Grafted tree

Grafted tree

家族はどうやって、家族になって行くのだろう? 
血のつながらない男女の生み出した生命は、日々を繰り返し、平凡な歴史を重ねて、かけがえのない人に成長する。
夫婦とは?親子とは? 
そんな事を考える時に、こんな答えが有るのかもしれない。

空に昇る虹

             
「おとうさん。早く行こうよ。」
紺のブレザーにチェックのスカートといういでたちの明日香がもどかしそうに声をかける。
「そんなに急がなくても、式は九時からだろう。」
明日香の気持ちは良く分かる。数日前に買ったブレザーとスカートという姿を、友達に早く見せたいのだ。小学校六年生の娘にしてみれば、友達とおしゃべりして過す時間は、どんなに多くても多すぎることは無いのだろう。
それに先日この服を買った時に
「高校生ですか?」
と店員に言われた話も、服と一緒に披露したいのだろう。

僕はネクタイにスーツというあまり慣れていない格好で、なんだか落ち着かない気分だ。まして娘の小学校の卒業式では、どんな顔をして出席すればよいのか、戸惑っている。
朝方まで続いていた雨も上がり、式に相応しい青空が見えている。こんな朝にはきっと、来賓の祝辞でもそんな話が出るんだろうな、と想像が出来てしまうような好天だ。
「昨夜の雨で桜の花も散っちゃったね。」
「まだまだつぼみの方が多いから、これからもっと咲くよ。」
そんな会話をしながら、明日香と学校への道を歩く。
同級生と比べて大柄な明日香は、本当に高校生と言ってもおかしくないくらいに身長も伸びて、後ろから見ると小学生とは思えないようだ。つい先日、背中からはみ出すくらいの大きさのランドセルを背負って、入学したはずだったが、いつのまにか妻と並んでも、あまり変わらないくらいに成長した。
仕草や言葉遣いもすっかり妻に似てきて、高校生になった兄や僕の世話を焼くようにもなった。そういえば、パパからおとうさんに呼び方も変わったし、以前は兄や僕と一緒にお風呂にも入ったのに、ここ数年はそんなことも無くなって来ている。
まるで、娘を持った父親の典型的な姿だ、などと思いながら、僕は明日香の後を追う。

「今日はおとうさんがきちんと、父兄席に座っててくれなきゃいけないんだからね。」
先日から何度も念を押していることを、改めて繰り返す。
「判ってるよ。おかあさんは別行動でイベント参加なんだから、だろう。」
入学式や運動会では、小学校に行ったことはあるが、いつも妻と一緒だったし、ビデオカメラを抱えている役目だったから、卒業式で父兄席に座ることになるとは思っていなかった。
最近では授業参観にも父親が来ることが、珍しく無くなっているらしいけれど、僕の場合は、学校の事は妻に任せっぱなしだった。 それがここに来て、妻から
「私は合唱に参加するから、父兄席はおとうさんよろしくね。」
と言われて、困ってしまったのだ。

小学校の卒業式と言えば、一人一人名前を呼ばれて、校長先生から卒業証書を受け取るシーンしか思い浮かばないが、明日香の通う小学校では式が二部構成になっているのだそうだ。
第一部は証書授与で、第二部がメモリアルイベントなんだと、明日香が得意そうに説明してくれた。卒業生と在校生が向かい合って座り、呼びかけをしたり、合唱をしたりして、思い出を深めるのだそうだ。
それに今年は、父兄と先生の有志も合唱曲を歌って加わるという話で、妻はそちらの合唱団に参加することになっている。

第一部では、卒業生ひとりひとりが、卒業証書を受け取った後に、花を持って父兄席に向かい、証書と花を親に渡して、卒業しましたと報告するという趣旨で式が進む。この花を受け取る役を僕が任されたのだ。
もちろん母親が一人で参加して、第一部で花を受け取った後に、第二部の合唱に参加するという人もいるらしい。最初は我が家でも、そうしようと僕が提案したのだが、妻に反対された。
「二人で行くんだから、おとうさんが座っていてよ。一部と二部の間に移動して準備するんじゃ、慌ただしいから。」
「でも、ビデオの撮影はどうするんだい?せっかくの卒業式だし、君だって歌うのに。」
「大丈夫よ。父兄席が一番良い席だから、座ったままで撮れるわ。証書をもらうところなんか、長々と撮っても、どうせ見ないんだから、第二部をきちんと撮れればいいじゃない。」
ということで、花を受け取る役にされてしまったのだ。
明日香からは
「おとうさん。明日香が花を渡すときに、泣かないでね。」
とからかわれた。
「去年、どこかのお父さんは、感激して涙ボロボロこぼしてたって、みんなが後で噂してたんだから。」
そこまで言われると、逆に僕も、涙の一粒くらいは浮かべないといけないようにも思ってしまう。
「じゃあ、明日香の新しいブレザーに染みを付けないように、大きなハンカチを用意しなきゃ。」
と言ったら、明日香は鼻の頭に皺を寄せて舌を出して見せた。

「父兄って言っても、お父さんやお兄さんなんて一人も居ないんじゃない。」
と明日香が言うのも無理も無い。父兄とは言っても、ご近所のママさんコーラスのグループが主体になって出来た合唱団だ。
ママさんコーラスの選曲の話し合いの中で、今度歌うことになった曲が卒業の歌なので、これを卒業式で歌いたいね、と言う話が出た。
たまたまママさんコーラスのメンバーの中に、明日香の小学校の先生が入っていたので、それじゃ父兄の有志という形で参加したら、という事になり、今回のイベント参加になったのだそうだ。
僕も高校時代には、ちょっとだけ合唱を経験したことがあったので、妻から
「あなたも一緒に歌ってみる?」
と冗談半分で言われたが、女声コーラス用の譜面だし、男声が一人だけ入っても困るだろうから、と言って、辞退させてもらった。
本来のコーラスのメンバーが二十人程で、有志として参加したお母さんや先生が十数人程いるという話なので、それなりの合唱にはなるのかなと、期待している。
ピアノの伴奏は、明日香の去年の担任の金井先生がやって、指揮は合唱団の指導をしている埴原先生がやるんだよ、という話も明日香から何度も聞かされている。

「空に昇る虹」というその曲は、親の立場で子供の成長を願って、虹のように空に向かって伸びて欲しいという内容のバラードだった。
どこかのアマチュアバンドの自主制作のCDに入っていた曲を、ママさんコーラスのメンバーで合唱曲にアレンジしたものだそうだ。何度も聞かされているし、楽譜も見たので、僕もなんとなく歌える程度には覚えている。

大きく息をしよう
足元の大地踏みしめよう
空に昇る虹のように
願うは君の未来

なんとなく鼻歌を歌っていると、明日香が僕に合わせるようにハモって来る。
「聴きなれたせいかな。結構良い歌だよね。」
「素直なメロディーラインだからだろうね。」
そんな会話をしながら、僕にじゃれるように腕に絡みつく明日香は、ちょっとした恋人気分のような雰囲気も漂わせている。
もう少ししたら、僕ではなくボーイフレンドとこんな風に歩くようになるんだろうと思うと、父親の特権も今だけなんだとしみじみ感じる。
突然、明日香が西の空を指差す。
「おとうさん。ほら、虹が見えるよ。」
「えっ、どこに?」
そう言って指差す方を見上げた僕を、くすくすと笑う。
「引っ掛かった。嘘ですよ。」
「こら。そうやって親をからかって。」
そんなふざけた話をしながら学校に向かう。僕らの見上げた空には、親の願いや娘の希望を象徴するかの様な、一直線に空に向かう飛行機雲と、明日香の指差した幻の虹とが、架かっていた。

桜の咲く頃には


 高速を降りてしばらく走り右折車線に入り、後部座席の妻に声をかける。
「この大通りをまっすぐ行けば、左側に大学が見えてくるよ。」
「結構早く着いたわね。首都高も混まなかったし。」
助手席の息子は、流れる街並みを眺めている。荷物を満載した車は、二車線の通りを信号に引っ掛かりながら進み、やがてお目当ての信号にたどり着く。大通りから左折して次の角まで進むと、桜並木の隙間からいくつかの建物が見えてくる。
「あの辺りじゃないかな。ちょっと訊いてみよう。」
進入路には車止めが有り、警備関係らしい制服のおじさんが立っている。
「すみません。今日寮に入る新入生なんですが、車はどこか駐められますか?」
すでに大きな荷物を抱えて歩いている人や、ハンドルに大きな袋を提げて走る自転車なんかで、賑わっているのが見えている。
建物の裏の駐車場への入り口を教わり、駐車場の隅に車を停めて、エンジンを切り、大きく背伸びをした。トリップメーターは二百キロをちょっと越えている。
「着いたぞ。さて今日中に全部片付けなきゃならないからな。頑張ろう。」

 一浪していた息子の恭一が、この春の再度のチャレンジで、目標の大学に合格した。浪人中も自宅から予備校に通っていた息子にとっては、初めての一人暮らしだ。最初からアパートなんかに入るよりはと、大学の寮への入居を希望し、許可がおりて、今日が入寮の指定日なのだ。
 朝早く自宅を出た僕達は、予定通り受付の指定時間の少し前には、目的地に到着した。入寮日が指定されているのは、受け入れる側の都合や、それまで入っていた人の退寮の予定も有るのだろう。新入生の大半がここに集まっている様子で、受付にも列が出来ている。そして新入生を待ち受ける先輩達。いろいろな業者やらサークルの勧誘やら、混沌とした市場のようだ。
 受付で書類を提出し、部屋の鍵をもらって、三人で部屋に向う。恭一の入る学部の先輩という人が、部屋まで案内してくれる。すでに隣の部屋では、新入生の母親らしい人が、箒で部屋の掃除をしているところだった。
「この部屋は先月まで僕が住んでいた部屋なんですよ。カーテンとかはつけたままですから、よかったらそのまま使ってください。何か解らないことがあったら、さっきの受付のところにいる、学部の揃いの法被を着た人間に、声をかけてくださいね。」
そう告げると、先輩は僕達三人を残して、また受付の方に戻っていった。

 寮の部屋は予想通りの狭さだった。六畳相当の広さのはずだが、その中にベッドと机と椅子、それに洗面台がすでに組み込まれている。土足の廊下から入って、靴を脱ぐスペースまで含めての広さなのだ。入寮が決まってから、インターネットで寮の情報を読んでいたのだが、そこに書いてあった事が、誇張した話では無かったと実感する。
「こんなところで、寝起きして炊事なんかも出来るのかしら?」
「まあ、広すぎるよりは楽だろう。掃除も簡単だし、住めば都だよ。」
そんな話をしながら、すぐに作業にかかる。持ってきた掃除機をかけ、部屋のサイズを測り、殺虫剤を炊いてから買い物に出かける。電器屋に寄って冷蔵庫と電子レンジを買う。今日の夕方には配達してくれるそうだ。ホームセンターでカーペットや玄関マット、カラーボックス、多目的棚なんかを買い込む。
妻は前もって買って置かなかったことが、不満そうだ。
「だって、こんな部屋じゃ、六畳用のカーペットなんか広げられないし、棚だって置き場を決めてからじゃなきゃ、入らないだろう。」
そんな話は何度もしてあったのに、まだ不満そうな顔をする。
 床にカーペットを敷き、ベッドの位置を決めたところで、二手に別れる事にした。妻と息子は自転車を買いに行き、ついでに食料も買ってくる。僕は部屋に残って、多目的棚を組み立てることになった。

 一人で棚を組み立てながら、さまざまな事が頭に浮かぶ。こうして息子が一人暮らしする部屋を整えてやって、四年間が過ぎても、その先息子が家に戻って来るとは思えない。 どこかに就職すれば、そこで家庭を持つか、転勤族として転々とするか、いずれにしても故郷に帰れる可能性は低いだろう。いくつも巣を作っては壊し、もっと大きい自分に合った住処を作って、一人前に成って行くのだろう。その最初の一歩なのだ。
今日が来る前に、もっといろんな事を、教えてやりたかった。せめてもっと話もしたかった。酒の飲み方や飲まされ方、金の無い時の飯を食う方法、いろんな事を伝えておけば良かったと、こんな時になって思ってしまう。 
でも、僕もそういう親父のアドバイスは話だけ聞いて、実際には、自分自身でいろいろな失敗を重ねながら、身に付けていったのだと思い返す。そうやって子供は親から離れていくものなのだと、しみじみ思う。
 外では、桜の下にシートを敷いて、花見の支度をしている一群も見える。新入生歓迎の準備だろうか。恭一もこうやって学生生活を身に付けて行くのだろう。来年の今頃には、先輩面して寮の案内でもしているのかもしれない。僕もそうだったから、想像が付いてしまう。

 棚を組み立て終わった頃に、二人が帰ってくる。コンビニのおにぎりとお茶で昼食だ。三人で狭い床に座り、おにぎりを頬張る。妻がつぶやく。
「おにぎりくらい、家で作って来れば良かった。」
この次、息子におにぎりを作ってやるのは、いつになるのか、遠い先の事を考えて居るのかも知れない。
 一息ついた後は、車と部屋を往復して、荷物を運ぶ。衣装ケースとダンボールが三つほどの、少ない荷物だ。荷物を広げて片付けていると、電器屋が冷蔵庫とレンジを配達に来る。一人暮らし用の冷蔵庫、この先どんな物が詰め込まれるのだろう。本当に自分で自炊出来るのだろうかと、ちょっと不安にもなる。
ベッドに布団を広げたり、洗面台の蛇口に浄水器を取り付けたり、ランケーブルをノートパソコンにつないだりと、細々した事を片付けると、もう夕方になってしまった。いつまで経っても、まだあれもしたい、これもしたい、あれが無かった、これも買わなきゃ、などと、きりが無い。
一通り片付いたところで、残りは後日、恭一が自分でやるという事にして、夕食を食べに行く事にした。車で通りを走って見るが、どこの店が良いかも判らず、近くのファミレスに入る。

 妻は食事の間も、布団が寒いかも知れないとか、ご飯を炊く時はとか、細々したことを、恭一に言っている。
「大丈夫だよ。恭一ももう子供じゃないんだから。自分で何とかするさ。」
思わず僕は、そう口を挟む。本当は僕だって、あれこれと言っておきたい事は、山のように有る。でも、今日いろんな事を言っても、もう明日からは何かしてやることは出来ないんだ。そんな思いが、僕を寡黙にさせる。
同じ思いを胸にしても、妻と僕のやっている事が正反対なのも、なんだか可笑しい。
 ファミレスを出て寮の前まで車を走らせる。ここで車を降りて部屋まで行っても同じ事なので、今朝車止めが有った辺りで、恭一を車から降ろす。
元気でやれ。何かあったら電話しろ。休みには帰って来い。そんなありきたりの言葉をかけて、恭一が寮に入って行く後姿を見送り、ゆっくりと車を走り出させる。

 帰りの高速では、二人とも同じ思いだったのだろう。ぽつりぽつりと会話も途切れがちになる。所在無げに遊んでいる僕の左手に手を重ね、妻が言う。
「こんなにがっくり来るなんて、思わなかったけど、やっぱり淋しいわね。」
「そうだね。解っていても、実際にその場になると、違うものだね。」
「桜並木が綺麗だった。散っていく花びらが、風の中で踊ってるみたいで。花が散っていく時、桜の樹は何を思ってるのかしらね。」
「お疲れ様。ありがとうかな。」
「じゃあ、タンポポが綿毛を飛ばす時には?」
妻が何を言いたいのかは、十分解っていた。いままでひとつの根から栄養を摂り、きれいに咲かせた花が種となって、大空へと飛び立って行く時なのだ。それに何と答えれば良いのだろう?
「やっぱり、ありがとうかな。元気でやれよ、どこかで根を張って、大きくなれよ、かな。」
「そうよね。やっぱり。」
そう言った妻の声はかすかに震え、言葉が続かない。
僕もまた、僕の思いに沈みこむ。そう言えば、僕が大学進学で家を離れた時も、両親がこうして送ってくれた。
あの時の僕には、自分の明日からの暮らししか見えなかった。あの時解らなかった親の気持ちが、今こうしてしみじみと感じさせられる。
僕は、作った様にわざと明るく声をかける。
「さあ、急いで帰らなきゃ。家で明日香とおばあちゃんが待ってるよ。恭一の住処の話を聞きたがるだろう。」
 車の中には、カーステレオのCDから、サイモン&ガーファンクルが静かに流れていた。

梅雨が明けたら

             
 夕飯が済むと、何も言わずに妻が席を立つ。車のキーを取り、バッグを持ち、玄関に向う。僕も、自分のバッグを抱え、妻に続く。娘の明日香も、駅まで付いて行くつもりなのだろう。立ち上がって携帯を手にしている。
大きめの僕のバッグの中には、一週間分の着替えと読みかけの文庫本が入っているだけだ。もうこんな週末の繰返しも二ヶ月になる。

 この春の異動で、職場が変わった僕は、東京の支社で営業技術の担当になった。いままでは工場の中で、ライン技術や製品の品質管理なんかに関わってきたのだが、そろそろそちらは後輩に任せて、お客様の相手をする仕事をしなさい、と言う事らしい。
そしてお決まりの単身赴任だ。仕事自体には興味も有るし、嫌いではないのだが、家族を置いての東京暮らしは厳しいものがある。まして、留守宅は妻と娘の女二人の世帯になってしまうのだから、心配もある。息子の恭一は大学生で一人暮らし。僕が単身赴任と、家族が三か所に別れて暮らしている。
「おとうさん。ちゃんとご飯食べてる?」
明日香が、後部座席から訊ねる。
「大丈夫だよ。冷蔵庫の中に食料も入ってるし、近所にコンビニも有るし。」
「なんだか、コンビニ弁当ばっかりで、過ごしていそうね。」
「そんなこと無いよ。ちゃんと栄養に気を使って、自炊もしてるよ。」
「そうよね。昔からお料理とか、したものね。」
「まあ、仕事が遅くなったりすると、どうしても面倒になるけどね。」
「家だって、お父さんが居なくて、二人っきりだから、スーパーのお惣菜が多いわよ。」
「仕方ないじゃない。二人分なんて作る方が面倒だし、高く付くわよ。」
妻が割って入る。
「それに最近は、誰かさんの帰りも遅いしね。」
なにやら、僕に言いつけたいことがある様子だ。妻がそんな事を言い出し、娘があわてた顔をする。
「どうしたんだ?」
「高校生活を満喫してるのよ。優しいボーイフレンドも出来て。」
「それで帰宅時間も遅くなってるのか。」
「違うわよ。遅くなるのは部活だから。彼氏と遊んでる訳じゃないわ。」
「でも、優しい彼氏でね。毎日回り道して、明日香を送ってきてくれるのよ。」
「同じ部活なのか?」
「そう。ひとつ上の先輩だって。」
「そうか。先輩としての責任か、男としてなのか。送ってくれるんならいいじゃないか。こんどお父さんにも、紹介してくれよ。」
中学に入って、吹奏楽部に入った娘は、高校でも吹奏楽を続けている。
「そのうちね。」
「お父さん、あわてないの?明日香に彼氏が出来て。」
妻が僕をちゃかすように言う。
「もう高校生なんだから、彼氏の一人や二人、居てもおかしくないだろう。もう十年もすれば、孫の顔が見られるかもしれないじゃないか。良い歳になっても、彼氏が出来ないよりは良いだろう。」
「そうそう、一人や二人。二人は居ませんけどね。」
「それより、来週の日曜は何の日か覚えてる?」
娘が話題を切り替えるように言う。
「もちろん。結婚記念日だろう。」
「ほらね。きっとお父さんは覚えてるって、言ったでしょう。」
妻が娘に自慢げに言う。
「じゃあ、来年の六月十四日は?」
「来年?結婚記念日じゃなくて?」
「ほら。そこまでは気が付かないんだ。実は・・・銀婚式でした。お兄ちゃんとも相談してるんだよ。お父さん達になにかお祝いしようって。」
「何言ってるんだか、まだすねかじりなのに。そういうのは金婚式くらいになってからだろう。」
そんな笑い話をしながら、駅前で車を降りる。もう乗りなれた高速バスがいつもの場所に停車している。

バスに乗り、席に落ち着いて窓の外を眺めながら、僕はふと昔のあれこれを思い起こす。
良い子供たちに育ってくれたものだ。もう息子はひとり立ちしたようなものだし、娘も進学でもすれば、家を離れてどこかに行ってしまうかも知れない。彼氏が居るとは言っても、まだ高校生同士なら結婚まではどうかと思うが、本当にもう何年かすれば、孫でも出来るかもしれない。僕たちの家族も新しい形に変って行くのだろう。
何時かは子供たちに、あの話をしなければいけないのだろう。でも、そんな事を話さなくても良いのかも知れない。未だに迷っている秘密がある。

学生時代の僕には、北島という親友が居た。山登りもすれば、バイクにも乗るという豪快な男で、妻の芙美子を僕に紹介してくれたのも彼だ。本当は、彼と妻の妹の美香子が先に付き合っていて、その姉を僕に引き合わせたのだ。
僕と芙美子は順調に交際を続け、そのまま二年後に結婚した。妻が望んだので、ジューンブライドだった。北島は、梅雨時にやるなんて日本人には向かないと、文句を付けたが、芙美子と美香子の共闘にはかなわなかった。そしてその翌年には、北島と美香子が僕らと同じように梅雨時の式を挙げる予定になっていた。
しかしその式の二月前に、北島はバイクの事故で帰らぬ人となった。妻も美香子もショックは大きかったし、僕も妻たち姉妹を通じて、義理の兄弟になるはずの親友の死は、とても堪えられないような大きな痛手だった。
あっけなく逝ってしまった北島だったが、彼は美香子の中に、小さな命をひとつ残してくれた。あの頃の事だったから、シングルマザーになって生きるという道は、あまり一般的ではなかったし、かなり本人も周りの人間も悩んだが、結局は姉妹の間で約束が出来た。
生まれてくる子供は、僕と芙美子の子供として、籍を入れ、育てるということになった。もちろん僕にも異論は無かった。
そうして授かった男の子に、僕らは恭一と名前を付けた。美香子は恭一を僕らに託すと、東京で一人暮らしを始めた。そして三十歳過ぎまでキャリアウーマンとして働いていたが、良い相手と出会い結婚した。今では数年に一度、盆や正月に、妻の実家で顔を合わせる程度になっている。もちろん恭一に対しては、良い叔母さんとして接してくれて、決して秘密を口に出すような事はしていない。

そして、その後も子供の出来なかった僕達は、不妊の検査をしてもらい、僕の方に欠陥があると判明した。僕も妻もかなり迷ったが、恭一に兄弟が欲しいという理由と、芙美子の、自分のお腹で育てた子供を産みたいという希望のため、ドナーの精子で人工授精をして、明日香が生まれた。

考えてみると、僕の遺伝子を受け継いでいる人間は一人も居ないのだが、家族として二十四年も過してきて、自分でもおかしなくらい、良い家族で居ると思っている。二人の子供は母親に似ていると、よく世間で言われる。僕達夫婦もお互いに、どこと無く似て来ている。
この二十四年間で、妻も二人の子供を育て、僕の両親と自分の父を送った。
僕の母とは、嫁と姑の間での軋轢も有った。特に自分の息子の血を引いていない恭一のことでは、かなり妻につらく当たったと思う。
明日香のことは、夫婦と医師以外には誰も知らないが、恭一はお腹の中に居たとは言えないので、もらってきた子供だと言う事は、母も知っていた。僕の口から
「もし恭一に一言でも話したら、この家を出る。」
と強く言ってあったので、口には出していなかったはずだ。
父は無口な性格だったし、孫として恭一を可愛がってくれた。一緒に暮らす事が、血のつながりよりも、固い絆を作ったのだろう。 
その父も家族五人に送られて他界した。母も最期まで秘密を口外せず、恭一が大学に入った年の秋に、父の後を追った。
妻の母と僕達夫婦と美香子の四人だけが、過去の経緯を知るだけとなってしまった今、あえてこの秘密を明かす事も、必要ないようにも思われる。血の繋がりがどうであれ、もうとっくにひとつの家族になっているのだ。

そんな取りとめも無い過去を思い返しながら、これからの僕達夫婦の事を考える。恭一も明日香もこれからパートナーを見つけ、自分の生活を作っていくだろう。そんな時に、僕達のことで束縛をしたくは無い。やがて来る老いた時代は、二人きりで過すつもりだ。
妻もそういう僕の気持ちは分かってくれている。「きょう」も「あす」もいつかは過ぎ去ってしまうんだよ、と言うのが夫婦での口癖だったり、秘密の合言葉だったりしたのだ。
そうだ、銀婚式などと言わず、梅雨が明けたら二人で温泉旅行にでも行こう。もう子供の面倒を見て過す時代は、終わったのだ。これから二人で過す将来のことを、考えておいた方が良い。
バスの窓に流れる雨の雫を眺めながら、僕はそんな事を考えていた。

               了

Grafted tree

30枚という規定での文芸賞に応募して、あえなく玉砕した作品です。
「milestone」の曲「空に昇る虹」をモチーフにした第一章。
「CARRY ON BELIEVE YOUR LIFE」のイメージ(桜の花びらが散るイメージ)を思わせる第二章。
そして、意外な秘密の暴露される第三章の3部構成にして、最後の展開を考えました。

私の考える「家族」のイメージは血のつながりだけじゃ無くて、日々を重ねる、時間とか歴史のなかで
作られて行くものだと思っています。もちろん、見知らぬ二人から、恋人同士になり、結婚して夫婦になり・・・
という歴史ももちろんですが、親子もまた共有した時間の分だけ、絆になって行くものだと思っています。

そんなテーマを小説にしてみました。
ご意見・ご感想をお聞かせいただければ幸いです。

Grafted tree

主人公は平凡な父親である。娘(明日香)の卒業式や、息子(恭一)の大学入学など、さまざまなエピソードと、 その中に秘められた家族の秘密。 それを超越して、絆を深めて行く夫婦、親子の、暖かいストーリーです。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-07-18

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 空に昇る虹
  2. 桜の咲く頃には
  3. 梅雨が明けたら