた子供たちが真っ赤に熟れた西瓜を頬張っている。
嵐も僕も、ちっちゃいなー。っていうか史兄さん、西瓜差し出し過ぎてブレてるし。
いつの間に撮ったのだろう、健やかな手足を大きく伸ばして眠っている写真もある。
史兄さん、嵐に蹴られてる……。
微笑ましい光景に、思わず笑みが溢れる。
当代の目を通して見る風景は、そのどれもが優しい。
遠く懐かしい季節はやがて終わりを迎え、大和は静かにページを閉じた。
夏にしか会うことの叶わない人がいる。しかし、毎年会うことが出来る。それは誰もが結べる訳ではない、尊い縁だ。少なくとも、大和はそう思っている。例えそれが互いの意思とは別のところにあったとしても。
きい、と古い門扉が軋み、冷涼な空気が小さく揺れた。
大和はアルバムを仕舞うのももどかしく、それでも、と丁寧に元の位置に戻し、更に両手できちんと扉を閉めてから立ち上がった。程なく、庭へ繋がる大きな窓がカラカラと開く。
背丈は追い越されて久しく、また口こそ悪いものの山暮らしの年長者より遥かに常識人で『今年こそは暑中見舞いと残暑見舞いの時期を間違えるなよ』などと電話を寄越してくる。それでも、
「ただいま」
近所の子供のように縁側から訪問を告げるのは、相変わらずのようだ。しかも、どこか他所行き顔で。
少し硬い声にくすりと笑うと、大和は遠慮がちに開かれた窓を開け放して言った。
「おかえり、嵐」
嵐の訪れ【完】