小舟

コトコトと音を立てて、僕の血管の中を小さな舟がまっすぐに往きます。
果たして、その行きつく先は僕だけが知っているのですが、僕には口が無いので誰に伝えることも出来ません。
但し「口が無い」というのは、唇・舌・歯などと言った口を構成するそれら器官が欠けているという事ではなく、喉の疾患で生まれてこのかた一度たりとも声を上げた経験が無いという事です。
それゆえに、出産の際には医者も母も、寸でのところで立会に間に合った父も、全く泣かない僕の様子を見てひどく心配をしたものです。
実際に二十歳になった現在でも声を発せられないのですから、その心配は的中したという事になります。しかし、それ以外の部分は不自由無く、自分で言うのも烏滸がましいのですが、寧ろ頭の出来は人並みよりも二つ三つ、抜きん出ていましたので、小学生のころから常に学年一の秀才という肩書を持たされました。
その障害が原因で、友人はなかなか出来ませんでしたが、お隣の家の幼馴染、一郎君は僕の事情を昔から理解してくれていましたし、そして何より彼自身も無口であった為に、お互いに本を貸し借りしたり、詩作をしたり、キャッチボールをしたりと、会話が無くても成立し得る幾つかの遊びに進んで付き合ってもらえました。
一郎君は僕といる時は一切何も話さない事も多々あって、彼といる時は自分の障害に係る卑屈さを忘れ、心置きなくいれたのでした。
そのように、障害による苦労が無いとは言えないものの、特に大きな疎外感や劣等感を持たぬまま、僕はやがて高校卒業を迎えました。
一郎君は関西の大学へ進学する事となり、僕は県下において最も権威のある国立大学への進学が決まりました。
本当は東京の大学が志望校で、試験にも合格してはいたものの、一人暮らしを心配する両親の強い反対から、地元大学に通う事になりました。
一郎君とは今でも時折手紙を交わしているのですが、彼もなかなか忙しいらしく、徐々にその頻度は減ってきています。
唯一無二の友人との付き合いが減った僕は、これまで以上に時間を持て余す様になりました。大学の講義も退屈で、非常に無気力な生活が積み重なりました。
そんなある日の事、半年に一度の頻度で、定期的に僕の喉の検査を担当していた医師から、ある相談を持ちかけられました。
何でも僕の喉の疾患は、実は生来の物ではなく、出産時に何らかのばい菌が影響して喉の器官が縮んでしまった事が要因らしいのです。それを回復させ、リハビリテーションを辛抱強く続ければいつか声を発せられるかも知れないとの事でした。
医師が急にその様な話を持ちかけたきっかけは、同様の症例で発声障害を持っていた英国の少年が、薬物投与とリハビリテーションの成果で、僅かながら声を取り戻したとの医学ニュースでした。
そしてその医師の相談と言うのは、世界でも二例目、日本では初の試みとはなるが、その治療法を試してみないかというものでした。僕は疑い半分ではありましたが、淡い期待を持ってこの相談を検討する事にしました。この話はすぐに両親の耳にも入り、まだ治療を始める前にもかかわらず、彼らはよかったねぇよかったねぇと手放しにこの報せを喜びました。そんな両親の様子を見て、懐疑的であった僕も、この治療を受ける事それ自体が、もしかしたらせめてもの親孝行になるかも知れないと考えるようになりました。その考えから、これから待ち受けるリハビリテーションへ、真剣に立ち向かう決意を固めました。
しかしながら残酷な事に、毎日欠かさず投薬とリハビリテーションを重ねた半年後に、僕は唯一の取り柄であった優秀な頭脳をも失う事になってしまったのです。
臨床実験が不十分だったその薬品に、強い副作用がある事が、半年後になって漸く判明したのです。時既に遅し、例の英国の少年に至っては二年にわたる投薬の影響から、脳に深刻な障害を負ったとの事でした。医師たちは僕にその事実を隠していましたが、自ら調べたところによると、少年は最後には自失状態のまま、自ら喉を剃刀で掻き切り、自殺してしまったのでした。
僕は半年で投薬を止めたものの、徐々に自分の精神状態に異変を感じ始めていました。
病院からは一生それだけで暮らしていけるだけの補償金をもらう事が出来ましたし、例の担当医も元々は善意での提案だったでしょうから、何を恨むという訳ではありません。ただ、自己の唯一のアイデンティティであったこの頭脳が蝕まれた事から、生きる気力を殆ど失くしてしまいました。
薬品の副作用の症状として、最近特に顕著に表れ始めているのは幻覚・幻聴、そして記憶力の極端な喪失です。
今でも大学の講義テキストの内容を理解する事は可能ですが、読んだ数時間後にはその内容を殆ど全て忘れてしまいます。但し、新しい情報をインプットする事は出来なくなったものの、症状以前の記憶については影響が少ない様です。
そういった事情から、大学で新たな事を学ぶ気力も理由も無くなり、症状が出始めた最初のうちは、ただひたすら自宅で読書や詩作をして、ぼんやりと日々を過ごしました。
読書に関しては、一度読んでもすぐ忘れてしまうので、却って何度もお気に入りの本を繰り返し楽しむ事が出来るという利点もあります。但しその楽しみは短編に限られていて、中長編になると途中の段階でそれまでの筋を覚えきれなくなってしまう為、とてもまともには読めませんでした。
詩作に関しても、記憶力はそれ程求められない分野かと思われたのですが、記憶力の欠如から、自分が同じ様な内容の詩作を繰り返している事に気が付くと、自らの発想の狭さを思い知らされるばかりとなり、その情熱は一気になくなってしまいました。
そうして、生きる上での楽しみが減っていく中で、新たに見つけた趣味の様なものが一つだけあります。それは、副作用で起こる幻覚・幻聴を、それをそれと認識した上で鑑賞する、というものです。幻覚鑑賞とでも申しましょうか…。
当初は悩まされるばかりであったそれらの事象も、割り切ってしまえば一種のアトラクションとして捉えられるのではと、最近では開き直って考えられるようになりました。
それでも時には不快でどうしようもない幻覚もありますが、無秩序に現れるそれらは、必ずしも僕の敵とは限らず、「眼中の内なるスクリーンに投影されたシュールレアリスム映画」であると自らに言い聞かせ、いっそ楽しむよう心掛けたのです。
今現在も、僕の血管の川に浮かぶ小さな舟は、いつ転覆するとも知れない、不安定かつドラマティックな航海を続けています。
また、部屋の隅にある本棚の中段では、ウサギの頭にカメの身体を持った奇妙な生物がその場で体全体をよじってくるくると回転しながら、僕のまばたき毎に消えたり現れたりを繰り返しています。
絨毯はいつの間にかところどころ墨汁で作った大きなシミの様なものが浮かび上がっており、それらは単なる柄ではなくぽっかりあいた底なしの穴になっています。それらの穴から、誰かを呼ぶ声が微かに聴こえている気がします。
ふと壁に掛かった時計に目をやれば、刃のように鋭い針が九十九時マイナス二十六分を指していました。
もうそろそろ舟が目的地に到着する筈でしたが、どうやら荒波の影響で、予定時刻より一時間は到着が遅れる見込みです。
ふと床に転がっていたスチールウールで出来た固まりを、壁掛けの奇妙に歪んだ時計目がけて投げて、この世界の時間を止めてやりたい衝動に駆られました。
しかし、そこで僕の理性がしっかり働くのです。僕はこれらを幻覚であると認識しているのですから、それらに物理的に働きかける事で、現実において何らかの悪影響が起き得る事を十分理解していました。
幻覚鑑賞で肝心な事は、ただじっと堪えてそれらの様子を眺め、あくまで鑑賞に徹するする事です。
ところで、その奇妙な時計に気を取られている内に、いつの間にか小舟は勢いのある血の流れに飲み込まれかけています。僕はその小舟の運命の行く末に興奮していましたが、やはりそれは幻覚なのだからと、どこか一方では冷めているのでした。
…どこからか母の呼ぶ声がします。
それは天井の隅にある黒い拡声器から聞こえたようでしたが、もちろん部屋に拡声器なんてものは本来ありません。拡声器は幻覚に間違いないのですが、もしその声が幻聴でないとすれば本当は一階の食卓から聞こえているに違いありません。
僕は腰かけていた椅子から立ちがると、一応は床に開いた幻覚の穴を踏まない様に避けながら、階下へ向かう事にしました。恐らく夕食の準備が整ったのでしょう。そう言えばお味噌汁の良い匂いがしている気がします。
もしかしたら母の声は幻聴なのかもしれませんし、この匂いもニセモノかもしれません。
それでもとにかく、僕はこの部屋を出て、一階の食卓へ向かう事にしました。
両親には幻覚・幻聴の話は殆ど伝えていません。声を出せないので、一々筆記するにはあまりに多くの、そして文字では簡単には表現し難い様々な種類の幻覚が現れるという理由もありますが、なにより両親に余計な心配をかけたくないというのが第一です。
廊下では顔の無いコウモリが無数に天井からぶら下がっており、大層気味が悪かったのですが、それも両親に気付かれまいと、何事もない風で階段を降りて行きました。
食卓に入ると、硝子で出来た大きな三角柱の形をしたものが椅子の上に二つ置かれています。両親が幻覚に取って代わられたのはこれが初めてでしたが、それら二つの三角柱がどうやら僕の両親の様です。
僕はあくまで冷静でなくてはなりません。声を出してそれらが両親であるかどうかを確かめる事も出来ないので、とにかく何事も無かったように自分がいつも座っている席へ座りました。
食卓に並んでいる料理には幻覚は現れず、焼き魚と白いご飯と豆腐のお味噌汁だったので、その点は安堵しました。
ふたつの三角柱から「いただきます」と言ういつも聞きなれた両親の声がしましたので、僕はまたひとつ安堵して、「いただきます」と言う代わりに手を合わせると、お箸を手に取り、無事に夕食を戴きました。
いつになく両親は饒舌に語り合っていましたが、そのうちのどこまでが本当の会話で、どこからが幻聴なのかは分かりません。少なくとも父の声色で語られていた宗教論は幻聴の様です。それは無学な父に似つかわしくない内容だった上に、僕の思想とぴったり合致していたものですから。
食事を終えると、また「ごちそうさま」と言う代わりに手を合わせ、小さくお辞儀をしました。
席を立とうとした時に、足首に七色の細い紐が絡みついてきている事に気が付きましたが、これも当然幻覚であろうと考え、これを気にせずに二階の自室へ向かいました。
思った通り、それは幻覚だったので歩きにくい事は無かったのですが、自室まで伸びて追従してきたので、あまりに鬱陶しく感じ、つい自室の前で足から振り払う様な仕草をしてしまいました。
誰にも見られていなかったとは言え、自らの理性を裏切る行動に反省しながら、猶更絡まってくるその七色の紐と共に自室へ入りました。
部屋の電気は付けっぱなしでした。
そうかと思って見上げれば、蛍光灯はまん丸い月でした。それは真っ白い光を放って部屋の中を明るく照らしています。
僕の色白の皮膚はその光に照らされて、つやつやと白んでいます。着ている白シャツよりも、肌の方が白いのではないかと見紛うほどでした。
何故だか僕を照らしているこの月が、どうにも我慢出来なくなってきました。まるで僕の不健康さを、その色の白さを皮肉るために、いたずらに白さを強調している様に感じたからかも知れません。
実際、どんな些細な事象がきっかけになるのかわからないもので、その時になって遂に僕の理性はついに決壊しました。
地面に落ちていたゴツゴツした石…の幻覚を見せていた、机の上に置かれていたマグカップを取り上げると、力いっぱい月へ向かって投げつけました。
手弱女のそれの様に、甲高い悲鳴をあげながら、白い月は粉々に壊れてしまいました。その破片が僕にも降り注ごうとしたので、僕は咄嗟に顔をそむけて後ろによろめきました。
部屋のドアは開いたままだったので、そのままドスンとかなり大きな音を立てて廊下へしりもちをつきました。
その衝撃もあってか、遂に小舟は転覆し、血の激流の中へ姿を消しました。
廊下の灯りが点いていたので、部屋の蛍光灯が割れてしまった後も室内は薄明るく照らされています。
しりもちの鈍い痛みで、ようやく僕は理性を取り戻し、粉々に砕け散った蛍光灯の残骸そのものを見て、冷や汗を流しました。いよいよ、両親に言い訳の付け難い事態を引き起こしてしまったのです。
僕は慌てて身体を起こしましたが、両親がここに駆けつけるまでにこの事態を収拾する事は不可能とみて、どの様に自分の状況を伝えるべきかと、思案を巡らせました。
しかし、一向に考えは纏まりません。
いつ両親が階段をのぼって来る足音が聞こえるか…と、ハラハラしながら、びっしょり濡れた手の汗をシャツで拭っていました。しかし、その足音は一向に聞こえる気配もありません。
暫くすると、その足音が響く事をどこか待ち望んでいる自分に気が付きました。もしもこの一連の物音ですら幻聴であるとすれば、その割れた蛍光灯もすべて幻覚であるとすれば、もう僕の症状は現実と幻との見分けがまったく認められない域にまで達してしまった事を意味します。
しびれを切らした僕は勇気を出して階段を降りていく事にしました。先程ぶら下がっていた気味の悪いコウモリたちは、当然跡形もなく消え失せています。
ゆっくりと確かめるような足取りで一階へ辿り着くと、すぐ左に食卓があります。焦燥と不安とで身体中が硬くなっていましたが、恐る恐る食卓のほうを覗き込みました。
先ほど硝子の三角柱が置かれていた一方の椅子の上には、見覚えの無い老女が折れ曲がった腰をさすりながら、こちらを向きました。もう一方の椅子の上には、何もありません。
老女はひどくこもった声でボソボソと何かを言ったようですが、聞き取れませんでした。と言うよりは、僕が聞き取ろうとしなかったと言った方が、正直な表現かも知れません。
より一層混乱して、僕は底なしに恐ろしくなって、急いで振り返り、その場から逃げる様にまた階段を駆け上がりました。
部屋に戻ると、やはりすべての幻覚はきれいに消え去って、割れた蛍光灯や、破片になったマグカップが床に散らばっています。
先ず目に留まったのは机の上にある一郎君からの手紙でした。恐る恐るその手紙を見てみれば、その消印は四十年前の今日となっており、一郎君から届いた最後の手紙である事が思い出されました。中身は読む気にもなりません。
また、その手紙を持っている僕の右手が、先程月に照らされていた時とはまるで違う、濁った土気色になっている事が、廊下から入り込む僅かな明かりだけでもはっきりとわかります。
机の引き出しを開けて、そこにある手鏡を取ろうとしましたが、溜息をひとつついて、結局そのまま引き出しを閉めました。
そうして、敷きっぱなしの布団の上にまで飛び散っていた蛍光灯の破片を、軽く手で払うと、そのまま布団に潜り込みました。
生地の傷んだ布団の肌触りは、いつもながら最低です。
次に目覚めた時には、もう少し素敵な幻覚が見られるといいのですが…。

目を閉じてまどろみ始めると、転覆したはずの舟がいつのまにかまた現れて、僕の血管の中をコトコトと出航するのでした。

小舟

無理やりオチをつけた感じはしますが、オチていますでしょうか。
題にあげた「小舟」というのは主人公の狂気の浮き沈みを表しています。小舟の出現は幻の出現、その沈没が沈静化、覚醒を表しています。

小舟

幻覚と航海する男のモノローグ

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-14

Copyrighted
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