三題噺
3つのお題でSSを書きましょう。という企画をblogで行っています。それをまとめてみました。
イヤじゃない
斜めから刺さる光に目が眩む。昇りかけの陽が校舎の間から漏れて黒と白のコントラストをアスファルトに象った。
晴天だが外気は涼しく、長袖のパーカーでも身震いする。夏はまだまだ先だ。
走るか、朝練だと思えばいい。眠気を堪えて足を踏み出す。ジャリリと道に積もった薄い砂をスニーカーが奏でた。
校舎の裏を越えて、隣の敷地にある廃校跡地のグランドを通る。窓ガラスがヒビ割れ、煤の積もった古い校舎は野良猫の住処になっている。小学生ん時、猫に餌やりに来てたっけな。野良猫なのにみんなで名前をつけて大人には内緒ななんて言って、喋った奴は廃校立ち入り禁止にするぞなんて歳上の奴が仕切ってた。もとより大人からしたら廃校に小学生が出入りしていることそのものが禁止事項だ。
中学生になりたての頃は夜に侵入して肝だめしもやった。夜は不気味な廃校舎も朝日に照らされるとただの捨てられた建物だ。何故何者かが潜んでいるのではと勘繰ってしまうのだろう、こんな風通しの良すぎるコンクリート建物、浮浪者だって避ける。
グランドを走って横切ると正方形に柵で囲った学級の畑が見えた。育てるのが簡単だからヘチマにしようぜ。や、それ小学校んときにやったし。じゃ、キュウリにしようぜっていう、お前それヘチマからの流れだろ? もっとみんなが食べたいものにしようやとかの反対意見も出たものの、人気のトマトは管理が大変だという理由から結局キュウリになった。
担任のバカがお前ら卑猥だなぁとニヤついて、女子が馬っ鹿じゃないの! キモイんですけどーと睨んでた。
ってか中3でそんなのいちいち反応しねぇよ。もっとエグいもん見てるわ。
あーめんどくせぇな。ホース何処だっけ。水道はあっちか?
首をコキリとならして畑の周囲を見渡すと緑の蔓を遮蔽物にして向こう側からシャワーが降ってきた。
「うわっ、冷てっ、」
「え? えっ!? 誰か居る?」
慌てた声が聞こえるも水は降ってくる。蔓の上空が朝日を受けて虹を作った。バシャン、シャシャシャシャ、とホースを投げ捨てた音がして、人影が水道の方へと走っていき蛇口をキュキュと締めた。
「あっくん? 何で居るの?」
「今日、俺の水やり当番だろ。」
学校がある日は日直が当番。土日は交代で朝に水やりをすることに決まってた。
「今まで誰も来たことなかったよ?」
「は? マジで?」
「うわーめっちゃ濡れてるじゃん、ごめーん。」
クラスメートの結唯(ユイ)が顔を申し訳なさそうにしかめた。畑の近所に家がある。きっとずっとこいつが朝水やりに来てたんだろう。
結唯がおもむろに長袖のТシャツを脱ぎ出したのでドキっとして言葉が詰まる。下に半袖のピチТを着込んでた。なんだよ、びびらせんなよ、ってか情けないな。余裕ねー、俺。
「ごめんね、タオル持ってないから。汚くはないと思うんだけど。」
脱いだТシャツをふわりと頭に被せられてポンポンと水を吸っている。甘いボディーソープの香りがして、口が緩んだ、表情が隠れててよかった。
「汚いとか思わねーよ。」
ダサイ。気の利いたことが全然言えない。
Тシャツの下から結唯を見る。細い腰と、細すぎる腕が見えた。こいつ背丈は普通なのに、なんでこんなに肉ついてないんだろう。クラスメートの女子に比べて、痩せているというより身体が薄い。何処か病的に。
つるんでる部活仲間が言ってた。「あいつって人懐っこいわりに不意に身体触るとビクってなんのな。」俺はそれを聞いて、え、付き合ってんの? と内心ヒヤヒヤした。用事があって声をかける時に肩を叩いただけらしい、紛らわしい。
衝動的に、その細い腕を掴んでみる。反応はない。あ、あれ?
Тシャツを頭から取られて顔を覗き込まれた。
「あ、もうやめてほしい?」
もう片方の腕も掴んでみた。やっぱり嫌がらない。
「あっくん?」
手を離してグリグリと頭を撫でた。髪の毛がくしゃくしゃになる。なのに不平を言わない。
「嫌じゃないの?」
「何が?」
「なんで嫌がらないの。」
優しくていい人だと思うけどー。男とは思えないよねー。クラスの女子からの俺への品評はそれだ。結唯よりも数センチ高いだけの身長。筋肉も充分ついてるとは言えない。
腰に腕を回して土の上に押し倒した。何してんの俺、と思っても止められない。
「俺のこと人畜無害だとか思ってんだろ?」
凄みをきかせて言ったつもりが声が震えてる。バカじゃねーの、嫌われるぞ、今まで結構仲良くしてくれてたのに。
「だって。嫌じゃないのに嫌がらなきゃならないの?」
「え?」
首に手を回されて切ない表情で息を吐かれた。可愛い、マジで。
「もっと、触ってほしい、って思ってるよ?」
中2のクラス替えで結唯と同じ教室になった。結唯は昔から俺ら男友達とばかり遊んでて女子の友達は少なかった。なんだか自分たちは大人の女よみたいな態度で結唯に説教している女子の集団を見かけたことがある。
「中学生にもなってゲームとかプラモデルとか作ってるのやめたら? もうそういうの卒業する年齢でしょ。」
結唯はキョトンとして首を傾げた。
「学校じゃあるまいし、なんで好きなものを卒業しないとならないの?」
言いたいことをまっすぐ言うから女子内で浮いてた。
そのままで居てほしい。バカだと思うけど。お前けっこう可愛いくて人気あんだぞ。なのに懐くのは俺ら昔からの仲間内にだけだ。もっと男っぽくて背も高くて女子に人気ある奴と付き合えんのに。
なんで俺なんか。
でも、頼む。
卒業、しないで。
お題【キュウリ,虹,卒業】
ヒトモドキ
背中で景色が流れていく。そういう風に自分もなった、いい事なのかは判らない。
上京したてや遊びに来る街だった時は窓の外に流れる夜景、高層ビル群、看板の多彩さなんかを飽きずに眺めていた。
人は住み慣れた街の景色は見なくなる。自分自身も風景の一部にする。
鞄の中で端末が点滅していた。“榎木戻樹さんが新しい写真を公開しました”タップして見る。またキノコかよ。
毎日キノコ料理とそのレシピが公開されていくページ。友達申請は勝手に来た。同郷の同じ高校卒業だったから承認した。少しホームシックになってたのもあるかもしれない。
榎木なんて苗字に心当たりはない。偽名だろう。榎木戻樹-エノキモドキ-か。プロフィール写真はロボットアニメだ。どんな奴かはまったく想像がつかない、なにしろ話したことがないし、コメントがついても返信することが無いから。
いいね!ボタンだけ押して端末を鞄に戻した。
Facebookってこんな使い方を想定して作られたものじゃない気がする。けど多くの人は本名は避けて登録するし、もともと既知の人間とのやりとりにしか使ってない。
公開レベルは友達だけに設定してこっそりと更新することにどんな意味があるんだろう。
特に晒すプライベートなんて無く、他人に見せたいほどの生活なんて送ってない。普通の人の退屈な日常なんて誰が見たいというのだ、意味が無い。
なのに登録したのは“みんなやってるから”それだけ。
自分自身の更新頻度は少なく、たまにイベントなどに出かけた時に写真を公開するだけだ。イベントホームページにアクセスすれば見れるような写真を。それでも自分の日常よりは公開する気になる。つまらなくはないだろうから。
たくさんの人種でごった返している。レポーターの女子アナとカメラを構えた取材班にすれ違う。あの女子アナ見たことあるな。どこの局だったっけ。
展示ブースではキャンペーンガールが各社のオリジナルコスチュームを纏って笑顔を張り付けていた。
キャンペーンガールをカメラにおさめる人、展示物を食い入るように見つめる人、少し離れた場所で展示ブースを指差しながら後輩に指示をだすスーツの男性。
メモを書きながらうなずきあっている白人の二人組。
様々な音楽と説明アナウンスと人々のつぶやきで雑多な雰囲気を作っている。騒々しいけど不快ではない。
薄いアクリル板のようなものに太陽電池がピップエレキバンみたいに等間隔で並んでいて、それを営業マンが折り曲げて、こういう用途に使える、こんなことも出来るとパネルをめくってプレゼンしていた。
その未来的なイラストに惹かれて写真を撮る。簡単な文をつけて更新をした。
端末が点滅する。速いな、まぁどうせいいね!だけだろうけど。そう思ってタップした。
“榎木戻樹さんがあなたにコメントしました。”
コメント? あいつが?
ログインする。ぐるりと回るローディング画面が遅く感じる。
“自分も来てます”
歩き出した。少しだけのヒントで判ることにあたりをつけて。あいつはロボットブースに居るんじゃないか。そんな予感がして。
最新の知能を搭載し、人間の皮膚を忠実に再現し、表情も何千パターン持たせています、というリアルなロボットに人だかりが出来ていたけど、すぐに横を通り過ぎた。
きっとここには居ない。
エノキモドキなんて名前をつけるんだ。あいつはロボットが好きなんであって、アンドロイドのことはヒトモドキだと考えてるんじゃないか。
最新のクレーンロボットがガシャンガシャンウイーンと音をたてて作業をしている。
人もまばらなブースの一番前に陣取ってずっとその動きを眺めてる奴がいる。
頬骨が自然にあがり、口角が知らずに緩んだ、人間の本来の笑顔。
もしかして俺も今同じ表情をしているのかな。
それをあいつに見られると思うとちょっとこそばゆい。けどそれよりも。
話しかけたい。意を決して口を開いた。
お題【Facebook,ロボット,キノコ】
報い
地下室の中で青い光が寒々と点ってた。ブーンというサーバーの音が聴こえるほどの静寂。
「なんなんだよ、マジで、もう、やめてくれよ、」
パイプベッドの上で青年が呟く。背中を丸め脚を折り縮め身体を小刻みに震わせていた。
「なあ? 見てるんだろ? 俺の声聴こえてんだよな? 悪かった、もう、しないから、たのむ、勘弁してくれよぉ、」
外に出歩けなくなった青年は不精髭をたくわえ掠れた声で懇願する。
二ヶ月前。
ポポーンと音が鳴ってメールの着信に気付く。知らないアドレスだった。迷惑メールの類だろうと削除した。
翌日、同じアドレスからまた届く。「うぜぇな」顔を顰めてまた削除しようとして手が止まった。
“12/18バイト先で酔っ払いにからまれた”
一昨日の日付。青年もバイト先の居酒屋で酔っ払いにからまれていた。昨日のメールのタイトルは“10/20テストの山が当たった”だったから予備校関連のダイレクトメールだと気にも止めなかった。「俺はもう受かってるつーの」と呟いて。
よぎる不安に、そんなわけないと反しながら本文を開く。
カチチ
小説だった。「なんだよ、コレ。」もれる声が上擦る。
バイト先の居酒屋で酔っ払いにからまれた大学生を主人公にした小説。日常生活が描かれているだけで面白みも何も無い。ただ青年の取った行動、口にした台詞がそっくりそのまま描写されているだけだ。
他人が読めば何も気に止めることなどない、青年一人にとってだけ気味が悪い物語。
友人のイタズラだと思った。誰がやってるんだと聞き回ったら、そいつの思うつぼのようで癪だった。気にしてない、迷惑メールだと削除してるフリを装って日常を過ごす。
けれどメールはそれからも届き続けた。バイト先、大学構内、家の中、家族と交わした会話はおろか、独り言まで網羅した日常を綴る物語。
周りに不審な動きは無いか注視し、秋葉原から盗聴探知機まで購入してきて家中漁っても何も発見出来ない。
「何が目的だ? あんた誰だ?」送ったメールは宛主不明で返ってきた。着信拒否にしてもアドレスが変って毎日届けられる。
メールアドレスを変えても届く。友人から漏れているのではとアドレスを誰にも教えなくても届く。
大学に行けなくなった。やがてバイト先にも行けなくなった。外に出るのが怖くて窓から見張られてると思ったら身体が震えて地下室に閉じこもった。
青年の父親が息子を心配して地下室に降りてきた。青年の父親は青年に言う。きっと厄介なハッカーにお前は恨まれたのだ。海外留学をしなさい。携帯電話もパソコンも置いて海外に行けば、そんなつきまといからは解放されるだろう。
海外で出来たルームメイトに「ごめんドライヤー貸してくれない?」と頼んだ。
「ははっ、日本人に電化製品を貸すなんてイカしてるな俺は。」
「コンセントの規格が合わなくてさ。ありがとう。」
ニカッと歯並びの綺麗な白い歯を見せてルームメイトは親指を立てる。
ブオーと音を立てて温風が勢いよく顔にあたった。この国の製品はこれだから困る。パワーがあればいいってもんじゃない、髪が乾けばいいだけなのに、ちょうどいい具合ってのがあるだろうと考えていた。
「なぁ、あんたに手紙が来てるぜ。」
「え?」
覚えの無い名前、日本からの手紙、まさか、まさか?
二年前。
“こんにちは”という挨拶から始まったSNSへのコメント。青年はSNSに趣味で描いた漫画を載せていた。「感想来るなんて珍しいな」とコメントを開く。
カチチ
「なんだよ文句か。」
アクセス数が欲しくて、ちょっと際どい漫画を描いた。さすがにちょっとやり過ぎ? と思いながら描いたそれは実際にあった事件を描いたもの。それについての抗議コメントだった。「被害者遺族の目に止まったらどれだけ傷つけるか理解してるか?」という内容。
コメントに返信した。「俺の描いてるのはエロ漫画、抜き漫画ですよ? モチーフにしてても実名や実団体名は騙ってませんし、傷ついてる被害者遺族がネットでエロ漫画なんて漁りますかね? レイプ漫画、痴漢漫画、殺人漫画なんて世の中にたくさん溢れてるし、実際に犯る奴が卑劣で外道なだけでしょ、表現の自由じゃないですか?ww」たぶん、彼女と喧嘩してむしゃくしゃもしてた。
手紙のなかには便箋が一枚入ってた。
“自由の国に逃げるとは、さすが表現の自由を騙る人は違いますね”
お題【地下,ドライヤー,挨拶】
マジで?
「俺、葬式とか行ったことないんすけど。」
「マジで? 俺もだけどさ。」
金髪の男がトラックのコンテナに背を預けてタバコに火を点ける。
「喪服とかどうしたらいいんすかね。」
「お前持ってねぇの?」
「ないっす。」
「学生服で行けばいいんじゃね?」
「え、マジっすか?」
金髪の男の隣に頭にタオルを巻いた坊主頭の男がしゃがんでいる。坊主頭はカッカッカと甲高い声で笑った。
「俺も叔父さんに借りっからさ。お前の分も頼んでやんよ。」
「マジっすか、あざーす。」
当日、喪服に身を包んで二人の男はコンビニに入る。
「マジでネクタイとかコンビニにあるんすか?」
「おう、あんだよ。コンビニすげーな。」
「すげーっすね。」
どうやら喪服を借りれたはいいものの黒のネクタイは1本しか無かったらしい。
「葬式のルールとかどうやればいいんすかね。」
「前の人の真似すればいいんじゃね?」
「袋要りますか?」
「あ、いいっす。これ切ってもらってもいい?」
コンビニ店員が値段タグをはさみで切る。金髪男は店内を見渡し、あ。という顔をして坊主頭に向き直る。
「先輩、俺、塩持ってないです。」
「塩? 塩なんて要るか?」
「俺の親父が葬式から帰ってきたとき母親に渡してたんすよ、なんか胸ポケットから出して、塩まいてくれって。」
「お祓いか。」
「こんな小さいビニールに入って、“塩”って書いてあるんすよ、袋に。なんかマイ塩的な?」
「マジ? そんなん俺も持ってねぇんだけど。」
「要らないっすかね?」
「いや要るって。お祓いできねーとか嫌じゃね?」
「嫌っすね。」
坊主頭が店内を歩き回る。小さい瓶に入った小ぶりの塩を手に取る。
「これじゃ、ダメだよな?」
「焼き塩っすか。ちょっと……なんかお祓いできないカンジが。」
「だよなぁ。」
金髪男も店内を歩き回っていたがしばらくして喜びの声をあげる。
「先輩! これ! これ良くないっすか?」
「お? おお! いいじゃん!」
「小さいし、袋だし。」
「マイ塩ってカンジだな。」
そうして二人はおにぎりコーナーの棚に置いてあったパックに入ったゆで卵を購入した。袋入りの小さい塩が付いていたからだ。
二人が去った後にコンビニ店員がつぶやく。
「マジで?」
お題【コンビニ,葬式,たまご】
キャラメルコーン
ピッピッピッ
ドクンドクンドクン
目を開けると男の人が心配そうに顔を覗き込んでいた。
あぁまた心配かけちゃった、ごめんなさい。ええと、誰? だっけ。この人。
「乗物酔いした? 平気?」
「いえ。眠ってしまったみたいで。」
バスのエンジンの振動とアスファルトが揺らす規則的な音に眠くなった。規則的な音は苦手だ。目を閉じたまま目覚めたくなくなる。
「はい、口開けて。」
言われるままに口を開けると何かが放り込まれた、サクサクという食感とともに甘酸っぱい味がひろがる。
「苺味?」
「そ。キャラメルコーン、苺ミルク味。」
「……甘すぎ。」
「いいじゃん、俺らの関係みたくて。」
「寒すぎ。」
「一応愛の告白とかけてるんだよ? 鳩バスに乗って、東鳩キャラメルコーンを食べる。君を幸せにします、to heart! 想いよ、君に届け!」
無言でじっと見返す。いつもいつもくだらないことしか言わない男。
「うわー、その心の底から馬鹿にしたような冷え切った眼差し! 萌える! だいすきだ!」
現在、私の先輩で。
元幼なじみ。幼なじみだったころは、こんな性格じゃなかったんだけど。私のせいでこうなった。
けど変えられない、やめてとも言えない。私はまだ起きてないから。
ピッピッピッ
ドクンドクンドクン
ガラスの向こうで大勢の人が叫んでる。看護師がパタパタと慌ただしく走り回る。
規則的な波形が黒いモニターに映ってる。青年の上に跨って先輩が必死になって心臓マッサージをしていた。汗だくで、必死に。そんなことしなくていいのに。
先輩は誤解してる、私は、もう、どちらでも構わないのに。
けどその誤解を解くことが出来ない。私はまだ起きてない。
ピッピッピッ
ドクンドクンドクン
目覚まし時計の音が規則的になり続けている。それに合わせてベッドが揺れている。首を絞められているから息をするのに必死で何も言えない。息がうまく出来てないからだろうか、自分の心音がうるさいくらい耳に響いた。
私が10歳の時に母親が不倫相手と逃げ出した。私は小さい頃から母親のそれを知っていたからどうでも良かった。むしろ学校に行き続けられるから、父の元に置いていってくれて助かった。父に経済力があり、近くに祖父母が住んでいて、祖父母が孫を可愛がる人で良かった。私は晴れ晴れとした気持ちだった。お父さん、早く良い人と再婚すればいーのに、と考えてた。
けれどお兄ちゃんは母親と仲が良かったから、すごく落ち込んで、荒れて、学校に行かなくなって引きこもるようになった。
顔もほとんど合わせなくなって数年経って私が14歳になった時に、お兄ちゃんの部屋で目覚まし時計がずっと鳴り続けていて、いつもなら止めるのにずっと鳴ってるから、あれ、お兄ちゃん死んだ? コレマジヤバくない? って思って部屋に入った。
殴られた、蹴られた、押し倒されて、首を締められた、お兄ちゃんは泣いてた。泣きながら、「なんで置いて行ったんだよ!」って叫んでた、うわ、私のことお母さんだって錯覚してんだ、怖っ、ってかお兄ちゃん弱っ、とか思ってた。なんか傷ついてないと思ってたんだけど、私はしばらく口がきけなくなって、話せるようになっても笑えなくなった。だからあれから私は起きてない。まだ、起きてない。
「怒ってる?」
先輩が訊ねてくる。心配顔。私が話せなかった頃によくしてた顔。この人誰だっけ。表の私はまたそんなことを考えて、ぼーっとして何も話さない。
「死んだらダメだと思った。あいつ、まだ君に謝ってない。君がこのままなんて、俺は嫌だ、だから、君はあいつに居なくなってほしいって思ってるかもしれないけど、それじゃ嫌なんだ。」
違うって、先輩。誤解してる。私、別にお兄ちゃんのこと恨んでないし。殺されかかったから、きっと本能で自衛ってやつが働いてるだけで、お兄ちゃんのことは弱い男だなぁ、しょうもないなぁ、男って母親に依存し過ぎだよね、くらいにしか思ってないんだけど、なんか喋れないんだよ、ちょっとしか。
「公私混同はやめなさいって君の担当医に言われた。」
私の精神治療をする為に父が通わせてるセラピーのおばさんのことだ。いっつも検討違いのことばかり偉そうに語る香水臭いおばさん。香水きついですね、って言いたいのに言えなくて、私は表の私にガッカリする。
「あいつとも君とも幼なじみの俺が傍に居たら、良くないらしい、忘れて、リセットしてやり直しが出来ない、君の立ち直りの邪魔になるんだってさ。」
ドクンドクンドクン
「だから、寂しいけど、お別れしよう。」
ドクンドクンドクン
ぽんぽんと先輩が頭を優しく撫でて、ゆっくりと歩き去っていく。
リセット? なにそれ。
なんなの、なんなの、超勘違い! 別に忘れたくないし! 先輩とお兄ちゃんと一緒に遊んだの、めちゃくちゃ楽しかったんだけど? 私の幸せってたぶんそこがピークなんだけど? なんで忘れないとならないの?
待って、待って、行かないで。
声出てよ。叫べ! 走れ! なにやってんの!
「せ、ん、ぱい、先輩!」
かすれ声で力無く叫ぶ。涙がボタボタと落ちる。私、やっと起きれた。
ピッピッピッ
ドクンドクンドクン
奥に奥に眠ってた私の横でいつもくだらないことばかり言う先輩が起こしてくれた。
「東鳩の社内キャッチフレーズ知ってる?」
「え?」
「キャラメルコーン食べたいな。」
泣きながら笑った。
“心に美味しく”だってさ。to heartとあまり変わらないダサさとクサさじゃない?
先輩にぴったりだと思うんだよね。
お題【マッサージ,先輩,鳩】
君のスプーン
海の中から掬い上げられている丸い球。掬っているのは銀色のスプーン。スプーンの中におさまるのは地球。
YouTubeで発見したこの壁画に一目惚れして田舎町からわざわざ出向いた。早く来ないと消されてしまうから。だってこの絵は美術作品ではなく、壁に描かれた落書きなのだ。
「写真とか撮らないの?」
「んーん。目に焼き付けるほうがいい。」
「そっか。」
柔らかく微笑む彼に向き直って手を繋ぐ。この人はいつだってアタシを赦してくれる。
「さて、なんか食べに行きたいけど。俺あんまりここは来ないんだよね。」
「若者の街だから?」
「俺らの歳の人間はあんまり居ないな。」
周囲には10代の若者が多く歩いている。
「センター街も行ってみたいなぁ。」
「センター街じゃなくなったんだよ。バスケ通りに改名されちまった。」
「えー、なにそれ、変なの。」
「な?」
スマートフォンで検索してみると不良がうろつく、危ない場所だとのイメージを払拭する為、と書かれていた。
「なんでもかんでもクリーンにするのって嫌だなぁ。汚れた集まりから生まれるものってあると思わない?」
「この落書きみたく?」
「うん。別にさ、メジャーが嫌いとかじゃないんだよ、多くの人が良いと褒めるものにはちゃんと価値があるって知ってるけどさ。けど少数が支持するものの価値が多数派より劣るとは思わないわけ。なのに多数派って少数派を劣化と決めつけて淘汰しようとするじゃん、気に食わない。」
落書きは犯罪です。正論だ。理にかなってるし法にのっとってる。けどそもそも法律や倫理は多数決で決まったんだって根本を考えない人が多過ぎる。
正義は善とは限らない。
「スクランブル交差点でも行く? 渋谷に来た記念に。」
「遠慮しとく。前に行ったことあるし。」
「人混み苦手なんだっけ? 前に来たのっていつ?」
「10年前、かな? 人混みに酔って、都会暮らしは無理だなぁって思った。」
あまり口にはしたくない言葉だ。私は都会には住めない。彼には東京暮らしが合ってる。将来の約束が出来ない関係。
不毛だと人は言う。私はそうは思わない、それこそ多数派の意見だ。将来の約束が出来るから、未来もずっと一緒に居れるから、だから、一番好き?
そんなの偶然に、条件が重なっただけじゃないか。それを運命の人って言うんだろうか。
私が暗い考えに沈んでいくのに気付いたのか、彼が繋いだ手を引き寄せる。頭を優しく撫でると頬を包みこんでくれる。温かい。
「また、俺がそっちに会いに行くから。」
「今度は冬以外?」
「冬はもう行かない。」
口を曲げて苦笑いする彼に笑った。地球温暖化なんて嘘っぱちだ! と叫んでガタガタ震えていたのを思い出す。
「東京の人って寒さに弱いよね。」
「君が強すぎるだけだろ。」
田舎町だと外でこんなふうに見つめあっていたらジロジロと見られるのだけど。周囲を見渡しても、誰もこっちを見ていない。価値観が全然違うんだなぁ、同じ日本なのに。
「どうした? 酔った?」
「ううん。なんか不思議なカンジがして、さ。」
「うん?」
「知らない人ばっかりだなって。」
「そりゃそうだろ。」
「君も知らないんだよね? 田舎だと何年も住んでたら全員顔は見たことあるようになるから。」
「あ~、そういう意味か。」
じっと顔を見る。優しくて面白い彼。女の子の扱いに慣れてそうな態度。美味しいお店をたくさん知ってて映画も本もたくさん良作を教えてくれた。
絶対すごくモテると思うんだけど。なんでわざわざアタシなのかな?
「こんなに人が多い場所に住んでるのにどうして離れた場所のアタシを選んだのかなぁ、と。」
「人が多いだけで出会いなんかないぜ?」
「そういうもん?」
「東京ってメジャーじゃないから。実は少数派がたくさんごった返してるだけなんよ。みんな、独りなんだ。」
「ふふ、なんか寂しくなさそうに孤独を語るね。」
「まぁね。俺はたくさんの、少数派で明日には消えちゃうようなものの中から琴線に触れるものを探すのが好きなのさ、東京はそれが一番出来るんだよ。」
雑多なものから、自分の好きなものを掬いあげる。
そんな君がアタシ一人を選んで掬いあげてくれた、それがどれだけアタシを嬉しくさせるのか、君は知っているだろうか? 伝わっているだろうか?
心がほわほわとほころぶ。体温が上昇する。
「あのさ。」
「ん?」
「やっぱ、地球温暖化してるわ。」
お題【渋谷,温暖化,スプーン】
潜る
今日も布団の中に彼が潜る。
普段の態度と同じ優しい舌使いに身体を捻る。
今日は部屋の中が明るい。窓から丸い月が見える。
白いものがヒラヒラと舞う。
『雪……?』
いや、違う。桜の花びらだ。舞い散る桜、赤い石。
『赤い石……?』
ザザ……ザ、
頭が痛い。頭の中で砂嵐のような音が聞こえる。
何故、雪だと思ったんだろう。もう春が終わろうとしているのに。
何故、冬のような気がするんだろう。
いや、今は冬ではないのか?
だって昨日まで冬ではなかったか?
気づく。
冬からの記憶が無い。
今、頭に浮かんだ赤い石はなんだろう。
いや、その前に。
ここは何処だっけ。
この男は誰だっけ。
私は、なんて名前だったっけ。
昨日、そうだ、昨日、物音がして。
私は階下に降りていった。
泥棒でも入ったのではないかとビクビクしながら降りていくと、冷たい風がザザ、ザと頬を掠めた。
窓が開いていて、雪が入り込んでいる。
庭に誰か居る。
男性だ。男性の横には赤い石。
半分だけ赤い石。べっとりと血がついた石。
雪面に血飛沫が飛び散っている。
雪から水分を含み、淡い桃色になったそれは舞い散った桜の花びらのようだ。
季節外れに庭の桜の木が花を咲かせたのか。
あの桜の木の下に潜っている人は。
その人は、その人は、誰、だっけ。
忘れた記憶が、深く、深く、潜っていた記憶がゆっくりと浮上していく。
ユサユサ、ユサと動く腰に合わせて浮上する、浮上する。
優しい男の人。私を熱く見つめるその人の頬を両手で掴んでつぶやいた。
「お父さん」
息が苦しくなった。
締め付けられる喉から、もう声が出せない。
意識が遠退く、深く、深く、潜る。
あの桜の木の下に潜れば、お母さんに会えるね。
潜る、潜る。
もう二度と、浮上しない。
お題【舞い散る桜,忘れた記憶,赤い石】
ひらひら
カタン。コトン。ゴホン。ケホン……ケホッケホッ。
『あ~。頭がぼうっとする。』
休めば? と家の人には言われたが、今日は期末試験だった。
別に試験は受けなきゃという真面目な動機ではなくて、1日3教科受けて帰るだけなので早く帰って寝れば良いと考えたのだ。
テストを病欠した場合、あとで補修授業を受けなきゃならない方がすこぶるめんどくさい。
「あの、コレ、どうぞ。」
突如、目の前に差し出される手のひら、の上に、のど飴。
手の主を見上げる。
『あ、マトリ君だ。』
知り合い、ではない。通学電車で見かけるだけの他校の男の子。
真っ黒なロングコートをいつも羽織っていて背が高く、地面すれすれのコート裾をなびかせて歩く。
付いたあだ名がマトリックス君。短くなってマトリ君。たぶん、本人はそう呼ばれている事を知らない。
あのコートの中に隠し子が入っているとか、実は足が蛸足の宇宙人だとか、暇を持て余した女子高生に好き放題噂されていた。
「ありがと。」
手の平から受け取ると、手がピクリと震えてマトリ君の顔が強張る。
『あ、恐かったか。』
私は、目付きが悪い。マスクで口が隠れているから、すごく無愛想に移っただろう。
マスクを外してにっこり笑って
「ホントにありがとう。」
と伝えたら、マトリ君はまたビクビクと身体を震わせた。
なんなんだ?
いぶかしげな表情に気付いたのか、マトリ君は言い訳をたれた。
「そ、その、し、知り合いでも無いのに、余計だったかな、と。気持ち悪く無いですか? 僕?」
「そんなことないよ? 気遣いは嬉しいよ。」
「僕、良く変だと言われてて。」
「あ~。まぁ、変わってそうではある。」
「えぇっ!?」
泣き出しそうな顔。あ、なんかカワイイかもしれない。
「なんで地面すれすれのコートを着てるの? 中身どうなってんのかなぁ? って前から気になってた。」
私は、好奇心のかたまりだ。気になってた事は訊きたい。
ついでに訊いてしまおう。
「えっと……僕、黒いものがひらひら舞うのが、す……好き、で。」
「は!?」
「い、いや、好きというか、えっ、と……。」
……。
あぁ、そういうことか。
『怖がってたわけじゃないんだ』
私は、自分の黒い髪を手で鋤いてなびかせてみた。
ひらひら。
「こういうのも好き?」
意地悪に笑う。
へらへら。
ちょっと気分が良くなった。
お題【電車,コート,マスク】
クラクラ
「あはは、なにコレ。ん~っと、二頭筋固め? 全然わっかんない。あ、コレ! コレは知ってる! 四の字固めだよね?」
バレンタインデー。部屋に来ている彼女。世間的には幸せな男、なんだろう、おそらく。
彼女は自分が買ってきた『関節技チョコ』に付属していた説明書を読みながら笑っている。
「ねえ、アユ。」
「うん?」
「僕のこと、本当に好き?」
「は!?」
突然の質問に彼女はキョトンとして聞き返した。
けど、僕にとっては急にじゃない。思い付きで口にしたわけじゃない。
「アユが僕のこと好きだと思えなくなった。」
「なんで……?」
「好きじゃないでしょ。」
「好きだよ?」
「そうは思えない。」
「ヒロ、どうしたの? あ。チョコふざけすぎた? イヤだった? 面白くなかった……かな?」
黙る。チョコとかは関係なかった。
「そういう態度が、だよ。」
「え?」
彼女はまったく理解ってなかった。
「本当に好きか? なんて疑われるような事を聞かれたのに、どうして怒らないの。なんで、そんな事を言われて僕の方を気遣うの。アユは優しいけど、いつも優しい。怒らない。それはそういう性質なのかもしれないけど、怒らないだけじゃなくて愚痴も言わない、ワガママも言わない、甘えてもくれない。僕は、」
言ったらダメだとは思った。
少なくともバレンタインにわざわざ来てくれた日に言うことじゃなかった。
「僕は、君の弟になったつもりはない。」
彼女は絶句していた。けど、止められない。
「僕は、アユじゃないとダメだ。やきもち妬くし、余裕ないし、振り回される。けど、アユはいつも余裕なんだ。僕に振り回されない。それって本当に好き? 僕じゃなくてもいいんじゃないの?」
パタパタッと彼女の目から涙が落ちた。呆然とした表情。
僕は、いったい何を言ってるんだろう。
「情けなくなるんだ。僕だけ子どもっぽいままで、アユは大人で。好きだけど。好きだけど、一緒に居ると自己嫌悪ばっかりで、辛い。」
終りだ。
絶対に言っちゃいけないことを言っちゃいけないタイミングで言った。
彼女は何も言わずに部屋から出ていく。
僕は、追いかけることが出来ない。
テーブルの上に残されたチョコ。
関節技か。
傍に居て欲しくて、がんじがらめに縛りつける。相手が苦しいのに止めなかったら相手が壊れる。
けど離したら、わざわざ絞められには戻らない。
アユは優しい。ただ、献身的な愛は、平等に周囲の人間に振り分けられる。
母親のような、年の離れた姉のような接し方をされると虚しくなる。
僕は、頼りないと言われているようで。
子どもっぽいから守らないといけないと思われていそうで。
「はぁ……。」
もう、何度目か判らない溜め息。
僕は、本当にお子様だ。あんな顔をさせて泣かせるようなヒドイ伝え方をして、何がワガママを言ってほしい、甘えてほしい、だよ。
関節技をかけて痛めつけるような愛し方しか出来ない子どもっぽい男に甘えられるわけないだろ。
このまま終わってしまうんだろうか、こんなに好きなのに。
最初は姿を眺めてるだけで幸せだった。世間話が出来る関係になっただけで毎日浮かれてた。
けど、今さらその頃のような感情には戻れない。
あれから、アユとは連絡を取ってなかった。その事実が、やっぱり僕が彼女に夢中になるのとは違って、彼女は僕には振り回されないんだ、という事を証明しているようで、ひどく辛かった。
コンコンというノック。朝の6時。
なんだ? こんな時に、イタズラかよ?
「ヒロ? 起きてない?」
聞こえてきたのはアユの声。慌ててドアに向かう。
ドアを開けるとスーツ姿のアユが立っていた。出勤前に寄ったカンジだ。頭がクラクラする。嫌な予感。慌ただしく、手短に済ませるのだろうか、お別れを。
「入っていい?」
そんな事を聞かないで。もう、他人みたいじゃないか。
アユは部屋のソファーの左側に座った。いつもの定位置。その事に少しだけ期待する。
「今から、すごく変な話するけど。遮らないで最後まで聞いてくれる?」
嫌だ、聞きたくない、と言いたかった。でも自分の子どもっぽさを後悔していたから、うなずくしかなかった。
アユは両手で頬を押さえて、
「はぁ……緊張する。」
と声を震わせた。
クラクラ。倒れそうだ。絶望的だ。
「あのね。私、ヒロの身体が好きなの。」
……。あれ?
「背中のラインとか肩幅とか、飛び付きたくなるくらい、好き。姿勢が良くて歩き方が、すっごいカッコ良くて、一緒に歩いてると周囲の女のコたちが振り返ってヒロを見るの。一番好きなのは腰と足なんだけど。指も好き。」
両手で押さえる頬が赤く染まっている。
「ワガママ言えなんて言ったって無理だよ。ヒロ、告白してくれた時に、言ったじゃない。凛としてる所を好きになったって。けど、私、甘えたがりだもん。ワガママ言えなんて言われても困る。ヒロにしてほしいこととか、全部、変だもん。その指先で、顎を猫の喉なでるみたいにくすぐってほしい、とか、膝枕して、とか、とにかく、変で、ぜんぜん、凛としてない。私、甘えたくても、ヒロにイメージと違うとか思われて、振られたら、困る。」
頬を押さえてうつむいたまま、アユはポロポロと泣き出した。
「別れてって言われたらイヤだから、ワガママ言えなかっただけ。好きじゃないんじゃないの、なんて思われるなんて、考えてなかった。」
アユが顔をあげる。涙目でみつめられて。
「振り回されてないなんて、無い。弟みたいなんて、思ってない。好きだよ。すごく、好き。」
クラクラ。嬉し過ぎて失神しそう。
倒れ込むようにアユの肩に頭を乗せた。
今度こそ優しくしたい、けど、今は無理だ。
苦しいんじゃないかってくらいきつく抱き締める。力を抜く事が出来ない。
「別れてなんて、僕が言うわけない。どんなワガママでもいいから。僕にしてほしいことぜんぶ言って。」
「本当にいいの?」
「うん。」
「今日、有休取ったの。ヒロ、来月から社会人でしょ。スーツ買いたい。買いに行こう。」
「え? スーツなら買ってあるよ?」
「あんなのダメ! 全部ワンサイズ大きい! ヒロの身体のラインがぜんぜん判らないじゃない!」
「へっ!?」
なんだか間抜けな声が出た。
「今まで貯めた貯金、全部使う。10着くらい買うからね。」
「そんなに!?」
「一生かけてもっと増やすよ?」
顔が赤くなる。さりげなく、いま、一生って。
「今日、買ったスーツでデートしてね。」
あぁ、だから、アユもスーツで来たんだ。
「ヒロ、今日、ホワイトデーだけど、もう買っちゃった?」
「あっ。」
どうしよう。もうダメだと思ってたから準備してなかった。
それを受けてアユは意地悪に笑う。この笑い方は久しぶりに見た気がする。なんだか嫌な予感。
「ワガママ言っていいんだよね?」
何を言う気だ。
首に抱きつかれて耳打ちされたそのお願い事にクラクラした。
甘えもワガママも言ってくれないよりは、遥かに幸せだけど。
"何でも聞く"は言い過ぎた。
お題【スーツ男子,四の字固め,チョコ】
カチカチ
カチカチカチカチ。
カチン、カチン、カチン。
体育館に聞こえる連続音。
「あぁっ! 疲れた! 帰りたいっ!」
少女が天井を仰いで叫ぶ。人の居ない夕方の体育館に虚しく反響した。
「先輩、もう少しですよ。頑張りましょう。」
少年の方は手を休めることなく資料をホッチキスで閉じていく。
体育館に設営されたパイプ椅子の羅列。
ステージに置かれた長机の上に山積みされた報告資料。
生徒会総会の予算決算報告書の教員と全生徒分。
生徒会のメンバーや手伝いの生徒たちで会場設営を終えた後に、皆を帰宅させ、あとは戸締まりをして帰るだけだった時だ。
決算報告書の誤植に少女が気付いた。
「それに、先輩の判断正しかったじゃないですか。誤植を修正テープで直すより該当ページだけ印刷してホッチキスで閉じ直した方が速いって。速く終りそうですよ。」
「そうね。こんなに手が痛くなるのは考えてなかったけどね!」
「修正して、手書きもたぶん、手痛くなるんじゃないですか。」
カチン、カチン、手を休めることなく少年はつぶやく。
「愚痴ってゴメン。サボってゴメン。」
少女は椅子から立ち上がろうとした。それを軽く肩をとんと押され引き戻される。
「休んでてください。もう少しで終わりますから。」
「そんなわけには」
「いいから。自分、野球部現役ですよ? 先輩とは握力もスタミナも違います。」
「ありがと。」
「いいえ。」
日の落ちた帰り道、スーパーの駐車場でたこ焼き屋台を見つけた。
ギュルギュルギュルとなる少年のお腹の音に少女は吹き出す。
「スタミナとパワーあっても燃費が悪いね。」
「育ち盛りなんすよ。」
「奢る、一緒に食べよ。」
近くの公園のベンチに並んで座りたこ焼きをそれぞれ頬張ろうとした時、
「あっ!」
少女はたこ焼きを落とした。
コロンコロンと転がり砂まみれになったたこ焼き。
「あ~。やっちゃった。」
「先輩、手が震えてるじゃないですか。」
「え~!? あ。ホントだ、なにこれ。」
「素振り500回くらいするとそうなりますね。握力が弱くなってるんだ。」
少年は自分のたこ焼きを少女の口に運んだ。
「どうぞ。」
パクリと食べさせてもらった瞬間。
カチ、カチ、カチリ。
時計が止まるような錯覚。
「俺、卒業した後も会いたいんすけど。」
カチ、カチ、カチ、今までより少し速く、時が刻みだした。
お題【たこやき,ホチキス,卒業】
He is a black.
He is a Black.
Help!
Help!!
少年の瞳から涙が堕ちる。
響き渡る銃声。
銃弾は少年の胸を撃ち抜いた。
少年の泣き声が止む。
銃を撃った自警団の白人はこう証言している。
「正当防衛だ。」
ボタボタと涙が落ちた。
震災があってから後、米国から様々なメッセージが届けられた。
"絆"という言葉が日本人を慰めた。
世界が近くなった気がして心強く感じた。
多くのアメリカ人とオンラインを通じてチャットした。
日本人のように繊細ではないし、大雑把で、時々無神経ではあるけれど。
多分、日本人が一番好きな外国は米国なのだ。
裏切られた気がして哀しくてやるせなくて涙が止まらない。
「正当防衛なんて、そんな嘘を、なんで……。」
「どうした?」
隣の部屋から起き抜けの彼が心配そうに声をかけてくれた。
泣いている私を見て、テレビに映し出されたニュース映像を観るとスタスタと歩いてきて両手を私に差し出す。
私が首に抱きついて頬ずりすると、頭をゆっくり撫でてくれた。
「昔、似たような時にね。」
「うん?」
「そんなの偽善だと言われた事があるの。」
「そんなのって?」
「何も出来ないのに、日本みたいな安全な国から、"私、心を痛めてます"みたいに泣くなんてポーズでしょ。そういうの偽善だと思うって言われた。」
「そいつ、馬鹿じゃね?」
「そうかなぁ? 一理あると思わない?」
「そうじゃなくて。」
抱き締めていた私を、少し離して顔を覗き込む。
「お前、子ども好きだよな?」
「え? うん。」
「けど"子どもが好き"とかポーズで言う女いっぱい居るだろ。」
「ああ、かも。」
「お前、知らん子どものゲロでも平気で片すじゃん。鼻水出してたら鼻水かませてやるじゃんか。おもらしして泣いてた子ども抱き上げて慰めてた事もあったよな。」
「うん。だって、泣いてたから。」
「ちょっと一緒に居たら判るだろ。お前、ポーズなんてする奴じゃねえよ。」
もう一度ギュッと抱きついた。
"偽善だと思う"
そう言った人は泣いてた子どもを抱き締めた私に、あとで「汚いから手洗いなよ」と言っていたっけ。
……君を、好きになって良かった。
お題【嘘,銃,絆】
ずっと一緒
足の指に砂が絡まった。
「お母さん、裸足だと砂きもちい~!」
「え~? どんな風に?」
「お母さんもやろ、ジャリジャリして、ひゃっこいの!」
「ジャリジャリかぁ、ジャリジャリはお母さん嫌かも。」
「気持ちい~のに~。」
ジャリジャリと、石が音を立てた。
爪の間に土が入った。
「あなたが余計なことするから悪いのよ。」
涙が出なかった。とうに枯れていた。
言い返す気力は無かった。
代わりに旦那が言い返した。激しい言い合いになった。内容なんて聞こえなかった。
旦那が義母を殴った。石がジャリジャリと音を立てた。
墓石に血が付いた。墓場は騒然とした。
手が土だらけだった。墓場は静寂だった。
砂だらけの指が絡んだ。
「つかまえた!」
「きゃ~。届いた?」
「届いた~。」
砂山のトンネルが繋がった。
娘の手が繋がった。
「ね~。お母さん。」
「ん~?」
「いっぱい手繋いでね。ずっと、一緒にいようね~。」
「うん、ずっと、一緒に居ようね~。」
娘は砂場で踊った。
足の指に砂が絡まった。
絡まった砂が水に流された。
小さくなった娘を抱えた。
箱を開ける。砂の中に手を入れる。砂だらけの手が娘を掴む。
ずっと、一緒に居ようね。
うん、お母さん、ずっと、一緒に居るね。
海に砂が流れ出した。娘が砂から顔を出した。手を繋いだ。海に入った。
真っ暗で何も見えない中に娘だけが見える。
海底の砂は足の指には絡まずにスルスルとかすめていく。
娘に伝えた。
「お母さん、ジャリジャリは嫌だけど、水中の砂は気持ちいいかもしれない。」
「え~。ジャリジャリだって、気持ちい~よ?」
あの時一緒に裸足になれば良かったな。
それだけを後悔した。
他の誰に何を言われても、自分の行動を後悔なんてしなかった。
いつだって手を繋いでた。ずっと、一緒に居た。轢かれた時も一緒だった。私の身体は傷だらけになった。娘を庇ったつもりだった。
「手を繋いでいたから衝撃から逃げられなかった。」
無傷の娘が目を覚まさなくなった理由を医者が事務的に伝えた。
その時から修羅場が始まった。
けれど、それも、もう、終りだ。
もう、何も聞こえない、何も見えない。
ただ、娘は感じる。
ずっと、ずっと、一緒に居ようね。
お題【修羅場,墓場,砂場】
手紙
(単調な白い部屋、壁に固定されたベッド、困り顔でウロウロする男性)
(上手から作業着姿の職員登場、台詞スタート)
お待たせしました。
あ~。さっきも通信で発したんだけどさ。このベッドを外して持って行きたいんだ。
ええ、それは出来かねます。という説得に参りました。
なんでだよ? 金なら払うと言ってるじゃないか。
箱全体のシステムと繋がってるからですよ。外すようには設計されていません。
かかる費用なら負担するから!
他の部屋のシステムが10分停止します。出来ません。
10分くらいいいじゃないか。
この箱には1万人住んでるんですよ。
迷惑料なら払うよ。頼む。
料金の問題じゃないんです。お金は不要、時間を取るなというのが住民の68%の投票ですから。覆せません。
そんな!
だいたいどうして、あなたはそのベッドに固執なさいますか? あなたの異動先はエリアS区でしょう? 箱システムも最新ですし旧型ベッドを運び込む意義がないでしょう。互換性はありますが。
想い出だよ!
想い出……。
別れた彼女との想い出が!
お言葉ですが、脱臭・洗浄システムで彼女の匂いどころか、あなたの痕跡すら起床時にリセットされますよ?
そういう問題じゃないんだよ。痕跡が残ってなくてもこのベッドで愛し合った過去が大事なんだ。
それならアイ(眼底映像記憶装置)で見れば済むでしょう?
違う! 過去に見たデータと想い出は違うんだ。
正しいのは記録ですよ。
事実は想い出を上回らない。
美化じゃないですか。
それがいいんだ。
解りませんね……。
業務上、出来ないのは承知だが、気持は解るだろう?
いえ……。
ん? なんだ、あんた生身じゃないのか。
はい。AGS‐タイプRです。
最新型か。たいしたもんだ。会話に違和感が無かったからてっきり生身かと。
それは嬉しいですね。
そんな感情もあるのか。
ええ、ですから、私にはその想い出への感覚が理解出来ないのが悔しいです。人間への路は遠いですね。
そんな風に思うなら相当近いだろうけどな。
そうでしょうか?
だって、それはあんたの夢だろう?
はい。
まぁ、ベッドは諦めるさ。来てもらったのは別件もある。
スカイ通信の受信移行ですね。
そうだ。次は1年後に届くんだが、受信設定を自分ではやってなくてな。
かしこまりました。
(職員が下手に移動、モニターに向かってキーを操作しながらの会話。男性はベッドに座って窓からの景色を眺めている)
ヴェガ星からの光通信を受信していたのですか。
ああ。本当は宇宙人に会うのが夢だったんだがな。
通信技術は追い付きましたが、有人飛行で光速に近づくのはまだ先でしょうね。
あんたなら会えるかもな。
どうでしょうね。廃棄されるかもしれません。
今は廃棄処分なんかされないだろうが。
いえ、私が廃棄を望むかもという意味です。
なるほど、有限を選ぶか。
不思議ですね。光で画像と音が届くだけなのに。
しかも向こうの1年前の映像だ。
こちらの返信が届くのも1年後ですね。
ああ。
それでも、ヴァーチャルでは無いと解ります。彼女は生きている。
ははっ
どうしました?
いや……夢を見て、他者に憧れるなんてな。あんたは身体が生身じゃないだけで、ほぼ人間だな、と思って。
ほんとう、ですか。
あぁ。近いうちに違いなんて無くなるんじゃないかってあんたを見てると思うよ。
嬉しい、です。
そうか。
彼女とはどんな事を話すんですか?
何を考えてるか、だな。
思考ですか。
そう。景色や生態や食習慣なんかは公式でいくらでも解るしな、1個人の想いをやり取りしている。
また"想い"ですか。その感覚を掴むのは難しいです。
まぁ、生身の俺も良く、解ってないからな。精神分析がどれだけ進んでも、やっぱり解らない部分は多いな。
もったいないですね。
もったいない?
あなたと別れた女性です。あなたと話すのはこんなに楽しいのに。どうして別離を選んだのかと。
そ、そりゃ、ありがとう。
想い出、造りますか。そのベッドで。
は!?
私、最新型ですから。セクサロイドも対応してます。
いや、あんた、男だろ?
いえ? 女性型ですけど?
女に見えねぇよ!
過去の引越し業者をイメージして着てきた作業着だからじゃないですか? 脱げば問題ありません。
いや、無理だ。男だと思って話してたから……。
う~ん? けど、あなたの眼球の動きは性欲求が高まってる事を示してますが。
そんなわけない!
あと、あなたの顧客データによると私の見た目は、あなたの好みのはずですが。
データで判断するなよ!
では、私に教えてください。データでは解らない人間の"想い"を。
いや、ちょっと、待っ……。
(暗転)
お題【ベッド,引越し,光速】
しゃべくり
「かんぴょう巻きって、この世から無くても良くね?」
「え~?」
俺のつぶやきに彼女は目をパチパチさせて左上の虚空を見上げた。
何を話そうか間を置く時の癖だ。
「メンマの時もそんな話したじゃん。割り箸混じってたら区別つかなくね? とか言ってさ。」
「そう思わん? 何の為に必要よ?」
「おでんの竹の子巻いたり、ロールキャベツ作る時便利じゃん、かんぴょう」
「縛る用途は良いとして、かんぴょう巻きの意義は?」
「食感?」
「あのへにゃへにゃ求めるやつ居るか~?」
「ナタデココ好きなくせに食感に文句言う資格なくね?」
「あのコリコリは神、かんぴょうとは比べ物にならん。」
回転寿司屋に寄った帰り路にそんな会話をしていたからだろうか、この仕打ちは。
嫌がらせ? ってのはないか、彼女の性格的に。おそらくボケである。
愛犬の首にリボン形状のかんぴょうが巻いてある。毛並みに合わせてレイヤーカットまで施しやがって。トリマーか!
ペットショップに行った時も漫才のような掛け合いをして店員に笑われたものだ。
最終的には俺の希望のヨークシャーテリアを購入したのだが、彼女は柴犬とか秋田犬とか毛の短い犬が好きで、「大きくなったら室内で飼えないでしょ。」と言うと「豆柴犬なら問題ない。」と反論。
ちょっとグラつきかけた、なんだあの豆っころの可愛さ。
「じゃあ私が名前つけていいならヨーキーでいいよ。」
と妥協して付けられた名前が"紅丸"だ。彼女の出身地ではイトーヨーカドーは全てヨークベニマルになっているかららしい。
外見に似合わない名前にも程があるよ、ふざけてる。
それでも、このボケをどう弄ろうか、ツッコむか、ボケ返すのか考えてる俺も結局似た者同士なわけで。
待て待て、今日はそんな場合じゃない。大事な局面なんだ。
「あのさ、俺と結婚しようよ。」
「人生の山場キタコレ!」
「茶化すなっての」
「だって、シリアスモード3分持たないんだもん。」
「お前、そんなんで結婚式どうすんの?」
「え~? そんなそれこそ人生の山場じゃん、ウケ狙いに行くでしょ。」
「マジで?」
「笑ってはいけない結婚式やろうよ。新郎、アウト~。」
「俺かよ!」
「結婚したくなくなった?」
イタズラっぽく笑う彼女をギュッと抱き締める。
ワンワワワン!
愛犬がなんでやねん! と吠えた気がするけど気にしない事にした。
お題【ペット,山場,かんぴょう】
三題噺