カンニング

あんな狭い教室にあんな沢山の生徒、そんな行き交う思考の行方はどこだろうか

「先生が起きろって」
後ろから右肩を軽く叩かれた。人差し指と中指の先の感覚が背中を通して頭の中へと即座に伝わった。無言のまま机から顔をあげた。机に対して頭の全体重をおでこだけに任せてたからあげたおでこが痛かった。その結果おでこに右手を当てながら寝起きのくしゃくしゃの顔で教卓にいる先生の目と合うことになった。そんな俺を見るなり先生は言った。
「根木間、寝るなら出て行ってくれ」
そんな冷たい言葉のおかげで静かだったであろう教室に空気を濁す音をもたらしてしまった。もちろん空気を濁したのだから教室にいる俺以外の31名の生徒たちが冷たい視線を向けてくるのは当たり前だった。
本来ならば今日欠席であるアイツが空気なんか読むこともなく大笑いして、この濁った空気を一瞬で清浄してくれるはずなのだが、アイツは休みだ。
「阿井公なんで休みなの」と前の席のヒカルが唐突に聞いてきた。唐突といっても案外普通のながれだったのかもしれない。ただ居眠りしていた奴が先生に注意された、そんなたったの十五秒にも満たない出来事だったのだから。ただ俺は寝ぼけていたからヒカルからのアイツの話が唐突に感じただけなのかもしれない。
「アイツの事そんなに分かんないんだよね」と笑顔を軽く。納得したのか素っ気ない相槌をして黒板に集中をもどした。先生は授業を再開していた。出て行けなんて口だけで本気で出て行かせる気はないようだ。

昔、出て行けといわれて本当に出て行ってやろうかなと考えたことがある。そんなちっぽけな反抗心を燃やした。が、そんな考えを俺よりも先に燃やしていた奴がいた。阿井公達也、当て字で読んだままの「あいこうたつや」で、すぐに名前を覚えた。それと同時にあだ名もすぐに思いついた。フルネームを略して「アイツ」。そんなアイツは反抗心を燃やしただけではなく考えを行動へと実行したのだった。あれは今から一年前。
それは周りからしたらつまらないことだっただろうが、すごく興奮したのを覚えてる。自分のしたかったことを簡単にやってのけたのだから。出て行けと言われて出て行くのなんて簡単なんだろうけど、俺からしたら周りの目を気にするとそれだけで出来なくなってしまうものだった。そもそもを考えれば、そんな考えが浮かぶのは、俺とアイツだけだったのかもしれない。こんな考えてもやろうとは思わないような馬鹿げたことをみんなはしない。

そんな考えに「だから、そこにやりたくなる理由があるんだよ」とはじけた笑顔で俺と会話をしたのはアイツが出て行った授業が終わり次の授業までの間の休み時間の十分間だった。
教室にはさまざまな声が行き交っていた。そんな行き交う声の中なのに耳にはアイツの声しか聞こえていなかった。錯覚なのだろうが、錯覚という表現よりも幻聴というべきなのかわからないけれどもそんなことよりもアイツの言葉の説得力さには恐ろしさを感じていた。

アイツはあまり口を動かさずに言った。
「みんなの予想を裏切らないと意味がない」
よくわからない顔をしてしまっていた俺を見るなり言葉を続けた。
「みんなの予想というよりもそもそも予想をさせたら意味がない」
そう言いながら前の席のヒカルの椅子に座った。座ったというよりも椅子に正座をした形で今にも落語を始めるかのようだった。しかしアイツの口から発言される言葉は決して落語なんかではない。
「例えば、さっきの授業、俺は居眠りをしていた」
カールした前髪を人差し指でいじりながら俺の机にひじを立てた。
「そしたら藤井が怒鳴った、起きろと」
アイツは微笑む。楽しそうに。子供のように。
「そして言った、寝るなら出て行けと」
もちろんここで出て行くわけがないと藤井は思ってるはずだと先生の思考を勝手に推理するアイツ。
「案外、本気だったりするんじゃないのか」
そんな俺の考えを「それはないな」とすぐに却下する。
「もし、本気で出て行かれたら困るのは藤井自身だからな。だってよ、誰かが授業中に出て行ったとなればその後のみんなの集中力が落ちるのは当たり前だろ」
髪をいじるのをやめ腕組みをしながらこちらをにらむ。正座に腕組みなんておかしな格好だなんておもいながら俺はうなずいた。
「だから藤井は本気で出て行かせたくて出て行けなんていってない。本質は出て行かせたいよりも寝ることを阻止したいってこと。つまりそこで出て行くなんてされたらすごい困るんだよ」
「出て行けと言ったのは先生自身だから止めようもないしね」とふたりで笑う。
「アイツの言うとおり先生は困ってたしね。みんなもなんだか楽しそうだったよ」
それを聞いたアイツは意外なとこに食いついた。意外でもないだろうが。
「アイツって俺のことか」とアイツは自分を指差す。
今はじめてアイツの名前を呼んだことに気づく。
「あっ勝手にあだ名つけてたからさ」
「略してアイツってことだろ」
頭の回転早いと思ったが案外昔呼ばれていたりしたのかと考え勝手に解決した。
「まぁいいけど、お前、名前は」と急に質問。
「ねぎま」
それを聞くなりすげぇと声をあげる。
「かっこいい名前だな」
漢字はどう書くのか聞いてきたから「根っこに木に間」と言ってやると「当て字だな」と言い「一緒だな」と俺は言った。

これが俺とアイツの最初の十分間の会話。

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  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-08

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