迷える筆の私小説 1

小説家志望の素人が沢山いるこちらのサイトに、小説家志望の素人を題材にした小説を投稿してみました。

赤色灯と黄色いテープが夜の闇にどぎつく映えるアパートへたどり着いたのは、やっと仕事を片付け、日付が変わる頃だった。最悪である。俺がくだらぬ良心を見せたために、明日も仕事だというのに、こんなところへ呼びつけられてしまった。
おそらくこのアパートの一室には、俺のところへ文章を送り続けてきた男の死体がある。とはいえ私はその男とは直接にはなんの面識も無い。
そもそもの始まりは、その男からの投書であった。俺は出版社で編集をやっている。と言ってもこんな人の生き死にに関わるような事件を担当しているわけではない。素人の投稿の中から新たに連載デビューする新人発掘の仕事をしている。

その男が俺の事務所におかしな投書を送り付けてきたのが、今日の朝の郵便だった。
男の投書には、ただ一言の本文しかなかった。

俺は誰も成し得たことのない偉業を成し遂げた。人が息絶える瞬間の克明な記録を見たければ、ここへ来い。

こうしたイタズラの類の投書は他にないわけではない。自信作を送り付けてきた才能のない奴などは、自分の才能を棚に上げ、編集を逆恨みすることなどしょっちゅうである。殺人予告が舞い込んできたのも一度や二度ではないし、刃物が入った郵便物を受け取ることも度々である。
しかし今回俺がそういったイタズラとこの投書を分けて考えていたのは、少なからずこの男に興味を持っていたからである。
この男が俺の元へ投書を送り始めてからはや数年になろうとしている。
当初男は、箸にも棒にも掛からない、二次創作のような歴史小説を何篇も送り付けていた。どうやら私の元を送り先に選ぶ前、どこかの地方都市の郷土文学賞に送った作品が評価されたことが、この男が歴史小説にやたらこだわるようになったことと、創作への自信のきっかけとなったらしい。
最近になってその文学賞を主催した地方自治体にその作品について問い合わせたところ、男自身がこの自治体の職員であり、また、相当の歴史オタクであったことから、その地域の郷土史への造詣における資料的価値が買われ、特別賞という形で新たに枠を作ってもらえたというのがこの話の裏側にあったらしい。
そういった内情はとにかくとして、このときの受賞が男の作家としての人生を決定し、仕事を辞め、現在の様に様々な出版社に自らの投書を送り付ける生活をスタートしたらしい。
自分で言うのも情けない話だが、俺の会社はいわゆる弱小出版社である。主には大手のアウトソーシングの仕事で、コラムや小説のページを持っているという業態である。
ここからは単なる憶測に過ぎないが、男も当初はもっと大手にばかり作品を送っていたのだろう。私のもとへ作品が届くようになったときには、どこかの歴史小説家の文体をそっくりそのままなぞったような、コテコテの歴史小説的文体が出来上がっていた。
この頃の男の作品について知りたければ、あなたの街にある大型書店でも行って、歴史小説のコーナーをざっと立ち読みしてみてもらうとよい。おそらく男のすべてのエッセンスがそこにあるであろう。
まあ男が勉強家であることは認めるとしても、毎回こんな代わり映えのしない文章を読まされる側に回されると、たまったものではない。これはあの作家のあの本の一節から、といった連想の連続である。
もちろんこんな内容の小説を雑誌に掲載などしようものならパクリだなんだの批判が俺の事務所に回ってくることになるのだから、これを男の創作として認めるわけにはいかない。
ざっと読んではシュレッダーにかける作業を繰り返し、何度目になるだろうか、そろそろペンネームだけであの男からの投書であることがわかるようになった頃、俺のほうでも嫌気がさし、いつもより時間をかけて作品を読み、あなたの小説のここがいけない、ここはあの本のパクリじゃないのか、そもそもあなたの文体そのものがかの御大の模倣じゃないのかといったダメ出しをこれでもかと書きなぐり、いまさらこんなベタベタの歴史小説が流行るわけないですよ。そもそも歴史小説だったらわざわざあなたのものを読まず、あなたが尊敬して止まないあの人の本を読みますよ、路線変更したらどうですかといった半ば私怨まじりの批評を男の元へ送り付けてやったのである。

これでしばらくあのいまいましい投書に目を通さずに済むであろうという目算通り、それ以降男の投書はぱったりと途絶えた。
流石に当初はしてやったりと思ったものだが、いくら俺の事務所が小さく、日に何通も作品の投稿がないとはいえ、星の数ほどいる作家志望の素人のことなど、半年もあればその存在すら忘れてしまう。
一年ほどもたったある日、すっかり男のことなど忘れ、いつもの通り朝の郵便の中から私が担当する投書をより分けていると、見覚えのあるあの男のいまいましいペンネームが私の目に飛び込んだ。
しかも今度はご丁寧に私へのメッセージ付きである。

貴方のご指摘を受けましてから、私と致しましても些か自信を喪失致しまして、しばらく投稿を控えさせて頂いておりました次第です。
この度私の方でも新たなアプローチにて作品を書いて見ましたので、よろしければ是非、ご一読下さい。

迷える筆の私小説 1

迷える筆の私小説 1

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-04

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