詩篇 9 みかんについてからの考察
みかんとは、どういった感触だったのか、必ず忘れる霜月。
感触とは、あの薄皮を噛む時の、そして中に詰まっているぷちぷちが飛び出るときのそれ。
噛む。だけど薄皮が。そう。これがどういった噛みごたえで、どのタイミングで破れてしまうのか。思い出せない。必ず、何年も同じことの繰り返し。
師走。
噛んでみるとたいしたことはない。すーっと消える。簡単なことだ。もうすでに当たり前な、熟考のかけらすら残らず。
今にも破裂しそうな橙色。いや、橙色とはもっと、深刻で、不透明で、しかしどこまでも均一な、平面。だからオレンジ色。
だけどオレンジ色は、オレンジの色のことで、みかんはオレンジ色ではなくみかん色というのが正しい。みかんはみかんであると、オレンジではないと、どこで主張するのか分かるか。
皮が。薄い半透明な皮が。蝉が羽化したまさのその時のあの羽の色が。どういった心持ちで噛むのがよいか、考えなければならないその一時。俺はみかんであると、わたしの親指と人差し指の間で身を震わす。まじまじと見つめるわたしの黒目にみかんが映り、みかんはわたしの黒目を捉えてみかん色の汁を孕ます。
みかんの皮は、球体の集合とそれをつなぐ複雑な繊維。毛細血管のような白い繊維を取り除く人は何故なのか。剥きたての赤ちゃんのお尻のような状態をこの手で作り出し食するその快感はすでに想像済み。
栄養価が高いから。ここは栄養がたくさん入ってるから。
祖母は必ず言う。白い繊維には栄養がたくさんだから。何故このみかんの繊維から栄養をとる必要があるのかという疑問に、栄養が詰まってるからという答えしか返ってこない不思議。
それは、先生、何故人を殺してはいけないのですか。という質問に、殺してはいけないからです。と返ってくる不思議と同じで、そんなことを考える暇があるのなら死にそうな人を助ける方法を生み出す勉強をせよだの、みかんの繊維にもっと栄養を蓄えさせる方法を開発せよだの、その責任転嫁甚だしく、疑問を持つことの素晴らしさを踏みにじっておいて、何が立派な大人になれだ。
わたしはみかんの皮の繊維の奥に隠れている球体を取り出すのが好きだ。球体のまま、変形させずに取り出すこと。そのうちに、指先がみかん色になって、みかんと同化してしまうのではないかという恐怖は湧いてこない。
うまく取り出せた球体を机に丁寧に並べて、歯痒さと苛立ちを両手に閉じ込めながら、潰さないように、潰さないように、撫でる。
撫でて欲しいのか、お前達は撫でてほしいのか。
わたしは撫でて欲しいであります、こんなにも。
わたしはみかんの皮の中のみかん色の球体ではなく、これをみかん色だと決め付けている人間です。
もしかしたらお前達はみかんではないかもしれないのに、これは球体ではないかもしれないのに、そうだと決め付けている人間です。
迷惑ですか。
何も答えないなら、お前達はみかんであることに意義無しですか。もしかして、お前達の声はわたしには届かないのですか。
当たり前である。何が当たり前であるなのか。その本当のところは、誰も理解不能。
なぜなら、わたしは人間だからです。
詩篇 9 みかんについてからの考察