Princess the Ripper

1888年ロンドンのイーストエンド、ホワイトチャペル地区で、1人のシリアルキラーが出没した。娼婦を中心に少なくとも5名は殺害されていたであろう。
鋭い刃物が武器として使われ、当初はメスと思われた事から犯人は医者、もしくはそれに準ずる物とみられていたが、
当時はDNA鑑定もなければ、指紋捜査も無かった為、何の脈絡もない犠牲者を襲った殺人犯を捕まえる事は非常に難しい事であり、
事件から100年以上が経過した現在でも、その真相は明らかになっていない。

これらの連続殺人事件の犯人を『切り裂きジャック』と人は呼ぶ。


――――――――――1888年11月のある終末の昼間の出来事であった。


「うわあああああああああああ!!!!! 」


ロンドン屈指のスラム街であり、大英帝国の汚物溜めとも揶揄されたイーストエンド地区の小さな路地裏に、1人の男性の悲鳴が響き渡った。
その悲鳴を聞いた通りを歩いていた野次馬共が次々とその場に駆け寄り、10分もしないうちに男しかいなかった場所は人込みと化していった。


観衆の殆どは好奇心だけで来た者が多かった為、目の前に広がっている惨劇に対して思わず目を指で覆うように隠し、中には泣き叫ぶ者までいた。


路地裏の袋小路には、中年の女性と思しき遺体が横たわっていた。身体中をナイフのような物で何度もさされていたのか胴体は肉塊と化し、
頭部や手足、子宮など臓器の一部も持ち去られて無くなっていた。腹部は切り開かれ、解剖されて放置された後の実験体のような状態となっており、
切り口からは静脈血と動脈血が混じり合い、深紅と黒ずんだワインレッドの不協和音を奏でながら遺体の周辺は、血の池地獄と化していた。


「誰か…………警察を…………早く警察を呼んでくれええええええ! 」


それを見た観衆の中の1人は膝がガクガクと震えだすと、一気に体の力が抜けたかのようにその場に座り込み、堪らず叫び出した。


30分程経った後、駆けつけたロンドン市警の警官によって、遺体は上から布が掛けられた状態で署へと運ばれた。
損傷が激しく、その場で遺体の身元の特定が困難となった為、司法解剖の際に詳しく調べられる事となった。
第一発見者である男は質問を受けたが、あまりにも非日常的過ぎた出来事に気が動転していたのか、
質問の最中に口から泡を吐きながら白目を剥いて、その場に倒れ込んでしまった。


大騒ぎになっている通りの反対側で、フランスパンや、野菜など色々な種類の食材が入った大きな紙袋を両手で抱えた銀髪の女性がその場を通り過ぎ、
ゆっくりと振り向いて、5分程人だかりを焦点の定まらない瞳で見つめていたが、そのまま前を向いて何事もなかったかのように再び歩きだした。


この惨殺事件は、翌日の新聞の一面記事となった。ロンドン市民は『切り裂きジャック』に対する恐怖で疑心暗鬼へと陥る者が続出していた。
元来霧が多く、曇りがちであった為、どんよりとした空気が流れている事が多い場所であるが、ここ一連の事件の所為か街に活気がなくなり、
尚更暗く陰湿な雰囲気に感じさせていた。


――――――事件が起きて2週間後の金曜日の午前3時頃


大通りの方には街灯はあれど、スラム街のようなこの小さな通りに街灯など無く、月明かりだけが照らしていた。
昨晩の月が満月であったからか、完全とまではいかないものの月は丸く、路地裏の袋小路でなければ仄かに明るかった。


大体の人は眠りに就いている時間帯である事と、外を出歩いていたらいつ『切り裂きジャック』に殺されるか分からないという恐怖から、通りには誰もいなかった。
そんな静寂と化した下町の通りを足早に駆け抜ける1人の若い女性がいた。昼間のようにはなりたくないという焦りから道路の窪みに足をとられ、転倒してしまった。


「―――っ?! 」


立ちあがろうとした時、右足首に激しい痛みが走った。どうやら転倒した時に捻ってしまい、立ち上がる事が困難となった。


「お嬢さん、大丈夫?」

「?! 」


女性が痛みに顔を歪めている時、黒いワンピースに身を包んだ1人の女性が手を差し伸べてきた。


「こんな真夜中に1人で歩いてたら最近話題の『切り裂きジャック』とやらに襲われるわよ? 」

「あ………ありがとうございます………」


手を差し伸べた女性は、モデルのようにスラッとした高身長の女性で、肌は透き通るように白く、月明かりに照らされたプラチナシルバーの髪は、妖しく輝いていた。


「あら………?貴女、足を怪我してるじゃない。そんな足で歩けるの? 」

「…………」

「だったら、私が家まで送ってあげてよくってよ? 」

「いいのですか………? 」

「ええ。」


女性は、聖母のような微笑みを見せると、怪我をした女性を支えながら、彼女の家に向かって歩き出した。
細い通りを出て、目の前に月の光を反射してきらきらと光るテムズ川が見えた時、女性は、感謝の意をこめて深く頭を下げると、
1人で反対の通りにあるアパートへと歩き出した。時計の針は午前3時半を指していた。


「――――――?!」


突如、女性は背後から何者かに首を締め上げられ、助けを求めようと叫ぼうとしたが突然の出来事に声が出ず、そのまま息絶えてしまった。
その後1分も経たないうちに、胴体は皮膚や内臓が切り刻まれ、臓器の一部は摘出されており、女性はおろか、女性がいた場所までも、鮮血で真っ赤に染め上げ、
大通りで倒れた筈の遺体は、原型を留めない程度のレベルにまでバラバラになり、細い路地裏に放置される形となった。



時計の下で銀髪の女性が、返り血を浴びて真っ赤になった銀の懐中時計を拭いている最中に、
背中に蝙蝠の羽を生やしたピンクを基調とするドレスを来た薄水色の髪の幼子が彼女の元にふわふわと降り立ち、飄々とした態度で彼女に話しかけた。


「そんな事ばかりして楽しい? 『切り裂きジャック』さん。」

「貴様何故私の名前を知っている?! 」


自分の正体を知られてしまった事に対してひどく動揺した彼女は、今まで数多の犠牲者を殺害してきた凶器と思われる銀のナイフを幼子の喉元に向けるも、
彼女が瞬きをした一瞬の隙に彼女の目の前から消え、背後に回ると首筋に、牙と形容されてもおかしくないくらいに尖った犬歯を突き刺そうとした。


「貴女…………吸血鬼の類か何か? だったら私が退治するまでね。」

「私にナイフを当てられなかった分際で何を言ってるのかしら? 」


彼女は未だ動揺を隠し切れていない様子で、幼子が噛みつこうとする気配を感じるや否や幼子の目の前にナイフを向け、幼子に向かって訊ねた。
幼子は、嘲笑うような調子で、彼女の神経を逆撫でするような言葉を掛けると、彼女は幼子を睨みつつも、向けていたナイフを下ろした。


「貴女…………このまま殺人を続けてこの街ににいたら捕まってしまうわよ? 」

「あら………? 警察ですらお手上げ状態のこの私が捕まる筈なんてないのに何を馬鹿な事言っているの? 」

「嘘なんかじゃないわ。………………運命が、そう教えてくれたのよ。」


幼子は年相応の無邪気な笑顔を向けたかと思うと、無表情になり、凍て付くような目で女性を捕えた後、声のトーンを1オクターブ低くして言った。
その声色は推定10歳前後の年恰好からは想像もつかない程低く、おぞましい物であった。


彼女は第六感で恐怖心のような何かを感じたのか、ほんの一瞬だけだが表情が強張った。
――――――――この私が初めて誰かに対して「怖い」という感情を覚えるなんて…………


「貴女、人間にしてはやるじゃないの。この私を見ても怖気付いて逃げ出さないなんて中々凄いわよ。」

「ええ、私も貴女と同じで普通の人間ではないですからね。」


幼子は、彼女のその強気な態度が気に入ったからなのか、彼女が普通の人間ではなかったからか、それともただの気紛れか。
目の前に立っている銀髪の女性に向かってこのような話を持ちかけた。



「どうせ此処にいても貴女はただ殺人を続けるだけなんだから、私の従者となりなさい。」

「何ですって? 」

「私の所に来れば警察に捕まらずに、そのまま後世に語り継がれる存在となるわよ。そういう結果が出てますもの。
そうね………『切り裂きジャック』という名は捨てて今日から貴女は『十六夜咲夜』よ! 」

「十六夜……咲夜……」

「素晴らしい名前だと思わない?」

「『切り裂きジャック』みたいな物騒な名前と全然違うわね…… …………って! もう夜が明けてしまうじゃない! 」


先程まで生意気な子供という認識でしかなかったが、彼女の持つ得体の知れないオーラに惹かれ、咲夜は彼女について行こうと決心を決めかけていた時、
ふと空を見ると気が付けば建物の間から太陽が顔を出し、空は朱色と藍色のグラデーションを描き出していた。


「早くしないと警察が来ちゃうわよ?…………だから私に着いてきなさい。」

「ちょっと!何処へ連れて行くのよ?! 」


咲夜は、幼子に手を引かれると、身体がふわりと宙に浮いた。飛行機がまだなかった時代であった為、空を飛んだ事なんて当然なかった。
浮かび上がってから暫くの間、本能的に目を閉じていたが、恐る恐る目を開けると目下には朝焼けでルビーのように輝くテムズ川と、
ミニチュア模型のように小さくなったロンドンの街が広がっていた。


「そういえば………名前を言っていなかったわね……………レミリア、レミリア・スカーレットよ。覚えておきなさい。」

「分かったわ。」


向かい風を受けながらレミリアは落ち着いた声で自己紹介をした。前を見ながら話していた為か、顔は分からなかったが何処か強がっているようにも感じ取れる声だった。
咲夜は目の前を飛んでいるレミリアに対する印象が『生意気な子供』から僅かだが変わりつつあった。その証拠に、口元が少し綻んでいた。
―――――――――――この人なら、私の未来を明るい物に変えて下さるかしら?


「中々面白い子供ですこと。」

「なんか言った? 」

「いいえ、何でも御座いませんわ。」



――――――――1888年11月某日を最後に、『切り裂きジャック』による犠牲者は出なくなった。
スラム街で起こった事件の為、まともに聞き込みが出来る筈もなく、犯人が現れないまま捜査は打ち切られ、事件は迷宮入りと化した。


レミリアの予言通り、『切り裂きジャック』はそのドラマ性と、ミステリアスな側面を持ち併せている為、現在でも犯罪史上、非常に有名な未解決事件として後世に語り継がれていくのであった。


「お姉さまー、切り裂きジャックの犯人って結局誰なの? 」


いつものようにお気に入りの推理小説を読みながら、レミリアの妹であるフランは、姉に質問を投げかけた。


「さあ? 分からないから『切り裂きジャック』って呼ばれているんじゃない。」

「何でジャックって名前でもないのに『切り裂きジャック』って呼ばれてるのよ。」

「分からないからジャックって呼ばれてるんじゃない! 」

「意味わかんなーい! 」

「このような刺激の強い内容の本は妹様にはまだ早すぎますわ。」


姉妹が議論している横を、洗濯物を部屋に運ぶ最中の咲夜が通りかかった。


「そうよ、フランはまだ子供なんだからこんな事知る必要なんてないの! 」

「お姉様だってまだ子供じゃんー! 」

「おだまり! ガキのアンタには言われたくないわよ! 」

「なによ! たった5歳しか違わない癖に偉そうにしないでよー! 困った事があるといつも咲夜に泣きついてうーうー言ってる弱虫! 」

「うーっ!さぁーくぅーやぁあああああああああ!!! 」

「お姉様は子供ねぇー」


フランに完全に言い負かされたレミリアは、先程のフランの言葉通り咲夜の胸に飛び込み、嗚咽を上げながら泣きだした。
フランが溜息を付きながらやれやれ、というポーズをしている傍ら、咲夜はレミリアをよしよし、と宥め続けており、
困ったような素振りを見せながらも、その笑顔は、例えるなら聖母マリアのようなものであった。


「うーん……まぁ、別に知らなくてもいいよね………。だってこういうのって、知らないからこそロマンチックなんだもの。新しい本借りてこよっと! 」


フランはそう呟くと、図書館へ向かってパタパタと足音を立てながら、元気良く走り出した。



――――――――紅魔館のメイドが1世紀ほど前、イギリス中を震撼させた世界一有名なシリアルキラーであった事は、その主人であるレミリア以外、誰も知らない。

Princess the Ripper

咲夜さん自機復活おめでとうございます。

咲夜さん=切り裂きジャック説とダンピール説を密かに信じてるダメ人間でございます。

Princess the Ripper

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  • 短編
  • ファンタジー
  • サスペンス
  • 時代・歴史
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-05-12

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