スイソウ
初版
1.水槽
目覚めた時には、私は縁日の金魚すくいの桶を泳ぐ、一匹の金魚だった。
目覚めて数時間後には易々とすくわれて、別の水槽へと移されたけど、この水槽と言うのが本当に狭くて厭になる。
その上、私の飼主は相当いい加減な性格らしく、掃除をろくにしたことが無い。
当然、水槽は青緑の苔に覆われてしまって、もう外の景色をまともに見ることも出来ない。
だけど、もしこの苔が無くなってしまったら余計に困ってしまうのだ。
と言うのは、飼主はエサを与える事もよく忘れる。と言うより、気が向いた時にしかエサをくれない。
そういう時には仕方なく、この水槽にこびり付いた苔を啄む。
ひもじい気持ちでいっぱいになるが、一方で思い返してみれば、数十匹の兄弟たちと混ぜこぜにされて、エサを奪い合わなければならなかった桶にいた頃よりは幾分かマシかも知れない。
この水槽での暮らしで、唯一恵まれている点は孤独だという事だ。
他の金魚にぶつかる事が無いのはとても良い。
おかしな話だが、自分も同じ金魚だというのに、私は他の金魚のヌメヌメとした鱗の皮膚に触れる事がとても我慢ならなかった。
もっと言えば、他の金魚と接れた時に、自分の皮膚がヌメヌメしている事を自覚する度に、なんだか死にたくなってしまうのだ。
同じ様に、与えられたエサをパクパクと口を開いて食べようとしている他の金魚の姿を見る度に、自分も同じ様な姿でパクパクとやっているのかと思うと、やっぱり死にたくなる。
それらがこの水槽の中には無いので、まだ生き易い。
生き易いけれど、別に私は「生きたい」とは思えない。
そう考えると、「生き易い」という事は、なんて虚しい事なのだろう。
あぁ、責めて、生きづらくとも、「生きたい」と思える環境にあったならどんなにか素晴らしいだろう。
その様な瞬間がこの先一度でもあれば良いのに…。
そんな風に考えていたある日、私は屋内へ侵入してきた野良猫に襲われてしまった。
鋭い爪で切り開かれたお腹から、はらわたが流れ出たのがちらりと見えて、産まれてはじめて私は自分の身体に美しいと感じられる部分を発見した。
…のもつかの間、野良猫の追撃に抗えるはずもなく、私はズタズタに裂かれて死んでしまった。
2.水層
次に目覚めた時には、私は小さな池の上をすいすいと滑る白鳥だった。
最初に自分が白鳥だと気付いた時にはあまりにも嬉しくて、すぐにでも飛び立とうと翼を開こうとした。けれど、駄目だった。
何度かもがいてみて、やっと自分の翼が既に壊れてしまっている事に気が付くと、急に絶望の淵へ追いやられた気分だった。
仕方なく、またすいすいと池の上を滑りながら、今自分がいる池の状況を確認してみた。
どうやら、公園に作られた小さな人工池らしく、白鳥の身体には狭い池だった。私は金魚だった頃の狭い水槽を思い出さずにはいられなかった。
時折、騒がしい声がするのは、近所の団地から人間の子供たちが遊びに来るからで、これが何よりも疎ましい。
池では渡り鳥や、水面に顔を出す小さな魚達とも会うけれど、翼が折れた絶望感からか、誰とも仲良くする気にはなれない。
とてもつまらない。これなら、水槽の中で誰にも邪魔されずに悠々と泳いでいた方が幾分かはマシだった。
優雅に見えるこの翼も、使い物にならないのなら、却って自分という無様な存在の象徴にすら感じられて、卑屈な気分になる。
ある日、諦めきれず、もう一度翼を動かそうと試していたところ、普段の遊びに飽きた子供達が、私めがけて一斉に小石を投げつけてきた。
最初の数個は私をかすめて、水面に波紋を作った。
そのうち、角張った三センチ位の石が私の頭に当たって、剥がれた皮膚からどっと血が流れた。
自分達が考案した遊戯の残酷性に気が付いた子供達は、急に気まずそうな顔をして静かに立ち去った。
なおも零れ落ちる血は、池上の波紋に吸い込まれていくように薄まりながら拡がった。
痛みよりも、その赤い血の鮮やかさに私は驚いた。
滴る血は、濁りかかった水に、マーブルの様に溶けながら幾層も重なる。
水の中へ消えていくこの赤い色を、出来る事ならもっと眺めていたかった。
けれど、段々と具合が悪くなってきて、やがて首が真っ直ぐにならなくなった頃、遂に私は死んでしまった。
3.水奏
次に目覚めた時には、私は小さな水たまりに浮かぶアメンボだった。
自分が虫であることに気が付くと、私は今までにないくらいがっかりして、すぐにでも死んでしまいたくなった。
何より自分の容姿の醜さは、想像するだけでも吐き気がした。
ところが、この水たまりが最高の立地にあるという事がわかると、少し元気が湧いてきた。
どうやらここは由緒ある寺院の庭園の様で、その静寂と長閑さは今まで味わった事が無いものだった。風が吹かないひとときは、まるで時間が止まっているかと錯覚する程、透明だった。
そして、それらを極限まで強調させていたのが、水たまりからほど近くにあった水琴窟だった。
この水たまりからでは、音はか細くしか聞こえなかったけれど、この静まった環境の中で、それは却って幽玄な印象で私に響いた。
あぁ、その雫が落ちるのを聞く度に、私の醜い身体の中の小さな器官のひとつひとつが共鳴して、感動に打ち震える。
最初はそれだけで十分に満足だったのだけれど、次第にもっと近くでその水琴窟の音を聞いてみたいたいという欲望を抑えきれなくなっていた。
折しも私は成虫になっており、翅を使って移動する術を覚えていたので、住み慣れた水たまりを発って、水琴窟へ近付いて行った。
水琴窟に近付くにつれ、ささやかな興奮が身体中を廻った。
ゴツゴツとした個々の形に反して、繊細に配置された岩々の上に立つと、それが水琴窟のまさに真上の様だ。
私はその時の興奮と、消し切れていなかった自らの醜さへの嫌悪がごちゃまぜになり、半ばやけくそになって水琴窟の内部へと滑り落ちていった。
ひんやりとした水琴窟の内部は、真っ暗で殆ど何も見えない。
けれど、時折響く水音は甕の中で美しく反響して、今までにない感動を私に与えた。
そればかりでなく、雫が水面に落ちる度に、ささやかな波紋が拡がり、私の身体を直接的な感覚でも刺戟した。
そこは完全な孤独と、静寂の美しさで満たされた、私にとって最高の空間であった。
食料が殆ど得られないこの場所で、私はもうじき餓死するだろう。
この空間での至福の瞬間を少しでも深く享受しようと、その妨げになるであろう生への執着を私は容易くなげうった。
そうして満たされた気分の下で、寿命なのか餓死なのか分からないままに、やがて私は死んでいった。
4.水草
次に目覚めた時には、私は廃墟になった遊園地の噴水に、かろうじて浮かんでいるサジタリアだった。
私はぼんやりとしたまま、その廃墟を眺めていた。
どうやら閉園されてから久しいらしく、その荒廃ぶりはもはや芸術の域に達していた。
ちょうど私の前には、恐らくは開園時には多くの子供たちを楽しませただろう、壊れたメリーゴーラウンドがある。
かつて煌びやかに輝いていたと思われる装飾達は、すっかりくすんではいるが、却ってそれがアンティークの雰囲気を帯びて、一種の美しさを感じる。
また、メリーゴーラウンドの乗り物の一つである白馬の模型は、本来の位置から少し傾き、すっかり汚れた表面の色合いのひどさは、最早「白馬」という単語が皮肉に感じられる程だ。
白馬はその虚ろな瞳をこちらに向けている。
彼はどんな気持ちでこちらを眺めているのだろう、と、退屈な日々にあってはそればかりを妄想するのだ。
きっとサジタリアの私など彼の眼中にはなく、私のすぐ後ろ、この噴水のモニュメントとなっているヴィーナスに恋しているに違いない。
ヴィーナスも、彼と同様に汚れきってはいるものの、彼らはお互いの最も美しかった時分を知っているし、閉園と言う同じ悲劇を経験した彼らは、悲しみを共有し合うことが出来る。
私はと言えば、地味な水草に過ぎないし、目覚めた時には既にこの遊園地は荒廃しきっていたのだから、その悲しみを知る由もない。
私は責めて白馬の視界の中に映っていたいと思った。
そうしたところで、単なる「物」でしかない彼が、単なる「植物」である私に恋するはずはない。そもそも恋心なんて、実は私にも関係が無い。
きっとこの何もない生活の中に、何か目標の様なものが欲しかっただけなのだと思う。
そういった想いから、私は懸命にヴィーナスの方向へ葉を伸ばしていった。
実際はそうして、ただひとつの事を願い続けている状況自体を楽しんでいたのだろう。
結局、私のそうした健気な願いが届く前に、廃墟と化していたこの遊園地が正式に取り壊され、何やら新しい施設が建つ事が決まったらしい。
ある日を境に、遊園地のアトラクションや建物が次々に撤去されていった。
大きな建物から順に解体されていく。
メリーゴーラウンドが壊される日、白馬はそのままの姿でトラックに積み込まれた。
相変わらず、その虚ろな目は本当に何かをじっと見つめている様で、まったく視線の先が別方向に向いた今でも、彼の眼にはヴィーナス以外のなにものも映っていないような気がしてならなかった。
やがてヴィーナスも撤去され、私はこの時はじめて彼女の顔を正面からはっきりと見た。
ぞっとした。彼女の瞳は単に「虚ろ」以上の「完全な無」を表現しているように感じられたのだ。
彼女は白馬なんて見ていなかった。彼女は只、この遊園地の持つ「夢」の退廃だけを眺めていたのかもしれない。もしくは、遊園地が開園されていた時から、この世界そのものをその「無」に満ち満ちた眼で眺めていたのかもしれない。
あぁ、でもそんな事はもうどうでもいいのだ。
ヴィーナスが撤去され、がらんとした噴水は、屈強な重機によってあっという間に平らげられた。
溜まったままの濁った雨水が外へ流れ出た。
誰も枯れかけのサジタリアになんて目を向けない。
私は噴水の瓦礫と一緒になって引きちぎられて、死んでしまった。
5.水窓
次に目覚めた時には、私は薄氷が張った湖の中を泳ぐ小魚だった。
薄い氷を抜けて、差し込む陽光は水面近くを漂っていた私を柔らかに照らした。
小さな私の身体に比してこの湖は広大で、底の方へ目をやると、濃紺から漆黒へのグラデーションがとても美しかった。
ところどころ、少し遠くの方でチリの様に見えるのがどうやら仲間の小魚の群れらしいが、それに合流する気も起きず、ただじっと水底にまで連なる色彩の濃淡を鑑賞しながら、水中を漂っていた。
この湖はプランクトンも豊富で、エサにも困らない。
しばらくそうして静かな日々を満喫していた。
そんなある日、昼前にも拘らず夕暮れ時と錯覚するような橙色の陽射しは、薄い氷を通して湖の中を温かく照らしていた…とは言え、実際には冷たい水温が水魚の私には心地よかったのだけれど。
ところが、そのうちに、異様な物音が湖内に響きはじめ、私を含めた湖に住む全ての生物達が身を縮めた。
普段は人気の無い湖であったが、どうやら人間が二人、その薄氷の上を歩いている様だ。
彼らはゆっくりと静かに湖の中心部へと歩みを進めていた。
この湖は、冬になると表面が凍るものの、ワカサギ釣りだとかスケートだとかが出来るほどの厚さの氷が張ることは少ない。
魚の私には外の様子を窺い知る術はないが、もし人が立ち入りかねないような立地にあるとするならば、湖の周囲には当然「キケン立入禁止」の表示がある筈だ。
その中へ、立ち入るこの二人の目的は、なんだろう。
そのゆっくりとした足取りには、無謀さや無知、そういった種のイノセンスなものは感じられない。だとすると…考え付くのは「心中」だ。
私は急に胸が躍った。
するとこれまで享受していた安寧が、急に退屈なもののように感じられた。
恐らく、彼らがこの薄氷を割り破って湖に身を投じれば、これまでの静寂は失われてしまうに違いないが、そんなことはもはやどうでも良くなっていた。
キシキシと薄氷が軋んだ。
私は二人の最後の瞬間を一目見たい一心で、二人の足取りを追いながら、これまでにない勢いでスイスイと泳いだ。
軋む音が大きくなるにつれ、私以外の生物たちは湖面から遠ざかていた。
まだ湖の中心部からは程遠かったが、中心部と岸のちょうど真ん中の辺りで二人は立ち止った。
薄氷はいつ割れてもおかしくないほど軋んでいるところだった。
いよいよか、と私は息をのんだ。
なにやら呟き、確認し合う細い声が微かに薄氷の向こうから聞こえた。
さながら窓の向こうの恋人同士の会話を盗み聞いている気分だった。
ほど無くして、彼らは息を合わせて同時に足を思い切り踏み抜くと、二人の目論見通り、薄氷は一発で大きく罅割れ、穴をあけて、二人を湖の中へと誘った。
私は彼らが穴をあけた、その三メートルほど離れたところで、固く抱きしめあいながら落水した彼らを眺めていた。
落水時の泡が落ち着いてくると、その二人の顔を覗き見ることが出来るようになったが、驚いたことに、そのうちの一人はまだ少年であった。
そして目を凝らしてみて更に驚いた事には、もう一人の落水者も少年であった。
どうしてこの少年たちが心中を?そもそも果たしてこれは心中なのだろうか…等と幾ら考えても混乱した頭では妄想すら出来なかった。
ただ、一つだけ間違いないのは彼らの美しさだ。
そして、冷水に浸って凍えきり、顔を極端に歪めている状況でもなお、彼らは愛する者と「共通の死」を分かち合う幸福感に満たされている様に私には見えた。
気付けば私は羨望のまなざしで、死にゆく彼らを眺めていた。
やがて腐ってしまう彼らの姿を認めたくなかった私は、暫く彼らの姿を目に焼き付けた後、二人から離れていった。
その後湖には何の事件も起きず、大穴の開いたその付近を通った際にも、彼らを発見する事は出来なかった。いつも水面近くを漂う私であったが、深くまで潜って探してみもしたのだが、それでも結局彼らの亡骸は見つからなかった。
そして、たった一度のその衝撃的な出来事を思い出すばかりの日々を重ね、やがて私は寿命を迎えて死んでいった。
6.水葬
次に目覚めた時には、私は自室のソファで昼寝をしている少年だった。
寝惚けたままソファから起き上がり、自然と壁に立てかけられた鏡を覗いて、私は驚いた。
確かに何処かで見たことがある顔だ。
急いで「少年として」の記憶を遡った。
あぁ、確かに、この部屋の片隅には空っぽの金魚鉢がある。
そうだ、家の近所の公園にはかつて白鳥がいた池がある。
隣町にはかつて祖父と訪れた、見事な庭園を備えた古い寺院がある。
またその隣の町には、物心つく前に一度母に連れて行かれ、数年前には閉園となった遊園地がある。
そしてこの町のはずれには、冬季になると、大人たちが立ち入る事を固く禁じている湖があることも、すべて知っている。
今までに一度出会い、さして気にも留めなかったそれら幾つかの生命を、私は一つの夢の中で体験したのかも知れない。
…だとしたら、目覚める直前に見たあの小魚の夢は?
私は大人たちの言いつけを守り、その湖には近付いた事すらない。
そして私が小魚であった時に見た、あの心中相手の少年の顔には、思い当たる節は無い…。
なんだか恐ろしくもあったが、好奇心がそれを遥かに上回った。
すぐに身支度を整えると、ストーブで暖められた部屋を出た。
リビングではいつも優しい母親が、ぼんやりとテレビを眺めている。
私が外へ出て行こうとすると、母親は「何処へ行くの?」と尋ねたが、私は何も答えられず、何だか申し訳ない気持ちのまま外へ出た。
一月の、よく晴れた日だった。
自転車に飛び乗ると、急かされる様にペダルを一生懸命踏み込んで、どんどんと速度を上げて湖へと向かった。
風は冷たかったが、それが少しも気にならなかった。
やがて湖へたどり着き、近くの木陰に自転車を停めてから、湖の周辺を歩いてみた。
するとすぐ先に、自分と似た出で立ちで、薄氷の張った湖をぼんやりと眺めて佇んでいる少年を見つけた。
その少年もすぐに私に気が付くと、青ざめた顔で見つめ合った。
どちらも寒さと驚きで凍ったように固まっていたが、先に口を開いたのは彼の方だった。
「…やぁ、君だね。信じられないけど、僕らはこれから一緒に死ぬのだね。」
呆然とするほかなかった。先に口を開いた彼の勝ちだった。
自ずと、私はただ頷いていた。
彼は歩み寄り、私の手を握って少し潤んだ目で訴えかけた。
「君はどんな夢のなかで、どんな景色を見ていた?僕はね、ずっと水になって君を見ていたよ。金魚鉢の濁った水、池の水、水琴窟の水、噴水にたまった雨水、湖の水。君は僕に気が付いていた?…いや、そんなことはもう、どうでもいいんだ。ただ、僕らはずっと近くにあったって事だけだよ。そして、これからもね。」
いつしか私の目からは自然と涙がこぼれていた。
「その涙も、かつての僕だったんだよ。」
私は頷いて、そのまま俯いた。
もう涙が止まらなくなってしまった。この数粒の涙のうち、どの雫が彼だったのだろう。あるいはそのすべてが。
「さぁ、行こうか。一緒に水になろう。そうすればもう、何も悲しいことは無いんだよ。」
彼の手に引かれ、「キケン立入禁止」の看板を横目に、柵を乗り越え、湖の薄氷の上へ私たちは慎重に足を下ろした。
ゆっくりとした足取りで湖の上を歩いた。
二人で歩き出すと、もう何も怖いものは無かった。
「あとはただ、水になるだけさ。」
「そうだね。」
ある程度歩いたところで、はじめからその地点を確認していたかのように、自然と二人は立ち止った。
「せーの…」
強く薄氷を踏み込むと、脆弱な床は砕け散って、二人は湖の中へ。
水の中、やがて二人は透明な水になった。
スイソウ
京都のお寺で聞いた、水琴窟を題材にしたいという着想から無理に広げたものです。
あっけなく訪れる「死」を、出来るだけ無機質に表現しようと思って書きました。
タイトルはただの駄洒落です。