ナノドクター

「ふあ~、だる……」
 倉太君は欠伸をしながらパソコン画面を眺めつつ、ぶよぶよと弛んだお腹をぼりぼりと引っ掻いた。ポテトチップを食べていたので指が油でべとべとしている。眠気覚ましにマックスコーヒーを飲もうと缶を持ったら空っぽなので苛立った。とはいえ立ち上がるのも億劫だし、このまま寝転がってゲームをしている事にした。傍らの灰皿は飽和状態、それでももう一本、もう一本と火を灯してしまい、吸い殻の山は堆く積みあがっていく。
「ふあっくしょーん!」
 なんとなく煙にむせてクシャミをしてしまい、だらっと鼻水が出た。近頃どうにも鼻水が止まらない。
「ティッシュ、ティッシュと」
 孤独な男必携のアイテムであるティッシュは当然常時傍らに置いてある。クシャミの衝撃で無残に倒壊した吸い殻の山の残骸にタバコを置いて鼻をかんだ。黄土色と茶褐色の混ざりあった鼻水を見て若干面食らいつつも、あまり気にしないことにして部屋の隅にあるゴミ箱めがけて投げた。
 惜しい、外れた。ゴミ箱の周囲には黄ばんでがびがびになったティッシュと、ビールの空缶が夥しく散乱していて、彼のノーコンぶりを如実に物語っている。
 我ながら怠惰な生活だとは思う。適当なバイトをしながら親元に二十年ちょっと。バイト代はパチンコやゲーム、酒やタバコ、そして性欲処理に費やした日々。薄くなり始めた頭とビヤダルみたいな胴回り。彼女は欲しいけど、どうせ無理だし面倒くさそうだし。
 ゲームに飽きたらなんとなくネットサーフィン、面白い何かを探すのならこれだよね。でも今日はちっとも面白いのが見付からない。飽きてきた時メールが来た。大学時代の先輩牛沼からだ。
『やあ倉太君。元気にしていたかね。人間の脳にダイレクトに視覚や聴覚などの五感データを入力する技術は著しく進歩し、目や耳などの感覚器官が損傷した場合にこれを補えるまでになっているのは知っておるかね。さらにこれを発展させて、ロボットに取りつけたセンサーから得た情報を脳に転送することで、あたかも自分がロボットに乗り移ったかの如く感じる技術すら完成して軍事や医療で活躍しているのだよ。医療においては、ナノマシーンで構成された微細なロボットを患者の体内に送り込んで、これを外部の人間が操り直接患部を治療することが可能となってだね、ナノロボットに乗り移っての医療は試験的ながらも着実に成果をあげつつあり、今後もその発展が望まれておるのだよ。私もこの研究をやっていてね、臨床試験をしたいのだよ。君に手伝ってもらいたいのだがどうだろうか』
 へ~え、こいつは面白そうだな。倉太君はひさびさにわくわくしてきた。子供の頃は理科が得意だったし、こういうの大好きなんだ。すぐに『いいよ』と返事を出したのだった。

 そして数日後、先輩から返事が来た『了承してくれて嬉しいよ。このメールに私の研究所の位置を記しておく。あとは君の健康状態を記入して持って来てくれたまえ。君自身が君』小躍りして喜んだ倉太君はメールを最後まで読む事なく、よれよれのジャージを着たままで、カカトがぺっちゃんこのスニーカーをつま先にひっかけて家を出た。先輩の研究所は結構遠い。こんな距離を移動するのってだるい、倉太君はうんざりしながら道を行き、やっとの思いで到着したのだった。中に入ると、白衣を着た先輩が出迎えてくれた。
「よく来たね。試験体としての君に期待しているよ。健康状態を記入した紙は? なぬ、忘れた? まあいいか。では早速はじめるとするか。まずは着ているものを脱いでこれに着替えてくれたまえ」
 先輩に薄青い服を手渡された倉太君は悩んだ。脱ぐ? 着ているもの全部かな、きっとそうだ。そそくさと脱ぎだして全裸になった倉太君。弛んだお腹の下に付着している矮小にして微細な突起物を見せつけられた牛沼は狼狽した。
「いや、パンツは脱がんでよろしい……」
 それにしてもフジツボかと思ったわい、これは言っちゃいかんな。傷つけちゃかわいそうだし。
「ではこのヘッドギアをかぶって、そしてこのチューブをくわえてそこのベッドに寝てくれたまえ。ナノロボットから送信された五感データがこのヘッドギアの電極を通じて直接君の脳内に転送される仕組みだ。起動する時にちくっとするけど問題はないからね」
 倉太君はヘッドギアをかぶって、MRIのような狭いトンネルに至るベッドに横たわった。ベッドはひんやりしていていい気持ちだ。連日の徹夜のパソコン遊びが祟っていきなり睡魔に襲われて、脳内にメラトニンが分泌されてα波が出て、目蓋が重くなり、いつしか夢の海へと漕ぎ出す倉太君。
 ちくッ!
「くわ! なんですか今のは? ああ驚いた、やめてくださいよ」
「だからちくっとするって言っておいただろうが。それよりもそのチューブをくわえておきなさい。そうそう、それでよろしい。ではこれからナノロボットを投入する。状況はこちらでモニターを見ながら指示するから安心していいよ」

 いきなり倉太君の目の前に広がる赤いトンネル、足元は柔らかくてところどころ窪みが見えた。面食らっていると牛沼の声が聞こえた。
「今君は口腔内にいる。舌の表面にある味蕾が見えるかな。では咽頭口腔部……のどを通って下方に進んでくれたまえ。やや、扁桃腺が赤いね、若干炎症を起こしているようだ。まずは呼吸器を見に行くとしよう。そのまままっすぐ行くと分岐があるから上の方、つまり気道側に行ってくれたまえ。君が見ている映像は私も見ているし、君が喋ろうとする声はナノロボットを経てこちらに出力されるから意思の疎通もできるよ」
 ナノロボットに搭載されたセンサーによって感知された五感データはリアルタイムで倉太君に伝わり、そして倉太君の脳が発する肉体を動かす指令はナノロボットに送信される。あたかも自分がナノロボットになったかのような感覚なわけだ。言われた通りに気道を歩いて行くと三叉路が見えてきた。気道はところどころが濃い赤になっていたりどす黒く変色していて、いたるところにネバネバした茶褐色のものがへばりついている
「なんだか汚い場所ですね」倉太は溜息まじりにもらした。
「他人事みたいに言うな! 喉頭も咽頭も病変だらけじゃないか。今君は気管支への分岐点にいる。とりあえず左側の肺を見に行こうか」
 肺を見た牛沼は唖然とした。肺胞はやぶれて線維化が進行していて炎症も酷い。これはCOPD慢性閉塞性肺疾患だ。喫煙が原因で発生するこの病気は、肺の機能を低下させてしまう上に治療不可能なのだ。いずれ死因のトップを肺がんと競うと言われている恐ろしい病気だが、喫煙しないでいれば罹患の恐れも無いわけであり、喫煙者にしてみれば自業自得だ。
「ところで倉太君、君は喫煙はどれくらいするのかね?」
「喫煙? 一日二箱か三箱程度ですけど、それが何か?」
「タバコの害について知っているかね?」
「皆吸っているじゃないですか。別に害なんて考えたってしょうがないんじゃないですか。そんな事いちいち言っていたら生きていけませんし、何も面白いものが楽しめないじゃないですか」
 あーそうかい、そうですか、まあいいか、所詮自業自得だ。とりあえずは喉頭がんと咽頭がんと肺がんの可能性はあるけど、他の場所を見に行くとするか。牛沼は思わぬ倉太君の熱弁にうんざりして次の指示を出す。
「次は循環器を見に行こう。最初は心臓だ。ナノロボットを透過モードにするから肺から上方に出てくれたまえ」
 ナノマシーンで構成されているこのロボットは、分子結合を緩めることで臓器を自由に出入りできるようになるのだ。おっかなびっくり肺から脱出した倉太君は、せわしなく脈動する心臓を見つけた。
「冠動脈を見てみようか。心臓の表面を走っている血管だよ。これが詰まると虚血性心疾患になってしまう重要な血管だ。ナノロボットの手には病変を検知するセンサーがついているから冠動脈を触ってくれたまえ」
「これですね。なんだかカチンコチンですけど」
「なぬ? カチンコチン?」
 センサーが示すデータを見た牛沼は愕然とした。動脈硬化が進行していて血管が狭くなっていて、心筋にもところどころ壊死がある。狭心症だ。喫煙とメタボリック症候群によって引き起こされる動脈硬化、本人が分からないうちに進行するから恐ろしいのだ。本来は柔らかくて柔軟性に富むはずの血管が、狭くて固いボロボロの管になってしまうのだ。
「あはははは、たたくと変な音がして面白い」倉太君は面白がって遊んでいる。
「やめろ! やぶれたら死ぬぞ! それよりも血液の検査が必要だ。大動脈に入ってみよう。透過モードにするから心臓から伸びている太い血管に入ってくれたまえ」
「これですね。うわー、赤い粒々がたくさん流れてますね。なんだかつみれみたいだ、捕まえてみよっと、うわ、なんだかべたべたしてる」
 なぬ、べたべた? その言葉を聞きながら牛沼はセンサーの数値を確認する。血糖値、血中脂肪、血圧、尿酸値、軒並みべらぼうに高い。特に血糖値は計測不能なレベルだ。その昔、くみ取り便所が主流だった時代、糖尿病患者が使用した便所には蟻がたかっていたという話を聞いたことがあるな。牛沼がそんなことを思っているうちに倉太君は大動脈の流れに乗って進んで行く。
「部屋みたいなでっぱりがありますけど、これってなんですか? 入ってみますね」
「なぬ、部屋だって?」
 大動脈に部屋? なんだそれは。モニターを凝視する牛沼。だしかに血管の内側から外に向けて部屋みたいなでっぱりがある。これって大動脈瘤じゃないか。今にも内膜が破れて大出血しそうだ。まずいぞ、破裂したら致命傷になる。
「あはははは、かくれんぼしたら面白そうですね」
「笑っている場合か! 触っちゃいかん、さっさとそこから出ろ!」
 大動脈瘤を越えて進むと大動脈は三叉路になった。
「それはそれぞれの脚に血液を送っているんだよ。とりあえず左側に行ってみようか」
 牛沼の指示に従って行く倉太君、しかしすぐに行き止まり。
「行き止まりですけど」
「なぬ、行き止まりだと。触って調べてみてくれたまえ」
「血管の壁が固くてせまくなっていて、なんだかどろどろしたのが詰まってますけどこれってなんですか?」
「それはアテロームだ。どうやら下肢閉塞性動脈硬化症のようだな」
 脚に行く動脈が詰まって歩行困難になる下肢閉塞性動脈硬化症、これも主に喫煙者が罹患する難病だ。長距離の歩行が困難になる事から始まり、糖尿病と併発すれば下肢が壊死してしまう。糖尿病、高血圧、動脈硬化などの各種生活習慣病は相乗効果でより重く深いダメージを肉体に与えるのだ。高カロリーの食事と喫煙、これがどれだけ人体にダメージを与えるのかを知らない人が多すぎる。
「ところで倉太君、君ちゃんとに歩けるかね?」
「なんだか最近ちょっと歩くと疲れちゃうんですよね。ま、歩かなきゃカロリー消費しないからエコライフっちゃエコライフっしょ。CO二排出も抑えてる感じ?」
「おいおい、運動不足はいかんぞ。運動はしているかね……しているわけないか」
「無駄に体動かしたって疲れるだけだし、環境にもよくないじゃないですか。腹減るしCO二出すし。ナマケモノとかゾウとかってあんまり動かない動物は病気になっちゃうんですか?」
 あーそうですか、それならご勝手にナマケモノになってしまえば。変な事に食ってかかってくる倉太君にうんざりした牛沼はそれ以上の深入りはやめた。
「では次は消化器を見てみよう。透過モードにするから大動脈から出て食道まで戻って、消化器に沿って見ていこう」
 牛沼の指示に従って大動脈から出て、血管の上を歩いて心臓を越えて胸線をくぐり甲状腺をくぐって食道を目指す。
「ここが食道ですね。なんだか赤くて綺麗ですね」
 倉太の声を聞きながら、牛沼はモニターを見て狼狽した。食道の壁が糜爛しているじゃないか。
「ところで倉太君、君は胸やけしていないかい?」
「そんなのいつもですよ」
 胃酸が逆流して食道の壁を溶かしてしまっているようだ。しかもところどころが潰瘍化している。胃の入り口の噴門をくぐる時、隙間が見えた。どうやら噴門の機能が低下しているようだ。胃の中は本来あるべきひだが少なく全体的に平坦であり、ここにもところどころに潰瘍化している箇所が見えた。倉太君はのんきに胃壁を触って遊んでいる。センサーのデータには『ピロリ菌発見』の文字を見た牛沼は、こっそりと要治療リスト項目にまた一つ書き加えた。これで何件だ? 
「そこの黒くなっているところを触ってみてくれたまえ」
「これですね。うわ、なんだかネバネバしていて汚いや」
 どうやらこれはタールのようだ。タバコに含まれる猛毒のタールは、こうして胃に入ってきて胃を荒らすのだ。タバコが喚起するのは肺がんだけだと思ったら大間違い、煙が触れる箇所の全てと、その毒性を含んだ血液が流れる場所全て、すなわち全身の発がんを喚起するのだ。牛沼は『胃がん発見』の文字を前に深く溜息をついた。
「胃はだいたい分かった。透過モードにするから胃の後ろにある膵臓も見ていこう。膵臓はインスリンを分泌している臓器だよ。血糖値が異常に高いからきっと疲弊していると思う」
「この細長いのが膵臓ですね。それよりも、この黄色くて固い落花生みたいなのはなんですか?」
「なぬ、落花生? ああこれは胆嚢だよ。肝臓で作った胆汁を貯めておく場所だ。固い?」
『胆石発見』の文字が見えた。高脂肪の食事が原因の胆石、これまでに発見した病変に比べればそれほど怖くはないと、自分を落ち着かせた牛沼だが倉太君が膵臓を触って『インシュリン分泌機能低下 糖尿病の恐れあり』の文字を見て深く溜息をついた。はあ、気の毒に、これから一生食事制限だな。
「ところで倉太君、君はどんな食生活しているのかね?」
「今はマックにはまってますね。あのでかいバーガー最高ですよ。ビールにも合いますし。週末は焼き肉食べ放題は欠かしませんね。僕ってグルメだし」
「あのね倉太君。高脂肪の食事ばっかりしていると生活習慣病になるのだがね、知っているかね?」
「そんなの気にしていたら何も食べられないじゃないですか。それじゃ生きていたってしょうがないんじゃないですか。美味しいもの食べる他に何の楽しみがあるっていうんですか」
 ああそうですか。またもや倉太君の反論にあった牛沼は次の指示を出すことにした。
「次は十二指腸に入って小腸と大腸を見ていこう。まずは小腸から出ている毛細血管に乗って門脈を通り肝臓も見ようか」
 小腸で吸収された栄養素は門脈を経て肝臓に送られ、そこで代謝されて全身に送られるのだ。栄養素の代謝と備蓄、毒素の分解、免疫などの重要な仕事を多数受け持つ重要な臓器である肝臓には痛覚が無く、知らないうちに病気が進行してしまう危険がある。倉太君は肝臓に辿り着くと間延びした声をあげた。
「これが肝臓ですか。黄色くてふわふわですね。中はヘチマみたいで隙間だらけだ」
「なぬ、黄色? ヘチマ?」
 血液が多い肝臓は赤黒いはず、そう思ってモニターを見た牛沼の目に『脂肪肝発見、一部肝硬変に進行中 B型肝炎ウイルス発見』の文字が映った。ああ、フォアグラ状態だ、しかも線維化も始まっているし。B型肝炎か、やっかいだな。C型じゃないだけましか。
「ところで倉太君、君はお酒は飲むかね?」
「そりゃもういけますよ。紳士の嗜みってやつじゃないですか。ま、もっぱらビールですけどね。毎日飲んでますよ」
「あのね、高脂肪の食事と飲酒が重なると肝臓に負担がかかって脂肪肝になりやすいんだけど知っているかね。肝硬変になるとかなり危険なんだが」
「お酒と御馳走がなくなったら生きていたってつまらないじゃないですか。修行僧だって般若湯とかいってお酒飲んでるんですし」
「あーわかったわかった、もういい。次は腎臓も見ておこう。肝臓を出たら小腸をくぐって下方に行ってくれたまえ」
 牛沼の指示に従って腎臓を目指して歩き出す倉太君。腹腔内を歩くと夥しい脂肪細胞が目につく。黄色くてべたべたの脂がパンパンに詰まったお腹、肝臓から腎臓に行くのも脂肪の海を越えていかないといけない。生活習慣病の原因である内臓脂肪、牛沼はつい自分のお腹をさすってしまった。まさか自分はこんなに酷くはないはず。それにしても重厚な脂肪細胞だ。かき分けかき分け進み、ようやく腎臓が見えてきた。
「腎臓が見えてきたね。透過モードにするから中に入って糸球体を確認しよう。糸球体とは、血液をこすフィルターだよ。これで血液中の汚れをこし取って尿として排出しているんだ」
「はい、これですね。なんだかボロボロですけど」
「なぬ、ボロボロ?」
 モニターを凝視する牛沼、その目には崩壊した糸球体が見えた。ああ、これで糖尿病確定だ。人工透析が必要なレベルじゃないか。CKD慢性腎臓病だな。糖尿病だから高カロリー食品は厳禁、尿酸値が高いからプリン体も厳禁、肝機能障害だから高タンパク食が必要だが慢性腎臓病だとタンパク質は控えないといけない。いったい何を食えばいいかわからん状態だ。
「あのね倉太君、健康に生きていこうと思ったら摂生しないといけないんだ」
「別に長生きする気なんかないですし、今が楽しければいいんですよ。どうせ老後は年金制度が崩壊して、それに日本自体が破産してだめになってそうじゃないですか。今のうちに楽しんでいて何が悪いんですか?」
「ああ、わかったわかった。じゃ今度は大腸を見るとしよう。腎臓を出たらすぐだ」
 透過モードで大腸に入る倉太。
「うわー、キノコみたいのがたくさんありますね。なんですかこれ?」
「なぬ、キノコがたくさん? ああ、これはポリープだよ。壮年になると結構できるんだ。良性なら問題ないけど悪性だとがん化するから侮れないよ。一つ掴んでみてくれたまえ」
 さてセンサーの答えは……『大腸がん 発見』なんてこった。なんの、このナノロボットにはポリープ除去機能もついているのだ。掴んだ状態で高周波を発してポリープを焼き切ることができるのだ。
「どうやらそのポリープは危険なようだ。焼き切るからそのまま掴んでいてくれたまえ」
「はい、こうですね」
 よし、ポリープ除去完了だ。これで一つ危険は去ったな。ほっとしてモニターを見た牛沼の目に、腸壁一面に広がるポリープの森が見えた。よし、治療は後回しにしよう。見渡せば腸内は糜爛している箇所が多い。これはクローン病だろうか、それとも潰瘍性大腸炎? いつしか驚く事すら忘れた牛沼は次の指示を出した。
「どんどん大腸を進んで行くとS字結腸になって、その先が直腸だ。この直腸は、大便が長期間停留することで直腸がんになるリスクが高い場所だからここを見に行こう」
 それにしても倉内君の腸内の大便のどす黒さの酷いこと酷いこと。当然のように、大腸には夥しい宿便が溜まっていた。かき分けかき分け進む倉内君、その手が大便に触れたことでセンサー機能が発動して牛沼のモニターに『腐敗便 大腸菌発見 発がん性物質多数』の文字が映った。直腸の壁は当然のように潰瘍化している。直腸がんか、浸潤しているとやっかいだな。牛沼が思案していると肛門が見えてきた。倉太君はその脇を見ている。
「淵に穴があいていていろいろ移動できますね。このトンネルはなんですか?」
「なぬ、トンネルだと? ああこれは痔ろうだな。隠かという穴に雑菌が入り込んで化膿した状態が続くと発生する病気だよ。排便する時痛みとか出血とかはないかい?」
「ありますけど、痔って恥ずかしくてなかなか病院行きにくいんですよね。下半身丸出しで診察受けるのって抵抗ありますし」
「そんな事言っていられるレベルじゃないぞ。それよりもお前ときたらさっきから人の話を聞かないで、変な反論ばっかりするじゃないか。ちゃんとに人の話は聞かないと」温厚な牛沼だが、累積する苛立ちが許容量を越えそうだ。一方、倉太君は牛沼の言葉を無視して、肛門を出て陰嚢を上って行く。なんだよ無視かよ、と牛沼は舌うちした。
「うわあ、このしわしわのフジツボみたいのなんですか?」
 苛立った牛沼がモニターを見ると、倉太君は微細な陰茎に手をついて驚いていた。
「そりゃお前のチンコだよ! 貧弱フジツボチンコめ」
 つい言ってしまった。酷いことを言ってしまったな、きっと傷ついてしまっただろう、牛沼は後ろめたい思いにとらわれた。
「ええええ! これって僕の身体だったんですか? てっきり先輩だと」
「なぬ!? 君は知らずにいたのかね、最初から言っておいたじゃないか」
「聞いてませんよ。ああ、貧弱ですか、やっぱり」
 さすがの倉太君もこの事実にはこたえたようだ。全身に致命的な病変があるこの事実、受け止めるのは辛いはずだ。なんと声をかけようかと思いながら牛沼はモニターを見た。
『梅毒、淋病、HPV、B型肝炎ウイルス発見』
 そうか~、B型肝炎は性感染したのだね。納得。いや、そんなことを納得している場合じゃないぞ。このチンコでよくぞこんなに感染するほど頑張った、感心感心。いやそんなことを感心している場合じゃないぞ。それにしてもなんと夥しい病変の数々だ。COPD、狭心症、大動脈瘤、下肢閉塞性動脈硬化症、ここまでは喫煙が原因だな。他にもCKDに大腸がんに……きりがない。とにかく言わねば、治療には本人の自覚が必要だ。牛沼は強く言うことを決意した。
「倉太君、もうわかってはいると思うが、君の身体には問題があって早急に対処するしかないんだ。驚かないで聞いて欲しい」
 さすがの倉太君もうなだれている様子だ。
「わかっていますよ。僕だってうすうすは感じていたんです。このままじゃいけないって」
「そうか、分かっていたか。それならば話は早い。どこから治そうか」
 倉太君は意を決して宣言する。
「チンコを立派にしてください!」
「そこかい!」

ナノドクター

ナノドクター

下品なギャグです。 自己評価☆☆

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-13

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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