拓海

「いいね、拓海には夢があって」
拓海は、スケッチブックから顔を上げない。もちろん、鉛筆を持つその手も、動きを止めない。
「あたしは、何をするために生まれてきたのかな」
限のいいところまで書き終わったのか、拓海がやっと顔を上げた。
「どうして?」
「それは、どっちの発言に対しての『どうして?』ですかー?」
茶化すように私が言うと、拓海はくすっと笑って、また視線を手元に落とした。
「どっちも。どうして僕をうらやましがるのか分からないし、自分の生まれてきた意味が分からないって、桃子が言う根拠も分からない」
机の上で体育座りをしながら、私は考えた。
「拓海は、絵を描くでしょう。美大に行きたいって言うし、あたしよりも明確だよ」
「明確ねえ・・・」
拓海が繰り返した。
「うん。でも、あたしはよくわからない。得意なものもないし、趣味って言ったら音楽を聴くことぐらいだし。全然、あたしっていう人間がわからない」
こん、こん、と机を指先で叩く。
木の机は冷たくないけど、なんだか生々しい。どこかが。
「モデルは動かないで」
「・・・はあい」
言われたとおり、私は姿勢を戻す。
「でもあたしは欲張りだから、明るい未来が欲しいよ。そんなもの、想像もできないのに。自分の将来なんて、想像できる?」
拓海のほうに顔を向けると、窓からの西日が思い切り当たった。
眩しくて、私は顔をしかめた。
「思い浮かべるのは難しいね。だって、それは桃子に分からないように、僕にも分からないから。魔法使いじゃないもんな」
そう言って、拓海は傍らに置いていたペットボトルから麦茶を口に含んだ。
その白い喉が嚥下して、私は拓海の次の言葉を待った。
「でも、桃子がそう願うなら、明るい未来ってヤツも来るんじゃないかな」
「それは・・・綺麗事じゃない?」
「いいと思うよ、それでも」
なんだか、私はその返事が不満で、拓海から目線を外した。
自分の足元を見つめて、
「拓海ってそういう考え方する人だっけ」
と呟いた。
拓海は私に優しい笑顔―見ていたわけじゃないけど、私には分かった―を向けて、私に訊いた。
「偽善者っぽい?」
そうじゃない―そう言いたかったけど、それは当たりだった。
だから私は、
「そうかも・・・しれない」
と、歯切れ悪く言うしかなかった。

しばらく、とても居心地の悪い沈黙が続いた。

不意に名前を呼ばれた。
「何?」
「桃子は、自分のことが分からないって言うけど、ちゃんと自分に形を与えてあげた?」
私は、拓海の発言の意図を、分かりかねた。
「かた・・・ち?」
拓海は、鉛筆を動かしながら、続ける。
「存在意義ってさ、最初からセットで生まれてきた人もいるかもしれないけど、やっぱり後付けだと思うんだよね。何度も自分を見失いそうになりながら、何度も自分に問いかけながら、少しずつ、自分の形ができていくんだよ。最初から分かったら、苦労しないよ。やりたいことやって、興味のあることやって、時々は勉強とかやりたくないこともしなきゃいけないかもしれない。その中で、自分が見つかればいいんじゃないかな」
私は少し首をひねる。
「分かった・・・様な気がする。とにかく、見つからないなら探せってこと?」
「そうそう。苦労した分だけ、その人は強いよ。若い頃の苦労は、買ってでもしろってね」
拓海はにっこりと笑った。
「拓海・・・」
暖かい気分になれる。拓海といると、いつもそう。
この西日は強すぎる。
拓海は、例えるならもっとやさしい光。
「それに、桃子の生まれてきた意味は分からなくても、少なくともわたしは、桃子が生まれてきてよかったと思うよ」
拓海はいつも、恥ずかしいことをさらりと言ってのける。
芸術家ってそんなものなのかな。

「足立。一人称が『わたし』に戻ってるぞ」
気がつくと、美術室の入り口に長尾先生が立っていた。
「あ、いけね!」
拓海は首をすくめる。
その拓海から、長尾先生がスケッチブックを取り上げた。
「最近、お前の絵は女らしくなってきたね。いくら見た目とかを男っぽくしてみたところで、絵は誤魔化せないよ」
先生で、西日が遮られた。
長尾先生はいつも黒い服ばかり着ている。芸術家は、よく分からない。
「誤魔化してるつもりじゃないんだけどね。ただ、僕は中性的な絵が描きたいから、実験中」
拓海の答えに先生は苦笑して、ページをめくる。
「でも、同時にどんどん人間が深くなっていってるみたいだね。対象物をスケッチしてるのに、お前の心が見えるよ」
その会話に、私は何だか寂しくなった。
「桃子、お前にも分かるか?毎日のようにモデルしてるんだろ?」
それなのに、そんなことを知らない先生は、私に話題をふってくる。
「よく・・・分からない。上手くなっているのはなんとなく分かるけど、男らしいとか、女らしいとか、ましてや絵から心を感じ取るなんて・・・あたしにはできない」
「僕は、それでいいと思ってるから。先生」
拓海は、私の乗っている机に腰を下ろした。
「僕は、そんな桃子を描きたい。子供の頃から純粋で、少し抜けてて。だから、桃子を描くんだよ。僕が描きたいから」
「ふーん」
先生は、感想ではなく相槌だけを返した。
「それに、批評するのは長尾先生だけで十分。辛口だし」
「美術教師として当然だよ。褒めるだけで伸びるか!」
にやりと笑って、先生は拓海の頬をつねった。
「ひっぱらないでよぉ、せんせ!・・・あ、桃子に言い忘れてた。僕はね、描くことで自分と対話してる。キャンバスは、自分をさらけ出すところ。僕の場合、そういう分かりやすい手段を見つけたから、桃子より有利。それだけだよ」
「唐突に格好つけるなよ、お前は本当にマイペースだな」
「先生に言われたくないよーだ!」
長尾先生の手から逃れて、拓海は水道へ走っていった。

「全く・・・。桃子、鍵ここにおいて置くから、戸締りしてくれ」
「はーい」
私は、机から飛び降りた。
気がつくと、西日は夕焼けに変わっていた。半熟卵みたいな色に、美術室中が染まっている。
ふと見ると、スケッチブックの上には、私が出来上がっていた。
この半熟卵色の光の中で、体育座りの私は、母親のおなかの中にいる胎児のように、安心しきっているように見えた。
回り道をしてでも、いつかたどり着こう。よく分からない、明るい未来へ。

「桃子、帰ろう!」
手を拭きながら、拓海が帰ってきた。
「拓海、スカートまで濡らしてるよ?」
「え、嘘?・・・本当だ、最悪ー」
「帰るまでには乾くよ。鍵閉めて、帰ろう」
帰ろう。半熟卵の夕日の中を。
そういえば、この夕日は、拓海に似ているかもしれない。

fin

拓海

2005年の作品。
放課後の美術室はノスタルジー。

拓海

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-05

Copyrighted
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