暗黒の頂きの向こうへ

時代は、近未来。 温暖化や食料危機で世界は、生き残りを賭けた戦争に突入。 戦争は長期化し、核戦争を発展。 世界総人口の98%が死に絶え、生き残った人々が世界統一国家を建国。
その国は、様々な民族間の問題を抱えていた。 その中で、虐げられた民族、日本人が、政府を打倒する為に、プライドを取り戻す為に、武装テログループをつくり歴史の変更を企てる。 主人公の日本人が、立場と、魂の間に、思い悩み、決断を迫られるストーリーです

暗黒の頂きの向こうへ

            暗黒の頂きの向こうへ

              プロローグ

 資本主義においてマニュアルは、あらゆる分野に存在する。 
政治、経済、スポーツ、そして核戦争においても例外ではない。 
最終局面、アメリカはヨーロッパの国々、そして日本にも核攻撃を行う。 
軍事力を持つ全ての国々がターゲットになる。 戦争終結後、自国を支配しうる国の存在を防ぐ為に、同盟国同士が、原子力発電所に核ミサイルを撃ち合い、世界総人口の98%が死に絶える。 もはや地球上で勝利者は存在しない。
けして逃れる事のできない、死のカウントダウンが、今始まる。
西暦2043年、発展途上国アフリカ大陸の国々が近代化により、世界総人口は急激に増え続けた。
化石燃料の消費が著しく増し、地球上の二酸化炭素量も増大。
地球温暖化は加速し、地表を覆っていた高さ千メートル以上ある南極大陸の氷河は次第に崩れ、海に流れ出した。
世界中の海水面は6メートル上昇し、先進国の大都市は大打撃を受ける。 姿を現した南極大陸の下に眠る、広大な資源の利権争いで紛争が勃発.
大量の難民が、隣国の国境を越える。
日本の国土以上の面積を有するアメリカ大陸の地下水は枯渇し、世界の三分の一の作物は消失した。 世界的異常気象による食料不足。      
大国は資源、食料確保の為の戦争、第三次世界大戦に突入する。
戦争は長期化し、最終手段2047年世界核戦争に突入した。
核保有国は戦略マニュアルどおりに進み、絶滅への一途をたどる。 
汚れた大気は太陽光線をさえぎり、地表は分厚い氷に閉ざされる。
数少なく生き残った人類は、地上を追われ地下に生活の場を求めた。
西暦2060年、全世界統一国家テラを建国する。 この物語は最後の人類が、正義と欲望の狭間で歴史に挑む物語である。


第一章 審判の日

 地球は温暖化による影響で、年間平均気温は上昇し季節の失われた世界になっていた。
 西暦2047年2月13日、アメリカ・ニューヨーク州・ハドソン郊外の孤児院でのこと。 鮮やかなコントラストが彩る緑色の丘で、まだあどけなさが残る少女が艶やかな髪をなびかせ、ほんのりと赤みを帯びた桜の木の下に、一人寂しそうに寄りかかる。 爽やかな風で、ひらひらと花びらが舞い、りんごのようなほっぺをした、少女の頬をつたう。 柔らかい空を、茜色に染めた夕日を見つめていたところに、こぼれんばかりの満面の笑みを浮かべた訪問者が、そっと歩み寄る。
 少女は気付き一瞬の笑顔の後、少し頬をふくらませてみせた。
久しぶりの訪問者の袖をつかみ、視線を逸らして不満そうな表情で問いかける。
「会いたかった。 今までどこに行っていたの……?」
 「ごめんね。 なかなか会いに来れなくて。 元気だった……?」
訪問者はゆっくりとしゃがみ、少女の目線で優しく見つめながら申し訳なさそうに謝った。
 「私、友達がいないから寂しかった。 心細かった。 前に、今日怖い事が起こると言っていたけど、それ本当。 何が起こるの。 私、どうしたらいいの?」
 訪問者は息を詰まらせ、これから起こる現実を想像して、天を仰いだ。
そして少女の瞳を見つめ、ゆっくりと言葉を選びながら話し始める。
「どうしたらいいのかは教えてあげられないけど、どう生きてはいけないのかは、教えてあげる。 人間は愚かで傲慢で、大切な人を傷つけてしまう。 そして自分も傷つき、代償を伴う。 でも絶対に立ち直れる。 絶対に諦めてはいけない。 人は皆、幸せになる権利がある」
 不安そうに瞳をうるわせる少女の体を力強く抱き寄せて、暮れる夕日を睨みつけた。
その目には、涙に沈む真っ赤な夕日が映っていた。
 「どういう意味? なぜ泣いているの?」
「何でもない。 大丈夫……。 ごめんね。 もっと力があれば助けられるのに。 本当にごめんね。 でも絶対に変えてみせるから。 何度繰り返す事になろうと、必ず」
 少女の細い髪を、ゆっくりとなでながら何度も何度も謝るその仕草に、少女は何か分からない恐怖を感じ、目を閉じた。
 訪問者は決意したように真一文字に歯をくいしばり、少女の体を優しく離し、胸元から鋭利なナイフを取り出した。
思い詰めるように見つめ、頬を濡らし荒々しく突き立てる。 そして力強く悔しさを込めて刻み込んだ。 桜の木の幹には何故か、いくつものX印が書かれている。 まるで回数を記録しているかのように。
 「今度こそ絶対変える。 絶対に諦めない 全ての人を敵にまわしても……」
 「何をしているの?」
少女は訪問者の突然の行動に動揺し、細く小さい体を震わせた。 
その瞬間、辺りに激しい閃光が走る。
二人の会話を断ち切るように、地鳴りのような轟音が響く。 
「怖い……」 少女は訪問者に抱きつき、顔をうずめた。 
「怖がらせてごめんね。 安心して。 大丈夫だから。 必ず明るい世界にしてみせる。 新しい世界を信じている。 希望の未来を信じている。 絶対に変えてみせる」
 辺りは一変する。 
 グツグツと煮えたぎるマグマのような熱風が渦を巻くようにうねり、全ての生命を呑み込みながら美しい丘を駆け上がる。 満開の桜の花びらは儚く、一瞬にして二人の頭上を舞い上がり、真っ赤に光る天空へと消えていった。 
二人が発した最後の声は、一瞬の衝撃で消滅してしまう。
空は漆黒の闇に包まれ、無限の太陽の光を凌駕する。 大地は地獄の業火に見舞われ、地軸は捻じ曲がり、世界は放射能が渦巻く、暗黒の時代へと突入した。
 人類が手にした悪魔の兵器、核ミサイルが世界中の大地に降り注ぎ、人類は滅亡の危機を迎えた。


第二章 時空警察

 
西暦2085年、人類唯一の地下都市テラ、時空警察本部。
早朝の静けさの中、けたたましく警報が鳴り響き、管制官の緊急入電が流れた。
「こちら管制塔。 西暦2017年5月18日のメキシコ・バハ・カリフォルニア・スル州・ラパス付近、緯度24度04分、経度110度22分の地点に、複数のダイブアウトによる磁気反応を確認。
ドームゲート、オープン、発射カタパルト準備OK。 第四チーム緊急出動。 調査、追跡せよ」
 「了解。 こちら第四チーム。 時空移動船ノア、出動します」
耳をつんざくような轟音が響き、半重力エンジンがうなりをあげる。
 「こちらノア。 時速50万㎞の超高速で成層圏を飛行中。 時空に侵入します」

物体は超高速で移動すると、経過時間が短縮される。
 時間と距離とのタイムラグで生じる時空の入り口をタイムゲートと呼び、大型の物体がタイムトラベルするには凄まじい速さと、巨大なパワーが必要とされていた。
 西暦2080年、科学者ロイ・ミラーによりタイムトラベル装置、
タイムマシーンが発明される。 以後、タイムトラベルによる歴史の書き替えを企む犯罪が横行し、テラ政府は緊急にタイムトラベルによる時空不法侵入の禁止条例を制定した。 様々な時代を監視。 歴史変更を企てるテロ組織を追跡し、検挙する。 その名は、時空警察blitz(ブリッツ)である。 
 「こちら時空移動船ノア、パイロット、マリア・ヘンデル中尉。 
西暦2017年5月18日にダイブアウト。
大西洋上空を飛行中。 時空レーダーに、侵入者のダイブアウトポイントを数ヶ所確認。 時空に再突入します……」
 時空移動船は、パイロット1名、時空ダイバー2人で、構成されている。 タイムゲートと言われる入口はミクロの世界であり、とてつもなく小さい。 その小さい入口をタイムスリップ装置、広角電子エネルギーで広げ、時空の世界へと進入する。 そして入口は短時間で閉じてしまい、再び同じ時代で開くことはない。 タイムホールと言われる時空内の幅は約80メートルあり、複雑に蛇行している。 過去と未来の双方向の時空の流れが存在し、激しい渦を巻いていた。 時空移動船は、その大きさゆえホール内で無理に速度を上げる事ができない。 そのため生身の人間がタイムトラベル装置、ダイブスーツに身を包み船外にダイブする。 そしてタイムホール内を高速で飛行し、様々な時代に不法侵入する犯罪者を追跡し、検挙していた。
「現在、飛行速度20万㎞。 守、隆一、10秒後に時空に侵入する。 ダイブ準備」
「了解、準備完了。 侵入者のダイブポイントを確認次第、ダイブする」
 神村守と古代隆一が、いつものようにアイコンタクトする。 ダイブポイントを逃さぬよう、ゴーグル内に写し出される進入ポイントを確認した。 「ノア、時空に侵入します」 
マリアの声が大きく船内に響き、時空移動船ノアは速度をあげ、時空の歪みえと消えていった。
「こちら守。 ダイブポイントを確認、追跡ダイブする。 侵入角度50。 ダイブ」
二人は黒々とした時空の闇。 激しい渦の中へとダイブして行く。
「ヒャッホー……。 毎回ダイブの瞬間は最高だなー。 まるで奈落の底に落ちて行くようだ。 ぞくぞくするよ……」
 「隆一。 お前は変わらないな。 侵入角度を間違えると、
どの時代に行くか分からないぞ。 ブラックホールにはまっても、
俺は知らないからな……」
 「大丈夫だ。 俺はお前よりダイブはうまい。 へマはしない」
守と隆一は、凄腕の時空ダイバーである。 少年時代、そして時空警察学校から切磋琢磨するライバルであり、親友であった。
「俺は時空レーダーを注意深く確認しながら追いかける。 隆一は、このまま追跡を頼む。 ターゲットの目的地で落ち合おう」
「了解。 いつものように、さっさと片付けよう」
二人の連携はいつも絶妙であり、あうんの呼吸で通じ合う。
隆一は侵入者との距離を一定に保ち、蛇行する時空空間を飛行する。 そして時空の扉を抜け過去の世界へと侵入するターゲットを、慎重に追いかけた。
視線の先には薄明かりの外灯に照らされて、橋の欄干に何かがぶら下がっている。 ゴーグルのスコープで拡大すると、何人もの人間が首を吊っている。 橋の手すりにはオブジェのように生首が並べられ、何かを訴えている。 眼下にはグロテスクな世界が広がっていた。
「こちら隆一、磁気反応確認。 ターゲット追跡中。 西暦2020年8月4日のメキシコ・チワワ州フアレス郊外にダイブアウト……。 異様な町並みを進んでいる」
 「何……。 メキシコ・フアレス……! 前に、麻薬捜査で聞いた事がある。 核戦争前の世界で一番危険な街だと! 隆一。 ダイブコンピューターで検索してみろ」
 隆一は言われるまま、ダイブアウト地点の情報を検索した。
するとその街は、麻薬、拉致、レイプ、人身売買、臓器売買、殺し、何でもありの危険地帯! 犯罪組織は麻薬をアメリカで売り、武器を輸入し軍隊並みに武装している。 組織員は元軍の特殊部隊出身者が多く、強力な戦力を保持している! そして年間千人もの女性を拉致監禁し、レイプした後体を切り刻み、臓器売買で麻薬と同じようにアメリカで売りさばく。
ジャーナリストが麻薬撲滅を訴えると、数日後には見せしめの為に、路上にバラバラ死体となって、ぼろ雑巾のように捨てられる。
メキシコからアメリカに通じる麻薬トンネルには、20トンものコカインやマリファナがあると言われ、フアレスは無法地帯、無政府状態である。 
守が苦笑いをしながら話した。
「いつの時代も犯罪組織は、薬と武器と、権力を欲しがるものだ」
「なるほど、マフィアの欲しい物が、一度に手に入るという計算か! やれやれ、今回の検挙も、激しいものになりそうだ!  守。 俺は、ステルス光学迷彩で姿を消して監視を続ける」
「了解」
ステルス光学迷彩とは、ダイブアウト時に受ける磁気反応を消し、目に見えない透明処理をする偽装装置である。
タイムトラベラーは時空警察も、犯罪組織も、お互いの存在を
隠さなければならない。 何故なら存在が明るみになれば、過去に遡り、出生そのものの事実を消される危険に直面するからである。
 時空警察のタイムトラベル装置、ダイブスーツは、超高速で飛行ができ、犯罪組織の装備より数段進んでいた。

 「こちら隆一。 ターゲットは河川敷のコンクリートで覆われた、窓の無い頑丈そうな大きい建物に侵入した。 引き続き監視を続ける」
 「こちら守。 了解」
暫くすると、監視場所にいる隆一の元へ守が合流した。
 「恐らくこの建物は麻薬組織の拠点だ。 ターゲットが狙う薬と武器があるはずだ」
 「ドカーン……」 突然、建物の中から爆発音と銃声音が響き渡った!
 統一国家テラの闇社会を牛耳るマフィアが、麻薬組織のコカインと武器を盗む為に、強引に強奪計画を実行したのであった。
隆一が笑みを浮かべて守に話しかける。
「カーン……只今、試合開始のゴングが鳴りました」
 「何だ、それは……?」
守は鼻で笑い、ダイブスーツのパワーを上げ建物内に飛び込んで行った。 隆一は、いつものようにスローなクラッシック音楽をかける。 激しい修羅場の世界と、ゆったりとした音楽とのミスマッチを楽しむために。 そして守の後を追い、爆発音の元へ向かった。
 「ダダダダダーン……」 けたたましくマシンガンの銃声音が響き、二人が近づくにつれ次第に大きくなっていく。 鉄筋コンクリートの壁が小刻みに揺れ、鉄骨の柱に亀裂が走り、金属がちぎれる凄まじい音がした。 
 「ドドーン……」 手榴弾が炸裂し、天井が落ち、人間が肉片となって飛ばされる。 そこはまるで、実弾と殺気が交錯する狂気の世界。
 無数の銃弾が飛び交う混乱の中を、二人は当たり前のようにミリ単位ですり抜ける。 まるでスローな音楽に合わせて、踊っているように。 音速を超える銃弾を潜り抜け、手榴弾の爆発を交わし、電子手錠で動きを封じて行く。 その速さはまるで、瞬間的に落ちる稲妻のようであった。
「まずい、時空警察だ。 動きがまるで見えない。  こんなに速いのか! 全然当たらないぞ。 こいつはヤバイ……。 どこでもいいから撃ちまくれ」
マフィア全員が狂ったように弾丸の雨を降らせ、手榴弾を投げつける。 
ダイブスーツの性能もあるが、二人は幾度となく背筋の凍る死線を体験し、鋭い直感力と研ぎ澄まされた反射力を身につけ、今ではリセットできないゲームでも楽しんでいるようであった。
「そんなに手榴弾投げると、建物が崩れるだろ! 勘弁してくれよ。 守。 今日も早くかたづけて、冷たいビールを飲もう」
 「了解……」
守と隆一は競うように、ターゲットを捕らえて行く。
 最後の一人となったマフィアが、狂ったようにショットガンを乱射するが、まるで歯が立たない。 鍛え抜かれた二人の動きを捕まえる事は、不可能であった。 二人は汗もかかず、短時間で全てのマフィアと麻薬組織員を拘束し、事態を沈静化した。 守と隆一のコンビは、時空警察きっての検挙率を誇っている。
 
建物内を調査するとコカインが所狭しと、置かれている。 その向こうには狙いを定める、数え切れない程の無人銃口。 暗がりを進むと、不気味な地下通路の入口が見え、奥からは甲高い金属音が聞こえる。 澱んだ空気が立ちこめる階段を降りて行くと、鼻を突く異臭がする。 ジメジメとした換気の悪い通路に、夥しい血痕。 靴底が張付くような、気色悪い感覚が伝わる中を進むと、目を覆いたくなるような光景が広がっていた。 二人は顔を歪め、とても直視できない。 金属製の鋭いフックに吊るされた女性からは、大量の血液がボタボタと流れ落ち、床一面が血の海である。 まだ生きながら吊るされている人間。 両手がもがれ、うめき声を上げる体。 
「キィーン……」
手術台に横たわる体にはチェーンソーが残され、不快な金属音を上げながら切り刻んでいる。 入口で聞こえた音の主はこれであった。
ここは人間をバラバラにして移植用の臓器を取り出す屠殺場。 人肉工場であった。 需要がない臓器は、無造作に床に捨てられている。
「地球の反対側では東京オリンピックが行われていると言うのに、ここでは人肉祭りか」
守が皮肉を込めて言い放った。
 何度も凄惨な現場を見てきた守と隆一ではあるが、首を横に振りながら目を背けた。
もはや二人では現場を処理できない。 
 「こちら隆一。 ターゲットを拘束。 被疑者のデーターと麻薬、武器、現場の画像データーを送る」
 「こちらマリア。 時空警察本部にデーター転送して、ターゲットが時空侵入する前に拘束してもらうわ。 そして本部と麻薬取締局に、応援と現場引継ぎの要請を行なう」
 
時空警察は犯罪者を拘束すると、本部の処理係が犯罪を犯す前の時刻に侵入し、該当者を検挙する。 歴史コンピューターには事件前後の因果関係が書き込まれ、法律内での歴史変更の行使で、塗り替えられた歴史を現実として後生に受け継ぐように定められていた。 そうすることで、犯罪を未然に防いでいた。

 暫くすると麻薬取締局が現れた。 時空移動船から警察学校で同期のロイ・ヘンドリックが降り立ち、押収したヘロインを手に取り話しかけた。 「守。 久しぶりだ。 噂は聞いているよ。 時空警察には、優秀な日本人がいると。 うちには優秀な日本人が一人もいないから、回してほしい……。 後は引き継ぐ。 長居は無用だ。 遠慮なく帰ってくれ」
 「マフィアが、時空へ不法侵入したんだ。 捜査権は時空警察にもある。 無理して捜査権を渡さず、俺達が捜査してもいいんだぞ」
 「ふふふ……。 時空警察さんは今、忙しいだろう。 歴史変更を企てるテログループの捜査で、いっぱい、いっぱいって噂だぞ。 なんなら、出来の悪い日本人でも貸そうか?」
 「ふざけるな。 俺と守に任せれば、マフィアなど数日で全員検挙してやる。 そうなれば麻薬取締局は閉鎖だ。 俺達の下で使ってやるから首を洗って待っていろ。 時空空間を引きずり回してやる」

 時空警察と麻薬取締局は、表向きは協力していても、本質では
いがみ合い、捜査協力も稀薄であった。

 マリア率いる時空移動船ノアは、任務を終えた守と隆一を乗せ時空の渦へと帰投していった。
 「こちらノア。 侵入許可を願います」
「こちらテラ管制塔。 ドームゲートオープン。 そのままの速度で侵入し、第四ドックに着陸せよ」
「了解」
 時空警察本部に戻った三人は、検挙の成功と過去と現実との境に、区切りをつけるように、本部内にあるスタンドバーで一時の安らぎを味わった。 大型モニターには誰も関心がない、テラ大統領と時空警察長官の毎度お決まりの記者会見がながれていた。 
 酔いが回ったマリアが金色の長い髪を掻き分け、後味の悪い現場を忘れるように、ふざけながら隆一に噛み付いた。
「隆一。 毎回ダイブの時にふざけ過ぎじゃない。 それに建物に踏み込む時の合図、カーンって何? まるで緊張感がないわ」
「あの一言で体がほぐれる。 踏み込む時の選曲も最高だろ……。 まあ俺達にとって、今回の検挙は楽勝だ。 それに俺一人でも全員を拘束できた。 そうだろ、守……。 それにしてもロイ・ヘンドリックって奴は、前から嫌な奴だったな。 俺は大嫌いだ」 
 あきれるマリアをよそに、隆一は作戦の成功に満足げであった。
守は二人を横目に、記者会見をぼんやり眺めながら感じていた。 このチームは最高だと。 
 目を閉じると、三人が初めて出会った、三年前の場面を思い出す。 
時空警察官の技能向上の為に、二年に一度開かれる格闘技大会。
男子決勝戦の日。 大観衆に沸く競技場。
競技者の装備はダイブスーツのレベルと電子サーベルの放電量を一番低い一段階に設定し、100メートル四方の空間で競い合う。
 審判が試合開始のアナウンスを告げた。
「ミドル級、75kgから81kgの決勝戦を行います」
 「ワー……」 注目の対戦カードに客席から歓声があがる。
 「神村守。 古代隆一。 入場。 両者スポーツマンシップに則り正々堂々と戦い、電子サーベルが体に触れるか、ギブアップしたら試合終了である。 それでは、試合開始」
 「カーン……」
 二人はフィールド内を高速移動し、低い体制から飛び上がる。
お互いが空中で静止し、望んでいた戦いに笑みを浮かべた。
「隆一。 この試合、もらうぜ」
「それは俺の台詞だ」
 観客のボルテージは最高潮である。 ダイブスーツのレベルを抑えても、時速200キロを超える動きで相手の背後を取り合う。 お互いの手の内を知り尽くしている者同士、序盤は探り合いであった。
 電子サーベルを抜かず、限界を試す様に、楽しむように速度を上げて行く。 準決勝までの物足りない試合に、鬱憤を晴らすように高揚している。
 「守。 なかなか速いな」
「まだまだ、速度を上げるぞ。 そろそろ電子サーベルを抜くぜ」
 「オー……」 レベルの高い試合に観客も興奮して声を上げた。
見ている者が皆釘付けになり、固唾を呑んだ。
 二人は高速移動し、火花を散らしながら何度も電子サーベルを打ち込んで行く。
試合会場の空間を、無数の八の字を描くように、無限マークを象徴するメビウスの環を描くように、駆け巡る。 それはまるで、二人が奏でる激しいラテンダンスのようであった。 電磁波が発する放電音と、衝撃音が会場に響き渡る。 「バチバチバチ……。 バーン」
 芸術的な動きに、人々は言葉を発しない。 そして感動をも覚える。
誰しもが息を止め、呼吸するのを忘れている。 経過時間など、気にしてはいられない。 ビデオ判定用のカメラが高速で二人の動きを追いかける。 エスカレートした動きに観客は付いて行けず、悲鳴をあげた。
その瞬間。
 「カーン」
「試合終了。 判定に入ります……」
 試合会場の視線が審判団に注がれている。 誰しもが、接戦の判定に注目している。
 審判長がマイクを持った。
「勝者……。 神村守」
「オーオー……」
 場内は賞賛と不満の歓声が上がり、観客は歓喜した。
 客席は、スタンディングオべーションである。 その興奮は暫く続いた。
 大歓声の中、二人は会場を後にする。
「隆一、悪いな。 これが実力だ」
「判定がおかしいなー……。 俺の方が押していたけどなー……」
 「その通りよ。 今の判定は完全におかしいわ。 ジァッジが間違っている」
「何。 誰だ、貴様……。 言いがかりを付けるのか?」
 「神村守。 28歳。 身長181cm、体重80㎏。 格闘技能テスト96点、ダイブテスト98点。 差別を克服し、孤児院出身の古代隆一と共に、十年前に警察学校に入学。 今年小尉に昇進。 時空不法侵入者検挙率はナンバーワンの85パーセント。 温厚そうな表情とは裏腹に、悪を憎み危険を顧みず立ち向かう。 並外れた運動能力を持ち、今大会で優勝。 今行われているヘビー級の試合が、まるでスローモーションのよう。 二人の試合、凄かった。 しかし隆一選手は完全に、あなたの動きを見切って、電子サーベルを打ち込んでいた。 まるで受止める先を知っているように、わざと判定負けをするように戦っていた」
 「お前は何者だ」
「私はマリア・ヘンデル中尉。 数日後事例が出て、チームを組む時空移動船のドライバーよ」
 「上官ともなると、事例前に個人データーを見られるのか。 部下の能力を監察して楽しんだか。 隆一、注意したほうがいいな。 中尉様はハッキリと、もの言いやがる。 だが好きだぜ、ハッキリした女は」
「私は、使えない部下とは組まないわ」
 初めて出会ったマリア眼光は、妖艶で美しい容姿とは裏腹に、渇きを抑え獲物を追う狼のようであった……。 
守は目を開け、グラスの氷を口に含み、まだ続けているマリアと隆一の言い合いを笑いながら見つめた。 今も変わらない。 その時の眼差しを、はっきりと思い出す。
このチームには、自信と信頼とユーモアがある。 何よりも、深く変わることのない絆で結ばれている。
 
 

第三章 人類の罪


 「ウー……・ウー……・ウー……」
第四チームのスクランブル待機中に、再び緊急警報が鳴り響いた。 「こちら管制塔、西暦1991年11月3日の、旧日本列島付近、
緯度153度59分、経度24度16分の地点に、複数のダイブアウトによる磁気反応を確認。 第四チーム緊急出動。 調査、追跡せよ」
「了解。 ノア 出動します」
時空移動船は、放射能が渦巻く空へと消えて行った。
 「こちらマリア・ヘンデル中尉。 西暦1991年11月3日にダイブアウト。 太平洋上空を飛行中。 時空レーダーに、複数のダイブアウトポイントと、侵入ポイントを確認。 10秒後に、時空に再突入します。ダイブ準備」
 守は、船体後部のダイブドアのスイッチを押した。
ゆっくりと開くドアの向こうには、激しい流れが渦を巻き、磁場を発しながら流れている。
 守と隆一は無事を祈るように拳を合わせ、暗黒の世界にダイブしていった。 二人は高速で闇の世界を飛行する。
「こちら守。 ダイブアウトポイント確認。 急行する」
前方に光が見える。 侵入者がダイブアウトして出来た扉が開いている。 後を追うように二人は扉を抜け、時空空間を飛び出した。 そこは、日本列島上空。 輝く夜空を飛行し、侵入者の磁気反応を確認する。
 「こちらマリア。 西暦1972年4月28日緯度34度40分、経度135度30分地点に、新たなダイブアウトポイント確認」
 「こちら守。 了解」
 「守。 マリアが伝えたポイントとは、又別のポイントが現れた。 やつら様々な時代に連続ダイブアウトを繰り返し、俺たちの検索をかく乱している。 追跡が難しい……」
 「なるほど。 そういう作戦か。 こちら守。 マリア、再びダイブアウトポイントの痕跡を複数確認。 時空レーダーで侵入者を追跡し、連続ダイブを繰り返す」
 
 ダイブスーツでの時空侵入は、半重力装置で音速まで加速し、電子銃で空間をこじ開け、侵入する。 そのタイミングが少しでもずれると、ブラックホールに落ちる危険性があった。 二人は強いストレスを抱え、暗黒の空間を行き来する。
 「守。 やはり時代検索が間に合わない。 何か意図があるかもしれない。 罠かもしれない。 注意しよう」
 これ程までに時代を行き来する連続ダイブは、初めての経験であった。
「マリア。 俺達は、ダイブアウトポイント8000メートル上空から急降下し、超低空で調査開始する」 
二人は気付かれないように、慎重に近づいて行く。 すると、守にとって以前写真で見たような、何か懐かしい光景が広がっていた。
 「何だあれは? 厳島神社か、ここは広島か……。 隆一、やはりここは、旧日本領土内の広島だ。 1km先の小学校に、侵入者の磁気反応を発見。 着地して捜査開始する」
守と隆一はステルス光学迷彩のスイッチを入れ、大勢の子供たちが遊ぶ小学校の校庭に降り立った。
子供達の笑い声が聞こえる。
「守。 皆楽しそうだなー。 子供たちが元気に遊んでいる。 あれは、野球って遊びか?」 
「そうだよ、ベースボールってやつだ」
 世界統一国家テラでは、日本人は差別をうける少数民族であった。 大勢の日本人、そして楽しく遊ぶ子供達の中を歩く体験に、守は胸が熱くなるような気持ちを感じていた。
隆一にとっても、これ程の数の喜ぶ子供達を目の当たりにするのは、初めてである。 「こっちでは縄跳びか、ここには日本人がいっぱいいる。 楽しくなる……」 一瞬追跡を忘れ、目の前の光景に夢中になった。
「当たり前だろ、この時代は日本国が存在しているんだ。  そうは言っても何故か懐かしい気がする」
守の心には、広島はいつかダイブして行ってみたい世界。 先祖の故郷であるという強い思いがあったが、戦争の歴史に違和感を感じ、行くに行けない歯がゆい気持ちを思い出していた。
「守、見ろ。 そこの可愛い女の子は、おまえの親戚かもしれないぞ?」 守の気持ちを知っている隆一が、憎らしく冷やかしをいれた。
 隆一の言葉には、わざと反応しない。
「レーダーに反応がある。 侵入者だ。 ダイブアウトの磁気データーと照合確認。 今日も早めに片づきそうだ……。 待て。 何かおかしい。 侵入者が逃げないぞ」
不気味な謎の男が、少女を抱えて立っている。
男は素性を隠すため、数百種類の顔を表示する光学マスクをかぶり、真黒いダイブマントに身を包んでいた。
そして光学迷彩除去ゴーグルで、時空警察の二人の歩みを見据えている。
「隆一。 マリアに状況の報告を。 間抜けな奴だ。 検挙されれば過去に遡り、犯罪者全員が拘束されるというのに」
「こちら隆一。 マリア、俺のコンピューターでは時代検索が追い着かない。 検索を頼む」
「こちらマリア。 了解」
守が電子銃をかまえた。
「時空警察だ。 おまえを逮捕する。 無駄な抵抗はやめて、少女をこちらに渡せ」
 「ふふふ……。 暗黒の世界にようこそ。 馬鹿な時空警察に、最高のショータイムを用意した。 お勉強のお時間だ」
 「何だと……?」
 謎の男は電子銃を突きつけられているというのに、何故だか微動だにしない。 これから起こる衝撃の事実を知りながら! 死をも恐れず、決意していた。 
時空カウンターを睨みつけ、秒針の動きと流れる大気にリンクしているように、時を感じ語りだした。
「渡すよ30秒後に、歴史を感じ取れない政府の犬め」
 子供たちの笑い声と、笑顔があふれる小学校の校庭で、野球のボールが飛び交い、縄跳びで遊ぶ少女が飛び跳ねる中、謎の男の鋭い殺気と、守と隆一の得体の知れない不安が交錯した。
 二人はダイブスーツの光学迷彩を解いて、抱えられた少女に話しかける。 「大丈夫かい、お嬢ちゃん。 我々は警察だ。 今助けてあげるからね」
「ビー・ビー・ビー・ビー・ビー……」 
ダイブスーツから、けたたましく警告音が鳴りだした。
 守は強烈な殺気を感じ、空を見上げる。
「しまった。 まさか? この時代は!」
「守。 デッドサインが出ている!」
隆一の体に電流が流れたように、顔が一瞬で硬直した。
「二人とも逃げて。 そこは戦争中の広島市内よ。 原爆投下地点から、1㎞以内。 あと10数秒後に原爆の爆発時刻。 退避して。 危ない!」 マリアは、二人のいる地点にアクセルを全開にする。
 「守。 少女の救助は無理だ。 時空移動バリアで、10分後に移動するしかない……」 隆一は一刻を争う状況の中、謎の男の存在を忘れ、周りで楽しく遊ぶ子供たちに視線を移した。
 「ほら、渡すよ。 可愛い少女だ。 時空警察なら助けてみろ」
危機的状況の中、謎の男は守に向かって少女を荒々しく投げつけた。
その瞬間、太陽の中にいるような閃光が走り、強烈な熱風が渦を巻いた。 衝撃の轟音すら聞き取る事が出来ない狂気の世界。
到底生身の体では、有り余るパワーに苦痛すら体感できない。
瞬間爆発温度100万度。 太陽の表面温度に匹敵する、想像もできない凄まじい炎が吹き荒れる。
 「守。 急げ。 時間がない。 時空移動バリアと防護シールドで衝撃をかわすんだ」
 「女の子が、女の子が……」 
 「守。 スイッチを押せ。 早く」 隆一は血相を変えて守に飛びつき、緊急バリアのスイッチを押して体制を低くする。
 「お……。 俺の……。 腕の中の……。 女の子が! 溶けていく。 ウオォー……!」
あまりの衝撃に、音も聞こえない。 しかし時間は時空バリアのせいで、無常にもゆっくりと流れて行く。 少女は悶え苦しみ、衣服は焼け落ち、白く美しい柔肌は赤身に染まる。 体内の脂分が皮膚を焦がし、真っ黒く爛れた体はグツグツと内臓が煮えたぎる……。
その姿形は幼い少女でも人でもなく、ただただ死臭を巻き上げる肉の固まりであった。 小さく温もりのあった少女は、チリとなって舞い上がり、守の腕の中から跡形もなくすり抜けていった。
目を凝らして小学校の校庭を見渡せど、無邪気に遊んでいた笑い声も人影も無い。 子供とも人間とも区別がつかない躯が、火炎流に巻かれ漆黒の闇へと消えてゆく。 幾万の魂が葬られ、慟哭の叫びが聞こえる
「くそー……。 これが核……。 大勢の人間が、一瞬で灰になり死んだのか……。 これが人間のやる事か! さっきまであった人生が、すべての物が消えてしまう……。
こんな事が、こんな歴史があっていいのか……」
体の中の血液が逆流するかのように、押さえようもない怒りが全身から突き上げてくる。 黒々と立ち昇る雲を見上げ、力強く握った拳を震わせながら突き上げた。
 「守。 大丈夫か?」 心配して声をかけるが、隆一も原爆の体験で放心状態である。
人間では制御しきれない世界。 人類の核の歴史がスタートした悲しい瞬間であった。 まさに地球上の地獄。 人間はおろか、建物草木が一瞬で無くなり、すべてを焼き尽くす。
B29エノラ・ゲイの原爆で14万人が死亡し、68年後の世界でも、未だに遺族が分からない816名の遺骨がある。
二人は子供の頃学んだ、悪魔の歴史を実体験したのであった。
 ようやくマリアの操る時空移動船が、変わり果てた世界に到着した。
「本部へ。 こちらマリア・ヘンデル中尉。 侵入者は原爆の衝撃によりロスト。 高濃度の放射能により経路探索は不可能。 ダイバー二人を回収し、ただちに帰投します」
守と隆一は言葉を失うほど原爆の衝撃をひきずり、少女の最後の姿を脳裏に刻み、帰投した。


時空警察本部内での状況報告会議

捜査官報告。
「現在、時空不法侵入が多発しています。 中でも日本人テログループXYZは、審判の日以前の時代に進入し、さまざまな時空に連続ダイブをしています。 そして進入の痕跡を消し、時空警察の追跡を逃れています。 痕跡を発見されると、検挙前に自爆。 もしくはブラックホールに自らダイブし、存在を絶ちます。
日本人は追い込まれると、何をするか判らない民族です。
太平洋戦争ではゼロ戦で特攻攻撃し、無意味な行動で墓穴を掘りました。 犬猫のように自らの命を惜しまない、野蛮な民族です。
我々アメリカ人、そしてヨーロッパ出身の人間には理解不能な人種です。
今後、日本人テログループの監視を強化し、排除致します」

人類滅亡の審判の日から生き残った人々、そして歴史学者は、こぞって広島長崎の原爆の歴史を振り返り、核に対する人類の分岐点、問題点は日本人の行動力のなさ、未来予想の欠如、そして日本人だけが核を体験した事が、世界人類の悲劇と認識されていた。
 この事実が、日本人の差別を招いて迫害されていた。
  
疲れ果てて帰投した3人を、厄介者の第一チームリーダー、グレン・オースチンが待ち伏せて、罵った。
「不法侵入者をロストしたんだって。 さすが第四チーム。
イエローは俺たちが捕まえてやる。 マリア、イエローなんかと
組むのはやめて、俺たちのチームに入れよ。 同じアメリカ人同士、仲良くやろうぜ」
 「まだそんな事言っているの。 今の地球上にアメリカも日本も無いのよ。 そんなくだらない人種差別する人とは組めないわ」
 「そんなにイエローが好きなのか、アメリカ人の犬が! 3Pでもして、楽しくやれ、裏切り者」
グレンは、マリアの日本人に対する態度に嫉妬していた。
 「グレン。 てめー、マリアに何て事を。 ぶっ殺してやる。 日本人をなめやがって、広島の仇をとってやる」
守と隆一は、グレンと警察学校時代から犬猿の仲であつた。
「やめて隆一。 お願い。 守も止めて、守……?」
「女の子が、腕の中で、消えていった……。 助けられなかった」 「守……。 守」
上の空の守は、原爆の衝撃により、過去と現実との境に整理をつけられずにいた。

 第四チーム員、神村守の適性検査が、強制的に執り行われた。
 「神村守、入りなさい」 
「はい……」
 鏡で覆われた無機質な部屋に、銀色をした野太いフレームのリクライニングチェアーがある。 そして薄暗く、気色悪い紫色の間接照明。 どれもが気に入らない。 まるで重犯罪者を取り調べる独房のようだ。
 体にいくつものモニタリングセンサーを付けられ、感情を刺激して、深層心理を引き出す。 時には性格を詰り、罵倒してトラウマを刺激し、分析する。  
 温もりを感じさせない冷酷そうな男が淡々と問いかける。
 「今から適性検査を行う。 質問に対して感じるままに、連想する事を、いくつか答えなさい。 まずは、時空警察について」
「何を今更……」
「答えなさい」
「歴史を守る。 平和を守る。 テログループを検挙する」
「では、テラについて」
「最後の都市……」
「過去について」
「仕事場」
「崖の上に立つ君が、子犬の首を掴んでいる。 可愛い少女が殺さないでと、頼んでいる。 しかし君は、手を離してしまった。 何故かね」
「何だその質問は。 ノーコメントだ」
「君は泣きながら訴える少女を払いのけ、仕事だと言って別の子犬を掴み、谷底へと投げ入れる。 我慢の限界を超えた少女は刃物を持ち出し、犬を殺すなら私を殺してと訴える。 しかし君は無視して別の犬を再び谷底へと投げ入れる。 何故かね」
「ノーコメントだ」
「君は訴える少女に対して、そんなに死にたいなら谷底に飛び降りればいいと言い放つ。 何故かね」
「その質問は、日本人以外にもするのか? 適性検査は終わりだ」
 守は険しい表情でドアを蹴り開け、部屋を飛び出した。 そして義務付けられているカウンセリングをキャンセルし、部署へと戻って行った。
 
 タイムトラベルの歴史は浅く、時空ダイバーの精神状態のケアは、構築されずにいた。 抜き打ちで強制的に適正検査をされ、簡単なカウンセリングですまされる。
統一国家テラは多民族国家であり、時空警察はおろか、政治、社会、民族で、人種差別問題を抱えていた。

無言のまま帰ろうとする守を、心配したマリアが引き止める。
「大丈夫……? 一人で帰れる? 一緒に帰る?」
 「だめだ。 規則で決まっているように、時空警察の隊員は一歩建物の外へ出たら赤の他人だ。 いくら清掃局に偽装していても、万が一の事が有るかも知れない。 俺は大丈夫だ。 何ともない。
一人で帰れる……」
守はコートの襟を立て、帽子を深くかぶり、雑踏の中に消えて行った。
 その姿を見送るマリアは、守の運命を考えると複雑な気持ちであった。

無意識の内に、家とは反対方向へと歩いている。 吸い寄せられるように薄暗い階段を降りていくと、暗闇に引き込まれる。 気持ちの整理がつかない。 原爆の衝撃を引きずりながら、行きつけのバーに立ち寄った。 ここは守の心の拠り所である。 店に入ると、誰もいないカウンターの隅に腰を下ろし、いつもの様にバーボンをロックで注文する。 二杯三杯と、立て続けに体に流し込む。 いつもよりお酒の量が多い。 そしてペースも早い。 守は、うつむきながら静かにグラスを傾け目を閉じた。
 頭の中から抱えていた少女の事が離れない。 少女の叫び声が、こだまする。 体の焼ける臭いが、自分の体に染み付き放れない。
切り替えができない。 お酒の力を借りて忘れる事しか思いつかない。 酔いのまわった守は、思わず押さえられない気持ちを気の合うマスターにぶちまけた。
「なぜ人間は、核戦争を起こしてしまったんだ?
なぜアメリカは、あんな悲惨な悪魔の兵器、原爆を広島に落としたんだ?」
いつもと違う守の姿に、気にかけていたマスターはマドラーをゆっくりと止め、眉間にしわを寄せながら、おもむろに口を開いた。
「人間は、手に入れた力を使いたくなるもの……!
残念なのは、日本に二度も原爆が落ちた事。 そして、日本にしか原爆を落とさなかった事実……。
もし、同盟国のドイツに原爆が落ちていたら、世界の流れが変わっていたかもしれない……。
日本人がもっと世界に訴えれば、こんな世界にはならなかったかもしれない。 残念だ。 世界で唯一、人類の十字架に選ばれし、尊き民族なのに、声を上げる事が出来ず、悲しい歴史の体験を生かす事ができなかった。 本当に残念だ……」
「そのとおりだ。 しかし悪いのは、戦後のうのうと生きた人間だ。 戦争を知らない日本人だ。 ならマスター ……。 日本人の俺は、今何ができる。 何をすればいい。 何をしなければならない。 教えてくれ……」
 「今何をするのかは、日本人ではなく……。 地球人としてではないだろうか……」
守の心の中で、何かが弾けた。
「地球人。 そうか俺は、地球人だ……」
マスターの言葉が心に響き、吹っ切れたように納得する。
毎日肩肘を張り、プライドを持ち、日本人としての生き方にこだわっていた自分が、もう一つ別の歩き方が出来ると悟った瞬間であった。
マスターは守の表情を見守りながら、かつての自分と重ね合わせていた。 日本人の血にこだわり、肩で風を切って歩んだ事を。
そして守の気持ちを誘導する事に、少しの罪悪感を覚えた。 
守はグラスの下にお札を挟み、静かに店を後にした。
その姿を遠くの方まで見送ったマスターは、険しい表情で深くため息をつき腰をおろした。 年代物のウイスキーを傾け、お気に入りの葉巻に火をつける。 深く葉巻をふかしテーブルに置くと、ゆっくりと首筋に手を伸ばした。
すると、グラスの中のウイスキーに、苦悩するマスターの素顔が映っていた。


第四章 目的の行方


太平洋戦後の日本は復興を終え、技術革新を掲げ、経済大国の道を歩み始めた。
世界初の高速鉄道である新幹線が、西暦1964年に開業。
同年、東京オリンピックが開催される。
人々は日本人であることに、自信を深め歓喜の声をあげた。

混雑する東京駅に、光学迷彩を解いた男達が集まる。
新幹線車両内で日本人テログループ 、XYZの幹部会合が行われる為に。
XYZのリーダーが、通信回線で力強く語った。
「この時代に来ると、私は全身にパワーが漲る。 日本人の古き良き時代だ。 我々も、必ず返り咲く……。
再び日本民族のプライドを取り戻す為に、テラ政府を打倒する。
我々の作戦は、日本本土に落ちた原爆を、歴史を書き換えアメリカ占領下にある沖縄のアメリカ艦隊に落とす事である。
我々日本人は、世界で唯一原爆の犠牲になった悲しき民族で
あり、広島長崎と2度の屈辱的な歴史の傍観者である。
我々の大義名分は、腐った歴史を緑豊かな世界に戻し、日本人の誇りを取り戻す事である。
それには世界で初めて原爆を開発し、使用したアメリカ人を、原爆の犠牲者にしなければ時代は動かない。 アメリカが作った原爆を、アメリカ人の頭上に落とさなければ、始まらない。 加害者であり、被害者でなければ、地球に未来はない。 この考えこそが、時代を変える要になる。 これは神に与えられた日本人の宿命であり、この大儀をなせるのは、日本人でなければならない。 そして我々にしかできないのである」

 XYZは、日本人で構成された、政府に反発する武装テログループであった。 テログループのリーダーは思考する。
広島の原爆投下はアメリカ人の罪と考え、アメリカ艦隊に落とされた原爆を、罰と自覚させる。 傲慢な力の誇示が無意味だと気付かせ、罪と罰の因果が核戦争を止める力になると。

 テログループのメンバーは会合を終え、それぞれが足跡を残さないよう、未来への希望を胸に秘め、星空と共に時空の闇へと消えて行った。

 その頃暗黒の空間を、姿を消して移動する船があった。 大型の船は時空空間で光学迷彩を許されていない。 何故なら時空空間は狭く不安定であるゆえ、移動船同士が衝突するのを避ける為の重要な規則であった。 その規則を破り、極秘行動中の麻薬取締局の船であった。
 その船は先日、守と隆一がマフィアを検挙した場所、メキシコ・フアレスへとダイブアウトする。
 時空警察に悟られないように、ゆっくりと闇夜を進む。 そして、一人の男が雑踏の中に消えて行った。
 繁華街の中に、眩しく光るネオンサインが犇く。 麻薬の売人や、娼婦がしつこく声をかける。 その声を撥ね付け、大音量の音楽が響くクラブへと入って行った。 その人物は麻薬捜査官、ロイ・ヘンドリックである。
 目を細める程のレーザー光線を避け、踊り狂う若者をかき分け、薄暗い奥へと進む。 煌びやかなカーテンで仕切られた一番端の席に、目当ての人物が待っていた。 
 「これが、未来だ」
 「ふふふ……。 待ちかねたぞ。 貴様の欲しい物は何でも持って行け。 どう使おうが、貴様の自由だ……」
 お互いの利害関係は明白であった。 麻薬組織の欲しい物は、これから先の未来の情報。 それはメキシコ警察、麻薬組織の反対勢力、ライバル組織、それぞれ重要人物の名前、顔写真、未来の出来事全てであった。
 ロイの要求は未来世界のマフィアの要求であり、ヘロイン、武器、娼婦である。 過去と未来を繋ぐ裏社会の犯罪ブローカーで、麻薬捜査官の器を利用し、私服を肥やすマフィアの幹部であった。
話を付けたロイは、テラの闇社会を牛耳る喜びで笑いを堪え、急ぐようにクラブを後にした。 そして不気味な灰色の空へと消えて行った。
 
 
第五章  見上げる空


時空警察第四チームはスクランブル待機をしていた。
守は遠くを見つめ、地球人としての生き方を自問自答する。
 「守。 元気がないわね。 任務が終わった後、私と臨時パトロールで活気ある日本、まだ綺麗な自然が残っている広島にダイブしてみない」
「広島。 俺の先祖が眠る広島か……。 ダイブしてみるか」
守は目を閉じて答えた。 日本人の自分に、何が出来るか? そして地球人として何をすべきかを、見極めるために。
マリアと守は、これからの未来を生きるために、過去の広島を目指した。
「ノア、離陸許可をお願いします」
「こちら管制官。 ノア。 離陸許可します」
太陽の光を閉ざした暗黒の空に、時空移動船ノアは飛び立った。
 「ダイブアウト。 西暦2010年4月14日。 日本上空をステルス光学迷彩で飛行中。 この時代のレーダーには捕捉されていないわ。 守、見て。 鯨の親子。 向こうにはイルカの群れ。 凄く綺麗。 ほんと地球って綺麗。  私は、地球の綺麗な時代に生まれたかった。 日本も大好き。 食べ物は美味しいし、四季があって山も海も大好き。 こんな綺麗な星に、日本に原爆を落とすなんて、信じられないわ。 人間って、ほんとに愚か。
私と同じアメリカ人の血を引く人間が、原爆を使うなんて許せない。
許されるなら、今からダイブして原爆の開発者を殺しに行きたい気分よ。 守。 そうは思わない?」
守はさめたように水平線を見つめ口を開いた。
「当時、原子爆弾の開発は色々な国で研究されていた。
アメリカ合衆国大統領トルーマンの長崎原爆投下は、ソ連へのけん制ではないかと言われている。
日本に落とさなくても、どのみちアメリカは原爆を実験として、人間の頭上に落としていたよ。
朝鮮戦争でも落としたかったのだから!」
「戦後日本人は、なぜ原爆廃止を世界に訴えなかったのかしら。
被爆国だからできる運動。 核を使わない。 核を持たない世界に導けば、
世界は救われたかもしれない。 被爆国日本人だから出来る、日本人の
宿命ではなかったのかしら……?」
 「それは言わないでくれ。 戦後の日本政府はアメリカの犬で、核廃止なんて言えない立場だったんだ。 同じ日本人として、怒りをおぼえるよ。 情けない。 侍魂はどこに行ったんだ」
二人は苛立つ心を抑えて、春の広島県の穏やかな農村に降り立った。
至福の時間である。
 暖かい太陽の日差しを受け、自然に口元がほころぶ。
マリアは微笑みながら、空にゆっくりと手を広げた。
「見て守。 どこまでも透き通る青い空。 さんさんと降り注ぐ、太陽の恵みをうけた、野菜を収穫する幸せそうな家族。 子供たちの笑顔。 この時代では当たり前の光景も、私たちの時代には全くない。 時間に追われることなく、私もここで暮らしてみたい。 今までとは違う朝を迎えたい」
 「ここで生活か……。 幸せだろうなー。 時空警察に見つからなければ」 マリアの遠くを見る眼差しに、守は癒されていた。
自分自身マリアを愛している事に、まだ気づかないでいる。
 「時空警察を辞めて、緑豊かなこの時代で私と一緒に暮らす……?」
 「マリア。 気遣いはよしてくれ。 俺たちの家は分厚い氷河に囲まれ、スクリーンに偽者の空を写した、空想の世界だ……」
守の心は言葉とは裏腹に、現実の暗黒の世界が偽りの世界で、緑豊かな過去の世界が現実の世界だと、思わずにはいられなかった。
「守。 大丈夫? 義務づけられているダイブカウンセリングは受けたの?」
守は、首を横に振った。
形だけのカウンセリングなど、今の自分には無意味だとわかっていた。 緑豊かな時代の日本を、故郷と思いたかった。
二人は過去の世界に思いを残し、わだかまる未来へと帰って行った。

 世界統一国家テラのスクリーンに、映し出された青空を見上げる少年がいる。 ただ一人、友達と交わる事を避け、悔いるように見つめている。 その光景を金網越しに、思いつめるように見つめながら、日本人孤児院の入り口に向かう人物がいた。 すると一人の男の子が気付き、嬉しそうに大声を上げた。 「あ……。 お兄ちゃんだ。 みんな、お兄ちゃんが来た」
 大勢の子供たちが入り口に群がり、次々に訪問者に抱きつく。
 訪問者は両手いっぱいに持ってきたプレゼントを、子供たちに手渡した。 久しぶりの訪問に、そしてたくさんのプレゼントに、大喜びしている。 
その人物は幼い頃、孤児院で育った古代隆一であった。 
嬉しそうな子供達の笑顔に、広島で傷ついた心が癒されていく。 そして一人で青空を見上げている少年に、気付かれないようそっと近づいた。 
少年は、はしゃぎまくる友達に視線を移すこともなく、手を伸ばし空を掴もうとしている。 この少年は、以前隆一が事故現場から助け出した少年である。
勘の鋭い少年は、隆一の顔を見ずに話しかける。 
「久しぶりだね。 何か遭ったの?」
「何もないよ。 ただ、子供達の顔が見たくなったんだ」
少年は隆一の顔に手を伸ばし、優しく触れながら話しかけた。
「お兄ちゃん、顔を見せて……。 嘘。 本当は、何か遭ったでしょう。 それに、少し痩せた」
 隆一は、自分の頬に触れる少年の手を取り、握りしめた。
「あれから半年だ。 友達とは、仲良くしているか?」
 「うん。 仲良くしている。 皆、優しい……」
 その言葉に隆一は安堵した。
「皆が優しいなら、大丈夫だ。 一人くらい厳しい現実を言う人間がいてもいい……。 悟……。 君は事故で、両親と視力と足を失った。 それは誰のせいでもない。 しかし、それが君の人生だ。 これからは悲しみを受け止め、力強く生きて行くしかない。 運命を受け入れるしかない……」
 少年は見えない目に涙をいっぱいに溜め、悔しさを堪える。
 想い出したくない事故が、忘れてしまいたい現実が、心臓を引き裂くように脳裏に浮かび上がってくる。
「僕は、お兄ちゃんが大好きだ。 でもお兄ちゃんは、いつも僕に厳しい事を言う。 優しい言葉をかけてほしい。 お兄ちゃんに、一番優しくしてほしい……」
 少年の表情に、隆一は今にも零れ落ちそうな涙を堪え、目頭を押さえた。
「今は辛いが、お前は男だ。 男なら、自分の人生を耐え抜いてみろ。 妬みと欲望に打ち勝ってみろ。 それが出来れば、お前が望むように、全力で褒めてやる。 それまでは、お前を決して褒めない」
 「分かった……。」
少年は顔に手をあてて、小さく震える声で囁いた。
 隆一は、納得する少年の言葉に救われた。 本当は少年に語った言葉は、全て自分に言い聞かせたい言葉であった。
 少年は涙をぬぐい、微笑みながら隆一に質問をした。
「お兄ちゃん、大切な人はいるの?」
 驚いた隆一は、少年の顔を見つめた後、遠くを見るように答えた。 「いるよ。 大切な人は……。 そいつは、俺と同じ孤児院の出身だ。 小さい時から、いつも一緒だった。 俺が辛い時、いつも助けてくれる、家族のような存在だ。 そいつが喜べば、俺も喜ぶ。 そいつが悲しければ、俺も悲しい。 そいつといると、心が落ち着く。 そして心強い。 そいつを守れるなら、命を賭けてもいい」
 「その人は幸せだね……」
 嬉しそうに語る隆一の言葉を聞いた少年は、見ることの出来ない相手が、心の底から羨ましかった。
 「人間は愛に満たされていれば、他人にも優しさを分けてあげる事が出来るはずなのに、人類を幸せに出来るのに。 なぜ戦争を?
なぜ原爆を……」
 隆一と少年は未来を見つめるように、青空を見上げた。 その心は、スクリーンに映し出された青空のように、空想と現実の狭間に悩み、ジレンマを抱える陽炎のようであった。


第六章 望と代償


ある平穏な日曜日。 混み合う渋谷駅のスクランブル交差点を、走り抜ける男がいる。 光学迷彩のマントを纏い、いとも簡単に人々の間をすり抜け、存在を消しながら何者かの追跡を振り切るように、ひた走る。 息を殺して、全神経を後方の追っ手に集中させながら、懸命に目的地に向かう。 一人、二人、いや三人の追っ手がいる。 このままでは、仲間の所へ行く事ができない。
その男は、地下鉄の入り口に飛び込んだ。 そして改札を潜り抜け、出口に群がる人々の波を乗り越える。 駅のホームを矢のように走り、線路に飛び込んだ。 電車とは逆方向へと逃げてゆく。 追っ手の追跡は厳しく、そう簡単には振り切れない。      
ダイブ装置のスイッチを入れ、線路上を音速を超える勢いで移動するが、それでも振り切れない。 しだいに呼吸と鼓動が荒くなる! 時空空間へと連続でダイブアウトを繰り返し、東京23区内に張り巡らせた地下鉄を網羅する程、命がけの逃走を図った。 右へ左へと蛇行している暗い地下鉄を、まるで暗黒の空間のように飛ばし逃げ回る。
追っ手の事を気にせず、ただただ無我夢中であった。
どれくらいの時間が経っただろう……。 振り返ると、追っ手の気配は無くなっていた。 男は気を緩め光学迷彩を解き、ホームに降り立つ。
深呼吸をして平静を装い、人ごみに紛れて目的地へとゆっくりと歩き出す。 すると悲鳴が聞こえた。 若い男女数人が、口論をしながらもみ合っている。 近くにいた老夫婦が間に入り、仲裁をするが全く収まらない。 興奮する男性が、煩わしく老夫婦を払い除けた。 すると、お婆さんをかばい、お爺さんが線路へと落ちてしまった。 近くにいた人達に緊張が走る。 男性が急いでお爺さんを引き上げようとするが、焦ってしまい引き上げられない。 助けを求めるが時間がない。 みるみるうちに電車が迫ってくる。
「ギィー…………」 車輪がレールを削り、背筋が凍るような音が悲鳴と共に響き渡る。
目的地に急ぐ男は凝視しているが、行動する事はできない。  
人々は目を覆い、叫び声を上げる。 もう完全に間に合わない。 
お婆さんはどうする事もできず、呆然と見つめている。
「誰か、誰か、助けて……」
男は拳を強く握り我慢していたが、自分の母親と同じ年代のお婆さんを見ると、無視できなかった。
考えるよりも先に、体が動いてしまう。 ダイブ装置のスイッチを入れ、目にも止まらぬ速さでお爺さんの肩に手をかけるが、電車が押し出す風圧が迫る。
「キャー……」 「ギィー…………」
悲鳴と甲高いブレーキ音を残し、電車は通り過ぎて行った。
お婆さんは目をつぶり、覚悟した。

「お爺さん、あんまり無理したらだめだよ。 命を大切にしてね」
「あ……。 ありがとう……」
お爺さんは、びっくりした様に、声をだした。 
その光景を見ていた人々は困惑し、その男を取り囲むようにして不思議そうに眺めている。
視線を感じた男は人混みの中へと足早に消え、再び光学迷彩を施し去って行った。 不可解な出来事に騒ぎは収まらない。 車両からは乗客が飛び出し緊急停車した理由を求めている。 しかし駅員も返答が出来ない。 ホームには野次馬が群がり、噂話が飛び交っている。
暫くして、騒ぎを嗅ぎつけた時空警察が現れた。         
そして、逃走していた男の足跡を光学スコープで探る。 一人の時空警察官が、男の磁気反応を見逃さなかった。 それは、電車の先頭車両にダイブマントを擦った痕跡であった。 逃走した男は、最大のミスを犯してしまった。 無我夢中でお爺さんを助ける為に、ダイブアウトした強い磁気反応を現場に残し、逃走したのである。 磁気反応を残すと、時空レーダーに捕まり、逃走経路を確実に割り出されてしまうのであった。
直ちに時空警察官は本部に連絡を入れ、男の磁気反応を追って追跡する。

テログループXYZの秘密会合が、東京と大阪を繋ぐリニアモーターカーの車内でおこなわれていた。
テログループリーダーZが、希望の世界、新しい時代をつかむために言い放った。
「準備は整った。 我々は、長崎に向かうB29を奪取し、沖縄沖に停泊しているアメリカ艦隊に原爆を投下する。 そして歴史を書き替える。 これで、未来に希望の光を与えられるかは分からない。
だが、一つの引き金にはなるだろう。
この作戦の成功は、日本人の義務であり、誇りとなる。 
歴史も俺たちの歩んだ道を、照らしてくれるだろう。
同士、犠牲よりも地球の未来だ。 俺たち日本人の力を見せよう」
「おー……」 テログループ一同が喚起の声あげた。 
Zの考えは絶対であった。 誰もが日本人の誇りを取り戻し、未来を変える事に、使命を感じていた。
 「リーダー……。 時空レーダーに、歪みがでています。 追跡探知されたようです!」
テログループのダイブマントは、時空警察より劣り、ダイブアウト時に磁気反応を消せず、追尾される危険性があった。
「落ち着け、地上2メートルで、時速800kmで走るこの車両に、時空移動船は近づけない。 正確な座標が判らず、ダイバーも容易には、時空ダイブできないはずだ。 それより追跡探知された奴は誰だ」
「磁気反応がまだ残っているのは、Wです……」

Wはお爺さんを助ける時に磁気反応を残し、時空警察のレーダーに探知されていた。
メンバー1人が追尾探知されれば、全員が探知照合される危険性があった。 
「仲間に連絡して、Wの先祖を始末しろ」
「わかりました。 直ちに」
ZがWの手を握り、優しく話しかけた。
「同士、残念だがここまでだ。 ルールに則り、外れてもらう」
Wは覚悟していた。 探知された事が死だと。 そして鉄の掟の事も。
「ご迷惑をおかけ致しました。 自分の志だけでも、作戦に繋いで下さい」
ZはWを優しく見つめ、噛み締めるように小さくうなずいた。
その瞬間、Wの座席はゆっくりと空席になっていった……。
 テログループメンバー全員の心と体に、微妙な変化が訪れる。 
頭部に一瞬電気が流れたような痛みを感じ、頭を抱え違和感を覚える。
そしてWの存在、記憶がゆっくりと消えていく。 苦痛が大きいほど関わりが深く重要であった事を、なぜか? Zただ一人だけが認識している……。
以前と同じ感覚が蘇る。 メンバーの命を守る為に、犠牲にした時の事を。 同じように、部下に殺しの命令を出した事を。 留めておきたい記憶が、消えてしまった事を。 その人物が、自分の息子であった事を。
 「同士、大儀に犠牲は付き物だ。 時空警察の犬どもが、ここを嗅ぎ付けた。 30秒後に上り車両と交差する。
その車両の座標は、X軸12267、Y軸88765、空間移動する。
交差時速1600kmの車両移動だ。 一歩間違えば即死する。
各自、逃走経路設定。 車両移動後、散会。 地球に明るい未来を」

そのころ時空警察第一チームが、痕跡を残したテロメンバーの磁気反応を追跡中だった。
 「追跡磁気反応ロスト、探知できません。 正確な座標が分からず、推測でテログループの間近に直接ダイブは危険です。 奴等は一般市民を盾にできる高速移動列車での密会を、度々試みています。 時空バリアで空間激突を避けたとしても、標的になり狙い打ちされます。 本部に支持を仰ぎます」
 「そんな事をしていたら、取り逃がす。 守れる未来も無くなってしまうぞ」
時空警察は、追っていたテログループメンバーWの磁気反応が消えた為に、間近で検挙を断念した。
「くそー。 イエローが生意気にターゲットの存在を消しやがった。
本部の命令など、糞くらえだ。 絶対に俺が、全て削除してやる」
グレンは、機内の壁を蹴りつけ、悔しがった。 しかし、テログループの必死の逃走に、驚きを隠せないでいた。

時空警察本部内での状況報告会議

捜査官報告。
「現在も、テログループの不法時空進入が多発しています。
これは何か、大きな時代の変更を企む前ぶれかと思われます。
先日の日本人テログループは、時空警察第四チームの追跡をかく乱し、原爆投下地点から逃走。 現時点での推測ですが、広島、長崎の原爆投下阻止を、企んでいるのではないかと思われます。
今後、広島、長崎の原爆投下ポイントの警備を強化します」
時空警察は、原爆投下前のダイブアウトポイントの割り出し、日本人のテログループメンバーの検挙に全力を上げ、双方の争いは激化していった。

第七章 境界線


 守と隆一が不法侵入者を追いかけ、時空空間を飛ばす。 検挙を間逃れたマフィアを捕まえる為に。
複雑に蛇行し、磁場で不安定な空間を二人は競うように速度を上げて行く。
 「俺が先に追いかける」
隆一は何も言わず、先を譲った。 そして感じていた。 広島での出来事以来、守が苛立っている事を。
 時空レーダーに映る不法侵入者を見据え、急速に距離を詰めて行くと、何か違和感をおぼえた。
 「隆一。 今一瞬、何かが見えた。 気付いたか?」 
 「あれは……。 おそらく時空移動船だ。 時空空間で、光学迷彩を施す事は、違法行為で、厳罰だ」
 守は顔を曇らせた。 
「この付近で、時空警察の移動船は無い。 考えられるのは、麻薬取締局の船しかない」
守は暗号通信で、後を追うマリアに連絡を入れた。 
「マリア、狭い時空空間で、光学迷彩を施した船が停止して隠れている。 激突しないように、注意してくれ。 おそらく麻薬取締局の船だ。 ポイントは、X軸35667・Y軸13569付近だ」
 「こちらマリア。 時空移動船が光学迷彩……? 危険を承知で、何故。 何か意図があるわね。 気付かれないように、速度を緩めず、全開で鼻先をすり抜けるわ。 そして私なりの挨拶をしてやる……」
 気丈なマリアは暗黒の時空空間を、迫り来るポイント目掛けてスロットルを全開にした。
半重力エンジンの轟音が船体に響く。 交差ポイント5秒前、4、3、2、1、交差。 音の無い時空空間で、お互いの船体に、強い衝撃とエンジン音が響き渡った。 不安定な空間を制御出来ず、お互いの船が、時空の壁に接触する。 マリアが操る時空移動船は、船体に電磁波が走るが、ぎりぎりのところで間一髪制御を取り戻し、その場を通り過ぎた。
 すると、潜んでいた船が姿を現した。 衝撃の影響で、船体に亀裂が走り、光学迷彩を施す事が出来なくなったのだ。
 マリアの仕組んだ挨拶で、時空空間での光学迷彩の事実を、証明する証拠を残してしまったのであった。
 「本部。 こちら第四チーム、マリア・ヘンデル中尉。 時空空間ポイント、X軸35667・Y軸13569付近で、光学迷彩を施した時空移動船と接触。 本艦に損傷はなし。 接触船は、麻薬取締局の、船と思われる。 接触原因の調査を要請する」
 「こちら時空警察本部、上層部に報告して、直ちに原因を究明する」
 マリアは感じていた。 時空警察も麻薬取締局も、上層部は腐敗した馴れ合いの関係で、時間が経てばうやむやになる可能性があると。 マリアは気を取り直し、守と隆一の後を追った。
 その頃守と隆一は、気配を消して逃げるマフィアに迫っていた。
 追われている事に気づかないマフィアは、アジトへと帰って行く。
隆一が時空レーダーで、ダイブアウトポイントの検索を始めた。
そこは世界統一国家テラのスラム街であり、警察も関与しない無法地帯であった。 路上には、物乞いが溢れ、薬の売人がのさばり、娼婦が、屯する、澱んだ空間である。
 「ダイブアウトした空間は、建物内だ。 それに、大勢のお客さんがお待ちかねだ。 これは俺達を誘き寄せる、罠かもしれない?」
 「俺達は、飛んで火に入る夏の虫か……? 面白い。 返り討ちにしてやる」 苛立ちを隠せない守は、電子サーベルを抜きながら答えた。
 二人は、マフィアを追ってダイブアウトする。
 時空空間を出た瞬間、眩しい程の無数の光が走る。 
 今までのマフィアの攻撃とは、まるで違う。 さすがの二人も、楽しんではいられない。 隆一も勝手が違うのか、冗談を言う暇が無い。 二人は薄皮一枚の感覚で、避けて行く。 電子サーベルを盾に、電子銃を抜き反撃する。 マフィアの攻撃は、時空警察官しか所持できない最新式の電子銃であった。 二人は、久しぶりに戦闘モードに入っている。 ダイブスーツのレベルを上げ、超高速モードで移動する。
至る所に残像を残しながら、マフィアを欺く。 鏡の中の世界にいるような無数の(ヤイバ)が空気を切り裂き、電子サーベルが唸りをあげた。 二人は悉く、マフィアの武器を破壊していく。 その強さは、誰にも止められない。 攻撃をかわし、一心不乱に電子サーベルを振り下ろす。 その姿は奇人と化し、常識を超えていた。
 「お前達は、その程度か。 俺を本気にさせてみろ……いらだつ心を、破壊してみろ」   
 守と隆一は極限の戦い中で、広島での喪失感にあらがうように我を忘れ、幻と対峙していた。 
 残る気配を感じ、電子サーベルを振りかざす。 しかしその相手は、守と隆一の本人同士であった……。
正気に戻り辺りを見回すと、立っているのは二人だけである。
 過酷な争いの中でも一人として命を奪わず、負傷させる程度であった。 
 深く息を吸い、呼吸を整え、守が呟いた。
「なぜ、マフィアが最新式の電子銃を持っている? 何故、追跡が分かった? 何故、待ち伏せしている? げせない。 情報が洩れている」
 「守、見ろ。 この武器を。 この電子銃は、俺達時空警察の物と全く同じ物だ。 有り得ない」  
 二人は現場状況を確認する為に、マフィアのアジトを捜査した。
そこには、大量の麻薬が貯蔵されている。
 隆一が麻薬のデーターをコンピューターに記録すると、驚愕の事実が判明した。 
 「大量にあるヘロインは、俺達がメキシコ・フアレスで押収した物と、データーが完全一致している。 何故だ。 信じられない……?」
 「事実が物語っている。 麻薬取締局が、ヘロインを横流ししているという事だ。 残念だが、時空警察も関与している。 俺達時空警察と、麻薬取締局には、超えてはいけない一線があるはずだ……」
 二人は、怒りを何処にぶつけていいかが分からない。
隆一の視線が釘付けになる。 メキシコ・フアレスで見た、同じような光景がある。 そこには、冷凍保存されている人間の体や、臓器が眠っている。 臓器ごとにシリアル番号が打たれ、頭部からつま先まで整然と並んでいる。 まるでそこは、闇の人体マーケットのようであり、もはや人間も物でしかなかった。 テラも、過去の世界と同じであった。
 隆一が目を見開き、その中の一つに手を伸ばした。
「これは……? これがあれば……」
 握りしめた小さな光の中には、思い悩む自分の姿が映っている。 冷凍保存された陳列棚で、嘲笑うように並んで自分を見つめている眼球の隙間に、欲望を断ち切るように手にした物を戻した。
 二人は自分自身に問いかける。 自分の生き方と、時空警察の在り方を。 そして、この国の未来を。
 守は大量にあるヘロインを焼き払う。 そしてメキシコ・フアレスから拉致され、拘束されていた大勢の少女達を解放した。
 隆一は臓器に記されたデーターを、ダイブコンピューターに記録する。 真実を調べる為に。
 合流し、一部始終を目の当たりにしたマリアが、本部に状況の報告を入れた。 そして真剣な眼差しで、守と隆一に話しかけた。
「私たちは今、腐りきった闇の世界にいるわ。 時空警察と、麻薬取締局の上層部の腐敗した関係は、世界統一国家テラそのものよ。
これから私達は、時空警察と麻薬取締局に、命を狙われる存在になった。 私たちの戦う相手は、テログループでもマフィアでもなく、この国、テラなのかもしれない……」
 「俺と隆一は存在を把握されている。 時代を遡られて殺されたら、俺達に成すすべは無い……」
 「元々俺達は、いつ死んでもおかしくない世界で生きている。 俺は、後悔はしないさ。 お前達と一緒なら」
 守と隆一は軽く笑い、テラの本質に呆れるように微笑んだ。
 その二人を見つめるマリアは決意する。 そんなことは絶対にさせないと。
 暫くして、応援に駆けつけた時空警察に処理を任せ、複雑な気持ちを懐いて、三人は現場を後にした。

 世界統一国家テラに夜が訪れる。
人間の生活サイクルを守る為に、地下世界を偽装する為に。 
 自然世界に影響を与えない月が、無意味にスクリーンの夜空に光輝く。
 高層ビル最上階のペントハウスで、大音量のロックが流れ、ガラステーブルには吸い込まれた後の、微量の白い粉が残っている。
 美しいラインを奏でる真っ白い肌が、偽りの光で影をつくり、横たわっている。
 
「熱い……。 熱い……。 焼ける様に熱い……。 いやぁー……」
 金色の長い髪を振り乱し、ぐっしょりと大量の汗をかいて飛び起きる女性がいた。 毎夜夢に魘され、怯えている。 本当の時間は? 本当の時代は? 過去なのか、未来なのかが見えないでいる。 心の中の境界線が迷路にはまり、この世界から逃げ出したい。 だが、同じ心の中に潜む悪魔がそれを許さない。
 気だるそうに、シャワーの栓を捻る。 冷水が震える体を包み込み、足先へと流れ落ちる。 意識を取り戻す為に、思いをはっきりさせる為に、目の前の鏡を見つめた。
 「私はここにいる。 現実に生きている……」
 火傷の痕が、消せない心の傷が、閉じ込めた叫びが聞こえる。
欲望と戦い、流され、許す事の出来ない自分を見ると、涙が毀れ落ちる。 しかし私は、悪魔に魂を売り渡した。
良心の呵責を断ち切るように、自分を睨みつけ、殴りつけた。
  ひび割れた鏡の中の瞳と、握った拳には血が滲んでいた。 
 癒されない心の渇きを求めて。 葛藤するマリア。
 運命を変えた出会いを思い出す。 それは9年前の20歳。 
時空警察学校での教官室。
 「コンコン」
「マリア・ヘンデル入ります。 教官、お呼びでしょうか」
 「まあ、座りたまえ」
「はい……」
 「射撃試験、96点。 格闘試験90点。 時空移動船試験96点。
ダイブ試験96点。 申し分ない成績だ……。 
類い希な才能の他に、君はその容姿で男を惑わす魅力もあるようだ。 よく見ると古いビデオに出ていた、アンジェリーナに似ている……。
最上階のVIP室で、ローレン上院議員が御待ちかねだ。 くれぐれも、失礼のないように」
 男なんかに負けない。 私には実力がある。 そう叫びたい気持ちを抑えて、部屋を後にした。
 マリアはVIP室に向かうエレベータの中でで疑問に思った。
上院議員が警察学生の私に何の用だ?
 数人の護衛警察官が見守るドアをノックした。
「警察学生、マリア・ヘンデル入ります」
 「私はローレン上院議員です」 男は緊張した面持ちで、握手を求めて手を差し出した。
 マリアは握手を交わした後、ゆったりとした居心地のいい大きなソファーに腰掛ける。
見た目はがっちりとした体格、鋭い眼差しの割には物腰の柔らかい口調である。
「お座り下さい。 突然の呼び出しに、驚かれた事でしょう。 何からお話ししたらよいか……。 我々政治家、政府高官は万一に備えてDNA検査、データー保存を義務図けられています。 危険な職務に就く警察官も、知っているようにDNA検査が義務図けられています。
そこで、ある事実が判明しました。 言い出しにくい事実ですが、私達のデーターが一致したのです……。 私とあなたは、父と娘の関係にあります」
 「それは本当ですか? 間違いないのですか」
「最初は信じられなかったのです。 しかし、数日前に訓練中の君の横顔を見た時に、確信しました。 かなり前の事ですが、大学生の時に出会った女性に瓜二つでした。 今更父親の真似は出来ませんが、ささやかな援助はしたいと思っています。 希望を教えて欲しいのです……」
 「母親は、どんな人ですか? 今は何処に住んでいますか」
 「男として不誠実であることを、認めます。 実は、一日だけの恋だったのです。 朝起きたら、彼女は消えていました……。 今何処にいるのか、何をしているのか、分かりません。 今となっては、出会ったクラブの名前も、場所も思い出せないのです。 申し訳ない」
 驚きを隠せない。 動揺して、その後に上院議員に聞いた内容の事も、退室した時の状況も、思い出せない。 しかし自分のルーツを知らずにはいられない。 政治家、政府高官の身辺調査、ダイブ調査は法律で禁止されていが、行動せずにはいられない。 子供の時から心の奥底にしまっていた思いが蘇る。
 この日を境に、生き方が変わって行ったのを度々思い出す。
私は暗黒の世界で、眠れる勇気が欲しい。

 
 第八章 決意と戸惑い

第二次世界大戦末期。 西暦1945年8月9日10時 。
原子爆弾、ファットマンを搭載したB29爆撃機ボックスカーは、第一目標である福岡県小倉市が厚い雲で覆われていたため、目標を長崎に変更し、目指していた。
テログループは歴史の変更を企み、最重要任務を決行しようとしていた。
 「時は来た。 今の閉ざされた世界を変える為に、我々は長崎の原爆を奪い、アメリカ艦隊を殲滅する。 メンバー全員の魂の力で、この偉業を必ず成功させる。 明日は、今までとは違う朝を迎えよう。
健闘を祈る」
その頃時空警察は、テニアン島を飛び立ち長崎に向かうB29爆撃機ボックスカーの警護監視の為に、姿を消しながら併走飛行をしていた。
 「こちら監視船。 長崎ポイントに、複数の磁気反応あり。 応援を要請する」
 「こちら本部、応援要請を受けた。 待機第一、第四、第六、第八チームは、緊急スクランブル発進。 ダイブアウトポイントはB29爆撃機ボックスカー。 現在監視チームが応戦中」
「了解。 こちら第四チーム。 ノア、出動します。」
第一チームのリーダー、グレンがチーム員に気合いを入れる。
「絶対に第四チームに遅れをとるな。 イエローは、俺たちアメリカ人が削除、殲滅する」
 二機の時空移動船が重なるように成層圏を高速移動し、爆音を残し時空空間へ傾れ込んだ。
マリアの操縦テクニックは天才的である。 自分の手足のように限界ギリギリで船体を操り、第一チームを引き離す。
 「もっと速度を上げろ、引き離されている。 飛ばせー……」
時空空間での速度差は歴然であり、第一チームは遅れをとった。
「守、隆一。 ダイブポイント確認」
「了解」
その瞬間二人は暗黒の空間にダイブし、超高速で飛行する。
B29の機体に直接ダイブアウトし、テログループと交戦中の監視チームに加勢した。
狭いB29の機体の中で、電子サーベルの火花が散る。 剣さばきの達人である守と隆一は、相手の攻撃を見切り、テログループの間を流れるようにすり抜ける。 最小限の動きで電子手錠を使い、拘束していく。
そこへ遅れをとった第一チームのグレンが電子サーベルを振りかざし、B29の機内に乗り込んできた。 テログループと守と隆一の間に強引に割り込み、無造作にテログループをバサバサと切り捨てていく。
すると、テログループの1人の光学マスクが吹き飛び、日本人である素顔が現れた。
その人物は、素顔をさらしても微動だにしない。 すでに自分の命など目的の為に捨てていた。
 「日本人にしては良い度胸だ。 だが、お前らに意味はない」
豪腕のグレンは、機内の空気をも切り裂く勢いで、電子サーベルを振り下ろす。 衝撃音と共に、テログループのメンバーは次々と倒れていく。
「お前ら日本人は使い物にならない。 地球上から全て削除してやる」 取り憑かれたように、まだ息のある人間に止めを刺し、顔を踏みつけ、不適な笑みを浮かべて、守と隆一を睨み付けた。
二人の疑問はしだいに心の中で大きくなっていく。
日本の上空で同じ血を引く民族が、望む未来の為に命を賭ける。 
俺たちのしている事が正しいのか……。 時空警察の立場、日本人としての叫び、その迷いが二人の剣の動きを止めていた。
緊急連絡で駆け付けた時空警察により、B29は制圧された。
テログループは計画の失敗を知り、メンバーの存在そのものを削除し、消してゆく。 時空警察に足跡を悟られる前に。
その光景を見守る守と隆一は、倒れている日本人の目の奥に、心の叫びを悟り、魂が痛んだ。 敵とはいえ志半ばで死に、消えてゆくテログループの姿を寂しそうに見送った。
歴史の捻れ、修復、犯罪調査を終えた時空警察は、それぞれの思いを胸に、テラへと帰投して行った。

時空警察本部内での状況報告会議

捜査官報告。
 「先日の長崎ポイントでのテロ行為は、第一チームの活躍により未然に防ぐ事ができました。
しかし第四チームの二人、神村守、古代隆一は、テログループと交戦中に精神的な問題、ヒューマンエラーが発生したと報告が入りました。 よって第四チームを、日本人テログループ捜査から外す事を要請致します」
議長が重い腰を上げて話し出した。
「我々時空警察は歴史の番人である。 いかなる理由があろうと、歴史の流れを変える事を防がなければならない。 引き続きテログループの監視、メンバーの洗い出しに全力を上げてほしい。 第四チームの件は後日回答を出す。 以上」

時空警察は、度重なる日本人テログループの時空不法進入に手を焼いていた。 総力をあげて様々な時代に捜査員を配備したが、監視ポイントの多さゆえ、歴史とテラ政府の存在を守る為には、明らかに人員不足であった。

 再び神村守の適性検査が執り行われた。
「神村守、入りなさい」 
 守は返事をせずに腰掛けた。
「適性検査を行う。 思った事を答えなさい。 時空警察について」
 「曇りなき正義は建前。 闇の権力。 歪んだ真実。 矛盾。 不正」
「では、テラについて」
 「偽りの都市。 腐敗した都市」
「人類について」
 「愚か。 無知」
「過去について」
 「学ぶ世界。 希望の世界」
「日本人と他民族」
 「同じだ。 同じ地球人だ」
「自分自身の生き方について」
 「真実を求める」
「父親について」
 「父親……。 俺は孤児院出だ。 質問の意図が分からない。 お前の妄想を描いた質問はこりごりだ。 報告書には勝手に書け。」
 守は動揺を抑えられず、体に付けられたセンサーを引きちぎり部屋を後にした。

 
 その頃、大柄の男が深々と帽子をかぶり、テラの地下都市最下層にあるスラム街を歩いていた。 ジメジメとした、換気の悪い澱んだ空気が立ちこめている。 薬でふらつく娼婦が声をかけた。
「そこの旦那、いい男だね。 私と遊ばない。 安くしとくからさ……」
 「日本人のゴミと、遊ぶ気は無い。 死にたくなかったら、消えろ」 その男は日本人を毛嫌いする時空警察官、グレン・オースチンであった。
 暗く水滴がたれる階段を下りて行く。 そこは誰も寄り付く事のない、薄汚い酒場であった。 ローソクの薄明かりの向こうに、煙草を銜えた男が座っている。
 グレンは挨拶も交わさず無造作に座り、口を開いた。
「何の用だ……」
 男は煙草を置き、ウォッカをあおる。
「お前の処にいる、神村守と古代隆一を消してほしい。 奴らのお陰で俺達麻薬捜査官は、厳しい立場に立たされている。 時空警察と麻薬取締局、そしてマフィアは持ちつ持たれつだ。 しかし上層部は今回の一件で、マフィアを切り捨てようとしている。 俺達はそれを良しとしない。 ゆえに、時空に潜って奴等二人を、事件前の時刻で処分してほしい」
 「二人を消せなかったのは、お前のミスだ。 時代を遡って二人を消したとしても、本部の歴史コンピューターに事件は保存され、書き換える事は不可能だ。 頼まれなくても二人は俺が殺す。 お前は自分で後始末をしろ」 
切り捨てるように言い放ったグレンは席を立ち、足早に姿を消した。
 残されたロイ・ヘンドリックは顔を歪めながら、立ち去るグレンを見つめ、グラスを叩きつけた。
 
 
第九章 それぞれの信念


黒ずくめの謎の男が、朝靄の中、長崎県の高台に静かに降り立った。 その男は新たな局面を思考する。
長崎の原爆投下阻止、歴史変更に失敗した事実に根本的な計画の立て直しを目論む。
未来の人間が歴史の変更を企むより、その時代の人間が歴史に挑み楔を打ち込めば、新たな時代を創れるのではないか。
謎の男はゆっくりと昇る太陽を睨み、万感の思いで決意する。
未来を手に入れる為には、手段を選んでいる暇などない!
使える者は全て利用する。
くたびれた茶色の作業服に変装し、朝の闇市に群がる雑踏に紛れ、消えて行った。 ある目的の為に。

青年が人を掻き分け、必死に走る。
その後を数人の憲兵隊が追いかける。
「どけ、どけ、どけー……」
 青年は逃げる事が手慣れたように、闇市の人混みの中をすり抜ける。
 追う憲兵隊も、今日こそは逃がしはしないと拳銃を掲げ、空に向かって発砲するが青年は動じない。
 自分は捕まらないと自信に満ちた表情で、逃げる事を楽しむように、流れるように走り去る。
 すると作業服姿の謎の男が、両手を広げ青年の走る先に立ちはだかった。 青年は笑みを浮かべながら、その横を意図も簡単に突破する! その瞬間。 何故かすり抜けたはずの男が、再び目の前に現れた。
 「え……何!?」 足が滑り地面に手を付くが、類い希な運動神経で立て直す。 しかし、連続的に蛇行する障害物のように、その男は進路を塞いだ!
 訳が分からず、ムキになって本能的に避けるが、謎の男は何度も何度も、青年を試すように邪魔をする。
拳銃を持つ憲兵隊に追われても動じないふてぶてしさと、人混みを避ける俊敏さに、光明を感じ取った。
しつこく試した後、ようやく謎の男は動きを止め、走り去る青年の姿を見送った。 そして青年を自分の計画に利用する事に、期待と喜びを憶え、不気味に笑い人混みの中へと消えて行った。
 青年は憲兵隊と謎の男を振りきり、自分の帰りを待つ仲間の元へ急いだ。 
 「あの男は、いったい何者なんだ……?」 今までに経験した事のない不思議な出来事に、答えを出せないでいた。
 その頃いつものように、あどけない子供たちがお腹をすかせて、傾いたバラック小屋の前で待っている。
視線の向こうに、息を切らして一生懸命に走る青年が見える。
その姿を見た子供たちは、喜びの笑顔を見せた。
今日も無事に帰ってきてくれた。 これで今日を生きられる。
子供たちは、身よりのない孤児であった。
その中に、胸に手を当てて帰りを待つ少女がいる。 子供たちの為に命がけで食料を盗み、みんなの元へ届ける青年の妹であった。
 「おかえり……」
真っ先に妹は兄の元に歩み寄り、笑顔を見せて抱きついた。
兄の事が身を切られる程心配だが、みんなのヒーローである兄の事が、誇らしかった。
 周りの子供たちも次々に歩み寄り、重なるように抱きついた。
青年は子供たちに、リュックサックいっぱいのパンや、野菜を手渡した。 「俺が、この子供達を守る。 命に代えても……」
その光景をまじまじと熱い視線を送り、謎の男が見据えていた。
この青年を洗脳すれば、時代を動かせるかもしれない。
危険と戦う強い意志と、子供たちを守る責任感が、謎の男の心を動かした。 そして思い出せない記憶を蘇らせる。 存在を消した息子は、どんな顔をしていたのだろう? どんな人生を送ったのだろう? 
殺す命令を出した自分は、苦しんだのだろうか?
 存在そのものを消し去った自分にとって、他人事にしか思えない。
謎の男は、闇夜に静かに消えて行った。

 その頃未来を見つめて、金色の髪をなびかせ、ダイブアウトするマリア。 幾度となく父親のたどった足跡を探して、自分に瓜二つの母を求めて時空を漂う。 降り立った先は若者が一夜の相手を求めて集う、薬と音楽と欲望が渦巻く深夜のナイトクラブ。 何度ダイブしても何故か過去の世界で、接点を見出せない。 途方にくれるマリアは大音量のロックに身を任せ、ウォッカを流し込んだ。 又会えないのか? 父親であるローレン上院議員の言ったことは正しいのか? 嘘なのか? 娘が母親に会う事で歴史が変わり、娘の存在が危ぶまれる事を恐れたのか? 上院議員の情報にはダイブコンピューターがブロックされアクセスはできない。 確かめる術がない。 そして自分の過去を遡り糸口を辿る事は、心を閉ざした忌まわしい事実に触れる事になる。
過去と言う広大な砂漠で、一匹のアリを探すように思えた。
 すると見知らぬ男がマリアの美貌に導かれるように、ウォッカを差し出した。
 「地下1000メートルに咲くバラに、一時の潤いを」
 歯の浮くような言葉にマリアは、鋭く睨みつけウォッカに手を伸ばした。 男などどうでもいい。 でも女は何を求める? 母は何を求めてクラブに来た? そもそも母親とは何だ? 分からない。
 「殺すような眼差し……。 その目の奥に、孤独を漂わせる。 君のような美しい金色の髪をなびかせる女性に、出会った記憶がある」
 前にも聞いた口説き文句に飽き飽きするマリアではあるが、男の優しそうな微笑みと、僅かな糸口でも欲しい気持ちが耳を傾けた。 
 男は気にせず話しかける。
「心をほぐす為に、心理テストでもしよう。 君は遠くを見つめ、何かを追い求める人生の旅人。 今、心の部屋に閉じこもっている。 その部屋には、四つの部屋に通じる扉がある。 一番目の扉の部屋には大きな机と、あらゆる分野の著書が詰まった本棚がある。 二番目の扉の部屋には自分の姿を写す大きい鏡と、くつろげる椅子と机がある。 三番目の扉は、自分の部屋に通じていて、大きいクローゼットがある。 四番目の扉の部屋は外の世界に通じていて、大きい木が太陽光線を遮り、風景に同化したような机が置かれている。 気楽にイメージして欲しい。 そこで君は望みを叶える魔法の宝石を、どこかの部屋に隠し、扉に鍵を掛ける。 さあ、美しい髪を掻き分ける美女は、願いを叶えるために、どの部屋を選ぶのかな?」
 「あなたは、そのくだらない心理テストで、私の心を見たいの? それとも私の服の中身を見たいの?」
 「口を開いた言葉が質問とは……。 あなたの心理は根が深い。
とても魅力的だ。 私はどちらも見たいが……。 叶えられそうもないので、答えを教えよう。 君は願いを叶えるために、何を犠牲に出来るのか? 選ぶ部屋には人生のテーマが隠されている。 一番目の部屋は仕事。 本や本棚は、学問や仕事を表す。 二番目の部屋にある鏡には、自分自身が写っている。 自分を犠牲にしてでも、願いを叶える心理。 三番目の部屋は家族もしくは両親。 自分の部屋のクローゼットは、母親が開ける可能性があるからね。 四番目の部屋は、唯一外の世界に通じる扉。 それは社会からの視線。 友人や世間体を表す。 どうだったかな? 当たったのか、外れたのか、私には分からない。 出来れば君の答えと、魅力的なスリーサイズを伺いたかった」
 マリアは厭きれた様に表情を崩すも、優しく答えた。
「あなたの口、閉じていると魅力的よ……。 くだらない部屋を選ぶとしたら、鏡の部屋ね。 スリーサイズは力ずくで調べてみれば」
 「なるほど。 素晴しい」
二人は店の外へと消えていった。

 

第十章 求める答え

 
時空移動船ノアが自動航行し、重要ポイントを監視していた。
守はコクピットに座り、独り言のように腕組みをして話しかけた。
「隆一。 俺はこの年になっても、子供の頃の夢にうなされている。 検挙率ナンバーワンの俺が、おかしな話だ。 孤児院で寝ている時も、よくうなされた。 あの夢を初めて見たのは何歳の頃だっただろう……。          顔は判らないが、両親と思われる二人の間に挟まれ、俺は歩いている。 握った手のひらから温もりと、優しさが伝わってきた。 雨で出来た道路の水溜まりを、二人に腕を持ち上げられて、かけ声と共に元気よく飛ぶように跨いだ。
 嬉しかった。 癒されていた。 三人で歌いながら歩くと、少し大きめの穴があるんだ。 両親は軽く跨ぎ、笑っている。 でも俺は何故か怖くて飛び移れない。 今思うと、馬鹿馬鹿しいくらいに僅かな穴を怖がっている。 でも夢の中の俺は、いつも泣きながら叫んでいる。
 お母さん……って。 何故か二人は俺を置いて、笑いながら遠ざかって行く。 懸命に訴えるように叫んだのに、二人は振り向きながら歩いていく。 いつもそこで飛び起きるんだ。
 よく泣きべそをかいて、笑われた。 お前にも笑われた。 でも本当に怖かった。 最近又、この夢を度々見る。 何故だろう? 子供の頃から不安になると、見るような気がする。 孤児院の入口に捨てられていた赤ん坊に、俺の名前と生い立ちを書いた手紙が添えられていたらしい……。 もう一度広島へダイブしようと思う」
 「そうか……。 俺も一緒に行こうか?」
「いや。 俺一人で行ってくる」
「注意しろよ。 俺も気になる所がある。 任務が終わったらダイブする」
「ああ……」
 片隅で話を聞いていたマリアは、触れないようにその場を離れた。

 任務を終えた守は、心の整理をつけるために、広島にダイブした。 混乱の日本。 終戦前の広島。 戦時中ではあるが、広島の人々の生活は活気にあふれている。 皆、日本の勝利を信じ疑わない。 日々の生活は大変だが、闇市に群がる人々。 元気よく走り回る男の子、少しでも生活の足しになればと着物を質に持ち込み、僅かなお米と交換する母親。
必死に生きようとする心に、力強さを感じる守であった。
しかし数日後の現実を思うと、人々の笑顔や力強さが、かえって空しさを強くする。
楽しそうに遊ぶ子供たちを、何気なく見つめていた視線の先に、強い殺気を感じ取った。 そこには以前少女を抱え、相まみえた謎の男が立っている。
その男は一点を見つめて歩き出す。 何故か守を見つめながら。
守は慎重に電子銃のフックを外し、気づかれないよう身構えた。
謎の男は脇目もふらず一直線に近づき、守の目の前で不適に笑い、歩みを止めた。
 「守君。 過去の世界で心が癒されたかい?」
守はその言葉に、体全身に電流が流れたように硬直した。
なぜなら、タイムトラベラーの身元は、絶対に知られてはいけなかった。 情報の漏洩は、即死を意味する。 時代を遡りいつでも殺される危険性があるからだ。
守は決意したように電子銃をホルスターに戻し、謎の男に問いかけた。 「何故、俺が時空警察と判った? 何故、俺を生かしている? いつでも俺を殺せるはずだ! なぜ、ここに来た?」
 「お前を生かすも殺すも、俺の考え次第だ。 いつでも殺せるが、時間をやろう。 俺の後をついてこい」
謎の男は不気味な言葉を残し、時空の歪みに姿を消した。
守は謎の男の言葉の意味と、過去と未来の運命に戸惑いながら、謎の男の後を追って、時空の流れに身を任せた。
行く末を案じながら……。

ダイブアウトした二人は、海岸沿いのコンクリートで覆われた、大きな建物の屋上に降り立った。
海岸から流れる塩風が早朝の濃い霧を押しやり、次第に視界が開け始める。
守は直ぐさま時代検索を開始し、周囲を監視する。
そして視線を奪われた一点を凝視した。 その先には、ぼろぼろのコンクリートから鉄骨が突き出し、無残にも飴ように折れ曲がっている。 建物を支える柱は砕け、壁は剥がれ落ちている。
それは原型を全く留めない、崩壊した建物であった。
 「お勉強のお時間だ。 守君。 ここは日本民族が三回目の十字架を背負う、福島第一原発の事故現場だ。
西暦2011年3月12日、三度の連続した爆発により、広島型原爆150個分の放射能を空気中に、そして世界に放出した。
なぜ日本民族がこれほどまでに、放射能に関わるのか? 不思議だとは思わないか……? 神の悪戯なのか! 警告なのか?」
守の心はざわついた。
「なぜ、ここに連れてきた? なぜ、俺に関わる? お前は俺に、何をさせたいんだ……?」
 「その疑問と答えは、全てお前の心の中にある。 そしてお前は、決断をせまられる」
意味深な言葉を残し、謎の男は笑いながら闇に消えていった。
守は、謎の男の言葉が頭から離れない。
天を仰ぎ自問自答する。
「決断……! 俺は何を決断するんだ?」
日本人の運命を、日本人の使命を、思い悩む守は崩壊した建物を見つめながら思った。
自分の未来にきっと答えがあると信じて、現実の世界、テラへと帰って行った。

その頃、深夜気配を消して、存在を消して、悟られないように目的地に向かう男がいる。 警察本部内で禁止されている光学迷彩を施し、押収品管理室に進入する。 
そこには先日、マフィアのアジトで押収した大量の麻薬が並んでいた。 しかし隆一の目的はそれではない。 求める物は、ダイブコンピューターに記録された、臓器の存在であった。 盗み出した解除コードで、冷蔵安置室のドアを空ける。 無数に置かれた物の中から、心引かれる小さな臓器を握り締めた。 目をつぶると、孤児院の悟が見えない空を、見上げている顔が浮かぶ。 
時空警察官としての誇りが、揺らぎそうになる。 しかし、もっと違うことに心を動かされた。 それは、多くの臓器が無い事である。 心臓、肝臓、腎臓、肺、手足、どれもが少ない……。 何故かは分からない? コンピューターに侵入し、管理コードを打ち込み所在を検索する。
するとそこには、信じがたい事実が映し出されていた。 臓器それぞれの運搬先が克明に記されている。 隆一はその事実に驚愕した。 顔を歪め、握り締めた物を元に戻し、決意する。 その瞬間、けたたましく侵入警報が鳴り響いた。 コンピューターの不法アクセスで、侵入に気付かれたのだ。
 すぐさま管理室を後にして、ダイブスーツのパワーを上げ音速を超える勢いで細く狭い通路を飛行する。 目前に壁が迫る。 50メートル、5メートル、隆一の体が激突する瞬間、大気を切り裂き衝撃音と共に姿を消した。 追っ手を振り切る為に、限界ぎりぎりで時空空間を飛行する。 何人もの時空警察官に追われるが、みるみるうちに引き離して行く。 最早、隆一の速度に着いて行けるのは、守しかいなかった。 
統一国家テラの、政府行政区にダイブアウトする。
権力を象徴するような巨大な建物が聳え立つ。 偽物の雨がコンクリートを叩き、怒りに震えた心と、やりきれない気持ちを紛らわすように、足元へと流れ落ちる。 この存在が全てを揺るがす。 時空警察の闇にテラの闇に、迷わず隆一は侵入する。 そこは医療機関の中心であり、特権階級専用の病院であった。 
 厳重に警備された中央制御室が見える。 謎はその先にある。
見つめる闇の世界の先に、突然歪が現れた。
ゆっくりと謎の男が、両手を広げて自信満々に近づいて来る。
 「隆一君。 テラの闇の世界にようこそ……。 真実を知りたいなら手伝おう……。 タイムマシーンが何故作り出されたのか、何故必要なのか……。 分かるかい…… テラにとって、麻薬や武器や娼婦など、飾りに過ぎない。 放射能は大地を50万年汚染する。 地下1000メートルの都市も例外ではない。 徐々に大気や地下水は汚染され、人間の体も希望も蝕む。 地球が再生するには取るに足らない時間だが、人類が生き抜く為には途方も無い時間だ。 テラを牛耳る奴等は考えた。 汚染されていない体を求める為に、臓器の供給する先を……。 メキシコ・フアレスをなぞるように、旧世界の人類のように……。 汚染された臓器を交換するために、過去の世界がある。 警備室の馬鹿どもは俺に任せろ。 その目で、テラの闇と現実を見定めてこい」
 隆一は謎の男の話に、驚きを隠せなかった。 自分の名前を知っている事よりも、タイムマシーンの目的、放射能汚染された体に臓器移植を行っていた事実を、知る由もなかった。
 謎の男は光学迷彩を解き、警備員を引き連れる為に制御室に近づいて行く。 高速移動しながら電子銃を乱射する。
病院内に警報が鳴り響き、武装した警備員が一斉に反撃した。
 「馬鹿ども、俺に付いてこい」
謎の男はダイブマントをひるがえし、疾風のごとく走り去った。
 隆一は歩き始め、テラの謎へと加速する。 時空空間を経由して、頑丈な金属扉を抜け、温度湿度を一定に保たれた無菌室に入って行った。
 予想通り、そこには大量の臓器が冷蔵装置の中で生きている。
歩く姿を何千の眼球が見つめてくる。 動揺する心を嘲うように、自分の心臓の鼓動と、陳列されている心臓が連動するように脈を打つ。 
その先にある物に、背筋が凍る思いがした。
 数え切れない程の首のない人体が、寂しく冷蔵睡眠装置の中でDNAが適合する主人を待っている。
 その中に首のある人体がある。 近づき凝視してみると、それはテラを統治する大統領本人のレプリカであった。 レプリカは、それだけではない。 政府官僚、時空警察長官、麻薬取締局長官、そうそうたるメンバーの人体が複数存在する。 信じられない光景である。 
呆然と見上げ、隆一は立ち尽くした。 さらに息が止まる程の衝撃を受けた。 
 「まさか何故。 何故だ。 何故ここに? 有り得ない」
 そのレプリカは保存水溶液の中で、金色の髪を靡かせ、男性の欲望を掻き立てる程の裸体を輝かせていた……。 
 「テラの本質を、テラの闇を理解したかい」
 隆一は、拳を握りながらゆっくりと振り返ると、謎の男が立っていた。
「テラが腐り切っている事は認めよう。 だが、貴様の目指す物が正しいわけではない。 人間は元々不完全な生き物だ。 幾度も、尊い命を犠牲にして、愚かしい日々を積み重ねた。 旧世界の人間のように、人の命で己の命を繋ぎ、生き長らえる。 馬鹿馬鹿しい位、何度も何度も同じ道を歩む。 だからといって、貴様に歴史を変える資格があるのか。 人間が愚かと言う事で、世界の運命を変えられるのか。  テラにも尊い命がある。 明日の世界を目指して生きる子供達がいる。 その光は、無限の可能性を秘めている。 俺にも大切な人間がいる。 守る為なら命も惜しまない。 気に入らないのは、俺と守の前に現れ、意図的に誘導する事だ。 貴様は何を考えている」
 「ふふふ……。 俺は心の糸を繋ぎ、開放しているだけだ。 隆一君。 歴史を変えて、明るい未来を手に入れる事が悪か? 腐敗したテラを守り、歴史を守る事が善か? 何が真実で、何が正義なのか、よくよく考える事だ……」
 謎の男はダイブマントをひるがえし、歪へと姿を消した。
 自分に自信があるわけではなかった。 もはやテラの闇は、解決できない所まで来ている。 取り返しのつかない世界に堕落している。 しかし歴史を変える事は…… 分からない。 そして衝撃を受けた新たな謎に、戸惑いを隠せない。
 落胆した隆一は空しさに包まれ、その場を静かに立ち去った。
 

第十一章 不安と幸せ


 子供たちのヒーローである青年が、今日の獲物を物色している。 まだ若いが、盗みにおいて研ぎ澄まされた感覚や、読みは抜群であった。 その眼差しは、まるで獲物に食らいつくハイエナのようだった。 青年は感じ取った。 今日は、あの店から食料を調達しよう。 
人混みの中を、気配を消して走り出す。
すると突然真っ暗になった! 何も見えない。 目眩がしたようにふらつき、何度も目をこすりながら辺りを見回す。 風景がゆっくりと断片的にちらつきながら映る。 動揺するが少しずつ認識していく。 今、よく知る公園にいる。 周りには、孤児である守るべき子供たちがいる! その中には愛する妹の姿も見える。
 けたたましく空襲警報が鳴り響き、地面が音を立てて揺れる。 
子供たちと手をつなぎ身を低くするが、胸騒ぎが治まらない。 
今までの空襲とは、何かが違う。 地震か? いや違う。 
辺りは既に、炎の嵐に包まれていた! 熱い、体が焼ける。
つないだ手の感覚がまるで無い。 妹の姿を探すも、熱風で目を開けることができない。 
「幸子……」 最後の力を振り絞り、妹の名前を叫んだ。
 すると何故か、さっきまで痛くて見えないでいた風景が見える?
まるで悪夢の中にいるような世界。 時間が止まっているように感じる? 炎の流れや熱風も止み、逃げまどう子供たちも魔法のように静止している?
 視線の先に、前に出会った謎の男がゆっくりと近づいて来る。
その男だけ、ただ一人だけが、静止した時の中を歩いている。
 「優一君。 この世界が分かるかい? 目の前に見える光景は、人生最後の光景だ。 全ての物が、君の愛する全てが灰になる。 信じられるかい? 当然、君の妹も死ぬ。 これは日本を地獄に落とす、二度目の原子爆弾だ。 この爆弾で、日本は敗北する!」
 驚きの光景に驚愕するも、広島の原爆投下を知る青年は、胸が締め付けられた。
妹を助けたい。 生きたい。 その思いが、体の奥から込み上げてくる。
 謎の男は青年を仮想空間に拉致し、長崎の原爆を現実体験させ、洗脳術に利用したのであった。
 「この原爆を阻止して、妹を助けたいなら、私を思い出せ。 君が思えば、私が未来の扉を用意しょう。 扉を開けるのは君だ……」
 頭が割れるように痛い! 「うわぁー……」
青年は大声を出して、正気に戻った。 一瞬の出来事である。 今のは夢か? 何だったんだ? あまりにもリアルな光景に、訳が分からなかった。
我に返った青年は、盗もうとしていたお店の前に立ちつくしていた。 ふと、妹の顔が浮かぶ。 愛する妹の元へ、走らずにはいられなかった。 心臓の鼓動が異常に早い。 それは懸命に走っているためでもなく、原爆体験の夢を見たためでもなかった。 今すぐ愛する妹に逢いたい。
 毎日通る道なのに、こんなにも遠かっただろうか?
足が重い。 前に進まない。 ただただ逢いたい思いが、青年の心を締め付けていた。 ようやくバラック小屋が見えて来た。
視線の向こうに遊んでいる子供たちが見える。
その輪の中に、楽しそうに笑いながら縄跳びをする妹がいた。
 「あー……。 良かった……」 足を止め、深くため息をついた後、妙な胸騒ぎは気のせいだったと胸をなでおろした。 再び妹の所へ駆け寄り抱きついた。
「お兄ちゃん。 どうしたの? 汗、びっしょり……! 何かあったの?」
「何でもない。 お兄ちゃんは幸子に会えれば、幸せだ」
妹は照れるのを隠しながら、優しく微笑んだ。
「お兄ちゃんは必ず、みんなの為に帰ってきてくれる。 信じてる」
 青年は実感した。 妹の幸せは自分の幸せだと。
しかし謎の男の存在と、現実のような夢の体験を思うと、心配で仕方がなかった。
  

第十二章  偽者の夕日と本物の夕日 


 時空空間を、光学迷彩を施しながら進む船がある。
時空警察のコンピューターに、刻まれた歴史を変更することは出来ないが、決着をつける為に過去へと遡る。
 ロイ・ヘンドリックにとって、麻薬取締局捜査官の地位も、マフィア幹部の地位も、最早関係なかった。 ただただ、目的を果たす事だけを考えていた。
 暗黒の空間を抜けると、暖かい日差しに設定された、テラの最上階に位置するドームと言われた空間へと舞い降りた。
 存在を消して、目的地に向かう。
 そこは元気いっぱいの男の子が校庭を走り、無邪気で可愛い少女達が縄跳びをする、小学校であった。
 そんな微笑ましい光景をよそに、姿を消したロイは足早に教室へ向かう。 しかし目的の少年は見当たらない。 校庭や校舎を注意深く捜しまわる。 すると校舎の裏で、揉み合っている子供達の声が聞こえた。
 「日本人のくせに、生意気に靴を履いてやがる。 脱がせ」 数人の子供達が、二人の少年に襲い掛かった。
 「やめろー……。 放せ。 だめだ。 やめろー」
口を切り鼻血を流しながら、懸命に抵抗している。 その二人は、日本人差別で毎日のように虐めを受けていた、少年時代の守と隆一であった。
 ロイは笑いながら、煙草に火をつける。 子供達の虐めの現場を、楽しそうに見つめている。
 守と隆一は懸命に耐えていたが、力尽き靴を奪われ倒れこんだ。 
 「日本人が馬鹿だから、世界は滅んだんだ。 小学校に日本人はいらない……」
 泥にまみれ、、痛々しく守と隆一は立ち上がる。 二人は頭を強く打ち、もうろうとしていた。
 起き上がる二人を待っていたロイ・ヘンドリックが、光学迷彩を解き姿を現した。 「守君と、隆一君だね。 今の君たちに恨みは無いが、消えてもらうよ」
 その瞬間、空間が大きく歪み、強い殺気をはらんだ冷たい空気が流れ込んだ。 そこには謎の男と、ダイブマントに身を包んだ、完全武装の集団が立っていた。
 驚いたロイ・ヘンドリックは、銜えていた煙草を落とした。
「貴様らは、何者だ?」
 「ふふふ、我々は明るい未来を取り戻す集団、XYZだ」
 「テログループが俺に何の用だ……?」
 謎の男は、呆れたように言い放った。
「自分の保身を守る為に、私腹を肥やす為に、わざわざ少年を殺しに来たのか。 麻薬捜査局も腐り切っている。 我々の崇高な志を説明する義務は無い。 今ここで死んでもらうだけだ。 お前が計画した事と同じように、仲間がお前の少年時代にダイブしている。 これでお前の行った数々の犯罪は、クリアになるだろう。 それは必然だ」
 「何故、俺の事を知っている。 何故、守と隆一を助ける……? 何故だ」
 最後の言葉を残し、麻薬捜査官ロイ・ヘンドリックは、ゆっくりと消えて行った。
 謎の男が、もうろうとしている少年の、守と隆一に歩み寄る。
「今見ている事は、ゆっくりと記憶から消え失せる。 しかし、これだけは心に刻んでほしい。 君たち日本人は、無限の可能性を秘めている。 希望の未来を見失わないように、明るい未来を歩んでほしい」
 集団は何事もなかったように、一瞬にして姿を消した。
 守と隆一は肩を貸しながら、支えあい歩きだす。
 「守。 またやられたな。 今日は最悪だ。 靴は取られるし、訳が分からない事が起こるし、疲れた。 でも綺麗な夕日が見えるぞ……」
 「こんな偽者の太陽は、大嫌いだ。 隆一。 俺は、大人になったら、本物の太陽を見る。 そして、青く透き通る本物の空を見上げてやる……」
 守の瞳は偽物の太陽を見つめ、真っ赤に染まった涙で溢れていた。

 
 その頃時空を超えて別の時代では……
蛍が川面を彩り光り輝きながら、ゆっくりと飛んでいる。 その向こうには、山あいを赤く染める太陽が、穏やかに沈もうとしている。
 その光景は人を和ませ、幸せに誘うようである。 眺めている二人も、やさしい気持ちになる。 
 長崎で孤児の世話をする青年と、その妹であった。
 兄と妹は楽しそうに語らい、仲間が待つ家へと帰って行く。
兄は感じていた。 あと何度、妹と綺麗な夕日を見る事が出来るだろう。 そして、一緒に歩いて帰れるだろう。 謎の男の事を考えると、胸が締め付けられ、息が詰まりそうになる。
でも今は、はっきりと分かっている。 今生きている事を、心の底から喜べる。 一番大切な妹が隣にいる。 そう考えると、兄は幸せであった……。


第十三章 希望と絶望
 

守は自分自身の成すべき事、運命を求めて第三次世界大戦
審判の日、西暦2047年2月13日にダイブコンパスを合わる。
時空空間を抜けた守は、アメリカ・ニューヨーク・マンハッタンに降り立った。 高層ビルの屋上から眺める大都会は、世界の中心を思わせる程熱いエネルギーを放っている。 過去の世界だが何故か思い出深い。
 何事もない日常の光景。 綺麗な夕日が高層ビル郡の隙間を照らす。 人々が足早に行き交うの雑踏の中、今から起こる惨劇は知る由も無い。
激しい閃光が走る! 一瞬の静寂の中、耳を劈く轟音がダイブスーツに響いた。 5000度を超える衝撃波と高熱地獄の中、目の前をいくつもの高層ビルの固まりが、砕け散る。 もはやそこに、有機体の存在はない。 ゴーグル越しに見える光景は絶望と落胆で、人間としての心情を守るには、ただただ映像を見ているように静観するしかなかった。 現実から逃避するしかなかった。
 すると再び謎の男が、不気味に笑いながら現れた。
「人間は悲しい生き物だ。 美しい文明と、自然と、尊い命を犠牲にして、取るに足らない自尊心と独占欲に拘り、世界を滅ぼした。 守君。 自分の運命と、向き合う覚悟はできたかい……?
まだ、君の運命を見定められないなら、長崎に会いに来い。 導いてやる……」
 一方的に意図的な言葉を残し、謎の男は姿を消した。
 守は気付いている。 謎の男は自分を洗脳しようと企んでいる事を。 しかし、そんな事はどうでもよかった。
今、自分が正直に、感じるままに生きたい。
人類の愚かさを心に刻み込む為に、風化させない為に、眼に焼き付ける為に、新たにダイブコンパスを合わせる。
審判の日、フランス・パリ。
守は、金色にライトアップされたエッフェル塔の先端に降り立った。 凱旋門から放射状に延びた街灯が、星のように輝く。 セーヌ川の観光船が幸せを乗せて進む。
この美しく光る夜景の下に、人々の夢と希望と、暖かい家庭がある。 自分にとって憧れである世界、そして昔住んでいたように思える程親しみを感じる世界が、今目の前で消える!
 絵葉書のように綺麗な夜景が、真っ白になる。 そして振動が心に刺さる。 目に焼き付けると決めていたが、直視出来ない。
何かが、音を立てて崩れていく。 抑えようもなく、涙があふれ出る。 拭っても、拭っても、止めどなく流れ出る。
人間には、なぜ心があるのか? なぜ、魂があるのか?
独りでは分からない。 でも気づいている。 信じている。
悪魔の歴史を、人間の愚かさを、受け止めたくなかった。
 謎の男の言葉に導かれるように、守はテログループが拘る長崎に、ダイブした。 悲しみと痛みを引き連れて。 そして謎の男の真意を求めて。

 その頃時空の彼方で……。 
青年が懸命に走る。 今日の闇市での収穫を喜びながら。
リュックサックいっぱいの食べ物を、お昼前に子供達の所へ持っていけるのは、久しぶりであった。
早く妹の顔が見たい。 会いたい。 喜ぶ顔を想像するだけで、心から幸せであった。 息を切らして走る向こうに、子供達が見える。
一歩一歩伸ばす足先に、喜びが込み上げてくる。
 すると空襲警報が鳴り響き、辺りが急に暗くなった。 
「何だ? まさか、又……? 駄目だ。 まだ、妹を抱き締めてない。 やめてくれー……」
青年は、妹の所へ駆け寄ろうとするが、足が動かない。
 夢で見た光景が再び現れる。
謎の男が一人、時の止まった空間を、平然と歩いている。
「何故だ。 又あの男か! やはりあの夢は現実なのか? 俺たちは
死ぬのか……?」 青年の周りや子供たちの周りに、ゆっくりとコマ送りのように炎が近づいて来る。
 再び青年は絶望感に苛まれた。
 「優一君。 決心が付いたかい……? 君は数分後の運命の世界を実体験している。 子供たちを救うも、仲良く一緒に死ぬも、君の自由だ。 暗闇に光を求めるなら、望みを叶えよう。 扉を開くのは、君自身だ……」
 青年は驚愕した。 自分に選択肢は、残されていなかった。
 「やるしかないだろー」
 謎の男は、洗脳を確信し、時空の扉を指差した。
 「ビー・ビー・ビー……」
突然テログループ監視員の緊急アラームが鳴り響いた!
「我々の仮想空間に、侵入者が現れました。 排除しますか……?」
謎の男は予想していたように、口元を緩ませた。
「その必要はない……。 時空警察の神村守だ! 奴は私の手の中にある!」
 空間は捻じ曲がり、時空の歪みから険しい表情の守が現れた。
そして、ゆっくりと周りを探るように見回した。
「こんなにも若い、過去の世界の住人を洗脳するのか?
なぜそんなにも長崎の原爆に拘る。 貴様は目的の為なら手段を選ばないのか! 良心は無いのか」
 「ハハハハハハハ……。 良心、手段……。 そんなくだらない物に興味はない。
人間は尊き者を無くし、取り返しの付かない歴史を歩んでしまった。
広島長崎に原子爆弾を投下し、多くの人の命を奪い、核の悲惨さと愚かさを学んだ。 しかし、その体験を生かす事ができず、人類は再び核を使い、世界は滅んでしまった!!!
我々と同じ血を引く日本人が、もっと世界に発信し、心に訴えれば人類は滅ばずに済んだのかもしれない。
神の悪戯か? 人類の愚考か? 愚かな人類は、時代を行き来できるタイムマシーンを手にしてしまった。
今となっては、歴史は生き物だ! 我々はそれを最大限利用する。 
広島と長崎が、核の原点である。
日本人の差別を無くし、プライドを取り戻す為に。 そして明るい未来を歩む為に、成すべき事をする。
誤った歴史を正しい方向へ引き戻し、日本人の魂を目覚めさせる
愚かな人間に、そして歴史上世界を牛耳っているアメリカ人に、
広島の原爆投下は核の加害者と思わせ、長崎の原爆をアメリカ人の頭上に落とし、核の被害者と後悔させなければ、時代は動かない。
我々は世界を守る為に、聖戦を歴史に挑んでいる!
この野望を踏みにじる者は、全身全霊で排除する。
それがたとえ、未来の私だとしても!」
守は反論する事ができなかった。
 「この青年を、どうするつもりだ……?」
 「妹を助ける為に、子供たちを守る為に、未来を切り開く為に、自らが歴史を変える運命を選んだのだ」
 「それは、本当か……? 命を賭ける覚悟はあるのか」
青年は首を、小さく縦に振った。
 守は重苦しく沈黙した後、少年の運命を悟るように優しく、そして力強く語った。
「君の運命は、歴史上すでに決まっている。 原爆の歴史を変える事は、不可能に近い程難しい。 だが人間には諦める事ができない事もある。 試された命で、愛する者を守ってみろ。 運命を変えてみろ。 もし失敗した時は、子供たちの所へ連れて行ってやる。 俺は、未来の警察官だ。 最後は俺に任せろ」
 「ありがとうございます……。 その時はお願いします」
 「優一君。 時間だ。 猶予はない。 核の歴史に案内しよう」
青年は洗脳に屈し、謎の男と時空の歪みに姿を消して行った。
その姿を見送る守は、胸が締め付けられる程複雑な心境であった。 まだ二十歳にも満たない青年が、妹や子供たちを守る為に命を賭ける。 全く経験をしたことのない時空に侵入し、テログループですら成し得ない歴史の変更に挑む!!!
 青年の過酷な人生に、自分の人生を重ね合わせた。
そして、時間の止まった仮想空間にいる子供たちを見つめ、時空の扉を開いた。

テログループと青年は、二度目の原爆投下を準備しているアメリカ軍のマリアナ基地に侵入していた。
テログループのリーダーは思考する。 今までのように直接B29に時空侵入するより、時空警察の監視を避け、乗組員に成りすまし、原爆投下を試みる方が成功するのではないか? そして、青年に重要装置を持たせ、乗組員の自由を奪う事を。
運命の日、太陽が眩しくマリアナ基地の滑走路脇を昇る。
刻々とB29爆撃機ボックスカーの離陸時刻が迫っている。
 機上準備を終えた最後の乗組員の背後に、テログループの数人が音を立てず忍び寄った。 乗組員は静かに床に倒れ込む。 手際よく死体を隠し顔のコピーを撮り、青年の顔を変装させる。 
 「奇跡を起こさなければ、妹を助ける事はできない。 優一君。 見事、妹を助けてみろ」
 青年は何も答えず、目を閉じ集中している。
その青年の顔に、出来上がった偽装マスクを被せ、胸元に重要装置を取り付けた。
 「B29が離陸し、暫くすると沖縄に駐留しているアメリカ艦隊の近くを飛行する。 その時に、今から君に渡す指示書を出せ。 その指示に従い行動すれば、明るい未来は開かれる……」
青年は静かにうなずいた。 そして滑走路へと続く、静かな廊下を進む。 足が震える! 一歩一歩の足どりが重い。
今までの人生が蘇り、妹との会話が心に響きこだまする。
 薄明かりの向こうに鋼鉄の扉、運命の扉が見える。
 謎の男が指差した。
「新しい未来への扉は用意した。 開けるのは、君だ」
 妹の為に、重たい鉄の扉に手を掛ける。 目を閉じて、ゆっくりと祈った。 
 「神様がいるなら、力を貸して下さい。 幸子。 絶対に帰る」
ゆっくり開けた扉の隙間から刺すような太陽光線と、けたたましいエンジン音が聞こえてくる!
 決意した先へ、B29に乗り込むために滑走路を歩く。 心臓の鼓動が頭を叩く! 歩く姿を見つめる作業員の視線が怖い。 呼吸が次第に荒くなる。 そして子供たちの命を奪うB29爆撃機の真下で、悪魔の機体を恐る恐る見上げた。 とてつもない運命の壁が立ちはだかる。 それは目を細めるほど、太陽の日差しで眩しく銀色に光っていた!
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すると、さっきまでの体の震えが止まり、心の奥底から猛烈に激しい怒りが込み上げてくる。
その怒りを抑える為に、大声で叫びたい気持ちを止める為に、力強く拳を握り歯を食いしばった。 倒すべき物より、守るべき者の為に。
 機体に掛かるタラップを、運命を噛み締めるように一歩ずつ上り、決意する。 絶対に、このB29をアメリカ艦隊に墜落させてやる……。
B29爆撃機は、原爆と青年の熱い魂の叫びを載せて、運命の場所へと飛び立った。
 その頃監視を強めていた時空警察は、B29爆撃機ボックスカーを守るように、監視船が姿を消しながら併走飛行をしていた。
 「こちら監視船、テログループの磁気反応はありません。 監視を続けます」
 幸いにも、テログループの計画は発見される事無く順調に進み、B29爆撃機は沖縄上空に近づいた。
 青年の鼓動が緊張した体に激しく響いた瞬間、テログループの計画が実行された。
 「時間だ……! 指示書どおりに行動すれば、必ず成功する」
 震えた手で指示書を開くと、驚愕の事実が記されていた。
そこには、胸に付けた重要装置の説明と、B29搭乗員の自由を奪う計画が書かれていた。
 君の使命はB29爆撃機を、アメリカ軍沖縄駐留艦隊に墜落、もしくは原爆投下し殲滅する事だ。 胸に付けた重要装置は爆弾である。 この作戦は尊い君の命を犠牲にして、妹さんと子供たちを守る作戦である。 機体がアメリカ艦隊上空に差し掛かった時立ち上がり、胸のボタンを押すのだ。 英語で搭乗員に計画の説明が流れる。 君が決意し実行すれば、子供達に明るい未来が訪れる。
 青年は青ざめ全身に鳥肌がたち、言葉を失った。
堅く決意した心が揺らいだ! しかし自分の命を賭けなければ、妹は助からない。 死を予測していた事とはいえ、動揺し体中の筋肉が硬直した。 目を閉じると、妹の笑顔が浮かぶ。
この笑顔を守る為に、明るい未来に変える為に、青年は覚悟を決め心を奮い立たせた。
 「俺は、日本人だー……」 胸のスイッチを力強く押した。
 録音されたテログループの計画が機内に響き渡る。 B29乗組員は事実を把握できない。 近くにいた乗組員は爆弾の事実に為す術がなく青年に近寄るも、硬直し身構えた。
テログループの要求はアメリカ艦隊に対して原爆の投下であり、その要求が呑めない時は機体を破壊する事を告げたのであった。
B29の機長は逆らわず、機体の進路を沖縄駐留艦隊に向けた。
その時、時空監視船は、わずかな無線連絡を傍受していた。
「緊急連絡、B29爆撃機ボックスカーが進路変更しアメリカ艦隊上空に移動。 発信元不明の無線傍受。 応援を要請する」
 「こちらグレン。 了解。 直ちにB29の機体にダイブアウトする」
B29の狭い空間が、息が詰まるように感じた瞬間、青年の体を分け合うように、時空警察と謎の男率いるテログループの数人がダイブアウトして来た。 お互いが身構え、緊張が走る!
 時空警察のグレンがテログループを睨み付け、電子サーベルを抜いた。 「貴様らに、原爆投下を阻止する事はできない……」
 「この青年は、この時代の人間だ。 歴史を変える為に、妹を守る為に、死を覚悟している。 我々の計画が実行出来ない時は、直ちにB29爆撃機を破壊し、長崎原爆投下の歴史を封印する」
 「ははは……。 お前らの計画は失敗する! 長崎の原爆投下の歴史は変わらない。 このB29爆撃機ボックスカーの機体が破壊されても、別行動の天候観測機を務めているB29エノラ・ゲイが、原爆投下の歴史を引き継ぐ。 その事実さえあれば、世界統一国家テラと我々の歴史は存続できる! 既にこの会話中に、監視船の空間移動装置が原爆をエノラ・ゲイの機体に移動した。 そして我々が、長崎原爆投下を実行する……」
 その事実を聞いたテログループのリーダーは、押さえようもない怒りに爆弾のスイッチに手を掛けた。
「必ず歴史を変えてみせる……」
グレンは馬鹿にしたように口元を緩め、電子サーベルを振りかざし青年に襲いかかった。
青年は立ちすくみ、避ける事もできない!
 「バキーン……」
激しい衝撃音が機内に響いた!
 「貴様、それでも時空警察か? お前も一緒に片付けてやる」
グレンの電子サーベルを遮るように、守の電子サーベルが立ちはだかった。
 「お前との勝負は今度つけてやる……。 この青年の死に場所はここではない。 俺が元の世界に帰す」
守は約束を守る為に、青年を書き替える事の出来なかった歴史、長崎へと導き、時空の闇に消えていった。
謎の男も、守とグレンの睨み合いの間に姿を消していた。
 
グレンは、B29ボックスカーの乗組員全員の頭に記憶誘導装置を取り付け、記憶を書き替える。
それは本部への報告義務、許可を得ないまま独断の判断で事故処理を進めた! 時空警察の本質である、歴史を守る事の正義は輪郭を失い、暴走して行く。
 「グレン…… 本当に、B29エノラ・ゲイが長崎に原爆を落として大丈夫なのか? 歴史が変わってしまわないか?」 
「原爆と統一国家テラは共栄関係にある。 広島だろうが長崎だろうが、日本人を地獄に叩き落とす事実があれば、歴史の流れは変わらない。 ただ残念なのは、俺が落とす原爆の事実を、歴史に刻めない事だ……! 守の事は、本部に報告するな。 俺がかたづける!」
グレンは不気味な笑みを浮かべて、原爆投下を実行する為にB29エノラ・ゲイに向かった。

守は青年を連れて、バラック小屋の見える土手に降り立った。
青年は偽装したマスクを脱ぎ捨て、懸命に走る。 すると、何か忘れたように急に足を止め、振り返った。
「警察のお兄さん、有り難う。 元の世界に戻してくれて、本当に有り難う」 青年は深々と頭を下げ、愛する妹の元へと走り去った。
 仮想世界で体験したような強烈な閃光と、渦を巻く炎が再び子供達を襲い命を呑み込んで行く。
「幸子。 ごめんね。 お兄ちゃん、歴史を変えられなかった」
「何で謝るの……? 今日も帰って来てくれた。 私は、お兄ちゃんと一緒なら何も怖くない。 私のヒーローだから」
兄は妹を守るように、しっかりと抱きしめた。
 悲鳴と号泣の中、子供達は余りの熱さに救いを求めて青年の元へと重なり合う。 青年は子供達を守れない悔しさで、胸が張り裂けそうであった。
 未来への希望は無情にも砕け散った。 妹は兄の腕の中で癒され、子供達と共に暗黒の闇の中へと消えて行った……。 
守は広島で初めて原爆の体験をした光景を思い出す。 青年の姿と自分を重ね合わせ、無力さに耐えられず膝をつき、黒々と立ち上がる巨大なキノコ雲を再び見上げた!
 守の心は限界を超え張り裂ける。 魂は絶望に支配されたれ、声を出すことも出来なかった。 
その光景を見ていた謎の男も、鋼の心を鋼鉄の魂に変え、新たな計画を決意する。 見すえる先は遥か彼方。 自分の行為が正しいとは思わない。 理解してくれとは言わない。 ただ世界を救えば、自分の犯した罪は報われる。 もはや明るい未来を手に入れるには、時空警察を葬るしかない。


第十四章 記憶

 
 「記憶とは真に不思議な生き物だ。 意図して心の中に留めて置く物や、歴史の変更により無意識のうちに消されてしまう物もある。 そして強制的に植え付けられる物。 日常的な出来事や覚えた事は、整理整頓されファイルされる。 新しい記憶は海馬と言う部分に一旦保存され、大脳皮質に蓄積される。 海馬は繊細で強いストレスを受けると、記憶は壊れ歪曲される。 記憶が全て真実で、正しいものとは限らない。 大脳だけが記憶を管理するわけでもない。 人は臓器移植をうけると、食べ物の好みが変わる場合がある。 ごく稀に移植された心臓に、記憶が宿っている場合もある。 遺伝子コピーの過程で、クローン人間もオリジナルの記憶を受け継ぐ事があり、あたかも自分が体験したように記憶される。 遺伝子や血液そのものが記憶の源であり、太古からの歴史を受け継いでいる」
 「 Y、それともローレン上院議員様。 いやいや、神と呼ぶのが正しいか? そのお堅い持論を、俺に植え付けるつもりか?」
 「ああそうだよ……。 久しぶりだな、Z。 保存液の中で漂うクローンを眺めていると、神と同じようなジレンマを抱えるように思える。 宇宙空間のように広い、心と言う聖域に何を植えつけるか? 記憶や人生の目的を与えられないクローンは、心が暴走し自己破壊する。 赤ん坊のような心を持つ大人に、思い出や体験を植え付け、人生を経験させる事で制御する。 神と私しか出来ない偉業だ」
 「そのとおりだ。 神以外、君にしかできない……。 時空警察を葬る為に、100人のクローン兵隊が必要だ。 早急に準備して欲しい」
 「分かった。 用意しよう……。 俺も聞きたい事がある。 右脳に埋め込んだ外部記憶装置の調子はどうだ」
 「俺を実験台にしているのか、モルモットだと思っているのか? サディストの君が考える事には、毎度驚かされる。 本来なら歴史を変更して失われる記憶が、この忌々しい装置のおかげで、認識できる。
まー……。 恩恵もあるがね。 歴史変更前後の、相対評価を下せる事だ。 我々には時空警察が持つ、歴史コンピューターのような変更後の波紋を予測できる装置はないからね。 この外部記憶装置を使って、痛みと共に、体感するしかないのは分かっている」
 「サディストの俺にも、君の体験がいかに過酷なのかは想像がつく。 外部記憶装置は、恒に記憶野をスキャンし、保存を繰り返す。 歴史変更により消え失せた記憶は、記録として保存される。 君が救われるのは、記録には感情が伴わない事だ。 我が子を手に掛けた親も、子供の存在を認識出来なければ、悲しみも生まれないからね。
なんとも皮肉な話だ。 時空警察官の洗脳は上手く進んでいるのか」「隆一の洗脳は無理かもしれない……」
 「君が弱音を吐くとは以外だな。 30歳の体に77歳の心が、副作用を起こしたのか? まあいい時間はある。
クローン作製に必要な君のDNAサンプル採取のついでに、大脳皮質にダイブして記憶の劣化と新しい体のメンテナンスをしておこう。
君の視力や聴力で得た情報を、画像解析してスクリーンに写し出す。 心を丸裸にしてやる」
 「お手柔らかに頼むぞ」
 「楽しみだ。 再び君の人生を体感できる。 このベッドに寝て、楽にしろ。 麻酔が効いて、10秒で意識がなくなる。 君の洗脳術も評価してやろう。 辛口に……3、2、1、ダイブ……」

 大型スクリーンにバチバチとノイズが入り、ぼんやりと画像が浮かび上がって来る。 記憶カウンターには西暦2044年8月13日と表示され、唐突に音声が響き渡り、ビデオのように映像が流れ始めた。 
 「ハッピーバースデートゥーユー……。 誕生日おめでとう。 お父さん」
「ありがとう。 31歳になりました。 この田舎町に暮らし始めて3年が経ちました。 庭に植えたツツジも大きくなったように、子供達も健康に育ち、お父さんは、何の不満もありません。 暖かい家族に祝って頂いて、私は大変嬉しい。 幸せです」
「あなた、ローソクを消さないと……」
「ああ、そうだった。 ふー」
「お誕生日おめでとう」
 ぬくもりと幸せの炎で照らされた部屋に、突然窓ガラスから赤色灯の光が飛び込み、室内を照らしたかと思うと、過ぎ去って行く。 遅れるように、けたたましいサイレンが響き、走り過ぎて行く。
 「ウー……」 「ウー……」 「ウー……」
 「何だ。 何のサイレンだ。 私は外を見て来る。 お前は子供達といろ」
 私は玄関のドアを開け、低い雲を赤く染める方向に視線を向けた。
「信じられない。 まさか……。 真っ赤に燃えている。 パリが、町が燃えている」
 「ドカーン……」 「ドカーン……」
 「戦争だ。 戦争が始まった。 子供達を地下室に。 早く」
「お父さん……」 「お父さん」
「ドカーン……」
 「前が見えない。 みんな、大丈夫か? 大丈夫か……」
ああ、頭が痛い。 記憶が遠のいていく……

 西暦2047年2月13日審判の日。
無数の核ミサイルが地上に降り注ぎ、放射能が渦巻く大地を、酸性雨が追い討ちをかけるように汚染して行く。 崩れかけたコンクリートの天井で、雨を凌いではいるものの、最早逃げ場はない。 
 「熱い、熱い 体が熱い、痛い。 喉が渇いた。 子供達は大丈夫か?」
「今、二人は息をひき取りました……。 私は生きていけない」
 「頑張ってくれ。 頼む。 お前だけは死なないでくれ……俺を一人にしないでくれ。 神様、お願いです。 見捨てないで下さい」
 Zはうなされながら、ベッドの上で悶えている。 記憶が移り変わるように、スクリーンにノイズが入り場面が変わっていく。

 西暦2081年11月20日
 「包囲されたわ。 このままでは全滅する。 私のミスが招いた状況よ。 私が犠牲になる」
「それはだめだ。 時空警察は俺が引き付ける」
 「何を馬鹿な事を。 貴方はリーダーよ。 貴方が死んだら明るい未来はやって来ない。 私は明るい未来を信じている。 貴方の目指す希望の未来を信じている。 貴方は一人でも、目的を達成する。 私たちの屍を超えてでも。 さあ、皆を連れて逃げて。 早く」
 「分かった。 Y。 MのDNAデーターを、保存してくれ。 必ず君を再生する」
「大丈夫。 明るい未来が来れば、私は死なないわ。 歴史を変えて私を甦らせて」
 「ああ……必ず助ける。 すまない。許してくれ」
 君は弾丸の飛び交う時空空間を進んで行く。 俺達を助けるために。金色の美しい髪をなびかせ、時空警察を引き連れて、暗黒のブラックホールへと消えていく。
 「許してくれ……。 必ず約束は守る。 魂を悪魔に売り渡してでも」

 西暦1961年1月23日
 「ターゲットはノースカロライナ州ゴールズボロの空軍基地を飛び立ったB52爆撃機だ。 悪天候により積んでいた水素爆弾2個を誤って落下させたが、安全装置が運よく働き爆発は免れた。 もし起動していれば、広島型原爆の260個分の破壊力があり、数百万のアメリカ人の命が失われていただろう。 もし歴史の悪戯で核爆発を起こし、アメリカ人の命が犠牲になっていたとしたら、未来の核戦争は回避できたのではないか? 我々は尊い数百万の命を犠牲にして、世界人類の命を救う。 落下中の水素爆弾を起動させ、アメリカ人を核の犠牲者にする。 成功すればアメリカ政府も核の悲惨さを学び、歴史は修正されるだろう。 チャンスは一回きりだ。 高度3000メートル地点でダイブアウトする。我々のダイブマントは、時空警察のダイブスーツより劣っているが、起動させればチャンスはある。 時空警察の時空バリアも水素爆弾には耐えられない。 犠牲を恐れず命を賭けて歴史を変える」
 「リーダー、30秒後にダイブアウトします」
「一同健闘を祈る」
 「リーダー、時空レーダーに反応。 足跡を嗅ぎ付けられました。 このままでは皆捕まります」  
「私が行きます。 時空警察を引き付け起動させます」
 「無理だ。 起動前に拘束される。 今回は撤退する」
「大丈夫です。 今行けば、間に合います。 私に行かせてください」
「だめだ。 今行っても手遅れだ。 部隊を犠牲に出来ない。 お前が捕まれば、足跡を追われ部隊は全滅する」 
 「捕まる前に起動させ、自爆します」
「やめろー」
 「ゴー……」 制止を聞き入れずSは数人の部下を引き連れて、衝撃音を残し、ダイブアウトする。 半重力装置全開で落下する水素爆弾を追いかけた。
 700メートル・300メートル。 高度カウンターが高速で回転する。
「もうすぐ届く。 未来を変える」
 Sが水素爆弾に手を掛ける瞬間激痛が走った。
「ズバー……」 突然現れた時空警察の電子サーベルが、弧を描いた。
 水素爆弾と共に、Sの右腕が落下して行く。
しかし、Sは諦めない。 ドクドクと大量に吹き出し、流れ出た血液にも怯まず、群がる時空警察を交わしながら回り込む。
「絶対……。 起動させる」 鬼気迫る形相で左手を伸ばした。
しかし水爆の上で電子サーベルを抜いた男が、不適に笑い待ち構えていた。
 
 「無理だ。 起動できない。 このままでは足跡を追跡される。 やむを得ない。 あいつの母親は2081年11月20日に死んでいる。 母親があいつを生む前の時代にダイブして殺して来い。 あいつの存在を消す」
 「本気ですか? 貴方の息子と、その母親を殺すのですか……」
「部隊を犠牲にできない」
「分かりました……私が殺してきます」
 数分後Z率いる部隊に変化が訪れる。
「ああ……。 頭が割れるように痛い。 今私は何をした? 俺達は?ここで何を? 何か分からないが、何かが変化した……」

 大型スクリーンが砂嵐のように、ザザー・ザザーと音を立てながら流れている。 記憶と言う広大な宇宙空間をさ迷い、今何処にいるのかが分からない。 軽い記憶障害を起こし、体を震わせながら一点を見つめている。
運命の因果が、右脳に仕込んだ外部記憶装置の記録を深層心理の奥底に目覚めさせ、罪悪感と言うスイッチが、無意識にその在りかを突き止める。
 胸が締め付けられるように苦しい。 過去と未来が混同し目が回る。 胃袋が収縮して、何かが込み上げてくる。
 「オェー……」 
 「Z。 大丈夫か? すまない。 歴史の変更により、存在を無くした記憶を、時空を越えて植付けようとした。 しかし拒否反応が表れた。
まだ、この技術は未完成だ……。 トラウマがなかなか拭い去れないように、その逆もしかり。 受け入れがたい記憶は拒絶される。 深層心理に芽生える重大な記憶は、クローンに植え付ける思い出や、目標などとは比べ物にならない。 休養が必要だ。 ゆっくり休め。」
 動揺するZは、思い出せない記憶を心の闇を、手を伸ばすようにして目を閉じた。

 
第十五章 引かれ合う二人の過去


 第四チームが定期パトロールから帰投する為に、時空空間を進んでいた。
 「守。 又、私と過去にダイブしてもらえない?」
「構わないよ。 俺にも行きたい所がある」
「なら明日は非番だから、ダイブしましょう」
 本部に戻った二人はお互いの心の空洞を埋めるように、未来を生きる為に再び過去へとダイブした。
 「私は自分の心の奥底に沈めた扉を開けに行きたいの。 今のままでは壊れてしまう。 私のトラウマを一緒に見届けてくれる。 目を背けず見届けてくれる?」
 「ああ、分かった。 大丈夫だ」
「私の求める先は13年前。 16歳の夏休み……」
 マリアと守は決意する扉を目指してダイブアウトした。
 二人の目の前を、金色の髪をなびかせ走り抜けていく少女がいる。 額から流れ出た汗が首筋を伝い、ぬぐった手の平から体育館のフロアーへと滴り落ちる。 若さみなぎる16歳の体が躍動し、バレーコート上を駆け巡る。 その容姿は光輝き、異性を魅了するには十分であった。
 「マリア。 バックアタック……」
「任せて……」
「タターン……」 軽快な音を立ててボールがコートを走り抜けた。
「ピピー……」
「試合終了」 審判が宣告した。
 勝利を喜び抱き合う選手の中で、誰もがマリアの動きを追いかけるように視線を向けた。
 守の目にも心引かれる輝きが飛び込んでくる。 隣で腕組みをして見守るマリアも、その当時の記憶を呼び覚ますように思い出に浸り、表情を柔らかくして見つめていた。
 クラブのキャプテンであるマリアは、責任を果たした安堵感と、今までの苦労が報われる思いで幸せであった。 試合後のミーティングを済ませ、一人クラブハウスで1日の疲れと汗を流すために、長めのシャワーで体を癒していた。 心の中では試合をイメージしている
 勢いよく吹き出す水が試合中の雑音を消し、うなじからウエストに流れる冷水が、火照った体を冷やし、心をリセットしてくれる。
次は決勝戦。 負けられない試合が控えている。
 「ギギー……。 パタン」 あまり気に掛けないが、隣のシャワールームに誰かが入る音がした。 チームメイトは早めにシャワーを済ませ帰っている。 残っているのは私と、最後までフォーメーションのミーティングをしていたコーチ。 おそらく彼であろう。 信頼しているコーチが居るので、夜遅いクラブハウスでも安心だ。
何気なく隣の気配を感じながらシャワーの中で考え事をしていると、蛇口とドアを閉じる音がした。
 「キュキュキュ。 ギギー……。 パタン」
 「お疲れ様でした。 有り難うございます」
私はコーチであろう気配に声を掛けた。
 「ギギー……。 パタン」 再びドアが閉まる音が間近で聞こえる。
その時、ビリビリと刺すような感覚が体に伝わり、力が入らない。 スローモーションのように、流れ込む排水溝がゆっくりと近づいてくる。 意識が薄れていく。 焦点が合わず、ぼやけているが何かが覆い被さってくる。
 見つめる排水溝には、赤く染まった水が流れ込んでいた。
目の当たりにした守は、耐えられず背を向けた。
「守、背を向けないで。 私を哀れと思うなら、目をそらさないで……. 襲われた事など今ではどうでもいい。 私は心を閉ざし、16歳以前の自分にアクセスしてルーツを探る事を拒んできた。 今、この時点から自分の歴史を遡りルーツを探ってやる」
 「マリア。 自分を犠牲にして、何になる。 真実を知ることが、全てではない。 もういい、止めよう」
 守はマリアを力強く抱きしめ、悲鳴をあげる心と体を受止めた。
 「俺が守ってやる……」
二人は心をすり減らしながら、別の場所へとダイブする
 守の求める先は、孤児院小学校での思い出。 楽しく遠足に向かう自動シャトルバスの車内。 その記憶は、今でもハッキリと覚えている。 しかし、先日隆一と交わした会話の中で、お互いの思い出が食い違っている事に、最近になって気付かされた。 あんなに鮮明に覚えている衝撃の場面を、忘れる訳はない。 それとも過去と未来にダイブを繰り返した為に、記憶の断面が傷ついたのか? 何故だか確かめずにはいられない。 気になって仕方がない。
 二人は気付かれないように光学迷彩を施し、マイクロバスの側面から過去の自分を見つめていた。 車内では子供達が持ち込んだお菓子を投げ合い、はしゃいでいる。 守と隆一がポップコーンを口いっぱいにほおばった後吹き出し、先生に怒られている。 マリアは笑いながら隣にいる守の表情を伺った。 
「守って悪ガキだけど、小さい時は可愛かったのね」
守は口を歪め、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
テラの最下層から10キロの地点に、地下水が噴出し川が流れている。  窓から見下ろす激流に、子供達が大声を上げ大興奮している。 その当時、引き込まれるような落差に、縮み上がった記憶が蘇る。 
幾つもの安全装置に守られた人気のツアー。 しかし悪いことは重なるものである。 日本人差別による賃金未払いで起こった整備不良や、運行監視員の過労で、安全装置の設定ミス。 実際は綱渡りの運行であった。 その後のテレビ報道で内容は分かっている。
  その時だ。 何かにバウンドしたように乗り上げ、バスはガードレールを突き破った。 一瞬の出来事である。 追突防止装置は機能せず、百メートル毎に設けられた誘導装置も働かない。 無常にも、小学生を乗せたバスは激流の中に落ちてゆく。 「ドボーン……」 
 激しく水面に衝突したせいで、凄まじい衝撃音と巨大な水柱を上げ、車体は裂け、大量の水がなだれ込み、瞬く間に沈んでいく。 
 守は体験した現実を違う視線で目の当たりにすると、息苦しくなった。
目の前の光景は思い出と変わらず、スローモーションのように流れ、歴史を辿って行く。 そして投げ出された隆一が、必死に岩にしがみ付く場面に、心臓の鼓動が早くなり自然と拳に力が入った。 
 「そうだ。 今だ。 激流の中、俺が隆一の足を死に物狂い掴み、二人でよじ登る。 しかし俺だけ力尽き、落ちてしまうんだ……」
「守、見て。 隆一は一人で上って行くわ」
「え……。 何故だ。 俺の記憶と違う」
「駆けつけたレスキュー隊員が子供達を救助している。 隆一も確認できる。 守の姿は見えないわ。 何処」
「そんなわけない。 何処かにいるはずだ」
「私達時空警察が、見落とす訳がない。 守、記憶は確かなの?」
「当たり前だ。 マリアも落ちていく俺を確認しただろ」
「ええ確かに確認したわ。 でも救出はされてはいない。 もう7分経つわ。 二人とも見落としたのかしら?」
「有得ない。 俺達は音速以上で飛行し、容易に弾丸さえも捕まえられる。 俺達が見落とす訳がない」
「守。 何をする気」
「生体反応を探し、俺を救助する」
「それは私が既に確認しているわ」
「なら、俺は何処にいる」
「分からない……。 守、テラ総合病院に行って確認する?」
「救出されていないのに、必要ない……。 何故かは分からないが、俺は消えたんだ……。 俺はこの事故で……? だから隆一との記憶が違うのか? 分からない。 まさか、この事故にも謎の男が関係しているのか?」 
「守。 大丈夫」
守は長い間水面を見つめた後、無言でうなずいた。
 二人は重苦しい思いを引きずるように、時空空間へと消えて行った。

 テラの空に定期的に太陽が昇る。 
守はベットから起き上がり、荒っぽくカーテンを開け偽物の太陽を見つめた。 一晩中不可解な体験とマリアのトラウマを考え、一睡も出来なかった。 足が地に着かず、ふわふわとした感覚で時空空間を漂っているように思えた。 気だるそうに家を出て、時空警察本部へと歩く。
 俺は何処に消えたんだ。 一人なら謎を探っていた。 しかしマリアを一人にして帰す訳にはいかない。 16歳の時のマリアの歪んだ表情が心に焼きつき、怒りが込み上げて来る。 何故こんなにも人間とは愚かな生き物であろうか? 人生とは、記憶とは何か。 真実とは何か。 自問自答する。
 時空警察へ着くと、上官からの面談命令が出ていた。 
 「少佐殿。 神村守、入ります」
「入りたまえ」
「はい。 入ります」
 「今日呼んだのは、君から直接話を聞きたいからだ。 調査報告書によると、長崎ポイントでテログループとの接触の際にヒューマンエラーが発生し、検挙に支障をきたしたとある。 第四チームを、日本人テログループの調査から外す意見が出ている。 その事について君の意見を聞きたい」
 「私と古代は、ヒューマンエラーなど起こしていません。 テログループが私達と同じ民族であろうと、作戦に影響はありません。 検挙してみせます」
 「二人は日本人である差別を克服し、年間最多検挙率を誇っている。 我々時空警察も犯罪率が増し、人員は切迫している。 君の適性検査は不合格だが、意見を聞けて安心した。 捜査から外す事は今回は見送る事にしよう。 最後に一つ聞きたいのだが、検査担当員からの報告では、父親と聞くと過激に反応して部屋を出たとある。 何か父親に対してトラウマでもあるのか?」
 「父親にトラウマなどありません。 自分は孤児院出身です。 父親の顔を見たこともありません」
 「そうか。 下がってよろしい」
「少佐。 私も一つ質問してよろしいですか」
 「かまわない」
「人生とは何ですか? 時空警察とは何ですか。 何の為にあるのですか?」
 「今更それを聞いてどうするつもりだ? 下がってよろしい」    
  

第十六章 真実の自分


守は時空警察署のデスクで、21年前の孤児院シャトルバス事故の報告書に目を通していた。 
 西暦2064年8月29日・時刻10時43分頃 国道4号線、川沿いの道路で、日本人孤児院の8名の子供と教員1名を乗せたシャトルバスが脱輪事故を起こし、カードレールを突き破り20メートル下の川に落下。
レスキュー隊員の救出で、9名全員をテラ総合病院に搬送。 救出者は以下の9名である。
 神村守・古代隆一・佐藤忠・新谷絵里香・真下秀彦・藤井祐子・山口登・和田貴史である。
 あの日、マリアと確認した救出者は8名であった。 しかし9名と記載されている。
凄腕の二人が見落とす訳がない。 断言できる。
守は居ても立ってもいられず、時空警察署を飛び出した。
納得のいかない時代へと遡る。 ざわついた心が、時空空間での限界スピードへと誘う。
再び西暦2064年8月29日へと舞い降りた。 そこは守が搬送されたテラ総合病院。
「キキー……」
何台もの救急車がブレーキ音を残し、慌ただしく救急患者専用の入口に止まった。 待ち構えていた看護士が手分けして患者を乗せたストレッチャーを下ろし、救急隊員と医師が様態を話しながら、ERへと駆け付ける。
患者は心肺停止の者や、頭部から大量の血を流している者もいる。
医師は重い患者から軽い患者へと番号を付け、危険度を判断している。
「みんな落ち着け。 一番危険な患者から診ていく」
「先生。 こちらに来て下さい。 内臓スキャンを見ると、折れた肋骨が心臓に刺さっています」
「お前も医師だろう。 開胸機を付けて、胸を開いて待っていろ」 
「無理です。 私はインターンです」
「つべこべ言わず、出来る事をしろ……。 だめだ。 医師が足りない」
一度に9名の重患者の対応で、医師も看護師もパニックを起こしていた。 担当医師はERのドアを蹴り開け、患者から患者への綱渡り。
深く考えている時間も猶予もない。 本能のままに胸を切り開き、刺さった肋骨を抜き、止血していく。 まるで手品でもしているように縫合し、応急処置を済ませ、緊急手術室へと送り出す。
「血圧60。 酸素ホワード72。」
「ピピピピ・ピピピピ・ピピピピ」 激しく緊急アラームが鳴り響いた。
「脈が取れません」
「先生。 心肺停止です」
「心肺蘇生する」
 医師と看護師が手を尽くしている。 守は片隅で見とれていた。
次の患者が運び込まれて来た。 隆一である。 見ると顔面を強打し、数カ所の切り傷があるが命に別状はない。 そして事故現場で消息を無くした、守本人が運び込まれて来た。 素人の目にも、特にこれといって外傷がない。 あれだけの転落事故で、かすり傷も無いのは奇跡である。 いや、むしろおかしい。
 守は病室に運ばれた自分を見つめて、問いかけた。
「いったい何故? お前は何処に居たんだ? 何故見失った……?」
謎の男の存在を予感するように、現れるのを待っているように話しかけた。
すると病室の壁がうねるように歪み、予想したように謎の男が静かに現れた。
「やはりお前か……」
「守君。 いらだつ自分を見つめ、疑問を持ったか。 正直に言おう。 君は今回の事故で、心臓や色々な臓器に致命的なダメージを負った。 君の才能を思うと、見過ごす訳にはいかない。 私は君を助ける為に最善の処置をした。 事故現場から君を救い出し、心臓を移植し命を救った。 私は専門ではないが、ハート・コードと言うものがあるらしい。 脳中のニューロンと分泌細胞により作られた神経ペプチドが、神経伝達物質として心臓に不思議な影響をもたらす。 心臓にも記憶作用があるようだ。 ドナーから受け継いだ記憶が再び脳に書き加えられ、新しい記憶となって蘇る」
 「訳の分からない学説など聞きたくない。 子供の時から付け回し、お前は俺に何をさせたいんだ。」
 「私は君の命を蘇らせただけだ。 その命、どのように使おうと君の自由だ……」
 謎の男はダイブマントをひるがえし、捨て台詞を残し立ち去った。
守は眠る自分を見つめた。
あどけない表情で眠る、この時代の自分に罪はない。 しかし過去の血塗られた臓器で、無理矢理盗まれた心臓で、自分の命が生き長らえた事実は受け入れられない。 どうしょうもなく悔しい。 切ない。
責任は今の自分にある。 


第十七章 約束


「こちら管制塔。 西暦1945年6月18日の旧日本沖縄本島付近、 緯度26度13分、経度127度41分の地点に複数のダイブアウトによる磁気反応を確認」

 「了解。 こちら第四チーム。 ノア 出動します。
守。 隆一。 ダイブ準備。 ダイブアウトポイントの状況は太平洋戦争末期、アメリカ軍沖縄上陸作戦の真っ直中よ」
 「了解」
日本人の二人にとって戦時中の沖縄は、過去とはいえ直視したくない歴史の1ページであり、避けたい進入ポイントであった。
守と隆一はダイブスーツに身を包み、心の準備をしていた。
静まり返った暗黒の空間をノアがダイブアウトした瞬間、轟音が響き渡る! 青く澄み切った海一面を埋め尽くす、数えきれない程のアメリカ艦隊の砲撃であった。 航空母艦から発進した無数のグラマン戦闘機からの連続爆撃。 大挙して上陸したシャーマン戦車隊の集中砲撃。    この攻撃で、日本軍の潜む沖縄の丘は原型をとどめないほど変形した。 日本軍は地下壕に忍び、息を潜めてゲリラ戦を挑んでいる。
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「こちら守。 今から不法侵入者のダイブアウトポイントに向かう。
ノアはアメリカ軍の砲撃を避け退避。 調査完了後に、救出を求む」
 「こちらマリア、了解。 私も安全な場所で調査、監視する」
マリアは、慶良間諸島の座間味島に時空移動船を停め、アメリカ軍の激しい艦砲射撃を見つめていた。 沖縄本島上空の雲が赤く染まっている。 連続して鳴り響く爆音に、ざわつく心を抑えて、過ぎ行く歴史を諦めるように、傍観していた。 
すると、島内放送が流れた。 「島民は、神社に集まりましょう。
アメリカ軍の上陸に備えて集まりましょう……」
何度も流れる放送に導かれるように、偽装したマリアは自然と島民の後を付いていく。 誰しもが不安の仲、仲間を求めるように集まっている。 心配そうな表情で、しっかりと子供を抱える母親。 震えながら、放すまいと父親の手を握る娘。
その後姿を見守るマリアは、寂しい気持ちと、微笑ましさと、少しの羨ましさを感じた。 マリアは目を閉じた。 想像すると、心が穏やかになって行く。 見たことのない、逢ったことのない母親を想像するだけで、胸が熱くなる。 木々の隙間から光輝く夕日に、身も心も癒される。
すると隣に立つ女の子が手を差し伸べてきた。
「お姉さん、一人ですか? 手を繋ぎましょう」
「ありがとう」 マリアは優しく微笑み、手を差し出した。 その手は小さく、柔らかく、温もりを感じる。 その瞬間。
「ドカーン……。 ドカーン……。ドカーン……」
耳を劈く音が襲ってくる。 握っていた右手に、衝撃が伝わってきた。 恐る恐る右を向くと、温もりを感じた少女は、左手を残して跡形もなく消えていた。 訳が分からない。 何が起こったのか分からない。 振り向いても、アメリカ軍の姿も日本軍の姿もない。
信じられない。 「何が起こっている」
探るように見渡すと、先ほど拡声器で叫んでいた男が、信じられない事をしている。 「鬼畜米兵に捕まると、強姦され殺されます。 我々日本人は軍民一体。 ならば集団自決しましょう」
男は屠殺者となり、集まった島民に手榴弾を投げ付けていた。
「キャー……」 「ドカーン……」 「ドカーン」
悲鳴と爆発音がマリアの心を打ち砕く。 肉片が舞い、噴水のように血しぶきが降り注ぐ。 目の前の光景に体が凍りつき、身動きできない。 信じられない。 
「やめてー……」 「やめてー……」 何度も何度もマリアは叫び続け、膝から崩れ落ちた。 握りしめた少女の左腕を抱きかかえ、震える現実を噛み締めた。
手榴弾を投げ付けた男は座間味島の守備隊長であり、軍と島民の橋渡し役の存在であった。 理不尽な時代の中で、アメリカ兵に捕まると強姦されると洗脳され、愛する我が子も手に懸ける。
日本人の美徳か? 集団心理か? 日本軍の関与か? 民間人を巻き込む戦争に我慢できなかった。 しかし先日ダイブした時に、抱きしめられて囁かれた守の言葉を思い出した。
「自分を犠牲にして何になる。 真実を知ることが、全てではない。 もういい、止めよう」
アメリカ人の血を引くマリアにとっても目の前の現実は、砕けた心には重すぎた。 
心の奥底に潜む悪魔が囁き、その存在を否定できないマリアは、解決できない心を握りしめ、目を閉じた。     

 その頃守と隆一は、アメリカ軍の砲撃をかわしながら沖縄本島深く進入し、姿を消して高台の丘で監視した。
そこには重たい歴史、ひめゆり学徒隊の存在がある。
沖縄陸軍病院の看護要員として動員された16歳から20歳の女子生徒達は、医療品も食料も無いまま、看護活動を続けている。 
日本軍が、敗色濃厚となった6月18日、軍と行動を共にした学徒達は、銃撃やガス弾を地下壕に打ち込まれ、命からがら脱出する。
アメリカ軍に捕まると暴行を受けると教育され、悲しくも手榴弾で集団自決する。 学徒、教師240人のうち136人が死亡した。

 二人の目の前には、到底常識では考えられない光景が広がっていた。
 無数の穴の空いた丘に、大量の屍。 その屍が地雨のように降り注いだ爆撃で、チリとなる。 地下壕は容赦ない攻撃を受け、多くの学徒が死亡する。 二人は歴史で学んだ光景に硬直した。
今まさに、ひめゆり学徒隊の少女が地下壕を出て、伝染病を防ぐため、日本兵士の屍をリアカーに載せ、穴だらけの丘を進んでいる。 
二人は全身の毛穴から血が吹き出るほど、拳を強く握った。
戦艦からの砲撃。 空からの爆撃。 戦車からの砲撃の三重攻撃の中、到底生きて帰れる状況ではない。
このままでは、心をえぐられる。
「隆一。 俺は我慢できない。 抑える事ができない。 あの子を守る……」 魂の叫びが、抑えていた心の鎖を解放する。
制止する隆一を強引に振りきり、パワー全開で飛び出した。
悲しみを怒りに変えて、少女に直撃する砲撃や爆撃弾を電子サーベルで、全身全霊で叩きおとす。 張り裂けた心を癒す為に、人生のジレンマに終止符を打つ為に!
守の目には、薄っすらと涙がにじんでいた。
その姿を静観する隆一は、規則を破り未来に波紋を広げる行為を、到底真似出来なかった。 そして守の行動を止める事も。

 「こちら隆一……。 捜査終了。 テログループの痕跡を発見出来ない。 救出を願う」
二人は規則違反の事を隠し、マリアに帰投の報告をした。
「こちらマリア……。 了解」
三人を乗せた時空移動船の船内は、重々しい空気に包まれた。
 守は、帰投中の母船で隆一に熱い思いを語った。
「人は、いつの時代もどう生きればよいか判らず、迷い悩み、手探りだ。 俺はありのままの自分でいたい。 心の感じるままに生きたい。 隆一。 もし俺が、テログループのように時代の変更を企んだら、迷わず殺してくれ……!」
守はさっきまで迷いが吹っ切れたように、清々しく、果て無き想いを
語った。
 「わかったよ……」 
隆一は星空の向こうに視線を向け、これから起こる運命を予感する。
一番恐れている心の叫びを押し殺して。

時空警察本部内での状況報告会議の決定により、
マリア率いる第四チームは、日本人原爆テロ阻止対策捜査から、
外される事になった。

 

第十八章 求める未来



テログループの、最後の作戦が行なわれようとしていた。

「我々は先の作戦で、苦しくも多くの同士を失った。
長崎の借りを返すのは、核の原点である広島しかない。
時空警察も、広島の歴史変更を企んでいる事は、当然知っているだろう。 しかし、日本人のプライドを取り戻すには、この場所をもって他にない。 明るい未来を照らせるチャンスも、今しかない。
歴史に最後の戦いを挑み、忌まわしい過去を断ち切る」
 テログループのメンバーは、志を貫けるなら自らの命を投げ出す覚悟であった。

その頃アメリカ軍マリアナ基地では、B29爆撃機エノラ・ゲイが、歴史上初めての原子爆弾リトルボーイを搭載し飛び立った。
乗組員は戦時中であれ、一瞬で民間人数万人の命を奪う悪魔の兵器、原爆を落とす責任と運命をかみしめ、重圧のなか広島を目指した。
時空警察はテログループ撲滅のため、最大の戦力で迎え撃つ準備を整えていた。
グレンは、忌まわしい日本人テログループの最後の検挙に興奮していた。 「テログループのダイブアウトポイントは、B29機内である。
時空空間が開く直前に、B29の機体を100メートル前方に移動させる。 侵入者を空中にダイブアウトさせ、一斉攻撃で撃滅する。 幾度と無く侵入が予想されるが、ダイブアウト時の磁気反応をいち早く傍受し、機内への侵入を防ぐ。 今日で、日本人との戦いに決着をつける」

マリア率いる第四チームは、テログループ検挙の任務を外され、
定期パトロールについていた。
しかし三人は、広島での検挙の事が頭から離れないでいる。
守が小さな声で、独り言のように呟いた。
「歴史の成り行きを、遠くから眺めに行かないか?」
その声に気が付いたマリアは、険しい表情で首を縦に降り、運命の時代、広島に舵をきった。
二人の行動を見ていた隆一は、心臓を捕まれたような不安を感じ、無言で操縦席を立ちダイブスーツの袖を通した。
守との約束が、胸に刺さる。
 静寂で荒々しい異空間をぬけるノアの船内は、三人の心の叫びが交錯していた。
 守もざわついた心を押し殺し、ダイブスーツに身を包む。
お互いの覚悟を強く感じ取りながら、二人は狭い機内で視線を合わさず、言葉も交わさない。
守が無言で船尾のダイブドアのスイッチを押した。
 「何処へ行くつもりだ。 やめておけ」
我慢できず隆一は立ち上がり、ドアの開放を制止した。
守はうつむき、隆一の問いかけに応えない。
 「隆一。 守の好きなようにさせてあげて。 守は、大丈夫だから」
マリアが割って入り、優しく話した。
守は隆一の表情から思いを感じ取り、隆一を見つめながら時空空間へ身を投じた。
隆一は膝をつき、床を叩き落胆する。
「マリア。 何故、守を行かせた……。 マリア、お前は……」
マリアは隆一の問いかけに答えず、コックピットに納まった。
隆一は守を止められない時点で、避けられない親友との戦いに覚悟をきめた。 守も悟っていると実感した。
B29爆撃機が原爆を乗せ、日本本土上空にさしかかった。
テログループ、時空警察の双方に、緊張が走る。
心臓の鼓動が高鳴り、ダイブアウトのカウントダウンと同調する。
B29爆撃機の乗組員が、違和感を覚え機内後方に視線を移す。
空間が迫るように見えた瞬間、テログループと時空警察の激突が始まった。 時空警察の作戦は思惑が外れ、双方の隊員がB29爆撃機と、時空警察の監視船に群がり、激しい電子サーベルでの肉弾戦が行われた。
狭い機内は血しぶきと怒号が飛び交い、お互いが重なるように倒れこむ。 近距離で高速移動に劣るテログループは次第に圧され、装備でまさる時空警察が優位に立っていく。
グレンが恍惚感にひたりながら、テログループをなぎ倒す。 まるで今までの鬱憤を吐き出すように!
テログループの未来の炎は、希望の光は消えようとしていた。
B29爆撃機エノラ・ゲイの機内は深紅に染まり、搭乗員、テログループ、時空警察の死体が大量に流れ出た血液の海に、散乱していた。
最後の望みに掛けるテログループは、広島の原爆投下の歴史を封印する為に、B29の機体を破壊する為に、時空警察を葬る為に、高性能電磁パルス爆弾のスイッチに手を掛けた。
その瞬間、流れ出た大量の血液が引力に逆らうように、機内の側面や床を伝って、這うように戻って行く。
突然の事態に、睨み合う双方の動きが止まった。
そして倒れ込んだ搭乗員、テログループ、時空警察の死体がゆっくりと消えて行く。 戦闘で傷ついた機内も、何事も無かったように元通りに直り、まるでそれは映像のスローモーションの逆再生のようであった。
 犯罪者、B29搭乗員、時空警察の隊員それぞれの身柄を、本部の犯罪処理係が、追跡調査で一斉に該当者を削除、拘束した為であった。「指が、俺の指が無い! 腕が、爆弾が消える。 何故だ。 くそー……」
次々と、テログループのメンバーが消える。 大量に流れ出た血液も、折り重なった死体も、何事も無かったように、ゆっくりと。
テログループは、大量動員された時空警察犯罪処理係により、壊滅した。
グレンは機内に残ったテログループの屍を踏みつけながら、見せ付けるように、ポーズをとった。
「所詮、イエローに原爆投下を止める事なんて無理だ。 人類のゴミだよ。 日本人は……」
するとB29の機内に時空の歪みがあらわれ、怒りに震える男が現れた。
 「遅いぞ。 おまえと同じゴミどもは片付けた。 お前を削除した後、俺が変更した長崎の歴史も、本部の歴史コンピューターを書き換え、真実の歴史にする、」
グレンが電子サーベルを、男の喉元へ突きつけた!
 「そんなことはさせない」
機内の空気が張り詰める。
その瞬間、緊張を切り裂くように怒りを解放するように、守の電子サーベルが唸りをあげた。
狭いB29爆撃機の機内を瞬間移動しながら、目にも止まらぬ速さで同僚の時空警察隊員を手玉に取った。 次元の違う強さであった。
一瞬にして、守以外の時空警察全員が倒れ込む。
初めて人の命を奪った瞬間であった。
「志のないお前に、俺は止められない。 広島の原爆は俺が阻止する」
息も絶え絶えのグレンが、微かな声で答えた
「守。 お前を洗脳しているのは……」
 「洗脳…… それは本当か? 本当なのか……」
険しい表情でグレンの体を起こし問いただすも、最後の一言を残して力尽きていた。
グレンが発した名前を聞いた守は、心がかきむしられる思いがした。しかし決意は揺るがない。 本当の自分の気持ちに、運命に気付き始めていた。 洗脳の事実にも、迷わない。
それほど守の意思は固かった。
追いかけるように、隆一がダイブアウトして来た。
そして機内に倒れているグレンに目をやった。
誰がグレンを倒したのかは、一目瞭然である。
 守と隆一は、しばらく無言のまま相対する。 お互いが鋭い眼差しで、真っ直ぐに睨みつける。 二人は言葉を発しなくても、思いが伝わっていた。
守の行動をどこかで理解し、認めている自分の気持ちをかき消すように、説得を試みる。
「守……。 この世界は既に終わった世界だ。 俺たちは、夢の世界にいるのと同じなんだ。 お前は夢に囚われている。 気づいてくれ。 守……」 
 「未来を変える力を持ちながら、自分の保身を守る為に腐った世界にすがり付く。 時空警察も、テラ政府も、最早正義ではない。 隆一、お前はそれでいいのか……?」
今の守は一辺の迷いも感じることなく、未来と過去に挑んでいた。 説得を試みる隆一は、守の揺るぎない決意を感じ取った。
「ちがう。 歴史は変えてはいけない。 変えた先に何がある。 人間が代わらなければ、歴史を変える意味が無い。 守。 俺たちの世界に帰ろう」
「俺たちの世界? あんな暗黒の世界が俺たちの世界などと、俺は認めない。 あそこには俺の居場所がない。 ここが夢の世界であったとしても、俺は世界を変えてみせる。 現実にしてみせる。 人類が滅びたら、過去も未来も意味がない。 俺は、時空警察官である前に、日本人であり、地球人だ……」
「守。 判ってくれ。 俺は、お前と戦いたくない。 お前を救いたい……」 
 「隆一。 俺はお前と勝負してでも、未来を変えてみせる」
守は信念の前に、隆一との友情も忘れていた。
 隆一にとって望まない最悪の局面を迎え、悲しい運命の壁が立ちはだかる。 人生で一番大切な人と、殺し合う為に向き合う。
守を助ける為に。
二人の実力は、五分と五分。 時空警察学校で何度も戦い、競技大会の決勝でも戦った。 しかし、練習や大会とは訳が違う。 生死を賭けて戦う現実を、二人は覚悟した。 達人同士、実戦での電子サーベルの戦いで、無傷で拘束することは不可能である。
高度一万メートル上空。 B29の機内にエンジン音と、日本軍の高射砲の音が響き渡る。
 お互いが電子サーベルをゆっくり構え、殺気が交差する。
狭い機内ではスピードは生かせない。 達人同士の戦いは飛び込みの一撃で、勝負がつく。 勝敗の行方は、どちらかが狂気の世界により深く入れるかであった。
 二人は動かない。
神経を研ぎ澄まし、息を殺し相手の間合いにゆっくりと入る。
お互いの鼓動が、電子サーベルの先端に伝わる。
隆一は究極の戦いの中、守と交わした約束が一瞬頭をよぎった。
その雑念を振り払うように動揺を隠すように、隆一が勝負に出る。
「守。 勝負」 しびれを切らして、隆一が電子サーベルを振りかざす。
大気を切り裂くように、音をたててお互いの電子サーベルが交差する。
 「すまん、隆一」 
 「ウゥー……」
迷いを抱える隆一が、声をあげて崩れ落ちた。
 守との勝負に対する戸惑いが、達人の感覚を鈍らせた。
隆一は最後の力を振り絞り、体を起こし、守を説得する。
「俺は、お前との約束を守れなかった。 しかし守。 分かってくれ。
お前の信念も分かる。 俺も日本人だ。 だが、どんなに悪しき歴史でも、変えてはいけない。 腐敗したテラにも、無限の可能性を秘めている子供達がいる。 俺達の育った孤児院にも、未来を見詰めている人達がいる。 その可能性を信じ、明日がある。 俺たちに歴史を変える資格などない。 もし人類が滅ぶとしたら、それも宿命だ。  人類が滅ぶなら、滅ぶなりの理由があるはずだ。 それが定めだ。 すべては歴史の判断だ」 
隆一の最後の言葉を聞いた守は、魂を掴まれたように我に返った。 隆一との思い出が、走馬灯のように蘇る。
信念を貫くために、友を殺してでも、己が行なおうとした事を。
大儀のためなら、犠牲をいとわない自分本位な考えを。
その考えこそが悪であり、自らが罪である事を。
今の自分は、目的の為なら手段を選ばない、謎の男と同類だ。
気がついた守は、心にぽっかりと大きな穴が空き、たとえ様もない寂しさと絶望感に苛まれ、幼いころに思いをはせた。
孤児院で少数派の日本人は、落ちこぼれ日本人と落胤を押され、歯をくいしばり、ともに刻んだ日々を。 
守にとって隆一は、最大のライバルであり、最高の友であり、一番大切な、家族であった。 
「俺が馬鹿だった。 俺が悪だった。 なぜ俺は気づかなかった。 すまない隆一。 滅ぶには、滅ぶなりの理由があるんだ。 いや、気がついていたが、自分の欲望の為に気づかないふりをしていた!」
守は息絶えた隆一を見つめ、決意した。 歴史を元通りに正す事を。 しかし、これから行う事を想うと、胸が締め付けられる。 広島での思い出が頭をよぎる。 大勢の人の人生がよぎる。
「ウォー……」 抑えられない気持ちが爆発した。
小刻みに震えた腕を原爆投下スイッチに伸ばし、静かに目を閉じた。 
「隆一……。 俺が広島に原爆を落とすよ……。 これでいいんだ。 これが正しい選択だ。 これが俺の運命だ」
 守は泣きながら震えながら、原爆投下のスイッチを押した。
 隆一を犠牲にして、闇に覆われた地球を、明るい未来を願って行った行為を後悔した。 そして先祖の眠る広島に、原爆を落とす事実に、身を切られる思いで膝から崩れ落ちた。
その瞬間、小さな希望の光は消え、広島の悲劇の歴史が現実化した。
機内に横たわる隆一を抱きかかえ守は、わだかまる心の内を語った。
「隆一……。 因果を、事の発端を正に行こう。 俺の最後の仕事だ」
守はB29の機体をテニアン島に向け、抑えられない動揺を、抑えられない震えを内に秘め、時空の渦に落ちて行った。


第十九章 頂の向こうへ


ほんのりと赤身を帯びた、桜の木が見える。 鮮やかな緑色の芝生が広がる丘の上に、金色の髪の毛をなびかせて、凛として立つ人影。 そして親しく寄り添う少女。 爽やかな風で二人の頭上を花びらが、ひらひらと舞う。
 「おねえちゃん。 何を見ているの?」
 「夕日の向こうに、希望の光を見ているの。 希望の未来を」
 「どういう事。 ひとみ、判らない?」
女性はゆっくりとしゃがみ、少女の目線で瞳を見つめながら、申し訳なさそうに謝る。 「又だめだったみたい。 ごめんね。 本当にごめんね。 でも私は、何度でも挑戦する。 ひとみちゃんを助けるために。 決して諦めない」 
少女には、女性の言葉の意味が全くわからない。
「あ……。 空が変。 誰か来る?」 
空を茜色に染めた夕日を背中に、隆一を抱えた守が、かげろうのようにダイブアウトしてくる。 そして隆一の亡骸を桜の木の下に担い、ゆっくりと電子銃をかまえた。
「マリア。 もう十分だろう。 少女を解放してやれ。 お前のわがままで、何度も放射能の高熱にさらすのは、可哀想だ。 ここで終わりにしよう。 歴史が人類に裁きを与えたように、俺とお前の裁きは、歴史が下すだろう」
マリアは険しい表情から、一転安心したかのように、優しく頬をゆるませた。

「守の言う通りね。 でも私は明るい未来を諦めない。 かすかな光でも、届くまでは……。 ここで諦めたら、今までの行動が全てむなしい事になる。 あなたと戦ってでも、私は希望の光をつかみ取る。 でも、 あなたに阻止されるなら、私は本望よ。 守。 私を止めてみて」
マリアは寄り添う少女の瞳を見つめ、優しく抱き寄せ囁いた。
「ひとみちゃん、少し時間をちょうだい。 絶対に戻ってくるから。
未来を掴んで来るから」
 少女は状況を理解できない。 しかしマリアの言葉を信じ、うつむき小さくうなずいた。
守はマリアと向き合う少女を見て、疑問に思った。
広島の原爆体験の時に、抱えながら消えていった少女に、どことなく似ていると。
マリアは目を見開く。 ダイブスーツのリミッターを解除して、エネルギー最大で、守がダイブアウトした出口に飛び込んだ。
 守も全開で後を追う。
「マリア。 今からでは、俺が後にした時代に戻れない。 別の過去にダイブアウトするようになる。 手遅れだ」
マリアは解っていた。 守のたどった世界に戻る事が容易でない事を。 なぜなら、守が広島に原爆を落として去った入口が、すでに閉ざされてしまえば、二度と同じ時代には戻れないからである。 歴史は大きな変動がない限り、元通りの歴史に修復してしまうからである。
マリアは暗黒の時空空間を限界ギリギリまで飛ばし、心の光、希望の光を目指した。 心臓の鼓動が全身に響く。 すると見つめる視線の向こうに、一筋の光が現れた。
その光は弱々しく、今まさに閉じようとしている。
 「とどけ…… とどけ……」 「ドーン、ドーン……」
マリアはその光めがけて、入口をこじ開けようと電子銃の弾丸に希望の思いを乗せ、何度も放った。
入口の光は、よどみ激しく変形する。
守は閉じようとしていた扉の衝撃に備えて、マリアに覆い被さる。
 「バリーン……」 激しい破壊音が鳴り響いた。
マリアと守は重なり合うように体を強引にねじ込み、衝撃とともに時空の扉を突破した。
二人は呼吸をするのも忘れ、落下中の原爆を探す。
矢のような勢いで、原爆炸裂高度580メートル目がけて落ちて行く。
「原爆は、どこ……?」
「あった!」 ダイブスーツのパワー全開で飛ばす。
「もう少しで届く。 あと少しで時代を掴む。」
だが二人に残されて時間はない。 900メートル、300メートルと、凄まじい勢いで原爆に迫る。 二人の緊張は限界を超えていた。
 「ビー・ビー・ビー・ビー・ビー……」
けたたましく、ダイブスーツのデッドサインの警報が鳴る。
あと少し、マリアは祈るように右手を原爆に伸ばした。
「間に合わない。 爆発する!」
爆発回避のために守は、マリアと自分の強制ダイブボタンに手を伸ばした。
「ピカー……!」 「ドーン……!」
強烈な閃光が走り、瞬間的に大気が膨張し、強烈な爆風と衝撃波が音速を超える。 この光景を後に、《ピカドン》と呼ぶ。
爆発の衝撃波が、光の後に来るからである。

二人は間一髪、揉み合うように時空空間に飛び込んだ。
マリアはあと一歩のところで、掴みかけていた時代を、そして希望の光を逃した。 孤独なプライドは幻に変わり、自分の力のなさを嘆き、絶望の中で落胆した。
 もう二人のダイブスーツのエネルギーは、僅かしかない。
かろうじて、少女のいる時代に戻れる程度であった。
二人は力なく少女の待つ時代に向け、時空空間を進んだ。
「何故そんなに、あの少女にこだわる……」
マリアは諦めきれない気持ちを懐きながら、守の疑問に答えた。
「私は、守と隆一と同じように孤児院出身。 私は母の記憶が全くない。 でも母に会いたい。 人混みを見ると、見たことの無い母の面影を探してしまう。 会いたい一心で、色々な時代や、場所にダイブして手がかりを探した。 やっとの思いで、孤児である母の足跡を見つけた。 それが、ひとみちゃんがいるハドソン郊外の孤児院。 しかし、母はいなかった。 何故かは解らない。 核戦争で、微かな糸口も無くなった。 当時、母と同じ苦しみを味わった少女を見ると、他人事には思えない。 生きていれば、同じ年代の女性に優しくせずにはいられない。 私は歴史を変えて、母に会いたい。 ひとみちゃんを助けたい。 ひとみちゃんは、私にとって希望の光なの。
 初めて桜の木の下で世界の終わりを体験した日、私は核ミサイルの悲惨さに心がボロボロになった。 悔しくて、悔しくて泣きながら暗黒の空を見上げた。 その時テログループのリーダーが現れた」
 
 「あらがう者よ。 その少女を助けたければ、閉ざされた歴史を変えるしかない。 母に会いたければテラの真実を知り、我々に協力する事だ……」
 
 「今は、あいつの言葉に踊らされた事を後悔している。 広島で守をだまし、洗脳しようとした。 ひとみちゃんのクローンを抱えながら、溶ける姿を見送った事を知って、心が痛んだ。 隆一を犠牲にして母に会おうとした事も。 全て私の我が儘。 その我が儘が、ひとみちゃんを何度も何度も、苦しめる事になった。 こんなはずではなかった。 こんな地獄を見るとは思わなかった。 正直、苦しかった。 耐えられなかった……。 何度も過去を繰り返す事で、知りたくない事実を知った。 私は、守と一緒に見届けた13年前の、過去の自分の……。 クローンなの。 希望は悪に変わり、私の夢は破れた。 作り物の私には、母はいなかった。 それでも母に会いたい……」


桜の木の下で待つ少女は、真っ赤な太陽を見つめ、マリアの無事を案じ、胸に手をあてて祈った。
少しの時間だと言っていたけれど、心配で仕方がない。 孤独の時間が永遠に続くように思えた。 すると、時空の扉からマリアと守が崩れるようにダイブアウトして来た。 マリアは涙を流しながら、膝をつき這うように少女に近づいた。
震える声を出して、力強く少女を抱きしめる。
「ひとみちゃん、今まで本当にごめんなさい。 私の我が儘で、何度も痛い思いをさせて……。 もう1人にはさせない。 私も最後まで一緒にいるから」
辺りは一変した。 暖かい太陽の光を消すように、激しい光が
三人を包んだ。
マリアと守には、事態を好転させるエネルギーは残されていなかった。
 二人は覚悟していた。 しかし気丈なマリアが人生で初めて弱音を吐く。
 「守。 私……。 怖い……」
 「大丈夫だ。 俺も一緒だ……」 
守は自分のダイブスーツのジャケットを、やさしくマリアの肩にかけ、少女を優しく抱き寄せ、隆一の体を引き寄せた。 
 「止めてくれてありがとう。 もう、怯えなくていい。 あなたといる時だけ、孤独を忘れられた。 ありがとう。 私は、あなたを……」
 「大丈夫だ。 俺が守る……」
その瞬間5000度を超える熱風は、心を解放するように、癒すように天空に誘った。
マリアの望んだ希望の光は輝きを失い、歩んだ道はむなしい風となった。 魂はさまよい、時空を漂い、時の河は幾度となく流れた。
人類が犯した罪を、浄化するように。 そして繰り返しループする暗黒の歴史は閉ざされると思われた……?

 春の暖かい風が吹く。 夕日の眩しい光が降り注ぐ。
小鳥がさえずり、満開の桜の花びらが、ゆらゆらと風で空を舞う。 美しい桜の木の下に、少女がダイブスーツに身を包み、倒れている。 心と体を癒すように、花びらが少女の頬をつたう。
そこに、葉巻をくわえた黒ずくめの謎の人物が、静かに近づき少女を優しく抱きかかえた。
 「大事な希望の光を、未来の思いを、今受け取った。 君達の歩んだ道を、この少女は必ず照らしてくれるだろう。 眼差しはそこにある。 私は思い出を無くした息子と出会う為に、再び歴史に挑戦する……」
 「Z。 マリアと守は永遠だよ。 二人は諦めることなくオリジナルの記憶を追い求め、魂の叫びを受け継ぐ。 俺達と同じ遺伝子を持つ、クローンなのだから」
 ZとYは歴史と言う名の魔物に捕り付かれたように戦いを挑み続ける事を誓った。 

 その頃時空を超えて、一人の男が時空移動船ノアを操り、高速で成層圏を飛ばしていた。
時は西暦2047年2月13日。 男は決意する。
審判の日から人間の歴史をリセットする。 これで人類が生き永らえるかは分からない。 タイムパラドックスが引き起こす行為が、因果律の修正作用により核戦争と同じように滅ぼしてしまうかもしれない。 しかし地球を放射能の汚染からは救う事はできる。 もしテラが存在するならば、間違った社会を少しだけ、正すことが出来る。 人間が滅ぶとしたら、滅ぶ価値しかない……。
 その男は5000度の熱風が吹き荒れる瞬間に、マリアと少女が気絶する中、自分のダイブスーツに隆一の燃料電池を付け替え、丘の上にあった時空移動船ノアに乗り込んだ守であった。
 歴史に魂を賭けた最後の大勝負を挑む。 刻々と経過する時間軸の中で、一つの望みに懸けるしかない。 自分の命と引き替えに歴史と折り合いを付ける。 それしか道はない。 今しかない。
 マリアと隆一そして、ひとみちゃんの生きている世界を守れるならそれでいい……。
 今、正に世界を滅ぼそうとしている雨のように降り注ぐ何千発の核ミサイルを、空間移動装置で集める。 そして地球を200回は滅ぼせる威力を使って地球環境に影響を与える。
 守は操縦桿を握りしめ、慎重に無数の核ミサイルに空間移動ビームを掃射した。 祈りを込めて。 自分を信じて……。
 目的を達成するには核ミサイル1000発は必要か? いや、それは分からない。 もはや祈るしかない。 運命の願いを叶える先は、他でもない。 唯一無二の存在。 その存在は偉大な月。 守の小さいときから憧れてやまない美しい月。
 地球は月に多大な恩恵を受けている。 月の強力な引力が無ければ、地球は安定した自転を繰り返す事すらできない。 もし仮に月が存在しないとしたら、北極点はアメリカ・ラスベガスとの間で移動を繰り返し、夏と冬の温度差は100度を超える。 地球上の氷は溶け、海水面は60メートル上昇し、海は毎日のように荒れ狂い、500メートルを優に超える津波を発生させる。 最早細菌さえも生き残れない。 生命は月無しには生きては行けない。 その月と地球の因果を、集めた核ミサイルの爆発で一瞬でも弱め、母なる地球に自然災害を与える。

 人類滅亡の歴史を、核から自然災害へとすり替える。 この瀬戸際の賭けで未来に望みを賭ける。 月からの引力が弱まった地球は不規則な自転で、300メートル以上の津波が人類を襲うかもしれない。 それでも人類は、きっと生き残ってくれる……。 そう信じている。 成功すれば謎の男との因果は絶たれ、自分の存在が消えるかもしれない……。 マリアと出会う事も無いかもしれない。 それでも良い。 マリアを守れるなら。 隆一を救えるなら。
 美しく光り輝く月に、無数の核ミサイルを引き連れノアが向かって行く。 守の命と引き換えに。
「ドカーン・ドカーン・ドカーン……」
連続する激しい爆発音が耳をつんざく。
今までに聞いたことも無い轟音が体全体に伝わってくる。
空一面が火の粉が散ったように、いつまでも光っている。
地上で見上げた者は世界の滅亡を予感しただろう。
 
地球に劇的な変化が訪れた。
一瞬、地球と月の引かれ合う引力が弱まり、地球は大きくウェーブするように不規則な自転を繰り返した。
 その影響で世界中の海岸を高さ300メートル以上の津波が襲う。
 守が望んだように、人類を滅ぼす因果が、核から津波へとすり替わっていく。

 操縦席から核に汚染されていない、憧れた美しい地球が見える。
見とれる様に見守っていた守は、穏やかな顔で薄れ行くマリアの記憶を辿りながら目を閉じた。 限られた時の中で、出会えた仲間に感謝した。 そして操縦桿を握る手を離し、胸に手をあてて微笑みながら静かに消えて行った。 最後に愛する人の名前を呼びながら
「マリア……」 

 「ザザー……。 ザザー……」
激しい津波の余韻をかき消すように、浜辺をなでるように、優しく静かに打ち寄せる。
春の暖かい風が、海岸を吹き抜ける。 水平線の向こうから、海面に反射した夕日の光が、やさしい空を茜色に染めている。
海鳥たちがさえずり、満開の桜の花びらが、光の中をキラキラと舞い空を彩る。 岸壁にある桜の木の下に、あどけない二人の少女と、金色の長い髪をなびかせる女性が、凛として立っている。
そして穏やかな顔で、真っ赤に輝く夕日を幸せそうに見詰めながら、頬を濡らした。
 「夕日って綺麗。 本当に綺麗。 この場所から見る夕日が、心を癒してくれる」
 「お姉ちゃん、何か良いことがあったの? あれ、どうしたの。 泣いてるの?」
 「そう……。 何か解らないけど、思い出せ直けど、夕日を見ていると、とても愛おしい思いを感じるの。 でも願いが叶った。 人生は素晴らしい。 ひとみちゃんと、カレンちゃんと一緒に見る夕日を夢見てた」
 「お姉ちゃん……。 桜の木に何か×印がいっぱい書かれてる? 何だろう」
 「何か解らないけど……。 回数を記したのかしら? だとしたら丸印を書いてあげたいね」
 「そうだね……」
 「さあ休憩はおしまい。 津波で避難して来た人のお世話をしないと。
三人で孤児院まで競争よ。 はい、スタート」
 「あ……。 マリアお姉さん、ずるいー……」 

 歴史は因果作用を修正するように、桜の幹に刻まれた×印を何事も無かったかのように消して行く。 そして関わった人間の心の叫びも、記憶と共に消していった。
END

作 山中隆広

暗黒の頂きの向こうへ

暗黒の頂きの向こうへ

  • 小説
  • 中編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-07

Copyrighted
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