夢見心地

体育館の二階は見ることができない秘密の場所だった。
小学校三年生の私は学校の体育館に来る度にいつか入り込んでみたいと思っていた。
小学校の体育館はバスケットコート一面分の広さに、それを取り囲むような形でギャラリーがあった。しかし、小学校でそのギャラリーが観客席として使われた事は私が知る限りでは無く、そこは観客席ではなく秘密の場所のように思えてならなかった。
それと同じように、資料室も未知の世界であった。職員室にある鍵が無ければ入ることができず、先生の手伝いをするときのみ、その資料室をこっそりと見る事ができた。
入り口の扉から見える幅数センチの世界には、モナリザの不気味な微笑みと、夜中に校庭を隠れて走っているような人体模型が「みたな」というように私を見つめていた。
当時の私の世界は、ワクワクするような冒険とキラキラとした宝物の手がかりで溢れていた。

いま、私は成人を迎え、いよいよ人生の選択期間が終わろうとしている。
職を手にいれ、社会人としての役割を果たさんとする者、研究者となり己の知識欲を満たそうとするもの、趣味の道を生きようとする者、父として母としての役割を果たさんとする者などこれから生きる先を決め、この人生の選択を終えている。
一方、私は昔に帰りたいと願うばかりである。いまだに選択する事を拒否し続けている。
この年になり、昔抱いていた疑問は明らかとなった。それと同時に私が抱いていた冒険と宝物はガラクタへと成り下がってしまった。
ハリー・ポッターの秘密の部屋だと思っていた資料室は使われなくなった教材を置いてあるただの倉庫、体育館のギャラリーは運動会の看板置いてある物置、そしてそこに小さい頃入ることができなかったのは、それを見た児童が保護者に話す事で物の管理について苦情がくるからであった。
ずいぶんと広く感じた校庭も桜木町の駅前広場とたいして変わらぬ広さであり、不気味なモナリザはペラペラの印刷であった。
成長するにつれ、私の宝物は新しい世界に汚されていったのだった。

大人の象徴であったオレンジ色の炭酸は、ただ苦いだけ。煙の出る魔法のつまようじは金のかかる嗜好品。いまとなってはどちらも簡単に手に入る代物だ。偽物のビールを飲み干し、タバコの煙を燻らせて私は六畳のコンクリートの箱に引きこもっている。
東京なんて光溢れる場所など出はなかった。キラキラと宝石のように輝いていたネオンは、愛を売る歓楽街。冒険の足掛かりである電車は毎日決まった時間に現れる棺桶。ずっしりとした大人達は電車に飛び込み、それを嘆くどころか文句を言い出すような小人であった。
私は今日も安い酒を飲み干して考える。社会の歯車になる事には文句はない。だが、違う。私が望んでいた世界はこんなものではない。
私のような人間を、人々は過去に甘えた奴だと人は笑うだろう。もしくは、気にも止める必要もないと通りすぎていくかもしれない。
わかってはいるのだ。だが、あと少しだけ時間をくれないか。あと少しだけ、過去の余韻を感じていたいのだ。
時間通りの通勤快速は、こんな私を待ってはくれないだろう。満員電車を一本見送り、私は後から来る各停電車を待つことにした。

夢見心地

夢見心地

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-11

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