絶望という名のランチを

誰にも分かってもらえなくても、お母さんには分かってほしいと思います。
私の病気のこと。
私の自殺願望。
私の抹殺された感情。
私はどうやって死のうか考えています。
私はあなたの存在がうとましく、あなたから離れたいと思っています。
あなたは父が私を怒鳴った時、無言で私を見ていましたね。
父は病院に行かなくていい、薬なんか飲むからよけいに悪くなるんだ、と私に怒っていました。
何に対する怒りなのでしょう。
むしろ、おびえているようにも見えました。
この病気は実態のないオバケです。
オバケを見た人もいれば、見たことがないという人もいます。
この不条理な世の中、意見の対立など日常茶飯事です。
もし私が余命いくばかの病気であれば、あなた達は膝をついて泣き崩れて下さいますか。
あいにく、私の病気は三ナイです。
死なない。
分からない。
治らない。
出来そこないの医者の息子は精神科か皮膚科に進むように言われるそうですよ。
どちらも、患者を殺すことはないですからね。

お母さんは見たことがありますか。
私はテレビで遺留品の整理をする業者を取材した番組を見たことがあります。
ある男性が東京のアパートの一室で、人知れずなくなりました。
彼の部屋はゴミ捨て場のように荒れ果て、そのゴミに埋もれるように男性は倒れていたそうです。
彼を見つけたのはアパートの管理人で、死後、二週間が経過していました。
そこで、両親は彼の部屋を片付ける為に業者を雇ったのでした。
業者は彼の遺留品から彼の生前の生活を垣間見ることが出来ました。
部屋のある大量のアルコール類。
彼はアルコール中毒でした。
通帳に振り込まれた大金。
彼の退職金でした。
病院の健康診断の結果。
彼は肝硬変を患っていました。
以下、このようなことが推測されます。
彼はアルコール中毒になり、仕事を続けられなくなったので、退職した。病院からは肝硬変と診断されるも、治療することをあきらめて、この部屋で病気と共に死ぬことを選んだ。また、二週間発見されなかったことから、訪ねてくる友人にも恵まれなかったことが分かる。
私がこの番組を見て、号泣したのは彼の母親のセリフです。
彼女は二カ月前に息子から電話をもらっていたそうです。
彼からの電話は数年振りで珍しいことだと思ったと言っていました。
私は涙が止まりませんでした。
彼の母親への怒りが込み上げて来て、体がガクガク振るえました。
お母さん、あなたには分かりますか。
あの電話は彼の最後のS0Sだったのです。
けれど、彼の母親は気がつきませんでした。
もし、彼の病気と孤独を救う為に東京のアパートに行っても、追い返されたかもしれません。
もし、彼が母を受け入れてもアルコール依存症になっているので、彼の死は免れなかったかもしれません。
この場合、結果などはどうでも良いのです。
彼のS0Sの声が母親の耳には届かなかった。
この私の末路でもあるのでしょうか。お母さん。
私は電話をかける代わりに、この手紙を託したいと思います。

私は働けません。
お母さんは私が病院を退院したから、もう働けると思いますか。
私はあなたが紹介してくれた無資格でも働ける託児所で週三回のアルバイトをしています。
私は子供が大好きだから、この仕事は嫌ではありません。
でも、仕事をしていると、どうしてこんなことしているのかなと思います。
皆が働いているから、私も働かなければならない。
でも、本当は働かなくても良いならば、働きたくないのです。
仕事への動機が、強制的なので、仕事そのものが強制されているように感じるのでしょうか。
あなたの心配は分かっています。
私が独りでも生きられるようになってほしいと思っているのでしょう。
私は何も出来ません。
私は何もしたくないのです。
この考えはあなたに受け入れられないものですか。
私はテレビでうつ病で働けない長女とその家族のドキュメンタリー番組を見たことがあります。
その長女は仕事をしないで両親と暮らしています。
次女は共働きで、二人の子供を持っています。その子供を長女が世話をしてくれるから助かると言っていました。
長男も長女が大好きで両親が亡くなったら、自分が彼女の面倒をみると言っていました。
私は彼女がうらやましくてたまりませんでした。
実は私も長女です。彼女と私は何が違うのでしょう。
彼女の家はお金持ちでした。
だから、彼らはお金の心配をしなくて良いのです。
私の家は中流階級だと思っていましたが、そうでもないことが分かってきました。
経済的には私くらい食べさせることが出来るでしょう。
でも、私達の階級では、働かないと生活が出来ないという意識がすり込まれているのです。
これが私達の現状です。

お母さん、いつからでしょうか。
私は感情のコントロールが出来ません。
私達は家畜のような学校生活を送り、社会へ従属する為の方法を学びました。
その結果、私は環境に合わせて思考、態度、行動をカメレオンのように変えていました。
今は同じことを繰り返し考えています。
あなたから見て、私は同じことを何度も何度も繰り返しています。
この子はなにやってんの、と思われても無理のないことです。
世間では、統合失調症と呼ぶのでしょう。
私はある俳優が映し出されたテレビに目が釘づけになりました。
俳優は自分は統合失調症だと言いました。
俳優であるから才能として認められているけれど、そうでなければ病気だと言っていました。
外国の俳優です。
彼の瞳はキラキラしていました。
さすがスターですね。本物の星の輝きです。
彼は私に語りかけたのです。
そんなに仕事が嫌なら、演じてみたらいいのだと。
私はどんなにやる気を持って仕事に臨んでも、はっと気が付けば、私なにやってんのと思うのです。
あなたは当たり前のことをと思うかもしれません。
そもそも動機が私自身を世間から覆い隠す為の道具でしかないことに悲しさを覚えます。
とにかく働け、甘えるな。
あなたと私は血のつながりはあっても、文脈のつながりを見出すことが出来ません。
このことをあなたに伝えることは、お互いに違う角度で物事を見る良い機会であるように感じます。

父が亡くなりました。
首つり自殺です。
病院に運ばれましたが、すでに亡くなっていました。
青いジャンパーを着た警察官が家に来ました。
保険金は、前日の様子は、どういう状態で亡くなったのか。
警察官はたくさんの質問をしましたが、あなたは葬儀社と連絡を取るのに必死でした。
「親戚には知らない者もいるのでなるべく早く連絡してください」
独り暮らしをしている兄が家に戻っていました。そして、呆れた顔で母を見ていました。
「どうやって隠すって言うんだ」
私は何もしていないのに、疲れて寝てしまいました。
翌朝、八時半に納棺師が自宅に来ました。
「失礼いたします」
黒いズボンとベストを来た若い女性が正座をして、頭を下げました。
納棺師は浴衣姿の父の遺体の前で手を合わせ、彼を仏衣に着換えさせた。
父は首の傷が見えないように襟を深くし、棺に納められた。
父の死に顔は美しかった。
今まで深く刻まれていた皺がなくなり安らかな顔をしていた。
どうして皺が消えてしまったのだろう。
死は生前の苦労まで取り去ってしまうのだろうか。
「親父も死んで良かったと思ってるさ」
兄はしみじみと父の顔を見てから言った。
テレビドラマでは主人公がわっと泣くシーンが多いけれど、実際は喪失感よりも一つの変化として受け止めていた。故人に想いが入ってなければ、ただの日常の変化に過ぎない。
あなたは何を思ったのか、実家に戻るよう説得して兄から嫌がられていましたね。
女は罪深い生き物ですね。
変化よりも安定を求めます。

病気になって良かった、という人がいます。
もし神様が病気になる前に戻してあげると言っても、今の方がいいと彼らは言います。
私は彼らが見た世界を私も見てみたいと思うのです。
きっと全てが手に入ったような気分なのでしょう。
そこでは何も必要ないのです。
私は洋服やアクセサリーを買いたくなった時期がありました。
しかし、それは私の心が満たされていないだけだと気がつきました。
家の中にずっといて気づく人もいれば、外で働きながら気がつかない人もいます。
仕事があり、友達がいて、家族に囲まれていても、誰もが不安を抱えています。
それが不満なのか、不安なのかは感じ方次第だと思います。
どんな状況でも私達は不幸な出来事に対して良かったと言えるでしょうか。
父が亡くなったばかりの頃は私も死んで良いのではないかと思いました。
だって、父は自殺したんですもの。
私が同じように死んで何が悪いのだろう。
でも、私は死にませんでした。
ただ、臆病なだけかもしれません。
そんな私でも見てみたいのです。
変わらないと思っていたものが、突然変わることがあります。
例えば、夢はかなうと信じる人がいます。
私はその人は偶然自分の夢と現実が一致しただけだと思います。
私は全ての人の夢がかなうとは到底信じられません。
ただ、今を生きていれば、いつか未来が見えます。
ただ、見るだけです。
たくさんの不幸が私に襲い掛かり、押しつぶされても、私は変わりません。
世界が変わるのです。

絶望という名のランチを

絶望という名のランチを

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-07-16

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