たった七日間の逃避行 6
終わる。
「また来たのか、あんたも暇だねえ」
「まあね」
受付を済まし、奥へ進む。
ドアを開き、椅子に座る。
透明な壁で隔てられた先に一人の女性がいた。
「また来たんですか、働いたらどうなんですか?」
「この後すぐ仕事だよ」
「そうですか」
「ちゃんと帰って来れるようにするから、待っててくれよ」
「わかってます。 もうあんな事はしませんから、安心して下さい」
「それは分かってるんだけど、一応な」
「……時間だぞ」
奥のドアから男が出てきた。
どうやら面会時間はここまでのようだ。
「じゃあ、また」
「はい、待ってます」
そして彼女は、ドアの奥へ消えていった。
少し冷たい風が、頬を撫でる。
屋上には下より強い風が吹いている。
そらは黒い雲で覆われており、暗い。
まるで太陽がどこかへ逃げてしまったかのよう。
何で、僕はここにいるんだっけ?
視線の先には、絵馬がいる。
そうだ、僕は屋上から見えた顔が彼女だったから、僕はここへ来たんだ。
全力で階段を駆け上ったせいか、息が切れている。
「絵馬」
「黙ってください」
何度、このやり取りを繰り返した事か。
一歩進む度に、彼女の声は大きく、荒くなる。
「私は、あの人を殺してしまったんです」
「わかってる」
「罪は償わなくちゃいけないのに、何で……」
「僕は、生きている。 だから罪なんて無い」
彼女はじっと下を見詰めている。
ここから落ちれば命は無いだろう。
「ありますよ」
彼女が一歩足を進める。
「あなたがあなただと気が付いた時から、怖かった」
二歩
「トウカさんと向き合わなくちゃいけない日が、怖い」
三歩
「この7日間、ずっと逃げてたのはトウカさんじゃない」
四歩
「私なんです」
五歩
あと数センチで、彼女は落ちてしまう。
きっと僕には、彼女を止める事は出来ないのだろう。
ここまで追い詰めてしまったのは、僕が原因でもあるからだ。
ならば――
「なら、僕も罪を償うべきだ」
「トウカさんは何もしていない」
「したさ」
一歩
「ずっと、忘れていた」
二歩
「いや、逃げていたのかもしれない」
三歩
「明彦の事に絵馬の事も、僕の事も」
四歩
「だけど、もう逃げない」
五歩
「君が行くなら、僕も行こう」
「駄目です、許しません」
「僕も許さない」
絵馬の手を掴む。
彼女は振り払おうとする。
こんなに力、強かったのか。
正直きついぞ。
だけど――
零歩
「もう一人にはしない」
零歩
「だから、僕から離れる事は許さない」
零歩
「もしここから落ちても、僕は君の下敷きになる」
零歩
「僕が先に逝っても、君が自ら逝くことは、絶対に許さない」
零歩
零歩
「そんなの、わがままですよ」
零歩
「でも、ごめんなさい」
一歩
落ちている。
まるで時間がゆっくり流れているようだ。
僕は彼女の手を捕らえる。
僕の脳が思い出しているのは、忘れていたあの日。
僕が一度死んだ、あの日。
あの日も今日と同じ、こんな天気だったかな。
でも、あの日と違うのは、落ちているのが僕だけじゃない。
悔いはある。
このままでは、彼女が助からない。
その時、まるで時間が止まったかのように……。
揺れはあるのだが、落ちない。
まるで、体が糸でも巻き付けられたかのように。
「……全く、何度助けられたら気が済むんだッ」
僕の足に強く縛られたような感覚がある。
横を見ると、彼女もいる。
どうやら、またあの男に助けられた様だ。
「……あー怪我は無いか?」
桐生さんは、火のついていない煙草をくわえてこっちを見ている。
「ああ、鍛えてて良かったー! 三人とも重すぎるよー」
新巻もいた。
どうやら、桐生さんが腕一本で一人を掴んだようだ。
それを、新巻が支えていたようだ。
引き上げられると、足に力が入らずその場に倒れ込む。
倒れた自分の上に、絵馬が乗る。
「……絵馬?」
「さてと、オジサン達の出番はここまでみたいだな」
桐生さんは新巻を引っ張って部屋の奥へと消えた。
「……あの日、私は」
「ああ、僕を殺した。 でも生きている」
「本当に、本当に?」
「寿命が来るまで、もうどこにも行かない」
「……もし、あなたが望むなら、私は寿命が尽きても、傍に……」
「はは、いいよ。 その時はずっと一緒に」
僕は彼女を抱き締め、ずっとそのまま。
そのまま。
空を覆い隠していた雲は、その隙間から光を見せた。
逃げていたのかもしれない。
ずっと隠れていたのかもしれない。
今は、そこから光を地上へ注いでいる。
「好きだよ、絵馬」
「……今更ですか……ふふっ、嬉しいです」
私は、ただこの男を陥れたかった。
あの日、大事な人を殺してしまった、あの日。
あの人を殺した二人。
私と、この男。
「おいおい、今日はやけに静かだな」
あの男の声。
「誰かを待ってるのか知らないが、あいつなら来ないぞ?」
「来ない、あいつは昔から臆病だ」
来ない。 だってあの人は、もう。
「なあ、戻ってこいよ」
「……はい」
このままこの男に乱暴させて、ある程度の所で叫んでこの男を陥れたかった。
あの日、あんな事があって、この男は普通の人生を歩んでいる。
罪を償う事もせず、向き合おうともしない。
私は、それが許せなかっただけ。
その時、開くはずの無いドアが開いた。
「トウカさん……?」
「よお、トウカ」
「ああ、明彦」
トウカさんが振り下ろした棒は、あの男が腕で防いだ。
そのまま、トウカさんは腹を殴られる。
そのまま、崩れ落ちる。
「今日は来たか、トウカ」
「今日は……?」
「覚えてないのか? あのトウカだよ」
「弱虫ですぐ泣くし、すぐ黙る、あいつだよ」
「でも、あの人はもう死んだはず」
「何を言ってるのか分からないが、こいつはあのトウカだ」
そんな、生きていたの?
あの日、確かに私はあの人を落として、そのまま……。
顔は成長していたのもあって、分からなかった。
それにトウカさんのお母さんは、トウカさんは死んだと、言っていたのに。
でも、嬉しかった。
あの日は来てくれなかったけど、今日は来てくれた。
助けに来てくれた。
それだけで、私は嬉しかった。
けど、それと同時に怖かった。
彼に向き合うのが、怖かった。
「さて、これからが本題だ」
男がそう言った。
「俺はこいつに二度も殺されかけた」
「だから、俺はこいつを殺そうと思う」
男は部屋の隅へ行って何かを探し始めた。
「止めるか? 止められるならな」
気が付けば、私の手にはトウカさんが持って来たあの棒があった。
振り下ろしたその棒の先端が尖っているのに気が付いた時にはもう遅く……。
もう、後戻りはできない。
本当なら一人であの人の元へ逝くつもりだったのに、あの人はここにいる。
でも予定に狂いはない。
私はこのまま一人で逝ってしまおう。
彼に向き合うことなく、どこかへ逃げたい。
トウカさんは私の手をずっと握っていてくれる。
今はそれだけでいい。 今は。
このまま、たった一人の逃避行を続けよう。
どこまでも、一人で逃げて行くこう。
そんな私の手を、この人は引いてくれた。
たった七日間の逃避行 6
最後まで見てくれて感謝を送るしか私にはできない。