裏窓

初版

広い雪原の中に、一つだけぽつりと小さな家が建っている。

空の少し濁った白色と、積もった雪の粉砂糖の様な純白とが絶妙なコントラストを構成している。

昨夜の大雪が嘘の様に、今朝は穏やかに静まっている。

私は小さな家の一室で、窓の近く、揺り椅子に腰かけている。虚ろな気分で本を読んでいる。
読んでいる、のだけど、大好きなライネル・マリア・リルケのお話が、今日はちっとも頭に入ってこない。
全然、情景が浮かばない。

ふと、この家と私は同じだな、と思った。

この家には私しかいない。
その家も雪原のなかで、ぽつり。

とても寂しい筈なのに、なんだかおかしくなって少し笑ってしまった。卑屈も混じっていたかもしれない。
暖炉で薪がパチパチと音を立てて、私に相槌をうった。

狭い部屋の中は、不釣り合いに大きな暖炉のお蔭で、頭がぼうっとするほど暖かい。それなのに窓の近くでこうして座っていると、冷たい外気が硝子を通して伝わって、私の頬まで届いて来て、ひんやりとして気持ちがいい。

私は本を閉じて、椅子を立った。
そうして、本を椅子の上に置いて、暖炉の傍へ置いてあったホットミルクに手を伸ばした。
けれど、カップに触れて、すぐに驚いて手を引っ込めた。
冷めない様に暖炉の傍に置いていたのだけど、カップの取っ手までがこんなに熱くなっているなんて思わなかった。

朝食の時からテーブルの上に置きっぱなされていたナプキンを使ってカップに直接触れない様にして、今度こそカップを持ち上げると、そっとテーブルの上に置いた。

まだ口を付けるのは恐ろしいので、そこへ立ったまま、窓から見える外の景色を眺めていた。

私はどうしてここにいるのだろう。
知っているけれど、知らないふり。
その方が、少しは楽な気持ちであの人を待てるから。

じゃあ、どうして私はあの人を待っているのだろう。
それは本当にわからない。
わからないのに、どうして待っているのだろう。
どうして、いつから、わからなくなってしまったのだろう…。

ちょっとした隙に、ホットミルクの表面にはいつしか薄い膜が張っていた。
恐る恐る、直にカップを持ってみたら、もう大丈夫。
取っ手を持って、カップをくるくると左右に振って、膜が揺れるさまを見ていた。

甘ったるい苦悩を抱え続けている自分が、今度は急に馬鹿みたいに思えてきて、どうでもよい気分になった。そしてまた寂しくもなった。ここ最近は、ずっとその繰り返しだ。

カップを手に持ったまま、また揺り椅子に腰かけた。
椅子の上に置いてあった、リルケの本をお尻の下に敷いている事にも、気付かずに。

すると、今いる部屋とは反対側の、玄関口の方で、ふいにガタガタと音が聴こえた。
あの人が来たのかと思って、少しドキッとしたけれど、同じ事がこれでもう今週になって三度目だから、もう騙されない。

フリッツ少年が今日もまた、こんな僻地までただ一部の新聞を届けに来たのだ。
吹雪の日にはさすがに届かない事もあるが、真面目なフリッツ少年は、よほどのことが無い限り新聞配達を怠らない。
村からは二マイルほど離れて、ぽつんと佇むこの家の為だけに、フリッツは雪深い道をせっせと歩いて、すこし遅い朝刊を届けに来るのだ。
そんな彼の口癖は「親方がうるさいんで…」だが、その親方さんは去年、吹雪の晩に肺病で亡くなっていた。

本当の親を知らず、先代の親方さんに育てられたフリッツ。亡くなった親方さんに代わって、新しく村の新聞配達支店を任された若い記者の元で、彼になつくでもなく、また反発するでもなく従い、フリッツは今も配達を続けていた。

フリッツは、どうしてこんなに真面目に、ひたむきに配達を続けるのだろう。

そう言えば先月、村に買い物に出た時に、その記者に会った。その時に私は「冬季は一週間に一度位で、まとめて届けてくださっても構わない」と話したのだが、それを聞いて彼は呆れ顔で首を横に振った。
「いえね、勝手なお話ですが、実は私もそう思いましてね。フリッツにお客様に配達の頻度、相談してこいと、そう言いつけていたのですよ。しかし、その後も毎日届けに行っている様子なので、だめだったのか?断られたのか?と、聞いたのですが、苦笑いしいしい、なんとなくはぐらかすばかりなので。まぁ、不思議に思いましたが放っておいたのです。どういう訳か、あの小僧には変に生真面目なところがございましてね。」

その時の話を思い返して、私はなんとなくフリッツが配達を続ける理由がわかった気がした。
きっと、フリッツは先代の親方さんを待っているのだ。先代の親方さんが「もういいよ」と言ってくれるのを待ち続けているのだ。

フリッツは私と似ている。

けれど、フリッツの待っている人、親方さんはもう決して戻って来ない。
私の待っている人は、ひどく気紛れだけれども、いつかやって来るかもしれない。
そして、もしかしたら私はその時に、「もういいよ」と言われるのかもしれない。

それでも、いつかやって来るかもしれない人を待って、こうして揺り椅子に座って、外の景色を眺めている。

甘いホットミルクを、すうっと口に含む。

私は幸せなのだな、と思う事にした。

裏窓

小説というよりは、長めの詞と言うイメージ。
実は、高校生の頃に自作した『裏窓』という曲のイメージをそのまま広げたもの。
それは、高校生の頃に作ったものだし、とても恥ずかしい出来ではあるものの、個人的には気に入っていた曲です。
作品のよしあしは別として、曲で出し切れなかった部分を補足できて、自己満足。

裏窓

雪原、ぽつりと建つ家、裏窓から覗くささやかな生活

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-14

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