星騎士列伝 第一章

(2013/05/05)中世騎士物語です。女性を活躍させるために、“星”という要素を入れてみました。
(05/06)チャプター2追加。ファンタジーの登場人物といえば、銀髪ですね(笑)。
(05/13)チャプター3追加。初めての試練です。
(05/19)チャプター4追加。無口なキャラがいると、あまり会話が弾みません。
(05/21)チャプター5追加。場面をかき回すだけのキャラ、にはしたくしたい。
(05/21)チャプター6追加。女性キャラばかりになってきました。早くむさい男たちを出さなくては。
(05/25)チャプター7追加。あまりはっちゃけすぎないように。
(05/27)チャプター8追加。水を汲む、ただそれだけの話。→冗長なので削除
(05/29)チャプター8追加。登場人物が一気に増えました。
(06/01)チャプター9追加。キャラをたたせるために追加しました。
(06/03)チャプター10追加。よく考えたら、簡単に順応できるわけないですね。
(06/05)チャプター11追加。ビックリマンシール、集めたなー。
(06/09)チャプター12追加。第一章完了。

     (1)

 やはり、前髪を切りすぎたかもしれない。
 額の星に微妙な寂しさを感じながら、ブロッカは目の前にそびえる石造りの建物を見上げた。
 王都にある王立歌劇場に匹敵するほど、巨大な建造物である。石壁や門扉には装飾の類はなく、窓硝子もない。その与えられた役割上、華麗さや優美さよりも、武骨さや頑強さといった印象が求められるからだろう。
 自分をここまで運んでくれた荷馬車が、舗装もろくにされてない道を逃げるように走り去っていった。偶然乗り合わせていたおしゃべりな黒髪の女性は、仕事があるからと、業者用の裏門から入っていった。
 もう後戻りはできない。心の奥底で鎌首を持ち上げてきた不安を、ブロッカは持ち前の負けん気で振り払った。
 怖気づいてたまるものか。耐えがたきを耐え、悩みに悩み抜き、努力を積み重ねて、ようやく夢に手が届くところまできた。
 憧れの“あの方”に、ついに出会える日がきたのだから。
 ここは、国境に近い戦いの最前線“スローン駐屯地”である。
 見通しのよい丘の上に、ロの字型をした石造りの砦があり、その中に千人近くの隊士たちが常駐しているという。辺境の村などよりよほど人口規模は大きいのだが、門番らしき二人の隊士の姿を除いて、周囲に人影はなかった。耳を澄ませると、風の音に混じってかすかに号令のような声が聞こえてくる。
 さあ、何事も最初が肝心だ。
 ブロッカは覚悟を決めると、真新しい制服に包まれた肢体をきびきび動かして、真っ直ぐ門に向かった。
「失礼します!」
 両足を揃えて、昨夜練習した通りの完璧な敬礼をきめる。
 中年と若手の門番は、短槍を構えており、一瞬、わずかにその手をこわばらせたように見えた。
「本日付けでスローン駐屯地の見習い隊士となる、ブロッカです。統制本部からの命令書もありますので、キュラソー軍団長にお取り次ぎ願いたいのですが」
 しまった。慣れない口上のため、早口になってしまった。上手く伝わっただろうか。
 少しの間不安な沈黙が続いたが、真っ赤になって硬直する見習い隊士は、どうやら相手方の好感を勝ち取ることに成功したらしい。
「ああ、例の、もの好きな貴族のお嬢さんか。上から聞いとるよ」
 くしゃりと相好を崩した中年の隊士に命令書を見せると、手際よく陰影を照合されて、中に入ることを許可された。
「団長さんの部屋は、ちょっと入り組んだところにあるからな。おいテル坊、お嬢さんを案内してやってくれ」
「……その呼び方、やめてください」
 テル坊と呼ばれた門番は、二十歳前くらいだろうか。短髪にあどけない顔つきの、純朴そうな青年である。並んで歩きながら、軽く自己紹介された。彼もまた見習い隊士で、今日は昼の当直の日だという。それは大変ですねと、ブロッカが心にもない感想を述べると、テル坊ことカンテル青年は、照れくさそうに笑った。
「いや、見習い隊士なんて、訓練、訓練の毎日だから。当直はご褒美みたいなものなんですよ」
 門の先には幅広い石畳の通路があり、中庭のような空間につながっているようだ。通路の途中、左右に建物への入口があり、扉の隣には親切にも案内図がかけられていた。何気なく流し目で確認していると、カンテルがちらりとこちらを見て、
「ああ、それ、でたらめですから。気をつけてくださいね」
「……はい?」
「キュラソー団長の発案らしいのですが。不正侵入者撃退用の、偽の案内図なんです。通路も部屋の大きさも、半分くらいはでたらめです」
 味方を装って砦に侵入した不逞の輩が、案内図を頼りに重要人物の部屋を訪れると、そこは屈強な隊士たちの詰め所になっており、すみやかに不審者を捕まえることができる――そういう仕掛けらしい。
「まあ、残念ながら……いや、幸いにも、かな? 今までにそういった事例は一度もないですけど」
 ブロッカは呆れてしまった。まるでいたずら好きの子供の発想だ。しかも、役に立っているとは思えなかった。もし自分が暗殺者だったなら、親切な案内役のおかげで、すんなりと役目を果たすことができただろう。軍団長の安全など、正直どうでもよかったが、もし“あの方”に何かあったとしたら、許されることではない。
 階段をひとつ上がって、さらに通路をいくつか曲がると、ようやく目的の場所にたどり着いた。
 ちらりとこちらを窺ってから、カンテルは通路の先にある扉を指差した。
「この先が、キュラソー団長の執務室です。自分は仕事があるので戻りますけど、大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。あとは自分でやりますから大丈夫です。それと、カンテルさん」
「はい、なんでしょう」
 ブロッカは右手を差し出した。
「私の星は、六等星です。これから、よろしくお願いしますね」
 途中で何度も視線を感じたのは、もちろん気のせいではなかった。自分の容姿については、多少の自信はあるつもりだが、それよりも先に注目されるべき部分が、彼女には存在した。
 額に浮かぶ小さな青色の塊。鉱物の結晶にも似た美しい物質。夜空の神さまからの贈り物――生まれながらにして額にこの器官を有する者のことを、人々は畏敬とやっかみを込めて“星持ち”と呼ぶ。
 星の色や形は様々だが、その表面積により一等星から十二等星に区分されていた。十等星以下の星については、ほとんど“恩恵”を受けることができない。せいぜい十の力が十一になるくらいだ。明らかに差がついてくるのは、八等星からだと言われている。
 ブロッカの星は六等星。小指の先ほどの大きさだが、彼女はこの星から強力な“恩恵”を受けていた。
 それはすなわち、身体能力の向上。
 力でも瞬発力でも、彼女は同年代の男たちに引けをとったことはない。細腕の女性が騎士や隊士を目指す場合、星を持つことこそが、必須の条件とされているのだ。
 ただでさえ希少な存在である“星持ち”だが、そのほとんどが十等星以下であり、ブロッカほど大きな星は本当に珍しい。初対面の女性であっても、つい観察してしまうのは仕方のないことであろう。
「あ……えっと」
 自分の非礼に気づいたらしいカンテルは、頬も両耳も真っ赤にして、たどたどしく握手に応じた。
「と、とにかく。スローン駐屯地へようこそ、ブロッカさん。歓迎します。お互い頑張って生き残りましょう」
「ありがとう」
 明日からの同僚に対して、少し強気に出すぎたかもしれない。しかし、侮られるよりはましだとブロッカは思った。自分の力を誇示し、実力を証明し続けなければ、“あの方”の隣で剣を振るうことなど、到底かなわないだろう。衝突を恐れはしない。じゃまな壁が立ち塞がるのなら、叩き潰すまでだ。
 カンテルが立ち去ると、ブロッカは服装に乱れがないかを確かめ、呼吸を整えてから執務室の扉をノックした。
 しばらく待ってみたが、反応は返ってこなかった。

     (2)

 キュラソー軍団長の執務室は、二階の奥まったところにあり、近くにひとの気配はなかった。そういえば、兵科学校でも校長室のまわりはこんな感じだったと、ブロッカは場違いなことを思い出した。
 さてどうしたものだろうか。団長の行方を捜すにしても、建物内の構造は複雑で、案内図はまったく役に立たない。ブロッカは途方にくれた。ここでうろうろしていては、不審者と間違われてしまう。一度門のところまで戻って、カンテルか誰かに再度、案内してもらう必要がありそうだ。
 肩を落として振り返ったブロッカは、得体の知れない緊張感に、全身を硬直させた。それからわずかに口を開いて、目の前にある景色の一点を、ただ茫然と見つめた。
 細長い廊下には、高い位置に幾つかの窓があり、白い光が差し込んでいた。光源はそれだけだ。
 いや、違う。光はそれだけではない。
 廊下の奥からこちらに向かってくる、すらりとした人影。その制服は、ブロッカのものとは色彩が異なり、細部の装飾も豪華になっている。首元には白いスカーフ。そして金色の留め具。しかし、それらを身につけている人物の前では、すべてのものが無意味で、色あせて見えた。
 噂には聞いていたが、本当だった。
 鮮やかな銀色の髪が揺れて、窓の光を反射し、きらきらと輝いている。ブロッカが記憶しているよりも、髪は長い。そして額には、浮き彫りの施された古風な銀色のティアラ。
 間違いない。目の前にいるこの方が“ティアラの騎士”リシュエル。
 またの名を“英雄の蕾”
 皮のブーツの足音と、腰に身につけた刀剣の奏でる金属の音。二つの旋律は規則正しく近づいてきて、ブロッカの前で止まった。
「見かけない顔だが、キュラソー団長にご用か?」
 端的な質問。硬質で透き通るような、やや低めの声。
 切れ長の目はごく薄い青色で、野生の狼を連想させた。睫毛は長く、けぶるようだ。肌は陶器のように白くなめらかで、唇は淡く色づき、花の蕾のようにふっくらしている。今年で二十歳になる女性隊士のはずだが、年齢や性別を超越した、どこか人間離れした美しさを持っていた。
「あ……」
 背筋に表現のしようがない衝撃が走り、ブロッカの反応は遅れた。
「わ、わたし、いえ、自分は、本日付で、その――」
 この瞬間を、ブロッカは夢にまで見て待ち焦がれていた。想像の中の自分は、言葉も滑らかに挨拶をして、素晴らしい出会いを果たすことができた。現実もそうなるはずだった。それなのに……心の準備を整える前の、完全なる不意打ちだった。
 銀髪の隊士は特に不快がる様子も見せず、辛抱強く待ってくれている。
「――っ」
 ブロッカの頬はカッと熱くなった。
 憧れの相手に気を遣わせてしまった。あまりの情けなさに瞳を潤ませると、
「も、もうしわけありません!」
 堪えきれず、ブロッカはぽろりと涙を落とした。
 何を口走っているのだろう。しかも、頭の中が混乱してしまい、無意識のうちに敬礼までしている。最悪だ。わけのわからない変な娘だと思われてしまった。憧れのひとなのに。もう死にたい。
 銀髪の美しい隊士は、少し驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を改めると、
「大丈夫。落ち着きなさい。少し、深呼吸をするといい」
 ブロッカの肩に手を置き、ごくさり気ない微笑を浮かべた。
 その笑顔に見惚れて、思考が完全に麻痺していたブロッカは、親に命じられた子供のように、素直に深呼吸をした。
「それでいい。君はここに来たばかりだ。その制服、見習い隊士だね?」
「は、はい」
「わたしは、軍団長補佐兼騎兵隊長を務めるリシュエルという。君の名は?」
「はい、ブロッカといいます」
「キュラソー団長に、着任の挨拶にきた」
「そうです」
「ではブロッカ。一緒にいこう」
 ひとつ頷くと、銀髪の隊士リシュエルは流麗な動作でブロッカを先導した。
 ブロッカの精神は完全に打ちのめされた。それは、素晴らしく甘美な敗北だった。すれ違ったときの、白皙の横顔。ふわりと漂った爽やかな草花の香り。そして、力強いそのうしろ姿を瞳に焼き付けた瞬間、ブロッカの憧れは、崇拝の域へと昇華したのである。
 普段の気合が蘇り、ブロッカは慌てて涙をぬぐった。
「あの、団長は、お留守のようなんですが」
「そうか……」
 ノックをしても返事がない。リシュエルは躊躇うことなく扉を開けて、中に入っていく。特に待てとも言われなかったので、ブロッカも続くことにした。
 扉の中は小さな正方形の部屋だった。仕事机と待合用のソファーがあり、その奥にも扉がある。どうやら秘書や書記官が待機する部屋らしい。
 リシュエルは奥の扉へ向かおうとしたが、途中で何かに気づき、仕事机へと手を伸ばした。
 ブロッカが覗き見ると、その紙には、子供の落書きみたいな汚い字で、「訓練中。ご用がある方は、大広場まで」と書かれていた。本当に汚い字だ。
「キュラソー団長は、先の戦で利き手に怪我をされてね。今はリハビリ中だ。激しい運動は、軍医にも止められているのだが……」
 少し困ったように言うと、リシュエルは紙を仕事机に戻して、
「案内しよう」
 端的に、そう言った。

     (3)

 正門をくぐった通路の先が、大広場だった。荒い石畳の地面で、砦内の敷地の大部分をしめているようだ。天井は吹きさらしで、薄い筋雲入りの青空が眩しい。
 特に会話を交わすこともなく、リシュエルは一定のリズムで歩いていく。あらためて気づいたことだが、この銀髪の女性隊士は、男性の平均身長よりも背が高く、ずばぬけて足が長い。ブロッカも小柄ではないのだが、途中何度も小走りになりながら、親鳥を追う小鴨のように、必死についていった。
「イッチ、ニッ! サンー」
『セイッ!』
 大広場では、数十人の若い見習い隊士たちが汗を流していた。金属製の鎧兜を身に付け、野太い号令とともに素振りを繰り返している。なかなか迫力のある光景だった。さすがに実践を前提にした訓練だと、ブロッカは密かに感心したが、後方にいる男のひとりは、号令に対してやや動作が遅れ気味だった。武器の重さに振り回されて、よたよたしえいる。おそらく、自分と同じ入隊したての新人なのだろう。
 広場の奥の方には無数の馬小屋があり、世話役の人々が飼葉を運んでいる姿が見えた。さらに視線を移すと、日当たりのよい場所に洗濯物が干されていた。建物の窓から立ち上る煙は、炊事のものだろうか。
 砦の内部などこれまで訪れる機会もなかったので、ブロッカは我知らず興奮していた。本当に、ここに千人もの人々がいて、国を守るために命がけで戦い、自身たちも生活しているのだ。
「イッチ、ニッ! サンー」
『セイッ!』
「――ほれ、どうした、遅れてるぞ!」
 見習い隊士たちの正面には一段高い石畳があり、その上で筋骨逞しい中年の男が号令をかけていた。上半身は裸である。綺麗に剃り上がった禿頭。角ばった顔にやや不釣り合いな丸い目は、片方しかなかった。戦場で傷を受けたのだろうか、左目には黒い眼帯をつけていた。
「じゃまをしてすまない、ベン教官」
 リシュエルが声をかけると、眼帯の男は驚きに目を丸くして、それから、武骨な顔を赤らめた。汚らわしい生物にでも遭遇したかのように、ブロッカは眼帯の男を睨みつけた。
「お、おお、リシュエルか。どうした。お前さんも訓練に参加しにきたのか。それならまず――」
「違う」
「違います」
 リシュエルに続いて、ブロッカまでもが否定する。
「なんだ、その娘は?」
 眼帯の男――ベン教官の問いかけに、一瞬ブロッカに視線をやってから、リシュエルは自分たちの要件を簡潔に伝えた。
「……そうか。残念だ。おおい、キュラソー。騎兵隊長どのがお呼びだぞ!」
 すると、隊列の後方にいた背の高いひょろりとした男が、片足を引きずりながらやってきた。ひとりだけ号令に遅れていた、あの男である。
 兜を脱ぐと、かなり量感のある黒髪が、羊の巻き毛のようにもっさり飛び出した。額に星はない。堀の深い顔立ちをしているが、どこか気の抜けたような印象を与えるのは、少し目尻が下がっているからだろう。瞳の色は黒だが、光の加減でやや緑がかって見える。頬はこけ気味で、首や肩も肉付きがわるい。本当にこの男が軍団長なのだろうか。とても強そうには見えなかった。
 いつの間にか、見習い隊士たちも手を止めて、ひそひそと囁き合っていた。そのすべての視線が、美しい銀髪の騎兵隊長に注がれているようだ。
「おーれ、お前らっ!」
 自分も見惚れていたくせに、眼帯の教官がふと我に返って怒鳴った。
「訓練中だぞ。集中せんか、集中! あと五十、いくぞっ」
『はいっ!』
 訓練用の剣を地面に突き立てると、黒髪の男――キュラソーは、柄の部分に両手を置いて、身体をあずけた。右手には包帯が巻かれていて、わずかに血が滲んでいる。
「や、リシュエル。すまない。もう約束の時間だったかな?」
「いえ、私が早めにきただけです。それよりもキュラソー団長。お客さまです」
「……ん? 君、だれ?」
 あまりにも失礼な言い草だった。ブロッカは思わず眉を吊り上げたが、憧れの人の前で取り乱すわけにはいかない。ことさら形式ばった敬礼をして、大声で着任の口上を述べた。皮肉なことにこれまでで一番まともな挨拶になった。
「ああ、君が、ベゼン家の子か」
 中央の統制本部から預かった命令書をブロッカが差し出すと、黒髪の軍団長は興味がなさそうに受け取り、その封筒で顔を扇いだ。
「はい、ご苦労さま。遠いところからよくきたね」
 まるでお使いを果たした子供を労うような台詞である。先ほどから、この男の言動は妙に気に障った。これが一対一の対話だったならば、遠慮なく怒りを爆発させて、礼儀というものを指摘していたことだろう。
「ええと、ブロッカ。一応確認するけれど、君、ここの隊士志望でよかったのかな?」
「もちろんです」
「明日、死ぬかも知れないよ。敵国の捕虜になって、見知らぬ男たちに凌辱されるかもしれない。凌辱、わかる? 犯されるってこと」
 十六年間の人生の中で、これほど下劣な質問をされたのは、初めてのことだった。怒りを通り越して、ブロッカの顔は青ざめ、両手をぶるぶると震わせた。
 理屈としてはわからなくもない。ここは敵国との境界線に近い駐屯地である。過去、幾度も戦禍に巻き込まれてきた最前線の砦だ。王都で何の不自由もなく育ってきた貴族の娘が、単純な憧れだけで生き残れる場所ではないのだろう。
 単純な、漠然とした憧れだけならば……。
「死など、恐れては、いません」
 挑みかかるような目つきと、かすれた様な怨嗟の声。
「敵に捕まり、捕虜になるくらいなら、自ら命を絶ってみせます!」
 ブロッカはそう言い切ってみせた。
 リシュエルとの運命の邂逅を果たした今、ブロッカが恐れるものはただひとつ。リシュエルを失望させることだけだ。家も捨て、泣きながら止める母親も振り切った。友人と呼べる仲間たちにも別れを告げた。それもすべて“ティアラの騎士”と肩を並べて、戦場を駆け抜ける夢を叶えるため。それ以外は何も残ってはいない。
 キュラソーはぼんやりとブロッカを見下ろしていたが、やがて、肩を落としてため息をついた。
「……やれやれ。しかたがないな」
 訓練用の剣を木枠に立てかけると、傍にあった杖を手に取る。
「じゃ、ついてきて」
 よたよたと向かった先は、大広場の中で唯一屋根のある調理場だった。様々な調理器具や巨大な釜が並んでいて、鉄鍋が湯気を立てている。
「や、マーサさん。いつもお疲れさまです」
 鍋の様子を見ていたエプロン姿の女性が振り返り、大げさに驚いてみせた。
「あらまあ、団長さんじゃない。騎兵隊長さんもそろって、珍しい。二人してつまみぐい?」
 まさに下町のお母さんといった元気のよさだったが、その視線がブロッカのところで止まると、マーサと呼ばれた女性は、急にいたずらを咎めるような目つきになって、キュラソーを睨んだ。
「料理、手伝いにきました」
「……手伝いになればいいけどねぇ」
「鳥とか、います?」
「今日は、もっとかわいいやつ」
 謎の会話が交わされたあと、壁で区切られた一角へと向かう。そこは妙に薄暗い場所で、何故か石畳は湿っていた。隅の方に目籠が置かれており、中で白いふわふわの小動物が数匹、一生懸命に草の葉を食んでいた。
「やあ、これは。丸々太って、おいしそうだね」
 そう言ってキュラソーは、意味ありげにブロッカの方を見た。
 何か、恐ろしい試練が迫っている。
 得体のしれない悪寒に、ブロッカは全身を緊張させた。戦場で死ぬことなど、少しも怖くはなかった。ブロッカの意志は鋼のように硬く、自分への攻撃に対してはびくともしない。だが、異なる対象への攻撃には、まったくの不慣れであった。
 杖の先を籠に向けると、黒髪の団長はとぼけた口調で言った。
「ブロッカ。来たばかりでもうしわけないけれど、君の初仕事だ。ここにいるウサギたちを、全部捌いてみて。……あ、捌くってわかる?」
 殺して、余計な部位を取り除き、食べやすい肉片にすること。

     (4)

 ブロッカとのやり取りの間、ずっと無言を通していたリシュエルだったが、キュラソーとともに執務室へ戻ると、急に怒りを露わにした。
「キュラソー団長、いい加減にしてください」
 戦場では“銀の魔女”と恐れられ、人を寄せ付けないほどの美貌を持つ女性隊士である。薄い青の瞳は鋭く、氷のように冷たい。
 キュラソーはたじろぎ、子供のように言い訳をした。
「や、だってね。いくらやる気があるといっても、しょせんは貴族のご令嬢だよ? こんな血なまぐさい職場で生き残れる確率は低いし、生活していくだけでも大変だ。意地悪でもして無理やりにでも追い返した方が、本人と家族のため――」
「そのことを言っているのではありません」
 ぴしゃりと上司を黙らせてから、リシュエルはキュラソーの右手をとった。
「傷口が開いています。軍医から、絶対安静の指示がでていたはず。どうして無茶をなさるのですか」
「……」
 リシュエルは執務室の棚から消毒用の蒸留酒と予備の包帯を取り出すと、キュラソーにソファーに座るよう促した。
「リシュエル君、あのね? 軍医の話だと、確か、絶対安静じゃなくて、ただの安静だったような……」
「――手当をします。黙っていてください」
 リシュエルはキュラソーの隣に座ると、敵将に一騎打ちでも挑むかのような表情で、包帯の結び目を解きはじめた。
 それは、ふた月前の戦で受けた矢傷だった。手の平から甲まで貫通したもので、幸いなことに化膿もせず、今は塞がりかけている。
 とっさに顔を庇えたと、キュラソーは自慢気に話したものだ。もし手を出していなければ、ダン教官とお揃いになっていた。まあ、眼帯の軍団長というのも、迫力が出てよかったかもしれない。僕は、いまいち見栄えがよくないからね――そんな冗談を言ったキュラソーに、リシュエルは烈火のごとく怒りを爆発させた。
 それまでは何事に対しても冷静沈着で、感情というものを表したことがない女性隊士だったので、キュラソーは面喰い、思慮に欠けた発言だったと平謝りしたものである。
「あーいや、その……」
 黒髪の青年は困り切った顔で、
「ごめん」
 素直に頭を下げた。
 しばしの間、静かな時が流れていく。
「これで、とりあえず大丈夫でしょう」
 包帯の巻き過ぎで倍以上に膨れ上がった右手を見て、キュラソーは何とも言えない表情になった。剣術でも馬術でも、人並み外れた力量を見せる天才が、妙なところで不器用なことを、キュラソーは発見した。
「ありがとう。しばらくは自重するよ」
「いえ、こちらこそ出すぎたことを言いました」
「うん。それで、君への要件だけど。ふたつある。……まずは、これ」
 キュラソーは懐から一枚の封筒を出して、リシュエルに渡した。
「頼んでもいないのに、統制本部の“おばさま”がまとめてくれたよ。王立軍と貴族軍、複数の団長からだ。まあ、個別に対応するとかえって面倒だから、助かるんだけどね」
 手紙の内容は、リシュエルに対する、引き抜きの勧誘だった。
 ガーランド王国には、大きく分けて三種類の軍が存在する。もっとも規模が大きく資金も充実しているのが、王立軍。次いで、大貴族の私兵で構成される貴族軍。最後に、キュラソーやリシュエルが所属している地方軍だ。
 地方軍は辺境の駐屯地に配置され、軍団長以外は基本、民間の志願兵で構成されている。国に雇われているという意味では王立軍と変わりはないが、給金もその扱いも、遥かに格下の存在であった。
 地方軍のいち部隊長にすぎないリシュエルだが、近年の戦場での活躍や“星の騎士カード”の影響により、その名声は王都から地方都市にまで知れ渡っていた。キュラソーなど比較にもならないほどの有名人で、最近では他の軍団からの勧誘が絶えない。
 ただし、地方軍の人事権を握っているのは統制本部と呼ばれる部署の長であり、発言権の強い王立軍の上層部や大貴族たちでも、好き勝手に引き抜けるわけではなかった。もちろん、本人の強い希望があった場合は別である。
「ここまで大事になったのは、僕のせいもあるけれど、やはり君の実力によるところが大きい。中には、破格の条件のものもある。貴族軍の給金には、実質上限はないからね。こちらの言い値で雇ってくれるだろうし、王立軍ならば、間違いなく騎士に叙せられるだろう。今後の活躍次第では、貴族に取り立てられることも――」
「お断りします」
 ある程度予想していた答えだったので、キュラソーは驚かなかった。
「その件については、以前にも同じ回答を申し上げました」
「うん」
 頷きながら、困ったように癖のある黒髪をかき回す。
「あれは、たちのわるい侯爵家からの勧誘だった。君をコレクションとして、自分の周りにはべらせたいという意図が、目に見えていた。でも今回は比較的まともなやつが吟味されている」
 話しながら、銀髪の隊士の美貌にまた怒りのような表情が浮かぶのを察知したキュラソーは、先手を打って事情を説明した。
「普通こういった話は、上役同士、裏でこっそりやるものだ。人材の引き抜きなんて、掟破りもいいところだからね。それができないのは、縦割り横割り組織の弊害であり、恩恵でもある。それぞれの軍閥や、中央と地方の軋轢。人事権を握っている組織も複数あるし、その力関係は、組織の長によってころころ変わる。同じ目的を持った仲間なのに、手足が勝手にばらばらに動く。あるいは手足が重すぎて、動かせない。そんな感じか」
 説明するというよりは、周囲の状況を頭の中で整理しているという口調である。
「話を戻すと、こういった案件が、いくつもの組織を押し通して、直接僕のところまできたということは、トップの力関係によるところが大きい。具体的に言うと、統制本部の“おばさま”が、断りきれなくなった」
 キュラソーは幅の狭い肩をすくめた。
「で、その意図は。お願いだからリシュエルさん、あなた自身の言葉で、相手方にしっかり断ってくださいね、といったところかな」
「……」
「地方軍を管轄する統制本部としては、若くして実績のある君を、手放したいはずがないだろう? それこそ発言力の低下を招いてしまう」
 安心させるように言ってから、キュラソーはもうひとつ封筒を取り出した。それは先ほどブロッカから手渡された、統制本部からの命令書だった。
「そして。この命令書には、たぶんこう書かれている。次の定例防衛会議には、君を伴って出席しろってね」
 苦労して片手で封筒を開け、命令書の内容を確認する。
 それから得意げにリシュエルを見て、
「ほら、当たった」
 いたずらが成功した子供のように、キュラソーは笑った。
「少なくとも、君の意志を無視してことが運ぶことは、今のところないと思う。だから、しっかりと吟味して、それから回答しよう」
 そう言ってキュラソーは、リシュエルの肩を叩こうとしたが、包帯を気にして途中でその動きをとめた。
 リシュエルは手紙の束に落としていた視線を、キュラソーに向けた。
 明るい銀色の髪がさらりと揺れる。長いまつ毛に覆われた青の眼が、もの言いたげに潤み、桃色の唇が少し開いた。
「……わたしは、役に立っていますか?」
「うん?」
「ここにとって、あなたにとって、わたしは必要ですか?」
 常に完璧であり続けたリシュエルが、自分の心情を吐露することは珍しい。しかも、これまで見せたことのないような、不安げな表情だった。
 質問の意図を、キュラソーは頭の中で吟味した。通常、部下が悩みを抱えている場合、上司は真摯に話を聞き、自分なりの方向性を指し示すべきだ。分かりきったことでも、はっきりと言葉にして伝えなくてはならない時もある。例えばこの場合、「君が、必要だ」と。しかし、何やら不穏な空気を感じて、キュラソーは口ごもった。
「……リシュエル。君は、少し変ったね」
「どのように?」
「そうだなぁ」
 ちょっとだけ、我儘になった――そんな情緒の欠片もないことを口にしようとした直前、執務室の扉が叩かれて、
「や、キュラ兄さん、久し振り!」
 返事をする間もなく、元気な黒髪の女性が突入してきた。

     (5)

 数ヶ月ぶりに訪れた兄の仕事部屋は、暗褐色の絨毯と書類棚で囲まれており、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。相変わらずの几帳面で、調度品や書類がきっちり整理整頓されている。窓はひとつで、ぼやけた擦り硝子から柔らかな光が降り注いでいた。
 部屋の隅には古臭い仕事机。中央には木製のテーブルとソファーが三つ――そのひとつのソファーに、男女が寄り添うように座っていて、来客が覗きこんだ瞬間、男の方が苦い薬を飲み込んだかのように顔を歪めたのならば、これはもう誤解されても仕方のない状況だと、“放浪の画家”エルミナは思った。

「――え? わっ、なにそれ! まさかキュラ兄さん、リシュエルさんと、きゃー!」
 慌ただしく叫び、両手を意味もなく振り回すと、エルミナは勢いのままに扉を閉めて、退室した。
 数呼吸置いてから、再び扉を開いて、
「……もう平気?」
 騒がしい実妹――エルミナの登場に、キュラソーはため息をついた。
「二児の母になったというのに、相変わらず君は落ち着きがないな」
「落着きがないのは、兄さんの頭でしょ」
 剣術訓練の直後なので、キュラソーの黒髪はいつも以上にもっさりしていた。一方のエルミナもよく似た性質の黒髪だが、首の後ろでひとつに結んでいる。肌は日焼けしていて、化粧っ気がなく、好奇心剥き出しの活き活きとした表情だ。冒険家のような動きやすい服装で、背中には大きな袋を担いでいた。隙間から、材木のようなものが飛び出している。
「よっこらせと! うえー重かった」
 重い荷物を床の上に置くと、エルミナはひしゃげたような声を出して、肩をぐりぐり回した。
 リシュエルが立ち上がり、親愛の情を込めて微笑む。
「久しぶりです、エルミナ。元気そうでよかった」
「あ、リシュエルさん。わぁ……髪、伸ばしたんだ。これは一段とまた、う~ん、すごくなった。綺麗を通り越して、すごい! ね、キュラ兄さん。二人きりで何してたの?」
 無言のまま、キュラソーは包帯で巻かれた右手を振った。
「ちょっと、どうしたのそれ。また怪我したの?」
「大したことはないよ。剣も振れるし、文字だって書ける。それより、旦那さんと子供は元気かい?」
「うん。元気だけど、ここしばらく会ってないなぁ」
「よくそれで、家庭が保てるものだ」
 エルミナの夫は中央の役人で、真面目で大人しい男だった。子供は二人とも男の子。それぞれ三歳と一歳である。
「大切なのは、“信頼”と“約束”よ。あとは優秀な家政婦さん。キュラ兄さんも、結婚してみれば分かるわ」
 エルミナはキュラソーとリシュエルを交互に見て、意地悪く笑う。
「リシュエル君」
「は、はい」
「エルミナの戯言は、あまり気にしなくていいからね」
「……」
 キュラソーは苦労してソファーから立ち上がると、杖を手に仕事机へと向かう。引出しから一通の紙を取り出して、エルミナに差し出した。
「今回の滞在予定期間は?」
「う~ん、十日くらい欲しいかな。新しい構想もあるし」
「だめだ。五日以内に仕上げて、家に帰ること。理由は、旦那さんと甥っ子たちに申しわけないから」
「うっわ、きたない字」
 キュラソー直筆のそれは、軍団長から各隊士への命令書だった。内容は「重要な用件がない時には、極力エルミナの仕事に協力すること」というもの。
 エルミナは、放浪の画家である。絵画ではなく、版画の原画家。写実的ではなく、幻想的。いわゆる“デザイン画”と呼ばれる類のものだ。
 その主な題材は、地方軍の騎士や隊士たち。
 国を守るために雄々しく戦い、そして儚く散ってゆく彼らを、エルミナは巧みな描写で描き出す。周囲に建物や草花、太陽や月などの自然を背景に配置することにより、一風変わった世界観を表現した。完成した絵は、豪華な多色刷りの技術によって、一枚の札に生まれ変わる。
 それは、巷で“星の騎士カード”と呼ばれており、主に若い世代に爆発的な人気を誇っていた。
「僕は仕事があるから、今回は付き合えないけれど、問題ないかな?」
「うん。キュラ兄さんのカード、いまいち人気がないのよね。今回はやめておくわ。一番のお目当ては、リシュエルさんだし」
「人気が出てから頼んでも、遅いんだぞ」
 負け惜しみを言ってから、キュラソーはコツコツと杖をついて歩いていく。
「ああ、リシュエル。もうひとつの用件を忘れていた」
 執務室の扉を開けたところで振り向いて、
「カレンからの伝言だ。君の三代目の“相棒”が完成したらしいから、あとで鍛冶場に寄ってあげて」
「分かりました」
「今度は負けないとか、ぶつぶつ呟いていたけれど、何か勝負でもしているのかい?」
「……さあ」
 リシュエルはくすりと笑うと、
「作り手である彼女の中の独自の基準で、勝ち負けを判定しているようです。武具の強度や損耗の具合が関係しているようですが、詳しくは聞いていません」
「なるほど。そういった職人気質は大切だ。成果物の品質向上にもつながる。エルミナも見習うように」
「あら、人気絶頂の原画家に説教するつもり?」
 エルミナは頬を膨らませたが、キュラソーは取り合わず、ちょっと水浴びしてくると言い残して、執務室を出て行った。
「まったくもう、久し振りに妹が会いに来たっていうのに、つれないんだから。食事くらいご馳走しなさいよね」
 そう愚痴をこぼしてから、エルミナはふと表情を暗くする。
「……エルミナ?」
 不審に思ったリシュエルが声をかけると、エルミナは両腕を抱え込むようにして、俯いた。
「ねえ、リシュエルさん。キュラ兄さん、本当に大丈夫かな?」
「……」
 かすかに身体が震えている。
「足だって、全然良くなってないみたいだし、手の傷も、言うほど軽くはなさそう。利き手を怪我するってことは、命の危険もあったってことよね?」
 普段の溌剌とした声は影をひそめ、空想の影に怯える子供のように頼りなげに呟く。
「それに、前回の時もそうだった。何だかんだ理由をつけて、ここから追い返されて。そうしたら、すぐに戦が始まって……。ねえ、またなの? たった五日しか滞在できないほど、ここは今、危険な状態なの?」
 破天荒に明るく、調子がいいだけではない。エルミナの洞察力と芯の強さに、リシュエルは密かに瞠目した。
 確かに今、この砦はいつ戦が始まってもおかしくないほど緊迫した状況下にあった。情報班の早馬が毎日のように駆け巡り、敵駐屯地の視察や、後方の支援部隊との連絡のやりとりを繰り返している。
 勘の良いこの女性に嘘はつけないし、真実を告げたとしても、慰めにはならないだろう。リシュエルはそう判断し、やや突き放すように言った。
「それほど心配なのであれば、ついてくるといい」
「……え?」
「この荷物は、わたしが持とう」
 ひょいと、空の鞄でも扱うかのように、リシュエルは巨大な背負い袋を肩に担いだ。中には画材道具が満載されているのだが、一向に気にかける様子はなかった。
 リシュエルは執務室を出ると、その後は無言のまま長い廊下を歩いていく。階段を下り、幾つかの扉を開けて、外壁に沿った小さな空間へと出た。

     (6)

 そこは、何度もこの砦を訪れているエルミナも知らない区画だった。
 何かの焦げるような匂い。カチン、カチンと、鉄を打ちつけるような甲高い音が響いている。
「――カレン!」
 リシュエルの呼びかけに、鉄の音がぴたりと止まり、鉄の仮面と革の手袋をつけた小柄な女性が、のそりと振り返った。
 空気がうねり、熱風が巻き起こる。巨大な炉の中は、眩いばかりの黄金の輝きで満たされていた。周囲には用途のわからない金属の部品が散乱し、地面に打ち付けられた杭には、頑強そうな鎧兜が括り付けられていた。
 ここが、先ほど兄が言っていた鍛冶場なのだろう。エルミナは納得したものの、なぜ自分がここに連れてこられたのか、さっぱり分からなかった。
「遅いぞ、リシュエル。待ちわびた」
「カレン。紹介させて欲しい。わたしの友人の、エルミナだ」
「ど、どーも。突然お邪魔して、ごめんなさいね」
 赤茶けた髪は、炎で焙られたようにちぢれていて、無造作に結わえられていた。鉄の仮面の目の部分には透明な硝子がはめ込まれている。耳の部分にある留め具を捻ると、素顔があらわれた。
 それは、目つきの異様にわるい、そばかす顔の女の子だった。
 年のころは、おそらく十代の半ば過ぎ。額に赤褐色の星があった。七か八、それくらいの大きさだと、エルミナは目算した。
 鍛冶屋には何人か知り合いがいるが、ここまで若い女性は初めてである。
 困惑ぎみに手をひらひらさせていると、
「カレンだ。鍛冶屋」
 そう言って、赤毛の少女は不機嫌そうにそっぽを向いた。
「エルミナよ。放浪の画家」
「……む」
 興味を惹かれたのか、ちらりとこちらを見て、またそっぽを向く。
 からかいがいのありそうな子だが、さてどうしたものだろう。とりあえず様子を窺っていると、カレンは突然近くの小屋に走り去り、その中でがちゃがちゃと物音を立ててから、すぐさま戻ってきた。両手に抱えているのは、自身の身の丈を遥かに超える、巨大な斧。いや、槍? ……違う。
「――ハルバート?」
「知っているのか」
 少し意外そうに、カレンが眉根を上げる。
 エルミナは騎士や隊士たちの絵を描くことを生業としているため、武具についても多少の知識があった。
 一番目立つのは、三日月形の斧頭。反対側には、やや小振りの突起。そして先端には、鋭く尖った槍。通常、柄の部分は木製のはずだが、それはすべてが金属製だった。斧も槍も、通常のものよりも分厚く、大きい。
 突く、斬る、払う、引っかけるという動作をひとつの武器で行えるハルバートは、汎用性が高い半面、高度な技術と人並み外れた腕力が必要とされる、まさに熟練者用の武器だった。地方軍において主要な装備として認定されていないのは、突きだけに特化した単純な槍の方が、軽く、生産性も高く、圧倒的に扱いやすいためだ。
 リシュエルはエルミナの荷物を壁際に置くと、カレンから真新しい武器を受け取った。
「エルミナ、少し離れて。せっかくだから、わたしの力と技を見学していくといい」
 銀髪の隊士は、何気ない動作でぶんとハルバートを振った。
「――え?」
 何も見えず、風切りの音しか聞こえなかった。気づいた時には、ぴたりと構えが成立していた。 
 屈強な隊士たちの中では、かなり細身のリシュエルと、まるで冗談のように巨大で凶悪な斧槍。絵画として描いたならば、著しくバランスを欠く構成になるだろう。
「――ふっ」
 瞬間、大上段からのたたき割り。石畳を砕くかと思われたが、斧頭の先端は衝突する寸前で静止。
「シッ!」
 身体を捻りながらの横薙ぎ。かなり距離をとっていたエルミナだが、あまりの迫力に、思わず身を竦ませた。次いで足払い、下段からの突き上げ。柄の中央部分を支点に回転させながら、再度の横薙ぎ。
 動きの激しさが増し、風切りの音が甲高くなっていく。
 金属の反射が、目に突き刺さる。
 回転、薙ぎ払い、角度を変えた連続の突き――柄の先を地面に突き立て、軽く宙に舞い上がり、頭上からの振り下ろし。着地と同時に横薙ぎ。
 もはや人間業とは思えなかった。
 口元を押さえ驚愕を押し殺しているエルミナの隣で、カレンもまた、吊りあがった目を見開き、あんぐりと大口を開けている。
「シッ――シュッ!」
 いつしかエルミナは、目の前で繰り出されるその光景を、単純な事象として瞳に捉えていた。
 線と弧の軌跡。揺らぎ。
 明るい銀色。鈍い鉄色。
 風の振動。光の煌めき。
「――はっ!」
 気合いの声とともに斧頭が振り回され、傍にあった鎧兜に吸い込まれた。
 ずんと腹に響く轟音。次いで、びーんと鉄の柄が震える音。
 ハルバートを数回振り回し、再び最初の構えに戻ったところで、鎧が斜めに分離し、片方が地面に落ちた。ここが戦場だったならば、敵兵は悲鳴を上げることすらできず、絶命したことだろう。
「……あ、あれで、鉄を斬った。今まで、手加減――」
 絶望にも似た表情で、カレンが呻く。
 構えを解いてハルバートを肩にかつぐと、息ひとつ乱さずに、銀髪の隊士は宣言した。
「わたしが、守ろう」
 女性にしてはやや低目の、透き通るような凄烈な声。
 強い意志と確信を宿した青の眼が、まっすぐにエルミナを射抜いた。
「この腕とこの武器で、あなたの大切なものを守ろう」
「……あ」
「わたしの星にかけて、約束する」
「……リシュ、エル」
 無口で不器用なのか、自信家なのかは分からない。だが、しびれるくらいに素敵な女性であることは間違いなかった。並みの男など、相手にもならないだろう。
 エルミナの胸に熱いものが込み上げ、氷のような不安感をみるみる溶かしていく。
 一方で、芸術家としての感性が、逆の思考に働いた。
 ああ、このひとは――人知を超えた“なにか”を持っている。
 それは“使命”あるいは“宿命”と呼ぶべきものだろうか。
 兄にはわるいが、いつまでもこのような場所に留まる存在では、ないのかもしれない。
「ありがとう、リシュエルさん」
 感極まったような、どこか突き放されたような、複雑すぎる心境のエルミナの隣で、
「……うぐっ、次は、次こそは……絶対に、負けない」
 彼女の中の独自の基準で敗北したらしい作り手が、目に大粒の涙を溜めていた。

     (7)

 夕暮れ時になると、大食堂はにわかに活気づいてくる。二百人ほどが入室可能な巨大なフロアだが、もちろんすべての隊士が一度に入ることはできないので、時間帯を区切って利用することになる。
 料理人の多くは地元から雇用される。軍務上の安全を考え、生まれも育ちも確かな人物しか雇い入れることはできない。危険な駐屯地で働くことを希望する者は少なく、ゆえに慢性的な人手不足に陥っていた。
 パンに肉や野菜、豆のスープ、時おり果物――というのが定番メニューだ。深皿がひとつとスプーンとトレイ。それだけを手にした大食いの隊士たちが、大鍋の前に長蛇の列を作る。衛生面に関しては特に厳しい本隊長の意向により、食堂に入る前には手を洗うことが義務付けされていた。
 そして、今。普段賑やかな食堂は、不穏な静寂に包まれている。
 時期外れの新入見習い隊士の着任。しかも、中央貴族の令嬢であり、花も綻ぶ十六歳。おまけに大きな星を持つ金髪の美少女――とくれば、同僚となる見習い隊士だけでなく、噂を耳にした物見高い先輩隊士たちも駆けつけて、一種のお祭り騒ぎになった。
 しかし、皆の前に登場した少女は、壮絶な返り血を浴びており、充血した眼には生気がなかった。
 その異様な状況を理解していないのか、あるいは気にも留めていないのか、禿頭眼帯のダン教官は、テーブル席についた見習い隊士たちに「注目っ!」と怒鳴ると、ブロッカに挨拶するよう命じた。
 敬礼する手も、血まみれである。
「わ、わたしは……」
 固唾をのんで聞き入る聴衆の前で、ブロッカの手が震え、何かを思い出したかのように涙が堰を切った。
 ざわざわと、テーブルに動揺が走る。
「な、何だあの娘。血だらけじゃないか。怪我してんのか?」
「あー、いきなり泣いてる……」
「あいつ、手、洗ってねーし」
「――わたしはっ!」
 周囲の雑音を切り裂くように、ブロッカは一喝した。冷やかしに来た歴戦の隊士たちをもたじろかせる、凄惨な迫力があった。
「わたし、ブロッカ・ベルド・ベゼンは、リシュエルさまとともに戦うため、この地に来た! 額の星も、剣も、命も、そのすべてを、リシュエルさまに捧げる。絶対に、足手まといにはならない!」
 のっけから全速力である。
 通常、地方軍に志願する者は、家族を養なわなければならない貧困層や、協調性がなく行き場を失った田舎のならず者、さらには騎士を育成する兵科学校を卒業したものの、王立軍や貴族軍に入れなかった落ちこぼれたち――で構成されている。目的意識は低く、生活するために仕方なく志願し、運悪く前線の駐屯地に配属され、思い悩む者が大半だ。
 こういった自己紹介の場では「命を捨てにきました」とか「生き残るために馳せ参じました」などという自虐的な冗談を言って、笑いをとるものだが、ブロッカの宣言はあまりにも強烈で、真に迫りすぎていた。
「リシュエルさまに仕えるためならば、わたしは、どんな任務でも果たしてみせる。どんな生き物でも、殺めてみせる。わたしの邪魔をする者には、絶対に容赦はしない!」
 実際にはウサギを捌いていたことなど知る由もない隊士たちは、
「あ、あいつ、何を殺すつもりだよ」
「こえー。目が、本気だ」
「っていうか、もう、ひとり殺ってるんじゃねーの?」
 などと、好き勝手に想像し、恐れおののいている。
 一方、歓迎する心の準備をしていた見習い隊士たちは、あまりにも強烈な同僚の登場に、全員が沈黙した。唯一、言葉を交わしたことのあるカンテルさえも、どこかおびえたような表情で、ご馳走であるウサギ肉のシチューに視線を落としていた。
「よし、元気な挨拶だった。上出来だぞ、ブロッカ」
 ベン教官は満足げに頷いて、
「明日から、我々は生死をともにする仲間だ。仲良くするように」
 と、教え子たちを諭した。言動はまともそうに見えるが、状況が状況だけに、この教官も尋常ではない。
「それから、こいつは恒例の行事だが、ここに来た新人には、オレから素敵な“あだ名”をプレゼントすることになっている。正式な隊士になる前に、つまらん流れ矢で命を落とさないように――意地の悪い悪魔たちに名前を隠すための、一種のまじないだ。喜べ」
「……」
 欠片ほどの興味も示さず、ブロッカは正面を見つめている。
 ベン教官は逞しい腕を組み、片手を四角い顎に当てて考え込んでいたが、やがて、ほわっと双方の眉を上げた。
「“生き物殺し”っていうのは、どうだ。格好いいだろう?」
 周囲から「ありえねー」「本気でセンス腐ってんな、あの人」という罵声が上がる。彼らもまた、見習い時代にこの教官から奇妙なあだ名をつけられた被害者だった。
「よーし、決まりだ。“生き物殺し”――とりあえず、手を洗ってこい。それから着席して、食事だ。明日からは、楽しい訓練の日々が始まるぞぉ!」
 厭味ではなく、本気で楽しみにしている様子である。
 その後、ブロッカは身だしなみを整えて戻ってきたが、ウサギ肉のシチューを口に運ぶ時にえずいてしまい、またひと騒動起きた。
 同僚たちと打ち解けられないまま、しかし強烈な印象を残して、ブロッカの着任初日は終わりを告げた。
 小さいながらもひとり部屋を案内されると、荷物を下ろし、そのままベッドに倒れ込む。
 話に聞いていたよりも、ベッドのシーツは清潔で、寝心地はよかったのだが、彼女がそのことに気づいたのは、翌日の朝だった。

     (8)

 見習い隊士の人数は、七十四名。約一年間の訓練期間を経て、歩兵隊か騎兵隊に配属される。歩兵隊は、三個防衛中隊を軸に、輸送班、工作班、投石班、情報班、医療班などに分かれおり、その仕事は多種多様だ。
 ブロッカが目指すのは、もちろんリシュエル率いる騎兵隊である。五個騎兵中隊、約五百名。乗馬や集団戦の技能が必須となる、平地での戦いの専門集団だ。
 スローン駐屯地に所属する隊士の約半数が騎兵隊ということは、見習い隊士が騎兵隊に配属される確率も二分の一……とはならない。
 この砦では、一年間で攻防戦が三度もあり、歩兵隊の死傷者が多数発生していた。補充される新兵の割合も、歩兵隊に大きく割かれることになるだろう。しかも騎兵隊は人気が高いため、実力が伴わなければ、入隊することは難しい。
 ――というのが、第四班の班長であるラズーの分析だった。
「でも君は、王都の兵科学校を卒業してるんやろ? 騎士を目指す学校なら、騎兵隊になるための専門の訓練を受けているはず。これからの成績しだいやけど、希望がかなう可能性は、高いと思う」
「ね、ね、あなた。昨日、リシュエル隊長といっしょに歩いていたわよね。ひょっとして、知り合いなの?」
 噂話が好きらしいセアは、三人しかいない女性見習い隊士のひとり。十等星の“星持ち”である。
「いや、リシュエルさまとは、軍団長の執務室で偶然出会っただけだ。恐縮にも道案内をしていただいたのだが、緊張して、ほとんど話ができなかった」
「あー、わかる。あの人、別格だもの」
 セアはふっと吐息をついて、遠くを見つめる目になった。
「だって二十歳だよ。わたしたちとそんなに年も変わらないのに、騎兵隊の隊長だなんて。しかも、超絶美人で、現場からの叩き上げ」
「軍団長が抜擢したって話らしいな。年功序列っていうか、在籍年数を無視したから、当時はかなりもめたらしい。輸送班のカッシーさんが言ってた」
 こちらは事情通らしいダルズ。第四班の中では一番の年長で、十八歳である。
「くっそー。やっぱ騎兵隊はいいよなぁ。かっこいいし」
 小柄で坊主頭のマルコンが叫んだ。ずっと屈んでの作業が堪えたのか、先ほどから腰をひねったり手首を回したりしている。
「ちょっと“チビ丸”。いつまでもサボってないで、働きなさいよ!」
「……その名で、オレを呼ぶな」
 セアに叱られて、マルコンはげんなりとした顔になり、再び腰をおろして底の浅い水槽に手を入れた。水槽の中は石鹸水で満たされており、大量の制服が浸されている。
 今朝、大広場で行われた朝礼で、ブロッカが“見習い隊士第四班”に配属なることが発表された。班は七班まであり、それぞれが十名から十一名で構成されている。
 訓練は午後からで、午前中は各班ごとに割り振られた仕事をこなすことになっていた。本日の第四班の仕事は、山積みになっていた制服の洗濯である。
「おお、この制服。ユニル先輩のだ!」
 貴重な宝物を発見したかのように、女性用の制服を空にかざしたのは、ニキビ面のビニル。「女にモテるために、隊士を志望した」と公言しており、ダン教官から“エロニキビ”という歴代最低級のあだ名を頂戴した逸材である。
「なに? それはオレが洗う。よこせ」
「ふざけんな、ユニル先輩はオレのもんだ」
 マルコンが両手を構えてにじり寄り、ビニルは泡だらけの制服を抱きしめて防御する。
「……最低だ」
「あいつらに関わると、バカがうつるよ。気をつけてね」
 虫けらを見下すようなブロッカに、セアが苦笑気味に忠告する。
「誤解しないでくれよ、ブロッカ。うちの班のバカは、あの二人だけだ」
 皮肉屋らしいヴァラムがそう締めくくり、他の仲間たちから笑いが起こった。
 血まみれになって、泣きながら自己紹介をするという昨夜の醜態から、ブロッカは仲間たちと打ち解けるかどうか不安だった。最悪、孤立することになっても、自分ひとりの力で活路を見出してみせる。そんな決意を抱いていたのだが、少し拍子抜けだった。
 班長のラズーを始め、皆はブロッカに同情し、好意的だった。何でも、都会育ちで動物との触れ合いの少ない新人は、みなブロッカと同じ試練を与えられるという。発案者は、ぼさぼさ髪の軍団長とのこと。まったくもってろくなことをしない。
「でもね。ひょっとすると、リシュエル隊長の制服も、あるかもしれないよ」
「……え?」
 セアの言葉に、思わずブロッカは、自分が洗濯している制服の胸元を確認した。そこには隊士の個人認識番号が刺繍されていた。残念ながら、リシュエルのものかどうかは分からなかった。あの時、あの方の制服をしっかり確認しておけば――ブロッカは激しく後悔した。
「乾かしたあと、憧れの先輩の制服のポケットに手紙を入れて、想いを伝える……っていうのが、見習い隊士の、定番」
「そ、そうなのか?」
「ほら。わたしたち、仮にも兵士じゃない? いつ命を落とすか分からないし、そういうとこ、わりと必死なのよ」
 兵科学校での厳しい席次争い。派閥の露骨な勧誘や、嫉妬による嫌がらせ。自身の実力ではない実家の力量関係による交渉術。そんな中央貴族たちの陰湿な争いを経験してきたブロッカにとって、この砦の同僚たちの言動には、はっとさせられるものがあった。
 敵は国の外にいるというのに、兵科学校の生徒たちは、そんなものを見てはいなかった。彼らの最大の敵は、自分と同じ成績帯にいる仲間たちであり、彼らの関心事は、自分が所属するであろう集団と、それと敵対関係にある集団のことだけだった。
 だが、ここは違う。現実を受け入れ――あるいは諦めて、その中で協調し、生きていこうとする純然たる意志があった。
「どう、ブロッカ? わたし、他の班にも友達いるから、リシュエル隊長の制服見つけたら、教えてもらおうか?」
 昨夜の自己紹介で、ブロッカがリシュエルのことを崇拝していることを、すべての見習い隊士が知るところとなった。
 王都の兵科学校であれば、こういった一見親切な申し出も、罠である可能性が大である。だが、セアに限ってはそんなことはないだろう。出会ったばかりだが、ブロッカは確信することができた。
「ありがとう、セア。でもわたしは、自分の力でリシュエルさまの隣に立ってみせる。手紙よりも、直接口で伝えたい」
「……純粋ねぇ」
 洗い終えた制服をぱんと払うと、セアはどこまでも澄み切った青空を眩しそうに見上げた。

     (9)

 王都の兵科学校は、一年間の基礎訓練課程と二年間の技能訓練課程を経て、卒業となる。もっとも、文武両道が推奨されていることもあって、座学の講義も多い。
 最高の設備と装備、優秀な教官たちによって英才教育を施された生徒たちは、卒業後、より高度な知識や組織運用を学ぶため、王立軍の下部組織である士官大学に進学する。ここまでくれば、将来の幹部候補生だ。
 しかしブロッカは、目の前に用意された栄光の階段から飛び降りて、いち見習い隊士として、スローン駐屯所に赴任した。給金などの扱いは、他の見習い隊士たちと同等である。
 そんな彼女にとって、この砦での基礎訓練は、ひたすら泥臭いものだった。
 とにかく、力と持久力と忍耐力の向上が求められるのだ。
 重装備を身につけたまま、隊列を維持して歩く。走る。大きな石を腹に抱えて、防壁の上まで一気に駆け上がる。壁の上から狙った場所に石を落とす。荷台に水の入った樽を積み、目的地の場所まで運ぶ。そしてまた降ろす。
 兵科学校で学んだ剣技など、披露する機会は皆無だった。訓練用の剣を使うのは、永遠と繰り返される素振りの時のみ。あとは槍を構え、ひたすら突撃する。三人で一人を囲み、確実に仕留める。数名が囮になり、物陰に隠れた大人数で取り囲む。降参した敵を武装解除させ、素早く縛り上げる。
 そこには、一対一で個の優劣を競う美しさなど、欠片も存在しなかった。より確実に相手を仕留める、あるいは味方の被害を最小限にとどめる――ただそれだけを追求した行動だった。
 唯一の例外は、弓射の訓練だろう。最初は壁にかけられた的を撃つだけだが、いずれは防壁の上からの撃ち下し訓練も加わるという。
 三日もすると、ブロッカの全身は悲鳴を上げた。他の見習い隊士たちは、ブロッカより三か月ほど前に基礎訓練を開始しており、正直、ついていくのもやっとだった。情けないと落ち込んだものだが、ラズーに言わせると、
「別に遅れてるわけじゃないし、班の足手まといにもなっていない。最初の頃の俺らと比べたら、上出来の部類やろ」
 ということらしい。
 今までは、成績で決まる席次など興味はなかったが、これからは違う。自分の一挙一動が、夢の実現の成否に影響するのだ。辛い時にはリシュエルの神々しい姿を思い出し、ブロッカはひたすら全力で訓練に励んだ。
 そして、入隊五日目。初めての軽休暇日。
 午前中は仕事があるが、午後からは自由時間となる。今日の仕事内容は、調理場でマーサたちの指示を受け、根野菜でいっぱいになった籠を囲み、ひたすら皮を剥き続ける、という作業だった。面白味はないが、皆リラックスした雰囲気で談笑している。
「ね、ブロッカ。お昼から、何か予定はあるの?」
 慣れた手つきで芋の皮を剥きながら、セアが聞いてくる。
「いや、決まってはいないが、砦の中を散策しようかと思う。まだ内部構造を把握していないから」
「うん、うん。それなら……」
「あとは、もし弓射場が空いていたら、練習するつもりだ」
「――え?」
 完全に意表をつかれたように、セアが驚く。
「じ、自主練するの?」
「もちろんだ」
 疲れが溜まっているせいか、ブロッカの目の下にはうっすらと隈ができていた。それでも手は抜かない。不器用な手つきながら、真剣に野菜の皮を剥いている。
「ここの装備に慣れていないせいもあるが、少し勘が鈍ったような気がする。二割の確率で、的を外した」
「充分だと思うけれど」
「実戦では、ゆっくり狙いを定めている時間はない。敵も動くし、風も吹く。命中率はさらに下がる」
「……」
 あまりの生真面目さに絶句するセアに代わり、ラズーが訛りのある低い声で提言した。
「余計なお節介かもしれんけど、今日は休んだほうがええんやないかな? 生活環境も変わって、精神的にもまいってると思うし。訓練は、また明日から頑張ればいい」
 彼はど田舎の農家出身である。細身ながら筋肉質で、足腰が強い。弱音を吐かず、黙々と訓練をこなしていた。
「あ、ブッロカ。ちょっと皮厚く剥きすぎやで。もったいない」
「わ、分かった」
 ちなみに、六人兄弟の長男である。食べていくのが精いっぱいの極貧農家で、少ない給金から実家に仕送りをしており、若いながらも苦労の影がしのばれた。
「まあ、ラズーの言う通りよ。頑張り過ぎて体調壊したら、それこそ大変だし。ね、ここには日用品なんかを扱う売店もあるの。あとでいってみない?」
「……日用品?」
「だって、あなたの部屋、水差しくらいしかないじゃない」
 極力私物を持ち込まないこと、という注意を受けていたため、ブロッカは荷物を実家に置き去りにしたまま、ほとんど身体ひとつでスローン駐屯地にやってきた。例外は、兵科学校の寄宿舎で愛用していた真鍮製の水差しくらいである。
「別に、支給品でこと足りると思うが」
「――だめよ!」
 包丁の柄の部分を膝に打ち付けて、セアが断言する。
「こういう男くさい場所で生活していると、わたしたちは、気がつかないうちに大切なものを失っていくの。そう、手の中から砂が零れ落ちるように……」
 左手の指を開き、セアは宙をつかむような仕草をした。
「そして、一度失ったら、もう取り戻せない」
「……セア、話が見えないのだが」
「ここの女性隊士のことよ。男に混じって胡坐をかいて座り、葡萄酒を瓶ごとあおる。干し肉を歯で食いちぎる。髪はぱさぱさで枝毛だらけ。肌も荒れ放題で、化粧気はなし。笑い方も下品。女としての自覚を、完全に失ってるわ!」
「それは、聞き捨てならないな」
 話に割って入ったのは、ビニルである。ふんと嘲るように鼻で笑うと、集中して薄く薄く皮を剥いているラズーを押しのけた。
「お、おい。危ないやろ」
「ユニル先輩は違うぞ。あのひとは、まさに天使だ。この前、廊下ですれ違った時に敬礼したら、にっこりとほほ笑んでくれた」
「お疲れさまって言ってくれたよな。まだ耳に余韻が残ってるぜ」
 いつの間にか現れたマルコンが目を閉じ、うんうんと頷く。
「……他には?」
「へ?」
 セアがため息をつく。
「ユニルさんとシーラさん、それと、リシュエル隊長は認めるわ。他にはいる?」
「え、えーと。まだいるだろ、マルコン」
 しどろもどろになって、ビニルは相棒に助けを求める。
「まかせろ。衛生班のピラスガ先生だ」
「おお、そうだ。あの人は、胸がデカい」
「……最低だ」
「だから、バカがうつるって」
 ブロッカに注意して、セアは再びため息をつく。
「ピラスガさんは、非戦闘員よ。しかも、中央からの派遣隊士でしょ。ずっとここに住んでいるわけじゃないわ」
「じゃあ、給金担当のパリエドさんだ。あと、結婚してるけど、料理人のホランさんも女らしいぞ」
「隊士ですらないわね」
 意見が出尽くされたのを待って、セアは結論づけた。
「この砦の女性隊士は、約五十人。まだ全員を見たわけじゃないけれど、自分が女性であることを忘れてしまっている人が、大半だと思う。でも、それじゃあダメなの、ブロッカ」
 セアは包丁を籠の中の野菜に突き刺すと、自由になった両手でブロッカの肩を押さえた。
「ここの売店には、石鹸や香水も売ってるわ。ちょっと値は張るけれど、注文をすれば、化粧品だって取り寄せてくれる」
「揚げた豆も売ってるよな」
「干した芋もうまいぜ」
「あ、あんたら……」
 頷き合うビニルとマルコンに対し、セアは額に青筋を立て、いきなりどすの利いた声で怒鳴った。
「いい加減にしないと、股間についた貧相なヤツを、蹴り上げるわよ!」
「――セ、セア」
 自分の持論を破壊するような台詞を口走り、セアはどんと床を踏み鳴らした。
「こ、こえー」
「逃げろっ」
「ちょっと待ちなさい、この根性なし。それでもあんたら、ついてんのか!」
 調理場を逃げ回る二人を、髪を振り乱しながらセアが追いかける。ブロッカは額を押さえて俯いた。他の班のメンバーもはやし立て、大きな笑い声が上がった。
 そんな中、ひとり丁寧に野菜の皮を剥き続けていた班長は、誰に聞かせるわけでもなく、ぼそぼそと呟いていた。
「俺はぁ……やっぱ、よく働く女がきれいやと思う。畑仕事とかして汗を拭く姿とか、最高やし。化粧なんかせんでも、いつも笑顔なら家族は明るくなる。どんなに貧乏でも、夫婦が一生懸命働いて……」

     (10)

 まったく、頭が痛くなりそうだ。
 品行方正な態度でありながら、言動の不一致が激しく、陰湿な圧力と猜疑心が渦巻く油断のならない静かな戦場――それが、これまでブロッカが経験してきた、貴族たちの社交場であった。
 一方で、こういう世界なのだと割り切ってしまえば、事前に心理的な予防措置もとれたし、相手に敵意がないことを証明し、攻撃の矛先を逸らすこともできた。
 だが、いわゆる一般庶民の交友というものは、予測がつかず、あけすけで、生真面目なブロッカをとことん混乱させた。
 相手をからかったり、声を荒げたりするのは、禁忌ではなかったのか。男性は女性に対して傅くほど礼儀正しく、女性は男性に対して優雅で慎ましくあるべきではなかったのか。
「こらぁ、第四班っ。何を遊んどるか!」
 調理場での馬鹿騒ぎは、ダン教官が現れたことで、一気に収束した。
 “チビ丸“と“エロニキビ“の頭に鉄拳が落とされ、“カミナリ女”ことセアは、限界まで頬をつねられた。何も悪いことをしていないはずの“農兵”は、班長としての監督責任があるとして、怒鳴られた。
「それから“生き物殺し”」
「――はっ」
 とんでもない呼び名だが、ブロッカは反射的に立ち上がり、敬礼した。
「お前にお客さんだ。この駐屯地……いや、地方軍に多大な貢献をされている方だから、粗相のないようにな」
「了解しました」
 客人は鍛冶場で待っているという。
 まだ着任して五日しか経っていない自分に来客? しかも、地方軍に貢献をするような人物? 軍の上層部だろうか。しかし、そんな知人などいないはずだが……。内心首を傾げながらも、セアから鍛冶場の場所を聞き、急いで向かった。
 この砦に雇われ鍛冶屋がいるという話は聞いていたが、実際に会うのは初めてだった。十代半ばくらいの赤毛の少女で、ブロッカに次ぐ七等星の“星持ち”とのことである。
 真摯な表情で一心に鉄を叩いている姿を想像したのだが、違った。
 屋外に出された椅子に行儀よく座り、少女は居心地悪そうにしていた。赤茶けたちぢれ髪と、額には褐色の星。目つきの悪い三白眼を無理やり細めて、頬を引きつらせながら笑っている。いや、あれは笑顔といえるのだろうか。
「ほら、そわそわ動かないの。モデル代で新しい手袋、買うんでしょ?」
「……ぐっ。わ、分かった」
 そんな彼女の正面でスケッチブックにペンを走らせているのは、癖のある黒髪を後ろで束ねた女性だった。通常、デッサンには木炭を使うものだが、金属製のペンにインクで描いているようだ。集中しているのか、近づいてくるブロッカの足音にも気づいていない。
 仕方がないので、こちらから声をかけることにした。
「見習い隊士のブロッカです。お客さまがお待ちということで、参りました」
「……ん?」
 黒髪の女性はブロッカの方を振り返ると、にっこり笑い、
「あ、きたきた。ごめん! ちょっとだけ待っててねー」
 そう言って、再びペンを動かした。
 この女性とは、会ったことがある。ヴァレンの宿舎からスローン駐屯所へ向かう途中、荷馬車で偶然乗り合わせた女性だ。自分の職業を“放浪の画家”と紹介して、ブロッカのことをあれこれ聞いてきた。名前は、確か……。
 黒髪の女性――エルミナは、ペンを持った手で頭をぽりぽり掻いてから、やがて、残念そうに吐息をついた。
「ダメね。これはボツ」
「――なっ」
 驚いたのは赤毛の少女である。椅子から立ち上がると、目を吊り上げ、歯をむき出しにして抗議した。
「せっかく、じっとしていたのに!」
「んー。職人さんって、やっぱり、自分のねぐらじゃないと、からきしダメなのよね。内弁慶ってやつ?」
「何を言っている」
「あなたは、熱い鉄を叩いているときが一番きれいだってこと」
「……っ」
 驚きのあまり言葉を失う少女をよそに、エルミナはポケットの中から銀貨を一枚取り出して、赤毛の少女に渡した。
「はい。ご苦労さま、カレンちゃん。おかげでいい絵がいっぱい描けたわ」
「……も、もう、やらないからなっ」
 どうやらモデルの仕事は終わったらしい。顔を真っ赤にしながら銀貨を受け取り、逃げるように去っていく赤毛の少女に、エルミナはひらひらと手を振った。
「――さて、と」
 それからブロッカの方に向き直る。
「わたしのこと、覚えてるかしら?」
「エルミナさん、ですね。いつぞやの馬車では、お世話になりました」
「んー、どっちかっていうと、お世話になったのはわたしの方かな? 根掘り葉掘り聞いちゃって、ごめんなさいね」
「……いえ」
 馬車で自己紹介をした時は、二児の母ということだったが、雰囲気や出で立ちからは、家庭的な匂いをまるで感じなかった。どこかつかみどころのない、正直、自分の苦手な部類のタイプだった。
「それで、わたしにご用とは何でしょうか? わたしは、モデルやお金に興味はありませんが」
「勘がいいわねぇ。でも……」
 警戒気味に聞くブロッカに、エルミナは苦笑しつつ、懐から一枚の紙を取り出して、ブロッカの前で広げてみせた。
「これは業務命令なのよ、見習い隊士さん」
「……」
 どこかで見たことのある、子供の落書きのような汚い字。
「命令書?」
「そう。この砦の責任者、キュラソー団長の直筆よ。ちょっと読みづらいけれど、出来る限りわたしに協力するようにって書いてあるの」
「あなたは、いったい?」
「へっへっへー」
 これまで耳にしたことのない、わざとらしい笑い声である。エルミナは命令書を懐にしまうと、今度はスケッチブックのページを捲った。ブロッカの反応をちらりと伺い、それから宝物を自慢する少年のような顔で、
「じゃじゃーん。どうだ!」
 と、これまた初めて耳にする効果音を口にした。
 突き出されたスケッチブックに、一瞬ブロッカは戸惑い、それから――鮮やかな色彩で描かれている人物を、穴が開くほど凝視した。
 そこには、ブロッカが敬愛してやまない銀髪の騎兵隊長が、ぞっとするほど美しい笑みを浮かべていたのである。

     (11)

「“星の騎士カード”の、原画を――あなたがっ!」
 雑多な鍛冶場でモデル役になるというよく分からない状況の中、ブロッカは思わず椅子から立ち上がってしまった。
「はい、着席。あんまり動かないでね」
「は、はい」
 言われるままに腰を下ろしたが、動揺は覚めやらない。
 “星の騎士カード”
 それは、ブロッカが自らの人生の目標を定め、将来を決定づける要因となった、空前絶後の売上枚数を誇る多色刷りのカードだった。
 記念すべき“第一弾”の発表は、今から約六年前。王都の市場にひっそりと陳列されたそのカードは、黒塗りの小さな木製のカードケースに入っており、手に入れるまで中身を判別することはできなかった。
 カード単体で購入できるものではなく、市場で一定金額の買い物をした者に、抽選という形で配られたのだ。
 描かれた地方軍の騎士、隊士の数は、たったの七名。その中のひとりに、当時十四歳になったばかりのリシュエルがいたのである。
 描かれていた銀髪の少女は、今とは違い、うなじが見えるほど髪が短く、前髪もティアラにかかっていなかった。少年とも少女ともつかぬ中性的な顔立ちで、光が差し込む空を物憂い気に見上げ、細身の剣をかざしている姿は、物語に出てくる英雄のように神々しかった。
 カードの下の方には、対象者の名前や簡単な経歴の紹介が、白抜きの文字で掲載されていた。
『リシュエル騎兵隊士。驚くべきことにこの銀髪碧眼の少女は、四等星ともいわれる巨星を額に宿した女性隊士である。華奢な身体つきながら、その斬撃の凄まじさは、歴戦の隊士たちを遥かに凌ぐ。地方軍では史上最年少の騎兵隊士。最前線である“スローン駐屯地”の第一騎兵中隊に所属しており、今後の活躍が期待される』
 たちまちのうちに“星の騎士カード”は、爆発的な人気を呼ぶこととなった。
 カード欲しさに無理やり市場で買い物をする客が溢れ返り、カードが品切れになった時には、暴動寸前の状態にまで陥ったという。
 ブロッカが“星の騎士カード”の存在を知ったのは、それから二年後。カードも景品ではなく、商品として販売されるようになっていた。小さな頃から身体を動かすことが大好きで、父親からお遊び程度に剣術の指南を受けていたブロッカは、十二歳の誕生日の時に、父親が競売で手に入れてきた“星の騎士カード”をプレゼントされたのである。
 当時、すでに希少価値の高かった、第一弾の“完全収拾カードセット”であった。
 その時の感動を、ブロッカは今でも忘れたことはない。
 昼夜を問わず、一日中カードを見つめては溜息をつき、勇ましい騎兵隊が戦場を勇敢に突き進んでいく光景を想像した。特に心を鷲掴みにされたのは、やはりリシュエルのカードだった。自分もこういう人物になりたい。いや、絶対になれないだろう。だた、この人の後ろに続き、あるいは肩を並べて、どこまでも続く平原を一緒に駆け抜けてみたい。
 憧れは行動力に力を与えた。ほどなくしてブロッカは、王都にある兵科学校の入学を両親に希望したのである。
 その、人生の一大転機となった“星の騎士カード”の原画を、この女性が描いたというのか。
「あの、エルミナさん!」
「なぁに?」
 感動のあまり目を輝かせるブロッカに、エルミナは嬉しいような、どこかくすぐったいような表情を浮かべた。
「あなたに会えて、とても光栄です。わたしは、あなたの描いたリシュエルさまの絵に魅せられて、隊士になることを決意しました」
「……」
 スケッチブックに走らせるペンを止めると、エルミナはブロッカの顔を観察した。
「あなたの髪型、昔のリシュエルさんそっくりね。顔立ちも端整だし、雰囲気も……少しだけ似てるかしら」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。あなたほど感情豊かではなかったけれど。純粋で、真っ直ぐなところが、ね」
 言動にどこか子供っぽさのある画家だったが、絵を描いている時の表情は真剣で、大人びていた。
 リシュエルのことを知る人物が、目の前にいる。ブロッカは心に渦巻く衝動を、抑えることができなかった。
「わたしは、リシュエルさまのことを、もっと知りたいのです。ここに来て、一度だけお会いする機会がありましたが、ほとんど話をすることができませんでした。お願いします、エルミナさん。あの方のことを、教えていただけませんか?」
 エルミナは少し首を傾けると、瞳をすっと固定した。
「……とってもいい表情。あなた、本当にリシュエルさんのこと、好きなのね」
 一瞬の煌めきを焼きつけるかのように、凄まじい速度でペンを走らせながらも、エルミナはどこかのんびりとした口調で応えた。
「個人的なことはあまり話せないけれど、いくつかのエピソードならいいかな」
「ぜひ、お願いします」
 今では有名人のリシュエルだが、無名の少女時代のことを知っている人物は少ない。このような機会は滅多にないだろう。一言一句をも聞き逃すまいと、ブロッカは最大限に集中した。
 早くも一枚目を書き終えたのか、エルミナはスケッチブックのページを捲った。
「そうね。わたしが、初めて出会った時のリシュエルさんは、まだ見習い隊士ですらなくて……」
 話しながら立ち位置を変えると、今度は斜めの角度からブロッカを描き出す。
「はちまきをしていたわ」
「……え?」
 あまりにも意外な言葉に、ブロッカは言葉を失った。
「布に皮を縫いつけただけの、やぼったいはちまきだった。本人は無関心だったけれど、わたしは密かに怒りを覚えたわ。極上の素材なのに、何てもったいないことするのって。もちろん、本人には言えなかったけれど……」
 思わずブロッカは、頭の中にその姿を思い浮かべていた。悪くはないと思うのだが、やはりあの古風な銀のティアラには敵わないだろう
「それからしばらくして、リシュエルさんは見習い隊士になり、ほんの二か月ほどで騎兵隊士になっちゃった」
「に、二か月? たったの!」
「うん。実力の差がありすぎて、他の見習い隊士たちに影響が出るからだって、ダンさんが言ってたわ。――あっこれ、他の人には内緒ね」
「はぁ……」
 何とも想像を絶する話である。
「その頃には、リシュエルさんはもうあのティアラを身に付けていた。どこかで見たことあるなって思ったら」
 ペンをくるりと回して、エルミナはにやりと笑う。
「なんと――うちのお婆さまのティアラだったの」
「……!」
「今となってはデザインも古いし、透かし彫りでもないし、女性が社交場で身につけるには厳しい装飾品だけど、地味はずのあの銀のティアラが、リシュエルさんには驚くほど似合っていた。調和ってやつかしらね? どうしたのそれって聞いたら、キュラソー団長からいただいたって。珍しく、照れくさそうに喜んでたわ。あー、かわいかったなぁ、あの時のリシュエルさんは」
 ――ちょっと待って欲しい。
 聞き捨てならない人名が飛び交ったような気がする。
 当時のリシュエルの姿を思い出したのか、何故か身もだえしているエルミナに、ブロッカは疑問を投げかけた。
「なぜ、あなたのお婆さまのティアラが、その、キュラソー団長からリシュエルさまに?」
「なぜって、それは……」
 エルミナはきょとんした顔になり、何度か首を傾げて、それから得心がいったように笑った。
「えーと、ね。キュラソー団長は、わたしのお兄さん」
「……」
「わたし、ここの責任者の妹なの。言ってなかったかしら?」
 まったくの初耳だった。

     (12)

 放浪の画家エルミナは、明るい口調でしゃべりながらも、驚くべき速さで何枚もの下絵を仕上げ、最後に絵具を油で固めたペンで色付けして、出来上がりを見せてくれた。
 “星の騎士カード”に登場する人物だ。台紙の大きさは違うが、ひと目見ただけでブロッカには分かった。感動ものである。
 エルミナの描く人物像は、その表情や仕草、背景などで物語を演出する。たとえば、第一弾のリシュエルは、聖堂のような場所に立ち、もの憂い気な表情で光輝く頭上を見上げていた。そこには、戦いの中に身を置く少女の儚さと美しさ、そして今後起こりうる悲劇の予感さえ暗示されているように思えた。
 豪快な隊士には、強力な装備品と気合いの入った構え。背景には勢い良く渦巻く砂煙や炎を。冷静な騎士には、その内面を滲ませるような微笑と、静かな立ち姿。背景には透明感のある月や草花を。それぞれの印象を強調させ、見る者に分かりやすく表現したことも、“星の騎士カード”が爆発的な人気を勝ち得た要因のひとつだろう。
「……でもまあ、今思えば、キュラ兄さんがリシュエルさんにあのティアラを渡したのも、“星の騎士カード”のためかもしれないわね」
「どういうことですか?」
 集中して描いたため少し疲れたのか、エルミナは肩をもみしだきながら、さらりと爆弾発言を漏らした。
「もともと、あのカードを売り出そうと考えたのは、キュラ兄さんだから」
 この女性は何度自分を驚かせば気が済むのだろうか。二の句を告げられずに絶句したブロッカだが、エルミナは特に気にする素振りもみせず、仕上がった絵を満足げにチェックしている。
 頭の中で情報を整理しつつ、ブロッカは慎重に発言した。
「キュラソー団長が、“星の騎士カード”の発案者ということですか?」
「そう。だって、当時のわたしは無名だったし、ここ以外にはコネもないし、駐屯地にいる騎士さまや隊士さんの姿を描かせてもらえるわけないじゃない? 勝手に交渉して売り出したんじゃ、罪に問われちゃう」
 それは納得のできる理由だった。王立軍、貴族軍、地方軍とその種類は違えど、軍の内部機密に関する要件には、かなり厳しい制約を科せられるのが通例だった。所属する騎士や隊士たちの経歴や肖像画を版画絵にして広く売り捌くとなれば、敵国に対してどのような影響が働くか分からない。
「今さらかもしれませんが。よく、軍に認められましたね」
「キュラ兄さんが、かなりしつこく上層部にかけあったみたい。地方軍じゃなかったら、たぶん認められなかったでしょうね」
「王立軍や貴族軍では、無理だったと?」
 ブロッカの問いに、エルミナはさもおかしそうに笑った。
「だって、あそこはお金持ちだから。でも、今では地方軍の方が人気出ちゃったから悔しいみたいで、かなり引き合いがあるわよ。信じられないくらい偉い人からも、“星の騎士カード”に王立軍や貴族軍の上級騎士――つまり、自分たちを登場させろってね。……まあ、今は忙しいからって嘘をついて、断ってるけれど」
「依頼があるのに、断るのですか?」
「だってあの人たち、好きじゃないのよ。なんていうか、馬鹿だし、偉そうだし、礼儀も知らないし」
 栄光ある王立軍や貴族軍に対して、これほどまでに悪しざまな意見を述べる人物を、ブロッカは初めて見た。
「ま、今はやる気はないけれど。お金がいっぱい入るなら、キュラ兄さんがやれって言うかもね」
「お金、ですか……」
「そう。リシュエルさんを第一弾のモデルに抜擢したのも、“星の騎士カード”を売り出すため。はちまきをティアラに変えたのも、肖像画の印象を少しでも良くするため、じゃないかしら?」
 つまり、あの意地悪な黒髪の団長は、自分の役職と権限を利用して、金儲けを企んだということか。上司からの命令となれば、リシュエルさまも簡単に断ることはできない。そして、何も知らない少女時代の自分は、その悪徳商法にまんまと引っかかり、大金を叩いて“星の騎士カード”を集めまくった、というわけだ。
 純真なはずの夢を穢されたような気がして、ブロッカは不機嫌そうに黙り込んだ。
 リシュエルさまに対する自分の忠誠心は本物だ。例えそのきっかけが、ただの商売の道具だったとしても、価値が下がるわけではない。しかしブロッカは、何やら釈然としない気持ちでエルミナを問い詰めた。
「あなたも、お金が目的だったのですか?」
 エルミナは特に怒ることもなく、ふーむと考え込んだ。
「わたしは、今まで特にお金に困った生活をしてはこなかった。あなたもそうじゃないかしら?」
「はい。そうだと、思います」
「だから幸いなことに、積極的にお金を稼ごうとは考えなかった。自分がやりたいことして、それが許されているのだから、充分に幸せ」
 自分も同じではないかとブロッカは自問した。今の自分は実家の援助がなくても、贅沢さえしなければ、自分の給金だけで生活することができる。それでリシュエルさまの傍にいられるのだから、それだけ満足だった。
「それは、キュラ兄さん――あなたたちの団長も、きっと同じよ」
「……え? し、しかし。現にリシュエルさまを利用して、星のカードで莫大な利益を得ているのでは?」
「そうね。でも、お金を稼ぐことは手段でしかない。目的は他にあるの」
 そう言ってエルミナは、今は火の入っていない鍛冶場の炉を指差した。
「ここみたいな前線の駐屯地に、こんなに立派な鍛冶場があるのって、けっこう珍しいのよ。カレンちゃんに聞いたら、半年くらい前に完成したばかりだって」
「そう、なのですか」
 残念ながらその辺りの事情は詳しくないので、ブロッカは曖昧に頷くしかない。
「私は、昔から駐屯地を巡ってきたけれど、ここはずいぶん環境が良くなったと思うわ。清掃は行き届いているし、ベッドはやわらかいし、シーツも清潔。食事も、全員に果物が出るなんて、五年前には考えられなかった」
 王都の兵科学校にいたときに、ブロッカは辺境の駐屯地の生活環境について、情報収集をしたことがあった。その結果は散々たるものだった。簡単に表現するならば、「食事はまずい、ベッドは硬い、とにかく汚い」である。ブロッカ自身、かなりの覚悟をもって着任したわけだが、幸いなことにここでの食事や寝心地について悩んだことはなかった。
「地方軍は他の軍と比べて、極端に予算が少ないから、細かいところまで手が回らない。予算の増額を要求しても、そんなもの通るはずがない。だから、自分で稼いで生活環境を良くしようって、キュラ兄さんが提案したの。“星の騎士カード”の販売が地方軍で認められたのも、そういった経緯があったからよ。なんでも、予算っていうのは、あらかじめ目的が決められているもので、自由には使えないんだって。でも、“星の騎士カード”の収益の大半は、地方軍の駐屯地に回されて、それぞれの事情にあった用途で、自由に使うことができる」
「……」
 話の流れが予想外の方向に進み、ブロッカはまたしても言葉を失った。
「そうじゃないと、いくら“星の騎士カード”になるからって、みんなが喜んで協力してくれるはずがないわ」
 ブロッカはベン教官の言葉を思い出していた。地方軍に多大なる貢献をした方だから――それは、地方軍の騎士や隊士たちを有名にしたことではない。数年間に渡り、その運営を支える手助けをしてくれた重要人物ということなのだ。
「……もうしわけ、ありませんでした」
 自分が浅はかだったと、ブロッカは素直に過ちを認めた。自分に夢を与えてくれた人に対して、金儲けのために絵を描いたのかと聞いてしまった。知らなかったとはいえ、許されることではない。
「なにあやまってるんだか」
 からかうように言って、エルミナはブロッカの傍に歩み寄り、それから母親が子供を褒めるように、その短い金髪を撫でた。
「あなたは、思い込みがちょっと強いみたいだけど、素直な娘ね。きっと、リシュエルさんみたいな、すてきな隊士になれるわ」
「……」
 嬉しさと恥ずかしさで思わず瞳を潤ませたブロッカだが、遠くから人の声が聞こえたので、あわてて取り繕った。
「あーいたいた、ブロッカ!」
 やってきたのはセアだった。その他にもラズー、マルコン、ビニルなど、第四班の面々が勢ぞろいである。
「もうすぐ食事だからみんなで呼びに来たんだけど、ブロッカのお客さまが、“星の騎士カード”の作者さんだって聞いたから」
 もちろん、ブロッカの隣にいるエルミナには、みんな気づいている。
「ひょっとして、あなたが……」
「そう。放浪の画家、エルミナよ」
 自慢気に両手を腰に当て、白い歯を見せるエルミナ。
「す、すげーっ!」
「お姉さん、はじめまして。ビニルです」
 遠慮なくエルミナを取り囲む同僚たちに、ブロッカは顔を真っ赤にして怒る。
「こ、こら。お客さまに失礼だろう。ビニル、マルコン、離れろ」
「ま、いいんじゃない?」
「エルミナさん!」
 程度の差はあれ、“星の騎士カード”は見習い隊士たちにとって、憧れの存在なのである。
「あの、エルミナさん。ひょっとして、ブロッカをモデルに?」
 セアの問いかけに、エルミナが鷹揚に頷く。
「そうよ。“星の見習い隊士シリーズ”作ろうかと思って」
「ええっ!」
 これに驚いたのはブロッカである。
「あれ? 言わなかったかしら」
「き、聞いてません」
 その後、他の見習い隊士たちは、厚かましくも次々と自分たちを売り込んでいき、ブロッカは恥ずかしさのあまり口も利けなくなった。
 ただひとりだけ冷静なラズーが、困ったように質問する。
「なあ、みんな。“星の騎士カード”って、なんや? 教えてくれ」
 マルコンとセアが仰天する。
「ちょ、貧乏人は黙ってろよ!」
「ほんと、信じられない。あの、わたしセアっていいます。ブロッカとは同じ班で……小さい頃から、カード集めてました」
「そう、ありがと」
「それで、モデルの件なんですが……」
「こら、カミナリ女、抜けがけすんじゃねー」
「なによ、あんたみたいなイガクリ頭、人気出るわけないでしょ!」
「お姉さん、みんなで一緒にお食事をしませんか? ここのスープは、絶品ですよ」
「――おおっ」
 気取った態度で一礼するビニルに、珍しくみなが賛同した。
「そうね。みんなの話も聞きたいし、行きましょうか」
 エルミナの言葉に大きな歓声が上がる。
 ぞろぞろと移動し始めた一団から、ブロッカだけが取り残されてしまった。突然現れて去っていく嵐のような状況に、精神がついていかなかったのだ。
「おーい、ブロッカ。早くおいでよ!」
 手を振るセアにはっと我に返り、
「い、今、行く――」
 仲間たちに遅れまいと、ブロッカは全力で追いかけていった。

星騎士列伝 第一章

星騎士列伝 第一章

戦いの最前線。“あの方”に出会うため、見習い隊士ブロッカは、“スローン駐屯地”に着任した。そこで偶然にも”ティアラの騎士”リシュエルと運命の出会いを果たす。リシュエルに案内されて本隊長であるキュラソーに挨拶をしたブロッカだが、まったく相手にされず、「ウサギを捌く」という試練を課せられてしまう。一方、キュラソーの妹エルミナもスローン駐屯地を訪問していた。彼女は“放浪の画家”であり、騎士や隊士たちを題材にした“星の騎士カード”の原画を描いていた。試練を無事やりとげたブロッカは、ようやく見習い隊士としての訓練を受けるようになる。“第四班”の仲間たちはみな好意的に受け入れてくた。様々な人たちとの出会い戸惑いながらも、ブロッカは夢の実現に向けて一歩を踏み出すのであった。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-05

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