猫写的表現

その日は朝から不吉な風が吹いていた。
朝、といっても限りなく昼に近い朝だけど。
ぴょろろろろ。
メールの着信音で僕は目を覚ました。

カーテンを開けると空は青く晴れていた。
でも嫌な風が吹いていた。
どこにも出かけたくない。
今日はそんな一日だ。

ともあれ。起きねばならない。
寝室をあとにする。

リビングの出窓には早起きの猫が丸まっていた。
そんなふうに丸まって猫は、カーテンの隙間から差し込むわずかな光を求めていたのだ。

今日は猫を描こう。そう決めた。

朝食を作ってひとりで食べたそのあと、イーゼルの埃を払い、猫の前に陣取った。

さてこの猫をどのように描こうか。
抱けば温かくやわらかいその丸さ。
しどけなく投げ出した手足の先の丸い肉球。
形を描こうか。それとも。

なんて思案する僕をよそに、モデルはさっさと出窓を飛び降りて、しっぽを立ててスタスタと歩み出す。

イーゼルを抱えて後を追う。
猫はトイレに落ち着いた。神経質そうに砂を掻く。
やれやれ。いつものことだな。マイペース。

見つめる僕に気が付いているくせに。トイレに行きたきゃまっしぐら。
犬ならこんなことはない。一言くらいワンと断って、出窓をあとにするだろうのに。

ま。それが猫だから。

腹が減ったら擦り寄るくせに、満ちてりゃツンと知らん顔。
それが猫だ。
そんなあり方を描いてみようか。そういたしましょうか。
イーゼルを手前に、その奥に小便中の猫を。

なんて思ってる僕を捨て置いて、出すモノ出したら、また唐突に、猫はスタスタ歩み出す。

そしてテーブルに座った。
やれやれ、休日のテーブルで今度こそおだやかに猫と向かい合う。

猫の瞳を見ていたら、その瞳(め)が、ガールフレンドの瞳(め)になった。
彼女の瞳が僕を見てる。
そうであったか。
この瞳(め)を描こう。と僕は思う。

僕が見つめる。瞳(め)が見つめ返す。
一心に絵筆を動かした。

そんな日曜日。

そんな日曜日の夕方。
完成した絵を白い額におさめ、白い壁に掛けてみた。

と、チャイムが鳴った。誰だろか。日曜日の夕方に。こんなよくない風の吹く夕方に。

「ちぃーす。ゲコゲコ」と、インタホンの向こうで蛙が鳴いている。
「なんだ、おまえか」と僕は応える。
「あけちくりよ、ゲコ。真っ赤なワインも持ってるよ、ゲコ」

仕方ないので部屋に入れてやる。
友人はその綽名を蛙という。本名はこの際関係ないから、ここでは蛙で押し通す。

「なんだい、これは? 新しい絵、描いたんか? ゲコ?」
「お目が高いね。できたばっかのホヤホヤだよ。気に入ったかい?」
蛙は質問には答えず、いつものように勝手に冷蔵庫をあけると、カスタードクリームとチーズクラッカーを取り出した。ワインオープナーを手に、コルクを開けろと僕にせがむ。

僕の作った料理を食べながら、蛙は世間話をした。
田んぼで稲刈りが始まっただとか、おたまじゃくしに手が生えただとかそんなこと。

一時間ほどして蛙は唐突に言った。「もう帰るよ」
「そうか。また遊びに来てくれよな」
と、帰る蛙を玄関まで送る。

靴を履きながら蛙は言う。「あの絵の猫のことだけどさ」
「うん?」
「不安な瞳をしていたね」
「不安?」
蛙はドアを開けると振り返り、僕を見てさらにこう言った。「何がそんなに不安なんだい?」
「僕が?」
蛙はゲコと一声鳴くと踵を返し、ピョンと跳躍して去ってしまった。

ひとり残されて僕は、蛙が帰ったドアを見つめていた。

何がそんなに不安なんだい? 
と、田んぼで蛙が鳴いていた。

わかってるよ。わかってる。
僕はリビングに戻り、テーブルの上の携帯電話を手にとる。

今やるべきこと。今朝のメールを開くこと。

誰からのメールかなんて、そんなの開く前からわかってる。
ガールフレンドからのメールに決まっているのだ。

田んぼで蛙が、また鳴いた。

猫写的表現

猫写的表現

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-07-14

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